光るオーブ

 

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これほどの色とりどりの花であらゆる場所を彩る華やかで巨大な城を深い靄の中に隠してしまう妖精の術に、リュカたちは筏を下りて改めて城を見上げながら思わず感嘆の溜息をつく。一般に人間や魔物も使うことのできる呪文とはまるで別の力なのだろうかと思う。呪文には自然の力を借りて攻撃力を生み出す類のものもあれば、相手の五感に直接作用し、幻惑を見せたり眠りに誘うような呪文もある。妖精の使う術はどちらかと言えば、相手の五感に強く訴えかけて作用するものなのかも知れない。しかし妖精の城は幻惑の中だけに存在するのではなく、確かにこの世に巨大な城として存在しているのだ。妖精の術は夢の世界を現実に持ち込む力がある。
後ろを振り返ると、静かな湖面に妖精の城の全てが映し出されていた。まるで鏡のように映し出すもう一つの城の姿を見れば、一体どちらが本物の妖精の城なのかも分からなくなるほどだ。湖面の城を見続けていればそれが本物と思い、うっかり湖に足を踏み入れそうになる。しかしどこからか飛んできた小鳥が止めたばかりの筏の上にちょこんと乗ると、その揺れに合わせて湖面がさざ波を生み出した。水面の城がゆらゆらとぼやけて揺れる。その景色を見て、リュカもティミーもポピーも、まるで今夢から覚めたように目を瞬き、互いに目を見合わせた。
「不思議なお城だね……。足元がふわふわする。夢の中みたい……」
筏を下りて地面に足を着けているというのに、ティミーの言う通り足がまるで綿か何か柔らかなものを踏んでいるのではないかと思うほど、いつものようには歩けなかった。その不安定さに思わずそろそろと慎重に歩いてしまう。外見は至って普通の地面で、草花もそこらに生い茂り、城も石造りで頑強に見えるが、触れる感覚はまるで異なる。早くに足を進めれば、どこか一段と柔らかな地面を踏みぬいてどこまでも下へ落ちてしまうのではないかと、そんな不安が心に浮かぶ。
「妖精たちは飛べるから、きっとこのふわふわ地面も問題ないんだろうね」
「あ、そうか。もしかして、飛んでる妖精たちが地面に落ちても痛くないように、こんなにふわふわしてるのかな」
そう言いながらティミーは地面をその場で何度も踏んづけて柔らかさを確かめている。地面を歩く人間には歩きづらいことこの上ない弾力のある地面だが、宙を飛んで移動するような妖精にとっては安全策を講じた上での性質なのかも知れない。
「本当に不思議……だって、これって全部、人間の世界と同じものなんだよ。地面だって、草も花も、お城が石でできているのだって。それなのに、地面もふわふわ、お城もふわふわだなんて、一体何がどうなってるのかしら」
「妖精たちが使う術って、何だか計り知れないものだね。僕たちが使う呪文がまるで小さなものに感じるよ」
自然の力を味方につけ、大いなる自然の力を操り、景色そのものや現象そのものを変化させてしまう妖精の力はリュカたちの想像の遥か上を行っているのだろう。そんな類まれな力を持ちながらも、彼らが自然に対して奢る気持ちを持たないために、この世の自然は美しく保たれているのかもしれない。万が一、彼らが自然に牙を向けたら、その途端にこの世の自然は崩壊に向かうのだと想像してしまう。
城へ入るための門は一見石造りの頑強なものだが、近づけばその大きな扉からも仄かな花の香りが漂った。リュカが扉に触れると、まるで待ち受けていたかのように扉は表面を水の様に波立たせながらゆっくりと内側に押し開いた。そしてリュカたちを歓迎するかのように、扉のあちこちに小さな花が咲き乱れた。その景色を見て、ティミーは興味深そうに間近に花を覗き込み、ポピーは笑顔で桃色の花を指でつついていた。目の前で手品が繰り広げられたように、リュカも童心に戻って心を弾ませた。
城内にもあちこちに花が咲き乱れていた。それは人間が鉢や花壇で育てているような花々ではなく、石造りの城のあらゆるところに、まるで石を養分にしているかのように、ところ構わず花を咲かせているのだ。歩く廊下にも花が顔を出しているため、うっかりすれば足で踏みつけてしまいかねない。そして石造りの廊下もやはり、ふわふわとして不安定だった。
妖精の城には光が満ちていた。上から温かな光が照らし、城の隅々まで光は行きわたっている。廊下を真っすぐ進んだ先に、天空の塔で見たような巨大な柱が両側に並び、その上をアーチが象っている。アーチにも当然のように花々が咲き、青々とした草も枯れることなど忘れたように瑞々しくアーチを彩っている。アーチの上には外の景色があり、吹き抜けの天井からは晴れ渡る青空が望めた。全てが作り出された世界の様に美しい。
「すごくキレイ。私のお部屋があったらこんなふうにしたいな……」
夢うつつの表情でそんなことを言うポピーに、ティミーがうーんと唸って考える。
「確かにキレイだけどさ、ちょっと落ち着かないかな。ボクはもし自分の部屋があっても、ここまで花はいらないかも」
「え? 二人とも、自分の部屋が欲しいの?」
旅を中断しグランバニアで過ごす際には、リュカは子供たちと同じ部屋で過ごしている。当然、グランバニアの城には他にも多くの部屋があり、城に常駐する兵士や侍女らはそれぞれ部屋を割り当てられて過ごしている。以前よりも人の少なくなってしまったグランバニアには余っている部屋もある。もし自国の王子王女が自由に部屋を使いたいと言えば、すぐにでも部屋の用意はできるだろうと、リュカは考えたくもない想像に頭を巡らす。
「ううん、別にそういうわけじゃないけど、でももし自分の好きなようにお部屋を飾れたら、こんな風にお花でいっぱいのお部屋にしてみたいなぁって」
「じゃああの部屋をそうしたらいいよ」
「ええ~、ボク、やだよ。ここまで花がいっぱいの部屋なんて、絶対に落ち着かないって。それにさ、花の世話は誰がするの。ポピーが全部してくれるの? そしたらポピーはもう旅には出られなくなるよ。一日中花の世話ばっかりして、それで一日終わっちゃうよ」
「……そうかも。そもそもこんなにたくさんのお花を見つけられないわよね。やっぱり妖精さんじゃないと、こんな素敵なお部屋は作れないんだわ」
「花と言えばサラボナを思い出すけど、あそこには年中色んな花が咲いていそうだよね。サラボナから沢山の花をルーラで運んでくれば……」
リュカはそう言いながら、グランバニアの私室が花で満たされた光景を思い浮かべる。それは確かに華やかで美しく、温かな景色で、ポピーの望む部屋を作ることができるだろう。そしてその部屋に彼女も一緒にいてくれれば、言うことはない。輝かしい笑顔を見せて、全身で喜んでくれるに違いない。
「この旅が無事に終わったら、考えてみようか」
「えぇ~、本気なの、お父さん。ボクはあんまり……」
「私、お花のお世話たくさんするからね! 約束よ、お父さん」
未来の約束をするのは少しだけ怖いのが事実だ。しかし常に前を向き、迷わず歩み続けているティミーとポピーを見ていれば、リュカの心の不安も散らせることができる。ポピーの笑顔が辛いほどにかつてのビアンカに似てきたと、リュカは娘の頭を撫でるとすぐに視線を逸らして、前に続く廊下の先を見つめた。
リュカの肩に乗るスラりんがその場で小さく跳ねる。スラりんも同じように、花のアーチが続く広い廊下の向こうを見つめている。アーチの先で、リュカたちを待つ者がいるのを感じる。周りに咲き乱れる花が、どこからともなく吹く風に揺れ、心地よい音色を響かせる。リュカたちには見ることのできない花の妖精が歌を歌い、楽器を奏でているのかも知れない。煌めく音色がリュカたちの歩みを進ませる。ふわふわと足元を揺らす不思議な廊下を歩きながら、リュカたちは花々が揺れるアーチをくぐって進んでいった。



人間世界と同じような玉座が据えられていた。真紅の玉座には花の模様が刺繍されており、玉座の上にはリュカたちがこの妖精の城の封印を解いた際、妖精のホルンを水に変えて飲み込んだあの桃色の大きな花が静かに乗っていた。玉座の近くにも、他の咲き乱れる小さな花々とは異なるひと際大きな薄紫色の花が寄り添うように咲いている。
リュカたちが最後のアーチをくぐると、玉座の上の桃色の花が変化を始めた。同時に、傍に寄りそう薄紫色の花も同じような変化を見せる。
花が靄を生み出し、靄の中に人影が現れる。その姿はティミーやポピーよりも小さな妖精であり、頭には花の冠を乗せ、今まで玉座に乗っていた花の花弁を全てドレスに変えたように、桃色の柔らかなドレスに身を包んでいた。髪の色はポワンやベラと同じような紫がかった神秘的な色で、腰まで真っすぐに伸びる髪を風になびかせている。手に持つ笏は古びた木の枝の頭に赤の宝玉を飾っている。しかし次にその宝玉を見れば、色を青に変えていたりする。見るたびに色を変える宝玉は、妖精世界の神秘が詰まっているように見える。
リュカたちの前には今、妖精の女王が玉座に腰を下ろしている。玉座の傍に控えるように、一人の侍女に当たる妖精が注意深くリュカたちを見つめている。しかしそこに敵意があるわけではなく、その視線にはただ好奇心が感じられた。リュカは彼女らの表情を見ながら、既に自分たちのことが知られているという緊張と安心を味わう。
「よくぞ参られました。話はすでにポワンから聞いております」
妖精の女王のその一言で、リュカは全てを説明する必要がないのだと理解した。妖精たちには全て知られていると考えて間違いはなさそうだと感じた。妖精の村の長ポワンはリュカたちに妖精のホルンを授け、妖精の女王に会うことを勧めた。その話をするよりも前に、ポワンは既に女王に会い、事の次第を話していたのだろう。妖精たちの世界は人間の世界に比べれば情報網も行き渡っているに違いない。何せ彼らの仲間は草花に留まらず、土も風も海も山も、全てが彼らの息づく場所なのだ。
「初めまして。僕たちはかつて妖精たちが作ったオーブを求めてここまで来ました。天空の城を空に戻すため、そのオーブが必要だと聞いています」
「確かに天空の城にあった二つのオーブは私たち妖精の祖先が作ったものです。しかしもはや私たちには同じものを作ることはできないのです」
リュカたちにとっては絶望となる言葉を、妖精の女王はいともあっさりと告げた。事実は事実、決して嘘をつくことなどない妖精は淡々とその事実を述べるだけだ。ティミーもポピーも言葉を失っている。スラりんもリュカの肩でぴたりと動きを止めて呆然としている。当のリュカも、女王の言葉に返す言葉を見つけられない。妖精の女王に頼めば、必ずゴールドオーブを手に入れられるのだと信じていた。
「そんな、でも、あなたたちが作ったものなんでしょう? だったらどうにかして、色々と過去の記録も残っているはずだから、それらを調べて調べて、調べ尽くせば何か分かるんじゃ……だって妖精の歴史はとても古いんだってマーリンも言ってたし、まだ何か分かっていないことがあるんじゃないんですか」
リュカは自分で浅はかなことを言っていると気づきながらも、言葉を止められなかった。当然、妖精たちは既に努力に努力を重ね、かつてのゴールドオーブを作ろうとしていたに違いないのだ。花に自らを変化させる力がありながら、妖精の世界を統べる女王でありながらも、ゴールドオーブを作ることができないと言う彼女の言葉に、嘘偽りは微塵もない。それなのにどういうわけか、女王の表情には一切悲しみや苦しみと言った負の感情が感じられなかった。まだ彼女の桃色の花のドレスには、温かな希望が漂っている。
「これをご覧なさい」
女王は光るオーブをふわりとドレスの花弁から取り出した。黄金の宝玉が、彼女の手の上で、吹き抜けの天井から浴びる光を照り返して輝いている。彼女は笏を振るうと、その宝玉を空中に浮かび上がらせた。黄金の宝玉はまるで空に浮かぶ太陽のごとく、光り輝くようだった。しかしあくまでもそれは、天上からの本物の陽光を浴び、その光を反射しているだけだ。
「実は作ろうとしたのです。しかし形は似ていますが、このオーブには天空の城を浮上させる魔力はありません……」
女王が笏を持つ手に力を込める。笏の宝玉が鮮やかに虹色に煌めく。その宝玉から放たれる魔力を受け、中空に浮かぶ光るオーブが小刻みに震えてじわじわと光り出す。女王の放つ魔力を吸い込んでいる。しかし間もなく飽和状態になったように、光るオーブは女王の魔力を弾き返すように大きな音を立てると、宙を跳ねて、魔力から逃げ出すように床に転がった。形こそほとんど同じものが作れたものの、女王の足元に転がった黄金の宝玉には強大な魔力を込められるだけの耐性がないのだった。女王自身にも、天空城を浮かび上がらせるだけの魔力を持ち得ず、たとえ入れ物であるオーブが完成したとしても、そこに込める魔力を持つ妖精が既に現代にはいないのだと言う。
「じゃあ天空城はもう湖の底に沈んだまま……?」
「プサンさんががっかりするだろうな……どうにかならないのかな」
ポピーとティミーが希望を失ったような声で呟く正面で、妖精の女王は微笑みを湛えたままだ。侍女として控えていた妖精が柔らかな床に落ちている黄金の宝玉を両手で大事そうに拾い上げると、それを恭しく女王に手渡す。そしてその光るオーブを、女王はリュカの前に静かに差し出した。
「でもリュカ。あなたならできるかも知れません」
女王の手に乗る宝玉を見ていたリュカは、彼女の声に素直に反応した。桃色の花のドレスが彼女の動きに合わせて揺れ、心地よい花の香りを生み出す。リュカの目の前まで風のように近づいてきた女王は、彼がそれを受け取るのを知っているかのように光るオーブをリュカの目の前に差し出している。
「このオーブをリュカに差し上げましょう」
魔力のこもらない宝玉とは言え、妖精が作り出したこの世に二つとない貴重なものだ。それを迷わずリュカに手渡そうとしている。妖精の気まぐれなどではなく、女王は確かにリュカと言う一人の人間に光るオーブを渡したいと意思を示している。
妖精の女王はまるで、リュカを子供だとでも言わんばかりの、優しく慈しみ深い微笑みを見せている。彼女は今、大人のリュカの中に子供のリュカを見ていた。光るオーブを両手で受け取ったリュカが、女王の目には六歳の子供のリュカとして映っている。
「僕は……僕に会えるんですか」
リュカは自分の両手に乗る光るオーブを見つめる。オーブの光の中に、自分の顔が映されている。それは紛れもなく大人の自分の顔だった。吹き抜けの天井から差し込む陽光が、煌めき、光を変化させる。するとオーブに映る自分の顔は一瞬、時を戻したかのようにあの時の六歳の自分を映し出した。
湖に沈む天空城の中で、プサンに露にされた自身の過去。その中に一つだけ、記憶に残るが記憶にないはずの過去が混じっていた。サンタローズの村で六歳の自分が大人になった今の自分と対面していた。あり得ない光景だった。時を遡らない限り、あるはずもない現象だった。妖精の世界の不思議はそれを現実にしてしまうのかと、彼女らの世界に存在する不思議の果てしなさにリュカは呆然とする。
「さあ、奥の階段へお急ぎなさい。あとは二階にいる妖精がリュカを案内してくれるでしょう」
妖精の女王は多くを語らず、ただリュカの漆黒の瞳を確かに見つめ、一つ自信を持って深く頷いた。貴方にならできますと、貴方にしかできないのだと、女王はリュカのこれまでの人生をなぞり労わるように見つめていた。リュカは手にした魔力の伴わない宝玉を大事に両手に包むと、女王の前で深く頭を下げて、静かに玉座の前を後にした。



どこもかしこもふわふわとしている妖精の城の廊下は、リュカたちの足音を完全に消してしまう。リュカたちの耳に届く音と言えば、城の中にも自由に飛び交う小鳥の囀りや、城の壁や天井を彩る草花を撫でるそよ風の音、城の中をふわりふわりと気ままに行き交っている妖精たちのお喋りだ。
妖精たちは人間であるリュカたちの訪問にも特別な関心を寄せるでもなく、ただちらと人間の親子と一匹のスライムを見遣るだけだ。妖精ではない者たちの妖精の城の訪問に驚く様子もない。まるで全て以前から知っていたかのような落ち着きぶりだった。
「お父さん、ゆっくり歩いてね。私お城の中いっぱい見たいから」
ポピーがそう言いながら繋ぐ父の手を少し後ろに引いた。思いの外、その力を強く感じ、リュカは思わず困ったような顔つきでポピーを振り返る。
「どうかしたの?」
リュカが一言声をかけると、今度はポピーが困ったように俯いて、繋いだままの父の手を見つめる。父を挟んで反対側を歩いていたティミーも立ち止まり、怪訝な顔つきでポピーを覗き込む。
「あの……きっと大丈夫よ? うまくいくの。多分……」
「どうしたんだよ、ポピー。何言ってるのか分んないよ、それじゃあ」
「わ、私だって、よく分からないのよ。でも、とにかく大丈夫なんだって、お父さんに伝えたくて」
「うん、僕は大丈夫だよ。ポピーも大丈夫だしティミーも大丈夫。スラりんももちろん、大丈夫だよ」
「ピー」
リュカの言葉を受け、ポピーの肩に乗るスラりんが彼女を安心させるように優しく一声鳴いた。ポピーはスラりんの冷たい雫形の身体に頬を寄せて安心を得ようとするが、無意識に父の手を固く掴んでしまっていた。自分でも何が不安なのかは分からない。しかし父の手を今離す気にはなれない。その心が伝わっているのか、リュカもポピーの手をしっかりとつかんで離さずにいる。
「お父さん、女王様は二階って言ってたけど、あの扉の先でいいのかな」
廊下の突き当たりに大きな扉がある。城を造る青白い石でできた扉には、その表面にいくつもの花が美しい模様の様に咲いている。通常であれば扉には装飾が施されるのが殆どだが、妖精の城の扉には本物の花が可愛らしく咲いているのだから、それだけで不思議な光景だった。白に黄色に橙色に桃色にと、どれもこれもが生き生きと楽し気に花を開いている。どこをどうしたら扉が開くのか分からなくとも、近づいて興味本位で花の香りを嗅げば、それだけで扉は自ずと向こう側に開いてくれた。
扉の先には一つの広間があった。扉の外からは広間の中の状況など何も分からなかったが、広間の中からは青白い壁を通して外の景色さえ透き通って覗くことができた。まるで透明な水の中から外の世界を覗き見ているような、解放感と閉塞感に包まれたような感覚に陥る。
広間の中にも妖精たちはいた。扉が開く前からリュカたちが部屋を訪れるのを知っていたのだろう。やはり誰一人驚く様子もなく、ただ興味の目を人間と魔物の一行に注いでいる。その中の二人の妖精はひと際高い興味を持っていたように、そわそわと落ち着きない様子を見せながら、地面の上を滑るようにリュカたちに近づいてきた。どことなく妖精の村のベラを思わせるような、元気で快活な雰囲気が漂っている。妖精の年齢などリュカたちにはまるで分からないが、まだ子供から抜けきらない幼さを彼女らは見せていた。
「あなたが勇者様なのね」
二人の妖精はティミーを見ていた。人間の世界でもティミーを勇者と知っているのはさほどいない。グランバニアの者たちは当然知っているが、他にはテルパドールの民と、ラインハットの王族たちに留まっている。世界を救う勇者として人間界に大々的に知らしめることなど、リュカは今後もしないだろう。それはティミーと言う子供を守るためでもある。
「ここの妖精たちはみんな、この子が勇者だと知っているんですか」
「勇者様が誕生して間もなく、女王様の下に一羽の渡り鳥が来たの。そして、知らせてくれたのよ、世界に光が生まれたって」
八年も前から、妖精の世界では勇者の誕生を掴んでいたのだと言う。妖精たちはあくまでも、自然と共に生き、自然の中に静かに身を潜ませている。勇者の誕生を知ったとしても、その事実を世界に知らしめるようなことは決してしない。自然の流れの中で、勇者がこれからどう成長し、どこへ流れていくのかも、妖精たちはただ見守るだけなのだ。世界を救おうと立ち上がるような存在ではないのが妖精と言う生き物だ。
「知ってるかも知れないけど、ビアンカさんは天空人の子孫なのよ」
唐突にビアンカの名を言われ、リュカは思わず息を呑んだ。妖精たちが様々なことを知り得ていると理解しているつもりでも、秘密を目の前で暴かれたような不快が胸を突く。彼女が天空人の子孫などと言うことに、心の準備もなく触れて欲しくないと感じた。
「それが、どうかしたんですか」
思わず声に棘を含ませた言い方になったと思いながらも、リュカはいつもの微笑みを顔に貼り付けたままそう言った。リュカの態度に臆することもない妖精は、ふわふわと目の前に浮かびながら楽しそうに笑っている。彼女としては、伝説の勇者に会うことができたと、そのことに心を弾ませているようだった。
「リュカさんはエルヘブンの血を引いていましたね」
もう一人の、幾分落ち着きを持った妖精がリュカの笑っていない瞳を見ながら話しかけてきた。菫色の髪は妖精たち特有のものなのか、花そのものの色を移したような髪が風もないのにゆらゆらと揺れている。
「そう、みたいですね。僕自身は大人になるまで、そんなことは知りませんでしたけど」
「リュカさんとビアンカさんの二人の血筋が交わって伝説の勇者が生まれたのです。それはきっと神の御意志だったのでしょう」
何が神の御意志だと、リュカは反発するように心の中で歯ぎしりする思いだった。しかし同時に、もし自分がこの妖精の立場だったら恐らく同じことを口にしていたのかも知れないと、冷静に現状を見据えてもいた。そもそもリュカは、父の遺志を継いで勇者と言う存在を求めていたのだ。魔界に連れ去られた母を救うために勇者の力が必要なのだと、見も知らぬ勇者を求め、もし旅の途中にその存在に出会えば迷わず助けを求めていた。父の生前の思いを叶えて欲しい、母を魔界から救い出して欲しいと、ただ自らの望みのために勇者を利用しようとしていたと言っても、間違いではないとリュカは自身のことを理解している。
そんなリュカの思い全てに、妖精たちは耳を澄ませるように目を閉じている。広間の中は静かだった。天井には青い空が映し出され、白い雲のこちら側を鳥が群れを成して飛んで行く。世界に魔物が増え、人々が不安に恐れる中でも、妖精の城は静かな平和の空気に包まれている。自然を愛で、自然と育む妖精たちにとっては、外界の危険と切り離されたこの城の環境が必要なのかも知れない。彼女らが一たび世界の危険を身近に感じれば、世界の自然をも崩してしまいかねない。
「それならポピーだって勇者だよね?」
ティミーが簡単な疑問を妖精に投げかける。妖精たちは揃ってリュカの隣に静かに立っている女の子を見遣る。妖精たちの視線を受け、ポピーは目を逸らして足元を見つめる。双子として生まれたのに、何故自分は勇者ではないのかと常に自身にまとわりつく疑問を、ポピーは妖精の前では隠そうともしない。
「私も勇者だったらティミーの使命を半分持ってあげられたのに……」
神の御意志がどのようなものなのか、リュカたちには知る由もないが、世界を救う勇者はただ一人で生まれてくる定めがあるのだろう。もしかしたらティミーではなくポピーがその定めを負って生まれていたかも知れない。神の御意志が一体どこまで働いたのかは分からないが、何故か彼らは二人でこの世に生まれて来た。リュカにとっては二人とも大事な自分の子供たちだ。そこには僅かな差も生じない。
ティミーがもし、ただ一人の勇者として生まれていたらと考えたことはある。しかし考えたところで、二人で生まれて来たことをなかったことにできるわけではない。考えたところで、その考えは無駄なのだ。
「伝説の装備はできないけど……でもポピーが一緒にいてくれたからできたことっていっぱいあるんだ!」
ティミー自身がこうしてポピーの存在を最も深く認めている。双子の妹がいてくれて良かったと、妹に面と向かって伝えることができる。二人で生まれ、二人で育ったからこそ、互いを思いやる心を持つことができた。自分を勇者としてではなく、また自分を勇者じゃない者としてではなく、ただの双子の兄妹として隣に並ぶことができるのだと、ティミーもポピーもこれまでの八年間を大事に抱えてくれている。そんな二人を見ていれば、彼らは双子として生まれるべき存在だったのだと、二人を生んでくれた妻に感謝の言葉を伝えたい気持ちになる。
「神の御意志は時に残酷です」
まるでリュカの心に寄り添うかのように、妖精が静かに言葉を口にする。彼女の言う通りなのだろうと思う。神と言う者がいるとすれば、それは一人一人の人間の事情など汲んでくれるわけもなく、ただ世界の事柄を平たく見ているだけの者なのだろうとリュカは想像する。人間は弱く脆い存在のため、神という存在に夢を見て、そこには必ず救いがあるのだと信じる。信じる心が悪いとは思わない。ただそこに夢を見過ぎては、自身を見失ってしまうとリュカは神の残酷さを考える。
「しかし必ず、救いの手を残してくれています。……二階に行かれるのですね?」
その言い方は、妖精の城の二階には救いが残されているのだと思わせるようだった。リュカの頷きを待たずに、妖精は広間奥に続く扉を指し示す。そこには城の中では珍しい男性の姿があった。城を守る兵士の様に鎧兜に身を包み、広間奥に続く道を塞ぐ門番としての役割を果たしているようだ。兜の奥の兵士の目を目が合うと、男性兵士は固い表情を崩してリュカに笑いかけた。この妖精の城では無駄な説明が必要ない。全てリュカたちが説明する前に、彼らは事態を理解し、起こるべきことを予測し、手段を整えている。リュカたちが妖精の城を目指した時から、あの兵士は今のこの時を想定し、リュカたちの訪問を待ち兼ねていたのかも知れない。
「お父さん、行こう」
時折聞くティミーの年齢にそぐわない声に、リュカはふと彼の成長を感じる。子供からの成長も当然あるが、それ以上に彼が負う勇者としての誇りが滲み出ているようで、我が息子ながら眩しく感じる時がある。祖父に似て癖が強く、母譲りの光り輝く金色の髪が、まだ大きくはない背中に一つに結わえて伸びている。本来ならば常にその存在を背に隠して守らなければならないはずだが、勇者である息子は既に父であるリュカの背から飛び出して前に進んで行ってしまい兼ねない勢いを持っている。
「ティミー、みんな一緒に行こう」
リュカは一人で前に進もうとする息子の手を掴んだ。もう片方の手はずっとポピーに手を握られている。家族がいて、仲間がいるのだ。たった一人で前に進むことは許さないと言わんばかりに、リュカは強めにティミーの手を取って、広間奥に続く扉へと歩いて行く。
案内役を務める男性兵士と思っていた人物は、近づいてその姿を見てみれば他の妖精たちと同じように女性の姿をしていた。ただ身に着ける鎧兜がいかにも武骨で、神秘的で洗練された妖精の世界にそぐわないために男性と見間違えてしまったのだ。他の妖精と比べて体も大きく、顔つきも女性とは思えぬほどに精悍なものだが、所作には丁寧で柔らかい雰囲気が現れている。リュカたちを案内する後姿には、きびきびとした動きの中にも静かな心遣いを感じられた。
大した言葉も交わさないまま二階へと通される。妖精は総じておしゃべり好きなものとリュカは感じていたが、兵士としての職務中の妖精に限ってはそうではないらしい。彼女はリュカたちを二階の西の部屋へと案内すると、やはり言葉は交わさないまま一礼をして、再び元の場所へ戻るべく踵を返して歩いて行ってしまった。
通された西の部屋には四方八方から明るい日差しが壁から天井から差し込んでいる。眩しいほどの陽光を室内で浴びながら、リュカは二人の手を繋いだまま部屋の中へと足を踏み入れて行った。
壁一面を埋めるような巨大な額縁が掛けられていた。しかし本来ならば額縁の中に収まるはずの絵画がない。代わりにそこにあるのは、これから絵描きが絵画を書き始めるかのような真っ白なキャンバスだけだ。目の痛くなるほどの真っ白なキャンバスの前には一人の妖精が、リュカたちが来るのを待ち構えていたかのように微笑みを湛えて立っている。
「この絵は心を映し出す不思議な絵」
妖精の声はいつでも歌うように軽やかだ。どれほど深刻で残酷な出来事があろうとも、妖精たちはそれらの出来事を歌に乗せ、まるで美しい物語の一つとして語り継いでいくのだろう。彼らが生きる世界と言うのは、そういうおとぎ話の中の世界なのだ。
「あなたを思い出の場所に運んでくれるでしょう」
「思い出の場所……」
リュカの頭の中に今までの出来事が次々と浮かび上がる。それは意図して脳裏を過るものではなく、どこか強制的に過去を振り返らされている力を感じた。
大きな船に乗っていた。見える青い海に心が躍っていた。見えてきた陸地に、新しい世界を感じて胸が高鳴った。父が忘れ物はないかとリュカに確認させた。船の甲板に青い髪の女の子の姿を見かけた。
記憶には残っていないサンタローズの村だったが、家で待つまだ皺の少ないサンチョにはすぐに慣れ親しんだ。見知らぬ女性から逃れるように父の後ろに隠れていると、金色の二つのお下げ髪の女の子に話しかけられた。水色の瞳がキレイだと思った。
お化け退治をしたリュカの頭を、父は優しく撫でてくれた。夜中に子供二人で外の世界に出たことを叱る気持ちを持ちながらも、男の子の勇敢さを父は褒めてくれた。父に今一つ懐かない子供のプックルは、リュカの隣で姿勢を低くして小さく唸っていた。
春を迎えているはずのサンタローズの村で、村人たちは白い息を吐きながら焚火を焚いて暖を取っている。春が来ない。畑の作物も育たない。村の息吹が奪われていく。自然を相手に人間のできることは少ない。ただ、子供の頃の自分は、そんなことなどお構いなしに日々を過ごしている。
寒くても外で駆け回っていれば、そのうち身体も温まる。隣町のあの娘とは会えなくなったけど、新しく友達になったプックルがいる。父は今日も家の中で調べ物をするという。父の仕事の邪魔をしたくないリュカは、今日もプックルと外へ遊びに出かける。サンタローズの村の中は、安全に包まれている。
子供のリュカが父とサンチョと暮らす家から飛び出してきた。焚火に当たる村人に挨拶をする。空を見上げれば今日も雪雲が覆い、春の兆しは微塵も見られない。村には至る所に雪が降り積もり、店を営む村人などは店周りの雪かきに精を出している。リュカはプックルと共に、降り積もる雪の上を跳ねるように走って行く。元気な子供の姿を見て、村人たちは顔を綻ばせている。
子供のリュカがこちらを振り向いた。視線が合った気がした。今だと、教えてくれたようだった。
一面真っ白だった巨大な額縁の中に、滲み出るかのように徐々に一つの景色が浮かび上がって行く。初めに記された一つの点は、リュカが父とサンチョと暮らしていたあの小さな家の屋根だった。溶けない雪が残る屋根は白い。そこから色が滲んでいくように、村の景色を広げていく。村は全体的に白かった。雪が覆うサンタローズの村の景色は、寒々しい冬の気配をありありと漂わせている。しかしリュカはその景色に胸が温まるのを感じた。
あの時に戻れる。失う前の父に会える。
リュカは繋いでいた子供たちの手を離した。道具袋から、先ほど受け取ったばかりの金色の宝玉を取り出し、両手に捧げ持つ。ポピーがリュカのマントを強く掴んだのを感じた。ティミーが強くリュカの腕を掴んだのが分かった。大事な二人の子供たちがいることは、既にリュカの心の奥深くに根差している。
宝玉が目も眩むような激しい光を放つ。目を開けてはいられなかった。目を閉じた瞬間に、大事な子供たちの気配が消えた。心許なくなった気持ちと共に目を開ければ、そこには額縁に収まっていたはずのサンタローズの村が、襲撃を受ける前の平和な村の景色が広がっていた。花の香りが消え、リュカは冷たい雪の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。

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