2020/05/26

大広間での激戦

 

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「お、お父さん……まだ一番上に着かないのかしら……」
天空の塔を上り始めてから二時間が経った頃、ポピーが震える声でそう呟いた。
今、リュカたちは塔を上りながらも外の景色を目にしていた。まるで一つの巨大な建物のような柱が塔を支え、巨大な柱の遥か上には恐らく上階と思しきものが見える。天空の塔を目指して馬車で移動してきた時に目にしていたこの塔はずっと上に伸びていたはずで、ポピーの期待にはまだまだ沿えない状況だ。
天空の塔のあちらこちらが魔物によって壊されているとは言え、塔を支える巨大な柱はびくともしていない。魔物よって傷がつけられている箇所もあるが、巨大な柱にとってはかすり傷のようなものに見える。眼下に見える景色がすでにかなり小さくなっており、リュカたちがいる上空には冷たい風が吹きすさぶこともある。しかし天空の塔自体は風の影響など受けることなく、地面にしっかりと根を張る巨木のように安定していた。
「まだ上に上るのでしょうが……階段が見当たりませんね」
リュカたちがいる階にはピエールの言う通り、上に上る階段がどこにも見当たらなかった。この階には幸い魔物の姿がなく、リュカたちは慎重に、且つなるべく素早く探索をしていたが、もし上に上る階段があればそれはある程度遠くからでも目にすることができるはずだった。しかしこの階をぐるりと一周回って歩いてみても、階段らしきものを見つけることはできなかった。
「ポピー、神様のところに行こうってのに、こんな低い所でビビッてどうするんだよ~」
「だって、もう地上があんなに遠いところにあるのよ? 塔からお空を見るのはいいけど……下は見られないよ。吸い込まれそう……」
「リュカー、オレが上に行って見て来てやるよー」
「あ、でも、ミニモン一人で行くのは危ない……」
リュカの言葉も聞かずに、ミニモンは悪魔の羽をバサバサとはためかせながら、まるでどこかに遊びに行くように、遥か上に見える上階に向かって飛んで行ってしまった。しかし間もなく、ミニモンが何かにぶつかったかのような動きをしたのが見えた。再度、ミニモンは上に向かって飛ぼうとするが、見えない敵と戦うかのように、顔を真っ赤にして空中で踏ん張っている。
「ぐおん? ぐおん?」
ミニモンと同様空を飛べるマッドが、奇妙な行動を繰り返すミニモンの様子を見に行くと言わんばかりに飛んでいく。そしてマッドも同じように、見えない壁にぶつかるように弾き返され、ミニモンと同じ高さのところで行き詰ってしまったようだった。
「リュカー、あそこになんかあるぞー。飛んで上に行けないんだよー」
ミニモンがリュカのところに戻ってきてそう伝えている間にも、マッドは見えない壁に向かって挑むように、口から火炎の息を吐き出していた。しかし火炎の息が空中で弾き返され、マッドに向かって襲いかかるのがリュカたちの目に映った。マッドは慌てて自分が吐いた火炎の息を避け、事なきを得ていた。
「神と言うものの封印の一種でしょうか」
「そうかも知れないね。だとしたら、ここに棲みつく魔物たちも飛んでは移動できないはずだよね。どうやって上まで行っているんだろう……」
リュカが眉をひそめていると、キングスがリュカの体をぐいぐいと押してきた。どうしたのかと聞く前に、リュカは遥か上にある上階から何かが下りてくるのを目にした。その様子にいち早く気づいたキングスは、リュカたちの姿を巨大な柱の陰に隠そうとしていたのだった。
しかし宙を飛んで火炎の息を吐いていたマッドは身を隠すこともできずに、あっさりと敵の魔物に見つかってしまった。マッドの姿を見ても、上から一定の速度で下りてくる何者かは途中で止まることなく、リュカたちのいる階まで降りてきた。魔物たちは見たこともないような大きな円盤の上に乗っていた。円盤は何かに吊られることもなく、まるで上空に漂う雲のようにふわふわと浮いている。
「お父さん! あの変な丸いヤツに乗れば上まで行けるんだよ!」
宙を移動する円盤に乗って下りてきた魔物らは、柱の陰に隠れるリュカたちの方へと注意を向けた。ティミーが「しまった!」と言うように、両手で口を押える。
円盤に乗って下に下りてきた魔物はケンタラウスとソルジャーブルが一体ずつだった。リュカたちが今いる階に他に魔物がいないことを考えれば、戦えない相手ではない。空中からマッドが敵に向かって急降下したのを目にしたリュカは、プックルの背中を軽く叩くや否や、同時に柱の陰から飛び出して行った。
空中からはマッドが、柱の陰からはリュカとプックルが急先鋒として戦いに挑む。ピエールもそれに続く。ティミーも慌てて続こうとしたところをキングスに止められ、ティミーは落ち着いて自分のすべきことを考え、敵に向かって行く父たちにスクルトの呪文を唱えて加勢した。
「見張りの者たちだったのでしょうか」
「数が少なくて良かったよ。僕たちに気づいて下に下りてきたってわけじゃないみたいだね」
相手の意表をついた戦い方が功を奏し、二体の魔物を難なく倒したリュカたちは今、敵の魔物たちが使って下りてきた不思議な円盤の前に立っていた。近くに行って大きな円盤を見てみると、円盤の周りにはリュカたちの知らない文字が嫌と言うほど刻まれており、その文字の羅列は仄かに光を放っている。
「お父さん、これに乗るしかないのかしら……?」
ポピーは半ば諦めたような声でリュカに問いかける。辺りに階段は見当たらない。ミニモンやマッドが飛んで行っても上の階まで上がることはできない。敵の魔物が妙な円盤の乗り物で下まで降りてきた。この状況で円盤に乗らない理由はポピーには考えられなかった。今はまだ、上に上に上って行くしかないのだ。そのためには魔物たちが使ってここまで降りてきた円盤に乗らない手はないだろう。
「早く乗ってみようよ! 階段を上らなくていいなんて楽なんだから、ここで止まることもないって!」
そう言いながら、ティミーは待ちきれないと言わんばかりに、一足先に円盤の上に飛び乗ってしまった。
すると、ティミーと言う生命体に反応するかのように円盤の周りの文字の羅列が光り、円盤自体が低くうなる。
「ティミー! 勝手に乗るんじゃない!」
「お父さんたちも早く乗ってよ! これ、このまま上に行っちゃうよ」
ティミーの言う通り、円盤は間もなく上に上がり始めた。プックルが慌てて飛び乗り、キングスが思い切り弾みをつけて円盤の上に着地したが、キングスの重みで速度が遅まることもなく、円盤はみるみる上へと上がって行く。
「ぐおんぐおん!」
マッドがリュカの体を右足でわしづかみにし、左足でピエールの体をわしづかみにすると、そのまま急上昇して動く円盤を目指した。リュカは「ポピーがまだ下に!」と言ってマッドの足から逃れようとするが、ポピーの悲鳴がふと間近に聞こえ、その声に視線を向けた。ポピーもミニモンに両手を掴まれた状態で、円盤に向かって急上昇させられているのを目にし、リュカは思わず脱力した。
円盤の動きは一定だが、それほど早いわけでもなく、マッドとミニモンは無事円盤の動きに間に合った。マッドはリュカとピエールを円盤の上に放り投げるように下ろし、ミニモンはポピーと一緒に円盤の上に降り立った。円盤の上に押しつけられるような力を感じるが、それよりも上から吹きつける冷たい風がリュカたちには堪えた。ティミーが歯をガチガチと言わせ、ポピーが身を縮こまらせているのを見て、リュカは二人を引き寄せてプックルの腹の辺りで暖を取るように丸くなった。
円盤は上階に着くと自動的に止まり、光っていた文字の羅列は一度役目を終えたかのように大人しくなった。リュカたちが乗る広い円盤は昇降機の役割を持っており、先ほどいた下の階と、たった今たどり着いた上階とを結ぶ階段の代わりとなるものなのだろう。
新たに着いた場所には先ほどの階と似たような景色があった。巨大な二本の柱は変わらず上まで聳え立ち、上を見上げればやはり同じように上階の床でもある天井を目にすることができた。
「戻ってくるのが早いじゃねぇか」
聞きなれない声が間近に聞こえ、リュカたちは後ろを振り返った。悪魔のような羽根を生やした魔物が、剣を手にした状態で宙に留まっていた。同じような魔物が合計で三体。魔物らはリュカたちの姿を見るなり表情を変え、すぐさま剣を構える。
「誰だ、お前ら!」
プックルが即座に飛びかかったが、宙高くに留まる魔物ガーゴイルにその攻撃は届かない。リュカも剣を構えるが、あくまでも相手の剣に対抗する手段としてだった。
「下に来ていた魔物は僕たちが倒したよ」
「何だと?」
「僕たちを上まで通してくれるなら戦わないけど、どうする?」
「はっ! 笑わせるな! 誰が黙って人間を通すってんだよ」
ガーゴイルはそう言うなり、空中から急降下してリュカに斬りつけてきた。リュカは剣を構え、敵の剣を横に弾く。しかし弾くのが精いっぱいで、すぐに宙に飛んで行ってしまうガーゴイルに攻撃を加えることはできない。
「リュカ殿、呪文で戦いましょう」
「うん、仕方がないね」
ピエールとリュカは頷き合うなり、すぐさま呪文を放った。三体のガーゴイルを巻き込んだ爆発が起き、直後に魔物らは竜巻に飲み込まれる。呪文の効果の中で魔物らは悲鳴を上げ、傷ついた羽では飛ぶこともできずに、床の上に降り立った。その内の一体にプックルがすかさず飛びかかり、ガーゴイルの首のあたりに噛みついたと思ったら、反動をつけてそのまま魔物の体を塔の下へと振り落としてしまった。
「どうする? 僕たちを上まで通してくれる?」
仲間のガーゴイルが塔の下に落とされた状況で、改めてそう聞かれた残りのガーゴイル二体は互いに目を見合わせた。そして遥か上に見える上階を見上げたかと思ったら、二体のガーゴイルは表情を一変させてリュカに話しかけた。
「仕方がない。上まで案内してやろう。ついてこい」
「えっ? ホント?」
まさか敵の魔物から良い返事をもらえると思っていなかったティミーは、驚きと嬉しさでその場に小さく飛び上がった。ポピーも驚きの表情でガーゴイルを見つめている。
「ああ、ホントだよ。ここまで来られる人間なんてそうそういないからな。特別に上まで連れて行ってやる」
「ここまで塔を上ってこられるなんて、大した人間だよ。魔物が仲間とは言え、それほど勇気を持った人間はそうそういないぜ」
二体のガーゴイルはまるで心を入れ替えたようにリュカたちを賞賛する言葉を並べ立てた。その言葉にティミーは素直に喜び、ポピーも悪い気はしないようで、リュカに「お父さん、良い魔物さんで助かったわね」とこっそりリュカに告げていた。しかしリュカはガーゴイルの案内について行きながらも、決して警戒の気持ちを緩めなかった。
リュカには母マーサから譲り受けた魔物を懐柔する能力がある。その能力のお陰で今、こうして魔物の仲間たちと旅をすることができている。目の前のガーゴイルも一見、リュカに協力してくれているように見えるが、その気持ちが果たしてリュカに寄り添うものなのかと考えれば、そうではないとリュカは感じていた。
二体のガーゴイルはリュカたちを別の昇降機へと案内した。先ほどリュカたちが使用してきた大きな円盤型と同様のもので、今は静かに宙に浮いている状態だった。
「これで上に行ったら、柱の部屋から下の階に下りるんだ。その後は……まあ、道なりに行けば上には行けるだろうよ」
ガーゴイルの説明に嘘はないのだろうとリュカは思った。ただ説明が途中で途切れたのには理由があるのだろう。とにかく柱の部屋から下の階に下りる、その後は自分たちで道を探せばいいと、リュカはガーゴイルたちに礼を述べ、仲間と共に一斉に昇降機の上に乗った。
「上に進めるといいがなぁ!」
円盤の昇降機が上がって行く中、下の階に残るガーゴイルたちはそう言いながら下品な笑い声を立てていた。ティミーとポピーが不安そうな面持ちでリュカを見上げたが、リュカは「大丈夫だよ」と落ち着いて言い聞かせ、二人の頭を優しく叩いた。
「リュカー、ホントに上に行っても平気なのかー?」
「しかし他に道はないのでしょうね。上に何があるかは分かりませんが、進むにはここを通って行くしかないのでしょう」
「平気だよ、きっと。とにかく先に進んでみるしかないよ」
ガーゴイルたちが何を企んでいるのかは分からない。しかし先に進むには恐らくこの道しかないに違いない。リュカは仲間たちが感じている不安を取り除くように、いつも通りの調子でいることに努めた。
「それにしても、どんどん寒くなるね。みんなで固まって暖まっていようよ」
「何だか息も苦しくなってきた気がするわ」
「そうかな? ボク、よくわからないけど。でも、寒いのはちょっとツライなぁ」
リュカは子供たちを傍に寄せ、魔物の仲間たちを皆呼び寄せ、上にぐんぐん上がって行く円盤の中央で一塊になってその時を待った。下に丸みを帯びた円盤はただただ機械的に上に上って行く。神様が作ったものならばいっそのこと悪い魔物には使えないようにしたら良かったのにと、リュカは心の中で毒づきながら、みるみる迫ってくる上階に目を向けていた。



到着した場所は、遥か下になってしまった階と同じような造りで、巨大な柱が二本立つだけの見通しの良い外の空間だった。同じような造りの場所が続き、移動している塔を上に上っている感覚がなくなるが、外に見える景色は確実に遠くなっている。
「この階には魔物はいないみたいだね」
「先ほどの魔物が言っていたことが気になります」
「オレもー。どっかからわんさか出てくるんじゃないのかー?」
「……うん、まあ、考えても仕方がないよ。とにかく入口を見つけよう」
ピエールやミニモンが言う不安を、当然リュカも感じていた。しかしこの階に魔物の姿が見当たらないのは事実だ。それを良いことに、リュカはある程度自由に歩き回りながら、先ほどの魔物から聞いた通り、一本の巨大な柱の周りを調べ始めた。
柱には決して隠されるわけでもなく、堂々とした装飾豊かな扉があった。しかしその扉の外観は魔物の手によって破壊されかけている。神に対する冒涜の意味で魔物らは扉を壊そうとしたのだろうが、完全に壊れるわけではない重厚な扉には神の意地のようなものが感じられる。
「お父さん、早く中に入ろうよ! ここ、寒くってさぁ」
「風が冷たすぎるわ……凍えちゃいそう……」
扉の中にも魔物の気配はないようだった。リュカは首を傾げながらも扉をゆっくりと開けると、子供たちと共に中に入り込んだ。魔物の仲間たちも続いて中に入る。
この塔を支える巨大な柱の一部が部屋になっていた。窓も何もない部屋には、破壊された扉の隙間から差し込む光しか頼りになる明かりはない。内部には立派な女神像が立っていたが、やはり魔物の手によって無残にも壊されてしまっている。
神の力を感じるような神々しい建造物が壊されている景色を目の当たりにすると、人間の心は少なからず挫かれる。そしてリュカは一人、頭も腕も破壊されてなくなってしまった女神像を直視できずにいた。その女神像の姿にリュカは石像になってしまったビアンカを思い出してしまうのだ。石像にさせられてしまった彼女も、心ない魔物のたった一つの凶悪な行動で、同じような姿になってしまう可能性がある。そのような考えが頭の中に浮かぶのを、リュカは必死に振り払った。
「お父さん、下に続く階段があるわ」
外気に晒されず、外の景色も見えない部屋の中で一息ついたポピーが、落ち着いた様子でリュカにそう知らせる。まだ寒さに身を震わせ、マントを身体に巻きつけているが、寒さで動けないような状態ではない。ポピーの言葉を聞いたティミーがいち早く下に下りそうになるのを止め、リュカは注意深く階段の下の様子を窺った。
「……嫌な予感が的中しましたね」
「こりゃわんさかいるぞー」
リュカよりも魔物の仲間たちは既に気づいていたようだった。階段の下からは嫌と言うほどの魔物の気配を感じる。その数は計り知れない。恐らくこの塔に棲みつく魔物らが住処にしている場所がこの下にあるのだろう。
「他の道を探しますか?」
ピエールが冷静にリュカに問いかける。他の道を考えるのが普通するべきことなのかも知れない。しかし下の階にいたガーゴイルの言い方では、この道を進む以外の道はないようにも思えた。そしてこの塔にいる間は寒さとの戦いもある。あまりに長い時間、寒さに晒されていてはそれだけで体力を奪われ、思考を奪われる。
「いや、進もう。みんな、覚悟して行くよ」
リュカの決意を魔物の仲間たちは冷静に聞いていた。しかしティミーとポピーは明らかに戸惑ったような視線をリュカに向ける。
「お父さん、魔物がうじゃうじゃいるって……本当にここを行くの?」
「ティミー、スクルトはまだ大分使えるか?」
「う、うん、大丈夫……あ、でも『ダイブ』って?」
「僕もスカラが使える。防御を固めてから一気に進む。魔物の直接の攻撃はほとんど効かなくなるはずだ」
リュカの話を聞いていたキングスが、話の内容を理解するようにその場で軽く一度飛び上がった。キングスの自己主張にリュカはキングスもスクルトが使えることを思い出した。その現実に、リュカはほっと息をついて安心し、キングスにも守備を固めて欲しいことを伝えた。
「お父さん、私はどうしたらいい?」
「ポピーはいつも通りマヌーサで敵の目をくらましてくれたらいい。それだけで助かるから」
リュカは仲間たちに「とにかくみんなが離れないこと」を指示した。離れて行動すれば、いざティミーやキングスのスクルトの効果が切れた時に、呪文の効果が届かない場所に行ってしまっていることがある。皆が固まって行動することを、特にプックルとマッドに言い聞かせた。
そしてキングスにはティミーとポピーをできるだけ守って欲しいと直接伝えた。皆が皆、ティミーとポピーを守ることを念頭に入れていられるほど、余裕のない戦闘になることが想定される。キングスが特別にその役目を負うことで、リュカは皆の気持ちが敵との戦いに集中できるようにした。
リュカを先頭に階段を静かに下りていく。魔物の気配が一層濃くなる。まるで今そこに、魔物の体温を感じられるほどに、多くの魔物らが階下にいることが肌で感じられる。
ティミーとキングスがスクルトを唱える。リュカもティミーとポピー、そしてプックルにミニモンにスカラを唱える。皆が見えない鎧を身にまとったと感じられた瞬間、リュカは一気に階段の下に広がる薄暗い巨大空間に飛び出した。
長く続いた階段の下には、端まで見渡すことができないほどの広い空間が広がっていた。部屋の壁と思われるものは無数にも見える石柱であり、その隙間からは外の光が差し込んでいる。お陰で遠くまで見渡すことができた。
数えきれないほどの魔物らがいる。この塔で遭遇したことのあるケンタラウスとソルジャーブル、蝙蝠のような翼を持つガーゴイル、キングスに似た緑色の巨大な魔物スライムベホマズン、両手に盾を持つカバのような魔物ビヒーモス。それらの魔物があちらこちらにひしめき合っている。
「リュカー、この部屋に他に階段みたいなものはないぞー」
ミニモンが巨大広間の宙高くに飛び上がり、広間を見渡してそう言った。すぐさまガーゴイルたちがミニモンに襲いかかろうとしたが、ピエールがイオラの呪文を唱えて牽制した。
「ぐおんぐおーん」
戻ってきたミニモンに代わり、マッドが宙に飛び上がると、広い広間の中の遠くに見える壁に向かって大きく吠えた。大きな魔物らが立ちはだかる状態でリュカにはよく見えなかったが、マッドの指し示す方向に道が続いているようだった。
「みんな、ついてきて!」
リュカはそう言うと、魔物の群れの中へと剣を構えながら突っ込んでいった。一見、無謀にも見える行動だが、リュカたちは皆、守護呪文の効果を受けている。ケンタラウスやソルジャーブルの蹄や大ぶりの剣での攻撃も、リュカはまるで頑丈な鎧を着ているかのように全ての攻撃を跳ね返してしまう。敵の攻撃を受けることには構わず、リュカは前に進みながら剣を振るい、道を開くように敵を避けたり斬りつけたりした。
プックルも敵の攻撃を恐れることなく、疾風のように魔物の群れに突っ込んでいく。敵の凶暴な攻撃を弾き返しながらも、なぎ倒して行く。ピエールも敵の攻撃をほとんど受け付けなくなったことを良いことに、魔力を温存し、ひたすら剣を振るって敵を倒していく。
回復呪文ベホイミを唱えるケンタラウスもいるが、その数は少ない。ただその代りに、キングスに似た緑色の大きな魔物スライムベホマズンが傷ついた魔物らを広範囲に渡って回復してしまっていた。その魔力は絶大で、回復呪文を受けた魔物らはみるみる体力を取り戻し、また元の通り戦闘に加わってくる状況が見える。
「リュカー、緑のヤツがめんどうだなー」
宙から戦闘の状況を見ていたミニモンもリュカと同じくその状況に気づき、近くにいるスライムベホマズンを先に倒そうと上からメラミの呪文を放つ。メラミが飛んできたスライムベホマズンの脇にいたキングスが、慌ててティミーとポピーを押しやりながら、その場を離れた。ティミーは後ろから押しつぶそうとしてくるスライムベホマズンに剣を突き、剣を身体に受けたスライムベホマズンは奇妙な叫び声を上げた。
ミニモンのメラミを受けたスライムベホマズンは確実にダメージを受け、その緑の体の一部を焦がしたが、それとは別に何か見えない力を吸い取ったようにリュカは感じた。あちこちのスライムベホマズンがミニモンやピエールの呪文攻撃を受ける度に、ダメージを受けつつもその対価として何かを受け取っているように見えた。リュカはその状況を不思議に思いつつも、ひたすら前に進み続ける。
後ろを振り向いてはいられない状況が続いた。とにかく前に進むしかないと、リュカは道を作るようにひたすら敵を倒していく。そのうち、敵の攻撃を強く受ける瞬間があり、リュカは思わず床に殴り倒された。ケンタラウスの蹄をまともに受け、腕が一瞬動かなくなったが、ピエールが剣を振るいながらリュカの傷を癒し、ティミーはすかさずスクルトの呪文を皆にかけた。リュカは再び立ち上がり、今までと同様に剣を振るい続ける。息をつく間もない。
一か所、リュカたちが目指す方向の魔物らが不思議な動きを始めるのが見えた。全ての魔物ではないが、七割程度の魔物らが視線を彷徨わせながらあらぬ方向に攻撃をし始めたのだ。
「お父さん! 効いた!」
ポピーの明るい声だった。唐突に始まった無数にも見える敵との戦闘に、リュカがひたすら前に突き進む速度に、ポピーはついて行くのに必死だった。しかし一瞬リュカが倒された時に、ポピーは勇気を奮い立たせ、冷静に呪文を唱えることができた。マヌーサの呪文を食らった魔物らは、リュカたちにではなく、見える幻に向かって攻撃をしかけたり、幻による攻撃を避けたりしている。
敵の魔物らの動きが鈍ったのを見て、リュカは「行くぞ!」と号令をかけ、先に駆け出すプックルの後に続いて駆けていく。その後をティミーが必死に追いかける。そしてポピーはキングスに守られるようにして、そのすぐ横をピエールが走る。ミニモンは宙を素早く飛びながらメラミやメダパニを放ち、マッドはスクルトの守護の力に任せて、向かってくる敵を全て体当たりでなぎ倒していく。リュカたちの統制の取れた勢いに対し、向かってくる魔物の群れは思い思いに戦っている。特別、統率の取れていない敵の魔物らは、リュカたちの勢いに押されるように道を明け渡して行った。
先に行くプックルが敵の攻撃を受けて床に倒れたのが見えた。リュカは駆けたまますかさずスカラの呪文をプックルにかけ、その勢いのまま剣を振り上げて魔物の群れに飛び込んだ。すぐ後ろからついて来ていたティミーが、何度目になるか分からないスクルトの呪文を仲間たちに放つ。天空の剣と盾を手にしたまま呪文を唱えることにも慣れ、ティミーは盾でビヒーモスが投げる盾を受けた直後、天空の剣を振りかざして近くのケンタラウスに斬りこんだ。
ポピーをピエールに託すと、キングスが高くに飛び上がり、辺りに地響きを起こすほどの勢いで敵の魔物の群れを押しつぶし始めた。敵の群れが下で反撃の姿勢を構えていても、スクルトの加護を受けているキングスは構わずに次から次へと押しつぶしていく。まるで空から巨大な大岩が降ってくるような状況に、敵の群れも堪らずあちこちへと逃げ始めた。
その状況の中でも、敵の中には最も弱々しそうなポピーを狙ってくるものもいた。しかしピエールが剣を振るい、イオラの呪文で牽制をかけ、ポピーもまたヒャダルコの呪文で攻撃をしたり、ほんの少しでも余裕があればマヌーサを唱え、敵の群れを撹乱させた。
先頭を行くプックルが広い塔の中に響き渡るような雄たけびを上げた。敵も味方も立ちすくむようなその声に、リュカはプックルが大事なことを知らせているのだと分かった。
新たな大広間に飛び出したプックルの左方向に、まるで宙に浮くような階段が延々と上に伸びているのが見えた。階段の先は遥か上の上階に続いている。しかし階段の周りにはガーゴイルたちが飛び回り、容易に上れないことだけは確かだった。
「ぐおーん!」
今度はマッドがリュカに呼びかける。マッドは宙高くに飛び上がり、霞んで見えないほど遠くをリュカに指し示す。魔物の群れの中でその景色を見渡すのは困難で、リュカにはマッドが何を伝えているのかが分からなかったが、ミニモンがマッドの隣に並ぶと大声でリュカに知らせた。
「あっちにも階段があるぞー」
「敵は?」
「頑張れば行けるんじゃないかなー」
「よし、みんな、右に進むぞ!」
既にリュカたちの体力はかなり削られていた。しかしこの大広間に棲む魔物の群れはまるでどこかから湧いて出てくるようにキリがない。この魔物の群れの中を突破できるかどうかなど、誰にも分からなかった。それでも前に進むしかない。後には引けない場所にまで進んでしまっている。
リュカは自分とプックル、キングスにスカラをかけた。プックルが疾風の矢のように魔物の群れに突っ込んでいく。キングスが魔物の群れを突き飛ばすように突進する。リュカはバギマの呪文を唱えながら、同時に剣を振るう。道を作るリュカたちの後ろから、ポピーがマヌーサで敵の動きを撹乱し、ピエールがイオラで敵を牽制し、それでも向かってくる敵にはティミーとピエールが剣で斬りこんだ。
地の敵に向かうリュカたちに対し、ミニモンとマッドは宙から攻めてくるガーゴイルたちと対峙した。リュカたちの頭上ではミニモンのメラミが炸裂し、マッドが暴れまわる打撃音が響く。倒されたガーゴイルが上から降ってくるのを、リュカたちは敵を盾にして避ける。ガーゴイルが時折呪文を唱えようとすれば、すかさずマッドが甘い息を吐いて先にガーゴイルたちを眠りに誘った。
時間との勝負だった。時間をかけて敵と対峙していては、リュカたちの体力が持たない。リュカたちは守護呪文であるスクルトの呪文の効果を得ることで、無理をしてでも敵の群れの中に突き通り、ひたすら遠くに見える階段を目指して進んだ。
最も体力が削られているのは子供であるティミーとポピーだ。特にティミーは前線に立って剣を振るい続けているため、全身から汗が噴き出し、息が限界にまで上がっている。しかし一瞬でも気を抜いて息を突けば、容赦なく敵の攻撃が頭上から降ってくる。スクルトという守護呪文で皆を守るという義務感もあった。ティミーは限界の中で歯を食いしばり、何故か涙が出そうになるのを堪えながら父の後を必死について行った。
一瞬の隙だった。ティミーが床を見つめて一つ息をついた瞬間、ソルジャーブルの巨大な剣が振り下ろされた。ティミーは咄嗟に天空の盾を上に構えて避けようとしたが、巨大な剣の勢いに床に倒された。疲労の限界を迎えた足がもう動かなかった。
力強い勢いで担がれたのをティミーは感じた。リュカが肩にティミーを担いで駆け始める。隣にポピーが並び、その周りをキングス、プックル、ピエールが守りを固めるように囲む。ティミーはリュカが何かを叫んだのを聞いたが、その言葉が何だったのかは分からなかった。ポピーの凛々しい声が聞こえる。プックルが敵を威嚇する雄たけびを上げるのが聞こえる。周囲に今までに聞いたことのないような激しい爆発音が聞こえた。耳をつんざくようなその音を聞いた直後、ティミーはリュカに担がれながら気を失ってしまった。



辺りには白い霧のような空気が漂っていた。風の吹く寒々しい音が響くが、辺りの白い景色が晴れることはない。風の音も耳に聞こえるだけで、実際にはそれほど寒く感じない。むしろ傍に何か温かなものがあることに気づき、ティミーは手を伸ばしてその温かなものにそっと触れた。
「お兄ちゃん!」
真上から生まれた時から聞いているポピーの声が聞こえた。ティミーはプックルの温かな体に包まれるように眠っていた。手が触れたのはプックルの腹だった。そしてティミーは天空の塔にいることを思い出し、父の背中を追い続けている途中で意識を失ったことに気づき、慌ててその場に起き上がろうとした。しかし体が言うことを聞かず、できたのはプックルの腹に当てる手に少しだけ力を込めることだけだった。
「ティミー、すまなかった。無理をさせたね」
ティミーを囲んでいたのはプックルだけではなく、ポピーにリュカ、そして魔物の仲間たちも全員でティミーの周りを囲み、冷たい風を避けていた。リュカたちは大広間の戦闘を切り抜け、上に続く階段を上り、今は敵の魔物らから逃れた場所にいた。塔の周りを囲むように無数に建てられた柱がそこら中に倒され、その柱の陰に身をひそめるようにしてリュカたちは束の間の休息を得ていた。
「お父さん……ボク……ごめんなさい」
前を行く父に追いつけず、戦闘の途中で倒れ、父に担がれて運ばれたことを思い出したティミーは、その不甲斐なさに悔しくて涙を零した。天空の武器防具を装備し、本来ならこの天空の塔の探索を先頭を切って進まなければならない勇者である自分が倒れたことを、ティミーは恥ずかしくも思った。
「みんなと話してね、一度、下に戻ろうとしたんだ」
「下に戻るって……?」
「脱出呪文でね、この塔を一度出ようと思ったんだよ」
リュカが脱出呪文リレミトを使えることをティミーはもちろん知っている。ティミーが倒れ、この場で体力が回復しないとなれば、もはや荷物になってしまったティミーを連れて塔を探索し続けることは困難だと、リュカはためらわずにリレミトの呪文を唱えるだろう。
「そんなこと、しないでよ、お父さん! ボク、まだ大丈夫だよ……!」
「そう言うと思った。けどね、使えなかったんだ。この塔の中では脱出呪文が使えない」
「え……? どういうこと?」
「リュカの呪文が不思議なチカラでかき消されちゃうんだよー」
「この塔を上るのであれば、途中で諦めることは許されない……そういうことでしょう」
神の住む城と言われる天空城に続くこの塔の中では、途中で脱出することは認められない。それは神がこの塔を上ろうとする者に与えた試練なのだろう。
「進むしかないんだ」
「じゃあ、行こうよ。ボクはもう大丈夫だから」
そう言いながらプックルの温かい腹から離れようとするティミーだが、離れた瞬間に冷たい外気に肌が晒され、あまりの冷気に立っていられなくなる。体中が震えてその場にうずくまってしまうのは、ティミー自身にもどうにもできないことだった。リュカはこの状況を知っていた。呪文を使い過ぎた副作用のようなもので、身体に異状を来してしまっているのだ。かつて共に旅をしていたヘンリーも同じような状況になったことがある。当然、リュカ自身も経験したことのある異状だった。
「ティミーはここに残っていなさい。ポピーも傍にいた方がいい。ここから先には僕とピエール、それにミニモンとマッドで行く。プックルとキングスは二人を頼む」
「お父さん! 勝手にそんなこと決めないでよ!」
「今のお前はとても戦える状態じゃない。この先もどんな魔物が襲いかかってくるか分からないんだ。そうなった時、僕はお前を助ける余裕がない……ん?」
リュカたちは倒れた柱の陰に身をひそめていた。周りは白い霧に包まれ、視界が悪い。その中にリュカはうっすらと何者かの陰を見た。魔物の仲間たちもその気配に気づき、すぐに戦闘態勢に入る。
霧の中から姿を現したのは緑色のキングスだった。大広間の戦いでも何体も目にしたスライムベホマズンと言う魔物だ。リュカたちに攻撃こそあまりしかけてこなかった大型の魔物だが、敵の魔物の群れを一斉に回復する呪文を唱える、非常に厄介な魔物だった。
「お父さん、この魔物さん、お話がしたいのかしら……?」
リュカたちを見下ろすスライムベホマズンの表情に、ポピーは何故かさほど恐怖を感じなかった。リュカたちを見つけ、攻撃をしようと思えばすぐにでも上からのしかかって一気に潰せてしまうほど、スライムベホマズンの体は大きい。しかしそうしなかった理由があるのだと、リュカもスライムベホマズンの無表情に見える表情の中に見ることができた。
「君は、話すことはできるかな?」
「………………」
リュカの言葉が分からないのか、単に話すことができないのかは分からないが、音にする言葉はあまり意味がないのだとリュカは理解した。リュカが問いかけても特に怒りの表情を見せるでもなく、大人しくリュカの顔を見つめているだけで、攻撃してくる様子は見られない。
リュカたちが身をひそめている倒れた柱の上に勢いをつけて乗ると、スライムベホマズンはまるでリュカたちと同じ行動を取るようにリュカたちのすぐ傍に下りて柱の陰に身を隠す。突然間近に来たキングスに似た魔物に、リュカは驚きはしたものの戦闘態勢に入ることはなかった。
「どうかしたの? 僕たちに何か用かな?」
リュカの言葉による問いかけに、スライムベホマズンは奇妙に身体を揺らして反応する。それが何を意味するのかは分からないが、敵意を示しているのではないことだけは明らかだった。
キングスと並ぶのを見ると、見た目はまるでそっくりだった。ただ頭に被る王冠の色と身体の色が違うだけで、まるでここにもう一体のキングスがいるかのように、落ち着いた雰囲気まで似ているように感じた。
色違いのキングスが正面でしばし見つめ合う。キングスが身体を揺らすと、スライムベホマズンも同じように身体を揺らす。言葉を交わしているかのようなやり取りに、リュカたちは静かに二体のやり取りを見守っていた。
二体のジェスチャーでの会話がひと段落すると、リュカはキングスに話しかけようとした。しかしその時、スライムベホマズンがにじり寄るようにリュカに近づいてきた。そしてリュカの目をじっと覗き込んで、瞳の中に宿る特別な力を感じると、まるで人間が何かに感動した時のように目を潤ませた。
「何か辛いことでもあったのかな? うーん、話が聞ければいいんだけど」
「魔物さん同士の中でも、色々とツライことがあるのかしら……」
「先ほどの戦闘でもこの魔物らは、徹底して回復に努めていましたね」
「そうそう、そうだったね。君の使えるあの呪文、僕にも使えたらいいのになぁって思ってたよ。メッキーが使えるベホマラーに似ていたけど……同じなのかな?」
「ベホマラーもすごいんだけど、ベホマズンっていうもっと強力な回復呪文があるって、呪文書で見たことがあるわ」
「ベホマズンって、すごい名前の呪文だね。いかにも強そうだなぁ」
リュカの口調はいつものようにのんびりとしていたが、その表情は疲労困憊だった。先ほどまでの激しい戦闘でほとんどの力を使い果たし、魔力も底を尽きかけている。リュカもティミーと同じような異状になる寸前だった。
座り込みながらティミーを抱えるリュカを見つめるスライムベホマズンは、暫く霧の中に静かにたたずんでいたかと思うと、唐突に全身から呪文を放った。リュカたちの周りに強力な癒しの光が降り注ぎ、リュカたちが癒しきれていなかった傷を全て治してしまった。その呪文の威力にリュカは改めて目を見張り、ベホマズンという最上級の回復呪文を唱える大きな緑色の魔物を尊敬するように見上げる。
「すごいね……でもこれを敵に使われてたんじゃあ、僕たちも苦戦するわけだよ」
リュカが座り込んだ体制でティミーを抱えたまま力なく笑うと、スライムベホマズンはどこか申し訳なさそうに俯いて大きな体を控えめに揺らした。
スライムベホマズン自身は先ほどの戦闘で、リュカたちを攻撃してくるのではなく、完全に支援役としてこの強力な回復呪文を唱えているだけだった。これほどの巨体であれば十分な戦闘力として戦いに参加することもできそうだが、そうしなかったのは彼ら自身が戦いたくなかったからかも知れない。
「これだけの強力な呪文を使うと、一気に魔力を使ってしまいそう……」
「この魔物は魔力が無尽蔵にあるということでしょうか」
ポピーの感想にピエールが疑問を口にする。仲間たちの傷を一斉にほとんど回復してしまう強力な呪文には、それ相応の魔力が必要なはずだ。しかし先ほどの戦闘でスライムベホマズンらは一体で何度もこの呪文を使っていたようだった。彼らは途轍もない魔力を持ち合わせた魔物なのかもしれないと、リュカは不思議に感じながらスライムベホマズンを見上げる。
するとスライムベホマズンはリュカの視線に応えるように、全身にうっすらと霧のような空気を纏い始めた。辺りには寒々しい霧が漂っているが、スライムベホマズンの体を薄く覆う空気とは別のようだ。リュカたちにはそれが呪文の一種なのだと、しばらく分からなかった。
キングスがポピーの隣に来て、話しかけるようにその大きな体を揺らす。ポピーはリュカよりもキングスの言葉を理解しているが、それでもその内容を理解するのには少し時間がかかった。
「本当に大丈夫かな……」
ポピーは不安な面持ちで呪文を唱えた。彼女の手から放たれたのは、小さな氷の刃だ。極力加減をして、相手の体にほとんど傷がつかない程度の小さなヒャドを唱え、スライムベホマズンの体に放った。
ヒャドの呪文を受けたスライムベホマズンはその小さな衝撃に小さく体を揺らしたが、同時に何か見えない力を吸い込んだようだった。リュカは先ほどの厳しい戦闘の中で似たような光景を見たことを思い出す。ポピーはその姿を見て、スライムベホマズンが何をしたのかすぐに気づいた。
「魔力を吸い込んだのね? マホキテっていう呪文だわ、呪文書で見たことがある」
ポピーが思いついたように手を叩いてそう言うと、スライムベホマズンは一度その場に小さく飛び上がって返事をした。嬉しそうなその態度を見て、ポピーも嬉しくなって自然と笑顔になる。
「あっ、その呪文って確か、僕、使える……」
「ええっ!? そうなの、お父さん?」
「前にマーリンに教えてもらったことがあったんだ。でも使えることをすっかり忘れてたよ」
「しかし先ほどの戦いでは、我々はひたすら打撃での攻撃を受けていましたから、たとえリュカ殿がこの呪文を使用していてもあまり意味がなかったかも知れません」
「それに対してこっちはたくさん呪文で攻撃していたから、君たちは僕たちの呪文から魔力を吸い取りまくってたんだね。それであのすごい回復呪文が何度も使えていたのか」
リュカは床に座り込んでティミーを抱きかかえながら感心したようにそう言った。ティミーはと言うと、父に抱えられている安心感からか、うとうとと眠りかけている。先ほどのスライムベホマズンの回復呪文で体力は回復したものの、魔力の回復にはまだまだ時間がかかる。ティミーは本能的に魔力を回復させようと、睡眠を取ろうとしていた。リュカはそのことに気づきながら、あえてティミーに話しかけることはない。眠るのならそのまま寝かせて魔力を回復させようと、ティミーの体が冷えないようにだけ注意して抱きかかえていた。
「リュカー、魔物がこっちに来るぞー」
倒れる巨大な柱の上から、周囲への警戒を続けていたミニモンが小声で知らせる。リュカたちは巨大な柱の陰に身をひそめ、気配を消してこのまま過ごしていれば魔物にも気づかれないだろうと皆が押し黙った。スライムベホマズンも既に仲間になったかのように、リュカたちと同じく静かに身をひそめている。
柱のぎりぎり見えない場所で敵の様子を見ていたミニモンは、魔物らが途中で向きを変えてどこかへ去っていく姿を確認すると、リュカたちに「大丈夫」と知らせるように尻尾で円を描いた。それを見てリュカたちは一様に息を吐き出す。
「とにかく今はみんな戦えない状態だから、少しの間ここで休もう。キングス、水と食料を出してもらっていいかな?」
リュカがそう言うと、キングスは大きな体を前傾させ、頭をリュカに届くように低い所まで下げる。リュカの代わりにピエールがキングスに近づくと、キングスの冠の中から塔の探索に備えていた水と食料を取り出す。皮袋に入った水は気圧のせいで膨れ上がっていたが、幸い破れることはなく中の水は飲める状態のまま残されていた。
リュカたちが思い思いに休憩を取り始める姿を、スライムベホマズンは物珍しそうにじっと見つめていた。その様子を見たリュカが「君も食べる?」と言って差し出した木の実を、スライムベホマズンは体を揺らしながら見るだけで、食べようとはしなかった。
「あ、そうか、キングスと一緒で特に食べ物はいらないのかな」
「お水だけで大丈夫なのかしら?」
「でもさあ、それってどの辺りが魔物なんだろうね。魔物ってみんな、人間を食べるわけじゃないんだよね。何だか不思議だよね」
「お父さん、食べながら話すのは行儀が悪いってお城で言われてるでしょ?」
「え? ……ああ、ごめんごめん」
「……ねぇ、ボクにも何かちょうだい。お腹が空いたよ」
リュカの膝の上でマントに包まって眠りかけていたティミーが、まだ弱々しい声ながらもそう言った。リュカはティミーの身体を起こすと、まずは水を飲ませ、それから携帯用の乾パンを渡して食べさせた。先ほどまでの体の震えは止まり、ティミーの身体は順調に回復しているようだった。まだ子供であるティミーの回復力はむしろ大人よりも早いのかも知れないと、乾パンをかじるティミーの様子に、リュカは心の中で安堵していた。
一通り水と食料を身体に取り入れると、ティミーは父の膝の上で休むのが当然のように再びマントを身体に巻きつけたまま丸くなってしまった。そして間もなく寝息を立て始めた。
「ここで少し休めば体力も回復し、また先に進めるようになりますね」
「うん。でも先の道ってどこにあるんだろうね。……君は知ってる? この先、上に上るのってどこから行けばいいのかな?」
皮袋の水を飲んでいたスライムベホマズンは、口の周りに垂れそうになる水を大きな舌で舐めとると、倒れる柱の向こう側にある景色に向かって、その場で一度跳ねた。教えてくれた方向には霧がかかり、遠くの景色までは見通すことができない。しかし確実にその方向に先に進む道があるのだろうと、リュカはスライムベホマズンに「ありがとう」と礼を述べてから、一言付け足す。
「君のこと、どうやって呼んだらいいかな? もし名前がないようだったら、うーん、そうだなぁ……ベホマズンっていうすごい呪文が使えるから、ベホズンってどう?」
「もう少しかっこいい名前が良い気がするけど……」
ポピーが乗り気ではない調子で言葉を挟むが、リュカの呼び名に、スライムベホマズンは嬉しそうにその場で大きく跳ねた。魔物の多くは固有の名前を持たない。言葉を話せる魔物は自ら名を決めて名乗ることもできるが、言葉を持たない魔物にとっては名前と言うものにさほど意味がないのだ。互いを名で呼び合うこともなく、種族として呼ばれればそれで十分だった。
しかし決して心がないわけではない。リュカに初めて名前をつけられ、ベホズンは嬉しさの余りその場でくるくると回って小躍りしていた。名前を付けられたことで、ベホズンは「自分」というものを持つことができ、その意識は喜びに繋がる。新しい仲間を得たリュカたちよりもむしろ、ベホズンの方が新しい仲間ができた喜びを感じているようだった。

Comment

  1. ピピン より:

    bibiさん

    更新お疲れ様です。
    一戦でMPが枯渇してしまうなんて、相当な激戦ですね…
    近年のドラクエはマホイミをはじめ、魔力を回復する魔法や特技がいくつかありますが、休息を取るしかない5の時代は大変です。
    尚更ここでベホズンが仲間になるのはデカイですね!

    • bibi より:

      ピピン 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      一戦で、のような感じですが、ある意味、連戦のような状況です。
      あの、DQ3のピラミッドで黄金の爪を取った直後から始まる連戦のような感じ・・・でお分かりいただけるでしょうか(汗)
      一歩進むごとに敵に遭うという、あの救いのない感じです。
      ゲーム内では、塔の中で立ち止まって休息を取ったところで回復しないんですけどね。ちょっとお話用に回復させてもらいました。
      ベホズンは当初、仲間になる予定ではなかったんですが、仲間にしてみたら楽しいかなぁという軽い気持ちで仲間にしてみました。キングスと静かに会話をして、仲良くなってもらえたらと思います^^

  2. ケアル より:

    bibi様。

    前にも言ったかもですが。MPが無くなると発熱と悪寒、眠気と身体を動かすことが困難になるという描写、よく思いつきましたね。
    小説で描写する時、MP切れで終わらすのは寂しいですからね~おみごとでありますよ!。

    今回の戦闘もハラハラさせてくれましたね。
    戦いにぼっとうするわけでなく、つっきるために走り抜ける戦闘は今までもあったけど、今回もドキドキしましたよ。
    皆疲弊する中、ティミー1番頑張ったんではないでしょうか。
    いくら勇者とはいえ8歳の子供…剣をふりながらスクルト連発は限界突破しちゃいますね。
    昔、ヘンリーがトヘロス連発し戦闘を繰り返しながらマリアを守った時と同じですね。

    今回も呪文が多久さん出て来て良かったですよ。
    ポピーヒャダルコ覚えていたんですね!。
    マホキテ、そういやそんな呪文ありましたねぇ、ゲーム内で自分あまり使ってなかったような…。
    bibi様はどうですか?。

    ベホズン仲間にしちゃったんですね驚きましたよぉ。
    bibi様、前回のコメント返信であまり乗り気でなかったから。
    いや嬉しいです要望に応えてくれて、ありがとうございました!。
    bibi様、じっさいのDSではスライムベホマズン仲間にできましたか?
    なかなか仲間になってくれないんですよねぇベホズン…。

    bibi様、次回も天辺に向かって上りますね。
    いつになったらマグマの杖が手に入るのか…。
    リレミト効かなかった今、帰りはどうするか…次回も楽しみにしていますね。

    • bibi より:

      ケアル 様

      いつもコメントをありがとうございます。
      ゲーム中ではMPがなくなったら、ただ呪文が使えなくなるだけですが、お話の中ではそれではつまらないかなと思ってこんな設定にさせてもらっています。
      ゲーム中だと、「MPがたりない!」という状態まで呪文を使ったという感じですかね。
      ティミーさんには今回頑張ってもらいました。勇者と言う自負があるので、頑張りすぎて倒れるほど頑張ってもらいました。もし自分の子どもがこんな状態になったら、私は恐らく発狂しますけどね(汗)
      マホキテは私もほとんど使用したことがありません・・・なので、お話の中のリュカの言葉は私の言葉そのものです。すっかり忘れてたという・・・。
      ベホズン、実際には仲間にしたことがありません。難しいらしいですよね。今回はキングスと並んでもらうと楽しいかなと思って仲間になってもらいました。
      次にはマグマの杖を手に入れたいと思います。リレミトが効かないので、脱出方法を思案中・・・。

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