2017/12/03

前夜

 

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サラボナの町は夜の空気もどこか暖かく、宿の部屋の窓を半分ほど開け放していても寝るには差し支えないほどの気温だった。リュカは開けたままの窓から覗く星空を見上げながら、ベッド脇にあるサイドテーブルに置いてあるカップに手を伸ばした。温くなってしまったコーヒーに口をつけ、思わず顔をしかめる。宿の酒場でコーヒーを頼んでしまったことを今となっては後悔していた。コーヒーのせいで眠れなくなったのだと、言い訳だと分かりつつもそんなことを考え、再び星空を見上げる。
二人の女性から一人を選ばなくてはならない。自身の一生の伴侶を決めなくてはならない。唐突に沸いた人生の問題に真剣に向き合わなくてはならないと考えながらも、頭の中では全く考えがまとまらない。酒場で酒でも飲んでしまえば少しは頭もマシになるだろうかと先ほど足を伸ばしたが、結局注文したのはホットコーヒーだった。酒場の席に着いても、既にリュカ達のことは町中の噂になっており、酔っ払いの男に絡むように妬むように言葉を投げられるだけだった。
『私だったらフローラさんに決めますな。フローラさんと結婚すれば家宝の盾ももらえると言うし。なーんにも悩むことなんかないじゃないですか』
リュカもサラボナに来る前はそうなるのだろうと思っていた。父パパスの生前の目的を果すため、天空の武器防具を集めなくてはならない自分は、二つのリングを見つけた今となっては当然のようにフローラとの結婚を選択し、予定通り天空の盾を手に入れるという想像をしていた。結婚というものにいささかの疑問を感じていたが、フローラという女性を見る限り、結婚相手としては申し分ない女性で、町の人のみならず、恐らく世界中から羨ましがられるような結婚になるのは目に見えていた。酒場の男の言うことはもっともで、リュカも自身の人生の目的のためにもそうするべきなのは重々分かっていた。
『あんたが連れたビアンカって子。あれはホントにいい女だねぇ。もし結婚しないならうちの酒場で雇いたいくらいだよ!』
酒場のマスターは機嫌よくそんなことを言いながら、昼過ぎにビアンカが酒場に来たことを教えてくれた。その時に少し話をしたらしく、マスターはすっかりビアンカのことを気に入ってしまったらしい。しかしマスターの言う通りにビアンカがもしこの酒場で働いていたらと考えると、憤る気持ちさえ沸き起こる。酒場で働いているバニー姿の女性の店員が愛想よく酒場の客たちに酒をふるまっている姿を見ると、ビアンカがそんなことをするなんて冗談じゃないという気になる。結局は嫉妬しているのだと気付き、リュカはビアンカへの想いを諦められずにいることを自覚する。
『男ってどうして自分のことだけしか考えないのかしら……。少しは選ばれる女の子の気持ちも考えて欲しいわ。もちろん、あなたは優しそうだし、そうしてると思うけどね』
バニー姿の店員にそう言われながら渡されたホットコーヒーを、リュカははっとする思いで受け取った。彼女の言葉の通り、リュカは自身の都合だけを考えていたことに気付き、恥じ入る気持ちだった。結婚というのは自分だけの問題ではないのだ。もし結婚したら、フローラにしてもビアンカにしても、リュカという旅人を一生の伴侶としなければならないのだ。
フローラと結婚した場合、リュカはフローラをこの町に置いて再び旅に出るつもりだった。大切に育てられたお嬢様を危険な旅に連れ回すことなどできるはずもない。賢明な彼女自身、そうすることを選択するだろうとリュカは思っていた。夫と危険な旅に出るよりは、家で夫の帰りを待つ妻でいてくれるだろうと、リュカはフローラを.そのような女性だと考えていた。
もしビアンカと結婚した場合、彼女が旅についてくるのは容易に想像できる。山奥の村でおとなしく待っているような彼女ではない。これを機にと、再びリュカと一緒に旅に出て、人生を楽しみ始めるに違いない。リュカとしてはそんなことは望んでいない。フローラにしろ、ビアンカにしろ、いつ終わるとも知れない自身の旅に女性を連れて歩くわけにはいかないと思っている。
そんなことを考えながら、リュカは自分が先走って色々と考えていることに、自嘲するような笑みをこぼした。ビアンカは自身のことを弟だと思っているのだ。姉が弟に結婚の申し込みを受けても、そこには拒否しかあり得ず、気持ちが結婚という意識には働かないはずだ。ビアンカへの想いはずっと胸の内にくすぶっているが、その気持ちをビアンカが受け入れることはないのだ。
『ゆっくり考え事をするなら、宿の部屋に戻ったら? ここじゃあ……ずっとじろじろ見られるわよ』
バニーの店員にそう促され、リュカは彼女に言われた通り部屋へと戻ってきて、今こうして温くなったコーヒーに手を伸ばしている。
部屋に戻ってきて一人で考えたところで、何も答えが出ないのは分かっていた。そもそも正しい答えがあるのかどうかも分からない。しかしルドマンに言われた通り、男として一つの答えを出さなければならない。
リュカは部屋の窓から覗く月を見ながら、ふと子供の頃のことを思い出した。同じような美しい月や星空を、アルカパの宿の部屋からビアンカと一緒に見上げたことがあった。あの時はただ星空がきれいで見上げていただけだったが、今は同じような星空でもどこか物悲しい雰囲気を感じる。自分がどのような選択をしようとも、全てがすっきりと収まるようには思えない。そんな結果が目に見えて、星空にもその気持ちが反映されているようで、リュカは席を立って窓を閉め、カーテンを引いた。そしてすっかり冷めた残りのコーヒーを飲み干すと、カップを宿の酒場に返却するため部屋を出た。
宿の受け付けには宿泊手続きをする男が帳簿を眺めて座っていた。まるで宿の用心棒であるかのような頑強な体つきをした男は顔も強面で、一見すると話しかけ辛い雰囲気が漂う。しかしリュカがカップを持って部屋から出てくるのを見ると、強面の顔に人の良さそうな笑みを浮かべて話しかけてきた。
「よう、リュカさん、眠れないのかい?」
そう言われてようやく今の時分が夜遅い時間であることに気付いたリュカは、困ったような笑みを浮かべて応える。
「そうみたいですね。コーヒーなんて飲んじゃったし」
「そのカップは俺から酒場のマスターに戻しておくよ。ここに置いておきな」
「いいんですか?」
「今あんたが酒場に戻ったら、酔っ払いどもの格好の餌食になるぜ」
そう言いながら頑強な男はリュカからコーヒーカップを受け取り、カウンターの隅に寄せた。
「何だか疲れた顔をしてるなぁ、リュカさん」
「そうですか……?」
「悩むのも無理ねえよな。結婚っていやあ一生の問題だからな。散歩でもして頭を冷やせば考えがまとまるかもしれないぜ」
「散歩ですか……そうですね、それもいいかも」
「また眠くなったら俺に言いなよ。何時になったって構わないから、しっかり悩んできな」
「そうすることにします。ありがとう」
「礼を言われるようなことはしてねぇぜ。俺はただここにいるだけだからな」
宿の男はそう言いながら小さな声で笑うと、手を振ってリュカを見送った。リュカも男に頭を下げ、一人ふらりと宿を出て行った。



サラボナの町に土地勘があるわけでもなく、当て所もなく町を歩くリュカが向かう場所は噴水広場だった。町の裏道など知らないリュカとしては、町の大通りを進むことしかできず、そこには必然的に町の人の目があった。かなり夜遅い時間ではあるが、酒を飲む人にとっては大して遅い時間でもないのかもしれない。噴水広場のベンチに腰かける男はリュカが歩いてくるのを見ると、ほろ酔い気分のまま気分良くリュカに話しかけてくる。
「よっ、色男。こんな時間に散歩かい?」
酔っ払いのあしらい方を心得ているわけでもないリュカは、人に話しかけられ、まともに返事をするために立ち止まる。
「部屋にいても寝られそうもないので、宿の人の勧めで散歩に出てきたところです」
「寝られそうもない、そりゃあそうだよなぁ」
うんうんと頷く男から嫉妬じみたような嫌な雰囲気は感じられない。ただリュカの境遇に同情しているようだった。
「うーん、悩むよなぁ……。ビアンカさんはちょっと気が強そうだけど、明るくてとびきりの美人だし……フローラさんは素直で優しくて、いい奥さんになりそうだし……」
男の言葉を聞きながら、リュカはその言葉がすっと胸の中に落ちないのを感じた。リュカの思う二人は、男の考える印象とはまるで違う。
ビアンカは一見すると気が強そうにも見える。実際、小さい頃は彼女の気の強さのおかげでプックルを助けるための冒険に出たこともあった。しかしそれは、気が強いというよりも、彼女の正義感のせいだったように今なら思える。決して気が強いというわけではないのだ。
むしろ、滝の洞窟での冒険では、ビアンカは自身の無力さを嘆き、『足手まといだった』などと言うほど自身のない態度を見せたこともあった。冒険に出る前まではそれなりの自信があったのだろう。しかし実際に冒険に出てみると、旅慣れたリュカ達との経験の差を見せつけられ、旅を楽しむ余裕を徐々に失くして行ってしまった。サラボナに戻る船の上では、滝の洞窟に向かう船上とはまるで違う表情をしていたように思う。行きに見せていた元気な彼女の姿は見られず、気付けばぼんやりと海を眺めていた彼女の姿が思い出される。
フローラにしても、男の言うような素直で優しくて、と言うような言葉で片付けられるほど簡単なものではないことをリュカは感じている。お淑やかで、控えめで、という一般のフローラのイメージは、今のリュカの中にはない。リュカが感じているフローラの印象は、己の正しいと思ったことはどんな状況でも伝えるほど心の強い女性だということだ。そうでなければ、あの局面でビアンカに話しかけて立ち止まらせることはなかったはずだ。そういう意味では、フローラも正義感が強く、ビアンカと似たところがあるのかもしれない。
「しかし羨ましい選択だなぁ。どちらにしてもキレイな奥さんがもらえるんだから」
「どちらにしてもって……まだ結婚すると決まったわけじゃ……」
「いやいや、こんな状況で結婚しないってのはないだろう。それともあんた、どちらも振るって言うのかい? それもまたとんでもない選択だなぁ」
そう言いながらほろ酔い気分の男は笑ってその場を後にした。宿で休む気になったのか、再び宿の酒場で酒を飲む気になったのか、その足は噴水広場から宿へと向かっていた。
残されたリュカは男の言葉が耳に残り、その選択について初めて考えさせられた。リュカが指輪を探す旅に出たきっかけは、そもそもルドマン家で所有する天空の盾について訪ねに行った先で、その場の状況で指輪を探す旅に出ることになってしまったということだった。初めからフローラと結婚したいと思って旅に出たわけではない。その場の状況に流された自分が悪いのだが、それから今では二人のうちから一人を選んで結婚するという未来まで半ば決められてしまっている。
「僕は別に結婚したいわけじゃ……」
そう口にしかけて、リュカは今日のルドマン邸で聞いたフローラの言葉を思い出す。出て行こうとするビアンカを引き留める時、彼女は『ビアンカさんはリュカさんをお好きなのでは……?』と言っていた。フローラがそう言った時、リュカは無意識に自分の胸の内に期待が沸き起こるのを感じていたのだと、今ならその時を振り返ることができる。昨夜、この噴水広場でエルフの飲み薬と言う貴重な品物を渡し、ビアンカとの別れを覚悟していたというのに、フローラのその一言であっさりとビアンカとの別れの意識をなかったものにしてしまう自分は、まるでビアンカへの想いを断ち切れていないのだと思い知らされた。もしビアンカが自分のことを弟ではなく男として見ていてくれたら、そう考えるとリュカは先ほど言いかけた『結婚したいわけじゃ……』という言葉も本心ではないののだと自覚する。
結局はビアンカが好きなのだ。結婚したい方を選べと言われれば、ビアンカを選ばざるを得ない。しかしそこでどうしてこれほど悩むのかと考えると、ビアンカがリュカのことを弟として見ていると言っていることだった。彼女がそう言っている限り、フローラがビアンカを引き留めた言葉も間違いだったということになる。フローラはあくまでも、自分の感じたことを素直にその場で述べてビアンカを引き留めただけなのだ。ビアンカにその意思を確認したわけではない。
時間は今日しかない。朝になればルドマン邸を再び訪れて、己の選択を伝えなくてはならない。真剣な選択をするために、今できることをしなくてはならないと、リュカは焦る思いで口にする。
「確かめに行こう……ビアンカに」
自分に言い聞かせるようにそう言葉にすると、リュカは噴水広場を通り抜けようと、西に向かって歩き始めた。彼女に確かめに行ったところで、恐らく彼女は当然のように『リュカは大事な私の弟よ』と言うに違いない。しかしその言葉を口にする彼女をもう一度目で見て確かめたいと、リュカは意を決してルドマン邸の別荘へと足を向けた。



ルドマンの屋敷周辺は静かに虫の音が鳴るだけで、人の気配は全く感じられなかった。夜の町を散歩する町の住人も、ルドマン家周辺まで来ることはなく、噴水広場辺りをふらふらと歩くだけだ。リュカはルドマンの屋敷の前を通り過ぎる時、ちらと屋敷の様子を窺った。屋敷上階の明かりは消えていたが、一階の明かりはまだ仄かに灯っていた。屋敷の中で誰が起きているのかは分からないが、ルドマン家はまだ寝静まってはいないようだ。
屋敷前に繋がれるリリアンは既に寝ており、リュカが静かに通り過ぎる時も目を覚ますことはなかった。リリアンの中で、リュカは不審者には当たらないようで、急に目を覚まして吠えたてることもないようだ。
あまりにも静まり返った雰囲気に、リュカは一人ルドマン家周辺を歩くのに少々引け目を感じた。しかし屋敷の南に灯る明かりを見つけると、そんな引け目は元々感じていなかったかのように足を速めた。
ルドマンの所有する別荘までの道は月と星の明かりで充分見渡すことができ、青白く照らされた景色の中、リュカは別荘の明かりに向かって無心に歩いていた。何かを考え始めたら足が止まってしまいそうで、リュカは意識的に何も考えないままただ足を動かしていた。とにかく別荘に行ってビアンカに会う、それだけを考え、彼女と何を話すかなどあえて何も考えずに歩き続けた。
別荘周辺には花の香りが漂い、夜の涼しい風が花の香りをリュカに届ける。昼間に見れば色とりどりの花も、今は月明かりに照らされ、一様に仄かに青白く輝いているようだった。時折、濃密な香りが鼻をくすぐると、リュカはその匂いに心地よく酔ってしまいそうになる。
別荘の二階の窓から部屋の明かりが見え、その明かりの中に人影があった。開けられた窓から覗く人影は、明るい月と満点の星空を眺めるビアンカの姿だった。ルドマンの別荘に宿泊する者の待遇として、ビアンカは白っぽいローブのような夜着に身を包み、いつもは肩から流している三つ編みを下ろして、長い金色の髪を風に流している。夜空を見上げる彼女の姿に、リュカは息を止めて見入ってしまった。今、自分が見上げているのはビアンカではなく、天女のような到底自分には手の届かない存在なのではないかと見紛うほどの美しい女性がそこにいた。
ビアンカに見惚れていたリュカは、夜の散歩を楽しむ猫が足元に寄ってきていることに気がつかなかった。「にゃーん」と小さな声で鳴かれ、はっとしたと同時に、夜空を見上げていたビアンカも猫の鳴き声に反応して視線を下に落とした。月明かりを受けるリュカの姿を見ると、一瞬息を呑んだように目を大きくし、直後心を整えてリュカに声をかける。
「あら、リュカ。どうしたの、こんなに夜遅くに」
柔らかな笑みを浮かべるビアンカはまだ天女のようなこの世とは思えぬ美しさを醸していたが、その声はビアンカそのものだった。聞き慣れた彼女の声に、リュカはいくらか安心し、何故かひりつく喉からようやく声を出す。
「うん、君に会って話がしたくて……。少し中で話せるかな」
何の邪気もなく、ただ話がしたいのだとそう言うリュカを見て、ビアンカは少々咎めるような顔をしてリュカに言う。
「ルドマンさんがどうして私を別荘に泊めたか、分かってる? リュカと一緒にさせないためなのよ」
「でも僕たち、ずっと一緒に冒険してきたじゃないか。今さらそんなこと……」
「私たちがそう思っていても、もう周りの人たちはそうは見てくれないわ。人から見れば、私たちはただの男と女なのよ。……まあ、お子ちゃまのリュカには分からないかも知れないけどね」
茶化すような雰囲気でそんなことを言う彼女の言葉が、リュカには悲しかった。周囲の人がリュカとビアンカに男女の仲を疑っても、ビアンカはただリュカのことを弟のように見ているのだと言っているようで、リュカはつい強い口調で『分かるよ』と言ってしまった。
「僕だって、分かるよ、それくらい……。いつまでも子供扱いしないでくれよ」
そのまま言葉を続けたら、一体自分は何を言い出すのだろうとリュカは不安になった。しかし続く言葉を制するように、ビアンカが上から言葉を降らせる。
「子供扱いして欲しくないなら、尚更部屋の中で一緒に話をするわけにはいかないわ。話をするなら、このまま話しましょう。とても静かだから、小さな声でも十分話ができるわ」
ビアンカの言う通り、辺りにはささやかに虫の音が鳴り、風に揺れる草花の音が時折耳をくすぐるだけで、人の会話を邪魔するようなものは何もない。この空間には今、リュカとビアンカしかいない。先ほど、リュカの足元にじゃれてきた猫も散歩のつづきを楽しむため、既にどこかに姿を消していた。ビアンカが提案してきたことを断る理由もなく、リュカはただ「分かったよ」と頷くだけだった。
話をしに来たと言ったは良いものの、いざ話をするとなると何を話して良いのやら、リュカは口にするべき言葉を考え、しばし黙り込んだ。ビアンカもそんなリュカを見ながら、自ら発するべき言葉は持たず、ひたすらリュカの言葉を待っている。二人の間には涼やかな風が吹き、花の香りが風と共に動く。
「なんだか大変なことになっちゃったね」
開け放った窓から身を乗り出すようにして両腕を窓の縁に乗せ、ビアンカが同情するような声を出した。張りつめていた空気が解けたようで、リュカはこの機会を逃すまいと彼女の言葉に乗る。
「他人事みたいに言うんだね。ビアンカだって巻き込まれてるんだよ」
「あはは、そうだったわね。何だか自分のことのようには思えなくって」
「僕だってそうだよ。まさかこんなことになるなんて、全く思わなかったよ」
「ごめんね、私が余計なお世話をしたから面倒なことになっちゃって。軽い気持ちでご挨拶と思ったのに、リュカとの仲を疑われるなんて思わなかったのよ。ウカツだったわ」
そう言いながら軽い調子で謝るビアンカを見ながら、リュカはその時のことを思い出す。ルドマン邸にリュカの姉として挨拶に付き添ったビアンカは、自身をリュカの姉だと名乗るつもりでいた。しかしフローラに問いかけられた彼女は、咄嗟にリュカとの仲を『ただの幼馴染み』と応え、つくべき嘘を忘れてしまったのだ。
「どうしてあの時、幼馴染みだなんて言ったの? ビアンカは僕のお姉さんとして付き添うってことになってたのに」
リュカの純粋な問いに、ビアンカは答えに詰まる。まさかフローラに指摘されたことに胸を突かれ、動揺してつい本当の関係を言ってしまったことを、リュカに説明するわけにはいかなかった。フローラにリュカへの想いを見透かされ、その想いを隠すためにもう一つの事実である幼馴染と言う関係を明らかにしたことを、ビアンカはリュカに伝えられない。
ビアンカは真実に近い事実を、自分に嘘をつくようにリュカに伝える。
「ああいう場面で嘘をつくのっていけないなって思ったのよ。だってリュカの姉として挨拶に行ったら、リュカがフローラさんと結婚した後もずっと姉としていなきゃいけないわけでしょ。それってフローラさんに対してずっと嘘をつき続けることになるもの。さすがにそれはいけないなって思って、本当のことを言ったの」
ビアンカの言葉の中には嘘と真実が入り混じる。彼女自身、言葉を口にしながら、自分の言葉に混乱しそうだった。慎重に言葉を選んでいるが、果たしてリュカに自分の気持ちが伝わってしまっていないだろうかと、ビアンカは口にしてしまった自分の言葉を頭の中で反芻する。
「嘘をつき通す自信がなくなっちゃったのよ。でもそのせいでなんだか大変なことになっちゃったね」
「大変なことって?」
「フローラさんか私を選ぶだなんて、そもそもおかしな話よね。だって私はリュカのお姉さんみたいなものなんだもの。結婚相手として選ばれるだなんて、おかしな話だわ」
「おかしなことなんてないよ。だって君は僕のお姉さんじゃないんだから」
きっぱりと否定するリュカの真剣な瞳から、ビアンカは思わず目が離せなくなる。はっきりと想いを言葉にはしないリュカだが、否が応でも彼の瞳からその想いが感じられ、ビアンカは受け入れたいと思う心を抑え、彼の想いを拒まなければならないと思考を巡らせる。
「そう言えば、水のリングを探しに行くのに山奥の村を出る前、父さんに変なことを言われていなかった?」
「ダンカンさんに?」
「父さん、私が嫁に行き遅れてるから、リュカと一緒になってくれたら安心だ、みたいなことを言っていたでしょ。部屋の外で聞こえちゃったのよ」
ビアンカにそう言われ、リュカは山奥の村のダンカン宅で世話になった時に話した内容を思い出した。ダンカンは身体の弱い父の世話を続ける娘の未来を案じ、成長して逞しくなったリュカに娘を託そうと話をしたことがあった。その時リュカは、あまりにも唐突な話で、ビアンカと再会したばかりでまだ彼女に特別な感情が芽生える前だったため、ダンカンの言葉を全く本気に捉える事が出来なかった。
「父さんが心配してくれるのはありがたいんだけどね」
「ダンカンさんはそれくらいビアンカのことを大事に思ってるんだよ」
「リュカは優しいから、父さんの言ったことを気にしているのかも知れないわね」
ビアンカにそう言われ、リュカは改めて自分の心に問いかける。果たしてダンカンの言葉が影響して、ビアンカへの恋心が芽生えたのだろうか。何も感じていなかったあの時に言われた言葉がきっかけになって、水のリングを探す旅の最中、彼女のことを好きになってしまったのだろうか。
たとえダンカンの言葉がきっかけだったとしても、そうでなかったとしても、どちらにせよビアンカを好きになっていたに違いないと、リュカは月の光を浴びて柔らかく微笑む彼女を見上げながら確信する。運命と言う言葉を好まないリュカだが、ビアンカに恋をしてしまうのは己の運命の一部だったのだと、その想いを含んだ瞳をビアンカに向ける。
「でも悩むことないわ」
リュカが言葉を口にしようとすると、一歩先を行くビアンカは必ず彼の言葉を遮るように話し始める。ビアンカの気持ちを確かめに来たリュカは、彼女の言葉を聞きたくて、黙って続きを待つ。
「フローラさんと結婚したほうがいいに決まってるじゃない」
待って得る彼女の言葉は残酷で、しかし現実的で、リュカは彼女の言うことはいつも正しいのだと改めて認識させられる。リュカにも分かっているのだ。フローラと結婚するのが正しいことは、リュカだけではなく、恐らく誰もが認める事実だ。天空の盾を必要とするリュカは、フローラという世界的にも有名な大富豪の娘と結婚し、伝説の盾だけではなく、莫大な富を得て、今後の旅の糧にも安心していられる状況を得ることは、誰が見ても「正しい」ことなのだ。
正しいことを突きつけられ、リュカは返す言葉を失ってしまう。その黒い瞳にはただ、寂しさが残る。ビアンカはそんな彼の瞳を見ていられず、視線を夜空に向け、月と星を眺めるふりをする。
「私のことなら心配しないで。今までだって一人でやってきたんだもの。第一、父さんがいらないことを言うからいけないのよね。私を心配してくれるのはありがたいけど、弟みたいなリュカを押し付けられるのはごめんよ」
自分でも酷いことを言っている自覚はある。リュカが傷ついたような表情をしてビアンカから視線を外し、顔を下に向けるのを、彼女は目の端に捉え、自身も泣きそうになる。しかしこれは彼を幸せにするために必要なことなのだと、ビアンカは気を持ち直して俯くリュカを見下ろして話し続ける。
「フローラさん、きっとリュカのいい奥さんになってくれるわ。ほんの少しお話しただけだけど、それでもフローラさんがとても良い人なんだって分かったもの」
「うん……」
「それに弟が大富豪の娘さんと結婚するなんて、村に戻ってからも自慢できちゃうわ。父さんもきっと喜んでくれるわよ。亡くなったおじさまの代わりに祝福してくれるに違いないわ」
「……うん」
「ああ、でもリュカがフローラさんと結婚したら、私はフローラさんのお姉さんのようなものよね。時々はサラボナに遊びに来て、フローラさんとももっとお話して……」
「ビアンカ」
突然リュカに名を呼ばれ、ビアンカはびくりと身体を震わせた。口先から出るとりとめもない話の内容がさほど気持ちのこもらないものだと気付かれてしまったのだろうかと、ビアンカは注意深くリュカを見る。月明かりを浴びるリュカの顔は青白く、漆黒の目には月明かりを取り込み、さざ波を打つ湖面のように揺れている。まるですがるような表情のリュカに、ビアンカは思わず手を差し伸べたくなるが、そんなことができるのは自分ではないのだと上がりかけた手をすぐに下ろす。
「もっと近くで話がしたいんだ。中に入れてくれないんだったら、こっちに来てくれないかな」
リュカの優しく、しかし必死な言葉に、ビアンカは一も二もなく応えたい気持ちに駆られる。しかし今、彼の目の前に立てば、自分の中の嘘偽りない気持ちが爆発してしまうのではないかと、リュカの言葉に応じることはできないことを再度確認する。
「それは……できないわ」
近くで話をすることができない上手い言い訳が思いつかず、ビアンカはただ端的にそう言うのみだった。途端に言葉少なになったビアンカに、リュカは尚も必死に呼びかける。
「どうして? 僕、君ともっと近くで話がしたいだけだよ。近くにいたいんだ」
今この時を逃したら、もう二度とビアンカに近づけないのではないかと、リュカは自身の想いが伝わっても構わないような口調で彼女に懇願する。むしろこの言葉で彼女が想いに気付いて、彼女から手を差し伸べてくれたらと、勝手な期待を寄せる。そうすれば何も迷わずに明日ルドマンの前で答えを出すことができるだろうと、リュカはじっと黙りこむビアンカの様子を見守り、彼女の答えを待っていた。
その時、ふとビアンカが優しい笑みを見せ、リュカは彼女の和らいだ表情にさらに期待を高める。涼やかな夜風が辺りの草花を撫で、さらさらと気持ちの良い音を立てた。その音に乗せて、ビアンカが穏やかな表情でリュカに言葉を投げる。
「あなたは素敵なお嫁さんをもらうのよ。いつまでもお姉ちゃんに甘えてちゃダメよ」
ビアンカの優しくも非情な言葉に、リュカの中に様々な感情が沸き起こる。反発心、孤独感、安心感、そして諦めの気持ち。ビアンカにとっては自分はあくまでも弟だということは今までにも散々知らされ、理解していた。しかし今になって改めてその関係は変わらず、これからもずっと姉と弟の関係は続いて行くのだということを教えられ、リュカは彼女の思いが自分の想いとは相容れないものだということを認めざるを得なかった。一瞬でも彼女が手を差し伸べてくれるのではないかと思った自分が恥ずかしかった。
「そうだね……ビアンカは頼りになるから、つい甘えちゃうよ」
「そもそも私が花嫁候補だなんておかしな話なのよ。話の流れでそうなっちゃったけど、こんなこと、あり得ない話なんだから」
「うん……ごめん、巻き込んじゃって」
「リュカは悪くないわよ。何となく話の流れでそうなっちゃっただけだし……。むしろ私が一緒にルドマンさんのところに行っちゃったから話がややこしくなっちゃったのよね。謝らなきゃいけないのは私の方よ。ごめんね、リュカ」
何か言葉を発していないと、ビアンカはリュカの今にも泣きそうな顔を見て平静を保ってはいられなかった。もし沈黙が辺りを包んだら、ビアンカはリュカよりも先に泣いてしまいそうで、震えそうになる声を抑え、言葉を続ける。
「さあ、リュカは疲れてるんだからもう眠ったほうがいいわよ。宿に戻って休みなさい。もうかなり遅い時間よ」
そう言いながら月を見上げるビアンカにつられ、リュカも白く眩しいくらいに輝く月を見上げる。濃い夜空に浮かぶ明るい月と明滅する星々は最も深まる夜の時間を教えてくれている。
「ビアンカも疲れてるよね。昨日宿で一日休んだだけだから、まだ旅の疲れが残ってるだろ」
「まあ……そうかもね。でも私はもう少しここで夜風に当ってるわ。なんだか眠れなくて……」
そう言って窓の縁に手をかけて身を乗り出すようにするビアンカの姿が美しく、リュカはやはり彼女から目が離せなくなる。夜風を浴びてさらさらと金色の髪をなびかせる彼女ほど美しい女性を、リュカは知らない。諦めなければならない気持ちを持ちつつも、リュカはビアンカの姿、振る舞いに目を奪われ、その度に現実をかみしめる。
「だってこんな立派な別荘で過ごしたことなんてないんだもの。緊張して眠れなくなっちゃうわよ」
「そういうものなの?」
「そういうものでしょ。……って、リュカはそういうところ鈍そうだから、案外平気そうよね」
「うーん、そうかも。だってふかふかのベッドなんでしょ? 気持ち良く寝られそうだよね」
「そういう単純なものじゃないわよ。ま、いずれにせよ、私はもう少し起きてると思うわ。リュカ、あなたは早く寝ておきなさいよ。明日、ルドマンさんの前で寝不足のみっともない格好で来たら、私まで恥ずかしくなっちゃうから」
「分かったよ。……じゃあ、宿に戻るね」
「気をつけてね。明日寝坊しないようにしなさいよ」
ビアンカが小言と共ににっこりと微笑みながら手を振るのを見てから、リュカは何も考えずに彼女に背を向けて歩きだした。もう振り返ることのないリュカの背中を見送りながら、ビアンカは無意識に小さく手を振り続けていた。月明かりは明るいものの、リュカの姿はすぐに月明かりの届かない場所へ消えてしまった。太陽の光に比べ、月明かりは遥かに儚い。
小さく振っていた手を下ろすと、ビアンカは窓に背を向け、壁にもたれるようにしてその場に座り込んだ。大きく息を吸い込んで気持ちを整えようとするが、震える息とともに流れる涙は止めようもない。
明日、リュカはルドマンの屋敷でフローラという素敵な花嫁を得て、幸せを手に入れるだろう。幼い頃に父パパスを亡くし、彼から詳しい話を聞いたわけではないが、それからというものの相当の苦労を重ねて今日まで生きてきたはずだ。そんな彼がようやく自身の幸せを手に入れることができる、そう考えれば自然と喜びが沸いてくるはずなのだ。弟のようなリュカが素敵なお嫁さんをもらって、同時に旅の目的の一つでもあった天空の盾を手に入れることができるのは、姉として喜ばなければならない現実のはずだった。
「何が『お姉さん』よね……笑っちゃうわ」
膝を抱えて小さくうずくまるように座るビアンカの姿を見ているのは、窓から覗く月と星だけだ。その状況に安心して、ビアンカは一人呟く。
「こんなに好きになってたなんて……思わなかったな」
そう呟いてしまうと、ビアンカの記憶の中でリュカとの冒険の時のことが次々と思い出され、そのどれもに胸をときめかせ、そして切なくなり、想いは涙となって流れるだけだった。今さら美しく心地よい記憶を思い出しても何にもならないと、脳裏に蘇るリュカとの記憶を止めようとするが、意識だけではどうにもならなかった。
「明日はまた『お姉さん』に戻るから、今だけ……好きでいてもいいよね」
そう言ってビアンカは立ち上がって、再び窓の外の景色に目をやる。月や星に遠慮はいらないだろうと、彼女は涙を止めることなく、夜空の漆黒にリュカを想った。



ビアンカと別れてから間もなく、リュカの耳に何かの音色が響いてきた。虫の音や草花が風に揺れるような自然の音ではない。明らかに人が奏でる楽器の音だった。その音色はどこか悲しげで、切なく胸を打つようで、リュカはこんな夜中に一体誰が楽器を奏でているのだろうかと、ルドマンの屋敷の前で立ち止まり、辺りを見回した。
ルドマンの屋敷はもう静まり返り、別荘に行く時に見た屋敷の明かりも既に消えていた。リュカの気配には全く警戒を抱かない番犬リリアンは、リュカが屋敷の近くを通る時にもやはり目を覚ますことなくぐっすりと眠ったままだった。
屋敷の前を通り過ぎようとした時、リュカはふと目の前に人影が現れるのを見たような気がした。ルドマンの屋敷周辺で、町の人がこんな時間に散策するとは考えられない。もしかしたらルドマンの屋敷を狙う盗賊か何かかと思い、リュカは警戒するようにその人影をじっと見つめた。
盗賊と感じたその人影はリュカの思う男の姿ではなく、華奢な女性の姿をしていた。足首まで隠れる長いスカートを履き、腰まで伸びる長い髪をさらさらと揺らしながら足早にルドマンの屋敷から離れていくその姿に、リュカは見覚えがあった。
全く人気のないはずの場所に人の気配を感じたのはリュカだけではなく、その女性も同じだった。はっとリュカを振り向く女性は、大きな瞳を更に見開いて、まるで見つかってしまったことが罪のような顔をしてリュカを見つめた。
「フローラさん……」
ルドマンの屋敷はもう寝静まっている。ルドマンも彼の妻も、屋敷の使用人たちも屋敷の中で休んでいるはずだ。当然、フローラも自分のベッドで休んでいなければならないような時間だ。しかしこの真夜中に、彼女は何かに焦るような雰囲気で町の中心へと向かおうとしている。
「こんな夜中に、どこへ行くんですか」
そう聞きながらも、リュカは彼女が答える言葉が分かっていたような気がした。そしてフローラは嘘をつくことがない。彼女は常に正直であり、お淑やかに見えながらも正々堂々としている。
「リュカさんも聞こえますか、この笛の音が」
フローラにそう言われ、リュカは少し前から聞こえていた音色が笛の音だったことを知った。サラボナの町を包む笛の音色はまだ止まず、ずっと愁いを帯びた音をささやかに響かせている。人の眠りを妨げることはないような音色だが、フローラはこの笛の音に目を覚ましたようだった。
「アンディなんです」
「え?」
「この笛の音、アンディが奏でているんです」
フローラは少し興奮気味にそう言って、目に少し涙を溜めていた。
「私、アンディが目を覚ましたんだと思って、居ても立ってもいられなくて、屋敷を出てきてしまいました」
「これからアンディのところへ行くんですか?」
「そのつもりです。だって、ちゃんとお話しできるのはこれで最後になるだろうから……」
そう言いながら伏し目がちに顔を俯けるフローラの姿は、先ほどのビアンカとはまた異なる美しさを放つ。フローラの美しさはまるで教会のステンドグラスを思い出させるような厳かさを醸し出す。彼女の周りには厳かな雰囲気が自然と漂うのだ。フローラ独特の神聖な雰囲気は、彼女が数年修道院で過ごしたからなのか、彼女が元来持つ雰囲気なのかは分からない。ラインハットにいるマリアを思い出させる空気感もあるが、マリアとは全く異なるようでもある。そんなフローラを見ていると、彼女のことをもっと知りたいような好奇心にも駆られる。
「私はあなたの花嫁候補です。だから……彼にちゃんとお別れを言わなくてはなりません」
フローラは屋敷の自室でアンディの笛の音に気付いた時、恐らく何も考えずに彼の笛の音に導かれるように屋敷を飛び出して来たに違いなかった。しかし屋敷前でこうしてリュカとばったり出遭い、一体自分は何をしているのだろうかと行動を振り返った時、初めてアンディに別れを言い渡さなくてはならないことに気付いたのかも知れなかった。
「アンディはきっと……」
「そうですね、分かっているんだと思います。この音を聞けば分かります」
二人の耳に聞こえる笛の音は哀しく苦しげな、しかしどこか愛に満ちた音を奏で続けている。アンディの想いは直接本人に確認せずとも、フローラとの別れを悟り、彼女に笛の音で別れを告げているのだとリュカにも感じられた。
「でも、分かっていても、やはり直接会って告げなければならないと思うんです。それがアンディに対する礼儀なんだと思います」
「礼儀……」
フローラの言葉を聞きながら、リュカは彼女が、彼女自身も気付かないうちに己を騙しているのではないかと思った。彼女の想いは『礼儀』という型にはまったようなものではないような気がして、リュカは考えもまとまらないうちにフローラに言葉を投げかける。
「ただ会いたいだけなんじゃないんですか?」
鋭く言うリュカに、フローラは驚いたように目を見開く。
「そうじゃなきゃ、あなたがこんな夜中に屋敷を飛び出してアンディの家に向かうなんて、考えられません」
「そんな……そんなことは……」
「居ても立ってもいられないって、そういうことなんじゃないかな」
考えよりも想いが先行する。リュカにはそんな彼女の行動がよく理解できた。ただフローラ自身、その自覚がなく、本当に居ても立ってもいられない状況で屋敷を出てきたのは事実だった。リュカに言われた言葉で、初めてフローラはアンディに会いたいだけなのかもしれないと意識し始める。
「じゃあリュカさんも、そういうことだったんですか?」
「え?」
「……ビアンカさんと会っていたんでしょう?」
フローラと偶然出くわした場所は、ルドマンの屋敷を通り過ぎて町の中心に向かう途中だった。リュカの歩いている方向を見れば、明らかに屋敷方面から町の中心へ向かっているのは分かる。そしてそれは、ルドマンの別荘から宿へ戻るリュカの足取りを知らせてもいた。
「やはりあなたはビアンカさんのことを……」
「振られてきました」
「えっ? 振られたって……」
「僕のこと、どうしても弟にしか見られないって。弟を押し付けられるのはごめんだって」
常に正直であるフローラの前で嘘をつくことは許されない気がして、リュカは彼女には真実を話していた。
「すみません、本当はフローラさんにこんなことを話すべきじゃないのは分かってるんです」
「いいえ、そんなことはありません。あなたの想いは、見ていたら分かりますもの」
そう言いながらにっこりと微笑むフローラは、既にリュカのビアンカへの想いを認め、理解している様子だった。その上で花嫁候補として挙げられ、明日もしリュカに選ばれたら、彼の結婚相手としてこれからの人生を歩んで行く.覚悟を決めているのだ。ただ、そんな覚悟を決めているフローラも、自室にまで響いてきたアンディの笛の音を耳にしたら、我を忘れて、真夜中であることにも構わず、屋敷を飛び出してきてしまった。
「ビアンカさんはきっと誰よりも、あなたの幸せを願っているんですよ」
唐突に言うフローラの言葉が分からず、リュカは小さく首を傾げる。
「だからあなたを弟だなんて言うんです」
「どういうことですか?」
リュカが直線的に問いかけても、フローラは答えない。彼女のその態度に、リュカはこれは自分で考えるべきことなのだと受け取った。
少しの間、リュカとフローラは見つめ合ったまま、何も言葉を交わすことなく、じっと立ち尽くしていた。夜風は少し冷たく、澄み切った空気に月も星も明るさを増す。アンディの笛の音はまだ止むことなく、絶えず彼の想いを奏でる。
「私、行きますね」
フローラは意を決したようにそう言うと、リュカに会釈をして立ち去ろうとした。ほとんど人気のなくなったサラボナの町で女性が一人で町歩きをすることに、リュカはふと不安を覚え、彼女に声をかける。
「送りましょうか」
「いいえ、大丈夫です。……止めないんですね、私がアンディのところへ行くのを」
彼女の言う通り、リュカにはそれを止める権利がある。ルドマンの提示した結婚の条件を達成し、正式にフローラの結婚相手に選ばれたのはリュカなのだ。フローラがリュカ以外の男性に会いに行くのを止めるのは、リュカの当然の権利だ。
「僕だって、ビアンカに会ってたんです。お互い様、ですよね」
「それもそうかも知れませんね」
そう言いながら、リュカはフローラと共に小さく笑い合った。フローラとまともに話したのはこれが初めてだったが、彼女の雰囲気は想像していた通りで、もし彼女と結婚することになっても恐らく良い人生を歩めるのではないかと思えるほど、彼女は一人の女性としての魅力を十分に持っていた。
「明日、またお会いしましょう」
「はい、気をつけて行ってきてください」
「リュカさん」
「はい」
「結婚の前提となるのは愛です。あなたの想いを大事に……。明日、待っています」
そう言い残すと、フローラは足早にその場を立ち去り、町の東側にある居住地域に向かって行った。すぐに見えなくなった彼女の後姿を、リュカはずっと脳裏に見ていた。そして彼女の言い残した言葉の意味を考えながら、宿への道を歩き始めた。

Comment

  1. YORI より:

    ここまでのストーリーを全部読ませていただきました
    こんな感動するストーリー
    今まで読んだどの小説より心が震えます。
    思わずスマホでドラクエ5をやり始めてしまいました。
    主人公もリュカにし、連れてる仲間も
    スラりん、ピエール、ガンドフ、プックル、マーリン、メッキーで
    (コドランがあといますが(笑))
    物語を進行させてます。

    印象的だったのがいろんな場面での魔物たちとの会話
    ピエールがリュカを主人として従っていながら
    ヘンリーには従わないとことかは思わず噴き出してしまうほど
    ガンドフが徐々に言葉を覚えて、優しさあふれる言葉に
    愛おしさを感じます

    メインのストーリーではパパスとの別れや
    幼少期のビアンカとの冒険
    苦しみ抜いたであろう奴隷時代と
    思わず涙が出てしまうこともありました

    そして今の結婚前夜・・・
    ビアンカを選ぶのか、フローラさんを選ぶのか
    ここはドラクエ5の中でも一番の盛り上がりというか
    ドラクエ5とは!というとこだと思うので
    今から楽しみです。

    • bibi より:

      YORI 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      趣味だけで運営しているサイトですが、ここまでのご感想をいただけるとは……恐縮です。
      当サイトをきっかけにスマホで始められましたか。
      こちらの進行具合に付き合っていると、クリアまでに数年の年月がかかるかと思いますので、ぜひゲームはゲームで楽しんでくださいませ^^;
      次のお話はドラクエ5メインのところなので、いつもより気合いを入れて書いているつもりです。今月中には……と思っていたけど、もう月末なんですね。……無理そうですので、もうしばらくお待ちくださいm(_ _)m
      個人的にはそろそろヘンリーに登場してもらうのが楽しみだったりします。魔物たちとも早く会話させたいなぁ。

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