2017/12/03

巣立つ時

 

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山奥の小さな村に、暖かな陽光が降り注ぎ、山特有の涼やかな風が吹く。高床式のダンカンの家から南西方向に温泉の煙が上がる景色が見える。いつもは温泉客で賑わう村の宿も、今は人がほとんどおらず、代わりにダンカンの家の周りに人だかりができていた。
今から二時間ほど前、ビアンカがリュカを連れて村を出る際、その急ぎ足ぶりに眉をひそめた村人が二人に話しかけた。するとビアンカがいかにも楽しそうな表情で「父さんに花嫁姿を見てもらおうと思ってね」と話し、そのままリュカの手を引いて立ち去る後ろ姿を村人はぽかんと見つめていた。しかしどうにか話の内容を想像し、慌てて宿の女将や他の村人にもそのことを知らせに回り、話を聞いた村人たちは「どうやらこれから結婚式が行われるらしい」と、続々とダンカンの家に向かって集まり始めたということだった。
「どうしてこんな大げさなことになっちゃったのかしら……」
家の周りに聞こえる人々の賑やかな話し声に、ビアンカは困ったようにため息をついた。彼女の花嫁姿を仕上げる宿の女将は遠慮なく笑いながら花嫁の髪をまとめる。
「ちゃんとみんなに説明しないからだよ。楽しそうな顔をして『花嫁姿をみてもらうの』なんて言って、村に戻ってくるときには結婚式の衣裳を手にしてるなんて、誰だって勘違いするに決まってるさ」
「まさかまた村で式を挙げることになるなんてね。考えてみれば式を挙げるのはこれで三度目よ」
リュカとビアンカはサラボナの教会で式を挙げた後、祝宴の途中でヘンリーやマリア、フローラと祝宴の席を抜け出し、町の外で魔物の仲間たちとも結婚式の真似事のようなことをした。ビアンカの中では既に結婚式を二度経験したことになっている。
「三度目? なんだい、サラボナでは式を二度挙げることになってるのかい?」
「え? あ、いや、考えてみたらこれで二度目よね、うん、そうよ。あまりにも素晴らしい結婚式だったから、二度挙げたような気になってたわ。あはは」
まさか女将に魔物の仲間たちとも結婚式をしたのだということは説明できるはずがない。ビアンカは慌ててその場を取り繕うと、またすぐに窓の外に聞こえる人々の楽し気な話し声に耳を傾け、今度は笑みを見せる。
「でも、みんながこうして集まってくれるなんて嬉しいわ」
「そりゃそうだよ。村のみんなが大事にしている娘が結婚式を挙げるって聞いて、祝いに来ない村人はいないよ。ま、サラボナでしてもらったような豪華な式は挙げられないだろうけど、あんたを祝う気持ちは負けちゃいないからね。たっぷりみんなにお祝いされて、幸せにおなり」
「ありがとう、おばさん」
母を亡くしたビアンカにとって、宿の女将はどこか母のような存在だった。アルカパの町で宿を営んでいたからか、山奥の村で宿を営む彼女にはこの村に移り住んでからすぐに親しみを覚えた。生前の母も親しくしており、よく母と共に宿へ行って手伝いをしていたものだ。母が亡くなってからも、ビアンカはよく一人で宿に来てはその手伝いをしていた。宿の女将といると、母を亡くした悲しみが和らぐような気がして、ビアンカは自分の気持ちを落ち着かせるためにも、宿での仕事を率先して手伝うことが多かった。
「私にできる花嫁準備はこれくらいだね。なんてったって久しぶりだからね、村で結婚式を挙げるのは」
「結婚式って言っても、ただ衣裳を着てみんなの前に出るだけでしょう?」
「何を言ってるんだい。しっかり準備はできてるさ。神父見習いも呼んで、ここでしっかりと式を挙げてもらうつもりだよ」
「ええっ? そんなこと聞いてないわよ」
目を丸くして驚くビアンカに、女将は楽し気な顔で彼女の肩をポンと叩く。ハーフアップで上げた髪をゆるく編みこみ、後ろには少々癖のある長い髪がそのまま背中に下ろされている。編みこんだ髪に白い花があしらわれ、村の雰囲気にあった温かい印象の花嫁が出来上がり、女将は満足そうに頷いた。
「サラボナの町で挙げたような立派なお式じゃあないかも知れないけど、村のみんなもあんたたちを心からお祝いしたいんだよ。この村を出る前に、みんなの気持ちに応えておやり」
女将に言葉の温かさに、ビアンカは驚いていた表情から、次第に目を潤ませる。
アルカパの町からはるばるこの村に引っ越してきた時、ビアンカはどうしてもアルカパの町での思い出に引きずられ、この山奥の村が好きになれなかった。元来、好奇心旺盛な彼女にとって、山奥の村の生活はあまりにも平穏で、変化がないように感じられたのだ。アルカパの隣村サンタローズが滅ぼされたことにも心が傷つき、パパスやリュカ、サンチョの行方も知れないと大人たちが話しているのを聞いて、ビアンカはアルカパの町を離れたくないと真剣に思っていた。ビアンカには彼らが死んでしまったことなど信じられなかった。いつかはあのサンタローズに戻ってくるはずだと信じ、アルカパの町で彼らの帰りを待ちたかった。
しかし子供であるビアンカが家の事情を左右できるわけもなく、ダンカン一家は長旅を経て山奥の村に移り住んだ。内心、嫌でたまらなかった引っ越しだが、父や母を悲しませたくないため、表面上は明るく振舞っていた。
山奥の村の景色を眺めるたびに、ビアンカはアルカパやサンタローズの村の山の景色を思い出していた。アルカパやサンタローズは穏やかな弧を描くような山の景色だが、この山奥の村の山々は峻険で、眺める限りは人々を寄せ付けない雰囲気が漂う。異なる山々の景色でも、ビアンカはアルカパの町やサンタローズの村を思いを馳せ、故郷の土地のことを考えため息をついていた。
しかし人を寄せ付けない雰囲気の村に住む村人たちは、外からやってきた人間に対してとても好意的だった。旅人もよく訪れる湯治場でもある村に住む人々は、ダンカンの療養のため引っ越してきた彼らに、初めからとても良くしてくれた。持ちつ持たれつがモットーのこの村では、互いに思いやりを持って接することが常で、引っ越してきたばかりのダンカン一家にもすぐに村を案内してくれ、住む家についてもその日のうちに手配してくれた。ダンカンがアルカパの町で宿業を営んでいたことを話すと、村の宿の女将ともすぐに打ち解けた。女将はまだ幼いビアンカにも親し気に話しかけ、その時からまるで自分の娘のように可愛がってくれた。
アルカパやサンタローズに置き去りにしてきたと思っていた自分の心が、徐々にこの山奥の村に染まるのがビアンカには分かった。初めはその事実に後ろめたさを感じたりもしたが、山奥の村の人々には少しの悪意もなく、ただただ親切にしてくれる彼らの人柄を見ているうちに、ビアンカは意固地になってこの村を嫌いになることもないと、村人たちとも少しずつ本音で話しかけられるようになっていった。
それが今では、村全体が家族のごとく、親しく深い絆で結ばれているのを感じる。家の外では村人たちがこぞってビアンカとリュカの結婚を祝おうと、がやがやと賑わっている。温かな村人たちの想いに、ビアンカは思わず目尻を拭う。
「あらあら、せっかくお化粧をしたってのに、まだ泣くなんて早いよ」
「ごめんなさい。でも……嬉しくて」
「嬉しいのはみんな一緒さ。嬉しいことはみんなで分け合って、もっと嬉しくならないとね。結婚の誓いにそんな文句もあるだろう?」
「そうね、確かそうだったわ」
ビアンカの目尻に残る涙の痕を、女将が再び化粧の粉をはたいて消した。するとビアンカも気持ちが改まるのを感じ、今度は笑顔を見せることができた。
「そうそう、花嫁さんには笑顔が似合うよ。さあ、ヴェールを被ったらダンカンさんを呼ぼうか」
「はい、お願いします」
ビアンカが微笑みながら返事をすると、宿の女将は壁にかけられていたシルクのヴェールを手にしてビアンカの頭に静かに被せた。視界が白く霧のかかったような景色になり、ビアンカは現実世界から少し遠ざかったような気分になる。ルドマンの屋敷で花嫁衣裳を着せてもらった時のことを思い出し、その時と同じような感情であって、その時とはまた違う感情が込み上げて来て、ビアンカは再び目に涙が浮かぶのを抑えられなかった。



「こうしてちゃんとした服を着ると、リュカも成長したんだなぁと思ってしまうよ」
「そうですか? 僕はまだまだ子供ですよ、きっと」
「いやいや、そんなことはないさ。今のリュカを見ていると、昔のパパスを思い出すよ。どことなく似てきたんじゃないか?」
ダンカンにそう言われ、リュカは思いがけない高揚感を得た。リュカにとって、憧れの父に似ていると言われるほどの褒め言葉はない。幼い頃、サンタローズの村に父とサンチョと共に住んでいた時、サンチョには母に似ていると言われたことがあった。見も知らぬ母に似ていると言われても、リュカにとっては嬉しいという感情が芽生えなかった。それよりもずっと傍にいる、強く逞しく勇ましい父に似ていると言われることの方がよっぽど嬉しかった。子供の頃から持ち続けるそんな感情をダンカンにくすぐられ、リュカは思わず近くにあった鏡で自分の姿をちらっと確認していた。
リュカはダンカンの家の居間で、花嫁の支度を他の村人たちと共に待っていた。広い居間には既に多くの村人たちが入っており、彼らは互いに話をしながら、今か今かと花嫁の登場を待っていた。家の中に村人たちが入りきるわけもなく、家の周りにも祝福に来ている村人たちが多くいる。村人ではないリュカにも気さくに話しかけ、祝福の言葉をかけるやら、村の大事な娘を奪う旅人に多少の重圧をかけるような言葉を浴びせるやら、様々な言葉を新郎のリュカに向けていた。しかしそのどれもが温かみの感じられるもので、リュカはこの村の人々に改めて感謝する思いだった。
村人たちで賑わう居間の中を、一人の青年がリュカのところへ向かって歩いてくる。リュカはその姿を目にすると、真剣な表情で迎えた。ダンカンも青年の姿に気づくと、椅子に座りながらにこやかに手を振る。
「ダンカンさん、何だかいつもより具合も良さそうで安心しただ」
「娘の結婚式なんだ。父親として元気でいてやらんと、格好もつかんだろ」
「しっかしびっくりしただよ。急にビアンカちゃんの結婚式をするだなんて聞いたもんだから」
「娘はそんなつもりじゃなかったらしいがな。しかしまあ、ありがたい話だ。こうして村の人たちに祝ってもらえるんだからな」
「ビアンカちゃんが結婚するのに祝わない村人がいるわけねえべ。みんなで精いっぱい祝ってやるべよ」
青年は普段からダンカンのところに野菜や果物を持って来たり、ビアンカが旅に出ている間は宿の女将や他の村人たちとも一緒にダンカンの身の回りの世話も引き受けていた。ビアンカが旅に出てからしばらくは無理して元気にしている雰囲気のあったダンカンだが、今はいつもの部屋着ではなくよろず屋に借りた正装に身を包み、椅子に座る背筋もしゃんと伸び、心から元気を取り戻しているように見える。その大きな要因が、ダンカンの隣にいるリュカなのだと、青年は改めてリュカという人物をじっと見つめる。青年の視線を受け、リュカはかける言葉もなく、ただ黙ってその視線を受けていた。
「あんたには……覚悟があったんだな」
青年の言葉の真意が分からず、リュカは黙ったまま微かに眉をひそめる。青年はふっと笑い、自嘲するような雰囲気を見せて話し出す。
「オラにはあんたみたいな覚悟がなかっただ。ビアンカちゃんの人生を引き受ける覚悟が……」
それはずっとビアンカに想いを寄せていた青年の告白だった。以前、リュカがシルクのヴェールを取りに山奥の村を訪れた時、青年は自身のことをビアンカの兄のようなものなのだとリュカに伝えていた。青年のその言葉にもビアンカへの想いが現れ、決して隠しきれるものではなかったが、今はその想いを素直にリュカに話していた。
「ビアンカちゃんはきっと、あんたみたいな旅人さんに連れて行ってもらうのを待ってただ。あの娘にはどうにも、この山深い村で一生を終えるなんて似合わねえ」
青年の言葉にリュカは共感できるものがあった。サンタローズの家でビアンカと会った時、彼女はいかにもサンタローズの村には似合わない子だと感じた。のんびりした村の雰囲気と彼女がまとう雰囲気とでは、時間の流れが違っていた。彼女と彼女の母親、そして父パパスと共にアルカパの町に向かう途中のビアンカの水色の瞳は、サンタローズの村にいた時に比べて数段輝いていた。それと言うのも、彼女が根っからの冒険好きで、外の世界に憧れ、見るもの触れるもの全てを全身で感じ取り、これ以上楽しいことはないというように村から町への短い冒険を楽しんでいたからだ。
彼女の言ったことがきっかけで行くことになった夜のレヌール城への冒険でも、内心お化けを怖がっていたようだったが、それ以上に外に出られたことを喜んでいるようだった。本当に怖いだけだったら、途中で冒険を止めて好きな時に町に戻ることができたはずだ。リュカが何と言おうと、リュカの言うことなど気にせずに自分の思ったことをする強引さが、当時の彼女にはあった。しかしそうしなかったのは、レヌール城での冒険が楽しかったことと、レヌール城主だったエリックとソフィアに悪いお化けを追い出してほしいと頼まれたからだ。責任感の強い彼女は、人に頼まれたことを放り出すことができなかったのだろう。リュカもお化け退治をするのに賛成したが、リュカの思うこととビアンカの思うことは意味合いが違っていた。リュカは「お化けを退治したらここの人たちがゆっくり寝られる」と思い、ビアンカは「悪いお化けなんて許せない!」と思っていた。ビアンカの方がより正義感の強い思いを抱いていた。
それゆえに、彼女はこの山奥の村での父との生活に何の文句も言わず、静かに暮らしていた。責任感の強い彼女にとって、身体の弱い父の世話をすることは至って普通のことで、そこに苦はなかったはずだ。ダンカンとビアンカの今の関係を見ていれば、それは自ずと分かることだ。しかしビアンカが内包する思いがそれだけではなかったことを、父のダンカンも、そしてこの目の前の青年も気づいていた。
ビアンカはこの山奥の村に越してきてからも、ちょくちょく外に出ては歩き回っていたらしい。それと言うのも、彼女の内側に潜む冒険心、好奇心が彼女を大人しく村に留めておかなかったに違いない。彼女が生まれながらに持つ強い冒険心は知らず彼女の目を村の外へと向けてしまう。そのことにダンカンはもちろんのこと、彼女に想いを寄せ続けていた村の青年も気づかないはずはなかった。
「見かけによらず、腕っぷしも強いらしいしな。あんたならビアンカちゃんを任せても安心だべ」
青年はしっかりとリュカと目を合わせて話していた。その表情は以前村で話した時よりもずっと晴れやかで、清々しさを感じられるものだった。リュカは青年の強い覚悟に感謝する気持ちで右手を差し出した。すると青年も迷いなく右手を差し出し、リュカの手を固く握った。リュカは青年の野良仕事や荷運びの仕事などで分厚くなった手に独特の力強さを感じ、青年はリュカの旅慣れた見かけによらず大きな手に信頼を感じた。
その時、ビアンカの部屋からダンカンを呼ぶ宿屋の女将の声が聞こえ、中で談笑している村人たちが一斉にそちらを振り向いた。リュカに支えられながらゆっくりと立ち上がるダンカンが、部屋の奥から現れたビアンカと目が合うと、ダンカンはその場でしばらく立ち尽くしてしまった。
部屋にいる村人たちの間から歓声が上がり、その中をウェディングドレスに身を包んだビアンカが静々と歩いてくる。サラボナで挙げた式の時のような華やかさはないが、山奥の村の雰囲気にあった柔らかい空気がビアンカを包んでいた。長年時を共にしてきた村人の前でどういう顔をしたら良いのか分からない様子のビアンカに、リュカは一人微笑んでいた。
教会の式ではないが、ダンカン宅の居間を教会に見立て、神父役の若者が聖書を片手に準備を整えている。新郎は神父のところへと、青年が代わりにダンカンを支え、ビアンカのところへ連れていく。ダンカンは放心したような表情でじっと娘の姿を見ている。そんな父の視線に、ビアンカはヴェールの下から「ちょっと、父さん、しっかりしてよ」といつもの雰囲気で声をかける。
「どこの天女様が現れたのかと思ったよ」
真剣なようでどこか茶化すような父の言葉に、ビアンカは茶化す雰囲気で乗じる。
「私だってやる時はやるのよ。一応、形にはなってるでしょ? まあ、このドレスやお化粧のおかげだけどね」
「そんなことはねえべ。とーってもキレイだ、ビアンカちゃん」
「あら、ありがとう。そう言ってもらえるともう一度着た甲斐があるってもんね」
白く輝くビアンカの姿に、青年は改めて自分にはこの娘の人生を引き受ける覚悟がなかったことを自覚した。同じ世界に住む人間には思えないのだと、この時はっきりと分かった気がした。
「父さん、ヴァージンロードを歩ける?」
「それくらい訳はないさ。一生に一度の娘の晴れ舞台、たとえここで死んでもやりきるよ」
「ちょっと、縁起でもないこと言わないでよ」
「平気だよ。私が死にそうになったら、あっちから母さんが追い返してくれるだろう。『まだこっちに来んのは早いよ!』ってな」
「それもそうね。母さんの鬼の形相に会ったら、とても死んでなんかいられないわよ」
そう言いながら笑い合う父と娘の姿を見て、リュカは二人のことを羨ましく感じた。互いに軽口を叩き、本心を見せまいとしても、実は互いに気づき、そして気づかないふりをする。その上で通じ合っているという深い絆に結ばれた関係性に、リュカはどうしようもない憧れを抱く。それは幼い頃に絶たれてしまった父パパスとの関係に、全く記憶にない母との関係に重なり、尚更憧れが強くなる。
しばらくしてからダンカン宅でささやかな結婚式が始まった。部屋の中はしんと静まり返り、ただ床の上を歩くビアンカとダンカンの足音だけが響く。ビアンカは父の腕に手をかけて歩きながら、少し丸くなってしまった父の背中を斜め後ろからじっと見つめる。ごく短い距離だが、ビアンカにはこの時間がまるで止まっているかのように、父の後ろ姿が目に焼き付いていた。すっかり見慣れたはずの父の姿が、今はまるで違うもののように見える。しかし自分の傍にはいつでもこの姿があった。母に比べて頼りないなどと幾度となくふざけて言ったりもしたが、父はどんな時でも自分のことを見守ってくれていた。何をしても怒鳴りつけて怒るようなことはなく、ただ穏やかに見守ってくれていた。そして今も、リュカのところへ行こうとする自分を、丸くなった背中で見守ってくれているのだろう。幼い頃からの様々なことが頭をよぎり、ビアンカはヴェールの陰で目を潤ませていた。
母を失った時、泣きじゃくるビアンカの隣で父が「すまない」と呟いたことがあった。母は病気で死んでしまい、それは誰にもどうすることもできなかった。ただただ神様が早くに迎えに来てしまったのだと思うしかなかった。どうにも抗えない現実に対し、父が謝る言葉は、ビアンカにとってこれ以上ない愛情の言葉に感じられた。父が自分のことを大事に思っているからそんな言葉が零れて来たのだと感じた。父自身、母を失ってどれだけ辛い思いをしたか、計り知れない。ビアンカがこっそりとあこがれる仲良し夫婦。それにも関わらず、自身の酷く辛い気持ちは押し込めて、血の繋がりもない娘のビアンカに「すまない」と謝るその言葉は、ビアンカにとって忘れられない愛情の言葉となった。
少し丸くなり、小さくも見える父の背中だが、その背中に今までどれだけのものを背負ってきたのか。そう考えるだけで、ビアンカはまだ父のことをほとんど何も知らないのだろうと気づかされる。四六時中、一緒に生活をして、何でも知っているような気になっていたが、果たして父の何を知っているのだろうかと、考えてみると何も思い浮かばない。それだけ父は自分のことはさて置いて、第一に娘のことをと、今まで生きて支えてくれていたのだ。
ダンカン宅の居間に作られたヴァージンロードはほんのちょっとした距離で、すぐ前にはリュカが穏やかな顔をして花嫁を待っている。彼の穏やかさは、どこか父と似ているところがあるのかも知れないと、ふとビアンカは思い、笑顔になった瞬間に目から涙が零れた。
父の腕にかけていた手を外す時、ビアンカはヴェールの下からぽつりと呟いた。
「父さん、ありがとう」
娘の言葉を聞いたダンカンがゆっくりと振り向く。その目にも涙が浮かぶ。
「こちらこそ、生まれてきてくれてありがとう」
ダンカンにとって、ビアンカは自慢の娘だった。血の繋がりなど関係なく、誰よりも何よりも自慢の娘だった。アルパカで小さな宿屋を営んでいたころ、なかなか子を授からないダンカン夫妻のもとへ運ばれた小さく愛らしい、元気な泣き声の女の子。赤ん坊のビアンカを見つけた時、まるで赤ん坊が光り輝いているかのように見えた。こんなに愛らしい赤ん坊を捨てる親などいるものかと、しばらくダンカン夫妻で面倒を見て、女の子の親が現れたら説教の一つでもして返してやろうと思っていた。しかし女の子の親はその後も現れず、いつしか女の子は「ビアンカ」と名付けられ、ダンカン夫妻の下で大事に育てられた。
ビアンカの外見はダンカン夫妻のどちらにも似ておらず、そのことで町の一部の子供たちからは「捨て子だ」と心無い言葉をかけられたりもした。しかしビアンカはそんな言葉に負ける少女ではなく、むしろ父母がいかに自分を大事にしてくれているかを自慢し、いじめようとしてくる子供たちを言い負かしたりもした。勝ち気な性格は母親に似たのかねと、ダンカンは妻と笑ったりしたこともあった。
アルカパで宿屋を営んでいる時も、山奥の村に引っ越してきてからも、ビアンカはビアンカであり続けた。村に越してきてからしばらくは塞ぎ込む日もあったが、塞ぎ込んでいても仕方ないと自身で気づき、早々に村の生活に馴染もうと自ら村人たちとの交流を始めた。頭の回転が速く、ダンカンが言おうとすることなどその三歩手前くらいで気づいて先に言ってしまったりと、ダンカンは言葉の応酬で娘に勝った試しがない。勝とうと思ったこともないが、それ以上に元気に言葉をかけてくる娘の成長した姿を見ているだけで、ダンカンは幸せを感じていた。
妻を失った時の娘の落ち込みようは酷く、ダンカンはかける言葉を失っていた。ただ、娘の前で涙だけは見せまいと、娘が泣きつかれて眠ってしまった後に、一人こっそりと妻を思い、涙したこともあった。必死に娘の前で笑顔を見せていたため、娘からは「父さんは薄情だ」などと責められたりもした。それでもダンカンは娘の前では笑顔でいたかった。
しかし今は、堪え切れない涙が落ちる。娘が嫁に行き、自分のもとを離れる。もちろん、寂しさや辛さ、これからの孤独に耐えられるだろうかと言う不安がないわけではない。だが今流れ落ちる涙はそんな感情から出るものではない。娘を信頼する青年に任せることができた、娘が自らの幸せをつかむために旅立とうとしている、二人が幸せに共に歩む姿を想像できる。娘が幸せな人生を歩もうとしている今の姿を、亡き妻の墓前に報告できると、ダンカンは親としての責務を果たした安堵感に涙しているのかも知れないと、心のどこかで感じていた。
ヴェールの下で娘のビアンカも涙しているのが分かる。ダンカンはそんな娘の前で泣き顔を見せている場合ではないと、必死にいつもの笑顔を作り、腕にかけられていた手をそっと外した。そして肌触りの良い白手袋の上から娘の手を一度両手で包み込むと、その手をリュカに託した。見ればリュカも目に涙を浮かべている様子だった。しかしリュカは年齢に見合わない落ち着いた穏やかな笑みを見せると、ダンカンからビアンカの手を受け取った。
「おじさん、本当にありがとう」
小さな声で感謝の気持ちを伝えるリュカに、ダンカンは涙目のまま笑って答える。
「おじさんじゃなくて、お父さんだ。パパスに甘えられなかった分、私に頼りなさい。まあ、大したことはできないだろうがな」
ダンカンの言葉を聞いた途端、リュカの顔が歪み、一気に涙が溢れ出した。そんなリュカの顔を見て、ダンカンは彼がどれだけの苦労を重ねて来たか、どれだけの孤独を抱えて来たかを知った。常に穏やかな雰囲気を持つリュカだが、それは抱える重苦しいものを見せないためのヴェールなのだとダンカンは気づく。そのヴェールを少しだけでもはがせたことに、ダンカンはリュカの父としての役目をほんの少し果たせたのだろうかと感じていた。
ビアンカの手がリュカの腕を取る。そして二人で足並みを揃え、神父役の村の青年に向かって歩き出す。ダンカンはそんな二人の後ろ姿を見ながら、二人が幸せに包まれますようにと、頭を垂れて心の中で祈りを捧げた。



「お義父さん、お話があります」
真剣な表情で話しかけてきたリュカに、ダンカンはほろ酔い気分でほんのり赤く染まる顔を向ける。
「どうしたんだ、改まって。なんだ、ビアンカにもう嫌気がさして私に返すつもりじゃないだろうなぁ」
「何言ってるのよ、父さん。冗談でもそんなこと言わないでよね」
ビアンカが真面目に言い返す姿に、ダンカンは気分よく笑っている。
ダンカン宅の庭を使い、結婚式後のパーティーを開いていた。村人たちも大勢参加し、庭は多くの人たちでごった返していた。ビアンカが明日には村を出て、再び旅に出るということで、彼女を送り出す意味も兼ね、村人たちはビアンカのところにひっきりなしに来ては彼女の無事を祈って別れの挨拶をしていった。ひと通り村人たちとの挨拶も済ませ、ビアンカの身が解放されると、リュカはビアンカと共に改めて話をしようとダンカンのところへやってきたのだ。
「冗談でこんなことが言えるわけないだろう。私は至って真面目に言ってるんだよ」
「じゃあ尚更タチが悪いわよ。真面目にそんなことを言わないでちょうだい」
「大事な話なんです。ちょっと村の外まで一緒に来てもらってもいいですか? 僕たちの旅の仲間に会って欲しいんです」
リュカにそう言われ、ダンカンはそう言えばと、リュカとビアンカが旅をしていた時のことを詳しく聞いていないと気づいた。パパスの息子であるリュカにすっかり信頼を置いているため、ダンカンは旅の安全については彼に任せきりだ。リュカとビアンカ二人で旅をしているのかと思っていたダンカンは、他にも仲間がいるということに素直に驚きを示す。
「なんだ、仲間がいるならどうして村に一緒に来てもらわなかったんだ。一緒に祝ってもらって、一緒にここで食事をすればいいだろう」
「そういうわけにはいかない仲間なんです。ちょっと訳があって……」
「とにかく一緒に来てよ。みんなとてもいい子たちだから、きっと父さんも気に入ってくれるはずよ」
ビアンカの言い方がまるで子供を言うような言葉で、ダンカンは思わず首を傾げる。はて、もう二人の間に子供が授かったのだろうかと、ダンカンは複雑な気分に陥る。
二人に言われるがまま庭を後にし、会う村人たちには軽く挨拶をして村の出口に向かった。日はとうに傾き、村には柔らかい夕日が差し込み始めていた。二人はダンカンの歩みに合わせ、三人は取り留めもない話をしながら村の出口へとゆっくり歩いて行った。
「そう言えば村から出るのは何年ぶりかなぁ」
ダンカンはそう言いながら、村に越してきた時のことを思い出していた。引っ越してきた頃はアルカパからの長旅をしてきたこともあり、外に出る自信がまだあり、ビアンカと共に村の外に出て気ままに散歩を楽しむ余裕もあった。その度に妻には叱られたが、それも楽しい人生の一部だった。しかし妻を亡くしてからは心の余裕を失い、村の温泉に向かうのがせいぜいだった。村人たちは誰もかれも親切で、家で療養するダンカンの世話を焼き、妻を亡くしたダンカンを労り、特別生活に困る状況には陥らなかった。そんな村人たちの親切に甘えれば甘えるほど、ダンカンは生気を失う自分に気づいた。生きているのではなく、生かされているという感覚に、ダンカンは自分の足で立つ力を徐々に失っていった。
しっかり者の娘に頼ってきたことも、己の力を弱めていたのだと、ダンカンは気づいていた。そんな娘が信頼できる青年の嫁となり、この家を、村を出ていく。これからの幸せを感じて、自然と笑顔で話すビアンカに、これからの娘の幸せを邪魔しないように自分も村で元気に暮らしていかなければならないと、そっと決意していた。
村を出るや否や、空に魔物の影が現れたことに、ダンカンは咄嗟に二人の前に立とうとした。しかし久しぶりに村の外までの距離を歩いたことで足が疲れており、ふらついたところをリュカに支えられた。リュカの腕につかまりながらもダンカンは二人を守ろうと懸命に立ち続ける。そんなダンカンの姿に、リュカは思わず鼻の奥がツンとなるのを感じた。
「おじさん、大丈夫です。あの魔物は僕の仲間なんです」
「メッキー、みんなはどこ?」
「キッキー。キー」
「あ、ホントだ。リュカ、あそこにいるわ」
「行こう。おじさん、僕の背中に」
村の外に出ると、道とは呼べないような山道があるだけだ。今のダンカンには歩くのも困難な場所だろうと、リュカはダンカンを負ぶい、魔物の仲間たちが待つ馬車へと向かう。
「一体何のことだ? あの魔物が仲間だって?」
「そうなんです。旅の途中で魔物たちが僕の仲間になってくれて、それからずっと魔物の仲間たちと旅を続けているんです」
リュカが説明する言葉も、普通の人間の生活を送ってきたダンカンには容易には理解できない。魔物は人間の敵で、魔物から身を守るためにもこうして村のような集落をつくって人々は暮らしているのだ。
リュカたちが旅に使う馬車の周りには、ダンカンが見たことのある魔物や、遭遇したことのない魔物の姿が何体かある。そのすべてがリュカとビアンカに敵意の眼差しではなく、信頼のおける仲間としての視線を送っている。そんな現実に直面し、ダンカンはリュカの背中に負ぶわれながら、恐怖心は生まれずにただ驚きの目で魔物たちを眺めた。
「みんな、この方がビアンカのお父さんのダンカンさんだよ」
「さっき結婚式の衣裳を取りに戻った時、少し話しておいたわよね。旅に出る前に紹介しておきたいって」
リュカとビアンカがそう言うと、魔物の仲間たちは一様にリュカの背中に負ぶわれている中年の男性を物珍しそうに見つめた。魔物たちから一斉に視線を向けられるダンカンは、普通であれば恐怖を感じるところだが、一切の恐怖を感じなかった。むしろ普段では見られない魔物の生活の一部を垣間見たようで、楽しい気分にさえなった。
リュカが順に魔物の仲間たちを紹介する。スラりんを手の上に乗せてみたり、ピエールが普通に人間の言葉を話すことに驚いたり、一見人間のように見えるマーリンに親しみを覚えたり、熊のような巨体の割につぶらな一つ目を細めて笑うガンドフに笑みを返したり、道具屋にあるキメラの翼の不思議をメッキーの羽根に見たりと、目まぐるしくリュカの魔物の仲間たちを見ていった。しかしその中で、ひと際恐ろしい存在のキラーパンサーだけは初め、自ら近づこうとはしなかった。
「父さん、この子に見覚えはない?」
「な、何を言ってるんだ。私にキラーパンサーの知り合いがいるわけがないだろう」
「この子、プックルよ。ほら、私とリュカでレヌール城に行ってお化け退治をして、助けた猫ちゃん。覚えてないかしら?」
ビアンカがそう言いながら恐ろしい外見のキラーパンサーの頭を至って普通に撫でている。ダンカンはそんな娘の無謀を止めたかったが、娘の言葉にアルカパの町にいた頃のことを思い出す。娘のお転婆な行動には慣れていたダンカンだったが、さすがに夜な夜な町を抜け出してレヌール城のお化け退治に行ったことははっきりと覚えていた。無事に戻ってきたから良かったものの、もし何かあったらと考えると生きた心地がしなかった。子供二人で町の外に出るなど、考えられない非常識なことなのだ。さすがの娘もそこまでのことはしないだろうと思っていたが、リュカと言う心強い味方をつけて、意気揚々と町の外に出て行ってしまったのだ。
その後、ふとビアンカとリュカの後をついてきていたのが、猫にしては大きい生き物だった。ダンカンも妻も、二人の子供が連れているのはただの猫ではないと思っていた。パパスに至っては、それが魔物であることを知っていたのかも知れない。幸い、妻が猫を苦手としていたため、その猫を飼うことはなく、サンタローズの村に戻るパパスとリュカについて行ってしまった。そしてそれ以後、彼らと共に行方不明になった。
「やっぱり魔物だったんだな。そうだと思ったよ」
「がう」
「声もすっかり変わってしまったな。だがそれはリュカも同じか」
「そうですね。あ、でも僕とプックルじゃ迫力が違いますけどね」
「リュカは迫力には欠けるわよね~。でもそれだからこうしてみんな仲間になってくれたのかもね。迫力がなくて良かったじゃない、リュカ」
「……ビアンカは時々そうやって僕をいじめてる気がする」
「いじめるだなんて人聞きの悪い。リュカの良いところを褒めてあげてるのに。ねぇ、父さん」
「まあ……表現は色々とあるからな」
会話をする三人を見ながら、プックルがのっしのっしと近づいてくる。思わず身を引くダンカンだが、目の前まで来て頭を下げるプックルの姿に、まるで人間が会釈をして挨拶をするような雰囲気を感じ、ふっと笑ってしまった。プックルの赤い鬣に手を乗せて撫でると、そのごわついた固い感触に、初めて猛獣に等しい魔物を触った興奮を覚えた。純粋に心が高ぶる経験はいつぶりだろうかと、ダンカンはまるで少年の頃に戻ったような感覚を覚える。
「とても……心強い仲間たちだな。これ以上はないくらいに……」
ダンカンが眺めるリュカの仲間たちは皆、リュカを尊敬し、互いを信頼し、互いに背中を預けていられる関係性が築かれていた。これからも危険な旅が続き、そこに娘のビアンカも加わることになる。本心では娘を危険な旅に出すなどとんでもないと思っている。しかし娘の人生を決めつけてしまうような親にはなりたくない。娘はもう立派な大人だ。娘には自分の人生を選び取る自由があり、親はそれを見守る義務がある。
ダンカンは今一度、ビアンカ、リュカ、そして彼らを支え、共に旅をする魔物の仲間たちを見やる。そして彼らに向かって深く頭を下げた。
「みなさん、娘を、息子を、よろしくお願いします。これからもどうぞ、支えてやってください」
魔物の仲間と言う微塵も予想していなかった者たちと対面したダンカンだが、リュカとビアンカの二人旅ではないことに、そして人間の仲間ではないことに、むしろ安堵感が増したようだった。
「大丈夫よ、父さん。私たち、きっと楽しく旅を続けられるわ」
何よりも、娘の表情が明るく、輝いている。娘のビアンカはようやく開けた未来に向かって、これから突き進んでいくのだろう。そんな娘の姿を見られたことが、ダンカンには最も嬉しいことだった。
魔物の仲間たちとの話を終え、村に戻った三人は再びパーティーの場に加わる。そして日が沈むころになってようやく、二人の結婚を祝うパーティーはお開きになり、村人たちはそれぞれの家路につき、リュカとビアンカ、そしてダンカンは早々に家で休むことにした。



旅立ちの朝、山奥の村は深い霧に包まれていた。弱い雨も降り、村全体が別れの雨に濡れているようだと、リュカは窓の外に見える景色に思った。長年村人たちと共に過ごし、父ダンカンと寄り添いながら生きてきたビアンカが旅立つのだ。村全体が涙にくれるのも無理はないと、リュカは自分の責任の重さを今一度痛感し、唇をかみしめた。
「村の朝はね、雨が降ることが多いの。でもこの雨は村を出るころには止むと思うわ」
朝食の支度を済ませたビアンカが部屋に入ってきて、ベッドの脇のテーブルの上に水の入ったグラスを置きながらそう言った。
水のリングを探す旅についてきてからずっと山奥の村の家には戻らず、そしてサラボナの町で結婚式を挙げた。相当の期間、家から出ていたビアンカだが、まるで今までずっと家にいたかのように普段通りに朝食の支度を終え、今こうして一息つく余裕を見せる。それほど長い間、ビアンカはこの山奥の村で暮らし、人生の半分以上をこの村と共に生きてきた。
リュカには長年住み続けた故郷と言うものがない。リュカにはサンタローズと言う故郷に似た場所があるが、それも父の旅の途中でほんの一時期生活をしていたに過ぎない。最も長く同じ場所に居続けたのは、あのセントベレスの山の上での過酷な時だけだ。あれを故郷の思い出と呼べるわけもなく、ビアンカの故郷への思いと比べるなど問題外だ。
「リュカがそんな顔しないでよ」
いつの間にか顔を覗き込まれ、見上げられていたリュカは、ビアンカと目が合うと弱い笑みを見せる。そんなリュカの腕を力強くトントンと叩き、ビアンカは自然な笑顔を見せた。
「私ね、これからの旅を楽しみにしてるのよ。早くリュカのお母様にも会いたいし、会ったらちゃんとリュカのお嫁さんとしてご挨拶したいし、それに小さい頃から夢だった冒険の旅に出られるんだもの。こんなに嬉しいことはないわ。夢が一つ、叶うのよ。それってとても幸せなことだと思うの。誰もが夢を叶えられるわけじゃないのに、私はこんなにも早く夢が叶うんだもの」
早口に語るビアンカを見ていると、リュカは幼い頃のビアンカを思い出した。小さなビアンカも今のように早口で、楽しそうによく喋る女の子だった。リュカが話す何倍も喋り、そして喋る時は喜びも楽しさも、怒りでさえもどこか楽しい雰囲気を醸していた。今、目の前にいるビアンカは決して無理をして笑顔で話している風でもなく、心の底からこれからの旅を楽しみにしている様子が窺えた。彼女にとっては村への思いももちろんあるが、それとは別にこれからのリュカとの旅を心底楽しみにしている。
「それに、私が悲しい顔をしていたら、父さんだって不安になるだけだわ。だからリュカももっと楽しそうな顔をしてね。それとも、私が旅に加わって不安?」
「そんなことないよ。僕だって本当は嬉しいんだ。だってこれからずっとビアンカと一緒にいられるんだから」
相変わらずのリュカのストレートな物言いに思わずビアンカは顔を赤らめるが、リュカは至って真面目に話を続ける。
「それに実は、ビアンカのことも頼りにしてるしね。旅に連れ出すのに不安もあるけど、君が一緒にいてくれたら僕は……大丈夫でいられると思う」
「何よそれ、大丈夫でいられるって……普段は大丈夫じゃないみたいな言い方ね」
「自信がなくなる時があるんだよね。僕は今、ダメなんじゃないかなって」
そう言って再び黙り込むリュカを見て、ビアンカは彼に考える余地など与えないようにすかさず声をかける。
「私たち、夫婦になったんだもの。お互いのダメなところは補い合えるわ。父さんと母さんがそうしてきたのを、私見てきたもの。……まぁ、主に父さんは母さんに支えられてきた気がするけどね」
ビアンカのふざけるような口調に、リュカは思わず笑ってしまう。
「僕もそうなるかもなぁ。ビアンカ、よろしくね」
「リュカがダメな時は私がお尻を思い切り叩くだけよ」
「ひどいなぁ」
「愛情表現の一つじゃないの」
「他の表現でお願いしたいんだけど」
「生憎、他の表現方法を知らないのよ。ごめんね」
楽し気に会話をするうちに、窓の外の雨はほとんど止み、山奥の村はいつもの朝を迎える。雲の切れ間から朝日が差し込み、村を徐々に明るさで満たしていく。朝方のほんの一時迎えていた憂鬱な時は過ぎ去り、村は昨日と変わらぬ明るい時間を取り戻す。リュカは窓の外に見える景色が明るくなるのを眺めていると、ようやく家の中に漂う焼きたてのパンの匂いに気づいた。
「お腹空いたね」
いつものリュカの調子を見て、ビアンカはふっと笑みをこぼす。
「とりあえず水を飲んで、それから朝食の席にいらっしゃい。私は父さんを呼んでくるから」
そう言うと、ビアンカは足早に部屋を出ていき、父ダンカンの部屋へと向かった。閉められたドアを見ながら、リュカはテーブルの上に置かれたグラスを手に取る。山の水はまるで氷水のように冷えていて、グラスの表面は水滴で覆われている。リュカは冷たい水を一気に飲み干すと、グラスと手にしたまま部屋を出て、トイレに向かおうとグラスをダイニングテーブルに置いていった。
リュカが席に着いてからしばらくして、ビアンカがダンカンと共に部屋に姿を現した。ダンカンは昨日の疲れもあるのだろうか、欠伸をしながら眠そうな顔をしていたが、その表情に曇った雰囲気はない。欠伸で涙目になりつつも、リュカに「おはよう」といつもと変わらぬ様子で挨拶をしてきた。
「よく眠れたかい、リュカ」
「はい、いつ寝たか覚えてないくらい、ぐっすり眠れたみたいです」
「それは良かった。今日からまた旅が始まるからな、英気を養えたというところかな」
笑いながら言うダンカンに、リュカも同じように笑う。至って穏やかな朝食の時間だった。とても今日この村を旅立つとは思えぬほど、別れの気配を感じられなかった。
朝食の時間は楽しく充実したものに感じられた。会話の内容は他愛もないものだが、リュカにとって忘れられないひと時となった。何よりも嬉しかったのは、ダンカンがパパスのことを語ってくれたことだった。
「今だから言うけどな、パパスはいつも君を旅に連れていくことに悩んでいたよ」
それを聞いた時、リュカは父が自分の存在を邪魔だと思っていたのだと感じ、淋しいと感じるとともに納得する気持ちもあった。危険な旅に幼子を連れていくなど、足手まといでしかないのは幼い頃から分かっていた。しかしたとえ邪魔だと思われようと、リュカは父パパスと離れて暮らすことなど考えられないと思っていた。
「だがなぁ、どうしてもサンタローズの村に置いていくことはできなかった。どうしてだか分かるかい?」
ダンカンが何故そんなことを聞くのだろうかと、リュカは首を傾げる。恐らく幼い自分が無理にでも旅についていくと言って聞かなかったのだろうと、それぐらいのことしかリュカには思いつかない。そんなリュカの思考を読むように、ダンカンはまるでほくそ笑むような顔をしてリュカを見る。
「パパスの我儘なんだよ。あいつが君と離れるのを嫌がったんだ。ほんの一時でも君と離れるなんて考えられなかったんだろうな」
まるで予想していなかったダンカンの言葉に、リュカは思わず胸を熱くした。まさか父にそんな子供じみた感情があることなど、想像できなかった。父は常に冷静で、自身の感情など後回しにして物事を見極めているのだと思っていた。リュカの思う父パパスは、完全無欠の人間と呼べる人物だった。
「親としてはきっと、子供を安全な村に置いていくのが正解なんだと思う。しかしパパスはそれができなかった。それだけ君への愛情が深かったということだ。どうしたって君を自分の傍から離すことができなかった」
「じゃあ、どうしてラインハットでは……」
そういうリュカの脳裏には、ラインハットの城下町にプックルと共に置いてきぼりにされた記憶が蘇る。ヘンリーが攫われ、彼を助けるために東の遺跡に向かう際、パパスはリュカをラインハット城下町に置き去りにした。うっかり置き去りにしたとは到底思えず、あれは意図的に置いていったのだと今のリュカは分かっていた。
幼いリュカは、当時のラインハットの事情を何も知らなかった。しかしパパスはラインハットと言う国の根深い事情を知っていたはずだ。ラインハットの第一王子が攫われる事件が起き、それはこれからラインハットが滅亡に向かうかもしれない兆候を示していた。そこにはとてつもない凶悪な力が働いているのだと、パパスはそんな力に息子を近づけないため、ヘンリー救出の道にリュカを連れて行かなかった。その道にはこれまでにないほどの大きな危険が迫っているのを、パパスは肌で感じ取っていたのだ。
常に傍に置いておきたいリュカを手放すことは、パパスにとっては死ぬに等しい覚悟だった。それほどの覚悟で、ヘンリーを助けに行き、ラインハットという国を建て直す意志が、彼にはあった。父が何故、ラインハットと言う国にそこまでの思いを抱いていたのか、リュカは知らない。ただ正義感の強い父は攫われたラインハットの王子を見捨てることなどできず、そして大事な息子のリュカを危険な目に遭わせることもできないと必死に考えた。その結果、リュカをラインハットの城下町に置いていくことで息子を守ろうとしたのだと、リュカは今になってそう考えることができた。
「リュカ、過去に何があったかは私には分からない。しかしね、君がずっとパパスに愛されていたことは間違いないよ」
ダンカンの言葉に、リュカはずっと抱えていた蟠りがすーっと晴れていくのを感じた。父を知る人物に父を語ってもらうことで、リュカは知りえなかった父を知ることができ、それは彼の抱える闇を仄かに照らす。思えば、ポートセルミで父を勇者と思った老人から話を聞いた時も、どこか晴れ晴れとした気持ちになるのを感じていた。
「親の愛情と言うのは、子供に伝わるのに時間がかかるのかも知れないね」
「時間がかかるって言うのもあるかも知れないけど、失って初めて気づくことが多すぎるわ」
ビアンカも既に母を亡くしている。父よりも断然元気だった母を先に失うことは、彼女にとって耐えきれないほどの悲しみをもたらし、それは今も胸の中にあり続ける。
「君も親になれば分かるようになるさ。今まで分からなかった色々なものがね」
今の自分が何をどう考えようと、ダンカンの言う通り、父パパスの気持ちを完全に理解することはできないのだろう。親が子を思う気持ちは、子供のままでは理解する限界がある。
「お前たちも早いところ子供を授かれるといいな。私もおじいちゃんになってみたいしなぁ」
ぼんやりとそんなことを言うダンカンに、リュカは今までの自分の考え方がまるで変ってしまうのを感じた。
これから旅を続けるには、子供を授かるのは避けるべきだと冷静に考えていた。しかしそれはとても身勝手な考えだ。リュカはビアンカと結婚し、彼女と家族になり、彼女の父ダンカンとも家族になった。もう自分だけの考えでこれからを決めることなどできないのだ。家族の幸せを考え、追求していく義務がある。
「まあ、こればっかりは授かりものだからな。とにかく無事に旅を続けてくれたら、それが一番だよ」
ダンカン夫妻も実は、子に恵まれなかった。ビアンカは偶然ダンカン夫妻のところにやってきた娘なのだ。だがそれだけに、ダンカンが子を授かることに人一倍の思いがあるのも確かなようだった。
「父さん、私たち、朝食を終えたらそろそろ……」
「ああ、そうだな。ところで次に行く場所は決めているのかい?」
昨夜、リュカはビアンカと次はポートセルミに行って、ルドマンから譲り受けた船を使って海を南下してみようと話をしていた。ビアンカはそのつもりで父に話そうとしたが、それを遮るようにリュカが口を開く。
「アルカパに行ってみようか、ビアンカ」
「えっ?」
「久しぶりに行ってみたいだろ。僕ももう一度、君とあの町を歩いてみたい」
リュカの急な提案に、ビアンカは戸惑いの表情を見せる。しかしその表情の中に、どうしようもない嬉しさがにじみ出る。
「私も……行ってみたい。でも……」
「よし、じゃあ決まり。お義父さん、僕たちこれからアルカパに行ってみます」
リュカの晴れ晴れとした顔に、ダンカンは笑顔で頷き、「気をつけて行っておいで」と声をかける。
「さながら新婚旅行だな。結婚したんだから、新婚旅行には行かないとなぁ」
「でも私、リュカの旅の足手まといみたいなことはしたくないわ。リュカ、無理しなくていいのよ」
「無理なことなんかないよ。母さんを探す旅も大事だけど、君のことだって大事なんだから」
そう言いながらこれ以上ないというような優しい笑みを見せるリュカに、ビアンカは彼と結婚した幸せが胸の中に広がるのを感じた。
「しかし長旅になるなぁ。無事についたら便りでも寄越してくれよ」
「いえ、今から行けば数分後には着いてます」
「ルーラを使うの?」
「ああ、昨日話していた便利な呪文のことか。一瞬で他の場所に行けるという……」
「アルカパなら行けると思う。みんなも連れて行ってみよう」
「馬車ごとか~。着地に気をつけないとね」
「しかしどうしてこの山奥の村には使えないのかねぇ。そういう意味では不便な呪文だな」
「本当よね。リュカ、この村に来るにも使えるようにしてよね。そうしたらいつでも父さんや村のみんなとも会えるんだから」
ダンカンとビアンカの言葉に、リュカは困惑した顔で笑みを浮かべるだけだった。リュカ自身、なぜこの山奥の村に来るためにルーラが使えないのか、分からないのだ。
水のリングを手に入れ、ビアンカを村へ送る時となり、彼女を村に返したくない思いでわざとルーラを使わなかったことはあった。しかし今は、使おうにも上手く使えないのだ。その土地の風景や出会った人などを思い出してルーラの呪文を発動するのだが、山奥の村の風景を思い出そうとすると何故か途中で霞がかかったように景色がぼやけ、思い起こすことができない。それはまるで、朝もやのかかった山奥の村を外から見ているような景色で、村全体が何かに守られているかのようにも見えた。
「仲間のみなさんが外で待っているだろう。あまり待たせても悪いからな。早くに行った方がいい」
ダンカンの言葉をきっかけに、リュカとビアンカは既に済ませてあった旅支度を整え、再び居間に戻ってくる。しかしビアンカの手には、旅の荷物とは別に、昨日身に着けていたウェディングドレスと白タキシードがそのまま晒されている。ダンカンが首を傾げていると、ビアンカはそれらを父に差し出した。
「これ、家に置いておいてくれる? 旅に持っていこうかとも思ったんだけど、ここに置いておく方がいいねってリュカとも話していたの」
美しい白の衣裳は窓からの朝日を受けるとキラキラと輝いているように見えた。ダンカンはそんな神々しい衣裳をぼうっと眺めると、喜びの笑みを娘に向ける。
「分かった。大事に預かっておくよ。母さんにもちゃんと見せてやらないとな」
「そうね。昨日は何だかばたばたしちゃって、母さんにちゃんと見せていないものね。旅に出る前にちゃんとお墓にも寄っていくわ」
「そうしてくれたら母さんも喜ぶだろう。リュカ、付き合ってやってくれるかい?」
「僕もそうするつもりでした。でも、ビアンカと旅に出ること、許してもらえますかね……」
「そんな弱気で行ったら許してもらえないかもなぁ」
そう言いながら笑うダンカンと共に、ビアンカも笑っていた。そんな二人の様子に、リュカはどこか安心したように胸を撫で下ろす。その笑いの中に自分が入れたことに、リュカは彼らと家族になれた気がした。
ダンカンは家の玄関まで二人を見送った。昨日の疲れもあり、足元が少しふらつき気味のため、家の梯子階段を下りることなく、その上から二人の後ろ姿を見えなくなるまでずっと眺め、手を振り続けた。そして彼らの姿が見えなくなると、清々しい青空と共に胸の中にも清々しい思いが広がり、ダンカンは家の中へとゆっくり戻っていった。

「母さん、私たち、結婚しました」
母の墓前に、ビアンカは来る途中に摘み取った花をお供えし、手を合わせて祈りを捧げる。彼女の隣で、リュカも同じようにしゃがみこみ手を合わせた。リュカの中で、ビアンカの母の記憶はわずかなものしかない。顔などはほとんど思い出せないが、アルカパで宿の女将をしていた彼女の母はとても元気で、口の達者なビアンカを唯一やり込められるほど頭の回転も速かったように思い出せる。ビアンカはそんな母を慕い、尊敬していたからこそ、まるで母親の分身のように言うこともやることも似て来たのかも知れない。そしてその面倒見のよい心根の優しさも、亡き母から譲り受けたものなのだろう。
「父さんと母さんを見習って、私たちも仲良し夫婦を目指すね」
「これから旅に出ますが、命に代えてもビアンカを……」
「ちょっと、リュカ、そういうのは止めてよね。私があなたの旅についていくんだから、自分の身は自分で守るようにするわ。命に代えてもなんて、母さんの前だからって建前じみたこと言わないでいいのよ」
笑って言うビアンカを見ても、リュカは真剣な表情を崩さなかった。ダンカン夫妻の大事な一人娘を嫁にもらい、その命と共にこれからずっと生きることになるのだ。冗談で言えることではないと、リュカは言葉を続ける。
「僕たちの旅はいつ終わるかも分かりません。僕の母を探すという、とても我儘な旅です。そんな旅にビアンカを付き合わせてしまってすみません」
いつになく喋るリュカに、ビアンカはその特別な雰囲気に口をはさむこともできず、ただ隣で黙って聞いていた。リュカはまるで目の前にビアンカの母が見えているような、緊張した面持ちで、真剣な雰囲気をまとって話す。
「でも僕の旅には彼女が必要なんです。これも僕の我儘です。彼女に傍にいてほしい、離れたくない、それだけなんです」
言葉にしてみて、リュカは初めて自身の本心に気づいた気がした。そしてそれは、ダンカンが語っていた父パパスの思いと似たものだと気づく。愛するものとただただ離れたくない、その想いだけなのだ。それは何よりも力になる。
「だから……そんな我儘に付き合わせるから、彼女を絶対に守ります。死んでも、守り抜きます」
計り知れないリュカの思いを知り、ビアンカは思わず彼の腕に手を触れる。そうでもしないと、リュカがこのままどこかに消え去ってしまいそうで、怖かった。
リュカの危なっかしいところは、こういうところなのだ。彼は余りにも自分の命を軽んじている。自分の他の誰かが危ない目に遭えば、彼は迷わず自分の命を差し出す雰囲気がある。父パパスの遺志を継ぎ、母を探す目的を抱き、自分は絶対に死んではならないと自覚しているにも関わらず、その反面で彼は簡単に命を投げ捨ててしまうような衝動を持っている。ビアンカには彼のその部分が非常に怖かった。彼をこの世と繋ぎ止めるのは自分の役目なのだと、彼の腕に触れる手に力を込める。
「父さんも言ってたじゃない。リュカが死んだら誰が私を守るんだって。だから、あなたも死んではいけないのよ。それを、分かってね」
ビアンカに隣でそう言われるまで、リュカは隣に彼女がいることすらも忘れて、墓石の下に眠る彼女の母との話に集中していた。娘の一番の理解者であった彼女の母は、父ダンカンよりもずっと厳しい顔をしてこちらを見ているような気がして、リュカは自分の真剣な思いが伝わるよう体を硬くして話をしていた。
見れば、ビアンカが自分よりもずっと硬い表情でこちらを見ていた。どこか泣きそうにも見える彼女の表情に、リュカは自分の真剣な思いを反省する。死んでも守るなどと言う言葉は、身勝手な献身に過ぎない。それは残されるものの気持ちを何も考えていない決意なのだ。
腕に触れられたビアンカの手にそっと自分の手を添え、ぽんぽんと優しく叩く。それで彼女の表情が少し和らぐと、リュカもようやく笑みを見せることができた。
「これからもっと幸せになるのに、今死んだりしたらもったいないよね」
いつもの穏やかな表情に戻るリュカを見て、ビアンカは安心したように息をつく。
「そうよ。私たちが幸せになることが、父さんも母さんも、パパスおじさまもあなたのお母様も望んでいることなのよ。それに先に死んだりしたら、天国で会おうにも会えないわ。だって地獄に送られてしまうもの、親より先に死ぬとは何事だ! ってね」
「お義父さんより先に、なんて許されないことだね」
「それに、あなたのお母様よりも先に、なんていうこともね」
ビアンカはリュカの母が今も生きてどこかにいることを信じて疑っていない。彼女は本気でリュカの母を探し出し、共にこの場所へ戻ってくることを想像している。それは希望という儚い思いではなく、未来の現実なのだと彼女の表情には自信が表れている。
リュカはそんなビアンカの優しく強い思いに胸を熱くし、彼女の手を握り締める。ビアンカも彼の思いに応えるように手を握り返す。手を固く握りあったまま立ち上がると、二人は墓石に「行ってきます」と元気に声をかけ、墓地を後にした。二人が立ち去った後、墓地には暖かな風が吹き、二人の門出を祝う空気が流れていた。

Comment

  1. ピピン より:

    どうしてもこういう話はうるっときちゃいますね…(笑)
    特にリュカの気持ちはプレイヤーとして痛いほどわかるので(T▽T)

    青年がこんなに早くリュカを認めたのは意外でした。ゲームでは双子と再会後に連れて行ってもまだ言葉にトゲがありましたもんね。

    あと今後山奥の村にルーラを使えるようになるのかはちょっと気になります(笑)

    • bibi より:

      ピピン 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      結婚において、親と子の気持ちを書きたかったのです。本当はこれだけで一冊の本ができるほどの話になるはずですが、かなり端折りました。
      青年については……私の中では基本、山奥の村の人たちは皆良い人なので、ここらで納得してもらいました。双子と再会後の話はまたその時にどうにか考えてみたいと思います。いつだ、いつになるんだ……(汗)
      山奥の村にルーラが使えるようになるかどうかは、私にも分かりません(笑) どうしようかな~。

      • ピピン より:

        bibiさん

        一冊分なんて想像もつかないですね(笑)
        ビアンカの過去編なんかも収録されたりして( ̄▽ ̄)

        個人的にはこっちの青年のが爽やかで好きです。
        bibiさんの書く双子。今から楽しみだなぁ( ´∀` )

        そこら辺はご都合主義で構わないと思います。ダンカンさんの出番が欲しい時だけ行ける感じで(笑)

        • bibi より:

          ピピン 様

          ドラクエ5はそれこそ人生がテーマになっているような話なので、いくらでも話が書けるような気がします。
          ビアンカの過去編、気になりますねぇ。どなたか書いてらっしゃるかも知れませんね。
          山奥の村の青年の立場としては、もう想い人が他の男の嫁になってしまっているので、認めざるを得ない状況、というところでしょうか。そこで「いいや、認めない!」なんて言ったら、またドロドロとした違う話になってしまうので……ちょっと当サイトの雰囲気には合わないものになるので、彼に折れてもらいました。ごめんね。
          双子ちゃん、私も書くのが楽しみです。そのころには私の息子がそのくらいの年になっていたりして(笑) いや、笑えない。年月が経ち過ぎ(苦笑)
          ルーラは便利な呪文なんですが、何とも気持ちが追いつかない呪文です。しかし今後もご都合主義で使う予定です(笑)

  2. ケアル より:

    ビビ様!
    更新を楽しみにしていましたよぉ
    ゲーム内で語られないストーリー、ビビ様ワールドを堪能させて頂きますね。
    大事な場面でありますなビ様!
    今までもストーリーにない話を読ませて頂きましたが、今回の話は…涙が出てしまうんじゃないかというぐらい、私は心に熱い物を感じてなりません(涙)
    文字としてビビ様に伝えるのが、とても難しく…実際に言葉で気持ちを伝えたいです(礼)
    第3回目の結婚式での3人の家族になるという心の心境…。
    パパスがリュカをおいて行った理由…そして、魔物の仲間とダンカンとの交流。
    ビビ様の文才能力の素晴らしさを改めて堪能させて貰いました!
    プックルがダンカンに飛びかかって舐め回したらダンカンは、どんな感じだったんでしょうね(笑み)
    ゲーム本編でも、なぜ、山奥の村にルーラで行けないのか、プレイ中、本当に疑問でしたよね。
    堀井先生もそこは、謎のままにしたかったんでしょうかね。
    アルカパに行ったビアンカ…宿屋、いじめっ子たちとの遣り取り、ビアンカの心境の描写をどのように表現なされるのか、本当に楽しみです
    ビビ様!1ヶ月かけて書かれた大作、楽しかったです!
    どうもありがとうございました

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをありがとうございます。
      今回のお話は結婚における父娘の感動話ということでまとめました。
      それと、ダンカンによるパパスの過去話。リュカにとっては貴重な話です。
      プックルも飛びかかる相手とそうでない相手と、分別があるようです。賢さもそれなりに上がったんでしょう(笑)
      ゲーム本編で、カボチ村ですらルーラが使えるのに山奥の村に使えないのは何か理由があるはずだと、少し私の話にもその辺りを書いてみました。これはリュカ君の心情が原因か、はたまたずっと子孫(ビアンカ)を育て匿ってきたことで守護の力でも備わったのか、なんてことを考えたりしていました。ドラクエ4では勇者の村に魔物たちがルーラで飛んで行って滅ぼしてしまったことを考えると、ルーラで行けないように何かしらの力が……なんて。それでそもそもルーラの呪文自体、使えない世界になっていたとか。あー、考え過ぎですね、これは(笑)
      さて、アルカパの話を考え始めなくては。また一か月かかっちゃうのかしら。何にせよ、またしばらくお待ちいただくことになるかと思います。忘れたころにまた当サイトへお越しくださいm(_ _)m

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