天空城浮上

 

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朝の空が気持ちよく水面に映り込んでいる。静まり返る巨大な湖を前にして、リュカたちは容赦なく襲い掛かってくる魔物らと対峙していた。
「この辺りの魔物って、他のところと比べても何だか戦い好きだよね」
「戦い好きなのは主にこのリザードマンという輩じゃろう。こやつらは戦うためだけに生きているようなものじゃからのう」
「それって生きてて楽しいのかな」
「楽しいとか楽しくないとか、そういうことではないと思うがの」
「……相変わらずですね、リュカ殿は」
「がうがう」
グランバニアで二日ほど身体を休めたのち、リュカたち一行は一度海辺の修道院近くにルーラで移動してから、天空城が沈む巨大湖まで魔法のじゅうたんで飛んできていた。魔法のじゅうたんで陸地の上を移動している最中から、辺りをうろつく魔物の集団に追いかけられていた。リュカがじゅうたんの速度を上げて引き離しても、魔物らは執拗に追いかけてきた。じゅうたんで逃げ回っている内に、魔物の数を増やしてしまったのも悪かった。気がつけば、まるでリュカが一つの軍隊を率いているかのように、敵の魔物らはその数を増やしてしまっていた。
飛ぶじゅうたんと併走するように飛んできた火喰い鳥が口から炎をまき散らし、じゅうたんの端に火がついたのを皮切りに、先ずはゴレムスがじゅうたんから弾みをつけて飛び降り、火喰い鳥に大きな拳を振るった。一撃で地面に叩きつけられた火喰い鳥は、そのまま草地の上を転げ回った。
ゴレムスのジャンプで大きくたわんだじゅうたんの上で他の仲間らが宙に放り出され、魔物の群れの中へと突っ込んでいく。誰も乗る者のいなくなった魔法のじゅうたんは、まるで自らの意思で消火するかのように湖の上に突っ込むように落ち、煙と蒸気を上げて火を消した。
魔物の群れの中に放り出されたティミーとポピーを、ゴレムスが両手でそれぞれ受け止める。プックルはゴレムスの巨体を足掛かりにして、敵の好戦的態度には負けないと言わんばかりに、青の目をぎらつかせながら突っ込んでいく。多勢に無勢の状況を見て、スラりんがスクルトの呪文を素早く身体から放つ。とにかく数を減らさなくてはならないと、ピエールとマーリンが魔力の底など気にせずに呪文を次々と放つ。それに習い、ティミーもポピーもできうる限りの呪文を放ち続ける。辺りに轟音が響き渡り、リュカが皆に何かを伝えようとしても、人一人の声などかき消されてしまう。その状況に仕方なく、リュカも目の前の敵を減らすことに集中し、自らも呪文を放ち始めた。
リュカたちが大暴れする姿に圧倒され、逃げ出した魔物も多くいた。旅する人間を軽い気持ちで襲ってやろうと思っていた魔物らは、想像とかけ離れた強さの人間と魔物の一行に生命の危機を感じ、顔を青くして森の中へ逃げ込んでいった。決して好戦的ではないリュカたちは当然、逃げる魔物らを追うことはない。その状況を見た敵の魔物らは、次々と逃げ出し、あっという間にその数を減らしたが、魔物にも誇りがあるのか意地でも逃げ出さない魔物らが一定数いる。
「僕たちの中で戦うのが好きなのはプックルだけなんだよ」
「がう?」
そうなの?と言わんばかりにプックルがリュカを見ると、リュカが「知らなかったの?」と言うように眉を上げる。
「だからさ、君たちも今のうちに逃げてくれるとありがたいんだけどな。あ、それとも僕たちと一緒に旅を……」
リュカが言いかけたところで、リザードマンの大振りの剣がリュカの鼻先を掠める。敵に唆され、寝返るようなことはしないと、リザードマンが一端の戦士のような顔つきでリュカを睨む。
「お父さん! もう行っちゃおうよ!」
ティミーがそう言いながら湖を指差す。彼の言う通り、敵の少なくなった今ならば、湖の下の天空城に向かうことも可能かも知れない。
「ねぇ、魔法のじゅうたんが湖に浮いてるわ。どうすればいいの、お父さん?」
「リュカ殿、ここは我々にお任せください。魔法のじゅうたんをそのまま放っておくこともできないでしょう」
ピエールの言葉を合図に、プックルが強く地を蹴る。リュカと対峙していたリザードマンに体当たりを食らわせる。辺りには他にも四体のリザードマンに、上空には三体の火喰い鳥が注意深く旋回している。皆が次々と呪文を放ったとは言え、まだまだ魔力に余力はある。
「ほれ、早う行かんか。じゅうたんを回収して、すぐに湖の下に向かうのじゃろ」
マーリンに背中を叩かれ、リュカは対峙する魔物の群れを仲間たちに任せ、一人湖に飛び込んだ。すっかり水浸しになったじゅうたんにまでたどり着くと、じゅうたんに両手を当ててその大きさが徐々に小さくなる姿を想像する。リュカの意思に呼応するように、魔法のじゅうたんはあっという間にリュカの手に収まるほどの小ささになり、リュカは湖の上に顔だけ出した状態で魔法のじゅうたんを懐にしっかりと収めた。
その時、リュカの道具袋の中から、地を跳ねまわる元気な小動物の様に小さな赤い物が湖面に飛び出した。顔近くに跳ねたその赤い蝶ネクタイを見て、リュカは「あ」と思わず声を漏らした。
蝶ネクタイを中心に渦が生まれる。リュカの身体も渦に巻き込まれ、ぐるぐると回り出す。辺りの景色が分からなくなるほどの回転の中、リュカは必死の叫び声を上げる。
「みんなー! ここに飛び込んで! すぐに!」
リュカの声に振り向いた一行が目にしたのは、巨大な湖全体が渦を巻く異様な光景だった。リュカの姿は見えない。既に渦に飲み込まれ、姿を消してしまっていた。
「ここに? 飛び込むの? 本当に?」
「ふむ……身体がバラバラになりそうじゃのう」
「そんな悠長なことを言っている場合ではありませんよ」
「ねぇ、お父さんは? お父さんがいなくなっちゃった!」
泣きそうになっているポピーが湖に向かおうとすると、その身体を優しく包む大きな手があった。直前にリザードマン一体を吹き飛ばした大きな手でポピーの身体を掴むと、何を思ったかゴレムスは彼女を湖に向かって投げてしまった。放物線を描いて飛んで行くポピーを、ティミーもピエールもマーリンも、口を開けて見つめていた。そしてポピーの身体も渦の中心に消えてしまった。最も驚いたであろうポピーは、驚きの余り声も出せなかったようだ。
「ゴレムス、ボクもボクも!」
ティミーの言葉を待つことなく、ゴレムスはティミーの身体をポピーと同じように優しく掴むと、同じようにぽいっと湖の渦に向かって放った。その様子を呆然と見つめるのは、仲間の魔物らだけではなく、対峙していた敵の魔物らも同様だった。人間と魔物の一行は果たして頭がおかしくなってしまったのだと、戦う意思を忘れて次々と渦の中へ放り投げられる人間と魔物、そして仲間たちを容赦なく湖の渦に放り続けるゴーレムを、恐ろしいものを見る目で見ていた。
最後に残ったゴレムスは、一度後ろを振り返り、残る敵に視線を送る。ゴレムスの目がゆらりと怪しげな光を放つ。その光に狂気の笑みを見たような気がした魔物らは、喉の奥から小さな悲鳴を上げると、これ以上は関わってはいけないと一目散に森へと逃げ出してしまった。宙を旋回していた火喰い鳥は既に姿を消していた。湖の中に入り込んでしまった人間と魔物を追うには、火をその身にまとう鳥には無理がある。
湖の渦が小さくなっていく。ゴレムスは湖の水を左右に分けるように波を立てて入って行く。そして渦の中心近くで、巨大な石像は渦に身を任せて沈んでいった。



「ちょっと遅くなったよね。プサンさん、さみしくなってないかな?」
湖の底に沈んだ天空城は依然として水浸しだった。そこにずぶ濡れになったリュカたちが固まって歩いている。城の周りには水の壁があり、壁の内側である彼らが立つ場所には空気が満ちている。本来ならば陽の光も届かないほどに深い湖の底だが、上を見上げれば水の青を目にすることができる。妖精の城で感じた不思議とは別の不思議が、この天空城を包んでいる。
「スラりんはいいよね。水に濡れてもそのまま身体に吸収しちゃうんだもんなぁ」
「ピィ」
「まあ、我々はその代わり熱に弱いですがね」
「うう、このままでは風邪を引いてしまうぞい。どこかで服を乾かさなくては」
「マーリンって風邪引くの?」
他愛もない会話をしながら、リュカたちは広い天空城の中を歩いて行った。どのような場所へ行っても、扉があるような場所ではゴレムスはそれ以上先に進めないのが常だが、天空城は規格外のものも受け入れる広さがあった。リュカはグランバニアで暮らしている天空人グラシアのことを思い出す。天空人の身体は人間と変わらない大きさだ。果たしてこれほど巨大な扉が必要なのだろうかと、水の冷たさに身体を震わせながらまるで壁のような扉を通り過ぎていく。
広い天空城だが、リュカたちは一つの場所を目指して歩き続ける。玉座の間の床下に隠されている、恐らく天空城の心臓部とも言える場所だ。そこにはゴールドオーブを収める台座があり、プサンもまたそこにいるに違いないとリュカは踏んでいる。
そもそもプサンは既にリュカたちが天空城に入り込んでいることに気付いているはずだ。リュカは水に濡れて色を濃くしたプサンの赤い蝶ネクタイを手に持っている。片手に収まるほどのこの小さなものに、途轍もない魔力が込められていたのをリュカたちは湖で体験してきたばかりだ。広大な湖全体に広がるような巨大な渦を起こし、リュカたちを湖の底の天空城まで導いた。一見すれば、人間世界の酒場で働く一般の中年男性のような姿をしているプサンだが、天空人を自称する彼には間違いなく秘められた力がある。そしてリュカは彼のことを良くも悪くも疑わしく感じている。
玉座の間にもゴレムスは入り込むことができた。部屋のほぼ中央に配置されている玉座はゴレムスのような巨大な魔物ですらいくらか小さく見えるほどに大きい。珍しくゴレムス自身が興味をそそられたように玉座に近づき、窪みの奥から覗く目でしげしげと玉座を間近に観察している。
「一体どんな者がこんなバカでかい玉座に座るんじゃ。天空人と言うのはそんなに巨大な者もおるのか」
「僕たちと変わらないくらいかと思ってるけど、天空人でも大きさって色々あるのかな」
「天空の王ともなると、これほどに巨大な者なのかも知れませんね」
「会ってみたいよね~。でもさ、天空城が沈んで、ここの王様ってどこに行っちゃったんだろう。こんなに大きい人がいたら、このお城の中でも上手く隠れてられないと思うんだけどな」
「もしかしたら私たちの世界に紛れ込んでいるのかも知れないわよ。世界は広いもの。いくらでも隠れることができそう」
ポピーの言う通り、この玉座にいた天空の王は城が落とされてしまったと同時に、どこかへ身を潜めたのかも知れない。しかしそれならば、その時自ら失われたゴールドオーブを取り戻してくれたらよかったのにと、リュカは納得の行かない表情で思わず小さく唸る。
「ピーピー」
既に玉座の裏側に回っていたプックルが、閉じられていた地下への階段の床をガリガリと爪で引っ搔いている。スラりんもその隣で興奮するように跳びはねて鳴いている。リュカはこの場所で留まり、様々な想像をしても答えは見つからないと、玉座の裏手に回る。そして床に手を当てた。
すると床がリュカの手に呼応するように光り出し、強まる光に皆が一瞬目を瞑る。そして目を開ければ、どこまでも続く暗い闇が四角く切り取られたようにそこにあった。リュカは床に着いた手の感触に、自分ではない手が乗っているような感触を受けていた。
「下でプサンさんが待ってるよ。絶対に下にいる」
やはりプサンはリュカたちが天空城の内部を進んできていることに気付いているのだろう。以前、この場所に来た時はリュカたちの手ではこの床を開くことはできなかった。天空人にしか開けられないとその時プサンが言っていたことを思い出す。リュカたちが無事に天空城に戻ってきたことと、既にゴールドオーブの気配を感じているのか、まるでリュカたちを喜んで招き入れるかのようにプサンは床の下からこの秘密の扉を開けてくれたに違いないと、リュカは確信していた。
「ああ、さすがにこの先はゴレムスは無理だなぁ。ちょっとここで待っててくれるかな」
リュカの言葉を待たずにそのつもりだったゴレムスは、静かに一つ頷くと玉座の間の中を自由に観察し始めた。天空城を造る素材の不思議に触れ、城自体から光を放つ神々しい雰囲気をその大きな身体で体感しておこうと、天空城の壁や床を手で触ってみたりしている。
「お、お父さん、そう言えばこの先ってずーっと梯子を降りて行くのよね……」
以前、天空城を訪れた時、ポピーはサーラに抱えられ下まで降りていた。高いところが苦手なポピーは自分の力で底の見えない梯子を一段一段降りていくことを本能的に拒んでしまう。
「ポピーもここでゴレムスと待ってる? それでもいいよ」
「がうがうっ」
「えっ? プックルも待ってるの? ……ああ、お前もこの梯子を降りるのは大変だもんなぁ」
「私も……ちょっと難しいでしょうか。しかし行けないこともない……」
「無理しないでいいよ。多分、下で待ってるプサンさんにゴールドオーブを渡すだけだから。渡したらすぐにここへ戻ってくるよ」
リュカの言葉に安心したように、ポピーはゴレムスとプックルと玉座の間に残ることを決めた。ピエールはあくまでも事の次第を見届けなくてはならないという義務感の下、リュカたちと共に梯子を降りていく意思を伝える。
「じゃあ、また後でね」
リュカがそう言いながら梯子に足をかけ手をかけ、その頭を床の下に沈めた。続いてティミーが軽々と梯子を降りていき、ピエールは緑スライムを器用に変形させて梯子にへばりつくようにして降り、マーリンは一段一段確実に梯子を降りていく。スラりんはちゃっかりとリュカの濃紫色のターバンの上に乗っている。そしてリュカたちが床の下に身体を沈めるや否や、光を届けていた床の穴がふっと閉じられ、リュカたちは完全な暗闇に包まれてしまった。
「お父さん、暗すぎるよ。何にも見えない」
「マーリン、火をお願いできるかな」
「なんじゃと、この状況で片手を離せと言うのか? 真っ逆さまに落ちてしまうわい」
「あ、そうか。ええ~、じゃあこのまま降りていくしかないか」
「我々は少し先まで見通せますから、下の床が見えたらお教えしますよ」
魔物の仲間たちは暗闇の中でも目が利く。リュカの頭の上に乗るスラりんも身を乗り出して下の様子を確認する。ピエールも器用に緑スライムで梯子を掴むように進みながら、合間合間に梯子の下に目を向ける。マーリンはその様子を見て、特別自分が確認することでもないだろうと、淡々と梯子を降りていく。
「……こんなに遠かったっけ」
「見えないって辛いね。スラりん、まだ下に着かないのかな」
「ピッ」
「あ、そう。聞かなきゃよかったかも……」
「もしかしてさ、降りて行った先に穴が開いてて、そのまま湖に出ちゃうなんてことないよね」
「それはこの前来た時も思ったよ、ティミー。大丈夫だよ、そんなことにはならないだろうから」
「しかしこの天空城とやらはずいぶんと古いものなのじゃろ? 経年劣化で天空城の底に穴が開いてもおかしくはないじゃろ」
「マーリン、そういうこと言わない」
「ましてや天空城の底が湖の水で水浸し、城中も水浸しなんじゃから、あちこち傷んでおるかものう」
「しかし海水ではない訳ですし、傷む速度も幾分ゆっくりとしたものなのかと思いますが」
「えっ? 海水って傷みやすいの?」
「湖の水よりは、ということですよ。ああ、でもこれほど深くに沈み続けているのですから、それほど心配しなくても良いかも知れません」
「空気には触れておらんからのう。しかし湖にも様々な生物が棲んでおるじゃろ。それらの生物が影響して……云々かんぬん……」
暗闇の中に人間と魔物の会話が響く。まるで緊張感のない会話を続け、皆が会話に集中している内に、突然、リュカの足が床を踏みつけた。予想外の固さに思わず「いでっ」と小さく叫んだ。そして上から降ってくるようにティミーの足がリュカの頭の上のスラリンを踏んづけ、「ビッ!!」とスラりんが悲鳴を上げた。
「なんじゃ、着いたのか」
「申し訳ありません、事前にお伝えできずに……」
「いや、いいよ。話に夢中になってたから、むしろ早く着いた感じがしたし、良かったんじゃない?」
「スラりん、ごめーん!」
「ピィ、ピィ……」
暗闇の中に手を伸ばし、ティミーはスラりんを探しながら謝る。スラりんはティミーの両手を暗闇の中に見ると、その手に飛び込んで存分に撫でてもらっていた。
皆が梯子を降りるとすぐに、マーリンが火を灯した。辺りに明かりが行きわたり、リュカは両側に伸びる広い通路を確認する。どちらも同じような暗闇に包まれている。しかし既に進むべき方向を見据え、魔物の仲間たちに至ってはその先にいる何者かの気配まで感じ取っている。あれほど気ままにお喋りしていたマーリンが真剣な表情で伸びる暗闇のその向こうを照らそうと指先の火を向ける。
「……不思議な気配じゃな」
「天空人特有のものでしょうか」
「そうかも知れんの」
マーリンとピエールの短い会話の後には沈黙が続く。リュカはマーリンが灯す明かりを頼りに広い暗闇の廊下を歩いて行く。奥にはプサンがいるはずだというのに、彼が姿を現す気配は一向にない。こちらに気付いているなら出迎えてくれてもよさそうなのにと、リュカはわずかに不満を感じつつも先頭を歩いて行く。
廊下の先の開けた空間を感じた瞬間、突然プサンの顔が暗闇の中に浮かび上がった。場違いなそのにこやかな顔に返って恐怖を感じ、リュカもティミーも声も出せずにその場で直立した。
「あ、びっくりしました? いやぁ、びっくりさせようと思ったんですよ。ドッキリ、大成功、なんちゃって。うふふ」
口に手を当てて悪戯を成功させた子供の様に喜んでいるプサンを見て、リュカは大きく溜め息をついた。
「……何なんですか、もう。僕、そういう冗談、あんまり好きじゃないです」
「プサンさん、すっごいびっくりしたよー! どういうこと? だってピエールもマーリン、スラりんだって気づかなかったんでしょ?」
「まさかそれほど近くにいるとは思わなかったのう」
「……天空人特有のものでしょうか。気配が分散されているように感じたんですよね」
「何それ。そんなこともできるの、プサンさん」
「えー? 私は何もしてませんよー?」
完全にしらばっくれているプサンだが、リュカは敢えてそれ以上のことを聞き出そうとはしなかった。何を聞き出そうとしたところで、恐らく彼は真実を語らないに違いない。
「持ってきましたよ、ゴールドオーブ」
そう言いながらリュカは道具袋の中から手に入れて間もない金色の宝玉を取り出した。その輝きは彼らのいる暗闇を照らし出すように、中央に台座の置かれる広間全体をぼんやりと浮かび上がらせた。道具袋の中にある時は決して自ら光ることなどなかったが、ゴールドオーブは自身の居場所に戻ってきた喜びを表すかのように、眩いばかりの光を放ち始める。
「おお!! オーブを持ってきてくれたのですね!」
プサンの仕草が全て胡散臭く見えてしまうリュカだが、この時ばかりはプサンの表情に本当の笑顔を見た気がした。それ故にリュカは素直にプサンにゴールドオーブを渡すことができた。プサンの手に渡ったゴールドオーブは一瞬、目を開けていられないほどの輝きに包まれた。リュカも目を細めてその光を避けたが、視界の端にプサンの琥珀色の瞳が同じように輝くのを確かに見た。
「この輝き! まさしく本物のゴールドオーブ! いや~、リュカさん、よくやってくれましたね! かれこれこの城が地に落ちてどれほどの年月が経ったのでしょう。その間、このゴールドオーブも長い旅に出てしまいました。初めに落ちたのが北の大陸にかつてあったと言われる国……」
「あの、そう言う話は今必要なんでしょうか?」
「え? ああ、そうでしたね。今じゃなくても良いかも知れません」
「プサンさん、あの台座の上にその玉を乗せるんでしょ? 早くやってみようよ!」
ティミーがゴールドオーブの輝きに負けないほどに輝く瞳で、プサンの手の上に乗る宝玉を見つめている。今や部屋中を照らすゴールドオーブの輝きで、広い部屋の隅まで見えるほど視界は良好だ。台座近くに穿たれている魔物の攻撃による床の穴もはっきりと見える。
「さあさあ、いよいよこの時がやって参りました! このオーブを台の上に戻して……」
まるで一大イベントでも始まるかのような大袈裟な口調でそう言うと、プサンは台座に仰々しくゆっくりと近づいて、両手で静かにゴールドオーブを台座の上に安置する。そして宝玉に両手をかざしたまま、きつく目を閉じて何かを唱えている。リュカたちは分からない言語で、呪文とも異なるもののようだ。ゴールドオーブの輝きが一層増す。リュカたちは一様に目を細め、辛うじてその景色を目に捉えている。プサンは一人、はっきりと琥珀色の目を開けて、見たこともないほどの真剣な表情でしばらく宝玉を見つめていた。
「さあ、これでいいはずです! 私について来てください」
プサンの額には人間らしい汗が滲んでいた。魔力を消耗したような疲労を彼から感じる。ゴールドオーブの光が部屋中に染みわたる。そしてその光はプサンを先頭にして歩く廊下の隅々にまで行きわたって行く。壁や天井、床一面に、光る文字が浮かび上がり、リュカたちはその景色に目を見張った。リュカたち人間にも、マーリンのような博識の魔物にも分からない文字でありとあらゆる場所が埋め尽くされる。見たこともない、おぞましくも感じるその景色に、誰一人言葉を発せずにいる。
梯子近くまで歩いてくると、プサンは床に手をつけて目を閉じる。念を送るようなその雰囲気に、やはりリュカたちは黙り込む。いつもなら楽しく騒ぎだしそうなティミーも、今は彼の邪魔をしてはいけないという本能に従う。
プサンの手を中心に、床に鮮やかな模様が浮かび上がった。見覚えのあるその模様が、世界地図を表していることにリュカたちはすぐに気づいた。光る床に浮かび上がる世界地図はしばらく明滅を繰り返した後、安定した光を放ち始める。エルヘブンより南の巨大湖に、ふよふよと白い雲のようなものが漂っている。
「いよいよこの城が再び天空に昇る時がやってきました! すべてはリュカたち皆さんのおかげですね! さあ、見ていてください!」
そう言うや否や、プサンは浮かび上がった世界地図の上で思い切りジャンプをした。プサンが着地した場所から波紋が広がるように、光る世界地図が大きく揺らめいた。と同時に、床が大きな振動に包まれ、光る文字の浮かび上がる壁も天井も、天空城自体が大地震に巻き込まれたかのように揺れ始めた。巨大な城自体が叫び声を上げるかのような轟音が響き渡り、リュカもティミーも床に伏せながら両手で耳を塞ぐ。マーリンもローブのフードの上から耳を抑え轟音に耐えつつも、この状況を見届けなければと窪んだ眼を必死に開けて様子を窺う。
床に伏せていたリュカたちだが、轟音と共に、床に強く押さえつけられる力を感じた。魔法のじゅうたんで急上昇する時に感じるような、抗えない自然の力だ。魔法のじゅうたんの比ではない強い重力に、リュカたちは呻き声を上げながらただ床に這いつくばるしかなかった。その中でもプサンはただ一人、床の世界地図を見下ろしながら両足で立っていた。
城の外で大きな水の音が聞こえた。まるで滝の中に放り込まれたかのような激しい水の音と同時に、更に体への重力が増す。リュカは近くのティミーを見る。呻き声を上げつつもどうにか耐えている。スラりんは床と一体化しそうなほど平たくなっている。ピエールも緑スライムがスラりんと同じように平べったくなり、マーリンは重力に逆らうことを諦めたように仰向けになり、気分の悪そうな顔色で天井を見つめていた。
身体に感じる重力が徐々に弱まって行く。あまりにも強い力で身体を押さえつけられていたため、ある程度の力から解放されると、今度は身体が宙に浮きあがってしまいそうなほどに軽く感じた。実際に宙を飛べることはないが、立ち上がったリュカたちは一様にして足元も覚束ない状態でふらついていた。
「何をしたんですか、プサンさん」
「ふむ……。思ったほど高く上がらなかったみたいですね……」
プサンは難しい顔をして、何もない虚空を見つめている。怪訝な顔つきのままリュカがプサンの視線を追うと、壁でも何でもない虚空に、外の景色が映し出されていた。
遥か高い空に飛ぶ鳥はこのような景色をいつも見ているのだろうかと、リュカはその景色をまじまじと見つめた。描かれた世界地図とは異なる、実際の草原、山々、森林地帯、そしてちょうど真ん中には先ほどまでいたはずの巨大な湖が青々とした水を湛えた姿を映している。
「まあ、いいでしょう! あとはあなたたちにお任せします」
「は?」
「水も引いたみたいだし、私は城の様子を見てくることにしましょう」
「え?」
「では、また後で……」
「ちょちょ、ちょっと待ってくださいよ! 説明! 説明が必要でしょう!? 任せるって言われたって、何が何やらさっぱり分かりませんよ」
「おや、分かりませんか?」
「いくら何でも無茶ですよ。これってどうなってるんですか。任せるって言っても、何を任されているのかも分からないし……」
リュカがまるで困惑の表情を隠さずにそう言うと、プサンは驚いたように眼鏡の奥の目を見開いた後、一転して不敵な笑みを浮かべた。
「じゃあ、試しに私がやってみますからね。見て覚えて下さいね」
そう言うとプサンは床に浮かび上がる世界地図の上を数歩移動し、地図の端に書かれている東西南北を示す方位記号の上に乗る。そして彼が右足で東の記号を踏むと、静まっていた天空城が突然動き出すのを感じた。その揺れにリュカたちは一様に転びそうになる。しかし動き出してしまえばその動きは緩慢で、特別困るようなこともなさそうだった。
「どうです? すごいでしょう! 動くんですよ、この城。いやあ、ずっと昔はね、一つ所に留まるだけで決して動かなかったんですけど、これはもしかして、空の雲と一緒に移動できるんじゃないかなっって、それはもう改良に改良を重ねて……」
「すごいっ! すごいよっ! 何これ!? 空飛ぶ船みたいなものなの?」
「おおっ! 良い表現をしますねぇ~。カッコイイですね、それ。もういっそのこと、天空城と言うそのまんまの味気ない名前は止めて、空飛ぶ船と言うことに……」
「いえ、勢いで由緒ある名を変えてしまうのはいかがなものかと思うのですが……」
「あっ、一つ注意事項があります。こういう動きだけはしないでくださいね」
そう言うとプサンは東に乗せていた足を退かすとすぐに、左足を西の記号の上に乗せた。すると東に向かっていた天空城が突然針路を西に変更する。それは即ち、突然の針路変更について行けないリュカたちが床の上に転び転がるという結果を招いた。
「ほら、危ないでしょう?」
「やらなくても、そういうのは口で説明してくれれば大丈夫です……」
「いやあ、何事も体験して身体で覚えておくのが大事かなと思いまして」
「なかなかイカレタ中年オヤジじゃが、言っていることには一理あるかも知れん」
「マーリン、流されちゃダメだ」
「あ、流されると言えば、この天空城は風の影響を受けますからね。ほら、雲って風に流されるでしょ? この城は雲の上に乗っかっているので、風が吹けば雲と一緒に城も流されますのでお気を付けください」
「どう気をつければいいんですか」
「先ほど、この小さな勇者くんが言ったじゃないですか。これは空飛ぶ船だって。海を行く船と同じですよ。ただ船よりもよっぽど操縦は簡単ですけどね。地図を見ながら行きたい方角の記号を踏んでおけばいいんですから。東西南北の記号を踏んでいない時は勝手に風に流されます」
「じゃあ常にここに誰かがいないといけないってことですね」
「海を行く船も常に操舵室に誰かいるでしょう? 一緒一緒」
にこやかに説明するプサンの正面には相変わらず下界の世界を見下ろすような景色が映し出されている。それは西にゆっくりゆっくり動き続ける。
「すみません、一つ質問があるのですが」
「はい、よろしい。聞いてあげましょう。何でしょうか」
「海を行く船は港に停泊することができますが、この天空城と言うのはどこに停泊できるものなのですか」
「ほほう、停泊……停泊……ふーむ、さて、どうするんでしょうかね。やったこと、あったかなぁ」
本気で悩み始めるプサンを見て、リュカは胸に渦巻く不安をどうすることもできない。質問をしたピエールも同じように不安を緑スライムの表情に表している。天空人であるプサンにとっては天空城がどこかに停泊するような必要性もないのだろう。天空人は空を飛ぶことができる。そして空はどこにも隔たりがない。海を行く船の様に港に停泊して陸に上がるという事情とは異なるのだ。
「そんなの簡単だよ! この床からみんなが退いちゃえばいいんだよ」
いかにも自信たっぷりにそう言うティミーに、リュカは彼なら天空城の不思議をその身に受け入れているのかも知れないと思ってしまった。ティミーが何の根拠もなく言った言葉だが、天空の血を引く彼の言葉ならばどこか信じられる要素があるのだと、誰もがその血を信じる思いだった。
「名案です! では早速やってみましょう。どうなるんでしょうねぇ~」
楽し気に実験しようとするプサンを見ると、やはりリュカの胸には不安が生まれる。しかし彼にはどこか抗えない力を感じてしまう。結局は彼の言う通りにしか事が進まないのを癪に感じつつも、リュカはプサンが床に広がる世界地図からステップを踏むように退いて行くのを見る。
虚空に浮かび上がっていた地上の景色が消えた。そして天空城が不穏に揺れる。天井と壁のあちこちに浮かび上がる知らない文字が明滅を繰り返す。床の上に立っていたリュカはひゅっと下に引っ張られる力を感じ、胃が持ち上がるような感じがして吐き気を覚えた。魔法のじゅうたんで急降下をしている時の動きと似ている。
下に引きずり降ろされる感覚を暫く覚えたのち、何か柔らかいものに受け止められたような心地よい着地を両足に感じた。それでもすべてが急激な動きのため、リュカとマーリンは気分が悪い時の様に顔を青くして呻いている。
「これは……上手く行ったんじゃないですかねぇ?」
「きっと地上に下りられたよ! お父さん、外に出てみようよ!」
「外に出るって、あの梯子を上るんだよね……ちょっと待ってくれないかな、ティミー」
「じゃあ、小さな勇者くん、私と一緒に先に行ってみましょうか」
「うん! じゃあお父さんも落ち着いたら後で来てよね!」
ティミーは着地の揺れなどものともせずに元気な様子で梯子に向かう。プサンもまた、何にも影響されていないような軽やかな足取りでティミーの後を追う。今更プサンが危険な者だとも思えないため、ティミーを任せることには問題を感じないが、それでもリュカの中では一つの疑問が渦巻いていた。
「ティミー王子は元気ですね」
ピエールが意味のないことだと分かりつつもリュカに回復呪文を施す。気分の悪さが解消されるわけではないが、彼のその心遣いにリュカはほっと息をつく。
「ワシはまたこの長い梯子を昇るのが億劫じゃよ。誰かに連れて行ってもらいたいのう」
「ピッピッ」
「なんじゃい、スラりんはどうせリュカの頭の上に乗って連れて行ってもらえるんじゃから良いじゃろう。楽しよってからに……」
「ねぇ、ところでさ、プサンさんにティミーが勇者だって教えたことあったっけ?」
リュカの言葉に返事をする者はいない。以前、ピエールとスラりんはプサンに会ったことがあり、洞窟探検の際には共に歩いていた。ピエールが考え込むように兜の奥で小さく唸るが、ただ首を傾げるばかりだ。
「やっぱり言ってないよね。でもプサンさん、ティミーのことを小さな勇者なんて言ってた」
「それはあれじゃないかのう? 妖精たちもティミーが勇者だと知っておったのじゃろ? 天空人も同じように、ティミー王子を勇者だと知っていてもおかしいことはなさそうじゃがの」
「プサンさんのこと、本当に天空人と思える? あんな感じだよ?」
「……仰りたいことは分かりますが、まあ、天空人にも色々な者がいるのではないでしょうか」
「プサンさん、悪い人じゃなさそうなんだけどさ、何だか、こう……掴めないんだよね。天空人なのに翼もないしさ。天空人って言うんだったら、もっとこう、神秘的な感じとかあっても良いと思うんだよね。そういうの、全然ないでしょ? 見た目は普通に酒場で働いてそうなオジサンだし、服装だっていつどこで流行ってたのそれって感じで妙だし、あの眼鏡だって胡散臭いし……」
「それほど喋れるのならもう大丈夫じゃな。ほれ、梯子を昇って上に戻るぞい」
「リュカ殿……あの天空人がキライなんですね……」
「ピー」
「好きか嫌いかって言われたら……好きじゃないなぁ」
魔物の仲間に半ば呆れる視線を送られつつも、リュカは落ち着かない様子でぶつぶつと独り言を呟いていた。人間に対しても魔物に対しても、好きだとか嫌いだとかはっきりとした感情ではなく、好きではないという消極的でありつつも強制的な感情を抱いたのは初めてじゃないかと、リュカは顔をしかめて大きな溜め息をついた。
「そう言えば先ほどの激しい揺れで、ポピー王女たちは大丈夫だったのでしょうか」
「まあ、命に関わるようなこともあるまい。何かあってもゴレムスがどうにかしてくれてるじゃろうて」
「ピーピー」
「……うん、そうだね、分かったよ、戻ろう」
魔物の仲間たちが梯子に戻る中、リュカは一度後ろを振り返り、この奇妙な天空城操縦室を見た。相変わらず壁にも天井にも淡く光る文字の羅列は消えていない。左右の部屋にはゴールドオーブとシルバーオーブが台座に置かれている。この天空城が完全に復活できたことを改めて実感しつつも、すべきことが全て終わったわけではない。次に何をしなければならないのか、何も答えの見えない問いを頭に浮かべながらリュカも皆の後を追って梯子に向かって行った。

Comment

  1. ケアル より:

    bibi様

    ゲーム内ではプレーヤーは画面を見ているわけですからプサンが言う、「後は任せましたぞ」の意味が、伝わりますが、たしかに小説内でゲームの台詞、テキストどおりに話を進めようとすると、意味不明なことになりますね(笑み)
    これじゃあリュカもメダパニにかかる勢いで慌てるのも分かります(笑い)

    天空城の操作をどのように表現するのか楽しみにしていました。
    体全体を使った操作になりましたかなるほど!
    東から西などの急な移動は辞める、ようするに慣性の法則ですね、面白い操作方法を考えつきましたね。
    しかし、慣性の法則を使わないで世界を移動しようとすると、ものすごくめんどうくさい旅になりませんか?(笑み)
    魔法の絨毯の方がリュカたち使いやすかったり?

    それと、ゲーム内ではこれまたプレーヤーは画面を見ているわけですから分かるんですが、小説内での天空城の操舵室から外の風景をリュカたち見えていますか?…たぶん見えていない?見えていても空しか見えない?外が見えない状態で操舵することでき…そうですか?(汗)
    bibi様、天空城の操舵を今後どのように描写するのか楽しみにしていますね。
    現在リュカたち、天空城がどこに停泊したか分からないんですよね(汗)
    これからの操舵室までの行き来、やっぱりはしご?皆たいへんだぁ(汗)

    ポピーたちだいじょうぶでしょうか?
    慣性の法則で玉座に打つかり停泊の時に失神していませんか?

    次回は天空城を探索ですね、世界樹の滴を貰えますが貰っておきますか?
    次話もドラクエ楽しみにしています。

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      プサンはいつでも突然です(笑)そういうキャラと言うことでお話の中では存分に遊ばせてもらっています。
      天空城の操作は仰る通り、慣性の法則への注意が必要です。突然、逆の方向に行くと城全体が大いに揺れるので、方向転換する時も徐々に変える必要がある感じでしょうか。大きなものなので慎重な操縦が必要です。小型車とは違い、大型車なので小回りが利きません(笑)
      操縦時、外の景色と言うよりは、真下の地上が見えている設定です。なので、地図と照らし合わせて、ああ、今この辺にいるのね、というのは分かります。ただ進む天空城の周囲の景色は見えません。もし目の前にセントベレス山があったら、衝突しかねませんね(汗)
      次のお話ではポピーたちの救出から始まるかな。何も知らずにいるので、彼女らも大変なことになっていますね、きっと。

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