隠していた本音

 

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「すごくきれいなお城! だけど町の人たち、お城の外にいて…大丈夫なの?」
ラインハットの城下町に入り、城へと真っすぐに伸びる大通りの始まりに、リュカたちは立っていた。大通りを遥か彼方まで進んだ先に、白と青を基調とした巨大な城が見える。グランバニアに比べて壮麗なラインハット城を見て、ポピーはその美しさに見とれるのと同時に、城下町に住む国民の安全性を考えたようだった。
ティミーもポピーも巨大な城を見るのはグランバニアだけで、他の国でこれほど大きな城を見たことがない。グランバニアの城は美しさよりも頑強さを求めた造りだ。それは恐らくラインハットと比べて国の周辺に棲む魔物が強いためだろう。グランバニアの北には魔物たちの城とも言えるあのデモンズタワーがある。魔物の危険から国民を守るためにと、グランバニアは城下町をすっぽりと収める巨大な城を造ったのだ。
外からは魔物の群れに襲われることのなかったラインハットだが、かつて太后に成りすました魔物により国が滅ぼされかけた過去がある。しかし偽者の太后は倒され、今では国の復興も落ち着きを見せ、城下町の人々の表情は明るい。外の世界は魔物の数を増やし、不穏な空気が漂っているが、ラインハットの中では今も取り戻した平和が続いているようだ。
「きっと国の中も落ち着いてるし、外の魔物もそれほど危険なものじゃないんだよ。グランバニアとは環境が違うんだろうね」
「お父さんとヘンリーさんは昔一緒に冒険したんでしょ? ボクもまぜて欲しかったな」
エルヘブンへの旅の途中で、リュカはティミーとポピーに、ヘンリーとマリアと少しの間旅をしたことを話していた。子供たちにとっては、自分の父親がまだ父親になる前に様々な経験を積んでいることが不思議なのかも知れない。リュカにとっても、父であるパパスがグランバニアの国王であり、国王になる前は第一王子であり、オジロンが第二王子であり、サンチョはいつから父の従者になったのかなど考えると、それは自分の生きている世界とはまた別の世界のように思えてしまう。それと同じことだった。
「ティミーが一緒に冒険してたら、きっとヘンリーに色々と言われて大変だったよ」
「えっ、何それ? どういうこと?」
「会ってみれば分かるよ」
リュカはラインハット城を遥か前方に見ながら、子供たちをヘンリーとマリアに合わせることが楽しみで仕方がなかった。何が楽しみなのだろうかと考えたら、やはり子供たちを自慢したいという思いがあった。それと、天空の剣を装備するティミーをヘンリーに会わせておかねばならないという思いもあった。
サンタローズの洞窟で、リュカはヘンリーと共に天空の剣を見つけ、そして父パパスの手紙を見つけた。ヘンリーもその時のことを、記憶の片隅にでも覚えているはずだ。リュカは今も尚、ティミーを天空の勇者と認めたわけではないが、それでも天空の剣と盾を装備する息子を、ヘンリーに見せておきたかった。
ラインハット城下町の情勢は問題ないようで、国民たちは日々の暮らしに特別不満を抱くこともなく、ラインハットという国に守られた中で生活をしている。今は旅人の行き来も普通にあるのだろう。リュカと双子の子供たちが城下町を歩いていても、町の人々は珍しそうにじろじろと見るわけでもなく、にこやかに挨拶をしたり、双子の子供たちにお菓子を渡してくれることもあった。外の世界には魔物の数が増え、世界的には旅人の数も減っているはずだが、このラインハット近辺においてはその危険性をさほど感じさせない平和の雰囲気があった。
「あんた、知っとるかね?」
軽い挨拶を交わした老人が、旅人であるリュカにいかにも話したい雰囲気を醸しながら話しかけてきた。老人の話を無下にできるリュカではない。まだ早い時間で、ラインハット城も城門前の跳ね橋を架けたばかりだろうと、急がずに老人の話に耳を傾けた。
「昔、ヘンリー様と一緒に偽太后を退治した男のことじゃ」
老人の言葉に、リュカは太后に化けていた魔物に食らった炎の熱さを思い出してしまう。偽太后を倒したのは紛れもなくヘンリーだった。当時、ヘンリーと共にラインハットの国王私室に入室し、偽太后と対峙したことは間違いないが、リュカは偽太后の強烈な炎を浴びて、危うく死にかけたのだ。
リュカは敵に対し詰めが甘かった。ヘンリーは敵に対し容赦しなかった。そのお陰でこの国は救われ、こうして復興を遂げることができた。
「なんと! あの方はグランバニアの王子様だったんじゃと!」
「……え、えぇえ? そ、そうだったんですか?」
「(お父さん、わざと驚いてるってバレバレ)」
「(お父さんは優しいのよ。おじいさんをがっかりさせたくないのよ)」
子供達が後ろでひそひそと話しているのが聞こえたが、幸い老人の耳には届いていないようだった。
「でもな、王になられた途端行方不明になったとかで……。この国にも王を捜すためグランバニアの兵士たちが訪ねてきたりもしたんじゃぞ」
「えっ?」
老人の話に、リュカは本当に驚いて声を上げた。ティミーもポピーも言葉を失っている雰囲気を感じると、リュカは二人も知らないことなのだと更に驚きを増した。
「だって、グランバニアとラインハットってとんでもなく遠いですよね?」
「さあのう、わしはそういうことは分からん。じゃがグランバニアの兵士たちがラインハットのお城に入って行く姿をこの目で見たぞい。それほど多い人数ではなかったが、余所の兵士たちを城に入れたんじゃから、国同士でのやり取りがあったんじゃろうなぁ」
リュカがいない間にグランバニアの国政を務めていたオジロンがラインハットに兵士を出したのかも知れない。しかしリュカはそれよりも、恐らくサンチョがラインハットに捜索隊を向かわせた気がしていた。サンチョには今もラインハットへの疑念が残っている。しかし同時に、リュカとヘンリーの仲については仲間の魔物たちや、もしかしたらビアンカからも話を聞いている可能性もあった。ラインハットと言う国への疑念と、ヘンリーと言う人物における信頼との狭間で、サンチョは一度グランバニアからラインハットへ兵を向かわせたのだろう。
一度ならず二度までも、国王を失いかけたグランバニアをどうにかして取り戻したい、その強い思いでサンチョは複雑な気持ちながらもラインハットに頼ったに違いないと、リュカは何も話してくれなかったサンチョに何度目か知れない感謝の気持ちを抱いた。
「そういえばあんた、あの男によう似とるのう」
視線を地面に落としているリュカを見上げるように、老人がリュカの顔を覗き込んでいる。まさかラインハットの城下町を、こうして子供たちとふらふら歩くどこかの国の王もいないだろうと、リュカは涼やかに老人に挨拶をして再び城下町の大通りを歩き始めた。ティミーとポピーも老人に礼を言うと、「待ってよ、お父さーん!」とリュカの後ろを追いかけて行った。老人は不思議そうに、まるで兄弟にも見える三人の後姿を、首を傾げつつ見送っていた。



壮麗な城に続く大きな跳ね橋が、今は城に出入りする人々の足となっている。城下町に住む子供たちが橋の上で追いかけっこをし、城の入口周辺で遊んでいても、兵士に咎められることはない。門番を務める兵士も元気な子供たちの様子をただにこやかに見守っているだけだ。ラインハットが見事復興を遂げ、そして今も平和の中にあることに、リュカはまるで自分の国のことのように嬉しく思った。
いかにも旅人であるリュカと子供たちが橋を渡り、ラインハット城の門前まで来ると、門番の兵士が一人リュカたちに事務的に話しかけてきた。
「ここはラインハットのお城」
門番はリュカよりは一回りは上であろう男性で、口に蓄えた髭の奥で低い声を出す。ただ八年の時を止めてしまったリュカと並ぶと、その年齢差はまるで親子のようにも見えた。リュカは門番を務める兵士が以前と変わらずこの場でその職務に就いていることに気づき、思わず表情を緩めて会釈をした。
リュカはかつてヘンリーと共にラインハットに戻り、偽の太后に化けていた魔物を倒してから後、数日間をこの城で過ごしたことがあった。その際、ラインハット城の人たちとも当然のように知り合いになり、今目の前で門番を務める兵士とも面識があった。
知り合いに出会った時のようなリュカの会釈を見て、門番の兵士は改めてリュカの姿をまじまじと見つめた。記憶を過去に遡る必要がないほど、リュカの姿はあの頃と変わっていない。兵士は驚きの余り、目が飛び出しそうなほど両目を見開いた。
「……はっ? あ、あなたは確かヘンリー様のお友達のリュカ様!」
「お久しぶりです。あの……ヘンリーはいますか?」
「お父さん、もう少し言い方があるような気がします……」
まるで子供が友達の家に遊びに来た時の挨拶のように感じられ、ポピーはリュカのマントの裾を引っ張りながら恥ずかしそうに俯いて呟いていた。ティミーはきれいに修復されているラインハットの城を飽きることなく見廻している。
「本当にお久しぶりでございます! ヘンリー様も常々あなた様のことを心配されておりました。どうぞお通り下さい!」
門番の兵士が必要以上に頭を下げたため、リュカも同じように腰を折って頭を下げた。大人二人が挨拶を交わす横で、ポピーも程よくお辞儀をした。
「すごい、すごーい! お父さん、有名人だね! かっこいい!」
はしゃぐティミーを見て、門番の兵士はにこやかな表情のままリュカに問いかける。
「リュカ様にはご兄弟がいらっしゃったのですか? そのようなお話は聞いたことが……」
「ああ、この子たちは僕の子供です。よく兄弟に見られるみたいで……」
「お子様ですか! てっきりご兄弟かと。リュカ様があまりにもあの時と変わっていないからでしょうか」
「そうかも知れませんね。……ではちょっとお邪魔しますね」
話をすれば長くなる事情があると、リュカは遠慮がちにその場を立ち去ることにした。門番の兵士もリュカの本来の目的を邪魔する意図もなく、城内に入るリュカたち三人を静かに見送ってくれた。ただ兵士の目に映るティミーの背中の立派な剣は、そのまま彼の記憶に深く残ることになった。
「ラインハットのお城には中庭があるのね。とってもきれい……」
ラインハット城の長い回廊を歩いていると、大きな窓の向こう側に広い中庭の景色が広がっている。かつて偽太后がこの城を牛耳っていた時には、中庭も荒れ放題で魔物の姿もあったが、今は完全に城の中庭としての景色を取り戻していた。美しく整えられた庭園で本を読む人もいれば、城下町の子供達だろうか、木登りを楽しむ子供の姿もある。散歩をしながら庭園の花を楽しむ人もいれば、その花を整える庭師の姿もある。ラインハットの平和はこの中庭にも溢れている。
「この国が魔物に滅ぼされそうになってただなんて、信じられないわね」
「でもそれは本当で、それを救ったのがお父さんとヘンリー様なんだよね! かっこいいなぁ」
「僕はヘンリーについて行っただけなんだけどね」
それがリュカの本心だった。リュカとしてはただヘンリーの進む道について行っただけなのだ。十年ほどの苦しい時間を過ごし、自由の身になったヘンリーはそのまま自由にどこへでも行ける権利を持っていた。ラインハットに戻らなくても、どこか他の場所で生きていく自由を持っていた。しかし彼は結局、自分の行くべき場所は故郷のラインハットだと決めたのだ。
回廊を歩き続けると、その先に二階へ上がる広い階段がある。その階段を上り、リュカは迷わず玉座を目指して子供たちを連れて歩き続ける。城下町を丸ごと収めたグランバニアほど広い城ではないが、初めてラインハットを訪れたティミーとポピーにとっては十分に広い城だった。二階の窓から見下ろせる中庭の景色に、ティミーは今にも木登りをしたくなり、ポピーは花の咲く庭でのんびりと本を読みたいなど、それぞれにラインハットの城を楽しんでいた。
更に階段を上ると、途端にがらりと雰囲気が変わったことに双子は気づいた。部屋には更に上に上る広い階段があり、階段には深紅の絨毯が丁寧に敷かれ、掃除も行き届いている。階段を上った先に見えた玉座に、ティミーもポピーもそこにいるのがヘンリーなのかと、期待に胸を膨らませた。
「デール君、久しぶりだね」
またしても緊張感のない挨拶をするリュカに、ティミーもポピーも思わず拍子抜けした。ここがラインハットの王室であることは二人にも分かり、そして玉座に座るのがこの国の王であることは誰もが分かることだ。しかしリュカと言えば、余所の国の国王に向かって、まるで近所の人に話しかけるかのような調子で挨拶をする。そのお陰と言うべきか、変に緊張していた二人の体の硬さが取れたことは間違いなかった。
「あ、あなたは……! リュカさん、いえ、リュカ王!」
玉座に座っていたデールが飛び上がるように玉座を離れ、まるで心臓でも掴まれたかのような驚いた表情でリュカに歩み寄る。デールに会うのも実に十年ぶりだった。リュカはデールこそ自分と同じように時を止めていたのではないかと思うほど、その様子が変わっていないことに驚いた。しかしかつてのように幼い感じはなく、ラインハットと言う国をこれからも支えて行こうと決意している若い国王という印象だ。
「突然我が国に来られるとは、驚きました。グランバニアからいらしたのでしょう? 遠い所をわざわざご足労頂いて恐縮です」
「ううん、僕のルーラでさっきグランバニアから来たばかりなんだ」
「えっ? ああ、そう言えばリュカ王は便利な移動呪文の使い手でもありましたね。そう兄に聞いています」
「うん、ちゃんとラインハットに来られて良かったよ」
「リュカ王が行方不明になった時は本当に心配しましたよ。でもグランバニアに戻られたと聞いて……またこの国にも来て下さることと思っていました」
「僕がグランバニアに戻ったって……誰から聞いたの?」
「ちょうどひと月前くらいにグランバニアから一通の書簡が届きました。グランバニアの従者と名乗る方からだったように思います」
デールの言葉に、リュカはサンチョがラインハットとの連絡を取っていたことを確信した。誰よりもラインハットとの関係を持ちたくないであろう彼が、既にラインハットとのやり取りをしていたことに、リュカは素直に嬉しい気持ちを抱いた。たとえ事務的でもサンチョからこの国へ連絡を取ってくれたことが、何よりも嬉しかった。
「ヘンリーはどこかな?」
「兄は上の部屋で今も仕事中かと思いますが、リュカ王が来られたとなれば仕事も投げ出して喜ぶでしょう。どうぞごゆっくりくつろいで行ってください」
「デール君もヘンリーも、ずっと頑張ってきたんだね。この国がとても良くなってるのが分かるよ」
「そう言っていただけると、心から嬉しく思います。しかし今に慢心することなく、これからもより良い国を作って行けたらと思います」
「優等生だなぁ、お兄さんと違って」
「兄は口が悪いだけですよ」
「まあね。素直じゃないんだよね」
「仰る通りです。……あの、ところでそちらのお子さんたちはもしかして……?」
「うん、僕の子供たち。初めましてだよね」
「リュカ王のお子様! グランバニアの王子様と王女様ですね。そうですか、それはそれは……兄も喜ぶと思います」
デールの言葉にリュカは思わず眉をひそめた。確かにリュカはヘンリーに子供たちを自慢したい気持ちもあって一緒に連れてきたのは間違いないが、果たしてヘンリーが喜ぶかどうかなど考えてもいなかった。むしろヘンリーは子供を苦手としているかも知れないと思っているほどだ。
「お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「はいっ! ティミーです。デール王様、初めまして!」
「お初にお目にかかります。ポピーと申します」
「なんとも元気で礼儀正しいお子様たちですね。……私が引き留めてしまってはお時間がもったいない。早く兄のところへ行ってあげてください。ふふふ……」
「デール君、何か楽しいことがあるの?」
「行けば分かりますよ。後程また少しでもお話できればお時間くださいね」
デールはそう言うと、玉座の後ろに続く階段を兵士に案内するよう命じた。デールの命を受け、一人の王室守護兵がリュカたちの前に立ち先導していく。リュカたちは兵士の後を歩いて、深い絨毯の続く階段を音も立てずに上って行った。
「あの人がデール王様? ずいぶん若い王様だね」
階段を上る途中、ティミーが素直な感想を述べる。リュカもティミーの言う通りだと思っていた。デールは十年ほど前に会った時からほとんど変わっていないように見えた。そしてやはり妻を娶ることなく、独りのままこのラインハットの国王としての立場に立ち続けている。デールにはデールの計り知れない深い思いがあるのだろう。今でこそ国を立て直した優秀な国王として国民からの信頼も寄せられているが、デール自身は今も罪の意識を抱えているのかも知れない。もう二度と王位継承争いなどを起こしたくない、その思いでデールは独身を貫く覚悟だと以前リュカは耳にしている。
「ここはヘンリー様と奥様のお部屋。無用の者は……」
部屋の前に立つ守護兵は厳しい表情でリュカたちを連れる同僚の兵士にそう言いかけた。しかしリュカの姿を見るとその表情を一変させ、しばらく声も出ないほど驚いていた。
「あっあなたさまはっ!」
リュカには兵士を思い出せなくても、かつて国を救い、ラインハットに暫く滞在したヘンリーの友人であるリュカのことを、多くのラインハット城の人々が覚えている。部屋の守護をする兵士も例外ではなく、リュカの変わらぬ旅装姿をまじまじと見つめると、感慨深げに腰を折って頭を下げた。
「さあ、どうかお通り下さい!」
「あ、あの、頭を上げてください。別に僕はそんなんじゃ……」
リュカが困惑した様子でそう言っていると、扉の奥で大きな声が響くのが聞こえた。何と言ったのかは分からないが、その声が誰のものであるか、リュカにはすぐに分かった。
その時、突然部屋の扉が開いた。
開いた扉の向こう側に、小さいヘンリーが立っていた。聞こえた大人のヘンリーの声と一致せず、リュカは思わず眉をひそめて小さなヘンリーを見つめた。まるであの時と変わらない小生意気なヘンリーがそこにいて、リュカのことを見ると、部屋の中へ後ずさりながら思い切り睨みつけてくる。
「んっ! 誰だ、お前はっ!?」
声もまるで同じだ。リュカは夢でも見ているのだろうかと、何度も瞬きをしたが、小さいヘンリーは相変わらず少々怯えながらも偉そうに立っている。しかしリュカが一歩彼に近づくと、小さいヘンリーは全身をびくりと震わせて部屋の中へと走って戻って行ってしまった。
「こら! コリンズ! お客様に向かってお前とは何だ?」
部屋の中にもう一人、大人のヘンリーがいるのだろうかと、リュカは懐かしいその声に誘われるように部屋の中へと入って行った。
この部屋にはかつて、ヘンリーとマリアが結婚した後に入ったことがあった。その時にいた猫が、今も部屋の中で丸くなってのんびりしている。どこかプックルを思い起こさせるような柄の猫は、ヘンリーがリュカに対抗してこの部屋で飼い始めたのかも知れないと、リュカは今になってそんなことを思った。
「いや、申し訳ない。私の息子が失礼を……」
「うわっ、ヘンリーっぽくない!」
「ん? ……あっ!」
小さなヘンリーの代わりに現れたのは、大人になったヘンリーだった。あの時と変わらず鮮やかな青色の、王族らしい全身が強張りそうな衣装に身を包んでいる。部屋の中にいるからか深紅のマントは羽織っていないものの、同じ色の肩掛けを架け、肩掛けには上品な金色のフリンジが揺れている。先ほどの小さなヘンリーと同じ緑色の髪を両肩の下まで長く垂らし、晴れた空を思わせる瞳の色も先ほどの小さなヘンリーとそっくりだった。
「よおー! リュカ! リュカじゃないか!」
「ヘンリー、久しぶり。ヘンリーもあんまり変わってないね」
リュカはそう言いながらも、ヘンリーが以前会った時に比べて明らかに年齢を重ねているのを感じた。どこがどう変わったのかと問われても決して説明はできないが、リュカが石の呪いを浴びていた八年の間に、ヘンリーは確実にその雰囲気を変えていた。一つ言えるとすれば、もう決して無茶はしない落ち着きを持った、と言ったところだ。
「待ってたんだよ! お前がグランバニアに無事戻ったって聞いて本当に嬉しかったんだぜ!」
ヘンリーがしっかりとリュカの両腕を支えるようにつかむ。血の通うヘンリーの手の温かさに、リュカはようやく本物のヘンリーに会えた実感を得ていた。地獄のような十年を共に過ごした友と生きて会えた喜びが、リュカの胸の内に沸々と湧き上がる。
「リュカ。大変だったなぁ……。まったく、お前は苦労ばっかりする奴だよ」
「そんなことないよ。僕よりもずっと苦労している人はたくさんいるよ」
「お前が言うと、何と言うか、重みが違うな。でも、まあ、こうしてまた会えて嬉しいぜ」
ヘンリーとの再会も当然嬉しい限りのリュカだが、それと同時に気になるのが先ほどの小さいヘンリーの姿だ。あれは夢でも見ていたのかと思っていたが、今は部屋の奥でマリアの陰に身をひそめるようにしてリュカを窺っている。マリアは小さなヘンリーに困ったように声をかけているが、彼は小さく首を横に振り、マリアの傍を離れようとしない。
リュカの視線を感じて、ヘンリーが後ろに目をやる。マリアの陰に隠れながら歩いてくる小さなヘンリーを見て、苦笑している。
「……あ、そうそう、オレ子供ができたんだよ。息子のコリンズだ」
「コリンズ……くん」
「おい、コリンズ。俺の友人のリュカだ。挨拶しなさい」
「………………」
ヘンリーに言われてリュカを睨むように見上げるコリンズだが、今もマリアのスカートの裾に隠れるようにして知らない旅人を見ているだけだ。しまいには声を発しないまま、ぷいっと余所を向いてしまった。
「コラ! ちゃんと挨拶しないか!」
ヘンリーに頭を小突かれ、コリンズは「あ、いてっ!」と言って頭を押さえた。
「は、はじめまして……」
「どうも、初めまして、コリンズ君」
「いやー、悪い悪い。どうもわんぱくでさー」
「さっきは本当にびっくりしたんだよ。だって小さいヘンリーが目の前に現れるんだもん。僕、時間でも遡っちゃったのかなと思ったよ」
「小さい俺? 何言ってんだよ。俺はもうちょっと可愛げってもんがあったはずだぜ」
「どうだかね……」
「ところでリュカにも子供がいるんだってな」
「うん、連れてきたよ。ティミー、ポピー、挨拶しようか」
リュカがそう言うと、リュカの後ろに隠れるようにしていたティミーとポピーが両脇から姿を現し、同時にヘンリーに「初めまして」と挨拶をする。子供が二人同時に現れたことに特に驚かないヘンリーを見て、リュカは少々肩透かしを食らった。ヘンリーはリュカの子供が双子であることを知っていたのだ。
「ん? おお、その子か! へえー、やっぱり昔のお前に似てるなぁ」
「そうかな。多分、ビアンカの方が似てると思うよ」
「それは髪や目の色がって話だろ。そういうことじゃなくて、特に、ティミー君か、君はお父さんによく似てるなぁ」
「本当!? ボク、お父さんに似てるかな? おじいちゃんにも似てるって言われるし、嬉しいなあ!」
「おじいちゃん……ああ、そうか、なんか見たことのあるくせ毛だなと思ったら……そうだな、おじいさんにもよく似てるよ」
そう言いながらヘンリーはティミーの癖のある髪の毛をがしがしと撫でた。そしてティミーの背中にある輝く剣に目を向け、息を呑んだ。ヘンリーは目の前の小さな少年が背負う剣のことを知っている。しかしにこにこと人懐こい笑みを浮かべているティミーに、何かを問いかけることはなかった。
ティミーの性格は相手がヘンリ―だろうが誰であろうが、怖気づいて引っ込んでしまうことがない。それとは対照的に、ポピーは少々ヘンリーを怖がっているのか、ヘンリーが目を合わせようとしてもすぐに目を逸らしてしまう。
「ポピーちゃんはお母さんに似てるかな。いや、リュカにも似てるかな。……ああ、目がリュカに似てるんだな」
ヘンリーがその場にしゃがんでポピーの顔を覗き込むと、ポピーは何故か顔を真っ赤にして泣きそうな顔をする。息も苦しそうな娘の表情を見て、リュカは心配そうにポピーに問いかける。
「どうしたの、ポピー? 具合でも悪くなった?」
「……ううん、何でもない。ヘンリー様にお会いできてうれしいです」
「ああ、良かった。俺、いきなり嫌われたのかと思ったよ」
ヘンリーがほっと胸を撫でおろして息をつくと、ポピーはぎこちない笑みを浮かべた。
「リュカさん、お子様たちも、こんなところで立ち話なんて落ち着きませんわ。せっかくいらして下さったのですから、部屋の中でごゆっくりなさってください」
「おお、そうだそうだ。悪いな、こんな扉の前で立ち話なんかさせて」
「ヘンリー、仕事は?」
「お前なぁ……十年ぶりの再会にそうやって水を差すか? 俺がどんだけお前のこと心配してたか分かってねぇな。今は仕事よりもお前の話だろ!」
ヘンリーは怒ったようにそう言うと、リュカの腕を引っ張って部屋の中へ招き入れた。リュカがよろめくのを見て、ティミーは楽し気に笑い、ポピーは心配そうに父を窺う。一方でヘンリーの息子のコリンズは今もマリアの陰に隠れたまま、リュカとその後ろにいる双子の子供たちを注意深く見つめていた。
「リュカさん、お久しぶりですね。本当にあなたが行方不明と知った時にはとっても心配したんですよ」
マリアはスカートにまとわりつくように離れないコリンズをそのままに、リュカの前に歩み寄ると両手を差し出した。リュカもマリアの両手を握り、再会を喜ぶ。マリアは今やリュカよりも年上の落ち着いた貴婦人になっていた。ラインハットの宰相の妻として日々過ごす内に、自然と品が備わり、物腰も以前より更に丁寧且つ余裕のある雰囲気を漂わせていた。そしてコリンズと言う子供を育てる中で、母としての強さも備わったように見えた。
「コリンズ、マリアから離れろよ。それじゃあマリアが思うように動けないだろ」
「…………母上と一緒にいて何が悪いんだよぅ」
コリンズの小さな声に、ティミーとポピーがじっとコリンズを見つめたことにリュカは気づいた。しかし二人とも何か言うわけでもなく、ただコリンズとその母マリアをどこか遠慮がちに見つめていた。
「あ、そうだ! 子供は子供同士。コリンズに城の中を案内させよう」
「えっ!? なんだよ、それ! オレもここにいる!」
「お前、ここにいたってずっとマリアの傍を離れないつもりだろ。いつまでも甘えたがりの赤ん坊のつもりか? もうお前も七歳なんだ、コリンズ。せっかくグランバニアの王子と王女がいらしてるんだ。城の中を色々と見せてあげなさい」
「えっ? お城を案内してくれるの、コリンズ君?」
ティミーが目を輝かせながらコリンズに話しかけると、コリンズは口を尖らせ眉をしかめつつも、逆らえない父に気のない返事をした。
「はーい」
「いい返事だ。お前が案内している間に、俺たちの話もひと段落してるだろう。その頃、また部屋に戻って来なさい」
「へーい。……行くぞ、子分ども」
「子分?」
ティミーが首を傾げて聞き返したが、コリンズは特に返事をしないまま、何やらほくそ笑んで二人を連れて部屋を出て行った。リュカも今のラインハットなら何も心配なことはないだろうと、改めてヘンリーの向かいのソファに腰を落ち着けた。
「やれやれ。うるさいのがいなくなってホッとしたよ」
「まあ、あなたったら。本当はコリンズが可愛くて仕方ないのに」
ヘンリーの憎まれ口を聞いて、マリアが笑いながら取り繕う。そしてリュカもマリアの言葉を聞いてその通りなのだろうと思った。ヘンリーがコリンズを可愛がっていることは誰の目にも明らかだろう。ヘンリーの性格を知っているが故に、その可愛がり方をリュカはよくよく理解していた。
「わっはっは、それを言うなよ、マリア。まったくコリンズは誰に似たんだか……。俺の小さい頃はもっと大人しかったもんだがなぁ」
「何言ってるんだよ。コリンズ君の方がよっぽど大人しいだろ」
「はあぁ? そんなことないだろ。俺もワガママだってのは言われてたけどさ、コリンズほどじゃなかったと思うぜ」
「それにしてもそっくりだよね、ヘンリーとコリンズ君。僕、さっき、小さいヘンリーが来たのかと思ってびっくりしたよ」
「ああ、それは良く言われるな。『かつてのヘンリー様を見ているようです…』って、城の人間からよく聞くよ」
「それ、多分、いろんな意味でそう言われてるような気がする……」
リュカとヘンリーが他愛もない話をしていると、茶の支度を済ませてきたマリアが盆を手にして、ソファに座る二人の間の広いテーブルに盆を乗せ、茶の準備をしながらリュカに話しかけた。
「リュカさんは今でも大変な旅を続けているのですね。あなたならきっと世界を平和に導ける、そんな気がしますわ」
「そうだ! 世界を平和にって言えば、お前の息子、ティミーくんだっけ? あの剣は……」
「うん、そうなんだ。そういうことだよ」
「そういうことか。そうだったのか……。その……何とも言えねぇな。なんて言ったらいいのか分かんねぇや」
ヘンリーはそう言うと、難しい顔をして頭をがしがしと掻いた。リュカはその姿を見て、やはりヘンリーは優しい親友だと思わず微笑んだ。ティミーが勇者だということに、素直に喜ばず、ましてや賞賛を浴びせることもなく、むしろその現実は受け入れがたいものだと感じているのだろう。
ヘンリーにもコリンズと言う子供がいる。もしコリンズが世界を平和に導くべき勇者と言う存在だと言われたら、恐らくリュカ以上にその現実に抗うのかも知れない。
「ポピーちゃんは? そうじゃないのか?」
「うん、ポピーには装備できないんだ。あの剣はティミーにしか装備できない。盾も」
リュカはそう言って、マリアの用意してくれた茶を一口飲んだ。マリアはヘンリーの隣に座り、茶と一緒に用意した焼き菓子をリュカの前に進めた。マリアはラインハット宰相の妻という立場にあっても、どこか修道女としての雰囲気を纏わせているようだった。あの海辺の修道院で時折修道女たちが作っていた焼き菓子と同じものを、このラインハットでも作っている。彼女はラインハットでの暮らしに慣れながらも、あの修道院での暮らしを忘れないようにしているようにも見えた。実際に手に取って食べた焼き菓子の味は、懐かしいものだった。
「お前はグランバニアの王でもあり、勇者の父親ってヤツでもあるのか。一体何人分の人生を歩んでるんだよ、お前は」
「知らないよ、そんなの。第一、僕はまだティミーを勇者だって認めたわけじゃないから」
「だけどよ、天空の剣が使えるってのはどういうわけだ? お前が勇者の子孫だったってことか?」
「違う、僕じゃない」
リュカがうめくようにそう言うと、ヘンリーは察したように息を呑み、本来リュカの隣にいるべき人物のことを思った。
ヘンリーはグランバニアと手紙のやり取りを数回続けている。その相手はサンチョであったり、ポピーであったりした。そしてポピーの手紙の中に、父と母を捜しているという内容が書かれていたことをヘンリーは目にしている。リュカの隣に愛する妻の姿がないということは、今のリュカはあの時のパパスのように妻を捜す旅を続けているということなのだ。
「……なあ、俺にできることはあるか?」
ヘンリーが雰囲気を読み取り、言葉を選んでそう言ったことに、リュカは当然気づいていた。しかしこの状況でヘンリーに頼ることはできないとリュカには分かっている。ヘンリーにはこのラインハットという国があり、守らなければならない大事な家族がいる。彼には彼の大事なものがあり、それを放り出させてまで頼るべきではないことをリュカは十分に理解している。
「君は前に言ってただろ。『この国を見守っていくことが僕の助けになる』って」
リュカはかつてヘンリーがマリアと結婚して間もない頃にこのラインハットを訪れたことがある。その際、ヘンリーは宝箱にリュカへのメッセージを残してくれていた。伝説の勇者を捜す手伝いはできないが、ラインハットを守ることがやがてはリュカの助けになるのではないかと、そう覚悟を決めて彼は今までラインハットに力を尽くしてきたに違いないのだ。
「これからはラインハットとの正式な国交を復活できればと思ってるんだ。そのための力は貸して欲しい。お願いできるかな?」
「ああ、それは俺も思っていたんだ。先代の王……俺の親父の頃は間違いなくグランバニアとの国交があったはずなんだ。そうでなきゃあの時、お前の親父さんをあんな形で城に招いたりはしなかったはずだ」
ヘンリーも全く同じことを思っていたのだと知り、リュカは嬉しくなった。グランバニアとラインハットの国交は、ラインハット第一王子誘拐事件までは問題なく続いていたはずだった。ただあの事件以降、双方の国からぱたりと連絡は途絶えてしまった。ラインハットがこうして国の復興を遂げた後も、国交が復活する機会はないままだった。
「お前にその気持ちがあるなら、今月中にでも書面を通じて国交復活の手続きを行うよう、デールにも伝えておくさ」
ラインハットの王位継承の問題により、旅人として世界中を渡り歩いていたグランバニアの先王パパスが亡き者にされた事実は消えない。グランバニアから国交復活を申し出るのは、サンチョを筆頭にグランバニアのある一定の国民は心にしこりを残すだろう。
「こちらから一方的に仲直りしようなんて言えない事情があるからな。グランバニアへの正式な謝罪と協力を約束する」
「ありがとう、ヘンリー。世界には魔物が多くなってきてる。こんな時に、人間同士がいがみ合ってる場合じゃないんだ」
「教会のシスターも仰っていました。『とてつもなく巨大な悪意が世界を覆い始めているように感じられる』と……。リュカさんの仰る通り、人間同士が争いを起こしている場合ではありませんわね」
マリアは今も教会に通う日々を送っているようだった。日に一度は教会を訪れ、祈りを捧げる時間を持つ。それは彼女の中に常にあり続ける兄ヨシュアの無事を祈る心だった。あれからもう二十年近くの時が経つ。しかしマリアにとっては兄と別れたあの瞬間からまだそれほど時間を過ごしていない感覚なのだろう。その気持ちはリュカにもよく理解できた。
「そうだ! 外にみんなも連れて来てるんだよ。後で会ってくれないかな?」
リュカが明るい表情で伝えるのと対照的に、ヘンリーは怪訝な表情で反応する。
「みんなって……ああ、あいつらか。良かった、外で待たせてるんだな。城の中に連れてこられちゃ大騒ぎになるからな」
「さすがに余所の国でそんなことしないよ。グランバニアでは一緒に国を守ってくれる大事な仲間だけどね」
「まあ! 皆さんがいらしてるのですか? グランバニアでは城下町でお過ごしになっているのですか? 何だかとても楽しそうですね」
ヘンリーとは違い、手を合わせて顔をほころばせるマリアを見て、リュカも同じように笑顔を見せた。ヘンリーとマリアが魔物の仲間たちに会うのは、リュカとビアンカの結婚式以来のことだ。サラボナで二人の結婚式を挙げるということをルドマンから知らせてもらい、ちょうど近くを外遊していたヘンリーとマリアは急遽、サラボナの町に立ち寄ってくれることになった。その際、ヘンリーもマリアも、魔物の仲間たちとの再会を一度、果たしている。
「おい、あのデカイ虎みたいなヤツもいるのか?」
「プックル? もちろんだよ」
「そうか。俺んとこじゃ、せいぜいこんな可愛い猫しか飼えないからな。コリンズの奴はコイツを気に入ってるけどさ」
「あなたがリュカさんに対抗して猫を飼いたいって仰ったのではありませんでしたか? しかもこのような珍しいブチ模様の猫をわざわざ見つけて来て……」
「べ、別に対抗したつもりはないからな! 第一、あんな化け物みたいな……って言うか、魔物に対抗するとしたら、こっちも魔物を飼い慣らすしかないだろ。んなことできるのはコイツくらいなもんだ」
「僕が魔物と仲良くできるのは、どうやら母さんの血を継いでいるからみたいだよ」
「なんだそれ? どういうことだ?」
リュカは八年の石の呪いが解かれてから再び旅に出た時のことをヘンリーとマリアに話した。母の故郷エルヘブンに立ち寄り、そこで母が持つ魔物と理解し合える力と、魔界の扉を封印する力のことを話すと、ヘンリーもマリアもしばらくは言葉が返せずにその場で溜め息をついただけだった。
「何だかさ、よく分かんねぇな。色々と抱え過ぎだ、お前」
「いや、抱えてるのはティミーだよ。あんな小さいのに勇者だなんて言われてさ」
「親としてそう考えるのはいいと思うぜ。でもな、お前は誰に弱音を吐くんだよ。ずっと強がってたらそのうちばてて倒れちまうぞ」
「僕は……大丈夫だよ」
「ビアンカちゃんがいないで、本当に平気か?」
言うだろうと思ったことを、ヘンリーはそのまま言ってきた。ビアンカが隣にいれば、色々と話す中で弱音を吐くこともできただろう。そしてきっと彼女はその全てを受け止めてくれる。時には厳しい言葉を返してくるかも知れないが、それはただの我儘ではなく相手のためを思って厳しいことを言う優しさが彼女にはある。
「ビアンカちゃんはまだ……どこにいるのか分からないのか」
「……うん、分からない。まだ何も手がかりはないんだ」
「そうか……。あの子たちのためにも早く見つけたいな」
グランバニアではリュカが八年ぶりの帰還を果たし、その奇跡に国中大騒ぎになった。リュカ王は奇跡の人だと国民は歓喜に沸き、リュカはグランバニアが喜びに包まれる様子を素直に嬉しく思いながら見ていた。しかし最も喜びを共にしたい妻がいないことに、気づかない訳にはいかない。いくら人々から賞賛の声を聞いても、リュカの胸には嬉しさと共に悲しみが滲んでいた。
「ビアンカ、本当に無事なのかな」
リュカは自分の言葉とは信じられない思いで、その言葉を発していた。目の前のヘンリーとマリアが同時に怪訝な表情になるのを感じながらも、リュカは胸の中で密かに溜めていた不安を漏らし続けた。
「僕もビアンカも石の呪いを受けたんだ。石にされたビアンカを僕は見た。僕はたまたま無事だったけど、誰かが壊そうと思えば簡単に壊れるんだよね、石だから」
リュカの独白にヘンリーは視線を落としながら耳を傾けている。マリアは両手を固く組み合わせながら、不安げにリュカを見つめる。
「見たくもない夢を見るんだよ。石になったビアンカが……壊される夢。あいつの指先一つで、あの酷い炎の呪文で、ビアンカが壊される夢。これって本当のことなんじゃないかって、思っちゃうんだ」
リュカが震える声で告げる弱音に、ヘンリーは思わず眉をひそめた。あの酷い炎の呪文というリュカの言葉に、ヘンリーもかつてパパスを葬ったあの憎々しい敵を思い出す。リュカが話している「あいつ」と言うのは紛れもなくその敵だろうと、ヘンリーは今もリュカを苦しめる「あいつ」を思い出しながら両拳を膝の上で固める。
「ビアンカはもう、生きていないのかも……」
「本当にそう思うか? あいつがそんなに簡単にビアンカちゃんを壊すと思うか?」
リュカは八年の石の呪いから解放されて、初めて今弱音を吐いていた。誰にも吐露したことのない心の内を、ヘンリーにだけはさらけ出せると感じた。グランバニアでは国王としての立場があり、エルヘブンではマーサの子供としての立場があり、それぞれに責任があり、到底弱音を吐ける立場ではなかった。しかしヘンリーの前に来ると、様々な立場から解放された対等な友人として、素直に心の内側にある闇を話せた。
「その夢はお前の不安な気持ちの表れだ。ビアンカちゃんは絶対に生きている。あいつがお前のいないところで簡単にビアンカちゃんを壊すような、あっさりした性格のはずがない。そうだろ?」
ヘンリーが言っている意味がリュカには嫌でも伝わる。憎き敵ゲマはかつて、リュカを人質に取った上でパパスを執拗に部下たちに嬲らせ、リュカの目の前でパパスの命を奪ったのだ。人にどれだけ苦しみを与えられるかを喜びとするゲマが、リュカや子供たちのいないところでビアンカを壊してしまうことはないというヘンリーの言葉は、リュカにも受け入れることができた。
「お前に悪夢を見せるにしたって、あいつだったらもっと酷い悪夢を見せるはずだよ。とっくにお前の心を壊してる。だから……安心しろ」
この言葉をヘンリーから聞くことで、リュカの心は落ち着いた。ゲマというあの憎き敵を知っている同士だからこそ、リュカは素直にヘンリーの言葉に耳を傾けることができる。
「絶対にビアンカちゃんは生きてるよ。生きてる限り、救い出せる。弱音は吐いてもいい。俺で良ければいつでも聞いてやる。だけど絶対に諦めるなよ」
リュカと共に苦しい時を経て、その苦しみを今も覚えているヘンリーの励ましの言葉に、リュカはたまらず涙を流した。押し殺したように泣くリュカに、マリアが静かにハンカチを差し出した。リュカはそれを受け取ると、自分の両目にハンカチを押し当てる。
「ありがとう、ヘンリー、マリア」
「別に俺たちは何もしてない。ただお前の話を聞いただけだろ」
「こんな話はヘンリーにしかできないんだよ」
「まあ、そりゃそうだろうな」
「また来るかも」
「いいぜ、いつでも待ってる。お前の移動呪文があればひとっ飛びだもんな。あれさ、俺にも使えないのかな」
「ポピーが使えるよ、ルーラ」
「えっ? ホントか? ポピーちゃんに教えてもらおうかな……。なぁ、ポピーちゃんをしばらくラインハットに預けて……」
「それは無理。第一、ポピーが一人でここにいられるとは思わないよ。あの子はしっかりしてるようだけど、それは僕やティミーがいるからなんだと思うし」
「なんだよ、しっかり父親やってんじゃねぇか」
ヘンリーにそう言われ、リュカははっとして顔を上げた。ティミーとポピーと過ごした年月は到底父親と呼べるものではないとリュカは思っている。エルヘブンへの旅でようやく二人に少しは近づけただろうかと少々の自信を得たばかりなのだ。
「しっかり子供達との時間を埋めて行けよ。お前ならできる。なんせ魔物を手なずけるような特殊なヤツなんだから」
「うん、頑張るよ」
「……で? 外にあいつらがいるんだって? そりゃあすぐにでも会ってやらないとな。俺に会いたくて来てるんだろ?」
「ヘンリーと言うよりはマリアかな?」
「まあ! 嬉しいですわ」
「ガンドフだろ、そう言ってるのは。あいつはマリアと仲良しだったからな」
「いや、ガンドフだけじゃなくてピエールも」
「ふっざけんな! あいつ、マリアをそういう風に思ってたのか。許さん……」
「いや、そういうことじゃないと思うけど……」
「とにかく外に会いに行くぞ。どこにいるんだ?」
「あなた、その前にリュカさんのお子様たちをお呼びした方がよろしいのではないでしょうか?」
「ああ、そうだな。じきにコリンズが勉強させられる時間だしな」
「コリンズ君にも魔物たちに会ってもらう?」
リュカが何の気なしに提案すると、ヘンリーはにやりと笑い、「そりゃあいい考えだ」といかにもいたずら心溢れる顔つきでそう言った。
「じゃあ子供たちを連れてちょっと外に出てみるか。護衛の奴らもつくだろうけど、まあ、グランバニアっていう国を知るにもいい機会だ。早速行ってみようぜ」
「あんまり驚かせるようなことはしない方がいいと思うよ」
「それはお前次第だろ。またあの時みたいにあの巨大な猫をけしかけるなよ」
ヘンリーが言っているのは、以前サラボナで挙げたリュカとビアンカの結婚式の時のことだった。結婚式でヘンリーは成長したプックルと再会を果たしたが、その際にプックルはヘンリーに襲いかからんばかりの勢いで飛びついたのだ。
「けしかけてなんかないよ。あれはプックルがヘンリーに会えた嬉しさで飛び上がっただけだよ。多分」
「そういうことを笑いながら言うってのは、それだけで悪意がある。お前はお人好しそうな顔をして、結構ひどいことする奴だよな」
「ヘンリーにしかできないけどね」
「なんだよ、それ」
二人の親友のやり取りを見ながら、マリアが幸せそうに微笑んでいる。ヘンリーは勢いよくソファから立ち上がると、部屋の飼い猫の背中を一度撫で、扉へと向かった。リュカもその後に続き、マリアもいかにも楽し気な様子で彼らの後をついて部屋を出て行った。

Comment

  1. トトロ より:

    僕の中ではヘンリーとの再会を果たすのはクライマックスの一つ。奴隷解放~ラインハット救済が好きな物語だから、余計にそぉ思うのでしょうが。。
    ゲームだったら次はどこ行ったっけと思いつつ、ラインハット編の続きを楽しみに待ってます。

    • bibi より:

      トトロ 様

      コメントをどうもありがとうございます。確認遅れましてすみませんm(_ _)m
      私もヘンリーというキャラクターに思い入れがあるので、どうしても書き方が贔屓気味になってしまいます。魅力的なキャラクターですよね。
      ゲームだと恐らくエルヘブンの前にテルパドールに寄る感じですが、ラインハットの次に行こうかなと考えています。天空グッズが集まってきて息子がどんどん勇者になって行くので、父親は気が気じゃないかも知れません。

  2. ピピン より:

    bibiさん

    久々のヘンリー、懐かしくて良いですね(笑)
    今回は双子にとっても第三者の視点で父親を知る良い機会になったと思います。
    リュカにとっても良いガス抜きになったでしょう…

    そしてマリアを遠慮がちに見つめる双子達。
    恐らく彼女にまだ見ぬ母の影を重ねていたのでしょうか…想像したら切なくなってきました( ノД`)

    • bibi より:

      ピピン 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      自分の父親の友達、ってどこか不思議な感じがしますよね。お父さんがお父さんじゃないようで、そわそわする感じ。
      リュカもヘンリーに会って、張り詰めていた気が少し緩んだかなと思います。
      そうです、マリアという母の存在に、双子たちは密かに敏感になっています。マリアに甘えるコリンズに、双子たちがどう思っているかは、次回書いてみるかも知れません。

  3. やゆよ より:

    はじめまして!
    いつも楽しく読ませていただいてます!

    もう続きがほんとに楽しみで、待ちきれません!笑

    双子ちゃんとリュカがはやくビアンカに会えるのを祈る思いです、、
    双子ちゃんも、もちろんそうだけど、リュカにはやく会わせてあげたいと思っちゃいますね、、

    • bibi より:

      やゆよ 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      そうですよね、早く続きが見たいですよね。私もです(笑)
      子供とお母さんを会わせたいというのは本当のところですが、実は一番参っているのは夫だったりするので、早く会わせたいですね~。
      いざ再会の場面を想像すると、それだけで泣けてきます・・・。

  4. やゆよ より:

    bibi さま

    お返事をありがとうございます!
    私も想像するだけで泣けてきます、、泣

    ゲームでも再会のシーンは泣けましたが、主人公は喋らないため、かなりあっさり終わってしまい、もどかしかった覚えがあり
    ます!
    再会した日の夜の夫婦のやりとりを、詳しく描写してくれると個人的には胸熱ですね笑!

    リュカは優しいながらも不器用なところもあるため、双子ちゃんとなかなか距離が縮まってないような気がして、もどかしい思いです(´;ω;`)
    双子ちゃんを思いっきり可愛がるところを見てみたいです!

    個人的な意見をつらつらとすいません笑

    次回作も楽しみにしております!!

    • bibi より:

      やゆよ 様

      ゲームはあくまでもゲームを楽しむ感じなので、淡々とあのシーンが過ぎてしまいますもんね。でもそれだから、こちらで色々と自由に想像することができるので、それが楽しみだったりもします^^
      再会した日のやり取りはそれなりに書ければなぁと思っています。せっかく自由に書いているお話なので。
      リュカはまだ今はちょっと親しいお兄さん、くらいの立ち位置でしょうかね。自分でもどうしたらいいのかわからないけど、どうにかしたいという。
      徐々に距離を埋められるよう、頑張ってほしいところです^^

  5. ケアル より:

    bibi様。
    コメント遅くなってすみません。
    読んではいたんですが、コメントが、まとまらないまま今に至りまして…(汗)。

    サンチョ、本音と建て前だとしても、ラインハットに対してお礼をしていたんですね。
    サンチョとヘンリーが和解をし話ができる日が来ればいいのですが…。

    リュカとヘンリーの会話…楽しいし悲しいし辛いしで…(涙)
    bibi様の描写ヘンリーとリュカの会話…正直言ってケアルは涙が出てしまいました(ウルウル)。
    bibi様の小説を読み込んでいるから、感情輸入がしやすくて…。
    ビアンカのくだりの話は…(涙)
    リュカの弱音に対してのヘンリーが…(涙)
    う~bibi様~…
    私ケアル感動しました!。

    次の話も更新されてますね(笑み)
    さっそくルーラ(効果音)。

    • bibi より:

      ケアル 様

      いつもコメントをどうもありがとうございます。
      ここではリュカ君に息抜きをしてもらおうと思っていました。
      グランバニア王として、子供たちの父親として、仲間の魔物たちを率いる者としての責から逃れて欲しいなぁと。
      ずっと弱音を吐けない環境は苦しいでしょうからね。
      感動していただけて何よりです^^ 書いた甲斐があるというものです。
      これからも頑張って更新して参ります! よろしくお願いいたしますm(_ _)m

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