勇者の再来

 

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砂漠を照りつける日差しは強い。しかしまだ日は昇ったばかりで、テルパドールの城も城門が開いて間もない頃だった。しかし城の周りに住む砂漠の人々の生活は既に始まっており、城の北東に位置するオアシスに向かう人々の姿がちらほら見える。オアシスでは朝のバザーが開かれ、食材や生活用品を買い求める人たちが熱い砂の上をものともせずに歩いている。
リュカたちはテルパドールの城に向かって歩いていた。バザーに向かう人々の中に、リュカはふと見覚えのある顔を見つけた。しかしすぐにその女性が誰なのかを思い出すことができず、砂の上に突っ立ったまま、通り過ぎようとしている女性の横顔をしばらくまじまじと見つめていた。
リュカの視線に気づいた女性が、一緒に連れ立って歩いている男性との会話を止め、ゆっくりとリュカを振り向く。目が合った瞬間、リュカはここがテルパドールであることを忘れたような気になった。
彼女がいるべき場所は、港町ポートセルミ。潮の匂いを感じ、美しい港町の景色が似合う彼女が、テルパドールと言う砂漠の国にいるのは違和感を覚えた。日除けの薄手の布を頭に被り、全身にも強い日差しをよけるためのベールを纏っている。その姿がまるであの頃の踊り子そのもので、リュカは思わず眩しそうに彼女を見た。
「あら? どこかでお会いしましたっけ?」
女性はリュカに会った過去を忘れているようだった。かつてポートセルミという港町で人気の踊り子だった彼女にとって、リュカは踊りを見に来ていた男性客の一人に過ぎないくらいの存在なのだろう。
「以前、ポートセルミの町にいましたよね。えーと、名前は……」
「私の名はクラリス。そうですか、あの町でお会いになったことがあるんですね……懐かしいですわね」
そう言いながら口に手を当てて上品に笑うクラリスは、ポートセルミで踊っていた頃のクラリスのように若く溌溂とはしておらず、すっかり落ち着いた女性の雰囲気を漂わせていた。当時からリュカよりもいくつか年が上だったようだが、今やその落ち着きはリュカの及ばない場所にまで届いているようだ。
「なんと、ポートセルミからこの場所まで……それは大変な旅をされたのでしょうなぁ」
サンチョが目を見開いて感心するようにクラリスを見つめる。リュカもかつてのポートセルミからこのテルパドールへの旅を思い出すと、無事にたどり着けただけでも幸運だったと思えるほどの長旅だった。船旅も長く厳しいものだが、砂漠の大陸に着いてからの旅は冗談ではなく死ぬ思いをした記憶がはっきりと残っている。
「そうですわね、大変な旅でした。けれど色々な方に助けていただいて、どうにか故郷に帰ることができました」
そう言う彼女だが、一見華奢にも見える身体は実は一流の踊り子として鍛え上げられたものだ。砂漠の旅に耐えうる体力を持ち合わせていたのだろう。
「この砂漠の国が故郷と? 何故厳しい旅をしてでも故郷に戻られようとしたのですか?」
サンチョがいかにも自然な調子で会ったばかりのクラリスに優しく問いかける。サンチョ自身、一人旅に慣れており、その処世術においてリュカは足元にも及ばない。こうして人々から自然に話を聞き出し、様々な情報を得て、無事にグランバニアにたどり着いたのがサンチョなのだろうとリュカは改めて彼の偉大さを感じていた。
「もう私も若くないし、これからは故郷で暮らそうと思って、帰ってきたんです」
「なんでも遊びに行った温泉で砂漠のバラのうわさを聞いて、懐かしくなったんだってさ」
クラリスと共に歩いていた若い男性が、どこか嬉しそうにリュカたちに話しかけてきた。リュカは初め、この男性も踊り子クラリスのファンの一人のように思っていたが、それにしてはあまりにも若すぎる気がした。クラリスの隣に並ぶ男性と言うよりは、年の離れた弟のように見え、そして彼が当時まだ幼い男の子だったことを思い出した。
彼はテルパドールの武器屋で、幼いながらも店番をしていたクラリスの弟だった。今はリュカと変わらないほどに背が伸び、八年の時を止めていたリュカとさほど変わらない年齢にも見えた。
「温泉と言えば、あの山奥の村の温泉が有名ですよね。私も旅の途中、立寄ろうかと考えたこともありますが……サラボナに立ち寄っただけで温泉にはついぞ行きませんでしたな。いつかは訪れてみたい場所です」
サンチョの言葉に、リュカは静かに胸を痛めていた。有名な温泉のある山奥の村には、ビアンカの父であるダンカンが今も暮らしているはずだ。義理の父であるダンカンに、もう八年以上も顔を会わせていない。未だビアンカが行方不明の状況で、リュカは義理の父に会わせる顔がないと感じている。たとえ今会ったところで、ダンカンはリュカに怒りや悲しみの表情を見せるに違いないと、リュカはやるせない溜め息をついた。
「どうしてこんなに暑い場所に戻ってこようと思ったの? 砂漠って暑いって知ってたけど、こんなに暑いと思わなかったよ」
ティミーが身につけるマントをバサバサと手で動かしながら風を起こし、暑さを紛らわしている。そんなティミーの姿を見ながら、クラリスはいかにも穏やかに微笑む。
「砂漠の生活はきびしいけど、美しいものもたくさんあるんです。私は夜明けの砂漠が好き。いつも心に思い浮かべながらステージで踊ったものですわ」
夜明けの砂漠の景色を思い浮かべ、リュカもその時間帯が最も砂漠が休まる時なのだろうと思った。太陽が照りつける砂漠は灼熱地獄だが、夜は夜で身も凍るような寒さに襲われるのがこの砂漠と言う場所だ。その中で夜明けの時間帯というのは、凍りつく身体を温めてくれる太陽が昇り始める頃だ。砂漠を灼熱地獄にする太陽に唯一、感謝する時なのかも知れない。
「お姉さんたちはこれからどこへ行くの? お城じゃないのね」
「今はちょうど朝のバザーが始まっているの。この砂漠では昼間はあまり外に出ず、朝か夕方にバザーが開かれて、その時間に行かないと買い物ができないのよ」
「バザーって何? 楽しい所なの?」
「バザーって言うのはね、砂漠の商店街みたいなところだよ。色々なお店が並んでいて、そこで食べ物や必要なものを買ったりするんだ」
リュカがティミーに説明する姿を、クラリスは物珍しそうにじっと見つめていた。特徴的な濃紫色のターバンにマントの姿に、クラリスは遥か昔の記憶を辿るように目を細めて旅人の横顔を眺めている。
「あなたはテルパドールに来たことがあるんですか?」
クラリスに尋ねられ、リュカは素直に頷いて見せた。
「もう十年近く前に……妻と一緒に」
「そうですか……」
今のリュカの外見から考えれば、十年も前に妻と共にこの国を訪れたというのは奇妙なことと捉えられてもおかしくないはずだった。今のリュカの外見から十年を差し引けば、リュカはまだ子供の頃と言うことになる。しかし妻と一緒にと言ったリュカの言葉を、クラリスは特に奇妙に思ったわけでもなく、ただ静かにそれを事実として受け入れているようだった。
「久しぶりにこの国に寄られたんですね。せっかくですからゆっくりして行ってください」
「あ、でもボクたちはすぐに……」
「はい、少しの間ですがゆっくりさせてもらいたいと思います」
ティミーが素直にこの国をすぐに立ち去るかも知れないことを伝えようとしたが、それを遮るようにリュカは姉弟との会話を他人のまま終わらせた。クラリスたちは会釈をすると、そのままオアシスのバザーに向かい、リュカたちはテルパドールの城門に向かう。
「なんだか、きれいな女の人だったわね、お父さん」
「うん、そうだね。……テルパドールに戻ってこられて、良かった」
「誰が? お父さんが?」
「……さあ、僕たちは早いところ、女王様に会いに行かないとね。そのために来たんだから」
テルパドールに戻り、落ち着いたクラリスの暮らしは、大事な家族と共にある。年の離れた弟と、あの厳しくも優しい父親と、今は過去の時間を取り戻すように暮らしているのだろう。ポートセルミでは結婚に憧れていた彼女だったが、今は結婚とは違う自分の道を見つけて、その道を歩むことにしたのだろうと、リュカは彼女の人生を垣間見た気がした。
そして彼女は、リュカの妻ビアンカのことも知っているはずだった。ポートセルミではクラリスの踊りを、リュカとビアンカ二人揃って鑑賞したこともある。あの時はクラリスもはっきりとリュカのことを覚えており、ビアンカともまるで前からの知り合いかのように親しく話していた。しかしやはり人気の踊り子にとってはリュカもビアンカも通りすがりの旅人に過ぎないということなのだろうと、リュカはテルパドールの城門に向かって、子供たちと手を繋ぎながら歩いて行った。
そんな親子の姿を、クラリスが振り返って視線を向けていることに、リュカは全く気が付かなかった。



「お城の中、すずしい~! カベとかも冷たくて、さわると気持ちよさそう!」
テルパドールの城は砂漠のただ中に建っているようには思えないほど、快適な場所だった。外を歩いている時には、これからますます強くなろうとしている日差しにティミーもポピーも嫌気がさしている様子だったが、城の中に入った途端、砂漠の砂の上を歩いてきた時の汗は一気に引いてしまった。城の中はちょうど風が吹き抜けるように要所要所に窓があり、砂漠を通ってきた熱い風も、城の中では涼しく感じられるくらいに冷えてしまう。
「城を造る石が特殊なものなのでしょうかね。ただの大理石ではないような……」
「大昔に勇者のお供をした人が女王様の祖先だって言うから、この城もかなり前に建てられたものなんだろうけどね」
「我が国よりも古くからある国……なのでしょうな、きっと」
「大昔はもしかしたら、ここは砂漠じゃなかったのかも知れないよね」
サンチョがテルパドールの城の中を見渡しながら感心する姿に、リュカはビアンカと初めてテルパドールを訪れた時のことを思い出していた。テルパドールと言う砂漠の城には不思議なことが詰まっているのだ。何故砂漠のただ中にこれほど大きな城が建てられたのか、ここに人が住むようになったのは何故なのか、城を造る石はどこからどうやって運んだのか、そして最も驚くべきテルパドールの秘密は、地上ではなく地下に隠されている。
「ここよりももっとずっと、驚く場所があるんだ。そこにきっと、女王様がいる」
「女王様がおられるということは、玉座の間ですか?」
「ううん。玉座の間じゃないんだ」
数日滞在したこともあり、リュカはテルパドールのことをよく覚えていた。当時はテルパドールの学者の手伝いをするために、この城の中をよく歩き回っていたのだ。ビアンカも城の厨房で働く日々を送り、二人で旅の資金を稼いでいた。
リュカにとってテルパドールの思い出は、ビアンカに懺悔したくなる出来事ばかりだ。かつてこのテルパドールの国を訪れた時、ビアンカのお腹に新しい命が宿っていることにリュカは全く気が付いていなかった。大事な命を抱えながら、彼女はあの過酷な砂漠の旅を続けていた。そのことを思うだけで、リュカは自分がどれほど無神経なのかと呆れてしまう。あの時、もしビアンカの身に何かがあったら、彼女だけではなく、子供達にもその被害が及んでいたのだ。
そんな危険があったことなど知らない双子たちは、テルパドールの城の中を元気に歩いている。二人の子供が生まれ、育ち、こうして一緒に歩けていることが途轍もない奇跡の先にあった光景なのだと、リュカは隣にいるはずのビアンカと今、分かち合いたかった。
リュカが進もうとしている先には、地下に続く階段がある。まるで地下に牢獄でもありそうな暗い雰囲気に、ティミーもポピーも眉をひそめる。サンチョも怪訝な表情を見せつつも、持参している道具袋から何やら取り出そうとしている。
「本当にここを下りていくんですか、リュカ王」
「うん。でもこんなに暗かったっけなぁ……」
そう言いながら、リュカはあの時はビアンカが呪文で火を灯し、階段を照らしてくれていたことを思い出した。リュカが少しの間悩んでいると、サンチョが道具袋から小さなランプを取り出し、種火で火を灯す。
「サンチョは何でも持ってるんだなぁ」
「今回はお城を訪問するだけと聞いていたので必要ないとは思いましたが、念の為持っていて良かったですよ」
サンチョが手にした小さなランプの明かりがあれば、階段を下りるには十分だった。しかしランプを手にしたサンチョの表情はまだ訝し気だ。リュカが嘘をつくような人物でないことは知っているが、一国の女王という立場の者が、地下の牢獄のようにも見える狭い階段の下にいるはずがないと思ってしまうのも当然だった。ポピーも同じように怪訝な顔をしていたが、ティミーは一人、秘密の通路のような狭い空間に小さな冒険を楽しむ目を向けていた。
階段を下りた先には、特別な飾りも見られない、ごく普通の木の扉があった。リュカは迷いなくその扉を押し、その先に広がる地下空間の景色に一瞬、眩しそうに目を細めた。
テルパドールの地下に広がる緑の景色に、子供たちもサンチョもしばらく言葉も出せず、その場に立ち尽くしていた。砂漠のただ中に建つ城の地下に、まるで違う場所から切り取ったかのような美しい庭園が広がっていることに、その光景を目にしたことがあるリュカでさえも溜め息をついてしまう。この場所に、テルパドールの命そのものがあるのだと言っても過言ではなかった。
「すごいや!お水もお花もあって、同じお城の中じゃないみたいだ」
広い庭園中に、鮮やかな草花が咲き誇る。ここには季節など関係なく、年中花が咲き乱れ、むせ返るほどの花の香りが辺りに漂う。自然に草花が生えたわけではなく、完全に人の手によって管理された美しい自然が、この庭園に凝縮されていた。ここが砂漠の国であることを完全に忘れさせてくれる、巨大地下空間だ。
「お城の地下でこんなにたくさんのお花を咲かせられるなんて……信じられない」
地下という環境にも関わらず、テルパドールの庭園は広々と遠くまで見渡すことができる。上は当然、空ではない。しかし天井高くに無数の小さな月のような明かりが浮かぶ光景は、以前リュカがビアンカとこの場所を訪れた時と変わらない。年中、明るい夜空に照らされたようなこの地下庭園に、サンチョは感心するように再び溜め息をつく。
「なんとも……不思議な場所ですな。天井の明かりにしても何にしても、恐らく魔法の力を借りているのでしょう。我がグランバニアも似たような環境ではありますね」
「そうか。そうだよね。グランバニアも城の中の城下町は全部、魔法の力で明かりが保たれてるんだもんね」
「ええ、その通りです。ただ……悔しいですが、こちらの方が強い魔力が使われていそうですね。テルパドールの女王は非常に魔力の高い方なのでしょうか」
「うーん、そういうことはよく分からなかったけど、何となくそんな雰囲気もあったような気がする。勇者の供をした人の子孫って言ってたし……きっと特別な人なんだと思うよ」
旅人が地下庭園に足を踏み入れ、散策を始めていることに、この庭園にいるテルパドールの者たちは気づいているはずだった。しかし旅人を警戒する様子もなく、遠くに見える兵士は大きな槍を携えたまま庭園の手入れをする女性と和やかに話をしている。兵士や女性と目が合い、リュカが軽く会釈をすると、二人もただにこやかに会釈を返すだけだ。その様子を見てサンチョもにこやかに会釈をし、笑顔のままリュカに小声で話しかける。
「本当にこの場所に女王様がいらっしゃるのでしょうか。それにしてはあまりにも無防備な気がしますが……」
「うん、前に来た時もそう思ったよ。でも、多分、アイシス女王はもう僕たちに気づいているんだと思う」
「気づいてるって、どういうこと、お父さん」
「うーん、なんて言うのかな、もう僕たちのことが見えてるって言うか……そんな感じ」
「えっ? じゃあ今、女王様に見られてるってこと? でもどこにもお姿が見えないわ」
ティミーとポピーはリュカの後ろを歩きながら、辺りをキョロキョロと見廻すが、広い一面に美しい庭園が広がる景色があるだけだ。庭園はまるで迷路のようで、分かれ道がいくつもあり、案内人がいなければどこへ向かったらいいのか分からないような空間だ。ただの旅人が面白半分にこの地下庭園に足を踏み入れてしまえば、恐らくこの迷路の中で迷子になってしまうのだろう。
リュカはかつて会って話をしたアイシス女王に、今回は大事な話があると、それだけを思いながら歩き進めていた。道は勝手に導かれ、リュカたちはいつしか、女王の寛ぎの空間に入り込んでいた。
「ようこそいらっしゃいました。私がこの国の女王アイシスです」
早々とリュカたちが来ることに気づいていたアイシスは、凭れ椅子からゆっくりと立ち上がると、その顔をリュカたちに向けた。リュカは彼女も時を止めていたのではないかと思うほど、あの時と変わらない風貌であることをその姿に見た。目鼻立ちのはっきりとした顔に化粧を施し、唇には鮮やかな紅を差している。相変わらず背が高いが、あれからリュカも少し背が伸びたのか、今はリュカよりもアイシスの視線が下になっていた。頭に被る冠は金色で、蛇を象る装飾がされている。すらりと伸びる長身を覆うドレスは、真っすぐに地面にまで伸びている。
「あら? あなたは前にもいらしたことがありましたね。リュカさん、でしたね」
「よく覚えていますね。もう十年くらい前になるのに」
「あれからあなたのことはずっと気になっていたのですよ」
そう言って微笑むアイシスの姿に、サンチョもティミーもポピーも見とれてしまい、声が出せずにいた。アイシスには女王としての品格だけではなく、全てを見通すような鋭く深い黒の瞳、全身にまとう計り知れない魔力、相手に勝手な行動を許さない威厳などが全て詰まっている。リュカは女王を見ながら、彼女が勇者であっても不思議ではないのに、などと思っていた。
「実は先日、天よりお告げがあったのです。伝説の勇者が現れる日が近い……と」
女王の言葉に、リュカは黙り込んだ。どれだけ美しくとも、どれだけ品格があろうとも、たとえ未来を予知できても、彼女は神ではない。あくまでも彼女にできることは、未来を予知する力を発揮することだ。彼女自身が国を、世界を救う使命を帯びているわけではない。アイシス女王が感じている悲しみ、憤り、もどかしさを、リュカは全て理解できるような気がした。国の民を決定的に安心させることができない自分の無力さを、アイシス女王は何年にもわたり感じ続けているのだ。
「きっとあなたが受けたお告げは……正しいのでしょうね」
そう呟くリュカの目を、アイシスは静かに見つめた。アイシスの女王たる強い眼差しにリュカは耐えきれないとばかりに、目を伏せる。視線を逸らし、心の会話を途切れさせたリュカに、女王はあくまでも優しく語りかける。
「ところで……そちらの男の子はあなたの息子さんですか?」
リュカがわざわざテルパドールに来たのは、息子であるティミーを連れてくる必要があったからだ。しかし未来を予知する能力のあるアイシスに息子のことを聞かれると、途端にティミーを隠したくなる思いに駆られた。子供は二人いるというのに、何故『息子』だけを見ているのか、女王は既にティミーが勇者だということを知っているのではないのか、この場で勇者を差し出せとでも言われるのだろうかと、リュカの胸の内には不安ばかりが渦巻くが、この場から逃げ出すことはできない。
「そうです、僕の息子と娘です」
「そうですか。お子さんがいらっしゃるとは時が経つのは早いものです。お名前は?」
アイシスはにこやかな中にも女王としての気品を保つ表情で、二人の子供たちに話しかける。長身の彼女が少々屈んでも、まだ二人の子供よりもずいぶん目線が高い。しかし女王の威厳に怖気づくことなく、ティミーもポピーも順に名を名乗った。
「初めまして! ティミーと言います」
「ポピーと申します。女王様にお目にかかれて光栄です」
「そうですか、二人はティミーにポピーというのですね。とてもしっかりとしたお子さんのようですね」
「国のみんながこの子たちをしっかりと育ててくれました。国の人たちには感謝してもしきれません」
「何を仰いますやら、リュカ王。あなたと王妃様のお子様だから、これほど素直に育ってくれたのですよ」
サンチョの言葉にアイシスは一瞬、目を瞬いた。そして再びリュカ、双子の兄妹、そしてサンチョを確かめるように見つめると、合点が行ったように小さく一つ頷いた。かつてリュカの話を聞いて、グランバニアの話をしたのはこのアイシスなのだ。リュカがあの後、グランバニアに向かい、しかるべき立場に就いたことを想像するのは容易かった。
その時、アイシスの目の前が突然、眩い光に包まれた。アイシスだけに見えているその光は、ごく近くで放たれている。途端に目を細めたアイシスを、リュカは訝しんだ。そして彼女の視線の先にいる息子を見て、覚悟を決めなくてはならないのだと一人静かに鼓動を高鳴らせた。
「……私、その子から何かを感じます。とても強く……」
「ボクのこと?」
「そうみたい……」
「その子を連れて私について来て下さい!」
アイシスは一刻を争うとばかりに、足早に地下庭園を歩き始めた。庭園で草花の世話をする女性や警備の兵士は、女王がただならぬ様子で庭園を横切って行く様子に、不安な眼差しを向けている。未来を見通す特別な力を持ち、常に冷静沈着なアイシス女王が、表情にも余裕を失い足早に庭園を歩いて行く姿を彼らは一度も目にしたことがないのだろう。
アイシスが向かう先を、リュカは知っている。かつて一度、ビアンカと共に訪れたことがある国宝がまつられている場所だ。光り輝く天空の兜を、リュカは頭に装備しようとしてみたことがある。しかしリュカにとって、天空の兜という唯一無二の防具はただの鉛の塊同然のものだった。リュカのその状態を見て肩を落としたアイシスを思い出す。
地下庭園から階段を上り、一度城の上階に出る。外の熱に当てられても尚、アイシスの足取りは緩まない。その後をリュカを先頭に、ティミー、ポピー、後ろをサンチョが護衛のように続く。皆、無言だった。城の回廊で行き交うテルパドールの人々が、女王の後をついて行く四人の旅人の姿を、不思議そうに見つめていた。
離れにある小塔の中を、今度は下り階段でひたすら下る。ティミーにもポピーにも、サンチョにも、女王が急ぎ足で向かう場所が想像できていた。いつもははしゃぎそうなティミーも、今は真剣そのものの表情で、リュカのすぐ後ろを歩いている。その目には不安などはなく、確固たる意志が感じられるほど強い雰囲気を醸していた。
「さあ、こちらへ!」
アイシス女王が少し息を切らして案内する。地下には広い庭園ではなく、淡い緑色に照らされる小部屋があった。壁中に埋め込まれている宝石が、魔法の力を受けて淡く緑色に輝き、その光に照らされる小部屋も仄かに緑色に染まって照らされている。その光を受けて、ティミーとポピーの金色の髪も、淡い緑色に見える。リュカはそんな二人を見ながら、あの時のビアンカとまるで同じだと、高鳴る鼓動のまま子供たちを見つめた。
アイシス女王は小部屋の奥の台座にまつられている国宝の横に立った。箱の中にしまわれているわけでもなく、布を被せて保護されているわけでもないのに、天空の兜は傷も汚れもなく、埃も被っていない。
「やっと見つけた……。あれはボクのだよ。お父さん」
ティミーの呟きは、リュカにしか聞こえていなかった。ティミー自身、自分が何を言ったのか分かっていない様子だった。ただティミーの中に流れる特別な血が、彼を無意識のうちに喋らせていたのかも知れない。
「ここにまつられているのが我が国に代々伝わる天空の兜です。伝説の勇者であれば被ることができるはずです。さあ、ティミー。この兜を被ってみて下さい!」
アイシス女王は以前、リュカにも同じように天空の兜を装備してみるよう勧めた。これまでにも何度か、テルパドールを訪れる旅人に天空の兜を見せ、装備できるかどうかを試していたはずだ。しかしその度に、彼女の期待は裏切られ続けた。
今までの経験上、アイシスは勇者と思しき者を試すために天空の兜の装備を勧めていたが、今のアイシスは違っていた。彼女はティミーが勇者であることを疑っていないようだった。ほぼ確信を得たような様子で、彼女はティミーに天空の兜を差し出している。二人の子供がいるというのに、まるでティミーしか見えていないようなアイシスは、既に勇者を見つけたような興奮状態にあった。
ティミーは落ち着いた様子で、アイシス女王から天空の兜を受け取ると、その美しい装飾を眺めるでもなくすぐに頭に被った。被る前から明らかに兜のサイズが大きいことは誰の目にも明らかだった。しかしそのことを指摘する者はいない。誰もが、ティミーが天空の兜を装着できることを知っていた。
ブカブカの天空の兜を被ったまま、ティミーは静かに目を瞑った。少しの静寂の後、兜の青い宝玉が辺り一帯を吹き飛ばしてしまいそうなほどの強い光を放った。誰もが目を開けていられず、その光から逃れるようにきつく目を瞑る。ティミーは目を瞑りながら、脳裏に巨大な金色の竜が咆哮を上げる光景を見た。
小部屋の中に元の通り淡い緑色の光が戻る。アイシス女王、リュカ、ポピー、サンチョがゆっくりと目を開ける。台座の横に、見たこともないような凛々しい表情をしたティミーが、天空の兜を違和感なく身につけ、父リュカを真っすぐに見つめていた。
「ああ……。なんということでしょう……。とうとう……。伝説の勇者が私たちの前に現れたのですね」
アイシス女王の声は、涙と共に床に落ちた。テルパドールの女王が涙を流した姿を、テルパドールの民たちは目にしたことがない。女王は常に規律正しく、美しく、優しく、厳しくも温かな女性だが、強く心を動かされ涙をすることはこれまでになかったに違いない。勇者の再来を予言しつつも、その時がいつ訪れるのか分からず、テルパドールの民たちを本当の意味での安心に導けない自分は、果たして女王の資格があるのだろうかと何度も一人、胸の内で悩み続けていた。
女王の前にいるのは、まだたった八歳の少年だ。しかし天空の兜を身につけるその姿は、アイシスにとっては、夢にまで見た勇者そのものだった。目の前にとうとう現れた勇者の前に、アイシスは初めて女王として跪いた。
「ティミー様……。世界を覆う闇を必ず拭い去ってください……」
砂漠の民たちを束ねる女王が、ティミーの前で跪いたまま両手を組み合わせている。まるで祈りを捧げるような格好に、ティミーが凛々しい表情のまま女王の頭の上から言葉をかけた。
「ボクが必ず、闇を拭い去ります。ボクにしか……できないんだから」
アイシス女王と対等に言葉を交わすティミーを見て、リュカは彼が自分の息子であることを一瞬、忘れたような感覚に陥った。しかしここでティミーを手放すわけにはいかない。
ティミーは紛れもない勇者だ。そのことはリュカもこの時になってようやく認める覚悟ができた。しかし勇者だからと言って、ティミーは一人でいなければならないわけではない。ティミーの父は自分であり、妹はポピーであり、母はビアンカであり、その他にもティミーを育てた人々がグランバニアには大勢いる。サンチョもオジロンも、双子を可愛がる祖父のようであり、ドリスは双子の姉のような存在だ。
「ティミーはティミーだもん。勇者でも私のお兄ちゃんなの!」
張り詰めた空気を一気に割るような声を、ポピーが上げた。目には涙が浮かび、固める両拳は小刻みに震えている。ポピーはリュカ以上に恐れているのだ。双子の兄が一人だけ、どこか遠い場所へ連れて行かれるのではないかと、そんな恐怖でポピーは思わず叫んでしまった。
「ポピー、何当たり前のこと言ってるんだよ」
「当たり前のことなのに、当たり前のことじゃなくなっちゃうみたいで……そんなの、イヤだよ」
「当たり前のことは当たり前のことだろ。ボクは勇者だけど、世界が平和になったらさ、勇者じゃなくなってもいいんだよ。だけど、ポピーと兄妹でいるのは、やめたくってもやめられないじゃん」
ティミーの言葉にリュカははっとした。不安定な世界は勇者を求めているが、世界が安定を取り戻せば勇者という存在は求められなくなり、いずれは忘れ去られるのだろう。現に、ティミーが生まれるまでの間、勇者という特別な者は長い間存在していなかったのだ。
世界と勇者の絆はそれほどに不確かなものだ。しかし親子や兄妹の絆は切っても切り離せるものではない。互いにその絆を強く感じていれば、尚更強く結びつくのが人と人との絆なのだ。
「かつて世界をお救いになった勇者もまた、互いに背中を預けられる仲間がいました。その仲間の内の一人が、私の祖先に当たります。私は勇者の仲間だったという祖先に誇りを持っています。勇者が世界を救う、その一助を担ったに違いない祖先は、きっとあなたたち家族にも似た絆で結ばれていたのでしょう」
「勇者は一人で世界を救ったわけじゃないんだよね、女王様?」
「ティミー様の仰る通りです。勇者様とは言え、決して一人では闇に立ち向かえなかったでしょう。仲間の支えがあってこそ、勇者は前に進むことができるのです」
「ボクも……そう思うよ。だって、ボク一人で世界を救えると思う? できたらやりたいけどさ、そんなの寂しくて辛くて死んじゃいそうだよ。お父さんにもポピーにもサンチョにも、魔物のみんなもグランバニアのみんなも、みんなにいてもらわないと、ボク一人じゃこの先どうしたらいいのかも分からないしさ~」
天空の兜を被ったままふざけた口調で話すティミーに、サンチョが小さく笑う。アイシスも今は、勇者を見る目ではなく、八歳のまだ小さな少年に優し気な目を向けている。
「……そうよね、お兄ちゃん一人に任せてたら、世界を救うどころか危機に陥れそうだわ」
「なんだよ、そこまで言わなくてもいいだろ」
いつも通りのティミーの様子に、ポピーも無駄な緊張から解放されたように兄にいつも通り話しかける。兄妹が仲良く話す横で、リュカはアイシスと目を合わせた。彼女には女王としての義務が残っている。テルパドールの民たちに明るい希望を与えるため、勇者の再来を民たちに告げなくてはならないのだ。
「さあ、もう戻ることにいたしましょう。民にもこのことを早く知らせなくてはなりません」
リュカの視線を読み取るかのように、アイシスはにこやかに子供たちを見つめながらも、自分の女王としての立場を忘れることなくそう言い放った。
「ティミー様にはできればテルパドールの民たちの前にお立ち頂き、勇者様としての宣言をしていただきたいのですが……」
「宣言って、どうすればいいのかな」
「アイシス女王、それは僕が引き受けます」
ティミーが首を傾げて考え始める隣で、リュカは女王にはっきりとそう告げた。アイシスもそのことを予想していたのか、特に驚いた様子も見せずにリュカに言葉をかける。
「リュカさん……いえ、グランバニア王であるあなたからの宣言でしたら、民たちもしっかりと耳を傾けるでしょう」
「特別な言葉は決まっていませんか? 僕が自由に言うことは構いませんか?」
「問題ありません。ティミー様が勇者であることと、世界を平和に導くこと、それだけを含めていただければ……」
「分かりました」
「分かりましたって、お父さん、ボクのことを勇者だってこの国の人たちに伝えるの? お父さんが?」
ティミーが意外そうにそう言いながらリュカを見上げる。父であるリュカに勇者として認めてもらっていない自覚があるため、ティミーの顔つきはどこか不信なところがある。
「何か問題があるかな?」
「ううん、そうじゃなくて……ううん、何でもないよ」
「リュカ王が宣言なさることが最善のことと思われます。ティミー王子ご自身から宣言なされば、人によってはいらぬ不安を抱かせることもあるかも知れません」
「サンチョ! それ、どういう意味だよ!」
「ティミー王子、想像してみて下さい。テルパドールの人々から見れば、ティミー王子はまだ年端もゆかぬ男の子です。しかしテルパドールの方たちが長年夢に見ていた勇者というのは恐らく、屈強な戦士や偉大なる魔法使い、そのすべてを兼ね備えるような一人の大人であるはずです。そんな期待をしているところに、小さな男の子が現れたら……どう思うでしょうか」
テルパドールの人々の勇者信仰は深い。それは女王アイシスが勇者再来の予言をして、女王の予知能力に絶大なる信頼を寄せる国民は大きな期待のもとに勇者という未知の者を想像する。彼らの期待は年月と共に増大し、彼らの想像する勇者像は今や誰の手にも負えないほど大きなものになっているだろう。
「ちょっと……不安になるかも」
「ティミー王子、あなたはとても賢い。お分かりいただけたようで何よりです」
「大丈夫だよ、ティミー。これは一つの儀式みたいなものなんだから。それにさ、僕にも少しはグランバニア王としての役目をさせてよ。国では大したことしてないんだから」
リュカがおどけたようにそう言うと、ティミーは「お父さんは立派な王様だよ!」とムキになって反論した。そんな父と子の姿を、アイシスが微笑みながら見守っている。
「さあ、上に参りましょう。玉座の間より、国民に勇者の再来を伝えます。私について来てください」
アイシスにはこの国の女王としての役目がある。ティミーには勇者として生まれた者としての役目がある。リュカには勇者である息子を誰からも守り抜く父としての役目がある。それぞれの役目を背負いながら、彼らは国宝の間を静かに立ち去った。



「この国に来た時から、何かに呼ばれてる気がしたんだけど、天空の兜が呼んでたんだね」
リュカの後を歩きながら、ティミーが小さな声で話しかける。アイシスを先頭にテルパドールの城の中を歩く四人の旅人は、やはりテルパドールの人々の視線を集めている。しかし彼らはまだ、この中に勇者がいることを知らない。
「不思議なんだ。天空の兜を見た時、なつかしい気がして……初めて見たはずなのに、変だよね」
そういうティミーの両手には、頭から外した天空の兜が収まっている。テルパドールの国宝としてまつられている時には大人用の大きさだった兜は、今はティミーの頭にちょうど良い大きさで落ち着いている。天空の兜も長い時を経て、ようやく持ち主を見つけられたということなのだろう。
「私は勇者じゃないけど、私のことも好きでいてよね。お父さん……」
ぽつりとそんなことを言うポピーに、サンチョが優しく語りかける。
「ポピー王女、リュカ王のことをそんな薄情な方だとお思いですか?」
「そんな風には思ってないけど……でも……」
ポピーは常に兄ティミーと共に育ち、歩む意思を持っているにも関わらず、ティミーだけが先を歩いて行ってしまいそうで怖いのだろう。勇者である兄を支える意思を固めているはずだが、いくらポピーが聡い子供でも、自分の意思と本心を完全に切り離して考えることは難しい。勇者であるティミーだけが特別で、勇者ではない自分は気にも留めてもらえなくなるのではないかと、ポピーはティミーと引き離されることを本心では恐れている。
「ポピー、大丈夫だよ。僕にとってはポピーもティミーも僕の子供以上の何者でもないんだよ」
「本当に?」
「きっと、君たちのお母さんだって同じことを思ってるよ」
「……お母さんも?」
「うん。ポピーが今言ったことをお母さんが聞いたら、きっとね、怒って悲しむと思う。『二人とも大事な宝物なのに、どうしてそんなことを言うの?』ってね。僕も同じ。だからそんな風に思わないで欲しいな」
玉座に向かう途中だったが、リュカは足を止め、ポピーに視線を合わせるように身をかがめて語りかけた。困ったように話す父の顔を見て、ポピーは小さく何度も頷くと、少しはにかんだような顔でリュカの手を握った。ポピーが父に甘える姿を見て、ティミーももう片方のリュカの手を取る。
「ボクたちにとっても、お父さんはたった一人で、お母さんも……」
「そういうこと。勇者だなんだっていうのは、その次に来る話だよ」
勇者という存在を少々雑に扱うリュカを、アイシスは穏やかに見守っていた。勇者を神のように崇める気持ちを持つアイシスは決して、家族の絆を引き裂くような冷酷な心を持つわけではない。最も大事なものが何かを、アイシスも人として心得ている。
アイシスが玉座の間に姿を現すと、玉座の間にいる侍女たちが恭しく女王に首を垂れる。少なくとも日に二度ほど、アイシスは女王としての公務を執るためにこの玉座の間に姿を見せる。ちょうどその時間が来たのだと侍女たちは既に砂をきれいに払った玉座を女王のために用意していた。
しかしアイシスは玉座には座らず、そのまま玉座の間から正面にある大扉に向かうと、自ら扉を大きく開け放った。大扉を出たところには、テルパドールの城や城下町が見下ろせるテラスがある。女王はテラスから一望できるテルパドールの砂漠の景色を見やると、高々と右手を挙げて、空に花火のような呪文を一つ放った。
「テルパドールの民よ! 我らが待ちわびていた時が来たのです!」
アイシス女王の声はまるで空から降り注ぐ気持ちの良い雨のように、国中に響き渡った。空に放ったのは呪文を応用した特別な力のようで、空を見れば小さな月のような光が浮かび上がり、それがアイシスの声をテルパドール中に届けている。
「勇者様が、この世界に再来したのです! この世界を覆わんとする闇を払いのけるため、とうとう勇者様が現れたのです!」
女王の声に反応するように、テルパドールの民たちがあちこちから姿を現し、女王の姿を目にしようと玉座の間のあるテラスに目を向ける。テルパドールの全ての人々が生活の手を止め、女王の言葉に真剣に耳を傾けているのが、リュカたちにもはっきりと見て取れた。
「ここより遥か東の国グランバニアより、勇者様はおいでになりました。我が国の国宝である天空の兜を身につけられるこのお方こそが、勇者様であることに疑う余地もありません」
アイシスがそう言いながらティミーに目を向けると、ティミーは女王の意をくみ取るように、両手で抱えていた天空の兜を頭に被って見せた。ティミーの頭にぴたりと合った天空の兜は、何物をも浄化するような強く青い光を額の宝玉から放ち、その神々しさにテルパドールの民たちの間には大きなどよめきが起こった。そしてそれは間もなく喝采に変わり、テルパドールの城を揺らしてしまうほどの轟音となった。
「勇者を待ちわびていた皆さんに、知っておいて欲しいことがあります」
テルパドールの民たちが起こす轟音に負けないよう、リュカは声を振り絞るようにして言葉を投げかけた。アイシス女王が発した上空に浮かぶ小さな月のような光は、リュカの声をも大きくし、テルパドール中に届けているようだった。
「私は東の国、グランバニアの王です。勇者は、私の息子。彼はグランバニアの王子として生まれ、同じ時に生まれた双子の妹がいます」
リュカがそう言うと、人々の視線はティミーという勇者から、ポピーという少女へと移る。勇者は二人いるのだろうかという話も、そこここで交わされる。
「息子ティミーは勇者としての運命を、この小さな背中に背負っています。世界の闇を打ち払うという運命は息子に託され、彼もその運命を受け入れています。しかし彼は見ての通り、まだまだ子供です。世界を救う勇者と呼ぶには、あまりにも幼い」
リュカの厳しい言葉に、最も不満を示しているのはティミー自身だ。今にも反論しそうなほどのふくれっ面をしているが、サンチョがその小さな肩に優しく手を乗せると、ティミーの気持ちも少し落ち着いたようだった。
「かつての勇者には、共に旅をし、助け合った仲間がいたという言い伝えが残っています。その仲間の一人が、アイシス女王の祖先であることに、皆さんは誇りをお持ちでしょう。かつての勇者もきっと、仲間がいたからこそ悪に立ち向かえたのだと、思います」
リュカの言葉をアイシスは目を瞑って聞き入っている。何百年も前の勇者とその仲間のことを明確に残した歴史書は存在しないが、テルパドールの人々の中に残る言い伝えには、勇者と行動を共にし、旅を助けたという誇りの精神が受け継がれている。彼らは皆、勇者の再来を信じ続けると同時に、勇者の助けになることをすべきだという思いが心の奥底に常にあるのだ。
「私は勇者の父親です。父親である限り、私は子供を守らなければならない。かつての勇者を助けた仲間よりももっと深い思いで、私は息子と娘を助け、守り抜くべきだと、そう思っています。勇者を勇者として、危険な世界に放り出すわけには行かない……そんな思いを、少しでもいいから皆さんにも知っておいて欲しいのです」
何百年も前の勇者の仲間がどのような人物だったのか、一人だったのか二人だったのか、もっと大勢いたのかなど、そのような史実は何も知らない。伝承の中に残るだけのものだが、勇者の仲間としての誇りは今までにずっと受け継がれ、この砂漠の国に根付いている。
「あなたたちも勇者の仲間です。このテルパドールにいながらも、世界のために出来ることは必ずあります。勇者の仲間を祖先に持つこの国を誇りに思うのなら、あなたたちも勇者の仲間として、闇の力に覆われそうになるのを恐れるのではなく、勇者と共に闇の力を拭い去ってやるのだという強い心を持つようにしてほしいんです」
リュカの言葉の後、一旦は静まり返ったが、一人がぽつりと同意の言葉を口にすると、それはみるみる周りに響き、そしてあっという間に再び喝采の嵐となった。テルパドールの人々は勇者という存在を神か何かのように感じていたが、実際に目の前に現れた、まだ子供の勇者を見て、そして父親であるグランバニア王の言葉を聞き、勇者を助け支える役目が自分たちにあることを、まるで霧が晴れたかのように理解したようだった。
「テルパドールの民よ! 我らが世界のためにできることは、この国をよりよくしていくことです。人間同士の結束を固くし、悪しき魔物どもを打ち払う力を、我ら自身で築いていきましょう!」
アイシス女王の威厳に満ちた声に、テルパドール中から人々の声が鳴り響いた。勇者信仰に厚いテルパドールだが、決して勇者一人にすがることはなく、自分たちに出来ることを求める明確な意思を持ってくれそうだと、リュカは安心したように大きく息をついた。久しぶりにまともに呼吸をしたような気分だった。
その後は勇者ティミーをお披露目するために、城内で会食の席が設けられた。砂漠の国独特の料理に、ティミーもポピーも一つ一つ給仕の女性に「これは何? どういう料理なの?」と聞きながら、食事を楽しんだ。ティミーに話しかけられる女性は、初めこそ緊張した面持ちで答えていたが、ティミーがまだまだ子供の調子で気さくに話しかけてくるため、次第に勇者に対する態度ではなく、人懐こい子供に話しかけるような調子になっていた。
サンチョはアイシス女王やテルパドールを代表する学者の一人と会話をしながら、今後はグランバニアとの国交を開始する話などを始めていた。アイシス女王のすぐ隣で、リュカがうっかり葡萄酒を飲んでしまい、顔を真っ赤にして咳き込んでいると、会席中から笑いが起こった。アイシスが微笑みながら代わりに水を差し出すと、リュカは今度は恥ずかしさで顔を赤くしたまま水を一口飲んだ。
「リュカ王、これからは国の仕事も忙しくなりそうですな。テルパドールにラインハットにと、外交の仕事が増えるでしょう」
「うーん、そうだね。それはきっとサンチョにお願いすることになると思うよ。あとは、そうだ、ドリスがラインハットに行ってみたいって言ってたから、ドリスにお願いするのも良いかもね」
「何を仰るのですか。リュカ王自ら他国を訪問することも必要ですぞ。あなたはグランバニア国の顔なのですから」
「えっ? あ、あはは、そうだよね。一応、僕、王様やってたんだったっけ」
「お父さ~ん、しっかりしてよ~」
「さっきはあんなにカッコ良く皆さんの前でお話してたのに……まるで別人みたいね、お父さん」
テルパドールの民が待ちわびた勇者の再来の時は、想像していなかったような和やかな雰囲気に包まれてその時は過ぎて行った。しかし確実にテルパドールの国全体が、今までにない活気に満ち始めていることを感じているアイシスは、グランバニアからの四人の旅人を満足そうに微笑みながら見つめていた。

Comment

  1. ケアル より:

    bibi様。
    以前、クラリスをだして欲しいとコメントに書いたのを覚えていてくれたんですね
    ありがとうございます。
    クラリスは、たぶんリュカだと思い出しているのでしょうか?
    結婚を考えた男性のことを思い出せない…ことはないと思うんです。
    最後にリュカのことを見ていたんですもの。。

    ようやくリュカもティミーが勇者だと認めることができましたね。
    さすがbibi様、リュカの演説に肩書きの勇者の父親を入れてきましたね。
    ゲーム内では最後の肩書きになりますね。
    自分的には、カボチ村の子供と話すと肩書きが変わり、モンスター使いになりますよね。
    個人的に、こっちの方が好きですね。

    アイシス女王は、ほんとに不思議な魔法が使えますね。
    bibiワールドだけの魔法は、わくわくして来ます
    これぞ二次創作の醍醐味ですな!。

    さて次回は、ルラフェンになりますか?
    サラボナになりますか?
    それとも、リュカが行きにくい山奥の村になりますか?
    光の玉を所持してなくても妖精の村へ行けますがティミーポピーを連れてベラとポワンに会いに行きますか?
    ストーリー進めて天空の塔に行きますか?
    次回も楽しみにしていますね。

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      クラリスは・・・思い出していると思います。でも、リュカに子供はいても妻がいないことに何かを察したように、気づかないフリをしたという感じでしょうか。
      DQ5の主人公の肩書が変わっていくのは面白いですよね。あれだけで物語を追うことができるという。勇者ではなく勇者の父親・・・深いゲームです。
      二次創作はある程度に自由に書けるのが楽しいですよね。でもあくまでも元々のゲームをリスペクトしつつ、これからもお話を書いて行きたいと思います。
      次回はちょっと・・・考え中です。色々選択肢があって迷いますね~。

  2. ケアル より:

    bibi様。

    すみません間違えてますね。
    光の玉ではなく…
    光るオーブでした。
    光の玉ならドラクエ3のゾーマやん(苦笑)。

    先日、都響版DQ1~9(場面別構成CD)をCDを引っ張り出して聴きました。
    ほんと…すぎやまこういち先生は、天才としか言いようがありません!
    彼は、ゲーム界を動かした神ですよ!。
    数々の神曲を生み出した猛者であります。
    もう…大好きですね(笑み)。

    bibi様の小説を拝読させて頂く時は実は…

    すぎやま先生の都響版ドラクエ5を聴きながらbibiワールドを楽しんでいます(笑顔)。

    • bibi より:

      ケアル 様

      光の玉も光るオーブも、もともとは似たようなものかも知れませんよ。
      ロト編と天空編で、使い道が分かれちゃっただけで……。
      光るオーブと言っちゃうと、ニセものの方になっちゃいますけどね。本物のゴールドオーブなら……。
      すぎやま先生の音楽は、本当に痺れますよね。分かります。
      私も、お話を進める際にDQやFFの音楽を聞いたりして、気分を盛り上げたりしています。
      音楽に聞き入って、まるで進まない時もあるので、気をつけたいところです(笑)

  3. gawa より:

    ドラクエ5は人生で1番
    プレイをしたゲームですが…

    この小説は素晴らしいですね!
    主人公の葛藤と暖かい世界観。
    好きです!

    あと、ここまで多彩な登場人物の心情を
    細やかに表現してくれると嬉しくなります!

    マーリンまで、キャラが立ってるとわw

    ドラクエ5好きとしては公式認定しても
    いいんじゃないかってくらいです!

    続編、気長にまってます〜^_^

    • bibi より:

      gawa 様

      コメントをありがとうございます。
      私自身がDQ5にはとても思い入れがあるので、終わりが見えないながらもこうして書き続けています。
      そしてgawaさんのような温かいコメントをいただけると、次も頑張るぞ!という励みになります。ありがとうございます。
      全てのキャラを同じように登場させたいんですが、仲間が増えるとなかなか難しく……でもやはり古参のマーリンたちにはいつまででも出続けてもらいたいと思っています。
      続編、気長にお待ちくださいませm(_ _)m

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