迷いの森

 

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「あれ? どっちから来たっけ……お父さん、おぼえてる?」
一度サラボナの町に戻って、再び森の探索を始めて既に二週間が過ぎていた。前回の探索では、ちょうど二週間が経つ頃に一度探索から引き揚げ、町に戻って身体を休めた。しかし今回の探索では魔物との戦闘にも慣れ、ティミーのトヘロスの効果もあり、一行はまだ余力を残している。あと数日は探索が続けられそうだと思っていたが、ティミーがふと周りを見廻してそんなことを言うのを聞いて、リュカも不安を覚え、同じように辺りの景色を見渡す。
人が立ち入らないこの森に道はない。木々の間は密集しているわけでもなく、馬車を通せるほどの間は空いている。その割に枝に茂る葉は密集しており、灰色の空をその隙間に望むことも難しい。
リュカがほんのわずかに見える灰色の空を目を細めて見ていると、木々の葉が満ちる景色が途端に白っぽく霞むように感じられた。思いの外疲れて目が霞んできたのだろうかと目を擦ってみたが、白く霞む景色は変わらない。
「リュカよ、霧がかった景色と言うのはこのことかも知れんぞ」
マーリンも緑色のフードを被りながら、リュカと同じように目を細めて辺りを見渡している。少し離れて立つマーリンの姿を見ても、その緑色が白く霞んでいるように見える。サラボナのアンディから聞いた景色はこのことだと、辺り一帯を包む白い景色にリュカは確信を得る。
「リュカ、アソコニ、イエガアルヨ」
大きな丸い一つ目で、ガンドフはリュカには見えない遠くの景色を見ている。つい先ほどまで気づかなかった霧の深い景色は、気づけばリュカたちの視界を大いに阻み、少し離れたパトリシアの姿が見えなくなるほどになっている。当然、ガンドフが教えてくれた家などは全く見えない。
「ちょっと、みんな集まろうか。どこにいるか分からなくなる」
リュカの声に引き寄せられるように、霧の中から仲間の魔物たちが近寄ってくる。パトリシアはマーリンが連れてくる。ふわりと霧の中から姿を現すように魔物の仲間たちが集まる一方で、ティミーとポピーの姿が見えない。
「ティミー! ポピー! 僕のところに戻ってこい!」
一瞬、焦りを感じて大声で二人を呼びつけたリュカだが、間もなく現れた二人の姿を見てほっと胸を撫でおろす。
「お父さん、あっちに誰かがいたような気がしたんだけど」
ティミーが指差す方向にも霧が広がり、その先を見通すことはできない。誰かがいたとしても、それが人間なのか魔物なのかの区別も難しいだろう。
「この森の木さん、悪いヤツは通さないって言ってるよ。私たち、いい子よね?」
ポピーが不安そうな様子で、森の木を見上げる。霧に包まれる森の景色そのものが、ポピーの言う森の木の言葉を表しているようで、リュカは思わず近くの木に手を当てる。しかしリュカには森の木の声など聞こえるわけもなく、ただ湿った木の幹の感触が手に伝わるだけだ。
「大丈夫だよ。僕たちはこの森を荒しに来たわけじゃない。悪くないってきっと分かってくれるはずだよ」
ティミーの言うこともポピーの言うことも、リュカは微塵も疑ってはいない。しかし彼らが目にしたことも、耳にしたことも、リュカには分からないのが事実だ。それならば彼らの言葉を信じた上で、一先ず安心させるのが最善とティミーにも呼びかける。
「ガンドフがあっちに家があるって言ってるんだ。もしかしたらそこに住む人が近くを通ったのかも知れないね」
「えっ? こんなところに家なんてあるの?」
「ウン、アッチニ、ミエルヨ」
見えるとはっきり言うガンドフの目には、一軒の人間の家らしき影が確実に映っているのだろう。森を歩いて二週間ほどが経つが、まさかこれほど森の深い場所に人間の家が建っているとは夢にも思わない。人間の中には人里離れた場所で孤独に暮らす物好きな者もいるが、その類の人間がこの近くに住んでいるのかも知れない。
「とりあえずガンドフに案内してもらって、家を訪ねてみよう。で、もしできたら少し休ませてもらえたらいいよね」
「イエカラ、ケムリ、ミエル」
「えっ!? 煙? 大変だよ! 家が燃えちゃってるんじゃないの?」
「違うんじゃないかしら。ただ煙突から煙がのぼっているだけじゃないの?」
「うん、多分そうだと思うよ。やっぱり誰か人間がいるんだ。不思議だね、こんなところに住むなんて……」
「でもこの辺りって近くに川は流れてるし、そこら辺の木に美味しい実はなってるし、キノコは取れそうだし、水にも食べるものにも困らないよね」
「森の動物たちも大人しいし、意外と住み心地は良いのかも」
「魔物もこの近くにはこないのかな。あまり気配を感じない気がする……」
霧の深い景色は人間だけではなく、魔物の目をごまかす景色でもあるのだろう。気配に敏感な魔物でも、いざ人間に襲いかかる時には目で相手を捉え、的確に攻撃を仕掛ける必要があることがほとんどだ。
ガンドフを先頭に霧の景色の中を進んでいくと、彼の言っていた通り一軒の小さな小屋と呼べるような家が建っていた。煙突からは細々とした煙が上がり、中で暮らす人間の生活の温度が感じられる。家の横には薪が山積みに置かれ、その横にはいくつかの木箱が積み重ねて置かれている。木箱の上には手斧と鎌が置かれ、それらは日常的に使われているように見えた。
「では我々はいつものように近くで……」
ピエールがそう言ってパトリシアと共に小屋から見えない場所へと移動しようとしたと同時に、小屋の扉が開いた。中から姿を現したのは小柄な中年の男性で、頭には濃緑色の頭巾を被り、旅人の服などを作るような丈夫な生地で作られた長袖長ズボンの出で立ちだ。男性は扉を開けた状態で立ちすくむ。顔中に茶色の髭が溢れるその男性と初めに目が合ったのは、ガンドフだった。
「こりゃあ驚いた。ここらではこんな熊はぁ見たことがねぇな」
驚いた割にはのんびりした口調でそう言う男性の反応に、リュカは途端に安心した。ふんわりとした茶色の髭を手でしごきながら、半ば感心したようにガンドフを見上げる彼は、次に空をバタバタと飛んでいるミニモンを見上げ、「また変わったコウモリだな。どこから迷い込んできたもんかね」と警戒するよりもむしろ心配するような目を向ける。
「あの、こんにちは。ここに住んでいる方ですか?」
リュカが近くに寄りながら話しかけると、男性は人間の言葉に反応するようにリュカをゆっくりと見上げる。もしかしたら人間の言葉を耳にするのは久しぶりなのかもしれないと、リュカはその反応を見ながら思った。
「ああ、そうだよ。家内と二人、ここに住んどる。お前らはどうしてこんなところを歩いてんだ?」
「この近くに妖精の世界に通じる場所があると聞いて、その場所を探しに来たんです」
普通に考えれば、この理由を素直に聞いて素直に理解を示してくれる人間は少ないだろう。しかし人里離れたこの森深き場所で暮らす人間なら、このお伽噺の中にあるような話も素直に聞いてくれるに違いないとリュカは思っていた。想像通り、彼はリュカの話にふんふんと頷き、この深い森の中を歩いてここまでたどり着いたリュカに興味を持ったようで、家の外に置いてある薪を両手に抱え込むと、「中で話を聞こうか」とリュカたちを家の中に招き入れた。リュカは魔物の仲間たちにはいつも通り近くで休んでいるようにと伝え、子供たちを連れて男性の後に続いて小屋の中へと入って行った。
小屋の中はこじんまりとしながらも、温かな雰囲気の漂う空間だった。テーブルも椅子もベッドも、壁に取り付けられた棚も全て手作りで、竈に入る火のお陰で部屋の中はほんのりと暖かい。ちょうど奥の炊事場では彼の妻が煮炊きをしており、鼻歌を歌いながら桶の水で葉を洗っていた。
「おい、客人だよ」
「ええ? あらまあ、珍しい。こんなところに人が来るなんてねぇ」
振り返った彼の妻は、男性と年も同じほどで、彼よりも一回り身長も体周りも大きいようだった。
「ようこそおいでなさいましたね。可愛らしいお子さんまで。椅子は……足りないからそこらの箱を使っていいから座っててくださいな。お茶でも入れますからね」
そう言うと彼女は再び鼻歌を歌いながら、今度はリュカたちのためにと茶の準備を始めた。棚から出す木のカップが軽やかな音を立てて炊事場の台に置かれる。
男性に勧められた椅子に座り、ティミーとポピーには椅子代わりに二つの木箱がずりずりと引きずり出された。二人は部屋の中を物珍しそうに見渡しながら、この状況を楽しんでいる様子で男性に話しかける。
「おじさんたちはどうしてこんなところに住んでるの?」
ティミーが木箱の上に座って、足をぶらぶらとさせながら男性に問いかける。外から薪を運び入れた男性は、薪を今は使っていない暖炉の近くに置くと、ティミーを振り向いて答える。
「この森にはロマンがあるからな」
「ロマン」
「ここは妖精の村に通じると言われている迷いの森だ。さっきのあんたの話じゃあ、ここがそういう場所だって知ってるって思ったけど、違うのか?」
男性は椅子を後ろに引きながらリュカを見てそう言うと、どっかりと椅子に腰を下ろした。リュカは今までひと月ほどもかけてこの森を探索し続けたこと、そしてようやくこの場所にたどり着いたことをかいつまんで男性に話した。小柄な中年男性は癖の様にふわふわの髭を右手でごしごしと擦りながら、リュカの話を静かに聞いていた。その内に炊事場で茶の支度をしていた彼の妻が、盆に湯気の立つ木のカップを四つ乗せ、テーブルに運んできた。嗅いだことのない香りだが、湯気から漂う香りはどこか清涼感の感じられるものだった。
「さっき迷いの森って言ってましたけど、妖精の村の入口はこの近くじゃないんですか?」
「さあな。俺らはただここに住んでるだけだから、あんまり細かいことは知らねぇ。しかし普通の人間じゃこの森を抜けることはできねえみたいだぜ」
「抜けられないって言うのは」
「その名の通り、ここは迷いの森だ。迷って迷って入口も出口も見つからない。そのまま森の中で消えちまうってことだ」
男性の呆気ない言葉に、リュカもティミーもポピーも思わず身を震わせた。ここまでひと月ほどの時間をかけて、ようやく霧の景色を見つけ、森に住む人にも会えたというのに、ここから先に続くのが迷いの森だなどと冗談にしてほしいと思う。
しかしこんな話を聞いても、ティミーは考えを翻し、恐怖からあっさりと立ち直り、表情を明るくする。
「じゃあ魔物なら見つけられるってことかな」
ティミーがいかにも名案とばかりに元気に言い放つが、すぐさまポピーが否定的な意見を被せる。
「それじゃあ森に棲みつく魔物に見つかって、妖精の村は大変なことになっちゃうんじゃない?」
「でもさ、魔物の方が色んな気配を感じるよね。ガンドフもそうだし、プックルだって」
「みんなは良い魔物さんだからいいけど、悪い魔物さんもいるでしょ」
「悪い魔物にだけは見つからない魔法とかがかかってて、とか?」
「うーん、妖精さんならそういう魔法を知っていてもおかしくない気はするけど、どうなんだろう」
「迷いの森の中にはあちこちに妖精がいるってウワサもあるけどな」
男性が器用に髭を左右に分けながら茶をすする。その言葉に今度は三人とも顔を明るくする。
「なあんだ。じゃあ妖精を見つければ案内してもらえるよね」
「怪しまれないように、ちゃんとジジョウを伝えないといけないわね」
「天空城の話をすれば、妖精だって事情は分かってくれると思うよ」
「もっとも妖精の姿を見ることができるなら話は別だけどよ」
再び茶をすする音が響く。静かな家の中に、近くの木の枝に止まる鳥のさえずりが聞こえる。リュカも茶を口にすると、喉を清涼感が駆け抜け、頭の中の靄がすぅっと晴れ渡るように感じた。
「お父さんは妖精と冒険したことがあるんだよね? 姿だって見えるよね!」
確かにリュカは幼い頃、プックルを連れて妖精の村を訪れ、妖精のベラという女の子と一緒に冒険をしたことがあった。あれが夢でなかったと信じている。現にリュカが妖精の世界で春風のフルートを雪の女王から取り戻し、その音色が響き渡った後、リュカたちが暮らしていたサンタローズも長い冬を終えて春を迎えたのだ。
「私もね、子供の時は妖精の姿を見たことがあったんだけどねぇ……」
炊事場の竈の火で鍋に湯を沸かし、葉を茹でている彼の妻が振り向かないまま話に加わる。彼女のその言葉に、リュカは思わず小さく唸る。
サンタローズに住む大人たちには誰一人として妖精のベラの存在に気づいた者はいなかったはずだ。魔物のプックルでさえもベラの姿は見えていなかった。村の犬にも猫にも、気づかれなかった。唯一、村でふわふわと宙に浮かぶベラの姿を見たのがリュカだった。
「ただこの迷いの森に妖精がいるのは恐らく間違いないよ。妖精ってのは色々とイタズラをするからねぇ。この家の窓辺にもね、たまに森の木の実がキレイに並べられていたりするんだよ。あんなことするのは妖精しかいないよ」
女性はふくよかな身体を忙しなく動かしながら、本日の夕食の下ごしらえを進めている。人数が増えた分、いつもより手間がかかっているようだ。
「家の外に置いてある薪もいつの間にかちょくちょく減ってたりするんだぜ。ありゃあ妖精が森で焚火するのに使ってるのに違えねぇよ」
「何だかカワイイことをするのね、妖精さんって」
「イタズラって言っても、そんなに困ることじゃないんだね。気づいてほしくてやってる感じがするなぁ」
「でも俺らはその瞬間を見たことがねぇんだよなぁ。ま、たとえ見えたとしても、触れるかどうかも怪しいもんだけどな」
男性のその言葉に、リュカは果たしてあの時妖精のベラに触れたことがあっただろうかと記憶をたどる。サンタローズの村で見た彼女の姿は後ろの景色が透けて見えるような透明に近い状態だった。しかしリュカたちが暮らしていた家の地下室から、輝く階段を上って着いた妖精の村では、ベラだけではなく他の妖精たちも人間と同じように実体のある者として目に見えていた。妖精の世界に積もる雪の冷たさはしっかりと覚えているが、やはりベラや他の妖精たちに触れたことがあったかどうかは思い出せなかった。
「そう言えば、この森が動くなんて話も聞いたんですけど、そう言うこともあるんでしょうか」
「森が動く? ああ、それも妖精のイタズラみたいなもんだろうな。呪文とは違う不思議な術を使うんだ。森が動いた、と思ったら、いつの間にかこの家の近くに連れ戻されてる。俺も何回か経験があるぜ」
「あたしも経験したことあるよ。ま、あの時は本当に森の中で迷いかけてたから、かえって助かったんだけどさ」
二人の話を聞けば、この森には確実に妖精がいるというのが感じられる。そして妖精は決して悪い存在ではなく、むしろ森に侵入する妖精以外の存在を体よく追い払おうと不思議な術を使っているのだろうと思えた。妖精の世界は無暗に他の者が立ち入って良い場所ではない。天空城を浮かび上がらせるためのオーブを作れるほどの力を持つ種族だ。この広大な森の一角に術を仕掛け、妖精以外の者の目を眩ませることなどさほど難しいことではないのだろう。
「とにかくあんたたちは今晩、ゆっくり休むことだ。もう長いこと、森の中を歩いてきたんだろ? 迷いの森の中には妖精だけじゃなくて、おっかねぇ魔物もいるから、十分用心して行かなきゃならんぞ」
「泊めてもらっていいんですか?」
「もちろんだ。こんな狭いところで良きゃあ休むのに使ってくれよ」
「ありがとうございます。助かります」
「せっかくお客さんが来てくれたんだから、ちょっと食材を足そうかね。あんた、森で茸と果物をいくつか取ってきておくれよ」
「あいよ。そこらでちょちょっと取ってくるぜ」
「あ、僕も手伝います」
「ボクも行くよー!」
「私も行きたいです。果物って、どんなものが取れるんですか?」
長い森の探索で疲れていたはずだが、気の良い森の夫婦と話している内に、親子三人は多少なりとも体力を回復していた。人の住む家で茶をご馳走になるだけで、外での冒険に疲れた身体は思いの外癒された。もしかしたら女性が出してくれた茶には体力回復の効能もあったのかも知れない。三人の親子は小さな家の主人の後について、近くの森に食材を調達しに出かけた。



しばらくは霧の深い景色が続いた。森の葉や枝を伝って水が落ちてくるのは、雨が降っているということだった。地面がぬかるむほどの雨が降り、跳ねる泥水をプックルが忌々しげに目を細めて見下ろす。
森の家に住む夫婦に一晩泊めてもらい、十分に体力も魔力も回復したリュカたちは再び森の探索を始めていた。霧の深い景色を抜けた先に、彼らの言う迷いの森が広がっているという。そこでは霧は晴れ、あちこちに蛍が飛ぶような幻想的な光景を見ることができるらしい。森の中を流れる澄み切った川の水を見ても、蛍が棲みつくには良い環境だろうなとリュカは何の気なしにそんなことを思っていた。
三十分ほど歩いた先、視界から霧が去っていくのを感じた。森の木々の合間に灯る小さな光は蛍のようにも見えたが、そうではないような気もした。蛍が規則的に飛ぶわけではないが、それ以上に不規則に小さな光は浮いている。近づけばふっと消えてしまうその光は、絶対に捕らえることができない。その癖、リュカたちの手の届かない場所では、まるでリュカたちと遊ぶように、揶揄うように、ふわふわと光を放つ。
「キレイね。何の光なのかしら。ホタル、じゃないんだろうね」
「あっ! ねぇ、あの光が一番大きいよ! あれなら近づいて触れるんじゃないかな」
ティミーがそう言って走って近づけば、大きく見えていた光は徐々に小さくなり、ティミーの手が届く前にぽんっと音が聞こえてもおかしくないように弾けて消えてしまった。やはり光は、この森を歩く者たちを心地よく惑わせているのかも知れない。
「ちょっと気をつけて行こう。あの光、僕たちを迷わせるためのものなのかも知れないから」
リュカも子供たちの目を惹きつける光を綺麗だとは思ったが、それだけだった。むしろこの美しい景色はよほど用心しなければならないと、子供たちに注意すべきと感じた。人の目を惹きつける光に誘われるままに森の中を進めば、この迷いの森の中で確実に迷わされることになるだろう。
「リュカよ、確か森が動くとか言っておったの」
マーリンの言葉はサラボナの町でアンディに聞いたものだった。アンディの知り合いの吟遊詩人がこの森をふらりと歩いた時、森が動くような景色に出会ったのだという。
「確かに動いておるようじゃ」
「えっ?」
マーリンが注意深く森の景色を見渡す。霧が晴れた森の景色は木々の間の遠くまでを見渡すことができる。小さな不思議な光は森のあちこちに揺れ、気ままに現れたり消えたりしている。森の木々は様々な種類が立ち並び、頭上遥か高くに枝を伸ばして多くの葉をつけるものもあれば、リュカの頭に届くほどの高さに枝を下に伸ばして、まるでそれが何者かの手の様にリュカにつかみかかろうかとしているようなものもある。
リュカはふと後ろを振り返る。先ほどまで真後ろにあった木の枝が形を変えて、リュカの頭上にあった。今にもリュカの濃紫色のターバンを取ってしまいそうな形に見える。
実際に森の木が動いている瞬間を見ることはないが、森に侵入してきた者たちを試すように、遊ぶように、森の木々は枝葉の形を変えている。そして森全体の形を変えてしまう。
「これは……目印か何かをつけながら進まないと、元来た道などあっという間に分からなくなるのではないでしょうか」
「目印をつけるのも一つじゃが、果たしてつけた目印自体、そのままにしておいてくれるかのう」
森には妖精がいる。リュカたちが目印になる木の実や、通った場所の木に傷をつけるなどして目印をつけて行っても、森の妖精たちはその目印をことごとく消してしまうのではないかと、マーリンは言う。
「木に傷をつけちゃうのは、ちょっとかわいそう……森の木さん、痛がるわ」
「妖精ならきっとお父さんが見つけられるはずだよ! じゃあさ、この森で妖精を見つければいいんだよ。それで妖精に道を教えてもらうんだ!」
「でも近くに妖精の気配なんて感じないぞー。どこにいるんだろうなー?」
「イルノハ……マモノ、ダケ?」
ガンドフがそう言うなり、プックルが地を蹴って森の木々の間を駆けて行った。突然、近くに現れた魔物の姿に、リュカは気づかなかった。プックルも間近に迫るまで魔物の気配に気づかなかったようで、焦った様子で飛び出したのだ。
何故気づかなかったのかと思うほど、現れた魔物は巨大だった。森の木々の葉を騒がしく揺らし、細かな枝を容赦なく折りながらリュカたちに近づく。ティミーのトヘロスの効き目はまだ続いているが、その聖なる空気を難なく破って近づくその魔物は、強い異臭を放っている。リュカは思わず顔をしかめ、ティミーとポピーはたまらず手で鼻をつまんだ。
森の木々がざわめく。そしてリュカたちが目にする前で、森が動く。戦いなど好まないのだと言わんばかりに、地の中に張る根ごと、地面を生き物のように隆起させてリュカたちに場所を明け渡す。森の中にぽっかりと開けられた空間に、リュカたちと現れた魔物が対峙する。
臭気を放つ魔物は、元々はドラゴンだったのだろう。遥か昔に倒されたドラゴンは地の中から蘇り、再び人間を倒すためにと溶けかけた肉を骨にまとわせ、空洞の黒い眼窩の中に鈍く光る青の目を持つ。一体何者に蘇らせられたのかは分からない。まさか妖精たちが悪ふざけで魔物を蘇らせるとも考え難い。
真っ先に突っ込んでいったプックルは、ドラゴンゾンビの骨ばかりの大きな手に弾かれてしまった。近くの木に叩きつけられたプックルだが、すぐに体勢を立て直す。
「リュカ殿……これは、強い相手です」
「そうだね。長引くと大変だ」
そう言いながらピエールとリュカが剣を握りしめる。ドラゴンゾンビの青の目がゆらりとリュカを見つめる。気を抜けば、その目を見るだけで身体に恐怖を帯び、動けなくなりそうだった。
リュカたちの身の回りに強い空気がまとわりつく。ティミーの唱えたスクルトの呪文の効果は、ドラゴンゾンビに立ち向かうための気力をも高めた。続けてポピーがバイキルトの呪文を唱えると、リュカは剣を握る手だけではなく、剣の刀身にもその力が及び、そして全身が熱を帯びて、目の前のドラゴンゾンビを恐れる気持ちから完全に解放された。
プックルが再び飛びかかる。それが撹乱するだけの行動と分かる。ピエールがリュカの横から飛び出す。それもまた、撹乱させるためのものだ。彼らの攻撃にドラゴンゾンビの青の目が向いている隙に、リュカが飛びかかる。しかしその攻撃も僅かに躱す敵は、リュカの強い剣を骨ばかりの翼に受け、翼の一部を無くしたに過ぎなかった。リュカの剣に斬り落とされた翼の骨が勢いよく飛ばされ、近くの木に刺さる。
父の後にとティミーが天空の剣を右手に駆け出した時、ドラゴンゾンビの青の目が一度、消えた。真っ暗になった眼窩に敵が倒れたのかと思う。意外にあっさりと決着したと勘違いさせた死竜の目は直後、強く青白く光った。同時に牙だらけの大きな口が開かれる。
辺り一面を氷の世界に変えてしまいそうな、凍える吹雪が死竜の口から勢いよく吐き出された。ちょうど正面にいたティミーは、咄嗟に足を止め、左手の盾を前に出そうとしたが、間に合わない。悲鳴にならない悲鳴が、吹雪の勢いにかき消される。全身が凍てつく感覚に、ティミーはたまらずその場に倒れた。
ドラゴンゾンビが吐き出す吹雪はティミーのみならず、仲間たち全員に吹きつけた。目の前が一瞬にして真っ白になるその吹雪に、リュカたちは仲間たちの互いの姿を一瞬見失う。ただ自分の身を守るのに必死な瞬間に、喉の奥まで凍りつきそうな吹雪の中、呼吸もできない。少しでも気を抜けば、あまりの冷たさに一瞬にして気が遠くなる。
吹雪が晴れた瞬間、リュカは敵の巨大な足に蹴飛ばされた。冷たく凍りつきかけた身体に、痛みはなかった。しかし蹴飛ばされた胸から温い血が込み上げ、口から吐き出されると、痛みを感じないことが危険と感じた。
「リュカ! シッカリ!」
全身を吹雪で白く染めたガンドフが、覚束ない足でリュカに近寄る。震える手でリュカの胸に手を当て、回復呪文ベホマを唱える。傷めた内臓が強い回復呪文で治るのを感じる。身体にも温かさが戻る。リュカは「ありがとう」と一言礼を述べ、お返しにとガンドフに同じ回復呪文を施した。
「このヤロー! なんてことするんだー!」
唯一、宙に飛んで吹雪の攻撃を逃れたミニモンが、怒りのままにドラゴンゾンビに次々と火球を投げつける。まるで手品のようにミニモンの手にはメラミの火球が生み出され、それらは容赦なくドラゴンゾンビの骨についている僅かながらの肉を燃やす。敵が竜の咆哮を轟かせる。まるで死の世界を感じさせるような冷気を生み出すドラゴンゾンビは、身体にまとわりつく炎から逃れるように巨大な身体を捩らせている。
まだ地面に這いつくばっていたマーリンがその事態に気づくと、吹雪の力で立てない状態ながらも、両手に魔力を集中させる。そして上から火球を投げつけるミニモンと向かい合う形で、地面からメラミの呪文を放つ。ドラゴンゾンビの巨大な体がみるみる巨大な炎に飲まれていく。
その隙にと、リュカは倒れて動かないティミーのもとに駆け寄る。ドラゴンゾンビの吹雪を最も正面から受けた彼は、顔面から足の先まで凍りついていた。口にも鼻にも氷が張り、息ができない状態だ。心音が弱まるのを感じたリュカは、ティミーを抱き起こすと、迷いなくザオラルの呪文を唱えた。ティミーの強い命の灯が明るくなる。リュカは子供の強い生命力を信じている。彼は決して、自ら命を投げ出すようなことはしない。生きたいと思うティミーの心に、リュカの唱えるザオラルの呪文はすぐに届いた。
顔に張り付いていた氷がティミーの顔に戻った熱に溶かされ、ずるりと地面に落ちた。
「大丈夫か、ティミー」
「う、うん、大丈夫。大丈夫だよ。うう、冷たい。まだ冷たいよ」
ティミーが震える手で自分の顔を覆おうとするが、上手く行かない。手がまだかじかんでいる。リュカはそんなティミーの頬に自分の両手を添えて、一度癖のある金髪の頭を腕に抱くと、彼をかばうように立ち上がる。
既にピエールの手当てを受けていたポピーが、マグマの杖を構えている。ミニモンとマーリンの炎攻撃に加勢しようと、ポピーも杖を持って強く念じると、杖頭から勢いよくマグマが噴き出した。ドラゴンゾンビの脳天に落ちたマグマは、頭から生えていた二本の角を覆い、溶かしていく。敵が苦しそうな咆哮を上げる。そして再び、眼窩の青の目を隠した。
「みんな、離れろ!」
リュカの声に、仲間たちは一様に敵からの距離を取る。直後、ドラゴンゾンビはポピーを正面に凍える吹雪を吐き出した。しかしポピーはひるまなかった。
両手にマグマに杖を構えたまま、再び杖頭から大量のマグマを生み出す。迫りくる吹雪に対抗する。宙からはミニモンが、地からはマーリンが、同時にメラミの呪文を放つ。吹雪の勢いがいくらか弱まる。
リュカが敵の横から飛びかかる。攻撃力を高めているリュカの剣は、ドラゴンゾンビの大きく固い骨にも有効だ。吹雪を吐き出す口に斬りつけ、下顎を切り落としてしまった。吹雪の力が更に弱まり、吐き出される吹雪は敵の足元に力なく落ち始めた。
ティミーが後ろから迫り、ドラゴンゾンビの脳天の骨に剣を突き立てようと飛び上がる。それを見て、ポピーが瞬時に呪文を唱える。バイキルトの呪文を得たティミーの天空の剣は光り輝き、激しい音を立てて竜の頭蓋骨を貫通した。竜の眼窩に光っていた青の目が三度消えた。その状況に危険を感じたプックルが飛びかかり、竜の首に前足で激しく蹴りつける。するとまるで初めからバラバラだったかのように、ドラゴンゾンビの首が勢いよく飛んだかと思ったら、身体の骨もばらばらと崩れて行った。
草地の地面に竜の焦げた骨が散らばる。それまで命が与えられていたものとは思えないほど、大きく固い骨はバラバラに散らばった。動いていたのが不思議に思えるほど、竜の骨はまるで昔からある化石のように、遥か昔から命を無くしていたもののように見えた。
森がざわざわと騒ぐ。リュカたちが死竜を鎮めたことに安心したように、風にそよぐと見せかけて枝葉が揺れる。地面を隆起させながら戻る木の根は、倒れた死竜の骨を飲み込むように地面の下に引きずり込む。しばらくして落ち着いた森は、先ほどまでの死ぬ思いをした戦闘などなかったかのような静けさに包まれた。
「……ええっと、どっちから来たんだっけ」
「仰ると思いました。あちらから来たんですよ、我々は」
森の景色は一度として元には戻らないのではないかと思えた。しかし森の中から微かに確認できる日の光の位置は、さすがに森の妖精にも移動させることはできない。雲に隠れる太陽だが、今は空にかかる雲も薄いのか、いくらか太陽の位置を目にすることができた。ちょうど傾きかけた日の光を左手に見ながら、リュカたちは北に向かって進んでいる所だった。
リュカは改めて、仲間たちの様子を確かめる。ティミーは顔色も良くなり、しっかりと自分の足で立ち、歩くのにも問題なさそうだ。マーリンの緑色のフードや、プックルの黄色の体毛を凍らせていた氷も解け、凍って固くなっていたピエールの緑スライムも元の弾力を取り戻していた。ミニモンは魔力を消耗したが、まだ十分に余力を残している。
ガンドフが抱きかかえているのは、ポピーだ。ポピーは今も凍てつく寒さを体に感じているのか、ガンドフの茶色の体毛に包まれながら身体を震わせていた。
「ポピー、さっきはよく頑張ったね。大丈夫かい?」
草地の上に腰を下ろすガンドフの膝の上に、ポピーは力なくへたり込んでいる。両手にはマグマの杖が握られているが、それは彼女自身が意識して持っているというよりも、手に張り付いて離れないというように見えた。
「気分が悪い?」
リュカが顔を覗き込みながら問いかけると、ポピーはうつ向いたままゆるゆると首を横に振る。
「違うの」
「うん。いいよ。ゆっくり話してごらん」
「うん」
父リュカの沈黙は心地が良い。大きな父の手に頭を撫でられ、ポピーの心が徐々に落ち着く。同時に抑えていた恐怖が涙になって目から零れ落ちる。
「お兄ちゃんがね」
「うん」
「死んじゃうかと思ったの」
「うん……そうか」
「怖かったの」
「そうだね……怖かったね。それなのによく頑張って戦ってくれたね。ポピーは強い子だ」
「怖かったの……本当に……怖くて……」
「ごめんね、怖い思いをさせて」
ポピーの脳裏には、先ほど死にかけたティミーの無表情が鮮明に残っていた。生まれた時から一緒で、常に行動を共にし、まるで自分の半身のように在る双子の兄がいなくなると、ポピーは凍てつく吹雪よりも冷たいものをその小さな胸の中に感じていたのだ。
ガンドフの前に腰を下ろし、リュカはポピーに両手を広げる。目からはらはらと涙を零すポピーは、父の腕の中に移り、泣いた。そんなポピーを棒立ちになって見つめていたティミーが、自分も泣きそうになるのを堪える顔つきで大きな声を出す。
「ボクが死ぬわけないだろ! ポピーを置いて、お父さんよりも先に、お母さんもおばあちゃんも見つけてないのに、ボクは絶対に死なないよ!」
「でも、でも、さっき、お兄ちゃんは……」
「ボクが危なくなったって、お父さんが絶対に助けてくれるんだ! お父さんが強いって知ってるだろ、ポピーだって」
「知ってるわよ。知ってるけど、でも、本当に、怖くて……」
「ボクがいなくなったら、この世界はどうなるんだよ! ボクは絶対に生きなきゃいけないんだよ!」
八歳の男の子が叫ぶような言葉ではないとリュカは思う。ティミーは日に日に勇者としての自覚を強くしている。その自覚が、ティミーを強くする。強くなってまた、勇者としての自覚を強くする。彼はリュカの護る手の中で、勇者としていつでも世界へ飛び出そうと剣も盾も構えているような強さを、もう隠しきれていない。
「泣いてもいいけど、めそめそ泣くなよ。泣くなら思いっきり泣けばいいだろ」
世界を救う勇者であっても、彼はポピーの双子の兄だ。妹の心の強さも弱さも、恐らく父親のリュカよりもよく知っている。ティミーがポピーの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でると、ポピーは堰を切ったかのように大声を上げて泣き出した。妹の泣き声に釣られるように、ティミーも声を上げて泣き始めた。リュカはティミーの手を引いて座らせると、二人の頭を抱き寄せた。
ティミーも生死の境を彷徨ったその時をその身に思い出し、恐怖していたのだ。しかし自分は勇者なのだという誇りのために、やはり素直に泣くことができない。リュカは二人が気が済むまで泣き、心が落ち着くまでただ静かに二人の頭を抱き寄せていた。どうしてこんなに小さな二人が、これほどの運命を背負わされなければならないのかと、何故自分一人に背負わせてくれなかったのかと、リュカはあらゆる運命を呪いたい気持ちで歯噛みした。



森は確かに動いていた。森に棲む魔物との戦闘時には、その動きが顕著だった。
森の木々は争いごとを好まない。荒々しいことが嫌いなようだった。ひとたび不穏な空気を感じれば、その場から逃れるように地面に根を張ったまま木々は移動し、傷つけられないようにと避難する。そして戦いが終われば、木々たちはやれやれと言った具合に元の場所へと戻るのだ。初めは不思議極まりないその状態に面食らっていたリュカたちだが、二度、三度とその状況を目にすれば、迷いの森の不思議にも大方慣れた。
迷いの森での探索が二週間ほど続いた頃、動く森の中でリュカたちは完全に迷ってしまった。来た道も行くべき道も分からない。森の外に照る日の光の位置を確認しようにも、空は分厚い雲が覆い、強い雨が降り続く。時折、雷鳴さえ轟かせる空模様に、その日一日は探索に歩くのを諦め、体力温存に努めることにした。
森の探索は二週間ほどを目安に、先の見通しが悪ければ一度サラボナの町に戻ることを考えていた。リュカはマーリンとピエールとも相談し、一度町に戻るのが良いかも知れないと、ルーラを唱えようとサラボナの町の景色を脳裏に思い描こうとした。しかし脳裏に映し出されるはずのサラボナの町は、霞がかかるようにぼんやりとしてしまう。何度ルーラを試みても、あれほど特徴的な花が咲き乱れる美しい町を思い浮かべることができなかった。それはポピーも同様で、呪文を得意とする彼女にもルーラの呪文を発動することができなかった。
「これは、この森全体に不思議な力がかかっているのかも知れん」
マーリンの言葉にリュカは素直に納得した。妖精たちは戦う力はなくとも、不思議な力を持っている。ここから妖精の世界に通じる道があるとすれば、妖精たちは自分たちの世界を守るために様々な不思議な術を使うのも頷ける話だ。試しに風の帽子やキメラの翼を使っても見たが、やはり効果は得られなかった。森に侵入してきた者たちを迷わせ、逃さず、じわじわと弱らせるというのが妖精たちが自分たちの世界を守るための手段なのだろう。
迷いの森から逃れることができないとなれば、前に進むしかなかった。幸い、この辺りにも清らかな小川は流れ、木になる瑞々しい果物や木の実を手に入れることもできた。最低限、生きることはできる環境で、一体これからどこに進めばいいのかも分からない状況でも尚、リュカたちは前に進まなければならなかった。
森の木々の葉に守られながらも濡れるような強い雨に、リュカたちは馬車の荷台の中で休息を得ていた。仲間たちの口数が少なくなってきていた。プックルの温かな横腹にもたれかかるようにして、ティミーとポピーが眠っている。プックルも獣とは思えぬほど静かな寝息を立てて眠っていた。ガンドフも大きな一つ目を閉じて、胡坐をかいたまま眠っている。ピエールは剣の手入れをしながらもうつらうつらと船を漕ぎ、マーリンとミニモンは旅の間も必ず持ち歩いている呪文書に目を落としながら、眠そうに目を擦ったりしている。
リュカは皆が静かに休んでいる間の見張りをと、一人馬車の荷台から静かに下りた。雨はいつの間にか小降りになり、じきに止むように思われた。聞こえていた遠雷もどこかへ去り、森の木々の隙間から見える空も明るくなったように感じた。
森の中は水の匂いと葉の匂いと木の匂いと土の匂いと、自然にあふれた匂いに満ちている。その中に時折、魔物の臭いが混じることがある。しかし今、リュカはそれらとは別の匂いが漂うのを感じた。
「煙……?」
もしかしたら近くに、迷いの森の端に立つ小さな家のような場所があるのかも知れないと、リュカは期待を胸に辺りを見渡した。リュカの弾む気持ちに気づいたのか、馬車の荷台からまだ眠そうなガンドフが下りてきた。大きな口を開けて欠伸をする様はまるで熊だが、円らな一つ目をパチパチと瞬きする様はまるで愛らしい小動物のようだ。
「ガンドフ、何か近くに見えるかな」
リュカに言われるまでもなく、ガンドフは辺りの景色を見渡し始めた。ある一点を大きな目で凝視し、ガンドフは木々の先にある明かりを見つけた。
「コノサキニ、ヒ、アルヨ。ヒ? タキビ?」
「火? だから煙の臭いがしたんだ」
「アルノハ、ヒ、ダケカナ」
「え? 誰かがいるんじゃないの?」
「ウウン、イナイ。ダレモ、イナイヨ」
リュカは火がある場所に誰もいないことを不思議に思った。火を起こすのは動物でも魔物でもない。生活に火を使うのは決まって人間だ。火の明かりがあれば、そこには人間がいるはずだとリュカは期待していた。
「でも火の明かりが見えるんだよね。確かめに行ってみよう。どうせ道も分からないし、手がかりもないんだから」
「ソウダネ。デモ、ダレモ、イナイヨ」
ガンドフもその場に人間がいないことに不思議を感じたようで、改めて火の明かりが見える景色を目を細めて見渡す。やはり近くに人間の気配は感じられないようだった。
「誰もいないのに火がついているのも危ないよね。森が燃えちゃうかも知れないし。消しておいた方がいいかも知れないから、とりあえず馬車を進めてみようか」
「ミンナ、ヤスンデルカラ、シズカニ、ネ」
「うん、そうだね。せっかく休んでるのに、起こしたくないからね」
リュカがガンドフと歩きながら馬車を進めても、荷台の中からは静かな寝息が聞こえるだけだった。魔物の仲間たちも、迷いの森の中での戦闘続きで疲れているのが分かる。隣を歩くガンドフもまだ少しぼんやりとした目をしている。そしてリュカ自身も、身体にまとう疲労感が常にある。迷いの森の中で迷い、行く先を見失いかけた中で見つけた火の明かりに、リュカは少なからず期待を寄せて、足取り確かにまだ見えない明かりに向かって歩いて行った。

Comment

  1. ケアル より:

    bibi様。

    妖精のヒントってノーヒントだったような記憶があったんですが、そっか迷いの森の小屋にいる奥さんが教えてくれるんですね忘れてました。
    ゲームプレイしていたころ、どうしても妖精の村に行けず困り果てたんですよ。
    たき火の所に行っても見えない物体がガサガサガサって逃げるし(汗)
    暫くの間どうしたらいいか分からなかったでしたね(笑み)
    奥さんのテキストをちゃんと読んでいたら分かるヒントくれてたんですね。

    ドラゴンゾンビ戦の凍える吹雪は小説にすると恐ろしい攻撃ですね、上位特技の輝く息になったらbibiワールドでどんな風になるやら…楽しみやら怖いやら(笑み)

    まさか、ティミーが瀕死になるなんて…、まともに凍える吹雪をくらえばbibi様勇者が死んじゃいますよぉ(びっくり)
    リュカ2度目になりますかザオラル?
    デモンズタワーでプックルが死にかけた時にザオラル使ってますよね?
    ポピーじゃないけどケアルも手が震えそうになりましたぞ!

    ポピーは初めて仲間が死にかけた所を見て、しかも最愛のお兄ちゃんが目の前で凍り付きながらぶっ倒れるのを見て、戦闘時はマグマの杖でティミーのお返しを必死にしていたんでしょうね。
    8歳のポピーとティミー…すごい子たちだよ…うん。

    bibi様、手に汗握る戦いとポピーとティミーの心情をしっかり捉えた描写に拍手喝采であります!

    bibi様、ザオリクをベホズンが覚えますティミー一人だと大変かもしれません。
    ちなみにベホズン、ザオリクの他にドラゴラムとパルプンテ、メガザル覚えるみたいです「ドラゴンクエスト大辞典ベホズンより。」

    やっと最新作に追いつきました(笑み)
    次回は、たき火の妖精からですね。
    リュカ、最初は「ガサガサガサ」って逃げられる?
    ベラとポワン、そしていよいよ妖精の城でサンタローズでしょうか?
    次回を楽しみにしていますね!

    • bibi より:

      ケアル 様

      こちらもコメントをありがとうございます。
      ドラクエはヒントが少なくて、全くゲームが進められない時があったりしますよね。そのお陰で忍耐力を培ったという(笑)
      ドラクエ2なんか、船を手に入れた後にどこへ行ったらいいのか分からなくて、間違えた場所に行って敵が強すぎて一発で全滅するとか、なかなか酷いゲームです。そういう所も含めて好きですけど。
      今回は双子に特に頑張ってもらいました。ティミーが危険な状態に晒されますが、そのような経験を積んで彼はどんどん成長します。根っからの勇者。かっこいい子供です。
      ポピーもそんな兄を見て、負けじと成長します。カッコかわいい女の子です。
      ベホズンは色々な呪文を覚えますね。その内、スタメン入りを果たすでしょうか? どうかな。

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