断崖絶壁に囲まれた島

 

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天空城は時折、嵐に飲まれることがある。まだ空から落ちる前、遥か昔の神の城であれば天高く、雲さえも届かないような遥か上空にぽかりと浮かび、嵐の影響など微塵も受けることはなかった。しかしかつての高度を取り戻せない天空城は、星々浮かぶ空よりも生き物が生きる地に近く、生きることを間近に感じたいと思うように白や灰の雲の中を行く。
サラボナの地を離れひと月と少し、リュカたちは目指す場所近くまで天空城を進めていた。リュカの持つ世界地図には、テルパドールの西に浮かぶ陸地の形こそ描かれていたが、その地は誰も寄せ付けない険しい山々に囲まれ、到底人が足を踏み入れられるような場所ではないと天空人からそのような話を聞いていた。
天空城から見下ろす景色にはその陸地が見え始め、まるで剣山のようなギザギザとした地形が見えていた。見下ろす景色に「痛そう」と感じたのはこれが初めてだ。これほど険しい山々の間に天空城を着地させることは不可能だと、リュカは更に地形を調べようと天空城を内陸へ進めようとした。
しかしその天空城の行く手を阻むような嵐が吹き荒れ、ひと時天空城は揺れに揺れ、操作不能になるほどの影響を受けた。城の天地がひっくり返るようなことにはならなかったが、ひどい揺れの船に乗っているかのようで、リュカは操縦に集中していなければ容赦ない吐き気に襲われていただろうと感じていた。今までにも空の嵐に巻き込まれたことはあったが、ここまで天空城が揺さぶられることはなかった。おおよそのことを楽しむティミーでさえ、顔を青ざめさせていた。ポピーなどは元気を失い、泣いていた。プックルも同様に怖がっていたはずだが、双子を守らねばと気丈に二人の子供を脇腹に抱えるように座り込んでいた。
冷や汗をかいて体の均衡を保ちながら操縦しているリュカの元に、いつもよりも神妙な顔つきをしたプサンが姿を現した。顎に手を当て、黒縁眼鏡の奥の琥珀色の瞳は思案に揺れている。常に飄々としているプサンもこのような表情ができるのかと、彼のその表情に返ってリュカは冷静さを取り戻せる。
「プサンさん、ちょっと操縦を代わってもらえると助かるんですけど」
「ふーむ……何やら、嫌な予感がするんですよね」
「何がですか」
「今までにこんな嵐に巻き込まれたことがありますか?」
「いや、僕の記憶ではないですけど」
そう言っている最中も天空城は揺れまくり、均衡を崩したリュカの足が南の足場から西の足場に飛びそうになる。ふらつきながらもどうにか南で耐えるリュカに、プサンは再び小さく唸る。何故か彼は揺れの影響を受けていないようで、どんな角度の揺れに襲われても、その場で何事もないように立ち続けている。
「神の力が封印されている塔に、何者かが近づいているのかも知れません」
プサンの目が目の前に映し出される外の景色に向いている。嵐の外にある地上の景色はまだ剣山のような山々があるだけで、生き物が住めるような気配を感じない。このような景色に住む者がいるとすれば、遥か昔から生を続ける天空人や妖精、はたまた遥か昔からこの地に閉じ込められた魔物が辛うじて生を繋いでいる可能性もある。人間のようなか弱い生き物が住むにはあまりにも過酷な環境に見えた。
「それにこの嵐、止まないですよね。ずっとこの天空城にまとわりついている気がするんですよ」
「どういうことですか」
「目指す封印の塔が近いと思うんですが、その塔からこの天空城を遠ざけたいような意思を感じるんですよねぇ」
そんな言葉を交わしている間にも、天空城は酷く揺れ、床に踏ん張り切れなかったリュカの足が西の石板を踏みつけた。途端に天空城は向きを変え、遥か上の玉座の間からポピーの悲鳴が聞こえた。それを豪快に笑うアンクルの声も聞こえる。
「天空城で直接、封印の塔に近づくのはもしかしたら危険かも知れませんね……」
プサンがそう言った直後、空を飛ぶ城が激しい攻撃を受けたかのような打撃音が響き渡った。突き上げるような地震のごとく、誰もが息を呑むほどの衝撃が天空城を包む。天空城自体に防衛機能があり、凡その敵は寄せ付けないはずだが、今の衝撃は魔物の襲撃を食らったというよりは、地獄から突き上げるような大きな波動をまともに受けたように感じられた。
リュカは天空城を西に進めていたが、その高度が徐々に落ちていくのを体感する。プサンを見ると、黒縁眼鏡のレンズの奥の目が閉じられていた。普段の彼のふざけた感じからすれば、それは単に眠っているのかと疑うが、今の彼からふざけた雰囲気は感じられない。
「そのまま西に進みましょう。一度、天空城を地上に下ろして、城の状態を確認しますよ」
「落ち着いてますね。今ので天空城が完全に壊れたわけじゃないんですね?」
「少し傷ついたという程度ですかね。なので傷を治してあげないといけません」
「天空城なのに、地上に下ろして傷の手当てをするんですか?」
「いやあ、この城も長いこと湖の底で眠っていたでしょう? だから地上が恋しくなり始めたかも知れないと思いましてね」
「天空城なのに?」
「天空城なのに」
リュカの疑問に答えるような答えないような返事をしつつ、プサンは柔和な笑みを浮かべながらリュカと操縦を交代した。徐々に高度を下げて行く天空城は西を目指し航行を続ける。まだ剣山のごとく形を成す山々にぶつかる心配はないほどの高度を保っている。島全体が険しい山々の景色の覆われているようだが、目を閉じているプサンにはもしかしたら島の西の地の景色が見えているのかも知れない。そこにあるはずの平地を目指し、プサンは鼻歌でも歌うような気軽さで、天空城を操縦し続けた。



「何だよ、ここからそのバルブの塔ってとこを目指すのかよ。遠いんじゃねぇのか?」
「何かの栓なんですか、その塔」
「違うよアンクル、バブルの塔だよ」
「違います。ボブルの塔です。名前は正確にお願いします」
山々しか存在しないと思っていた大陸の西の端に、広く見渡せるような平地が広がっており、天空城は底に白い雲を纏いながら地に降り立っていた。普段は天空城の中に留まり続ける天空人らも、今は外の世界を楽しむように辺りを悠々と飛び回っている。白い翼を持つ彼らがそこらを飛び回る景色はさながら天国に来たかのようだ。
「この辺りの魔物って大人しいね。全然襲ってこないもんね」
「ここってちょっと変わってるわよね。魔物って言っても、何だか、穏やかな感じ」
天空人らが自由に外を飛び回っているのには、周囲に棲む魔物が比較的弱く穏やかであることが大きな理由だった。海に面する部分を断崖絶壁に囲まれたこの島は特有の生態系を持っているのか、元々山に棲む小動物たちが魔物と化してしまったものが多いようだった。それもさほど凶暴化しているわけでもなく、魔物としての生を受けたにも関わらず、その実元来の小動物の様に怖がりで、リュカたちが天空城を地上に下ろす際には一匹残らず山々の間に身を潜め、縮こまっていたほどだった。今は平地に姿を見せている魔物も、唐突に地上に降り立った巨大な神の城を目にして、ただ様子を窺うように遠巻きにリュカたちの様子を眺めているだけだ。
「僕がトヘロスを唱えておけば、問題なさそうだよね。きっとあそこにいる魔物たちは近づいてこられないもんね」
「がうがうっ!」
「プックル、ウサギは食料として考えてもいいけど、ネズミはあんまりオススメしないよ」
「お父さん、ここから歩いて行くって本当なの? 天空城でもっと近づけないのかな」
「プサン殿が天空城の状態を調べると仰ってましたからね。まあ、ここから目的の塔まで十日とかからないでしょうし、辺りの魔物の様子を見てもさほど苦労するようには思えません」
目指すボブルの塔の位置を、リュカたちは凡そ把握していた。天空城で空を航行している際、地上から大きな波動を受けた場所近くを、リュカは既に地図上に印をつけている。ピエールの言う通り、歩いて向かっても七日ほどで着くのではないかと予想している。
「生き物が住んでるってことは、きっとどこかに水もあるよね。山の合間にきれいな川とかが流れてるといいなぁ」
「魔物さんに教えてもらったらいいんじゃないかしら? きっとほら、あの角の生えたウサギさんが教えてくれるよ」
「がうっ!」
「待て、プックル。違うよ、食べていいって言ったんじゃないからね。食料は極力持って行くから、あまりそこらの魔物をいじめちゃダメだよ」
「にゃう~」
リュカに尻尾を掴まれたプックルが残念そうに力なく鳴く。旅の間ですっかり草食動物の様に果物や木の実などを食べることに慣れたプックルだが、本能としてはやはり肉が食べたいのは間違いない。
「なんだよ、みんなで仲良くのんびり歩いて行くつもりか? オレとサーラが飛べるんだから、飛んでっちまえば早えだろうが」
「さすがに塔までの道のりを一気に飛び進むのは難しいですが、いくらか時間を短縮できると思いますよ」
「リュカ殿が魔法のじゅうたんを使って向かうのは無理なんでしょうか。もしそれができれば誰も疲れることなく目的地まで行くことができると思うのですが」
リュカはピエールに言われるように魔法のじゅうたんを懐から取り出すと、開けた平地の上で広げるべくじゅうたんをそよぐ風にはためかせる。いつもならリュカの意思に沿うようにじゅうたんはみるみる広がり、仲間たちを残らず乗せられるほどに大きくなるのだが、今はリュカの手に張り付くように萎れてしまっている。
「あれ、どうしたんだろ」
「じゅうたんさん、元気ない?」
「この前の戦いで疲れ切っちゃったんじゃないの? ひどかったもんね、あちこち穴が開いちゃってさ」
ティミーがそう言いながらリュカの手に萎れる小さな魔法のじゅうたんを触っても、何も反応を示さない。彼の言う通り疲れ切っていて、まだ元気を取り戻すまでに時間が必要なのかもしれない。そもそもこれからリュカたちが進もうとしている道は険しい山道で、高地を行けない魔法のじゅうたんでは恐らく進むことは不可能なのだろう。
「そんなのなくたって、オレたちができるだけ連れてってやるよ」
「ここから見る限り、空を飛べそうな魔物はここらにはいないようですし、我々が飛んで皆を運ぶのには好都合ですよ」
仲間たちの意見に従い、リュカは空を飛ぶ仲間に皆を運んでもらうことを決めた。プックルとピエールがアンクルの肩に乗り、リュカはアンクルの片腕に抱えられる。サーラの頭にスラりんが乗り、双子がそれぞれ両脇に抱えられた。旅の道中に必要な荷物はひとまとめにして、サーラの腰に括りつけられている。括りつけるための縄に、天空城で老人に渡されていたフック付きロープを都合が良いと、サーラがロープを腰回りにぐるぐると巻いて、フックに荷物をひっかけていた。奇妙な一団が空を飛んで行くのを、山々に棲む魔物らは不思議そうに見上げ眺めていた。
険しい山々を上り、上り切ったと思ったら今度は峻険な山道を下り始める。数日の間はそれの繰り返しだった。幸い、天候が崩れて雨が降ろうとも、雨が長引くことはなかった。長い間太陽も星もその位置を確認できない状況にも追い込まれずに済み、進みたい方角を誤ることもなかった。剣山の景観を醸す山々をもし徒歩で進んでいたとしたら、倍以上の日数がかかっただろうが、サーラとアンクルの飛行によりかなりの時間を短縮することができた。
何度か山を上り下りし、何度目かの山の頂上に着いた時、リュカたちはそれまでの荒涼とした景色から逸脱した豊かな緑を目にした。生きる力そのものを感じるようなその緑のただ中に、海辺で見かける巻貝のような形をした塔が、すぼまる先を天に向けるようにして立っていた。それまで自然の景色だけを見てきたリュカたちにとって、この陸地で初めて目にした人工物だった。
辺りの魔物の気配は相変わらず大人しいものばかりで、落ち着いている。プックルやアンクルが一声威嚇すれば逃げ出してしまうようなか弱い魔物ばかりだ。しかし山の下に見える塔を目にした瞬間、リュカは得も言われぬ悪寒が全身を駆け巡るのを止められなかった。神の力を封印する塔に似つかわしくない禍々しさを受け、リュカは思わず身を震わせる。
「おい、どうしたんだよ」
リュカを脇に抱えて飛ぶアンクルが、彼の異常を感じて呼びかける。仲間の声に安心するように一つ息を吐くと、リュカは「なんでもないよ」と頭を振った。
「塔の近くで少し休めそうだね。ほら、あそこに小川も見える」
「え? どこどこ?」
父の声に反応したティミーがきょろきょろと見渡すと、ちょうど塔の南側に広がる緑地の奥深く、山の麓に細い川が陽光を受けてきらりと光るのを目にした。
「水場があると助かりますね。二日ほどでここまで来られましたが、少し身体を休めてから塔の探索に向かうのが良いでしょうね」
アンクルの右肩に乗るピエールがいかにも冷静にそう言うが、彼は既に塔の中に潜む魔物の気配を感じているのかもしれないとリュカは思った。これまでの山道にはいなかったような強大な魔物の力を、ピエールだけではなくサーラも感じているようで、その表情は冷たく鋭い。
「んじゃあ、あそこらの茂みにでも隠れて休むことにしようぜ。一応、隠れておいたほうがいいんだろ?」
「そうだね。いくら大丈夫そうだからって、堂々と出て休むのも良くないもんね」
天空城を発ち三日ほどが過ぎていたが、その間リュカたちは特別魔物との戦闘に巻き込まれることもなく、順調に道を進めていた。サーラとアンクルが急ぎ進んでくれたお陰でもある。時間短縮できたために、それならばと一日を巻貝の塔の周りを囲む緑で身体を休めることに決めた。
リュカを小脇に抱えるアンクルが、心持ち用心深く山を下り始める。彼もまた、塔の中の気配に気づいているのだろう。しかしリュカがあの塔から感じた禍々しい空気とはまた異なるものかも知れない。
みるみる近づく塔の姿に、リュカの表情が険しくなるが、リュカ自身その事実に気づいていない。ただアンクルの肩に乗るプックルの低い唸り声だけは、何故かリュカの耳に残り続けていた。



塔周りの緑豊かな茂みに着いた時には空が夕焼けに染まり、休み始めるのにちょうど良い時分だった。近くの森には自生の果物も実り、木の実も生り、夜の寒さに備えるように火を起こしても特別魔物に襲われることもなかった。この塔を目指す人間に用意された休息場なのかと思えるほど、休む環境は整えられていた。そしてあまりにも静かな夜の雰囲気に、リュカは疑いを拭い去ることができなかった。作られた静けさだと感じた。
しかし疑問を感じる一方で、朝日と共に目を覚ましたリュカたちはすっかり身体を休めることができたのも事実だった。外にいるというのに、これほどの深い眠りに就けたのは初めてかも知れなかった。夜の間、リュカも見張りに交代する予定だったが、魔物の仲間らは誰もが「その必要もなかった」と言うばかりで、結局リュカと二人の子供たちは朝までぐっすりと眠ることができたのだ。
「天空の塔ほどの高さじゃないけど、なかなか上まで高い塔だね」
「ねえ、一応確かめておきたいんだけど……この、周りの階段を上って行くってことなのかしら」
「朝の内に正面の扉の様子を確認しましたが、どうやっても開きそうもありませんでした。神の力を封印しているという塔ですから、正面の扉は特別な力で封じられているのでしょうね」
「階段を行くしかないんだろうね。階段の途中に、入り口や窓なんかがあるのかなぁ」
「見たところ、塔の周りは壁ばかりで小さな窓すらも見当たりませんが、何か仕掛けでもあるのでしょうか」
塔をぐるりと囲む螺旋階段は幅も広く、余程のことがなければ落ちる心配もなかったが、その造りはやはり天空人ではなく人間の力を持って神の封印を解くことを宿命づけられているのだろうと思わされる。空を飛ぶ天空人であれば、このような螺旋階段など必要とはしない。この塔に来るべき者は羽を持たない人間であり、神がそれを望み宿命づけていたと言うことなのかと、リュカは信じもしない神様に対してそんなことを考えさせられる。
朝日が山々の合間から覗き始めた頃から、リュカたちは揃って塔の螺旋階段を上り始めた。塔の頂上に着くまでずっと螺旋階段を歩き続けていたリュカたちだが、塔の壁にも階段にも何も変わったところを見つけることはなかった。この塔に来る人間を試すような仕掛けでもあるのかと注意深く歩いていたが、ただのっぺりとした壁が続き、階段は一段一段規則正しく続き、外の景色がなければこの階段は延々と続くのではないかと思うほどに、巻貝のような形をした塔はきれいな円形を描いていた。
「天空の塔は魔物に壊されかけていたけど、ここは大丈夫みたいだね」
「塔の中からは何の音もしませんね。余程壁が分厚いのでしょうか」
「でもよ、絶対この中にいるだろ。イヤでも感じるもんなぁ」
そう言いながらアンクルが腕くみしながら塔の内部に耳を澄ませる。はっきりとした音を拾うことができないが、魔物の仲間たちは皆、塔の内部にいるであろう魔物らの気配を確実に感じていた。万が一のことを考え、サーラとアンクルが最後尾に付き、皆の後を歩いてきている。階段を踏み外しても彼らがすぐさま飛んで助けに行けるよう、空を飛べない仲間たちの状態を見守りながら進んでいる状態だ。
「でもさあ、入口の扉が開けられなかったってことは、この塔自体が封印されてるってことだよね? それなのに中に魔物がいるなんて、やっぱり他にどこかに入口があるんだよね」
「ここまで上ってきて、壁にも階段にも何もないところを見れば、頂上まで行かねばならないということでしょうね」
「うう……神様は意地悪だわ。そんな高いところに入口を作らなくたっていいじゃない……」
泣き言を言うポピーだが、その気持ちを言葉にするだけで、決して途中で諦めて引き返すようなことはしない。自分一人の我儘で皆の行動を止めるわけには行かないと、彼女なりに必死に螺旋階段を上り詰めようとしている。
巻貝の先端にたどり着いた一行は、そこから見下ろす景色を無意識にも眺めた。遠く続く山々の景色はこの塔をぐるりと取り囲み、生き物を寄せ付けず、またここからの逃げ場もないような殺伐とした雰囲気だ。サラボナの見晴らし台よりも余程高い位置にある頂上だが、それでも周りを囲む山々に景色を阻まれ、それよりも遠くに目をやることはできない。ちょうど深い谷底のような場所に建てられたこの塔は、それこそ余所者からは非常に見つかりにくい場所にある。そもそもこの陸地にたどり着ける人間がリュカたちの他にいるとは思えない。
塔の天辺の床の中央には、ぽっかりと口を開けるように黒い穴が開いていた。魔物によって開けられたような壊れた形跡はなく、この塔にやってくる人間を待ち構えていたかのようなお誂え向きの四角い穴だ。皆がその黒い穴を見て、しばし呆然としていた。
「ピー……」
「スラりんは問題ないけど……参ったね」
神の人間への期待がその穴の大きさに現れていた。人一人ならば入れるが、大型の魔物などは到底入れないほどに小さな穴だった。リュカは思わずサーラとアンクルに目を向ける。
「これは無理ですね。私はここからは入れませんよ」
「呪文でぶっ壊して、入口を広げちまえばいいんじゃねえのか?」
「やってみよっか?」
「……いや、塔の内部には魔物がいます。あまり刺激するのは止めた方が良いかと」
ティミーが生き生きとして両手を構える横で、ピエールが冷静にその手を止める。塔の螺旋階段を上ってくる際には他に入口らしい場所は見当たらなかった。塔の壁はどこもかしこも隙間なく石が積み上げられており、まるで何かを閉じ込めるための牢獄のようにも思えた。
「プックルも無理なのではないですか?」
「がうっ! がううっ!」
サーラの訝し気な一言に、プックルは異を唱えるように吠えると、人間一人が入れそうなその四角い穴に大きな身体をねじ込ませる。頭さえ入ればどこでも通れる猫のように、プックルはどうにか頭だけを穴に突っ込むと、満足したように「がうっ!」と一声吠えた。ただ、今度は頭を引き抜くのに苦労し、リュカが力任せにプックルの頭を穴から引き抜くと、プックルはその場で目を回して座り込んでしまった。
「プックルはちょっと無理……」
「ぐるるるる……」
「お前さあ、ホント、こういう時聞き分けないよね。そういうのって僕、良くないと思う」
「そう言いながらもリュカ殿はプックルに甘いですよね。結局、連れて行くんでしょう?」
「だって仕方ないじゃん。置いていくって言ったら、こいつは本当に僕に噛みつくよ。もうこれって脅迫だよね」
「プックルも私たちと同じよね。お父さんと離れるのが怖いのよね」
「中に魔物がいるんだったら、少しでも仲間が多い方がいいよ、お父さん!」
「サーラ殿とアンクルが来られないとなると……かなりの戦力を失うことになりますね。二人には塔の近くで待っていてもらうことにしましょうか」
「ではリュカ王にこれを渡しておかなければなりませんな」
サーラはそう言うと、腰に巻き付けていたロープをぐるぐると解き、くるくると丸めてリュカに渡した。
「空を飛べる我々が共に行けないとなると、このロープを使う場所が必ずあるでしょう。早速この輪に引っ掛けて使うのではないでしょうか」
狭い四角の穴の脇には、ちょうどロープのフックを取り付けるための鉄の輪が床から突き出ていた。全てが整えられたような状況に、リュカは思わず喉の奥で唸る。
「何だかさ……出来過ぎじゃない?」
「私もそうは思いますが、まあ、考えても仕方のないことです。お気をつけて」
「サーラさんはそういうところ、サラッと流しちゃうよね」
「あっ! お父さん、そう言うのってオヤジギャグって言うんだよ。ボク、サンチョに教えてもらったことがある!」
「僕もオヤジになってきてるってことだね……はあ」
「そ、そんなことないわ、お父さん! お父さんはとっても若くてステキよ!」
「うん、ありがとう、ポピー。ちょっと元気が出たよ……さて、行こうか」
これから塔の危険な探索を行うとは思えないような緊張感の無さに、リュカは思わず力なく笑う。ここまで来て引き返すわけにも行かない。今までの人生、そんな状況ばかりだと心の中で小さく悪態をつきながらも、リュカはサーラに手渡されたフックを鉄の輪に引っ掛けた。
何の変哲もない鉄のフックと鉄の輪が、まるで化学反応でもするかのように共鳴し合い、見た目にも光を帯びるのが分かった。その光は何の変哲もないロープにまで伸び、リュカは手にしているロープが自分の手を強く掴むような力を感じた。引き合う磁石のように、リュカがロープを掴もうとすれば、ロープもリュカの手を掴もうとする。不思議で少々気持ちの悪い感覚に、リュカは思わずロープを手から振り払った。するとロープは光を失い、ぐったりと傍らの床にとぐろを巻いて落ちた。
「……やっぱりただのロープじゃなかった」
天空人の一人である羽の無い老人から渡されたフック付きロープで、一見すればまるでどこかの盗賊か何かが建物に侵入する際にでも使いそうなものだ。元は魔力も何も秘めていない道具だったものを、心優しき天空人がか弱き人間のために改良を加えたのだろうかと、リュカは空を自由に動き回れるようになった天空城の不思議を思い出す。
「そのようですね。不思議な魔力が秘められていましたか。この輪に反応するんですね」
「しかし良かったですよ。私はどうにかロープを掴むことができますが、プックルには難しいと思っていましたから」
「がううっ!」
「こらっ! ピエールに牙を剥かない! プックルを連れて行かないとは言ってないだろ」
リュカは二人の間に入りながらも、再びロープをそっと手に取った。するとリュカの手の温度を感じてなのか、ロープは再び光を取り戻し、リュカの手を強く掴む。光の温かさだけならば太陽の熱を感じるような空気を通しての温度を感じるのだろうが、リュカの手に感じる温度はまるで直に手を掴まれている温かさだ。このロープから人の手が出てきているのではないかと思うような感覚のため、やはりどこか気持ちが悪い。
「ううっ、ちょっとイヤな感じがするけど、みんなもこのロープを掴んでみて」
リュカの言葉に、早速ティミーがロープを掴む。光が彼の手にも及び、力強く手を掴まれた感覚に、ティミーが「うわぁっ!?」と悲鳴を上げる。
「何これ!? 面白い! これならロープを掴んでれば、高いところからでも下に落っこちることもないよ!」
ティミーが力強くロープを握れば、その分ロープも彼の手をしっかりと掴む。両手の力を同時に抜かなければ、ロープから手が離れることはない。ポピーも同じようにロープを掴んで悲鳴を上げる。魔物であるプックルとピエールにもその不思議な魔力が及ぶのを確認したところで、リュカは安心したように息をつく。
「良かった。人間だけが感じる力じゃないみたいだね」
「私たちも人間の仲間として認められたと言うことでしょうか」
「ピエールもプックルも、ボクたちの大事な仲間だもん。そんなこと、このロープだって分かってるに決まってるよ」
「世の中には不思議な道具がたくさんあるのね……」
「我々は特別、そういうものを目にする機会に恵まれているのでしょうね。はたまた、そのような運命と言うか宿命と言うか……難しいところですな」
「いいよ、難しいことはさ、考えたってよく分からないから、とにかく行ってみよう」
そう言ってリュカはロープを下ろそうとする四角の穴の中を覗き込んだ。真っ暗と思っていた内部にはいくつかの火が灯されているようで、揺らめく火に照らされるのは塔の内部の景色ばかりで、魔物の気配はない。塔の周りの螺旋階段を上っている時にはあれほど魔物の気配を内部に感じていたにも関わらず、見える範囲に一匹の魔物の姿も認められないことに不気味を感じた。
リュカはロープを穴の下に垂らすと、ゆっくりと下に下り始めた。続いてティミーが、ポピーも高さに手を震わせながらも懸命に後に続く。しかしロープを掴んでさえいれば落ちない安心もあり、上さえ見ていればどうにか下まで降りることができた。ピエールは両手でロープを掴むのと同時に、器用に緑スライムをロープにまとわりつかせて下り、プックルは何度か勢い余ってロープを爪で引き裂きそうになりながらも、どうにか着地点に用意されていた台座の上にたどり着くことができた。
下に下りてもやはり敵の姿はない。塔の内部に窓は一つもなく、完全に外の世界とは閉ざされた空間だ。部屋が区切られているわけでもなく、声が響くようなだだっ広い空間の一角で、消えることのない明りが燃料もなくまっすぐと上に向かって火の先を天井に向けている。
リュカは伝い下りてきたロープはこのままにしておこうと考えていた。窓も何もない空間で、この先敵の魔物らと戦う局面があるのは必至だ。万が一の時のために、退路を残しておかなければならないと、まるで生きているかのようなロープを手に掴み、「その時はよろしく」と言うように軽く引いた。
するとロープは上から、ひゅんひゅんと音を立てて真っ逆さまに落ちてきた。鉄の輪に引っ掛けてあったフックが外れ、加速する勢いと共に、リュカたちが降り立った広い台座の上に鈍い音を響かせて落ちた。しばし呆然と落ちてきたフックとロープを見つめていたリュカだが、上を見上げると四角い穴の向こう側にサーラとアンクルの影らしきものが見えた。彼らの表情ははっきりと見えないが、意図的に落としたわけでもなさそうだ。フックは勝手に鉄の輪から外れて落ちてきたと言ったところだった。
「この先も使うことがあるかもしれない、ってことなんじゃない?」
「これだけ高い塔ですから、もしかしたら他にもこのロープを使う場所があるのかも知れませんね」
ティミーの前向きな言葉に乗るように、ピエールが言葉を重ねる。もしそのような場面に出くわしたとしても、リュカとしては退路を保っておきたい気持ちの方が強かった。この塔の正面の扉は強い封印の力で閉ざされていたのか、押しても引いても何をしても開かなかった。内部に入れば小窓一つないのっぺりとした壁ばかりで、息苦しさも感じるような密閉空間が広がっている。そこでロープの退路を断たれたとなっては、もはや出口のない魔物の巣に放り込まれたも同然だ。
「ピー……」
リュカの懐に入っていたスラりんが顔を覗かせ、リュカの顔を仰ぎ見る。不安げなその声を聞き、リュカは自分が不安に駆られている場合ではないと、床に落とされたロープを拾い、くるくると丸めて行く。
「とにかく進めそうな場所を探そうか。ここでこうしていても始まらないもんね」
「お父さん、あっちの明かりの近くに手すりが見えるの。もしかしたら階段があるんじゃないかしら」
ポピーの指し示す方に目を向ければ、二つの火の元にそれぞれ手すりのような影が見えた。その先の床が暗闇で見えない。恐らく下り階段があるのだろうと、リュカは巻いたロープを肩に担いだまま歩いて行く。
風の起こらない空間で真っすぐ上に伸びる二つの明かりに挟まれるように、幅の狭い螺旋階段が下へ伸びていた。先を見通せば、トンネルのような狭い穴が見えた。サーラやアンクルがたとえ上の四角い穴に身体を捩じ込ませることができたとしても、この先の道を進むことはできなかったに違いない。やはりこの塔は人間を招き入れるために作られている。
そこでリュカはふと考える。塔の内部に潜む魔物も同様に、この通路を進むことができないはずだ。塔の内部に棲みつく魔物が大型であれば、この狭い通路を通ることはできない。それは彼らが塔の中に閉じ込められているも同然の状況だ。
「下から魔物の気配がしますね」
「うん。なるべく見つからないように行きたいね」
「この場所のようにただ広い空間ならば、身を隠すには向いていないでしょうね」
「それでもなるべく、静かに大人しく行こう」
神の力の封印を解くべくこの塔に足を踏み入れたリュカたちだが、具体的な封印解除の方法などは誰にも何も知らされていない。フック付きロープをリュカたちに渡したあの老人も、封印を解くことについては何も話してくれなかった。そもそも彼らは、その方法を知らない可能性が高い。もし知っている者がいるとすればそれは神自身だけなのかも知れない。
塔の内部に入り込むこと自体がそもそも不可能に近い所業だ。断崖絶壁に囲まれるこの島に降り立ち、険しい山々を越えてこの塔を見つけ出し、しかも塔の上に昇ってから魔力のこもったフック付きロープを使って塔の内部に下りなければならない。そしてそれを、人間が行わなければならないと宿命づけられている。ここまでを見事に乗り越えてきたのだから、神の力の封印を解く方法は容易なものだろうと楽観視するようにして、リュカは改めてロープを邪魔にならないように腰に巻き付けると、暗闇にも見える先の景色に目を凝らして下り階段を進み始めた。
階段脇に灯る火が一瞬、風もないのに揺らめいて上に昇る。まるで悪魔の笑顔のような形になって燃え盛り、そして隠れるように宙に消えた。その火を見ていたのは、後に続くプックルの青の瞳だけだった。プックルは本能的に、消えた悪魔の火に牙を見せ、低い唸り声を上げていた。

Comment

  1. ピピン より:

    嵐の前の静けさって感じがしますね…
    ブオーンに引き続き強敵の予感…

  2. ケアル より:

    bibi様

    すみません…ちょっぴし教えてくださいますか?
    アンクル「バルブの塔」サーラ「何かの栓」リュカ「違うバブルの塔「ピエール「違いますボブルの塔」。

    ティミー「トヘロス」リュカ「うさぎはいいけどネズミは」

    リュカ「川が流れてるといいな」ポピー「魔物さんに教えて貰ったら?あのうさぎ」プックル「ガウ」リュカ「こらダメだよいじめたら」
    ↑↑
    合っていますか?
    各メンバーの台詞、とくに、リュカとティミー、ピエールとサーラの言葉遣いに少し戸惑ってしまい……ごめんなさい自信がなくて…教えてくださいますか?

    「天空城が?」「天空城が」、リュカとプサンの会話に爆笑しましたよ(笑い)
    そしてプックルとリュカ、もうこの二人?いや一人と1匹は漫才師!(笑い)

    なるほど、bibi様が、つじつま合わせって言ってたのはフック付きロープの使用方法のことでしたか。
    いや良いと思いますよ!
    そうしないと現実的に上り降りが難しいだろうし、ポピーとプックルのためにはナイス描写であります(笑み)

    ただ、アンクル、サーラと分かれたのは想定外ですね、早く正面ドアを開閉に向かわなくては!

    プックルが見たあの邪悪な火の玉…あれたしか……古代の遺跡で子リュカが入り口のあたりで見た火と同じなのでは?
    …ってことは、あの火は…宿敵○○?

    次回は探索と戦闘になりますか?
    次話も楽しみにしています。
    長編になりそうですね、このバルスの塔(笑い)←元ネタはジブリージブリー♬

    • bibi より:

      ケアル 様

      分かりづらいですよね。私も書いてて、分かりづらいだろうなと思ってました。
      アンクル、ピエール、リュカ、サーラの順のセリフでした。ピエールとサーラの口調が似ているので、分かりづらいところですね。ピエールよりもサーラの方がやや辛辣な感じです(笑)
      他のセリフは合ってます。リュカとティミーも似てますよね。そのうちビアンカが復帰したら、母娘も似てくるので、苦労しそうです。でもセリフのテンポを調子よく書きたいので、こうして説明不足のまま話を進めるという・・・読みづらいところもあるかと思いますが、どうぞお付き合いいただければと思いますm(_ _)m
      フック付きロープは一体どうしたものかと頭を悩ませていました。もっと良いアイデアが思いつけば良かったんですが、今の私にはこれが限界(笑) プックルはどうしても連れて行きたかったので、ロープ自体に魔力がこもっていることにしました。
      お察しの通り、火の玉はあの時のものと同じようなものです。よく気づかれましたね(驚)
      次回からまた戦いが始まります。しばらくは戦闘続きになるでしょうか。そろそろネタ切れを起こしそうで、戦闘シーンが上手く書けるか自信がないです。。。でも書いていると燃えてくるので(私が)、頑張って書いて行きたいと思います。

  3. ケアル より:

    bibi様

    また台詞で分からなくなったら聞きますので教えてくださいね。

    火の玉の描写は印象が強かったんですよ。
    パパスは火の呪文を使えないのに子リュカは父が目印にしてくれたと勘違い…パパスが冷や汗して急いでヘンリーを助けにイカダを漕ぐシーンが…。
    「東の遺跡」「父の背中」
    なんども読み返しました…もうなんどもなんども……(泣)
    だから今回のゲマとの因縁決戦で、プックルがベビープックルの時、ゲマの炎で丸焼きになり水の中へ子リュカが押し込んだ、ゲマのせいで炎や火の玉のトラウマになってしまった…、また同じようにならなければいいなと心配してます…。
    リュカが死に神のカマを見て、子リュカが意識を失い空中に揚げられたトラウマを思い出すことは、気を失っていたから無いかもしれませんが、ゲマの魔法で見せられなければいいなと心配。
    「かつての占有」でマーリンの火の呪文でプックルが怯えた…あのころのプックルはまだ、火や炎が怖いと感じていた、そんなプックルやリュカの前に再びゲマが現れ、リュカとぷっ来るにメラ系や炎ブレスを浴びせた時、いったいどうなってしまうのだろうか…と、ほんっとに心配であります……。

    そういえばbibi様、リュカがプックルの記憶を思い出すために、ビアンカのリボンを尻尾に結びましたが、現在は誰がビアンカのリボンを所持しているんですか?

    • bibi より:

      ケアル 様

      できうる限り疑問にはお答えしたいと思います。・・・答えられない時があったらごめんなさい(先に謝っておこう…)
      子供リュカの話はもう遥か昔に書いたので、私自身があまり覚えていないという・・・多分、ケアルさんのほうが深く理解していそうですね(汗)
      プックルの火に対する恐怖は、どうでしょうね。長い戦いの間で大分克服できてるのかな。その辺り、描けてませんね。申し訳ないことです。
      リュカは奴の死神の鎌を覚えています。プックルとヘンリーと奴に立ち向かった時に目にしていますね。私自身、不安だったんで一応確認しておきました。でもそれでも、やはり炎の呪文の方がずっと記憶に残っているから、そっちの方が恐怖でしょうね。
      ビアンカのリボン、多分(多分?)今もボロボロになってプックルの尻尾に結び付けられています。もう体の一部なので、外すに外せないもの、という感じでしょうか。彼女が戻った時に、新しい物に付け替えてもらうのも良いかも知れませんね。

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