王になる責務

 

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「本当に大丈夫なのでしょうか、我々が人間の建物の中に入っても……」
「大丈夫だよ、王様が大丈夫だって言ってるんだから」
「ピエールは心配性じゃのう。せっかく人間の城に入れるというのに、嬉しゅうないんか?」
「嬉しいというか何というか……何だか地にスライムが着いていない感じがするというか……」
「ガンドフ、タノシミ。オトモダチ、タノシミ」
「ぐおんぐおーん」
ガンドフと並んで歩いていたマッドが魔物の大きな声を出すと、先ほど入城を許可した兵士がリュカたちを振り返った。しかしリュカがマッドを落ち着かせ、オジロンが兵士に問題ないことを大声で告げると、兵士は構えかけていた剣を収め、再び門番としての仕事に戻った。
グランバニアへの魔物の入城について、オジロンはごく簡単に城の兵士に話しただけだった。兵士は初め、リュカの連れている魔物の数や大きさに驚きを隠さなかったが、リュカが人間に話しかけるのと同じように魔物たちに話しかけ、彼の言うことを聞かない魔物が一匹もいないことにすぐに気がついたようだった。見るからに獰猛そうなキラーパンサーも、旅の青年であるリュカの言うことには確実に従い、本来持ち合わせている獰猛さを微塵も見せず、青年の足にじゃれつく猫のように可愛らしさすら見せていた。
城の兵士は少々不審がりながらも、その魔物たちがオジロン王、ドリス姫とも会話をしているのを見て、国王や姫の意思に逆らうこともできないと魔物たちを通すことに同意した。リュカはピエールと共に兵士に礼を言い、マーリンは陽気にオジロン王と話しながら広間へ向かい、ドリスはガンドフの茶色の毛をふかふかと触りながら、父である国王の後をついて行った。もう一匹スライムがいると聞かされたスラりんは、同族に会うのが楽しみな様子でぴょんぴょんと跳ねながら、メッキーは物珍しそうに人間の城の中をじろじろと見ながら進んでいく。マッドはグランバニア城下町の様子が気になるようで、気ままに人間の住む区域へ向かおうとしたが、プックルがそれを諫めた。言葉を話さない魔物同士の人間のようなやり取りを見て、城の兵士はまるで子供の頃に戻ったような好奇心に満ちた目で、魔物たちの様子を見つめていた。
広い階段を上ると、この城では他に見ないような大きな扉があった。重々しく、迫ってくるような巨大な扉だが、マッドやガンドフにとってはさほど大きくも感じないほどの扉だ。しかし初めは他の場所にも使われているような普通の大きさの扉がつけられていたようで、扉の立て付けを見ると造り直したような跡が見られた。当初は人間が使っていた場所なのだろうが、マーサの願いを聞き入れたパパスが魔物たちの部屋として造り変えさせたのだろう。
巨大な扉に鍵がかけられることはない。開きっぱなしになっていることもしばしばだという。それほどグランバニア城の中で、マーサを待ち続ける魔物たちは自由に出入りしている。今は閉じられている巨大扉だが、オジロン王が少し引いただけで、それはいとも簡単に開いた。
「サーラよ、おるかね?」
オジロンが声を張って呼ぶと、広間で本を読んでいたサーラが席を立った。まるで人間のように本を読んでいる姿に、リュカは初めそこに学者の人間でも座っているのかと思ったほどだった。
「おや、オジロン王。どうかされましたか。これほど早くに来られるのは珍しい」
「あっ、昨日のヤツらだー」
サーラと同じ席に着いて同じように本に目を通していたミニモンが、いち早くオジロンの後ろに並ぶ魔物たちの姿に気がついた。ミニモンの声にスラりんが反応し、オジロン王の前にぴょこんと進み出た。
「ピキー、ピキー」
「来てくれたんだ、こんにちは」
スラりんの声を聞いて、今度はスラぼうがにこやかに姿を見せた。ぴょんぴょんと跳ねる二匹のスライムを見ていると、どちらがどちらか分からなくなりそうだが、リュカにはすぐに違いが分かった。魔物としてみればスライムの形の違いなど気がつかないが、リュカにはスラりんとスラぼうの雫型が微妙に違う形をしていることが分かる。
「この者たちと既に知り合いのようだな」
「ええ、昨夜の見回りの際に会ったものですから。何でもマーサ様のご子息のお仲間のようで……」
「なんじゃ、それも分かっておるのか。それならば話が早い。これからはお主たちと共にここで暮らすことになった。どうじゃ、仲良くやっていけそうか?」
「恐らく問題ないでしょう。昨日話した際にも、この城を脅かすような悪い仲間はいなかったように思います」
「我々もサーラ殿の話を聞いて、この城に置かれる立場になれば共にこの城を守って行こうと思っております。それが我々に課せられる職務とあらば、喜んでお受けいたします」
「うわぁ、サーラがもう一人いるみたいだね。リュカの仲間にもこんなに固いヤツがいたんだ」
ピエールの話を聞いていたドリスが、少々苦々しい顔をしながらピエールを横目で見ている。もしかしたらドリスは侍女の他にサーラからも色々と小言を言われているのかも知れない。
「念の為、もう一度一匹一匹見てみましょう。ゴレムス、前に出なさい」
サーラに呼ばれ、巨大な岩のようなゴレムスがゆっくりと歩いてくる。サーラの前まで進み出ると、スラぼうとぴょんぴょん跳ねて遊んでいたスラりんにずいっと顔を近づける。そして光る目でスラりんを暫く見つめると、静かにスラりんに手を差し出した。握手を求める手だったのだろうが、生憎とスラりんは握手ができない。スラりんはしばらく体を揺らして考えた末、ゴレムスの大きな手の平に乗ってみた。ゴレムスはまるで笑うように光る目を細め、手の平に乗せたスラりんをそのまま自分の肩に乗せてしまった。次にはピエール、マーリン、プックルと、リュカの仲間たちの審査を行っていく。当然のように審査に落ちる者はなく、最後のマッドに少々首を傾げただけで、リュカの仲間たちは見事にグランバニア城への入城を許可された。人間の審査は城の兵士や国王自ら行うが、魔物の審査はゴレムスが引き受けているようだ。
「ふむ、やはり問題なさそうじゃな。ではこれからは仲良くやっていくのじゃぞ」
「城を守る魔物が増えたんだもん、良かったじゃん。ねぇねぇ、リュカの仲間にも私の組手の相手ができそうなのはいる? もしいればさ……」
「これ、ドリス、いきなりそのようなことを頼むんじゃない。お前は一国の姫なんだぞ」
「そうだよ、みんなだって君みたいな可愛いお姫様を傷つけたくないって思ってるよ。もし君に傷でもつけたら大変だろ」
「かっ、かわいい……?」
リュカの言葉にドリスが炎の爪を右手に装着したまま呆然と立ち尽くす前で、ドリスの反応に気づかないリュカはにこやかにマーリンと話し始める。
「でもみんな仲良くやって行けそうで良かった」
「ここにいる魔物らもワシらと同じように、完全に魔の心を捨ててしまっておるようじゃしの。ただ一匹、気になるやつがおるが……」
マーリンがそう言いながら見つめる先に、マーサの仲間である魔物たちをまとめる役割のサーラの姿がある。サーラは至って穏やかな様子でピエールと話し始め、既に息が合っているように話を弾ませている。互いの状況を細かく話すのに良い相手なのだろう。
「まあ、ワシの勘違いかも知れん。いずれにせよ、少し注意深く見守ることにしようかの」
「色々と話をしてみたらいいよ。それで後で僕にも聞かせてね」
リュカの言葉に、リュカの足元でじっと状況を見つめていたプックルが親友を見上げる。リュカはプックルの赤い鬣をガシガシと撫でながら明るい口調で話しかける。
「僕はこれからも城を見て回らないといけないんだ。まだまだ見るところがあるんでしょ、サンチョ?」
「ええ、そうですね。まだまだ色々と……ありますね」
「ここでみんなとゆっくり話していたんだけどさ。でもそんなことしてたら、ビアンカに『ずるいっ』って怒られるかも。ここに一番来たいのはビアンカかも知れないし」
「にゃう……」
「なんだよ、そんなに寂しそうな声を出して。ビアンカの顔を見てないって言ったって、まだ一日しか経ってないじゃないか。そんなに寂しがるなよ」
「がうがうっ」
「そりゃあ僕は彼女の夫だもん。いつでも彼女の隣にいるのが当たり前だろ」
「がう……」
「ずるいって言われてもなぁ。こればっかりは譲る気はないからね。それに僕だって本当はずっとビアンカの傍にいたいんだよ。お腹の赤ちゃんも気になるしさ」
リュカがプックルと会話する様子を、オジロンが腕組をしながら見つめる。
「まるで姉上を見ているようだ。リュカも姉上と同じように、何も違和感なく言葉を話さない魔物とも会話ができるのだな」
オジロンが感心したように頷く横で、サンチョも同じように頷いている。リュカとしてはプックルと話すのは当然のことなのだが、それはリュカとマーサだけに通用する特技のようなものだ。ビアンカもプックルとは大分会話ができるようだが、リュカのように全てを言葉のように拾えるわけではない。あくまでもプックルの声と雰囲気で何となくその内容を感じているのだ。
「リュカ殿、我々のことは問題ありません。この者たちとも上手くやって行けるでしょう」
「ピー、ピキー」
「そっか、スラりんも新しいスラぼうって友達ができたんだもんね、良かったね」
「ピキッ」
「スラりん、追いかけっこしようよ」
スラぼうに早速遊びに誘われ、スラりんとスラぼうは大広間の中を走り回り始めた。仲良く遊ぶ姿を見ていると、リュカには人間の子供たちが走り回る姿にしか見えなくなっていた。
「大臣にはわしから話しておくとしよう。なあに、大臣もこの状況を見れば何の不安も抱かないであろう。これだけ和気あいあいとしている魔物たちの様子を見れば、不安を抱く国民もおらぬであろうな」
「しかし何とも不思議な光景ですな。マーサ様を待つ魔物たちには見慣れていたはずですが、それでもこうしてこのグランバニアの城の中で魔物たちが和やかに暮らしているのは、やはり特別なものです」
「そうなんだろうね。僕もそう思うよ。でも、そんなことよりも、みんなが仲良くこうしてこの城の中にいられるってだけで、嬉しいな」
「さて、坊ちゃん、あなたにお見せしたい場所がまだまだあります。ここはもう大丈夫ですから、他の場所に参りましょう」
「魔物の世話係にも話を通しておかなくては。任せておきなさい、わしからドーンと話をしておくから」
「はい、よろしくお願いします」
「さあ、リュカはサンチョと共にこの国を見てまいれ。そしてお主がこの国の王を継いでくれるように決心してくれることを心待ちにしておるぞ」
「早いところ王様になっちゃえって。第一、本当だったらリュカが王様になるはずだったんだからさ。パパス様の息子が王様になるって言ったら、グランバニアの人たちだってみんな大喜びすると思うよ」
相変わらずオジロン王と娘のドリスにはこの国の王になることを勧められるリュカだが、まだまだグランバニアのことを知らなければならないと、リュカは苦笑いしながらもサンチョと共に魔物たちの広間を後にした。



リュカは再びサンチョと城歩きを始めた。城下町を横目に見ながら、城下町に入るわけではなくそのまま真っ直ぐに伸びる城の廊下を歩いていく。先ほどの兵士に挨拶をし、サンチョはちょうど魔物たちのいる大広間と対になる場所へと向かっていく。しかし対になる場所とは言え、魔物たちの住む大広間に向かう廊下のように暗い場所ではなく、対になる場所には大きな窓から日が差し込み、上に上る階段の壁には、上品に花も飾られていた。壁に飾られる花の横には明かりが取り付けられ、夜になればここに明かりが灯り、二階へ伸びる階段を明るく照らすのだろう。
「サンチョ、こっちにも魔物がいるの? でもあっちとは大分雰囲気が違うね」
「魔物ではありませんが……ちょっと驚くかも知れませんね」
そう言ってサンチョは階段を上ると、丁寧に扉をノックした。魔物たちの住む大広間の巨大な扉とは違い、こちらは人間一人が通れるほどのどこにでも見るような扉だった。その扉にもささやかながら花が添えられ、朝摘んだばかりの花なのか、仄かに香る。その花の香りに、リュカはふとサラボナの町を思い出した。あの町もこのような花の香りに包まれていた。
扉のノックに答えるように、中から女性の声がした。そして扉がゆっくりと開かれると、リュカたちのいるところに部屋の中の光が眩く差し込む。
「サンチョさんではありませんか。……あら、旅の方ですね?」
サンチョの姿を見て、その後ろに続くリュカの姿を認めると、女性は小首を傾げながら穏やかにそう言った。その姿、仕草に、リュカはサラボナの町に住むフローラを思い出す。決して容姿が似ているわけではない。扉から覗く女性はサンチョと同じような癖毛で、髪の色は茶色がかった金色で、ビアンカに近いものがある。扉から差し込む日の光を受けて、女性の輪郭が光輝いており、非常に神秘的に見えた。
「どうぞ中へお入りください」
そう言って女性が扉を開けた時、リュカは思わず息を呑んだ。開かれた扉の中に見える女性の背に、大きな羽が生えている。真っ白な羽は静かに閉じられ、まるで装飾品のように見える。しかし女性が二人に茶を入れようと準備を始め、カップを取り落としそうになった時、女性の慌てぶりを示すように大きな羽もバサッと一瞬大きく開いた。リュカは扉の前で棒立ちになったまま、信じられない女性の羽をまじまじと見つめた。
「サンチョ……この人は……?」
「とりあえずお茶をもらいましょうか」
リュカの困惑を他所に、サンチョはいつも通り落ち着いた様子で部屋のテーブルに向かう。そして椅子を一つ引くと、リュカに「こちらへどうぞ」と声をかける。リュカは女性の白い羽をちらちらと見ながら、サンチョに促されるように椅子に腰かけた。
「驚くのも無理ありませんわ」
女性は至って穏やかに話しながら、二人に茶を入れる。湯気の温かさに普段と違うところはないようで、その状況にリュカは少しだけ心を落ち着ける。部屋の中も整然としていて、窓の縁にはやはり花が飾られている。どうやら女性は花が好きらしく、自ら外で摘んできては部屋の中や扉などに飾っているらしい。
「私はかつて、天空に住んでいた者です」
良い香りのする茶を入れると女性も同じように席に着き、ゆっくりとリュカに話し始めた。小さな丸いテーブルだが、どうやらこの部屋には女性一人しかいないようで、一人で暮らすには十分な大きさのテーブルだ。そしてやはり、テーブルの上にも小さな花瓶が置かれ、ささやかに花が飾られている。
「天空って……空のこと?」
「ええ。しかしもうずいぶん前に私たちの住む場所はなくなってしまいました……」
「なくなったって、どういうことですか?」
リュカが率直に聞くと、女性は悲し気に目を伏せ、首を小さく横に振る。
「私にもよくわからないのです。気がついたら、私はこの地上に倒れていました。私たちが住んでいた空のお城はもう、どこにも見当たらなかったのです」
この天空人の女性は自分の住む場所を失い、その後この地上を長く彷徨っていたらしい。誰も仲間がおらず、魔物もいるこの世界で、天空人の女性はどれほどの恐怖を味わったことだろう。リュカは女性の苦労を思い、膝の上に乗せる手に力がこもる。
「私も長い旅の果てにこの城に辿り着きました。そして先代のパパス王にはずいぶんお世話になったのです」
魔物をも城に受け入れるグランバニアで、天空人の女性が一人いてもおかしなことはないとリュカは素直にそう思った。マーサの友達である魔物たちを受け入れた父が、どこにも行く当てのない天空人を助けたことは、何も不合理なことはない。困っている人に手を差し伸べる父の姿を思い浮かべるのは、リュカにとって容易いことだった。父はリュカとの旅の間でも、いつでも困った人を助けようとしていた。パパスにとってそれは、特別なことではないのだ。
「もしマーサ様があんなことにならなければパパス王はきっと……。やめましょう。今更こんなことを言っても仕方ありませんものね」
パパスに助けられた天空人の女性は当然、マーサが魔物に連れ去られた時、この城でその時を過ごしていた。女性の語る口調には悔しさがにじみ出ている。あの時自分の力ではどうすることも出来なかったという思いが彼女の中にあるのかも知れない。自分を助けてくれたパパスを助けることができなかった後悔の念が、女性の中には常に残っている。
「見たところ、あなたも長い旅をしてきたのでしょう? 少しここでお話していってくださいね。どうしてこのグランバニアへ来られたのですか?」
天空人の女性はいかにも好奇心旺盛な様子で、背中の真っ白な羽を開いたり閉じたりと落ち着かない。リュカはそんな女性の様子を見ながら、もしかしたら目の前の落ち着かない女性は口調こそ大人の女性らしく慎ましやかなものだが、中身は子供のように無邪気ではしゃいでいるのかも知れないなどと思った。
「僕は父がこの国の……」
リュカが話し出そうとした時、サンチョが横で豪快に咳払いをしたので、リュカはその意味を理解した。そして話そうとしていた内容を少しだけ変える。
「この国の出身だったんです。僕はそのことは全く知らなくて、つい最近知ったんですけど、それでこの国に来てみようって妻と仲間と相談して、昨日ここに着いたんです」
「まあ、そうだったのですか、奥様とお仲間と……。それでお父様もご一緒なのですか?」
「いや、父は……」
リュカがそこで言葉に詰まると、隣に座っていたサンチョがリュカの腕をぽんぽんと軽く叩き、リュカの顔を横から覗き込む。困ったようなリュカの目を認めると、サンチョはリュカの過去を曲げることなく淡々と話した。
「彼のお父様は旅の途中で亡くなられたのです。それからはお仲間と一緒に旅を続けていたようですよ」
「……ごめんなさい、嫌なことを聞いてしまって」
「いや、いいんです。もうずいぶん前のことです。それに僕よりもあなたの方がよっぽど苦労しているみたいです。だってあなたはたった一人でここに辿り着いて、ここで暮らしているんでしょ? 城下町には出たりするんですか?」
「たまにお買い物に行ったりしますが、やはりこの羽が目立つのでそれほど頻繁には出られません。私、あまり目立ちたくはないので……」
「そうなんだ……。あ、いいこと思いついた」
急に顔を輝かせたリュカを、女性もサンチョも目を瞬いて見つめる。リュカはサンチョを振り向くと、名案とばかりに少々得意になって話し出す。
「ここの魔物たちと仲良くなってもらうのはどうかな。お城の人たちの中で目立つのが嫌だったら、あの魔物たちと一緒だったらそんなに目立たないんじゃないかな」
リュカが明るい表情で提案するのを、サンチョも天空人の女性も目を瞬きながら見つめ、そして二人で顔を見合わせると同時に小さく笑い出した。
「二人とも、どうしたの?」
「お気遣いありがとうございます」
リュカが首を傾げる前で、女性が丁寧に頭を下げて礼を言う。女性が少し動くだけで、仄かに花の香りがする。彼女自身、花の香りを身にまとわせているようだ。
「マーサ様の計らいで、既にスラぼうたちとは仲良くさせてもらってるんです。よく一緒にお庭でお花を摘んだりしているんですよ」
「えっ……?」
「坊ちゃん、マーサ様も全く同じことを仰っていました。『じゃあ私の友達と仲良くしてね』と。同じことを考えられたのですよ、坊ちゃんと」
「そっか……そうなんだ」
サンチョの言葉を聞いて、リュカは複雑な気持ちを抱いた。自分の名案が横取りされて悔しいような、しかし自分と同じことを考えた見知らぬ母に近づけたようで嬉しいような、心の中が落ち着かない。
「どこかに私の仲間もいると信じているのですが、生憎と他の天空人には一人も会えないままここで暮らしています。とても良くしていただいているので何も不満などはないのですが……やはり少し寂しいです」
天空人の女性と話をしていると人間の女性と話をしているのと変わらない印象を受けるが、どうしても背中の大きな白い羽に目が行き、それは女性の言葉と共に細かく動いている。彼女の感情と共に動いているのだろうかと考えると、それはまるでプックルの尻尾のようだとリュカはプックルの赤い尾を思い出していた。
「お城の学者さんにも天空城について調べてもらっているんですよね、サンチョさん」
「はい。なかなかはっきりとしたことは分からないと以前聞いたことがあります。しかし私がそれを聞いたのはずいぶん前のことですね……。もしかしたら今、何か新しい発見をしているのかも知れません」
「天空の城について調べてるって、それって天空の防具についても調べてるのかな? もし天空の防具についても調べてるとしたら、伝説の勇者についても調べてるのかも……。ねぇ、サンチョ、後でその学者さんの所に行って話を聞いてみてもいいかな?」
突然真剣な表情でぶつぶつと独り言を言ったかと思ったら、必死な様子で話しかけてくるリュカに、サンチョは驚いたように目を丸くする。しかしすぐにリュカの意図に合点が行くと、まずは自分が落ち着くようにとカップの茶をすする。
「僕、父さんのできなかったことをやりたいんだ。母さんを助けたい。僕のせいで死んだ父さんのためにも、絶対に……」
「坊ちゃん、落ち着いてくださいね。私も話はパ……いや、あなたのお父上から聞いています。後程一緒に学者の所へ行ってみましょう」
「天空の武具……それはかつてこの世界を救った勇者が身に着けていたと言われるものですね。話には聞いたことがありますが、私が生まれた時には既に天空の武器も防具も天空城にはなかったようです」
「あなたが生まれた時って、どれくらい前なんですか?」
「およそ四百年前になるでしょうか」
「よっ……えっ!?」
「私たち天空人は人間に比べて長命です。私はまだ若い方なのです。ですから伝説の勇者とは言え、実際に勇者とその仲間たちと話した天空人はまだ生きているはずなのです。天空人の間ではまだ伝説とは呼べないほど近い過去の出来事なんですよ」
白い羽が生えている以外はまるで人間のような天空人だが、その寿命は人間の数倍にもなるということに、リュカは思わず言葉を失った。しかし考えてみれば仲間の魔物たちも一体いつから魔物として生きているのかは分からない。人間の寿命を基準に考えてはいけないということをリュカは改めて思い知らされた。
「私がもっと前に生まれて、伝説の勇者について深く知っていればお役に立てたのかも知れませんが……すみません」
「い、いや、十分昔に生まれてますよね。こっちこそいきなりこんなこと聞いてすみませんでした」
「坊ちゃん、ところでお腹が空きませんか? 朝から何も召し上がってないですよね?」
話題を変えてきたサンチョの言葉に、リュカの腹は即座に反応した。まるで返事でもするかのように鳴る腹の音に、サンチョも天空人の女性も、そしてリュカ自身も笑った。
「こんな時に思い出させないでよ、そんなこと」
「いやいや、腹が減っては何とやらです。どうです、城下町で食事をしてから、学者の所へ行きませんか? 良い店を知ってるんです」
「ホント? サンチョが言うならきっと美味しい店なんだろうね」
「それでは早速参りましょうか」
「私もそろそろスラぼうと庭に花を摘みに行こうかしら」
「あっ、スラぼうだったらスラりんと一緒にいるかも」
「スラりん? どなたですか?」
「僕の仲間のスライムなんだ。きっと一緒に行きたがるだろうから連れて行ってもらっていいですか?」
「え、ええ、構いませんが……仲間のスライム? あなた、一体……??」
「大丈夫ですよ、私も会いましたがとても優しそうなスライムでした。問題ないでしょう」
「はあ……分かりました」
そう言いながらも天空人の女性は訝し気にリュカを見つめる。今までは爽やかでどこか人懐こい青年だと思っていただけだったが、興味を持ってじっくりと見ると、青年の目に釘付けになった。リュカが「じゃあ、また後で」と軽く挨拶して会釈して部屋を出ていく時、共に部屋を出ようとするサンチョの肩に手を置いて、小さく呟いた。
「あの人はもしかして……」
「いずれお話します。今はまだ、その時ではないようなので」
サンチョは至ってにこやかに返事をして、丁寧にお辞儀をして天空人の女性の部屋を後にした。その後も天空人の女性は薄く開いたままの扉の間から、階段を下りていく青年の後ろ姿をじっと見つめていた。



グランバニアの城下町の時刻は朝を過ぎ、人々は今日も分厚い城壁の内側で安全に包まれた一日を始めていた。巨大な建物の中に造られた町に太陽の光が射すことはないが、代わりに町の至る所に魔法仕掛けの明かりが灯り、それは一日の時間に合わせて明るさを調節している。今は朝の時間帯に合わせて、爽やかな日差しが感じられるような魔法の明かりが城下町のそこここに灯っている。光は人々の時間間隔を正しくし、通常の人間の生活を行うに必要なエネルギーを与えてくれる。しかしその役割は本物の太陽には到底敵わない。城下町に住む人々は皆笑顔に溢れ、ここでの生活を楽しんでいるようだが、外を旅してきたリュカにとってこの城下町での生活はとても窮屈に感じられた。ずっとここに住み続けていると気が滅入りそうだと外の景色が見えない城下町を見渡して、小さくため息をつく。
ただ城下町の人々がずっと城下町にこもっているのかと見ていると、彼らは時折城下町の外に出て、城を取り囲むようにある森の中に入り、食材や材料を取りに行くこともあるようだ。その際には必ず武器や防具を身に着け、門番である兵士にそれらを点検され、それでようやく城の外に出られる。グランバニアは魔物の襲来に対して他の国では見られないほど警戒しており、それはマーサ王妃が連れ去られて以来徹底して行われている慣習のようなものだった。
森で採れる食材は豊富で、リュカはサンチョと共に城下町の店に入り食事を済ませたが、どれも舌鼓を打つような美味しいものだった。森では野菜や果物はもちろん、近くに流れる川で魚も取れ、森の中に棲む動物を捕らえて食すこともできる。グランバニアは資源豊富な国で、国民の生活が窮することはなさそうだった。
「ようやくお腹いっぱい食べられましたか、坊ちゃん」
「そうだね。朝から飲まず食わずで動いてたから、気づいたら喉がからからだったよ」
食事をするまでリュカは空腹も喉の渇きも感じていなかった。背に白い翼の生えた天空人の女性を目にした驚きのまま、サンチョと城下町に出てぶらぶらと歩いていたため、リュカの頭の中は天空人のことでいっぱいだった。旅をしている最中、魔物との遭遇は幾度となくあり、どのような魔物を見ても、それらが魔物であればそう驚くこともなかった。初めて目にした魔物の外見に驚いても、それが魔物の一種だと分かれば、そういう魔物もいるのだろうと落ち着いて見ることが出来た。
しかし天空人となると、その存在そのものが不確かなもので、まさかこのグランバニアに住まわっているなどとは考えもしなかった。話してみるととても人間に近く感じられ、しかし背中に生えた大きな白い翼には人間にはあり得ない雰囲気が漂っていた。天空人の背の羽が彼女の気持ちに合わせて動くのを見て、リュカはこの女性は人間なのか鳥なのか魔物なのか何なのか、訳が分からなくなっていた。
「サンチョ、あの人もここで母さんを待ってるのかな」
店での食事を終えて、リュカはサンチョの隣を歩きながら話しかける。サンチョは大きく膨れたお腹を右手で擦って美味しかった食事に満足したように、微笑みながら答える。
「そうですね。彼女には帰る場所もありません。天空にあったと言われるお城がなくなってしまったということですからね……。困った方をそのまま外に放り出すわけにも行きませんし、第一彼女自身がこの国を気に入っておられるようです。城の魔物たちとも仲良しですからね」
「寂しくなければいいよ。でも本当は仲間たちに会いたいだろうね」
「ええ。しかし私たちには天空のお城というものはさっぱり分かりません。ただパパス様が城の学者に天空のお城について調べさせていて、今もその調査は続けられています」
城下町の大通りを歩きながら、サンチョはリュカの知らないグランバニアのことを一つ一つ話してくれる。その話の中に、リュカはいつも驚きを得る。父が城の学者に天空城について調べさせていたことなど、リュカには予想も出来ないことだった。
そして父自身、天空の城について調べていたのではないかと、リュカは幼い頃に住んでいたサンタローズの村の家を思い出す。幼い頃、文字も読めなかったリュカは父がサンタローズの家に置いていた本の一つも読むことはできなかった。その中にももしかしたら、天空の城について書かれた本があったのかも知れない。父はあの旅の中で、リュカの知らない様々なものを抱えていたのだろう。
「どこでその調査はしているの?」
リュカは当然のように天空の城ついて研究する学者に興味を持った。リュカは現在、かつて父が見つけた天空の剣、それにサラボナでルドマンから譲り受けた天空の盾を手に入れている。そしてテルパドールには天空の兜が安置されている。母が連れ去られたという魔界の扉を開くためには天空の武器と防具が必要だと、パパスの遺した手紙には書かれていた。そして伝説の勇者の力が必要なのだとも書かれ、父はリュカを連れての旅の最中ずっと伝説の勇者を探し求めていた。当然、自身でも天空の武器や防具のことについても調べ、そしてそれにまつわることも調べながらの旅だったに違いない。
父の遺志を受け継ぐリュカが天空に浮かんでいたという城について興味を持つのは当然のことだった。
「城の図書室がこの先にあるますのでついてきてください」
サンチョと共に歩くのは賑わう城下町の中だ。グランバニアの重鎮として存在するサンチョは、城下町の人々に顔が知れており、そして人々と気さくに会話を交わす。先代の王パパスの片腕のような存在だったサンチョだが、そこに近づきがたいような威厳は漂わず、むしろ何でも話したくなるような親し気な雰囲気がある。城下町の人々はこぞってサンチョに話しかけ、連れている青年のことを聞いてきたが、それに対する答えは「先代の王を追ってきた旅人」と話すだけで、何もはっきりとしたことは言わなかった。
城下町の大通りをずっと奥へと進むリュカだが、この景色には見覚えがある。昨日、ビアンカと共に歩いた通りで、奥には大きな聖堂のような教会がある。大通りを抜けると城下町の雰囲気ががらりと変わり、静まった空間が広がる。正面には階段の上に教会があるが、サンチョは教会へ上る階段の手前で道を右に曲がった。リュカはサンチョが進路を変えるまで、横に道が続いているとは気づきもしなかった。
少し歩いた先に、控えめな扉があった。人一人がようやく通れるほどの小さな扉は、まるで隠された小部屋のようで、リュカは子供のように胸が高鳴るのを感じた。扉には簡単な鍵が取りつけられているが、今はかけられておらず、サンチョは扉を開けてくぐるように入口を入った。リュカも同じように身をかがめて扉を入る。
扉の先には上に上る階段が伸びており、階段の両脇には小さな明かりがいくつか灯っている。一体この城の中にはいくつの明かりが灯されているのだろうかと、リュカは階段の壁の明かりを目にしながらふと考えていた。
「おや、サンチョさんではありませんか」
「どうもどうも、突然ですみませんが失礼しますね」
サンチョには人の良い笑みや態度と共に、少々強引な部分もある。それらは上手く調和するため、相手に嫌な印象を与えないという彼特有の持ち味がある。サンチョは他愛もない会話をしながら、学者と思われる中年の男性と共に部屋の中へと入って行く。その後を、リュカは辺りを見回しながら足を踏み入れた。
部屋には学者の男が一人いるだけだったが、階段の下にあった小さな扉には感じられないほどの、大きな図書館のような広い部屋があった。ここにも無数の明かりが灯され、窓からの光も差し込み、本を読むには問題ない環境が整っている。そしてずらりと並ぶ本棚の数を見て、リュカは数か月前にテルパドールで学者の手伝いをしたことを思い出した。国が有する蔵書がすべてこの場所に収められているのだろう。そしてここへは自由に出入りができ、学者の男のほかにも数人の人がこの場所で本を読んでいたり調べ物をしていたりする。
「旅人さん、あなたもパパス王と同じように伝説の城を?」
広い城の図書室を口を開けながら見まわしていたリュカは、学者の男に突然そう尋ねられ、ぎこちなく「はい」とだけ答える。
「私は先代のパパス王に命じられ、かつて天空にあったと言われる伝説の城について研究しています。様々な記述こそ残っていますが、そのどれもが確証の得られないもので……研究はなかなか進みません」
「そうですか。でも僕は天空の城はあったって信じてます。だって……」
続けようとした言葉を、リュカは一度飲み込んだ。先ほど目にした天空人の女性や天空の剣と盾、それにテルパドールにある天空の兜と、リュカは天空に纏わる事実を人一倍目にしている。本に残された不確かな伝説や御伽噺よりも確実なものを、リュカは既に手に入れているのだ。しかもその中でも天空の剣はかつて父が発見し、それをリュカが後に見つけ、今はビアンカと共に使用している王室上階の部屋に置いてある。その存在を知る者はリュカにビアンカ、それと魔物の仲間たちだけである。サンチョにさえまだ天空の武器や防具が手元にあることを話していない。
「この城には天空人の女性がいるじゃないですか」
この学者が当然知っているであろうことを、リュカは一つだけ口にした。城の学者があの天空人の女性の存在を知らないわけがない。
「おお、あの女神を見たのですか!? なんとも神々しく美しく……この世のものとは思えない女性です。あの白い翼たるや、我ら人間から見れば神に等しい存在でしょう。そうです、私もあなたと同じように、天空の城があったということは確信しています。天空人がいるということは、天空人が住まう場所があったはずなのです。それに彼女自身からも天空城の話を聞きました。ですからこの研究には必ず答えが見つかるはずなのですが……ぐぬぬ……」
リュカには学者や研究者に対する耐性のようなものがある。ルラフェンのベネット爺にも、テルパドールの学者にも、共通する特性が見られた。彼らは偏に自身の研究にのめりこむために独自の世界に入り込む必要がある。そのため独り言のような会話をすることも当然のようにある。そして彼らに悪意はない。ただ純粋に自身の研究に向き合っているだけなのだ。
「しかしパパス王亡き今、この研究が一体何になるというのでしょうか!」
グランバニアの学者は当初、先代の王パパスに命じられて天空の城についての研究を始めた。そしてその内、研究にのめりこみ、自ら天空城や天空人についての謎を解き明かしたいという欲求に駆られ、ずっと研究を続けてきた。しかしやはり、彼の中ではパパス王の為の研究という思いがあるらしく、どこか虚しさを感じているのも事実のようだ。たとえ研究が実り、天空の城について解き明かすことが出来たとしても、その喜びを誰と分かち合えばよいのか、そのような不安が常にあるのかも知れない。
「僕が……僕が引き受けます」
「へっ?」
「僕も父……いや、パパス王と同じように天空の城について知りたくて、ずっと旅を続けてきました。でも、あなたと同じように詳しいことは何も分かっていません。だから僕のためにもその研究を続けてもらえませんか?」
実際にリュカが追い求めているのはまだ見つけていない天空の鎧と伝説の勇者だが、学者の話に合わせた事柄を話した。いずれにせよ、学者の追い求める天空の城と、リュカの追い求める天空の鎧や伝説の勇者は、必ずどこかで結び付いてくるはずなのだ。
「この青年は長い旅をしてきて、その中でパパス王のことを知り、王に憧れてこの国に。あなたの研究は決して無駄ではないのです。この青年が、世界が必要としていることなんですよ」
「そうか……そうですよね。パパス王が私に課した研究が無駄になるわけがありませんね。すみません、つい弱音を吐いてしまいました」
「弱音を吐くのは大事なことだと思います。誰だって嫌になる時はあります。あなたは天空の城の研究をもう何年もやっているんですよね。あなたがこうして研究を続けているだけで、パパス王はきっと喜んでいると思います」
リュカがすらすらと言う言葉を、学者の男は目を潤ませながら聞いていた。リュカの後ろの立つサンチョも口を固く閉じ、目を伏せながら静かにリュカの言葉に耳を傾けていた。
「僕も諦めません、絶対に。天空の城は絶対にあります。一緒に頑張りましょう」
リュカはその後も学者の男に、現在までに調べた天空の城について話を聞いた。かつてあった天に浮かぶ城は今は空にはなく、地に落とされたのではないかという説が有力だという一方で、空に浮かぶ城は雲と共に移動しており一か所には留まらないため、今も雲の上にあり人間の目には見えないだけだという説もあるという。地球上の気象状況を考えると、最も雲が発生しやすい地域に天空の城は存在していたのではないかという説を元に、その地域はこのグランバニアのある大陸や、またここから北に位置する大陸にその地域があるということまで学者は調べていた。
他にも様々な話を聞いたが、学者の言う通りどれもが確証が得られないもので、まだまだ途上なのだということが分かった。リュカは学者に礼と激励の言葉をかけ、サンチョと共に図書室を後にした。気づけば図書室には夕日が差し込み、いつの間にか昼食の時間を過ぎてしまったことにようやく気付いた。
「ついうっかり図書室で長居してしまいました。坊ちゃん、またお腹が空いていませんか?」
「うん……何だか、良く分からないや」
「お顔が疲れていらっしゃいますよ。まだ長旅の疲れもありますでしょう。今日の所はこの辺りでおしまいにしましょう。あまり坊ちゃんを長く連れ回すと、ビアンカちゃんに嫌われちゃいそうですし」
サンチョが少々おどけて言うのを見て、リュカはようやくふっと笑みを零した。リュカは自身でも気づかないほど深く考え込んでいたが、サンチョの優しい応対で優しい場所に戻ることが出来た。
「父さんはこの国の王様だったんだね」
「どうしたんです?」
「いや、本当に王様だったんだなって思ってさ」
パパスが亡くなってからもう十年ほどが経つ。しかしパパスがこの国に残していったものはあまりにも多い。天空人の女性、学者に命じた天空の城の研究、そして何よりも国民からの評判だ。サンチョと共に城下町を歩いていても、パパスを敬う人々の何と多い事か。サンチョと他愛もない話をする間にも、グランバニア国民はパパスの話題を持ち出す者が多く、その全てにパパス王への敬愛が窺えた。それはサンチョへの気遣いなどではなく、人々が心に思っていることをそのまま素直にサンチョに伝えているだけなのだ。その評判はどれもリュカの知らない父であり、またリュカの身近にいた父の姿でもあった。
「サンチョはどうしてこんなに国の人達と仲が良いのに、城に住んでいないの? 城の外のあの小さな家に一人で住んでいるんでしょ? 僕はあの家、好きだけどさ。何か変だなって思って」
城下町の大通りを二人で歩きながら、リュカは素朴な疑問をサンチョに投げかける。サンチョは答えに詰まりつつも、微笑を浮かべながらリュカに応じる。
「坊ちゃんの仰る通り、城に住んでいたこともありました。しかしいざあの小さな家に住んでみると、気に入ってしまいましてね」
「ねぇ、これから行ってもいいかな、サンチョの家」
「え? しかしそろそろオジロン王の所へ戻った方がよろしいかと……」
「少しくらいいいんじゃないかな。だってオジロン王ってそれほど厳しい人じゃないよね? 大丈夫だよ、怒られないって」
「怒ることはないでしょうが……まあ、少しだけなら。美味しいお茶をお入れしましょう」
「本当はサンチョのシチューが食べたいんだけどさ」
「それはちと無理ですな。また今度の機会に用意しましょう」
「うん、約束だよ」
「はい、分かりました」
サンチョと話をしていると、まるで子供の頃に戻れることがリュカには心地よかった。そしてサンチョも、かつての幼いリュカとのやり取りをそのまま楽しんでいるようで、パパスを失った罪から束の間解放された気持ちになっていた。リュカにとってサンチョは、サンチョにとってリュカは、互いにかけがえのない存在なのだ。
グランバニア城下町の大通りを抜け、門番である兵士に軽く挨拶をすると、サンチョとリュカは城の外へ出た。門を出る前にサンチョはやはり大金槌を手にして、いつでも魔物との戦闘に備えられるよう周囲の気配に留意しながらリュカと共に自宅へと歩いていく。リュカも常に腰に帯びている父の剣の鞘を左手で支えながら隣を歩いていく。
「狭苦しい所ですが、どうぞ」
リュカがサンチョの家に入るのはこれで二度目だ。一度目はここでサンチョと約十年ぶりの再会を果たした時だった。その時にも思ったが、サンチョの家はあのサンタローズの村に住んでいたころの家に非常に良く似ている。恐らくサンチョ自身もサンタローズの村の家を思い出しながら、このグランバニアの家の調度品などを揃えたのだろう。グランバニア城のはずれにあるこの家にいると、リュカはサンタローズで父とサンチョと暮らしたあの幸せな日々を思い出すことが出来る。席に着き、サンチョが台所で茶の支度をしていると、少しすれば父が姿を現してリュカの目の前の席に着くのではないかと思えるほど、リュカはこの家に思い出を感じる。
サンチョは手慣れた様子ですぐに茶の支度を済ませると、湯気の立つポットと常備してある茶菓子を皿に並べて運んできた。腹を空かしていたリュカはすぐに茶菓子に手を伸ばしたが、サンチョにまず手を洗ってきてくださいねと言われ、少し恥ずかしい思いを抱きながら台所に向かった。小さくなったリュカの背中を見て、サンチョは小さく声を立てて笑っていた。
手を洗って席に戻り、湯気の立つ茶をすすると、リュカはその香りに無意識にほっと息をついた。とても心の安らぐ香りで、そして茶の香りに覚えがあるような気がした。
「サンタローズの家にも置いてあったお茶なんです」
サンチョがそう言うと、リュカは思わずあっと声を上げた。サンタローズでの暮らしがありありと蘇るような香りだった。リュカの人生はほとんどが父とサンチョとの旅だった。しかしその中でも父が唯一家を構え、落ち着いた生活をしていたのがサンタローズの村だった。父は村での生活の中でも日々仕事をしており、あまりリュカと遊ぶことはなかったが、父とゆっくり食事をし、ゆっくりとした生活を送れたのはサンタローズの家だけだった。リュカにとって、恐らく父にとってもあの村に構えた家には特別な思いがある。
「大丈夫ですか、坊ちゃん」
リュカが茶菓子にも手を出さずにぼんやりとしているのを見て、サンチョが声をかけてきた。その表情は心配そうで、サンタローズの思い出の詰まる茶を用意したことでリュカを悲しませてしまったのかも知れないという不安が現れていた。
「大丈夫だよ。このお茶、美味しいね」
そう言ってもう一口茶をすすると、リュカは忘れていた空腹を思い出したように茶菓子に手を伸ばした。サンチョも左隣の席に着き、同じように茶をすすり菓子をつまみ始める。
サンチョの家はグランバニア城下町とは違い、外の日の光を浴び、森のざわめきが聞こえ、鳥たちの鳴き声もすぐそこに聞こえる。窓から入る緑の風は心地よく、木や葉の瑞々しい香りが入り込んでくる。リュカはグランバニアで最も住みやすいのは安全に固められた城下町でもなく、高い位置から森を見下ろすことの出来る国王私室でもなく、このサンチョの家に違いないとそう思っていた。常に地を歩いて旅をしてきたリュカにとっては、地に着いた家こそが最も居心地の良い場所だった。
サンチョが静かに茶をすする音が聞こえる。リュカの顔を見てはにこりと笑いかける。リュカが窓から入り込む風に少し身を震わせれば、すぐに窓をそっと閉める。そして小さな毛布をリュカの膝にかけ、風邪を引かせないようにと温かい茶を入れ直す。リュカが成長し、大人になったとは言え、サンチョにとってのリュカは永遠に子供のままだった。
「父王が旅に出る時、本当は坊ちゃんを置いて行こうとしたんですよ」
サンチョが窓の外を見ながら、静かに話し始めた。窓の外には既に夕焼けが広がり、グランバニアの森はオレンジ色に染まっている。日が沈み始めれば夜が訪れるのは早く、既に東の空には一番星が輝いている。
「しかし坊ちゃんは火がついたように泣き出して……。結局、連れて行くことにしたんです」
「それは父さんがそうやって決めたことなの?」
「ええ、そうです。苦渋の決断でした。旅に出る直前まで、父王は悩んでおられました。旅に出れば当然、危険に身を晒すことになる。まだ赤子だった坊ちゃんを危険な目に遭わせるわけには行かないと、お父上は身を削る思いで悩んでおられましたよ」
「でも、どうしてそれでも僕を連れて行ったんだろう……」
幼い赤子だったリュカをグランバニアの城に置いておくという選択は、本来であれば覆されるはずのない選択だったはずだ。第一、国王であるパパスが旅に出ること自体、このグランバニア王国としては非常に大ごとだっただろう。魔物に攫われた王妃マーサを救出するには、国の兵士たちが動くのが当然だ。それを国を治める国王自ら、しかも一人息子である王子を伴って危険な旅に出るのはあまりにも度が過ぎた行動だ。
「それは……どうしても手放したくなかったのだろうと思います」
「え……」
「お父上はこのグランバニアに坊ちゃんを置いていくことを、最も安全なことだとは思っていなかったのでしょう。ご自身が城を不在の間に何かがあったらと考えると、坊ちゃんを城に置いていくことはできなかった。私はそう思っています」
サンチョの言葉に、リュカは自身の考える父とはまるで印象の違う父の様子に戸惑った。いつでも温かく優しく、そして冷静だった父の印象がリュカには強く残っている。それをただ手放したくないからと危険な旅に連れて出てしまうのは、父の印象とはかけ離れていた。父に愛情を注がれていたという意識はあるが、あまり表立って可愛がられたという印象はない。
グランバニアは魔物の来襲を受け、王妃マーサが連れ去られた。そのような危険が二度と来ないとも限らないと、パパスはリュカを手放さないよう手元に置いておくことにしたのだろう。どちらが安全とは言えないが、妻を連れ去られた父は、泣き叫ぶ息子の姿を見て、離れられる心境にはならなかった。この子だけは自分の手で守らねばならないと、パパスはその時胸に誓ったのだ。
「けれど連れて行く限りはこの先何があるかも知れぬ。無事に城に戻るまでは王子であることを明かすなって、そう仰られて……」
リュカに話しながら、サンチョは次第に言葉を詰まらせていく。当時のことをありありと思い出すサンチョにとって、パパスの言葉をそのままに思い出せることに自然と涙が出てきてしまうようだった。サンチョの目には生前のパパスの姿が映っているのだろう。
「坊ちゃん! 今まで隠していてすみませんでした! このサンチョを許してください!」
突然、サンチョがテーブルに両手をついて、頭を下げてリュカに謝りの言葉を述べる。サンチョの髪に白いものが混じっていることにリュカは気づいた。パパスが亡くなり、リュカがこの国に戻るまで十年ほどの月日が経った。その間サンチョは一人、毎日のように頭を下げ続けていた。パパスが死んだと知った時から、サンチョの懺悔の日々は始まった。
パパスが城を出てマーサを捜しに行くと言った時に、是が非でもパパスを止めればこのようなことにはならなかったのかも知れない。パパスもリュカも身分を隠して過酷な旅に出ることもなかった。まだ赤子のようなリュカに王子らしい生活をさせてあげられたかも知れない。戻れない過去を悔やんでもどうにもならないのは分かっているが、そのような理解だけで彼の感情が静まることはないのだ。
「お父上を亡くされてから、どれほど辛い思いをしたのでしょう。このサンチョ、代われるものなら代わって差し上げたかった……。坊ちゃんを救い出せずに、本当に、本当に申し訳ございません」
「サンチョ、顔を上げて。僕はこうして生きてるよ。それにビアンカとも結婚して、もうすぐ赤ちゃんが生まれるんだよ。サンチョが苦しむ顔は見たくないよ。僕は今、幸せなんだから、一緒に笑ってよ、ね」
それはリュカの本心だった。過去を振り返れば、それこそ死にそうになるほど酷い経験をしたこともある。しかし今は、他の誰よりも幸せなのだと実感している。無事グランバニアに到着し、ビアンカのお腹には赤ん坊がいる。魔物の仲間たちもグランバニア国で共に暮らすことが出来る。今の自分を超える幸せ者もいないのではないかと思うほど、リュカはこのグランバニアで幸せに包まれているのだ。
「しかしお父上は……」
「父さんは死んだけど、でもサンチョは生きてる。サンチョが生きててくれて本当に良かった。ありがとう、サンチョ」
リュカの涙声の礼の言葉を耳にすると、サンチョは目を見開いてリュカを見つめる。まるで目の前にパパスがいて、主君から礼を言われたのかと思うほど、今のリュカの表情はパパスに似ていた。
「やはりお父上の後を継げるのは坊ちゃんだけです……」
「……そうかも知れないね」
まだグランバニア国全体を把握したわけではないが、それでもリュカの心の中では覚悟が決まっていた。この国で過ごすということは、もはやこの国から逃れられないということだ。それは自分の使命を受け入れる必要があるということだった。
リュカはパパスの息子で、パパスはかつて国民からの尊敬を集めていたグランバニア国王だった。既に国王私室を使用するという特別待遇を受け、ビアンカと共に城の最も高く安全な場所で休ませてもらっている。そのような待遇に引け目を感じる気持ちもあるが、それ以上に敬愛している父の背中を追い続けるリュカにとっては、父が治めていたこの国に対する責任があるように感じるのだ。
「オジロン王の申し出を受けて、この国の王になってください! でないと、このサンチョ、天国にいるお父上に合わせる顔がありません! うっうっ……」
「サンチョ、泣かないで。僕、明日オジロン王に話してみるよ。王家の証を取りに行くって」
「えっ?」
「サンチョの言う通りだよ。僕がこのまま王になることから逃げていたら、父さんが悲しむよね。僕は、僕のやらなきゃいけないことをやるよ」
「ほ、本当ですか、坊ちゃん!?」
「うん。でも試練の洞窟だっけ? 場所も何も良く分からないから、教えてね」
「それはもちろんお教えいたします。そしてこのサンチョも及ばずながらお供いたします」
「久しぶりにサンチョと旅ができるね」
「そうですなぁ。何だか……わくわくしますなぁ」
「あはは、サンチョ、子供みたいだね」
「なんと、私を子供呼ばわりですか? 坊ちゃんも言うようになりましたね」
サンチョと会話をしていると、全てを委ねることが出来る心地よさに、リュカはすっかり心が寛いでいた。そしてサンチョを悲しませたくないという思いから、王家の証を取りに行くことにも躊躇はなくなった。誰にも悲しい表情をさせたくない。みんなに笑って欲しいと、リュカは自分の周りにいる人々や魔物たちのために、グランバニア国王になるのが最も良い選択肢なのだとそう思った。
目元を拭うサンチョを見ながら、リュカも自分の目元を拭う。悲しみで泣いていたのでは亡き父も悲しんでしまう。リュカは王家の証を取りに行くため試練の洞窟に行くことを決意し、前向きで明るい気持ちで目に浮かぶ涙を手の甲で荒く拭い去った。

Comment

  1. ゆうぼん より:

    ビビ様
    本日も更新お疲れ様です。
    今回ついにリュカの仲間モンスター達が城に入る事が出来ましたね。
    ドリスは、城の魔物達の間ではアイドル的存在なんですかね?
    そして、ついに次回は試練の洞窟に向かいますか?
    いずれにせよ、楽しみです。
    今後も無理をなさらずに頑張ってください。

    • bibi より:

      ゆうぼん 様

      早速のコメントをどうもありがとうございます。
      魔物の入城が少々強引ですが、それはオジロン王の手腕によるものです(笑) ドリスは純粋故に魔物たちと仲良くやってくれそうです。仲間みたいなものかなぁ。
      次回はどうにか試練の洞窟に向かいたいと思います。大臣も、リュカが試練の洞窟に行くとなれば、魔物が入城したことも大目に見てくれるでしょう。何せ彼は……これから先、気が重いです……。でも一番書きたいところでもあるので頑張ります。
      次回はまた遅くなりそうですが、気長にお待ちくださいませm(_ _)m

  2. ピピン より:

    ビビさん

    ゲームでも唐突なグランバニア国王即位のイベントですが、パパスの足跡に触れたリュカに決心させた事で上手く補いましたね。
    本来なら旅の目的から逸れる事になりますが、ビアンカが身籠る事で滞在させる目的を作ったり、堀井さんも良く考えてるなと改めて思います( ̄▽ ̄)

    • bibi より:

      ピピン 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      ゲームでは本当に唐突に主人公の国王即位が決まりますもんね。ゲームではあれで良いですが、話にするとちょっとなぁと思っていたので、私なりにちょっと補足しました。
      DQ5に限らずですが、こういう話を一から全部考えるって、一体どんな頭をしてるんでしょうね(汗) それにしても、堀井さんと言う方がこの世にいて本当に良かったと思います。おかげで私個人の人生が潤っています。子供のころから今にかけて、そしてこれからもずっと潤い続けるんだと思います。ありがとう、堀井さん。

  3. ケアル より:

    ビビ様、コメントが遅くなりまして…。

    マーリンはサーラのことを信用していないのでしょうか…。
    マーリンの引っかかりが何かのフラグにならなければ良いのですが…。

    ゲーム本編でグランバニアに天空人がいたのを忘れていました…。
    こんな会話だったでしょうかね。
    「あの人はもしかして…」
    「今は話す時ではありませんね」
    リュカとサンチョの会話…気になります。

    今回は父パパスの思い出が多久さんある話になりましたね。
    サンチョの言う、リュカを旅に出す出さない話は、ゲーム本編でも語られる事実。
    リュカにとって、どちらが良かったのか…。

    次回は、いよいよ試練の洞窟ですね。
    まさか、ここでサンチョがパーティーに加わるなんて思わなかったです。
    仲間モンスターを誰を連れて行くのか…注目であります!
    次回も楽しみにしておりますビビ先生!

    • bibi より:

      ケアル 様

      いつもコメントをどうもありがとうございます。
      サーラさんはただでさえ凶悪な顔つきをしているので、そこにマーリンが引っ掛かったとか…?
      そうなんです、グランバニアには天空人がいるんです。私も改めてゲームするまで忘れていました(汗)
      ちなみにこの「あの人はもしかして…」のセリフは、天空人の女性のセリフです。分かりにくくてすみません><
      もしリュカがパパスと旅に出ていなかったら、どうなっていたのか。ちゃんと王子として育てられていたのかな。どちらが良かったのかは、もう分からないですね。
      次回はようやく外に出られそうです。ビアンカの代わりにサンチョに入ってもらい、大いに会話を楽しんでもらおうかと。
      仲間モンスターは現在、選抜中です(笑)

  4. ケアル より:

    ビビ様

    あれまっ…天空人とサンチョの会話でしたか…ごめんなさい勘違いしちゃいました。
    宿屋のピピン君とは会わなかったですね。
    まあ、大人になってからでも、支障ないですね。

    仲間モンスター…自分的には…

    プックル、サーラ、ピエール、ゴレムス、スラぼう、マーリンの6名
    リュカとサンチョを合わせて8名。
    しかし、欲張るなら…

    メッキーとミニモンの10名。

    言葉を話せる仲間モンスターの方が楽しめそう(楽)
    プックルはスタメンに、ぜったいに入れた方がいいなぁ!
    なんせ、、リュカと戦友ですからね

    • bibi より:

      ケアル 様

      会話、分かりにくくてすみませんm(_ _)m
      ピピン君とも会話させたかったんですが、話に収まりきらず>< 実は城下町を歩いている時にサンチョと話していた、と言う感じで。
      仲間モンスター、プックルは確実にメンバー入りです。それは私も譲れないし、プックルも譲らないでしょう(笑)
      厳密な審査の上、決めて行きたいと思います^^

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