術に隠された城

 

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魔法のじゅうたんの上に容赦なく強い陽光が照りつける。陽光から逃れるようにじゅうたんの速度を上げれば、その勢いで起こされる砂塵が舞い、辺り一面を茶色の景色の染め上げてしまう。リュカは魔法のじゅうたんの速度を調整しつつ、今は砂漠の上を進んでいた。
「妖精って森の中にいるものじゃないの?」
「こんな砂漠にいるなんて話、聞いたことないし、そんなイメージもないわ」
「いやぁ、これは大変興味深い乗り物だな。この乗り物があればこれくらいの砂漠などひとっ飛びだ」
ティミーとポピーが辺りの荒涼とした砂漠の景色を不思議そうに見る傍で、四体のプチット族がそれぞれ魔法のじゅうたんの不思議に興奮していた。
「このじゅうたんには強い魔力が秘められていますね。このじゅうたんを織り上げた者は一体何者なんでしょうね」
「人間が作ったものなのか? もしかしたら妖精が作ったものなのかも知れないぞ」
「かつてエルフと呼ばれる、妖精に近い種族もいたとか聞いたことがありますー。もしかしたら今もどこかにいるのかな」
「天空人と言うのもおるし、強い魔力が込められているのなら魔物が作ったとも考えられるのう」
「本当に便利だよね。ただ、今はちょっとひさしが欲しいかな。暑い」
リュカはプチット族の道案内に従って魔法のじゅうたんを進めるために外に出ているが、プックルやスラりん、ピエールは砂漠の日光に耐えるのを早々に諦め、馬車の荷台に避難している。ゴレムスは強い日差しの暑さを感じているのかいないのかはよく分からないが、いずれにせよ馬車の荷台に収まらない巨体のため、静かに魔法のじゅうたんの上で胡坐をかいている。まるでどこかの地に古くからある座像のごとく、それが魔法のじゅうたんの上で水平移動しているために、砂漠に棲む魔物らもただ不気味そうにその光景を見つめているだけだった。
「お父さん、ゴレムスの影に来たらいいよ。ここ、涼しいよ」
ティミーがそう言う場所には既にパトリシアが避難していた。パトリシアも当然のごとく、砂漠などと言う生き物が生存するには過酷な環境を好んでいるわけではない。その大きな白い巨体を少しでも日差しから守ろうと、まるでゴレムスの巨体にもたれかかるようにして暑さから逃れていた。
「あ、そうか、その手があった。ほら、君たちもおいで。そこにいると干からびちゃうよ」
「お? ほら、あそこだ、前を見てみろ。あの山々に囲まれた森にあるんだ」
魔法のじゅうたんで砂漠の上を進んで数時間、プチヒーローの小さな手が指す方向に山々の景色が浮かび上がってきた。セントベレス山のように切り立った山ではないが、人が足を踏み入れることは到底できない険しい山々だ。魔法のじゅうたんで向かう先には山々の景色と合わせて、砂漠の切れ目が見えた。まだ霞むようにしか見えないが、その先には瑞々しい森の景色が広がっているように見える。
「こんな砂漠の直ぐ先に森があるなんて、不思議な場所だね」
「守るためなんだ、妖精の世界を」
妖精たちは力が強いわけではない。強い呪文を使えるわけでもない。しかし自然と調和した、自然を味方につけた術を使うことができる。以前、リュカたちが探索したサラボナ東の迷いの森にも妖精たちの術がかけられていた。森を訪れる人間も魔物も、妖精以外のあらゆる生物は動く森の中で方向感覚を失い、決して自分たちだけでは妖精の世界へ行きつくことができないように仕掛けられていた。妖精の術がどのようなものなのかは誰にも解き明かされることなく、妖精たちの世界は今も確かに守られている。
「砂漠って、生き物にとってイヤなところでしょー?」
「大体の生き物は、水が必要だからな」
「それにこの砂漠は、ただの砂漠ではないんですよ」
「そろそろ始まるぞ。お前たち、顔を守れよ!」
そう言うと、四体のプチット族は皆が一塊になって、小さな円陣を作るようにして互いに肩を組み、顔を伏せた。リュカもティミーもポピーもきょとんとその姿を見つめたが、直後、魔法のじゅうたんの端が激しい突風に煽られた。パトリシアの引く馬車の車輪が傾き、転がる。ゴレムスが荷台を掴んでその動きを止めると同時に、荷台からプックルが飛び出してきた。
「一体何事ですか」
ピエールが荷台から顔を覗かせるが、リュカはそれに応えることもできない。前方から激しく吹きつけてくる風が止まらない。ティミーとポピーは胡坐をかくゴレムスの足の中に避難し、ひたすら顔をうつ向けている。プックルはじゅうたんに爪を立てながら、這いつくばるようにして強風を受けている。リュカは風に吹き飛ばされそうになるマーリンの腕を掴んで、じゅうたんに手を当てて速度を弱めるようにと意思を伝える。じゅうたんの進む速度は弱まるものの、それに伴い吹き荒れる強風が止むことはない。
ゆっくりと進む魔法のじゅうたんの上はあっという間に砂まみれになった。パトリシアほどの巨体が風に煽られよろめている。荒れ狂う砂漠の嵐に、誰もが目を開けていられず、前方の景色を確かめることができない。
「おい! 止めるなよ! ここを抜けなきゃいけないんだぞ」
「そうは言ったって、前が見えないんだよ」
「見えなくたって行くんだよ」
「無茶言わないでよ」
「気合いだ! 気合いで行けよ!」
「何その根性論! 何か方法はないの!?」
「そんなの知るか! オレたちが行く時は、いつもこんなことにはならないんだからよ。妖精以外の者がここを通ろうとする時だけ……ゲホッ、ゴホッ! オエッ! 砂が……」
「リュカ! お主の呪文でなんとかせい!」
「ええっ、呪文で……ぐぅっ、どうにかするしかないか」
マーリンがリュカに望んだのはそういうことだと、リュカは目をつぶりながらも魔法のじゅうたんの上に両足で立とうと試みた。しかし立つことは叶わず、どうにか四つん這いになるのがせいぜいできることだった。マーリンはしゃがみ込みながらゴレムスの足にしがみついている。
背中に大きな壁のようなゴレムスの手を感じると、リュカはそれを背にどうにか立ち上がった。立ち上がれば、ゴレムスの大きな手を背中に、正面から豪風を浴び、胸が押しつぶされる圧を受けて呼吸もままならなくなる。首元に寄せてあるマントを顔に巻きつけ、濃紫色の先にうっすら見える明かりを頼りに、リュカは集中して魔力を両手に溜める。
リュカの両手から、豪風を押し返すように風が吹き出す。バギクロスの呪文が放たれ、相殺した豪風の中で束の間、無風状態が魔法のじゅうたんを包む。リュカは砂まみれのままじゅうたんを足で叩いて意思を伝え、一気に前方へ進める。しかし再び前方から、侵入者を拒む強烈な風が向かってきた。
「もっとやれよ! どんどんやれよ!」
「他に方法はありません! どんどん進んで下さい!」
「お前の根性を見せろー!」
「休んだら、押し返されちゃいますー!」
「こういうのは……先に言っておいてよー!」
前は見えない。誰も前方の景色を確認できない。ゴレムスでさえ視界を閉ざし、砂が体の隙間に入り込むのを少しでも防ごうとしている。しかし前に進まなくてはならない。リュカは魔力の続く限り、呪文を放ち続けた。同時に魔法のじゅうたんを前方に進めていく。そのどちらかを誰かに任せることもできず、リュカはひたすら一人で前方からの暴風を止め、魔法のじゅうたんに前へ進むよう足で意思を伝え続けた。
何も見えないまま呪文を放ち続けて、あと一回でもバギクロスの呪文を放てば魔力が尽きるという所で、突然魔法のじゅうたんが前方に飛び出して行った。その勢いに誰もが身体を揺さぶられ、じゅうたんの後方へと転げていく。ゴレムスが双子を抱えたままじゅうたんから転げ落ち、続いてパトリシアも荷台と共に落ち、荷台に乗っていたスラりんとピエールが地面に放り出された。プックルは爪をひっかけて必死になってじゅうたんにしがみつき、その尻尾をマーリンが掴んで辛うじてじゅうたんからは振り落とされることがなかった。異常を感じたリュカはすぐさま魔法のじゅうたんを止めて下りると、後ろを振り返る。
息も吸えないほどの豪風がぴたりと止んでいた。後ろを振り返っても、先ほどまでの豪風が夢だったかのように、砂漠は砂一つ巻き上げることなく滑らかな面を見せている。リュカたちが下りた場所には瑞々しい草地が広がり、砂漠と草地を隔てるように両脇から岩山が迫る景色があった。前方から吹きつけていた風はこの草地の彼方から発生していたはずだが、足元の草地も何も異変など感じ取っていないと言わんばかりにリュカの足元をくすぐるだけだ。
「みんな、大丈夫?」
リュカが声をかければ、仲間たちがそれぞれに反応した。ゴレムスの手の中に避難していた子供たちも、その手の隙間から身を乗り出してリュカに無事を伝え、飛び出してきた。
「あれって妖精さんたちの不思議な術だったの? とても、苦しい風だったわ……」
「でもお父さんが一人でどうにかしちゃったんでしょ? すごいよね!」
「お父さんの魔力って、本当はとんでもないのね」
「そうそう! 呪文を出してるところは見えなかったけど、何て言うか、こう、ビリビリーって、あの風よりもお父さんの魔力が強いって感じたよ」
子供たちの言葉に、リュカは途端に魔力を使い果たした身体に疲労を感じ、がくりと膝を折る。力なく笑うリュカに子供たちが寄り添い、プックルも傍に来て全身をブルブルと震わせた。体毛の中に入り込んでいた砂が辺りに飛び散り、皆が咳き込む。
「……リュカ殿、面目ない。私はただ荷台に避難していただけで加勢することもできず……」
「ピー……」
萎れた様子で近づいてくるピエールとスラりんは砂の影響をほとんど受けずに、いつもの瑞々しい弾力あるスライムの身体を保てている。もし彼らがあの砂嵐をまともに食らっていたら、その身体の特徴からして最も被害を受けていたに違いない。
「いいよ、大丈夫。みんなが無事ならそれでいいんだからさ」
「ワシらはどうにか無事じゃったが、あやつらは一体どこへ行きよったんじゃ」
マーリンがローブに張りつく砂を払って落としながらそう言う。ゴレムスは皆と少し離れたところで立ち上がり、地面の上で数回跳ねて体の隙間に入り込んだ砂を落としている。パトリシアも荷台をガラガラと引きながら、まるで眉間に皺を寄せるような険しい顔をして尻尾を振り回している。身体の至る所に砂がまとわりつくようで気持ちが悪いのかも知れない。
仲間たちが無事と分かる中、この場所を案内してくれた小さき者たちの姿がなかった。あの風に巻き上げられ、砂漠のどこかに落ちてしまったのだろうかとリュカは再び立ち上がって砂漠に目を向ける。あの小さな身体で砂漠を歩くのは生死に関わると、リュカは彼らを助けるべく砂漠に向かおうとするが、その足にまとわりつく者がいる。
「うおー、お前はやりきったな! すごい奴だ!」
プチヒーローの声がした。足には何かが触れて、微かに温かみを感じる。しかしそこに目を向けても何もいない。
「あなたたちなら、妖精の女王もお会いになってくれるでしょう」
「あの風の封印を突破した人間なんて、ワタシ、初めて見ましたー」
「もしかしたら妖精の女王様がお前たちのことを認めて、風の封印を開けてくれたのかも知れないぜ」
姿は見えないが、四体のプチット族それぞれの声が聞こえる。彼ら特有の術で姿を消しているのだろうが、彼らが動けば辺りの草地が柔らかな風を浴びたようにそよぐのが見える。
「ここまで案内してくれてありがとう。あの、どうして姿を隠しちゃってるの?」
リュカがどこにいるか分からない彼らの辺りに視線を漂わせながらそう問いかけると、しばしの沈黙の後、草むらから声が聞こえる。
「……オレたちはまた冒険の旅にでなきゃならないからな。世界を救う旅を続けなきゃならない」
「ボクたちと一緒に行けばいいんじゃないの? ボクも同じ目的で旅をしているようなものだよ」
ティミーは勇者としての誇りを堂々と表に出しながら、やはり何もいないような草地に声をかける。人間の子供に見下ろされながら、小さき者たちは彼らのやるべきことがあるのだと張り合うように主張する。
「我々のやるべきことは、お前たちとは違う。我々は妖精の一族。世界の、自然を守らなくてはならない」
まるで別人のように固い口調で話すプチヒーローの声を聞きながら、本当に先ほどと同じ彼なのだろうかとリュカたちは一斉に眉をひそめる。姿が見えないために確かめることができないと言うのは不便だと、辺りの風を感じ、音に耳を澄ませ、足元の小さな気配を強く感じるようにとリュカは目を閉じた。
「お前は、悪いヤツをやっつけてくれるんだろう? もしお前が悪いヤツをやっつけてくれても、その後の世界が荒みきっていてはどうしようもない」
「ワタシたち、この世界の自然を守りたいんですー」
「そうしないとオレたちの住む場所がなくなっちまうからな」
「魔物に荒らされた場所があれば、そこに木を植えたり花の種を撒いたりして……あなたたちのするべきことは、そう言うことではないんですよね」
「……そんなことをしてたんだ。知らなかったよ」
ティミーやポピーよりもよほど小さなこの妖精たちがこの世界を歩き回り冒険をしている理由が世界の自然を守ることなどとは思いもよらなかった。そのような活動を彼らは一体これまでにどれほどの期間続けていたのだろう。妖精たちの寿命はほぼ無いに等しい。しかし自然が壊されてしまえばその命ごと奪われてしまいかねないほどに儚いものでもある。
「でもそれなら尚更、私たちと一緒に来た方がいいんじゃないかしら。あなたたちだけで世界を歩くなんて、魔物だって多くなってきてるし、危ないわよ」
「お前たちは目立ちすぎるだろ。オレたちは姿を消せるから、無暗に魔物に襲われる心配もないんだ」
プチット族らは彼らだけで行動していた方が都合が良いのだ。今もリュカたちの前からその姿を消し、声だけを聞かせている状況だ。彼らの姿は魔物であるプックルやピエールらにも見えていない。声を上げなければ誰もその存在に気付かないのが妖精と言う存在なのだ。
「じゃ、頑張れよ」
その一言を残して、リュカの足元を賑わせていた草地の気配は消えて行った。あっさりとした別れにリュカたちは強い感情を抱くこともなく、どこへ向かったのかも分からない彼らに何とはなしに手を振る。するとすぐ傍で木の根につまづいたプチファイターが一瞬姿を現し、ぐすんと涙を見せているのを目にして、リュカは思わず胸を温かくして微笑んだ。
「彼らも立派な者たちですね」
「さて……この先に何があるのかのう。山々に囲まれた深き森というのは、この先にあるのじゃろうな」
マーリンの言葉にリュカは辺りの景色を見渡す。リュカたちが降り立ったこの場所からは、どこもかしこも山々の景色が広がり、通ってきた砂漠の道以外はすべて山々に閉ざされた空間だと言うことが見て取れる。目の前に広がる草原には陽の光が届き、明るい緑が一面に広がっているが、その先には靄のかかる無数に立ち並ぶ木々があった。特別な入口などはない。白い靄がかかる森の景色はあの迷いの森を彷彿とさせる。妖精たちが住む世界に繋がっていたあの森に似た場所へと、リュカたちは馬車を進めていった。



進む森の中の靄はどんどん濃くなっていった。仲間と少しでも離れればその姿を見失いかねないため、リュカとゴレムス以外の仲間たちは皆馬車の荷台に乗り込み、誰一人はぐれないようにしていた。
サラボナ東の迷いの森のように、森の木々が自ら動き回って来る者を迷わせると言うことはなかった。靄の濃い森の中を進み続け、ふと森が開けた場所には広い水の気配が広がっていた。辺りに魔物の気配はまるでない。森の木々には鳥のさえずりが響き、そこここに小動物が生きているのを感じた。木の枝を見上げればリスが素早く走り、辺りの草地に目をやれば野ウサギが跳ねてこちらを見上げている。リュカと目が合っても逃げない野ウサギも、ひとたびプックルやピエールの姿を見れば慌ててどこかへと走り去って行ってしまう。プックルが野ウサギを追いかけようとするのを、ポピーがやんわりと止めていた。
「森に囲まれているのかどうかもよく分からんが、ここがその湖なのじゃろう」
「この辺りであの楽器を鳴らせばよいのでしょうか」
ピエールの言葉にリュカは道具袋から妖精のホルンを取り出してみた。新しく身に着けた魔法の鎧のベルトに結びつけてある道具袋を前に手繰り寄せて、袋からホルンを取り出すなり、ホルンがリュカの手の中で震えた。まるで生き物のように動く楽器に改めて驚くリュカだが、美しいガラスのような見目のホルンは数回、装飾の羽を羽ばたかせた後、ぱたりと動きを止めてしまった。
「音が鳴らないね。楽器だから音が鳴るはずよね」
「やっぱりちゃんと吹いてやらないといけないんじゃないの?」
「うーん、そうかなぁ。ちょっとやってみようか」
特別楽器の演奏方法など知らないリュカだが、とりあえず吹き口に口をつけて息を送ろうとしたところで、ホルンがリュカの手の中で大きく震えた。そして、辺りの森や湖に響き渡るような轟音を響かせた。森の鳥たちが慌てふためいて空に飛び立ち、広い湖面が轟音に激しく波打ち、仲間たちは一様にその音に全身を貫かれたような衝撃を受けた。
「……妖精のホルンが、これほど美しくない音色を響かせるものかのう」
「恐らく、『違う』と言ったのではないでしょうか」
「え、何? 何か言った?」
凄まじい音に耳を潰されたかのように、リュカは仲間たちが何を話しているのかしばらくの間聞き取れなかった。ティミーもポピーも同じような状況で、両手で両耳を塞いだままその場に蹲っている。耳の良いプックルなどは草地に腹ばいになって、ぐったりと全身から力を抜いているようだ。足に力が入らずに、その場に立つこともままならないようだった。
「しかし場所は合っているはずじゃ。あの小さき者たちに案内された場所で、山々に囲まれた深き森の湖という話にもぴたりと合う」
「細かい場所の指定があるのかも知れません。すこしこの辺りを歩いて、それらしき場所を探してみてはどうでしょう」
「この湖はどこまで続いているものなのかのう。二手に分かれて探してみた方が良いかも知れんぞい」
「そうですね、左右に分かれて探してみた方が……ということでいかがでしょうか、リュカ殿」
「……回復呪文が効くかな、これって耳が傷ついたってことなのかな……」
「まだ聞こえんのか。早う回復呪文でも何でも唱えてみたら良かろう」
独り言をぶつぶつと言っているリュカに寄り、ピエールが回復呪文を唱える。耳の痛みが引くように取れ、外の音が感じられるようになると、リュカはようやく険しい表情から解放された。
「ありがとう、ピエール」
「どういたしまして」
「妖精って実はとても強い種族なんじゃないかな。こういう楽器をたくさん作って、悪い魔物に対抗することもできると思うんだけど」
そう言うリュカの言葉を聞きつつ、ピエールはまだ耳を抑えて唸っているティミーとポピーに回復呪文をかけてやる。耳が正常に戻った二人もようやくほっと胸を撫でおろして笑顔を見せ合う。続けてピエールがプックルの両耳に手を当ててホイミをかけると、プックルは力なく「にゃう」と一声鳴いてその場にゆっくりと立ちあがった。
マーリンが改めてリュカに湖周辺の探索をと話をすると、リュカは一寸先は靄のような湖の景色を見て異論を唱えずに二手に分かれる仲間たちを決める。湖畔に何か気になる場所があれば、呪文を打ち上げてその旨を知らせるようにと、分かれた二手で歩き始めて数分と立たない内に、リュカと別行動をしていたピエールが放ったイオの爆発が湖面にさざ波を立てた。少ししか離れていないはずだが、ピエールらの姿は全く見えない。白い靄は全てを隠してしまうように、湖から少しでも離れれば湖自体もかき消してしまうほどの濃度で、妖精の世界を守っている。
早足でピエールたちと合流すると、彼らのいた場所にはおあつらえ向きの筏が静かな湖面に浮かんでいた。白い靄の中に、まるでどこかから切り取られたように水に浮かぶ筏がある光景に、誰もが怪しんだ。
「これに乗って、どこまで行けばいいのかな」
「乗って行って、どこまでも行って、迷子になって、ここには戻ってこられなくなるんじゃないの?」
「乗ったら勝手に妖精のお城まで連れて行ってくれる……なんてことはないわよね」
「これほどに小さな筏では、我々全員が乗るのは不可能ですね」
湖面に浮かぶ丸太を繋ぎ合わせただけの頼りない筏には、せいぜいリュカと子供たちが乗れるほどだ。スラりんならば問題なく乗れるが、それ以外の魔物の仲間が乗ろうとすればたちまち筏は沈んでしまうだろう。
「魔物のワシらは留守番組じゃのう」
「リュカ殿と王子王女が行くべきと、私も思います」
「ピキッ」
「スラりんならきっと、妖精の女王様も許して下さると思うわ」
そう言いながらポピーがおいでと両手を前に差し出すと、スラりんは「魔物代表として!」と気合いの入った表情でぴょーんとポピーの手に飛び乗った。そして荷物にはならないと言わんばかりに、ポピーの肩に勝手によじ登り、身体を安定させた。
「お父さん、イカダって動かしたことある?」
「うーん、あったような、なかったような……まあ、とりあえずその辺りはどうにかなるよ。ほら、筏を動かすための棒もあるみたいだしさ」
筏の上には二つの櫂が置かれており、何もかもが準備万端と言った様子でリュカたちを待ち構えている。あとはこの視界のほとんどないような白い靄の中を漕ぎだす勇気があるかどうか、ということだけが問題だった。
「ま、行くしかないよね」
「そうじゃろうなぁ。お主のことじゃ。きっとどうにかなるじゃろう」
「マーリンってこういう時、一番楽観的な気がするよ」
「考えてもどうにもならんことは考えんようにしておる。それだけじゃ」
「そりゃそうなんだけどね。ここまで来て考えて、やっぱり止めますっていうこともできないのは分かってるんだけどさ……仕方がない、行くか」
人間にとっては視界が効かないという事態は強い恐怖なのだ。何も見えない白い靄の中を、魔物の仲間たちのほとんどを置いて子供二人を連れて行くのは、非常に気が進まなかった。魔物の気配は感じられないが、進む白い靄の中から突然何者が現れるかは分かったものではない。リュカはポピーの肩に乗るスラりんに「頼りにしてるよ」と声をかけ、揺れる筏に乗り込んだ。
筏の舫を外して、櫂を使って少しでも湖面を漕ぎ出せば、すぐに湖畔に佇む魔物の仲間たちの姿は見えなくなった。周囲どこを見廻しても、白の空気があるだけで、筏が進んでいるのかどうかも分からなくなる。方向感覚もなくなり、前に進んでいるのか、横に逸れたのか、はたまた元の場所に戻りかけているのか、人間の乏しい感覚だけでは何も分からなくなってしまう。
その中でやはり魔物の感覚は違うのだと思い知らされる。スラりんはポピーの肩からおりると筏の縁に身を寄せ、湖の水を浴びるほど近くで湖面の揺れを見つめていた。二つの櫂はリュカとティミーが持ち、両側から水をかいて筏を進めている。そして力量の差からどうしても、リュカの方が水をかく力が強い。スラりんも決して白い靄の中の景色を見ることはできないが、筏が真っすぐ前進しているかどうかを都度リュカに知らせた。リュカたちはスラりんのその指示を信じ、ひたむきに筏を進め続ける。
しばらく筏を進めた先、リュカたちは今まで通り抜けてきた白い靄に、まるでそれが綿か何かであるかのように柔らかくぶつかった。筏が弾かれ、バランスを崩し、リュカが湖へと投げ出されそうになるのをティミーが手を引いて助けた。
「ありがとう、ティミー。これって、行き止まりなのかな」
「綿の壁? 面白いね、これ。ほら、触れるよ。ふわふわ、柔らかいね。花みたいないい匂いもするよ」
「でもこの奥に妖精のお城があるとしたら、進めないわ」
ポピーが真剣な顔をして綿の壁を見つめる横で、ティミーはその綿の一部をあろうことか手で千切ってまじまじと見つめている。綿を手にしているティミーを見て驚いたリュカだが、自分でもやってみようと綿に手を伸ばして掴んでみると、それはあっさりと綿の壁から離れた。
「お父さん、この綿をどんどん取っちゃってさ、そうすればこの先にも進めるんじゃないかな」
「……もの凄い頑張らないと行けなさそうだね。どれくらい分厚いかな、この綿の壁」
「呪文で吹き飛ばしちゃうのはどうかなぁ」
「ミニモンみたいなことを言うんだね、ティミー。多分、妖精たちが歓迎してくれないと思う」
「ちょっと、二人とも、ふざけてないで、ここで妖精のホルンを吹いてみましょうよ。きっとそう言うことなんじゃないかしら」
ポピーの生き生きとした言葉に、リュカは素直に喜べなかった。ここでまたあのホルンの耳をつんざくような音が鳴り響いたら、果たして筏の上で立っていられるだろうかと不安になる。
「ポピーは勇気があるね。またあの酷い音が鳴るかも知れないんだよ」
「そうは言っても、やるしかないじゃない」
「ボク、もう一度あの音を聞いたら、今度こそ耳がダメになると思うよ」
「じゃあ私が吹いてみるから、お父さん、貸してよ」
「いやいや、ポピーにやらせるわけには行かないから、僕がやるよ。大丈夫だよ。……はぁ」
「ピッピッ」
溜め息をつくリュカを励ますかのようなスラりんの明るい声が聞こえた。相変わらず筏の縁に器用に身体を引っ付けて湖の水面を注意深く見ているが、その水面が不思議な模様を描いているのがリュカにも分かった。自然と発生するようなただの円を描く模様ではなく、幾層もの花びらを湛えた大きな花の模様が水面に浮かび上がっているのだ。それはリュカが目にした直後、水の中に溶け込むように消えてしまった。呆然と水面を見つめていると、今度はそこから少し離れたところに同じような花の模様が湖の底から湧き上がるように浮かび上がり、少しして消えた。リュカは櫂を掴み、水面に消えた花を追うように筏を漕ぐ。
「お父さん、どうしたの」
「花が呼んでる気がする」
「花?」
リュカの視線を追い、双子も同時に水面に目をやる。リュカが綿の壁に沿うようにして筏を漕ぎ始めたのを手伝い、ティミーも反対側で櫂を動かし筏を進める。筏が進む先に、ふわりふわりと水面に大きな花の模様が次から次へと浮かび上がる。まるで手招きをしているようにリュカたちを誘う水の花は、妖精たちが面白がって生み出しているようにも感じられる。手に届く花を指先でつつけば、それは初めからなかったかのように輪を広げて水面に消える。消えてしまった花に慌てて、ポピーは手を引っ込めてスラりんと並んで現れては消える水の花を目で追い続けた。
進む先から強い花の香りが漂ってきた。水面に現れる大きな水の花は相変わらず浮かび上がっては消えていく。白い靄の中に、白以外のものが現れた。薄桃色の花弁をいくつもつけた、水の上に浮かぶ巨大な花が進む筏の前に確かにあった。ティミーやポピーなどは十分にその花の中に入れそうなほど、巨大な花だった。ゆっくり漕ぎ続けていた筏は、ただ水に浮かぶ花にぶつかってその動きを止めた。
「とても強い香りだけど、近づくまで全く分からなかったわね」
「この花に何か隠されてるのかな」
花にぶつかって止まった筏に持っていた櫂を置き、リュカはしゃがみこんで自分の手の平よりもよほど大きな花弁を触ってみた。すると巨大な花が水面の上で小さく揺れ、美しい音色を響かせた。この花の上に見えない妖精がいるかのように、花が耳に心地よい歌を歌う。目を閉じてその歌に耳を傾ければ、世界のあらゆる美しい景色を思い起こさせるような様々な歌が響き、リュカたちは思わずその音色に聞き入ってしまう。
そして音色は唐突に止んでしまった。中途半端な終わり方だと誰もが思った。まだ歌の続きがあるに違いないのに、花の妖精はぱたりとその歌を止めてしまった。
「ボクたちに気付いて、怖がっちゃったのかな」
「それならもっと早くに気付いていても良さそうなものだけど」
ティミーとポピーが筏の上にしゃがみこんで目の前の巨大な薄桃色の花を見つめる。花は湖面の上の微風にさらされ、柔らかく花弁を揺らしている。そこに花の妖精がいたとしても、人間に怯えているような雰囲気は感じられない。
リュカは目の前の花ではなく、どこか違う場所からほんの小さな音が響くのを耳に捉えた。非常に近くから聞こえると思ったら、自らの身体から聞こえていることに気付いた。腰に下げている道具袋が微かに震えた。自ら主張する妖精の楽器が、今にも道具袋から勝手に飛び出してきそうだとリュカは感じた。
道具袋から妖精のホルンを取り出すと、リュカはホルンを巨大な花に向かって差し出した。すると薄桃色の花弁がホルンを受け取り、花の中心に高々と浮かび上がらせた。再び花が歌う。先ほどと同じ歌だ。そして中途半端に止まってしまったところの続きをと、妖精のホルンが音色を奏で始めた。リュカたちが今まで耳にしてきたような、耳をつんざくような音ではなく、辺りの自然の景色を優しく撫でて愛するかのような、息を呑むほどの美しい音色だった。花が歌い、ホルンが奏で、また花が歌い、ホルンが奏でる。そしてホルンの演奏に合わせて花が歌い始めると、リュカたちを取り巻いていた白い靄の景色がどこへともなく消え去って行くのが分かった。
行く手を阻んでいた綿の壁が、湖の水に溶け出すように消えていく。歌と演奏が響き続ける。あまりにも幻想的な光景に、リュカもティミーもポピーも、言葉を紡げずにただ現れる景色を呼吸も忘れて見入っていた。
白い綿の壁に隠されていたのは、巨大な城だった。天空の塔を彷彿とさせるような青白く光る壁に包まれ、傷一つつけられていない神秘的なその壁にはあちこちに緑を纏い、城の装飾のように色とりどりの花をあしらっている。妖精の城そのものが生き物であるかのように、花も草も壁に直接自生しているように見えた。静かな湖面が鏡のように見事に城の姿を映し出している。
歌と演奏が止んだ。リュカたちが巨大な薄桃色の花を見れば、その上で浮かびあがって演奏していた妖精のホルンが小刻みに震えていた。そしてその透明の楽器の姿をぐにゃぐにゃと歪な形に変えたかと思うと、楽器は水になり、水は花の上に注がれ、花は息をするように一度花弁を閉じると、再び開いて元の通りの湖面に浮かぶ巨大な花となる。妖精の城の封印を解いた楽器は姿を消し、リュカはこの場に訪れることは一度きりなのだとその光景を見て悟った。
筏を阻む綿の壁はなくなった。リュカたちは今、妖精の城に招き入れられているのだ。
「きれいなところだね。さあ、行ってみようか」
リュカが櫂を手にして水をかけば、湖に映る妖精の城の姿が大きく揺れた。その景色が非常に現実的だった。妖精の城が確かに目の前に存在しているのだと感じられた。我を忘れて妖精の城の威容を見ていたティミーだが、父が筏を動かし始めたのを見て慌てて置いてあった櫂を手に取る。そして父と反対側で櫂を動かし、神秘の城へと筏を近づけていく。ポピーはスラりんを抱きかかえながら筏の中心に座り込み、徐々に近づく城の姿を溜め息をつきながら目に焼き付けていた。

Comment

  1. ケアル より:

    bibi様

    プチットたちは世界の自然を守る旅をしているけど、あの中央大陸から出て他の大陸に移動できないんですよね?(笑み)

    妖精の城の霧が発生している所をどのように描写するのか楽しみにしていました。
    湖の綺麗で素敵な描写と、花とホルンのアンサンブルでホルンが無くなってしまう描写…
    お見事であります。

    たぶんbibi様ここの描写をどうするか悩まれたんではないでしょうか?どれだけメルヘンな表現にするか。

    次回はいよいよ女王様と過去のサンタローズになりますか?
    bibi様の幼少期の描写とのリンクが楽しみです。自分も読み返してきます。

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      そうです、プチット族はあくまでも中央大陸から出ることはできません。中央大陸内での冒険に留まっていますが、彼らのお陰で中央大陸の自然も多く残されているのかも知れません。これからは南の毒の沼地緑化計画とかもあるのかも。小さい彼らなので、気の長い話ですが、寿命があるのかないのかもよく分からない種族なので気長にやってくれるでしょう。
      妖精の世界はとにかくキレイで美しい世界を描きたいので、城の中もそんな表現を目指したいと思います。こういうのも、完全に一人になって、じっくり想像しないと情景が思い浮かばないので、子供が学校に行き始めてからの作業になるかなぁと思います。(夜中に作業しなさい)

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