父の仇

 

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階段を上ると、周囲から水の気配がした。魔物が棲むこの塔で初めて感じる清浄な水の気配に、リュカは図らずも心身ともに癒されたような気がした。ぼんやりと灯る壁の燭台の明かりに、水面が怪し気にゆらゆらと揺れている。リュカたちがいる場所を囲む堀のように、涼やかながらも不気味な水はその場に留まり、時折外から流れ込む風で水面を揺らす。
堀に囲まれたリュカたちのいる場所から中央に向かい、何者かが倒れている。うめき声を上げるその者は、床に彫られた悪魔の大きな口の上に腹ばいになり、まるで今にも悪魔に噛み殺されそうな状況に見えた。浅く早く呼吸を繰り返す男は、助けを求めるように右手を宙に上げ、正面に見える上り階段に向かって這って進もうとしていた。
「……大臣」
感情のないリュカの声が、床に這いつくばる大臣の耳に届く。大臣の豪華なローブの下からは夥しい量の血が流れ、それは床の悪魔の顔の上に広がっていた。大臣は残る力を振り絞るようにゆっくりと体勢を変え、後ろのリュカを振り向く。振り向いた大臣の顔もまた、血に染まっていた。
「よ……よくぞここまで……」
歪む大臣の顔を見たが、リュカは彼が笑っているのか悔しがっているのか嘲っているのか、何も分からなかった。大臣自身も、一体自分がどのような思いでリュカを振り向いているのか分かっていなかった。
リュカは倒れる大臣にゆっくりと近づいた。瀕死の重傷を負い、今助けなければ彼がこのまま死んでしまうことは明白だった。助けたいという感情は沸かなかった。しかし助けなくてはならないという考えは浮かんだ。
ビアンカを連れ去る片棒を担いだのがこの大臣だと思うと、今すぐにでも自分の手でとどめを刺したいという怒りがこみ上げる。しかしこの大臣が、リュカたちが長旅の末にグランバニアにたどり着く前まで、オジロン王を支えながらグランバニアを守っていたのは紛れもない事実だ。たとえオジロン王を良いように操り支えていたとしても、大臣の力でグランバニアという国が存続できたという一面もあるに違いない。
リュカは大臣に近づきながら、相反する思いに葛藤していた。そして大臣の目の前に立つと、リュカの手にある父の剣先は、床に這いつくばる大臣に向けられていた。
「大臣、あなたの過ちは……もう、許されません」
リュカが助けの手を伸ばさず、震える剣先を向けたことに、大臣は本当の覚悟を決めた表情を見せた。リュカをぼやける視界に見ながら、大臣は少なからず救いの手を期待していた。しかしリュカ王は慈悲ある神などではなかった。大事な妻を攫い、グランバニアを窮地に追い込んだ大臣の罪を、新たな国王となったリュカは決して許さなかった。
「わ、私が間違っていた……」
瀕死の状態で、大臣は絞るような苦し気な声を上げる。大臣がどれほど懺悔の言葉を述べても、リュカは彼を助けない意思を強く持った。たとえここで大臣を助け、再びグランバニアに連れ戻ったところで、一度グランバニアを裏切った罪は永遠に国民たちの間にめぐり続けるだろう。またたとえ彼の命を救い、国外追放としたところで、恐らく今の大臣は自ら命を絶ってしまうと思った。大臣は今、深く自身の行動を顧み、悔やみきれない思いを抱いている。その罪は死を持って償う他ないと、彼は国王に向けられた剣を目の前に見ながら既に悟っていた。
「や、やはり怪物などにチカラを借りるのではなかったわい……」
リュカは剣先を大臣に向け続けていた。今にも大臣を切り捨ててしまいそうなほど、リュカの手には力が込められていた。しかしその一方で、もしこの剣を収めてしまったら、リュカは大臣に回復呪文をかけ、大臣の命を救ってしまうのだろうと思っていた。それともリュカの剣が収まるのを見た瞬間に、プックルが大臣に襲いかかるかも知れない。またリュカが大臣を回復せずとも、リュカの剣が収まるのを見れば、仲間のピエールかガンドフが大臣を助けるようにも思えた。
仲間たちに判断を委ねてはならないと、リュカはグランバニア王として、大罪を犯した大臣に剣を向け続けた。大臣を相手にするべき者は国王であるリュカだけなのだと、仲間の魔物たちもリュカの剣がずっと大臣に向けられていることに、静かにその場を見守った。
「あなたは、グランバニアをどうしたかったんだ」
大臣がリュカのことを快く思っていなかったことは、リュカ自身良く理解していた。数年ぶりに突然グランバニアに現れた若者が、かつてのグランバニア王であるパパスの息子だと知った時、大臣は一番に自分の身の危険を感じたのだろう。それまでは頼りないと評されているオジロン王を支えることで自らの立場を確立し、グランバニア国に半ば君臨していた大臣だが、偉大な国王だったパパスの息子が国に帰還し国王として即位するとなれば、大臣としての自分の身は完全に落ちてしまうだろうと考えた。
大臣はただ保身のため、リュカを亡き者にすることを考えた。それは安直な考えだったが、大臣は自分の考えにゆるぎない自信を持っていた。それまでオジロン王を支えることで、まるで自らが国王の様に国を動かしていたに等しい大臣は、既に自身がグランバニア王国の頂点に立っていると思うようになっていた。自身が指示を出せば、部下たちが何も文句を言わずに思うように動いてくれる。決して国を思う心がなかったわけではない。しかしそれ以上に、誰もが自分の前にひれ伏すような心地よい状態に、大臣はいつしかそれが当然のことなのだと思うようになっていた。
「私は、グランバニアを……国を……」
息も絶え絶えに言葉を吐く大臣は、言いたいことの全てを言えない状態だった。そして言いたいことが何なのか、自身でも分からない状態だった。一体自分はグランバニアをどうしたかったのか。大臣自身ももうその本当の心を見失ってしまっていた。確かなことは、ただの旅人としてグランバニアに訪れた若者に、全てを奪われてしまう危機感と、若者にすべての賞賛が注がれることに対する嫉妬心があることだった。グランバニアの平和を守りたいと思いつつも、リュカという偉大な父の威光を浴びるただ一人の若者にどうしようもなく妬ましい気持ちを抱いてしまった。その妬みが、大臣の全てを狂わせたようなものだった。
「僕は、あなたが国のために尽くしてくれるのだと、信じていました」
それは建前ではなく、リュカの本音だった。リュカが国王の座に就くことに反対している大臣の理解を得るため、試練の洞窟に向かい王家の証を手に入れた後、大臣はリュカを認めた上で率先して即位式の準備に取り掛かったのだと思っていた。認めてもらえなかった人物に認めてもらうことは単純に嬉しく、リュカはこれから大臣とも分かりあうことができるのだと期待していた。
しかしリュカの前でにこやかにしている裏で、大臣は着々と裏切りの準備を進めていた。大臣の行動を見抜けなかったことが悔しかった。しかしそれ以上に、自分は大臣を心から信用するようになっていたのだと思った。これからのグランバニアの国政は、オジロンは元よりこの大臣の存在が必要なのだとリュカは思っていた。
リュカの信頼の言葉に大臣は顔を歪めた。大臣にはリュカが信頼を寄せてきていることが分かっていた。即位式の準備を進める中、リュカは大臣に少々の遠慮があるとは言え、自分が国王の座に就くにあたり大臣を冷遇するような意識はまるで持ち合わせていなかった。リュカのその信頼の意識に大臣は気づきながらも、それを嘲笑うような気持ちを抱くことを自身に課した。グランバニアに訪れた旅人風情の先代国王の息子が正義を振りかざしているようで、長年にわたってグランバニアを守ってきた大臣としては、その若者をどうしても受け入れることができなかった。
「このままではグランバニアの国が……」
しかし今、この時になってようやく取り返しのつかないことをしてしまったのだと大臣は理解した。全てのものを危機に陥れたのは紛れもない自分なのだと、死を目前にしてようやく認めることができた。パパスの息子であるリュカがグランバニアに戻りさえしなければと、大臣は事の始まりはリュカの帰還なのだとその原因を擦り付けていた。しかしすべての原因が自分の保身の心や間違った誇りにあるのだと、大臣は自身が見ることのないグランバニアの未来を想像し、涙した。もう何もかもが手遅れだった。時間を巻き戻すことはできない。今更後悔しても、共にグランバニアのために力を尽くすことはできない。
「許してくれい、リュカ王……!」
残されたわずかな命で、大臣はそう言うのが限界だった。迫る命の終わりは待ってくれず、大臣は最期に激しく血を吐くと、そのまま絶命した。
消えゆく命の灯を前にして、リュカは救いの手を差し伸べなかった。大臣を救わなければならない、救いたくない、救った方が良いのか、救うことを大臣が望んでいないのか、様々な思いがリュカの頭を巡った。しかし結局、リュカは大臣を救わなかった。蘇生呪文ザオラルを唱えれば、もしかしたら大臣は息を吹き返したかも知れないが、リュカはそうすることを拒んだ。それはやはり、大臣の罪を許すことができないという思いが強かったからだった。
「僕は……間違ってるのかな」
リュカがぽつりとそう言うと、隣にいたプックルが小さな声でにゃうにゃうと答えた。その短い鳴き声に、リュカは包まれたような感じがした。間違っているも間違っていないもない。ただリュカの思いに俺たちはついていく。プックルの声はそう言っているのだとリュカは感じていた。
「リュカ殿、先に進みましょう」
ピエールは冷静さを失っていなかった。ここで息絶えた大臣をじっと見つめ、長い時間頭を下げると、もう次にすべきことに目を向けている。長年グランバニアを支えた大臣に対して敬意を表しつつも、今ここでやらなければならないことは王妃ビアンカを救い出すことなのだと、リュカの目を前に向けさせた。リュカも同じように倒れる大臣に様々な思いを抱きつつ頭を下げ、そして再び頭を上げた時には、外の光が漏れている階段へと目を向けた。冷たい空気が流れ込んできている。その冷たい空気はただ外の空気が流れ込んできているだけではないようだ。階段の上には、魔物の気配がありありと感じられた。
リュカは仲間たちと共に、外にいる魔物に向かってゆっくりと階段を上っていく。



外に出ると、手が届きそうなところに雲が流れていた。流れる雲はこの塔の上をずっとめぐり続け、時折雷の音が雲の間に響いている。塔の立つ背景には険しい山々の景色が広がり、北にある山々から冷たい風が流れてきているようだった。リュカは塔の上の寒さに、かつてセントベレス山の上での風の冷たさを思い出した。ただ山が高いだけ、塔が高いだけの寒さではない。死と隣り合わせになった時に感じる寒さを、今この場で肌に感じていた。
「ほほう。ここまで来るとはたいしたヤツだな」
低くはっきりと響く声が聞こえた。塔の屋上に当たるこの広い場所の中央に、巨大な玉座が置かれていた。人間ならば悠に三、四人は並んで座れるほどの大きな玉座に、一体の巨大な魔物がどっしりと腰を下ろしていた。
身体の大きさはガンドフと同じほど、身体に見合う大きな三叉の槍を片手に持ち、猪の顔に余裕のある笑みを浮かべている。今までにも戦ったことのあるオークという魔物に似ているが、通常のオークよりも二回りほど大きく、手にする三叉の槍は磨きこまれ、多くの人間を倒せるようにと武器の手入れにも余念がないようだ。
「魔物の仲間がいる人間というのも珍しい」
たとえ人語を解し、巧みに話せるとしても、リュカは目の前のオークにはまともな話が通用しないだろうと、武器を身構えた。それを合図にと、プックルは今にも飛びかからんばかりの低い体勢を取り、ピエールも剣を構え、ガンドフは両手の盾を武器の様にして前に構えた。敵となる巨大オークの目には、人間を倒すことへの喜びを感じる狂気が感じられた。その目はじっとリュカを見つめ、一度に仕留めるのではなく、いかに苦しませようかと考えているのがリュカには見えていた。
「しかしこれ以上はこのオレさまをたおさぬと進めぬぞ。残念だったな!」
巨大オークの言葉に、リュカは素早く辺りを見渡した。塔の屋上となるこの場所にはオークの座る巨大な玉座の他に天を貫かんばかりの高い石柱が二本あり、広い空間の周りは低い壁が囲っており、壁には隙間なく悪魔の顔の彫刻が施されている。そして壁の一部に、ゴレムスよりも大きな怪物の石像が置かれており、リュカたちを睨んでいる。塔の中にあった竜の像の様に火を吐くわけではない。しかし明らかにこの塔への侵入者であるリュカたちを認識し、怪物の石像がその目でリュカのことを見続けているのは明らかだった。
「結界か何かかも知れません」
ピエールが小声でリュカに囁く。その一言でリュカには十分だった。先ほどの巨大オークの言葉が全てだった。先にもまだ道が続いている。この場所はその通過点に過ぎない。巨大オークを倒せば結界が消え、先に進めるようになるのかも知れないと考えるのが妥当だった。
この場に来て、リュカが一番に気づいたのは、ビアンカの姿がないことだった。彼女は必ずこの塔のどこかにいるはずだ。しかしこの場所に彼女の姿はない。彼女はこの結界を抜けたところにいるのだとリュカは信じ、巨大オークを倒すことだけを考えた。
巨大オークが玉座の前に立ち、にやつきながら三叉の槍を前に出した。猪の大きな鼻を鳴らしながら何かを呟いている。それが呪文だと気づいた時には、三叉の槍の先から呪文が放たれた。目に見えない波動がリュカたちに及び、リュカたちは今まで以上に風の冷たさを肌に感じるようになった。一体何が起きたのかは分からなかったが、素早く攻め込んできたオークの槍先を辛うじて交わした瞬間、その呪文の効果を知った。
微かに腕にかすっただけの攻撃だったにも関わらず、リュカの腕は深くえぐられた。思いもよらない痛みに、リュカは顔をしかめ、ガンドフがすぐさま回復呪文をかける。傷口は瞬時に塞がったものの、リュカはまだ違和感を覚える腕を思わず擦る。
巨大オークがリュカの戸惑う顔を見ながら楽し気ににやついている。その瞬間、プックルが疾風のごとく飛び出し、オークの顔面に鋭い爪を浴びせた。しかし通常のオークとは身のこなしも違い、頬にかすり傷を負った程度で済まされてしまった。
直ぐ近くに着地したプックルに、オークの三叉の槍が突き出される。プックルは瞬時に槍をかわしたつもりだったが、リュカと同じように思わぬ深手を負い、短い悲鳴を上げて床に身体を投げ出した。プックルの近くにいたピエールがすぐに傷を癒す。
リュカはすぐにプックルにスカラの呪文をまとわせた。プックルがまるで鎧を着こんだような守りを得て、力強くその場に立ち上がった。巨大オークはリュカの呪文を見て、苦々し気に顔を歪めた。しかしリュカに呪文詠唱の隙を与えないよう、すぐさま三叉の槍を突き出してくる。リュカは敵の呪文ルカナンを食らった状態のまま攻撃を受けるわけには行かないと、敵の槍を必死になって避ける。巨大オークの突き出す槍を剣で受け止めれば、その強烈な力に父の剣が折れてしまいそうだと、リュカはとにかく身を翻して槍を避けた。
リュカの前で激しい衝突音がした。オークの槍とリュカとの間に、大きな熊が割り込んでいた。ガンドフが両手に構えた鉄の盾を突き出し、オークの槍を弾いていた。敵の巨大オークも人間であるリュカだけに執着して攻撃をしかけていたため、リュカの仲間たちである魔物への注意を怠っていた。ガンドフは鉄の盾で槍を避けるのと同時に、盾を殴りつける道具のようにしてオークに襲いかかっていた。
オークがガンドフに狂気の目を向けた瞬間を見て、ピエールが斜め後ろからオークに切りかかった。見た目とは異なり、身のこなしが軽いオークはピエールの剣をすんでのところ避けてしまった。しかし避けたところにプックルが飛びかかる。まだガンドフとピエールに集中していたオークは、後方から飛びかかってきたプックルに思い切り右腕を噛みつかれた。槍を持つ手を狙って噛みつくプックルは、オークの手から槍が落ちるまで離さないと言わんばかりに、ぎりぎりと腕に牙を食い込ませる。
オークは槍を左手に持ち替えると、槍をぶん回して周りの敵を一度に薙ぎ払った。ガンドフは盾で受け止めつつも後方に退き、ピエールは槍の勢いに飛ばされ、プックルも後ろに吹っ飛んでしまった。右手を使えなくなったオークは、槍を左手に構え、忌々し気に敵となる魔物たちを見据える。
「人間の味方などしおって……」
ひたすら痛みに耐えるオークを見て、敵が回復する術を持たないのだとリュカたちは気づいた。左手一本でも十分槍を振るえるのかも知れないが、攻撃力は格段に落ちているだろう。キラーパンサーの牙を思い切り腕に受けたのだ。もう右腕はろくに使えない状態なのは明らかだった。
リュカは自分にスカラの呪文をかけた。そのリュカの姿を仲間の魔物たちは静かに見ている。オークは汚らしい笑みを浮かべ、リュカたちを嘲笑う。
「はっは、結局は自分の身が大事か、人間よ。仲間の魔物どもは所詮は魔物に過ぎないということだな」
リュカはオークの挑発に乗ることはなく、ただ静かに剣を構える。目の前のオークをじっと見つめる。オークの構えの隙を見つけようと、敵の身体の周りにまとわりつく空気の流れさえも見つめる。
プックルが駆け出す。オークに飛びかかる。槍が突き出されたのを見て、プックルは潔く退く。同時にピエールが剣を振りかざす。オークが槍を翻してピエールに向ける。ピエールは更に突っ込み、しかし槍の攻撃を受けない範囲で退く。
その時既にリュカは走り出していた。オークは塔へのこのこやってきた人間を仕留めようと、笑みを浮かべつつもリュカを振り向く。振り向いた先に、真っ白な世界があった。目の眩むような白に、オークは一体自分がどこにいるのか分からないほど、我を失った。そして何も見えなくなってしまった。
ガンドフの放った眩い光で視界を失ったオークに、リュカが切りかかった。渾身の力を込めた一撃で、オークは何も見えなくなってしまったまま、床に倒れた。うっすらと目を開けるオークだが、まだ目の前に何があるのか見えていない。魔物の自分が果たして天上という場所へ来てしまったのかと思う程に、まだ白い世界が目の前に広がっていた。
視界を失っても尚、多くの戦いを勝ち抜いてきた巨大オークは近くの人間の気配を感じ、三叉の槍を振り回した。槍先がリュカに当たるが、スカラの呪文の効果で大した傷にはならない。リュカは槍の攻撃を受けつつも、手にしていた剣を床に投げ、両手で槍を力強くつかんだ。ピエールの一撃が倒れるオークの右腕を襲う。痛みに槍を離したオークは、その槍先が自分に向かって突き出されたのを感じたが、それでも尚リュカという人間につかみかかろうと立ち上がりかけた。
リュカは容赦なくオークの背中から槍を突き刺した。命乞いをするわけでもない、逃げるわけでもない敵を、リュカは仕留めなくてはならなかった。この魔物を倒さねば、ビアンカを救うことができない。リュカの中にある思いはそれだけだった。
巨大オークが再び床に倒れこむ。魔物の命の灯がじきに消えるのは見て明らかだった。この塔には多くの魔物が棲みつき、回復できる仲間もいるだろうに、このオークを助ける仲間は一人としていない。あまりにも希薄なその関係に、リュカは微かながら倒れるオークに同情を抱いた。
「そんな……。このオレさまがやられるとは」
背中に突き立つ三叉の槍が見る見るうちにオークの命を削っていく。そして一度波打つようにオークの身体が揺れたと見たら、その直後オークは絶命していた。
冷たい風だけが吹くこの場所に、重々しい何かが崩れるような音が響く。鳴り響く音を振り返ると、道を止めていた悪魔の像が歪めた顔のまま、まるで元々脆い素材だったかのように粉々に崩れ落ちてしまった。そして塔の上に一瞬、嵐のような強い風が吹き荒れると、粉々に崩れた悪魔の像は嵐の中に消え、北の山の彼方へ巻き上げられたまま飛んで行ってしまった。
「結界が、解けた?」
「がう」
リュカの言葉にプックルが反応すると、プックルは落ち着いた様子で続く道を進み始めた。結界が解けたのを見て、魔物が大挙して押し寄せてくるような雰囲気もない。ただ道の先には、今倒したオークのような手ごわい魔物の気配を感じる。リュカは仲間たちの状態をさっと確認すると、プックルの後に続いて先に進み始めた。



悪魔の石像があった場所を通り過ぎると、右手遠くに、同じ形の悪魔の石像がリュカたちの方を向いて目を光らせていた。しかしそれよりも前にリュカたちが目にしたものは、前方に置かれている大きな玉座だった。リュカたちに左側面を見せている玉座だが、その座には誰もいない。玉座の後方に巨大な柱が二本立つ光景は、先ほどの巨大オークが座っていた玉座の周りの造りとほぼ同様だった。
魔物の気配が消えたわけではない。リュカたちは強敵の気配を感じつつも、その者がどこに潜んでいるのか分からず、集中して辺りを見渡す。隠れるような場所はなく、ただ広い場所の中央に堂々と玉座が置かれているだけだ。
その時、リュカは空気が動いたのを感じた。ただ風が流れたわけではない。何者かが起こした空気の流れを感じ、リュカは空を見上げた。
暗雲に隠れていた魔物が突如姿を現し、リュカ目掛けて滑空してきた。既に右手に父の剣を手にしていたリュカは咄嗟に剣を前に構え、敵の鋭い嘴を受け止め、弾いた。しかしあまりの勢いにリュカも地面に倒れ、痺れる手に持つ剣を思わず取りこぼしそうになった。
「ケケケ! うまそうなヤツがやって来たわい!」
空の暗雲を背に大きな翼をはためかせる魔物の姿に、リュカたちは皆、仲間のことを思い出した。しかし姿こそ似ていても、空にはばたく目の前の魔物のような禍々しさを仲間が持っているはずもなかった。
キメラと同じ種族であるのだろうが、通常のキメラとは姿形が少々違っており、大きさも通常のキメラよりも二回りほど大きい。頭部には色鮮やかなアザレアピンクの飾り羽根がいくつもついており、首周りの羽毛は仲間のメッキーよりも豊かで、人間に例えるなら富豪の貴婦人のような装いをしていた。しかしその嘴から吐き出される言葉は貴婦人のそれとはほど遠く、赤く光る狡猾な目にも獰猛な魔物の血が感じられ、リュカたちは新たな敵キメーラに対してそれぞれ戦闘態勢を取る。
「さっきの女もうまそうだったが、あの女はジャミさまにとられてしまったからな」
キメーラの潰れたような声に、リュカが目を見開く。キメーラの言う「さっきの女」というのは間違いなくビアンカのことだと、リュカは咄嗟に落ち着きを失いかけた。しかしこの場にもビアンカはいない。キメーラの言う通り、ジャミという魔物にビアンカを取られたのだとしたら、恐らくビアンカはまだ無事でいるのだろうと、リュカは希望を捨てなかった。先ほどの巨大オークにしても、目の前のキメーラにしても、ビアンカ一人で太刀打ちできるような相手ではない。もし彼女の命を奪うだけの目的ならば、とっくにその目的は遂げられているだろう。
キメーラが呼ぶ「ジャミ様」という魔物がいる。この空間にも悪魔の像が道に立ちはだかり、結界を張っている。結界のその先に、ジャミという魔物がおり、ビアンカもそこにいるはずだと、リュカは暗雲を背に楽し気に飛んでいるキメーラを倒すことに集中した。
「かわりにお前を食ってやろう! ケケケ!」
腕に自信のある者には必ず隙がある。リュカは再び滑空してくるキメーラをぎりぎりまで引き寄せ、その首を一度で切り落としてしまおうと剣を構える。しかし一撃で仕留めてしまおうと考えるリュカこそ余裕を失い、隙を見せてしまっていた。
しっかりと地に両足を踏ん張るリュカに、キメーラは大きな口を開けると、腹の奥から火炎の息を吐き出した。敵の攻撃を避ける考えのなかったリュカに、プックルが飛びかかる。火炎はリュカが立っていた場所に吐き散らされたが、プックルと共に床に倒れこんだリュカはどうにか炎を避けられた。
キメーラは再び宙に舞い上がり、高い所からリュカたちを見下ろし、敵となる人間と魔物を楽しんで見ている。ピエールのイオラの呪文がキメーラに炸裂する。爆発の中でキメーラは叫び声を上げるが、それも楽しんでいただけで、大した傷には至らなかった。イオラの呪文の中心部からは避け、直撃を免れていた。そして爆発の煙の中から、再び滑空してくる。
キメーラの嘴がピエールの兜に直撃し、激しい音と共にピエールは後方へ吹っ飛んだ。壁にぶち当たったところに、キメーラが追撃する。素早い敵の動きにピエールは立ち上がって構える余裕もない。しかし近くにいたガンドフがピエールを守るように前に立ち、両手の盾を突き出してキメーラの嘴を弾く。キメーラの激しい攻撃に、ガンドフの鉄の盾がひしゃげてしまった。
「人間の仲間になんぞなりやがって。面倒な奴らめ」
ガンドフの強力な守りにキメーラも少々嘴を痛めていた。顔を歪め、憎々し気に空からリュカたちを見下ろす。そして暗雲を背にしたまま、空高くから呪文を唱えた。まるで暗雲から生み出されたかのような吹雪がリュカたちに襲いかかる。ヒャダルコの呪文が辺りに巻き起こり、リュカたちは一様に氷の刃の攻撃を受け、吹雪のもたらす凍てつく寒さに凍え、その場に立ち尽くしてしまう。
敵の動きが止まったところに、再びキメーラが滑空し、竜のような太い胴体でガンドフの体に強烈な一撃を加える。ガンドフほどの大きな熊のような体が宙に飛び、塔の壁の上を越えそうになる。壁を越えれば、その先は塔の下まで落ちるだけだ。
プックルが床を蹴り、ガンドフに体当たりをする。大きな衝撃音が響き、二体とも傷を負ったが、塔の下まで落ちることは免れた。すかさずピエールが回復に向かおうとするが、素早くキメーラが前に立ちはだかり、今度はピエールを塔の下に落とそうと竜の胴体を振り回してくる。
ピエールが必死に攻撃を受け止めようと身構える向い側から、リュカが剣を突き出した。背後からの攻撃を咄嗟に避けようとしたキメーラだが、避けきれず、右側の羽の中央をリュカの剣が貫いた。甲高い叫び声を上げ、キメーラはバランスを崩し、地に落ちそうになる。しかし即座に回復呪文で自身の傷を癒し、悔しそうに空高く舞い上がって行った。
「メッキーと同じで回復呪文も使えるのか……」
「がるるる……」
リュカもプックルも考えていることは同じだった。一気に攻撃を仕掛けて、回復する間を与えなければ、倒すことが可能だと分かった。そのためにはリュカたちは間髪入れずに次々と攻撃を仕掛けなくてはならない。しかし敵が宙に浮き、届かないところにいられてはプックルは攻撃をしかけることすらできないのだ。
リュカたちが意思の疎通を図る前に、戦い慣れているキメーラはその間を与えないよう、口の中に溜めていた火炎を一気に吐き出した。直撃を食らっては大きな傷を負ってしまうと、リュカたちは散り散りになって炎から逃げる。キメーラは既に一体に的を絞っており、攻撃呪文と回復呪文を使いこなすピエールに突進していく。ピエールは剣で攻撃を受け止めるが、キメーラの重い攻撃に耐えられず、床に倒されてしまった。
ピエールに攻撃を加えようとするキメーラの背後から、プックルが襲いかかる。キメーラは咄嗟に宙に飛び上がってプックルの攻撃をかわすと、すかさず再び火炎の息を吐き、離れたところからリュカたちに攻撃をしかける。プックルが苛々した様子で一声吠えるが、とにかく火炎に触れないよう後ろに飛び退るしかなかった。
少しの隙も逃さぬよう、リュカは機を見てすぐに呪文を放った。ガンドフに助けられたピエールもリュカの呪文に合わせて素早くイオラの呪文を放つ。真空の刃と爆発を同時に受けたキメーラはさすがに傷を負い、はばたく大きな翼もしおれそうになったが、再び回復呪文で傷を癒してしまった。
「なかなか骨のある奴らだな……」
人間と魔物の連携を見て、キメーラにも少々の焦りが生じていた。結界を一つ破って進んできただけのことはあるのだと、キメーラは冷静に敵の様子を上から眺めた。敵の原動力が何なのかを見れば、一つの弱点を潰してしまえば良いのだと、キメーラは状況を把握し初心に帰った。
全ては人間であるリュカを中心に動いている。人間を倒してしまえば、それに付き従っている魔物どもは士気を失い、力を弱めるだろう。キメーラは赤く光る目でリュカをにやりと見下ろすと、余計なことは考えないままリュカに向かって滑空した。
危険を察知したガンドフがリュカの前に立ち、キメーラの攻撃を防ごうとする。しかしキメーラは直前で向きを変え、リュカの背後から襲いかかった。咄嗟に振り向き、剣を構えようとするリュカだったが、間に合わなかった。リュカの胸にキメーラの大きな嘴が襲いかかり、激しい打撃を受けた。地を吐き、床に倒れるリュカを、仲間たちが信じられない思いで見つめる。リュカの剣もキメーラの首を捕らえていたが、傷は浅く済み、キメーラは自身の傷をすぐに回復してしまった。
ガンドフが回復呪文をかける。しかしリュカは目を覚まさない。ピエールがリュカの状態を確認する。魂はリュカの体にあるものの、傷が深すぎるため、回復呪文が行き届いていないのだと分かった。ピエールが続いて回復呪文をかけようとしたところ、キメーラの大きな尾がピエールを吹き飛ばした。ガンドフが盾でキメーラを殴りつけるが、敵も本気を見せ、恐ろしい形相で襲いかかり、ガンドフも遠くへ吹っ飛ばされてしまった。プックルも雄叫びを揚げながら襲いかかるが、やはりキメーラの大きな胴体で打ち払われてしまった。
キメーラは一度、宙に飛び上がると、不敵な笑みを浮かべた。その目は倒れるリュカを見下ろす。今の状態のリュカにもう一度攻撃を加えれば、生きてはいられない。リュカの危機を見た魔物の仲間たちを、キメーラは余裕のある表情で牽制する。ベギラマの呪文が炸裂し、プックルもピエールもガンドフも、リュカの近くに寄れない状態だった。その状態の中で、キメーラは倒れるリュカにとどめを刺そうと、宙から飛びかかった。
プックルの鋭い雄叫びが鳴り響いた。同時に、塔の上に渦巻く暗雲が轟き、稲妻を生み出す。閃く稲妻が槍のように暗雲から飛び出し、キメーラの身体を貫いた。声にならない叫び声を上げ、キメーラが稲妻に弾かれたように床に落ちる。リュカのすぐ近くに落ちたキメーラに、すかさずプックルが飛びかかり、その首に力いっぱい噛みついた。キメーラが床でもがいて暴れようとも、プックルは敵の大きな胴体をしっかりと前足で抑え、キメーラの首を引きちぎらんばかりの力でぎりぎりと噛みつき続けた。あまりの痛みに、キメーラは回復呪文を唱えるどころではない。とにかくこの獰猛な虎の攻撃から逃れたいと思うだけだ。
「プックル!」
リュカの声を聞いて、プックルが耳をピンと立て、後ろを振り返る。ピエールとガンドフの回復呪文でどうにか回復したリュカが、いつものように剣を構えて立っている。その姿を見て、プックルは安心したように息を吐いた。プックルの鋭い歯から逃れたキメーラだが、暗雲からの稲妻とプックルの攻撃で致命的な傷を負い、自身ですぐに回復呪文をかけることも、その場から逃れることもできなかった。それでもどうにか体を引きずってその場から離れようとするが、敵を追い詰めたリュカたちがそれを許すはずもなかった。
敵を牽制するための呪文を唱えようとするキメーラに、リュカは容赦なく一撃を加える。プックルが噛みつき続けたキメーラの首に、剣で追撃すると、キメーラはもうその場で動けなくなってしまった。回復呪文も攻撃呪文も唱えられず、キメーラは身体から徐々に命が消えていくのを否が応でも感じていた。結界を守るキメーラだが、自身が間もなく死を迎え、結界を破られても尚、不敵な笑みを見せていた。
「おめえ……強いじゃねぇか……。けどジャミ様にはかなわねぇぜ。ケケケ……」
それだけを言い残して、キメーラはそのまま息絶えた。結界を守るキメーラが倒れ、結界の悪魔の像が地響きを立てるような激しい音を立てて崩れる。塔の上空に渦巻く暗雲から嵐が吹き荒び、壊れた悪魔の像の欠片を嵐の中に取り込んで北へと運び去った。
開けた道の先には同じような大きな空間が広がっているが、そこにはただ水が湛えられ、高い石柱がいくつか並んでいるだけで、何者かがいるわけではなかった。ただ一つ、床に大きな穴がぽっかりと開き、下に向かう階段が続いているのが見えた。暗い階段の奥から感じる敵の気配に、リュカだけではなく、仲間の魔物たちもまとわりつくような邪悪な気配を感じていた。
「先ほど、キメラが言っていた魔物でしょうか」
「……ジャミ……どこかで聞いたことが……」
リュカは記憶の隅に残るものを辿ることなく、ただビアンカを救い出すことだけを思い、続く下り階段をゆっくりと下りて行った。



塔の上層階にいるというのに、まるで地下の雰囲気が漂う空間が広がる。風の音も何もしない。パチパチと大きな音がするのは、炎が爆ぜる音だ。非常に広い空間であるが、周りから圧迫されるような息苦しさを感じる。大きな炎が揺れているのが、階段の壁に映っている。
先頭で階段を下りたリュカは、二つの大きな炎を背に玉座に座っている魔物を鋭く見た。大きな魔物用に作られた玉座はやはり巨大で、広い空間を照らす大きな火台が小さく見えるほどだった。火の明かりを背に受けている魔物は影のように黒く、しかしその目だけはぎらりと光ってリュカを見つめていた。リュカがここまで来るのを待ち望んでいたかのような、余裕のある表情だった。
火台のすぐ近くに、小さな気配が動いた。リュカはその姿を見て、すぐにでも駆け寄りたい思いだった。
「リュカ! やっぱり来てくれたのね!」
「ビアンカ! 良かった、無事で……」
ビアンカは自由に歩ける状態ではあったが、両手を後ろに縛られていた。特に傷を負っている様子は見られないが、何にしても彼女はまだ双子の子供を産んだばかりなのだ。夜の子供たちとのひと時に魔物が襲来し、寝衣のまま連れ去られてしまった。ビアンカはまだ産後の痛みから完全に解放されたわけではなく、未だ体中に出産の疲労を残しているはずだった。
「でも……来ない方が良かったかも」
長い寝衣を引きずり、ビアンカがリュカの方へとゆっくり近づく。玉座に座る魔物は、不敵な笑みをその馬の顔に浮かべながら様子を見守っている。
「大臣を利用して私をさらったのは、リュカをおびき出すため。そしてあなたを亡き者にした後、自分が王になりすまして……」
ビアンカの言葉を遮る激しい音が広間の中に鳴り響いた。彼女の短い悲鳴が上がる。床の上を滑ってそのまま倒れてしまったビアンカに、リュカたちが駆け寄る。彼女の息があることを確認し、すぐにリュカが回復呪文を施し、ビアンカがゆっくりと目を覚ます。しかしそれまでの疲労が頂点に達していたビアンカは、傷を回復してもまだ一人で立てる状況ではなかった。
「さて、無駄話はもういいだろう」
玉座を立ち上がった魔物の顔を、リュカは憎々し気に見る。先ほどまでは火台の炎の陰にしか見えていなかった魔物の姿が、今ははっきりと見て取れた。元々は白馬だったのだろうか、白い体をした馬の魔物で、鬣は血のように赤く染まり、同じように赤い目がリュカを冷たく見ている。その姿形、その目に、リュカは唐突に過去の記憶が蘇るのを止められなかった。
「お前は……!」
かつてラインハット東の古代遺跡で、父パパスが死を遂げた。パパスは息子であるリュカを守るため、その身を犠牲にした。幼く非力なリュカを人質に取り、力を失ったパパスをいたぶりつけた魔物が二体いた。そのうちの一体が、今リュカの目の前に立っている白馬の魔物ジャミだった。
リュカの様子が一変したのを見て、ピエールが飛び出しそうになるリュカを抑える。ガンドフはリュカの手からビアンカを受け、彼女を守るように広間の隅へと抱きかかえて運んだ。ビアンカも戦う意思はあったが、やはり立つことすらままならない状態だ。隅で大人しくしているほかなかった。
プックルがずっと低い唸り声を上げている。リュカがジャミという敵に気づいた直後、プックルもその敵が何者であるかを思い出した。鋭い牙をぎりぎりと言わせ、白馬の魔物を噛み殺してやろうという殺気に満ちている。
「国王たる者、身内のことよりまず国のことを考えねばならぬはず! なのにお前はここに来てしまった。それだけで十分に死に値するぞ。わっはっはっはっ!」
「絶対にお前を倒してやる……」
「何だその目は。まるで魔物のような目つきだな。まあ、魔物を仲間にするような人間だからな。このような奇怪な人間を王にするのも、国の民たちは不安であろうな」
ジャミが何を言おうが、今のリュカにとっては何も意味をなさなかった。リュカはただ、目の前の父の仇を倒したかった。自分を人質にし、手が出せない父をいたぶり続けた目の前の魔物は、何があっても許さないという強い意思がリュカの中に渦巻いている。
「さあ! 王妃ともども、ふたり仲良く死ぬがよい!」
そう言い放つと、ジャミは慣れた様子で呪文を唱えた。広間の中に巨大な竜巻が発生する。ピエールたちは床の上に這いつくばり、竜巻の中に起こる真空の刃の激しい攻撃をやり過ごす。しかしその中で、リュカだけは竜巻の中を突っ込み、ジャミに向かって父の剣で斬りかかって行った。
ジャミは武器も防具も装備していない状態だ。剣で斬りかかれば確実に傷を負わせられると考えていた。しかしリュカの剣はジャミの身体に届く前に、何か見えない壁に弾かれ、その衝撃でリュカの身体も弾かれてしまった。リュカの一瞬の戸惑いを見て、ジャミが大きな蹄を繰り出してくる。強い力で殴られたリュカはそのまま宙に吹っ飛び、床に叩きつけられた。
プックルが前足の鋭い爪をむき出しにして飛びかかる。しかしそれも、同じように見えない壁に弾かれ、ジャミに攻撃が届かない。プックルは翻って着地し、再び飛びかかろうと姿勢を低くしている。
ビアンカを後ろに守るように立ち上がり、大きな体に力を溜めていたガンドフが、恐ろしい叫び声を上げながらジャミに攻撃する。しかしその打撃もやはり見えない壁に弾かれ、ガンドフが右手に持つ鉄の盾が粉砕されてしまった。ピエールがこの状況を訝りながらも、イオラの呪文を放つ。ジャミに届いたと思った呪文だが、爆発音がこだましたかと思ったら、その呪文がそのままピエールたちに跳ね返ってきてしまった。爆発の中で身を固くし、ピエールもガンドフも傷を最小限に留めようとする。
何かの力に守られているジャミは余裕の表情で、大きく息を吸い込むと、口から吹雪を吐き出した。凍える吹雪が広間の中を吹き渡る。身体に吹きつける吹雪は身体の内側までも凍らせる勢いで、精神をしっかりと保っていなければそのまま死に直結するほどの攻撃だった。リュカはマントで吹雪をいくらか凌いだが、それでも剣を持つ手がそのまま凍って動かなくなりそうだった。
かじかむ手や身体を温める間など与えず、ジャミは近くにいたプックルに蹄で殴りかかる。プックルは凍える身体が痺れているような状態で、蹄の攻撃に痛みはあまり感じていなかった。しかし実際には背骨が折れる酷い怪我を負った。立てなくなったプックルを見て、近くにいたピエールがすかさず回復呪文を施す。
ピエールに近づいていくジャミの後ろから、リュカは再び剣で斬りかかる。しかしやはり先ほどと同様に、何か見えない壁に攻撃がはじき返されてしまう。剣を弾いた音を聞き、ジャミがゆっくりと振り返る。何かに守られているジャミは、リュカたちの攻撃をまるで恐れない。剣での攻撃も、呪文での攻撃も全く受け付けない状態だった。
「わっはっはっはっ! オレは不死身だ! 誰もこのオレ様を傷つけることはできまい!」
高笑いするジャミの喉に向かって、リュカは剣を突き出した。当然の様に剣は弾かれ、リュカは弾かれた強さに耐え兼ね、剣を取り落としてしまった。床に落ちた剣を素早く拾うリュカだが、その後ろからジャミの大きな蹄が振り下ろされる。
「リュカ! 死ね!」
リュカの頭上にジャミの蹄が迫る。リュカの頭ほどもあるジャミの蹄を頭部に食らえば、リュカは一撃で倒されてしまう。プックルが駆け出すが、間に合わない。ガンドフは恐怖に身を震わせ、ピエールは一か八か、ジャミの蹄に向かって剣を投げつけようと構えた。
「やめてーっ!」
広間に必死の叫び声が響く。ビアンカが寝間着を床に引きずりながら立っている。その姿に、ジャミだけでなく、リュカたちも息を呑んだ。彼女は戦う意思を見せ、その全身から目を覆いたくなるような眩しい光を放っている。
「やめなさい、ジャミ!」
ビアンカは両手を前に突き出し、呪文の構えを取った。しかしその両手から生み出されたのは、彼女の知っている呪文ではなかった。全身が眩しく光り輝き、その光が彼女の両手に集められ、見たことも聞いたこともない波動がビアンカの両手から生み出された。眩しいにも関わらず、リュカにははっきりとビアンカの姿が見えていた。しかし今のビアンカは、リュカの知っているビアンカではないような気がした。
「こ、この光は……」
ジャミは光り輝くビアンカをまともに見ることができないようで、目を細めてその光を確めている。ビアンカの両手から放たれた不思議な光は、ジャミの大きな体を覆い、見えないジャミの鎧をはぎ取ってしまった。ジャミが蹄を振り回し、光を遠ざけようとしても、天から降り注ぐような光はジャミの身体を容赦なく包み込んだ。
光が広間の中に弾け消え、大きな火台の炎の明かりが暗く部屋を照らす状態に戻った。輝く光を浴びたジャミの身体は一回り程縮こまったように見えた。最後に弾けた光を浴びたリュカたちは身体に力が漲るのを感じ、先ほどまで残っていた巨大オークやキメーラとの戦闘での疲労が嘘のように無くなっていた。ビアンカが放った光は敵の見えない鎧をはぎ取るだけではなく、仲間たちには癒しの光となったようだ。
「さあ、リュカ! 今よ!」
身体がすっかり軽くなったリュカは、剣を持つ手にもいつも以上に力を込めることができた。ビアンカも武器こそ手にしていないが、立ち上がり、呪文を放つ構えを取っている。その隣ではビアンカを守るためにと、ガンドフが残った一つの鉄の盾を構えてジャミの攻撃に備える。
ピエールがイオラを放つと、それを合図にしてリュカとプックルが同時にジャミに斬りかかり、飛びかかる。見えない鎧をはぎ取られたジャミは、イオラの爆発の中で視界を奪われ、煙の中から現れたプックルの爪を浴び、リュカの剣を左足に受けた。久しくまともな傷を作っていなかったジャミは、想像以上の痛みに悲鳴を上げ、悔しそうに口を歪める。
リュカは敵に時間を与えなかった。ジャミが呪文を唱えようとすれば、呪文が完成する前に剣で斬りかかり、口から凍える吹雪を吐き出せば、その吹雪の中を猛進して剣を振りかざした。リュカの剣にいつも以上の力が漲っているのは、ビアンカのバイキルトの効果もあった。素早く駆け回り、ジャミの目を引くのと同時に、隙を見つけて攻撃を仕掛けるプックルにも、ビアンカは同様にバイキルトの呪文を放っていた。
激しい猛攻を受けるジャミだが、この塔の主としての誇りがあるのか、そう簡単には倒れはしなかった。ほんの少しの隙を見つけては素早く呪文を唱え、メラミの火球をリュカに浴びせた。凍える吹雪を吹いてリュカたちを遠ざけた直後に、バギクロスの呪文で竜巻を起こし、プックルとガンドフを瀕死に追い込んだりもした。背後から攻撃を仕掛けようと飛びかかるピエールに、素早く振り向き蹄の強烈な一撃を食らわせ、昏倒させたこともあった。
しかし無敵の鎧を無くしたジャミを、リュカは必ず倒すという意思を強く持っていた。かつて父を死に追い込んだ仇に情けは持たなかった。見たこともないリュカの非情な表情に、仲間のピエールもガンドフも、そしてビアンカも恐怖を感じていたが、プックルだけはリュカに同調するように絶えずジャミに攻撃をし続けていた。このジャミという魔物を生かしておいてはならないと、リュカもプックルも似たような思いで戦闘に臨んでいた。
ジャミの致命的な弱点として、回復の術を持っていないことだった。ただただ力を求めた結果、ジャミは回復呪文を身につけることなく、ここまで上り詰めていた。自分に歯向かう者は力でねじ伏せることで、自分の地位を守り続けた。自分を傷つけるような人間は今まで数えるほどしかおらず、人間との戦いに負けたことはなかった。
「こ、こんなはずは……さ、さっきの光は……」
ジャミをずっと守り続けていた目に見えない鎧は完全にその機能を失った。守りを失ったジャミは、リュカたちにとってまともに戦える魔物の一匹に過ぎない。着実にジャミの体力を奪い、ジャミがプックルの噛みつきを右足に受け、つい膝をつくと、リュカがすかさずジャミの長い馬の首を目掛けて剣を突き出した。致命傷を受けたジャミはうめくような声を上げ、床に両ひざをつく。敵がもう戦える力を残していないと分かっていても、リュカは剣に込める力を弱めなかった。ぎりぎりと歯ぎしりをし、すぐにでもジャミを死に追いやってやるのだと、まるで悪魔のような顔つきをしていた。
死を目前にして、ジャミは最期の力を振り絞った。リュカの剣から身体を仰け反らせて逃れると、すぐに剣を向けてくるリュカに蹄の拳を振り下ろし、床に打ちのめした。床に叩きつけられたリュカは、目の前の景色が揺れるのを見ながらも、ジャミの首に向かって剣を振り上げる。ジャミの白い首に斜めの深い切り傷が刻まれる。ジャミが大量の血を吐き、両膝を床についた。
かすむジャミの目に、恨みを含む目を向ける悪魔の形相のリュカ、そしてその後ろにまるで女神像から生まれたような女が一人立っている。ジャミの目にはビアンカが未だ全身に光をまとっているように見えていた。
「まさかその女! 伝説の勇者の血を……」
ジャミの言葉がリュカたちに微かに届く。その言葉の意味に、リュカの身体が震える。彼女がもしかしたらそうなのではないかと想像したこともあった。そうであっても不思議ではないと思っていた。しかしいざ誰かにそれを言われると、彼女は決して勇者の血など引いてはいないと否定したい思いに駆られた。ビアンカを危険な運命に巻き込むことをリュカは許さなかった。
「ゲマ様! ゲマ様……!!」
ジャミが何者かを呼ぶ声が響いた。死ぬ間際の声にしてはかなりはっきりとしたものだった。しかしジャミの残りの力はそれきりで、突然糸が切れたようにぷつりと命が切れ、大きな音を立てて倒れた。
ジャミの命が切れた直後、その身体は空間に現れた闇の穴に吸い込まれてしまった。そして入れ代わりのように闇の穴から人間の姿をした魔物が姿を現す。その姿を目にする前から、リュカは全身に悪寒を感じていた。
「ほっほっほっほっ」
高らかな笑い声がリュカの頭の中にこだまする。現れた魔物はリュカのマントと同じような色のローブに身を包み、同じ色のフードを目深に被る。フードやローブの袖から覗く顔や手は見る者を震え上がらせるような毒々しい青。金色の装飾で縁どられたローブに、フードの上から碧色の宝玉を冠のように被っている。目は金色に怪し気に光り、口元に歪んだ笑みを見せている。
リュカの記憶が否応なしに瞬時に遡る。リュカは父の目的を果たすための旅をしながらも、無意識にもこの魔物を探していたことに気づいた。旅をしていればいずれ再び遭うことになるだろうと心のどこかで思っていた。先ほどのジャミも父をいたぶり続けた仇だったが、父を巨大な炎で焼き尽くした敵を、リュカが忘れるはずがなかった。
リュカははっきりとした意志を持ち、父の仇ゲマに剣を向ける。幼い自分の非力のせいで、父は死んだ。しかし今は大人になり、長い旅をし、力もつけた。頼れる魔物の仲間もいる。今こそ父の無念を晴らす時が来たのだと、リュカは震える手で剣を構えた。
「まさかあなたが勇者の子孫だったとは……」
父の仇ゲマは余裕のある笑みを浮かべ、暗く光る目をビアンカに向けていた。あまりにも強い魔物の強さを感じ、ビアンカは辛うじてその場に立っているだけで、動くことはできなかった。
「…………私が……勇者の子孫?」
「ミルドラース様の予言では勇者の子孫は高貴な身分にあるとのことでした。その予言に従い、かねてよりめぼしい子供を攫っていたのですが……。どうやらその子供……お前の血筋によりこれから生まれてくるのでしょう」
ゲマの話に、リュカはかつてヘンリーとともに攫われ、数年もの間生き抜いてきたセントベレス山の上を思い出す。ヘンリーもラインハットの第一王子で高貴な身分にある者だ。当時のヘンリーの誘拐事件は、単に太后の欲望だけが原因となったわけではなく、裏で魔物らの陰謀が働き、為されたものだったのかも知れない。セントベレスにいた者たちすべてが高貴な身分にあるわけではなかったが、それでも世界中で高貴な身分にある子供たちが攫われ、あの山の上に連れて行かれたのかも知れないと、リュカはかつて働かされていたあの場所を思い出していた。
「ほっほっほっ。運命とは過酷なものですね。私に見つからなければここから逃れ、お前たち二人に子が生まれ、その者が勇者として世界を救ったかも知れないというのに……」
ゲマの声を聞くと、リュカの身体が強張る。それは父の仇を倒したいという思いとは裏腹に、ゲマに対する途轍もない恐怖心が生まれるからだった。父の仇を打たなければならないのに、圧倒的な強さを醸す敵に勝機を感じない。幼い頃とは違い、成長して力をつけた自分なら戦えると思いつつ、それだけではこの敵には太刀打ちできない。リュカは自分の強い思いを否定する現実の力に、抗うことができずにいた。それはリュカだけではなく、プックルも、ピエールもガンドフも同じように、まるで何かの呪文を浴びたかのようにその場から動けずにいた。
「しかし、それだけはさせるわけには行きません」
不敵に笑っていたゲマの顔が真剣な顔つきに変わる。濃紫色のローブを包むようにゆらゆらとした魔力が出ているのが分かる。この隙にゲマに攻撃すれば良いのだと、リュカだけではなく仲間の魔物たちも同じように思った。しかし誰もがゲマの生み出す強力な魔力の圧に押され、動くことができない。
リュカは父の剣を握る手に渾身の力を込めた。父の仇を討つ、それだけを考えた。激しい憎悪がリュカを取り巻き、いつもは持ちえない力がリュカの全身に漲る。ゲマとの障壁を越える力を得て、リュカは一歩足を前に踏み出した。
一気に駆け出す。ゲマはリュカの知らない呪文を唱えている。複雑な呪文を唱えるゲマの身体に父の剣を振り下ろす。しかし一瞬早く完成したゲマの呪文に弾かれ、父の剣は鋭い音を立てて折れてしまった。折れた剣が煌めきながら宙を舞い、ビアンカの後ろに音を立てて落ちた。
口惜し気に顔を歪めるリュカに、呆然と立ち尽くすビアンカに、ゲマの完成した呪文が襲いかかる。敵の青く大きな手の平から煙が噴出し、煙はそれ自体が意思を持つようにリュカとビアンカを包み込んだ。プックルもピエールもガンドフも、ただ目の前の状況を見守ることしかできなかった。
煙は徐々に空気中に溶け込むように消えて行った。ピエールは回復呪文の構えを取っていた。傷を負っていても、毒を受けていても、身体が痺れてしまっていても、いずれも回復できるよう二人の様子を凝視した。しかし煙の中から現れたのは、立ったまま動かなくなった二人だった。
「な……何をしたのだ、貴様……」
リュカは折れた剣を手にしたまま、ビアンカは驚いたように目を大きく開いたまま、石になっていた。石像になってしまった二人からはもう、温かみが失われていた。鼓動もなく、呼吸もしていない。まるでこの塔の中に初めからある石像のように、二人は生あるものとしての未来を奪われた。
「ほっほっほっ。一息に殺してしまっては面白くないでしょう?」
目深に被るフードの中から覗く金色の光る目が、リュカの魔物の仲間たちを愉快そうに眺める。プックルがまるで牙が折れそうなほどの強さで歯を食いしばり、ゲマを睨みつけ、今にも飛びかかろうと姿勢を低くしている。ガンドフが大きな一つ目に困惑の表情を浮かべて石になったリュカとビアンカを見つめる。ピエールは今できる最善の策は何なのかと、必死に思考を巡らせる。
「その身体で世界の終りをゆっくり眺めなさい。ほーっほっほっほっ!」
塔の中に響き渡るような高らかな笑い声を上げ、ゲマは青の両手を大きく広げる。すると再び闇の渦が空間に現れ、闇に守られるように飲まれるように、ゲマの身体はその中へと消えて行った。ゲマを逃すまいと闇に消えたゲマを追いかけるように駆け出したプックルだが、闇の扉に弾かれ、床に転がった。何の音もなく闇は消え、塔の中には火台の大きな炎が燃える音だけが変わらずそこにあった。
プックルが悲痛な叫び声を上げた。石像にされたリュカの足元に擦り寄り、体に前足をかけ、猫のような声ですがるようにリュカを呼び続ける。ピエールはリュカとビアンカの石像の前に立ち、自身の使える状態回復呪文を必死に唱える。石化を解く呪文など知らないと分かりつつも、全てを全力で試してみるしかなかった。ガンドフはただただ心配そうに、女神像のようなビアンカの両頬を両手で包み、大きな一つ目に涙を溜めている。ガンドフは回復呪文ベホマを何回もかけたが、ビアンカもリュカも元の人間の姿には戻らなかった。
ピエールもガンドフもあっという間に魔力が尽きてしまった。石像になってしまったリュカもビアンカも、かけられた呪文に微塵の反応も見せない。ピエールは持っている道具袋の中に何か使えるものはないか探ったが、石になった人間を元に戻すような道具は持ち合わせておらず、そのような道具があるのかどうかも知らない。唯一、城にいる時にサンチョからもらっていたキメラの翼だけが希望の光に見えた。
「城からの救援を呼ぶ。一度城に戻ろう」
ピエールの声に、プックルが激しく反論の声を上げる。リュカとビアンカをこのままこの場所へ置いていくのかと、ピエールに噛みつきそうな勢いで鋭い牙を見せる。プックルはもう二度とリュカもビアンカも失ってはいけないのだと、彼にしか知り得ない辛く悲しい記憶の中でピエールに猛然と反対した。
「ガンドフ、フタリ、ハコブ」
目に溜まっていた涙を床に落としながら、ガンドフがビアンカの石像を持ち上げようとする。軽々と石像のビアンカを持ち上げるが、ほんの少し足先を床にぶつけた時、石のブーツの先が割れて床に落ちてしまった。息を呑み、思わずビアンカの像を取り落としそうになるが、抱きかかえるように持ち直し、それだけは免れた。
「ガンドフ、いくらお前が力持ちでも、二人を同時に運ぶのは無理だ。運んでいる最中に、互いをぶつけて壊しかねない」
「デモ、ドウスレバ……」
困惑顔のガンドフが再び目に涙を溜め、ぼたぼたと涙で床を濡らす。プックルは二人から絶対に離れないのだと、リュカとビアンカの前に座り込み、動かない意思を固めている。しかし座り込みながらも、このままでは二人を救うことはできないとプックルは状況を把握していた。この場での最善策がピエールの言う通りグランバニアからの救援を呼ぶことなのだと、プックルにも現実は見えていた。
「プックル、我々がここにいても何もできないんだ。二人の状態をマーリン殿や城の学者などに説明して、解決法を見出してもらわなければならない。今はとにかく一刻も早く、城からの助けを呼ばなくてはならない。分かるな?」
ピエールはまるでリュカが乗り移ったような調子でプックルを説得しようとしていた。しかしプックルはずっと低い唸り声を上げて座り込み、まるで聞く耳を持たない。理解しているであろうに、まるで子供の様に駄々をこねている状態だ。ただ反抗の態度を見せるプックルに、ピエールがたまらず怒鳴り声を上げる。
「リュカ殿とビアンカ殿が最も大事にしているものが何なのか、お前には分からないというのか!」
ピエールの激しい言葉に、プックルは顔を上げた。ピエールにとっても当然、リュカとビアンカは大切な主君であり、命に代えても守りたい仲間だ。しかしその彼らが命を賭して守りたいものは、生まれたばかりのまだ何も知らないグランバニア王子と王女なのだと、プックルはピエールの怒鳴り声に気づかされた。ガンドフもそのことに気づき、小さな声で「アカチャン、マモル……」と新たな決意を固める。
「もしかしたらこれからグランバニアに魔物が押し寄せるかも知れないのだ。それを防ぐため、我々は今すぐに城へ戻り、その事態を城の者たちに報告しなくてはならない。そして、リュカ殿とビアンカ殿の護りたいものを守らなければならない。そうだろう?」
ピエール自身、この場を離れるなど決してすべきではないと思っていた。魔物の巣窟であるこの場所で、いつリュカとビアンカの石像に魔物が襲いかかるか分からない。もし石像が壊れてしまったら、それは二人が完全にこの世から去ってしまうことを意味している。
ゲマは去り際に『一息に殺してしまっては面白くないでしょう』と言っていた。それはリュカもビアンカも石となった今もこの世に命を繋ぎ止めているのだと、ピエールは敵の言葉を信じていた。
「絶対にあなた方を元に戻す方法があるはず。私は……絶対に諦めません」
ピエールはそう言うと、道具袋の中から小さな小瓶を取り出し、蓋を開けるとその中身をリュカとビアンカの石像の周りに撒いていった。聖水の効果がこの怪物の塔でどれほど及ぶのかは分からないが、少しでも二人を守りたいという思いで、ピエールは丁寧に聖水を振り撒いていった。リュカとビアンカの石像の前で涙を落とす。しかしことは急を要するとばかりに、ピエールは二人の石像の前で覚悟を決めた一礼をし、上へ上る階段に向かって行く。
「スグニ、モドルヨ。マッテテ」
ガンドフもそう言うと涙を腕で拭い、ピエールの後を追って階段へと向かう。
「…………」
プックルはまだ石像の前で躊躇いを見せていた。今、二人から離れてはいけない気がした。プックルはまだ幼いベビーパンサーだった頃に、一度リュカと離れ離れになる運命を経験している。その時にも聞いたあのゲマの声が、今もプックルの耳の奥で響いている。それは抗いようのない不吉を表しているように思えた。
しかし幼い頃に離れ離れになっても、プックルは再びリュカと会うことができた。ビアンカとも再会し、結婚した二人と共に旅に出ることもできた。それまで互いに生死も分からず十年ほどの不遇の時を経たが、それでもこうして会うことができたのは、運命と呼べる強い絆があるのだとプックルは信じることにした。
「にゃあにゃあ……」
力ない猫の声で石像の二人に言葉をかけると、プックルはいつまでもこの場に残りそうな思いを断ち切って、勢いよく階段へと走って行った。

Comment

  1. ケアル より:

    bibi様。

    この、すばらしい描写に、どのようなコメントをして良いか分からなく…。
    コメントの代わりに、本気で、リアルに涙が出てきちゃいました…(涙)。

    大臣との遣り取り、リュカの心の葛藤に共感し。

    オークとキメーラの戦闘に息が詰まりました。
    ガンドフの力貯めを前回のコメントに気合い為と書いたことに、恥ずかしさを覚え、ガンドフのパワーと、眩しい光に拍手をし、リュカを本当に殺しかける描写に、不安と悲しみ。
    なんと、プックルの、いなづま炸裂に感動をし、このあたりの戦闘は、あいかわらずbibi様の発想力に引き込まれました。

    そして、ジャミとの描写をどうするかと思えば、リュカとプックルの心情を完璧に捉え、ジャミのバリアを分かりやすく描き、なんと驚きのビアンカのバイキルト!
    ビアンカを守るガンドフのビアンカ大好きパワー。
    ピエールの冷静な判断。
    そして、リュカとプックルの最後の会心の一撃!
    本気でスカっと致しました。

    したっけ、なんとゲマ登場!
    そうだったbibi様はDS版だったと思い出し、石像にどのようにするかと思えば、ゲマの特技でなく、最初で最後の呪文だなんて…。

    ラストの描写をどうするのか…ドキドキしていました。
    そう!魔物の仲間たちが居なくならないと、あいつら盗賊たちが来られない。

    プックルの心情を思うと…もう悲しくて…。
    ピエールの判断がなければ、ガンドフはビアンカを壊していたかもと思うと…でも、ガンドフのビアンカ大好きの気持ちが…読み手としては、うう~~…。
    ビアンカのブーツで良かった…。
    ピエールの口調が変わらなければ、あの場でプックルと相打ちになっていたのかもと思うと…。
    ここに来ても、ピエールの冷静…いやもう、ピエールも冷静ではないが、ピエールが居なければ、グランバニアに救援を呼ぶことは無かった!
    そう思うんです。
    ピエールがティミーとポピーのことを言わなければ、プックルはガンドフは…。

    bibi様…リアルに涙が出ました…いやほんと…。
    最後のプックルの描写は、もうけなげで辛いだろうに…。
    あの、古代遺跡で最後にプックルがリュカを探して、鳴いていた、あの描写が、そうまとうのように思い出しちゃって…。
    bibi様、なんども言いますね。
    まじで泣いちゃいました(涙)。
    こんなすばらしい話しを本当にありがとうございました。
    次回は、盗賊とオークション。
    そして、ジョージ誘拐と大きくなった子供たちでしょうか?
    ビアンカ石像の描写はゲームでも、どこへどのように運ばれたかは描かれてません。
    bibi様の手で、新しいストーリーを描写しますか?
    次回も、悲しい話になりそうですね…。
    リュカ石像の数年間の描写は難しいですね。
    次回も楽しみにしていますねbibi様!(笑み)

    • bibi より:

      ケアル 様

      いつもコメントをどうもありがとうございます。
      ここはかなり力の入る話でした。今までで一番だったかも。
      大臣も根っからの悪ではないと考えたのは、ゲーム中に「このままではグランバニアの国が……」という一言があったからでした。
      国を思う気持ちはあったけど、目の前の嫉妬心で本当に大事なものを忘れてしまったのだと。多分、誰にでもあるような感情なんじゃないかな、と。
      オーク、キメーラ、ジャミと三連戦なので、かなり力が入りました。プックルの稲妻は、ちょうど空に暗雲が立ち込めている状態なので、ここで使うことをかなり前から考えてました。ジャミ相手だと、室内になってしまうので難しかった……(笑)
      どうにか仲間たちが連携して戦うことを心掛けましたが、なかなか難しい……ちゃんと描けていたのかどうか。いつもながらに自信がありません。
      ジャミに対してはリュカもプックルも容赦なく攻撃をしましたが、ゲマに対しては思うように動けないという。ジャミとゲマの間にはとんでもない力の差があります。それを出したかった。
      話しとしては恐らく、SFC版のジャミが二人を石化する方が良いと思ったのですが、あくまでもDS準拠で話を進めていたので、こうなりました。パパスの剣も、ここで壊れてしまうことをかなり前から想定していました。
      ピエールがいなければ、石になった二人の元をずっと去らずに、盗賊たちは石像を守る魔物らを見てすごすごと引き返したかも。それでは話にならんと、ピエールにきっかけを作ってもらいました。なので、この後二人の石像がなくなっていることを知って、ピエールはとんでもない後悔の念に囚われることになるかも知れません……。
      プックルは、辛いですね。また離れ離れになってしまって。リュカももちろん苦労人ではありますが、プックルもかなりの苦労人です。
      次回はまた辛い場面を描くことになります。石像になった二人をどう描いて行こうか、思案中です。

  2. ケアル より:

    bibi様。

    一つ大事なことを書き忘れてました。
    まさか、ゲマに戦いを挑み、哀悼のパパスの剣を折るなんて…驚きました。
    自分の中では、ドラゴンの杖まで愛用するのかなって思っていましたよぉ。
    さすがbibi様、ここで剣をおって来るなんて、読者の心情掴むのが旨い!
    今後のリュカの武器をどうしますか?
    楽しみにしていますね。

    • bibi より:

      ケアル 様

      次のリュカの武器、何がいいですかねぇ。まだ考えておりません(汗)
      きっと子供たちが父に良い武器を選んでくれるかな~なんて。
      それにしても今までかなり無茶苦茶に使ってきたパパスの剣がここまで持ったことが奇跡だと思います。父の加護も、ゲマには勝てなかった……そんな感じで今回書きました。

  3. ピピン より:

    bibiさん

    まさかの三連載、カンダタ戦を凌ぐ死闘回ですね…。
    プックルのいなずま、まだ「攻撃魔力」の存在しなかったゲームではあまり使った覚えは無いですが、こうして読んでみるとカッコいいですね( ´∀`* )
    ドラクエで雷というと勇者のイメージがありますから、主人公の相棒に相応しい技だと思います。
    覚えるタイミングも完璧!

    そして石化イベント…書き手の解釈が分かれる所ではありますが、過去最悪の苦難を迎え相棒と忠臣が衝突する様はとても印象深かったです。
    ピエールの指摘した通り魔物襲撃の可能性もごもっともで…、もし原作をプレイせずに読んでいたら次回まで絶望感に打ちひしがれていた事でしょう(笑)

    • bibi より:

      ピピン 様

      いつもコメントをどうもありがとうございます。
      どんどん戦闘が激しくなり、描く者としてはどんどん厳しい状況に追い込まれています。もう、最後の戦いはどれだけのことを描けばいいんだと。怖い怖い。
      ドラクエで雷は勇者のイメージ、そうですよね。もうプックルは魔物界の勇者、ということでいいかな。おお、かっこいいな、プックル。
      石化イベントは色々な描き方があると思います。私はそのうちの一つを描いただけ。私の中でもいろいろな描き方があったなぁと思います。
      元々、ジャミはリュカを倒した後、グランバニアの王に成りすますつもりだったので、ジャミを倒されて自棄になった魔物たちがグランバニアの攻め込んできてもおかしくないかなと、私の考えをピエールに代弁してもらいました。でもピエールはこの後、一時でもこの場を離れるんじゃなかったと後悔することになりそうですね……。

  4. ピピン より:

    bibiさん

    忘れた頃に勇者のギガデインとの連携技とか出てきたら燃えると思います(笑)
    そのままミナデインに混じるのも良いですね( ´∀` )

    そうなったとしたら、残った仲魔と天空の剣が何とかしてくれたかもしれませんね。
    あくまでも結果論なので、プックルはどうかピエールを責めないであげて…

    そう言えば書き忘れましたが、パパスの剣が折れたのはびっくりでした…。
    ですが理由を聞いて納得です。敗北をより印象的にする演出ですね。
    唯一の形見ですから折れた欠片もプックルが持ち帰ってますように…!
    次の武器ですが、守り戦うリュカに相応しい奇跡の剣辺りはどうでしょう。

    • bibi より:

      ピピン 様

      プックルに稲妻を使わせるようにしたのは、何かしら意味があるのかなと、私なりに物語に組み込めたらいいなと思っています。
      雷攻撃で勇者との連携とか、リュカが羨ましがりそうですね(笑)
      プックルはあの時点で、一応ピエールの言うことが最善策だと理解していて、それに従ったのは自分なので、ピエールを責めることはしないと信じています。一匹でも残ることはできたはずなので……。
      パパスの剣はここまでリュカに持ってもらって、ここでこうなる予定を立てていました。すみません。本当はもっと長く持ってもらうのが良いとは思っていたんですが。
      ここまではパパスの力を借りて、父と共に進んできた道ですが、これからは自分が父となって家族と進まなければならない、と言ったところでしょうか。
      奇跡の剣……良いですね。リュカ君に似合うと思います。さて、それをこれからどう話に組み込んでいくか……。その前に石になってしまったので、これから不遇の時代を書き進めなくては……(泣)

  5. ピピン より:

    bibiさん

    そこら辺はやはりプックルも漢?なのですね。
    ピエールに対する信頼もあるでしょうね。

    いつかお別れするならベストのタイミングだったと思います。
    ゴンズ相手じゃ役不足ですしね…( 小声)

    ゲーム通り小さなメダルや双六の景品じゃ絵にならないので完全オリジナルで…(笑)

    次からはまた解釈の分かれるところですね。
    意識があるのか無いのか、グランバニア側の描写を入れるのか…何にせよ、bibiさんがどう描かれるのかとても楽しみです。

    • bibi より:

      ピピン 様

      リュカを失って辛いのは自分だけではないとプックルも分かっていると思います。ピエールを責めてもどうにもならないというのも冷静に思っていると思います。
      私がプレイしていているのがSFCだったら、もしかしたらパパスの剣をもっと先まで持っていたかも知れません。でも今回DS版をプレイしていてゲマが出てきたので、ここだな、と思ってこういうことにしました。
      小さなメダルや双六を登場させたら面白いとは思うんですが、どうしても私の話の中に組み込む雰囲気を作れなくて……(汗) ヘンリーと旅を始めた頃だったら、そんな雰囲気も出せたんですがね(笑)
      次の話も、ゲームの内容に沿いつつも、私の勝手で話を進めさせていただくと思います。気に入らなかったらごめんなさい。先に謝っておこう……。

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