海の洞窟

 

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陸地を常に右手に見ながら、船は海の上を順調に進んでいく。エルヘブン周辺の探索から既に二十日ほどの時が過ぎ、船に積む食料が乏しくなってきたため、メッキーを筆頭にリュカたちは魚釣りに勤しんでいた。上空から獲物の姿を確認すると、メッキーはまるで弾丸のように滑空し、海の中の魚を勢いよく捕らえた。しかしそうやって捕らえられるのも一割が良いところで、魚を取る経験などほとんどないメッキーにとっては非常に疲労が伴う仕事だった。リュカやティミーも船に備え付けられていた釣竿を使い、魚釣りを試みていたが、あまり結果は芳しくないものだった。時折、キラーシェルが釣り糸にかかったりして、突然船上で戦闘が始まる場面もあった。
「さっき釣り上げた魚をみんなで食べようか。何匹取れたんだっけ?」
「大きいのが一匹と、小さいのが五匹かな。今日はこれで十分……じゃないか」
ティミーはそう言いながら後ろで大きな影を作るゴレムスを見上げた。ゴレムスは魚そのものに興味津々の様子でティミーの後ろから釣れた魚を覗き込んでいる。ティミーが最も大きな魚を両手で持ち上げ、ゴレムスを窺うと、ゴレムスはしばらく止まった後で静かに首を横に振り、桶の海水の中ですいすい泳いでいる小さな魚を指差した。
「ゴレムスってそんなに身体が大きいのに、あんまり食べないよね。お腹減らないの?」
「僕たちとは根本的に違うんだろうね。スラりんも水だけで平気みたいだし、ピエールもあまり食べないよね」
「私も水や草があればおおよそ平気です。魔物はそういう点、人間よりも便利なのかも知れませんね」
ピエールがそう話す隣で、既にプックルは最も大きな魚にかぶりついていた。旅の間は空腹を感じながらもなるべく耐える日々が続いているため、目の前に生きの良い大きな魚が跳ねているのを見たら、たまらず大口を開けて一足早く食べ始めてしまったようだ。
「魔物でも色々いるよね。プックルは普段、よく我慢してくれてると思うよ。本当は肉をたくさん食べたいだろうに、普段は草や木の実なんかを食べてるんだもんね」
「がうっ」
「ああ、それはそれで美味しいんだ。そっか、それなら良かった」
「……お父さんって本当にプックルと普通にお話できるのよね……いいなぁ」
「リュカ王、王子と王女には焼いた魚をお出しした方が良いでしょう。船の厨房で焼いて来ましょう」
桶の中で泳いでいる魚を二匹両手に掴むと、サーラは思わず喉をごくりと鳴らして魚を見つめた。その様子に気づいたリュカは思わず小さな声で笑い、厨房に歩いて行こうとするサーラの背中に呼びかける。
「もしかしてサーラさんが一番我慢してるんじゃない?」
「え? いえ、そのようなことは決して……」
「無理しないで。大丈夫、みんなの分はあるから、サーラさんも一匹食べてね」
「そ、そうですか。ではお言葉に甘えて……」
そう言うなりサーラは大口を開けて手にしていた一匹の魚をそのまま丸呑みしてしまった。皆が唖然としている中、サーラは再び桶の中から一匹の魚を手にして、どこか軽い足取りで船室の中へと姿を消していった。リュカはそんなサーラの後姿を見ながら、釣竿を再び手にして更に多くの魚を釣り上げようと心に決めた。
陽は西に傾きかけていた。海の上を吹く風はひんやりとしており、船上でじっとしていると身震いするほどだった。リュカはマントを身体に巻きつけながら、雲に隠れがちな頼りない日差しを浴び、釣竿の先を静かに見つめる。少し離れたところで宙を舞うメッキーが一匹の魚を捕らえ、サーラのようにそのまま丸呑みしたのをリュカは目にした。もしかしたらメッキーは自分で魚を捕まえられるのを良いことに、既に数匹の魚を腹に収めているのかも知れなかった。
魚というごちそうをいくらか食べていたらしいメッキーは英気を養えたように元気に船の周りを飛び回り、引き続き前方の見張りにつく。リュカはその姿を見ながら、今更ながらに彼女の存在の大きさを感じていた。
八年前の旅では、食事に関して取り仕切っていたのがビアンカだった。彼女自身、船での調理などそれまで経験したことがなかったが、器用な彼女は船中の環境に慣れるのも早かった。船に積んである食材を常に管理し、頃合いを見計らって船内の調理場に立ち簡単な料理を作り、リュカのみならず魔物の仲間にまで振るまっていた。当然、豪華な食事を作れるような環境でもなく、調理にそれほど時間を割くこともできなかったが、それでも彼女は船旅を楽しめるようにしていたのだと今になってリュカは彼女の努力を知った。
ビアンカのいない今は、サーラやピエールが時折船内の調理場を使うことがあるが、料理を作るというのではなく、ただ魚を焼いたり湯を沸かしたりと、単純な使い方をしているだけだ。リュカも調理場に立つことがあるが、ティミーとポピーに温かいココアを飲ませるくらいのもので、料理という料理は一度もしたことがない。ほとんど使用していないに等しい状況の調理場だというのに、ビアンカがいた時よりも汚れていることが多く、その状態を見るたびにポピーが掃除をしていたりする。かつてビアンカ一人で切り盛りしていたところで、今は船内にいる数人がそれぞれに使用していても元の通りの調理場には戻らないのだ。
リュカは釣竿の先をぼんやりと見つめたまま、自分もサーラの後を追って船内の調理場に向かおうかと考えたが、その時ちょうど船の前方からメッキーの大きな声が聞こえた。リュカはその呼び声に、釣竿を一度上げてから船の甲板の上を走って行った。
「お父さん、見えたよ!」
ティミーがはしゃいだ声を出して前方を指差している。ティミーの隣ではポピーが言葉もなく前方の景色を見つめている。二人の後ろではゴレムスが、やはり静かに前方に見える海の洞窟の入口を見つめていた。
「ゴレムス、間違いないかな?」
リュカが手を差し出しながらゴレムスに問いかけると、ゴレムスは応えるようにリュカの手に自分の大きな手を乗せた。目を閉じてゴレムスの心に意識を寄せると、瞼の裏に景色は映らず、ただゴレムスの大きな手に本来あるはずのない温かみを感じるだけだった。しかしそれだけでリュカには十分伝わった。
まだ遠くに見える景色ははっきりとしないが、大きく切り立った岩山が行く手に見え、その中ほどにまるで悪魔が大口を開けて待ち構えているかのような黒い洞窟が見える。リュカたちの使う大型の船でも問題なく入れそうな洞窟の入口に、リュカはエルヘブンへの期待と見知らぬ地への不安を抱きつつ、徐々に近づく黒い洞窟の入口を皆と一緒に静かに見つめた。



「広いなぁ……。船がまるごと入ってもへっちゃらだよ」
「ざーん、ざーんって波の音聞こえるね。すごく響いてる……」
巨大な海の洞窟はリュカたちの船を丸ごと飲み込むように受け入れた。洞窟は自然にできたようにあちこちがでこぼこと隆起し、海からの風を受けて時と共に風化しているようだった。洞窟に入って少し進むと、船が押し戻されるような水の力を感じた。洞窟の奥深くから波が起きているのか、リュカは進みの悪くなった船に力を加えるため、操舵室に行き動力となる魔力を追加するように注ぎ込んだ。更なる力を得た船は押し戻す波をかき分けるように速度を上げて進み始めた。
「誰かが作ったの? それとも自然にできたの? すごいね……お父さん、すごいね」
ティミーの独り言のような感想に、リュカも隣で頷いた。人の手が加わっていることは間違いないが、自然の風化の度合いも非常に大きいようだ。この巨大な海の洞窟が自然の力だけでできていたらまだ素直に頷けるが、明らかに洞窟のあちこちに人の手が加わっていることにリュカは驚いていた。果たして自然にできた洞窟に人の手が加わったのか、それとも人の手で作られた洞窟に自然の力が加わったのか、今となっては分からない。しかしもしこの海の洞窟がエルヘブンと外界を隔てているとしたら、外界の人間がこの洞窟を探り当てエルヘブンに入ることはほぼ不可能だろう。一体父パパスはどのようにして母と出会ったのかと、リュカは過去の父と母の出会いに一人首を傾げていた。
「真っ暗なのに、ほら、波がキラキラしてるの……。きれい……」
ポピーが見る先をリュカも見つめる。洞窟内には一つも明かりがないというのに、船が進む波は青白い光を受けてきらきらと輝いている。神秘的なその景色にリュカもつい見とれていたが、操舵室の目の前をメッキーが鋭く飛びぬけたのを見て、目が覚める思いがした。
「違う! 魔物だ! ティミーとポピーは船室に……」
「ホントだ! なんだ、あの魔物? 初めて見た!」
リュカの言葉は遮られ、ティミーは生き生きとした様子で操舵室を飛び出していった。背中に身に着けている天空の剣と盾が、青白い光とは関係なく一瞬きらりと輝いた気がした。リュカはティミーの小さな背中を慌てて追いかける。
「もう! お兄ちゃん! 先に行かないでよー!」
「ポピーは船室に戻っていなさい!」
「初めて出会う魔物なら私も一緒に戦います! そうじゃないと良い経験になりません!」
一見真っ当な意見を言うポピーにリュカは言葉に詰まったが、リュカにとって今は正論が正しいという状況ではなかった。とにかく子供たちを危険に晒したくないという親心だけだった。
八歳の双子の子供たちはリュカが思っているよりも身のこなしが軽く、操舵室からの下り階段もひょいひょいと飛ぶように降りていく。まるで小さい頃のプックルのようだと、リュカは二人を無理にでも止めることを半ば諦めていた。
暗い洞窟の水面にきらきらと反射していた青白い光は、洞窟の天井近くを飛ぶ魔物が発している青い光だった。リュカはその姿に既視感があった。しかし見たことのある魔物はその色がまるで違った。サラボナで炎のリングを見つける旅に出ていた時、全身を炎に包む魔物と対峙したことがあった。今、宙に浮いている魔物は姿かたちこそは炎の戦士と同じように見えるが、身にまとう炎の色が青白く、いかにも寒々しい。ブリザードマンと呼ばれる冷気を身にまとう魔物は、目だけはメラメラと炎のように燃え上がっており、それが尚更魔物としての狂気を表していた。
「飛べる魔物だとこっちの攻撃が届かないんだよな~。それにしてもあの青い魔物、何人いるんだろう?」
ティミーが呑気な声を出している中、リュカは広い洞窟内の上部を見上げて敵の姿を確認する。青白い神秘的な光を放っているように見えたブリザードマンは全部で五体。既に戦闘態勢に入っており、作り出した大きな氷の刃を船に向かって容赦なく投げつけてきた。ゴレムスが仲間たちと船への被害を出さないために、自ら盾となって氷の刃を受ける。鋭い氷の刃にたまらずゴレムスの腕が壊れ、取れそうになる。ゴレムス自身は痛みを感じないために平然と立っているが、恐らく完全に壊れた時、ゴレムスの命は突然尽きる。リュカは急いでゴレムスに回復呪文を施した。
ピエールがイオラの呪文を唱え、洞窟中に激しい爆発音が鳴り響く。戦闘中、リュカたちには耳慣れた音だ。ブリザードマンは冷気をまとう全身の青い炎を散らし、イオラの爆風で何体かが洞窟の天井に叩きつけられた。しかしそれだけで倒れるほど脆くもなく、燃えるような目に怒りを滲ませながら、今度は口から強烈な吹雪を吹き出してきた。
リュカはマントで身体を覆い、吹雪に耐える。プックルはひたすら身を縮ませている。ピエールの緑スライムが半分凍る。ゴレムスは何事もないように立っているが、吹雪が体の継ぎ目に入り込み動きが鈍くなる。ティミーはポピーと共に天空の盾の加護を受けて吹雪をしのぐ。
吹雪の攻撃をかわしたメッキーが宙からブリザードマンに襲いかかる。まるで体当たりのように滑空して一体のブリザードマンに鋭い嘴で飛びかかると、横から攻撃を受けたブリザードマンはたまらずそのまま下に落ち、激しい水しぶきを上げて海の中へ落ちた。海の表面が一瞬凍ったかと思うと、すぐに水面は元の通り波打つ状態に戻った。
戦闘中、船の舵を握っていたサーラが戦況を冷静に見つめ、ふと目が合った一体のブリザードマンに向かって呪文を唱える。操舵室に禍々しい空気が宿り、サーラの赤い指先に集まった死の塊に、ブリザードマンは思わずその場から逃げ出そうとする。しかしサーラは敵を逃がすことなくザキの呪文を発動し、容赦なく一体のブリザードマンを倒した。そして再び、落ち着いた様子で船の舵を握る。
ブリザードマンが吹きかける凍える吹雪を、リュカがバギマを唱えて吹雪を散らす。まだ緑スライムの半分が凍ったままで、ピエールが再びイオラの呪文を唱える。残っていた三体のブリザードマンが爆風に飛ばされ、一体が海の中に落ちた。残る二体がよろよろと宙を飛びながらも、倒れた仲間のことなど目もくれずに凍える吹雪を力の限り吐いてくる。徐々に死に追いやられるような冷気にプックルが船の甲板に伏せて動かなくなり、ゴレムスも冷気の力で立ったまま動けなくなってしまった。ティミーとポピーはひたすら天空の盾の陰に隠れるようにして身を守るばかりで動けない。
隙をついて、再びメッキーが宙から攻撃をしかける。しかしブリザードマンに攻撃を避けられ、その場で反撃を食らった。予想していなかった直接攻撃を食らい、メッキーは思ってもみなかった打撃にたまらず海の中に落ちてしまった。大きな水しぶきに、リュカたちは一斉に振り返る。
「メッキー!」
「行くな、ティミー!」
「お父さん、でも……!」
「大丈夫だ。メッキーはすぐに戻ってくるよ」
リュカとティミーがそれだけの会話を交わす間にも、ブリザードマンは絶えず吹雪を吐き続ける。ピエールは手にした盾で吹雪を避けつつも、緑スライムはほぼ凍りついてしまい、動けない状態だ。リュカも凍りついたマントを盾のようにして身を守りながら、今ビアンカやマーリンがいればこの状況を打開できるのにと思った。強い炎の力で全ての氷を溶かしてしまいたかった。
水面が跳ね上がり、まるで巨大なトビウオのようにメッキーが飛び出してきた。水中から狙いを定めていたかのように、一直線にブリザードマンに向かって飛びかかり、不意打ちを食らったブリザードマンはメッキーの鋭い嘴に体を砕かれ、悲鳴を上げながら海に落ちて行った。メッキーはそれを確認する間もなく、羽ばたく翼から回復呪文を振りまいた。凍える吹雪の力に徐々に体力を奪われていたリュカたちは、メッキーの唱えるベホマラーの呪文で身体の中に温もりを取り戻す。ティミーとポピーがほっと一息つく間、リュカとピエールは同時に呪文を繰り出し、残る一体のブリザードマンを倒した。水面が大きく跳ね上がり、倒れたブリザードマンが海の中に消えるのを、ティミーとポピーは甲板の縁に駆け寄って確認した。
「本当に空中を飛べる魔物は戦いづらいね。向こうから近づいてこないと呪文でしか対抗できない」
「今の仲間の中では攻撃呪文に長けている者があまりいませんからね。今の状況では空中戦はメッキーやサーラ殿に頼るしかありません」
「でも、まあどうにかなるさ。さて、先に進もう」
リュカとピエールが言葉を交わしながら凍りついたマントの氷を剥がしたり、まるで氷に包まれたような緑スライムをピエール自ら剣で叩き割ったりする中、ティミーとポピーがリュカたちの所に走って戻ってきた。
「お父さん、ボク……もっと呪文を覚えるよ!」
「私ももっと色んな呪文を勉強するわ!」
「えっ、どうしたの、二人とも」
「だって……ボクたち、何にもできなかったから……」
「こんなにみんなの役に立てないなんて、悔しいもの……」
ティミーとポピーが同じ顔をして落ち込んでいるのを見て、リュカは思わず場違いにも吹き出しそうになってしまった。そして子供たちの向こう側で、プックルがじっと静かに甲板の上に伏せたままでいるのを見て、更に笑いそうになってしまった。
「プックル、大丈夫か?」
「がうがうがうがう……」
「そんな、文句を言われたってなぁ。仕方ないだろ、飛べる敵だったんだから。おまけにずっと冷たい吹雪を吹いてきたしさ。どうしようもなかったってお前も分かってるだろ」
「がうっ」
「じゃあ船室で火に当たっておいで。またお前の力が必要になったら呼ぶから」
リュカにそう言われると、プックルは不機嫌なままのっしのっしと甲板の上を歩いて船室へと向かった。ティミーとポピーは今の戦いの中のプックルを思い出す。プックルも直接攻撃を得意としているため、ブリザードマンとの戦いにはほとんど参加できていなかったのだ。尚且つ、身も凍るような吹雪に耐え続けなければならなかった状況に、元来戦うことが好きなプックルは鬱屈する思いを抱えていたようだ。
「それぞれ得意なものと不得意なものがあるからね。あんまり気にしないでいいよ」
「でも、お母さんは攻撃呪文が得意なんだって、みんなが教えてくれたよ!」
「お父さんもお母さんもたくさん呪文が使えるんだもの、私たちだって頑張れば使えるようになれるはずよね?」
魔物の仲間たちやグランバニアの人々が子供たちにビアンカのことをどう話しているのか、リュカはほとんど知らない。彼らに聞けば話してくれる内容だろうが、リュカは無意識にもビアンカの話をするのを避けていた。時折彼女の話をすることもあるが、自身の心を落ち着けてからでないと咄嗟には彼女の話ができる自信はなかった。
「……そうだね、そうなれるといいね」
「お二人が覚えたい呪文は何でしょうか? 呪文書を見ながら覚えられそうな呪文を検討してみましょうか」
「ピエールが使うあの爆発の呪文っていいよね~。あれ、かっこいい」
「私も氷系じゃない呪文を使いたいな。どうしてお母さんは炎系を使えるのに、私はダメなんだろう……」
「では船室で呪文書を広げてみてみましょう。ここでは暗くて文字が読めませんからね」
そう言いながらピエールが子供たちを船室に誘導していくのを、リュカは有難い気持ちで見送った。船室に姿を消した三人を見て、リュカは一人心に小さな穴が開いたような気持ちになる。
「リュカ王、そろそろ操舵を交代していただけますか?」
操舵室から飛んできて、リュカの隣に降り立ったサーラが静かにそう告げた。リュカは少し上の空のような返事をして、ふらふらと操舵室へ向かい始める。
「ゴレムスの氷もようやく溶けてきたようですね。少しずつ身体を動かし始めました」
そう言われて初めてリュカは甲板の上に静かに立ち続けていたゴレムスに目をやった。痛みを感じないゴレムスはいくら吹雪を受けても暴れることも声を上げることもないため、どれだけの損傷を受けているのか分からなかった。メッキーのベホマラーで回復したとは言え、ゴレムスは暫く動けないほどの損傷を被っていたのだと今になって初めて気が付いた。
「じきに元通り動けるようになるでしょう。早いところ、エルヘブンに着きたいものですね」
「そうだね、サーラさんもゴレムスも、楽しみにしてるもんね」
「マーサ様のいらした場所ですから。リュカ王も今はお母上の故郷に行けることを楽しみに、船を進めてくださいね」
サーラの言葉が『色々と気に病まず、子供たちと共に今を楽しめ』と言っているように聞こえ、リュカはその優しさに少し微笑んだ。子供たちが新しい呪文を覚えて力をつけることは頼もしいことだと思う反面、力をつければみるみる自信も沸いてきて、どんどん危険な旅にも共について行くと言って聞かなくなるだろう。ましてやティミーは勇者として生を受けた者だ。初めはエルヘブンへの旅だけに連れて行くと言い、その後にテルパドールとラインハットにも一緒に行こうと約束し、恐らくそれだけでは済まない。この先何があるかなど、リュカにも分からない。
だからこそ、サーラは今を楽しむようにとリュカに伝えたかったのだろう。先を考えても、分からないものは分からない。決まっている目的は、ビアンカを救い出し、母マーサを救うことだけだ。そのために何が起こるか分からないが、それはその時に真剣に考えればいいのだと、リュカはとにかく今は操舵に集中しようと、操舵室への階段を上って行った。



「ポピー、どうかしたの?」
海の洞窟内を船は順調に進んでいた。魔物との遭遇も氷の魔物との対峙の後、三度あったが、切り抜けることができた。洞窟内に潜む魔物はブリザードマンが多く、他にはゾンビと化した騎士や、過去にも対峙したことのあるベホマスライムという顔を真っ赤に染めたスライム族の仲間が出現した。リュカたちの戦いぶりをぼんやり見ていたベホマスライムは、仲間のゾンビナイトが倒れかけたところで慌てて回復呪文をかけようとしたが、その時にプックルの強烈な雄たけびに身を縮こまらせ、驚きの余りそのまま洞窟の闇の彼方へ逃げて行ってしまった。もしかしたらあのベホマスライムは話をしたかったのかも知れないと、リュカは後になって逃げてしまったベホマスライムのことを考えていたりした。
「……誰か呼んでる」
海の洞窟には涼やかな風が流れている。船の前方から吹く風は心地よく、潮風とは違い湿気を含んでいない。さらりとした風を浴びながら、ポピーはただ目を瞑って耳を澄ませていた。
「何か聞こえるのかい?」
「……よく分からないけど、誰かに呼ばれてる気がするの。なんだろう、怖いような優しいような、近いような遠いような……そんな感じ」
ポピーの説明を聞いても、リュカは曖昧にしか返事ができなかった。彼女自身、よく分かっていないため、説明することもできないのだろう。
ポピーが独り言のような発言をした直後、船が進む水路が更に開けて、道が二つに分かれた。三時間ほど洞窟内の探索をしていたリュカたちはすっかり暗闇に目が慣れ、外の明かりに弱くなっていた。そのため、外は夜だというのに直接は目にできない柔らかい月明かりでさえ、目を細めるほどの輝きに感じた。
「ポピー、その声ってどっちから聞こえたのかな」
リュカが優しく問いかけると、ポピーは再び目を瞑り耳を澄ます。洞窟内を水が流れる音が響く。時折天井から水滴が落ちる音がする。
「……あっち、だと思う」
ポピーが指差すのは月明かりがさす外の景色ではなく、反対側の暗闇に包まれた洞窟内部だった。星の見える洞窟の出口から流れ込む水は、リュカたちが通ってきた水路と、ポピーが呼び声を聞いた暗闇の二方向へと流れている。
「呼んでる声がするなら、そっちに行けばいいじゃん。行ってみようよ」
ポピーにしか聞こえない不思議な声を迷わず信じ、ティミーは好奇心旺盛の雰囲気を声に含ませそう言った。ティミーと共に甲板の上を歩いていたプックルも小さく「がう」と言ってリュカの背中を押す。
「エルヘブンの誰かの声を聞いたのかも知れないね、ポピーは。よし、行ってみようか」
リュカは操舵を握るピエールに右側の水路へ進むよう指示を出す。ピエールは戸惑いを見せつつも、リュカの指示通り暗闇の方へと舵を切った。今まで通ってきた水路に比べ、暗闇に続く水路は非常に広く、リュカたちの大きな船が方向を変えるのにも全く問題にならないほどだ。
しばらく進んだ先に見えたのは、まるで教会を思い起こさせるような造りの建造物だった。船で進む途中、はるか上部に大きな橋が架かっているのを目にし、それでさえも不思議な雰囲気を感じたが、今リュカたちが目にして建造物は大きな何かの祭壇のように見えた。
船がつけられる場所が設けられているのを目にして、リュカは初めてこの場所は船でしか来られない場所なのだと気づいた。ピエールの慣れた操舵により問題なく船を着け、リュカたちは神殿の入口のような場所に降りた。リュカと双子の子供たち、プックル、それにゴレムスとメッキーが船を下り、以前と同じように船を操舵できるピエールとサーラが船に残った。
リュカたちが船を下りて地に足を着けたと同時に、祭壇の奥に突如明かりが灯った。急な明るさにリュカたちは思わず目を細める。明かりの方を見れば、大きな二つの火台に橙色の火が灯り、洞窟内に音を立てて燃え上がっている。リュカたちが船を下りる前までは真っ暗闇だった場所だが、果たして来訪者を迎えるための炎なのか、侵入者を捕らえるための炎なのか、リュカは疑いの視線を向けたまま火台に燃えさかる炎を見つめた。
「お父さん、あの奥、不思議な感じがするの。何があるのかな?」
ポピーが指差すのは、二つの大きな火台の間にある、馬車ごと入れるような巨大な扉だった。橙色の炎に照らされているにも関わらず、巨大な扉は自ら光を放っているかのように青白く輝いて見えた。同じような景色をリュカは過去にも見たことがあると思い出せば、それはヘンリーとマリアと旅をしていた時に訪れた神の塔の入口の扉だった。全く同じものとも思えなかったが、どことなく雰囲気が似ていた。
「ポピー、今も何か聞こえる?」
リュカが問いかけると、ポピーは目を瞑って集中し始める。呪文を唱える時と同じような精神状態に自らを追い込み、神経を研ぎ澄まして扉の奥へと意識を向かわせる。
「……ダメ。何も聞こえない」
「なんだよ、じゃあさっきのも空耳だったんじゃないのか?」
「違うわよ! 絶対に誰かの声が聞こえたんだもの! 誰か……誰だか分からないけど、とても優しくて威厳のある声……」
ティミーが本気でポピーを疑っていないのは分かった。ただポピーには聞こえて自分には聞こえないのが悔しいだけなのだ。ポピーはティミーの言葉にムキになって必死に耳を澄ませるが、やはりもう声は聞こえないようで、悲しそうな顔でリュカを見上げる。
「ごめんなさい、お父さん。もう声は聞こえないみたい……。でも本当に聞こえたの! ウソなんかついてないわ」
「うん、分かってるよ。ポピーはウソなんかつかないし、ウソをつくようなことでもないと思うからね」
「……男の人、女の人、どっちの声だったんだ?」
「女の人。優しくてあったかいんだけど、何となく近寄りがたい感じ」
「とにかく扉の向こうに行ってみようよ、お父さん。誰かいるのかも知れないよ」
「そうよね、もしかしたら扉の向こうから出られないのかも知れないし。開けてあげましょう」
ティミーとポピーがすぐに意気投合して扉に近づいていくが、リュカはその扉が開かないだろうと予想していた。何者かの気配を感じて大きな火台に自ずと火が灯るような特殊な場所で、扉の装飾もどこか神々しい雰囲気に満ちている。神の塔が修道女の祈りを必要としていたように、この扉も何か特別な力が必要なのだろうと自然とそう思った。
ティミーとポピーが同時に扉を押してみる。リュカはもしかしたらティミーの勇者としての力がその鍵なのかも知れないと少なからず期待を抱いたが、目の前の扉に勇者の力は関係なかったようだ。二人が押しても引いても動かない巨大な扉に、同時に唸り声を上げる。
「鍵がかかってるのかな」
「でも鍵穴なんてなさそうよ」
ティミーとポピーが話す後ろで、ゴレムスがじっと扉を眺めている。リュカはゴレムスの様子を見て、彼は以前にもこの場所に来たことがあるのかもしれないと気づいた。ゴレムスの視線は扉の遥か上部で、リュカたちには到底届かないところだ。メッキーもゴレムスの様子に気づき、彼の視線の先を確かめるべく高くを飛ぶ。
「ッキッキッ」
「そうか、そんなところにあるんだね。僕はてっきり鍵穴はないのかと思ってたよ」
「えーっ? そんな高い所に鍵があるの?」
「とっても頑丈な扉だし、向こうにはとっても大切なものがあるのかしら。誰かが閉じ込められてなければいいけど……」
「ッキー!!」
突然、メッキーが警告の声を上げた。そうかと思えば、リュカのすぐ隣にいたプックルが扉がある方とは反対側に駆けだした。忍び寄る魔物は既にリュカたちのすぐ後ろにまで迫っていた。崩れかけた鎧兜を身に着け、両手に大きな槍を持つ亡者の戦士が三体。ゾンビナイトと呼ばれる戦士の姿をした魔物が持つ槍の先は、火台の炎に照らされ濡れているように見えた。
ゴレムスが前に出る。リュカも同じように、子供たちを守るように前に出た。メッキーは宙から、プックルに続いて敵の魔物に飛びかかって行く。敵のゾンビナイトは元はエルヘブンを守る戦士だったのか、はたまたエルヘブンに侵攻しようとしていたどこかの国の戦士だったのか、その目を見てリュカは話し合うことは不可能だと破邪の剣を構える。ゾンビナイトの目は安らかに死の世界に旅立てることを熱望しているように見えた。
敵の槍の攻撃は空を切り裂くように鋭かった。リュカは咄嗟に剣で打ち払おうとするが、槍の重量に押され、槍先が腕をかすめた。腕に傷が走る。同時に傷だけではない痛みに襲われ、顔をしかめる。体の中まで蝕まれていくような感覚に陥る。
「……毒か」
リュカはすぐさま自身に解毒呪文を施し、毒を取り払う。すぐに敵の槍が迫る。ゴレムスが手を出し、槍を受け止める。しかしゾンビナイトの槍の毒はゴレムスのような魔物にも効果があり、ゴレムスが膝をつくのを見てリュカは再び解毒呪文を唱えた。
プックルが味方をも震え上がらせるような雄たけびを上げる。プックルの最も近くにいたゾンビナイトが身体をびくつかせて動きを止めたのを見て、プックルは猛獣のごとくゾンビナイトの首に襲いかかった。そして後ろ足で高く立ち上がると、勢いをつけて前足で敵を踏みつける。プックルの攻撃で一体のゾンビナイトが完全に動きを止めた。
ティミーが天空の剣を構えて敵に向き合う姿を見て、リュカは慌てて傍に行く。魔物となった戦士は子供にも容赦しない。ゾンビナイトの槍先がティミーに迫る寸前に、リュカが割り込むように間に入った。しかし敵の槍はリュカにもティミーにも当たらず、何もない近くの空を切っただけだった。
「お父さん、少しは呪文が効いてるみたい!」
ポピーが知らせる声に、敵のゾンビナイトにはマヌーサの呪文が効いていることを理解した。ティミーは既にその状況を理解した上で、果敢にも真正面からゾンビナイトに切りかかった。死しても尚死にきれないゾンビナイトに、天空の剣は彼に安らぎを与えるかのように光を放ち、敵を完全なる死に追いやった。
残る敵はあと一体と思いリュカが振り返ると、そこには二体のゾンビナイトが立っていた。メッキーが槍の攻撃を受けて力なく宙に浮いているのを見て、リュカはすぐに解毒呪文を唱える。毒から解放されたメッキーは再び力強く羽ばたき、ゾンビナイトには向き合わず、祭壇の端、火台の明かりが届かないところに向かって「キッキー!」と新たに警告の声を上げる。
祭壇の端から姿を現した魔物に、リュカは心臓が止まるかのような衝撃を受けた。リュカよりも頭二つ分ほど大きく、身体全体を黄金色のローブで覆い、頭には目深に同じ色のフードを被っている。フードの中央に魔力の込められた宝玉が煌めき、そこだけが癒しの緑色に光っている。色は違えど、姿形はリュカが幼い頃より憎しみを抱いているあの敵と全く同じ様相だった。
「……ゲマ」
敵の名を口にすると同時に、リュカは破邪の剣を握る手に渾身の力を込める。冷静に見れば身にまとうローブの色も、フードから覗く顔の色も、リュカが憎む敵とは違った。しかし今のリュカには、同じ種族であろうネクロマンサーという魔物が、父を殺した魔物ゲマに見えていた。
プックルもリュカの気持ちに呼応するかのように、低いうなり声を上げている。突然殺気立ったリュカとプックルに、ティミーとポピーは互いに眉をひそめながらも、初めて見るような父の鋭い殺気に声も出せなかった。
フードの上から装飾を施す緑に宝玉は、ネクロマンサーの唱える呪文を受けて淡く輝く。リュカは歯をぎりぎりと言わせながらその様子を見ていたが、目の端に動く魔物の姿を捉え、それを確認するなり目を見開いた。そこには目の前の魔物と全く同じ魔物の姿があり、同じようにフードの緑色の宝玉を光らせていた。
光は倒れたゾンビナイトに注がれる。二体のネクロマンサーから一度に放たれた呪文は、倒れたゾンビナイトの身体に作用し、その身体に再び魔の命が宿る。リュカも使用することのできるザオラルの呪文を使うゲマに似た魔物に、リュカは大きな違和感を覚えた。
蘇生が成功したゾンビナイトは再びリュカたちに向かって槍先を向ける。その目は相変わらず死んだままだ。生きているのに死んでいる姿に、リュカは改めてザオラルを唱えたネクロマンサーに鋭い視線を向ける。
「どうして静かに死なせてやらない」
「心の奥底で、こやつらは生きたいと願っている」
リュカはまるで自問自答しているような気持ちだった。ザオラルの呪文は蘇生を確実に成功させるものではない。死んでしまい、魂の中に「まだ生きていたい」と悔恨を抱える本人の心に働きかけて、どうにか蘇生を成功させることができる。それも確率は低く、何度も失敗することもある。それがネクロマンサー二体が同時に唱えたザオラルの呪文で蘇ったゾンビナイトは、恐らく敵の言う通り、表立っては死にたいと願いつつも、心のどこかでまだ生きることを望んでいる。
「だけど……彼らが生きたいと願うのは、こんな姿じゃないはずだ」
「こんな姿とはどんな姿だ? 魔物だということか? それならばお前の仲間である魔物たちは一体どう思っているのだろうな」
ネクロマンサーはまるで鏡のように二体同時に話す。その言葉はリュカの胸に突き刺さるようだった。リュカは仲間の魔物たちが共に旅をし、同じ時間を過ごしていることを快く思ってくれていると信じている。しかしネクロマンサーの言葉に引っかかるのは、リュカ自身に自信がないからだと、大分前から気づいていた。
「生きたいと願うものに生きる力を与えること。崇高な呪文だと思うがな」
「ただ命を与えても、それは生きていることにならない」
「勝手にそう決めつけるのは横暴だと思うが……いかがかな」
「……生きるのなら、本当の自分の姿で生きたいと願うはずだ!」
ゾンビナイトという魔物になり果ててしまったかつての戦士に、生きたいと願う気力をリュカは感じなかった。しかし人間の生への欲望は非常に深く、奥深くに眠るその欲望に、ネクロマンサーのザオラルは反応したのだろう。命を吹き返したとしても、ゾンビナイトから人間に戻ることはもうできない。蘇生され、この世に戻され、見えた自分の姿に、ゾンビナイトは一体何を思っているのかを考えるだけで、リュカはやるせない気持ちになった。
再び魔物としての生を受けたゾンビナイトは、魔物としての本能のまま、リュカたちに襲いかかる。ゴレムスが槍の攻撃を受けるが、幸いにも毒の影響は受けなかった。槍の攻撃を受けて手の平から皮膚の一部のように泥がボロボロと落ちる。しかしそれを意に介さずゴレムスは槍を奪うと両手で槍をへし折ってしまった。
武器を失いながらも、ゾンビナイトはがむしゃらにゴレムスに飛びかかる。頑丈な鎧で体当たりを食らったゴレムスの右足が大きく欠け、バランスを失ってその場に膝をついた。しかしゾンビナイトが追い打ちをかける前に、プックルが鋭い牙をむき出しにして飛びつき、ゾンビナイトはもう何度目になるか分からない死を迎えた。
ネクロマンサーが二体揃ってザオラルの呪文を唱えようとする。リュカはすぐにネクロマンサーに切りかかり、もう一体のネクロマンサーにはメッキーが飛びかかる。リュカに襲いかかる他のゾンビナイトの姿がある。槍を向けられ、その身に受けることを覚悟で、リュカはそのままネクロマンサーに剣を振り下ろした。
ザオラルの呪文は発動しなかった。ネクロマンサーが情けない悲鳴を上げる。両手に破邪の剣の攻撃を受け、ローブの袖からどす黒い血がしたたり落ちる。
リュカの後ろにはティミーがいた。ティミーがゾンビナイトの槍を天空の盾で弾き返していた。敵の攻撃の勢いに思わずティミーは尻餅をついていたが、父を守れたことに誇らしい気持ちがわき起こる。
「おのれ~……」
悔し気に呟くネクロマンサーは、手から血を滴らせつつも再び呪文の詠唱に入る。その状況に、リュカは敵が回復呪文を使えないことを知った。発動しようとしているのはザオラルだ。恐らく攻撃呪文を使うこともできない。武器らしい武器も持っていないため、直接攻撃も得意ではないのだろう。姿形はゲマを髣髴とさせるが、ゲマとはまるで違う魔物なのだと冷静に理解した。
ネクロマンサーが呪文を唱える間にも、他のゾンビナイト二体がリュカたちに襲いかかる。これでは堂々巡りになると、リュカはネクロマンサーの呪文を止めようとするが、槍の攻撃に阻まれてしまう。
マヌーサの呪文の効果がなくなったゾンビナイトがポピーに槍を突き出す。リュカが剣で弾き返す。ティミーが剣でゾンビナイトに切りかかる。回転する槍で弾き返されてしまう。ゾンビナイトは魔物になる前も優秀な人間の戦士だったのだろう。槍さばきは熟練されていた。
突然上からメッキーの声が降り注ぐ。リュカはその声に、ティミーとポピーを両腕に抱えてその場を素早く離れた。プックルもリュカたちの元へ駆け戻り、ゴレムスはメッキーと敵たちの間の空間を確保した。
大きく息を吸い込んだメッキーは、勢いよく息を吐きだすと、敵のいる場所一面に吹雪を吹きつけた。その勢いはまるで、この洞窟で遭遇したブリザードマンが繰り出していた凍える吹雪と同等の威力だった。ゾンビナイト二体もネクロマンサー二体も、唐突に吹き付けられた吹雪に一時体の機能を麻痺させ、動けなくなってしまう。
メッキーが腹の底まで溜めていた吹雪を吐ききると、すぐさまリュカはネクロマンサーに切りかかった。動けないネクロマンサーは構えることもできず、リュカの剣を受けるとそのまま地面に倒れた。一方でもう一体のネクロマンサーにはプックルが体当たりし、地面に倒した後更に鋭い爪でこれでもかと言うほどフードに隠れた顔をひっかいた。
ゴレムスが双子の前に立って守りながら、二体のゾンビナイトを相手にする。凍える吹雪の影響でまだ体が思うように動かず、鈍いゾンビナイトの攻撃をゴレムスは問題なく交わした。そして一体に重い拳を食らわせると、ゾンビナイトはその場にあっさりと倒れてしまった。残る一体のゾンビナイトの槍がティミーに向かうが、その槍先は明後日の方向へ流れた。ポピーが静かに唱えたマヌーサの影響で難を逃れたティミーは、ゴレムスの後ろから飛び出すと、地面を蹴ってゾンビナイトに切りかかる。天空の剣は生者でもない死者でもないゾンビを救うように、その光で敵を倒した。
リュカの耳に再び火台の炎が燃える音が響く。祭壇周りに現れた魔物を全て倒し、辺りに再び海の洞窟内の静寂が訪れた。祭壇奥の巨大な扉は、何事もなかったかのように相変わらずぴたりと閉じ、何も変わったところは見られなかった。
「……ごめんなさい」
ぽつりと謝るポピーに、リュカは首を傾げる。
「なんで謝るの?」
「だって私が『誰かが呼んでる』なんておかしなことを言ったから、こっちにきてこんなことになって……」
「え? でもこっちに来ようって言ったのはボクだよ。ポピーは悪くないだろ」
ポピーが泣きそうな顔をして謝る姿に、兄のティミーがまるで罪を共有するかのように正直に話す。リュカは二人の姿を見てようやく笑顔を取り戻し、穏やかな声で二人に話しかける。
「どっちも悪くない。誰も悪くないよ。ここに来てみないとこんな立派な場所があるなんて分からなかったんだから」
「でも危険な目に遭ったわ」
「それは旅に出ているんだから、いつでも覚悟しなきゃいけないことだ。こっちに来たから、っていうわけじゃないよ。それとも……危険な目に遭いたくない、遭わせたくないなら、旅を止めてグランバニアに戻るべきだ」
リュカはこの機に今一度二人の子供の旅の意志を確認しようとした。恐らく無駄な事だろうと思ったが、二人が万が一グランバニアに戻る意思を見せれば、すぐにでも連れて帰ろうと思っていた。
「ボクは旅に出る前からそんな覚悟できてるもん! 今更そんなこと聞かないでよ、お父さん」
「私も……覚悟はできています。お城でずっとみんなを待っているなんて、きっと耐えられない」
「みんな持ちつ持たれつなんだ。命がけだからこそ、遠慮なんか必要ないんだよ。気づいたことは言う。言わなければ大事なことに気づかないかも知れない。気づいたことを教えてくれれば、それをみんなで考えればいいんだから。思ってるよりも簡単なことだよ」
ポピーが呼び声に気づいたからこの場所に来られた。魔物と遭遇し、危険な目にも遭ったが、それは旅に出ている限りどこにいても起こりうる事態だ。エルヘブンに向かう旅の途中だが、その途中でもしかしたらビアンカの行方を知る手がかりをつかめるかも知れないとリュカは思っている。わずかな可能性でも逃さないように、リュカはできることはできる限り手をつけておくべきだと考えていた。
「さあ、反対側の洞窟の出口に向かおう。この祭壇の奥には今の僕たちでは入れないのは間違いない」
「ゴレムス、あの扉の向こうにエルヘブンの村があるということはないの?」
ポピーが真上を向くようにしてゴレムスの顔を仰ぎ見る。ゴレムスはすぐに首を横に振った。ゴレムスの反応を見て、ポピーもティミーもがっくりと肩を落とす。
「そっか、そうよね。じゃあお父さんの言う通り、反対側に戻った方がいいのかも」
「ピエールとサーラさんが待ってるよ。早く戻ろう!」
ティミーが祭壇奥の扉に背を向けて元気よく駆けだした。ポピーも遅れまいと兄の後を追う。二人の護衛をするように、プックルが早足でその後に続いた。メッキーも辺りの様子を確かめながら飛んでいくが、他に魔物の気配は感じられないようだった。
リュカもゴレムスと共に祭壇を後にし、階段を下りて少し進むと、扉の両側で燃え盛っていた巨大な火台の炎がふっと消え、辺りは再び闇に包まれた。一瞬にして視界を失ったリュカは、ゴレムスの手につかまりながら後にしてきた不思議な祭壇の存在についてぼんやりと考えていた。

Comment

  1. ケアル より:

    bibi様。

    コメントが遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
    これから先、どのようなコメントを書いて良いか分からなくて書けませんでした…すみませんでした。

    今回は、戦闘が多い話になりましたね。
    やはり、戦闘は、ハラハラドキドキします!
    サーラのザキの呪文には、驚きました。
    そっか~ビアンカも使えるけど、サーラも使用できるんでしたね。

    プックルは、まだ特技で稲妻を覚えていませんか?
    それとも、洞窟では使いにくいでとかですか?
    プックルの会心の一撃は、すっきりします。

    ティミーは、まだベギラマを覚えていないんですね?
    あの時、ブリザードマンに使えていれば良かったですが、さすがにまだですか…。
    ポピー、マヌーサで活躍していますね!
    今後の呪文の援護に楽しみです。
    氷の呪文は使いたくないかもなんて言っていましたが、氷呪文を覚えてしまいますが…。

    ゴレムスの記憶話には、すごいと思いますが、敵からダメージを受け手も、あまり感じないがダメージは有る設定には、驚きました!。

    今回のMVPは、リュカと思いましたが、リュカよりも今回はメッキーですね。

    まさか、凍える吹雪を覚えているなんて嬉しさと驚きでしたよ。
    あの状況を出るためには、メッキーの凍える吹雪がなければ難しかったかもしれないと読者は感じています。

    • bibi より:

      ケアル 様

      いつもコメントをどうもありがとうございます。
      お忙しい中、こちらに時間を割いていただくのも心苦しいので、お時間ある時にお気軽に^^
      簡単なメッセージでも構いませんよ~。

      戦闘シーンは私も書いていて楽しいです。新しい仲間の新しい技などを書く時は特に。
      プックルは一度、デモンズタワーで稲妻を使いましたが、やはり洞窟では難しいかなぁと^^; でもいずれは洞窟内でも成功させてみたいです。
      ティミーの呪文習得はまだまだこれからの予定です。でも一気に成長するので、リュカが面食らいそうですね。
      ポピーは今は援護に回っていますが、そのうちドカンドカン放ってもらいたいと思います。母ビアンカが炎系の呪文が得意だと聞いているので、本当は同じ系統の呪文を使いたい願望があるため、氷系の呪文があまり好きではないという設定です。そのうちポピーには何らかの形で納得して氷系の呪文を使って欲しいものです。
      ゴレムスなどの人形やキラーマシンなどの機械系は、攻撃を受けたらダメージは食らうものの、力尽きたらいきなり壊れるというイメージです。
      メッキーはブリザードマンに食らった凍える吹雪のお陰で、この特技を習得したという……そんな感じです。食らってみるもんですね。

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