2017/12/03
海賊船が受けた呪い
ポートセルミを出港し、無事に七日が過ぎた。西の大陸に沿って航行していたリュカたちの船は、そろそろ大陸を離れて南の海流に乗る予定だった。これまでのところ、天気が荒れることもなく、船が魔物に襲われることもなく、航海は至って順調に進んでいた。
船長室で、リュカはマーリンと共に定期的に航路を確認しては、船旅が順調であることにほっと胸を撫で下ろしていた。船旅自体は既に水のリングを探しに行く際に経験していることだが、さすがに西の大陸から遥か南のテルパドールまでという距離を移動するのは初めてで、リュカは長旅の緊張感と常に戦っていた。
ポートセルミを出て八日目の朝、リュカは東の海をぼんやりと眺めていた。水平線から眩しい朝陽が顔を出す景色は相変わらず圧巻だが、その景色を邪魔するような高い高い山が視界に入り込んできた。大きく高く、山頂を雪に覆われたその山は、朝日の力を抑え込み、封じ込めるかのようにリュカたちのいる海を暗くした。
リュカは思わずその山、セントベレス山を睨みつけていた。多くの人々にとってその山は、恐らく神々しく、朝日よりも美しいとされるものなのかも知れない。しかしリュカにとってセントベレス山は単なる憎しみの対象でしかない。今もあの山頂では多くの奴隷たちが働かされ、人々は日々苦しみの中にいる。苦しみに耐えきれず、自ら命を捨ててしまう人もいるような山に、一体どうして神々しさを感じられるかと、リュカはただただ世界一高い山を拳を握り締めて睨みつけていた。
セントベレス山が作る影は大きく、リュカたちの乗る船はしばらくその影を航行することになった。朝日はしばらく山の向こうにあり、空は明るいというのに、リュカたちの船だけはすっぽりと影に覆われていた。山から吹き下ろされる風は冷たく、山頂の解けない雪の冷たさがそのまま下まで運ばれてきているようだった。悪寒すら感じるその風に、リュカは思わず身震いするのを止められなかった。
「嫌な風が吹くのう……」
船長室で計器類を見ていたマーリンが出て来て、外で海を眺めているリュカの隣に立ってそう呟いた。
「まるであの山が『近づくな』とでも言っているかのようじゃ」
「そうなのかも知れない」
「とにかく、この影から抜け出した方が良いかも知れん。この山の影には魔物の気配が濃い気がするぞい」
「じゃあ航路を西寄りに変更しよう。無駄な戦いは避けないとね」
リュカはそう言うと早速船長室に戻り、船長室の机に広げてある地図を確認する。セントベレス山から南西に向かって海が広がる。リュカはどこまでも続くかのように見える西の海に向かって舵を切り始めた。
それから間もなくして、空模様が急激に変化した。それまでは抜けるような青空が広がっていたと言うのに、見る見るうちにリュカたちの乗る船の周りには暗雲が立ち込めた。寒さを伴うその雲に、甲板で海を眺めていたガンドフが困ったような目を空に向けた。ガンドフが見つめていたのは東に見えるセントベレス山。暗雲はその山から一気に放出されたかのようにリュカたちの船を取り囲んだようだった。
雲に覆われ、海がすっかり暗くなると、次には雨が降り始めた。それはすぐに船を叩きつけるような嵐になり、雷も鳴り始め、リュカは仲間たちと一緒に船の帆を急いでたたむと船室に避難した。強風に波が荒れ、ルドマンからもらった大きな船が揺れに揺れる。船室の窓から大波が見え、リュカはその度に船が沈むのではないかと気が気ではなかった。船には少々酔いやすい体質ではあるが、ここまで海が荒れると、酔ってなどいられなかった。
「小さな船だったら、とっくに沈んでるわね。ルドマンさんに感謝しなきゃ」
そう言いながら、ビアンカが揺れる船の中をよろよろと歩いてきた。まともに立ってなどいられないほどの揺れなのだ。魔物の仲間たちも船室に閉じこもり、じっと外の様子を窓から窺いつつ、ひたすら揺れに耐えているようだ。
リュカがいるのは船長室で、本来ならば海を下に眺める場所なのだが、今は船長室の窓より上に波が見えるような状況だ。甲板を雨が叩きつけ、巨大な波が時折そのまま甲板に入り込むこともあった。
「これから長い船旅、何度かこのような嵐に遭遇するかも知れませんね」
ピエールが雨に濡れた緑スライムをぶるぶるっと震わせ、体の水を切りながらそう言う。スライムの体はリュカたちのように足で立っているわけではないため、安定感があり、船が大きく揺れてもよろめいたりはしないようだった。しかし濡れた床を移動する時には、つるつるとした体が災いして滑りやすいようだ。
「これじゃ舵も利かない。とにかく待つしかないね」
「船が沈まないように祈りましょう」
「嵐を抜けた時にまた船の位置を確認しなくてはのう」
「あまりおかしなところに流されないと良いのですが……」
嵐の向こうに見えるセントベレス山を眺めながら、リュカはふと自責の念に駆られる。大神殿建造の地から逃れられたのは、単に運が良かっただけではない。マリアの兄ヨシュアがあの地から逃してくれなければ、リュカとヘンリーは今もあの山の上で働かされていただろう。リュカたちの他にも多くの奴隷が働かされている山の上では、今も変わらず何の罪もない人々が死ぬ思いで働かされている。そんな中、リュカは彼らを置き去りにして逃げ出してきてしまった。船を包み込むような嵐の中で、リュカは自分の罪のせいでこの嵐を引き起こしてしまったのではないかなどと、勝手な想像をし、一人苦しんでいた。
ひどい嵐の最中では、さすがに船に襲いかかってくる魔物もいなかった。大暴れする海の中で、魔物たちもじっと嵐が過ぎ去るのを待っているのかも知れない。マーリンの言う通り、実際セントベレス山の陰にある海には多くの魔物が生息していた。しかし海の魔物たちにとっても嵐という自然現象には為す術もなく、ただ嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。
元々西寄りに航路を変更したかったリュカたちだが、予定よりも大分西に流されてしまったと気づいたのは、ようやく嵐が止んで南に陸地が見えた時だった。
「嵐に少し流されただけで、南の大陸に着いちゃったとしたらラッキーだけど……違うわよね」
穏やかな波に揺られる船の甲板に出て、ビアンカがうっすらと見える大陸の景色に呟く。ポートセルミで話に聞いたテルパドールがある南の大陸は、周りを岩山に囲まれているということだった。今、見えている陸地の景色も、山々を望むことができる。ただそれは切り立ったような険しい岩山ではなく、緑豊かな山々の景色だ。リュカやビアンカが想像していた景色とはかなり異なるものだった。
「もしあの嵐で南の大陸に着いたんだとしたら、この世界地図がおかしいってことになるよ。ポートセルミで聞いた話ともかなり違ってくるし」
「太陽の位置からしてあの陸地が南にあるのは間違いないですが、ちょっと様子がおかしいですよ」
そう言いながらピエールが指差すのは、羅針盤だ。航海中、方位は太陽の位置や星の位置から導き出すこともできるが、正確な方角を常に指示している羅針盤をリュカたちは常用している。その羅針盤の針がまるで混乱しているかのように、ぐるぐると回り彷徨っている。
「これだけぐるぐると回れば、ここがおかしなところだと誰でも分かるのう」
マーリンがのんびり言いながら、くるくると回り続ける羅針盤の針を楽し気に見つめている。このようなトラブルを楽しんでしまうのがマーリンだ。
「とにかくあの大陸に近づいて……」
「ピー、ピキー!」
リュカが言いかけたところで、突然船長室にスラりんが飛び込んできた。まだ甲板が濡れているため、ずるずると滑るように移動してきたようだった。
「何じゃと? 船が見える?」
「ホント?」
「ピッ!」
大役を果たしたかのように体を反らせるスラりんに、リュカは手を伸ばしてスラりんを拾い上げる。船長室の窓辺に乗せられたスラりんは、リュカたちに教えるように尖った頭の先を海の一転に向けて見える船の位置を知らせる。スラりんが指し示す先には、ゴマほどの小さな影が見えた。それが船だかどうか、リュカには全く分からないが、スラりんにははっきりとそれが船だと分かっているようだ。リュカは改めて魔物の視力の凄まじさを知った。
「この辺りを行く船だったら、何か聞けば分かるかも。近づいて行ってみよう」
「それが良さそうですね。もう嵐もすっかり落ち着きましたし、船にも特に異常はなさそうです」
「丈夫な船で良かったのう。やわな船じゃったら今頃皆で海にぷかぷか浮いとるところじゃったわい」
マーリンの野蛮な冗談に、ピエールが苦い顔を向ける。リュカはそんないつもと変わらぬ仲間の姿に安心しながら、遥か遠くに見える影に向かって船を進め始めた。
目指す船はその場に停泊しているらしく、リュカたちの乗る船は予想よりも早くその船に辿り着くことができた。しかし目指していた船の姿を見て、リュカたちはすっかり肩を落とした。目指していた船は昔、嵐に流されたのか、長い月日を漂流した後、この場にとどまっているだけの無人の船だった。リュカたちの乗る船よりは小型で、激しい嵐に耐えきれなかったのか、船体のあちこちに傷を受けている。一度沈んだのだろうか、船全体が海水に侵され、既に朽ちかけ、浅瀬に乗り上げた状態で留まっている。
「ピー……」
「スラりんが謝ることはないよ。来て見てみないと分からないことだったんだから」
「ふむ、決して無人と言うわけでもなさそうじゃぞ」
マーリンの言葉に、リュカは「えっ?」と声を上げ、目の前に見える難破船を見た。しんと静まり返る難破船に生き物の影は見当たらない。そう思っていたところ、難破船の船長室のドアがギイギイと音を立てて開くのを見た。風で開いたと思われたドアから、ゆらりと人型の何者かが現れ、リュカたちに不敵な視線を送ってきた。リュカはその目と出遭うと、体が身震いするのを感じた。
「キー! ッキキー!」
上空を飛んでいたメッキーが警告するような鋭い鳴き声を上げた。直後、信じられない光景がリュカたちの目の前で起こった。難破船の甲板から次々と姿を現す魔物。人の形をしているものの、その頭は犬のようであり、言葉を発することはなく、ただ叫び声や吠え声を発している。元々人間であった彼らは、乗船する船が嵐に飲まれ、難破し、沈没こそ免れたものの助かる道も見つからず、船と共に魔物と化してしまったように思えた。懸命に上げる吠え声は人間として生きている者への怨念がこもっているかのように、おぞましい響きを持っている。
「リュカよ、早う船を動かすのじゃ。とっとと逃げるぞ」
「それが舵が利かないんだよ。反対側に動かそうとしてるのに、むしろあの船に引っ張られてるみたいだ」
リュカの言う通り、リュカたちの乗る船は徐々に目の前の幽霊船に近づいている。リュカは冷や汗を垂らしながら舵を切ろうとしているのだが、舵は全く動かない。
「戦うしかないわよ。とても友好的とは言えないもの、あの感じは」
シードッグという魔物になり果てた者たちの目的は、近くを航行する船を見つけ次第、船を乗っ取ることだった。まだ魔物と化してしまった自覚がないのだろう。難破してしまった自身らの船を捨て、機能している船に乗り込めば助かるかもしれないと思っているのだ。
「ビアンカ殿の言う通りですね。このままでは船が沈められてしまうかも知れません」
「話をしている余裕はなさそうじゃ。もう来よったぞ」
マーリンが指し示す先には、船の縁に手をかけてよじ登ってくるシードッグの姿があった。既に海に入り、リュカたちの船に静かに近づいていたようだ。
甲板に上がってきたところで、様子を見ていたプックルがすかさずシードッグに飛びかかった。船の縁で戦うのは危険が伴い過ぎると、プックルは魔物が完全に甲板に上がるのを待っていた。海水に濡れたシードッグは身を震わせて水を切る間も与えられず、プックルの一撃に甲板の上を吹っ飛んだ。元々船の乗組員であった魔物は、虎のような魔物の一撃で動かなくなってしまった。
海を泳いで近づいてきたシードッグは一体だけではない。リュカたちの船の縁から次々と現れるシードッグは、合計で二十体ほどにもなった。船を傷つけずに上ってくるのを見ると、リュカは彼らがこの船を乗っ取ろうとしているのだとはっきり分かった。彼らが手にする鋸刀は手入れもしていないため切れ味などとうに失っているが、それでも船体に穴を空けるには役に立つ道具だ。それをそうと使わずに、リュカの仲間たちに向けてくると言うのは、船を乗っ取り、備蓄している食料にありつこうとしているのがありありと分かった。
船長室にいたリュカたちも甲板に下り、シードッグたちとの戦闘に加わる。船長室や船室には向かわせないよう、出入り口を塞ぐようにして魔物と戦う。シードッグたちの鋸刀は切れ味こそないものの、重量のあるその大きな刀を振り下ろされたら致命傷になるのは明らかだ。現にガンドフやピエールが刀の一撃を受け、一時昏倒する事態に陥った。
船体の多くに木材を使っているため、船の上での戦闘で火を使うのはご法度だ。そのためリュカの指示で、マーリンは船長室に待機させ、船に乗り込んできた魔物の姿を確認する役割を当てた。同じように火の呪文を使うビアンカも船長室に待機させようとしたが、彼女が断固拒否し、補助呪文で戦闘に加わっている。いつの間に覚えたのか、彼女は戦闘力を倍にする呪文バイキルトを使いこなしていた。彼女のサポートがなければ、シードッグとの戦闘におわりは見えなかった。
この幽霊船に近づけてしまった責任を感じていたスラりんも、全力を尽くして戦っていた。直接の打撃は体当たりぐらいしかできないスラりんだが、時折スラりんの体が発する目もくらむような光に、シードッグたちが呑み込まれていくのをリュカたちは見た。スラりんが唱えるニフラムの呪文にも、大いに助けられた。
甲板の上にいたシードッグたちを全て倒し、リュカたちがほっと息をついた頃、船長室からマーリンの声が飛んできた。
「リュカよ、そいつらは次々と沸いてくるぞい」
マーリンの指し示すところに、次のシードッグの群れが姿を現していた。その数二十体。先ほどと同じ数だけの魔物の群れに、リュカの頬に冷たい汗が流れる。
「ッキー! ッキッキー!」
上空から戦闘の状況を見るメッキーが、朽ちた難破船の方を見ろをリュカに呼びかける。シードッグたちとの戦闘の最中、リュカは難破船の様子をちらと窺う。そこにはリュカが難破船の中に初めに目にした人型の魔物がいた。不敵な目をしたその魔物も元々は人間だったのだろうが、もはや人間としての面影が残るのはかつて船長であったという帽子だけだった。その他、頭から足先に至るまで、全てが金属製ロボットのようであり、不敵に赤く光る目は悪魔に魂を売り渡してしまった証だった。
「あの人と話ができれば……」
見るからに人間ではない機械の体をした魔物でも、リュカにとっては十分な交渉相手だった。次々と現れるシードッグを操るのは、間違いなく難破船に乗るあの魔物の仕業だった。彼の指示で、延々と手下のシードッグたちが現れるのだ。
幽霊船と言っても過言ではない船は、すぐ近くまで寄っている。それこそシードッグたちは幽霊船からリュカたちの船に飛び移ってきているのだ。それならばと、リュカはシードッグたちの攻撃をかわしながら船の甲板を走り抜けると、縁に手をかけ、弾みをつけて上り、一人幽霊船に飛び移った。敵の船に乗り込んだところで、リュカはすぐさま敵のシードッグたちに囲まれた。空から様子を見ていたメッキーがリュカの戦いに加わり、リュカを追って船を移ってきたプックルもリュカの隣で戦闘態勢に入る。
赤く光る不敵な目をした幽霊船長はゆっくりとした動きながらも、手下のシードッグに合図を送る。するとシードッグたちは一斉にリュカたちに飛びかかってきた。自分の船ではないため遠慮はいらないと、リュカは呪文を発動した。真空の刃が敵に襲いかかり、シードッグたちは見えない刃に服や体を切られ、悲鳴を上げる。刃を逃れた魔物にはすかさずプックルが飛びかかり、上空からはメッキーが飛んできて鋭い嘴で攻撃をしかける。シードッグの鋸刀に倒され、一瞬意識を失う場面もあったが、メッキーの回復呪文により事なきを得た。
リュカたちの戦闘を見ていたマーリンも、幽霊船の中にシードッグの群れを見つけると、ベギラマを発動させ、幽霊船の一部ごと燃やす勢いで戦闘に加わる。かなり遠距離での呪文発動のため、標的から外れ、単に船体の一部を燃やす場面もあった。
シードッグとの戦闘の最中、リュカは突然背後に気配を感じた。振り向きざまに目の前に剣先が光り、頬に鋭い痛みを感じた。足元に落ちた黒い塊はリュカの髪の毛だった。慌てて飛び退き、父の剣を構えると、同じように剣を構える幽霊船長の姿があった。どうやら敵も、リュカが船長であると認めたようだ。
「もう戦いは止めませんか?」
リュカは赤く光る幽霊船長の目を見つめながら話しかけた。シードッグたちはすっかり話す能力を失ってしまっているようだったが、シードッグたちに指示を出すことのできる幽霊船長ならば言葉が通じるかも知れないと、リュカは話し合いでの解決を望む。
「何故戦うんですか? この戦いに意味はあるんですか? あなたの仲間たちがどんどん倒されて、何も思わないんですか?」
リュカの言葉に、幽霊船長は赤く光る目を明滅させている。それが何かの信号なのだろうかと、リュカは注意深く敵を見る。
「……戦いたいから、戦うのだ。それ以外の意味は、ない」
機械的な低い声が聞こえたかと思うと、幽霊船長は右手に持つ剣を再び振り上げる。ゆっくりだと思っていた敵の動きは突然素早くなり、リュカは剣先を交わし損ねて、今度は腕に傷を負う。しかしすぐに自分で手当てをし、剣を握りなおす。リュカの回復呪文を見た幽霊船長は、どこか恨めし気な視線を向けてきた。
リュカが再び話しかけようとした時、有無も言わさず幽霊船長の剣が飛んできた。右手には剣、左手は大きなフックの形で、剣と交互に振り回してくる。リュカはとにかく攻撃を受けまいと、ひたすら後ろに飛び退く。そのうち背中にどんと船の縁の壁に当たり、逃げ場を失ったところで、何度目になるか分からない幽霊船長の剣が振り下ろされる。父の剣で攻撃を薙ぎ払い、素早くバギマの呪文を唱えて、幽霊船長を遠くに退けた。
幽霊船長の赤く光る目が揺れたように見え、リュカは眉をひそめた。それは機械的な動きではない。その揺れに、リュカは幽霊船長の人間としての心を見たような気がした。
「……何か僕に言いたいことがあるの?」
リュカの言葉に、幽霊船長はただ赤く光る目を向け続ける。言葉の代わりに、リュカの瞳を覗き込む。
「お前は、何者だ」
幽霊船長の視界にはリュカの他に、プックルの姿が映っている。空から襲いかかるメッキーがいる。リュカたちの乗る船の船長室から呪文を飛ばすマーリンがいる。明らかに魔物である彼らと共に行動するリュカを、幽霊船長が訝るのも当然のことだった。
「何者って言われても……ただの旅人だよ。テルパドールに向かって船を進めていたら、嵐に遭って……。その後この船を見つけたから、話を聞いてみようと思って来てみたんだ」
リュカにとって魔物の仲間は何も特別なことではない。幽霊船長が聞く『何者』の問いに、リュカはただこう答えるしかなかった。
「近くに見える陸地はテルパドールじゃないんだよね?」
「テルパドールはまだずっと南だ」
「ここはどこなのかな?」
リュカが指差す近くの陸地を、幽霊船長も同じように眺める。陸地に入り込む川の景色も見えるが、河口近くは広く浅瀬となっているようで、船で近づくことはできない。陸地も周りを険しい山々に囲まれ、船を着けるような場所はなさそうだった。
「ここは、異世界に通じる森がある……そう聞いたことがある」
「異世界に通じる?」
「我らはそこを目指していたのだ。そこには一生を遊んで暮らせるほどのお宝が眠っていると……」
「一生を遊んで暮らせる、ねぇ」
幼い頃から旅を続けるリュカにとっては考えたこともない人生だった。酒も飲まない、賭け事も興味がないリュカにとって、一生を遊んで暮らすという意味が今一つ分からない。何も目的なく遊んで暮らすよりは、苦しくとも母を探す旅を続ける方が良い人生だと素直に感じた。
「でも結局、見つからなかったんだね。その異世界ってところ」
「多くの仲間が海に飛び込み、あの川に近づいたのだが……呪いでもかかっているのか、皆あのような犬になり果てて戻ってきたのだ」
幽霊船長が覇気なく指差す先には、プックルたちに倒されたシードッグらの姿があった。朽ちた船のあちこちに転がっている。
「それは本当に呪いなのかも知れないね。近づかない方がいいかも」
リュカは仲間たちがシードッグになり果てるところを想像し、身震いした。間違っても自分らの乗る船を見える陸地に近づけてはいけないと思った。
「テルパドールへはここから南東に向かい、南の海流に乗る必要がある」
元海賊である幽霊船長は、近くに見える陸地よりも左方向を指差し、リュカに教える。既に戦闘態勢は解いており、攻撃の気配は全く感じられない幽霊船長に、リュカは思わず眉をひそめる。
「どうして急に教えてくれる気になったの?」
「お前になら頼めると思ったからだ」
「頼む? 僕に?」
「そうだ。この船を、沈めてほしい」
思いもかけない幽霊船長の頼みに、リュカは言葉を失った。
「これほど朽ち果てても、この船は沈まんのだ。おかしいと思わないか?」
彼の言う通り、幽霊船長たちの乗る船の船体はあちこちに穴が開いており、そこここから海水が浸水しているはずなのだ。とっくに沈み、海の藻屑となっていて当然の状態なのだが、今も船は海の上に浮かんでいる。
「これも、呪い?」
「恐らくな。我々を魔物に変え、沈まない船に乗せ、まるでここの番をさせられているようなのだ。どんな侵入者も拒むようにと」
幽霊船長の言葉には、死にたくとも死ねなかったという意味があった。仲間だった者たちがシードッグになり果て、まるで言葉が通じなくなり、しかしこの船を離れようとしない彼らを置いて死ぬことは許されないのだと、船長は責任を感じていた。
「私には仲間を手にかけることができなかった。だから……礼を言う」
リュカたちが倒したシードッグたちは船長の仲間たちだ。次々と倒される仲間たちを、幽霊船長は自身が殺されるような思いで見ていたに違いなかった。物理的に救ったところで救われない彼らを、あえてリュカたちに襲いかからせ、倒させたのだ。
「そんな、沈めると言っても、僕にはそんなことできない」
「しかしこのままここで魔物として生かされる方がよほど地獄なのだ」
「沈めるって言ったって、一体どうやって……」
「お前の仲間に炎の呪文を使うやつがいるだろう。俺たちの船を燃やしてくれて構わない。それで、全てが終わる」
彼の言葉に、リュカの頭の中にはマーリンとビアンカの姿が思い浮かぶ。二人の火炎呪文をもってすれば、古い木造の船はあっという間に炎に包まれるだろう。よく見れば幽霊船長らが乗っている船は古いもので、魔力を原動力として走るリュカの船とは違い、燃料を積んで走る一般的な船だ。もし燃料に火が回れば、この船は見る間に炎に包まれる。
「けど、やっぱり、僕にはできません……」
自ら命を絶とうとしている者の背中を押すことなど、リュカにはできなかった。どうにかしてこの幽霊船長を救えないかと、それだけを考え始めていた。あわよくば彼の仲間のシードッグたちも救う方法があるかもしれないと、リュカは思考を巡らせる。
しかしそんなリュカの思考は、目の前に飛んできた剣によって遮られた。慌てて飛び退くリュカの前には、幽霊船長の剣が鈍く光っている。リュカを守るように、プックルが前に進み出て唸り声を上げる。
「俺が生きているように見えるから情が沸くのだな。私は既に人間としての生を終えている。何も惑うことはない」
「魔物だからって簡単に倒すことはできません。人間だから助けるわけじゃない。魔物だとか人間だとか、そんなことは関係ない」
「そんな甘い考えで、よくぞ今まで生きて来られたものよ。もしお前がこの先も生き続けたいのなら、もっと非情になることだ」
そう言って、幽霊船長は再び攻撃を仕掛けてきた。近くに倒れていたシードッグたちを呼び寄せ、リュカとプックルに襲い掛からせる。ふらふらと立ち上がってきたシードッグたちを、リュカは呪文で、プックルは素早い攻撃を繰り出し、次々と倒していく。少しでも気を抜けば、シードッグたちの鋭い牙や爪に致命傷を負う。何も考えられないまま、リュカは次々と呪文を繰り出す。そして後ろから襲いかかられる空気を感じた瞬間、振り向きざまに父の剣を一閃に薙いだ。金属がぶつかり合う音が響き、ガシャンと金属が床に落ちる音が聞こえた。
リュカは息を呑んで、立ち尽くした。目の前には幽霊船長の体が立っており、その向こうに機械仕掛けの首が転がっていた。横に転がった首は、まだ目の赤い光を鈍く明滅させている。
「これでようやく、解放される。ありがとう……礼を、言う……」
それだけ言葉を発すると、目の赤い光は消え失せ、機械仕掛けの首はただの鉄の塊となった。船長を失い、残されたシードッグたちも己のすべきことを失ったように、その場に倒れ込んだ。朽ちた海賊船の上には静寂が訪れ、リュカは己の無力さに歯がゆさを感じる。メッキーが空を舞いながら声を上げる姿に現実に引き戻され、リュカはプックルに「戻ろう」と声をかけると、自分たちの船に戻った。
「本当にいいのね?」
「うん、そうしてくれって頼まれたんだ。だから、そうするのがいいんだと思う」
船に戻ったリュカは先ほどまで乗っていた朽ちた海賊船を眺めながら、ビアンカとマーリンに話をしていた。幽霊船長は船を沈めてほしいと言っていた。船体に穴が開いても沈まないこの船を沈めるために、火をつけてほしいとリュカに頼んできた。リュカは決してそうするのが良いことだとは思わなかったが、もう一度彼の意思を確かめようにも、もう幽霊船長が言葉を発することはない。
「リュカよ、お主は優し過ぎる。その優しさはいずれ己の身を滅ぼすぞ」
「マーリン殿の言う通りです。良く考えてもみてください。相手は元海賊なのでしょう? これまで何人の人を殺めているか分かりません」
「そうだね。そうなんだと思う。けどあの人はもう、悪い人じゃなくなってたよ」
リュカの目にした幽霊船長はあくまでも話の分かる相手だった。決していたずらに人を殺したりする者ではなくなっていた。魔物になり果て、海賊としての行いを悔いてもいたのだろう。もはや幽霊船長に海賊の残酷さは残っていないように見えた。もしかしたら海賊として生きてきた年数よりも、魔物になり果ててからの年数の方が長かったのかも知れない。
「リュカ、あなたはパパスおじ様を死なせた相手を許すことができる?」
唐突に言われたビアンカの言葉に、リュカは一瞬にして全身が熱くなるのを感じた。その熱さは、炎に包まれた父を目の前にした時の熱さだった。同時に、父を殺した魔導士の姿が脳裏に浮かぶ。これ以上ない憎悪を感じ、もし今目の前に現れたらすぐにでも殺してやりたい衝動に駆られる。
「あの海賊が殺した人にも、同じように家族がいたの。その家族の気持ちを考えれば、あなたはきっと良いことをしたのよ。敵を討ったの。……そう思うようにして、お願いだから」
ビアンカはマーリンの言葉が的を得ているようで怖かったのだ。リュカの優しさはリュカ自身を滅ぼしかねない。それはビアンカも思っていたことだった。他のためなら自分を犠牲にすることを厭わないのがリュカなのだ。それはビアンカにとって恐怖以外の何物でもなかった。
「……船を南西へ。少し離れてから、マーリン、ビアンカ、頼むね」
呟くようにそう言うと、リュカは操舵室へと歩いて行った。リュカの胸中は複雑だった。ビアンカの言う通り、魔物と化した元海賊は過去に何人もの人々を殺めた罪を負っている。それは到底許されることではない。彼がいくら罪を贖っても、殺された者の家族の恨みは消えることはない。
しかし先ほどリュカが出遭った幽霊船長は、彼が海賊の時に持っていた野蛮な気質は消え失せていたように思えた。リュカの船を襲いはしたものの、むしろその悪事をきっかけに自分を消してほしいと願っていた。魔物と化して以来、生に絶望を抱えながら生き続け、常にこの世から消え去りたいと思っていた幽霊船長に、リュカは同情の念すら抱いてしまっていた。
どのような感情が正しいのか分からないまま、リュカは操舵室で舵を取る。リュカたちの船は沈没できない海賊船から徐々に離れ、ある程度の距離を開けたところで止まった。甲板にいるマーリンとビアンカと目が合うと、一つ頷き、リュカは不自然に波の上を揺れる朽ちた海賊船に目を向ける。それを合図にと、マーリンとビアンカはそれぞれ火炎呪文を海賊船に浴びせ、火の手はあっという間に船全体に回り、古い木造の海賊船は大きな火柱を上げて燃えた。やがて長い年月の呪縛から解き放たれたように、ようやく船は海に沈んでいった。
「リュカ殿、船を動かし始めましたか?」
海に浮かぶ炎を見つめていたリュカに、ピエールが甲板から呼びかけた。リュカは操舵室から出ており、船はまだ停泊中のはずだった。
「コエ、キコエル。アッチ、ヨンデル」
そう言いながらガンドフが指差すのは、沈んでいく海賊船の方だった。ガンドフの言葉を聞き、マーリンが慌てて操舵室へ駆け上がってきた。
「今度はワシらがあの船の代わりをしろと、そんな雰囲気じゃぞ」
「呪い?」
「そんなようなもんじゃろ。冗談じゃないわい。さっさと逃げるぞ」
マーリンは操舵室に入るとすぐに船を発進させた。しかしいくら前進しようとしても、船はその場に留まり続けるばかりだ。むしろ徐々に後退し、燃える海賊船の方へと引き寄せられていく。
「おい、リュカよ、何とかしろ」
「何とかって……そうだ、ピエール、僕と一緒に来て」
リュカはそう言って甲板にいるピエールを呼び、引き寄せられる船を正面に二人で立ち並ぶ。
「呪文で、と言うことですね」
「そういうこと」
リュカは逆噴射の要領で、ピエールと共に呪文を唱えて船を進めようと考えた。ピエールの爆発呪文とリュカの真空呪文を同時に唱え、大きな爆発の勢いで船を進ませる。その度に船は大きく揺れ、まるで数日前に遭っていた嵐のような揺れに見舞われた。しかしそれを何度か繰り返すことで、どうにか船がおかしな力に引き寄せられることはなくなった
「コエ、モウ、キコエナイ」
ガンドフがピンク色の耳をそばだて、そう呟いたのを聞くと、リュカはその場に倒れ込んだ。慌てて駆け寄るビアンカがリュカに触れると、彼は全身を震わせ、体はとてつもない熱に襲われていた。
「呪文の使い過ぎですね。あちらの船でも何度も呪文を使って戦っていたから……」
ピエールも呪文の連発で疲労を感じていたが、まだリュカに回復呪文を唱えるくらいの余力はあった。回復呪文を浴びせられたリュカはいくらか表情を和らげたようだったが、まだ意識は戻らない。
「リュカ、ナカデヤスム。ビアンカ、カンビョウスル」
そう言いながら、ガンドフはリュカの体をひょいと持ち上げると、揺れの収まった甲板の上をすたすたと歩いていく。その横をビアンカが不安そうについていき、目を閉じたまま時折うめき声を上げるリュカの頬を撫でていた。
その二日後、無事南の海流に乗ったリュカたちの船はセントベレス山の西を通った時のような嵐に見舞われることもなく、おおよそ順調な船旅を続けていた。昨夜は雨が降ったものの、朝になれば雨は止み、昼近い今の時間には白い雲がぽつぽつと浮かぶだけの青空が広がっている。
魔力が底をつき、倒れたリュカも今ではすっかり回復し、青空の下仲間のガンドフと甲板に出てのんびりと釣りをしていた。船底に積んだ食料にはまだ余裕があるが、テルパドールへの船旅はようやく半分を過ぎた頃で、まだまだ先は長い。もっとも魚釣りをしようと思ったのは、ビアンカが「たまには魚が食べたいかな」と言った一言がきっかけだった。
「ガンドフ、魚がかかっても海に飛び込んだりしちゃダメだよ。危ないからね」
「ウン、キヲツケル」
そう返事をするガンドフの体は海水でびしょ濡れだった。つい先ほど、釣り針にかかった魚を見て目を輝かせたガンドフが、てっきり釣竿を引き上げるのかと思ったら、釣り針にかかった魚に向かって海に飛び込んでしまったのだ。結局魚は取り逃がし、ガンドフは海水に濡れたまま船に戻ってきたのだった。
「ガンドフは目がいいからすぐに魚が見えるんだね。いいなぁ、僕もそんな風に魚が見えればもっと釣りが上手くなるのに」
「ツリ、タノシイ。ガンドフ、ツリ、スキ」
「じっと待ってるものだから、ガンドフに向いてるのかもね。僕は、どうかなぁ、向いてるのかなぁ」
「リュカ、ツリ、ムイテル。ケド、ビアンカ……」
「ああ、ビアンカは向いてないだろうね。それこそ魚がかかってくるのを待てないで自分から海に飛び込んじゃいそう」
そう言いながら笑うリュカの頭を、後ろからビアンカが叩いた。彼女の気配に全く気付いていなかったリュカは驚いて振り向き、きまり悪そうにビアンカを見上げた。
「ちょっとリュカ、私のいないところでそうやってちょこちょこ悪口言ってるんじゃないでしょうね」
「悪口だなんて人聞きが悪いなぁ。僕は君がせっかちだから釣りはあまり向いてないって……」
「それが悪口だって言うのよ。私だって村にいた頃、川釣りならしたことあるのよ」
「川釣りって……それって一人で村を出て釣りに行ってたってこと?」
「そうよ。だって村にそんな川は流れてないじゃない」
「危ないなぁ、一人でなんて。どうして誰かと一緒に行かないんだよ」
「だって誰かを危ない目に遭わせるわけには行かないじゃない」
二人の会話を聞いていたガンドフが、大きな体を揺らしてクスクスと笑う。
「リュカ、ビアンカ、ヤサシイ。フタリトモ、ヤサシイ」
突然のガンドフの言葉に、リュカもビアンカも思わず黙り込んでしまった。何となく目を合わせ辛い状況の中、ガンドフは手にしていた釣竿をビアンカに渡して立ち上がった。
「ガンドフ、オジャマムシ。アッチイッテル」
どこかにやにやした表情をしながら、ガンドフは楽し気に甲板を歩いて行ってしまった。残されたリュカとビアンカはそれぞれ釣竿を手に、ただ海を見つめる。今日の海は穏やかで、波の音も耳に心地よい。
「ガンドフったら……いつの間に『お邪魔虫』なんて言葉を覚えたのかしら」
「誰が教えたんだろ。マーリンかな」
「他にいないでしょうね、きっと」
海を見つめながら言葉を交わし、二人同時に溜め息をついた。互いの溜め息を聞いて、今度は二人同時に笑う。
「何だかみんなに気を遣われてるのね」
「でも面白がられてもいるよ、きっと。みんなには僕たちが夫婦だってこと、不思議なんだろうね」
「あら、私だって不思議よ、リュカと夫婦だなんて。まさか一緒になれるなんて思ってなかったもん」
「それは僕のセリフだよ。結婚前には何度も振られたような気がしてたし」
「気がしてたんじゃなくって、振られてたのよ、私に」
ビアンカの言う意味が分からず、リュカは釣竿を手にしながら眉をひそめる。
「だってあなたはフローラさんと結婚すると思ってたから。それが一番あなたに良いことだと思ってたから。だから、振ったのよ」
「振ったのよって、だってそれって、僕が君のことを好きだって分かってたってこと?」
リュカの言葉に、ビアンカはルドマンの別荘に来たリュカのことを思い出した。ルドマンに明日花嫁を選びなさいと言われたその夜、リュカは別荘に宿泊するビアンカのもとを訪ねた。月夜に照らされたリュカの表情を見た瞬間、ビアンカは彼の想いに確信を持ち、それを必死に止めようとした。彼の幸せのために、彼の未来のために、自分は身を引くべきだと、必死になって彼を振った。
「気づかないわけないじゃない。嫌でも気づくわよ、あんな顔をされたらね」
「あんな顔? 僕の顔、どこかおかしかったの?」
そう言いながら手で顔をさするリュカを見て、ビアンカは思わず吹き出してしまう。
「……あのねぇ、おかしかったなんて誰も言ってないじゃない。全く、そう言うところがいかにもリュカって感じよねー」
「何だよ、それ。よく分からないけど、バカにされた気がする」
「バカになんてするわけないでしょ、愛しの旦那様なんだから」
からかうように言うビアンカの持つ釣竿が急にしなり、ビアンカは身体ごと海に投げ出されそうになった。リュカが自分の釣竿を放り出し、ビアンカが手放さない釣竿を力強く抑える。しかしリュカの力でも抑えきれないほどの大物がかかったのか、釣竿はミシミシと音を立ててきしむ。
「がうがうっ」
後ろから声が聞こえたかと思うと、プックルが釣竿に向かって飛びかかってきた。しなっていた釣竿はプックルの一撃であっけなく折れ、大物がかかっていた釣竿の先の方は放物線を描いて海へと消えた。
「あ、ありがとう、プックル。助かったわ」
「がうっ」
「ちょうどいいところに来てくれたね。まるでずっと傍にいたみたいに……」
「……にゃあ」
プックルが場違いな子ネコのような声を出すのを見て、リュカは彼がかなり前からずっと傍にいたことに気づいた。ガンドフと同じように『お邪魔虫~』などと考えて、二人に話しかけもせず、じっと静かに二人を見ていたのかも知れない。
「水くさいよ、プックル。僕たち、親友だろ。遠慮しないで話しかけてよ」
「がうう」
「そうよ、あなたは私たちの子供みたいなものなんだから、何も遠慮なんていらないのよ」
「ふにゃあ、ゴロゴロゴロ……」
ビアンカに頭を撫でられると、途端に安心したようにプックルは彼女の足元にすり寄った。プックルにとってビアンカはいつまで経っても自分を救ってくれたヒーローで、頼りになる存在だ。それこそまるで母親のようで、はたまた姉のようで、無条件に甘えられる存在のようだった。そんなプックルの甘えぶりを見て、リュカは思わず「ずるいぞ、プックル」と小声でつぶやく。
「あーあ、今のってかなりの大物だったのよね。何とかして釣りたかったなぁ」
ビアンカが折れた釣竿を手にしながら残念そうにそう言うと、リュカは「そんなことはないよ」と真剣な顔つきで言う。
「自分の身に危険が迫ったら、すぐに逃げるようにしないとダメだよ。プックルが釣竿を折ってくれなきゃ今頃君は海に投げ出されてたよ」
「そうなんだろうけど、でもやっぱりちょっと惜しいじゃない。大きな魚が一匹釣れたら、みんなでいっぱい分け合えるんだもの」
「僕たちが飢えて今にも死にそうって言うんだったら、意地でも今の魚を捕まえるだろうけど、今はまだ食料があるんだからそんなに無理する必要はないよ」
旅慣れたリュカの言う言葉は至極最もで、ビアンカは返す言葉を失うだけだった。船底に積んだ食料はまだ余裕がある。ただ魚が食べたいという理由だけで危険な釣りをする必要はないのだと、ビアンカはまだ旅を甘く見ている自分に反省した。
「でも、まあ、楽しみがないと旅もつまらないからね。今度こそ大物が釣れるといいね」
リュカの旅の目的は、父の遺志を継ぎ、まだ見も知らぬ母を捜すことだ。それだけを考えて旅を続けていたら、恐らくこうしてビアンカと結婚することもなかったはずだ。旅をしていれば、自分では寄り道したいと思っていなくても、寄り道をせざるを得ない時も多々ある。しかしそれは本来の旅の目的にも繋がるものなのだと、リュカは信じている。
ビアンカを見れば、彼女の表情はいつもどこか輝いている。彼女は妻として、リュカの旅の目的に寄り添ってくれているが、それだけで旅をしているわけではない。彼女は恐らく、テルパドールにあるという勇者の墓を訪れることを楽しみにしている。いつでも冒険心を持つ彼女は、常に何か楽しいことはないかと自然に探すような性格だ。今はテルパドールと言う未知の大陸に行こうとしていることに心を躍らせているのだろう。
プックルも再会したその時から、リュカに寄り添い旅を続けている。しかし彼にももしかしたらリュカとは別の旅の目的があるのかもしれない。リュカは時折、プックルの重く沈んだ表情を見ることがある。そんな彼の表情を見ていると、リュカは自然とプックルと生き別れになったあのラインハット東の遺跡を思い出す。
プックルはリュカと同じくらいに、リュカの父パパスを殺したあの魔導士を憎んでいるのかも知れない。あの魔導士のせいで、プックルは見も知らぬ土地で完全に一人ぼっちになってしまったのだ。プックルは魔導士ゲマへの復讐をずっと考えている、リュカはふとそんな考えを巡らせた。
その時、船の後方で大きな波しぶきが上がった。先ほどリュカたちが釣りをしていた場所周辺に上がった波しぶきの中に、大きな魔物の姿が見えた。半魚人のような姿の魔物は口の中に手を突っ込み、何かを取ろうとしている。その動きに合わせ、先ほど折れた釣竿の一部が波間に揺れている。
「……上手いこと釣り上げないで良かったわ」
「口の中、痛そう。釣り針、取ってあげたいけど、近づいたら襲われるだろうなぁ」
「釣りも魚だけが釣れるとは限らないのね。勉強になったわ」
「そんなに美味しそうなエサ、つけてたっけ?」
リュカとビアンカが会話する中、プックルは甲板に寝そべりながら欠伸をしていた。ビアンカの釣竿にかかった獲物が魔物だと、プックルは分かっていたのだ。故に何の躊躇もなく釣竿を折り、ビアンカを助けたのだった。
どうにか口の中の釣り針を外し、半魚人マーマンは口を押えながら再び海の中に姿を消した。リュカたちの船に襲いかかる元気はなかったようだ。ごく小さな釣り針のダメージは思いの外大きかったらしい。
天気は良好、風も穏やかで、釣りをするには良い時だと、リュカは残った自分の釣竿で釣りの続きを楽しむことにした。旅は長い。終わりは見えない。共に旅をしてくれている仲間たちのためにも、リュカは一瞬一瞬を楽しむように、皆が楽しくなるように、悲しみや憎しみは腹の底に抱えたまま、にこやかに海に釣り糸を垂れる。
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[…] 「海賊船が受けた呪い」 […]
たまたまここを見たら、今日更新されていてビックリしました!タイミング良すぎでした笑
オリジナルのお話も面白いです!リュカ、優しすぎます!!ビアンカもそんなリュカに影響されて優しいのかなーと思いました。やっぱりこの二人はお似合いだと改めて感じました笑
話が変わるんですが、実は高校受験に推薦で合格しました!なので、今回の小説もじっくり読むことができましたし、これからの小説も時間を気にせずゆっくり読めます笑
私の友達はまだ受験が終わってない人が多く、なかなか遊びに行ったりできななくて自分の時間がたくさん出来るので最初から小説を読み直そうと思います!
bibiさん、お子さんの幼稚園の準備など大変だと思いますが頑張って下さい!次回のお話も楽しみにしてます!
私情をお話してしまってすいませんでした…
はるか 様
コメントをどうもありがとうございます。
ホントにタイミング良すぎでしたね。ビアンカもリュカに影響されて優しい……、おお、それはあるかも知れませんね。そういう影響を与え合うのは良いことです^^
高校受験合格、おめでとうございます! 春からは高校生ですか。いいですねぇ。楽しみですね^^
当サイトの小説を最初から読み直し……何だかせっかくある貴重な時間を使わせてしまうのはもったいないような……^^; お友達も受験が終わったら、ぜひ色々と遊びに行ってくださいね~。
私も子育て、頑張ります。何だかんだで子供は可愛いので、いくらでも頑張れそうです(´▽`)
ビビ様!
ビビ様の小説の中で、リュカが土鈴にされていた場所が、セントベレス山だということをリュカ自信が知っていましたでしょうか?
たしか…嫌な覇気は感じてたけどセントベレスにいたまでは、知らなかったように思うんです(勘違いでしたらすみません)ちょっと気になったもんですから…。
今回はドラクエ3を思わせるような話で楽しかったです(笑み)
思わず「愛の思いで」を使わないといけないんじゃないかなって(笑み)
ハラハラする戦闘でしたね
とにかく、炎呪文を使えないって所が、またリアリティーで(原作ゲームだと関係ないですからね)
プックルは最高のパートナーですな!
ゲーム本編でも、最後まで使おうとすれば使える仲間ですもんね(ステータス的に省くプレーヤーも多いとか少ないとか…)。
プックルの特技も、そろそろ見たいですね(雄叫び、気合い貯め、いてつくはどう、稲妻)
今回も楽しかったです!
また次回を早く読みたいですビビ先生!
マーマンを釣り上げるぐらいに度肝を抜く話を待ってますね(楽)
ケアル 様
コメントをどうもありがとうございます。
セントベレス山のことに関しては、当方の話の中では以前にポートセルミを訪れ、灯台に上った時に気づいたことにしています。ゲーム本編では気づいていない設定かも。すみません、設定を変えてしまって^^;
私も今回の話は書きながら頭の中でドラクエ3の幽霊船のBGMが流れていたように思います。「愛の思い出」は当時、あの音楽が夢にまで出てきた記憶があります。多分、子供心に怖かったんじゃないかと。愛って怖いものなんですね(笑)
船での戦闘に炎の呪文は使えないだろと、ビアンカとマーリンには自制してもらいました。とは言え、他の呪文も危険なことには変わりないですよね。リュカの真空呪文もそうですが、ピエールの爆発呪文なんて論外……。
プックルにはリュカとビアンカの危機を感じる能力が備わっています。なので、ここぞという時に活躍してくれるので、カッコよさ2割増し、ぐらいになっています(笑) 特技、そうですね。ちょっと考えてみます。それも楽しそう。
マーマンは釣っちゃおうかなとも思ったんですが、話が無駄に長くなりそうなので止めました。半魚人なので言葉が話せて面白いかなとも思ったけど、世間話をして終わりそうだったんで。
次回はまたのんびりお待ちいただけましたら幸いです。いつもコメントを頂いて、大変励みになっております。頑張ります^^
更新お疲れ様です。
もしかして今回の話は、何気無いオリジナル回だと思わせといて今後の伏線になっていたりするんでしょうね( ̄▽ ̄)
それにしても本当この二人、結ばれて良かった…(笑)
どちらも危うい所があるけど上手くバランス取れてますよね。
別の相手じゃこうはいかなかっただろうなぁ…( ̄▽ ̄;)
ピピン 様
コメントをどうもありがとうございます。
何気ない伏線……バレましたか。しかしその時の話を書く時に、果たして私自身がこの伏線を覚えているかどうかが怪しい所です^^; かなり先ですからねぇ。。。
どちらも危ういところがあるのがいいんです^^ 完璧な人間じゃあつまらない、という私の持論です。足りないところを補い合うのがパートナーであり仲間ですもんね。