封印された能力

 

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かつての天空城は空に浮かぶ雲よりも遥か上の空に悠然と浮かんでいたらしい。決して地上からその姿を見ることは叶わなかった。たとえ空が雲一つない快晴だったとしても、地上の生き物が空にある小さな白い点に天空の城があるなどとは露ほども思わない。浮浪雲がぽつりとあるだけだと気にも留めずに、そのうちに天空城は風に乗って上空を移動し、その姿をくらましてしまう。神と天空人が住まう空の城と言うのは、そういうものだった。
しかし数百年ぶりに湖の底から引き揚げられ、上空に飛び立った天空城はかつての高度まで上がることができなかった。空を行く天空城の周りには、空に浮かび移動する雲があちこちに広がっている。時には雷雲の中に飛び込み、黒雲に雷が飛び交う中を突き進むこともある。この城に元より住んでいる天空人にとっても初めての体験で、吹き荒れる嵐の中を航行する天空城の操縦は思うようにいかないのだと言うことを初めて知ったのだった。
グランバニアに向かう最中で、二度大きな嵐に巻き込まれ、針路を修正せざるを得ない状況になった。予定では二週間あればグランバニアに着くだろうとマーリンらと予測していたが、二日ほどの遅れが見込まれた。そのことを天空人に話せば、それは遅れなのかと不思議そうに首を傾げられた。人間と天空人の時間の感じ方がまるで違うのだと思い知らされた。数百年を悠に生きる天空人にとっては二日の違いなど、何の問題にもならないらしい。
天空城で移動をしている際、リュカたちは神の住まう城に神の姿がないことが否が応でも気になった。城にいる天空人らに聞いても、「神はその時が来ればお戻りになる」と言うばかりで、まるで天空城が数百年ぶりに復活を遂げた時のように、これからまた数百年でも待ちそうな雰囲気でのんびりとそう応えるだけなのだ。
天空城の中にも人間の町や村と同様に、教会があった。神様に最も近い場所にある教会に違いない。そこには背に白い翼を生やす天空人の神父に、教会外にある広い庭を見て回る天空人の女性がいた。背中の翼さえ見なければ、ここが人間の町の一角なのではないかと思えるほどに、地上と変わらない景色がそこにあった。数百年も放っておかれたはずだが、庭の草花はまるで枯れておらず、瑞々しい状態を保っている。時が止まっていた不思議を目の当たりにする。
再び時が動き出した天空城で、女性の天空人が教会前の庭の草木の手入れをする。時を止めてしまえば草木の世話をする必要もなく、枯れることもない状態を保つことができるが、そこに成長はない。天空人らも好きで時を止めていたわけではない。彼らは生き物の成長と衰退を好ましく思っている。時の流れと共に移り変わるあらゆる物事を、彼らは大事に感じているのだ。
彼らにそう思わせたのは、どうやらこの城の主であるマスタードラゴンだということを、リュカは天空人の話の中に垣間見た。教会前の庭で水やりをする女性もまた、その一人だった。
『世界がまだ平和だった時代、下界を見てマスタードラゴンはこう仰いました。人間もなかなか良いものだな……。そしてお姿をお隠しになってしまったのでございます』
世界を見守る神様であるマスタードラゴン自身が、下界の人間を好ましく思う言葉を残しているらしい。一体、神様ともあろう者が空の遥か下にいる人間を見て何故そんなことを思ったのか、リュカには想像ができない。
『ああ! その後数百年の間にこの城が落ちてしまうことなど誰が思ったでしょうか! 天空にこの城がある限り平和は続いたはずでしたのに……』
世界が平和であった時代に、天空の神は世界のどこかに姿を隠してしまった。地上にいる人間は皆が皆、神様は常に天から地上を見守ってくれていると信じているが、今の世界の人間たちが生まれるよりも遥か前から、天空の神が姿をくらましてしまっていたという事実を、リュカは初め受け入れられなかった。
元来、神を信じているわけではないリュカだが、それでも世界中の町や村、当然グランバニアにも神を信じ、神に祈る人間たちが無数にいるのだ。とうの昔に天から姿をくらましている神に祈りを捧げていたと知れば、人々の不安は一層増すことになるだろう。この世界には神などいないと知り、これからは一体何に頼ればよいのかと心の拠り所を無くせば、人々の行動が危ぶまれる。リュカは今、自国であるグランバニアに向かっているが、天空城に神がいないと言うことは知らせないでおこうと密やかに心に決めていた。
天空人らは再び神が現れるのをただ待つばかりのようだが、人間であるリュカたちはそうは行かない。
リュカたち人間にとってはそれほど悠長に待っていられるものではない。第一、世界を救うと言われる勇者であるティミーがいるのだ。彼はあくまでも人間として生まれ、人間として生きている。寿命も人間の寿命を超えることはできない。天空人が数百年を待つ心を決めていたとしても、ティミーの命はそこまで待てない。
「けっこう上手く焼けるようになったよね」
天空城の一角にある天空人の居住区にティミーの弾んだ声があった。辺りには香ばしい匂いが漂い、その匂いに思わず腹の虫が鳴りそうになる。パンの焼ける香りに、ティミーにパンの焼き方を教えていた天空人の女性も嬉しそうに頬を緩める。
「でもお城で出されるパンやサンチョの作るパンの方がやっぱり美味しい」
「食べ慣れてるのもあるんだろうね。それと、やっぱり愛情かなぁ」
「まあ、美味しいパンを作れる人間がいるのね? もしできれば今度教えてもらいものです」
にこやかに話す天空人だが、おいそれと地上に降り立つことはできないのだと言う。天空人は決して身体的に強いわけではない。魔物から攻撃を受ければ、呆気なく命を落とすこともある。天空城の主である神の許しを得なければ、基本的には地上に降りることを禁じられている。
天空城に住まう天空人も、リュカたちが思っていたほどの人数は残されていない。天空城が地に落とされた時に失われた命もあり、その際に城から逃げ出した天空人らの存在は明らかにされていない。もしかしたら人間の世界に紛れ、人間との生活を始めた天空人もいるかも知れない。グランバニアにいるグラシアもその一人だが、世界を隅々まで探せば、他にも同じような天空人がいる可能性は大いにあるのだ。
「でも天空城でも人間の食べられるものを育ててくれていて助かったわ。お城の中に広い畑があるんだもの。びっくりしちゃった」
「人間の営みってとても素敵だと思うんです。日々の生活の糧を自ら育てて収穫して、加工して口にする。それを自分たちで考えて形にしていくのは、とても賢くて楽しい方法だなと思います」
「ボクたちにとっては普通のことだけど、そっか、普通のことじゃなければ、これって素敵なことなのかも知れないね」
「食べ物一つにしても、生きていることをより実感できますよね。それに、人間の作るものって美味しくって……つい真似したくなるんですよ」
そう言って笑う彼女はまるで人間の娘のように見える。人間のように多岐に渡るものを食さない天空人にとっては、素朴なパン一つを取っても、まるでこの世の幸せがそこに詰まっているかのような嬉々とした感情を見せる。人間が空に住まう神に憧れるのとは対照的に、天空人は人間の命や生活の営みに憧れを抱いている。
天空人の居住区には各々の部屋の他に、皆が共同で利用する談話室を兼ねた食事場所があった。そこには人間の世界ではお目にかかれないような巨大な暖炉がある。しかしそこは暖炉として使われているわけではない。外見はいかにも暖炉なのだが、そこで火を使用したような煤の後はなく、まるで作られた時のままでそこにある。ティミーたちが天空人の女性とパンを焼いていた窯は別の場所にある。第一、上空の寒気に耐えられるような天空人が暖炉を必要とするはずがないのだ。
何故このような暖炉があるのかと聞けば、やはり人間の生活の営みを見た天空人が、暖炉の明かりに人間の暖かさや優しさを感じ、憧れで作ってしまったらしい。しかし作ってはみたものの、天空人が暖を取る必要はなく、また暖炉で火を焚くには燃料となる薪が必要となるため、地上に木を伐りに行かなくてはならないと分かり、結局は暖炉として使用されることはなくなってしまった。今、ティミー達がパンを焼く時に窯に使用している薪は、天空城内で育った木をいくらか伐って使っているが、城内にはそれほど多くの木が育っているわけではないので、無駄遣いはできない事情もある。
それならばこの暖炉は完全に飾りとなったのかと思えば、そうではない。信じられないことに、暖炉の奥にはまた別の居住区が広がっているのだ。天空人は暖炉を部屋と部屋を繋ぐ扉にしてしまい、まるで仕掛け扉のように回転させて二つの居住区を移動できるようにしてしまったらしい。
「このパン、おじいさんも食べてくれるかな」
「持って行ってあげたらどうでしょう。きっと喜んでくれますよ」
そう言いながら調理台の上で焼き立てのパンを切り分ける天空人の女性は、まるで町でパン屋を営む女主人のようだ。しかしその背から大きな白い翼が生え、こうして数百年ぶりにパンを切り分ける喜びを感じて翼を思わずはためかせようとしているのだから、やはり見慣れない光景だった。一度、翼を大きくはためかせてしまえば、そこら中にパンくずが飛び散ってしまうのでどうにか堪えた彼女だが、手は嬉しそうにパンを籠の中に揃え入れていた。
ティミーがパンの籠を手にして、リュカとポピーと共に暖炉に見える扉に向かう。一緒にパンを作ってくれた天空人の女性は後片付けをしながら、できたばかりのパンをつまんでいた。
暖炉の奥の壁を二度ノックすれば、「なんじゃ?」と老人の声が聞こえた。入りますよと声をかけ、回転扉をぐるりと回せば、そこには別の広い空間があった。
かつてはここにも幾人かの天空人が共に暮らしていたらしいが、部屋に残る老人曰く、彼らは皆消息不明とのことだった。やはり天空城が地に落とされたと同時に、城を守ろうとした仲間の天空人たちは命を落とし、また多くは絶望の中に姿を消し、残っていた者たちも徐々に地に落ちた天空城を離れて行ってしまったという。この天空城に残る天空人たちはただ一心に天空城の復活を待ち続けていた者たちであり、そして今は神の復活を待ち望んでいる。
その中でもこの老人は神様であるマスタードラゴンの復活を最も心待ちにしている一人だった。
老人と初めて会った時、リュカが先ず感じたのは違和感だった。他の天空人らの姿に目が慣れてきた頃に老人と会い、リュカも子供たちも真っ先に老人の背中にあるはずの翼を見ることができなかったのが一つの原因だ。天空人で背中に白の翼がない者をリュカたちはプサンしか知らない。そして他の天空人らが皆若々しい姿をしているというのに、彼だけはすっかり年老いた老人の姿をしていた。簡単に言い表せば、地上にいる人間の老人の姿と何ら変わりない人物なのだ。
しかし彼もまた、湖に沈んだ天空城の中で数百年の時を生き続けていた。その生命力は天空人であることに疑いようもない。そして彼は天空城の中を歩き回ることがない。窓もないこの牢獄に近いような閉鎖的な部屋の中に、ただ一人まるで皆から隠れるように暮らしている。それが天空城から落ちる前からそうだったのかどうかは、リュカたちは知らない。ティミーが無垢に老人のこれまでを聞いても、彼は曖昧に笑むだけで決して多くを語ろうとはしなかった。
天空城が数百年ぶりに空に浮上し、初めてこの老人に出会った時、彼はひたすらに天空城の復活を喜んでいた。それこそ涙を流して、『それはめでたい!』とリュカの両手を取ってぶんぶんと振り回す勢いで喜んだ。そしてリュカたちに『あとは竜の神様マスタードラゴンの復活を待つばかりじゃわい!』と、この城の主である神様の話をしてくれた。
ティミーが持つパンの入った籠を見ると、老人は顔の皺を深くして笑みを見せた。老人もまたパンが好きだった。部屋の中にパンの香りが満ちれば、その匂いをまるで動物の様に鼻を動かして楽しんでいる。
「わしも食べて良いのかの?」
「もちろんですよ。好きですもんね、このパン。一緒に食べましょう」
「でも何百年もよく平気だったよね、パンの材料。これも天空人さんの不思議な力のおかげなんだよね。すごいよね~」
湖の底に沈む天空城の中で、生き延びた天空人たちは時を止めて眠っていたのだとプサンが話していた。リュカたちには時を止めるという状況が彼の言葉から上手く想像ができなかったが、天空城の中を歩いて回る内にその状況を目で見て理解した。
天空城が地に落とされた時に魔物の襲撃を受け、城に損傷が残っているものの、この城はその当時のまま今までの時を過ごしてきた。天空人たちは自身の時を止めて数百年の時を生き永らえただけではなく、この城自体の時を止めてしまったのだ。それ故に天空城にあった全てのものが、一つも古びることなくその時の形のまま残されていた。妖精が育てる草花にしても、天空城で育てていた畑の作物や果物、美しい緑化のための木々も、全て枯れたり干からびたりすることなく、当時のままの状態で残されていた。当然、先ほど天空人の女性と共に作ったパンの材料も、食料保管庫にすぐに使える状態のまま保存されていた。
ただ時を止めている最中でも、天空人たちの意識はあったようだ。彼らは皆、数百年の時が経っていることを理解していた。リュカはその状況を耳にした時、かつて自身が石の呪いを受けて過ごした八年を思わず想像した。八年の間でも、リュカは気が狂う寸前だった。手も足も動かず、視界には動かない景色だけが常に映し出されている状況は、生きている者として耐え難い状況だった。それに比べ、この天空人らは数百年の時を過ごしてきたのだから、彼らの強靭な精神力に圧倒される思いだった。やはり短い命を生きる人間とは根本的に異なる部分があるのだと思い知らされた気がした。
「まだお主の国には着かんのか」
「あと一週間もかからないと思います。国で報告を終えたら、次は東に向かいますよ」
「ぜひそうしてくれい。竜の神様マスタードラゴンも待ち望んでおられるじゃろうて」
「マスタードラゴンってこの世界の神様のことよね? 私、ご本読んだから知ってるの」
老人の言葉に、ポピーが控えめながらも持っている知識を隠し切れないように話しかける。天空人にとっては赤子同然の少女の言葉に、老人は目を細めて数回頷いて顔を綻ばせる。
「マスタードラゴンはテルパドールの西の島ボブルの塔にその能力を封印したそうじゃ。神様の復活には、その封印を解いて差し上げなければならない」
「ところでさ、どうして神様は能力を封印しないといけなかったの? だって、神様でしょ? 能力を封印する必要なんてないと思うんだけどな」
ティミーが老人の隣の席に腰かけながら、焼き立てのまだ温かなパンを頬張り話しかける。老人が天空人特有の水を生み出す術でグラスに水を入れると、それをティミーの前に差し出した。
「かつて、この世界は勇者と導かれし者たちにより、平和がもたらされた」
老人の語り口調は仰々しいものだが、その手には切り分けられたパンがある。そして一口パンを頬張ると、老人はその美味しさを噛み締めるように目を閉じた後、再び話し出す。
「平和になった世の中では、マスタードラゴンの力はあまりにも強大過ぎると、神は自らその力を封印なさったのじゃよ。平和な世の中では神の力は封印し、神は人々の心の拠り所として在ればよいのだと……そのようなお考えだったのじゃろう」
老人の話を聞きながら、リュカは何度もこの目の前の老人こそがマスタードラゴンなのではないかと疑っていた。他の天空人とは異なる翼の無い姿に、軒並みならぬマスタードラゴン復活への願望、そして老人は神の能力が封印されているという塔の在処もリュカたちに教えてくれた。リュカたちをテルパドール西にあるボブルの塔へと導くこの老人の正体を疑わしく思いつつ、リュカは普段通り彼に話しかける。
「そんな神様の能力が封じられている塔に入るのに、こんなロープが必要だなんて、何だかおかしな話ですよね」
リュカたちは以前、この老人の元を訪ねた際に、彼から妙なフックつきロープを手渡されていた。一見すれば人間が日常で使うような何の変哲もないロープだが、それを手にすれば仄かに魔力を感じることができる。しかしその魔力と言うのも、このロープが特別な動きや呪文を放つというものではなく、ただロープ自体を丈夫にするために込められた魔力のようだった。
老人はリュカの言葉を聞くと、リュカを見つめ、ティミーを見つめ、ポピーを見つめる。数百年ぶりにこの天空城に足を踏み入れた人間たちの姿をまじまじと見つめれば、老人はどこか満足そうに何度か頷いた。
「マスタードラゴンは人間の手に委ねたのじゃよ。我ら天空人ではなく、その時が来れば人間が封印を解いてくれる、解くべきだと、この世界の命運を人間に握らせているのじゃ」
そう言って老人は隣に座るティミーの小さな肩を二度叩く。老人の手はやはり人間の老人と同じように皺が多く骨ばり、水分が少ないように見えた。自ら水を作り出せるというのに、かさつく手をしている天空人の老人は、どこかちぐはぐだ。
「かつて世界を救った勇者もまた、半分、人間の血を引いていた。この世界が危機に瀕した時、世界を救うのは天空人でもあり人間でもある者を、マスタードラゴンはお選びになったのじゃろう」
この老人もまた、当然のようにティミーが世界を救う勇者として生まれて来たことを知っている。数百年の時を経て生まれた再びの勇者に、老人は他の天空人同様、期待を隠すことなく露にしている。
「でもこんなロープが必要な塔って、どんなところなのかしら。上から下りる必要があるってこと、よね?」
そう言いながら、ポピーは想像の中で既に恐怖を味わっていた。フックつきロープを使う場面を想像すれば、そこは高いところからロープ一本で身体一つで下りるような場所だ。揺れるロープに震える手でしがみつき、果てしなく下に見える地面を見下ろしながらロープを伝って降りていくのは、果たして自分にできることなのだろうかと今から不安になる。
「ボブルの塔は天を突くような高さじゃ。翼のある天空人であれば塔の内部を自由に飛び回ることも可能じゃが、人間では移動できない場所もあるじゃろう」
「それなら天空人の人が行って封印を解いてくれてもいいのになぁ。そうは行かないんですよね」
リュカがもっともらしいことを言うと、老人はその言葉に頷きながらも、目を閉じ腕くみをして、何やら瞼の裏にリュカたちには到底見ることのできない景色を見ているようだった。魔力とは異なる不思議な力を、老人の身体全体から微かに感じる。彼の意識が今、ここではない場所へ飛んで行き、今目の前にいる老人がもぬけの殻になっているような感じだった。
「……この天空城が地に落ち、数百年という時が経ち、状況が様変わりしてしもうた」
「どうしたの、おじいさん?」
「神の能力が封印された塔にも、魔物が棲みついてしまっておる。マスタードラゴンの封印がそこらの魔物によって壊されることはなかろうが、非力な天空人がボブルの塔の中を行くのは困難を極める」
「大丈夫だよ! ボクたちがどうにかするからさ! 魔物と戦うのだって慣れてるし、どうにかなるよ! ねえ、お父さん」
「……うん、そうだね。どうにか、するしかないんだもんね」
「この世界の神様の復活、だものね。私たちでどうにかできるんだったら、どうにかしなくちゃいけないよね」
天を突くような果てしなく高い塔を行くことにめげてはいられないと、ポピーは兄の前向きでしかない言葉に同調するだけだ。兄のティミーが勇者という肩書を背負わされている現実から逃げることはできない。兄が進んで自分だけが退くということは、ポピーの想像ではないことになっている。
「マスタードラゴンの復活となれば、地上の魔物らも好きに暴れてはおられんようになるはずじゃ。いくらか鳴りを潜めるじゃろうて」
「それって、世界の平和に一歩近づくってことだよね? やっぱりボクたちがやらなきゃ!」
すっかり勇者の肩書が板についてきたティミーは、相変わらず目を輝かせて明るい未来を頭の中に描いている。彼に釣られて、ポピーも明るい未来を描き、表情も明るくなる。
「でも空を飛べる天空人の人がこんないかにも人間の冒険家が使いそうなロープを持っているなんて、何だか、人間臭いですね」
「そう言えばそうだよね~。……あっ、でもおじいさんみたいに翼のない天空人さんだったら必要になるのかな?」
「わしのように翼を無くした天空人は決して多くはおるまいが、いないことはない。そうじゃな、翼を無くせばもう空を飛ぶことは叶わん。もしボブルの塔に行くことがあれば、わしのような天空人でも必要になるものじゃろうな」
この天空城に住まう天空人はそれほど多くない。全ての天空人に会って話をしたわけではないが、それでもリュカたちが翼を無くした天空人を見たのは二人しかいない。目の前の老人と、プサンだ。
老人は多くは語らないが、リュカの想像において、彼こそがマスタードラゴンという疑いがあると共に、もしそうでなかった場合、彼は過去に何らかの重大な過ちを犯し、その罰として翼を取り上げられたのではないかと思っている。どのような間違いを犯したのかなどは想像も及ばないが、彼は竜の神様からの罰を受け、翼を無くし、他の天空人のように若々しい姿を保つこともできずに年老いた老人の姿になり果て、この窓もない牢獄のような閉鎖的部屋に暮らしているのではないかと、勝手に想像している。
天空城が僅かに揺れ、テーブルに乗るグラスがほんの少し横滑りした。どうやら天空城の進む方角を軌道修正したようで、緩やかに身体が振られる感覚がある。安定したこの操縦はすっかり天空城の操縦に慣れたマーリンか、若しくは天空人のどちらかだろう。巨大な空の城は着実にグランバニアに向かっている。
「僕もちょっと操縦に慣れておかないといけないな。ちょっとマーリンのところに行ってくるよ」
「あ、お父さん、パンは?」
「あ、そっか、まだ食べてなかった。一切れちょうだい」
リュカはティミーからまだふわふわとした柔らかなパンを受け取ると、口に咥えながら暖炉の回転扉に向かって歩いて行く。後ろから「お父さん、歩きながら食べるのはお行儀が悪いです」とポピーに言われると、パンを咥えながら謝り、そのまま部屋を出て行った。



グランバニアでは常時、城の見張り台に数人の兵士がその役に就いている。重点的に見張っているのは北の塔に棲みつく魔物らの動向だ。主を失い既に九年近くの時が経とうとしているが、北の塔には今も多くの魔物が棲みつき、時折グランバニアに緊張をもたらしている。
夕刻になり、空は茜色に染まっていた。空にぷかりぷかりと浮かぶ雲も夕日に染まり、そろそろ交代の時間だと見張り役の兵士は東の夕闇に浮かぶ星を眺める。
北の塔近く、不自然にグランバニアに向かってくる空の雲があった。空に浮かぶ他の雲と同様に夕日に照らされているが、その動きは他の雲がゆっくりと東に流れていくのと異なり、意思を持つかのように真っすぐとグランバニアに向かってくる。同僚の兵士に声をかけ、同じように空の雲を見上げる。彼らにとってそれは初め、北の塔からやってきた不穏な雲に見えた。とうとう魔物の襲撃が始まるのだろうかと慌てて城内へ報告に走ろうとした時、雲は北の教会近くで動きを止めた。そしてあろうことか、徐々に地上に綿のような雲が降りてくる段々と見えてきた神々しく巨大な城の威容に、兵士らは自身の意思とは関係なく目から涙を零していた。



グランバニアの玉座の間に、国王と王子王女の帰還を喜ぶように多くの明かりが灯されていた。既に窓の外は暗く、グランバニアを包む深い森もじきに静かな眠りに就くころだ。
夜も遅いとあって、旅の報告はリュカ一人で行い、ティミーとポピーは先に部屋で休ませることとした。明日一日はグランバニアで休息を取るため、ティミーやポピーが話したい天空城での様々な体験は明日改めて話せばよいだろうと言えば、すっかり父との旅にも慣れた二人は素直にその言葉を聞き入れ、上階へと元気に上がって行った。
「信じられんことだが、本当に天空の城というものがあったのだな」
人々の多くは天に住まう神の存在を信じているはずだが、実際にその住まいを目にすることなど万に一つもなく、オジロンのような感想の言葉が出るのは何も不思議なことではなかった。もしその姿を目にすることができるとすれば、それは己が天に召された時だろうと、人々は己の人生の中に実際の神との接点があるとは思っていない。
「しかしあのお城を一目見れば、とても人間の造れるものではないとすぐに分かりますね。私の人生であのような素晴らしいお城を見られるなど、思ってもみませんでしたよ」
夕刻、兵士からの報告を受けたオジロンもサンチョも、すぐさま城の見張り台に立ち、北の教会近くに降り立った天空城を目にしていた。夕日を受けて尚、天空城は青白く輝く光を城全体から放ち、城を支えるように白い雲が地面に漂う景色に、彼らは夢でも見ているのだろうかと何度も瞬きを繰り返していた。見張りの兵士らは北の塔近くからやってきたものだと報告していたが、魔物らが棲みつくような城には到底見えない。
想像もできないような美しい城から、一体のゴーレムが姿を現した時は一時緊張が走ったが、まだ沈み切らない夕日を受けて送られる天空の剣の光を眩しく捉えれば、彼らが返ってきたのだとすぐに実感した。兵士もすぐさま鏡で光を送り、国王一行との意思疎通を図る。その後、夕日が地平線に沈むと同時に、音もなく神々しい城が地上から浮かび上がった。そしてあっという間に空へと戻り、今はグランバニア上空をうろうろと彷徨っている。
「天空の城に神が住むと言うのは誠だったか」
「え、ええ、そうなんですよ。僕自身はあまり神様って信じてなかったんですけど、本当にいたんですね」
「しかしまた、とんでもない話ですな。これはもう、世界中に報せた方が良いのではないでしょうか」
珍しく興奮したようにそう言うサンチョに、リュカは曖昧に頷く。
「リュカ王よ、世界はじわじわと魔物らの脅威に追い詰められているのじゃ。とても分かりにくいが、真綿で首を絞められるが如く、気づかぬ内に徐々に徐々に、奴らは人間の世界に入り込んで来ておる」
「坊っちゃ……リュカ王は『光の国』というのはご存じですよね?」
その名を耳にするだけでリュカは思わず全身に無駄な力が入るほど、嫌悪感が身を包む。地上の人間を掌握するための、分かりやすい嘘の神の国だ。平和な世界であれば、人々はすぐにその嘘を見抜くのだろうが、不安定な世界では人々の目も心も曇ってしまう。そして分かりやすく心地よい嘘に身を委ね、知らずに身を亡ぼす運命を辿ることになってしまう。
「このグランバニアにも時折、光の教団の者らが旅人として訪れることがある。どうやらラインハットにもテルパドールにも、同じような輩が入り込むことがあるようだ」
「我々は交流のある国同士のことしか把握していませんが、恐らく他の集落でも同じようなことが起こっているものと思われます」
光の国を紛い物と分かっている人々は少なくない。オジロンもサンチョも光の国の嘘を正確に見抜いている。しかしそのような考えはなかなか民衆には行き渡らない。もしいかにも人好きのするサンチョのような人物が、光の国は苦しむ人々を救い、永遠の幸せを約束してくれるところだと勧誘すれば、その話に乗る人間は少なからずいるだろう。
「人々の不安につけ込む耳に良い噂を流し、誘導するのを止めるのは、なかなか難しいことです。あまり細かいところまで、我々の目も行き届きませんからね」
「天空城を世界中の人たちに知らしめ、「光の国はまやかしだ」と教えを広めれば、救われる人々も必ずいるだろう。もし可能であれば、天空城で世界を巡り、人々の心に平穏を取り戻させてほしいと思うのだが、どうだろうか」
いつもの穏やかなオジロンの表情ではなかった。国王代理という立場でありながら、やはり国王よりも国王らしい叔父の姿に、リュカは一も二もなく頷いた。
「やってみましょう。ただ、まだやるべきことが残っていて……それを終えてからの方が良いかも知れません」
そう言うと、リュカは二人にこれからテルパドールの西の島に向かう事情を話した。初めは神の力が封印されている事情を話さないでおこうと考えていたが、相手が信頼するオジロンとサンチョであれば相談しておくのが良いと、素直に現状を話した。予想に違わず、二人とも天空城に神がいないという現実に驚いていたが、神の能力が封印されているボブルの塔でその封印を解けば万事解決と理解を示した。
これまで様々な奇跡を起こしてきたリュカに対し、もはやオジロンもサンチョも世界中を飛び回るグランバニア王の行動を止めることはなかった。むしろ今までの奇跡も、これから起こる奇跡も、リュカと言う人間だからこそ成し得たものなのだと、信じて疑わないほどの厚い信頼が生み出されている。
「神の封印を解くのが人間とはな。何ともおかしなことだ」
「あの空に浮かぶお城には天空人というのがわんさかいるんでしょう? 神様は彼らの主君であるはずなのに、彼らは自ら動かないなんて、私にはいささか理解できかねます……」
「仕方ないよ、サンチョ。だって今はその塔にも魔物がわんさかいるみたいで……あっ! いや、魔物じゃなくって、封印を守る番人、みたいな魔物? いや、うーん、そうじゃなくて……」
「……魔物が棲みついているんですね。嘘は仰らないでください」
「また危険な場所に行くのか。ふむ……止めたいところだが、止めても他に誰かが行かねばなるまい」
「他に誰かって言っても、いないですよね。他に適した人を探す時間も惜しいですし、大丈夫ですよ、また無事に戻ってきますから」
「悲しいかな、わしらにはそうするほかは出来そうもない。申し訳ないことだ」
「神様の能力を封じている塔なんて、やっぱりとんでもなく大きな塔なんですかね。それこそ、あの空に浮かぶお城にくっつくぐらいの……」
「天を突くような、なんて言っていたから、大きいのもあるかもしれないけど、とんでもなく高い塔なんだと思う」
リュカはオジロンとサンチョと話をしながら、神の力が封印されている塔を頭の中に思い浮かべた。天を突くような高い塔で、リュカは冒険家が使うような長いロープを手渡されている。リュカの仲間は決して人間だけではなく、魔物の仲間が大勢いる。当然、空を飛べる魔物も仲間にいる。
「次に旅に出る仲間たちをちょっと考えさせてもらいます。多分、空を飛べる方がいいんだろうなぁ」
「天空人が当たり前のように空を飛べるのだから、そうだな、空を飛べる魔物の仲間が適しているのかも知れんな」
「明日一日、ゆっくり相談してお決めになれば大丈夫でしょう。さあさあ、リュカ王もお疲れでしょうから、そろそろ上で王子王女と一緒に休まれてください」
オジロンやサンチョから見れば旅から戻ったばかりで疲れているだろうと気を遣ってくれるが、実のところリュカも、既に上で休んでいるティミーもポピーも大した疲れはない。旅をしてきたと言っても、実際のところは天空城で二週間程度、ゆっくりと過ごしてきただけなのだ。旅をしている最中、これほど穏やかで平和な旅は今まで経験したこともなかった。魔物の脅威に晒されない旅をいうものがどれほど貴重なものかをリュカたちは天空城の移動の中でひしひしと感じていた。
「また城を出る時になったら必ずわしたちに伝えるように。その際に、国民にも空の城の姿を目にしてもらうこととしよう」
「屋上庭園も解放しましょうか。城の者たちは庭園から、城下町の者たちは城壁の内側から、その姿を見てもらえば良いでしょう」
「そしてわしからきっぱりと民には伝えておく。「神の国」というものはどこにもない。神は一つ所に留まらず、世界を休みなく巡り、等しく見ておいでだ。そして我が国の王は神との交渉もやってのけるほどなのだから、王についていくことが我々の行く道であるとな」
事実、オジロンの言葉にも嘘は入り混じっている。ここにいる三人の誰もが、神の姿を目にしたことはない。それを天空城と言う神が住まうはずの城を利用し、危うき道に進みそうになる人心を戻してやるのだ。せっかく天空城を復活させたのだから、それくらいの利用を神は許してくれるだろうと、リュカもオジロンもサンチョも、顔を見合わせて笑い合った。天空城の復活を機に、世界はこれから徐々に明るい方へと向かって行くのだと、リュカは頼りになる家族と共にその時が来るのを確かに信じた。

Comment

  1. nagi より:

    いつも読ませていただいています。

    ついにボブルの塔ですね。果たしてリュカたちはあそこにいるブラックドラゴンやゴールデンゴーレム・・・地下にいるメタルドラゴンにメガザルロックに対抗できるのかという所ですね。原作のゲームの方でもかなりの強さを誇りブラックドラゴン3匹等なると瞬殺されるレベルですからね。道中で既に総力戦になりそうですね。
    その前にポピーは塔を降りれるのか・・・笑

    そして因縁の対決ですかー。リュカは冷静でいられるでしょうか。手下はともかくボスが強いですからねー。サンチョの怒りの会心に期待です。

    無理なさらず、頑張ってください。次回も楽しみにしています。

    • bibi より:

      nagi 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      本当に、ついに、という感じですね。ようやくここまで来られました。感無量です。
      いや、まだまだ先は長いんですけどね。
      ここは強敵揃いですよね。また戦闘シーンに熱が入りそうです。ポピーは・・・気合いでどうにかしてもらいましょう(笑)
      因縁の対決ですね。また力の入るところです。リュカは冷静に・・・いられないだろうなぁ(汗)

  2. ケアル より:

    bibi様

    ボブルの塔の情報は、フック付きロープの所にいた、あのおじいさんからでしたか…思い出しましたよ~ありがとうございます。

    さあいよいよボブルの塔へのパーティ編成ですね、はたしてサンチョはパーティ入りになるのか⁉ ポピーの運命はいかに⁉

    bibi様、ポピーはやはり賢いですね(笑み)
    ボブルの塔が高いということは…想像できるんですから。
    ポピーどうしましょうねぇ…やはり誰かに運んで貰うしかない…んだろなぁ。

    プックルですが、フック付きロープから降りることできないんではないでしょうか? 4本足でどうやって?(汗)
    プックルもしかして初めてのお留守番?

    空を飛べる仲間は…マッド、ミニモン、メッキー、サーラ

    パーティ8名中3人の親子は確定、世界樹の滴を所持しているスラリンは確定になりそう…あとの4名枠…(悩)
    bibi様、難しい問題ですな(困)

    仲間モンスターの数を数えてみました、仲間モンスターは全部で14名で合っていますか?
    スラリン、ピエール、ガンドフ、マーリン、プックル、メッキー、マッド、スラぼう、サーラ、ミニモン、ゴレムス、ベホズン、アンクル、ロッキー。

    忘れている仲間いましたらすみません、まだいましたら教えてください。

    次回はいよいよボブルの塔になりそうですね、ここから先、モンスターの強さが一段と上がりますよね、戦闘描写がすんごく激しくなること間違いなし!
    ゴンズとゲマの所へはいつごろ到着するのか!
    天空城の操作はリュカは上手になったのか!
    フック付きロープとポピーの運命は!
    サンチョはパーティ入りするのか!
    プサンの言動や行動にリュカはどこまで我慢できるのか⁉(笑い)
    次話も楽しみにしていますね!

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      ボブルの塔はあのおじいさんでした。しかしあのおじいさん、改めて見ると謎だらけで、お話の中に入れるのに苦労しました(汗)
      ボブルの塔のパーティー編成、悩みましたが一応既に決まっています。次回、明らかにしますね。
      まだこれから仲間を増やしたいとは思っているんですが、既に(私の中で)飽和状態。数えてくださった仲間で問題ないと思います。15名いるんですね。グランバニアを守るとしてはまだ少ないかな。その内、他国の防衛にも回って欲しいと思っているので、やっぱりまだ増やしたいですね。
      これからまた戦いの日々が始まる・・・どんどん自分の首が締まって行きそうで怖いです。もう、私では表現できないので、代わりにどなたか書いてくれませんか(汗汗)
      これからも見どころたくさんですね。どんな書き方をすればいいのか悩みながらも楽しんで書いて行ければと思います。
      ひとまず、次のお話は少し寄り道して行こうかなと思います。

  3. ケアル より:

    bibi様

    さっそくキングスを忘れていました…すみません(汗)
    仲間モンスターはキングスを入れて全部で15名…間違っていましたらご指摘願います(礼)

  4. ピピン より:

    bibiさん

    人々が祈っている間に神様が何をしてたのかを考えると何とも言えない気持ちになりますね…(笑)
    海辺の修道院のように別の神様を信仰している人達もいたでしょうが…

    ゲームではただの乗り物で終わる天空城でまた1つシーンが書けそうなのは良いですね。
    グランバニア国民からしたらリュカは本当におとぎ話に生きてますね( ´∀` )

    • bibi より:

      ピピン 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      神様・・・今のところ人類全てを敵に回しているかも知れません(笑)
      天空城は興味深い乗り物ですよね。ゲーム中は本当にただの乗り物ですが、あんなバカでかいものを自分で操縦できるんですから、そりゃあ想像も広がるというものです。
      リュカはおとぎ話の中に生きて、そしてまた、それらがおとぎ話として語り継がれていくことでしょう。遥か未来の誰もが、それが現実にあったことだなんて思わない感じで。

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