2017/12/03

結婚式

 

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サラボナの町を柔らかい夕日が包んでいる。町の人々は一日の生活の終わりに向かって、いそいそと家に戻る者もいれば、一日の一番の楽しみをと酒場に向かう者もいる。そんな町の人々の雰囲気にはどこか浮足立ったものがあり、その雰囲気にリュカ自身も呑み込まれそうになった。
町全体に、すでに祝福の雰囲気が漂っていた。世界的に有名なルドマンが主催者となり、結婚式が執り行われる予定は町全体どころか、近くを旅していた旅人にまで及び、普段町にいる人々よりも多くの人がこのサラボナの町にいるようだった。町の宿屋もいつもより多く訪れる旅人の数に、嬉しい悲鳴を上げていた。
町の人たちの多くはまだ、ルドマンが主催する結婚式の当人の顔を知らずにいる。まさか今、町を速足で歩いている濃紫色のマントとターバンを身に着けた青年が新郎となるなどとは思いも寄らない。他の町の人々同様に青年に話しかけ、『結婚式が近々行われるらしいですよ。楽しみですねぇ』などと口にしている。リュカはそんな話を耳にしながらも、自分が町を離れている間にまたルドマンがどんどんコトを先に進めているのだろうかとふと不安に思った。
少し息を切らしながら、ルドマン邸に着いた時にはオレンジ色の夕日が西の地平線に沈みかけていた。屋敷の前で呼吸を整えていると、リュカの存在に気付いたリリアンが元気な鳴き声で出迎えてくれた。大きな尻尾を千切れんばかりに振るリリアンの頭を撫でていると、屋敷の中から使いの女性が現れ、すぐにリュカと気づいて屋敷の中へ案内する。リュカはまだ整わない気持ちのまま、屋敷の中に入り、広い応接間へ通された。
応接間にはすでに灯がともされており、間もなく沈む西日の光を補うようにゆらゆらと明かりが揺れていた。テーブルに出された水を一気に飲み干すと、リュカはようやく息をついて応接間を見渡す。きれいに掃除され、整えられたルドマンの屋敷の景色に、リュカは自分が場違いな存在だと嫌でも気づかされる。しかししっかりと右手に持った包みの中のシルクのヴェールが無事であれば何の問題ないと、包みの中をちらっと確認した。ヴェールは薄暗い応接間の中でも、それ自身が輝きを放つような神々しさを見せている。
応接間の扉が開き、リュカは顔を上げた。ルドマンが小さな目をにっこりと細めて、リュカの方へと歩いてくる。
「よく無事に戻ってきてくれた。君が旅に出ている間に、結婚式の準備は整ったよ」
満足そうに微笑むルドマンとは対照的に、リュカは眉をひそめてルドマンを見つめる。そんなリュカの反応を見ながら、ルドマンは「ああ」と声を漏らして話をつけ足した。
「あとは君の準備だけだが、まあ、新郎の準備というのはさほどのことでもないからな。君の場合は旅の垢をきれいにするぐらいで済むだろう」
「あの、頼まれていたヴェールを持ってきました」
そう言いながら包みを開けようとするリュカに、ルドマンが制止するように右手を出した。
「それは明日、君が直接花嫁に被せてあげなさい。花嫁より先に私が目にするのも悪いだろう」
「ビアンカはどこにいるんですか?」
「私の別荘で結婚式の準備を整えているよ。まあ……君が旅に出て間もなく準備が整ってしまったから、それからはフローラとよく話をしているようだったが」
ルドマンの言葉に、リュカはひとまず胸を撫で下ろした。少しの間旅に出て離れているうちに、ビアンカがどこかに行ってしまっていたらどうしようと、到底ありもしない現実に不安を抱いていたのだ。
ようやくビアンカに会えると、リュカが笑顔になったのもつかの間、ルドマンはリュカの喜びを一蹴するような一言を口にする。
「善は急げだ。明日、結婚式を挙げることにしよう。リュカ、君には宿屋の一番良い部屋を用意するからそこで今夜は体を休め、明日の朝私の別荘に来なさい」
相変わらずルドマンの物事の決定は断定的で、リュカは彼の言葉に異を唱えられる意思を持てなかった。第一、異を唱える理由は一つもなく、ルドマンはリュカとビアンカに最も良いようにとお膳立てをしてくれているのだ。彼の提案に悪意は何もなく、純粋にリュカとビアンカという新郎新婦を祝福しようと、物事を最も良い方法で進めようとしてくれている。
しかしそれでも、リュカは今、無性にビアンカに会いたかった。シルクのヴェールを取りに行く旅はほんの数日のことだったが、その時間がとても長く感じられ、以前ビアンカに会ったのが数か月前に感じられるほどだった。
「ビアンカは別荘にいるんですね? じゃあちょっと会ってから……」
「いやいや、式の準備は整っているとは言え、式の前日となればまたそれなりの準備が必要になるはずだ。花嫁の支度というのには、男は邪魔でしかないんだよ。明日になれば会えるのだから、それまで辛抱してくれ」
「でも少し話をするぐらいなら……」
「会って少し話をするだけで済むかね? 会ってしまえばずっと一緒にいたくなるに違いない。君の顔がそう言っているよ」
ルドマンが口ひげを指先で撫でながら、にこにことそう言いってリュカの顔を覗き込んだ。自分でもはっきりとは分からない心を言い当てられ、リュカは何となく恥ずかしい気持ちにさせられる。
「当日、とびきり綺麗になったビアンカさんに会って、式に臨むのも悪くないと思うぞ。まあ、式が終われば晴れて夫婦になり、ずっと一緒にいられるのだから明日まで我慢してくれ」
ルドマンはそう言うと、応接間の扉の外に向かって声をかける。すると一人の使用人の女性が応接間に入ってきて、ルドマンの指示を受けて再び応接間を出て行った。どうやら別荘にいるビアンカに明日結婚式を挙げることを知らせに走っていったようだ。
「ところでリュカよ、君は結婚式というものをどこまで知っておるかね」
ルドマンの言葉に、リュカは応接間を出て行った使用人の女性の姿を追っていた視線をルドマンに戻した。
「え? えーと……すみません、よく分かっていません。見たこともないし、本で読んだこともないなぁ」
「君も主役の一人だからな。今から式の段取りについて説明させるから頭に入れておきなさい」
ルドマンにそう言われるまで、リュカは結婚式というものについてほとんど考えていなかったことに気付いた。リュカにとってはただ、ビアンカとこれからも一緒にいられるという事実だけで十分だった。想像もつかない結婚式というものに、リュカは途端に不安を抱く。
「なーに、そんなに難しいことじゃない。花嫁の身の回りの世話に介添え人が付くから、もし本当に困ったことがあれば介添え人に聞いたらいい。あまり肩肘張って考えないで良い」
「はあ、そうなんですか。でも初めてのことだし、ちゃんとできるのかなぁ」
「何を言っているんだ。結婚式は誰でも初めてのことに変わりない。そしてちょっとの失敗くらい、誰でもするものだよ」
「そういうものなんですか? それなら大丈夫そうですね」
「まあ、とんでもない失敗をしたら、後々ずっと言われることになるだろうがな、ビアンカさんに」
ルドマンが少々意地悪な言葉をかけると、リュカはビアンカにからかわれる状況を想像し、思わず眉をひそめた。しかしその状況も、ビアンカとこれからずっと一緒にいられるからなのだと思うと、やはり破顔してしまう。彼女に何を言われようが、この先ずっと一緒にいられることを考えると、それだけで他のことはどうでも良くなってしまう。
「君の着丈は恐らく標準くらいだろうと、タキシードも数着用意してある。まずは衣装合わせからだな」
ルドマンはそう言うと、再び使用人の女性を呼び、リュカを衣裳部屋へ案内するよう指示した。リュカはルドマンに礼を述べ、使用人の女性の後についていく。長い廊下を歩きながら、リュカは一体この屋敷にはいくつの部屋があるのだろうかと、キョロキョロと屋敷内を見渡していた。



昨夜、結婚式の段取りをルドマンの屋敷で教え込まれたリュカは、宿に着いた後、紙に書かれたその段取りを見ながらいつの間にか眠ってしまっていた。さほど難しいものではないと分かったら、大した緊張感もなく眠ってしまったらしく、リュカは朝を告げる鳥の鳴き声を耳にして慌てて広いベッドの上に起き上がった。
サラボナの宿で最も広い部屋をルドマンが取り、リュカはそこに宿泊していた。昨夜宿に着いてから、部屋に運ばれた豪華な食事を口にし、最後に宝石のようなデザートを口にした後の記憶があやふやだった。食事の後に、結婚式の段取りが書かれた紙を手にしてベッドに横になったようだったが、その時すでに睡魔に襲われていたらしく、あまりよく覚えていない。どうやら最後に食べたデザートに少量のアルコールが含まれていたようで、その影響と旅の疲れとで一気に眠気が襲ってきたようだった。
リュカはベッドから飛び出ると、昨夜使用人の女性に指示されていた通りルドマンの別荘に向かう準備をした。部屋に備え付けのバスルームで急いで身を清め、部屋に運ばれてきた朝食は味わいもせずに口の中にかっ込み、旅の荷物はそのまま手にして宿を後にした。
朝日を浴びるサラボナの町は何時にも増して光り輝いているように見えた。町の人々も今日は仕事も何もかも休みにして、ルドマンが主催する結婚式を楽しもうと明るい表情で歩いていたり、楽しそうに立ち話をしたりしている。リュカはそんな町の人々の間をすり抜け、走ってルドマンの別荘へと向かっていった。
息を切らして別荘の前に着くと、扉の前に一人の女性が立っていた。昨夜リュカに結婚式の段取りを教えてくれた使用人の女性だと気づくと、リュカは笑顔になるやら遅れて申し訳ない顔になるやらで、複雑な表情を見せた。そんなリュカを見て使用人の女性は笑い、「そんなに慌てなくて大丈夫ですよ」と声をかけた。
「男の方の準備はそれほど時間はかかりませんからね。さあ、中へどうぞ」
「あの、ビアンカはどこにいるんですか?」
「もちろん、この中にいらっしゃいますよ。もうお支度は済んでいます」
女性の言葉に、リュカはここまで走ってきた以上の動悸を感じた。何日も会えなかったビアンカがここにいるというだけで、リュカは胸の中が熱くなるのを感じる。
リュカがルドマンの別荘の中に入るのはこれが初めてだ。別荘の中はいくつかの部屋に仕切られており、初めに入った広い部屋に期待したビアンカの姿はなかった。彼女の姿を見ることなく、リュカは使用人の女性に案内され、別荘内の一つの部屋に入るよう指示された。そこには新郎のために準備された白いタキシードなど衣裳一式がかけられており、リュカは昨日ルドマン邸で試着したようにタキシードを身に着ける。使用人の女性はこれまでにも町の人々の結婚式の準備をしたことがあるらしく、リュカを立派な新郎に仕立て上げるのに大した時間もかけなかった。
鏡の前でまるで自分ではない誰かが立っているような雰囲気に、リュカは思わず困ったような表情を浮かべる。使用人の女性から「よくお似合いですよ」と声をかけられて、ようやくこれでいいのかと自信を持つことができた。
まるで気持ちの準備も整わない内に、リュカは再び部屋を出て、別荘内の最も広い部屋で待つよう指示された。慣れない窮屈なシャツの襟元をつい手で伸ばしそうになるのを、やんわりと使用人の女性に止められ、彼女が他の部屋に行く後ろ姿をリュカはぼんやりと見つめた。一人残されたリュカはやはり無意識に襟元に手を伸ばし、息が詰まるような襟を指先で少し広げた。
別荘の広い部屋の景色をぐるりと見渡すリュカの前に、再び使用人の女性が現れ、そしてその後ろからもう一人の中年の女性が花嫁を連れてきた。別荘の部屋には外の太陽の光が入り、明るく照らされていたが、花嫁は太陽の光とは別の光をまとっているようだった。
いつもは片側にゆるく編まれている三つ編みはきれいに結い上げられ、すっきりと輪郭を見せている。薄く化粧が施されているようで、彼女の頬には仄かに桃色が浮かび、目元には彼女の瞳の色と同じ水色が、少し開いた唇には薔薇色の口紅が塗られていた。純白のウェディングドレスには細かな刺繍が施されており、彼女の足元までをふんわりと覆い、しかし両肩は露わになっている。身体のラインに沿うようなピタリとしたデザインに、リュカはビアンカがこれほどにも華奢な体つきをしていたのかと改めて驚いた。花嫁らしい美しく清楚な雰囲気であると同時に、見たこともない彼女の艶のある雰囲気に、リュカは何の言葉も思いつかずにその場で立ち尽くしてしまった。
「リュカ……」
聞きなれているはずのビアンカの声も、まるで別人の声のように聞こえ、リュカはまだ現実世界に戻れないでいた。頭の中から聞こえてきたのではないかと思うほど、彼女の声は現実味がなかった。目の前にいるビアンカは自分でも気づいていなかった願望が生み出した幻想なのではないかと、リュカはこの夢から覚めたいような覚めたくないような、訳の分からない感情に苛まれた。
「さあ、リュカさん、そのシルクのヴェールを花嫁さんの頭に……」
ビアンカの支度を整えてくれていた使用人の女性に促され、リュカは宿から持って来ていたシルクのヴェールを包みから取り出した。簡素な包みに包まれていたヴェールだが、ビアンカという花嫁を前にしてその輝きは増すように見えた。リュカはまだ言葉を発せないまま、使用人の女性に手伝ってもらい、ビアンカの頭にふわりとシルクのヴェールを被せる。俯く彼女の長いまつ毛にも化粧が施されているようで、リュカはまだ目の前にいるのがビアンカだとは思えずにいた。
「リュカ……」
再びビアンカに名を呟かれ、リュカは目の前にいる女性が紛れもないビアンカなのだと理解しようとする。化粧をし、ドレスに身を包む美しい女性の水色の瞳は少し涙に潤んでいるように見えた。しかしその表情にようやく笑顔が浮かび、その表情がいつものビアンカと重なると、リュカはようやく「ビアンカ」と彼女の名を呼ぶことができた。
ビアンカもリュカ以上の緊張をもって花嫁としての支度を進めていた。そして別荘に現れた正装姿のリュカを見て息を呑んだのは、リュカと同様の反応だった。共に旅をしている姿とは異なり、結婚式に臨んで正装に身を包んだリュカの姿に、彼への気持ちが一層強まるのはどうしようもなかった。しかし目の前のリュカが全く言葉を発しないのを見て、彼が結婚式に対してとてつもない緊張感を持っているのだと感じると、その緊張を和らげてやりたいと思い、強張っていた顔にどうにか笑みを浮かべたのだった。
「ありがとう」
一番初めに口をついて出た言葉は、リュカへの感謝を表す言葉だった。それは彼に対する全てのことに感謝する気持ちから出たものだったが、何か具体的なことを示したくなり、ビアンカは頭に被せられたヴェールにそっと手を触れる。
「このヴェール、わざわざ山奥の村へ取りに行ってくれたんでしょう? フローラさんに聞いたわ」
ビアンカにそう言われ、リュカは山奥の村での出来事を思い出す。山奥の村へヴェールを取りに行ったことがまるで遠い過去のように思えた。
「ダンカンさんに会ってきたよ」
「そう……。元気にしてた?」
「うん。ビアンカと結婚させてほしいって言ったら、喜んでくれた」
「ようやく嫁に出せるってほっとしたんじゃないかしらね、父さん」
「一緒にサラボナに来て結婚式に出てほしいって言ったんだけど、サラボナまでの船旅に耐えられそうにないって……ごめん」
「何を謝ることがあるのよ。リュカがそうやって父さんのところへ行って挨拶をしてきてくれただけで十分よ。でも……結婚を反対されたらどうするつもりだった?」
ビアンカがいたずらっぽい笑みを浮かべながらそう問いかけると、リュカも顔に笑みを浮かべて和らいだ気持ちで応える。
「どうにかして説得するしかないって思ったよ。だってもう君と結婚したいとしか思ってなかったから」
リュカのストレートな言葉にビアンカは思わずひるむ。しかしそんな狼狽を素直に見せるのは癪に障る。ビアンカは視線を逸らして別荘内をぐるりと見渡すと、「そうよね~」と何でもない言葉を発して気持ちを落ち着けようとした。
「ルドマンさんにここまで準備してもらって、『やっぱり結婚できませーん』なんて、そんなことできるわけないものね」
「え? うん、まあそれもあるけど、そうじゃなくて僕は……」
「もう教会での準備も整っているらしいわよ。ここでゆっくりしてても皆さんを待たせちゃうね」
いつもの元気な声でそう言うと、ビアンカはリュカの隣に並んで立ち、すっと右手を差し出した。シルクの手袋をはめた彼女の手が腕に絡むと、リュカは心がじんわりと温かくなるのを感じた。それと同時に、昨夜教えてもらった結婚式の段取りを思い出し、このまま彼女を連れて教会に向かうのだと再び緊張感が身体全体を包む。
「さあ、私を教会まで連れて行って」
まるで何でもないことのように、いつものような声を出してビアンカはリュカに声をかけた。ビアンカにももちろん結婚式の段取りは伝えられている。彼女はその段取り通りの行動をしているだけなのだと、リュカは緊張する心をどうにか落ち着けようとした。
ビアンカのドレスの裾を、彼女の支度をしていた使用人の女性が介添人としてそっと持ち上げ、地面を引きずらないよう彼女の後を付いてくる。そしてもう一人の使用人の女性に見送られ、リュカとビアンカは別荘を後にした。
別荘を出ても、そこはまだルドマン家の敷地内で、人影はない。二人で無言で歩くのも要らぬ緊張感を高めるだけだと思い、ビアンカはヴェール越しに見えるリュカの横顔を見ながら軽い調子で話しかける。
「お化粧なんて生まれて初めてしてもらっちゃった。私の顔、ヘンじゃないかしら?」
この先の結婚式に向けて半分頭が真っ白になりかけていたリュカは、隣からビアンカのいつもの声が聞こえると、生返事のように「ああ……うん、そうかなぁ」と答えるだけで精いっぱいだった。するとビアンカが小さく笑い声を漏らす。
「そうよね。らしくないよね。でも式が終わるまではガマンしてね」
ビアンカが可笑しそうにそう言うのを聞いて初めて、リュカはビアンカが何を言ったのかを理解した。立ち止まって慌てて弁解しようとするが、ビアンカはただ笑うだけだ。そしてからかうような声で、後ろからドレスの裾を持って付いてくる介添え人の女性に「傷ついちゃいますね、こんなこと言われるなんて」などと話している。介添え人の女性もにこやかに笑いながら「本当に」と答えて、一緒になってリュカをからかっているような雰囲気だった。自然と緊張感を和らげる二人の空気に、リュカは素直にすねることができた。
ルドマン邸の屋敷前を通り過ぎる際、二人は一度立ち止まり、ルドマンの大きな屋敷を見上げた。屋敷前には変わらずリリアンがつながれていて、リュカとビアンカを見ながら元気に尻尾を振っている。リュカが『遊んで遊んで!』と言っているようなリリアンに近づこうとすると、介添え人の女性が「お式の後になさってくださいな」と困ったような顔で止めた。その言葉に、リュカも自身のタキシード姿を眺めて反省するように頭をかいた。
そんなリュカの隣で、ビアンカは真面目な表情でじっとルドマン邸を見つめていた。世界に名を馳せるルドマンの大きな屋敷は、迎えるべきリュカという青年をすんでのところで逃してしまった。ルドマンの一人娘であるフローラの結婚相手として申し分ない青年を、ただの幼馴染という理由で再会した娘に奪われてしまったも同然だと、ビアンカは改めて事態の大きさに責任を感じる。
リュカは自分と再会しなければ、今頃フローラと幸せな結婚式を挙げていたのだろうと、ビアンカは想像するだけで胸が締め付けられるような想像をしてしまう。本来、彼の隣に立つべき女性は、あの透き通るような青髪の、清楚可憐を絵に描いたようなフローラであるべきなのだ。結婚式の支度中、ずっと気さくに話し、初めて同年代の女友達ができたと思えたほど仲良くなったフローラだが、こうしてルドマンの大きな屋敷の前に立つと、彼女から結婚相手を奪ってしまった罪はどれほど大きいものかとビアンカはその重責に押しつぶされそうになってしまう。
自分の左腕に絡まる手に力が入ったのを感じ、リュカはそっとビアンカを見た。彼女が複雑な表情でルドマンの屋敷を見つめる姿に、リュカは小さく声をかける。
「どうかしたの、ビアンカ」
リュカの声に、ビアンカはびくりと体を震わせた。ヴェール越しに見るリュカの顔は気遣わしげな雰囲気が漂う。結婚式を目前に不安を抱かせてはいけないと思いつつも、嘘をついてもきっと彼には分かってしまうだろうと、ビアンカは素直に気持ちを伝える。
「私、実は戸惑ってるの」
「え? どういうこと?」
「だってリュカはフローラさんを選ぶとばかり思ってたから……」
思いも寄らないビアンカの言葉に、リュカは絶句した。白いヴェールに包まれたビアンカの顔が物憂げに下を向いている。彼らの前にはサラボナの町を代表するルドマンの大きな屋敷が堂々とそこにある。屋敷の中にはルドマン夫妻もフローラもいないはずだが、ルドマン家という存在がいかに大きなものなのかが屋敷の大きさから嫌でも感じる。そんな屋敷の主人になるはずだったリュカの隣にいることに、ビアンカは罪悪感を深める。
リュカもビアンカと同じように、ルドマンの屋敷をしばらく見つめた。彼女の言う通り、もし旅の途中でビアンカと再会しなければ、リュカはフローラと結婚し、この屋敷が自分の家になる未来もあった。決して運命を信じているわけではない。しかしこうしてビアンカと再会し、彼女への想いが止められなくなってしまった今では、ルドマン家を自分の家とする未来を想像することすらできない。ビアンカと一緒にいられない未来など、もう思い描けないのだ。
想定していた未来が変わったのは、ビアンカのせいではない。天空の盾を目的にルドマンに会おうとしていたリュカが、話の流れでフローラの結婚相手の候補として炎のリングと水のリングを探すことになり、その過程でビアンカと再会することは避けられないことだった。そしてビアンカに徐々に惹かれていく気持ちを止めることもできず、むしろ想いを強めていったのは自分のせいなのだと、リュカはすべての責任は自分にあるのだと言いたかった。彼女を不安にさせたくなかった。
「ビアンカ、僕は……」
「おーい、リュカ!」
「君のことが……え?」
彼ら二人の暗くなりかけた雰囲気を一掃するような、今の晴れ渡る空よりも明るい声が聞こえ、リュカとビアンカは声のする方向を振り向いた。サラボナの町の商店街とルドマンの屋敷の敷地内とを隔てる大きな橋を渡ってくる二人の男女の姿を目にすると、リュカは言葉を失って大きく目を見開いた。
「ヘンリー!」
「やあ、久しぶりだな! ちょうどこっちの方へ来ててな。ルドマンさんから結婚式の招待状をもらって慌てて来たんだよ!」
大股に歩いてくるヘンリーと共に、妻のマリアがにこにこと微笑みながらいそいそと付いてくる。リュカもヘンリーとマリアに会えた衝撃から徐々に抜け出すと、笑顔になり、ビアンカを連れて二人のところへ歩いて行った。
「リュカさん、結婚おめでとうございます!」
大人しく控えめな印象のマリアが、頬を紅潮させて祝いの言葉を言う姿に、リュカは自分たちの置かれている状況を改めて認識する。自分は今、人生で最高に幸せな時を過ごそうとしているのだ。
「ステキな結婚式になりそうですね」
「教会の前じゃもうお祭り騒ぎが始まりそうな雰囲気だったぜ」
ルドマンが主催する結婚式は、サラボナの町全体がお祝いの雰囲気に包まれているらしく、その雰囲気を見てきたヘンリーとマリアは二人とも心から楽しそうな表情をしていた。町の雰囲気を伝えてくれる二人の様子に、リュカは無意識にも抱いていた不安を払拭することができた。
「彼女がビアンカちゃんか?」
「……ちゃん?」
初対面の割にかなり馴れ馴れしい呼び名に、ビアンカは思わず眉をひそめる。ビアンカのその反応に、マリアにたしなめられたヘンリーが咳払いをして、仕切りなおして挨拶をした。
「初めまして。ヘンリーと言います。こいつは俺の妻のマリア。一応、俺はこいつの友達ってやつだ」
「あれ? 親友じゃないの?」
「いつそんな格上げしてやったんだよ。友達でもかなり格上げしてやったってのに」
「なんだ、がっかりだなぁ。僕はてっきり君とは親友だと思ってたのに」
「リュカさん、あまりこの人をいじめないでくださいね。照れ屋なのはあなたも知ってるはずですよ」
「うん、分かってるよ、マリア。ちょっと言ってみたかっただけだから」
リュカとマリアがにこにこと会話する横で、ヘンリーが一人苦い顔をしている。
「お前ら……。まあ、いいさ。しっかしお前もよくこんな可愛い娘の顔を忘れてたもんだよな。一回見たら絶対忘れないくらい別嬪さんじゃないか」
「え? リュカって私の顔を覚えていなかったの?」
驚くビアンカにそう言われ、リュカは思わず頭をかいた。
「どういうわけか思い出せなかったんだよね。でも山奥の村で再会したときは、自分でもどうして忘れてたんだろうって思ったよ」
「ま、色々あったからな……。でもこれだけの別嬪さんを嫁さんにできるなんて、お前も幸せ者だよな。ビアンカさん、本当にこいつでいいの? 世の中には他にも男は腐るほどいるぜ」
「私にはリュカしかいないわ」
ビアンカが一も二もなくそう応えるのを見て、リュカは思わず息を呑んだ。隣で自分の腕をつかむ彼女の手に力が入るのを感じ、その仕草にリュカはどうしようもない愛おしさを感じる。
「リュカには他にも良い人がいたかも知れないけど……」
ビアンカの消え入りそうになる声を聞いて、リュカは彼女の顔を心配そうに覗き見た。すると突然、頭に衝撃を受けて、リュカは頭をさすりながらヘンリーを軽く睨む。
「何するんだよ、ヘンリー」
「それはこっちのセリフだ。ビアンカちゃんを不安にさせるなよ。ましてや結婚式の直前で」
「僕は不安がらせてるわけじゃ……」
「実際に不安になってるじゃねぇか。結婚式は花嫁さんが一番幸せでキレイでいるべき瞬間なんだぞ」
「ビアンカは十分キレイだよ。こんな化粧なんかしなくたって、キレイだし、可愛いし、優しいし、強いし……僕にはビアンカしかいないんだよ」
「そんなこと、言われなくても分かってるよ。お前はずっと前からビアンカちゃんのことが好きだったんだろ」
ヘンリーに言われた言葉に、リュカは返す言葉を詰まらせた。幼い頃、ビアンカとアルカパの町で別れて後、リュカの身には様々なことが降りかかってきた。楽しい時も辛い時も、嬉しい時も苦しい時にも、その時々で頭を掠めるのはビアンカとの思い出だった。彼女のことを思い出すだけで、楽しいことや嬉しいことはより楽しくなり、辛いことや苦しいことはどうにかやり過ごすことができた。
幼馴染とは言え、幼い頃に一緒に遊び、行動したのはほんの数日のことだ。リュカは記憶も定かではないほど幼い頃から、父パパスに連れられ旅をしており、特定の友達というものに恵まれなかった。その中で、ビアンカと共に子供二人でアルカパの町を抜け出し、レヌール城のお化け退治に向かった記憶は余りにも色濃く残っていた。今考えればとてつもなく危険な子供二人旅で、リュカは幼心にもビアンカという少女に惹かれていた。ヘンリーの言葉をきっかけにリュカは自身の気持ちに思い至り、素直に認める反応を示す。
「……うん、多分そうだったんだと思う。こうなるまで気が付かなかったけど」
「まったく、鈍感なヤツ……。俺にはずっと前から分かってたぜ」
「そうなの? どうして教えてくれなったの?」
「教えたところで、俺たちが一緒に旅してた頃はまだビアンカちゃんと再会できるかどうかなんて分からなかっただろ。言ったところで辛くなるだけだ」
「本当にそこまで考えてたの?」
「当たり前だろ。……って、これで安心したかい、ビアンカさん?」
ヘンリーが話を振った先には、ヴェールの下に真っ赤な顔を隠しきれないビアンカの姿があった。隣で俯くビアンカの姿を見て、リュカは今までの自分の発言を思い返し、彼女と同じように顔を真っ赤にした。そんな二人を見て、ヘンリーは大声で明るく笑い、その隣でマリアもにこにこと二人を見守るような笑顔を見せている。
「相思相愛ですね、リュカさんとビアンカさん」
「ま、俺達には敵わないだろうけどな」
そう言って堂々とマリアの肩を引き寄せるヘンリーを見て、リュカは図らずも胸が熱くなるのを感じた。夫婦になるというのは、目の前のヘンリーとマリアのように堂々と、それでいて滲み出るような愛情を示し合うことができるのだと、ビアンカと夫婦になることへの期待が自然と高まる。
「さて、俺たちは先に教会に着いていなくちゃな。行くとするか」
「そうですね。ではまた後ほど」
「式の最中にカッコつけて失敗するなよ、リュカ!」
からかうような口調でそう言うと、ヘンリーはマリアを伴ってサラボナの町の教会へと先に歩いて行った。小さなお祭りが終わったように静けさが戻り、リュカとビアンカは互いに顔を見合わせる。どちらもしばらく固い表情のまま見つめ合っていたが、顔をヴェールに隠したビアンカが先に話しかける。
「あの人がリュカが何度も話していたヘンリーさんとマリアさんなのね。とても気さくで良さそうな人じゃない」
「僕の大事な友達だよ。二人に出会えて本当に良かった。特にヘンリーは……」
リュカは既にビアンカに、ヘンリーとマリアという友人がいることは話している。しかし彼らとどのような経緯で出会い、友人になったのかという詳しい経緯は何一つ話していない。ビアンカはヘンリーがラインハットの王兄であることも知らずにいる。十余年前、何者かに攫われ、彼を救出に向かったパパスが魔物に倒され、誘拐の罪の濡れ衣を着せられたパパスが住んでいたというだけでサンタローズが滅ぼされ、そしてリュカと共に十余年の間奴隷生活を送ってきたというラインハット第一王子ということを、ビアンカは全く知らないままだ。何度かその事実を話す機会もあったはずだが、リュカはずっとヘンリーとの関係を彼女に話せなかった。話した後の彼女の反応は恐らく、ヘンリーを憎む感情しか生まれないだろうと、リュカは今でもビアンカに上手く説明する自信がない。
「どうかしたの、リュカ?」
「ううん、何でもない。さあ、僕たちも早く行かないとね」
「そうね、皆さんを待たせたら悪いわ」
ビアンカはいつものように明るい声でそう言うと、リュカの左腕に通す手に少し力を込め、身を寄せた。驚いたような顔をしてリュカが隣のビアンカを見ると、彼女はいたずらっぽい声で言う。
「ヘンリーさんとマリアさんに負けてられないもの。これくらい、いいよね?」
「う、うん……いいんじゃないかな」
いつもはお姉さんぶっているビアンカが急に可愛らしい行動をしてきて、リュカはただ身を固くするだけだった。結婚式に臨む緊張感以上の心地よい緊張感を、リュカは全身にじんわりと感じながら、サラボナの町中へと向かって歩き出した。



ルドマンが主催する結婚式が行われるということで、サラボナの町全体が祝福の雰囲気に包まれていた。多くの町の人々のみならず、町を偶然訪れた旅人までもが祝福の雰囲気を作り上げている。リュカとビアンカは人々が作り出す幸せな空気の中、互いに自然と笑顔を見せ合った。
噴水広場では、結婚式の後に行われる予定の宴の準備が整っていた。普段は町の人々に手軽な食事を提供する店も、今日という日は特別な食材を仕入れ、盛大な宴を皆に楽しんでもらおうと豪勢な料理を揃えているようだった。結婚式が終われば、店の奥に準備してある美味しそうな料理を食べられるのだと思うと、リュカはいくらか結婚式の緊張から解放される気がした。
「プックルみたいによだれを垂らさないでよ、リュカ」
まるで全てを理解しているようなビアンカの言葉に、リュカは慌てて口を手で覆った。そんなリュカの行動にビアンカはくすくすと笑い、彼女のドレスを後ろから持ち上げている介添え人の女性は『今は結婚式に集中してくださいね』と笑いながら口にした。
噴水広場の前には、サラボナの町を象徴するような大きな教会が重厚な扉を閉じて二人を待っていた。扉の前には二人の女性がおり、太陽の光を受けて白く輝く新郎新婦を静かに待っている。それまで町の人々の賑わう声が聞こえていたというのに、リュカとビアンカが教会の扉の前に立つと、その賑わいはすっと止み、辺りはしんと静まり返った。聞こえるのは鳥のさえずりや風に揺れて鳴る木の葉の音くらいだ。
二人が階段を上る音がやけに大きく響く。リュカは自分の早い鼓動までもが外に響いているのではないかと思うほど緊張していたが、それと同時に式の段取りについて軽く振り返る余裕も何故か持ち合わせていた。実はリュカ以上に緊張していたビアンカは、震えそうになる体をどうにか抑えるために、小さな声でリュカに話しかける。
「リュカに選んでもらえたと思ったら、もう結婚式だなんて……何だか展開が早すぎるよね」
結婚式があと数秒で始まるという時に話ができるビアンカに、リュカは驚きの表情を隠せなかった。この場面でも言葉を口にすることができるのは、さすがビアンカだと、リュカは彼女を選んだことに改めて喜びを感じた。そうしてリュカの緊張も解してくれる彼女に合わせ、リュカも言葉を口にすることができる。
「そうだね。夢でも見てるんじゃないかって思うよ」
「夢だったら困るけどね」
「それもそうだね」
「……でもうれしいよ」
そう言って俯くビアンカの表情は白いヴェールに隠れてよく見えない。リュカは彼女の顔を覗き込むように首を傾げると、ビアンカはぱっと顔を上げて、ヴェールに隠れるその美しい顔をリュカに向ける。
「だってリュカのことずっと大好きだったから」
包み隠さず伝えてくれたビアンカの想いに、リュカは言葉にならない幸せを噛みしめた。嬉しさで目頭が熱くなり、今にも涙が零れそうだったが、それを止めてくれたのもビアンカだった。
「笑って夫婦になりましょう。泣いたら幸せが逃げちゃう」
「うん……」
「さあ、行くわよ。私たち、世界一幸せな夫婦になるんだから」
行く先は神聖で厳かな教会の中だというのに、今にも冒険に旅立ちそうな勇ましい彼女の言葉に、リュカは思わず噴き出してしまった。いかにも彼女らしい発想だと、リュカも彼女と同じように笑顔を取り戻す。
「もうきっと、世界一幸せだよ」
リュカがそう言った直後、目の前の大きな扉が大きく開かれ、中から二人を祝福する拍手が溢れ出してきた。



大聖堂のような大きな教会の中は、見事なステンドグラスから入り込む色とりどりの光で満ちていた。教会の床や長椅子、壁に虹のような七色の光が映り込み、幻想的な雰囲気を作り出している。新郎新婦を迎え入れるパイプオルガンの音が厳かに響き、ゆったりとしたその音に合わせ、リュカとビアンカは歩みを揃えて教会の祭壇に向かって進んでいく。両脇に並ぶ長椅子の前に立つ人々の顔には微笑が浮かび、絶えず鳴らされる拍手はこれから夫婦になろうとする二人を応援するかのように優しく響く。左側の最前列には、この結婚式を主催したルドマンの姿が、そして彼のすぐ後ろの席にフローラの姿があった。本来であれば、この式の主役の一人であったはずのフローラが、今は自分ではない花嫁に向かって心から祝福の拍手を贈っている。そんな彼女の姿を見て、ビアンカは胸が痛むのを止められなかった。しかし彼女に謝る気持ちを持つのは間違いなのだと、フローラの祝福の気持ちを素直に受け止めるような笑顔を彼女に返した。
右側の最前列には、先ほど少しばかりの会話をしたヘンリーとマリアの姿がある。ヘンリーと目が合うと、リュカは今の自分の着慣れないタキシード姿が妙に恥ずかしくなった。しかしヘンリーの目にリュカの正装をからかうような雰囲気はなく、ただ親友の幸せを祝福する素直な気持ちだけがそこにあった。
リュカが自分から幸せになろうとしていることに、ヘンリーはこれまでにない安堵感を覚えていた。リュカには魔物の仲間という心強い味方がいるが、彼が人生のパートナーを得ることは、それとはまた違う心の支えを得ることができるはずだ。ヘンリーのそんな優しい思いが伝わるような気がして、リュカは照れくささはどこかに置き、堂々とした様子で親友の気持ちを受け止めた。
二人が祭壇前に着くと、教会内に鳴り響いていたパイプオルガンと拍手は鳴り止み、しんと静まり返った空気が教会内部を包む。神父に促され、二人は祭壇にゆっくりと上った。神という存在を信じていないリュカでさえ、静寂に包まれた教会の空気には何か神秘的な雰囲気を感じる。それが教会内部の細やかな装飾であったり、ステンドグラスから入り込む色とりどりの光だったりと、たとえ人工的に作り出されたものでも、人工的な力が集結して神秘的な力を生み出しているのではないかと思えた。結婚式という儀式が一層、その神秘的な力を大きくしているように感じられた。
静まり返る教会に、神父の静かな声だけが、その静寂に寄り添うように響く。
「本日これより神の御名においてリュカとビアンカの結婚式を行います」
結婚式というものには段取りがあり、おおよそ決まった流れで式が進行するものだと、リュカは前日にルドマン邸でそう教えられていた。そしてそれは、夫婦になることの神への誓いなのだと知らされ、その時のリュカには結婚式の意味というものが見い出せずにいた。神の存在を信じていない自分が、夫婦になることを神に誓うことなど、一体何の意味があるのだろうと、結婚式の段取りを講義するルドマンの使用人の女性の言葉がほとんど耳に入らない状態で説明を聞いていた。
しかし今、リュカは結婚式の意味を全身で感じている。夫婦になることを神に誓うのではなく、結婚式に参列している人たちに誓うのだと考えれば、この結婚式の意味はとても大きなものになる。ビアンカと結婚して幸せにすることを、ヘンリーとマリアに、ルドマンに、フローラに、祝福してくれる人たちに誓うことが、自分にとっての結婚式の意味なのだと、背を向ける人々の見守る雰囲気にリュカはそう感じていた。
「それではまず神への誓いの言葉を。汝リュカはビアンカを妻とし……」
神への誓いの言葉は、自分たちを祝福し見守る人々への誓いなのだと、リュカは神父の言葉をすんなりと受け止めることができた。神父は静かながらも教会に響く低い声で、リュカに問う。
「健やかなる時も病める時もその身を共にすることを誓いますか?」
「はい、誓います」
リュカがそう言うと、自分の左腕を取る彼女の指先に力が入るのを感じた。そんな彼女の動き一つ一つが愛おしく感じられる。
「汝ビアンカはリュカを夫とし……」
同じ言葉がビアンカにも繰り返される。今までに何組もの結婚式を執り行ってきた神父にとっては慣れた言葉も、その言葉を受ける新郎新婦にとってはそれが特別で唯一のものなのだと、神父の声がやけに鮮明に聞こえる。
「健やかなる時も病める時もその身を共にすることを誓いますか?」
「はい。誓います」
ビアンカの小さくもはっきりとした声が聞こえ、リュカは途端に自分が安堵するのが分かった。この期に及んでもしビアンカが結婚したくないなどと言い出したらどうしようと、無意識にも考えていたらしい。先ほど、自分の腕を取る彼女の指先が動いた理由が分かった気がした。
「よろしい。では指輪の交換を」
祭壇の上に置かれた小さな箱が開けられ、中から赤と青の光が小さく煌く。リュカが水のリングを手に取ると、ステンドグラスからの光を受けた水色の石が、薄く涼やかな青色の光をビアンカの被るヴェールに映らせた。彼女の左手の薬指に水のリングをすっとはめると、リングそのものが輝くようにずっと小さな光を放ち続けている。ビアンカもリュカと同じように、炎のリングを手にすると、リングは赤く燃えるような光を放ち、リュカの白いタキシードの胸元にその光を映す。そしてリュカの指のサイズを初めから心得ていたかのようにぴたりとはまると、彼の指で暖かな炎が絶えず揺らめくように仄かな光を放ち続ける。伝説に残るような二つのリングは今までもその光を絶やすことなく、これからも絶えることはない。それは結婚という永遠の愛を誓う儀式のために作られたようなリングだった。
「それでは神の御前で二人が夫婦になることの証をお見せなさい。さあ、誓いの口づけを」
昨日、ルドマン邸で結婚式の段取りを教えてもらった際、教会のヴァージンロードを花嫁と共にゆっくりと歩いて祭壇に向かうこと、誓いの言葉、指輪の交換と、一通り教えてもらったリュカは、もちろん誓いの口づけのことも教えられていた。それを聞いた時は『一体何のことだろう』と頭の中で霧中に彷徨うような感覚に陥ったが、すぐにその事態を理解すると、全身が燃えるように熱くなったのを覚えている。そして今、リュカはその時と同じ感覚に陥りながら、ビアンカと向き合っている。
ビアンカが目の前で少しかがみ、リュカは彼女のヴェールをふわりと上げた。ヴェール越しに見ていた彼女の顔がはっきりと現れ、その美しさに夢を見ているような感じを覚える。ビアンカも誓いの口づけの儀式については聞いていたはずだが、彼女に動揺する様子は見られない。俯いていたビアンカが静かにリュカを見上げ、その水色の瞳はまるで水のリングのごとく澄んだ水を湛えるように揺れている。そして彼女が照れるように少しはにかむのを目にすると、リュカは頭の中にぐるぐると回っていた様々な考えが吹き飛び、純粋な想いだけが残るのを感じた。
ビアンカの肩に手を乗せると、そのまま唇を寄せてビアンカに口づけた。すぐに離れて彼女を見ると、その水色の瞳に湛えられていた水が一筋、頬を静かに伝っていた。リュカが涙を指で拭ってやると、ビアンカはもう片方の瞳からも同じように涙をこぼした。幸せの感情が抑えきれなかった。
教会内に大きな鐘の音が鳴り響いた。厳かなその音はサラボナの町中に祝福の空気を運ぶ。まるで天井から鳴り響くような鐘の音に、リュカは普段信じてもいない神に祝福されたのだろうかと感じた。
「おお、神よ! ここにまた新たな夫婦が生まれました! どうか末永くこの二人を見守ってくださいますよう!」
神父の言葉に続いて、再び鐘の音が響く。そして微笑みを湛える神父に促され、リュカとビアンカは後ろを向く。彼ら二人を見守っていた参列者の顔には皆祝福の色が浮かび、二人を見送る拍手が捧げられる。
最前列に立つヘンリーと目が合うと、彼が歯を見せて笑うのが分かった。ヘンリーの隣ではマリアがそっと目尻を拭っている。
「おめでとう! リュカ! 幸せにな!」
サラボナの教会に、ヘンリーの大きな声が響いた。親友の一言が、リュカの心を揺さぶる。たとえ神様に直接祝福の言葉をもらっても、ヘンリーの心からの言葉には及ばない。
「うん! 僕、幸せになるよ!」
リュカが同じように大きな声で応えると、それから教会内には拍手と共に祝福の言葉が飛び交った。ヘンリーたちと対になるように席に立つルドマンは満足そうに微笑んで拍手をし、ルドマンのすぐ後ろの席に立つフローラも『リュカさん、ビアンカさん、どうぞお幸せに!』と、普段の彼女からは想像できない大きな声で二人を祝福する。ビアンカはそんな彼女に『ありがとう! フローラさんも絶対に幸せになって!』と応援の言葉を返す。リュカの知らない内に、ビアンカとフローラの間には既に女友達という関係が出来上がっている雰囲気があった。
新しく夫婦となった二人に、町の人々からの祝福も惜しみなく注がれる。リュカはそれまで結婚式というものを知らず、前日にその儀式の段取りを教えてもらっただけだった。しかし今、結婚式の本当の意味を知ったような気がした。結婚して夫婦になることを、神に誓うのではない。周りにいる大事な人たちに知ってもらい、誓うことなのだ。
リュカは閉じられている教会の扉の前でビアンカと振り返り、再び参列者の顔を広く見渡す。揃って深々と頭を下げ、参列者たちに礼の意を表す。そして、リュカは隣にいるビアンカと目を合わせると、二人は同時に笑った。
「一緒に幸せになろう」
「これからもずっと……ね!」
そう言うと、リュカとビアンカは開かれた教会の扉から、光の満ちる場所へと歩き始めた。

Comment

  1. YORI より:

    感動して涙が出てきました。

    目に浮かんでくるのは、ドラクエ画面の結婚式のシーンに
    なぜかところどころで、ヘンリーのはちきれんばかりの笑顔や
    その傍らで、うれしそうに感激するマリア。
    祝福を惜しまないフローラのさわやかな笑顔が
    マンガやドラマのようにカットインして
    私の頭の中で、現実に起きている結婚式のように
    進行する絵が浮かんできました。
    毎度のことながら、bibiさんの文才、表現力には感動するばかりです。
    素晴らしい作品を読ませていただけることに感謝します。

    誠に勝手ながらですが
    この結婚式後に、ピエールやマーリン、ガンドフに
    この感動をいかに伝えるのかをものすごく期待感を持って
    しまう自分がおります。
    ビアンカが入って、冒険道中がどんな風になるか
    楽しみに次回更新を待ってますね

    • bibi より:

      YORI 様

      コメントをありがとうございます。
      感動していただけましたか。作者冥利に尽きます。
      結婚式のイベントはゲーム内ではさーっと通り過ぎる程度で、前々から話を膨らませたいところだなぁと思っていたので、こうしてお届けできて良かったです。
      まだまだ書き足りないので、披露宴の話へと移る予定ですが……そこではヘンリーやマリア、フローラともっと話をしてもらうつもりです。まだあらすじも書いていませんが……^^;
      仲間の魔物たちにはまず人間の結婚式というものは……の説明から必要になるかな。いずれにせよ、魔物の仲間たちとも絡みを持たせる予定です。どんな形になるかはわかりませんが。
      さて、また次回更新までは時間がかかりますので、首を長くしてお待ちくださいませm(_ _)m

  2. ケアル より:

    ビビ様!
    その節はありがとうございました。
    「結婚式」読ませて頂きました。
    いやぁ、さすがはビビ様ですね(笑み)
    文才能力に頭が上がりません。
    ヘンリーとの掛け合い良いですねぇ、親分は子分の幸せを1番に考えてるのが、ひしひしと伝わります。
    ただ、ビビ様も書いてたとおり…ヘンリーとのことをビアンカにどう話をするのか…目が離せない描写です!
    ビアンカのことだから、怒るか笑うか…。
    ビアンカってビビ様の中では、どこかこう…ツンデレなのは間違いないんですが、お姉さんだから、精神的にも強くいないといけない気持ちはあるけど、やっぱり女の子なんだよっていうイメージなんですね。
    ビアンカのしぐさが、可愛らしくて、読んでるこっちが照れ笑いしちゃいます(笑み)
    今回のお話は、さすがにビビ様も気合いの入れ方が違うと見えて、少しばかり長編になっていますよね?
    このあたりは二次創作の醍醐味!
    次回昨も楽しみにしておりますよビビ先生(礼)

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      この結婚式は、リュカの周りの人たちが一堂に会する貴重な機会なので、ちょっと力が入りました。
      次回作では色々な組み合わせでの会話を考えています。ビアンカとヘンリーは……事情が事情だけにちょっとシリアスになりそうです。
      ビアンカの仕草に照れ笑いしてくださいましたか。良かったです。こちらの思惑通りです。ふふふ。
      それと、この度はどうもご迷惑をおかけしました。また何かございましたらいつでもご連絡くださいませ。
      今後ともよろしくお願いいたしますm(_ _)m

  3. まゆげ より:

    初めまして。数日前に発見し、それから一気に読ませていただきました。
    物語はゲーム版そのままでありながら、変更点や脚色も納得でき、更に読みごたえのある物に仕上がっている。感動しました。なんというか、自分の思い描いていた5がそのまま小説になったような感じでした。
    残念ながら私はまだ結婚したことがないのですが、今回の結婚式の話はなんだか自分が結婚するかのような気分で読んでいました。嬉しさとドキドキの心理描写が丁寧で、私も話を読むにつれドキドキしてきました(笑)。
    次の話は披露宴になるときいて今から楽しみです。何となくヘンリーとビアンカの会話がどうなるのかとか考えてみたり。するのかは分かりませんが。それにしてもビアンカ可愛かったです。
    稚拙な文章ですいません。勝手ながら、これからめいっぱい応援させていただきます。続きを楽しみにしています。

    • bibi より:

      まゆげ 様

      初めまして。コメントをどうもありがとうございます。
      一気読み、お疲れ様です。ご納得いただける作品が書けているようで、安心しました。私自身も、ゲームそのものの世界観は崩したくないと思いつつも、ゲーム内で止まらない想像を二次創作に表してみたいと、こうして拙い小説を書き進めている次第です。
      結婚式の様子については、私もかなり必死に想像して書いてみました(笑) 一応、当方既婚ですが、和装での式だったもので、まさかリュカとビアンカに和装させるわけにも行かず……。ドキドキしていただけて何よりです^^
      次のお話は披露宴、とは言っても、いわゆる披露宴ではなく、彼らの会話を書きたいと思っているので、「本日はお日柄も良く……」のような披露宴を想像してらしたらごめんなさい。リュカたちの色々な会話を書く予定なので、えーと、あまりご期待なさらず^^;
      続きのお話はまた先になりますので、のんびりとお待ちいただけましたら幸いです。今後ともよろしくお願いいたしますm(_ _)m

  4. LUCY より:

    はじめまして。ずっとこちらのサイトおじゃましているものです。素敵な主ビア文章で更新をいつも楽しみにしております。他のサイトさんは主ビア文章途中で更新ストップされてるのもあり、bibiさまには頑張ってほしくて初めてコメントいたしました。これからも素敵な主ビアをお願いいたします。

    • bibi より:

      LUCY 様

      初めまして。コメントをありがとうございます。
      主ビアを読みに当サイトへお越しいただいているのですね。どうもありがとうございます。
      ようやく結婚にまでこぎつけた(?)ので、これからは主ビア全開で書いていければと思っています。
      当サイトはかなり不定期かつ更新頻度も少ないサイトですが、最後までどうにか書き進められればと……。頑張ってまいりますので今後ともよろしくお願いいたしますm(_ _)m

  5. サーシャ より:

    コメント遅くなりました(汗)bibi様の文章…お話が素敵すぎて何度も読み返すうちに低速になってしまいコメントできなくなってしまいました(笑)
    いやー、今回もすごく面白かったです。リュカもビアンカもLOVE×02で見てるこっちが照れてしまってニヤニヤと…
    人が見ると危ない奴だったと思います笑

    結婚式、いいですねぇ^ ^
    私はまだ中学生なのでまだ先ですがもう今から憧れちゃいますよねー…
    リュカもビアンカもお幸せに♡
    …って自然に言いたくなるくらい素晴らしい結婚式だったんだろうな^ ^ 様子が頭に流れ込んできました。どんなのかなーって思い浮かべるのではなく、勝手に流れ込んでくる…そんな小説はここでしか読めません‼︎今更ですがありがとうございます^ ^ これからも面白いかつ感動するbibi様の作品を期待してます。頑張ってください!

    • bibi より:

      サーシャ 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      何度も読み返し……するうちに、色々とアラが見えてしまったのではないかと冷や冷やしております^^;
      楽しんでいただけて何よりです。次回作も楽しんでいただけるものを作れるよう頑張ります。
      結婚式、私自身、一応経験済ですが、経験する前までは「別に式なんて……」と思っていたのが事実。けど、挙げてみて思ったのは、やっぱり式は挙げて正解だったということ。結婚式というのは自分たちのために挙げるのではなくて、自分たちを支えてくれた人たちのために挙げるものなんだと、そう思いました。私の場合、神前式だったので、式に参列していただいたのは親族のみでしたが、何だか代々続いている系譜に自分も入ったんだと感じ入るものがありました。
      サーシャ様も将来、結婚の時を迎えたら、お式を挙げることをお勧めいたします。
      次のお話は披露宴、というか、祝宴の様子をお届けする予定です。またラブラブな彼らを書けたらと思っています(笑)

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