宝玉の軌跡

 

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水に襲いかかられているようだった。湖の奥深く、この水から逃れる術はなく、正面から向かってくる水に耐えるしかない。息が続かない。子供たちは両脇で頭をもたげ、水に抵抗する気力も失っている。水が苦手なプックルが必死に前を行き、赤い尾が目印になる。スラりんとスラぼうはベホズンの冠にへばりついて進む。サーラは悪魔の翼を極限まで折りたたみ、水の抵抗を減らして突き進む。
息苦しさに目の前が白くなりかけた時、リュカは後ろから一気に押し出される力を感じた。その勢いに思わず身体が回転する。その拍子に後ろを見やると、プサンが真剣そのものの表情でリュカたちに向かって両手を伸ばしていた。プサンが何かの呪文を放っているのだろうかと思ったが、そのような魔力は感じない。ただプサンの両手から水中に伝わる大きな波動が出ていることは確かだった。その大きな力で、リュカたちは一気に水の中を突き進む。
突然、水の中から空中に放り出された。浮力を失ったリュカたちは、そのまま固い地面に投げ出された。リュカはすぐさま両脇に抱えていたティミーとポピーの様子を確かめる。リュカの呼びかけに応え、飲んでいた水を吐き出して咳き込み始めたのはティミーだけだ。ポピーはぐったりとしたまま、リュカの呼びかけに応えない。
「ポピー! しっかりしろ!」
リュカは娘に呼びかけながら、片腕で抱きかかえて逆さまにし、水を吐き出させようとする。背中を叩く。生死の境を彷徨うポピーに、リュカは必死に呼びかけ続け、背中を叩く。徐々に力が強まり、このままではポピーを傷つけかねない状況にも気づかず、リュカはポピーが生きて戻ってくることを信じ、呼び続ける。
大きく咳き込んだポピーが大量の水を吐き出した。激しく苦しそうに咳き込み続けるポピーの背中を、リュカは擦り始めた。ティミーもまだ地面に両手をついて咳き込み続けている。リュカは二人の背中を擦り、再び意識を失わないようにと励まし呼びかけ続ける。
「お、お父さん……ここ、どこ……?」
咳が落ち着き、地面に寝転んだティミーは全身ずぶ濡れのまま、上の景色を見つめてそう言った。ティミーに言われて初めて、リュカも周囲の景色に目をやった。
不思議な光景だった。リュカたちのいる場所を包むように、暗い水の景色が広がっている。深い湖の底に、地上の太陽の光はほとんど届かない。しかしリュカたちのいる場所は、視界に困らないほどの明かりに包まれている。
足をつく地面には敷き詰められた石の床が広がる。床全体が青白く輝き、遠くに渡って神秘的で幻想的な雰囲気を漂わせている。
耳鳴りがするほど静かだった。ティミーとポピーの苦しそうな呼吸音だけが響いている。ポピーも両手を床についてまだ整わない呼吸のまま、辺りに目をやる。床があり、壁があり、扉が見える。そのどれもが青白く輝き、まるで陽光に照らされた雲の上にいるかのような錯覚に陥る。
「天空城も水浸しか。あとでよーく干さなくては。カビだらけはイヤですからね」
プサンは床の到る所に広がる水たまりを見ながら、まるで水中での苦しさなど微塵も感じていなかったようにそう呟いている。リュカは水中でのプサンの助けがなければ、子供たちだけではなく恐らく自分も危険な状態になっていただろうと、改めてプサンに礼を言おうとした。
「これじゃ天空城じゃなくて水没城ですね」
あまりにも普通の状態のプサンを見て、リュカはもしかしたらあの時プサンが助けてくれたと思った波動は気のせいだったのかも知れないと、礼を述べる機会を逸する。
「え? そのまんますぎですか?」
リュカの視線を感じて、プサンはおどけたように笑ってそう言う。プサンも水でずぶ濡れなのだが、そう感じさせない軽やかさが常に彼の周りにまとわりついている。水に濡れていることなどは問題でもないというように、プサンは両手を腰に当てるとたどり着いた天空城を見上げる。
「しけっても天空城。さすがに魔物たちは近づけないみたいですね。良かった良かった」
プサンの言う通り、湖の底に沈む天空城からは魔物の気配を感じなかった。ただひたすら静かで、何者の存在も感じることはできない。城と言う形であるからには、そこに住まう天空人らがいたはずだが、彼らがこの城のどこかにいるという気配も感じない。
「私たちは受け入れられているのですね」
サーラがそう言って初めて、リュカは仲間たちが魔物であることを思い出す。プサンの言う通り、魔物を近づけない天空城であるならば、サーラ達も近づけなかったはずだ。
「リュカさんのお仲間ですからね。それにあなた方はこの天空城を壊そうだなんて思わないでしょう? 大丈夫、私が保証しますよ。あなたたちをここから追い返そうなんてことしませんから」
プサンが任しておけと言うように胸をどんと手で叩く。勢いが良すぎて咳き込んでいるプサンを見ながら、リュカは一抹の不安を覚えたが、天空城が仲間の魔物たちに反応している様子は見られない。プサンの言うことを信じるというよりも、今の状況はリュカたちにとって何の危険も感じられないという現実がそこにあった。神が存在すると言われる天空城にあっても、邪気のない魔物なら受け入れるということなのだろう。
「皆さん、動けそうなら早速中を見て回りたいのですが……どうでしょうか」
プサンの呼びかけに、リュカはまずティミーとポピーの状態を確認する。ティミーは既に周りを見廻し、その幻想的な光景にほんのり笑顔すら見せる余裕がある。ポピーも床にへたり込んで座ってはいるが、水を湛えるような母とそっくりの瞳を見える景色に向け、天空城にたどり着いた感慨にふけっているようだった。
「プサンさん、案内お願いできますか?」
「ええ、もちろんです」
一度、身体を震わせて水を払ったプックルが、今一度身体を震わせて残りの水を払う。スラりんとスラぼう、それにキングスはいつの間にか体にまとわりつく水と自分の体が馴染み、いつも通りの様相を呈している。サーラも首周りの豊かな赤白いを濡らしていた水を払うだけで、特に問題ないと言った様子でリュカを見る。リュカは改めて魔物の仲間たちの体力に感動する思いだった。人間と言うのは魔物に比べ、天空人に比べ、本当に脆い。しかしそれだからこそ懸命に生きて行かねばならないと、一瞬一瞬を必死に生きることができる。
「お父さん、私ももう大丈夫。ここで立ち止まっていても、時間がもったいないわ……」
「ボクたち、天空城に来られたんだね! 早く行こう行こう! プサンさん、お願いします!」
「とりあえず大丈夫なようですね。何よりです。さあ、では行きましょう」
そう言ってプサンは遠くに見える扉に向かって歩き出した。迷いのない歩き方に、リュカは本当に彼がこの城を知っているのだと認めた。彼が視線をあちこちに彷徨わせているのは、水に沈んだ天空城の状況をつぶさに見ているからだろう。頼りなく見えるプサンだが、今彼がリュカたちに見せている後姿は、どことなく堂々としたものに感じられた。



「いやーひどいもんですね。湖に沈んだだけあって、城中水浸しみたいですよ。でもこの城が何故天空から落ちてしまったのでしょうか……」
リュカたちは天空城の城内を歩いていた。特に明かりを灯しているわけではないが、天空城の内部に至っても、壁や床が魔力による光を発しており、この城全体が強大な魔力に包まれているのを感じる。それでいて何故、天空城は空に浮かぶことができなくなってしまったのか、それは誰も想像することもできない。
「うわー、お城の中まで水浸しだよ。あっちに扉があるけど……行けるかな」
ティミーがざぶざぶと水の中に足を踏み入れ、閉ざされている扉の前で立ち止まる。リュカもティミーに続いて水の中を進もうとしたが、思い立ち止まる。今、リュカはポピーを抱きかかえていた。彼女は魔力を使い果たし、強烈な寒気に見舞われ、一人では到底歩けない状態に陥っていた。目を覚ましてはいるものの、ガタガタと震えてその場から立ち上がれなくなったため、今はリュカが彼女を抱きかかえて天空城の中を歩いている。
ティミーが扉を引こうと手をかける。しかし扉はびくともせず、開く気配はない。まるで封印でもされているかのように、扉は壁と一体化したように動かない。
「ティミーさん、こちらに行ってみましょう。私、思い当たる場所があるんです」
「えっ? ホント? プサンさん」
「ええ。ほら、こっちなら水も引いているようですし、進めますよ」
プサンが進もうとしている広い通路には所々に水たまりができているが、通路としての機能はまだ果たしているようだ。この城の中を知っているであろうプサンの言うことに逆らう理由もなく、ティミーは再びざぶざぶと水の中を戻ってきた。そして小さなくしゃみをして、身体を震わせた。
「リュカ王、このままじゃ王子も王女も風邪を引いちゃうよ。服を乾かした方がいいんじゃないかな」
「ピー……」
スラぼうとスラりんの言葉に、リュカは改めてティミーを見る。これまで普通に歩いていたため元気なのだろうと思っていたが、ティミーの顔色は非常に青ざめている。妹のポピーがぐったりとリュカに抱きかかえられているため、自分は強くあらねばならないと気丈に振るまっていただけのようだ。
「そうだね。ごめん、気づかなくて」
「ううん、お父さん。ボクは大丈夫だよ。だから早く進もうよ」
「ああ、そうか。人間は暑さ寒さにとても弱いんでしたね」
まるで人間の様相のプサンが、はたと気づいたようにリュカたち親子を見る。リュカはそんなプサンを見てどこか不自然な印象を受けた。リュカたちがいまだ服も髪も水に濡れている状態にもかかわらず、同じように水の中を抜け出してきたプサンは髪も服もすっかり乾いており、湖の奥深くを突き抜けて来たとは思えない状態だ。いつのまに服を乾かしたのだろう。この不思議もプサンが天空人であるが故に起こる現象なのだろうかと、リュカは素直に首を傾げる。
「服やマントが身体にへばりついて動きづらいですよね。よしっ、私が乾かしてあげましょう」
そういうや否や、プサンはティミーの水に濡れてしおれている金色の髪に両手を当てると、特別な呪文を唱える風でもなく、ただしばらく両手をティミーの頭の上に乗せ続けていた。するとティミーの頭の先から徐々に温かな熱が行きわたり、ティミーの顔色もみるみる良くなった。青白かった顔色に赤みが差し、身体の震えもなくなり、床の上に立つ姿も背筋の伸びたものになる。
「えっ? えっ? 何コレ? どうやったの、プサンさん」
「なあに、一種の手品みたいなものですよ。どうです、もう大丈夫ですか?」
「うん! すっごいあったかかったよ! もう寒くないよ!」
ティミーが元気になったのを見て安心したように微笑むプサンは、今度はリュカとポピーの頭にそれぞれ手を乗せる。リュカは頭の先から送り込まれる熱を感じた。初めての感覚だった。温かいというにはあまりにも強い力で、どこか強制的に感じられる。リュカがプサンの表情を覗き見ると、彼は黒縁眼鏡の奥で琥珀色の瞳をリュカの胸辺りに向けていた。リュカよりもプサンの方が背が低いため、リュカの胸の辺りに視線が行くのは不自然な事ではない。しかしリュカは彼のその鋭い視線に、胸を抉られるような気分を味わわされた。
天空人の瞳と見るには、あまりにも強すぎる。一体、この人は何者なのだろう。
気が付けば、リュカとポピーの髪も服もすべてがすっかり乾いていた。プサンは手品などと言っているが、手品には何かしらの仕掛けがあるはずだ。しかし恐らくこの手品には、種も仕掛けもないのだろう。プサンの不思議な力をもってすれば、リュカたちの服を乾かすことは造作もないことなのかも知れない。
「さっ、これでもう大丈夫ですかね」
「ええ、ありがとうございます……」
「さあさあ、先に行きましょう。こっちですよ~」
リュカはプサンに問いかけたいことが山ほどあったが、そのすべてを彼ははぐらかし、まともな答えを返してはくれないだろう。リュカは特別何も聞かず、未だ目を覚まさないポピーを抱きかかえたまま、プサンの後を仲間たちと共に歩いて行った。



プサンの後について行くと、リュカたちは天空城の玉座の間にたどり着いた。建物自体が途轍もなく大きく、天空城を歩いているとあの天空の塔の造りを思い出す。壁は遥か上まで高く続き、城の中の一つ一つの空間が、人間世界では到底生み出すことのできない巨大なものだ。そして壁も床も天井も、それ自体が青白く光っているため、リュカたちは常に幻想的な空間に閉じ込められているような状況だった。
玉座の間では、一体どのような人物が座るのだろうかと思えるほどの巨大な玉座が部屋の中央に配置されていた。人間ならば確実に十人は同時に座れるような巨大な玉座には、当然のことながら今は誰も座していない。玉座があるということは、天空城の主である神様が座る場所なのだろうかと、リュカたちは巨大な玉座の前で圧倒される。
「どこにも誰もいないんだね。みんな、どこにいったんだろう」
ティミーは天空人の途方もない生命力を無条件に信じているようだった。それと言うのも、今共に行動しているプサンはあの洞窟で二十年もトロッコに乗って過ごしていたというのだから、これほど立派な天空城の中にいれば天空人たちは簡単に命を繋ぎとめられるだろうと考えていたのだ。
「やはりここにも誰もいないようですね。……あっ、そうそう。確か玉座の後ろにヒミツの階段があったはずですが……」
プサンはそう言いながら一人、玉座の後ろに向かって歩き始める。『ヒミツの階段』と聞いてはティミーの好奇心が煽られるのは間違いなく、彼は途端に目を輝かせて玉座の後ろに向かって走り出す。
「ヒミツの階段だって! それって、アレだよね、ラインハットでコリンズ君が隠れていたような……面白そう! ボクが見つけるよ!」
ティミーの元気な声に反応するように、リュカに抱きかかえられていたポピーが静かに目を覚ました。しばらく眠り、少しでも魔力を回復できたのか、ポピーはぼんやりとした目を擦ると同時に、大きな欠伸をした。
「お父さん……」
「目が覚めたんだね、ポピー。良かった」
「あの、ごめんなさい。私、重かったでしょう?」
耳元でそう囁かれる声に、リュカはやはりビアンカを思い出す。娘の声はどんどん妻に似てきている。その事実は本来嬉しかったり微笑ましかったりするものなのだろうが、今のリュカにとっては毒にも似た強い刺激がある。
「私、もう自分で歩けるから大丈夫だよ。下ろしてもらって大丈夫」
ポピーが足をばたつかせながらそう言うので、リュカは彼女の言う通りに床にゆっくりと下ろした。プサンが服も髪も乾かしてくれたこともあり、ポピーは体を震わすこともなく、いつの間にか移動していた玉座の間の巨大な空間に視線を巡らせ、その神々しい景色に圧倒されていた。
「あっ、ポピー、起きたんだ! 一緒に探そうよ、ヒミツの階段があるんだってさ!」
「えっ? 何、どういうこと?」
「玉座の後ろなんだって。こっちに来てみろよ!」
目覚めたばかりで聞かされる状況に、ポピーは目を瞬いていたが、楽しそうな双子の兄の様子に安心したように彼のところへ小走りに駆け寄った。
「リュカ王、一安心ですな」
「うん、良かった。ポピーも元気そうだ」
「がうがうっ」
サーラもプックルもポピーのことを心配していたのだと、リュカは初めて彼らの気持ちに気づいた。旅を共にする仲間の中で、最も生命力が弱いのは間違いなくポピーなのだ。スラりんもスラぼうも体が小さく、決して生命力が強いとは言えない種族の魔物かも知れないが、体が小さく機敏に動ける分、危機を回避する能力には長けている。サーラやプックルの反応を見て、リュカは改めてポピーが元気に回復してくれたことに感謝をする。
リュカたちも玉座の後ろに回り込むと、ティミーとポピーが床をくまなく調べていた。プサンも一緒になって調べている所を見ると、どうやら彼もヒミツの階段とやらの場所を正確には把握していないらしい。三人で「見つからないねぇ」などと話しながら、あちこちを歩き回っている。
秘密の階段と言うだけあって、巧妙に隠されているらしく、リュカたちが目にする玉座の後ろの床は一面、美しく磨き込まれているかのように滑らかで、一部の床に仕掛けがあるなどとは思えない。かつてラインハットでヘンリーが使っていたように椅子の下に敷かれている絨毯の、更に下にその秘密が隠されているなどと言うこともない。
リュカの横からふと、プックルが進み出る。その姿を見て、リュカは幼い頃を思い出す。あの時も、ラインハットの秘密の階段を見つけたのもプックルだった。プックルが赤い尾をふりふりさせながら、どこか機嫌よく歩いて行く姿を見て、恐らく彼はすぐに見つけたのだろうと後をついて行く。
ティミー達が探す場所とはかなり離れたところまで歩いて行くプックル。それはもはや玉座の後ろと言うよりも、後ろの壁に近い場所だった。これほど一面、美しく磨き込まれた床を見て、プックルは一体どうやって秘密を暴いているのか、リュカには不思議だった。
プックルが立ち止まり、床の一部を前足の爪でひっかき始める。リュカもその場に行き、しゃがみこんで床をじっくりと見つめた。一見すれば、他と変わらない床だ。青白く光り、リュカとプックルを照らす。床の石は隙間なく埋められているため、一部を取り外すこともできない。リュカはただ床に手を当て、押してみたが床はびくともしない。プックルなどは後ろ足で立ち上がり、勢いをつけて思い切り前足で攻撃するように床を叩いたが、床は変わらず美しく青白く光っている。
「プックル、本当にここ?」
「がうっ!」
疑うのかと言わんばかりに怒って吠えるプックルに、リュカは再度、床に両手を当てて思い切り押してみた。しかしやはり床は床のままだ。
「おや、リュカさん、怪しいところを見つけましたか?」
リュカたちの様子に気づいたプサンが、小走りに駆け寄ってくる。ティミーとポピーもその後を追ってリュカとプックルの下へと駆け寄ってきた。
「えー、でもそこにも何もなさそうだよ」
「普通の床と変わらないように見えるけど……」
「ふーむ……あっ! もしかしたら、天空人にしか開けられないようになっていたりして」
プサンは思いついたようにそう言うと、リュカの正面にしゃがみこんで、先ほどのリュカと同じように床に両手を当てて押してみた。するとプサンの手に反応しているかのように、床は一層青白く輝き、眩しいほどの閃光を放ち、リュカたちがあまりの眩しさに瞬いた直後、床にはぽっかりと大きな穴が開いていた。
「そういうことだったんですねぇ。まさか天空人にしか開けられないとは……」
プサンの言い方に含みは感じられない。恐らく彼は本当にその真実を知らなかったのだろう。元来、ここには天空人しかおらず、天空人であればこの隠し階段を開くことができるため、何の問題もないのだ。
「ちぇっ、なーんだ。それじゃあボクたちには見つからないはずだよ」
「でも、見つけたのってお父さんじゃないの?」
「ううん、プックルだよ。プックルはラインハットの隠し階段も見つけたんだよね、昔」
「えー、どうやって分かるの、プックル。いいなぁ、ボクが見つけたかったな~」
悔しそうに口を尖らせるティミーに苦笑しつつ、リュカは大きく開いた暗い穴の中を覗き見る。無音で暗く、冷たい空気が漂う。しかし生き物の気配はここにも感じられない。ずっと閉ざされていた古びた空気が残されているだけだ。
「階段というか、梯子ですね。ちょっと気をつけながら下りてみましょう」
プサンが先頭に立って、梯子を下り始めた。リュカは彼がうっかり足を踏み外して落ちてしまわないか心配だったが、そのような失敗はせずにプサンは着々と梯子を下り進んでいく。彼の雰囲気がどことなく緊張していることに、リュカまで体が強張るのを感じた。
梯子は遥か下まで続いていた。この天空城の最下層の床を突き抜けてしまうのではないかと思うほど、どこまでも降りていく。梯子を下りることを躊躇い、寒さではなく高さへの恐怖で身体を震わせるポピーは、サーラが飛んで連れて行くことにした。プックルも少々苦労しながら梯子を下り、スラりんとスラぼうは一段一段、器用に跳ねながら下りていく。ベホズンは柔らかく大きな緑色の身体を駆使して、梯子一段一段にへばりつくようにして下りて行った。
梯子の下には暗闇が広がっていた。ここには上にあるような青白い床や壁というものは存在しない。サーラがメラミを調節して指先に火を灯すと、リュカはようやく辺りの景色を確認することができた。
冷たい空気が沈んでいる中、サーラの灯す火の温かさは有難かった。梯子の上では寒さなど感じなかったが、この暗闇の中では火の明かりにリュカたちの息が白く濁る。そのような状況でも、プサンは一人、暑さ寒さを感じないと言ったように、普段と変わらぬ様子で辺りをきょろきょろと見廻している。
「このお部屋は他と違って魔法のニオイがいっぱいするの……」
ポピーはマントを身体に巻きつけながら、身体を震わせてそんなことを言った。落ち着かない、肌にまとわりつくような冷たい空気が魔力によるものなのかと、リュカは娘の言葉に納得した。
「おや……?」
プサンが火にほの暗く照らされた景色を見つめながら、眉根を寄せて呟く。サーラの火の明かりを必要としているのは恐らくリュカと双子の子供たちだけだ。魔物の仲間たちやプサンには、明かりがなくともある程度の暗闇の景色を見渡すことができているに違いない。
「どうしましたか、プサンさん」
「リュカさん、もっと奥へ行ってみて下さい」
はっきりとした指示に、リュカは逆らう意思も持たずに言われた通り進み始める。プサンの言葉にはどこか、逆らい難い雰囲気が漂う。外見からは到底想像もできないような、内なる力を感じる時があった。
広い通路を進んでいった先には、少々開けた四角い部屋があった。サーラが指先に灯す火の量を増やし、部屋全体を明かりで満たす。部屋の中央には大きな台座があった。明らかに何かを安置しておくための場所で、しかしその台座の上には何も置かれていない。暗闇の中にただ静かに佇むだけの台座に、リュカは思わず首を傾げた。
「やや! これは一体! ここにあったはずのゴールドオーブがなくなっているではありませんか!」
プサンが心底驚いたように大きな声を出し、台座に駆け寄った。炎の明かりに揺らめく台座の周りを、プサンは細かく調べ始める。その様子をリュカたちはただ茫然と見守っている。常に飄々としているプサンが慌てている様子を見るにつけ、ただ事ではないことは確かだった。ただこの天空城と言う人間からも魔物からも異世界のような環境で、今のプサンを助けることができるとは思えない。リュカたちはただプサンが台座の周りを調べ尽くすのを待つしかなかった。
そんなリュカたちに構うことなく、プサンは真剣な顔つきでひたすら台座周りを確かめたが、肩を落として溜め息を吐いたところを見ると、プサンの希望は崩れ去ってしまったようだった。
リュカも近くで台座を見てみようと近づいてみると、その途中で右足が宙に放り出され、ふっと落下するような感じを覚えた。どうにか体勢を立て直し、転ぶのは免れたが、前のめりになってよろめく。後ろを振り返りその場所を見ると、床に真っ黒な穴が開けられていた。元々開けられていた穴ではなく、何かの力によって外側から撃ち抜かれたような穴だ。穴の周りは一度溶けて固まったような、不規則な形の床が残されている。
「むっ! この穴は……。確か大昔、邪悪な者が誕生する時に開けた穴……。そうか……。ゴールドオーブはこの穴から……。そして残りのオーブ一つでは支えきれずに、やがてこの城も……」
リュカが転びそうになった場所を見て、プサンがぶつぶつと呟く。その言葉の一つ一つを聞いても、リュカたちには漠然とした状況しか想像できない。邪悪な者が誕生したのも、リュカや子供たちにとっては遥か昔、おとぎ話の世界を飛び越えたような昔の世界のことを言っているのかも知れない。
「ゴールドオーブ? ねぇ、お父さん。聞いたことある?」
ティミーがプサンの思考を邪魔しないようにと、リュカの隣で小声で話しかける。当然、リュカはゴールドオーブのことなど露ほども知らない。今までの人生を振り返っても、そのような名前のものを聞いたことも目にしたこともないと、ゆるりと首を横に振った。
しかしその実、心の隅に何かが引っかかっていた。本当に自分はゴールドオーブを知らないのだろうか?
プサンが真剣な表情で外側から穿たれた穴を見つめ、思案を巡らす。天空城のことは天空人であるプサンにしか分からない。リュカたちはプサンが何かの答えを出すまで、静かに待つ。
「これでこの城が天より落ちてしまった理由が分かりました。しかしゴールドオーブは一体どこに行ったのでしょうか……」
「プサンさん、ゴールドオーブって何? どういうものなの?」
ティミーが興味津々の様子で聞くと、プサンはティミーにも簡単に分かるようにと片手を前に出す。
「ゴールドオーブと言うのは、この天空城の浮遊を支えるための魔力がこもった金色の宝玉です。そうですね……大きさはこれくらい……いやもう一回り小さいかな」
そう言いながら片手で握りこぶしを作るプサンを見て、その小ささにティミーもポピーも「えっ、そんなに小さな宝玉でこのお城って浮いてたの?」と驚きを示す。
「反対側にもう一つ、シルバーオーブがあるのです。ゴールドオーブとシルバーオーブ、その二つで天空城はかつて空に浮かんでいました。しかしその内の一つであるゴールドオーブが無くなったとなれば、天空城も空に浮かんではいられなくなったのでしょう」
プサンはそう言うなり台座の上に両手を乗せる。ゴールドオーブがこの台座から落ちたのは明らかに魔物の仕業だった。天空城に向かって地から激しい波動を放ち、天空城に対する攻撃を加えた。穿たれた穴からゴールドオーブが落ちたのは、魔物にとっても嬉しい誤算だったに違いない。天空城の浮遊の秘密を知らない魔物は、初めからゴールドオーブを狙って天空城への攻撃を仕掛けたわけではない。偶然に、その機能は失われたのだ。
浮遊の力を失って落ちていく天空城を見た魔物らが歓喜したことは想像に難くない。しかし天空城は破壊されることなく、今もこうして湖の底で深い眠りに就いている。天空城はゴールドオーブとシルバーオーブの二つで城を浮かばせ、支えていた。残る一つのシルバーオーブの力で、城に住まう天空人らはこの城を守り、湖の底に沈ませることで魔物らの襲撃を防ぎ続けているのかも知れない。
「幸い、この台にはまだ微かにオーブのオーラが残っているようです。そのオーラを追ってゴールドオーブの行方を瞑想してみましょう」
プサンは真剣な表情のまま、台座に当てた両手に強い念を送る。魔力とは異なる激しい波動に、リュカたちは束の間、呼吸ができなかった。プサンには不思議な力がある。それは天空人なら全て持っているような力なのかどうか、リュカたちには分からない。
「皆さん、目を閉じてください。オーブの辿った軌跡を……あなたたちの脳裏にも映し出します」
プサンが強い念を送り続けている。リュカたちは皆、言われた通りに目を閉じる。すると瞼の裏に徐々に何かの景色が映り込んでくるのが分かった。そしてもう、自分の意思では目を開けられない強い力を瞼に感じた。リュカはその力を感じた瞬間、何故かこの景色から逃げ出したい衝動に駆られた。



空に浮かぶ天空城。澄み切った青空の中で、厚い白い雲を纏って美しく輝く城は、悠然と空に浮かんでいる。非常に平和な景色で、おとぎ話の本を読んでいるかのように夢見心地になるような美しい景色だ。
白い雲は徐々に灰色に染まる。雷鳴が轟く。天空城を不穏が包む。
暗黒の雷が下から、天空城を貫いた。天空城は城全体に護りの力を施している。しかし一点のみ、その防御を突き破った魔物による攻撃があったのだ。
穿たれた穴から零れ落ちる、金色に煌めく美しい雫。それがゴールドオーブだということはすぐに分かった。地上に落ちていくゴールドオーブは徐々に速度を増し、あっという間に地上に届く。天空城を離れたゴールドオーブはただの金色の宝玉として、重力に逆らうこともなく落ちる。
落ちた先には、人間たちが暮らす城があった。高い塔に挟まれたような造りの城で、城の広いバルコニーには二人の人間の姿があった。身なりからすれば、彼らはこの城の王と王妃。二人は城の中庭にいる国民の姿を見ながら、平和の微笑みを交わし合っている。
彼らの微笑みを切り裂くような稲妻が走る。一転して、城は暗闇に包まれた。激しい雨が降り、夜空には雷鳴が轟き、何度も閃光が走る。そして城に住まうのは、人間ではなく、幽霊たちになった。
リュカは目を閉じながら、この景色を記憶していると思った。知っている景色。どこかで見た夜の城。
城の屋上に、二つの墓石がある。その前にたたずむ二人の子供。雨は止み、月が大きく空に輝いている。
『よかったわね。これから二人幸せに眠り続けるはずよ』
ポピーのような声が聞こえた。しかしポピーよりも少し大人びている気もした。リュカはその声と言葉を、かつて隣で聞いていた。
『でもこのお城に住みついたゴーストたちも許せないけど、罪のないお城の人を襲った魔物はもっと許せないわね!』
正義感に満ちている彼女の言葉に、隣にいる小さなリュカが頷く。小さなビアンカと小さなリュカが、レヌール城の王と王妃の墓石の前で手を合わせていた。
空には大きな月が浮かび、まるで月から生まれるように、もう一つの小さな月が小さな子供たちの頭上に下りてくる。きらきらと輝きを放つ金色の宝玉を、リュカは両手に受け取った。
『あら? なにかしら? きれいな宝玉ね。きっとお礼よ。ねぇ、持ってゆきましょう』
瞼を閉じるリュカの身体は震えていた。リュカはかつて、ゴールドオーブを手にしていたのだ。触った感触は固い石のようで、宝玉は仄かに温かかったのを手が覚えている。
ビアンカとの冒険の奇跡が瞼から消え去った。プサンが台座に向かって念を放ち続けているのが分かる。ゴールドオーブの軌跡をリュカたちの瞼の裏に映し出すと同時に、プサンもその景色をしっかりと見つめている。

とある村の景色が映し出された。この景色も、リュカははっきりと覚えていた。村には平穏な空気が漂い、家々からは生活の煙が上ったり、村人たちがそこここで会話をしたり、教会のシスターが穏やかな笑みを浮かべながら村人と挨拶を交わし、教会前の掃除をしている。その誰もが、口から白い息を吐いている。村人たちは皆、厚着をして、終わらない冬に不安や不満を心に持つ。
『お父さん、サンチョ、行ってきまーす』
小さな家から、子供が出てきた。後ろには大きな斑模様の猫が走ってついてくる。寒さに負けず、元気に飛び出してきた子供も猫も、やはり白い息を吐いている。
教会への道を行く途中で、子供は一人の青年に会った。
リュカとプックル以外の皆が、息を呑むのが分かった。皆の瞼の裏に映し出された青年は、リュカだ。ゴールドオーブの軌跡を映し出しているプサンも、皆と同じように驚き、一瞬、映し出される映像が乱れる。
『うん? 坊やは不思議な宝玉を持っているな。そうか、ゴールドオーブって言うんだね。そのオーブをちょっと見せてくれないか?』
映像の中で青年のリュカが子どものリュカに話しかけている。リュカの中にもある確固たる記憶だ。しかしこの状況を理解できる者は今、いない。リュカ自身も、映し出される映像を信じられない思いで見ている。
ゴールドオーブの軌跡は再び時を飛ぶ。春を迎えたサンタローズの景色は、もう遠くに霞んで見えなくなった。

古びてはいるものの、装飾にこだわりの感じる大きな扉が開く。部屋の中に入って、明かりの入る窓の方を見やると、窓際に配置される机に肘をついて、あからさまな敵意を向けてくるコリンズの視線とぶつかった。
ティミーとポピーが「コリンズくん?」と呟くのをリュカは隣で聞いた。しかしそれはコリンズではない。コリンズは母親似の深海色の瞳を持つが、映し出されている敵意むき出しの緑髪の少年の瞳は晴れ渡る青空を映すような鮮やかな水色だ。
『オレはこの国の王子。王様の次にえらいんだ。オレの子分にしてやろうか』
リュカはヘンリーと初めて会った時のことを思い出す。大きな城の中の、誰も寄り付かないような端の部屋を与えられ、彼自身もまた誰も寄せ付けないような言動や行動を繰り返していた。
ヘンリーは友達を拒み、子分を求めた。リュカは子分を拒み、友達を求めた。相容れない二人は初め、互いに鋭い視線を向けるだけだった。

ヘンリーの鋭い視線を感じたまま、リュカたちの脳裏には不気味な笑い声が響く。高い声なのか低い声なのか、暗黒の底から響いているのか。
『ほっほっほっほっ。ずいぶん楽しませてくれました』
リュカが拳を固く握りしめる。口の中で歯ぎしりをする。呼吸が乱れる。目の奥に熱いものが込み上げる。
見下ろす位置に、肩膝をついて項垂れる父の姿。長年使っている胸当ては砕かれ、剣を持つ手は血にまみれている。
父パパスは誰にも負けない。そう信じていた。リュカの首にひやりと当てられる死神の鎌さえなければ。
悔しい。どうして自分はあの時、父を追って行ってしまったのか。
ラインハットで大人しく待っていれば、こんなことにはならなかったのかも知れない。
過去を変えることはできない。考えても仕方のないことだと、いつもは自分に言い聞かせられる。
しかし今、あの場面を容赦なく見せられたリュカには、やはり後悔の念が怒涛の如く押し寄せる。
父が反撃する様子も見せず、ひたすらに赤い鬣を持つ白馬の魔物と、巨大な斧を持つ赤紫色の牛のような魔物の攻撃を受け続ける。極悪な魔物らは、父を痛めつけることに喜びを見出し、一撃で命を奪おうとはしない。白馬の強力な蹄の攻撃を食らい、父パパスはとうとう床に倒れてしまった。
父の呻く声が聞こえる。今ならば父を救うことができるかも知れない。リュカは回復呪文を唱えようとしたが、ゴールドオーブの軌跡を辿る映像の中で、それは何の意味もなさない。
父と同じ目線に投げ出された。もう人質の意味はないのだと、リュカは死神の鎌から解放された。
『リュカ! リュカ! 気がついているかっ!?』
ガラガラとした声で父が呼びかける。咳き込み、血を吐く。命の灯が消えていく。
『これだけはお前に言っておかねば……!』
再び咳き込み、大量の血を吐く。父の視線はリュカを捉えていたが、その実、リュカが見えていたかどうかは分からない。
『実はお前の母さんはまだ生きているはず……。わしに代わって母さんを』
父の言葉は突然、途切れた。目の前が真っ赤に染まる。紅蓮の炎の中で、黒い影が揺らめく。耳を塞ぎたくなるような絶叫。命の灯は、呆気なく消えてしまった。
『ほっほっほっほっ。子を想う親の気持ちはいつ見てもいいものですね。しかし心配はいりません。お前の息子は我が教祖様のドレイとして一生幸せに暮らすことでしょう。ほっほっほっ』
隣でヘンリーが泣いている。つれらて、ようやくリュカも涙を流す。プックルが近くに寄ってきて、リュカの体温に安心したように気を失う。
『ジャミ、ゴンズ、この子供たちを運び出しなさい』
『ゲマ様、このキラーパンサーの子は?』
『捨ておきなさい。野に帰ればやがてその魔性を取り戻すはず』
リュカとヘンリーはジャミとゴンズに無造作に掴まれ、持ち上げられた。呻く元気もなかった。リュカとヘンリーの目からは完全に生気が失われていた。
ジャミがぐったりと力を失っているリュカを抱え直した時、リュカの道具袋からゴールドオーブが落ち、重い音を立てて床に転がった。
『うん? 待ちなさい。この子供は不思議な宝玉を持っていますね』
濃紫色のローブに身を包んだゲマが、床に転がるゴールドオーブを拾い上げる。しばらく宝玉を見つめ、考え込んだ後、ゲマは宝玉を禍々しく青い両手の間に挟んだ。
『この宝玉はもしや……? まあ、どちらにしろ、こうしておくとしましょう』
ゲマの両手に魔力が集まる。辺りの空気を揺るがす魔力の大きさに、ジャミもゴンズも言葉を発することができない。ゲマの両手の中で、ゴールドオーブは弾け、壊された。キラキラと煌めくゴールドオーブの結晶が舞い散り、リュカの前に美しい一つの景色として散っていく。
『ほっほっほっほっ。さあ、行きましょう』
ゲマはそう言うと、再び強い念を放ち、空中に暗黒の渦を生み出す。暗黒の渦に飲まれるように、リュカたちの瞼の裏に映し出されるゴールドオーブの軌跡は、終わりを告げた。



リュカはゆっくりと目を開けた。両頬には涙が落ちていた。自分の過去の記憶として胸の中にひっそりと残っていたものが、鮮明に映し出される状況は耐え難かった。最愛の父を二度失ったかのように、リュカの胸の中には絶望が広がっていた。
「さっきのなんだったの?」
ティミーがいつもと変わらないような声で呟く。リュカはサーラの火の明かりに照らされるティミーの癖のある髪を見つめた。ビアンカと同じ色の髪は、母親の血をしっかりと受け継いでいる。
「ティミーにも……見えたんだね」
「うん……ボクも見えたよ。あの子が……お父さん?」
その問いかけに、リュカは応えることができなかった。しかし今、プサンの念を通じてゴールドオーブの軌跡を辿ったティミーとポピーには、ゴールドオーブを手にして、手放した少年がかつてのリュカだということがはっきりと知れてしまった。
「なんだか頭がくらくらするよ。今の……本当にあったことなの?」
ティミーは決してリュカに問いかけたわけではなかった。ただ聞かずにはいられなかった。父が幼い頃に経験した悲劇を、誰かに否定して欲しかったのだ。
リュカの足元にプックルが寄り添い「にゃあ……」と一声、猫のような鳴き声で鳴いた。あの時、プックルは気を失っていた。パパスが炎に包まれる光景を、彼は初めてここで目にした。リュカに寄り添う斑模様の黄色い体は小刻みに震え、青の瞳からは涙を落としていた。
「お父さん、大丈夫……?」
子供の頃のビアンカと同じような声で、ポピーが視点の定まらないリュカの様子を窺う。娘に怖い思いをさせてしまったと、リュカは取り繕うようになけなしの笑顔を作って、「大丈夫だよ」と掠れる声で言う。
「顔色悪いよ?」
「……そんなことないよ。大丈夫」
「あの……泣かないで。わたしたち、ついてるからね……」
そう言ってリュカの手を強く握るポピーに、リュカはその小さな手の温かさに、目に湧き上がる涙を止められなかった。子供たちには話さないつもりだった。父パパスの悲劇を子供たちに語れば、その時はリュカが子供になってしまう。今は自分が二人の子供の親なのだと、気丈に振舞うことが必要だと思っていた。
子供のように弱い自分を見せ、泣く姿を晒しても良いのは、妻であるビアンカだけなのだと、リュカは深い息を吸い込み涙をずっと奥にまで引っ込める。
するとそんな悲しみに震える空気を揺るがすように、プサンが大きな声を出す。
「なんということでしょう! オーブは既に壊されていたようです! もはやこの城は二度と天空には……」
天空人であるプサンにとって、今最も向かい合わなければならない問題は、何故この天空城が湖に沈んでしまったのかという現実だ。プサンにも映し出した映像の中にいた人物が幼いリュカだったことは理解できているはずだが、彼にとってはそれ以上にゴールドオーブが破壊されてしまったことの方が一大事だった。
しかしプサンがそうして天空城の問題に向き合ってくれたおかげで、リュカは自分の過去と真剣に向き合うことから逃げられた。過去を変えることはできない。変えることのできないことに向き合うよりは、これから変えられるかも知れない未来を見つめる方がよほど現実的だ。
「ゴールドオーブは一つしかないんですか」
リュカは目元を強く腕で拭い、微かな希望を持ってプサンにそう問いかけた。この世に二つとないものと言うのは、確実に存在する。しかし天空城を浮遊させる魔力を秘めたオーブを、万が一のためにもう一つ持っておいても良さそうなものだと、苦し紛れにそう考えたのだ。
「それはもちろん一つしか……いや! ちょっと待ってください!」
リュカの言葉にプサンは息を呑み、宙に視線を彷徨わせる。プサンの中で思考がまとまるのを、リュカは静かに待つ。
「たしか伝説では二つのオーブは妖精たちの祖先が作ったと言われています」
「妖精の祖先……」
普通に町や村に暮らす人々がこのような話を聞けば、それはおとぎ話として済ませられてしまう類のものだ。妖精の存在など、子供以外は誰も本気にしないだろう。しかしリュカは、子供の頃に妖精の世界に足を踏み入れたことがある。その時、プックルも同じ世界に飛び込み、共に冒険をした。あれは夢などではなく、リュカは凍える妖精の世界や、雪の女王との凍てつく戦いを身体で覚えている。
「妖精の女王に頼めばまた作ってくれるかも知れませんね。世界のどこかに妖精の村に通じる森があると聞いたことがあります」
天空人と言うのは妖精の存在にも通じる者たちなのだろうかと、リュカは改めてプサンの不思議を見た。どちらもおとぎ話にしか現れないような存在だが、恐らく彼らは互いに存在を認めている。
「お父さん、そういえばあの修道院で、妖精の村の話をしていた人がいたよね」
「……うん、僕もそれを思い出してた。サラボナの東だって……」
「なんと! 妖精の村についてご存じなのですか?」
「いや、まだはっきりと分かっているわけではないんですが、そのような話を人に聞いたことがあるんです」
「いや、もう、これって、アレですよ、神の奇跡! ……あっ、うーん、それは違うかな。神の奇跡だなんて言っちゃうと、何だか、アレですし、うーん、なんて言うんだろうなぁ……」
一人ごにょごにょと言うプサンを怪訝な目で見るリュカだが、とにかくこの天空城を再び天空に浮かび上がらせるためには妖精たちが作れるというゴールドオーブが必要らしい。
「ちょうど良かったじゃん、お父さん! だってこのお城に行った後は、妖精の村に行ってみようって話してたんだから!」
「修道院の人は確か、妖精の村に通じる森があるって言ってたのよね。森の中を探すってことになるのかな」
二人が妖精の村への冒険にすっかり行く気になっていて、リュカは思わずため息をついた。リュカはこの湖に沈む城へ行った後は、ティミーとポピーはグランバニアに残ってもらおうかと密かに考えていたのだ。結局どこへでもついてくる子供たちに、リュカはもう何度目になるか分からない諦めの気持ちを抱く。
「リュカさん、あなたは必ずやり遂げます」
プサンはそう言いながらリュカの両肩に手を置いた。リュカは下から見上げてくるプサンの瞳をまじまじと見つめる。琥珀色の瞳はまるでゴールドオーブが中に入り込んでいるようにも見えた。
リュカは先ほど、瞼の裏に映し出されたゴールドオーブの軌跡を思い出す。今の姿をしたリュカが、子供のリュカと子供のプックルに出会っていた。あれも子供の頃のリュカが確かに体験したことだ。まさか今の自分とそっくりな人物だったとはその時、露ほども思わなかった。もう一人の自分に出会えることなど、あり得ないことなのだ。
「きっと僕にしかできないことなのかも知れませんね」
あの時、きっと何かが起こったのだろう。
『そうか、ゴールドオーブって言うんだね。そのオーブをちょっと見せてくれないか?』
あの時の大人の自分は一体何を思って、あんなことを言ったのだろう。どうやって過去の自分に会うことができたのだろう。その謎に追いつくためにも、リュカは今、足を止めてはいけないと感じていた。
「この城が再び浮かび上がれるかどうかがかかっています。頼みましたよ、リュカさん!」
プサンは茶化すこともなく、真剣な面持ちでリュカの両肩をポンと一つ叩いた。プサンの目にはやはりどこか逆らえない力がある。リュカは心のどこかで「本意ではない」と思いつつも、子供の自分と大人の自分が出会っている過去からは逃げられないのだと、静かに意を決していた。

Comment

  1. ケアル より:

    bibi様。

    やはりポピー、MP切れで気を失いましたか…しかも死にかけるとは…!
    これでビアンカ以外(サンチョを除いて)全員が経験したことになりますね。

    プサン、さすがは龍の神第一形体(笑)
    すごぉいパワーですね。
    体温回復だなんてリュカたちの旅で使えたら、どんなに楽な旅になるでしょうね。
    それにしても、プサンの台詞…神様発言。
    「いや、神はお前だよ!」と、突っ込みたくなりますね(苦笑)

    う~ん…まさか、ここで、ティミーとポピーに、リュカとヘンリーの奴隷のこと、ゲマのこと、パパスのことを知られることになるとは…。
    以前にbibi様に、リュカの過去をいつどのように皆に話しをするのかと…話をしないと後々にひびくのではと…どうするつもりでしょうか?…と訪ねたことがありましたよね。
    まさか、このタイミングで…しかも口頭でなく映像で見せてしまうとは…予想外でありました。

    ベビープックル、あの時、たしかに気を失っていたからパパスのメラゾーマ消滅を見ていないんでしたよね。
    言われるまで気がつきませんでした盲点です。
    たしかに、目が覚めたら、真っ黒焦げの床に鼻を近づけて悲しく鳴いて、パパスの剣を見つけたんでしたよね。
    プックルも辛いだろうに…。

    ティミーとポピー…初めてパパスお爺ちゃんを見て、初めて8歳のビアンカを見て、初めてベビーパンサープックルを見て、初めてゲマを見て、そして衝撃のパパスお爺ちゃんが跡形もなくなるメラゾーマを見て…何を感じたんだろうか?
    bibi様、このあたりの話をもう少し深く描写して頂けませんか?
    ティミーとポピーの心情をもっと深く知りたいです!
    どうか、御検討くださいお願いします(礼)

    次回は、迷いの森ですね。
    久しぶりにベラとポワン登場!
    どんな会話になることやら楽しみです。
    ちなみに、光るオーブをプサンの所に持って行くと、たいしたイベントではないですが、ちょっとしたことが見れますよ。
    小説に描写しますか?
    道中の森に入る前で爆弾岩がいましたよね?…どうだったかな、
    そして森にアンクルホーンとメガザルロックがいます。
    この3匹が仲間になる対象モンスターですがどうしますか?
    次回も楽しみにしています!
    ちなみにリュカに一言、ティミーポピーグランバニアに置いて行くと、ストーリー進まなくなってしまうぞい!(笑み)

    • bibi より:

      ケアル 様

      いつもコメントをありがとうございます。
      これからも戦闘シーンが激化していくので、毎回誰かが死にかけてしまいそう・・・いや、楽し気な戦闘シーンも書きたいんですけどね。
      プサンには呪文が使えない代わりに、違う能力を発揮してもらっています。何にも活躍しないんじゃあ、本当にただのオジサンになってしまうので(笑)
      そうなんです。子供たちにはここで過去を知られてしまいます。でも断片的なものなので、子供たちにはリュカから上手く説明して、ちょっとでもぼやかしてもらえたらと思います。
      プックルも辛いところです。あの時も辛い思いをしたにも関わらず、あの時リュカはもっと辛い思いをしていたのだと気づき、涙を流しています。
      迷いの森に行くには双子を連れて行かないといけないんですよね。
      リュカの幼い頃の経験上(大人には妖精が見えなかった)、そこはすんなり二人を連れて行ってもらえたらなと思います。

  2. ケアル より:

    bibi様。

    奴隷→ドレイ
    すみません…なんでもかんでも漢字変換してしまって…読みにくいですよね。

    前から、むじゅんなことをこの場面で思っていたんです。
    子リュカはゲマにゴールドオーブを木っ端みじんに砕かれた。
    これが現在。
    大リュカは子リュカと合ってオーブをすり替えた…。
    そうなるとゲマが潰したのは偽物?
    でも、プサンがゴールドオーブの気配を探ったから砕いたのは本物。
    あの時、子リュカの前に現れた大リュカはいったい…。

    bibi様、このあたりの真実はどう思いますか?
    ただたんに、プレーヤーにたいしてのヒントに過ぎなかったんでしょうかね?
    bibi様のお考えを教えてください(礼)

    • bibi より:

      ケアル 様

      その辺りはこれから書くところなので、よくよく考えたうえで書けたらなと思います。
      何かカラクリがあるのかも知れませんね。(今の時点ではまだ深くは考えていないという・・・すみません(汗))

  3. がっちゃん より:

    ありがとうございます!

    過去をリュカが見て、打ちひしがれるところ、親だからと泣くに泣けない描写など、グッときて涙が出ました。

    bibiさんの小説楽しみです、私もいろいろ頑張ろうと思います。
    ガンガン暑くなってますので身体に気をつけて。

    • bibi より:

      がっちゃん 様

      コメントをありがとうございます。
      パパスの場面は私も目頭を熱くしながら書いているので、そう仰っていただけるととても嬉しいです。
      DQ5の名シーンの一つですからね。力が入ります。
      8月に入ってようやく梅雨明けしたようです。
      暑さが厳しくなりますね。私の苦手な季節です。汗っかきにはツライ季節です・・・。
      がっちゃん様も体調崩さないよう、適度に涼み、適度に水分を取り、夏に気をつけてお過ごしくださいませm(_ _)m

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