夢の一つ

 

この記事を書いている人 - WRITER -

「えぇ~、私も見に行きたいな。お母様のお友達なんでしょ? ご挨拶に行かなきゃいけないわよね」
「うん、じゃあ明日にでも一緒に会いに行こうよ。大丈夫だよ、お城の中だから何も危ないこともないしさ」
リュカが明るく話すのを見ながら、ビアンカは微笑みを浮かべながらも少々困惑した様子で俯いている。彼女は既に食事を済ませたようだが、食事の時もベッドの上で、サイドテーブルをベッド脇に寄せて食事を取ったらしい。それほど彼女は安静にしているようにと、シスターに言いつけられている。極力動くことを禁じられているため、ビアンカが食事を終えた食器を片付けようとベッドから立ち上がろうとすると、すぐに侍女が飛んできてビアンカを止め、食器を片付けてしまったという。シスターの言いつけはビアンカの身の周りの世話をする侍女たちにも言い渡され、厳重に守られているようだ。
「ベッドから降りることだって止められてるのよ。この部屋から出られるわけがないわ」
ふうと溜め息をつくビアンカだが、その表情に暗さはない。彼女が本気で落ち込んでいる時には溜め息と共に暗い空気が彼女を包み込むが、今はそれが感じられない。ビアンカはベッドの上に起き上がりながら胸の下にまで上掛けを被せ、守るように腹に両手を当てて、ずっと撫でている。リュカの話すマーサの友達である魔物に会いたい気持ちも本物だが、今の彼女にとってお腹に宿る新しい命ほど大事なものはない。今までの旅で無理をしたため、お腹の命を大事にする気持ちはより一層膨らんでいる。
「シスターにお許しをもらえたら、それから会いに行くことにするね。それともみんながここに来てくれるってわけには行かないのかな?」
ビアンカの思わぬ提案に、リュカは今二人がいる国王私室の様子を見渡す。一国の王が使用する部屋だけあってかなりの広さがあるが、それでもあの広間にいたゴレムスやキングスの大きさを考えるととてもこの部屋の入口から入れるものではないと首を横に振る。キングスならばどうにかあの身体の柔らかさを生かして部屋に入ることができたとしても、ゴレムスはどうにもならない。
「いつくらいに動けるようになるんだろう? 明日かな、明後日かな」
「うーん、シスターの仰るにはいつとは言えないってことだったわ。もしかしたらこのまま赤ちゃんが生まれるまでずっとベッドの上にいなきゃいけないこともあるみたいなの……」
ビアンカの言葉に、リュカの顔がさっと青ざめた。出産と言うのはそれほど大変なものなのか、この旅で彼女にとんでもない負担をかけていたのかも知れない、一体ビアンカの身体に何が起きているのだろうか、リュカの頭の中に全く分からない出産についてのことが駆け巡る。赤ん坊と言うのは、女性のお腹が大きくなって、ある時になったらぽんっと出て来るようなものだと思っていた。誰にも教えられていない女性の出産と言うものに対して、リュカはさほど重い印象を持っていなかった。
「ねぇ、それってビアンカが赤ちゃんを産んでもそのままベッドにいなきゃいけないってことじゃないんだよね? ビアンカ、ちゃんと動けるようになるよね?」
「ちょっと、あなたが不安にならないでよ。赤ちゃんを産むのは私なんだから」
「でもこのままビアンカが動けなくなったら……」
「大丈夫よ、きっと何日かこうして大人しくしてれば動けるようになるわよ。世の中のお母さんはほとんどみんな元気に動き回ってるじゃない。何も心配することないわ」
リュカのうろたえる様子を見て、ビアンカはかえって落ち着いた気持ちを取り戻した。初めて母になろうとするビアンカも、出産と言うものがどんなもの何か分からない不安がある。しかし男性であるリュカにとってはまるで分からないまま、いきなり子供が目の前に現れるようなものなのだろう。自分の腹が膨れるわけでもない、気分が悪くなったりすることもない、突然訳も分からず泣きたくなることもない、そのような身体の変化や心の変化を経て子供が生まれるわけではないのだ。自分には何も起こらずに、ただ妻がベッドにほとんど寝たきりの状態になり、このまま出産まで動けないかも知れないというのは、自分がその状況に陥る事よりも怖い事なのかも知れない。
「心配かけてごめんね、リュカ。私は大丈夫よ。それにね、お腹の中の赤ちゃんも元気なのよ」
「え? どうやって分かるの? ビアンカに何か話してくれるの?」
「まだお話ができるわけじゃないだろうけど、でもね、お腹の中でよく動くの。さっきなんかね、私が食事を前にして、いただきますって手を合わせたら、早くちょうだいって感じですっごい動いたのよ。きっと食いしん坊なんだわ」
「お腹が? 動くの? 本当に?」
「本当よ。今は静かにしてるみたいだから、きっとすやすや眠ってるんじゃないかしら」
そう言いながら、ビアンカは穏やかな表情をしながら、もう癖になってしまったように両手で腹を撫でている。リュカもそろそろと手を伸ばし、ビアンカの腹に触れる。触れてみれば分かるその大きさに、リュカはどうして今まで気づかなかったのだろうかと不思議に思う程だ。そしてリュカがビアンカの腹に触れていると、その手に小さな振動が伝わり、リュカはびくりと手を引っ込める。
「あら、お父さんが触ったから気づいて起きたのかしらね」
「お父さん……僕が……」
「そうよ、リュカ、あなたはもうすぐお父さんになるんだわ。私ももうすぐお母さん……何だか不思議ね」
そう言いながら笑うビアンカの手は自然と腹を擦り、既に赤ん坊を腕に抱いているかのような雰囲気さえある。ビアンカが母になることにリュカは何一つ違和感を覚えなかった。彼女が胸に赤ん坊を抱いている姿は何故か容易に想像することができる。そして赤ん坊をあやす姿も、一度もそのような姿を目にしたことがないにも関わらず、リュカにはすぐに想像することができた。ビアンカが母になることは、リュカにとって自然の出来事なのだ。
しかし自分が父になることには強い違和感を感じた。リュカにとって父と言うのは、幼い頃に亡くしたパパス一人だけだ。強く逞しく、そして優しかった父が、リュカにとっての父親像に他ならない。そのような父親と言うものに自分がなろうとしていることに、リュカは違和感や不安を覚えるのは当然のことだった。父と自分はあまりにも違い過ぎる。ドリスに父に似ていると言われた時は素直に嬉しいと感じたが、それでも父の背中を追い続けるリュカにとって、パパスは偉大な存在であり、身近であったにも関わらずその背中には永遠に届かない敗北感にも似た感情を持っている。
「リュカ、あなたとおじさまは違うのよ」
ビアンカはいつでもリュカの心を見透かしているようだ。彼女の声に険しい表情のままリュカははっと顔を上げた。ビアンカは腹を両手で包み込むようにして擦りながら、リュカに真剣な表情を向けている。
「リュカがおじさまのことが大好きなのは知ってる。私もおじさまのことが大好き。だけどね、何もおじさまと同じにならなくたっていいと思うの。だってあなたとおじさまは違うんだもの」
「そうだね、僕と父さんは全然違うよね……」
「そういうことを言ってるんじゃないのよ。リュカはリュカ、おじさまはおじさま、たとえ親子であってもそれは同じ人だということではないわ。この世に同じ人間なんていないのよ。リュカはリュカらしく、お父さんになればいいんだと思う」
「僕らしく……どうしたらいいんだろう」
「私だって、自分がどんな母親になればいいんだろうって、考えても分からないわ。そりゃあ死んだ母さんみたいに厳しいけど優しい母親になれればいいなって思うけど、全く同じようにはできないと思うの。だって、私は私、母さんは母さんだから。でもそれでも一番大切にしたいって思うのは、子供を大事に思うこと。当たり前のことなんだけどね。でもそれだけをしっかり思ってたら、きっと大丈夫だと思うわ」
ビアンカが多く喋る時は得意になっている時もあるが、何か不安に思っていたり、心が不安定な時も彼女は良く話す。そんな時こそ、彼女は沢山喋って心を落ち着かせようとするのだ。彼女は母親になるのだ。いくら腹に子を授かり、徐々にその成長を感じているからと言って、母親になることに喜びだけを感じているわけではない。彼女も不安の最中にいる。どのような母親になればいいのか、どんな子が生まれるのか、無事に生まれてくれるのか、出産はどのようなものなのか。リュカが父親になろうとすることよりも、恐らく母親になろうとするビアンカの方がより多くの気持ちを抱えているに違いない。
「僕たちだけで考えても分からないよね。だって、僕たち、お父さんにもお母さんにもなったことがないんだから」
リュカが当然のことを当然のように言い、その言葉にビアンカは微笑しながら「そりゃそうよね」と喉の奥に詰めていた息を吐き出した。
「でも僕たちはツイてるよ。だってここはグランバニアの中でも一番安全なところだよ。赤ちゃんが生まれる時だって、心強いシスターがついてくれる。子供を育てる時だって、いろんな人に聞けるんだもん。分からないことは誰かに聞けばいいし、助けて欲しい時は助けてって言えば誰かが手を貸してくれるよ」
いつもの軽い調子でリュカがそう言うと、ビアンカは改めて自分たちがいる部屋を見渡した。今までに経験したことのないほどの豪華な部屋に、忘れていた緊張感を思い出す。そんな緊張感を思い出したおかげで、ビアンカは母になるという緊張感から一時的に抜け出すことができた。
「リュカが王子様で良かった」
「本当だね。……まあ、王子様だから違う問題もあるんだけどさ」
一転して暗い表情になるリュカは、溜め息をつきながら近くの椅子に腰を下ろした。ビアンカが元気になりつつあり、お腹の子にも問題はなさそうだと分かり、安心したのは良いが、リュカにはオジロンに言い渡されている大きな問題が残っている。
グランバニアの国王が父パパスであったことはテルパドールでその話を聞いて以来、心には留めておいた。グランバニアに近づくにつれ、話が事実かも知れないということをリュカはその身に感じていた。しかしいくら父が国王だったという話を聞いても、リュカにとってそれは父の話であって、自分とは関係のない話だと思っていた。少し考えれば自分と無関係の話だなどと考えるわけもないのだが、リュカは物心つく前から父と旅に出ており、グランバニアと言う国も知らない彼にとっては父が、どこかの国の王様だなどと知らされてもやはり自分とは関係のない話なのだと思ってしまうのだ。
オジロン王から国王継承について懇願されても、果たして本当に自分のことなのだろうかと、未だ上の空でそのことについて考えている。しかし明日、改めてサンチョと共にオジロン王の所へ行って話をする必要があるらしく、リュカは既に国王に謁見するための服まで準備されているようだ。さすがに長旅をしてきたボロついた旅装に身を包んだままグランバニア王の前に出るわけにも行かないと、サンチョが侍女の一人にリュカの服について依頼していたらしい。
「リュカに王様になって欲しいって?」
ビアンカには既にオジロン王から話された国王継承についての話をしていた。彼女もリュカ同様に驚いてはいたが、リュカよりも落ち着いている雰囲気もあった。それと言うのも、今の彼女にとってはお腹の子よりも重大なことはないのだ。夫が国王になるかもしれないというとんでもない事案も、お腹の子を無事に産み育てる未来に比べれば、途方もない出来事でもなくなってしまうようだ。
「父さんじゃなくて、僕だよ? こんな大きな国の王様になんてなれるわけないよね」
「うーん、どうなんだろ。でももしリュカがこの国の王子様として育てられていれば、次期国王はリュカだったわけよね。それほど大それたことでもないと思うわ」
「でも僕はずっと父さんと旅をしていて、この国のことなんて何にも分からないんだよ。そんな人間がいきなりこの国の王様になるなんて、どう考えてもおかしいよ。ビアンカだって、僕が王様になんかなったら、君は王妃様になるんだよ。突然『あなたは明日から王妃様です』なんて言われても困るだろ?」
「うーん、そうね、ちょっと困るかな」
到底本気で困っている様子がないビアンカを見て、リュカは彼女にとってはやはりお腹の子以上に大事なことはないのだと感じた。彼女はずっとお腹に手を当てながら、いつもの早口ではなく、どこかおっとりと話し、今までのビアンカとは違う雰囲気をまとわせている。それもこれも、すべてはお腹に宿った命が彼女を変えているのだ。安静にしていなさいと言われたビアンカは、子を守る母として絶対にその指示を守ろうと、努めてゆったりと過ごすようにしているのだ。たとえ自分が王妃になろうという事態に陥っても、決して動じないという強い意思があって、彼女は落ち着いた状態を保っているのだろう。
「とにかく今日はもう遅いから、休んだ方がいいわよ。リュカ、あなた相当疲れているはずよ。だって今日この国に着いて、私がこんな風になって、王様を継いでくれって言われて、それからサンチョさんとこの国を少し見て回ったんでしょ? とっても忙しかったわね、本当にお疲れさまでした」
そう言いながらビアンカは大きなベッドに腰掛けるリュカの背中をトントンと軽く叩いた。ビアンカの手が触れると、リュカは途端に今日一日張り詰めていた気持ちがふっと和らぐのを感じる。
「もう休みましょう。たとえあなたが王様になっても、私はずっと隣にいるわ。安心して」
「うん、ありがとう。ビアンカがいてくれれば、何でも大丈夫な気がするよ」
「任せなさいって。私はあなたより二つもお姉さんなんだから。ね」
子供の時に言われたことと同じことを言われ、リュカは思わず噴き出し、ビアンカも同じように噴き出した。成長して大人になった二人だが、あの頃と何も変わっていないのかも知れないと二人は顔を見合わせて微笑みあう。互いに好きになった本質は子供のころから変わらない。
「もう休みましょう。明日も早くにオジロン王の所に行くんでしょ? 明日のことは明日になってみないと分からないわ。考えたって仕方ないんだから、今はとにかく休んだ方がいいと思うわ」
ビアンカがそう言って広いベッドの上を手でポンポンと叩くのを見て、リュカも彼女の隣に入り込み、すぐに横になる。ベッドは彼女の体温でとても温かく、体が一気に安らぐのを感じる。今まではっきりと目が覚めていたのが不思議なくらい、リュカは唐突な眠気に誘われた。
「ビアンカ、眠りの呪文なんか唱えてないよね?」
「そんな必要ないでしょ。疲れてるんだから自然と眠くなったのよ」
「もう一度、お腹触ってもいい?」
「いいに決まってるじゃない。赤ちゃんだって、お父さんに会いたくてお腹の中でうずうずしてるんだから」
リュカは再びビアンカの腹を優しく触った。膨らみの中の命は今は静かに眠っているようだ。ここに命があるということが不思議でならない。今はとても小さな命。少しでも何かがあれば壊れてしまいかねない脆いものだが、この苦しい旅に耐え抜いて生きてくれた逞しい命だ。リュカはビアンカごとお腹の中の命も抱きしめ、「ありがとう」と呟くと、そのまま眠りに落ちてしまった。



上質なカーテンの隙間から日の光が覗いている。広い部屋の中は朝陽のおかげでうっすらと明るい。後ろに温かさを感じ、リュカは寝転がりながら後ろを振り向く。既に身を起こして起きていたビアンカが、カーテンの隙間に除く光を見つめてぼうっとしている。リュカが動いたのを感じ、ビアンカは下ろした髪をふわりとまとわせ、「おはよう、リュカ」と昨日よりも元気な声で朝の挨拶をした。
「昨日は二人ともすごく寝ちゃったね」
そう言いながら欠伸をするビアンカを見て、彼女もまだ起きたばかりなのだとリュカは思った。しかしベッドから離れて立ち上がることも止められているため、ただぼんやりと窓の方を見ていたのだろう。リュカは彼女の代わりにとベッドから立ち上がり、カーテンを開けて朝陽をたっぷりと部屋に入れる。眩しい朝陽は日の出からは大分経っているようだが、昼近くになっているというわけではなさそうだ。グランバニアを囲む深い森にはまだ朝の気配が漂い、鳥たちが朝の会議に忙しくしている。
「ビアンカ、調子はどう?」
「うん、私は大丈夫よ。大分元気になったみたい」
朝陽の光を浴びるビアンカの顔色は彼女の言う通り悪いものではない。昨日このグランバニアに到着し、体調を崩して倒れてしまった時はどうなる事かと思ったが、城の人々の世話を受け、栄養のある食事を貰い、たっぷりと休んだからか彼女の調子は大分戻っているようだった。元気な様子のビアンカを見て、リュカは心底安心したように深い息をついた。
「でもリュカがこの国の王子様だったなんてびっくりしちゃったわ。もしリュカが王様になっちゃったら、私たちの子供も王子様ね」
リュカがグランバニア国の王子かも知れないということは、テルパドールでリュカの父パパスがグランバニア国王だったという噂を聞いた時から想像できたことだった。しかし実際にこうしてグランバニアに来て、サンチョに会い、オジロン王に会い、リュカが本当にこの国の王子だったということが分かるまで、それはあくまでも想像するだけのものだった。自分とは違う世界の話なのだと、リュカはずっとそのように思っていた。どこかの世界のグランバニア国の国王がパパスと言う人であって、それは自分とは全く関係のない話なのだと思う他なかった。ずっと旅をしながら生きてきた自分が一国の王子だと知らされて、一体誰がその事実を信じることができるだろうか。
リュカが何も答えずにじっと黙っているのを見て、ビアンカはふっと笑いながら言葉を続ける。
「なあんて、そんなことはどうでもいいの。私は今のままで十分に幸せよ」
リュカがたとえこの国の王になったとしても、ビアンカは常に傍にいてくれる。それは昨夜も彼女が伝えてくれたことだ。リュカの周りの環境ががらりと変わっても、恐らく彼女はずっと変わらないままリュカの傍にいてくれるのだ。それがどれほど心強いことか、リュカは改めて彼女と結婚したこと、彼女との間に生まれようとしている子供の存在に感謝の念を覚える。
「ビアンカ、本当にありがとう」
「こちらこそ、ありがとう。リュカと結婚して良かった……あなたにまた会えて、本当に良かった」
そう言いながらビアンカは両手でお腹を擦る。それはもう彼女の癖になっているようで、彼女自身気づかずに両手を腹に当てているようだ。愛する夫との間に生まれようとしている愛しい命に、ビアンカは旅の間我慢していた分も含めて限りない愛情を注いでいるようだ。リュカも妻の傍に寄り、彼女の手の上から小さな命が宿る腹に手を当てる。動いているわけでもなく、何かを感じるわけでもない。しかしそこに命が宿っているのだと思うだけで、それはリュカとビアンカにとってこの上なく特別なものになる。
幸せの海に浸っていると、部屋の扉がコンコンと控えめに叩かれた。リュカはすぐに扉の所へ歩いて行って扉を開けた。するとそこには昨日、ビアンカの世話をしてくれた侍女の一人が慎ましやかに一歩下がって立っていた。
「リュカ様、オジロン王が玉座の間でお待ちです。そろそろお支度をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「えっ? 支度って、何かするの?」
「あ、はい、あのこちらのお召し物に着替えていただきます。昨日の旅装は洗い物に出しておりますので、今日の所はこちらの服でお願いいたします」
そう言って侍女が渡してきた服は、限りなくリュカの旅装に近いものだった。白い服に紫色のマントにターバン、青色の巻き脚絆、灰色のブーツと、ほとんどが今までのリュカの旅装と同じようなもので揃えられていた。昨日リュカがサンチョとグランバニア城内を回っていた時に、城の者が新調してくれていたらしい。丈夫な布で作られてはいるものの、作りとしては簡単なもののため、準備にそれほど時間はかからなかったようだ。
「ありがとう。助かります、すごいボロボロだったから」
「……えーと、そうですね。あ、いや、そんなことは……。あ、それと、ターバンですがオジロン王の所へ行かれる際には外しておいていただいた方がよろしいかと思います」
「あ、そうなんだ。わかりました、じゃあそうします。教えてくれてありがとう」
「では、お部屋の外でお待ちしておりますので、お支度が出来ましたらお声かけ下さいませ」
侍女はそう言うと静かに扉を閉め、一度どこかに戻って行ったようだった。リュカは扉の外に消えていった侍女の足音を聞きながら、部屋に戻って着替え始めた。着替えながら腹が鳴る音を聞き、リュカは思わず腹を手で抑える。
「お腹減ったなぁ。朝ごはんは後ってことだよね、これって」
「それほど長い話はしないんじゃない? オジロン王の所へ行って朝の挨拶を済ませたらそれでおしまいじゃないかしら」
「そんなに簡単なものかなぁ……」
「ここでぶちぶち言ってても終わらないわよ。大丈夫、オジロン王ってとても優しそうな人じゃない。リュカに悪い事なんて何も起きないわよ」
「そうだといいな。とりあえず行ってくるね」
「はい、行ってらっしゃい。頑張ってね」
「うん。ビアンカはゆっくりしててね」
そう言うと、リュカは部屋を出て玉座の間に向かった。向かう途中で給仕の者たちが運ぶ温かい食事を目にして、思わずごくりと喉を鳴らした。どうやらビアンカの所へ運ばれる食事のようだ。再び腹が鳴ったが、ビアンカの食事に手を出すわけにも行かず、蓋の隙間から漏れる湯気に鼻をくんくんさせつつも、リュカは犬のように口から涎が出そうになるのを堪えながら玉座の間へと向かった。
階段を下りると、昨日までとは違った景色が広がっていた。外からの光をたっぷりと取り込んだ王室は目を細めるほどに明るく、床に敷かれる赤絨毯が色鮮やかに目に飛び込んでくる。大きな窓からは清々しい青空が見え、空には真っ白な綿のような雲が浮かんでいる。空高くに鳥が悠然と飛び、城を囲む森からは鳥たちの元気な声が聞こえる。
「あっ、坊ちゃ……いや、リュカ王子、おはようございます」
上階から下りてきたリュカの目をいち早く目にしたサンチョが、いつもと変わらない様子で声をかけてきた。その声にリュカは一気に体の緊張がほぐれるのを感じた。サンチョがいてくれればオジロン王と話をするのも円滑にできるだろうと、リュカは早足でサンチョの所へと歩いて行った。
「おはよう、サンチョ。来てくれてたんだ」
「もちろんです。今日も私とこの国を見て回っていただきますから、こうしてお迎えに上がったんです」
「えーっと、まだ僕朝ごはんを食べてないんだけど……」
「左様でしたか。それではオジロン王への挨拶の後、食事を召し上がっていただきましょうか」
「サンチョの家でまたシチューが食べたいな」
「あはは、私の作るシチューなどより、こちらで美味しいものを召し上がっていただいた方がよろしいかと思いますよ」
リュカとサンチョが楽し気に会話をしていると、大きな咳払いが王室に響いた。見れば玉座の隣に立つ大臣が険しい顔をしてリュカとサンチョを見ている。大臣がサンチョのこともリュカのことも良く思っていないのは明らかで、その雰囲気はリュカも十分に感じている。そしてここで対抗心を見せることが得策ではないことも、リュカは当然心得ている。まだ大臣と言う人物が良く分かっていないため、無暗に反抗心を見せるのは避けるべきことだった。
「リュカ殿、ここへ来たのならサンチョ殿への挨拶はそこそこに、まずは国王へ挨拶をするのが礼儀と言うものでありましょう」
「まあまあ、良いではないか、大臣。リュカ王子、おはよう。昨夜は良く眠れたかね?」
オジロン王の優しい呼びかけに反応し、リュカはサンチョに背を押される形で玉座の前に進み出て跪く。
「はい、良く眠れました。妻のビアンカも大分体調が良いようです。本当にありがとうございます」
「いや、礼を言われることはないんだがな。そもそもあの部屋はリュカ王子が使うはずのものだったのだから、ゆっくり使ってくれて構わないんだ」
「オジロン王、ここでリュカ殿のことを王子と呼んで城の者に聞かれますと、城の者たちが混乱しかねません。ここはリュカ殿のことを王子とは呼ばずに……」
「大臣は色々と細かいのう。分かった分かった、では私は叔父としてリュカと呼ぶことにしよう。リュカが晴れて王家の証を取ってきたら、その時にはこの玉座に座ってもらい国王に就いてもらうから、その時までは我慢しよう。しかしリュカよ、私はそなたの叔父だ。何か困ったことがあったら遠慮なく私に言いなさい。すぐにどうにかするようにするからな」
「オジロン王、あまりリュカ殿を甘やかしてはいけません。今後、国王になるかも知れない方なのですから、少し厳しいくらいでちょうど良いのではないでしょうか? あまり甘やかしますとドリス様のように全く言うことを聞いてくれなくなりますぞ」
「……それはちと耳が痛いな。ドリスは確かに甘やかして育てたところがある。しかし母を早くに亡くしたため、それも致し方ない事だった。それにあの娘は根はとても優しい娘なのだ。言うことは素直に聞かないところがあるが、悪い娘ではないのだよ」
困ったように言うオジロン王を見ながら、リュカは昨日城の庭園で会ったドリスのことを思い出した。オジロン王の言うように、とても素直に人の言うことを聞きそうな娘ではない。突然自分の都合でリュカに戦いをけしかけてきたりと、かなりお転婆な面が見られるが、リュカにはお転婆娘に対する耐性がある。そしてオジロンが言う通り、ドリスが悪い娘だとは微塵も思っていない。もっとじっくり話してみればきっと楽しい娘で、ビアンカとも話が合いそうだと、リュカは早くドリスとビアンカに会って欲しいとも考えている。
「おっと、どうでもよい話をしてしまったな。さて、リュカよ、今日はこれから王家の証を取りに行くのかな?」
「えっ? いや今日はサンチョとまたこの国を見て回ろうかと思ってます。それと……魔物の仲間たちを……」
「ん? なんと、魔物の仲間たちと聞こえたが?」
「マーサ様を待ち続ける魔物たちのことではないですか、オジロン王」
「おお、もう会ったのか、あの者たちに。なかなかの迫力であろう。しかし皆勇ましくも穏やかにこの城で過ごしておるのだ」
「はい、みんなとてもいい子たちみたいですね。僕が一緒に旅をしてきた魔物たちとも仲良くできると思います」
「ん? リュカが一緒に旅をしてきた魔物とな? はて、何のことだ?」
オジロン王が眉をひそめながら首を傾げる隣で、大臣が少し青ざめた顔色でリュカを見つめている。明らかにおかしなことを言っているリュカに、オジロン王も大臣も時を止めてしまったかのようにじっと動かなくなってしまった。その雰囲気にリュカも飲まれ、同じように止まり、次の言葉が出ない。その様子を見て、サンチョがリュカの後ろから助け舟を出す。
「オジロン王、リュカ王子もマーサ様と同じ特性があるようなのです。魔物の仲間を連れ、ずっと共に旅を続けてきたのです。リュカ王子がこの国に無事にやってこられたのも、魔物の仲間があってこそなのです。そこで、マーサ様の帰りを待つ魔物たちとこの城で一緒に過ごすことはできないでしょうか? マーサ様の魔物を愛する力はリュカ王子にもしっかり継がれていたのです。恐らく魔物同士も問題なく共に過ごせるものと思います」
唯一落ち着いていたサンチョが事の次第を丁寧にオジロンに説明をする。リュカはサンチョの話を聞きながら、自分一人では到底彼のような話ができず、魔物の仲間たちは城に入れてもらえなかっただろうと、ほっと胸を撫で下ろした。
「なんと、魔物の仲間と旅を……。信じられぬ話だが、マーサ様の子供であるリュカにならできることかも知れんな」
予想よりもオジロンが驚かないのは、既にマーサが城に連れてきた魔物たちのことを見ているからだろう。グランバニアの中には公然と魔物たちが住み、マーサを待ち、この城を守り続ける魔物たちにはグランバニア国民も理解がある。グランバニアと魔物たちとは他の国では考えられない親しみがあるのだ。
「しかし容易には受け入れられないことですぞ。ただでさえ魔物が城の中にいるのは異常なことです。その量がまた増えるとなると、色々と問題が……」
「とにかくその者たちに会ってみようではないか。会って話をしてみないことには何も分からぬ。リュカよ、そなたの仲間の所へ私を連れて行ってはくれぬか?」
そう話すオジロンの表情はどこか子供じみていて、リュカが共に旅をしてきた魔物たちに興味津々と言う雰囲気がありありと漂っていた。それは王様のような威厳に満ちた者の表情ではなく、好奇心旺盛な少年のような素直な表情だった。
「今は城の外にいるんですけど、そこまで一緒に来てくれるんですか?」
「もちろんだ。では行くとしよう」
何とも軽い調子で返事をして玉座を立つオジロン王に、大臣は苦々しい顔をして小言を言う。
「オジロン王、軽々しく玉座を離れないでいただきたいといつも申し上げておるではないですか。国王たるものがそれほど落ち着きなくあちこち行くものではないと……」
「まあ、良いではないか、大臣。お前だって魔物の仲間とやらが見たくはないか? リュカが姉上のように魔物と仲良くなることができるなんて、面白いではないか」
大臣の苦言など微塵も気にする様子はなく、オジロンは早くその場所に連れて行けとリュカの背中を押す。大臣は腕を組みながらため息をつき、諦めたように近衛兵にその旨を伝え、国王が離席する間は大臣が国王代理として応対することを告げた。
「いいんですか、本当に」
「何、問題はない。いつものことだ。では行ってくるぞ、大臣」
「はあ、お気をつけていってらっしゃいませ」
大臣は呆れた様子でオジロンを見ていたが、その視線にはどこか侮蔑するような雰囲気が漂っていた。リュカはその視線に出会った瞬間目を逸らしたが、大臣のその冷たい視線が脳裏に焼きついて離れてはくれなかった。
王室を出ると、日の光をたっぷりと受ける噴水庭園が目の前に広がる。そしてそこには、昨夜と同じようにドリスと侍女の姿があった。一国の姫らしくドレスに身を包んではいるが、その動きは到底姫ではない。美しい噴水庭園を背景にドレスを翻らせながら、一介の武闘家よろしくパンチやキックの練習をしているのだ。
「あっ、親父。どこに行くの?」
傍には侍女の呆れた姿があったが、ドリスはそんな侍女の様子は意に介さず、ドレスの袖で汗を拭いながらオジロンの話しかけてきた。侍女が慌ててドリスにタオルを差し出す。
「ドリス、またこんなところにいたのか。城で大人しくしてろといつも言ってるではないか」
「親父に言われたくないよ。親父だってこれからどこかに行くんでしょ? サンチョもリュカも一緒なんて、どこか面白いところに行くの?」
いかにも期待しているドリスの様子を目にし、オジロンは警戒するように自分の娘を怪訝な目で見つめる。
「別段、面白いようなところではない。リュカの魔物の仲間とやらに会いに行くだけだ」
「何よそれ! 魔物の仲間って何? そんな話、あたし聞いてないよ。どうして話してくれなかったのよ、昨日会ったのに」
食ってかかってくるドリスに、リュカは後退りながら落ち着いて話をしようとしたが、ドリスはリュカの話を待ってはくれない。
「あんた、魔物の仲間がいるの? どんな仲間なの? うちにいるのと同じような感じ? やっぱりあんたって、マーサ様の子供なんだね。何だか変わった目をしてるしさ」
矢継ぎ早に話すドリスに、リュカは何の反応もできずにただ彼女を見つめるだけだ。ただドリスがしたいことだけは分かった。
「一緒に来て会ってくれるかな? 会ってみたいんだよね、僕の仲間たちと」
リュカが正直にそう提案すると、ドリスはぱあっと顔を輝かせて、こくこくと首を縦に振った。
「あたしも会えるの? うん、会ってみたい。一緒に連れてってよ」
「僕はいいけど、君のお父さんは?」
「親父はあたしが『どうしてものお願い』をしたら断われないんだよ。ねっ、親父」
「うむ……まあ、どうしてもと言うのなら、仕方があるまい。一緒について参れ」
「まあ、坊ちゃんのお仲間の魔物ですから、何も危ないことはありませんしね。いいのではないでしょうか」
この状況に最も驚いていたのはドリスの侍女だったが、あくまでも侍女の立場ゆえ、国王が良いと言ったことに口出しすることもできず、ただ状況を見守るだけだった。ドリス付きの侍女も、リュカが何者であるかは昨日の会話で知ってはいるが、魔物の仲間を連れていることなど想像だにしておらず、驚きを隠していなかった。ドリスがこれから見知らぬ魔物たちに会いに行くと聞いて、今にも卒倒しそうなほど目を丸くしている。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね。あたしが戻ってくるまで休んでていいよ」
「いいえ、そういうわけには……」
「留守番よろしくねー。さあ、行こう行こう」
元気にそう言うと、ドリスはまるで自分が先導するかのように先頭を歩き出し、庭園を後にして城の回廊へ向かっていった。どこに行くかも分からないまま、とにかく外に出ればよいのだろうという軽い気持ちで行ってしまったドリスを追いかけるように、オジロン王が国王らしからぬ慌てぶりで走り出す。サンチョは侍女にドリスが戻ったらまた知らせると安心させ、リュカと共にドリスとオジロン王の後を追って小走りに魔物の仲間たちがいる外へと向かった。
ドリスは下へ降りる階段の手前でリュカたちを待っていた。あまりにも早い走りぶりに、リュカはどうやったらあの裾の長いドレスに躓くことなく走れるのだろうかと、どうでもよいことを考えていた。
「ここから先は親父が先に行ってよ。あたしが先に行くと、兵士が通してくれないんだよ。勝手に城下に出られては困りますってさ。堅苦しいよね。自分の国を自由に歩いて何が悪いのよ」
ドリスの憤慨する理由には、リュカも大きく頷けるところがあったが、実際に王族となればそれほど自由に外を行き来することはできないのだろう。ましてやドリスは姫で女性だ。少しは腕に覚えがあるようだが、それでも万が一城下に出て何事かがあれば、それは国を巻き込んだ大きな問題に発展する。彼女だけの問題ではないのだ。
「分かった分かった。ドリス、お前は姫らしく、大人しくついてくるのだぞ。やたらと飛び跳ねたり喋ったりするんじゃないぞ」
「何よ、あたしを子供扱いしてさ。そんなに落ち着きない人間じゃないよ、あたしは」
到底説得力に欠ける言葉だったが、一応ドリスはオジロン王の指示に従って、国王の後をしずしずと歩く慎ましやかな姫を演じて階段を下りていく。どうやらいつものやり取りのようで、リュカと共に歩くサンチョは全く驚いた様子はない。にこにこと父娘のやり取りを見ているだけだ。
グランバニア城門近くに立つ二人の兵士たちは国王と姫とサンチョが揃って歩いてくるのを見て、一体何事かと少々訝し気な視線を向けてきたが、国王と一言二言話すと、「お気をつけくださいませ」と言ってすんなりと門を通してくれた。何を話したのかが気になり、リュカはサンチョに聞いてみると、「ただ外に散歩に出て来ると言っただけですよ」と予想外の返事が来て、リュカはこのグランバニアの安全は保たれているのだろうかと少し不安になった。
城門を出ると、更に城をぐるりと囲む城壁の内側に出る。外に出たオジロン王とドリスは二人とも装備や持ち物を確認している。そんな二人を改めて見ると、オジロン王はマントの内側に剣を装備し、ドリスはドレスの内側に忍ばせていた炎の爪を取り出し、右手に装着した。二人のその姿を見て、リュカはここは城壁に守られた場所ではあるが、魔物のいる外の世界と変わらない場所なのだと実感した。いつの間にやらサンチョも大金槌を手にしており、それをひょいと肩に担いだ。どうやら城門近くに武器を置く場所があり、そこから一つ持ち出してきたようだ。
「サンチョ、何だか物々しいね」
「城を出る時に武器を携帯するのは決まり事なのです。決して坊ちゃんのお仲間に対してのものではありませんよ」
詳しいことは語らないサンチョだが、その決まりごとはマーサが魔物に連れ去られ、パパスがこの国を旅立ってからずっと続いているものだった。その事実がリュカに知らされることはなかったが、城を出た時からオジロンもドリスも表情が引き締まったことにはリュカも気がついていた。
その時近くの茂みが大きく揺れ、オジロンもドリスも揃って身構える。ドリスは今にも茂みに向かって飛び掛かっていきそうなほど好戦的な雰囲気を漂わせている。一方でリュカは茂みの中から現れようとしている者に対して、にこやかな笑みを浮かべる。
「プックル、そこで休んでいたのか」
「ぐるるる……」
茂みの中から窺うようにリュカたちを見ているのはプックルだった。リュカが見知らぬ人間たちを連れてきたため、野生動物のように警戒して唸り声を出しているのだ。
「なんと、キラーパンサーではないか。こんなにも獰猛な魔物が仲間だと言うのか」
「すごい……かっこいい……」
「とても頼りになる仲間です。プックル、他のみんなはどこにいるのかな」
「がうがう」
「分からない? ああ、そうか、みんなそれぞれ休んでるんだね。じゃあ一緒に探しに行こう」
「リュカよ、お主、この魔物の言葉が分かるのか?」
「言葉が分かるというか……なんだろう……分かるんです、言ってることが。こういうことを言ってるのかなぁって、何となくですけど」
「……本当にリュカは姉上の子供なのだな。姉上も言葉の話せない魔物たちと話をしていた」
「そうなんですか……」
見知らぬ母の話を聞く度に、リュカは母の存在を少しずつではあるが、近くに感じるようになる。偉大な父の息子であることを誇りに感じているリュカだが、母に似ていると言われても以前ほど落ち込むようなこともなくなった。
「リュカ、どうやってこんな恐ろしい魔物を仲間にしたんだ? 餌か何かで手懐けたの?」
「違うよ、プックルは元々ビアンカが助けたんだ。僕らが子供の頃に……」
「ねぇ、そのビアンカってのは誰なの? 昨日も聞いた気がするんだけど」
「あれ、まだ話してなかったっけ? 僕の奥さんだよ」
さらりと当然のことを当然のように話すリュカに、ドリスはその場で立ち止まって固まってしまった。ぽかんと口を開けているドリスに、サンチョがにこやかに話し始める。
「昨日、坊ちゃんと一緒にここへ着いたばかりなのですが、オジロン王と対面している時に倒れてしまって……今は王の私室で休んでいます」
「何、それ……そんな話、全然聞いてないよ」
「昨日の今日のことですからね。それに私たちもビアンカちゃんが妊娠していたなんて知って驚いたばかりですし……」
「僕が一番驚いたよ。一緒に旅していたのに何も気づいてなかったなんてさ」
「あ、くれぐれもこのことはご内密にお願いしますね、ドリス様。坊ちゃんはあくまでも国賓の一人として振る舞っていてください」
リュカとサンチョが話す様子に、ドリスではなくプックルが反応を示した。ビアンカと言う名前に反応したプックルはキョロキョロと辺りを見回す。ビアンカがリュカと共にいないことに不安を抱いているようだった。
「プックル、安心して。ビアンカは今、お城で休んでるんだ。お腹に赤ちゃんがいるんだって。赤ちゃんのためにも静かに休んでなきゃいけないんだって」
「にゃうにゃう……」
「大丈夫だよ、ビアンカのことだからすぐに元気になるよ。そうしたらまたお前にも会いに来てくれるよ」
「リュカ殿、それは本当ですか? ビアンカ殿に赤ちゃんと言うのは……?」
城壁の内側をぐるりと散歩していたピエールがリュカの声を聞き、草地をぴょんぴょん跳ねながら近づいて来た。他にも見知らぬ人間がいるものの、リュカがいるため特に警戒はしていない。
「あっ、ピエール。そうなんだ、僕も信じられないけどね。でもビアンカのお腹が動いたんだ。だからお腹の中の赤ちゃんもきっと元気なんだよ。凄いよね、お腹に赤ちゃんがいるなんて、本当に信じられないよ」
興奮した様子で話すリュカに、ピエールも同じように興奮した様子で緑スライムで草地の上を跳ねている。そんな魔物の様子を、オジロンもドリスもぽかんと口を開けて見つめている。
「なんと、リュカ殿とビアンカ殿との間に子供が……して、どうやって子供ができたのですか?」
「えっ!? ええと……コウノトリって言う鳥がいて、その鳥が赤ちゃんを運んできてくれるって聞いたことがあるよ」
「コウノトリ……そのような鳥がいるのですね。命を運ぶ鳥、見てみたいものです」
「リュカよ、ビアンカ嬢は安静にしておるかね」
ピエールが感心するように頷く後ろから、緑のローブに緑のフードを被ったマーリンがゆっくりと歩いてきた。マーリンもグランバニア城壁内を気ままに散歩していたらしい。一見人間のように見えるマーリンの姿を見て、オジロンもドリスも人間の仲間もいたのかと気を抜いたように溜め息をついたが、フードの奥から覗く顔を見て再びその場で固まってしまった。
「赤ちゃんのためだからって、今はベッドの上でゆっくり休んでるよ。ビアンカにしてはかなり大人しくしてるよ。赤ちゃんのためだって我慢してるみたい」
「旅の最中、かなり無茶をしとったからのう。しかし赤子が無事で良かったわい」
「ねぇ、ちょっと、あっちからも魔物が来るんだけど、あれもあんたの仲間? そうじゃなかったら追い払わないと……」
ドリスが切羽詰まったような声で炎の爪を構えながら見据える方向からは、ガンドフとマッドがのしのしとやってくる。ガンドフの頭の上にはちょこんとスラリンが乗って、一緒に散歩を楽しんでいたようだ。ガンドフとマッドは大きな体の者同士気が合うようで、彼らはよく連れ立って歩いている。リュカには見慣れた光景だが、普通の人間が見たら誰でも警戒するような状況だ。
「ドリス、大丈夫だよ。みんな僕の仲間なんだ。大きいから初めはびっくりするだろうけど、とっても優しくて強い仲間だよ」
「これは驚いた。本当にリュカは姉上の子供なのだなぁ」
オジロンが目を丸くしてガンドフとマッドを見ていると、突然空から「ッキッキー」と元気な魔物の声が聞こえ、オジロンは咄嗟に腰の剣の束に手を伸ばし、身構えた。オジロンの構えを見て、リュカは彼もかなり戦える人物なのだと気配で察した。父パパスほどの戦士の空気を感じたわけではないが、それでも剣の扱いにはかなり慣れている。
「この辺りでは見かけないキメラだな。リュカよ、あの魔物もお主の仲間か?」
「そうです。メッキー、どこか見に行ってたの?」
「キキッ」
「初めての場所だもん、色々と気になるよね。後で見てきたことを教えてね」
「キッ」
「……それって会話してるの? どうして『キッ』って言うだけで分かるのよ」
「うーん、分かるっていうか……分かるんだよね」
「……言ってる意味が分かんない」
ドリスはまるでちんぷんかんぷんの様子で首を傾げていたが、一方でオジロンは微笑みながらリュカと魔物たちの様子を眺めていた。オジロンは義姉であるマーサを知っているが、ドリスは生まれた時にはマーサもパパスもいない状況で、父であるオジロンに話を聞いたり、城の人々の噂を聞いたりして知っている程度の情報しか得ていないのだ。リュカが魔物と親しくする場面を見て面食らうのも当然のことだった。
「ねぇ、この虎みたいなの、かっこいいね。触っても平気?」
しかしまだ子供の域を脱していない年齢のためか、初めての状況にも柔軟に反応できるのがドリスという娘でもあった。怖いというよりも興味が勝り、ドリスはプックルのことを目をキラキラさせながらじっと見つめている。
「大丈夫だよ。プックル、ここにおいで」
「がう……」
リュカに言われて仕方なくといった態度がありありと感じられるプックルだが、ドリスが嫌いなわけではない。ただあまり興味がないだけなのだ。プックルはリュカの隣に歩いてきてその場に座ると、鋭い青い瞳でドリスをじっと見上げる。ドリスはまるで忍び足をするように静かに近づいてきて、ゆっくりとプックルの赤い鬣に手を伸ばすと、毛先にちょんと触れた。その時、プックルが「がうっ」と脅かすような声を出した為、ドリスは「うわっ」と叫び、尻餅をついてしまった。
「プックル、ダメだろ。それをやっていいのはヘンリーだけだよ」
「にゃあにゃあ」
「にゃあにゃあじゃないよ。ほら、ちゃんと謝っておいで。悪いことをしたらちゃんと謝るんだよ」
プックルとしては少しドリスで遊びたかっただけだった。ドリスの雰囲気に少しだけ小さい頃のヘンリーと似た高飛車な態度が見られたからかも知れない。しかし尻餅をついたまま泣きそうになっているドリスを見ると、プックルは本心から反省したようで、ドリスに近づいて草地についている手を舐めた。そして大きな体を摺り寄せて「にゃあ」と猫のような声で謝りの声を出した。
「……今のは『ごめんね』って言ったんだね? あたしにも分かったよ! これが『分かる』ってことなんだ。ねっ、そうでしょ?」
「うん、そういうことだと思うよ。凄いね、ドリスにも分かったんだね」
「ねぇ、親父、この子たちも城に入ってもらおうよ。こんなに怖そうなのに、こんなに優しいんだよ。何にも悪いことなんかないよ。それにリュカの旅の仲間なんでしょ? すっごい強いんじゃない? そうしたら今うちの城にいる魔物たちと一緒に城を守ってもらうんだ。城の警備の仕事を一緒にしらもらうってことで何の問題もないじゃない」
「ふむ、それもそうだな。リュカよ、お主がグランバニアにいる間はこの者たちにも城の警備に出てもらうことができるかな?」
「ああ、昨夜会った魔物たちのことですね」
そう話に応じたのはピエールだった。リュカもサンチョも、オジロン王もドリスも揃ってピエールを見る。
「昨夜、城の警備だと言って城から出てきた魔物たちがいたのです。危うく戦闘になりそうになりましたが、サーラと名乗る魔物と話をしたら我々の状況を理解してくれました。そして『明日には同じ場所で住むことになるかもな』と言って、警備を続けておられましたよ」
「なあんだ、もう会ってたんだ。それなら話は早いや」
「戦闘にならなくて何よりでしたね。もし戦うことになっていたら、到底城には入れてもらえなかったでしょうからな……」
サンチョが城を見上げながら眉をしかめて呟く。彼の言う通り、少しでも騒動を起こしていれば、リュカの仲間たちはグランバニアを襲う魔物として追い払われていたかも知れない。
「じゃあ僕の仲間たちも城に入れてもらえるんですね?」
「ふむ、問題なかろう。姉上の魔物の世話をする者たちにもすぐに話を通しておこう。しかし食べる分だけ城では働いてもらうぞ」
オジロンが食事の話をすると、リュカの魔物の仲間たちの間でざわめきが起こった。この大きな城の中に入れて、しかも城の中で食事が出されるという風景が上手く思い描けないらしい。それも当然のことで、彼らは生まれてからずっと外の世界で生活し、リュカと旅を続けている時も人間の町や村に入れるはずはなく、外で自分たちで食料を見つけて食べ、生きていたのだ。
仲間のざわめきを見ながら、リュカは新たな幸せに包まれていた。夢に描いていた魔物の仲間との生活がこのグランバニアで始まろうとしている。そしてビアンカとの間には子供が生まれようとしている。リュカは今、まるで子供に戻ったかのような幸せを思い出し、幸せしか知らなかったあの頃に戻ったかのように、その空気に包まれ満たされるのを感じていた。

Comment

  1. ドラきち より:

    ビビ様
    ついにオジロンとドリスが仲間モンスター達と対面ですね!
    オジロンとドリスの仲間モンスター達への反応が細かく描写されていて、読んでて面白かったです!
    次回ついに仲間モンスター達が城に入れますね。
    大臣が城に入れるのに猛反対して来て、食ってかかって来そうです。実際、不安を煽る事を言ってますしね…。
    ドリスはリュカに軽く恋してたんでしょうかね?
    ビアンカの存在を聞いた時の反応がアレでしたので。

    • bibi より:

      ドラきち 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      王と姫の魔物との対面はゲーム内では何も描かれてませんが、描かないではいられなかったので今回盛り込みました。実際、これからリュカやビアンカよりも長い事一緒にいることになるので……。
      魔物たちの城での生活、これからが楽しみです。大臣の反対はさらりとかわして欲しいところです。
      お察しの通り、ドリスはリュカに仄かに恋してました。なんせ魔物すら魅了させる男ですからね、リュカ君。困った男です(笑)

  2. ドラきち より:

    ビビ様
    確かにオジロンやドリス、サンチョの方が8年多く魔物達と過ごしますよね。
    魔物達はどんな生活を送るのか、今後の描写に期待です。
    それにしても、リュカは罪作りな男ですよね。

    • bibi より:

      ドラきち 様

      ゲーム内ではさらりと8年経ってしまいますが、魔物たちは(マーサを待つ魔物たちに至ってはもっと……)その間グランバニアで過ごすことになります。8年って、待つ人間にとっては非常に長い年月です。その間、魔物たちとグランバニアの関係は安定したり不安定になったりとあったように思いますが、そこまでは描写しきれないかな……。
      リュカはあの性格だからOKと言うことになってますが、あれで計算高いタラシだったらドラクエの主人公にはなれません(笑)

  3. ぷち より:

    bibiさま

    初めまして!
    初めてコメントを書かせていただきます、ぷちと申します。
    いつもいつも本当に楽しく読ませていただいています。
    最初から一気に読んでしまい、サラボナ辺りからの隠れファンでした( *´∀`*)

    DQⅤ…何度プレイしたかわからないほど愛してます♡
    フローラ派なんですけどねー!ビアンカさんももちろん大好き。
    ヘンリーも大好き!!…って、書いてたらまたみんなに会いたくなりますね(^^)

    bibiさまの描くグランバニアでの幸せ、本当に嬉しくなります。
    そしてドリスが可愛い~(笑)
    早く双子ちゃんに会いたいけど…そこは複雑ですね。。

    bibiさま、やんちゃ盛りの息子さんがいながらの執筆は大変だと思いますが、
    どうぞ無理せずゆっくりと、書いていってください。
    ファンはいつまでも待っています♡

    リュカの幸せにテンション上がってしまい初コメントでした。
    失礼いたします(^^)

    • bibi より:

      ぷち 様

      初めまして。コメントをどうもありがとうございます。
      サラボナの辺りは常に読んでくださる方がいらっしゃるようで、書いた私も書いて良かったと常日頃喜んでおります^^
      DQ5、重い話ですが、それだけに良いですよね。フローラ派ですか~。私もフローラさん、大好きです。彼女にも幸せになってもらいたいと、今後彼女の話もどこかで書いて行ければいいなと思っています。いずれまた、会えますしね。ヘンリーも……今度会えるのは数年後になるけど。その頃、ヘンリーはおじさんになっているなぁ。
      グランバニアではリュカ君に幸せに浸ってもらいたく、なるべくその方向で書き進めています。ドリスは言葉遣いはアレですが、根は素直で可愛らしい姫です。私も早く双子ちゃんに会いたいですが、そうするとリュカが……と、やっぱり複雑ですね(悩)
      息子が寝ている間にちょくちょく書いているので、おいおい家事はどうした、みたいな時も良くありますが(苦笑)、これからものんびり書いていきたいと思います。ありがたいお言葉、身に染みます。今後ともよろしくお願いいたしますm(_ _)m

  4. ケアル より:

    ビビ様
    双子の名前は決まっているんでしょうか?
    ビアンカにもミニモンたちに会わせてあげたいので、シスターに許しを貰って揚げてくださいますか?

    ドリスはアリーナと同じ武道家なんですね?
    なぜ、ビアンカやフローラみたいに、ムチやナイフを使い、呪文も使える女の子にしなかったんですか?
    素朴な質問です(笑み)

    次回は…王家の証でしょうか?
    宿屋のピピン君に会いますか?
    ビアンカ仲間モンスター対面ですか?
    次回を楽しみにしていますビビ様

    • bibi より:

      ケアル 様

      こちらもコメントをどうもありがとうございます。
      双子の名前も公式小説より拝借することになるかと思います。私のネーミングセンスはまるで皆無なので。
      ビアンカにもそのうちマーサの友達と会ってもらう予定です。じゃないと、ビアンカがリュカに食ってかかりそうなので。早く会わせろと。
      ドリスを僧侶系や魔法使い系にすると、うっかりパーティーの主力になってしまうかも……と言う懸念から、武闘家になってもらいました(笑) 武闘家でもそれなりに強いですが、プックルには敵わない、と言うことで。
      このグランバニア編は色々と書くことがあるので、次に書くのは何にしようかと毎回うんうん言いながら考えています。いつ終わるんだろう、グランバニア編。と言うか、グランバニア編が終るということは……ううっ(泣) 終わらせたくないですね……。

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