2017/12/03

過去の勇者、未来の勇者

 

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テルパドールの城は決して装飾が派手ではなく、豪華な造りには感じられない。その代わり城に使う石は、全て他のところでは見ないような特殊な石が使われていた。石と言っても削り出してそのまま使用しているのではなく、一度人の手によって加工され、レンガとして作られた石が規則正しく積み上げられている。装飾にこだわりがない代わりに、城の造りは丁寧で隙のないものだった。恐らくこの砂漠地域に適した素材で、人々が暮らすにはこの石が最適なのだろう。昼間の灼熱地獄も、夜の寒々とした空気も、城の中にいれば何も感じることはなく、他に訪れた町や村のように快適に過ごすことができる。
城の装飾にこだわりが感じられないところに、リュカはこの国の温かさを感じていた。もしこの砂漠のただ中に様々な装飾が施された華やかな城が建っていたとしたら、そこに国の主の傲慢さを感じていただろう。これだけの大きな城を建てるのに、どれだけの人間が、どれだけの月日が必要だったかは分からない。しかしそこには必ず、多くの人々の力が必要なのだ。
伝説の勇者を祀る心、女王を敬う心、見知らぬ人にも優しく接する心、そのようなものがこの国全ての人々に行きわたっているようだった。それは遥か昔、この国が建国されて以来ずっと続いてきた国の、国民の性質なのだろうとリュカは思った。城の周りには常に砂漠の苛酷な環境があるにも関わらず、テルパドールの人々は自分以外の人にとても優しく、困った人や旅人を見るとすぐに声をかけて手を差し伸べてくれる。過酷な環境にあるからこそ、互いに手を取り合い励まし合う気持ちが生まれたのかも知れない。その最も先頭に立っているのが、アイシス女王だ。彼女がその精神を持って、国民を導いている。
「リュカ、私たちまだこの国に来て教会に行ってないわね」
ビアンカもリュカと同じように、城の内観に視線を巡らせながら話しかけてきた。彼女は彼女で、何か色々なことを考え、感じているのだろうとリュカは思った。それだけ特別な雰囲気がこのテルパドールにはあった。
「行ってもいい?」
「もちろん。でも、どうして急に思い出したの?」
リュカが問いかけると、ビアンカは再び城の中を見渡して、小さく溜め息をついて答える。
「母さんに報告しておこうかなと思ってね、無事に旅を続けてますって」
ビアンカは山奥の村に暮らしていた時、毎日欠かさず母の墓参りに行っていた。まだ子供の頃に亡くした母に対する思いは強く、彼女は母と生前語りきれなかったことを毎日毎日、同じことでも構わず話しに行っていた。それは彼女の日課であり、彼女が毎日元気でいられるおまじないのようなものでもあった。
「ずっと船に揺られて、次には砂漠を旅して、長いこと母さんと話をしてなかったなぁって。父さんには手紙を書いたけど、母さんと話ができるのは教会かなって思ったから、行きたくなったのよ」
彼女のその言葉に、リュカはふとこの巨大な城が墓のように感じられた。ポートセルミではこのテルパドールに勇者のお墓があると聞いて来た。実際に祀られていたのは勇者にしか身につけられない天空の兜だったが、伝説の勇者を敬い、弔う気持ちでこの城が建国されたのも間違いではないような気がした。もしかしたら、ビアンカも同じような感覚を持っていたのかも知れない。
「大事なことだね。僕も父さんに報告しに行こう」
「ありがとう、行ってくれて」
「こちらこそありがとう、思い出させてくれて」
優しい国では自然と優しい心が生まれるようだ。今は何に対しても感謝の気持ちが沸いてくるような気がした。
テルパドールの教会は城の中にはあるものの、一度外に出て歩き、東に向かったところにあると聞き、リュカもビアンカも再度灼熱の太陽の下に身をさらすことになるはずだった。しかし彼らの上に太陽の姿はなく、代わりに見たこともないような分厚い雲が太陽を隠していた。外にいる人々は足早にどこかへ向かって歩いていく。見ていると、人々はどうやら建物の中へと入って行っているようだった。リュカたちもつられるようにして小走りに移動し、ちょうど教会に着いた頃、外では雨が降り出した。それも突然で、目の前が見えなくなるほどの激しい雨だ。
「雨に濡れずに済んで良かったですね。この雨は直に止みます。それまでこちらでゆっくりお休みください」
教会のシスターが外の雨を見るリュカとビアンカに話しかけた。シスターとは言え、この砂漠地方に住み、外も出歩くため、服から出る肌の色はかなり日焼けをしている。
「砂漠にもこんな雨が降るんですね」
「ちょうど雨季に入ったのだと思います。でもずっと降り続けるわけではありません。時折、こうして激しい雨が降り、止めばまた強い日差しが戻ってきます」
シスターの話を聞き、リュカはオアシスに住む老人の話を思い出した。老人はテルパドールに着く頃、ちょうど雨季が来る頃だろうとリュカたちに伝えていた。もし旅が遅れ、途中で雨季が訪れたら、洪水に気を付けろと忠告してくれていた。果たしてこれほど乾いた砂漠の土地に雨が降ったところで洪水になどなるものかと訝んでいたが、目の前に起こったまるで滝のような雨を見て、洪水を注意した老人の話が今になって理解できたような気がした。
「お祈りをさせてもらってもいいですか?」
「もちろんです。お好きなところで、どうぞ」
分厚い壁のお陰で、外の激しい雨の音に邪魔されずにシスターとも話ができた。教会の扉も分厚い作りで、扉を閉めてしまえば外の音は遮断され、教会の窓から外の音が微かに聞こえる程度だ。教会と言う特別な場所だけあって、ここは常に静寂に包まれていた。
内部は広く、長椅子がいくつも並び、リュカとビアンカは最前列まで歩いて行き、中央付近の長椅子に腰かけた。教会には他にも旅人や国民の姿があり、各々静かに祈りを捧げている。二人も互いに話をすることはなく、ただ静かに目を閉じ、祭壇に向かって心の中で話しかける。ビアンカは亡き母に、リュカは亡き父に、これまでの旅の出来事をまるで二人きりで語り合っているかのように集中して伝えることができた。
リュカは目を閉じ、父の姿を思い出そうと過去に思いを巡らせた。幼い頃見ていた父は勇猛で、しかし優しく、常にリュカのことを気遣い、大した怪我もしていないのに回復呪文を唱えたりするほど子供思いの父親だった。誰にだって自慢したい父親だった。しかし目を閉じるリュカの前に現れたのは、何やら思い悩むような表情をした父の姿だった。幼い頃にそのような父を見たことがあるのだと、今になって気がつく。当時は父のそんな表情が“思い悩む”ものだとは知らずに、ただ違和感を持って見ていただけだった。
父は恐らく、全てのことに思い悩んでいたに違いない。幼いリュカを連れて旅をすること、勇者が見つからないこと、天空の防具が見つからないこと、妻が連れ去られた魔界への行き方も分からず、父は何も答えが見いだせない現実に焦りを感じていた。先の見えない旅に、小さい子供を連れていく不安は計り知れないものがある。そんな父の不安を、今になってリュカは脳裏に蘇る父の思い悩む表情に見たような気がした。
『父さん、僕が絶対に母さんを助けるからね』
リュカが心の中でそう告げると、父は途端にいつもの微笑を見せてくれた。リュカの声に気づき、リュカの頭を撫でようとその大きな手を差し伸べてくる。子供の頃に見た父の手はとても大きく感じたが、今その手を見ると自分よりも少し大きいくらいに思えた。自分の手もかなり固く分厚くなったが、まだまだ父の足元にも及ばない。その差は父と自分の人生の差を表しているようだと、リュカはふとした悲しみに襲われる。
その時、思い出の中の父が本当に頭を撫でてくれたように、リュカは頭を軽くぽんぽんと叩かれる感触を得た。突然の現実の感覚に思わず目を開けると、そこには祈りを終えたビアンカがリュカの顔を覗き込んで立っていた。
「お父様とお話できた?」
ビアンカの手が頭の上に乗り、まるで思い出の中の父がそうするように優しく顔を覗き込んでいるのを見て、リュカは自然と笑顔を見せることができた。
「うん、できたと思う」
「そう。良かったわね。私もちゃんと母さんと話ができたわ。何だか村でお墓参りする時よりもしっかり話ができたような気がする。どうしてかしらね」
「旅の間ずっと話ができなかったから、話すことがたくさんあったんだよ、きっと」
「とりあえず無事に旅をしていることに安心してくれたと思うわ。リュカにもよろしくって」
「そんなことまで言ってたの?」
「そんなことを言ってたような気がしたのよ。いつもよりはっきり話ができたのも、もしかしたらこの場所が伝説の勇者を祀る場所だからかしらね。何か得体の知れない力でも働いてるのかも」
「そうかも知れないね」
いつもだったら得体の知れない力などと言うものには首を傾げるリュカだが、このテルパドールでは嫌でも他の国とは違う力を感じるのだ。アイシス女王の力によるものもあるだろうが、勇者の兜を祀り守るために建てられたというテルパドールには、長年に渡りその性質を守り続ける畏怖の念により特別な力が備わったのではないかと思えてしまう。
「あなた方も勇者の兜を見にこのテルパドールへいらしたのですか?」
教会内を静かに歩いていたシスターが来ると、祈りを終えた二人に静かに話しかけた。広い教会の中には他にも数人のシスターがおり、それぞれ旅人や国民の話を聞くのに進んで話しかけているようだった。困っている人に積極的に手を差し伸べるという精神は、教会にはひと際強く働いている。
「ここに勇者のお墓があると聞いて、それなら行ってみようということで来たんです。そうしたら天空の兜が祀られていて……とても綺麗でびっくりしました」
ビアンカがそう話すと、シスターは微かに目を見開き驚いた顔をする。旅人の中でもアイシス女王に天空の兜を見せてもらう者はさほどいないのだ。
「私も過去に一度だけ、拝見したことがあります。あの神々しい兜はテルパドールの宝です」
「伝説の勇者にしか被ることができないのも頷けるわ。でも一体伝説の勇者ってどんな人なのかしら」
ビアンカがアイシス女王に見せてもらった天空の兜を思い出しながら独り言のようにつぶやくと、シスターがふと目を閉じ、まるでその時の情景を思い描くようにして詩を諳んじる。
「古の昔、天空より一人の女舞い降りき……。その子供勇者となり世界を救う……。これは伝説の勇者にまつわる言い伝えの一つですわ」
シスターの言葉に現れる情景を、リュカは想像してみた。天空から舞い降りる一人の女性、それはとても人間とは思えなかった。天から舞い降りるには、背中に羽根でも生えていたのだろうかと、リュカは見たこともない生き物を想像し、思わず眉をひそめた。
「勇者のお母さんは人間じゃなかったってことですか?」
「伝説ではそう言い伝えられています。勇者の母君は天空人であったと」
「勇者って天空人の子供だったのね」
ビアンカはそう言うと、感嘆の溜め息をついた。伝説の勇者が天空人の子供であることに、彼女は何も疑問を感じていないようだった。むしろ伝説の一部を耳にし、天空人の姿を想像し、その幻想的な存在に新たな夢が生まれたようだった。まるでこれから楽しい冒険に出るかのように、ビアンカの目はキラキラと輝いている。
「でも天空人にはどうやったら会えるのかしら?」
「天空人に会う?」
まるで予想していなかったビアンカの言葉に、シスターは思わず素っ頓狂な声を上げた。静かな教会内に響いた自分の声に、シスターは一つ咳ばらいをすると場に再び静けさを取り戻した。
「天空人に会いたいのですか?」
「会いたいというより、私たち、伝説の勇者を探して旅をしてるんです。伝説の勇者が天空人の子供だったら、天空人に話を聞くのがいいかなぁと思って」
「天空人って言うくらいだから、空の上にいるのかな? だって勇者のお母さんは空から来たんだよね。空に住む場所があるのかな。どんなところなんだろう」
「それだったらきっと雲の上よ。雲の上に、私たちが住むような世界があるんだわ。どうやったら行けるのかしら」
「空の上に行くなんて、考えられないな。メッキーなら行けるかな……」
二人の若い旅人が途方もない話をしているのを、シスターは口を開けながらぽかんと見つめていた。まるで夢を語り合っているかのような内容だが、しかし彼ら二人はとても真剣に話をしている。
このテルパドールには伝説の勇者の姿を追い求めて旅してきた者たちが多くいる。しかし彼らの中で勇者は伝説の中の人物であり、決して身近に感じることのできない、それこそ遥か雲の上の存在のように感じられるようだった。しかし今、目の前の二人の若者はまるで勇者をすぐ近くに感じているかのようだ。天空人の子供だった勇者がもし天空に戻ったとしたら、それを下から眺めて崇めるだけではなく、その存在を追い求めて空にまで旅をしようとしている。これほど勇者を現実的に考えている旅人に出会ったのは初めてで、シスターは当然のように二人に興味を持った。
「城の図書室のことはご存知ですか?」
勇者の伝説が語り継がれ、天空の兜を守護しているテルパドールには数多くの蔵書を持つ図書室がある。そこには常に城の学者たちが勇者の伝説についての研究や調査を行っているのだ。
「伝説の勇者のことについてお知りになりたいのなら一度は寄ることをお勧めします。旅を続けるうえでも、知識を取り入れることは大事なことでしょう」
シスターの言葉に、リュカはアイシス女王から城の学者についての話を聞いていたことを思い出した。
「そうだ、学者さんにグランバニアについて聞こうと思ってたんだ」
「勇者のことについても聞けるなら一石二鳥ね。図書室に早速行ってみましょう」
二人が教会を出る頃、外の激しい雨は既に止んでおり、分厚い雲は西に流れていた。先ほどまでカラカラに乾いていた砂の地表は雨に濡れて光っており、雨水は低地に向かってまるで勢いのある川のように流れ落ちていた。テルパドールは小高い丘に建てられており、周りを低地に囲まれているのが良く分かった。大量の雨水で、城を取り囲むような大きな川ができていたのだ。もしまだテルパドールへの旅を続け、城を目の前にしてこのような川に行く手を阻まれてしまったら為す術もなかったと、リュカは無事にテルパドールに辿り着けたことに改めて安堵した。
「今この城を目指す人がいたら、渡し船でもないと来れないわね」
「こんな砂漠でこんな川を見るとは思わなかったよ」
テルパドールの城が建つ場所は小高い丘であるため、川ができることもなく、たまに大きな水たまりがあるくらいだった。リュカとビアンカは水でいくらか固くなった地表を歩きながら、空からは再び灼熱の太陽が照りつける中、城の中へと戻って行った。



天空の兜を守り抜く使命を持ち、伝説を守護するテルパドールの国では、伝説の勇者の研究をする学者の存在は非常に重宝されていた。そして伝説のみならず、様々な事柄に関して研究対象となっているため、テルパドールの城の図書室は非常に広く、数多くの図書を揃えていた。図書室の中には伝説の研究者の外にも国の様々な人が利用しており、中には旅人の姿もちらほらと見られた。ただこれほどの広い図書室で一体どのように目当ての図書を探し出すのだろうかと、リュカもビアンカも無数に並ぶ本棚の間で互いに目を見合わせていた。
「グランバニアのことについて調べるにしたって、これじゃあ自分で探し出すのは至難の業ね」
「図書室に詳しい人に聞くしかないよ。伝説の勇者を研究してる人に聞けば早いよね。勇者のことも聞きたいし」
城の研究者は図書室内にある大きなテーブルに何冊もの本を広げ、黙々と本の解読を進めている。図書室内は静まり返っており、人の数はそれなりにいるものの、聞こえる音と言えば本のページをめくる音や人々が静かに本棚の間を歩く足音くらいのものだ。リュカもビアンカもその雰囲気を守るように、話す声はごく小さな声になる。
広い図書室をゆっくりと歩いていると、あるテーブルからぶつぶつと独り言を言いながら本をめくる人の姿があった。まるで呪文のように何かを呟き続ける学者を見ると、彼の前にはまるで彼を囲むように本が積み上がり、本の壁ができていた。彼の顔はその壁の中に埋まっていて見えない。リュカとビアンカが少し離れたところから様子を見ていると、突然何かを思い立ったかのように学者が立ち上がり、その拍子に壁のように積みあがっていた本が雪崩を起こした。騒がしく音を立てて床に散らばった本に気づいていないのか、学者は立ち上がったまましばらく宙を見つめた後、どこかがっかりしたように再び椅子に着いた。その時初めて、椅子の下に本が落ちたことに気づいたようで、学者は本をうっかり踏んで椅子の横に転んでしまった。
「あの、大丈夫ですか?」
リュカが彼に近寄り、声をかける。その傍で、ビアンカは落ちた本を拾い集める。
「ああ、すみません。いや、大発見だと思ったんだけど、そうじゃなくって……」
学者の男は頭をぼりぼりとかきながら、また独り言のようにぶつぶつと言い、落ちた本を集め始めた。そしてまた先ほどのような本の壁が出来上がる。この本の壁の中で考えるのが彼にとっては良い環境なのかも知れないと、リュカはふと思った。
「ねぇ、これって何だか勇者についての本ばかりあるようだけど……」
落ちた本を拾っていたビアンカが手にした本をパラパラとめくりながらそう言うと、学者の男は改めて話しかけてきた二人を見た。この国の者ではないと分かると、彼は目を輝かせて語り始める。
「私は伝説の勇者様について研究をしている者です」
学者の言葉に、今度はビアンカが目を輝かせる。リュカはそんな表情の彼女を見て、彼女は元々知識欲のある人で、幼い頃もよく本を手にしていたことを思い出した。それに彼女はお姫様だとか勇者だとかが出てくるようなおとぎ話が好きなのだ。
「リュカ、ちょうど良かったじゃない。この方にお話を聞きましょうよ」
「あ、でも、今は研究の途中じゃないのかな」
「結構結構。私たち学者の研究は、旅の方との話から色々と分かることもありますので、こちらこそ色々とお話を聞かせてください。ではあちらに議論部屋がありますので……」
学者に案内され、リュカとビアンカは図書室内にある小部屋に入っていった。学者たちの研究は時に互いの意見を交換し合う場面があり、そのような時にこの部屋を使うらしい。いくつかある小部屋の内の一つに入り、扉を閉めると、外の音は全く聞こえなくなってしまった。扉は分厚く、音を完全に遮断してくれるようだ。
小部屋には大きな丸テーブルがあり、テーブルを囲むように椅子が八脚、等間隔に並べられていた。学者の男が奥の椅子に座ると、リュカとビアンカは向かい側に揃って腰を下ろした。
「さっき教会のシスターから勇者が天空人だったって聞いたんですけど、それは本当ですか?」
リュカが聞いて来たばかりの話をすると、学者はうんうんと深く頷き、腕組をする。
「私たち学者の間では、それは事実として通っています。どうやら伝説の勇者様は天空の血を引いておられたようですな」
勇者を研究する学者に裏付けされたことで、ビアンカの目が一層楽し気に輝く。
「じゃあ天空人はいるってことですよね」
「それもまず間違いないでしょう。これまで数えきれないほどの文献を見てきましたが、天空人に関する記述はどれもが一致するものばかりです」
学者の男が調べた天空人とは、背中に大きな白い羽を持ち、身を包む衣も白く、空に飛んでいるとしてもその姿は小さな雲に見間違うこともあるという。もしかしたら空に浮かぶ小さな雲が天空人なのかもしれないと思うと、リュカも何だか胸が高鳴るのを感じた。テルパドールは伝説を守護する国だけあって、伝説がより近く感じられる。
「しかしその天空の血を引く勇者様の家系がその後どうなったのか……。今となってはもはや知るすべもありません……」
「そんな……勇者のことを調べる学者さんでも分からないんですか?」
「勇者様に関する記述のある本はこれまでいくつ見て来たか分かりません。同じ本を何度も読み返したりもしました。しかしその時の勇者様に関して書かれているだけで、勇者様がその後どう暮らしていたのか、謎に包まれているのです」
世界を救ったとされる勇者。恐らく当時は世界中で最も有名な人物だっただろう。しかしその人物のその後が全く分からないというのはいかにも不思議なことだった。それこそ世界を救ったのだから、どこかの国が保護したり、暮らしを保証したり、それどころかおとぎ話のようにどこかの国のお姫様や王子様と結婚しても決しておかしな話ではない。もしどこかの国の主となっていれば、国が亡びない限り勇者の血筋は続いているはずだ。
「もしかして、勇者の血筋は途絶えてしまった、ということも考えられるんでしょうか」
勇者のその後に関する記述がない理由として、最も現実的だと思ったことをリュカが言うと、ビアンカが怒ったような顔を向けて反論する。
「そんなこと、あるはずないじゃない。だって、勇者よ? 世界を救った人なのよ。そんな人の血筋が絶えるなんて、あっちゃいけないわ」
「でも血筋を残すには子供を残さなきゃいけないってことだよ。もし勇者に好きな人がいなければ、子供を残すことだってできないよ」
「世界を救った勇者なんだから、結婚相手に困ることなんてなかったと思うわ。それこそ引く手数多だったでしょう。子供だって当然残せたはずよ」
「それは勇者を勇者としてしか見てないよ。勇者だって一人の人間……天空人? まあ、どっちでもいいや。勇者にだって好きな人がいたのかも知れないよ。でももしその人を失ったりしたら……」
リュカはそこまで言って思わず身震いしてしまった。大事な人を失うと言った瞬間、ビアンカが目の前からいなくなる錯覚に囚われ、それ以上言い進めることができなくなった。もし今彼女がいなくなってしまったら、自分の人生も終わってしまう気がする。当時の勇者がそのような境遇にいたとしたら、到底誰かと結婚して子供を残すことなど考えられないだろう。きっと絶望に囚われたまま、誰とも悲しみを共有できず、一人で生きていくことを選んでもおかしくはない。
「何て悲しいことを考えるのよ、リュカ。そう言う風に考えるのは止めて。何だか怖いわ」
「ごめん。でも勇者のその後が全く分からないって言うから、いろんな可能性があるかもしれないって思って……」
「あなたはとてもユニークな発想をしていますね。ここを訪れる旅人の中でも、そのような考えを持つ方には出会ったことがありません」
はるばるこの砂漠のただ中にあるテルパドールを訪れる旅人たちは、この国に伝わる勇者の伝承に触れるためにこの地を訪れている。勇者の伝承を求めて旅する人々は皆、勇者に対する憧れを持ち、もはや勇者という存在を神格化するほどに絶対の存在だと考えている。天空人の母を持つとなるとその存在は神のようであり、神の存在が絶えないのと同様に、勇者の血筋も絶えることはないと思い込んでいる。
しかしリュカにとっては、勇者という存在も自分と同じような人間だったのだろうと、何故か身近に感じてしまうのだ。伝説の勇者は男か女かも分からないが、どちらにしても人としての心を持つ人間に近い存在だったに違いない。神を信じないリュカにとっては、特別な存在などこの世にはないのだという思いが常にあり、勇者も例外ではないと感じていた。
「ところで、あなた方はどのような目的で旅をされているのですか? このテルパドールまでわざわざ来るのはそれなりの理由がおありなのでしょう?」
学者の男はまだ若い男女二人の旅人を、物珍しそうに眺めながらそう問いかけた。男女二人で旅をすること自体は珍しくはないが、テルパドールへの旅路は過酷で、男女二人で旅するにはかなり危険なはずだ。リュカとビアンカが自分たちの旅の目的などを話すと、学者は感心したようにため息をつきつつ、新たな話に学者魂に火がついたようで、目をきらきらと輝かせた。
「魔界に連れ去られた母君を捜して……ははあ、魔界とはまた興味深いですね。それこそまさに、勇者様が旅立たれた場所に違いありません。勇者様に関する記述を調べた中で、魔界という言葉もどこかで見た記憶があるのですが……はて、どの本だっただろう……」
あまりにも多くの本を見ているため、どの本にどのようなことが書いてあったのかを確実に覚えているわけではないようだ。しかし彼ら学者にとってはその記述を探し出すことも楽しいようで、決してそこに疲労などは現れない。これから魔界について調べようとする学者の顔はとても明るい。
「そしてこれからはグランバニアに旅立つおつもりなのですね。グランバニアについてでしたら確か向こうの本棚にそのような本を見た覚えがあります。後で案内しましょう」
リュカが礼を言うと、学者の男は先ほどのリュカの言葉を思い出して、話を戻す。
「ところであなたは先ほど、『勇者の血筋は途絶えてしまった』と仰いましたが、それはあり得ません」
「ほら、言ったでしょう。勇者の血筋が途絶えるなんて、ないんだから。そんなこと、あっちゃいけないのよ」
学者の男に背中を押されたように、ビアンカは自信を持ってリュカに勝ち誇ったような笑みを浮かべる。その表情が子供の頃とまるで変わっていなくて、リュカは言い負かされる悔しさなどは沸かず、思わず笑い出しそうになってしまった。
「アイシス女王が、世界が再び闇に覆われることを予言し、勇者の再来を待っておられます。それはすなわち、勇者様がこの世のどこかにおられ、血筋は決して途絶えていないということです」
テルパドールの人々は女王の予言に絶対の信頼を置いている。しかし外部から来たリュカのような者にとっては、アイシス女王がとてつもない能力を持つ人物だということは分かるが、彼女の予言に絶対の信頼をおけるほどには女王のことを知らない。
「僕にとっても、勇者はいてもらわないと困るんですけど、でも、何か、いろんな話を聞いたり、いろんなことを考えると、勇者っているのかなぁって思ったんです」
勇者は世界の闇を払ってくれる。勇者は悪を倒す。それは伝説となった勇者と言う存在に、人々が夢を見て、勇者と言う存在だけを考え、勇者と言う人物を考えていないと、リュカは勇者に同情する思いだった。過去にいた勇者、これから現れると予言される勇者、今ここにはいない勇者を考えれば、人々はそれぞれ自由にその存在に夢を乗せることができるのだろう。しかしもし目の前に勇者がいたら、果たして自分の願いを託すことができるだろうかと、リュカは密かに自信を無くしてしまう。伝説になる前の勇者は、他の人々と変わらない一人の人間なのではないか。
何やら考え込むような雰囲気のリュカを見て、学者の男は思い立ったように手を打ち、リュカに言う。
「あなたのように勇者様を身近に感じる人には会ったことがありません。どうでしょう、私の研究の助手をしてくれませんか? あなたの考えに触れながら研究をすれば、また新たな発見が生まれそうです」
「僕が研究の助手?」
「そうです。助手と言っても、そんなに難しいことをお願いすることはありません。先ほどご覧の通り、私は出した本を片付けるのが苦手で……ついついあのようなことになってしまうのです。本を片付けてもらったり、必要な本を出してきてもらったり、たまに隣で意見を聞かせてもらったり……そのようなことをしてくだされば結構ですので」
「あの、それってお仕事をさせてもらえるってことですよね? お給料は出るんでしょうか?」
すかさず横からビアンカが口を出し、話をまとめようとした。リュカもこの広い図書室で働くのは悪い話ではないと思った。彼の手伝いをしながら、ここで自分の調べたいことも調べることができる。グランバニアについて調べ、彼や他の学者たちに色々と聞いてみてもいいのだ。
「もちろん。私の給料の三割、出しましょう。それでいいですか?」
実際に金額を聞いて、リュカもビアンカも目が飛び出るほど驚いてしまった。テルパドールの国は勇者の伝説を守護する国だけあって、勇者の研究をしている学者に多くの給金が出されているようだ。これほど良い話もないと、リュカもビアンカも即座に『よろしくお願いします』と返事をした。
「そう言えばそろそろお昼になりますね。少し何かを食べてから、早速手伝ってもらってもよろしいですか?」
そう言いながら立ち上がり、小部屋を出て行こうとする学者の男に、リュカは後ろから話しかける。
「お城の中に食事ができる場所があるんですか?」
「城の厨房が食堂も兼ねていますので、そちらに行きましょう。少し早めにいかないと混んでしまうので、今行くのがいいかも知れません」
学者の男が言うには、食事時ともなるとこの城で働く者たちが一斉に食堂に押し寄せるため、少し早めに行くか遅めに行くかで時間をずらさないと、食事をするのに並ぶことになってしまうという。一国でも早く研究に戻りたい彼らとしては食事の時間を極力少なくしたいため、こうして時間を早めて食事に行く者が多いようだった。
小部屋から出て図書室に戻ると、先ほどまで見ていた学者たちの姿が大半消えていた。残っている者たちは後に時間をずらして食堂に行こうと考えている者や、そもそも昼時だということに気づいていない者たちのようだ。既にほとんどの人の姿がなくなっていることに、学者の男は『出遅れたかな……』と焦りつつ、早足で図書室を出て行く。リュカとビアンカも彼の後について行きながら、急に意識した食事に腹の虫が鳴るのを止められなかった。



食堂には既に多くの人々が早めの昼食を取りに訪れていた。昼時に混む理由が食堂を見てすぐに分かった。城で働く人々の数の割に、それほど広い食堂ではないのだ。建国当初、この城には今ほど多くの国民がいたわけではなく、当時は城の者たちの食堂として十分に機能していたに違いない。しかし建国から年月が経ち、徐々に国民が増え、今では一度に人々を受け入れることができなくなってしまったようだ。
食堂の奥に空いている席を見つけ、学者の男とリュカたちは共に席に着いた。食堂の席は今やほぼすべて埋まり、厨房からは続々と料理が運ばれてくる。食堂内には出来立ての料理の良い匂いが漂い、リュカは学者の男に手渡されたメニュー表を真剣に見始める。
近くの席には既に食事を終えた後の食器がまだ片づけられず、テーブルの上に散らばって置かれたままだ。しかし一向に食器を片付ける者は来ず、ビアンカはそんな状況に居ても立ってもいられず、席を立って片づけ始める。
「絶対に人手が足りてないわよね。私、ちょっと手伝うことにするわ」
「ビアンカ、食事は?」
「私は後でいただくから、先に二人で食べててね」
そう言うや否や、さっさと食器をまとめると、ビアンカはそれらを器用に両手に全て持ち、厨房へと歩いていく。そんな彼女の姿を見ながら、リュカも学者の男も感心するようにため息をつく。
「彼女、どこかで働いていたことがあるんですか?」
「働いていたというか、家で宿屋をやっていたんです。でもそれも子供の頃の話で……元々、人の世話を焼くのが好きなんだと思います」
その時の状況を見て我慢ならない時があると、つい口や手が出てしまうのがビアンカだった。いつまでも片付かない食器があるだけで、彼女は厨房の忙しさを思いやり、食器を放っておくこともできず、つい片づけ始めてしまった。こうなると恐らく、この忙しい時間帯が過ぎるまで、彼女は手伝い続けてしまうだろう。リュカはビアンカの言葉の通り、学者の男と二人で先に食事をすることにした。気を利かせるつもりで彼女を待っていても、結局彼女は怒るに違いない。『先に食べててと言ったのに、どうして待ってるのよ』と、彼女の声が聞こえるようで、リュカは手にするメニューの中からお勧めの料理を学者の男に聞き、それを注文した。
一方、厨房に食器を持って入っていったビアンカは、厨房の慌ただしさの中に入り込むと、誰に何の指示を受けるわけでもなく、さっさと皿を洗い始めた。洗われていない皿はまだまだ他にも積み上げられており、厨房の人々は他の仕事に忙殺されていて、ビアンカが勝手に皿を洗い始めても誰も何も言わない。と言うよりも、ビアンカが客で来ていることに気づいていないのが事実だった。
皿洗いをして働き始めてしまえば、それはもう厨房の人間の一人とみなされた。皿洗いをしているビアンカに厨房の人からの指示が飛ぶ。ビアンカもすんなりと指示を受け入れ、しかし分からないことは具体的な指示を仰いだ。できた料理を運べと言われれば、食堂に出てさっさと運び、材料の下ごしらえを指示されれば何も考えないまま取り掛かる。何かを考える余裕はなく、ただ目の前にある仕事を積極的に片づけていく、それだけだった。少しでも止まれば、目の前の皿も材料も容赦なく積み上がる。昼の繁忙期だけとはいえ、これが毎日のことなのかと思うと、ビアンカはこの厨房で働く人たちを思わず尊敬した。
忙しい時間と言うのはあっという間に過ぎる。気がつけば最も忙しい時間を過ぎ、厨房にも少しだけゆとりが生まれていた。洗い上げた皿を拭きながら、ビアンカはようやく落ち着いて周りを見回してみた。
厨房を仕切る人物は一目見て分かった。中年の貫禄ある女性の声はしょっちゅう厨房内を威勢よく飛んでいた。大よそ彼女の指示で厨房が回り、どうにか食堂の客に対応しているというところだった。熱のこもる厨房内では汗が止まらず、しかし料理の上に汗を落とすわけにも行かないため、彼女は首の周りにタオルを巻き、汗が出ればすぐにタオルで拭うようにしていた。
「ビアンカ、食事は?」
既に食事を終えたリュカが厨房に顔を出すと、余裕の生まれた厨房の人々の視線が彼らに集まる。そこで初めて、いつもは見かけない女性が一人、厨房で働いている事実に気がついたようだった。
「これからいただくわ。でもお金がないからそんなには……」
「あんたが手伝ってくれていたからだね、何だかいつもより片付いてるのは」
厨房を取り仕切る中年の女性がビアンカに声をかけてきた。首にかけたタオルで汗を拭きつつ、女性はビアンカに礼を述べる。
「ありがとう、助かったよ。ところであんた、まだ食べてないのかい?」
「はい、これからなんですけど……ここで一番安いメニューって何ですか?」
単刀直入に聞くビアンカに、厨房にいる者たちが一斉に笑い出した。金のない旅人に対する明るい笑いに包まれ、ビアンカは恥ずかしさよりも楽しさを感じた。
「ここで働いてるんだから、賄いくらいは出すさ。それとも働かないで、ずっと遊んでいたのかい?」
「ええと、一応お手伝いできてたかな~とは思います」
「そう言いながらまだ皿を洗ってるのはどこの誰なんだい?」
女性にそう言われ、ビアンカは無意識に皿を洗ったり、洗い上げた皿を拭いたり、食器の大きさごとにまとめたりと、絶えず手が動いていることに気づいた。ここがテルパドールの厨房という意識がなく、家の台所くらいに考えているから勝手に手が動いてしまうのだ。
「あ、ごめんなさい。つい勝手に手が……」
「あんた、旅人さんだろ? 金がないんだったらここでしばらく働いて行きな。どうせ雨季になっちまったから、しばらくはこの城を出られないんだ」
厨房の女性の言葉を、リュカは先ほど共に食事をしていた学者の男に聞いていた。雨季を迎えたテルパドールはこれから作物にも恵まれ、食べ物は充実してくるが、城を出て旅をすることはできないらしい。オアシスの老人も言っていたが、雨季に砂漠の旅をすると、突然の大量の雨に砂漠に激流の川ができ、うっかりすると旅人はその激流に飲まれてしまうこともあるのだそうだ。雨季が明けるまではテルパドールに滞在せざるを得ないのだ。
「良かった、お仕事させてもらえるんですね。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく。バンバン働いてもらうからね、覚悟しておきな」
「とりあえず、これをどうぞ。お腹が空いたでしょ。私もこれからお昼だから、一緒に食べましょう」
同じく厨房で働いているビアンカよりも少し若い娘が気さくに声をかけてきた。厨房全体が休み時間に入ったわけではないが、多忙な時間が過ぎた今くらいから、順番に昼食を取り始めるようだ。
「リュカ、そう言うことになったから、あとで宿で会うことにしましょう。お互い、お仕事頑張りましょうね」
「そうだね。じゃあ僕も図書室に戻るよ。また後で」
リュカが手を振って食堂を去っていく後ろ姿を、ビアンカと共に娘も見つめていた。お盆を手にして、食堂の隅の席に着くと、娘が一つの大きな皿をビアンカに渡した。香ばしい湯気の立つ皿に、ビアンカは思わず喉を鳴らす。
「ねぇ、あの人、あなたの彼なの? とってもかっこいいし、優しそうな人ね。いいなぁ」
「彼って言うか、主人なの。結婚してるのよ」
「ええっ!? じゃあ夫婦で旅をしてるの?」
「そうよ。勇者を探して旅をしてるの。それでこの国に勇者のお墓があるって聞いて、来てみたのよ」
娘がさっさと食べ始めるのを見て、ビアンカも急いで食べ始めた。厨房の休息時間は限られており、その時間が終わればすぐに仕事に戻らなければならない。
「ねぇ、知ってる?」
「なあに?」
「世界が再び危機になった時、勇者様が現れるんだって」
娘の話を、ビアンカはお伽噺の中でしか聞いたことがない。しかしテルパドールの人々は勇者の再来を心底信じ、待ち続けている。娘の言葉にも茶化した雰囲気は皆無で、彼女は本気で勇者の再来を信じ、勇者が世界の闇を払ってくれることを信じている。ビアンカももちろん、勇者の存在を信じてはいるが、テルパドールの人々に比べたらまだ疑う余地を持っているような気がして、思わず難しい顔をしてしまう。
「でもまだ勇者って現れていないのよね」
「うん、多分ね。女王様がそう仰ってるから、そうなんだと思うわ」
「勇者がまだ現れたって話を聞かないってことは、世界はまだ危機ではないってこと?」
「そういうことになるわね。でもそのうち……ってことだと思うわ。だってアイシス女王様が勇者様の再来を予言なさっているもの。女王様は確実に予言できない時は私たちテルパドールの民にも伝えないの。いたずらに民の心を惑わせてはいけないって」
ビアンカは娘の言葉に、対面してきたアイシス女王を思い出していた。女王には寡黙な雰囲気があるが、それは本当の姿ではないのかも知れない。しかし未来を予言する女王がお喋りでは、予言に対する信頼性も欠き、細かいことまで予言されては民衆もどうすればよいのか戸惑ってしまうだろう。国を代表する女王という立場に縛られ、一体彼女の個人としての時間はどこにあるのだろうかと、ビアンカはアイシス女王を慮った。
「ずっと大昔のことだけどね。私らテルパドールの祖先は勇者様のお供をしたんだよ。それで世界が平和になってからこの地に落ち着き、この国を作ったのさ」
まだ働き続けている厨房の主とも呼べる女性が、二人の会話を聞いて口を挟んできた。テルパドールの国民は皆、テルパドールの国民であることを誇りに思い、アイシス女王を誇りに思っている。それ故、旅人には国のことを色々と説明したくなるのだろう。
「さすがね。勇者のお供ともなると、一国一城の主になれるのね」
「勇者様のお供だものね。とっても頼りになる方だったんだろうなぁ」
ビアンカの前で娘は昼食を頬張りながらもごもごと言う。どうやらテルパドールの民には、かつて勇者の供をした者の子孫であることも誇りの一つになっているようだ。
「でも一国一城の主になるって言っても、初めはどうしたのかしらね。元々それだけの財力を持っていたのかしら」
ビアンカはそう言いながら、テルパドールの城の巨大さを思い浮かべる。砂漠のただ中にこれほどの巨大な城を造るには、多くの人々の力と多くの資材が必要だ。それともここには元々城の基盤となるような建造物があり、それを元にしてこの巨大な城を造り上げたのだろうか。もしくは当時は偉大な魔法使いがいて、魔法の力で一瞬にしてこの城を造り上げてしまったのだろうか。ビアンカの頭の中で様々な想像が巡り、彼女はさも楽し気に見知らぬ過去に思いを馳せる。
「財力がなくたって、あれほど絶大な予言力を持ったお方がいらっしゃれば、その方を中心に国もできるんじゃないかねぇ」
厨房の女主人もテルパドールの民として、やはりアイシス女王を尊敬し誇りに思っている。アイシス女王の得も言われぬ神秘的な雰囲気は、知らない内に人々を集め、従える力を備えている。テルパドールの国は女王のような人物がいて、彼女を中心に国ができたのだと信じて疑っていないようだ。
「勇者様のお供をして、予言もできて、もしかしたらとんでもない財力も持っていて……どんな方だったのかなぁ」
「それにしても勇者にお供の人っていたのね。じゃあ今度勇者が現れた時も、お供の人が必要よね。私、ちょっと立候補してみようかな」
「ちょっとあんた、そういうことは旦那さんに相談しないとダメだよ。勝手に決めたりしたらきっと怒られるよ」
「大丈夫大丈夫。リュカならきっと賛成してくれるから。それに私たち、勇者を探して旅をしてるんだもの。もし見つけたら一緒に旅をすることになるはずだわ。そうなると、私が勇者のお供ってことになるのね。それが後に伝説になって……うわぁ、それってかっこいい」
「いいなぁ。ねぇ、私も誘ってよ……って言いたいけど、一緒に旅に出るのはちょっと無理かな。でも勇者のお供と一緒に働いたことがありますって言えるわよね」
ビアンカと厨房で働く娘が想像を膨らませ、話を弾ませていると、横から鋭い声が飛んで来る。
「……あんたたち、早いとこ食べて、仕事に戻ってちょうだい。もう食べる時間はとっくに過ぎてるよ」
呆れ顔でそう言われ、二人は決まり悪そうに首をすくめると、急いで残りの昼食を口の中にかき込んだ。しかしビアンカの頭の中でぐるぐると忙しく巡る想像は留まるところを知らず、彼女はニヤニヤしながら自分が勇者のお供をして旅しているところを想像する。勇者のお供をするからには更に強力な呪文を覚えることも必要かと、厨房での労働を終えた後、図書室で呪文書を見てみようなどと、勝手に考えては顔をニヤつかせていた。

Comment

  1. […] さて、本編を更新しました。 「過去の勇者、未来の勇者」 […]

  2. ケアル より:

    ビビ様!
    大雨でスラリンたちは無事なのでしょうか?
    リュカにとってグランバニアの事実を目の当たりにした時、リュカの心境は、どんな風になるんでしょうね。
    ビビ様の描写が楽しみです!
    ビアンカは、てっきり宿屋で働くんでないかと思っていましたよ。
    しばらくの間は、本編に関係ないビビ様ワールドを楽しめるわけですね。
    いつもどおりのワクワクで、お願いします

    • bibi より:

      ケアル 様

      いつもコメントをどうもありがとうございます。お返事が遅れてしまい申し訳ございませんm(_ _)m
      大雨でスラりんたちはきっとひゃっほうと水浴びをしていることでしょう。ピエールなんかもおおはしゃぎで。……と言うことにしておいてください(汗
      グランバニアの事実……重いですよね。彼は色々と重いものを背負っていて大変だ。
      ビアンカさんは流れで厨房で働くことになりました。彼女はいずれにせよ、体を動かして働くところが向いていそうですね。図書室でリュカと一緒に学者の手伝いは向いてないかな。何か発見があるたびに騒いじゃいそう。
      私もワクワクしながら書き進めていきたいと思います^^

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