中央大陸探索

 

この記事を書いている人 - WRITER -

森の木々が立ち並ぶ中、年中繁る葉の合間からは光輝く天空の塔が覗く。塔の頂上は厚い雲に覆われている。神々しい塔の周りには小さな黒い影がいくつか飛び、今も塔が魔物の住処となっているのが嫌でも分かる。陽の光がなくとも自ずと光を発するような神がかった塔に魔物の気配がするというのは、神が魔の力に屈してしまったようで思わず目を逸らしたくなってしまう。
「早く悪い魔物をやっつけて、あのキレイな塔も作り直せるといいよね」
リュカと同じように天空の塔を遠目に見つめていたティミーの言葉は相変わらず前進しかしない。明るい未来を見つめるのがまるで責務なのだと言わんばかりに、ティミーは勇者としてその生を歩んでいる。それ故にリュカも共に心を浮上させ、沈み込むことがない。
「前にあの小さな者たちに会ったのは、この辺りだったでしょうか」
ピエールが天空の塔と雲に隠れる太陽の位置をおおよそ視認し、リュカに問いかける。小声で話をしているのは、辺りに魔物の気配がしているためだ。
「ちょうどこの森を通って塔に向かう途中で出会ったから、きっとこの辺りで間違いないはずよ」
ポピーもピエール同様に森の重なり合う葉の間から雲に覆われた空を望み、目を細めてその位置を割り出す。王女のその様子を見て、マーリンが感心したように一つ二つと頷いている。
「グランバニアの王女様はどれほど賢くなるのかのう。旅に出て実地も積んでおるから、紙の上だけの学びに留まらない賢さを身に着けておられるようじゃ」
「ポピーはしっかりと学んで身に着けてるから助かるよ。僕だったら、大体この辺かなぁって思うだけだもん」
「それはそれで立派な特技かと思われますが。長年の経験で、頭で考えるよりも身に着いてしまったのでしょう」
「がうがうっ」
「ああ、そうか。僕はプックルと同じなんだね」
「ピキー!」
「魔物のみんなはこういう感じなのかな。じゃあ、別にこれでもいいのかな」
「そう思うお前さんはやはり人間よりも魔物に近い感じがするのう」
マーリンが笑いながら言うのを、リュカも同じように笑って受け止める。リュカには自分でも人間だか魔物だか分からなくなる時がある。別にどちらでもいいじゃないかと、人間と魔物を分けることを諦めかける時がある。魔物でも良い者はいる。人間でも悪い奴がいる。種族の区別がどれほど意味のあるものなのだろうかと、考えると分からなくなるので敢えて深く考えないようにしていた。
リュカたちは今、中央大陸の探索をしているが、探索が始まる前まではグランバニアで二月ほどの時を過ごしていた。
国の新年祭が終わり、日常が戻る中でリュカは中央大陸の情報を集めていた。オジロンと二人で国王としての務めを果たしつつ、空いた時間に次の旅への準備を進めていた。リュカの想像ではひと月ほどで次の旅に出られるだろうと考えていたが、様々な物事を同時に進めている内に、ふた月もの月日があっという間に流れてしまった。
旅支度の中に、リュカの旅装についての問題も浮上していた。アンクルにも指摘されていたが、リュカの旅装は強い魔物らに対抗するには貧弱だという問題があった。リュカは動きやすい今の格好が良いと押し切ろうとしたが、周囲の者たちがそれを許さなかった。
リュカの母の故郷であるエルヘブンとは既に武器防具の制作を依頼する協力関係が築かれており、そこに新たにリュカの防具を新調しようという話が上がった。重装備を望む城の兵士長らの意見を拒み、リュカはあくまでも身軽に動ける装備が良いと主張した。エルヘブンではミスリル銀を使って作られる魔法の鎧と言う魔力の込められた特殊な防具がある。それを一着、グランバニアの国王のためにと制作を依頼し、仕上がったものを今、リュカは装備している。
鎧など着慣れないリュカにとっては、鎧を着た状態で動くことに慣れる必要があった。新しく仕上がった魔法の鎧を着た鍛錬を、城の兵士たち相手に繰り返し行った。軽い金属でできた鎧は間もなくリュカの身体に馴染んだ。立派な肩当もある鎧だが、金属自体が軽いためにそれほど邪魔にもならず、自由に腕が動かせる状況にリュカも満足していた。
それと共に、武器も新調された。かつてリュカが使い、北の魔物の塔で刃を追ってしまった父の剣。リュカが行方不明の間に父の剣はグランバニア兵たちにより回収され、折れた刃と共に保管庫で眠り続けていた。リュカの鎧がエルヘブンで新調されたという話を受けたグランバニアの武器屋を営むイーサンが、自国の王のために腕を振るうと言い、パパスの剣をその熟練した手で打ち直したのだ。エルヘブンからミスリル銀を調達し、新しく作り上げたかつての父の剣はその威力を増し、柄の部分はほぼそのまま使用しているため、初めて手にした時からリュカの手に馴染んだ。
パパスの剣が復活したことで、リュカの旅に対する意識が否が応でも高まった。出来上がった剣をプックルも間近でキラキラとした目を向けて見つめた。ピエールも感慨深いように溜め息をつきながらその刀身を見つめた。久しぶりに振るう父の剣は、元の剣よりも軽く感じた。ミスリル銀という軽い金属が混じったことによる軽さなのか、リュカの力がついたために軽く感じたのかは分からないが、扱いやすさに関しては塵ほどの問題もなかった。
グランバニアにいる時に、新しく作り上げられた父の剣を使って、何度かピエールと打ち合いをした。初め、パピンやジェイミーなどの兵士長らがリュカとの打ち合いを望んでいたが、リュカは旅に出て魔物と戦うことを想定しているために相手は魔物であるピエールが良いのだと、自国の兵士を相手に剣を振るうことはなかった。結果としてはピエールを相手にするのが正解だった。リュカの決まりのない、素早い剣の動きを、パピンらは見極めることができなかった。そして合間合間に回復呪文を唱えつつも、剣を振るって戦い続ける自国の王と信頼すべき魔物の姿に、見物客と化していたグランバニアの兵士らは揃って感嘆の溜息を漏らしていた。
しかし力の入り過ぎた打ち合いのせいで、今度はピエールの剣が折れてしまったのだ。今までよく無事でいられたと思うほどにピエールは長く同じ剣を使い続けていたが、ここで寿命を迎えたピエールの剣に代わり、今までリュカが使用していた破邪の剣がそのままピエールに受け渡されることになった。恐れ多いとしきりに恐縮するピエールだが、武器屋イーサンの手によって輝きを取り戻した破邪の剣を目にすれば、ピエールは素直にその剣を受け取る気持ちを持つことができた。
落ち着いて国政ばかりに力を注ぎこめば身体が鈍ると、リュカは次の旅に向けての鍛錬を日々怠らなかった。そのお陰で、旅を再開した今も体の動きは鈍っていない。リュカの鍛錬に毎回のように付き合っていたティミーもまた、久しぶりの旅とは思えないほどの良い動きを見せる。リュカがその動きを褒めればティミーは良い笑顔を見せるが、その後ろでポピーが少々呆れたような顔をしていることがある。ティミーは城での講義を抜け出して鍛錬を積んでいることもよくあったようだ。後で一人呼び出されて怒られたこともあると、ティミーが気まずそうに笑って言うのを、リュカも笑って聞いていた。
「お父さんはお兄ちゃんに甘いんじゃないかしら」
「そうかな」
「そうよ。だってお兄ちゃんったらいっつも私だけ部屋に残してどこかに行っちゃってたのよ。私は真面目に先生のお話を聞きたいからお部屋にいるけど、お兄ちゃんは……」
「だからポピーが聞いておいてくれればそれでいいじゃん。ボクたち双子なんだからさ、ほら、役割分担ってヤツ? 二人で一人? できないことはお互いに補うのがいいって、そんな話も聞いたことがあるよ」
「お兄ちゃんだって強い呪文を使えるようになりたいんでしょ。そのためにはああいうお勉強も必要なのよ。色々と知らないと色々な呪文なんて使えないんだから」
「あ、そうなんだ。マズイなぁ、じゃあ僕も色々と勉強しないとだよねぇ」
「お父さんはいいの! お父さんは強い呪文が使いたいわけじゃないんでしょ」
「うん、まあ、そうかなぁ。呪文はポピーが得意だから、ポピーに任せるよ」
「……もう、お父さんがそんなことを言うから、お兄ちゃんもいつも逃げちゃうのよ」
ポピーが腰に両手を当てて怒った表情をしても、リュカとしてはその表情に懐かしさを感じるだけだ。肩より短く切り揃えられたポピーの金色の髪が、まるで二つのお下げを揺らしているように見えると、つい微笑んでしまうほどに心が温かくなってしまう。
「でもさぁ、ボクが使いたいのはあの雷の呪文で、それって呪文書にも載ってないしさぁ。オベンキョウしようにも、どうしようもないよね」
「する気もないくせに、よく言うわよ」
「まあまあ。今はさ、またこうして旅に出てるんだから、危なくないようにせめて喧嘩はしないようにしようよ」
「そうじゃな。喧嘩している場合でもなさそうじゃしな」
マーリンがそう言うや否や、激しい打撃音が森の中に響いた。木々に止まっていた鳥たちが一斉に羽ばたいて逃げ飛んで行く。リュカたちは今回の旅にもパトリシアを連れ、馬車を引いているが、馬車の荷台に収まりきらない仲間が一体、後方で壁のような大きな背中を見せている。
ゴレムスが相手にしているのは、この森の一部を我が物顔で闊歩している派手な色をした象の魔物だ。以前にもこの辺りで遭遇したことがあり、その名をガネーシャというとある神の名を騙るピンク色をした象の魔物は、森に侵入してきた人間と魔物の集団の後をつけて来ていた。いち早くその気配に気づいたゴレムスが、まずは一体と言わんばかりにその拳を振るい、巨象の身体に拳を叩きつけていたのだ。
ゴレムスの影に隠れて見えなかった敵は、全部で七体。その内三体がゴレムスの脇をすり抜けて、リュカたちの方へと突進してくる。リュカたちが素早く剣を抜く。プックルが位置を確かめ、横から魔物に飛びかかる。巨象がよろめく。残り二体がリュカとティミーへと突っ込んでくる。スラりんが全身を震わせて呪文を唱える。巨象二体の分厚い皮が一枚剥がれたような雰囲気があった。ルカナンの呪文を受けた巨象に、リュカとティミーが斬りかかる。両前足に斬りつけ、巨象が膝を折って地面に倒れ込む。もう一体にピエールが斬りかかり、巨象の立派な鼻を深く傷つけた。痛みに象の叫び声を上げるが、声を上げることで痛みが増し、また叫ぶという悪循環に陥る。
残り四体の巨象の突進を食らえば、さすがのゴレムスも地面に倒れた。ゴレムスの両脇からポピーとマーリンが呪文の構えを取り、同時に放つ。氷が象の分厚い身体を包んで行動を止め、火炎が象の周りに放たれれば象は本能的に火から遠ざかる。
脇からすかさず駆けていくプックルが象の脇腹に容赦なく爪を立てると、分厚い皮を切り裂かれた衝撃に大声を上げて象は森の中へと走り去ってしまった。残る三体が再びゴレムスに同時に体当たりを食らわせれば、ゴレムスの象より勝る大きな足が、まるで遺跡の一部が崩れるように壊れてしまった。膝をつくゴレムスに、リュカが寄り添って回復呪文を素早くかける。辺りに散らばったゴレムスの身体だった塊が空中に漂い集まり、激しく白く光る回復の中でゴレムスの足は元の形を取り戻す。
回復呪文を目の当たりにした二体の魔物が、今度はリュカ目がけて突進してくる。スラりんが全身から呪文を放つ。象の分厚い皮が一枚、粉々になってはらはらと散る様が幻影の様に見える。ゴレムスが風を起こしながら足を振り上げると、正面から向かっていた魔物は蹴り上げられて宙を舞った。リュカは自身を踏みつぶそうとしてくる象の足元に滑り込み、足を斬りつける。しかし同時に鼻で強烈な一撃を食らい、地面に転がった。
間近に聞く象の雄たけびの威力に、近くにいた仲間たちが皆身体をすくませる。象たちが好きに暴れる直前、自身を保っていたティミーが剣を片手にしながら、スクルトの呪文を唱えて仲間たちを守護する。象たちに蹴られ踏まれても、リュカたちは守護呪文の中で耐えた。
身を守る手段を持ち、回復する術を持つリュカたちと違い、敵の魔物らはその場で暴れ尽くして戦いに負ければ、それで終いとなる。状況が一向に有利にならないのを見て取ると、象の魔物らは潔く命尽きるまで戦うことなどせずに、倒された三体の仲間たちなど振り返りもせずに森の中へと立ち去って行った。
旅慣れたリュカたちが感じていることは、外の世界を生きる魔物の数が明らかに多くなったことだ。そして群れを成して襲われることが多い。それ故にリュカたちとしても初めから手加減なしで戦わなければならない局面が多くなった。
「あんなに大きな魔物があんな群れを作って襲ってくるなんて、ちょっと辛いよね」
「少しでも気を抜けば、こちらが倒されかねません」
探索が目的の旅はどれほどの長い旅になるか分からないため、リュカたちは魔力を温存する戦い方をしている。特にリュカとピエールは回復呪文に重きを置き、通常の戦闘では剣を振るうことで対応している。しかし相手が多勢となると、戦いを長引かせないためにも魔力を温存している場合ではないことは二人とも理解している。
中央大陸にはゴレムスの同族も出現し、沼地に近づけば地面からボコボコと湧き上がるような手が無数に現れる。ポピーが毛嫌いするマドハンドという魔物は地面の中を自由に移動できるようで、リュカたちの足元を狙って転ばせ、そのまま沼地に引きずり込もうとする。斬っても斬っても切りがないほど無数に現れるマドハンドの群れは、ポピーの我武者羅な呪文で一気に片づけられることが多い。全身に鳥肌を立てつつ、ポピーが勢いよく呪文を唱え、マグマの杖を振り回すと、マドハンドの群れは一時大人しくなる。そこですかさずマーリンが追い打ちをかけて呪文を浴びせ、一層するという方法で倒すのが大分板についてきたところだ。
ゴレムスは同族との戦いの中でも容赦はしない。元々感情の読めないゴレムスは、同じゴーレム三体に襲いかかられてもそこに特別な感情を見せることなく、自身の腕が壊れてもいいと思うほどの勢いで両腕をぶんぶんと振り回して敵をなぎ倒していく。まるで同族に「目を覚ませ」と言わんばかりの強烈な攻撃をしかける。その勢いに乗じて、リュカたちも補助呪文を駆使しつつ剣を振るい、敵を倒し追い払うことに成功する。ただ巨人であるゴーレムとの戦いの後は常に疲労困憊となる。時折、パトリシアもその巨体を生かして参戦することもある。皆で全力を尽くさなくては、一瞬でも気を抜けば一撃で命を失いかねない戦いが常にそこにあるのだ。
手強い魔物たちとの戦いの最中、リュカたちが中央大陸のやや西寄りを歩いていた頃、険しい山並みの向こうに大勢の人影を見た。この辺りに人間の村でもあるのだろうかと、リュカは訝し気な表情を示しつつもその人影を追うように近づいて行った。中央大陸においてはほとんど情報が掴めていない。古くからの文献に目を通したマーリンでも、この大陸には神の力が宿るという御伽噺めいた事柄を少々掴んだだけで、自分たちで現実に目にした天空の塔についても記載がないのだった。
山並みの向こうに見えていた人影は、リュカたちと同様にあちら側からも徐々に近づいてきているようだった。互いに様子を見るように、警戒しながらの接近で、近づく相手が武装している姿だと言うのがおぼろげに分かると、被る兜の奥に見える目が生きていないのを感じた。
「魔族の一種なのかも知れん。しかしあれは……人間だったのかも知れんのう」
マーリンの言う通り、姿かたちは人間の兵士そのものだった。鎧兜は金色に輝き、太陽の光を受けてそれらは神々しくも光り輝いているようだ。しかし金色の兜から覗く人間の面構えは血塗られたように真っ赤に染まり、敵を見据える目はギョロリと飛び出している。口元には狂気じみた笑みを浮かべ、リュカたちをいつ襲ってやろうかと楽しみの瞬間を見出そうとしているかのようだ。
「どうしますか。この距離ならばまだ逃げることができるかも知れません」
「いやいや、もう囲まれておる。人間の軍隊と同じように、戦略を持ってこちらを追い詰めておるようじゃ」
「数は……数えきれないね。彼らの誰かと話しができればいいんだけど」
リュカはわずかな望みを持ってそう言うが、リュカたちを襲おうとしている兵隊の集団を見て、話し合いの余地はないだろうとその表情の中に嫌でも悟る。セントベレス山近くに潜むこの魔物の兵隊の集団の意味を考えれば、それらは恐らく魔物の中でも確かな悪の心を持つ者たちなのだろうと、リュカは腰の剣を静かに引き抜いた。
邪神の兵隊と呼ばれる魔物の集団は、マーリンの想像通り、元々は魔物ではなく人間だった。魔物の力が徐々に増すこの世界で、何かの悲劇を原因としているのか、魔物の手に落ちる人間の数も増えているのかも知れない。心も体も弱り切り、魔の力を与えられた人間はあっさりと魔物へと変貌し、人間の頃の記憶など失い、身も心も完全な魔物となり果てる。
救いがないと思う。魔の力で自分を失い、魔物としての生を受けた後では、人間でいられた頃よりも救いがないと思ってしまう。どれほどの絶望を味わっても、自分を失いたくはないとリュカは思う。
見渡す限りに邪神の兵隊の集団がいる。数にして凡そ百は超える。手にしているのは長い槍だ。かつては人間として個々にその顔もはっきりと違っていたのだろうが、魔物となり果てた彼らの顔はどれもこれも同じように見えた。人間を襲う魔物として生まれ変わるに当たり、人間としての個性などどうでも良いのだと言われているようなものだった。
邪神の兵隊はまるで示し合わせたかのように、輪を縮めるように一斉に前進してきた。ポピーとマーリンが半円を描くように呪文を放ち、半数を足止めする。ティミーが仲間に防御の力を与えるや否や、プックルが猛然と飛び出した。ゴレムスが後を追うように地面を踏み鳴らして歩いて行く。プックルが敵に突っ込む前に、スラりんの呪文が敵の集団に届き、金色の鎧兜の光が鈍り弱る。リュカが剣を手にしながら走り出した後ろで、ピエールが魔力を惜しまずにイオラの呪文を放った。
爆発の中で兵隊たちが笑みを湛えた無表情のまま地面に転がる。プックルが疾風のごとく数体の兵隊に一気に飛びかかる。しかし敵の兵士たちも大きな槍を手にして、プックルの身体に疾風のごとく槍を突き出してくる。深手を負うプックルに、リュカがすかさずベホマの呪文を唱えて傷を癒すと同時に、剣を振るう。ティミーのスクルトの呪文が効いているとは言え、多勢に襲われればただでは済まされない。敵が突き出す槍は速い。敵の集団の中に入り込んで抜けられなくなれば、全身を槍で貫かれて命を落としてしまいかねない。
ゴレムスの手が伸びてくると、リュカとプックルはその手の上に飛び乗り、しがみついた。しかしゴレムスの足が大勢の槍で削られて弱り、肩膝をつくとよろめき、リュカもプックルも地面に投げ出された。目の前に突き出される槍先を、身を翻して避ける。剣で軌道を変える。自身の鎧で弾く。攻撃をする隙が見当たらない。
スラりんが全身から眩い光を放ち、辺りの景色を白く染めた。まるでティミーが装備する天空の剣の神々しい光を思わせるその真っ白な中に、邪神の兵隊らの身体が溶けていく様が見える。ニフラムの呪文の中に数体の魔物らが吸い込まれていき、魔物らを浄化した光はそのまま空間の中に閉じてしまった。
ティミーが小さな身体を生かして、敵の中を素早く動き回る。天空の剣の美しい様に、邪神の兵隊らはぎょろりと飛び出す目を細める。槍を弾く天空の盾の竜と目が合えば、その怒りの赤の目に身をすくませる。天空の兜の青の宝玉が陽光に煌めくと、己らが心酔する邪神への信仰がほんの一瞬揺らぐ。まだ身体の小さなティミーだが、その姿は既に世界を救う勇者としての存在を、目の前の魔物らに知らしめている。
いつの間にか、ティミーを中心とする陣形でリュカたちは敵の群れと戦っていた。邪神の兵隊はティミーの持つ神々しいばかりの力に恐れをなしつつも、最も倒さなくてはならないのはこの子供なのだと、己らの持つ力を勇者に向かって懸命に向けてきた。外に飛び出そうとするティミーを、リュカは抑えた。下から抜け出そうと試みれば、プックルが身体を出して止めた。父や仲間たちの背中を見て、ティミーは悟ったように輪の中心で守られながらの戦闘を続けた。ポピーと背中合わせになり、同時に呪文を放つ。追い打ちをかけるようにマーリンが高い魔力を込め、ベギラゴンの呪文を放てば、邪神の兵隊らはたまらず一斉に地面に倒れた。
逃げ出していく者もいる。逃げていくその先には、セントベレス山が聳え立っているようにリュカからは見えた。あの山に戻って一体何があるのだろうかと、リュカは厳しい目つきのままその後ろ姿を睨む。
セントベレス山に向かう兵士の姿。リュカがいたあの大神殿にも、看守を務める人間の兵士がいた。高い高いセントベレス山の頂上をこの場から目にすることはできない。世界最高峰の山の頂上は常に雲で隠され、その神秘がまた神を信じようとする人々の心を惹きつける。
かつてのあの人もそうだったのだろうかと、リュカは逃げ行く兵士の後姿を見る。リュカたちの恩人であるマリアの兄は今、あの頂上で生きていてくれているのだろうかと考え、山の頂上を見上げた瞬間、陽光の眩しさに思わず目を瞑った。
直後、右足を後ろから槍で突かれ、抉られたのが分かった。まだ戦闘は終わっていない。仲間たちも多勢の兵隊らとの戦いで疲弊している。リュカは激痛を感じるはずの足をそのままに振り向き、胴を掠める槍先を地面を転げて避ける。敵の槍は素早く何度も突いてくる。回復呪文をかける隙も無い。しかし集中すれば足の痛みをどこかへと追いやれる。
魔物となり果てた兵隊を救うためにと、リュカは剣を振るう。一度、魔の力を得て魔物と化してしまった人間を救う手立てを、リュカは知らない。神の力でもあれば魔物を人間に戻すこともできるのかも知れない。しかしたとえ人間に戻ったとしても、それが彼らの救いになるのかどうかも分からない。今のリュカにできることはやはり、彼らの魔物としての生をここで終わらせてあげることなのだと、そう思うしかなかった。この兵隊らの中に、彼女の兄がいないことだけを願った。
戦闘が終わった時、そこらには多くの兵隊たちが倒れていた。およそ三分の一ほどはセントベレス山の麓へ向かって逃げて行ったようだった。その後を追って魔物らの行きつく場所を突き止めたい思いにも駆られたリュカだが、その肩を強くマーリンに掴まれると、今やるべきことを冷静に思い出した。
「リュカ王よ、一度この場を離れた方が良いかも知れん。逃げた奴らはまた仲間を引き連れて、ここへ戻ってくるかも知れんぞ」
「そうだね。じゃあ魔法のじゅうたんを使って少し離れた場所に行こう」
「妖精さんってきっと森や川が好きなのよね。だったらあんなに険しい山になんて向かわなくていいと思うわ」
「いかにも魔物が好みそうな地形ですからね。少し北に近寄り過ぎたのかも知れません。川を伝って南に戻りましょう」
知らず知らずに北に向かっていたリュカたちは、もしかしたらあの大神殿の持つ強大な力に引き寄せられていたのかも知れないと、リュカは高い山々の更に向こうに霞むように見えるセントベレス山を見遣る。雲に隠された山の頂は神秘でも何でもないのだと、リュカは過去の現実を胸に思い出し、川べりの平地を目指して力なく歩いて行った。



「中央大陸の地図がある程度仕上げれば、余所の国でも共有することができるじゃろう」
「アイシス女王は特に喜んでくれるかも知れないね。天空の塔のことを教えたら、それこそ興味を持って見に来るかも知れないよ」
テルパドールの女王アイシスは古くから勇者伝説を守護する国の長だ。遺伝子に刻まれるようなレベルで勇者という存在への信仰が厚い。勇者とも縁のある天空の塔の話をすれば、この神聖で美麗で巨大な建造物の保護に全力を尽くしてくれるに違いない。ただ、今は魔物の巣窟となっているために、うかつに手を出せばかえって魔物らに全滅させられかねない。天空の兜ほどの小さなものであれば国の保管庫で代々守護することもできたが、テルパドールの城よりもよほど巨大な天空の塔を守護するには、世界が平和になってからでないと現実的な話にはならないだろう。
リュカたちが中央大陸での探索を始めてから既にひと月が経っていた。その間、主に天空の塔近くの森を歩き回り、以前にも会ったことのある妖精の一族を探していたが、その姿を見ることはなかった。小さな者のため草むらをかき分け、注意深くその姿を目にしようと頑張ったが、誰も小さな者の姿を目に捉えることはできなかった。
この状況に初めに双子が揃って根を上げた。戦闘が続いて体力的に厳しくなったと言うのも原因の一つだった。魔法のじゅうたんに乗って海辺を漂っている間は、魔物に襲われる心配もなく、ゆっくりと身体を休めることができた。その時間も無駄には使えないと、リュカたちは今、魔法のじゅうたんに乗りながら中央大陸を陸沿いに移動しつつ、抜けている世界地図の地形を少しずつ埋める作業を続けている。
「地図に描かれた中央大陸と言うのも、我々がこうして見て回る地形とは少し異なるように感じられますね」
「もしかしたら大昔に地殻変動でもあって、大陸の形が大きく変わってしまったのかも知れんのう」
「それでもあの天空の塔はずっとあのまま建ってたってことだよね。すごいね」
「じゃあこの高い高いお山は、その地殻変動があってからできたものなのかしら」
ポピーが見上げるセントベレス山もまた、昔の地殻変動により大陸が突き上げられてできたものなのだろう。それが自然の為せるなのか、それとも自然ではない何者かの力が為したものなのか、それは誰にも分からない。
「山の上は常に雲がかかっていますね。一体この山はどこまで高いのでしょうか」
「……高いけど、きっと、それだけだよ」
リュカの呟きはピエールに聞こえたはずだが、ピエールがそれに応えることはなかった。リュカの独り言として捉えたか、立ち入れない雰囲気を感じたのか、自らもこの山はただ高いだけだと感じたのか。ピエールはただ魔法のじゅうたんの上でセントベレス山を見上げながら、静かにその威容を兜の奥の目で捉えているだけだ。その隣でプックルは山を見もせずに小さく体を震わせている。
世界一の山付近の海べりは全て断崖絶壁で、海を渡ってきてもこの辺りに船を着けることは不可能な地形だ。切り立った崖を見上げれば、ちらちらと魔物の影が窺える。まるですべての者を拒むようなこの地形を見れば、ここに光の国があることなど誰が信じるのだろうかと、山頂の内情を知っているリュカは当然のことの様に思う。
しかしリュカの心情とは裏腹に、海を渡ってここへ向かってくる船があるのが現実だった。魔法のじゅうたんで海上を滑るように飛ぶリュカたちの視界に移るのは、海の上をゆっくりと進んでくる中型船だ。魔物が多くなってきた世界でも人間は人間としての活動を止めることなく、危険な海を渡り大陸を移動する。それは東西の大陸を結ぶ定期船で会ったり、富豪が独自に運営する大型船だったりと、種類も様々だ。その中で今、リュカたちが目にしているのは恐らくどこかの富豪が管理する中型船で、船の上には十人以上の人間が乗っているのが見て取れた。
リュカたちが船を目にして驚くよりもむしろ、船に乗る人間たちが魔法のじゅうたんに乗って海上に浮いている光景を見る方が驚きだろう。しかもひらひらと浮いている絨毯の上には魔物の姿もある。最も目立つのがゴレムスで、その姿は魔法のじゅうたんの上で隠しきれるものではない。
船の上で矢をつがえる人間の姿が見えた。その表情は怯えに怯えている。自分の放つ矢で巨大なゴーレムを仕留められるとも思わないのだろう。リュカは無駄な矢を打つことのないよう、両手を振り上げて止めろと指示を出した。船の上で戦闘態勢に入っていたその人影は、海の上に浮くじゅうたんには魔物と人間が混在していると気づき、混迷を極めたように思わず矢を放ってしまった。まだ距離の足りない矢の軌道は弧を描いて、敢え無く海の水面に吸い込まれて行った。
「操舵しておるのは、魔物じゃぞ」
マーリンが厳しい目をフードの奥から光らせる。リュカも近づいてくる船の操舵室に目を向ける。ゆったりとしたローブに身を包むその姿は人間に見えるが、ぴたりと目が合った瞬間に、リュカもその者が人間に化けている魔物だと言うことを感じた。魔物が導く船に乗せられた十人以上の人間たち。彼らがどのような理由で航海をし、この中央大陸を目指してきたのかなどの事情は知らない。しかし魔物の手によりこの後、あの頂上に連れて行かれるのだろうとリュカは確信した。大神殿建造のための奴隷として、騙され連れてこられた人間たちだ。
リュカは魔法のじゅうたんを船に向かって進めようとした。しかしその直後、頭上に大きな影が現れ、急降下してくる空気を感じた。
敵の剣を弾く音がリュカの耳元に響いた。ピエールが盾で敵の剣を受けた音だった。敵は金色の竜の姿をしており、その身には鎧兜を身に着ける戦士の出で立ちだ。大きな蝙蝠のような翼をはためかせ、大きな剣を容赦なく振るってくる。同じ魔物の姿が計五体。
「お父さん、ここじゃ戦えないよ!」
ティミーの言葉が正解なのはリュカにも分かっていた。逃げなければならないのは分かっているが、今リュカたちが逃げれば船に乗る人々が奴隷にさせられるかも知れないのだ。それを分かっていてこの場を逃げてしまうことが、リュカには判断ができなかった。
竜型戦士の魔物シュプリンガーが次々とリュカたちに襲いかかる。ゴレムスがじゅうたんの上で両足を踏ん張り腕を振り上げるだけで、魔法のじゅうたんが波打ち、他の者はまともに立っていられなくなる。パトリシアが引く馬車の車輪が転がり、海へ落ちそうになる。そしてリュカたちの攻撃は敵に届かない。攻撃呪文で敵を倒そうと、呪文を放てばその反動でじゅうたんが煽られ、勢いに負けそうになるポピーをかばうようにしてプックルが海に落ちてしまった。
「リュカ殿、退避命令を。あなたにしかこのじゅうたんは動かせません」
ピエールも一度海に落ちていた。すかさずゴレムスに拾われたが、敵の攻撃は勢いを増すだけだ。このままでは全員揃って海に落ちることになる。リュカは悔し気に近づいてくる船を見る。
船に乗る人間の姿がなかった。青空の中に黒い点がぽつぽつと浮かんでいる。それは徐々に高く上がって行き、目指すはセントベレス山の雲に隠れた頂上だった。魔物の眠りの呪文を受けた人々は眠らされたまま、意思の確認などされないまま、あの場所へと連れ去られて行った。為す術もなく、リュカは何人もの人々の人生が地獄に落ちていくのをただ見ることしかできなかった。
「ピキー!!」
スラりんの悲鳴でリュカは後ろを振り返る。ポピーが敵の手に腕を掴まれていた。しかしポピーは悲鳴を上げることなく、ただ静かに目を閉じて集中している。抱えられる彼女は、何の武器も持たない少女であれば、そのまま山の上まで連れ去られていたかも知れなかった。
空いている左手を、敵の顔面に当てた。直後、ポピーの手からイオラの呪文が発動する。耳をつんざくような爆音と衝撃に、シュプリンガーはたまらずポピーを放し、顔面を両手で抑えながら海へと落ちて行った。
「ポピー、大丈夫か」
ティミーが心配するのはポピーの左手だ。爆発の影響を受けた妹の手に、兄がすかさず回復呪文を唱える。子供たちはリュカが思うよりもずっと強く成長している。守られるばかりの存在ではないと、彼らは行動をもって主張している。しかしそれでも、リュカは子供たちを守らなければならない。
「みんな、しっかりじゅうたんにつかまって」
リュカは一言そう指示すると、魔法のじゅうたんに両手を当てて目を閉じた。セントベレス山の上の大神殿では奴隷を必要としている。言うことを聞かせやすい子供であれば、尚更欲しいと考えているに違いない。そうしてかつてリュカとヘンリーは、あの場所へと連れ去られたのだ。
シュプリンガーの群れが追いつけないほどの速度で、リュカは魔法のじゅうたんを東へ東へと進めた。みるみるセントベレス山が遠ざかる。魔物の群れはセントベレス山周辺の警戒をしているだけで、リュカたちを深追いしてくることはなかった。あの場所は人間の奴隷を必要とはしているが、人間の侵入を常に警戒している場所でもあるのだと分かる。
「お父さん……もう大丈夫だと思うよ」
ティミーに声をかけられ、リュカは集中していた魔法のじゅうたんへの意識を浮かび上がらせた。リュカの強い意志を離れた魔法のじゅうたんは、ゆるゆると海上に漂い始める。リュカは思わず力が抜けたようにゆっくりと溜め息をついた。
「早すぎてちと地形が分からんかったが、おおよそ断崖絶壁で、どこも上陸出来そうな場所はなかったのう」
「一応、地図にはそのように書き加えておきましょう。リュカ殿、このまま陸沿いを進みますか」
「あ、うん、そうしようか。とりあえず一通り、陸沿いの景色を確認しておこう。でもその前に下りられるところで下りて、少し休んだ方がいいかもね」
「そうね。ちょっと疲れちゃった」
「まさかじゅうたんの上で敵と戦うなんて思わなかったもんね」
「ごめんね。僕がもっと早くじゅうたんで逃げてれば良かったんだよね」
「……まあ、過ぎたことをどうこう言っても仕方があるまい。とにかく皆が無事なのじゃから、それに越したことはないわい」
誰もがリュカの行動に疑問や疑念の言葉を向けることはなかった。リュカの隣ではプックルが身体を寄せて、体温を分けている。プックルがじゅうたんの上に寝そべるその横腹に、リュカは甘えるように背を預けた。魔法のじゅうたんは東へ滑るように進んでいく。西の青空に見えていた黒い小さな点はとっくに雲の上へと隠れてしまっていた。



中央大陸の海沿いを魔法のじゅうたんで飛び回り、リュカたちはこの大陸の陸沿いの景色だけでも記録に残しておこうと、手にしている世界地図にその地形を書き込んでいった。セントベレス山を囲む山々の景色を間近に感じられる場所では、延々と断崖絶壁が続き、全ての者を拒む雰囲気がどこにも漂っていた。海沿いをしばらく東に進み、陸沿いに南に下って行っても山々は続いた。荒涼とした山の景色の中に、妖精たちが暮らすような瑞々しい森の景色などはどこにも見当たらない。生き物が生きるには到底不向きであるセントベレス山付近には妖精の世界はないだろうと、リュカたちは再び内陸に戻っての探索を続けていた。
内陸には大きな川が流れており、その上を一通り魔法のじゅうたんで進んでいくと、川が海に流れ出ていないことに気付いた。しかし川には川らしい流れがあり、魚も棲みつく大きな川の近くで野宿をする時には皆で魚を取って食事にすることもある。南には毒の沼が広がる殺伐とした景色があるが、川の水は毒に侵されておらず、むしろ澄み切った清らかな流れを保っていた。
「わたし、川魚って少し苦手だったんだけど、ここの川のお魚はとても美味しいと思うの」
「水がきれいなんじゃろうなぁ。近くにあれほどの臭いを放つ沼があると言うのに、この川が全く毒されていないのは不思議なものじゃ」
「きっとさ、妖精が守ってくれてるんだよ。妖精だってきれいな水がいいに決まってるんだもん」
「ということはこの辺りに妖精がいてもおかしくはありませんよね。しかし全く、その姿を見ませんね」
この中央大陸での探索は既にひと月が経ち、リュカたちは中央大陸の内陸にある森の中を歩いていた。広い森林地帯の北には山々の景色が広がる。妖精の城があると言われている場所は、山々に囲まれた深き森。似た景色と見当をつけながら、リュカたちは今中央大陸の南東方向に位置する森林地帯を歩いている。
スラりんが川べりにピョコピョコと跳ねていき、その清らかな水に身体を浸す。冷たい川の水だが、その冷たさがスラりんには心地よいようで、まるで人間が温泉に浸かる時の様に目を閉じてじっと川の浅い場所に落ち着いている。スラりんのその姿を見たピエールも、並んで川の水に身体を浸す。スライム族には時折こうして、身体の水分を補う時がある。
川の流れは穏やかで、野宿が続く中でリュカたちは数日に一度、川の水で身体を清める。温かいお湯でも湧き出ている場所があれば良いのだが、生憎そう都合の良い場所はない。冷たい川の水に一瞬身体が震えるが、身ぎれいにすることで疲れた心身を癒す効果が得られるのは事実だ。
今はティミーが川に入って身体を清めている。武器防具に衣服は全て馬車の荷台に乗せてある。身体を清めるとは言っても、川に入って頭まですっぽりと水を被り、全身を震わせて出てくるだけの簡単なものだ。魔物がいつ現れるか分からない状況で、悠長に身体を洗っている場合でもないのだが、ティミーはいつものように川で泳いで遊び始めてしまった。
「ちょっと、お兄ちゃん! 次はわたしが水浴びするんだから、早く出てよ!」
「ええ~、もうちょっといいじゃん。ここなら川幅も狭いから、ちょっと向こう岸まで行ってみてもいいよね」
「ティミー、一人で行くな。戻っておいで」
リュカの声に笑いながら手を振るティミーは、機嫌よく川向こうへと泳ぎ出してしまった。リュカが溜め息をつきながら後を追いかけ、ブーツと脚絆を手早く取ってその辺りに投げ、マントも鎧も外して岸辺に放ると、すぐに川へと入って行く。
ティミーが川の真ん中で立ち泳ぎをしながら止まっている。何かの様子を窺うようなその体勢に、リュカは眉をひそめながら静かに息子の隣に並んだ。
「どうかした?」
「お父さん、いるよ、あそこに」
「何が?」
「ほら、あそこだよ。向こうの川岸に、ほら」
ティミーが指差す方に目を凝らせば、ちらちらと小さな影が動いているのが見えた。まだ小さな虫の様にしか見えないその姿が、リュカたちが探していたあの妖精たちの姿だとすぐに分かった。リュカとティミーが揃って息を潜めながら話をする。
「どうする? このままボクたちだけで行ってつかまえてこようか」
「いや、一度戻って魔法のじゅうたんで近づこう」
「気づかれちゃうんじゃないかな」
「このまま行ったって気づかれるよ」
「二人だけでこっそり行けば、気づかれないかもよ」
「もし気づかれた時に、ティミーはその格好でどうするの」
「あ……」
ティミーは今、布一枚身に着けていないような状態だ。もし魔物との戦闘になった時、呪文だけで応戦することになる。それよりも何よりも、今の格好で川から出て戦うと考えただけで、恥ずかしさが勝る。
「……戻ります」
「うん。戻ってちゃんと装備を整えて、みんなと一緒にあっちへ行ってみよう」
用心深く川向こうを見つめるリュカは、やはりあの時と同じ四体の妖精たちが、せっせと何かの支度をしている姿を目にした。今は誰にも見られていないという緊張感のなさからか、四体ともしっかりと姿を現している。丈の低い草地の中に辛うじて見える彼らがふとこちらに目を向けそうになった時、リュカはティミーの頭を手で抑え込み、自分も一緒になって川の中に身を潜めた。そして川の中で目を合わせて合図を送り、そのまま二人で仲間たちのところまで泳いで戻る。
「どうしたのですか。嫌に静かに戻ってきましたね」
「あっちに行くよ。川の向こうに、あの妖精がいる」
川から上がるなり、ティミーは身体を拭くのもそこそこに素早く服を身に着け、続けて装備品も手早く身に着ける。リュカも服をきつく絞り、鎧とマントを身に着け、川岸に放り出してあった脚絆とブーツを履くと、すぐに魔法のじゅうたんを広げた。草を食んでいたパトリシアが首を上げて、心得たと言わんばかりにじゅうたんの上に乗り上げると、ゴレムスが荷台を持ちながら自らも一緒にじゅうたんの上に乗りこむ。リュカが更にじゅうたんを広げ、皆が乗り込んだことを確認するや否や、少し離れたところまでじゅうたんを移動させてから川の上を静かに渡って行く。
無事に川を渡ったところで、リュカは魔法のじゅうたんを小さく縮ませ折りたたみ、懐にしまった。あの小さな妖精は魔法のじゅうたんで大掛かりに追いかけるには不向きだと、歩いてじっくりと近づいてみようと考えた。
見えるところまで来た時、妖精たちはまるで川遊びを楽しむようにバシャバシャと水を跳ねさせてはしゃいでいた。その姿を見れば誰もが思わず頬を緩めてしまう。彼らも長い冒険の旅の最中で、ひと時の休息を得ているのだろうかと思ったが、単に川遊びがしたかっただけなのかもしれないとも思えるような愛らしさだ。
この辺りはゴレムスと同族のゴーレムも出現する地域のため、妖精たちはゴレムスの巨体を見ても特に驚かずに遊び続けていた。リュカたちはゴレムスの身体に隠れるようにして徐々に近づいて行く。川べりにどっしりと座り込んだゴレムスの脇からスラりんがひょっこり姿を現せば、妖精たちは物珍しそうにスライムを見つめた後、まるで遊び仲間がやってきたと言わんばかりに手招きでスラりんを呼び寄せた。
「この辺りにスライムなんて珍しいなぁ。お前もこっちに来て、一緒に川遊びを……」
「えっ、いいの?」
「うおあっ!? だだだだ誰だ、お前っ!?」
「スラりんが一緒に遊んでもいいなら、ボクたちもいいよね!」
「何だよ、お前ら、人間じゃないか! オレたちは人間なんかとは遊ばないぞ」
「でもスラりんはわたしたちの仲間なのよ。スラりんと遊べるなら、私たちと一緒に遊んでもいいってことになると思うの」
「なんでゴーレムの後ろに人間の子供が二人……って、それだけじゃないじゃないかっ!」
「あ、気づかれた」
「がうっ」
川の中で見るも明らかに動揺するプチット族らは、水面を激しく波立たせながら、その姿をふっと消してしまった。水に潜ったわけではない。妖精特有の能力で、姿を消してしまったのだ。それを見て、プックルがリュカの横を駆け抜け、川の中へと飛び込んだ。激しい水しぶきを上げて川に入り、激しく泳いで行くプックルは見えなくなった妖精を我武者羅に探し始める。
動揺を感じるプチット族は一瞬、その姿を水の上に現す。それを目敏く見つけ、プックルは身体を捻って大口を開けて、一体のプチット族を鋭い牙の生える口の中に捉えた。まるで川魚を狩る熊の様だった。
「うぎゃー、死ぬ―、やめてー、やめてくださいー!」
すっかり姿を現した彼はプチット族の僧侶であるプチプリーストだ。大事な旅の回復役が捕らえられたと分かると、川の中を逃げようとしていたプチット族らは全て姿を現し、プックルの背中に飛び乗った。
「コラ! 獣め! 仲間を放せ! 放せったら!」
「がうがう」
「仲間を放さないと、オレの切れ味鋭い斧で、お前の背中を叩っ斬ってくれるぞ!」
「がう~」
「放してくださいよ~、後生ですから、ねぇ」
「にゃう?」
プックルの背中に乗る三体のプチット族は口々に何事かを言いながら、プックルの背中をぽかぽかと叩いている。プチファイターは手にした斧でプックルの背中を叩くが、プックルが赤い尾でぺちんとその頭を強く叩くと、そのまま斑模様の背の上で伸びてしまった。
川から上がり、プックルが水を切るように全身を震わせると、プチット族は皆、近くの草地に吹っ飛ばされてしまった。特別な優しさなどないプックルの対応に、リュカは思わず苦笑いする。そしてプックルがずっと口の中に捉えていたプチプリーストを地面に放ると、その小さな妖精の身体はまるで死んでしまったかのようにごろりと転がった。
「ああ、何てことを……プチプリースト……お前、いい奴だったのに……」
地面を転がされたプチプリーストの安らかな顔に、プチヒーローが泣き声を立てながら近づく。気がついたプチファイターもプチマージも、その後ろで声もなくプチプリーストの動かない身体を見つめている。
「大袈裟じゃのう。ただ気を失っておるだけのようじゃぞ」
マーリンが笑いながら言う隣で、ピエールも笑いを堪えるように兜の奥で小さく息を漏らす。スラりんが寝転がるプチプリーストに近づき、べろべろとその頬を舐めると、プチプリーストは小さく呻き声を上げて細く目を開ける。
「おや、私は……天に召されたのでしょうか」
「召されてないわよ。まだちゃんと生きてるよ」
「いえ、しかし、今私の目の前におられるのは、紛れもなく天界の女神様……にしては子供だなぁ」
ぼんやりとそんなことを言うプチプリーストに、困った様子でポピーはリュカを見る。今の時を逃してはならないと、リュカは二度と妖精たちが姿を消して逃げ出さないように、すかさず彼らの心を掴むことを考えた。
「ほれ、これじゃろ」
リュカが馬車に戻ろうとしたところでマーリンから差し出されたのは、妖精の村でポワンから譲り受けた妖精のホルンだ。まるで水で出来たような透明で神秘的なその楽器をマーリンから受け取り、リュカはそれをプチット族という妖精の一族の前に差し出して見せる。
「君たち、これを見たことがあるかな」
たとえ見たことがなくとも、彼らならばこの楽器の持つ不思議な魔力に気付き反応するはずだとリュカたちは思っていた。案の定、彼らは反応した。妖精のホルンを目にしたプチット族は一様にその目をきらきらと輝かせ、美しい楽器に憧れの眼差しを向ける。そして、言い放つ。
「見たことは……ない!」
「ないが、なんか、こう、懐かしい感じがするぞ!」
「初めて見ますが、初めて見る気がしませんね」
「妖精の力を感じますー」
「良かった! 何も感じてくれなかったらどうしようかと思ったよ」
リュカは胸を撫でおろしてそう言うと、妖精のホルンを見つめ続けるプチット族たちに一通りの説明をした。自分たちが妖精の世界に行き、そこでこの妖精のホルンを譲り受けたこと。今は妖精の城を目指して旅をしていること。天空城を再び天空へ浮かび上がらせるために、妖精の女王の力が必要だと言うこと。それらを時系列を追って細かく話し、その間彼らはリュカの前に正座をして話に聞き入っていた。
ずっと興味深く話を聞いていたプチット族は、全て理解したと言わんばかりに何度も深く頷くと、その場ですっと立ち上がりリュカを今一度見上げる。
「ついてこい」
それだけを言うと、プチヒーローは仲間の三体と共に道を行き始めた。その姿はリュカたちにも見えるようにと、決して空気に溶けるように透明にはならなかった。リュカたちは小さなプチット族の姿を見失わないように、ゆっくりと森の中を進み始めた。

Comment

  1. ピピン より:

    bibiさん

    まさかリュカが防具を装備する日が来るとは…!
    この作品では防具は着けない方向性で行くと思っていたので、なんか凄く新鮮ですね(笑)
    しかもパパスの剣改まで…!
    11では殆どの装備を鍛冶で鍛えられるので、これも有りえる展開で良いなと思いました。

    今回のプチット族は以前に登場した子達とは別のパーティーなんですね。
    妖精に天界の女神に例えられるポピーは流石ビアンカの娘です( *´∀` )

    • bibi より:

      ピピン 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      私も最後まで防具は装備させない方向で、と考えていたのですが、敵の攻撃を受ける際にそろそろ無理が出てきそうだなと思って装備してもらうことにしました。軽めのヤツで。パパスの剣はどこかで復活させようと思っていたので、頃合いかなと登場してもらいました。
      プチット族はそれぞれあのパーティーを組んで、それぞれに旅をしている、という設定です。分かりやすいように同じような性格にしてしまいましたが、気弱ヒーローや強気プリーストなんかも面白そうですね。そんなパーティーもどこかにいるかも知れません。
      ポピーの美しさは既に決定事項です。遺伝は凄まじい(笑)

  2. ケアル より:

    bibi様

    パパスの剣をまさか復活させるなんて、二次創作の醍醐味ですね。
    しかし、ここでパパスの剣を復活させてしまうとドラゴンの杖がそろそろなのに…そのあたりの描写がどうなるのか見所です。

    bibi様ここでパパスの剣改を出して来たってことは、この後の宿敵大決戦に備えて復活させたのでしょうか?…だとしたら熱い展開になりますね!
    しかし、リメイクPS2とDSは宿敵の動向に違いがありますが、そのあたりのことを踏まえてのパパスの剣改とドラゴンの杖の描写、すんごぉく気になります。

    ポピー、シュプリンガーにさらわれそうになったのに、あの冷静な判断、さすがは将来の大魔法使い!
    手のひら火傷覚悟の顔面イオラはイオナズンに匹敵する威力かもしれませんね。

    ポピー、もしかして水浴びできなかったでしょうか?
    女の子なのにちょっと可愛そう…。

    • bibi より:

      ケアル 様

      いつもコメントをどうもありがとうございます。
      パパスの剣はいつか復活させたかったので、グランバニア長期滞在中の今回、復活させてみました。ドラゴンの杖との兼ね合いは・・・追い追い考えていきたいと思います(汗)
      ポピーは子供ながらに自分の力を冷静に見れています。呪文に関しては人一倍自信もあり、仲間たちも信頼しています。彼女はもう、戦闘時には欠かせない人員・・・かっこいい娘ですね。
      水浴び・・・ああ、そうですよね。妖精の城に入るのに身ぎれいにしてから入りたかったですね。

  3. ケアル より:

    bibi様

    書き忘れていました、まさかピエールの剣まで折れる展開になるなんて驚きましたよ。
    それも破邪の剣改をピエールが装備するとは…、もうプックルでさえ爪装備が難しいのに、プックル…羨ましがるだろうなぁ(笑み)

    リュカとうとう鎧装備してしまいましたか、いや今までが奇跡的ですね。
    これからの死闘を思うと兜も執筆の時に必要になって来るかもしれませんね。

    • bibi より:

      ケアル 様

      もうピエールの剣も古いので、ここらで折らせてもらいました(笑)リュカのお下がりをもらって内心メチャクチャ喜んでいると思います(笑)
      鎧装備も迷いましたが、ティミーががっちり装備しているので、子供に対して親父が軽装過ぎるかなと、パパスも胸当てはしていたし、リュカにも軽めの鎧を装備してもらいました。いつまでこれが持つかなぁ。

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

 




 
この記事を書いている人 - WRITER -

amazon

Copyright© LIKE A WIND , 2020 All Rights Reserved.