即位式と宴

 

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閉じられたカーテンの外から朝の気配を感じる。森の鳥たちが朝の会議を始め、部屋の中には朝の冷えた空気が漂う。夜の内はまだ少し暑いからと窓を細く開けていたが、朝になると空気が冷え、外からは冷たい空気が入り込んでくる。リュカはソファから起き上がると、窓をぴたりと閉め、大きなベッドの脇に足音を立てないように近づいた。
つい先ほど、ビアンカは双子の赤ん坊と目を覚まし、二人に乳を与えていた。産後の疲れた身体にも関わらず、ビアンカはあれから二度目を覚まし、双子に乳をあげている。それと言うのも、ティミーとポピーが夜中に二度、同時に泣き出したからだった。生まれたばかりの赤ん坊には当然歯がない。食べ物を食べることができない赤ん坊が生きるためには母から乳をもらい、生きるしかない。ビアンカも双子を産んだ直後から母としての意識が強く働くようになり、我が子に起こされることには嫌な顔一つしない。しかしいざ眠りに就くと急に深い眠りに就いてしまう。リュカが双子とビアンカに顔を寄せても、起きる気配はない。いつもの彼女ならすぐに気配を察知して目を覚ますものだが、今は疲れて眠りこんでいる。
彼女の束の間の睡眠を邪魔しないようにと、リュカは一人部屋のソファで横になり休んでいた。そんなリュカの気遣いに、ビアンカも感謝していた。普段ならば「そんなところで一人で寝てないで、こっちで一緒に寝ましょう」と声をかけてくれるビアンカだが、今は赤ん坊に乳を与えることに必死で、リュカの気遣いに甘える気持ちになっていた。思うように乳が出なくて不安になり、真夜中にも関わらずベテラン侍女に相談をしたり、上手に乳を飲んでくれない我が子に泣きそうになったり、大して乳を飲まずに泣き疲れて寝てしまった我が子に何度もごめんなさいと謝っていたりと、ビアンカは今紛れもなく母親をしていた。リュカはそんな疲労の中にいるビアンカと代われるものなら代わりたいと思いつつも、父が母になることはできないのだと痛感していた。どうして男は赤ん坊に乳を与えることができないのだと、自分が男であることに嘆いていた。
眠っているティミーの包みが少しはだけていて、リュカは静かにその包み布をティミーにかけた。今はすやすやと眠っているティミーも、先ほどまでは大泣きをして母を困らせていた。泣き疲れて眠ったに等しいティミーの顔を見ながら、リュカはやはり顔が緩むのを抑えられなかった。掛け値なしに可愛い我が子の存在は、どれほど苦労させられても愛おしい。それは母であるビアンカの方が強く思っていることなのだろうとも思う。
「リュカ、少し眠った方がいいわよ」
突然ビアンカの声が聞こえ、リュカは驚いて肩をびくつかせた。
「ごめん、起こしちゃったかな」
「ううん、うとうとしていただけみたい。きっと眠っていなかったわ」
リュカに気を遣っての言葉ではなく、彼女は本当に目を覚ましていたのだろう。今眠りから覚めたという顔をしていなかった。しかしだからと言って、すっきりと目覚めているわけでもなく、まだ夢の続きを見ているような表情だ。
「ソファで横になっているからあまり眠れないのね。このベッドで眠ればいいわ。広いから問題ないわよ」
「あはは、ソファで眠れないなんてことはないよ。だって僕はまともにベッドで眠ったことの方が少ないかも知れないんだよ。いっそソファでもなく、床で寝た方がよく眠れるのかも」
「まあ、そんなことを言って。でも明日……って、もう今日だけど、即位式なのにほとんど眠れていないでしょう。大丈夫なの?」
「大丈夫だよ、一日くらい。それに今から眠ったら、きっと朝は起きられない気がするよ。そんなことより、君の方がよっぽど大変だろ。これからしばらくはまともに眠れない生活が待ってるって話してたじゃないか。ビアンカこそゆっくり眠って」
「うん……でもすぐには眠れそうもないから、少し話でもしましょう。この子たちを起こさないように、小さな声で」
二人でこそこそと内緒話をするように、リュカとビアンカは小声での会話を続けた。父と母になって初めてまともに会話をする時間は、リュカにとってもビアンカにとっても互いに寄りかかれるような心が休まる時間だった。
「ねぇ、リュカ……不思議だと思わない?」
「不思議って?」
ごく小さな声が部屋の中に染みわたる。窓からは既に朝の明かりが届く。鳥たちは相変わらず朝の会議を続けている。しかしそれ以外は、とても静かな時間だった。
「私は小さい頃、お父さんやお母さんはずっと昔からお父さんお母さんなんだって思ってた」
ビアンカの言葉に、リュカも父パパスのことを思い出す。父はいつでも父で、父がいつ父になったかなど考えたこともなかった。彼女の言う通り、リュカにとって父は、父でしかありえない存在だ。それ故に、サンチョやオジロン王から聞く父の過去の話は全て別の人の話に聞こえてしまう。リュカにとって、父ではなかった時のパパスと言う男は存在していないも同然のことなのだ。
「でもみんなこうしてお父さんやお母さんになっていったのね」
つい数時間前、無事に双子が生まれ、リュカとビアンカは父と母になった。父としての、母としてのスタートラインに立ったばかりで、これから何が起こるかなど、二人にも周りの人々にも何も分からない。しかし二人に子供が生まれたことで、リュカもビアンカも否応なしに父母になることができた。子供たちを守るために、リュカとビアンカはこれまで以上に力を合わせ、子供たちの未来を育てていかなければならない。ビアンカの父と母も、リュカの父と母も、自分たちの子供に対して深い愛情を持っていたのは間違いない。リュカには母との思い出が全くないが、それでも母は恐らく生まれたばかりの自分を見た時に、今のリュカやビアンカと同じような愛情を感じていたのだろうと、リュカは自ずと期待していた。
「リュカ、私たちもステキなお父さんやお母さんになりたいわね」
「そうだね、この子たちのためにも、君のためにも、僕、頑張るよ」
グランバニアに着いて、オジロンから王位継承の話をされた時には、まだ自分の人生として漠然とした思いだけがあった。先代の王であるパパスの息子だからと言って、簡単に王位を継承するのは間違っているのではないか思った。血筋などどうでもよく、このグランバニアを治めるにふさわしい人物を国の中から選び抜けばよいと、グランバニアという国をほとんど知らないリュカは当然の様にそのような戸惑いや反感を抱いた。
しかしパパスが、オジロンが治めるこのグランバニアを見ている内に、そのような反感の気持ちは薄れて行った。マーサが連れた魔物たちを受け入れ、先代の王であるパパスのことを今も敬い、連れ去られた王妃の身を今も案じる国民がいることに、リュカはこの国の人々が非常に心優しく、心が広く、そして尊敬できる人々なのだと感じた。
即位式を前に、リュカがパパスの息子であることは広く国民に知られるところとなった。すると国民は一様に喜び、先代の王の息子が戻ったことを奇跡の帰還と口にし、リュカを奇跡の王子と呼ぶようになっていた。国民の期待は非常に大きく、その期待にリュカは応えるべきだと思うようになっていた。
そしてつい数時間前、双子の子供が生まれた。この子たちが育つ間にも、自分は父として成長していかなければならない。子供たちの前では頼れる父でいなくてはならない。リュカが子供の頃、パパスに甘え、頼り切っていたほど、自分はこの子たちにとって立派な父親になりたいと思うようになった。常に父パパスの背を追い続けるリュカにとって、それは新しい目標だった。
「僕は僕ができることを頑張る。それがきっと、みんなのためになるんだよね」
「うん、それでいいと思うわ。十分よ。私もあなたの妻として、頑張るわね」
「ビアンカは今まで十分頑張ってきたよ。少しは休んでて」
「あら、私に休んでろって言うの? 私がゆったり静かにのんびり休んでいられると思う?」
小声ながらもいつもの調子でビアンカは元気に言う。いたずらっぽい目で見てくるビアンカに、リュカは声を潜めて笑う。
「きっとできないね。君は今すぐにでも走り回っちゃいそうだもん」
「そうよ。本当はこの子たちが無事に生まれて一番喜んでいるのは私よ。走り回って喜びたいくらいだわ」
「お母さんの喜びはこの子たちにも絶対に伝わってるよ」
「もし伝わってなくても平気よ。私がこれからずーっと言い続けるから。『あなたたちが生まれてきてくれて本当に嬉しい』って」
「そうだね。僕も言い続けよう」
「この子たちにもこれからいろいろとあるかも知れないけど、大事に大事に育てて行こうね」
「うん、傍でずっと見守って包んで育てて行こう」
二人で少し話をしている内に、ビアンカは再び睡魔に襲われたようで、手で口を押えながら欠伸をした。彼女の束の間の休息を邪魔してはいけないと、リュカは彼女に肌掛けをかけ、ベッドを離れた。ビアンカはリュカにもベッドで眠ればいいと声をかけたが、リュカは取り合わずに一人ソファに横になった。ソファとは言え、国王私室に置かれるソファは普通のベッドにも匹敵するほどのしっかりとした作りで、しっかり寝るのにも申し分ない。間もなくビアンカが静かな寝息を立てたのを耳にしながら、リュカはずっと部屋の天井を眺めていた。このまま即位式の準備が始まるまで眠れそうにないと、リュカは今の幸せなひと時を噛みしめるように、子供たちと妻との未来に思いを馳せていた。



「リュカ様がパパス王の子供だったなんて……。本当にびっくりしてしまいましたですよ」
朝早くからベテラン侍女が赤ん坊の産着やおしめを整えながら、おかしな口調でリュカに話しかけてきた。城下町では既に広まっていたリュカの素性だが、意外にも彼女は知らずに過ごしていたらしい。それだけ熱心にビアンカの身の回りの世話や、侍女としての仕事に取り組んでいたと言うことだろう。気さくなだけではなく、このベテラン侍女はとても真面目な人物で、リュカは彼女のことは非常に信頼が置けると思っている。
「父さんはこの国の王だったかも知れないけど、僕はまだ何もしてないですから」
リュカは本当のことを飾らずに口にし、照れくさそうに着慣れない服に袖を通す。一人で着られるような服ではなく、侍女たちの手伝いの元に即位式に臨む式典用の服を身に着けている。襟首の詰まった式典用の服にリュカは思わず襟首を広げようとしたが、侍女に柔らかく止められた。
「あれほど偉大な方の子供となると、何かをするとか言う以前の問題ですよ。この国にお戻りになっただけで、国の者たちは皆希望の光に照らされるわけです」
リュカが目にしてきた国民の様子も、まさしくベテラン侍女の言う通りの反応で、まだリュカ自身は何もしていないというのにパパスの息子と言うだけで国民にとってはヒーローそのものと言った様子だった。パパスと言う偉大な国王を失ったグランバニアの国民にとって、パパスの息子であるリュカの存在はそれだけで光となるのだった。
「おはよう、リュカ」
リュカが式典の服に身を包んだ頃、ビアンカがようやく目を覚ました。明け方にリュカと話をした後は一度も目を覚ますことなく、ぐっすりと今まで眠っていたようだ。ビアンカの両隣で眠る双子も母が目を覚ましたのをきっかけに、二人同時に目を覚まし、腹が空いたかおしめが濡れたか、同時に泣き出した。リュカが心配になってすぐに子供のところへ行こうとするが、ビアンカが笑いながら「大丈夫よ」とリュカを制した。
どうやらおしめが濡れていたようで、ビアンカはベッドから起き上がると侍女に礼を述べながら用意してあったおしめを手に取り、まだ慣れない手つきでティミーとポピーのおしめを替え始める。ベテラン侍女も手伝うことなく、ビアンカが手間取りながらおしめを替えるのを優しく見守っている。
おしめを替え終わると、ビアンカは洗いに回す汚れたおしめを手に部屋の奥にある水場に向かおうとする。侍女がビアンカからおしめを受け取ろうとするが、彼女は首を横に振り、母としての仕事をするのだという意思を持って、汚れたおしめを自ら洗いに行った。
しばらくして戻ってきたビアンカの表情ははっきりと嬉しさが滲み出ていた。洗ったおしめを抱えながら、ベッドの上に寝ているティミーとポピーを見やる。二人は機嫌よく起きており、小さな声を出したりしている。まだ寝がえりなど打つことはできず、ただひたすら上を向いて寝ているだけだが、その姿がたまらなく愛おしいと、ビアンカもリュカも同じように頬を緩めていた。
「ゆうべはとってもよく眠れたわ。今日はリュカの即位式なんでしょう?」
ビアンカはポピーの小さな手を指でつつきながらリュカに話しかけた。リュカは既に式典服も着用し、即位式の段取りの復習をしていた。紙に書かれた段取りに目を通しながら、自分が行う部分を何度も頭の中に思い描く。しかし何度それを繰り返しても、大した段取りではないにも関わらず思うように頭に入らなかった。旅をしていた頃は睡眠不足など日常茶飯事だったが、昨夜一睡もしていないリュカにとって即位式と言う特別な式典への参加は既に疲労を覚えるほど重い仕事だった。
「オジロン王はそんなに心配するなって言ってくれていたけど、本当に大丈夫かなぁ、僕」
「大丈夫よ。オジロン様に色々と教えてもらいながら式は進むんでしょう。それならオジロン様にお任せしちゃって平気だと思うわよ」
「そんなに簡単なことなのかな……」
「大丈夫だって。たとえ何か失敗したって、大した問題じゃないわよ。笑って済まされるだけだわ」
「それならいいんだけど」
リュカは不安な顔つきのまま、包みの中に仰向けになっているティミーの顔を覗き込む。リュカが手を近づけると、その父の手を見ているのか見ていないのか分からないような視線を彷徨わせる。リュカがティミーの頬を親指で撫でると、ティミーはキャッと笑うような声を上げ、その声にリュカの心が自ずと弾んだ。
「ちょっと抱っこしてもいいかな」
リュカがそう言うと、ビアンカがまだ慣れないリュカに教えるように横について、ティミーを抱っこさせた。片手で軽々抱っこできるほどの小さなティミーだが、リュカは大事な宝物を扱うように両腕でしっかりと抱きかかえ、ティミーの顔を覗き込む。生まれた直後からそうだったが、今もティミーは元気に手足を動かしている。包みの中に収まる足がここから出せと言わんばかりに動いているのを感じ、リュカはその元気さに愛おしさや安心を覚える。
「ポピーも抱っこする?」
「もちろん」
続いて娘のポピーを両腕で大事に抱く。ポピーはティミーに比べて大人しく、白い包みの中でじっとしており、不思議そうにリュカの顔を見つめている。リュカはポピーの目を見つめていると心が安らぐのを感じた。ポピーはまだリュカを父と認識していないのかも知れないが、リュカは紛れもなくこの子は自分の子なのだと思った。
「可愛いなぁ、ずっとここにいたいなぁ」
リュカはそう言いながら、ポピーの頬を人差し指で撫でる。ポピーは「うー」と到底喜びとは思えないような声を上げる。
「こら、お父さんはお仕事があるんでしょ」
もしかしたら今のポピーはビアンカと同じようなことを言ったのかも知れないと、リュカは困ったような顔をする。
「でもさぁ、やっぱり僕よりもビアンカの方がこういうのは向いてると思うんだよね。ほら、ドリスだって言ってただろ、ビアンカが女王様になるのがいいんじゃないかって。僕もそう思うけどなぁ」
「そんな情けないこと言って……。すっかり式典の準備が出来てるのに、往生際が悪いわよ、リュカ」
「往生際も悪くなるよ。だって王様だよ? 一国の主だよ? 一応、覚悟は決めたつもりだけどさ、それでもやっぱり不安で仕方がないんだよ」
「大丈夫、何か困ったことがあったら私に任せて。いつも言ってるでしょ、私はあなたより二つもお姉さんなのよ」
双子の母になったビアンカだが、リュカには変わらず頼れる姉のように接してくれる。周りの環境がいくら変わっても、彼女だけはずっと変わらずに傍にいてくれるのだと思うと、リュカも少し気分が落ち着いてきた。グランバニアの国王となった後も、彼女は変わらずリュカを支え、時には叱り、そして最後には心休まる場所を用意してくれるのだろう。リュカはビアンカの元気な顔を見つめ、ティミーとポピーの健やかな様子を見つめ、家族の温かな手が自分の背中を押すのを感じた。道は前に進むしかない。人生は後戻りもその場に留まることもできないのだと、自身に言い聞かせた。
部屋の扉が静かに二度叩かれた。部屋にいる侍女の一人が扉に近づき、扉は閉じたまま外の者と言葉を交わす。そしていそいそとリュカのところへ戻り、その時が来たのだと知らせた。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね」
「頑張ってきてねっ」
ビアンカも大して睡眠を取っていないはずだが、気力体力共に充実している様子だった。彼女の母としての仕事は既に始まっている。そしてその仕事に、彼女は意欲を持って取り組み、体力的に辛いことがありながらも楽しんでいる。そんな妻の姿をリュカも見習おうと、自身のやるべきことに目を向け、侍女に扉を開けてもらうと扉の外に待つ兵士のところへと進んでいった。



王室は既に熱気に包まれていた。見たこともないほどの兵士の数に、リュカは全身に緊張が走るのを抑えられなかった。リュカを呼びに来た兵士も、かなり緊張した様子でリュカを玉座まで案内すると、ぎこちない歩き方で自分の場所へと戻って行った。緊張しているのは自分だけではないのだと分かり、リュカは意識的に深呼吸をして心を落ち着ける。
「おお、来たか! リュカ」
オジロンは晴れ晴れとした表情をしていた。昨夜は日付を越えてサンチョと共に話をし、双子が無事に生まれると、まるで自分に孫ができたかのように共に喜んでくれた。オジロンの優しさはリュカの身に染み、国民が少々頼りない王様と評する気持ちが分からなくもないが、それでも今のリュカには彼の優しさが非常にありがたかった。一つ一つの所作にも厳しい国王であったなら、既にリュカはこの場で叱られていたかも知れないなどとリュカは思っていた。
「お待たせしてすみません」
「いやいや、本来ならば今は部屋でゆっくりしたい時であろうからな。……どうだ、子供は可愛いだろう?」
「はい、本当に、信じられないくらい……」
「そうだろう、そうだろう。わしもな、ドリスが生まれた時は本当に……」
オジロンが頬を緩めながら話を始めようとすると、兵士長が小声でオジロンに呼びかける。その光景にリュカはふと眉をひそめた。即位式に向けて日々準備をしていた大臣の姿がなかった。オジロンの隣にいつもいる大臣だが、本番である当日は完全に裏方に徹していると言うことだろうか。
リュカがキョロキョロと辺りを見回していると、オジロンが声をかけてきた。
「どうかしたのか、リュカ」
「いえ、何でもありません……」
「うむ、それならいいのだが。……さて、気を取り直して……皆の者! よく聞くようにっ!」
国王たる者の轟くような声が王室内に響き渡る。オジロンは普段は頼りないだの何だのと少々国王としての評価は低いが、やはり仮にも数年に渡りグランバニア国王としての務めを果たしてきた人物だ。その声には威厳があり、並ぶ兵士たちの間にもちょうど良い緊張感が走る。
「すでに知っている者もおろうが、今、余の隣にいるのが先代パパス王の息子リュカじゃ」
おおよその兵士がリュカの素性を既に知っていたが、下っ端の兵士の中にはリュカのことを知らない者もいたようだ。リュカと年も同じほどの兵士が明らかに驚いた表情でリュカを見つめている。リュカは毎日のように城下町を歩いていたが、いそいそと学者の所へ向かうリュカの姿を目にしながらも、その兵士などはリュカを学者の卵というように思っていたのかも知れない。即位式と言う式典の内容は理解しながらも、まさかこれほど年の若い男が現れるとは思っていなかったようだった。
「余はこれよりこのリュカに王位を譲ろうと思う! リュカよ、跪くが良い」
オジロンの指示により、リュカはオジロンの前に跪き、頭を垂れる。リュカが即位式に緊張していたのは、この式典の所作もそうだが、それ以上にこの後に待っている城下町での宴での所作だった。国王としてどのように自由に振る舞えばよいのか、リュカにはまるで分からないのだ。それは式典の内容が書かれた紙にも何も細かいことは書いておらず、ただ『国民と杯を交わし、友好を深めること』としか書かれていないのだ。
「グランバニアの子にして偉大なる王パパスの息子リュカよ! 余は神の名にかけて本日この時よりそなたに王位を譲るものである」
オジロンの声が王室内に響く。国王たる堂々とした声で、王位継承の儀式を淡々と進めていく。この間にも、リュカは頭を垂れながらオジロンの靴のつま先を見つめていた。オジロンが近づき、リュカの体を包むように真紅のマントを羽織らせる。今の今までオジロンが身に着けていた国王にしか身に着けることができない真紅のマントを、リュカに渡したのだ。
「さあ、リュカ。王座に座るが良い」
立ち上がったリュカは、初めて羽織った真紅のマントを非常に重く感じた。この重いマントを羽織って王座までの階段を上り、王座に座るのに、かつてオジロンがマントを踏んで転んでしまったことを思い出し、それも無理はないと慎重にマントの裾を避けながら階段を上った。一段、一段と上るたびに、国王になる緊張が増していく。王座にゆっくりと腰かけると、高みから兵士たち全員の顔を見渡すことができた。一人一人の目が、リュカと言う新国王に集中している。リュカは今までのどんな魔物と対峙した時よりも、よっぽど今の緊張の方が大きいと感じていた。命の危険こそないが、兵士たちの視線がどれも突き刺さるように感じ、改めて国王になることへの高揚感を覚える。
「グランバニアの新しい国王の誕生じゃ!」
オジロンが王室の外までにも響き渡りそうな声で城の兵士たちに宣言した。すると兵士たちは皆喜びの声を上げた。兵士の中には当然、先代の王パパスに仕えていたものも少なくないはずだ。パパスがマーサを救うべく城を出て、それからは王と王妃の帰還を信じてこの十年近くを過ごしてきた。しかし王と共に旅に出たサンチョが一人で国に戻り、その口からパパスが旅の最中に命を落としたこと、マーサを救うことはまだ叶わないことを聞かされ、パパスの帰りを信じていた兵士たちは酷く心を痛めた。あの勇猛で実直、そして優しいパパス王がいなくなってしまったことは兵士の間にも国民の間にも暗い影を落としていたのだ。
幸いにも、パパスの弟であるオジロンの務めにより、グランバニアには平和が保たれていた。それと言うのも、オジロンの兄に対する思い、兵士や国民の先代の王に対する思いが強く働いていた。亡き先代の王パパスのためにも、そして王妃の帰還を願い、グランバニアの人々はこの国を失くすわけにはいかないという思いのもと、グランバニアはあの事件以来魔物に襲われることもなく、存続し続けることができた。
そしてパパスとマーサの息子であるリュカがグランバニアに戻ってきた。これはグランバニアの人々にとってまさに新しい希望の光だった。パパスが命がけで守った子供が、時を経て成長し、奇跡的にもグランバニアに戻ることができた。リュカがこの国の王になることは、オジロンはもちろん、グランバニア国民にとっても夢のような現実だった。兵士たちの中には涙して喜ぶ者もいる。兵士長の目にもうっすらと涙が浮かんでいた。パパスに仕えていた頃からの者たちは、リュカと言う新国王を、不遜と感じつつも、まるで我が息子のようにも思っているのかも知れない。
しばらくの間、兵士たちは歓喜の声を上げていたが、オジロンの一声によりその声が徐々に静まる。そしてオジロンはリュカに新国王としての言葉を求めた。即位式の段取りではこの後、オジロンと兵士たちと共に城下町に向かい、新国王の姿を見せるということだったが、オジロンはここでリュカの国王としての言葉が必要と考えたのだろう。
リュカは玉座の前に立ち、すべての兵士の目を受け止めながら、一度深呼吸をして心を落ち着かせた。兵士たちの目は年を重ねた者でも、年若い者でも、誰でも希望に輝いている。リュカはこのような彼らの心を受け止める必要がある立場に就いたのだと、実感した。
「僕は、父が大好きでした」
リュカのその一言に、すぐ傍に控えているオジロンが鼻をすすった。
「父がこの国の王だったと言うことは、僕がこの国に着いたつい二か月ほど前に知ったばかりです。まだ僕はこの国のことをよく知りません」
しんと静まり返る広間内に、リュカの声だけが響く。耳鳴りがするほど静かで、兵士たちは身動きもしないでリュカの言葉を待つ。
「グランバニアの人達は皆、父のことを尊敬してくれたり、ちょっと怖かったなんて言っていたり、そんな話を聞きました。僕もそう思います。父は怖い時もあるけど、とても頼りになる良い父でした」
リュカは話しながら、自分が父のことを人前で語れるようになったことに驚いていた。今も脳裏に残る父の最期の姿に言葉を詰まらせそうになるが、自分を守り抜いてくれた父に晴れ姿を見せるためにも、リュカは穏やかな気持ちで父のことを話していた。
「僕も父のように尊敬される国王に……とは思いますが、僕は父ではなく、僕です。だから、僕にできることを、この国のためにやっていければと思っています。まだまだ分からないことだらけで、オジロン王……」
「わしはもう王ではないぞよ」
「あ、そっか。えと、じゃあどう呼べばいいでしょうか」
「そりゃあ、もちろん、オジロン叔父さんだろうなぁ」
オジロンがのんびりとそう答えると、兵士たちの間で笑い声が起こった。オジロンは王として少々頼りない所を指摘されることもあったが、とても親しみ深い国王だった。兵士たちはオジロンに敬意を払いつつも、どこか身近な叔父さんと言う雰囲気を感じていたのだろう。
「じゃあ……オジロン叔父さんにも色々と迷惑をかけたり、馬鹿なことを聞いたりするかも知れません。これからもよろしくお願いします、叔父さん」
「あい、わかった。わしもできることは助けて参ろう」
「僕はまだこの国に来て二か月ですが、この国の人達は皆良い人ばかりで、僕はそんな良い人達をしっかり守りたいと思いました。これが国王としての使命なのだと思っています。国を守り、国の人達を守る。僕はそんな国王になりたいと思います」
国王の言葉としては多少柔らかく、優しすぎるところがあるリュカだが、その姿に兵士の数人が気づいたようだった。リュカの姿は先代の王パパスよりも、王妃であるマーサを思い起こさせる雰囲気があった。どこか不思議な雰囲気を持つマーサと同じ目を持つリュカに見つめられると、兵士一人一人の心が落ち着いた。
兵士の中から拍手が起こった。その内、耳が割れんばかりの拍手の波となり、広間はその波に包まれていた。オジロンがハンカチで鼻をかむと、気を取り直してと言った様子で声を上げる。
「さあ、リュカ王! 次は国中の民にも新しい国王のお姿を!」
リュカは兵士たちが建前ではなく本当に自分の言葉を聞いてくれたのだと感じていた。リュカの言葉を静かに聞いていた兵士たちが両側に移動し、リュカの前に道を開ける。その道をリュカはオジロンと共にゆっくりと歩き出した。リュカが通ると兵士たちは次々と敬礼をし、新しい国王に新たな決意を見せる。兵士の年齢も様々でパパスの頃から仕える兵士もいれば、近頃兵士となったばかりの若者もいる。その者たちすべての意気が一つとなり、リュカと言う国王を支える。リュカは彼らのためにも、この国の王として為すべきことをするのだという意欲を沸々と感じていた。



城下町での新国王のお披露目は噴水のある広場で行われた。城下町を照らす明かりは通常よりも幾分明るい。その中でオジロンがリュカという新しい国王を国民に知らしめ、リュカは再び国民の前で短い挨拶をした。既にリュカのことを知っていた国民はもちろん、リュカのことを知らなかった国民も新しい国王が先代の王パパスの息子だと言うことを知ると驚きの声を上げた。まだ小さな子供に至っては先代の王パパスのことも知らないが、リュカと言う新しい国王の姿を見るだけで、その年若い姿に身近な憧れを抱いたりしていた。
リュカは広場を埋め尽くす国民の中に、サンチョの姿を見つけた。サンチョは常に国民と共にあるという意識があり、先ほどの王室でのお披露目には出向いていなかった。パパスの元側仕えと言う立場でありながら、彼は主を失った責任と悲しみから、必ずこのグランバニア国民を傍で守り抜こうという決意を秘めている。そんなサンチョは新しい国王となったリュカの姿を見て、思うように泣き顔を見せていた。年と共に涙もろくなったと話すサンチョだが、昨夜のビアンカの出産の時にも涙を流して喜び、今もリュカの晴れ姿を見て涙を流している。リュカはそんなサンチョの優しさに、自身も涙を流しそうになっていた。
サンチョは、リュカにとって父に近い存在であり、見知らぬ母マーサに近い存在でもあり、唯一無二の特別な存在だった。またサンチョにとってもリュカは自身の子供のように大切にしている存在だった。この十年ほど二人は会えずにいたが、リュカは心のどこかでいつもサンチョのことを思い、サンチョは常にリュカのことを我が子のように思い続けていた。そんなリュカがサンチョに自身の晴れ姿を見せることができ、サンチョはリュカが国王となった姿を目にすることができた。サンチョが涙を流してしまうのも、リュカが必死に涙をこらえているのも自然のことだった。
「さあ、我らの新しい国王の誕生を祝って、宴の始まりじゃ!」
オジロンが噴水広場に響く大きな声でそう告げると、既に準備されていた祝賀会が催された。リュカが国民の前で長々と話す機会は与えず、ただリュカに国民一人一人と話をしてほしいのだと、オジロンは早めに宴を始めることにしたようだ。既に準備されていた宴は唐突に始まり、噴水広場の前は大いに賑わい始めた。
リュカは勧められた葡萄酒には手をつけず、子供用に用意された柑橘系のジュースに手を伸ばした。大して話したわけでもないが、喉がカラカラだった。ひりつく喉を潤すために、ジュースを一気に飲み干す。
「あれ? 王さま、これはジュースだよ。お酒はあっち」
同じジュースを手に取った一人の男の子にそう言われ、リュカはきまり悪そうに頭をかく。
「いやあ、僕、お酒が飲めなくてね」
「王さまなのに、お酒が飲めないの?」
「そう、王様なのにお酒が飲めないんだ。おかしいよね」
「そうなんだ、ボク、王さまってお酒が飲めなきゃいけないのかと思ってたよ」
「これっ! 王様に向かって何て口の利き方をするんだい! ……申し訳ございません、王様。まだ子供なものでどうかご容赦を……」
国王と言う立場のリュカに至って普通に話しかけた男の子に、母親が叱り声を飛ばす。リュカは笑いながら母親に「いいんですよ、まだ王様になったばっかりだし」と気さくに答える。
「王さま、王さま、ボク、大きくなったら兵士になってこの国を守るんだ!」
キラキラと輝く瞳でそう宣言する男の子を見て、リュカは胸が温かくなるのを感じた。まだ五、六歳ほどの男の子が、将来はこの国の兵士になりたいと言う夢を語っている。それだけで、リュカはこの国の未来はきっと明るいと信じることができた。
「どうして兵士になりたいって思ったの? 君のお父さんが兵士なのかな?」
「うん、ボクのお父さんも兵士なんだよ」
男の子の目が輝いていた理由は、彼の父なのだと分かった。男の子は兵士である父親を尊敬する故に、自分も大きくなったら父と同じように国の兵士になるのだという夢を持っている。それは幼い頃のリュカと寸分たがわない状況だと思った。リュカも父に憧れ、父のようになりたいと思って、旅の間は必死に父の後を追いかけていたのだ。
「ごめんね、僕、王様なのにまだ兵士の人達の名前を全部覚えていないんだ。君のお父さんは今、どこにいるのかな」
「えーっと、あ、あっちにいるよ。ほら、今からっぽのお酒を持って笑ってる人」
男の子の父は仲間同士で酒を酌み交わしているらしく、大口を開けて笑っている男性がそうなのだとリュカにも分かった。リュカに見られていることには気づかず、男性はただ気兼ねなく飲める酒に既に酔っているようだった。
「あーあ、もうあんなに飲んじまって……国の兵士としての自覚はあるのかねぇ、あの人は」
「今日はいいんじゃないですか? 僕も楽しく過ごしたいし」
「でもあの人は国の兵士ですよ。国を守るべき者があんなに飲んで酔ってちゃ……って言うのも、この物騒な世の中だからなんだよねぇ」
男の子の母親はこの強固な城の中に造られた城下町に住んでいることを理解している。グランバニアが何故石造りの頑強な城の中に町を収めたかと言うと、魔物の襲撃に備えるため、このような特殊な造りの城になったのだ。
「うちの子が大きくなるまでに平和な時代がやってくるといいんだけど……」
それは母の切なる願いだった。せめて我が子が成長し、独り立ちする頃にはこの世に平和な時代が訪れることを願う。兵士になりたいという子供の願いを、母は快く思っていないと言うことだ。双子の子供が生まれたばかりのリュカにも、その気持ちを想像することができた。まだ生まれたばかりの赤ん坊がこれから成長し、もし国の兵士になりたいと言ったら、リュカは反対してしまいかねない。国を守ろうという心は非常に立派なものだが、命を懸けて行う仕事に就くのは、やはり素直に喜べないところだろう。それが親心と言うものなのだとリュカは思った。
「王さま、王さま! ボクのお父さん、とっても強いんだよ。だからボクもお父さんみたいに強い兵士になりたいんだ」
男の子の夢は純粋なものだ。強い父に憧れ、父のような仕事に就きたい。リュカには男の子の気持ちも理解できた。今は父となったリュカだが、それでもやはり亡き父パパスに憧れ、父のような強さを持ちたいと思っている。そして永遠に追いつけない亡き父の存在に、リュカは必死に手を伸ばそうとする。
「そっか、じゃあ君のお父さんには『いつもありがとう』ってお礼を言っておくね」
「本当? 王さまから?」
「うん、王さまから」
男の子が、自分の父親が国王から礼を言われることを想像して、顔を輝かせていた。そんな息子の姿を見て、母親は困ったような笑みを浮かべている。
「早く平和な時代が来るよう、僕も願っています。こんなに可愛い子供が命を懸けた兵士になる必要がないように……」
「王様……ありがとうございます。ほら、ピピン、あんたも王様にお礼を言うんだよ」
「うん! 王さま、お話してくれてありがとう!」
「どういたしまして」
リュカが微笑むと、ピピンという男の子も嬉しそうに笑った。リュカは本当にこのような子供が兵士と言う危険な職に就くことがないよう、すぐ先の未来が平和になることを祈る思いだった。
その後もリュカは様々な人と話をした。グランバニアの国民はリュカが国王とは言え、ほとんどの者が気さくに話しかけてきた。それはこれまでのオジロンの親しみやすい国王と言う印象がリュカにも引き継がれているからなのかも知れない。オジロンはと言えば今、元国王とは思えないほど民衆に溶け込み、その恰好が民衆のものと変わらなければ決して彼が元国王と気づく者はいなかっただろう。それほどにオジロンは国民と肩を並べて楽しそうに話をしていた。今は一人の老人との会話を楽しんでいる。リュカがそこに近づくと、オジロンは人の良い笑みを浮かべてリュカを手招きで誘った。
「おお、リュカよ……じゃなかった、リュカ王! 宴は楽しんでおるかね……じゃない、楽しんでおられますかな」
「オジロンさん、僕にそんな風に話しかけないでください。何だか緊張します」
「ふむ、しかしなぁ、一国の王に向かって偉そうな口も利けんし……」
「いいですよ、だってオジロンさんは僕の叔父さんなんだし、叔父さんが甥に話しかけるように、お願いします」
「リュカ王がそういうのなら……まあ、これは国中の宴じゃからの、良いとするか」
オジロンがそう言いながら大声で笑う横で、それまでオジロンと話していた老人がリュカの顔をじっと見つめている。リュカは国王と言う立場を意識しながら、笑みを浮かべながら小首をかしげて老人を見る。
「どうかしましたか?」
「いや、リュカ王にはパパス王の面影も、マーサ王妃の面影も、どちらも見られると思いましての」
「そうですか……サンチョには母に似ているって言われたことがあります」
「ほう、サンチョ殿はそう言っておったのか。そうじゃな、王の目を見ていると、マーサ王妃を思い出すのう。しかしリュカ王もパパス王のように勇敢な武人なのじゃろう? お姿を見ればそれが分かりますぞ」
既にパパスとマーサがこの城から姿を消して十年以上の月日が流れているが、老人にとってはまだほんの数日前の出来事のように二人の姿を思い出すことができるようだ。老人がこれまで過ごした年月に比べれば、十年、二十年ほどの年月はつい最近の出来事なのかも知れない。
「パパス王が死んだなど、わしにはまだ信じられんわい……。ほれ、こうして目をつぶると、パパス王の逞しい姿が今でも目に浮かぶぞ」
老人は皺に埋もれたような目を閉じ、その瞼の裏に勇猛なパパス王の姿を思い出していた。リュカも父は敵との戦いに敗れて死ぬような人ではないと信じていたが、この老人にとってもパパスと言う男はそれほどに強い存在だったのだろう。パパスを打ち負かす魔物などいるわけがないと、その強さを誰よりも認めているのだ。
「そうですね、父は本当に強く、優しかった。だから僕も父を目指して、そんな父親に……」
「リュカ王、ちょっとよろしいですかな?」
まるでリュカの言葉を遮るようにして言葉を挟んできたオジロンが、リュカの腕を引っ張りながらその場を離れる。老人は目を閉じたまま、まだその脳裏にパパス王の姿を見ていたが、リュカは老人の前から離れざるを得ない状況だった。
「どうしたんですか、オジロンさん」
「いや、まだリュカ王の子供の誕生のことは皆に知らせてないからな。このことも夜には大々的に国民に知らせようと思っておるのじゃ。それまでは内緒にしておいてくれるか?」
「え? あ、そうなんですね。分かりました、頑張って内緒にしておきます」
「まずは国民にリュカ王の披露を、その後にリュカ王に双子の子が誕生したと知らせれば、国民は二重の喜びに包まれるであろうからな。わしも元国王として、国民には大いに喜んでもらいたい。だから、もうしばらく我慢して欲しい」
こういうところがオジロンの細かな優しさなのだとリュカは思った。そして元王はどこか子供のようないたずらっぽさをその内に持っている。国民に少々頼りないと言われても、親しみを持たれているのはその子供っぽい性格にもあるのかも知れない。
突然、広場に叫び声が上がった。リュカもオジロンも声の上がった方を見やる。するとそこには大きな青い竜と全身茶色の熊のような一つ目の魔物が共に機嫌よく並んで歩いてくるのが見えた。歌でも歌っていそうな雰囲気に、リュカはマッドとガンドフを見ながら笑ってしまった。よく見ればその前にはプックルがおり、ピエールにマーリン、ガンドフの右肩の上にはちょこんとスラりんが乗っている。マッドの後ろに隠れていたメッキーが上に飛び上がって姿を現し、大きな鳴き声で祝福の気持ちを表した。
「みんな、来てくれたんだ!」
「魔物の私たちも宴に参加するようにと、オジロン王が計らってくださいました。サーラ殿たちが今は城の警備に当たっています」
「ピエールよ、わしはもう王ではないぞよ。新しい国王はこのリュカじゃ」
「リュカ、オウサマ、カッコイイ……」
「偉くなったもんじゃのう。一国の主とは、果たしてリュカに務まるのか、わしは心配じゃ」
素直にリュカの即位を喜んだり、少々意地悪なことを言ったり、リュカをうっとりと眺めたり、これまで共に旅をしてきた魔物の仲間たちはそれぞれリュカの即位に喜びを表していた。マッドが少々荒っぽくリュカの背中を尻尾で叩いた時は、リュカが吹っ飛びそうになって周りの民衆が悲鳴を上げたが、それでもリュカは背中を擦りながらマッドなりの祝いの言葉をありがたく受け止めていた。
「がうがうっ」
ここは俺の場所だと言わんばかりのプックルがリュカの足元に擦り寄りながら「おめでとう」の言葉を伝える。プックルの声を聞いて、リュカははっとなった。プックルを見ると、彼はリュカの即位よりも喜ばしいことがあっただろうと、彼の手に鼻をつける。自分の手の匂いを嗅ぐプックルに、リュカはプックルが気づいていることに気づいた。
「プックルはしっかり聞いていましたよ、産声を」
リュカにこっそり耳打ちするのはピエールだ。魔物の仲間たちはリュカとビアンカに子供が生まれたことを既に知っているのだ。リュカがティミーの産声を聞いたように、プックルもその耳で同じ産声を耳にしていた。その時プックルはピエールとミニモンと外で城の警備に当たっており、産声を耳にした瞬間、城の壁をよじ登ろうとしたらしい。ピエールがプックルを落ち着かせ、事情を理解し、続いて国王私室まで飛んでいきそうなミニモンも止め、ピエールたちは再び落ち着かない城の警備に当たっていたという。
「じゃあ、みんなは……」
「知っとるよ。嬢ちゃんは頑張ったんじゃなぁ」
「リュカ、オメデトウ。ガンドフ、アトデ、アイニイク」
「ピー、ピー!」
「メッキーも一度こっそり部屋まで飛んで行ったらしいんですが、カーテンが閉まっていて生憎と見られなかったとか」
「メッキッキー!」
メッキーはリュカの周りをぐるぐると飛んで祝福の意を表していた。これまで共に旅をしてきた魔物の仲間たちは皆、揃ってリュカに「おめでとう!」と祝いの言葉を述べたり、行動に表したりした。彼らのその優しい気持ちがリュカにじんわりと染み入る。リュカは鼻をすすると、慣れない正装の固い袖で目尻を拭う。
「後でみんなで会いに来てね。きっとビアンカも……喜んでくれるから」
「もちろんじゃよ。孫みたいなもんじゃからの。会いに行かない理由がないわい」
「楽しみです。きっと、その……可愛いのでしょうね」
マーリンとピエールが話す横で、プックルはしきりにリュカの手に鼻を当てて匂いを嗅いでいる。リュカの手には恐らく、今朝双子のティミーとポピーを抱いた時の匂いが残っているのだろう。プックルはその場から離れられないと言った様子で、リュカの足元の場所を誰にも譲ろうとはしない。
リュカが魔物の仲間たちに囲まれる姿を見て、グランバニアの国民の多くはかつて同じような光景を目にしたのを思い出していた。
ある時突然、グランバニア王パパスが連れてきた女性も、今のリュカと同じように魔物たちを引き連れてこの城にやってきた。グランバニア王妃マーサはまるで幼い少女のような純真な瞳で、しかし既に数多の経験を積んだような覚悟のある瞳で、グランバニア国民に魔物が悪なのではないと訴えた。そして巨人であるゴレムスとグランバニア国民たちの対話を望んだ。ゴレムスは言葉を使わない。しかし差し出されたその巨大な手に触れた国民たちは、マーサの言葉を受け入れる気持ちを持つことができた。小さな子供たちはゴレムスの体に乗せてもらい、遊び始めたりしていた。マーサの肩に乗っていたスラぼうはグランバニアの国民に丁寧な口調で話をし、マーサと共に決して自分たちは悪い魔物ではないと言うことを話した。
今のリュカの姿は、その時のマーサの姿と重なるものだった。マーサが連れてきた魔物よりも数が多く、獰猛なキラーパンサーに荒っぽいマッド、熊のようなガンドフの姿には驚かされたが、彼らが一様にリュカを慕い、リュカの周りに集まる光景を目にして、過去の出来事を知っている国民はその光景に思わず沸いていた。マーサが戻ってきたかのような光景に、グランバニア国民の多くは奇跡が起こったのだと感じた。
リュカの周りを魔物の仲間たちが囲い、その周りをグランバニアの国民が囲む。リュカにとってその状況は、心のどこかで夢に描いていたものだった。人間と魔物が共に暮らし、共に喜び合うこの状況に、リュカはうっすらと目に涙を浮かべていた。見知らぬ母が父と共に拓いてくれたこの環境に、リュカは心の中で二人に深く礼を言った。そして魔物を受け入れてくれるこのグランバニア国民と、人間たちと寄り添い暮らしてくれる魔物の仲間たちを、リュカはしっかりと守り抜いて行こうと心に決めていた。
新しい国王を称え、祝う宴は終ることなく、延々と夜まで続く……。

Comment

  1. タバサ より:

    ビビ様、更新お疲れ様です。
    今回、ついにリュカのグランバニア国王としての即位式が挙げられましたね!
    帰って来たばかりのリュカが王子としてあっさり受け入れられたのは、やはりパパスとマーサの二人の影響が大きいですね。
    そんな二人の息子と聞けば、期待するしかないですよねえ。
    そして、仲間の魔物達も祝宴に参加。
    グランバニア国民との交流がまた良かったです。
    これを機に、仲間の魔物達も個性を活かした職に就けたら良いですよね。
    そしてこの場に大臣がいないのは、やはり例の準備ですよね…。不安になります。
    次回も楽しみにしています。頑張ってください。

    • bibi より:

      タバサ 様

      早速のコメントをどうもありがとうございます。早いですねぇ。
      とうとうここまで来ました、と言う感じです。私も数年かけて書いているので、感慨深いものがあります。
      リュカもあの父母がいなければ、到底グランバニアの国王などにはなれなかったでしょう。七光りと言うものかも知れませんが、それまでの彼の苦労を考えればこれくらいのご褒美は必要と思います。これからもいろいろとありますし……。
      仲間の魔物たちは是非宴に参加させたかったので、登場してもらいました。本当はもっと掘り下げて書きたかったですが、やはり終わらなそうなので適当なところで切り上げました。
      大臣は今頃どこに……。これから書くのが嫌になります。でもここをリュカ君には乗り越えて欲しいので、頑張って次のお話も書いて参ります。
      頑張りますので、引き続き応援の程よろしくお願いします。本当に励みになります^^

  2. ケアル より:

    bibi様。
    コメント遅くなってしまいまして…(汗)。

    bibi様も母となって息子さんがいらっしゃるから、さすがです!。
    ティミーとポピー、リュカとビアンカ、親子の感情や心情の描写が深くて、映像が浮かびますよ。
    母にしか分からない子育ての様子が、きちんと描かれていて、読み手側としては、気がつかない読者も、いらっしゃるかもしれませんが自分は、しっかりと読ませて戴きました。

    親になり王になり、リュカにとって想定外なことばかりですが、一国の王となった今、先代の王であり偉大な父パパスに負けない王様になって欲しいですね!。
    だから、ひとまずは、お酒が飲めるようにならないとリュカ(笑み)。

    bibi様、アルコールの中に入れられた睡眠薬の描写ですが、このままだとリュカ王は、ジュースばっかり飲んでしまうかも?
    そのあたり、どう描写して行こうと思われますか?
    ジュースにも睡眠薬…入れちゃいますか(笑み)。

    ピピン君、登場しましたね。
    いつもながら、ゲーム本編台詞!
    ピピン母の言葉…この後に起こる最悪な事件を思うと、心が痛いですよね。
    堀井雄二先生(漢字あってますか?)は、この台詞をこの後の出来事の、ふらぐにしていたのかもしれませんね。
    ほりい先生…深いなぁ!…。

    仲間モンスターも一緒に、お祝いとは、この描写もナイスでありますね!。
    国民はマーサの子だと人目で分かり、嬉しさ倍増ですな!。

    bibi様、次回は、誘拐事件になってしまうのでしょうか?…。
    それとも、オリジナルストーリー大臣の策略を描写しますか?
    次回も楽しみにしています!(礼)。

    • bibi より:

      ケアル 様

      いつもどうもご丁寧なコメントをありがとうございます。
      私自身、母となる前だったらまた違った文章を書いていたと思います。もっと綺麗ごと、というか、赤ちゃんは母の絶大なる愛で包む、みたいな。しかし実際は母だって新米で、何が何やら分からない状況です。そんな綺麗ごとでは済まされません(笑) そんなところをちらっと書きたいなぁと。
      リュカは永遠に父の背中を追い続けるんだと思います。父としても、王としても。たとえ父パパスよりも民の心を掴んでも、彼自身はずっと父の背中を追い続けるのかなと。親って、永遠に敵わないものだと思っています、私は。お酒は……飲めないのがリュカの個性ということで(笑)
      飲み物の薬の影響は、うっかり、と言う感じで行くかも知れません。ありがちですが……。ジュースに薬を入れてしまうと、子供たちにも被害が……それは避けようかなと。
      ピピン君は一度は登場してもらいたかったので、ここで。リュカはピピン君を生まれたばかりの双子に重ねて見たり、自分の幼い頃と重ねて見たりしています。成長した彼が楽しみですね^^
      仲間の魔物たちは絶対に宴に参加して欲しかったので、オジロンの計らいで、ということで出てきてもらいました。宴ではどうしても孤独なリュカですが、仲間たちがいればしっかり楽しめるだろうなと。今は切に楽しんで欲しいので……。
      次回は……ちょっと考えます。うーむ、どうしようかな。

  3. ピピン より:

    ビビさん

    読んでいて何だか初プレイの時を思い出しましたよ。
    序盤でどんどん物語に引き込まれてロールプレイを楽しんでた自分にとって、双子の誕生は半分自分の事のように嬉しくてワクワクしたのを覚えています。
    まさに今のリュカのような感じで( ´∀` )

    そしてついにわが半身のピピンが登場しましたね(笑)
    まだ気は早いですが、成長した彼には双子達を兄のように支えてもらいたいです。

    • bibi より:

      ピピン 様

      コメントをどうもありがとうございます。お返事が遅れて申し訳ございません。
      DQ5はもう一つの自分の人生を過ごしている錯覚に陥りますよね。子供の頃にプレイしているにもかかわらず、自分の子供が生まれるという不思議。そういう想像力をさせるゲームって、良いなぁと今も思います。そして大人になるとまた違った見方で感動しちゃうこのゲーム。奥が深いですわ。
      ピピン君、登場してもらいました^^ 大人になったらしっかりとグランバニアを守り、双子たちを守っていって欲しいと思います。楽しみです。

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