2017/12/03

砂漠に棲む危険な魔物たち

 

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一面砂漠の景色は初め、全てが同じ景色に見えた。しかし砂漠の旅をしているうちに、景色に違いが見えてくるのを感じた。オアシスで出会った老人に教えられた通り、砂漠にはところどころ丘があり、その形も様々なのだとしばらくしてから分かるようになった。
そして砂漠には砂漠だけがあるわけではない。砂漠も雨季の時期には雨が降ることがあり、その時には洪水が起きることもあるという。カラカラに乾いた砂漠の景色を見ていると信じられない事実だが、今リュカたちが歩いている平らな道はその時にできる川の跡らしい。雨季の大雨が降ると、この場所は大量の水に見舞われ、うっかりこの場所を旅していると洪水に見舞われ命を落とすこともある。オアシスの老人曰く、『テルパドールに着く頃が雨季に入る頃。用心しなされ』と言うことで、今はまだ乾季らしい。リュカたちは毎日変わりない強い日差しを浴びながら、涸れた川の跡を迷うこともなく歩き続けていた。
川の跡には一時的な水の恩恵を受けたかのように、植物も生えていた。パトリシアにとっては前に進むための活力となる重要な食料で、時折馬車を止めては点々と生える草をありがたく食べていた。リュカも一度口にしてみたが、かなり噛まないと呑み込めないほど固く、食料が尽きたら食べ物として考えてみようと思う程度の草だった。
草が生えている近くにはサボテンが生えていることもあった。オアシスの老人にサボテンは食べられるのかと聞いた時、食べられるものとそうでないものがあるということだった。何も知らずにその辺に生えているサボテンを食べてしまうと、毒に当たることもあるという。オアシスにいたラクダが食べていたサボテンは毒もなく、しかもほんのり甘みすら感じるような美味しいものだったようだ。同じサボテンが生えていたら食べてみようと、リュカは時折見かけるサボテンをまじまじと観察することもあった。
「リュカ、危険なことはやめてよね。まだ馬車に食べ物はあるんだから、そんなところで冒険しないで」
サボテンの毒は軽い症状でも腹痛や下痢を引き起こすという。水が貴重な砂漠の旅でそんな事態に陥ったら、それだけで致命的だ。しかもサボテンの種類は多岐に渡り、素人目には見分けづらいほどよく似ている。毒があるのもないのも、似ているのだ。少しの違いを見落として、うっかり毒のあるサボテンを食べてしまったら、自滅することになる。
「今はまだ食べないよ。でもこの先、もしかしたら食料が尽きることもあるかも知れないだろ。だから今は見分ける練習。どこがどう違うのかなぁって」
「それならいいけど、あなた、夢中になってうっかり食べちゃいそうだから心配なのよ。ちゃんと見分けるって目的を忘れなければいいけど、食べられるかもって思った瞬間に食べちゃいそうなのよね、リュカって」
「そんなにうっかりしてるかな、僕」
「してるわよ。そういうところでうっかり屋さんよ、あなたって」
「でも今までも何とかなってきたし、きっとこれからも何とかなるよ」
「楽観的ね~。ま、それも一理ありそうだけど」
リュカのこれまでの人生を、ビアンカは想像することしかできない。しかし彼はこれまでにも幾度となくとんでもない窮地に陥ったことがあるはずだ。それをことごとく切り抜け、今もこうして魔物の仲間たちと共に過酷な砂漠の旅を続けている。油断は禁物だが、それでもリュカと言う人間には何か窮地を回避する能力が備わっているのではないかと、ビアンカはそう思ってしまう。
「これは食べられるんじゃないかな……」
そう言いながらサボテンの葉の一部を剣で切り落とし、葉肉をまじまじと見ているリュカを見て、ビアンカは慌てて夫の肩をつかむ。
「今、ちょっとなら……って思ったでしょ」
「……どうして分かったの?」
「分かるわよ、そんなの。もうサボテン研究はおしまい。さあ、ここには湧き水もないようだし、先に進みましょう。時間が経てば経つほど、砂漠の旅は辛いだけだわ。早くテルパドールを目指しましょう」
リュカたちはオアシスの老人に教えてもらったいくつかの目印を頼りに、砂漠の旅を続けている。次の目印は何かと地図を確認し、砂漠の彼方を眺めていたところ、リュカの視界にゆらめく一点が映りこんだ。目を細めてその揺らめきを見ていると、それは徐々にこちらに近づいてくるようだった。
「どう見ても、人じゃないよね、あれって」
「どう見ても、魔物でしょ、あれは」
まるで砂漠の暑さを楽しんでいるかのように、踊るようにリュカたちに近づいてくる魔物の影は何体かまとまって動いている。その魔物の姿を見たマーリンが、深いため息をつきながら言う。
「炎の戦士にとってはこの暑さが心地よいのかも知れんの。何とも、イカれた奴らじゃ」
「前に遭遇したことがありますね。火山の中に入っていた時、ですね」
「ああ、炎のリングを探しに行ってた時か」
リュカがそう言うと、ビアンカがその言葉にほんの少し体をびくつかせた。リュカの左手薬指には今も炎のリングがはめられ、赤い宝石の中には常に小さな炎が渦巻いている。不思議な威力を秘めていることは明らかだが、ビアンカにとってはそれよりも気になる事実がそこにある。
炎のリングは当初、リュカがフローラと結婚するために探していたものだ。今でこそリュカとビアンカの結婚指輪として二人の薬指にはそれぞれ炎のリングと水のリングがはめられているが、それらは本来、リュカとフローラが身に着けていたかも知れなかった。再会する前、リュカが様々な冒険を経てきたことは理解しているつもりだが、彼がどんな気持ちで炎のリングを探しに行っていたのかと考えると、ビアンカは複雑な想いを抱いてしまう。
「あの魔物たちも、言葉が通じないのかな」
「恐らくそうじゃろう。逃げるか戦うか、どうするんじゃ?」
「もう見つかってますから、逃げるなら早いところ逃げないと、囲まれますよ」
ピエールの言う通り、敵の炎の戦士は集団で姿を現していた。見える魔物の影は六体。動く炎に取り囲まれたら、リュカたちは逃げ場を失い戦うしか手段がなくなる。一番の懸念は馬車だ。馬車を燃やされたら、一巻の終わりだ。馬車には旅に必要な水や食糧が積んである。それらを全て燃やされたら、リュカたちの旅はこの場で詰むことになる。
リュカたちの前に喜々として現れた炎の戦士たちは、いかにも楽し気な顔つきでピョンピョンと跳ねるように近づいてきた。全身を炎に包んだ彼らに、水が必要ないのは明らかだ。しかし一体何を動力としているのか、まったく不明だ。全身炎の魔物など、見るからに敬遠したいところだが、その生態を考えると興味深いものもあるとリュカは炎の戦士を見ながらふと考えてしまう。
「あの炎の力を弱めなければ、私たちは近づくこともできません」
「ガンドフ、メッキーに協力してもらわねばのう」
砂漠に棲んでいる炎の戦士の足は速く、あっという間にリュカたちを取り囲んでいた。初め、六体の炎の戦士が見えていたが、いつの間にか仲間が増え、十体の魔物が全身から炎を燃やしながら輪を作ってリュカたちを取り囲んでいた。リュカはとにかく馬車とパトリシアを守るべく、仲間たちに指示を出す。
「とにかく魔物たちを馬車に近づけないように。呪文で牽制しよう」
ガンドフとメッキーは炎に対抗するべく冷たい息を吐いて魔物の炎の力を弱める。しかしそれも三体から四体に対しては有効だが、それ以上の魔物を一度に攻撃できるわけではない。輪となって取り囲む炎の戦士全体に一度に攻撃できるものではなかった。
リュカとピエールも呪文で応戦する。真空呪文と爆発呪文で炎の戦士たちを一時的に遠ざけることはできるが、あまり有効な攻撃手段ではなかった。炎の戦士の実体がどのようなものなのか、攻撃呪文を浴びて全身から炎を散らす魔物を見て、リュカは思わず唸りながら考えていた。
スラりんはパトリシアの背に乗りながら、馬車をより安全な場所に細々と移動させていた。パトリシアに近づく者には噛みついてやると言わんばかりの顔つきで、スラりんは炎の戦士たちを睨み続けている。
ようやく三体を倒したところで、リュカは目の前の光景に目を疑った。減っているはずの魔物の数が、増えているのだ。炎の戦士は今、十三体にまで増えていた。見れば、まだ炎の戦士たちは次々と姿を現している。まるで炎の輪に取り囲まれたような状況に、リュカのこめかみに冷や汗が流れる。
リュカは火炎の輪が自分たちを取り囲む景色に、過去の記憶が呼び覚まされるのを感じた。砂漠の景色はまだ昼間だというのに、リュカの周りだけ真っ暗な建物の中に変わる。自分たちを取り囲む炎の中に、幼いヘンリーの姿が見える。息苦しい炎の中で、徐々に意識が遠のくのを思い出す。真っ暗な古代遺跡の中が炎の赤に照らされ、輪となった炎の外側に、薄笑いを浮かべる魔導士の姿が見える。リュカの全身が絶望に包まれる。
そんな記憶が脳裏に蘇った瞬間、リュカの忌まわしい記憶を吹き飛ばすかのような轟音が響いた。まるで空気を切り裂くような音は、プックルの雄たけびだった。敵から発せられればそれは見もすくむような恐怖を感じる声だが、リュカにとってプックルの雄たけびは力を得られるものだった。
プックルもあの場所にいたのだ。ラインハット東にある古代遺跡、そこにはリュカとヘンリー、そしてプックルもいた。炎の戦士たちが輪になって取り囲む景色に、プックルもリュカ同様、あの時の記憶が蘇ったに違いない。そしてその記憶をかき消そうと、聞いたこともないようなとてつもない雄たけびを上げたのだ。それは何よりも、プックル自身がぶるぶると震える自分の体と心を奮い立たせるためだった。
リュカは冷静に今の状況をもう一度、見直した。今はあの頃のように子供ではない。プックルも大きくなり、より頼れる仲間になった。魔物の仲間たちもリュカの周りにいる。沈みそうになる心を支えてくれるビアンカがいる。リュカは力を失いそうになっていた手に力を込め、剣の柄を両手でぐっと握りなおした。
炎の戦士たちはプックルの雄たけびで身をすくみあがらせていた。メラメラと音を立てて炎を撒き散らせていた魔物の体の炎が、大分縮こまったように見える。魔物にも性格があるようで、その中で最も身をすくませ炎を小さくしていた炎の戦士に、リュカは剣で切りかかっていった。リュカがあっさりと一体を倒したことで、仲間の魔物たちも勢いづいた。
ピエールもプックルも、いつもよりもキレのある攻撃で、炎の戦士に切りかかり、飛びかかっていった。ガンドフやメッキーが冷たい息を吐くタイミングで敵に襲いかかり、炎を極力浴びないようにしている。
相手が炎の魔物のため、火炎呪文を得意とするマーリンは戦闘に参加せず、専ら馬車を安全な場所に移動させることに注視していた。常にパトリシアと共にあるスラりんもマーリンの指示でパトリシアにピーピーと話しかけている。パトリシアはもはや親友となったスラりんの言葉に合わせ、馬車を徐々に魔物の群れから遠ざけることに成功していた。一度、炎の戦士たちが何体か群れになって襲いかかってきた時には、スラりんが全身から輝きを放ち、その光の中に炎の戦士たちは消し去られてしまった。スラりんが稀に唱えることのあるニフラムという呪文に、炎の戦士の数が半減したことに、リュカたちの戦闘はぐっと楽になった。
いつもより数段力が漲り、リュカたちは炎の戦士たちとの戦闘に一気に片を付けた。自分でも信じられないくらいに戦闘があっさり終わったことに、リュカは達成感よりも不思議に感じる気持ちの方が強かった。
「私の呪文も役に立った?」
そう言われてようやく、ビアンカの呪文の効果で戦闘が楽に運べたのだと気づいた。ビアンカはリュカやピエール、プックルに攻撃力が増すバイキルトを唱えていたのだ。途中から全身に力が漲っていたのは、彼女が呪文をかけたからだった。
「ビアンカ殿の助けがなければ、恐らくもっと苦戦していたでしょうね」
ピエールは既に気づいていたようで、剣を収めながらビアンカに礼を述べていた。
「でも一番の活躍はやっぱりスラりんだったんじゃないかしら。あれってどうやったの? 敵が一気に消えちゃうなんて、不思議な呪文よね」
「ピー、ピキー」
「スラりん自身にもよく分かっておらんようじゃの。前にも見たことがあるが、あの光はとても魔物が出せるものではないぞ」
マーリンの言う通り、スラりんの体から発せられる光はまさに神々しく、それはまるで天国への扉が開いたかのような現象なのだ。その光の中に呑み込まれる魔物たちはもしかしたら良い最期を迎えられたのではないかと思うほど、ニフラムの光は神がかっているように見えるのだ。
戦闘を終えて話をする仲間たちを、リュカは一人ひとり眺めた。ビアンカにもスラりんにも助けられた。それは確かな事実だ。しかしもし、この中で誰か一人でも欠けたらどうなるのだろうと、リュカはふと考えた。皆がそれぞれの働きをしているから、今があり、これからがあるのだ。誰か一人でも欠けてしまったら、途端に旅のバランスが崩れてしまう。旅は苛酷で、いつどうなるとも知れない可能性をはらんでいる。しかしそれでも、旅を続ける限りは誰一人として失うことはできないと、リュカは改めて旅を続ける責任を感じた。
「みんながいるからこうして旅を続けられるんだ。誰一人だっていなくなっちゃダメだよ」
マーリンが冷静に戦況を見ていたから、馬車を安全に守ることができた。プックルの空に轟くような雄たけびのおかげで、攻撃の突破口を見い出せた。ガンドフとメッキーの氷の息の力がなければ、炎の戦士に近づくこともできなかった。ピエールの臨機応変な攻撃と回復のバランスがなければ、仲間の誰かが倒れていたかも知れない。リュカの中では、誰が活躍したなどと、誰かを選んで言うことなどできないのだ。
「リュカ、あなたもよ」
そう言われて、リュカははたと気がつく。誰一人欠けてはならないと思う中に、自分が含まれていない。今の戦闘を振り返り、自分のしたことは一体何だったのだろうと、具体的に思い返すことができない。
「リュカ、タビ、タノシイ。ミンナ、タビ、タノシイ」
リュカがいるからみんなが旅を楽しんでいるのだと、ガンドフは大きな目を大きく開けたままリュカに話しかける。そもそも旅をしているのは、リュカの母親を探す目的で続けているのだ。その旅が楽しそう、面白そう、リュカという人物について行きたい、そう思っているから、こうして魔物の仲間たちが加わり、苦しくも楽しい旅を続けていることを、リュカはつい忘れてしまう。
「みんな、ありがとう」
「それはこちらのセリフです、リュカ殿」
「お主のおかげで、魔物としての人生が面白いと思えるようになったからの。今戦った炎の戦士たちなんかは、つまらん人生を送ってきたと思うぞ」
そう言いながら笑うマーリンを見て、リュカは彼がどんなに辛い状況でも、その状況をどこか客観視して楽しんでいることに、思わず笑ってしまう。
その時、リュカのすぐ近くに何かが落ち、ドサッと大きな音が響いた。新たな魔物かと咄嗟に身構えたが、砂の上に落ちたのは目を回したメッキーだった。炎の戦士との戦闘でずっと冷たい息を吹き続け、時には回復呪文を使って仲間をサポートしていたメッキーは、どっと出た疲れに目を回し、砂の上に倒れてしまったようだった。慌ててリュカが抱き上げて馬車の荷台に乗せ、スラりんとガンドフで看病をする。そんな連携も自然と行えるようになったことに、当のリュカは気づかない。しかし新参者であるビアンカは彼らの自然な連携を微笑ましく、また羨ましい気持ちで見つめていた。
「さあ、ここでのんびりしていてもまた魔物が来てしまうわ。先に進みましょう」
「地図を見ると、次の小さな水場で少し休めそうですね。各自、少し水を摂ってから行きましょう」
「次の水場で何か美味しいものでもあるといいんじゃがのう」
「マーリン、下手に期待すると、なかった時のショックが大きくなるよ」
話をする四人の傍で、プックルが激しい喉の渇きを潤わせるように器に入れられた水を盛大な音を立てて飲んでいた。とても会話などに参加できないと言わんばかりに、必死の形相で水を飲む。そんなプックルの姿を見て、リュカは改めて砂漠の旅の苛酷さに、仲間たちに負い目を感じると共に、仲間たちに心からの感謝を感じた。



砂漠の旅は少しでも道を逸れるとすぐに死に直結するため、リュカたちは急ぎつつも慎重に馬車を進めていた。なるべく雨季にできた川の流れた跡を進む道として選んでいるが、その道が都合よくテルパドールまで一直線に伸びているわけではない。
今彼らが歩いているのは、完全に砂しかない景色の中だった。どこを見渡しても草木一本生えていない、涸れた土地だ。そこにあるのは砂と風と温度だけで、何の生物の気配も感じない中をずっと歩き続けるのは、想像よりも体力と精神力を消耗した。ただでさえ昼間の太陽の熱には体力を奪われるというのに、そこに強い風が吹き荒れ、目の前の景色が砂で覆われると、もう自分にできることなど何もないのではないかと思ってしまうほど、心が弱くなるのだ。
馬車の水はまだ残りに余裕がある。しかし水があればいいというものではない。目印も何もない砂だけの景色は、前に進んでいるのかどうかも分からず、リュカはよく『道を戻っているのではないか』と錯覚を起こすようになっていた。魔物の仲間たちの嗅覚をもってしても、誰一人としてこれほど広大な砂漠の旅を体験したことがないため、果たして自分たちは今どこを歩いているのだろう、何をしているのだろうと、訳が分からなくなる時があった。
リュカたちの歩いている場所は今、ちょうど風の発生しやすい土地で、少し馬車を進めたかと思ったら砂嵐のため足を止めざるを得なくなることがしょっちゅうだった。砂嵐が起こると、視界が完全に奪われ、何も見えなくなるのだ。それ以前に、砂が魔物のように襲いかかってくるため、まるで目を開けていられない。砂嵐が起こった時には、ただひたすら嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。
「こんなに砂嵐が起こるなんて、おじいさんには聞かなかったね」
オアシスで出会った老人から砂漠の旅について様々な事を教えてもらったが、老人もすべては教え切ることができなかったのか、砂嵐については何も語っていなかった。砂漠に暮らす老人にとっては、砂嵐など日常で、話すべき対象から外れていただけなのかも知れない。
「予定よりも少し遅れていますね。このままでは次の水場まで水が持つかどうか……」
「でも今必要な分だけはちゃんと摂らないとダメよ。ピエール、あなたちょっと我慢してるでしょ。しっかり水を摂っておいてね」
ビアンカが指摘するピエールの緑スライムは、見た目にも少ししなびていた。まるで老いてしまったようにシワができたピエールを見て、マーリンが思わずふっと笑い声を上げる。
「それくらいのシワじゃったら、ピエールにも貫禄が出て良いかも知れんぞい」
「マーリン、そんな冗談やめてよね」
それだけのやり取りで、彼らの間には和んだ雰囲気が漂う。まだ冗談を言っていられる状況なのだと、リュカは少し元気を取り戻した。
彼らは今、馬車の荷台に乗って砂嵐をやり過ごしていた。荷台の出入り口を布で覆い、砂が入るのを防ぐ。外にいるパトリシアは首を下に向け、まるで彫像のごとく微塵も動かず、目を閉じてひたすら砂嵐に耐えていた。そんな彼女の頭から首にかけては、リュカの濃紫色のマントが頭巾のように被せられていた。
荷台が倒れそうになるほどの強風が外で吹き荒れるが、ガンドフやプックルも乗っているため、幸い倒れることはなかった。馬車の幌を激しく揺らし、荷台もぐらぐらと揺れるが、砂嵐の中では馬車の荷台が最も安全な場所だった。ただ、砂嵐が過ぎ去った後、大抵の場合馬車の車輪が砂に埋もれているので、そこから脱するのが少々面倒だった。
「ねえ、リュカ。もしテルパドールに勇者の子孫がいたら、これを渡すんでしょ?」
そう言うビアンカが手にしていたのは、布でぐるぐる巻きにされている天空の剣だった。刃先が特殊な形状をしているため合う鞘がなく、剣全体を布で巻いてあるのだ。
「あとルドマンさんに頂いた盾もよね。伝説の勇者の子孫だったら、これを軽々持てちゃうのかしら。凄い怪力ってことよね。だってこれ、とても重いもの」
天空の剣も盾も、他の武器防具と同じような大きさで、特別巨大と言うわけではない。ただの道具として持ち運ぶだけならば、ビアンカにも手にすることができる。しかしそれをいざ装備しようとすると、まるで何か違う物体になってしまったかと思うほど重くなり、とても持っていられない状態になるのだ。
「ビアンカ、装備しようとしたんだね?」
「え? そ、そりゃあそうよ。だってカッコイイじゃない、こんなに綺麗な剣や盾が装備できたら。それに私がもし勇者だったら、リュカのお母様を助けるお手伝いができるってことでしょ。それって最高なことだと思わない?」
「思わないよ」
「どうしてよ。リュカの旅の目的が一つ、叶うってことなのよ」
意外そうな顔つきをするビアンカに、リュカは溜め息をつきながら自身の中の事実を述べる。
「君が勇者だったら? 冗談じゃないよ。どうして君に僕のお母さんを助けてくださいなんてお願いしないといけないんだよ。君には危ないことをしてほしくないのに、君がもし勇者だったら、僕は君に『僕のために危険なことをしてください』って言うことになるんだよ。できるわけないだろ、そんなこと」
「でも結局こうして一緒に旅をしているんだから、同じことじゃない」
「全然違うよ。全然違う。本当は君にはこんな危険な旅に一緒に来てほしくなかったんだ。山奥の村でお義父さんと一緒に待っていて欲しかったんだよ」
「待つって、いつまで待てばいいのよ。その間にも私もリュカも年を取って、再会する頃にはお互いにおじいちゃんおばあちゃんになっているかも知れないじゃない。それこそ冗談じゃないわよ」
「そんなにならない内に母さんを見つけて戻ってくるよ」
「それに旅先でもし素敵な女の人と出会ったら、浮気するってことも考えられるわね」
「何だよそれ。それはない、絶対にない」
「絶対なんて言い切れないわ。そもそもリュカはフローラさんと結婚することになってたのに、私と一緒になってるわけだし。これも一種の浮気よね。だからもし私が一緒に旅に出ていなかったら、あなた、またそういうことをするかも知れないわ」
「それもない、絶対にないよ。君はまだ分かってないな。僕がどれだけ君のことを好きか、まだ分かってないんだね」
「分からないわよ。あなたは私だけじゃなくてみんなが好きなんだもの。いわゆる“博愛”ってやつよ」
「ハクアイ? それって何?」
「博愛って言うのは~~~~……」
リュカとビアンカの口喧嘩は、仲間の中では珍しい光景ではない。二人がこの辛い砂漠の旅でも元気に言葉の応酬をしている姿を、魔物の仲間たちは温かい目やら呆れた顔で見守っている。結局、二人は仲が良いのだ。いくら喧嘩をしたところで、この夫婦は知らぬうちに仲直りをして、それまでよりも絆を深めるということをこれまでにも幾度となく繰り返している。
プックルが大欠伸をし、ガンドフは楽し気に目を細めて二人を見ている。スラりんとメッキーは野次馬のように、楽しそうに歓声を上げたりしている。
「あの後、また一層仲が良くなるんでしょうね。人間の夫婦と言うのは不思議なものですね」
「二人は大真面目に喧嘩をしとるんじゃろうが、ワシらから見たらじゃれているようにしか見えんからのう。お互いに離れられないくせに、口先だけで喧嘩をしとるから、面白いわい」
喧嘩も終盤を迎えると、ただの会話になり、二人とも喧嘩をしていたことも忘れたように、ただ疲れたというように並んで眠ってしまった。プックルが二人の頭を囲うように身を丸め、一緒に寝始める。今まで元気に響いていた二人の声がなくなると、馬車の中には砂嵐の音だけが残された。
「砂嵐が止んだら起こしましょうか」
「そうじゃの。それまでゆっくり寝かせておいたらええ。恐らく、最も疲れているのはこの二人じゃ」
激しい砂嵐の中では、砂漠に棲む魔物たちも行動はできない。彼らも砂嵐が止むのを砂漠のどこかでひたすら待っているのだ。それを良いことに、他の魔物の仲間たちも一斉に休息を取り、馬車の中は砂嵐の音と皆の寝息の音で満たされた。
砂嵐が止んだ頃、陽はちょうど中天に差しかかったころだった。勢いを増した日光に馬車内の熱が上がり、その暑さにリュカは目を覚ました。隣で寝転んでいたビアンカは、珍しくまだ眠りこけている。いつもは自分より早く目を覚ます彼女だが、まだまだ深い眠りに就いているところを見ると、彼女も相当疲れているのだとリュカは妻の頭を撫でた。
「ッキッキー」
魔物の仲間たちは既に目覚めていて、砂嵐の止んだ外の様子を確認していた。メッキーがリュカに『外に出て』と、馬車の外から呼びかける。言われるがまま外に出たリュカは、メッキーの指し示す方向に目を向けた。
激しい砂嵐のせいで、今までリュカたちが通ってきた馬車の跡はきれいさっぱり消えていた。風紋と呼ばれる模様が砂漠全体に現れ、一面に美しい気色を描き出している。しかしそれは同時に、自分たちの通ってきた跡がなくなり、簡単に後戻りはできなくなったという恐ろしい現象でもあった。まるで自分たちが空から広大な砂漠のど真ん中に落とされたかのような錯角にさえ陥るのだ。
その中で一点、遥か遠くに緑の景色が見える。メッキーが教えてくれたそれはオアシスにしては小さすぎるが、明らかに砂漠の景色の中で異質な雰囲気を醸し出していた。小さな茂みくらいに見えるその場所を、リュカは地図で確認する。
「次に目指す水場に近いよね」
「そのようじゃ。あれを目指して行ってみるかの?」
「しかしこのような砂漠で突然、あのような茂みが見えるというのも珍しいですね」
「どうせ行く場所に近いし、確かめてみよう。何か美味しい草とかがあるかも知れないよ」
リュカのその言葉を理解したのか、首を下に向けて休んでいたパトリシアがぱっと顔を上げた。ブルルルッとやる気十分の鼻息を吐き、遠くに見える茂みを燃えるような目で見つめている。
リュカたちは地図を細かに確認しつつ、徐々に近づいてくる緑色の茂みに期待が膨らんだ。日中の太陽はまるで灼熱の炎にでも焼かれるような暑さだが、それでも緑の景色が見えるだけでリュカたちは前に進むことができた。
時折砂にはまる馬車の車輪を皆で持ち上げつつ、馬車はゆっくりと、砂丘を下る時は勢いをつけて進んだ。これまでよりも進みの速くなった馬車の揺れで、ビアンカがようやく目を覚まし、馬車をぴょんと飛び降りてきた。
「ごめんなさい、私だけのんびり休んじゃってたのね」
砂漠の旅はパトリシアの負担を減らすために、なるべく皆は荷台に乗らず、外を歩くようにしている。スラりんとピエールは砂地の上を歩くのに適さない体をしているため、特別に荷台に乗っているが、それ以外の仲間たちは大よそ自分の足で砂漠を歩いているのだ。
「嬢ちゃん一人くらい、パトリシアには何ともないと思うがの」
「でも珍しいね、ビアンカが真っ先に起きないなんて。疲れてるなら馬車で休んでても構わないよ。ねぇ、パトリシア」
リュカの言葉に合わせて、パトリシアもビアンカを優しい目で見つめる。巨大な白馬の首に手を伸ばして、砂にかさついたたてがみを撫で、ビアンカは微笑む。
「大丈夫よ、しっかり休ませてもらったわ。今はどこに向かってるの?」
リュカが近づいてきた緑色の景色を指差すと、ビアンカは途端に目を輝かせてその景色を見つめた。好奇心旺盛な彼女には、珍しい景色がそこに見えるだけで活力になるらしい。
「何あれ? この砂漠では見たこともない草むらみたいね。周りには何にもなさそうなのに、どうしてあそこだけ草があるのかしら。でもあんなに青々とした草むらがあるってことは絶対に水があるはず……」
「ビアンカ、元気そうなのはいいんだけど、声がかれてる。水を飲んでおいで」
彼女は自分でも気づかないうちに無理をすることがあると、リュカは彼女の元気を抑えた。ビアンカは「あら、本当ね」と言いながら、水を補給しに大人しく馬車の荷台に上がっていった。
「まるで子供じゃの、嬢ちゃんは」
「僕より年上のはずなんだけどね。こういう時は本当に子供みたいになるよね」
「しかし元気なビアンカ殿がいるからこそ、この旅は救われているのではないですか?」
「うん、それはそうだよ。子供みたいなビアンカに色々と助けられてるよ」
「ちょっと、誰が子供みたいですって? リュカに言われたくないわよ」
早々に水を飲み馬車を下りてきたビアンカが、リュカの隣に並んで口を尖らせる。そんな素直な反応がまた楽しく、リュカは思わず口元で笑ってしまう。
鮮やかな緑色の草むらに大分近づいたところで、少し先を飛んでいたメッキーが不思議そうに首を傾げながらリュカたちのところへと戻ってきた。
「ッキッキー……?」
「……言われて見れば、そうですね」
「どうかしたの?」
「リュカ殿、私たちはまっすぐあの緑に向かって進んでいたはずですよね」
「うん、そうだよ」
「それなのに、位置がずれているように思いませんか?」
ピエールに言われ、リュカは目を凝らして目的地の景色を見つめる。先ほどまでは砂丘の谷のど真ん中辺りに見えていた緑の草むらが、今は砂丘の坂の途中にあるように見えるのだ。
「本当だ。草むらって移動するもの?」
「そんなわけなかろう。草が移動するところなど見たこともないわい」
「じゃああれって……」
「何かの動物かしら?」
「と言うか、魔物でしょうね」
そんな会話に最も驚いていたのはプックルだった。仲間の中で最も魔物に対して敏感に反応する自負のあるプックルが、もう目の前に見えている緑色の魔物の気配に全く気がつかなかったのだ。慌てた様子で身構えるプックルだが、魔物と思われる緑色の草むらのような景色は動く気配もなく、ましてや戦意など微塵も感じられない。
「でも次の水場があるのもあの近くだし、とりあえず行って確かめてみよう」
「ここまで近づいても何も危険を感じないのも、不思議なものですね」
「魔物じゃなくって砂漠の妖精か何かかも知れないわよ」
「砂漠の妖精じゃあ、あまり渇きは潤せそうにないのう」
リュカたちは大きな馬車と共に移動し、その姿は遠くからもはっきりと確認できるはずだが、緑色の魔物はその気配にもピクリとも動かない。近くまで行って見てみると、それは緑色の体毛で覆われたクマのような魔物だった。リュカたちに背中を向け、集団で身を寄せ合って座っている。一体何をしているのかは謎だった。
「あの、こんにちは。ここで何をしてるんですか?」
町で普通に人に話しかける調子で話し出すリュカに、もうビアンカは驚かなかった。リュカと言う人間は人一倍魔物との戦闘で危険な目に遭っているはずなのに、人一倍魔物を魔物と思っていないのだ。それに危険な魔物であれば、既にリュカたちに気づき襲いかかってきているはずだ。しかし目の前の豊かな草を体中から生やしたような魔物は、対照的な色をしたピンクの尖った耳をピクリと動かすと、人間に対する警戒心など微塵も見せずにゆっくりと振り向いた。
その姿形はまるでガンドフと瓜二つだった。ガンドフの茶色の体毛をそっくり緑色に染めたような魔物で、顔にある大きな一つ目は眠そうに半開きだ。実際、隣に座る魔物は眠っているようで、仲間の肩に寄りかかって舟を漕いでいる。
「この辺りに水場があるって聞いてきたんだけど、知ってる?」
リュカの言葉に緑の熊のような魔物ケムケムベスは、欠伸をしながら大きな手を前方に向ける。リュカたちが建つ場所は小高い丘のような場所で、丘の下に多少の草木が生える水場が見えた。てっきりすぐ近くに水場があると思っていたリュカは、予想よりも遠いところにあるのを見て思わずがっくりと肩を落とした。
「ところで君たちはここで何をしてるの?」
水場から離れた場所でのんびり過ごしているケムケムベスの群れに、リュカは自然に疑問を抱く。ケムケムベスは言葉を持たないようで、ただリュカの言葉にゆっくりと頷き、そのまま目を閉じて眠ってしまった。ガンドフのように仲間になり、ずっと話し続けていれば、そのうち言葉を覚えるのかも知れないが、人間との接点もほとんどないこの場所に棲む彼らが言葉を覚えることはなさそうだ。
「教えてくれてありがとう。じゃあ僕たちはあっちに行って休んでくるね」
眠ってしまったケムケムベスに話しかけ、リュカは彼らをなるべく起こさないように静かに馬車を進めた。同類のようなケムケムベスに興味津々のガンドフだったが、砂漠の暑さでそれどころではないらしく、とにかく仲間たちと共に水場へと重い足取りで歩いて行った。
水場近くに馬車を止めると、リュカはすぐにパトリシアを自由にさせ、まずは彼女に水を飲ませた。ごく小さな湖の水を一気に吸い上げるかのような勢いで水を飲むパトリシアを見て、リュカは彼女が食べられそうな草はあるかと周りを歩き始める。
少し歩くと、草むらの中に何か小さな生き物が動くのを見た。リュカは念のため剣を構え、突然の攻撃に備える。もう一度草むらの中に目を凝らすと、そこに見えたのは小さなスライム一匹だった。
「スラりん……じゃないよね。でもこんなところにもスライムがいるんだ」
草むらに身を潜めるスライムに向かって手を伸ばし、まるで子犬を呼ぶように「おいで」と呼びかけるリュカ。スライムが魔物であることをすっかり忘れており、もはや世の中のスライムは全て仲間だとでも言うような雰囲気すらある。
しかしスライムから見れば、当然のごとく人間は敵であり、戦うべき対象だ。そしてリュカが見つけたスライムは、スラりんとは全く異なる好戦的な性格をしていた。
急に飛びかかってきたスライムの体当たりを、リュカはまともに食らってしまった。不意を突かれたためか、スライムの力が思ったより強いのか、リュカは草むらに倒れ込んだ。不穏な音を聞きつけたビアンカとピエールが、倒れたリュカのところに駆けつける。
「ちょっと、どうしたのよリュカ。……って、スライムじゃない」
「えぇと、こやつに倒されたのですか、リュカ殿?」
小さなスライムに倒されたとは信じられないピエールが、遠慮がちにリュカに聞く。リュカは尻を抑えつつ立ち上がり、「うん、そうみたい」と自分でも信じられない様子で応える。
「うーん、あんまりスライムとは戦いたくないけど、もしこの子が戦うっていうなら、仕方ないわよね」
仲間にスラりんがいるため、どうしても目の前のスライムに対して感情が移ってしまう。ビアンカは気が乗らない様子で呪文の構えを取る。しかしスライムを倒すというより、せいぜい追い払うだけにとどめておこうと、小さな火を指先に灯す。
「ほら、いい子だからあっちに行ってなさい。こんな熱いのを浴びたくないでしょ?」
ビアンカの指先に出た火を見て、スライムは怒ったような声を上げると、逃げずにその場に留まった。リュカたちが一体何事かと様子を見ていたら、気づけば周りはスライムだらけの状況になっていた。一体全体、何体いるのかも数えられないほどの、スライムの大群だ。どこの草むらにこれだけのスライムが潜んでいたのかと思うほど、周囲はスライムで埋め尽くされていた。
リュカたちがぽかんとしている前で、スライムの大群は実に規則正しい動きを始めた。大群が小分けされ、それぞれが号令のような声と共にぴょんぴょんと仲間のスライムの上に乗る。まるで石積みのように隙間なく固まった八匹のスライムは、一斉に掛け声をかけ、次の瞬間には見たこともないような巨大なスライムに変化した。
「おお、初めて見たぞい。これはキングスライムというヤツじゃ」
「キング……本当だわ、頭に冠みたいなのが乗ってる」
「スライムの王様、ですか? しかし王様がこれほどたくさんいてもいいものでしょうか……」
ピエールの言う通り、先ほどはスライムの大群で埋め尽くされていた周囲が、今度はキングスライムだらけになっている。八匹のスライムが合体してでき上がったキングスライムはガンドフと同じほどの大きさになり、リュカやビアンカなどは見上げるほどの魔物になっている。大きくなっても色は青色、顔も変わらず常に笑ったような表情だ。しかしそれが大きいだけで、可愛げよりもむしろ恐怖を覚える笑顔に見える。リュカは思わずごくりと唾を飲みこんだ。
「これは……どうやって戦ったらいいんだろう」
「こうなったら全力を出すしかないわよね。躊躇してる場合じゃないわ」
リュカとビアンカが言葉を交わす傍から、キングスライムたちが一斉に押し寄せてきた。まるで海の真っただ中で大波に襲い掛かられるような景色に、リュカもビアンカも背中合わせになりながら必死に呪文を唱える。身体が大きいから鈍重と言うわけでもなく、キングスライムたちはまるでスライムのように地面を跳ね、大きく飛び上がってリュカたちにのしかかろうとしてくる。その度に地面が揺れるほどの衝撃があった。
キングスライムたちは馬車を引くパトリシアにも容赦なく攻撃をしかけてきた。いくら巨大な白馬であるパトリシアも、魔物と戦う術は持っていない。彼女が倒されるわけには行かないと、リュカたちは全力を出してキングスライムたちを退けようとする。プックルは次から次へと敵に飛びかかり、ガンドフは同じくらいの大きさの魔物に向かって体当たりをして吹っ飛ばしたり、飛びかかられて吹っ飛ばされたりしていた。空からはメッキーが勢いをつけて滑空して鋭い嘴を向け、マーリンもいつになく真剣に呪文を連発して、本気で戦いに参加していた。
ピエールの爆発呪文が炸裂すると、キングスライムたちは爆風に押され、一時的に遠ざかる。その隙にスラりんの指示でパトリシアはより安全な場所へと移動する。リュカは終わりの見えない戦闘に、既に逃げることを考えていた。しかし周りをぐるりと囲まれ、逃げ出す道が見いだせず、リュカたちの体力は徐々に消耗していった。
キングスライムたちは何かに怒っている様子だった。口は笑っているが目は怒っているという、アンバランスな表情なのだ。恐らく彼らの感情の真実は、怒っている方に違いない。怒りの感情があるから、彼らは執拗に攻撃を仕掛けてくるのかも知れないと、リュカは彼らの怒りについてふと考えてみた。
ここには小さな水場がある。旅をする者たちにとっては大事な水分補給の地点だ。しかしそれは魔物にとっても同じことで、仲間のスラりんやピエールにとっては水というものは命そのものだ。彼らの体は水でできているに等しい。
それは目の前のキングスライムたちも同じことだった。彼らは元はスライムで、主に水を得て生きている。先ほどのスライムの大群が得る水場としては、ここはかなり小規模で、果たして全てのスライムたちに水が行き渡るのだろうかと、リュカは純粋にそんなことを考えた。
「ああ、ごめんごめん、そうか、そりゃあ怒るよね」
スライムたちは自分たちが領域としている水場を他の者たちに勝手に横取りされ、怒っていたのだ。スライムたちはこの水場を棲み処としていた。貴重な水を見ず知らずの人間と魔物に分捕られ、スライムたちは腹を立て、キングスライムとなってリュカたちに襲いかかったのだった。
「ほんの少し、水を分けてもらうだけだから。……って、初めに交渉するべきだったな」
リュカが今、話をしようとしても、無駄だった。キングスライムたちは既にリュカたちに襲いかかった理由も忘れ、ただ目の前の敵を倒そうとだけ考えていた。
その時、一体のキングスライムが馬車の荷台にのしかかり、幌が張ってある部分を潰してしまった。潰れてしまった荷台を見て、猛然と怒り狂ったのはパトリシアだった。激しい嘶きを響かせ、馬車を潰したキングスライムに突進した。とてつもない勢いで当たられたキングスライムは、その巨体を宙に浮かせ、吹っ飛んで行った。
パトリシアと同様、プックルも馬車の荷台を潰された状況に、全身の毛を逆立てて怒った。砂漠の旅で唯一楽しみにしている馬車の荷台での休息を、キングスライムに奪われてしまったのだ。周囲の砂漠の砂を巻き上げるような雄たけびを上げると、プックルは獰猛な獣の本質を思い出したかのように容赦なくキングスライムたちに次々と襲いかかった。
パトリシアとプックルの怒りの攻撃で、リュカは突破口を見出した。いくら激しい攻撃をしかけても、あまりにも多勢に無勢で、全てのキングスライムを倒すという想像はできない。今更キングスライムたちに水を少し分けてほしいという交渉もできない。もうこの場から逃げるしか方法はない。
「パトリシア、逃げるよ!」
リュカが必死に呼びかけて、パトリシアはようやく主人の顔を振り向き見た。パトリシアとしては全てのキングスライムを倒してやる、くらいの気持ちを持っていたようだ。砂漠の旅での皆の休息場所を奪ったヤツらを許せない、そんな優しい感情からの怒りだった。
一部、敵の層が薄くなったところに、ピエールが爆発呪文イオラを放った。後押しするようにマーリンがベギラマを、ビアンカがメラミを唱え、逃げ道を確保できたとリュカは瞬時に判断した。
リュカが手綱をぐっと引っ張り、パトリシアはそれを合図に猛然と走り始めた。パトリシアの全速力について行けるのはプックルぐらいだが、荷台が潰されてしまった今は、他の皆も自力で走るしかなかった。逃げる最中も、リュカたちはずっと呪文を唱え続け、キングスライムたちを退けることに全力を尽くした。
どうにか逃げ切り、皆が一息つく場所は、砂漠の真っただ中だった。周囲は砂しかなく、走った後の息を整えるにはあまりにも酷い状況だ。少し風が吹けば砂が舞い上がり、それを吸い込めば砂が喉に張り付き、咳き込んでしまう。喉を潤すには水が必要だが、先ほどの水場に戻るわけにも行かず、潰されてしまった荷台から水の入った革袋を引っ張り出し、リュカたちは残り少ない水をどうにか分け合った。
馬車の荷台は潰されてしまったものの、車輪は無事だったため進むことはできる。残り僅かな水も、食料もとりあえず無事だった。しかし砂漠の旅での心地よい休息場所だった幌の張った荷台は見事に潰されてしまった。
言葉を口にするのも辛い状況の中、リュカはピエールたちと次の給水地点の場所を確認する。次の場所には好戦的なスライムがいないことを祈りつつ、リュカたちは馬車を進めようとした。
その時、リュカはふと冷たい空気が流れてくるのを感じた。何も遮るもののない砂漠の真っただ中、灼熱の太陽が照り付ける中、冷たい空気はすぐ近くからそよいできていた。
「あ、さっきの……」
見れば、先ほど砂丘の上でぼんやりしていたケムケムベスたちが近くまで来ていた。彼らのすぐ近くには、何故か氷の塊が砂漠の砂の中から突き出ている。灼熱の太陽に焼かれ、氷はみるみる溶けているが、氷に当たってそよぐ風はとても涼しい。
「やっぱりガンドフと似てるのかな。氷を出すことができるの?」
リュカがケムケムベスに近づこうとした瞬間、リュカの爪先数センチのところに、鋭い氷の刃が突き出た。あとほんの少しでも足を先に出していたら、リュカの足は氷の刃に貫かれていた。
「リュカ、逃げるぞい。そやつらも危険なヤツらじゃ」
「えっ? そうなの?」
「弱っている私たちを仕留めて、食べるつもりかも知れません」
「そう言われて見れば、そんな気もしてきたわ。何だか、あの大きな目が、怖い……」
ガンドフと同じように見えていた大きな一つ目が、急に怪しげな光を帯びてきたような気がして、ビアンカは思わず後ずさりをしていた。リュカもケムケムベスたちに危険を感じ、すぐに逃げ出す構えを取った。
リュカたちが逃げる周りに、次々と氷の刃が砂漠の砂の中から突き出した。ケムケムベスたちはあの水場でキングスライムたちが弱めた人間たちを仕留めて、自分たちの食料にしようと思っていたようだ。もしかしたら常日頃、そのような方法を以って旅する人間たちを標的にしているのかも知れない。そう思うと、あのぼーっとしている雰囲気がカモフラージュにも見える。リュカは砂漠の厳しい真実を見たような気がして、逃げながらも体が震えるのを感じていた。

Comment

  1. ピピン より:

    ビビさん

    今回は結構ハラハラしましたね…ケムケムベスとキングスライムの連携怖い…( ̄▽ ̄;)
    荷台も心配ですね…ヘンリー助けてー!(笑)

    そう言えばケムケムベスの移動する草原は最初蜃気楼かと思いました(笑)

    • bibi より:

      ピピン 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      砂漠はただでさえ命がけですが、それは魔物にとっても同じことで、彼らも生きるのに必死です。ケムケムくんはガンドフと同じようでいて実は……と言うことにしてみました。だって、砂漠で生きてるんですもの、色々とぎりぎりなんです。
      荷台は壊れたまま進むしかないので、このままテルパドールへ向かいます。資金援助としてヘンリーを呼ぶのも考えましたが(笑)、彼らの友情の形が変わりそうだったので止めときました(笑)
      ケムケムベスを蜃気楼と見間違う旅人もいるでしょうね。でも蜃気楼と見間違う方が良いのかも知れません。うかつに近づくと、悪気ない顔で襲ってきますからね。

  2. ケアル より:

    ビビ様!
    コメントが遅くなり本当にすみません…。
    仕事が忙しく、寝落ちすることが多々ありまして…。
    やっと読めました!
    まさか、砂漠にキングスライムを出して来るとは、さすがはビビ様!
    オワシスなら居ても可笑しくないですよね。
    荷台…どうしましょうか…?
    プックルの雄叫び、早速登場ですね(笑み)
    嬉しいです。
    この調子で気合い貯めもお願いしますね。
    ちなみにメッキーの凍える吹雪やガンドフの特技も、もっと見たいです。
    ビビ様?…呪文を唱える時、○○呪文と書かれているだけのこともありますが、ドラクエファンが、このサイトを見ているので、そのまま呪文名でもいいのではないでしょうか?その方が、読み手側も自分は良いように感じます。
    ご検討くださいませ〜。
    テルパドール…いつになるやら…。

    • bibi より:

      ケアル 様

      いつもコメントをどうもありがとうございます。
      お仕事がお忙しいようですね。お体壊されませんよう、ご無理なさらずm(_ _)m ……どうせ次の更新まではまだ日がありますから(苦笑)
      キングスライムはどこかで出してやらねば、と思っていたのですが、からっからの砂漠であえて出してみました。水のない場所に棲むスライム、きっと鋭い眼光をしています。常に渇きと戦っていますから。
      荷台は……勢いで壊してしまった(おい)けど、テルパドールでどうにかしてもらいましょう。と言うか、どうにかします。金欠だけど。
      魔物の仲間たちの特技に関しては、これからも徐々に出していければなぁと思います。彼らにもたくさん活躍してもらわないといけませんもんね。
      呪文の表現は、そうか、私はあまり意識しておりませんでした。小説という世界の中で、なんとなーく〇〇呪文という表現をしていました。そのまま呪文名、検討いたします。ご提案ありがとうございます^^
      そろそろテルパドールに着かないと私がやってられないので、次のお話では着いてるかな~。

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