変わらないものたち
目をつぶっているのに、目の前がぐるぐると渦を巻く。身体は既にどこかにたどり着いているのに、渦に飲まれる動きが止まらない。一瞬、目を開けてみたが、白っぽい景色が回り出し、慌てて目を閉じる。目を閉じていた方が良いのか、目を開けて無理にでも何かを見た方が良いのか分からず、リュカはただ喉に込み上げる不快を必死に抑えていた。
「お父さん、大丈夫?」
すぐ傍でティミーの声がした。彼が普通に自分の横に立って顔を覗き込んでいるのが気配で分かる。声も元気だ。
「リュカー、どうしたんだよー。早く起きろー」
ミニモンもこの不思議な渦の影響をさほど受けていないようだ。むしろその弾むような声は、神の御業とも思えるあの旅の扉の渦を楽しんだに違いない。
リュカはしばらく仰向けに寝転んだ状態だったが、どうにか胸のむかつきを抑え、徐々に体の感覚が渦から逃れることに成功すると、薄目を開けて景色を見た。
白い空が広がっていた。背中には冷たい地面の感触。土と木の匂いをようやく冷静に感じられ、その自然の匂いに悪い気分から浮上する。回っていた白い景色が止まると、リュカはどうにか深い息をつくことができた。
「ああ、やっぱりコレ、気持ちが悪いよ」
「がうう……」
近くで聞こえたプックルの同意する声に、リュカは小さく笑った。プックルはすぐにその場に立てたものの、しばらくその場でふらつくように歩いていたらしい。
「無理に空間を歪め、縮め、移動させる不思議な力じゃ。それなりに身体に無理を来すのじゃろうなぁ」
マーリンの声はティミーと同じくらいに元気なものだ。彼は旅の扉の渦に飲まれながらも、その光景を嬉々として観察していたに違いない。渦に飲まれるという受け身の感覚ではなく、この渦の正体を知りたいという積極的意思が強く働き、渦に酔っている場合ではなかったらしい。
他の者の声が聞こえず、リュカは身体を起こして辺りを見回す。ポピーはリュカと同じように地面に仰向けになり、まだ目を閉じている。恐らくリュカと同様に、気持ち悪さから解放されるための時間を今、過ごしているのだろう。声を出す気にもなれない様子だと見て分かる。
ピエールの表情は常に兜に隠れて見えないのだが、微動だにしないその様子から彼もまた渦に気分が悪くなっているのが分かる。一言も発せず、リュカに背を向け必死に何かを堪えている雰囲気がビシバシ伝わってくる。よく見れば彼の緑スライムの揺れがまだ止まっていない。辛いとも言い出せない辛さが、その背中から伝わる。
ガンドフは地面にごろりと横になり、背中を丸めてリュカの方を向いていた。大きな一つ目が閉じられており、彼もまた気分が悪く、時間が気分の悪さを解決してくれるのを待っているのだと思ったが、その呼吸は穏やかだった。信じられないことに、寝ていた。ガンドフはあの激しい渦に飲まれる感覚が、身体に心地よかったのかも知れない。
「ところでここは、妖精の村じゃないんだね」
「そのようじゃの。この渦の泉からぽいっと外に放り出され、ワシらは今、外におるようじゃ」
「さっきのヨウセイ、あっちに飛んでったぞー」
ミニモンがリュカの横で地面に立ち、リュカの右側へと指を指し示す。妖精の世界の空は一面が白く、太陽というものをどこにも感じない。昼も夜もなく、常に明かりの絶えない時間が続いて行くのだと以前、妖精のベラに聞いたことがあった。ただ、他の景色は人間の住む世界と同様で、地面は土で覆われ、木々が集まり森や林を作り、木の枝には鳥が止まり美しい声を響かせる。
ミニモンの指し示す方向に、ひと際巨大な木が立っていた。まるで一つの小山の様にも見えるその木の枝には、桜色の美しい花が咲き乱れている。桜色の花びらが細かにはらはらと散り、まるで霞がかかっているような光景だ。風に乗って花びらが運ばれ、リュカたちのいるところにもいくつかの花びらが届く。桜色の花びらがリュカに、「ここにいる」と告げてくれているようだった。
「行こう。あそこにいるはずだよ」
リュカはようやく収まった吐き気に安心し、その場に立ち上がると歩いて一刻とかからないほどの距離に見える巨大な木を眺める。
「うう、ようやく落ち着いてきたわ……」
ポピーのその声に、リュカは安心したように微笑みを浮かべる。地面に手をついて立ち上がるポピーの横には、ティミーが寄り添う。
「こんなので気分が悪くなってるようじゃダメだなぁ」
「あれで気持ちが悪くならないのがおかしいのよ……どうしてお兄ちゃんは平気なの」
「だって面白かったじゃん。ぐるぐるぐるぐるーって、ボク、洞窟で乗ったトロッコを思い出したよ」
「全然違うわよ。トロッコはぐるぐるしなかったもの」
「みんな、もう大丈夫そうだったら、そろそろ行くよ」
「リュカ殿……ガンドフが寝ています」
静かに気分が悪くなっていたピエールが、まだ少しふらつきながらリュカに伝える。見ればガンドフが大きな体で寝返りを打ち、未だすやすやと安らかな寝息を立てている。
ガンドフの巨体を揺さぶると、彼が一つ目を薄く開けて毛むくじゃらの腕でごしごしと擦る。「オハヨウ」と心地よい眠りから覚めたガンドフが大きく伸びをして眠気から覚めると、リュカは仲間たちと共に妖精の村を目指して歩き始めた。
妖精の村には散る桜の花びらが降り積もり、一面が桜色に染まっているように見えた。散り行く桜の花びらはまるで、春の終わりを告げるかのようで、美しくもどこか物悲しい。しかし目を凝らしてみれば、村の奥に聳え立つ巨大な桜の木の枝にびっしりとつく桜の花はその数を減らしていないように見える。散っているように見える桜の花びらも、地面を埋め尽くしているものの、その量は程よい今の量を保ち、これ以上は増えないのだと分かる。相変わらず妖精の世界には、不思議が溢れている。
そこかしこに落ちる桜の花びらを踏まないように気をつける子供たちだが、たとえ踏んでも花びらは傷一つつかない。妖精の世界ではおとぎ話の世界そのもののような、美しい光景が常に保たれている。ここは妖精たちが夢見る世界がそのまま形になったような場所なのだと、人間のリュカにも感じることができる。
リュカが子供たちと魔物の仲間たちと村の中に足を踏み入れても、誰も見咎める者がいない。妖精の世界にも魔物は存在し、村の外に出れば魔物と戦うこともあるが、リュカの仲間の魔物たちはすんなりと村に受け入れられた。生まれて初めて、グランバニア以外で、魔物以外の住む集落に入れたミニモンはいかにも楽し気に宙を飛び回り、ガンドフも大きな目に楽しさを纏わせて辺りをきょろきょろと見渡す。ピエールはどこか恐縮した様子を見せながらも、やはり村という場所に入れたことに興味の勝る雰囲気を醸し出す。
「がうがう」
「そうだよね、プックルは久しぶりだもんね。でもお前はあの頃と違って大きくなったから、妖精たちを脅かさないようにね」
「にゃう」
「ワシらは村に入っても良いと、認められたということで良いのじゃろうな」
「そりゃあそうだよ。だってボクたちみんな、仲間だもん」
「それに、ほら、村の中には他にも魔物さんがいるみたい。ここって妖精さんの場所だけど、魔物さんも一緒に暮らしているのね」
ポピーが見る方向には、マーリンと同じような緑色のローブに身を包む老人と一匹のスライムが穏やかな雰囲気で談笑している姿があった。幼い頃にリュカがこの妖精の村に来た時も、全く同じ光景がそこにあったのを思い出す。妖精だけではなく魔物も共に暮らすというこの村の光景は、恐らくその状況が歴史になるほどに遥か昔から続いているものなのだろう。
「どう? お父さんが昔来たときと村の中変わってる? それとも同じ?」
ふとティミーに聞かれた言葉に、リュカはそれほど広くはない妖精の村全体を眺める。幼い頃に見た景色と違うところは何だろうかと考えると、一つの景色の違いに気づく。
「妖精が、もっといた気がする。何だか今は妖精が少ないね」
「えっ? 昔はもっと妖精さんが多かったの? みんなどこに行ったのかな」
妖精に生死があるかどうか、リュカにはよく分からない。彼女らは人間の生き死にとは別次元に生きているのは間違いないが、永遠の時を生きるかどうかは不明だ。そもそも妖精と言う存在を、人間が生きていることと比べること自体が間違いかも知れない。
「あの小さな生き物が、妖精なのですね」
「人間世界の森では見えなかったものが、ここでは見えるというのは不思議なものじゃ」
「なんでここではヨウセイが見えるんだー?」
迷いの森の中で、リュカや魔物の仲間たちは一切妖精の姿を目にすることができなかった。しかしこの妖精の村では皆が、妖精の姿を実際に目に映せた。その状況に、リュカの脳裏に過去の彼女の言葉が蘇る。
「ここは妖精の世界だから、妖精の姿が見えるんだって、前に言われた気がする」
かつて幼い時の自分も同じことを疑問に思い、妖精ベラに聞いたことがあった。その時何を言われたのかをはっきりと思い出すことはできなかったが、彼女の言葉の意味にこのような響きがあったように思う。『人間は実体ばかりの生き物』という彼女の言葉が唐突に脳裏に過り、その意味を今唐突に理解した気がした。しかしそれが真実なのかどうかは、今も分からない。
村の入口から奥に見える巨大な桜の木を目指して歩き始めるリュカたちの前に、一人の妖精がふわふわと宙を飛びながら近づいてきた。人間を見ても、魔物を見ても特に動じることはない。ただ大人の人間であるリュカに対してだけは、物珍しそうな視線を向けている。リュカは小さな妖精に人当たりの良い笑みを浮かべながら「こんにちは」と気軽な挨拶をする。
「ここは妖精の住むところ、だよね?」
妖精の年齢など分からないリュカだが、相手が小さな女の子ほどの大きさのため、つい小さい子に話しかけるような口調になる。
「ここはポワン様が治める妖精の村よ」
妖精は耳に心地よい音楽を奏でるかのような声で、そう答えた。リュカの子供を相手にするような口調にも、特に思うところはないようだった。キラーパンサーやビッグアイという大きな魔物を見ても、警戒する様子もない。この村に入れたものならば拒む必要がないと、彼女の態度が示している。
「あなたたち、どうしてこの村へ来たの? 普通の人間にはこの場所は知られていないはずだけど、何かご用があって来たの?」
「そうそう、僕たちゴールドオーブを作って欲しくてお願いしに来たんだ」
「えっ? ゴールドオーブを?」
リュカの問いかけに即座に反応した妖精の態度から、彼女はゴールドオーブというものを知っているようだった。妖精たちがゴールドオーブという宝玉のことを当たり前のように知っているのかもしれないと思わせる反応だ。天空城を浮かび上がらせるほどの魔力を秘めた宝玉だ。妖精の世界でもこの宝玉の存在は広く知られているものだと思わせる態度だった。
「天空城を浮かばせるのに必要なんだよ! だから妖精さんにゴールドオーブを作ってもらわないといけないんだ」
「妖精さんなら作れるって聞いて、ここまで頑張って来たんです。どうかお話だけでも聞いてもらえませんか」
子供であるティミーとポピーが真剣な表情で妖精に話すと、宙にふわふわと浮いていた妖精は地に足を着け、二人の子供たちの顔を覗き込むように見つめる。初めて間近に妖精の姿を見たティミーもポピーも、その不思議な生き物の姿を好奇心の塊のような目で見つめる。
妖精は二人の子供の中に宿る、未来の力強さを感じる。まだ幼い二人には、未来を背負う準備ができているのを感じる。ただの子供ではないのを、確かに感じていた。
「それならポワン様に聞けばいいと思うわ」
妖精はすんなりと教えてくれた。ただの子供であれば、妖精は恐らく彼らに何も話さなかった。ゴールドオーブは妖精族の中でも奇跡であり、おいそれと誰彼に教えられるものではない。それを、目の前の二人の子供たちには教えるべきだと、妖精は彼らに常にまとわりつく宿命の空気を感じ取った。
リュカは妖精に礼を述べると、皆を連れて村の奥に続く道を進み始めた。妖精に聞けば、ポワンは今もあの巨大な桜の木の上から世界を眺めているという。ポワンに話をして、ゴールドオーブを作ってもらう。リュカはいよいよ目的が達成されそうな状況に、森を探索してきた疲れなど忘れ、足取り軽く歩いて行く。
途中、広い泉があり、泉の水の上に浮かぶ巨大な葉の上を進まなくてはならなかった。ここも子供たちなら問題なく進める場所なのだろうかと眉をひそめたリュカだが、水に浮かぶ葉をゆっくりと踏んでみても葉は沈みこまなかった。もし妖精の村に受け入れられていない存在ならば、巨大な葉はあっさりと泉の水に沈み、侵入者を拒んだのかも知れない。
プックルやガンドフが葉の上を進んでも、葉は彼らの巨体も問題なく支えた。その状況が楽しかったプックルが、葉の上で跳びはねてその強さを乱暴に確かめていると、葉の機嫌を損ねたのか途端にぼちゃんと沈んでしまった。その姿を見て、近くを飛んで行く妖精がくすくすと笑う。妖精の村にあるものには総じて、心が宿っているようだった。プックルが不機嫌な様子で泳いで泉を渡りきると、沈んでいた葉は再び元の通り浮かび上がっていた。
巨大な桜の木の中は空洞で、中には数人の妖精たちの姿があった。階層構造となっており、一階には数多くの本棚が並べられた図書室があった。子供の頃は字を読むこともままならなかったため、同じ場所に来ても読める本がないと、図書室を特別気にしたこともなかった。しかし今ならばここにある本を読むことができる。妖精たちの世界にある本には一体どのようなことが書かれているのだろうかと興味を持つのは、必然のことだった。
「ねぇ、お父さん。後でここに寄ってもいい?」
ポピーも同じようなことを思っていたようで、後程図書室に立ち寄りたいとリュカに言う。妖精の書く本など、ここでしか読むことができない。まさかここにある本を全て読むわけにも行かないが、興味のある本だけでも後で見てみようと、リュカは娘に応えた。普段は進んで本を読むこともないティミーも、本棚に並べられる本を目にすると、その独特の形に興味を持ったようで、リュカとポピーの意見にも文句を言うこともなかった。マーリンに至っては、既にこの場に留まりそうな雰囲気さえ見せていた。
「カベも階段もお水なのね。妖精さんってすごい、すごい!」
巨大な桜の木の空洞には、清らかな水の階段が螺旋状に続く。図書室全体に常に響く清流の涼やかな音は、階段から流れ落ちる水の音だったり、壁一面に流れ落ちる滝のような水の音だったりと、部屋の中にはどこにも水の景色と音があった。妖精の村を流れる水は冷たさを感じない。先ほどプックルが泉に落ちてしまった時も、彼は水の冷たさに騒ぐことはなかった。今では果たして水に濡れていたのかどうかも疑わしいほどに、身体は乾いている。
清らかなこの水の景色も、もしかしたら妖精の術によって見せられている不思議な景色なのかも知れない。水の実体は確かにそこにあるのだが、それがまるで夢のように消えてしまう時が来る。壁に流れる水に手を伸ばし、触れればそれは確かに水そのもので、手は水に濡れる。しかし水に濡れた手はいつの間にか、気づかない内に乾いてしまう。それは夢から覚める瞬間にも似た状態に思えた。
とりあえずはポワンに会わなければと、リュカたちは階段を上る。水が跳ね、ブーツが濡れるが、気にする必要もない。上の階には妖精の村の教会が構えている。祭壇があり、それに向かって祈りを捧げる数人の妖精の姿がある。祈る神は人間が頼りにする神と同じなのだろうかと考えるが、妖精たちが祈りを捧げる先には自然そのものがあるような気がした。彼らは常に自然と共に生きている。
リュカたち一行が教会を後ろから横切るように進んでいくが、その様子を気に留める妖精はいない。この村に受け入れられ、この巨大な桜の木に受け入れられた者は、この村に住む妖精たちと同様の存在だと、彼らは思っているのだろう。
更に水の階段を上ると、頭上から桜の花びらが落ちてきた。外には心地よい春の風が吹いている。春を司るこの妖精の村には常に春の景色があり、うららかで思わず景色を見ながら寝転びたくなる。
リュカを見つめる視線に出会った。桜の花びらがはらはらと落ちる中、リュカは懐かしい彼女の姿を見た。
今ではリュカの方がすっかり身体も大きく、彼女が宙にふわふわと浮いていなければ見下ろすほどの子供のような小ささだ。腕も脚も枝のように細く、花の色が移ったかのような菫色の髪が風にふわりとそよぐ。いつまでも大人にならない妖精は、あの時と変わらない子供のような幼い笑顔を浮かべている。
「ベラ。久しぶりだね」
当然、リュカの声はあの頃と違い、低い男の声だ。体つきもすっかり大人になり、長い旅の中でこさえた傷も多くある。子供の頃の気持ちに戻ろうとしても、様々な経験を積んだ今となっては完全にはその頃に戻ることはできない。しかし彼女は、リュカを目にする前から、彼を分かっていた。
「あなたがリュカだってこと、私にはすぐに分かったわ。本当に久しぶりね、リュカ……」
二十年近くの歳月が経つ中で、妖精のベラが過ごした時間がどのようなものだったのかは分からない。人間よりもよほど長い年月を自然と共に生きる妖精にとって、二十年くらいの歳月はそれほどのものではない気がしていた。しかしベラの様子を見れば、妖精にとっても二十年の歳月の長さは、人間が感じるものとさほど変わらないような感じにも思わされる。
「人間って本当にすっかり姿が変わってしまうのね。小さい頃はあんなに頼りなくて可愛らしかったのに」
「そんなに頼りなかった?」
「だってあの時は私、人間の戦士様を連れて帰るつもりだったんだもの」
「今の僕なら、あっという間にあのフルートを取り返せたかもね」
「でもあの時のあなたも、結局フルートを取り返してくれたわ。見た目に依らないってことよね」
「なんかさ、ヒドイ言い方だね」
「そうかしら。でもあなたのおかげで、人間の子供だからって弱いわけじゃないってことはよーく分かったのよ」
そういうベラは、リュカと話しながらも彼の両脇に立つ二人の子供を見つめている。ティミーとポピーは父が妖精と話しているのを聞きながら、自分たちとさほど変わらない大きさの妖精ベラをまじまじと見つめていた。ベラが子供たちの視線に合わせるように、床に降り立つ。床に足を着けて立つ彼女の姿は、双子よりもむしろ小さいほどだ。
「こんにちは。あなたたちはリュカの子供ね?」
「う、うん! 君がお父さんと一緒に冒険した妖精?」
「そうよ。そちらの大きな猫ちゃんも一緒にね」
「がうう」
「そっか、プックルも一緒だったのよね。いいなぁ、私もその時に戻って、お父さんたちと一緒に冒険してみたいなぁ」
ポピーが冒険したいなどと言うのは珍しい。冒険好きの兄にいくらか触発されての発言だろうが、それと合わせてこの妖精の世界を広く歩いてみたいという願望が彼女にそう言わしめたようだ。巨大な桜の木から散り行く花びらは、今も足元にはらはらと落ち、木の床のあちこちを桜色に染めている。リュカたちが足で踏んだ花びらは音もなくその場から消え、花びらが消えたところに新たに花びらが舞い落ち、再び美しい桜のじゅうたんを作って行く。妖精の世界には人間の世界にはない不思議が詰まっている。その不思議に、ポピーはもっと触れてみたいと思っていた。
リュカたちがベラと立ち話をしていると、奥に見えていた一脚の大きな椅子に舞い降りてくる大きな葉の集まりがあった。風に乗って運ばれてきたように見えた葉の集まりは、椅子のすぐ上まで来ると強い風に巻き上げられ、姿を変える。
様々な緑の大きな葉を基調としたドレスに身を包み、ベラと似たような菫色の頭の上に銀に輝くティアラを乗せ、右手には頭に宝玉を施した杖を持った一人の妖精が柔らかな風のように椅子の前に降り立った。他の妖精たちとはまるで違う葉のドレスを身にまとった姿に、リュカはすぐにその人に気づいたが、その人はもっと前からリュカのことに気づいていたように声をかける。
「まあ、もしかして、リュカっ! なんて懐かしいんでしょう」
「お久しぶりです、ポワン様」
リュカは普通の挨拶をしたつもりだったが、彼の低い声と言葉を聞いて、妖精の村の長であるポワンは口に手を当てて小さな笑い声を出す。
「すっかり大人になってしまったのですね。ちゃんとご挨拶ができるなんて」
「……僕、そんなに失礼なことをしていましたか」
「まあ。失礼だなんて思っていませんよ。ただ、あの時あなたはまだ小さな子供だったというだけです」
リュカが今、目の前にしているポワンやベラの姿は、幼い頃に見た彼女らの姿とまるで変わらない。妖精という存在は年月を経ても姿かたちを変えることがなく、もしかしたら生まれた時から彼女たちは今と同じ姿をしているのかも知れない。
一方で人間は生まれた時からずっと姿かたちを変えていき、特に子供から大人になる期間には見違えるほどの変化を遂げる。ポワンもベラも、当然人間の生態を知っている。そして永い永い時を生きる妖精とは違い、ほんの一時の時を生きる人間に一種の憧れを持っている。
「しかしだからこそ、この村にいらして、春風のフルートを取り戻せたのだと思います。あの時は本当に世話になりましたね」
ポワンはリュカに話をしながらも、彼の周りにいる二人の子供や魔物たちを見やった。その視線を感じ、リュカはポワンに応える。
「この子たちは僕の子供です」
ティミーとポピーが順に名を名乗り、丁寧にお辞儀をすると、ポワンは目を細めて双子を見つめる。
「礼儀正しいお子様たちですね。人間の生きる時間と言うのは、本当に早く過ぎてしまいますね。あんなに小さかったリュカに子供がいるなんて」
そう言いながらポワンは柔らかな風を纏わせながらティミーとポピーの前に進み出た。大きな葉のドレスが風にそよぐように気持ちの良い音を立てて揺れている。菫色の長い髪がふわふわと肩の上から背中へと流れ、花の香りが漂う。手を伸ばせば触れられると思えるポワンだが、いざ手を伸ばしても人間には触れられない存在なのだろうと思わせる神秘が感じられるようで、ティミーもポピーも決してポワンという妖精に触ってみようなどとは思わなかった。ただ目の前にある神秘の存在を、興味深く見つめる。
「こっちの魔物たちは僕の旅の仲間たちです。長い間、僕に付き合ってくれています」
リュカのすぐ隣にはプックルが四つ足で立ち、すぐ後ろにはピエールにマーリン、ガンドフはぼんやりと桜の花を眺め、ミニモンはポワンの後ろに飛んで回り、妖精の後姿を見て羽根がないことに首を傾げている。
「あなたはあの時も、小さなキラーパンサーを連れていましたね。その子が、そうですね?」
「そうです。プックルはあの時も一緒にここへ来ました。プックルもそのことを覚えていますよ」
「にゃう」
「ふふ、リュカよりもずっと姿かたちが変わりましたね。すっかり大きくなって」
ポワンはそう言いながらプックルに優しく微笑みかける。ポワンの表情を見て、プックルはもう一度「にゃう」と答えるように声を出した。
「それで今日は私に何か用なのですか?」
妖精の村に人間が訪ねてくるのは、それこそ以前リュカがこの場所に来た時以来のことだった。通常、妖精の村は人間が勝手に入りこめない迷いの森の奥深くにあり、妖精の手助けなしではその入り口すら見つけることができない。迷いの森全体に妖精の術が施されているため、人間の力だけでは妖精の村にたどり着くことはできないのだ。
迷いの森の妖精の術を突破して、リュカは約二十年ぶりにこの妖精の村にたどり着いた。その奇跡はただの奇跡ではなく、リュカが求めた末の奇跡なのだと、ポワンは成長して大人になったリュカの瞳を見つめながら問うた。姿かたちが大人になっても、彼の瞳の色はまるで変わっていない。成長した人間でも変わらない部分もあるのだと、ポワンはその瞳の中に人間の本質を見つける。
「湖に沈んだ天空城を浮かばせるために、ゴールドオーブが必要なんです」
妖精族が生み出したゴールドオーブの存在を、当然ポワンも知っていた。しかしそれはポワンが生まれるよりも昔からある宝玉で、妖精の村の長であるポワンでも詳しいことは知らないと言う。それを聞いたリュカは思わず唖然とした表情でポワンを見つめた。
「てっきりポワン様が作ったものだと思ってました……」
「いいえ、私はあくまでもこの村の長というだけなのです。妖精界は人間界のように一つの世界というわけではなく、いくつかの世界に分かれているのです」
その中でこの妖精の村はポワンが治める春の世界、他にも夏、秋、冬と四季を司る妖精の世界があり、そしてそれらの世界を束ねる妖精の城が存在するという。聞けばポワンは今しがた、その妖精の城から戻ってきたところだったらしい。
「私たち妖精国の女王であれば、もしかしたらあなたの力になってくれるかも知れませんね」
「じゃあ、その妖精の女王様に会わせてもらってもいいですか」
ポワンの不思議な術を使えば、リュカたちを妖精国の城へ運ぶのも簡単だろうと、リュカは目的のためにとポワンにそう願い出る。しかしポワンは首を横に振る。
「リュカ、あなたが考えているように簡単に人間を妖精の城へ連れて行くことはできません。これは掟で決まっていることなので、私だけの判断で覆すことはできないのです」
四季を司る妖精の村では、その村の長が全ての権限を与えられている。それ故に、かつて春を司るこの村で雪の女王が凍りつく手を伸ばしてきた時、妖精の力では太刀打ちできない雪の女王を倒すべく、ポワンの指示の下、人間の戦士に助けを求めた。そして妖精の村に迎え入れられたのが、幼い頃のリュカとプックルだったのだ。
一方で妖精の城に入るには妖精国の女王の許しが必要で、それは誰かを介して与えられるものではなく、妖精国に入りたいと思う者が自ら乞うべきものだという。たとえポワンがリュカたちを妖精の城に招き入れて欲しいと女王に願い出ても、それでは何の意味もなさないということだった。
「人間が妖精の国に入るのには必ず、試練があります。おいそれと人間を妖精の世界へ入れることはできませんからね。この村に来るまでにも、深い深い森を通ってきたでしょう?」
「そうですね。かなり……時間がかかりました」
「森の中には強い魔物もいたから、オレたち、すっごい苦労したんだぞー」
妖精の優雅さとは違い、蝙蝠のような羽をばたばたと動かして飛び回るミニモンが、ポワンに文句を言っている。村の長に対して明らかに不遜な態度を取るミニデーモンに、ポワンの傍にまるで侍女のように立つベラが顔をしかめる。
「森に魔物が棲みつくのは仕方がないわよ。でも、確かに最近、強い魔物が森に棲みつくようになったのかも知れないわね」
「そうですね……それもやはり、天空城が天から落ち、空の威厳を失ったことと関係があるのかも知れませんね」
ポワンが考え込むように目を閉じると、彼女の周りに彼女の思案を表すようにゆったりとした風が回る。リュカは再び彼女が言葉をかけてくれるのを待つ。ポワンが与えてくれる応えに従うしかないのだと、リュカは真剣な思いを乗せてポワンを見つめる。
天空城を浮かび上がらせることは、決してリュカの本懐を遂げることに繋がるかどうかは分からない。リュカたちはあくまでも、マーサとビアンカの二人を捜す旅をしている。その旅の中で出会ったプサンという天空人に、天空城を再び空に浮かび上がらせることを頼まれているだけだ。
未だ捜す二人の手がかりが掴めない中、リュカは神にすがるほどの思いを持つ。神を信じているわけではないが、神がいるとすればその力に頼りたいほど、子供たちのためにも自分のためにも母と妻を助け出さなくてはならないと強く思う。ポワンが思うような、世界の魔物が増え、その勢いが増してきている現状を抑えたいと言うような、大局的な目的ではないことを隠しておきたいと思いつつ、恐らくその心を既にポワンは気づいているのだろうと思った。その上でポワンがリュカに何を言うのか、リュカは少しの恐怖を感じつつも、自分の心を下手に隠さずに目を瞑るポワンを見つめ続けた。
「どうやら約束を果たす時が来たようですね」
ポワンが思案から解き放たれ、答えを見つけた。彼が一人の人間として、人間らしく、利己的な目的のために動いているのは分かった。しかしその中にも、彼が自分のためだけではなく、他の者のために命を賭けた旅をしていることを知る。自分が会いたいと思う二人。しかし自分よりも、彼の両隣りにいる小さな者たちに会わせたいと思う二人。今もどこかで生きていると願う二人に、子供たちを会わせたいと願う彼の心に、嘘偽りはない。
そして彼のその気持ちが、世界を平和に導く道しるべとなるのだとしたら、その行動の助ける役目を負うことは決して間違いではないと、ポワンは答えを見定めた。
ポワンの手に握られていた杖が一振りされる。赤の宝玉が美しく輝き、赤の光が徐々に薄まり、真っ白な空間がそこに現れる。眩い光の中から小さな翼の生えたガラスが、天に響くような美しい音色を響かせながら飛び出し、ポワンの手に乗った。
「リュカ、このホルンを持って行きなさい。私たち妖精国の女王がきっと力になってくれるでしょう」
ポワンの持つガラス細工のような美しい楽器にはガラスのような羽が生え、まるで生き物のように羽を動かしている。羽の動きに合わせて音色が響く。誰かが吹いているわけでもないのに、楽器は自ら風を取り込み、演奏しているかのようだった。
「いいんですか?」
リュカは自身の私的な目的を知られたことを理解した上で、ポワンにそう問いかけた。リュカがそう素直に問いかけてくるということが、ポワンにとっては信頼に値する行動そのものだった。
「ええ。あなたを信じていますよ」
「後で必ず返しに来ます」
「その必要はありません。そのホルンは一度使えば、その場で消えてしまいます」
「えっ? じゃあ間違って使ったら、そこで消えちゃうの?」
ティミーが驚いたように言うのを聞き、ポワンが微笑んで応える。
「大丈夫ですよ。妖精のホルンは、その場所でしか音色を響かせません」
ポワンの手からリュカに手に移された妖精のホルンは、つい先ほどまでポワンの手の上で美しい音色を響かせていたというのに、リュカの手に移った時からその音を潜めてしまった。リュカは妖精のホルンがわずかに震えているのを感じた。妖精ではない者の手に、怯えているようだった。
「神の城が再び天にのぼり、世界が平和になることを私たちも祈っていますわ」
それは妖精族の願いでもあった。人間界の魔物の数が増え、勢いを増すことは、同時に妖精の世界をも脅かすということだ。人間界と妖精の世界の隔たりはそれほど厚くはない。人間側から妖精の世界を目指すのは困難な一方で、妖精側から人間の世界に出ることは容易だ。人間にも魔物にもその姿を目にすることができないだけで、もしかしたら今も人間の世界には妖精がたくさん存在しているのかも知れない。
魔物の数が増えているのは、魔界の力が徐々に強まっているということにポワンは気づいている。魔界の力を弱めるためにも、天空城を浮かび上がらせ、神の力を再び空から示すのは必要な事だと判断した。
何よりも、ポワンの目の前には伝説の勇者の姿があった。まだ小さな勇者だが、その小さな背には光り輝く天空の剣を背負い、天空の盾を肩に掛け、天空の兜を身に着ける。かつて妖精の村を訪れたリュカの子供が勇者として生まれたことに、ポワンは深い運命を感じた。彼らの目的が何であれ、彼らの行く先を阻んではならないのだと悟った。世界を救うと言われる勇者の行く先を切り開く手伝いを、妖精族としてしなければならないことがある。
「あ、あの、その妖精のお城へはここから行けるんですか?」
ポピーがおずおずとポワンに問いかける。妖精の村から見渡せる景色の中に、城らしき建造物は見当たらない。人間の感覚で考えれば、通常城というものは堅固な石造りの巨大な建物で、いくつかの階層構造になっている。しかし村で最も高い位置にあるこの場所から見渡せる景色の中にはただ美しい自然の景色が広がるだけだ。
「妖精国の女王様に会う方法は下の階の図書館にいるルナが教えてくれるはずよ」
ポピーの問いに、ポワンの傍に立つベラがにこやかに応える。彼女の体はティミーやポピーよりも小さいほどだが、その表情には子供を子供扱いする大人の落ち着きを感じられる。
「あの森を歩いてきたのなら疲れているでしょう。一日、この村で疲れを癒してから、また旅に出られるのが良いと思いますよ」
ポワンの言葉にリュカも頷く。今、こうしてポワンとベラと会話している間は疲れを忘れていられたが、ポワンに休むことを提案された瞬間に疲れが身体に戻ってきたのを感じた。そんなリュカとは対照的に、ティミーとポピーは二人で「やったー!」と喜び合っている。
「お父さん! じゃあこの村を探検してもいい?」
「私、この村の妖精さんと仲良くなりたいです」
二人ともリュカと同様に疲労困憊のはずだが、それ以上にこの妖精の村という特別な場所に対する好奇心が上回る。ただその元気さを声に感じられても、実際には疲れている身体を休めなくてはならないと、リュカは二人の元気を鎮めることにした。
「大丈夫。明日もこの村にいることにするから、今日のところはとりあえず身体を休めよう。村の探検は明日、一緒に行ってみようか」
「ホント!?」
「うん、ホント。僕も久しぶりにこの村を歩いてみたいしさ。小さい頃は何だかよく分かってなかったというのもあるから」
「一先ずはその、図書室にいるルナという妖精に話を聞いてみましょうか」
「そうじゃの。村の宿は外にあるんじゃろ? それならばちょうど通り道でもあるし、話を聞いてから宿に行くのが良かろう」
ピエールとマーリンの言葉にリュカも頷く。妖精の村に来るにも深い森を通り抜けなければならなかったということは、妖精の城を目指すのもそれ相応の場所を目指さなくてはならないことは自然と想像できる。妖精の術がかけられた迷いの森を抜けるのには悠に一月半ほどの時間がかかってしまった。そこで一日、二日を急いでも、体力的にも精神的にも良いことはないと、リュカはこの妖精の村で一日ゆっくり休むことが肝要だと思えた。
「明日なら私が村を案内してあげられるわよ」
そう言うベラの瞳も、双子に負けず劣らず好奇心に輝いている。人間だけではなく、五体もの魔物を引き連れて村を訪れたリュカたちと、ベラ自身も一緒にその時を過ごしたいと思った。次にこのような機会が訪れるとも限らない。今を逃し、ティミーとポピーが成長していけば自ずと、二人にも妖精の姿は見えなくなってしまう。そうなる前に、今のこの時を掴まなくてはならないと、ベラは村の案内役を買って出た。
「じゃあお願いできるかな、ベラ」
「お安い御用よ。それほど広くない村だから、あっという間に案内できちゃうと思うけどね。明日、宿に迎えに行くわね」
「うん、ありがとう。待ってるね」
そう言って笑うリュカの顔は、幼い頃と何も変わらないもののように見えた。しかしその中には確実に、彼が大人になるまでの時間が刻まれ、子供のままではいられなくなる経験を確かに積んでいるのも垣間見えた。ベラはそんなリュカの変化には気づかないふりをして、近くにいるプックルの背中に触れるように手を伸ばすと、「大きな猫ちゃんもよろしくね」と声をかけた。プックルは低い声で「うにゃあ」と一声鳴いた。
妖精の村の図書館には三人の妖精がいた。本棚の前で本を立ち読みしていたり、近くの椅子に座って本を開いていたり、はたまた宙に浮かびながら楽し気に本を読んでいたりと、三者三様の読書を楽しんでいた。リュカたちがぞろぞろと図書室に下りてくると、本棚の前で立ち読みしていた妖精がゆっくりとリュカたちを振り返った。ポワンやベラと同じような菫色の髪を二つのお下げ髪にして方から前に垂らしている。身体はやはりティミーやポピーよりも一回り小さいくらいだが、振り返るその表情には子供らしいものが感じられない。いかにも落ち着いた女性のような雰囲気を纏わせながらも、小さな身体である妖精を、リュカは思わず不思議な気持ちで見つめた。
「妖精の図書館へようこそ。私はルナです」
彼女はこの図書室を取り仕切る妖精らしい。数多くの書物を並べる図書室の本の全てを把握しているらしく、探す本を彼女に頼めば探し出してくれるという。ただそれは妖精に対してのみ行われるもので、生憎と人間や外から来た魔物にはそのような対応はしておりませんと、少々冷たく感じられるほどの態度でそう言われた。そんな彼女の対応に、ティミーもポピーも少しだけ残念そうな表情をしていた。
リュカが手にしている妖精のホルンを見ると、ルナは真面目な表情を崩さないままリュカに問いかける。
「妖精の城をお探しですか?」
「そうなんです。僕たち、妖精の城の女王様に会わなくちゃいけないんです。あなたならどこにあるか知っていると、ベラが言っていたので……」
リュカがそこまで言うと、ルナは開いていた本をぱたりと閉じ、目の前の棚に片づけた。どうやら本を読んでいたのではなく、図書室の責任者として本を整理していただけのようだ。
「妖精の城は普通の人間に見ることはできません。しかし妖精のホルンを吹けば、あなた方にも見つけることができるでしょう。山々に囲まれた深き森。その森の湖の真ん中でホルンをお吹きなさい」
ルナは特別な感情を込めずに、一気にそこまでを言い切った。リュカは彼女の言葉を頭の中で反芻する。彼女の言葉の中には、ただ一つのヒントがあるだけだった。
「えっと、『山々に囲まれた深き森』というのは、どこにあるんでしょうか」
「お教えできません」
「えっ?」
「私からお教えできるのはそこまでです。もしそれ以上のことがお知りになりたいというのならば……この図書室の本は自由に見て下さって構いません。ご自由にお調べください」
そこまで言うと、ルナは一度お辞儀をしてから、リュカたちの前から立ち去ってしまった。呆気に取られるリュカだが、ベラはルナのこのような態度を見越したうえで彼女を頼れと言ったのだろうと思った。恐らく妖精の世界を守らなくてはならない立場の妖精にとって、そう簡単に人間や外界の魔物に妖精の城の場所を明かすことはできないに違いない。
「……妖精さんにも、いろんな人がいるのね」
リュカと同じように呆気に取られていたポピーは、自分自身に言い聞かせるようにそう呟いた。
「まあ、仕方あるまい。じゃがこの図書室の本を自由に見ても良いということじゃったら、思う存分見てみたら良いだけじゃ。妖精の世界の本じゃぞ。どんなことが書かれておるのかのう」
マーリンはルナの冷たいとも思える態度など気にした様子もなく、早速ふらふらと本棚の前をうろつき始めた。知識に対する好奇心の塊であるマーリンは疲れも忘れて今すぐにでも図書室中の本を調べてやる、というような雰囲気さえ見せていたが、ミニモンはぐったりとプックルの背に乗っていち早く身体を休めており、そのプックルも図書室の床に寝そべって大欠伸をしている。ピエールは真面目に本棚に向き合おうとしていたが、緑スライムが欠伸を噛み殺しているのが窺える。ガンドフが本棚の横に背を持たせかけて一つ目を閉じようとしているし、そのガンドフの茶色の毛皮にもたれかかるようにしているティミーも今にも目を閉じそうだった。
「お父さん、私もさすがにちょっと、疲れたかも」
いつもであればマーリンと並んで本を片端から漁り始めそうなほど本好きのポピーだが、疲れ切った様子の仲間たちを見れば必然的に自分の体の疲労を思い出す。
「また明日もあるし、先に休もうか。僕、お腹も空いたよ」
「なんじゃなんじゃ、情けないのう。ワシはしばらくここにおるぞい。それならばワシがここで何か見つけたら、後で知らせてやるとするかのう」
「あ、そうしてもらえると助かるよ、マーリン。でも、マーリンも疲れてるはずだから、あまり無理はしないでね」
「ワシが無理をする性質だと思うか?」
「ううん、あんまり思ってない」
「分かっておるのう」
ニヤリと笑むマーリンを見て、リュカは彼が無理をしているわけではないと分かる。マーリンはただ純粋に知識に貪欲で、知らない物事を知りたいとひたすらに思い、しかも今は妖精の世界という二度と足を踏み入れられるかどうかも分からない世界に飛び込んでいる。魔物としての命をどれほど生きているか分からないマーリンだが、魔物としての長い一生の中でもこの時間を逃してはならないと、その思いですっかり彼の疲れは吹っ飛んでいる。
「先に宿に行っておれ。後でワシも向かうからの」
既にリュカに背を向けて、本棚の前を興味深そうにうろうろと回り始めたマーリンを止められる者はいない。マーリンが首尾よく妖精の城の情報を得られたら、それはそれで儲けものと、リュカは疲れ切って今にもこの場で寝てしまいそうな仲間たちに声をかけ、妖精の村の宿へと向かった。
Comment
bibi様
ティミーは好奇心旺盛だから気持ち悪くならないで楽しめたんだろうけど…ガンドフはもう、あるいみ無敵ですね(爆笑)
揺りかご気分でグルグル回っていたんですな(笑み)
ひさしぶりのベラとポワン、妖精の世界の寿命は魔物よりも長いのかもしれませんね
世界が春夏秋冬に分かれていて、書く村のオサがいて、それをとりまく女王がいる、bibi様分かりやすい設定ですね、たしかに春風(はるかぜ)のフルートですもんね!
ポワンは人間の心を読む能力があるんですね
ポワンに嘘は通じませんな。
bibi様、今回のお話を読む前に以前の小説
「春を待つ妖精」を読み返してみました。
大リュカが子リュカにどのように接触したのか気になりまして。
子リュカはしぶしぶ大リュカにオーブを渡す、すり替える時、プックルが氷柱(つらら)を折り遊びをしはじめた、子リュカはいっしょに遊ぶ、大リュカはそれを見てオーブをすり替えた。
bibi様、今回の光るオーブの描写は過去の描写を元に執筆しますか?
それともまた違う話になりますか?
次回は、村探索ですね。
ザイルに会いますか?
次も楽しみにしていますね。
ケアル 様
コメントをありがとうございます。
ガンドフは無敵ですね(笑) 旅の扉のぐるぐるはとっても安らかだったようです。
妖精の村は勝手に設定させてもらいました。
リュカが幼い時に訪れたのは春の世界ということで。世界のどこかに他の季節の村もあったら面白いかなーなんて思いまして。
純粋な心を持つ子供にしか見えない妖精ゆえに、嘘偽りの心は見抜かれてしまいます。
過去に戻るお話もこれから考えて参ります。いつもその時その時で考えておりまして・・・無計画(汗)
とりあえず自分で書いた幼い頃の話を忘れているので、そこから復習ですかね~。
bibi様
すみません…自分のようなやつは、過去の作品との兼ね合いの絡み…どうしても辻褄(つじつま)が気になってしまいまして…めんどくさいやつでごめんなさい。
bibi様は、以前にもお伝えしたかとは思いますが、情景と状況の描写を本当に分かりやすく書かれていると感じています…すみません素人が生意気なことを…bibi様の情景、戦闘は、ずばぬけてケアルは分かりやすく引き込まれる描写なのではないかと感じています。
今回の妖精の村でも、風景を分かりやすく描写していますよね?
もし、ドラクエ5を未プレイな読者がいても、水の波、葉の動き、風や空気などが脳裏に浮かびやすい、いや今回だけでなく今までも分かりやすい描写をしていて、ドラクエ5をプレイ済みはニヤニヤするし、ドラクエ5を知らない読者でも、想像しやすく描かれているんではないかと前々から感じています!
いろいろな二次創作をネットで読ませて頂きますがbibi様の描写は本当に引き込まれます!
本当ですよ?(笑み)
すみません自分がもう少しコメントでbibi様の表現のすばらしさを伝えることできたら良いんですが、あまり作文が上手でなく苦手でして…他の読者様にも伝えたくても伝わっていませんね…。
ケアル 様
いえいえ、本当はこんな長編のお話を書くにあたり、辻褄を合わせるのは当然のことなので・・・できいていませんが(汗)
本当は修正しなければならないところがたくさんあるので、全て遡って修正したいところです。時系列とか、改めて年表にしてみたらちぐはぐだらけで・・・お恥ずかしい限りです。ひえぇぇ~・・・。
情景描写は少ない語彙力で精いっぱい書いております。私にもっと語彙力があれば、もっと良い表現ができるのにと、いつも表現力のなさを痛感しながら書いています。もっともっと本を読めってことなんですよねぇ。読書量が足りない(泣)
ただ、描写を書く時には、その場所にいることを本気で想像しながら書いています。周りには誰がいて、見渡すと何が見えるのか、近くの草は雨に濡れているのかとか。それも私の今までの経験上からしか書けないから、大したものではないですが。
世界に入り込まないといけないので、子供が周りでうろちょろしている時には書けないという(笑) 息子は息子で色々と面白いんですけどね。子供たちを書く時の参考にはさせてもらってるかな。