2017/12/03

オアシスに住む老人

 

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目指していた南の大陸を目にしたのは、ポートセルミを旅立ってから一月半が経った頃だった。リュカはかなりボロついた世界地図を操舵室の机に広げ、目前に迫ってきた陸地の景色と見比べる。見渡せるのは険しい山々の景色で、とても人が寄り付くような場所には見えなかった。何も知らずに船を進め、この岩山だらけの大きな陸地を見つけても、決して上陸など考えなかっただろう。しかしリュカは世界地図を確認しつつ、ポートセルミにいたクラリスの助言に基づき船をやや東に進めた。するとある一か所だけ岩山の景色が消え、そこに現れた入り江にはこの大陸で唯一の港がひっそりとあった。テルパドールは完全に外界との交流を絶っているわけではない。この港を通じて、外国との交流があるのだ。しかしリュカたちが向かう港には、他に一隻の船も停泊していなかった。
「港とは言え、これほど砂だらけのところじゃのう。ここに来るまでに命がけじゃと言うのに、これからまた砂漠をゆかねばならんのじゃろ?」
「このようなところに旅をしてくる人と言うのは、一体どのような人なんでしょうね」
「でも勇者のお墓があるんでしょ? それを見に来る人だっていると思うわ」
「それにしても、命がけって言うのは間違いないね。ただの旅行でここに来ようとは思わないかな」
小さな港に船を泊めながら、リュカは遥か向こうまで続く砂漠の景色に、今までの航海の疲れがどっと両肩にのしかかるのを感じた。ずっと海しか見ていなかったところで陸地を発見できた時は喜びが沸いてくるものだと思っていたが、一面砂漠の景色はこれからの旅に不安を覚えるだけだった。一面に見ていたものが海から砂漠に変わっただけだ。今日だけなのかは分からないが、強い風が吹くと砂漠の砂が吹き荒れ、視界が一切なくなるような状況にもなる。こんな過酷な状況であれば、人間はおろか、魔物も呑気に辺りを歩き回ることはできないだろうと、リュカはその一点だけは期待した。
この砂漠に最も落胆していたのは、パトリシアだった。砂漠の砂はパトリシアにとって歩きづらい以外の何物でもなく、牽く馬車の荷台の車輪が砂の上を行くには、いつもの倍は力を出さねばならない。馬車の車輪が上手く砂の上を回って進むとは限らないのだ。砂の深い所ではパトリシアは完全に荷台を引きずって進むことになる。荷台にはこれからの砂漠の旅に備えた水や食料が積み込まれる。パトリシアはひっそりとリュカよりも砂漠の旅に不安を感じていた。
そんなパトリシアの不安を和らげようと、常に寄り添うスラりんが彼女の鞍の上に乗り、ピーピーと声をかける。少しでもパトリシアの負担を和らげようと、スラりんも馬車には乗らずに砂漠を歩いていくと、鞍の上から飛び降りた。昼間の太陽の熱にゆらめく砂漠を見て、スラりんは思わず身を震わせるが、パトリシアのためにと意気込んで「ピッ!」と声を出す。
リュカたちは船をしっかりと小さな港に停泊させると、準備の整った馬車と共に砂漠に降り立った。見渡す限りの砂漠に、影は見当たらない。ゆらゆらと揺らめく砂漠の熱は予想以上に熱く、時折吹く風は容赦なく砂を舞い上げる。リュカはマントで体を覆いつつ、砂漠に足を踏み入れた。意気込んで前を歩こうとしていたスラりんが「ピッ!?」と言ってその場で飛び上がるのを目にし、リュカは太陽の熱に焼かれた砂の上を行けないスラりんをひょいっと拾い上げた。スラりんについた砂を払い落とすと、「無理しないで」と自分の肩の上に乗せた。
「と言うことは、ピエールも……」
そう言いながらリュカがピエールを見ると、兜の中のピエールは相変わらず無表情だったが、緑スライムが明らかにやせ我慢をするような顔をしていた。本来緑色のスライムが、少々赤みを帯びている。
「ピエール、それじゃあすぐにへばっちゃうよ。馬車に乗って」
「しかし皆さんが懸命に歩いていくというのに、私だけ甘えるわけには……」
「砂漠を歩くにも向き不向きがあるんだって、今分かったよ。スラりんとピエールに砂漠の旅はかなり過酷なんだね。旅に無理は禁物だから、乗って」
「……申し訳ない。それではお言葉に甘えて……」
ピエールが馬車に乗り、荷台の重量が増えたとこっそり落胆したパトリシアだったが、再び馬車を動かした時にさほど重くなっていないことに気づく。横を見れば、大きな熊のようなガンドフが馬車に積んでいた荷物を一つ、背中に担いでいた。
「パトリシア、ダイジョウブ?」
他の者が持てばかなりの重量がある荷物も、ガンドフにとっては大した荷物ではないらしい。大男が小さな子供をひょいと肩の上に担いでいるような格好だ。ガンドフの気遣いに、パトリシアは身体を摺り寄せ礼を述べた。
「誰一人だって無理をするのは良くないわ。ガンドフ、辛いときはちゃんと言うのよ。辛いことはみんなで分け合えば小さなものになるはずよ」
「ワカッタ、ツライ、ユウネ」
そんなガンドフとビアンカの会話を聞きながら、いつも通り馬車に乗っていたマーリンが静かに荷台から下りてきた。そして既に馬車の荷台の影でぐったりと寝そべっているプックルに近づく。
「……何も悪いことをしていないはずじゃが、何だか悪いことをしていたような気がするぞい」
「にゃあ」
「お主もなかなか辛いじゃろうが、こうして馬車の影を歩いて行けば少しはマシかも知れんのう」
「がう……」
プックルは砂漠に下りた時から、馬車の荷台の影に身を潜ませていた。直射日光を極力避けるためにはこうするしかないと、船に乗って砂漠を見つめていた時からそう考えていたのだった。本来であればプックルは馬車の右側を歩き、魔物の襲撃に備えているのが常だが、今はそんなことは言ってられないと馬車の左側に来てなるべく身を休ませている。
「まあ、一面砂漠じゃからのう。襲ってくる魔物が隠れるようなところもないから、急に襲われることもないということじゃな」
「がう」
「それだけ、ワシらも敵からは丸見えじゃがの。特にこんな馬車を引いて、ガンドフやプックルがいるような連中に、敵は何を思うかのう」
「がうがうっ」
むしろ急襲をかけるのはこちらの方だと、プックルは寝そべりながら赤い尾をバシンッと砂漠の地面に叩きつけた。舞い上がる砂に、マーリンがせき込む。
「ゴホゴホ……。それに馬車の向こう側に敵が見えても、空を飛ぶメッキーがすぐに反応してくれるじゃろう。のう、メッキー」
「ッキ?」
意外に近くに聞こえた声に、マーリンは飛び上がりそうになった。振り向けばメッキーもプックルたちと同様に、馬車の左側に回って日陰で体を休めていた。羽根も休め、しっかりと砂漠の砂の上に落ち着いている。
「みんな、辛いよね……」
荷台の影に集まる仲間に、リュカが近づいて声をかける。プックルはまだ寝そべりながら、赤い尾をゆらゆらと振る。メッキーは「ッキッキー」と元気な声を出しながらも、出発ぎりぎりまで体を休めようと砂の上に落ち着いたままだ。
「まあ、そんなことも言ってられんのは分かっとる。困ったことがあればみんなで解決じゃ」
マーリンはまるで自分の心を奮い立たせるかのようにそう言うと、良いことを言ったと自画自賛するように鼻の穴を膨らませるような顔をした。マーリンの力強い言葉を聞いて、リュカは目を輝かせ、話を続ける。
「それじゃあ早速なんだけど、馬車の車輪が砂にはまっちゃって……。みんなで後ろから押してくれるかな?」
「なんじゃとぉ?」
「ガンドフ一人に任せるなんて、可哀想でしょ?」
そう言いながらにこりと微笑むリュカを見て、マーリンは本能的な危機をひっそりと感じていた。リュカと言う人物が悪気なくとんでもないことを言ったりやったりすることを思い出し、これからの砂漠の旅に改めて不安を覚えた。



リュカの予想に反し、砂漠に潜む魔物の数は多かった。しかし砂漠と言う過酷な環境で戦いたがる魔物は少なく、ある程度離れた距離から互いにその存在を認めた時は、互いにやり過ごすことが多かった。容赦なく照り付ける強い日差しには、砂漠に棲む魔物たちも体を休めていることが多いようだった。
しかし夜に変わる頃、彼らは活動を始める。何も遮る物もなく、一面砂しかない場所での夜は、昼間とは打って変わって冬のように寒くなる。ただ昼から夜に変わるころの時間帯は、ほんのひと時ではあるが過ごしやすく、その時に彼らは一日分の活動をするようだった。リュカたちにとっても過ごしやすい時間で、本来ならばその時間帯に馬車を進めたいところだったが、砂の中にいた魔物もうようよと姿を現すのを見て、リュカは思うように馬車を進められないと悟った。それ故、リュカたちの進める馬車は昼間の酷暑の時間帯や、夜の冷え切った時間帯に進むことが多かった。それも昼の最も暑い時に馬車を進めるのが、早く進むには最も効率が良かった。
魔物との戦闘を避けるにはそうするのが良かったが、代償として荷台に積む水の減りが早くなった。この砂漠の旅でもし水を失えば、そこで旅は終わる。水なしではリュカやビアンカのみならず、魔物の仲間たちもパトリシアももちろん、生きてはいけない。かなり大量の水を荷台に確保していたが、仲間たちで分け合えばそれらはみるみる減り、あと二、三日もすれば底をついてしまうのは目に見えていた。
「そろそろオアシスが見えないと、ちょっとマズイな……」
リュカはそう言いながら、ボロついた世界地図を広げ、南の大陸につけた印を指差す。そこはポートセルミにいた踊り子クラリスに教えてもらったオアシスがあるという場所だった。砂漠を進むのには太陽の位置、星の位置、そして魔物の仲間たちの目を頼りに馬車を進めているが、遥か遠くまで見渡せる彼らの目をもってしてもまだ砂漠の景色が見えるだけのようだ。
「地図上では今、この辺りにいるはずよね。陸に船をつけてから三日経ってこの辺りまで来たってことは、あと三、四日はかかるんじゃない?」
「水も食料もぎりぎりですね。プックルとガンドフには皆よりガマンしてもらっていますし……」
他の仲間の数倍は食料が必要になるプックルとガンドフは、自らその量を減らして旅の食糧事情に協力していた。ふさふさの毛に覆われている彼らの体がやせ始めているのは、リュカにも分かっていた。しかし彼らにもっと食べても良いと言っても、プックルは無言で俯き、ガンドフは「ダイジョウブ、ガンドフ、オナカイッパイ」とすぐに分かる嘘をついて食べようとしないのだった。
「そろそろ具合が悪くなる仲間も出てくるかも知れんのう。スラりんも水をそれほど取っておらんから、最近しなびてきたようじゃ」
マーリンの肩に乗るスラりんが小さな声で「ピー……」と鳴く。その体はほとんどが水でできているというのに、表面がかさつき、ところどころしわができている。第一、マーリンが肩に乗せていてもあまり重く感じていないようだ。
仲間たちと確認し合いながら砂漠を進み、これまで進んできた距離とオアシスの位置は大よそ合っているはずだと、リュカはこれからの砂漠の進み方を変更することに決めた。
「夕方から夜にかけて、一気に馬車を進めよう。朝方少し休んで、また昼間は少しずつ歩いて……そうすれば一日早くオアシスに着くはずだよ」
「賭け、ですね」
「じゃが、そうするのが良さそうじゃ。あとはこのオアシスの位置が合っていることを祈るばかりじゃ」
リュカは世界地図を一緒に覗き込むピエールとマーリンの言葉を聞いて自信を得た。しかし何かが足りない。そう思って顔を上げると、馬車の荷台に寄りかかって体を休めるビアンカの姿があった。さすがの砂漠の旅の過酷さに、彼女も疲労の色を隠せない。俯いて溜め息をつく彼女を見て、リュカは心配そうに話しかける。
「ビアンカ、大丈夫? 具合悪かったら馬車で休んでて」
話しかけるリュカにビアンカは気づかないようで、足元の砂漠の一転を見つめたまま、再び深く静かな溜め息をついた。
「ビアンカ?」
「えっ? ああ、どうしたの、リュカ。そろそろ行くの?」
いつもなら自ら会話に首を突っ込んでくる彼女が、今はすぐそばで話している仲間の話に耳を傾けてもいなかったようだ。砂漠の旅は想像以上に彼女への負担になっているのだと、リュカは心配そうな表情を隠しもせずビアンカの顔を覗き込む。
「顔色、悪い?」
「……それって私に聞くこと? 鏡でもなければ、自分の顔色なんて分からないわよ」
相変わらずリュカの気遣いが少し抜けていて、ビアンカは思わず小さく笑ってしまった。しかしその笑みにもいつもの元気は乗らず、彼女の顔に疲労の色は如実に表れている。
「カガミ、ハイ」
急に目の前が大きな影に覆われたと思ったら、ビアンカの目の前でガンドフが鏡を差し出していた。ガンドフは旅の途中、度々荷物の中からラーの鏡を取り出しては見つめているのだ。真実を映すという鏡に、一体ガンドフの何が映っているのかは分からないが、ガンドフは鏡を覗いている時はいつもニコニコしている。
差し出されたラーの鏡を受け取り、ビアンカは何も考えないまま鏡の中の自分を覗き込む。真実を映し出す鏡には、ビアンカの笑顔が映りこんでいる。しかし今、ビアンカは決して笑顔になっているわけではない。リュカの心配する通り、長旅の疲れが出ているような顔をしているはずなのだ。
「大丈夫、疲れてないみたいよ」
「でも……」
「疲れてるとしても、それはみんな一緒でしょ。平気、平気。それに私、せっかくだから砂漠の旅を楽しみたいのよ。こんな機会、めったにないでしょう? ひろーい砂漠を旅するなんて、旅の醍醐味って感じがして素敵だわ」
喋っているうちに、ビアンカは自分の中にいつもの活力が沸くのを感じた。ひと月半もの間船に揺られ、まだ時折体が揺れているような感覚に包まれ、船旅の疲労は確実にある。しかし幼い頃から夢見てきた冒険の旅に出ているのだ。夢が叶うことがどれだけ恵まれているのかを、ビアンカは今一度噛みしめた。ちょっとした疲労で根を上げている場合ではない。そう考えたら、今身体が感じている疲労など、吹き飛ばすことができた。
「さあ、行きましょう行きましょう。こんなに暑いところで無暗に休んでいても、それこそ疲れるだけよ」
ビアンカはそう言うと、足取りも軽やかに砂漠を歩き始めた。長い船旅で感じていた疲れは、気持ちを切り替えるだけで払拭することができた。旅の疲労はまだそれだけのものだと、ビアンカは強い日差しに照らされる砂漠の美しい景色を見渡して、今度は力強い笑みを見せた。そんな彼女の様子を見て、リュカも安心したように馬車を進め始めた。
砂の景色の中、変わるのは空の景色だけだ。しかしそれも、太陽の位置が徐々に変わり、空の色が変わり、月と星の位置が変わり、再び砂漠の遥か向こうから朝日が昇るだけだ。その間、砂漠の景色はどこがどう変わったのか、リュカには良く分からなかった。馬車を止めて少し休んでいる間に、馬車の車輪の跡もリュカたちの足跡も、砂漠を吹く風によって消されてしまい、簡単にもと来た道を戻ることもできない。何も知らないまま、そして魔物の仲間たちがいなければ、リュカは砂漠のど真ん中で立ち尽くしていただろう。既にリュカにとって砂漠の景色は美しいものではなく、むしろその果てしなさに恐怖を抱き始めていた。
馬車の進め方を変更してからさらに二日が経ち、しかし砂漠の景色はまだ一向に変わらず、どこを見渡しても砂と空と雲しか目に入らない。束の間、朝方に休息を取っていたリュカたちは、朝日が砂漠の地平線に見えると、溜まる疲労で重くなった体を起こして馬車と共に歩き始める。
夜明けの砂漠の冷え込みは相当なもののため、リュカたちは皆体を寄せ合って、体温を奪われないように休息を取るようにしている。スラりんとピエールは特に寒さに弱いわけではないため、暖を取る必要もなかったが、メッキーは寒さに弱いらしく、体をぶるぶると震わせながらガンドフとプックルの間に潜り込んで休んでいた。リュカとビアンカも同じように、プックルとガンドフに包まれるように休息を取るようにしている。太陽が照り付ける日中はぐったりとしているプックルとガンドフだが、冷え込む朝方に皆と体を寄せ合って休息を取っている時はその表情も安らいでいた。メッキーやリュカ、ビアンカと体を寄せ合う温度がちょうどよいらしい。
「リュカよ、計算では今日にはオアシスに着くはずじゃの」
比較的寒さに強いマーリンは夜明けよりもかなり前から目を覚まし、ゆっくりと夜空を移動する星々を眺めていた。そしてその位置から、今自分たちがいる場所がどの辺りなのかを大よそ計算していた。
「そのはずだけど……あまりにも景色が変わらないから不安になるね」
「砂漠って、初めはワクワクしたけど、これほど乾き切った景色がずっと続くと、さすがにちょっと嫌になるわね」
そう言いながら欠伸をするビアンカを見て、リュカも釣られて欠伸をする。オアシスへの道を急いでいるため、休息の時間は短い。常に寝不足の状態で、砂漠の旅を強行しているのだ。彼らの疲労はピークに達していた。
日が昇り、再び砂漠に日差しが照り付ける。一面変わらない砂漠の景色をぼんやり見つめていたリュカは、ふとその景色の中に異変を見つけた。遠くに見える砂漠の一点に、何かが動くのを見たのだ。この砂漠で動くものと言えば、砂漠に棲む生物か、魔物か、と言うところだ。リュカたちが砂漠の旅を続ける中、他の旅人と会うことは一度もなかった。リュカは目を細めて動いた景色を見つめる。溜まる疲労のせいで、目も霞み始めているのだ。
「あれは、魔物だよね」
魔物の気配にリュカが最も早く気づくことが、異常事態だった。大体、魔物の気配に一番に気づくのは魔物の仲間たちなのだ。それだけ魔物の仲間たちの疲労は蓄積されていた。
「ピーピー」
馬車の荷台に乗っていたスラりんが外に出て来て、パトリシアの鞍の上に乗ると、同意するように鳴き声を上げた。リュカはスラりんの返事を聞いて、途端に目を輝かせた。
「近づいて行ってみよう」
それは一般に旅をする者として間違った行動だった。自ら進んで魔物に近づいていくような無鉄砲な旅人はいない。魔物を目にしたら、まずはどう避けるかを考えるべきなのだ。
しかしリュカは、これから進もうとしている方向に魔物が見えたことに、ある種の錯覚を覚えた。あの魔物がオアシスまで案内してくれるのではないか、もしかしたら近くにオアシスがあって、魔物はそこで休息を取っていたのではないか、リュカの頭の中には都合の良い考えが次々と巡り、それを止めるだけの冷静さも欠いていた。
リュカの考えに異を唱える者もいなかった。砂漠の熱さ寒さによる疲労で思考が澱んでいたせいもあるが、それ以上に皆がリュカと同じような気持ちだったのだ。向かう方向に動く影を見つけただけで、それが動物であろうと魔物であろうと、リュカたちは一様に何かの希望を見つけたような気がしていた。
パトリシアの疲労もピークに達していたが、彼女の火事場の何とやらが尋常なものではないことをリュカは知っている。以前、ルラフェンの町からサラボナに向かう途中も、砂漠の旅をしたことがある。その時の彼女も砂漠の旅でかなりへばっていたが、遥か前方に緑の景色を望んだ瞬間、信じられない勢いで砂漠を疾走したのだ。パトリシアはリュカの言葉に耳をピクリと動かし、すぐさま己の役割を理解したようだった。砂漠を疾走とまではいかないにしても、今までの倍のスピードで砂漠を進み始めた。
徐々に近づいてくる魔物の影だが、ある程度近づいたところで、ふっと魔物は姿を消した。忽然と消えた魔物に、リュカはただぽかんと口を開ける。
「……消えた?」
「まさか……蜃気楼と言うヤツだったのでは……」
「ウソでしょ? そんなこと、あっていいはずがないわ」
「蜃気楼にしては、消え方がおかしかったように思うがのう」
短い会話をする内に、再び前方に何かの影が見えた。砂漠の一部が盛り上がったようなその魔物は、砂漠の一部でもあった。砂漠の砂の中を自由に移動し、突然人間の前に現れて襲いかかったりする。その体は泥でできており、砂漠に棲むとは言え、体を維持するために水を必要としていた。その姿を確認したマーリンが、信じられないというような声を上げる。
「こんなところに何故マドルーパーが?」
「どういうこと?」
「あやつの体は泥でできているはずじゃ。泥と言うことは近くに水があるということか?」
「えっ、本当に?」
マーリンの言葉に、リュカだけではなく仲間たちが一斉に期待の眼差しを遥か前方に見える魔物に向ける。そんなリュカたちの重く真剣で異常な期待に気づいたかどうかは不明だが、砂漠の中を自由に移動するマドルーパーという泥の魔物はいそいそとリュカたちの期待から逃れるように離れていく。マーリンの言葉に期待しか見い出せないリュカは、意地でもマドルーパーを見失うまいと、残された体力とは相談せずに必死になって魔物の後を追う。魔物の後をついていけばきっとオアシスに辿り着くはずだと、彼の本能がそう呼びかけていた。
「ッキッキー!」
それからしばらく魔物の後を追い、日差しが中天に差しかかった頃、上空にいたメッキーが歓喜の声を上げた。その声に、リュカたちも今までの疲労を吹き飛ばすような笑顔を交わした。暑さでふらふらと下りてきたメッキーを受け止め、リュカは彼をそのまま馬車の荷台に運んだ。無理をして上空遥か高い所を飛び続けたメッキーは、軽いめまいを起こしていたようだった。メッキーの頭の上にスラりんが乗り、メッキーの中にこもった熱を冷ます。
「みんな、大丈夫?」
目的地を目にし、ほっと胸を撫で下ろしたところで、リュカは今一度仲間たちの様子を確認した。返事をする気力もないほど疲労困憊の状態の中、皆はただ頷いたり、力ない笑みを見せたりと、一応の反応は見せた。灼熱の太陽が照りつける中、皆無理をして普段の倍以上の速度で歩みを進めていたのだ。今ここで倒れてもおかしくないほどの疲労が彼らを包んでいる。そんな彼らを見て、リュカは残っていた水を皆で分け合うことにした。かなり節約して飲んでいた水だが、もうほとんど残っておらず、それぞれがひと口ふた口飲めばそれで終わりだった。
「どうにか行けそうよ」
水の力でひりついていた喉を潤し、ビアンカは言葉を発することができた。たったひと口ほどの水だったが、カラカラになっていた彼らには大いに助けとなった。
「がうがうっ」
早く行こうと言わんばかりに、プックルがリュカを急かす。その気持ちは一緒だが、仲間たちが皆同じように水で体力が回復しているわけではない。マーリンはまだ言葉を発することもできない状況だ。ガンドフのピンク色の耳もまだ元気なく横に寝てしまっている。メッキーもめまいこそ治ったものの、まともに起き上がれない状態だった。
そのような状況で一人、目的地のオアシスに息を巻く者がいた。前足で砂をかき、ブルルルッとやる気十分の鼻息を吐き、今にも走り出さんとするパトリシアだ。馬車の荷台を運んでいるパトリシアには皆よりも多めの水を分けたが、それでもこの巨大な白馬にとってはほんのささやかな量だったはずだ。しかし彼女はその量の水でまるで百人力を得たかのように、目に光を宿らせ、全身に力を溜めているような雰囲気すらあった。
「みんな、馬車に乗って」
リュカの指示で、皆は戸惑いつつも馬車の荷台に乗り込んだ。身体の大きなガンドフとプックルは荷台に乗らず、外に出たまま様子を見ていたが、一向に進もうとしないパトリシアを見て、リュカが彼らにも荷台に乗るように呼びかけた。
「パトリシア、大丈夫なのでしょうか?」
皆が乗り込んだ荷台はかなりの重量がある。しかしパトリシアが本気を出せば、そんな荷台も楽々引いてしまうことをリュカは知っている。彼女の馬力は通常の馬とは比べ物にならない。もしかしたら仲間たちの中で最も強いのは彼女かも知れないと、リュカはそう思う時がある。
「きっと大丈夫。でもオアシスに着いたら、まずは彼女を休めてあげよう。それでいいかな」
リュカの言葉に皆が賛同の意思を見せたところで、馬車が急に動き始めた。初めゆっくりと進み始めた馬車は徐々にその速度を上げ、その内砂煙を上げて走り始めた。相変わらずのとてつもない馬力に、リュカは馬車にしがみつきながら後方に上がる砂煙を信じられないというように首を振って見つめていた。



「あの魔物、どこに行っちゃったんだろう。オアシスの場所を教えてくれたからお礼を言いたかったのに」
「律儀なことじゃの。マドルーパーは別段、お主にオアシスを教えたわけでもないと思うがのう」
「この近くに棲んでいるのかも知れませんよ。今度会ったらお礼を言うのもいいかも知れませんね」
「本当に命拾いしたものね。旅をしていると、こんな風に魔物に助けられることもあるのね」
リュカたちは無事、夕方前にはオアシスに辿り着いていた。一面砂漠の景色に突然現れた緑の景色は、それだけでリュカたちに気力を与えた。それはパトリシアも同様で、馬車を走らせていた彼女はオアシスを目にした途端、さらにスピードを上げ、オアシス付近に棲む魔物たちをその勢いで蹴散らすように馬車を疾駆させた。ガンドフやプックルと言う重い仲間が荷台に乗っているにも関わらずだ。そんなスピードを経験したことがないガンドフは、驚きで目を丸くし、そして無邪気に楽しんでいた。
全力を使い切ったパトリシアは今、草地の上に立ち尽くしたまま、一歩たりとも動けない状態だ。足元には久しぶりに目にする青々とした草があると言うのに、彼女はそこに首を下ろすことも億劫だと言わんばかりに、何もできないでいた。リュカが彼女の口元に草を運ぶと、ようやくそれを口にし、ただ咀嚼する。桶に水を汲み、口元に運べば、激しい音を立てて水を飲み始めた。何度かそれを繰り返すと、彼女はようやく落ち着いたようにその場で眠りに就いた。リュカには想像もできないような体力を使ったのだろう。木陰で休むパトリシアの背を撫で、彼女の疲れを労わった。
仲間の皆もそれぞれ休息を取っていた。スラりんとピエールはようやく地面に下りられると、存分に草地の感触を味わっていた。近くに水の湧き出る泉があり、そこで仲間たちは今までの渇きを一気に潤すようにがぶがぶと水を飲んでいた。喉の渇きが癒えると、水を得た魚のごとく、プックルが木登りを始める。そして木に生っている大きな実を下に落とし、それらを皆で分けて食べ合った。
「近くに人がいなくて良かったわね」
ビアンカにそう言われるまで、リュカは近くに誰かがいるかどうかなど気にもしていなかった。魔物の仲間を連れている特殊な状況をすっかり忘れていたのだ。もし近くに人間がいれば、魔物たちが自由にオアシスを満喫する姿を見て、一体どのような反応を示すのか。それは簡単に想像できた。
「リュカ、そういうこと全く考えてなかったわね?」
「うん、考えてなかった。だって……」
「まあ、私も少ししてから思い出したんだけどね。それだけ余裕がなかったのよね」
リュカたちが休息を取るオアシスはそれなりの広さがあり、遠くまで緑が見渡せる。水を飲み、食べ物を少し腹に入れると、リュカはようやく落ち着いて周りを見渡した。草や木の緑ばかりが見えると思っていた景色の中、少し離れたところに人間が建てたであろう小屋のような影が見えた。小屋の近くには一頭の馬ではない何かの動物が砂漠の旅での休息を得ているようだ。
「もう少し休んだら、あそこに行ってみましょう。きっと誰かいるわ」
ビアンカは既にその小屋を見つけていたようで、既に好奇心旺盛な目を輝かせてリュカに呼びかける。新しい発見をする時、彼女は決まって子供に戻ったような純粋な目を向けてくる。リュカはその度に心が救われる思いがするのだ。
「そうしよう。僕たちの外にもこの砂漠を旅する人がいるはずだもんね。港に船はなかったけど」
「旅人でなくても、このオアシスに住んでいるのかも知れないわ。だとしたらすごいわよね、こんなところに住むなんて。一体どんな人なのかしら。旅をしているにしたって、こんな広い砂漠を旅するなんて、きっと変わり者よね。私たちもそう思われるだろうけど、私たちにはちゃんとした目的があるんだもんね。勇者様のお墓参りに行くっていう……あ、でもそれも話したら変わり者だと思われちゃうのかしら。わざわざこんな危険を冒して勇者様のお墓参りに行くなんて、笑われちゃうかな」
これまでの砂漠の旅の疲れはどこへやら、少しの休息を得ただけでビアンカはすっかり気力を充実させていた。それと言うのも、このオアシスと言う特別な環境や、テルパドールにあるという伝説の勇者の墓の存在に心躍らせているためだった。冒険心をくすぐる事象に出会うと、彼女は途端に元気を取り戻す。
「あ、今、私のこと『単純なヤツだな』って思ったでしょ?」
「思ってないよ」
「そうやってすぐに答えるのは、思ったってことよ。何よ、バカにして、ひどいじゃない」
「バカになんかしてないよ。ただ、いいなぁって思っただけだよ」
「それがバカにしてるってことよ。いいなぁって何なのよ」
「君のことが好きだってことだよ。そんなこと、言わなくても分かると思ったのになぁ」
リュカが笑いながらそう言うと、ビアンカはぐっと声に詰まり、顔を真っ赤にする。そして悔しそうに顔を歪めると、そのままリュカに背を向けてしまった。
「とにかく、後であの小屋へ行ってみましょう。誰かがいるといいわね」
「そうだね。あそこに何か生き物が繋がれてるから、絶対に誰かいるはずだよ」
リュカがそう言いながら指差す先には、木に繋がれたラクダが興味深そうにリュカたちを見つめていた。
広いオアシスにはリュカたちの外に人気はなく、魔物の仲間たちも大いに休息を取ることができた。今日は一日ゆっくりとオアシスで休むことにし、リュカは魔物の仲間たちにのんびりしててと言い残し、ビアンカと共に見えていた小屋へと向かった。
久しぶりに目にする建物にリュカもビアンカも期待を胸に近づいて行ったが、傍に来て見てみると建物はそれほど大きいものではなかった。砂漠を旅する者にとってこのオアシスは天国のような場所だが、そんな旅人を受け入れるような宿泊施設は備わっていない。単純に個人が所有するこじんまりとした小屋だった。
「緑もあって、まさに砂漠のオアシスね。でもここで暮らすのは大変そう……」
ビアンカは周りの緑の景色をぐるりと見渡し、そして目の前の小屋を見ながらそう呟く。小屋の脇に繋がれているラクダは、近づいてきたリュカとビアンカに眠そうな目を一度向けると、その後は何もなかったかのように近くに生えているサボテンを食べ始めた。ちょうど食事の時間だったようだが、トゲだらけのサボテンを食べるラクダに、二人は揃って目を丸くした。
「これって、美味しいのかな」
「いや、美味しいとかの前に、痛くないのかしら。口の中にトゲが刺さりそう」
「痛さを超える美味しさがあるから頑張るのかも知れないよ」
「でも食べた後にずっと口の中が痛いのは嫌でしょ。それにここには他にも食べられそうなものがあるのに……」
ビアンカの言う通り、ラクダの足元には草も生えている。パトリシアであれば迷わずそちらを食すだろうに、このラクダは敢えて危険を伴いそうなサボテンをムシャムシャと食べている。そんな姿を見て、ビアンカもリュカと同じようにもしかしたらサボテンはとても美味しいのかも知れないと思い始めた。
「わんわん!」
すぐ傍で犬の鳴き声が聞こえ、リュカは後ろを振り向き見た。するとリュカたちに向かって走ってくる小さな犬と、その後ろから老人がゆっくりと歩いてくるのが見えた。砂漠に住む割に毛足の長い犬を見て、ビアンカが同情するように言う。
「犬は暑くても毛皮を脱げないから大変よね」
「でも日陰にいる分にはちょっと寒いくらいだから、これくらいでいいのかもよ」
「涼しいって言ったって、ほら、ちょっと日向を走っただけで舌を出して辛そうに息をしてるわ。毛を刈ってあげた方がいいんじゃないかしら」
「じゃ後でプックルとガンドフの毛も刈った方がいいかな。その方が砂漠の旅は涼しいのかも」
「そうね、それがいいかも知れないわ。後で二人に言ってみましょう」
リュカとビアンカが勝手な話をしていると、犬の後について歩いてきた老人が物珍し気に二人をじろじろと見る。
「おや、お客さんとは珍しいのう。どちらから来なすった?」
砂漠のオアシスに住む老人の目は、まるで子供のように輝いていた。杖をついているものの、さほどそれを必要としていないような歩きぶりだ。
「ポートセルミから船で来ました」
「なんと、そんなに遠くからはるばるこんなところに来るとは、変わった方々じゃのう。砂漠の旅で疲れたじゃろう。狭いが中へ入って休まれよ」
そう言うと老人は、リュカとビアンカを小屋の中へと案内した。オアシスに生える木で造られた小屋の中に入ると、途端に肌に感じる温度が冷たくなった。まるで氷でも置かれているかのように、中はひんやりとしている。外気温との差が激しいためそのように感じるだけだったが、リュカもビアンカも思わずぶるっと身震いし、マントで体全体を覆うように巻き付けた。
「テントの中は驚くほど涼しいじゃろ。日を避け、風を通すだけで、ここはとても住み良い場所なんじゃよ」
「テント?」
「ワシはそう呼んでおる。ほれ、中はこうして布を張っておる。洒落てるじゃろ? まだ商売をしておった時に仕入れた布を継ぎ合わせて作ったんじゃ」
老人が自慢気に話すのは、様々な美しい布を張り合わせた大きな布だった。刺繍が施されていたり、美しい幾何学模様に織られていたりと、一つ一つが豪華さを漂わせていた。そしてその全てが頑丈な作りだった。まるでどこかの邸宅で絨毯として使われているかのような、そうそう破れそうもないものだ。
「テントのなかって涼しいね。日が直接体に当たらないとこんなに違ってくるもんなんだ……」
「それだけじゃないよ。この布が熱を遮ってくれてるんだ」
「おお、よく気づいたの、若者よ。これはな、テルパドールの城にも献上したことのあるものなんじゃ。それだけ良い品物なんじゃぞ」
老人の言葉に、リュカもビアンカもはっと息を呑んだ。二人の反応には気づかぬ老人だが、犬の頭を撫でながら話を続ける。
「ここから砂漠を西に歩けばテルパドールの城。女王様が収められる砂漠の国じゃ」
老人はそう言いながら目を細めて窓の外を見る。西の窓に見えるオアシスの緑の向こうには、延々と続く砂漠の景色が広がる。オアシスを抜ければ、そこに建物や植物の影は何も見当たらない。
「テルパドールのお城って、ここからどれくらいかかるんでしょうか」
リュカが問いかけると、老人は訝し気な顔をして二人の旅人をじろじろと見る。
「まさかお主ら、歩いてここまで来たわけじゃなかろうな」
「外に馬車を待たせています。他の仲間たちもいます」
「何故他の仲間たちは一緒におらんのだ。何かワケでもあるのかの?」
このオアシスに暮らすのは恐らくこの老人と犬、それに外に繋がれているラクダくらいのものなのだろう。このオアシスは旅人の休憩地点としては使われるものの、ここに住もうと思う者はかなりの変わり者に違いない。他の人々と集落をつくって暮らすのではなく、単独でこのような特殊な環境に暮らす老人に、リュカは事実を話してみることにした。
「仲間たちは魔物なんです。魔物たちと一緒に旅をしているんです」
青年の思わぬ言葉に、老人は目を丸くして言葉を失った。何を言ったのかよく分からない、そんな雰囲気だった。
「ちょっと、リュカ……」
「大丈夫だよ、きっと分かってくれる。みんながみんな、分かってくれないわけじゃないんだ」
オラクルベリーの町には闘技場があり、そこでは魔物たちが日々戦いを繰り広げている。町の中に魔物が入れるのは、町に住む一人の老人のおかげだった。魔物と仲間になれる老人は、町の中では多少特別な目で見られているかも知れないが、それでもオラクルベリーの町に受け入れられているから町で暮らすことができているのだ。魔物を魔物と思っていない人間は世界にまだまだいるのだと、リュカは信じている。
リュカの予想通り、砂漠の老人は好奇心を隠し切れない様子で椅子を立ち上がる。
「仲間が魔物じゃと? どこにおるんじゃ? ワシも見てみたい」
リュカと共に窓辺による老人に、リュカは窓の外を指差して仲間がいることを知らせる。はるか遠くに大きな白馬がひく馬車が見え、オアシスの木々の合間に、何やら人間とは異なる形の生き物が動くのが見え、老人は楽し気な声を出した。
「なんとまあ……あれは熊か? あっちは虎か? あの空を飛んでおるのはなんじゃ?」
砂漠では見かけない生き物の姿に、老人は興奮気味にリュカに問いかける。砂漠のオアシスに一人で住んでいるような変わった老人は、やはり一風変わった好奇心の持ち主だった。リュカが馬車を引いて仲間たちを連れてくると、老人と共に暮らす犬は初め警戒の吠え声を上げたが、いつの間にかガンドフに抱っこされたまま眠ってしまっていた。
「リュカ殿、ずいぶん思い切ったことをしましたね」
ピエールにそう言われ、リュカは困ったような笑みを浮かべる。そんなリュカの顔を見て、老人はプックルの横腹を撫でながら笑って言う。
「たとえワシが魔物を受けつけんでも、ワシ一人ではどうすることもできんからのう。まさかこんな虎や熊と戦うわけにもいかん。で、別段ワシを襲う気もないお主らはお主らで、何もしないわけじゃから、こうしてお主が魔物の仲間を連れてくることに何も問題はないわけじゃ。そう言うことじゃろ?」
「まあ……そういうことです」
「リュカと言うやつは案外、ズルい奴じゃのう。それならそうと、ワシらにも言っておいてくれれば良いものを」
「ホント、リュカってそういうこと、何も言ってくれないわよね。一人で勝手に思って行動するの、良くないわよ。ちゃんと相談してからにしてね」
ビアンカは仲間に相談しないことにも腹を立てていたが、妻である自分に何も言わなかったことにも腹を立てていた。リュカとしてはそんなつもりは毛頭なかったが、結果としてビアンカにも魔物の仲間たちにも何も言わずに先走って行動してしまったということだ。
「まあ、でも何も問題なかったからいいよね」
「あーーーっ、そういう態度って良くないと思うわ。私もみんなも不安だったのよ。仲間を不安にさせるなんて良くない。たとえ小さな不安でもそれが大きくなったら……」
「大きくならないうちに話してくれれば、僕どうにかするよ」
「話してくれればじゃないでしょ。気づくようにしてよ」
「えぇー、気づかないものは仕方ないじゃないか。気づかないものを気づけって言われても、無理があるよ」
「そんな開き直りみたいなこと……」
ビアンカがそう言いかけたところで、老人の笑い声がテントの中に響いた。テントの中には今、魔物の仲間たちもくつろぎ、中は込み合っている状態だが、それでも特に暑さを感じないほど中は涼しい。オアシスの小さな小屋の中で非常に平和な空気が流れている。
「おお、すまんすまん、邪魔をしてしもうたの。しかしあまりにも仲が良さそうじゃから、つい笑ってしもうた」
「こやつらは所構わずこうやって痴話喧嘩をするから、一緒にいるワシらが恥ずかしくなる時があるんじゃ」
「じゃがそれも楽しんでおるんじゃろ?」
「ふふ、まあのう。ワシらが楽しんでおることを二人は知らんようじゃがの」
砂漠の老人とマーリンが会話をすると、まるで旧知の仲のような雰囲気が漂う。砂漠の老人は既に魔物の仲間たちと完全に打ち解け、膝にスラりんを乗せてぽんぽんと寝かしつけるように叩いている。老人と共に暮らす犬も、今はプックルの隣でうつらうつらするほど寛いでいた。
「しかし魔物が仲間とは心強いものじゃ。しかもあれほどの立派な白馬に馬車を引かせて、その上自分の船まで持っているとは……お主、一体何者じゃ? ただ者ではなかろう」
「僕自身はただ者のつもりなんですけど……成り行きでこういうことになったんです」
「じゃとしたら、とんでもない強運の持ち主じゃの。それほどの強運を持っていれば、テルパドールにも首尾よく着きそうじゃ」
砂漠の老人は時折このオアシスを訪れる旅人と話をすることがある。おおよそテルパドールに向かう旅人だが、老人は彼らの旅装などを見て、旅を中断するように勧めることもしばしばあるのだ。テルパドールの城への道のりは険しい。砂漠の旅を幾日にも渡って続けなければならない。そのような過酷な旅に耐えうる旅人なのかを、老人は見極めているのだった。
老人はリュカにテルパドールへの道を詳しく教えた。砂漠には一見、何の目印もないように見えるが、老人には目印となるものがいくつかあるらしく、途中にある木や岩、それに砂丘の形などを確認しながら行けば迷うことはないとリュカたちに助言した。このオアシス以外にも、ちょっとした飲み水を確保するくらいの水源はあるらしい。リュカは地図を出し、老人に聞いた目印となる木や岩の位置などを描き込んでいった。テルパドールの城の位置も改めて正しい位置を聞いた。
「ワシはもう、テルパドールへの旅は止めてしもうたからの。この年になるとさすがにあそこまでの長旅には耐えられんわい。今ではたまにラクダに乗って少し遠出するくらいじゃよ」
「テルパドールにはよく行っていたんですか?」
「商売をしておった頃はよく行っとった。今は気ままな隠居生活じゃ」
砂漠のオアシスに住む老人は、砂漠のスペシャリストだった。もし彼に出会わないままテルパドールに向かっていたら、リュカたちは果たしてテルパドールに辿り着けていたかどうかも怪しい。それだけ砂漠の旅と言うのは特殊なものなのだ。
「くれぐれも己らの足跡を頼りにはしないことじゃ。砂嵐が来ればものの数分で跡形もなくなるからの」
その他にも、老人はリュカに様々な話をした。魔物の仲間たちとも会話を楽しんだ。親切にしてもらったお礼をしたいというリュカに、老人が「このキレイなおなごを置いていけ」と言った時には、怒りに震えるリュカをピエールが必死に止めたが、老人は大よそリュカたちに非常に親切だった。
ただあまりにも話が込んで、いつの間にか夕闇が迫る頃になり、リュカたちは揃って老人のテントで一晩を明かすことにした。魔物たちと共にテントの中で休むという経験は初めてで、休まなくてはならないリュカもついつい夜更かしをしてしまった。それはビアンカも同じだったようだ。しかしそれでも、砂漠を歩いてきた時のように順番に見張りをする必要もなく、皆が揃って休息を取ることができ、翌朝はすっきりとした状態でオアシスを旅立つことができたのだった。

Comment

  1. ピピン より:

    ビビさん

    以前にもあった砂漠旅ですが、今回は一段とキツそうなのは気のせいでしょうか( ̄▽ ̄;)
    原作では戦闘込みで数分で終わる旅なので気付かないですけど、ホントに過酷な旅ですよね。

    にしても「このキレイなおなごを置いていけ」には笑いました(笑)
    他嫁ルートでビアンカに会いに行った時に、ピピンが言った台詞に対する主人公の反応を思い出しました(´∀`)

    • bibi より:

      ピピン 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      今回の砂漠はとんでもなく広大な砂漠なので、命がけです。しかも長い船旅を終えてからぶっ通しで砂漠の旅なんで、そんじょそこらの人だったらとっくにくたばってます。ゲームでは一瞬の出来事ですけどね(笑)
      ドラクエに出てくるおじいちゃんキャラは決まってそういうことを言うことになっています。セクハラなんて、この世界にはないのです(笑)
      ピピンくんは面白いキャラみたいですね。私はあまりメンバーに入れたことがないのでよく知らないのですが、よくネタにされているのを目にします。お話に登場してもらうキャラとしてはいいかも……ふふふ。

      • れむ より:

        ビビ様

        最近このサイトを見つけやっと追いついたのですが、一話一話がすごく丁寧でまるで一緒に旅をしているかのような感覚でいつも楽しませてもらってます(笑)

        砂漠越え、大変そうですね…
        ゲームでは数分ですが実際は船での長旅からですから余計でしょう、リュカ君、応援してますよ〜(笑)
        オアシスのおじいちゃんはリュカの敵ですね。ビアンカ大好きですし(笑)

        これからも臨場感溢れる作品を期待しています。がんばってくださいね!(^∇^)

        • bibi より:

          れむ 様

          コメントをどうもありがとうございます。
          追いついてしまいましたか。これからはもっとのんびりの旅が始まりますよ。何せ更新が遅いので……(汗)
          ゲームでは数分で終わるところを引き延ばし引き延ばし話を書いているので、この旅、なかなか終わりません。終わりが見えなくて辛いです(笑) 本にしたら、今、何巻目になるのかしら。
          リュカの敵となるおじいちゃんは世界に何人もいることでしょう。でも本当の敵にはなり得ないので、きっと傍でビアンカは笑って見ています(笑)
          応援のお言葉、ありがとうございます。これからも頑張って話を書いていければと思います^^

  2. ピピン より:

    ビビさん

    回復呪文さまさまですよね。
    山奥の村の温泉のおじいちゃんがまさにそんな感じでしょうか(笑)

    確かに、キャラが濃いのでネタには困らないでしょうね(笑)
    どこか暗い青年期後半の旅も彼のおかげで明るくなると思います。面白いだけじゃなくて凄く良い事も言ったりしますし。

    装備さえ整えれば充分戦力になるので、リュカにとっては頼もしい部下になりますよ( ̄▽ ̄)

    • bibi より:

      ピピン 様

      回復呪文が使えるって、素敵ですよね。今でこそ怪我などはしなくなりましたが、寝不足の時なんかに使いたい。
      山奥の村のおじいちゃん……そうです、あの人こそまさにそう言うキャラを象徴しています(笑)
      青年期後半はとんでもなく暗い要素が満載なので、明るくするためにも彼にも一役買ってもらいますか^^

  3. ケアル より:

    ビビ様!
    こんな想像絶する砂漠の旅なら、息子と娘(ティミーとポピーになるのかな?小説やCDシアターどおりなら)が生まれて、天空の兜を取りに行く時を思うと…(汗)
    あれ…リメイクPS2はルーラで行けるようになってたかな?(忘れました)
    砂漠の戦闘を次回、見てみたいです(礼)

    • bibi より:

      ケアル 様

      いつもコメントをどうもありがとうございます。
      兜を取りに行くときは、親心発動でルーラを使用することになるかも知れません。子供たちとの旅が始まったら、ルーラを頻繁に使いそう……(過保護)
      次回は砂漠の戦闘ばかりになりそうな予感がします。戦いに明け暮れ、消耗し切った状態でテルパドール着、みたいな。まあ、大神殿脱出の時に比べたら、まだ余裕があるかな。

  4. ケアル より:

    ビビ様!
    あの大神殿のタルの漂流は、読ませて頂いて、ビビ様の文才の高さに惚れさせて頂いた作品の一つでありますよ。
    ゲーム内では数分で終わるのに、ビビ様にかかれば、感動の物語になりましたよ。
    自分…3回、読み返しております(笑み)
    マリアの思いやりと発熱の意識混濁、ヘンリーの頑張りとリュカに対する友人の心模様、リュカの痺れクラゲの毒の麻痺と最後の死にものぐるいの泳ぎ…。
    あの話を作った時のビビ様の苦労がヒシヒシと伝わる素敵な小説でありました(好)

    • bibi より:

      ケアル 様

      大神殿からの漂流の話は、書きながらぐったりした覚えがあります^^; 書くだけでも何か、消耗しました。またこれからも何度か、そう言う話が出てくるんだろうなぁ。石にされる時とかはヒドイ状態になりそうです…。
      でも3回も繰り返し読んでいただけるような話になっていたとは……。また頑張って書いていきたいと思います。話を書く効能として『やつれる』じゃなくて『痩せる』と言うのがあれば、さらにやりがいが生まれるんだけどなぁ。上手く行かないものです(笑)

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