2017/12/03

両親への挨拶

 

この記事を書いている人 - WRITER -

山奥の村へ向かう船は順調に大きな川を遡上していた。船の動力となる魔力の捻出は魔物の仲間と分担して行い、微量の魔力で動かすことのできるルドマンの船は問題なく航海を進めている。東に望む陸地には青々とした山の景色が続き、その光景にリュカは徐々に胸を高鳴らせていた。
ふと足に何かが触れ、リュカはそのくすぐったさに足を少し避けた。見れば、すっかり古びたビアンカのリボンをつけたプックルの尾がリュカの足をくすぐるように伸びて来ていた。
「何だよ、プックル」
「にゃう」
「分かってるよ、嬉しいんだろ」
「にゃあ」
「僕もだよ。嬉しい気持ちは多分、プックルに勝ってるよ」
「ゴロゴロゴロ……」
今はリュカが何を言おうとも、プックルはその内容など気にせずに気を良くしていた。それと言うのも、ビアンカがこれからも一緒に旅に来てくれると分かったからだ。サラボナまで一緒に来たビアンカだったが、そこで彼女との旅は終わるのだと意気消沈していたプックルは、状況が一転して今後もビアンカが旅に一緒に来ることを知ると、リュカに抱きつく、と言うよりも飛びかかるようにして喜んだ。まるで魔物に襲われる格好のリュカも、プックルの喜びように一緒になって地面に転げ回って喜んだ。そんな一人と一匹を、他の魔物の仲間たちがぽかんと見つめていたのは、つい数日前のことだ。
船から眺める景色がこれほど晴れ晴れとしていて美しく、感動的であることをリュカもプックルも知らなかった。大きな川の水面も、陸地に望む山の景色も、白い雲がぽつぽつと浮かぶ空も、全てが今まで見たことがないほど美しい。生きることの喜びと言うのは色々なものに反映することを、リュカもプックルも生まれて初めて知った気がしていた。
「結婚式と言うものに、本当にあやつも来るのですか?」
「あやつって?」
「ヘンリー殿です」
ピエールの声は落ち着いているようにも聞こえるが、その中に何か違う雰囲気が混じっていることにリュカは気づいた。ピエールの緑スライムは渋い顔をしているが、どこかいつもよりも目が輝いているような気もする。
「一応、ルドマンさんに手紙を書いてもらって、読んでもらう予定だよ。ただ、来られるかどうかわからないんだ。ヘンリーも国の仕事でこっちの大陸に来ているみたいだからね」
「リュカ殿の大事な時に来られないなど、許されるものではありません。もし断るような返事が来たら、私が行って引きずってでも連れてきましょう」
そう言いながら緑スライムが口をへの字に曲げて怒ったような顔つきになるのを見て、リュカはつい笑ってしまった。
「あはは、そういうわけにはいかないよ。僕だってヘンリーとマリアの結婚式に行けなかったんだから、ヘンリーが来られなくても文句は言えない」
「リュカ殿が行けなかったのは仕方がありません。大事な旅の途中で、彼らの結婚式のために戻るわけにはいきませんでしたから。マリア殿には申し訳なかったですが」
ヘンリーのことはさて置き、マリアのことは思いやるピエールに、リュカはまた笑ってしまう。
「ピエールは相変わらずヘンリーに厳しいなぁ」
「私は当然のことを申し上げているだけです。大体、ヘンリー殿は……」
「分かってるよ、ヘンリーに会えるのが嬉しいんでしょ。僕も一緒だよ」
「なっ……誰がそんなことを。決して嬉しいわけではありません。私はリュカ殿の大事な時に駆けつけるのはあやつの役目だと言っているだけです」
「素直じゃないなぁ。ま、いいや。来てくれるといいね、ヘンリーとマリア」
「……道中、無事に来られることを祈ります」
何だかんだと言いながら、ピエールは西の大陸を移動中のヘンリーとマリアのことを心配しているのだ。リュカたちもサラボナに来るまでの旅で、幾度となく危険な目に遭ってきた。死にそうになる場面もあった。そんな旅の経過を思い出すと、ピエールは西の大陸に移動して旅をしているヘンリーとマリアの無事を祈らずにはいられない様子だった。
「マリア、クル?」
船の甲板をのっしのっしと大きな熊のように歩いてきたガンドフは、ピエールとは対照的に大きな一つ目をキラキラと輝かせて、満面に嬉しさを表しながらリュカに近づいてきた。こちらは久しぶりに友達に会える嬉しさを隠そうともせず、久しぶりに女友達とお話ができるというような雰囲気で大きな体を揺らしている。その肩には、いつもは下の船室でパトリシアとともにいるスラりんが乗り、ともに満面の笑みでリュカを見つめている。
「まだ来られるかどうか分からないよ。でも来てくれるといいね」
「マタ、クッキー、タベタイ」
そう言いながら大きな一つ目を細めるガンドフを見て、リュカはガンドフは本当に女の子なのかもしれないと思った。ガンドフが言うマリアのクッキーというのは、以前リュカがルラフェンの町でルーラという移動呪文を習得した際、一人でラインハットへ向かい、そこでマリアに渡されたクッキーのことだった。彼女に渡されたクッキーをその後、仲間の魔物たちと分け合って食べたが、最も美味しそうに食べていたのがガンドフだった。それは単に甘いものが好きなのか、それともマリアが作ったクッキーというのが嬉しかったのかはわからない。
「うーん、もし来られるとしても旅の途中だから、クッキーは持っていないかもなぁ」
「ソウ……デモ、マリア、アイタイ」
「そうだね、僕も会いたいよ。でも僕はちょっと前に会ったんだもんね。ガンドフの方が会いたいよね」
「ピーピー」
「スラりんもマリアに会いたいんだね。ヘンリーは? 会いたくないの?」
「……ピキッ」
「ヘンリー、すねるよ。でもスラりんはヘンリーに投げられたりしてたから、仕方ないか」
「ピッ」
「自業自得ってこと? あれはあれでヘンリーの愛情表現なんだよ。許してあげて」
リュカがそう言うも、スラりんは口をへの字に曲げて一向にヘンリーを許さないような態度を見せている。しかしその実、スラりんもヘンリーに久しぶりに会えるかもしれない喜びを抱えていた。素直ではないヘンリーに合わせるように、スラりんも素直になれない態度を示していることに、リュカはこっそりと笑う。
「なんじゃ、お主の会いたがっているヘンリーとやらは、こやつらに好かれておらぬようではないか」
甲板に集まっているリュカたちを見つけ、甲板上で見回りをしていたマーリンが近づいてきた。話を聞いていたようで、好かれていないリュカの友人を想像しながらにやにやと楽しそうに話しかけてくる。
「誤解されやすい性格なんだ。僕だって初めて会った時は嫌なヤツだなって思ったし」
「それがどういうわけか今は友人なのか」
「ようやく僕を親友って認めてくれたようだけどね。小さいころなんてずっと子分扱いだったから」
「なんと、リュカ殿を子分扱いとは! やはりけしからんヤツですな、あやつは」
聞いたことのないリュカとヘンリーの過去に、ピエールは鼻息を荒くして憤慨した。いざ再会したら、説教でも垂れてやろうというような雰囲気を出している。
「ヘンリーも僕も、お互いに何も知らなかっただけなんだ。まだお互いに子供で、見える世界なんてほとんどなくて……それが徐々に色々と見えてきて、だんだん彼のこともわかってきて、嫌なヤツじゃないって分かったら、今度はものすごくいいヤツだって分かったよ」
「リュカ殿が思うほど、いいヤツとは思えませんが」
ピエールのヘンリーに対する厳しさは、情にあふれている。その横で、こっそりとプックルが『今度、あいつに会ったらどうやって脅かしてやろうか』などと考えながら赤い尾をゆらゆらと揺らしているなど、誰も気づいていない。
「メッキッキ」
いつの間にか近くで話を聞いていたメッキーが、単純な疑問をリュカに投げかけてきた。まだメッキーの言うことは分からないこともあり、リュカは助けを求めるようにピエールを見る。
「ではなぜ、そのヘンリーという人間と結婚しないのかと言っているようです」
思いも寄らないメッキーの思考に、リュカは思わず目を見開いて驚いた。大きな羽をばたつかせて飛んできたメッキーは、羽を休めるように甲板に降りるとリュカを見上げて首を傾げている。
リュカは魔物の仲間たちに、ビアンカと結婚してこれからの旅にも同行してくれることになったと簡単に説明し、結婚というのは大好きな相手とずっと一緒にいることなのだと話していた。その内容を理解していたメッキーは、リュカから聞くヘンリーという人物の話に、リュカとヘンリーが結婚してもおかしくないと思ったようだ。
「うーん、なんて説明したらいいのかな。マーリン、魔物には男と女って区別はないの?」
「ある種族とない種族がおる。キメラは……ないのかも知れんのう」
「そうか。それじゃあ人間の男と女が結婚するなんてよく分からないよね」
「根本的なところが違うからのう。それを理解させるのは恐らく不可能……」
「キッキッ?」
「おお、そうじゃそうじゃ、そういうことじゃよ。なんじゃ、分かっておったのか」
「なんて言ってるの?」
「つがいになって子を産むことなのかと言うておる。己の種族にはないが、他の魔物の生態を見て知っておったようじゃの」
マーリンの言葉に、リュカは口を開けたまま思考が止まってしまった。リュカとマーリン以外の仲間たちはみなメッキーの言葉の内容に頷いていた。どうやら他の魔物の仲間も人間の結婚というものが今一つ分かっていなかったらしく、リュカの説明で足りなかった部分を、メッキーの言葉で補うことができたようだった。
しかしリュカは一人、その説明に頭が混乱しそうになっていた。ビアンカと結婚するということは、単に好きになった相手とずっと一緒にいられることなのだと、それくらいにしか考えていなかった。ただ一緒にいられるだけで良いのだと、その先に何があるのかは全く考えていなかった。
一般的に結婚は、愛し合う男女が一緒になり、家を構え、家庭を築いていくことなのだろう。しかしこれからも先の見えない旅を続けるリュカにとっては、安定した生活を送るような結婚を望むことはできない。それはビアンカも分かっているはずだ。それを承知で彼女は結婚を承諾してくれたのだ。今後もいつ終わるとも知れない旅を続ける自分たちが子を生し、育てていくことなどできることではないだろうと、リュカは当然のように思っていた。
「人間の結婚は多分……ちょっと違うんじゃないかな」
「ん? そうなのか?」
マーリンの意外そうな声に、リュカもどのような説明をしたら良いものか悩んでしまう。恐らく、マーリンたちが認識する『つがいになって子を産む』ことが、未来の種の存続を願う生物にとっては正しい事実なのだろうが、そんな単純なものではないという想いがリュカの中にある。しかしそれをどう説明しても、正しくは理解してもらえない気もする。
「たとえ子供がいなくても、僕とビアンカは結婚して……夫婦になるんだ」
そう言いながら、どこかくすぐったいような感覚になり、リュカは思わず含み笑いをする。まだ『結婚』や『夫婦』という言葉が現実的ではなく、しかしその言葉に対する憧れや期待が胸の内に染み出てきて、リュカは自分の発する言葉にどうしたらよいのか分からなくなってしまう。
「ビアンカ殿もそのようなお考えなのでしょうか?」
ピエールの言葉に、リュカはビアンカの気持ちについてふと考えてみた。彼女にはただプロポーズを受けてもらっただけで、その先のことについてはまだ何も話していない。花嫁の支度があるといって、ビアンカはルドマンの屋敷に連れていかれてしまい、何も話ができていないのだ。
「ビアンカもきっと……同じように考えてると思うけど……どうなんだろう」
「リュカ、コドモ、キライ?」
ガンドフが大きな一つ目を瞬かせて率直に聞いてくる。純粋なガンドフの前では純粋な思いを吐露せざるを得ない雰囲気が漂うのはいつものことだ。リュカは自分の中にある本当の思いをガンドフに引き出されるように、一つの思いに行き当たった。
「子供が嫌いなわけはないよ。ただ……嫌なんだ」
声を落として話すリュカの足元で、プックルがリュカのふくらはぎに顔を擦り付ける。労りを感じるプックルの行動に、リュカは彼の頭を撫でて顔に笑みを取り戻すことができた。
「小さい頃の僕みたいな思いをさせたくないんだ」
リュカは幼い頃から、まだ記憶も定かではないほど小さな頃から、父パパスと旅をしていた。父の強さに憧れ、父の傍にいられるのはこの上ない嬉しさを感じていたが、何もできない己の無力さに幾度となく落ち込んだこともあった。そしてその思いは、父を亡くした後、一層強まった。それまで知らされていなかった父の本当の旅の目的を知り、自分はずっと父の旅の邪魔をし続け、挙句に父を死なせてしまったことに、リュカは一生消えることのない後悔を胸に抱えている。
恐らく自分に子供ができたとしても、旅を止めることはできない。それは父への懺悔の気持ちであり、己の母に会いたいという単純な欲求のためでもある。それを考えると、結婚しても子供を授かることは避けるべきことで、万が一子供ができたとしても、危険な旅に連れていくわけにはいかない。まさか子供だけをどこかに置いていくわけにも行かず、その時にはビアンカも母として傍について留守を頼まなければならない。果たしてビアンカがそれを承知するだろうかと考えると、彼女は恐らく『一緒に行くに決まってるでしょう』と言うのは目に見えている。
そして一緒に旅をするようになったら、恐らく子供には、自分が子供だったころのような思いをさせてしまうに違いない。旅の足手まといになって父や母に迷惑をかけてしまうことに、子供は罪悪感を覚えるようになるだろう。
魔物との戦いの最中、もし子供を人質にでも取られたら、そう考えるとリュカの体は震える。息子をかばって死んだ父パパスの姿が脳裏に蘇る。その姿を自分に置き換えて想像すると、死にゆく己の無念さよりも残される子供の悲しみの方がよっぽど辛く感じる。
もし自分に子供ができたら、それは可愛いに決まっているのだ。愛するビアンカが自分との間に子供を産んでくれれば、それは恐らく今までに感じたことのない喜びを運んでくれるだろう。しかしそれを望むのは余りにも身勝手だとリュカは考える。子供の幸せをと考えるなら、いつ終わるとも知れない旅を続ける自分たちの間に子供は産まれるべきではない。子供の未来を考えればこそ、子供を望むべきではないと、リュカは胸の中にほんの少しだけ沸き起こる期待を押し込めてそう考えた。
「まあ、僕はこれからも旅を続けるわけだから、子供が産まれるのはちょっと避けた方がいいかな」
「……ソウ、ナンダカ、ザンネン」
「人間の子供は動物や魔物よりもよっぽど手間がかかりそうじゃしの」
「そういうものなんですか?」
「うーん、そうかもね。僕もよくは知らないけど」
「一人で立って歩くまでに一年とかかるのじゃろ? 旅に連れて行ってもとても戦力にはならんのう」
「生まれてすぐに歩けるわけではないのですね。それはまた不便ですね」
マーリンとピエールの会話を聞きながら、リュカは果たして自分は一体いつから父との旅に出ていたのだろうかと考えた。父と旅に出た初めの記憶がリュカにはない。町や村に住む人々が普通に生活を送るように、リュカは父とずっと旅を続けていた。母が魔物に連れ去られたのはまだ自分が幼い頃なのだろうが、その正確な時期をリュカは知らない。まさかまだ乳飲み子だった時から父に連れられ旅に出ていたとは思えないが、それを否定できる理由も見当たらない。考えれば考えるほど、一体自分はどれだけ父の足手まといになっていたのだろうかと、リュカは歯噛みする思いだった。
「キッキキ?」
「うん? まあ、そう思うのが当然じゃな」
「何ていったの?」
「じゃあどうしてつがいになるんだと聞いておる。子供が欲しくないなら、夫婦というものになる必要もないじゃろうと」
メッキーはバサバサと力強く羽を羽ばたかせて、不思議そうな目をリュカに向けている。人間とは根本的に生態が異なる魔物に人間の結婚というものを説明するのは難しいのだと、リュカはこんなところで人間と魔物の違いを認識させられた。
「僕はビアンカのことが大好きで、ずっと一緒にいたいから結婚して夫婦になるんだよ……って説明しても、よく分からないんだよね」
「ッキー……」
「それじゃ、どうして魔物のみんなとは結婚しないんだってなるもんね。うーん、みんなとビアンカ、何が違うんだろう……」
考えてもみなかったことに気づかされ、リュカは人間と魔物の生態の違いについて改めて考える。しかし考えたところで、メッキーが理解できるような説明があるわけでもない。とにかくこれからもビアンカが一緒に旅に来ることだけを理解してもらうしかないと、リュカは一度結婚について考えることを止めた。
「とりあえずこれからもビアンカが一緒に旅に来てくれるっていうことで、いいかな? 彼女が一緒じゃダメ?」
「メッキメッキ!」
「そう、それならいいんだ。じゃあこれからもよろしくね」
「ビアンカ殿と再び旅に出るのは、その結婚式というのが終わってからということですね」
「うん。でもその前に……大事なコトを済ませないといけないんだ」
リュカはそう言いながら、右手に広がる山々の景色を眺めた。船は順調に川を進み、あと数時間もすれば山奥の村が管理する巨大な水門が見えてくるはずだった。リュカたちが船を進める理由は、花嫁が結婚式で被るヴェールを受け取りに行くというものだ。しかしリュカにとっては、ヴェールを受け取るのは次いでの理由に過ぎない。
山奥の村にはビアンカの父であるダンカンがいる。娘が旅立ってからずっと、連絡もなしに娘の帰りを待っているのだ。無事水のリングの探索の旅も終えて、本来であれば既に村に送り届けられているはずのビアンカが、旅を続けるリュカと結婚することになってしまったことを、ダンカンはまだ何も知らずにいる。ただただ娘が無事に旅から帰ってくるのを首を長くして待っているダンカンに、リュカは何から説明したらよいのだろうかと頭を悩ませていた。
「人間ってもしかしたら、みんなよりもずっと面倒な生き物なのかもね」
「どういうことですか?」
「ううん、なんでもない。こっちの話」
リュカは首を傾げるピエールにそう応えると、まだふわふわと落ち着かない心のまま、ダンカンへどう話したらよいのか考え続けていた。



山奥の村には変わらず温泉の硫黄の臭いが漂い、この村を訪れる湯治客はちらほらといるようだった。山深い場所にあるにも関わらず、村人たちの性格は外に開かれていて、再び旅人としてやってきたリュカに対しても優しく穏やかなものだった。親切に宿まで案内してくれようとする村人に、リュカはダンカンのところに用事があるのだと伝え、ただの湯治客や旅人ではないことを知らせた。リュカがダンカンの知人であることを知った村人は、ダンカンの娘のビアンカがまだ旅から戻らないことを心配そうに語り、ダンカンも毎日娘の無事を祈っているというような話をし始めた。その話を聞くと、リュカは胸を痛めるとともに、果たしてダンカンがビアンカとの結婚を認めてくれるのだろうかという思いが沸き起こった。
ビアンカを連れて旅に出る前、ダンカンはリュカに『ビアンカを嫁にもらってくれたら……』というような話をしていたことを、リュカは今になって思い出した。その時はビアンカのことをただの幼馴染としか思っていなかったリュカは、ダンカンのその言葉に何も心を動かされることはなかった。
『ビアンカは本当は私の実の娘じゃないんだよ』
むしろ心を動かされたのはダンカンのこの言葉だった。どこからどう見ても実の親子のような強い絆で結ばれている父と娘に見えるが、ダンカンとビアンカの間に血のつながりはないらしい。詳しい話は聞いていないが、ビアンカはどうやらダンカン夫妻に拾われて育てられたようだった。だからこそ尚更ビアンカの幸せを願うのだと、ダンカンはその幸せをリュカに求めようとしていた。
もしかしたら、ダンカンは娘ビアンカの仄かな恋心に、ずっと昔から気づいていたのかも知れなかった。リュカと再会した時の娘の喜びようや、その後家で過ごした幼馴染との楽しい会話に、ダンカンは娘自身も気づいていなかった本当の心を感じ取っていたのかも知れない。そして娘の幸せを願う父として、信頼するパパスの息子であるリュカに、娘を託そうとした、そう考えても特に違和感は感じられなかった。
山奥の村の景色に、リュカは幼い頃一時過ごしたサンタローズの村の景色を重ねて見る。リュカが初めてビアンカと出会った記憶は、彼女が母と共に、父ダンカンの病気を治すための薬を求めてサンタローズの村に来ていた時のことだ。八歳だったビアンカはすでにどこか大人びていて、リュカの前をずんずん歩いていくような女の子だった。あれから十余年経った今でも、彼女の根本部分は変わっていない。現に、危険な旅にも目を輝かせて付いていくと言い、連れて行かないのなら水門の鍵を渡さないなどと、強引に旅に付いていくことを決めた。
そんなビアンカを、ダンカンは彼女が赤ん坊のころからずっと見て来ている。今更、娘の多少の突飛な行動には驚かされないだろう。この水のリング探索の旅に付いていくと言った娘の背中を押すような父なのだ。しかし娘の結婚となれば、話は全く違う。今まではずっと一緒に生活をしていた娘が、いつ終わるとも知れない旅を続ける男と結婚し、共に旅に出て、無事でいられる保証もない未来に飛び込もうとするのだ。それを父として許せるものなのか、リュカには想像もできなかった。
「でも……言うしかないよな。反対されたらどうしよう」
ダンカンの家に向かう途中、山道を登る右手に、ひっそりとした墓地がある。人気のない墓地を見て、リュカはこの山奥の村を初めて訪れた時のことを思い出した。そして一人、墓地へと足を踏み入れる。
初めて山奥の村を訪れ、ダンカンの家に向かう途中、この墓地で一人の女性が墓石に向かって手を合わせ、瑞々しいリンゴをお供えしていた。時折涙を拭い、墓石に語りかける女性、今にして思い出せばそれはビアンカだった。数年前に亡くした母の墓石に向かって、彼女は優しく語りかけていた。ビアンカと同じようにリンゴをお供えすることはできないが、リュカは近くの草地から小さな花を数本摘み取り、片手に握って墓石に向かった。
ビアンカが毎日語りかけていた墓石の前にしゃがみこんで、手にしていた花をそっと添えた。ビアンカが旅に出ている間も、村人の親切により、墓石周りはきれいに掃除されていた。小さな花びらが風に揺れたが、墓石の上でしっかりと留まっている。ビアンカの母がしっかりと花を受け取ってくれたようだった。
「この前来た時、挨拶できなくてすみませんでした。お久しぶりです、リュカです。覚えていますか?」
リュカの低い声は、目の前の墓石に染みるように届く。墓地に眠るビアンカの母に声が届いていると信じて、リュカは言葉を続ける。
「ビアンカは今、サラボナという町で……その……結婚式の準備をしているみたいです。僕にはよく分からないけど、花嫁には準備が必要みたいで、それでここに連れてくることができませんでした。ごめんなさい」
静かで暖かな風がリュカの頬を撫でる。まだ昼前の日差しが、墓地を柔らかく包み込んでいる。
「これからダンカンさんにも挨拶に行ってきます。挨拶って言うか……お願いしに行くことになるのかな」
リュカはビアンカの母のことをあまりよくは覚えていない。しかし宿を営む女将として、ビアンカ以上に快活でダンカンを尻に敷いていた雰囲気だけはどことなく覚えている。
「ビアンカと結婚させてくださいって言ったら、ダンカンさんは怒るでしょうか?」
小声で自信のない様子で語りかけるリュカの言葉は、ただ静かに目の前の墓石に落ちていくだけだ。しかしリュカは、目の前でビアンカの母がしっかりと言葉を聞いてくれているような気がしていた。
「怒られても、でも、僕は彼女と一緒にいたいんです。そのせいでダンカンさんを一人にさせてしまうのは辛いけど……でも、やっぱりもう離れたくないんです」
話していくうちに、リュカは自分の心が強くなっていくのを感じた。ダンカンを目の前にしては言えないことも、静かに話を聞いてくれる墓石に向かってなら伝えることができる。
「ビアンカのこと、幸せにします。色々と苦労かけることもあるだろうけど、彼女が幸せになれるように……」
リュカがそう言いかけたところで、墓石に置いた花が風に吹かれ、リュカの足元に一輪転がってきた。小さな一輪の花を手に取り、再び墓石の上に供えると、リュカはその場で立ち上がった。足元に転がってきた花が、ビアンカの母の言葉のような気がして、リュカは耳にすることはない彼女の言葉を受けて墓石の前で深く頭を下げた。彼女が何を言おうとしているのかは分からない。しかしどこか背中を押されるような雰囲気に、リュカは墓地を後にしてダンカンのところに向かう意思をはっきりと固めた。
「ダンカンさんに挨拶してきます。おばさんと話ができてよかった。これでちゃんと話せそうな気がします」
そう言い残して墓地を去るリュカの背中には、山奥の村を照らす暖かな日差しが柔らかく当たる。ダンカンには何をどう話したらよいのか分からずにいたリュカだったが、今は素直に自分の想いと意思をダンカンに伝えようと、心の中が澄み渡るのを感じていた。



墓地を出ると間もなくダンカン宅の大きな家が見えた。梯子階段を上り、散歩途中の猫に一声かけた後、リュカはダンカン宅の扉を叩いた。
「おじさん、いますか? リュカです」
少しすると、家の中からドタドタと人の気配がし、それから間もなく扉が開かれた。ダンカンが慌てた様子で現れ、笑顔でリュカを出迎えた。しかし娘のビアンカの姿が見えないと分かると、途端に顔を曇らせる。
「よく無事で戻ったな。おや、リュカ。ビアンカは……どうしたんだい?」
「ビアンカは今、サラボナという町にいます。安心してください、元気にしてますから」
ダンカンの不安を解消するために、リュカはすぐに彼女の様子を伝えるべく言葉を続けようとしたが、ダンカンは「中で話を聞くよ」とリュカを家の中に招き入れた。
家の中は少し散らかっているようだった。ビアンカがいない間、ダンカンは村人たちの厚意を受けて生活をしていたが、村人たちに娘のビアンカがするような身の回りの世話を頼むわけにも行かず、彼女がいる時のような整然とした雰囲気はなかった。ダンカンの生活の助けとなる大事な娘を奪ってしまう自分はどれほど罪深いのだろうかと、リュカは一瞬弱気になってしまう。
茶を入れようとするダンカンを止め、リュカはすぐに大きなテーブルに向かい合わせにダンカンと座った。ダンカンが落ち着かない様子で向かいに座ると、単刀直入にリュカに問いかける。
「ビアンカはどうしてサラボナにいるんだね。一緒に来られない理由があるんだろう? あの娘が帰りたくないとでも言ったのかい?」
「いや、そんなことはないです。むしろ一緒に帰ってきて一緒に伝えたかったんですが……」
「伝える? 何をだい?」
「その……結婚することになったんです、僕たち」
全く予想していなかったリュカの言葉に、ダンカンは息をのんで言葉を失ってしまった。事情が今一つ呑み込めないようで、ダンカンはしばらく固まったままリュカの顔をじっと見つめる。
「今、ビアンカはサラボナの町で結婚式の準備を始めてて……ちょっと成り行き上、連れてくることができませんでした」
「え? 結婚式の準備中?」
「何だか女の人には準備しなきゃいけないことがあるらしくて、花嫁はきれいにならなきゃいけないんだとか何とか……。ビアンカには必要ない気がしたんですけど」
リュカが更に状況を説明しようとしたところ、ダンカンは突然事態を理解したようで、ぱっと顔を明るくした。
「そうか、そうか! ビアンカを嫁にもらってくれるのか!」
勢いよく椅子を立ち、ダンカンはテーブルを回りこんでくると、リュカの両腕を力強く叩いた。リュカも立ち上がり、ダンカンの体を支えるように手を添える。
「いや、ありがとう! これで私も安心だよ」
「僕でいいんですか、おじさん」
「なんだなんだ、その自信のない言葉は。そんな弱い気持ちなら、娘を任せるのは考えてしまうな」
途端に顔を曇らせるダンカンの表情に、リュカは慌てるように言葉を続ける。
「弱い気持なんかじゃありません。僕、ビアンカと結婚したいんです。一緒にいたいんです。でもそのせいでおじさん一人にしちゃうって考えると……」
「ビアンカも君と一緒にいたいって言ったんだろう? だから結婚することになったんだろう?」
「はい、そう言ってくれました」
そう言いながら、リュカはプロポーズの時にビアンカが言ってくれた『私もリュカのことが好き』という言葉や声を思い出し、一人笑顔になるのを止められなかった。幸せを全身から滲み出しているリュカの様子に、ダンカンはふっと笑みをこぼし、リュカの腕を再び軽く叩く。
「リュカ、ビアンカのことをよろしく頼むよ」
重みのあるダンカンの言葉に、リュカはこれからのビアンカの人生を受け渡されたことを実感した。二十年近く大事に大事に育ててきた娘を、いつ終わるとも知れない旅を続けるリュカに託すことは、父親にとってどれほど重い現実なのだろうかと、リュカにはまだ想像が及ばない。恐らく計り知れない喪失感があるのだろうが、ダンカンは至ってにこやかな表情をリュカに見せている。それと言うのも、リュカという青年を心底信頼しているからだということを、リュカはよく理解できないでいる。
「ま、せいぜいビアンカに振り回されないようにな」
茶目っ気すら出してそんなことを言うダンカンに、リュカは感謝の思いで胸がいっぱいになった。ダンカンの心遣いに、リュカも同じ雰囲気で応える。
「それでも結局振り回されると思います。でも、それでいいんです。それがビアンカですから」
「それもそうだ。だがあの娘はとても良い子だよ。親の私が言うと親バカになってしまうけどね」
そう言ってダンカンはリュカの向かいの席に戻り、ゆっくりと腰を下ろした。体の痛さに思わず顔をしかめるのは、もうダンカンの日常なのだろう。しかしそんなビアンカの父の状態を見て、リュカはやはり胸を痛める。ダンカンから大事な一人娘を奪ってしまうことに、どうしようもない罪悪感を覚える。
「あの、ダンカンさん、僕たちサラボナで結婚式を挙げることになったんですけど、一緒に来てもらえますか」
リュカには結婚式というものが今一つよく分かっていない。しかし娘の結婚式に父親が来ないということもないのだろうという感覚はある。リュカの言葉に、ダンカンはしばし思案した後、首を横に振った。
「いやいや、サラボナの町に行くほどの体力はないよ。リュカは船で近くまで来ているんだろう?」
「はい、仲間と一緒に」
「船で数日旅をするほどの体力がもうないんだ。元気そうに見えるだろうけどね」
ダンカンの言う通り、見た目は至って普通の状態のように見え、数日の旅ならば問題なく過ごせそうだとリュカは思った。しかし実際に旅をするとなれば、ダンカンには細やかな介助が必要であり、それは恐らくビアンカにしかできないことなのだろう。
「そうだ、僕、ルーラが使えるんだ」
「ルーラ? なんだね、それは」
「一瞬で場所を移動できる呪文なんです。それを使えばダンカンさんも一瞬でサラボナの町に行けますよ」
「へえぇ、便利な呪文があるもんだね。リュカの乗ってきた船も一緒に移動できるものなのかい、その呪文とやらは?」
ダンカンにそう言われ、リュカはルーラの呪文の効能範囲について考えてみた。まだ船ごと移動するようなルーラの呪文を発動したことがない。ルーラの呪文は想像力を駆使し、目的地の情景をしっかりと頭や心に思い描く必要がある。サラボナの町を思い浮かべることは問題なさそうだったが、果たしてルドマンから借りている船ごと呪文で移動できるかどうか、正直リュカには自信がなかった。
悩むような顔つきをしているリュカを見て、ダンカンは宥めるように言う。
「リュカがビアンカを嫁にもらってくれるというだけで、私は幸せなんだ。無理して私を連れて行こうとしなくてもいいさ。その代わり、結婚式が終わったらこの村に二人で寄ってくれたら嬉しい。リュカの旅を足止めしてしまうことになるけど、できるかい?」
「そんなの……言われなくてもそうします。じゃあ、式が終わったらビアンカを連れて……約束します」
「すまないね。私がこんな体じゃなければ、君を思い悩ませることもなかったんだが」
「そんなことで謝らないでください。ダンカンさんがこうして生きていてくれているだけで、僕もビアンカも嬉しいんです」
リュカは父を、ビアンカは母を亡くし、そしてリュカは見も知らぬ母を探し求めて旅を続けている。彼らの親として身近にいる存在は、ダンカンだけなのだ。ビアンカの父を、自分の父となるダンカンを、リュカは大事にしていきたいと素直に思った。
「孫が産まれるまでは元気でいないとなぁ。ビアンカとリュカの子供なら、きっと可愛い子供が産まれるだろうなぁ」
ダンカンの言葉に、リュカは何も返事ができずにいた。この村に来る前、魔物の仲間たちとちょうどそのような話をして、リュカはビアンカとの子供を望まないという内容のことを言っていたのだ。早くも孫の誕生を期待するダンカンに、リュカは返す言葉を見つけられずにいた。
まごついているようなリュカの様子を見て、ダンカンは「ああ……」と息を漏らすように声を出した後、すぐに話題を変えた。
「この村にはわざわざ私に結婚の報告で来たのかね?」
ダンカンへの挨拶はこの村に来る重要な用事だったが、それと共にサラボナのルドマンに頼まれていた仕事を思い出し、リュカはダンカンにその旨を伝える。
「ルドマンさんがこの村に腕のいい道具屋さんがいるって話を聞いて、その人に花嫁が被るヴェールというのを注文しているみたいなんです」
「腕のいい道具屋……ああ、それは村の洞穴でやっているよろず屋のことだね」
ダンカンはそう言うと、ゆっくりと席を立ち、自室へ行って紙とペンを手にして戻ってきた。あまり外を出歩けないダンカンでも、山奥の村の簡単な地図は書けるらしく、さらさらとペンを走らせてよろず屋の場所をリュカに教えた。
「見た目はいかにも職人という感じでとっつきにくいが、話してみると気立ての良い男だ」
「ありがとうございます。助かります」
「ヴェールを受け取ったらすぐにサラボナに戻っておやり。リュカもそうだろうが、ビアンカも君に会いたくて首を長くして待っているだろうからね」
「あ……、は、はい」
ダンカンにそう言われると、リュカは今サラボナの町にいるビアンカに無性に会いたくなった。プロポーズしてビアンカが受け入れてくれ、これからも彼女とずっと一緒にいられると幸せが体中を駆け巡った直後に、成り行きとは言えこうして離れ離れになってしまったのだ。サラボナの町で結婚式の準備をしているビアンカは今一体何をしているのだろうかと考えるだけで、リュカは今すぐにでもサラボナの町に戻りたい気持ちになってしまう。ダンカンの言う通り、ビアンカも同じような気持ちになってくれているのかと考えるだけで、自然と顔に笑みが浮かぶ。
「リュカ、娘を嫁にしてくれてありがとう。父として礼を言うよ」
ダンカンの優しく心のこもった言葉に、リュカも礼を述べると、ダンカンの家を後にした。梯子階段を下りたところで、一人の男に出会い、リュカはその青年と以前にもこの場所で会ったことを思い出す。青年の目には明らかに敵意が漂っている。青年が敵意を向ける理由が、今のリュカにははっきりと分かる。
「おめえ、確かビアンカさんの幼馴染だったよな」
青年の低い声に、リュカは短く「はい」とだけ答えた。しらばく沈黙が続き、互いにかけるべき言葉を頭に巡らせる。リュカは青年を見ながら、考えてみれば彼もビアンカとは幼馴染と呼べる間柄なのだと思った。ビアンカがこの山奥の村に越してきてからずっと、この青年はビアンカと同じ時間を過ごしてきたのだ。リュカよりもビアンカのことをよく知っていてもおかしくはない。
そして彼は恐らく、ビアンカのことが好きなのだ。彼女のことが好きで、彼女の傍にいたいがために、こうしてダンカン宅の力仕事に関わる用事を引き受けているのだろう。今も重そうな木箱を積み上げる作業をしている。
「彼女を危ない目に遭わせたらオレが黙っちゃいねぇぞ」
そう言って視線を逸らす青年の仕草に、リュカは彼が先ほどまでの自分とダンカンとの話を聞いていたのではないかと思った。作業が終わったようで、青年がリュカの横を通り過ぎて立ち去ろうとする時、リュカは彼を後ろから呼び止めた。しかし青年はリュカを振り返らず、ただ俯き加減で「なんだ」とぶっきらぼうに言うだけだ。
「今までどうもありがとうございました」
「何がだ」
「ビアンカを……育ててくれて」
「彼女を育てたのはダンカンさんだ。何言ってんだ、おめえ」
「ビアンカを育ててくれたのは、この村の皆さんです。あなたを初め、村の人たちがみんな暖かい人たちだから、ビアンカはずっと優しいままでいてくれました」
言葉にしてみると、リュカは改めて村の人々に感謝する思いが胸に沸きだした。ビアンカがビアンカのままでいてくれたのは、この村の人々の優しさのおかげなのだと、リュカは目の前の青年を初め、山奥の村に住む人々に感謝する思いだった。
「あなたもビアンカのことを……」
「何か勘違いしているようだから、言っておくけどな」
そう言いながら青年はリュカの方を振り向いた。その目に宿っていたリュカへの敵意は、先ほどより和らいでいる。
「オレたちゃ兄と妹みたいなもんなんだ。オレは妹を危ない目に遭わせるような奴には任せられないって、そう言ってるだけなんだ」
青年はまるで自分に言い聞かせるようにそう言うと、再びリュカに背を向けて立ち去ろうとする。青年が必死にビアンカへの想いを抑えてそんなことを言っているのが嫌でも分かり、リュカはよっぽど謝ろうかとも思ったが、謝れば自分の想いがその程度のものだと言っているようで、それはできなかった。
「幸せにします、絶対に」
「馬鹿野郎。それはオレじゃなくてダンカンさんに言うべきことだろうが」
青年のその言葉に、リュカは彼が間違いなく自分とダンカンの話を聞いていたのだと分かった。聞きたくて聞いたものでもないだろう。下で作業をしている時に、ダンカンに用事があって家に入ろうとしたら中から話し声が聞こえ、その内容を知ったのかも知れない。
想い人が突然現れた旅人に奪われてしまう現実は、青年にどれほどの痛みを与えているのだろうかと、考えるだけでリュカは自分には耐えられない気がした。それを目の前の青年はじっと耐え、想い人を奪う男と話をしている。彼が自身とビアンカのことを兄と妹と言うのなら、それを否定しないことが彼への思いやりなのだと、リュカは青年の嘘に乗じることにした。
「妹さんのこと、ずっと大事にします」
「……ああ。くれぐれも怪我なんかさせるんじゃねぇぞ。オレの大事な……妹なんだからな」
苦しそうにそう呟くと、青年は鼻をすすり、リュカに背を向けたまま立ち去って行った。青年の後ろ姿に、リュカは深々と頭を下げた。



山奥の村に昼の日差しが降り注ぐ。温泉を営む宿の近くには、村人や旅人の姿がちらほらと見える。硫黄の臭いが濃くなり、その臭いに少し息が詰まるような感じを覚えたが、その臭いにもすぐに鼻が慣れる。
村に着くまではここで宿を取って温泉で体を休めるのも良いかと考えていたリュカだったが、いざ村に来てみると、すぐにでもサラボナに戻りたい気持ちが強くなった。今すぐにビアンカに会いたい、その想いがリュカを急かす。
ダンカンに教えられた村のよろず屋は、山の斜面にぽっかりと口を開ける洞穴の中にあった。脇に小さなよろず屋の看板がなければ、ここが店だとは誰も気づかないような場所だ。主に村人たちを相手に商売をしているのか、ほとんど商売っ気を感じられない雰囲気が漂う。一体どのような人物がいるのだろうかと、リュカは少々身構えながら洞穴の中へと入っていった。
中にはゆらゆらとランプの明かりが揺れ、洞穴の中を薄暗く照らしていた。自然にできた洞穴に少しだけ手を加えたような場所で、奥に入ると外の物音はほとんど聞こえないほど静まり返っている。リュカの足音が大きく響くような静けさで、それは自然とよろず屋の店主に客が来たことを知らせる。
「おお、いらっしゃい」
予想外に明るい声が聞こえ、リュカはそれだけで自然と強張っていた体がほぐれるのを感じた。思い出してみれば、ダンカンはよろず屋の主人のことを『気さくな人』と言っていた。聞こえた声にその気さくさを感じ、リュカは足取りを速めて洞穴の中へ更に足を踏み入れる。
「あの、サラボナのルドマンさんに頼まれてきたんですが……」
リュカがそこまで言うと、よろず屋の主人は「ああ」と声を漏らし、作業していた手を止めて店の奥へと入っていった。彼が作業していたものを見て、リュカは道具屋の主人の見た目との雰囲気の違いに驚く。体型は小柄ながらも手は分厚く、とても細かい作業をするような手ではない。しかし実際に彼が今作業していたのは、美しい花や木の実をあしらったリースを作ることだった。作りかけのリースを目にし、リュカはその繊細さや美しさに思わずため息をついた。
「シルクのヴェールならご注文の通り、いいのが出来たよ。そら、これだよ。持って行っておくれ」
戻ってきたよろず屋の主人が手にするものを見て、リュカは再び息を漏らした。分厚い手に乗るそれは、洞穴の中を動く空気にも揺れるほど繊細で、少しでも乱雑に扱えば破れてしまうほど薄く、洞穴の薄暗い明かりの中でも輝くほどの神々しさを放っていた。これほどのものを人間が作れるものなのかと、リュカは思わず目を疑ってしまう。
「ルドマンさんのお嬢さんが喜んでくれるといいんだけどねぇ」
よろず屋の主人はルドマンから、娘のフローラが結婚式で身に着けるヴェールをと依頼されている。まさかビアンカがこのヴェールを被るとは微塵も考えていない。その事実に、リュカはこの山奥の村の人々に嘘をついているような気がして、罪悪感を覚える。しかしそれと同時に、このヴェールを被るビアンカを想像すると、彼女はどれほど美しくなるのだろうかと、思わず顔がほころぶのを止められない。
「あんたがルドマンさんのお嬢さんと結婚するのかね。ルドマンさんは『娘の婿になる者にヴェールを取らせに行く』と言っていたから、そうなんだろう?」
「そのつもり……でした。でも、ちょっと事情が変わってきて……」
リュカはそう言いながら、今この場で全てを説明しようかとも思った。嘘をつくことなく、全てを素直に話せば、リュカ自身の心は晴れてすっきりするだろう。しかしビアンカと結婚することになったと目の前のよろず屋の主人に話しても、恐らく主人の心を晴れさせる説明はできないだろう。ビアンカはこの村の人々に非常に慕われている。長年に渡り培われてきたビアンカと村人たちとの絆を超える言葉を、今のリュカには見つけることができない。
「用事が済んだらまたこの村に来ると思うので、その時にお話ししますね」
「ふうん、何だか複雑な事情でもあるのかね。まあ、いいさ。私の作るヴェールを被る花嫁さんは必ず幸せになるんだ。あんたもお嫁さんも、幸せにおなり」
「ありがとうございます」
リュカは礼を述べ、ヴェールを受け取った。手の上に乗っているのに、まるで空気のように軽く、手触りも滑らかで心地よいものだ。少しでも乱雑に扱えばすぐに破れてしまいそうで、リュカはどうやって持って帰れば良いのか悩んでしまう。するとよろず屋の主人がヴェールを風呂敷に優しく包んでリュカに持たせてくれた。リュカはその包みをしっかりと胸に抱え、洞穴の道具屋を後にした。
洞穴を出ると、眩しいほどの日差しが真上から降り注いでいた。そろそろ昼を過ぎようとしている太陽の位置に、リュカは昼食だけでもこの村で済ませていこうかとも考えた。しかしその直後、やはりビアンカに早く会いたいと言う思いが彼の足を立ち止まらせなかった。広い畑が広がる村の景色を横目に見つつ速足で村の出口に向かっていく。そして村を出る時、リュカは村を振り返って景色を見渡すと、深々と頭を下げ、それから仲間の待つ馬車へと急いだ。

Comment

  1. タイーチ より:

    お忙しい中更新お疲れ様です。
    久々に仲間の声が聞けて、安心?しました笑
    ガンドフやっぱ可愛いですね。一緒に戦ってくれる魔物がいるから、一層あの3人衆の悪が際立つんでしょうねぇ。
    最近暖かくなってきたのはいいのですが、花粉に鼻が虐められて私は辛いですね。
    体調管理だけはお気をつけて、引き続き更新楽しみにさせて頂きます。

    • bibi より:

      タイーチ 様

      コメントをありがとうございます。
      そうですね、このところ仲間の魔物たちとの会話がなかったので、久々で私が緊張しました(笑
      次は結婚式の話になりそうなので、また魔物の仲間たちとはちょっとお話しできないかも知れません。
      花粉症の方は今の時期、とても辛いですね。お察しします……。
      季節の変わり目は気温変動も激しいので、タイーチ様もお風邪など召されませぬようお気をつけくださいませ。

  2. ケアル より:

    ビビ様!
    ゲーム本編ではダンカンに、この段階で話をしに行っても、たしか…ビアンカの話にはならなかったでしたよね?(リメイクのPSⅡではどうだったかな…)
    今回も、ゲーム内には無いビビ様ワールド炸裂で、引き込まれちゃいますね
    マグダレーナ(小説やCDシアターでのビアンカの母)への、お墓参りは考えさせられますね…。
    たぶん、リュカは、パパスのお墓は無いから、よけいに何かこう…感じるものがあったんではないかなと思いました。
    メッキーの、つがい発言には笑いました(笑み)
    たしかに、人間には「愛」というのがあるけど、魔物には「愛」というのはない…ようするに本能としての子孫繁栄なのかもしれないですね。
    ルーラ、ゲームでは、当たり前のように乗り物は、一緒に付いて来ますが、やはりここは、無理がありますから、これからのビビ様の中では、ついて来ない設定になりますか?
    それとも、魔法に詳しいマーリンがリュカに説明して、ゲームと同じ設定にしますか?
    ビアンカを入れてマックス8名になりましたね。
    これからの魔物の仲間はどうしますか?
    今回も楽しませて頂きました!
    そろそろ、戦闘が読みたいとこです(ビアンカを入れたパーティー8名で)

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      当方、DS版ドラクエ5に準拠して話を進めておりまして(私の話ではデボラさんは出てきませんが)、そこではどうやらダンカンさんとのやり取りがあったようです。
      このタイミングで山奥の村へ行って、ダンカンにビアンカの話をしないのも、男としてどうなのさ!? という(私の勝手な)思いもあるので、こうして今回話をさせてしまいました。
      メッキーの出番がまだまだ少なかったので、ちょっとつがい発言をしてもらいました。魔物の仲間が多くなってくると、色々と気を遣います……^^; メモをしていないと、誰が何を言ったっけ? と、私が混乱していることもしばしば。もうちょっとマシな頭があれば良いのですが……。
      ゲーム中でのルーラは軽い感じで扱われますが、船を一緒に移動させるなんてとんでもない労力が必要なんじゃないのかと思い、今のところ船を一緒に移動させるのはなしにしようかなぁと。その内、設定を変えるかもしれませんが……どうなるかは私にも分かりません(笑
      戦闘シーン、そろそろ私も書きたいところですが、どう考えても次は結婚式のお話になりそうなのでまだ先になりそうです。結婚式の話もちょっと長くなりそうなので……^^;

  3. YORI より:

    年度末のお忙しい最中の更新、本当にありがとうございます。
    これで春を迎えられそうです(笑)

    ワタクシもいろいろあって「2度」両親への挨拶を
    させていただきましたが
    お付き合い当初から知ってる恋人の親で、かなり親しくても
    やはり親への挨拶は緊張するものですし
    改めて人間の結婚、恋愛は難しいなぁと感じさせてもらいました
    あぁ魔物に生まれたかったなぁ・・・(笑)

    久しぶりの魔物との会話もほのぼのしてる中、
    人間と魔物の結婚、魔物でいうつがいの違いを
    うまく表現されているとことか改めて感動を覚えます
    サラボナから山奥の村へ行く道中のみんな会話は
    こんな感じだったんだろうなぁと思わずニヤケてしまいました

    ケアルさんもおっしゃっていましたが
    ビアンカ加入のパーティーでの戦いがどうなるのか
    そして個人的には・・・
    誰がモンスターじいさんの元に行かされてしまうのか
    みんなキャラが立っているだけに
    すごく興味深いところであります

    今回も非常に楽しく読ませていただきました
    ありがとうございました。

    • bibi より:

      YORI 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      結婚の挨拶となると、やはりド緊張状態ですよね。恋人関係と夫婦関係とはまた別物ですし、結婚となった瞬間から公的な責任が発生しますからね。でもそれだけに本気で人生を楽しむこともできるんじゃないかと思ってます。自分だけの人生じゃなくて、相手があっての人生になるのは結婚の醍醐味なんじゃないかなぁと。
      メッキーのつがい発言を機に、話が下ネタにならないように気を付けたのはここだけの話(笑) うちのサイト、そういうんじゃないんで。まあ、リュカ君が何を考えていたのかはわかりませんが。

      モンスターじいさんのところへ誰が……そうですねぇ、だーれーにーしーよーうーかーなー、てーんーのー……なんて選び方をしたらプックルあたりにガブリとやられそうなので、真剣に考えたいと思います。ゲームをしていても本気で悩むところですよね、ここは……。

  4. サーシャ より:

    今回も読み応えたっぷりで、本当に面白かったです!ゲームでは結婚するところの内容の薄さに愕然としましたので今回書いていただけて嬉しいです^ ^
    やはりリュカはビアンカ大好きですねー。でもビアンカへの愛は私も負けてないと思います(笑)このシーンは何回やってもビアンカ選んじゃうんですよねー
    フローラ、デボラ、ごめんなさい(笑)
    次回も楽しみにしてます!今度魔物が仲間になったらプックルに噛まれないよう気をつけてください(笑)

    • bibi より:

      サーシャ 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      仰る通り、ゲームでは結婚するところが「あれ? 私、途中で寝たっけ?」と思うほどあっという間に終わるので、勝手にこちらの話で補完させてもらいました。まあ、ゲームの中ではそれくらいの話で良かったのかも。おかげで勝手に話が作れたので(笑
      このシーンでは私もどうしてもビアンカを選んでしまいます。フローラさんも良い人なんですけどね。デボラさんは……私にはまだよく分かりません^^; もうちょっと私が大人になれば彼女の良さも分かるのかしら。もういい加減大人なんですがね~。
      次、新しい魔物が仲間になるのはちょっと先になるかと思います。しばらく結婚のお話に浸って行ってくださいませ^^

  5. moritacchi より:

    bibiさん初めまして。つい最近、偶然拝見しましてのめり込んでしまいました。きっかけは、今頃になってPS2のドラクエ8を初めてプレイし、同じくPS2のドラクエ5をやりました。SFCのドラクエ5は、発売当時にプレイしたのですが、当時の中学生の自分には余り印象強い作品では無かったのですが(結婚とか)自分も大人になり改めてプレイするとこんな感動する作品だったんだと改めて考えさせられました。特にリメイク版は、仲間の会話が見れるので、余計だったかもしれません。それから、これも出た当初に買った久美沙織さんの小説を引っ張りだし、改めて読むと、また当時は感じなかった感情で泣きながら読んでしまいました。その後、ネットで「ドラクエ5 小説」と調べてbibiさんの所にたどり着きました。他の方々の短編も好きですが、bibiさんの小説は凄いです。事細かく書かれている感情等が素晴らしいです。今でも時間が有れば最初から読み返してます。特に自分はビアンカとの再会からの話が好きです。 SFC版の時はフローラも結婚相手で選べたのですが、小説を読んでからはビアンカしか選べなくなってしまいました(笑) ゲームだとそのイベントを淡々と進める感じになりますが、小説を読むと、その人その人の感情も垣間見る事が出来るので良いですね。
    ちょっと文章力に乏しいので、関係ない話しもしてしまいましたが、この先の話しも凄く楽しみにしております。ありがとうございました。

    • bibi より:

      moritacchi 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      私も中学生の時にSFC版をプレイして、その時はそれほど印象深い作品ではなかったのですが、大人になってリメイク版をプレイしたら「こんな作品だったのか!」みたいな感動がありまして、こうしてサイトを運営する運びとなりました。あれですよね、子供のころに見るトトロと大人になってみるトトロの印象はまるで違うのと一緒ですよね。……って、これで伝わりますでしょうか?^^;
      公式の小説があるので、自分なんかが小説を書くのはなぁ……とも思っていましたが、ドラクエの世界観はその人その人で違うものかなと思って、私の考える世界もまた一つの世界として存在してもいいかなと思いながら小説を書いています。数ある世界の中の一つとしてお読みいただければ幸いです。
      フローラさんも良い人なので、もしフローラさんを結婚相手にゲームを進める時があれば、他のサイト様の小説を読むのが良いかも知れませんね。そうすればどっぷりフローラさんに浸りながらゲームを進めることができるかと^^
      次のお話……なかなか書き進められずにいるので、もうしばらくお待ちいただくことになりますが、何卒よろしくお願いいたしますm(_ _)m

bibi へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。

 




 
この記事を書いている人 - WRITER -

amazon

Copyright© LIKE A WIND , 2016 All Rights Reserved.