青の竜神像

 

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太い柱に巻きつくような螺旋階段の下に、魔物の気配がありありと感じられた。先ほど通った時にも微かに魔物の気配は感じていたが、その魔物らの姿を目にして、ティミーが思わず「あっ!」と声を上げた。
その声を聞きつけた魔物が螺旋階段を降りかけているリュカたちを見上げる。初め、どこか怯えた目をしていたが、相手が人間と見ればその目にはすぐに魔性が戻る。そして後ろを振り返り、合図を送るように顎をしゃくってみせた。すると同じアンクルホーンがぞろぞろと六体、姿を現した。
「アンクルじゃなかったんだ……」
「おにいちゃんのせいで気づかれちゃったじゃない」
「なんだよ、どうせ気づかれてたよ。だってこの階段、隠れる場所なんてどこにもないじゃん」
「それでもこっちから気づかせることなんてなかったのよ」
「気づかれちゃったものは仕方ないだろ。済んだことをあーだこーだ言うのは男らしくないって言われるんだぞ」
「私は女だもん」
「女は度胸って言うんだって、聞いたこともあるよ」
「誰から聞いたのよ、そんなこと」
「うーん、誰だったっけなぁ……ドリスかなぁ」
「あぁ、ドリスならそんなこと言いそうね」
「二人とも、どうせ気づかれたからってあんまり騒がないで」
まだ階段を降りる前に、すっかり階段の下に敵の魔物たちが集まってきてしまった。すぐにでも襲われるのだろうかとリュカは身構えていたが、敵のアンクルホーンはリュカを見上げながらまだ落ち着きのない視線を彷徨わせている。
「おい、お前」
アンクルと似たような声だった。この種族は皆、言葉を話すことができるのだとリュカは会話の余地があることにわずかに安堵を覚える。
「お前はあの……おっかねえヤツとは仲間じゃねえのか」
「おっかねぇヤツ?」
「そうだよ。さっき、お前と似たような色の、その……とんでもねぇおっかねぇヤツがここを通ってったんだよ」
アンクルホーンの“似た色”と言う言葉に、リュカは先ほど目にした炎の影の光景を思い出す。炎の影には死神の鎌の形が浮かび上がっていた。確かに敵は自分と同じような紫の衣を身にまとっていたことを嫌でも記憶している。かつての暗い洞窟の中、炎の明かりに照らされても紫の衣はその色を主張するようにリュカの目に焼き付いた。魔物の塔でビアンカを助ける寸前で見たのも、同じ紫だ。まさか敵と自分が仲間だと思われるなど、リュカは激しい嫌悪感に思わず身を震わせる。
「違うっ! 僕の仲間たちはここにいるみんなだ」
「そうか、そうなのかよ。じゃあ安心したぜ。あんなとんでもねぇのが仲間だってんなら、戦ってる場合じゃねぇからな」
リュカと話していたアンクルホーンはそう言うと、後ろで様子を窺っていた六体の同種の仲間たちを振り向き見る。敵の魔物らが示し合わせたかのように頷き合うのを見て、リュカは返す言葉を間違えたと気づいた。意に反してでも、仲間を守るためには憎き敵でも仲間だと嘘をつく必要があったのだ。
「ティミー!」
「はいっ!」
リュカに呼びかけられたティミーが、まだ降り切らない螺旋階段の上で直立して返事をする。敵の魔物らが戦闘態勢に入るのを感じる。
「できるだけ、敵の呪文を封じるんだ」
「あっ……そうか!」
仲間のアンクルも凶悪な顔つきに筋骨隆々とした大きな身体をしているが、その実彼は激しい呪文の使い手だ。仲間にいるからこそ、その性質を正確に把握しているリュカに従うように、ティミーはすぐさまマホトーンの呪文を唱えた。魔封じの呪文が六体のアンクルホーンに向かって放たれ、二体の敵に呪文の効果が見られた。呪文を唱えかけていた口をもごもごとさせ、もどかしそうに喉を押さえている。
しかし同時に呪文を唱えていた二体のアンクルホーンが、それぞれ竜巻を起こし、激しい火炎を放ってきた。対抗するようにリュカもバギクロスを放ち、ピエールがイオラを放つ。呪文を呪文で防ぐ中、ほとんど降りかけていた螺旋階段からティミーが飛び降りた。ポピーもイオラを放って応戦すると、ようやく劣勢から優勢に変わった。
階段の下に下りたティミーが再びマホトーンの呪文を唱える。父の意図を理解するように、ティミーは全ての敵の呪文を封じ込めるまで、魔封じの呪文を放ち続ける。
父の肩に乗っていたスラりんが上から降ってくるように、ティミーの頭の上に乗る。小さな仲間もまた、補助呪文を使っているのが分かった。スラりんのおかげでいつの間にか戦況が有利になっていることがある。今も同じような状況に持ち込むべく、小さな雫形の仲間はティミーの頭の上から「ピーッ!」と叫んで敵の魔物たちに向かって呪文を放っていた。その呪文の効果を感じ、ティミーは天空の剣を右手に強く握った。
ティミーの頭上からプックルの雄たけびが響いた。頭上から放たれた矢のように、プックルは真っすぐに敵の群れへ飛び込んでいく。ティミーは四体の敵の呪文を封じ込める。残るは三体。スラりんが仲間たちに守護呪文を浴びせる。皆が見えない鎧を身に着ける。
それでもアンクルホーンの攻撃は強烈だ。プックルが敵の顔面に思い切り噛みついたが、その痛みに叫び声を上げつつも、敵はプックルの身体を両腕で抱きしめるように固め、そのままプックルの背骨を折ろうとした。スラりんのスクルトを受けていなければ、プックルの太い背骨はあっさりと折れていたかも知れない。
プックルは痛みに耐えつつも、敵の顔面から牙を離すとすぐさま近くの喉に食らいついた。危機を感じたアンクルホーンはその剛腕でプックルを引き剝がし、たまらず床に叩きつけるように投げた。宙で一回転したプックルは両足で着地したかと思えば、すぐに追撃するように敵の腹に体当たりを食らわせた。
螺旋階段の上にいるリュカたち目がけて、アンクルホーン二体が翼を広げて飛び襲いかかる。リュカはポピーの身体を脇に抱え、襲いかかられる直前に下へと飛び降りた。その場に残るピエールが向かってくるアンクルホーンが既に呪文が封じられていると分かり、剣を構えて対峙する。
一匹のスライムナイトが剣を構えている姿に、二体のアンクルホーンが嘲笑するような顔つきで、手に持つ鋭い悪魔のような爪を向けて来る。ギリギリのところでピエールは剣を持つ右手を下ろし、左手からイオの呪文を放った。目つぶし程度で良いのだと初級呪文を唱えたピエールは、案の定目の前の景色を無くした敵に向かって飛びかかる。弾力ある緑スライムで敵の頭の上に乗れば、そのまま首の後ろから剣を突き下ろした。敵の太い首はピエールの一太刀で絶命することはないものの、生命の危機を感じて慌てて後ろに飛び退る。
ティミーが最後の一体の敵の呪文を封じたのが見て取れた。それまで広い空間に荒れ狂っていた竜巻と火炎の嵐が止み、激しい呪文から身を守りつつ戦っていたリュカたちも息をつく。呪文を使うのを得意とする悪魔のような魔物は、今や一体として呪文を放つことを諦め、怒りに燃える者、恐れに震える者とで分かれていた。リュカはその内の恐れに震えて戦意を喪失しかけているアンクルホーンに呼びかける。
「僕たちは別に、君たちと戦いたいわけじゃないんだ。ここから下に向かう階段があるんだよね? そこを通してくれれば、君たちの命を奪うなんてことはしないよ」
リュカの言葉にいきり立つのは、自慢の呪文を放つことができなくなったことに苛立つ四体のアンクルホーンだ。しかしその内の一体もまた、様々な呪文を使いこなす、獣は矢のように飛んでくる、戦い慣れた剣の使い手がいるリュカたち一行を見て、冷静に戦況が劣勢になっていることを理解している。回復の術も持たないアンクルホーンは、傷をこさえればそれはそのまま痛みと共に抱え込むしかない不利がある。
「……なあ、あいつもさ、ああ言ってくれてんだから、通してやってもいいんじゃねえのか?」
「お前! それでも魔物の端くれかよ! 人間がいるんだぞ。人間を仕留めてなんぼの魔物だろ、オレたちゃ」
「で、でも、ほら、あっちにだって魔物がいるぜ。魔物がいるんなら、通してやったって、別におかしなこともないだろうよ」
「人間と魔物の組み合わせなんざ、聞いたこともないぜ。何なんだよ、コイツらは」
「とにかく顔がいてぇんだけど……くそっ、あの変なトラみたいな奴め、思い切り噛みつきやがって……」
「あいつだって弱っちい顔つきしながら、とんでもねぇ戦士だぜ。回復呪文も使いやがるし」
「お前らが何と言おうと、俺は最後まで戦うぜ。それが魔物の流儀ってもんだろうよ」
「…………すごーい! みんなそれぞれ喋ってるのに、みんなアンクルに見える」
「この魔物さんたちってみんなこんな喋り方をするのね……」
ティミーとポピーが感心したような感動したような言葉を発する横で、リュカが二人の肩を静かに叩いた。アンクルホーンたちは七体がまるで円陣を組むようにして話し込んでいる。目の前の人間と魔物の組み合わせをどうするかと言う議題について、本気の話し合いが行われ始めていた。その脇をすり抜けるように、リュカは子供たちに口に人差し指を立てて静かにするよう示しつつ、足音を立てずにそろりそろりと移動を始める。
進んだ先には下に下りる階段らしき景色が見えた。特別障害物もなく、ただ真っ直ぐに向かえば階段にたどり着けそうだと、屈めていた状態を起こした時、リュカの腰に巻き付けていたフック付きロープの重々しいフックが床にごとりと落ちた。激しい戦闘の中で巻きつけていたロープが緩んでいたようで、その緩みと共にロープが一部外れてしまったのだ。
「あっ!」
「おっ?」
重々しい音で全ての者の思考が中断された。円陣を組んで取り留めのない話し合いをしていた七体のアンクルホーンたちが、いかにも忍び足で逃げ出そうとしていたリュカたちを振り返る。部屋を照らす燭台の炎が、アンクルホーンらがいる場所近くの二本の円柱を静かに照らしている。時が止まったように、互いが互いを見つめていた。
「走れっ!」
先に指示を出したのはリュカだった。その声をきっかけに、逃げるようにティミーとポピーが走り出す。しかし二人の走る速度がもどかしいと、プックルが二人の横を併走すれば、ティミーがその背に乗り、ポピーもその後ろに乗った。プックルが二人を背に乗せて床の上を疾走する。
「逃げんじゃねえー!」
足止めしようと咄嗟に唱えようとする敵の呪文はティミーのマホトーンで封じられている。もし魔封じが為されていなかったら、今の瞬間でリュカたちは危機に追い詰められていたかも知れない。
七体のアンクルホーンが追いかけて来る様はなかなかに恐ろしいものがあった。悪魔のような翼を広げ、宙を突き抜けるように広い塔の中の空間を飛んでくる。巨大な赤と青の魔物が一直線に自分たちに向かってくる様をリュカは一瞬だけ振り向き見たが、ただの脅威でしかなかったのでもう振り向くのは止めた。
床を跳ねて移動するピエールは一番の遅れを取る。そのピエールを先に行かせるよう、リュカはピエールの後ろをつくように駆けていく。前を行くプックルは双子を乗せたまま無事に階段にたどり着けそうだ。階段のトンネルに入ってしまえば、それ以上アンクルホーンの巨体は追ってはこない。それまではと思い走るが、現実的にリュカとピエールは敵の速度から逃げ切ることができないのを、後ろに迫る敵の気配に感じる。
リュカの肩にしがみついていたスラりんが、リュカの耳元で「ピッキー!」と一声叫んだ。リュカは一瞬、耳が潰れたかと思ったが、スラりんが何かの呪文を唱えたことはすぐに分かった。
自分たちに追いすがる敵の気配が一瞬止まる。そして次々と敵が床にもんどりうって倒れるのを、ちらりと振り向いてその目に見た。先頭を飛んでいたアンクルホーンがスラりんのメダパニの呪文を受けて混乱し、突然宙に止まったために、それにつっかえるように次々と後ろに来ていた仲間たちがぶつかって床に倒れたのだった。その隙にと、リュカはピエールと共に階段目がけて駆け抜けていく。
「スラりん、すごいね!」
「ピッピッ!」
リュカが本心から褒めると、スラりんは自慢げにリュカの肩の上で鳴いた。ピエールは後ろを振り返る余裕もなく、ただ一心に目前に迫る階段目がけてぴょんぴょんと走り続ける。
リュカたちが無事に下に続く階段にたどり着き、その狭いトンネルの中に身を潜めれば、トンネルの外からアンクルホーンたちの怒声が鳴り響いた。
「ずるいぞ! こっそり逃げるのは卑怯者のやることだ!」
「命を守るのにズルイも何もないよ」
「オレたちの呪文まで封じ込めるような姑息な真似をしやがって!」
「それは戦略の一つだよ。君たちはただでさえ馬鹿力なんだからさ、呪文くらいは封じさせてもらわないと、割に合わないもん」
「呪文を封じられるってなぁ、すっごい気持ちが悪いんだぜ! こっちはすっげぇ呪文を唱える気満々だってのに、こう、何て言うか、喉の奥に綿を詰められるって言うか、息が詰まるんだよ!」
「あっ! それ、よく分かるよ。そうそう、そんな感じだよね。そうかぁ、綿かぁ。綿だったんだ、あの感じ。なんかさ、それだけで死にそうな感じになるよね。一瞬息を吸うのも吐くのもできなくなるもんね」
トンネルの外で怒りに声を上げるアンクルホーンに対して、逃げ延びたリュカは息が上がりつつもまるで普段通りの会話を楽しむように言葉を返している。呪文を使えないアンクルホーンに対しては完全な避難所と化した狭いトンネルの中で、リュカは安心したように息をついて彼らの話に耳を傾けてしまう。
「こんな場所じゃなければなぁ、アンクルみたいに仲間になってもらって一緒に来てもらいたいんだけどさ」
「仲間だぁ!? 何を寝ぼけたことを言ってんだ。確かによう、お前は魔物の仲間を連れたヘンテコなヤツだが、オレたちゃそいつらみたいに人間の仲間になるようなへなちょこじゃねえぞ!」
「でもさ、これだけ僕と喋ってるんだから、もう仲間も同然だと思わない? でも君たちはこの狭いトンネルに入れないしなぁ。困ったね」
「困らねえわ! 仲間にもなんねえし! 勝手なことばっか抜かしてんじゃねえぞ!」
怒りの声を荒げるアンクルホーンの醸す雰囲気に、いち早く危機を感じたポピーが「はっ!?」と思わず短い声を上げる。
「お父さん! 早く逃げた方がいいわ!」
リュカがどうしたのかと聞く間もなく、背後から熱が迫って来た。魔封じマホトーンの効果を切らしたアンクルホーンが、人間の言葉に絆されそうになる自身に喝を入れるように、その手から呪文を放ったのだ。狭いトンネルの中に、逃げ場のない熱がリュカたちに一気に迫る。ベギラゴンの熱が背後から迫りくる中、リュカは名残惜しさを感じつつも、自身と仲間の身を守るために懸命に螺旋階段を下へと駆け下りて行った。



辛くも敵の放ったベギラゴンの炎から逃れ、リュカたちは更に下の階へとたどり着いていた。狭いトンネルの螺旋階段を出れば、そこには至って殺風景なだだっ広い空間が広がっていた。各階には当然のように明かりが灯され、視界に困ることはない。やたらと広い空間だと思っていたのは、ちょうど塔の中央部に大きな穴が開いていたからだった。吹き抜けのような穴があり、下の階からもまた明かりが漏れ、塔がまだ下に続いていることが分かる。
リュカたちが降りた階には石柱があるわけでもなく、聖なる水の張られた池があるわけでもない。何もない見通しの良い空間だ。それだけに、敵の魔物がいれば隠れる場所などどこにもない。
大きな穴を挟んだ向こう側に、明らかに魔物の姿が見えた。その者は背に翼を持ち、この広い塔の中の空間を自由に飛び回ることのできる魔物だ。塔の中央に大きく開いている穴などひとっ飛びに飛んで越えてきてしまうだろう。リュカは螺旋階段を駆け抜けてきた疲れも忘れて、腰の剣の束に手をかけた。またしても外れかけていたフック付きロープのフックに気付くと、自らのベルトに差し込むようにして固定した。
リュカの予想と異なり、翼を持つ金色の魔物は床の続く場所を選ぶようにして飛んでくる。その姿は竜と人が混じったようなもので、竜人という者がいるとすればこのような姿になるのだろうと思わせられる。似たような姿をした魔物をどこかで見たことがあると思ったが、感じる気配はまるで違うようだった。竜人が手にする剣は巨大で、そのひと振りで何人もの人間を薙いでしまえるほどの威力がありそうだ。
シュプリンガーと呼ばれる竜人の魔物が五体、きれいに横並びでリュカたちに向かってくる。先に続く通路を塞ぐようにして、五体の魔物はリュカたちとの距離を詰めてきた。大振りの剣での攻撃が主ならばと、リュカはスラりんに呼びかける。スラりんは分かってるよと言わんばかりにポピーの肩に乗ったまま、身体を震わせてスクルトの呪文を唱えた。リュカたちは一人残らず、身体の周りを包む守護の力を感じる。
しかしその力は敵の放つ呪文によってあっという間にかき消されてしまった。シュプリンガーが剣を手にするその手から、対抗するようにルカナンの呪文を放ったのだ。リュカたちは見えない鎧が外された上に、更に身体そのものが持つ防御力すら吸い取られたように感じ、途端に敵の大振りの剣に恐れを感じる。
「距離を取りましょう」
ピエールが言うのは、敵は攻撃呪文を使うことはなさそうだという意味だ。敵の攻撃の術があの剣である限りは、距離さえ取ればどうにか凌げるとリュカも同意するように敵との距離を取るべく後退る。
塔の中央に大きく開く穴に寄り、その下に見える景色をちらと見ると、巨大な像のようなものが穴の大部分を埋め尽くすように建っているのが見えた。しかしそれが何なのかは分からない。ただその近くに行くだけで、町や村の教会などの比ではないほどの聖なる力を感じることができた。
穴を囲むようにして塔の通路は続いている。リュカたちは敵から距離を取るようにして、他の通路を行き始めたが、そちらからも同種の魔物が、まるで複製したかのような形で五体、同じように横並びに向かってきていた。挟撃を受ける形で、逃げ場がない。先に進むのであれば、どちらかの道を突破しなければならない。
「がうっ!」
プックルの目が新たに道を塞ぐ敵の向こうを見据えている。五体の敵の遥か向こうに、塔内を照らす大きな燭台があり、その脇に螺旋階段への入口らしき影が見えた。リュカが剣を強く握ると、急先鋒を務めるプックルが飛び出した。プックルが敵のただ中に突っ込む直前で、スラりんが再びスクルトを唱えた。
素早く振り下ろされる敵の剣をかいくぐり、プックルが一体のシュプリンガーに体当たりを食らわせる。並ぶ五体の敵の左から二番目、そこに道ができる。プックルはそのまま独り、奥の階段へと向かって走り抜ける。その後、既にリュカが続いて駆けている。そのすぐ後ろに、ティミーとポピーが足並み揃えて走る。
プックルが開けた道を突破しようと駆けるリュカたちに、敵の呪文が容赦なく浴びせられる。三体のシュプリンガーから同時に発せられたルカナンの呪文に、スラりんとティミーのスクルトでは防御力が追いつかない。激しく守備力を削がれたリュカたちに、敵の剣が降りかかってくる。
敵を倒すことが目的ではないと、リュカは左手に魔力を集中させ、バギマの呪文を放った。父の手から放たれた呪文を見て、咄嗟にポピーもイオの呪文を放つ。逃げるための道を開ければ良い。敵の注意を逸らすことができればそれで十分なのだと、竜人たちが剣を振り下ろすその瞬間を少しでも遅らせる。
空いた左から二番目の道を、リュカがポピーを脇に抱えたまま走り抜けた直後、敵の剣が空気を切り裂いた。リュカの濃紫色のマントの端を裂いた後、激しい金属音が鳴り響く。ティミーの天空の盾が敵の剣を受け流していた。瞬時、ティミーの足が止まり、敵の只中で取り残された。
人間の子供だからと容赦などなく、敵の大振りの剣が振り下ろされる。ティミーが再び盾で受ける。天空の盾は大振りの剣を受けても傷一つつかない。しかしそれを支えるティミーはまだ子供だ。身体の大きな竜人との力比べて敵うことはない。一瞬にして床にねじ伏せられたティミーをリュカが振り向き見た。
戻る必要はなかった。ティミーの身体が後ろから強く押され、敵の中から飛び出した。ピエールがティミーに半ば体当たりのようにその身体を押し出し、それと同時に剣を持つ敵の腕に斬りつけていた。迷いなく駆け抜けなければならないと、リュカは皆に「行け!」とだけ伝え、自身は最後尾から仲間たちを追い立てるように走って行った。
竜人たちには翼がある。必死に逃げるリュカたちに追いすがろうと、宙を突き抜けるように飛んでくる。リュカは仲間たちが一人残らず螺旋階段のトンネルの中に身を潜めたのを認めると、自身がその避難場所に身を潜める前に敵に向き合うように後ろを振り向いた。
「これでも食らえっ!」
リュカは道具袋の中に手を突っ込むと、固く握りしめたままの拳を振り上げ、敵に向かって投げつけた。この世の中には敵を攻撃するための爆弾石という危険な道具がある。爆弾岩という魔物を小さくしたようなもので、食らえば場合によっては致命傷になりかねない傷を負う。
敵であるシュプリンガーはその道具の存在を知っていた。投げつけたリュカはそんな危険な道具があることを知らない。ただのはったりだった。敵の足を一瞬でも止めてしまえばそれで十分だった。
リュカたちを追いかけていたシュプリンガーらの動きがピタリと止まり、途端に慄く様子を見せる。その隙にリュカは仲間たちが既に避難しているトンネルへと飛び込んだ。
「薬草って知ってる? それで腕の怪我を治しておくといいよ」
床に打ち捨てられるように、しなびた薬草が足止めを食らった敵の足元にある。リュカたちの姿は既に螺旋階段に続く狭いトンネルの中だ。心臓が飛び出そうなほどの動悸が収まらないまま、リュカは息を切らした状態でトンネルの外にいる敵に話しかけた。
「あ、その薬草はね、本当はすり潰して飲むものらしいんだけど、君たちならそのまま食べるのも問題ないでしょ。ちょっと苦いけど、怪我は治るからね」
リュカの言葉に敵からの返事はない。ただトンネルの外で静かにリュカの言葉に耳を傾けている様子が感じられる。大振りの剣の攻撃が届かない場所にまで避難した人間と魔物の一団に、敵は既に戦意を喪失しているようだ。
「この塔ってまだ下に続いてるんでしょ? ちょっと魔力は取っておきたいからさ。薬草で勘弁してね」
「確かに今まででかなり魔力を消費してしまいましたからね……」
「ボクはまだ平気だけど、でもまだ先があるんだもんね」
「どれくらい下に続いているのか分からないし、私も魔力は取っておいた方がいいと思うわ」
「じゃあ、僕たち先を急ぐから。行くね」
額から噴き出る汗を拭いつつ、リュカは一度深呼吸をすると先に階段を降りる仲間たちの後に続く。階段を降りる途中で、リュカは背後でごく小さな敵の声を聞いた。何と言われたのかは分からなかったが、悪いことは言われていないような気がした。
一つ一つの螺旋階段は非常に長い。それは各階の床が建物の床とは思えないほどに分厚いからだった。トンネルを行く時には、外の物音が一つもしないが、出口が近づけばその空間を照らす明かりと共に魔物の気配が濃くなるのを身体に感じる。塔の壁も床も、魔物の気配を完全に閉じ込めてしまえるほどの強力な魔力が込められているのが自ずと分かる。
階段を抜けた先には同じような空間が広がっている。しかし塔の中央には目にも鮮やかな青く巨大な柱が建っているように見えた。しかしそれはただの円柱や角柱ではない。何かの形を象っていることはすぐに分かった。
塔全体を支えるかのような巨大な柱のような像は、更に下の階から伸びているようだった。リュカたちのいる場所から、中央の像に触れることはできない。そしてその像を守るかの如く、目にも眩しい黄金の半人半馬の像が規則正しく並べられている。上を見上げれば先ほどの竜人たちがいた階層の床があり、中央部は大きく空洞になっている。竜人シュプリンガーはその背に大きな翼を持っていた。自ら望めば、この中央の大きな空洞を自由に行き来し、リュカたちを追いかけてくることもできるはずだが、その姿は今見えない。
青く巨大な柱に見えていた建造物をぐるりと回りこんで見れば、それが竜の顔を象っているものだと認められた。あまりにも巨大で、一目にはそれが何なのかが分からなかったが、塔の壁に背をつけるようにして遠ざかって眺めて、ようやくその形を認識することができた。
巨大な竜の顔がリュカたちに向いているが、その表情には想像するほどの威厳を感じない。巨大な像自体からは迸るほどの聖なる力を感じるというのに、竜の顔つきには何かが足りないと感じてしまう。完成された力を感じないのは何故だろうかと、リュカは思わず竜の像の正面で腕くみをして唸る。
「幸いにも、ここには魔物がいないようですね」
そう言いながらピエールは首を傾げている。発した言葉とは裏腹に、彼は確かにこの近くに魔物の気配を感じていた。プックルもスラりんも同様で、動く魔物の気配は感じないものの、明らかにそれと思しき気配を近くに感じている。彼らが降り立った階層にも当然のように明かりが灯り、消えることのない明かりは塔の隅々までを照らしている。外からの明かりなど一つもない完全に閉ざされた空間で、リュカたちは仲間たちの足音や息遣い、燭台に燃える炎以外の音を耳に感じることはない。
「神様の力が封印されてるって、そんな感じがするね」
リュカの隣で同じように巨大な竜の像を見つめるティミーが、半ば感動するような声音でそう言う。リュカはそんな息子の表情をそっと横目に見下ろした。すっかり勇者としての自覚を得て、まだ子供の癖にその表情にも一人前の男の一部が垣間見える。彼にのみ装備が許されている天空の兜の青い宝玉が、まるで目を瞬くように煌めくのを見たリュカは、竜の像に感じた違和感の答えにたどり着く。
「目だ。目がないんだ」
青い竜の像には、両目の部分だけぽっかりと黒い穴が空いている。ひとたびそれに気づけば、両目を失ったままの巨大な竜の像には不気味さえ感じられた。像全体からは神々しい空気を放ちながらも、両目の黒い空洞からは微塵も神の力を感じられない。そこにはただの空洞が存在するだけだ。
「竜の目がって……そう仰ってたわ」
ポピーがリュカの手を掴みながらそう言う。祭壇前で倒れ、姿を消してしまった神に仕える天空人の女性が遺した言葉だ。二匹の途轍もない魔物が竜の目をと、彼女は今際の際にリュカたちに伝えた。失われた二つの竜の目をこの巨大な竜の像が必要としているのだと、リュカは竜の像に向かって床の上を歩き出した。
立ち並ぶ半人半馬の金色の像の脇に立ち、竜の頭を間近に見つめる。竜の像は下の階層から一つの巨大な柱のように伸び、リュカたちが足を着ける床とは離れている。床で助走をつけて宙を跳んだとしても到底届くような距離ではない。リュカは更に竜の像をよくよく確かめようと、金色の半人半馬の像につかまりながら身を乗り出すと、その途端に身体がぐらりと傾ぎ、慌てて体勢を立て直した。
竜の像を守るように立ち並ぶ金色の像の一体が、その背に生やす翼をばさりとはためかせた。隆々とした腕で肩に担ぐ斧も、違わず金色だ。その刃先が唸るような音を立てて、リュカの頭上を舞った。思わず首を引っ込めたリュカの黒髪の毛先をばさりと切り落とした。
「感じていた魔物の気配はこ奴らでしたか」
「がうがうっ!」
人間の手に触れてその封印を解いたかのように、立ち並ぶ金色の像が一体、命を吹き込まれ動き出した。神の力が封印されていると思しき竜の像を守るための金色と思われたものが、今はリュカたちを敵と認めて斧を構えている。青く美しい竜の像を守るには、その姿はあまりにも禍々しい空気に満ちていた。髪も威厳ある髭も毒々しい赤紫色に染まり、リュカたちを見据える目にも危険な赤が光っている。
「この魔物さん……心が見えないわ」
「元々はこの竜の像を守るためのものだったのかも知れません」
「それがどうしてこんなに……」
本来は聖なる光に包まれた黄金の半人半馬の像だったのだろう。しかし今ではその神々しさを完全に失い、むしろ悪魔の力に囚われてしまっている。神の像を守る矜持など忘れ、その心は金色の像に宿らず、悪魔の手に委ねられているようだ。
半人半馬の金色像ゴールデンゴーレムが隆々とした腕で斧を振り回す。魔物を中心に、激しい竜巻が起こり、最も間近にいたリュカは敵の放ったバギクロスの呪文の渦中に放り込まれた。共に巻き込まれそうになったポピーを咄嗟に押し出し、彼女がプックルの脇腹に受け止められるのを横目に見て、リュカは激しい竜巻の中で限界まで身体を丸める。真空の刃に襲われる箇所を極限に減らすべく、渦に巻かれながらもその痛みを背にだけ受けた。その痛みも中に装備している魔法の鎧のおかげで半減する。
耳に痛く響く金属音が鳴り響く。リュカを襲う竜巻が止んだ。ティミーの天空の剣が敵の巨大な斧を弾いていた。力では到底敵うことのない小さな男の子が、自分の数倍もあろうかと言う敵に立ち向かい、怒りの形相で金色の像に斬りかかっていた。そして少年に注意が行かないようにとプックルが素早く動き回り、敵の目を惹きつける。同じ役割を、宙に飛び上がる敵の腹部を目がけてピエールが剣を突き出す。
背中に大きな翼を持ち、宙を跳ぶことのできる敵に、直接攻撃は限界がある。しかし仲間たちの魔力は少ない。封印の塔に入り込んですぐに遭遇した死の呪文を操る巨大鳥たちとの死闘で、一気に魔力を削がれてしまっていた。残りの魔力をできるだけ、回復のために残しておきたいと思うのはリュカだけではない。
幸いにも、金色の像が魔物として動き回っているのはたった一体だ。どうやら青の竜の像周りに配置されている同様の金色の像は、リュカたちが手を触れさえしなければ魔物としての生を目覚めさせることもないようだ。
「お父さん、あっちに階段があるわ!」
敵に囲まれることもない状況を良いことに、ポピーは一人離れて逃げ道を確かめていた。敵が一体ならば逃げることも簡単だと、リュカ同様ポピーもそう考えていた。
「みんな! あっちに向かって走れ!」
ポピーの案内に従うように、リュカは大声で指示を出す。しかしプックルの二倍はありそうな大きな身体のゴールデンゴーレムの攻撃から、なかなか逃げ出すことができない。敵は巧みに斧を振り回し、宙を駆け、大抵のものを鷲掴みできそうな四つ足で仲間の身体を掴もうとする。掴まれてしまえば終いだと、ティミーもプックルもピエールも必死になって攻撃と防御を繰り返している。
リュカは自身が盾になるべく、仲間たちのもとへと駆けて行く。そのリュカを追い越すように、目を開けていられないほどの眩い光が、敵の巨体を取り込むように包み込んだ。光を感じて、リュカたちは逃げる一瞬をその手に掴んだ。
聖なる光を打ち破るように空間から姿を現したゴールデンゴーレムの前に、既にリュカたちはいなかった。スラりんが唱えたニフラムの呪文に取り込まれはしなかったものの、魔物らが苦手とする聖なる光にほとんど目を潰されたように、金色像の魔物は苦し気に頭を振っている。
勇ましくも魔物の正面に立っていたスラりんの身体を掬うように拾い上げ、リュカは前を走るティミーに雫形の仲間を投げ渡す。確かに受け取ったティミーは更に前を行くプックルの背に乗るよう、スラりんを投げてみた。弾みながらもプックルの背に乗ったスラりんを見て、ティミーは思わず「スラりん、すごーい!」と場違いな歓声を上げた。
敵前逃亡をしていく人間と魔物の集団を、ゴールデンゴーレムが宙を駆けて追いかける。その手から二度目の真空呪文が放たれる直前、リュカたちは螺旋階段に滑り込むように辿り着いた。しかしそこで止まるわけには行かなかった。背後から竜巻の勢いが音を立てて迫りくる。この狭いトンネルの中に竜巻の勢いが入り込めば、その威力は数倍にも増すだろうと、リュカは前を行く仲間たちに「下まで走れ!」と声をかけ、自身が最後尾につけて下り階段を飛ぶように降りて行った。自身も放つことのあるバギクロスの呪文を受けるのはもう御免だと、リュカは既に敵の呪文で切り裂かれたマントをはためかせながら、仲間たちを追い立てるように駆け抜けて行った。



逃げた先に広がるのは、青い巨大な柱が広い部屋の中央に聳え立つ光景だった。嫌に明るいと感じたのは、空間を照らす火の数が多いためだ。まるで外にいるのと変わらない明るさで、その明るい空間には白毛の猿が無数にいた。視界には困らないが、見える範囲のほとんどに白毛の猿シルバーデビルが埋め尽くすようにいる光景に、リュカはある種の絶望しか感じなかった。
「見たことがある魔物だね」
ティミーの言葉に、ポピーが反応する。
「妖精さんのところへ行く時に、遭ったことがあるわよね」
「ティミー、敵の呪文を封じ込めて欲しいんだけどさ、ここにいる敵みんなの呪文を封じ込められるかな」
「いや、それはちょっと難しいかも……って、この猿の魔物って呪文を使うんだっけ?」
ティミーが声を潜めることもなく普通に話していると、来訪者に気付いた猿たちが一斉にぎゃあぎゃあと騒ぎ始めた。猿なのだからもう少し頑張って言葉を習得して欲しかったなどと思うリュカだが、猿だ熊だ鳥だと、魔物が言葉を扱うのはその種族にはさほど関係のないことなのだろう。言葉と言うのはとても便利なのだからこういう魔物たちにも教えることができればいいのにと思いつつも、言葉が話せなくとも良い関係を築けることもリュカは知っている。結局は互いに歩み寄る気持ちを少しでも持てるかどうかなのだと、リュカは思い切り顔をしかめながら、床をぴょんぴょんと跳ねて近づいてくるシルバーデビルの群れと対峙する。
ティミーがなるべく広範囲にと、集中してマホトーンの呪文を唱える。広間にいるシルバーデビルの数は五十を超えている。この魔物が火炎呪文を使うことができることをリュカは覚えていた。呪文封じの呪文を受け、苦しそうに喉を押さえる白毛猿の数を、リュカは約半数とその目に捉えた。
敵の目にはどこか楽し気な雰囲気が漂う。そしてその目に狡猾な光が見える。話す余地はないのだと、その目を見てリュカは剣を構えた。
広い空間に火炎の熱が一気に充満する。数体のシルバーデビルが一度にベギラマの呪文を唱えたのだ。取り囲まれるように火炎が迫る中、リュカたちは僅かな隙を見て火炎から逃れる。プックルは思わず震えそうになる足を踏ん張り、火炎を上から飛び越えて白毛の猿の群れに飛びかかって行く。喉を押さえている敵は呪文を封じられている。プックルは目敏く喉を押さえる敵にのしかかり、素早く喉に食らいつく。ピエールもまた同じように、接近できる敵を見て、剣を振るう。
ティミーは天空の盾を左腕に構えつつ、再び呪文封じの呪文を剣を手にする右手から放つ。見えない呪文の効果は、シルバーデビルの様子で窺い知れる。喉元を押さえる敵の数が増えた。リュカもまた仲間たちと同様、呪文を封じられた敵に向かって剣を向ける。同時に、背には双子を護るように、離れず庇う。
青の竜の像の太い首が、上の階にまで伸びて突き出ている。先ほど、上の階では竜の顔を目にして、その両目が空洞になっていることを確かめた。この首を伝って上に昇ることができるのだろうかと、リュカが子供たちを背に護りながらじりじりと竜の首に近づいて行く。
広い台座の上に鎮座している竜の首元に近づくリュカたちに、シルバーデビルの群れは一定の距離を保ち、それ以上は近づいてこない。まるで台座の上に乗ることを恐れているかのようなその行動に、リュカは思わず首を傾げた。
その時、プックルの突進を受けたシルバーデビルが一体、青の竜の首元にまで吹っ飛んできた。しかし白毛の猿が叫び声を上げたのは、像に叩きつけられる前だった。まるで中空を飛んでいる途中で攻撃呪文を浴びたかのように、敵は悲鳴を上げた。像に叩きつけられた後も、叫び声を上げ続けながら、這う這うの体で竜の像が安置される台座から逃げ出して行った。
「リュカ殿、敵はこの像が帯びる聖なる気に触れられないのではないでしょうか」
神の名はマスタードラゴンと言う。その名から竜神を想像できるが、今リュカたちが目にしているこの竜の像がその姿を象徴しているのだろう。神の力が封印されているというこの塔で、青く巨大な竜の像からは目に見えるほどの神々しい空気が迸り出ている。封印していても閉じ込めきれない神の力が、この竜神の像から漂い、魔の力に屈している魔物らは決して竜神の像に近づくことができない。
「そっかぁ! 何かおかしいなぁと思ってたんだよ。だって猿なのに、この像に上ってるのが一匹もいなかったでしょ? 普通さ、猿なら高いところが好きなんだから、絶対こんなのがあったら上るもんね!」
「……お兄ちゃん、そんなこと考えてたの?」
「だって、猿だよ?」
「よく見てたね、ティミー。君は案外、冷静だよね」
「そう言うの、冷静って言うのかしら……?」
空間全体に猿の喧しい声があちこちで響く。大半がリュカたちに敵意を持ち、襲いかかろうとしているが、リュカたちが竜神の像近くにいる限りは直接攻撃を食らうことはない。しかしその群れに加わらない一団もいる。
猿の群れはおよそ三つに分かれていた。半数以上はリュカたちと対峙する群れ、一つはリュカたちを牽制するように遠くから状況を見守る群れ、そしてもう一つはこの場から逃げ出したいと言わんばかりに塔の壁に噛り付いている群れだ。塔の壁にへばりついている猿の群れのすぐ脇に、リュカの背丈の三倍は悠にあるかと思えるほどの巨大な扉があった。仄かに青白く光るその扉に直接白毛の猿が触れることはない。恐らくその扉にも聖なる力が宿り、魔物はそれに触れることもできないのだろう。
「あの扉を開けば、ここにいる魔物たちも塔から解放されるのかな」
「真っ先に敵の身を考えるのがリュカ殿らしいですね」
「でもあそこまで行くのに、魔物に襲われるよ!」
ティミーがそう言った途端に、ポピーの叫び声が響いた。シルバーデビルがまた一斉にベギラマの呪文を唱えたのだ。竜人の像に近づけはしないものの、敵の放つ呪文は悠にリュカたちに届く。四方八方から火炎を浴びせられれば、リュカたちにも逃げ場がない。竜神の像の加護に頼るにも限界があると、リュカは猿たちが教えてくれた扉を見据える。
「二人はプックルに乗って」
「がうっ」
リュカの言葉にプックルが了解したと言わんばかりにその背を下げる。二人の子供たちも事態を理解したように、プックルの背に乗ると立ち上る炎のような赤毛をしっかりと掴む。あの扉まで一気に駆け抜けるのだと、リュカは扉に向かって左手を真っすぐと向ける。魔力が集まり、リュカの手が空間の中で陽炎のように揺らめいた。
扉に向かって一直線に、鋭い竜巻が伸びて行く。白毛の猿たちがバギマの竜巻に巻き込まれないようにと、その場から飛び退く。プックルがしなやかな身体を駆使して、床を飛ぶように駆けて行く。その後をリュカとピエールが続くが、プックルの速さには到底追いつけない。しかしピエールがイオの呪文で敵の群れを散らせば、躍動感溢れるプックルの後姿が確かに見える。
速度を全く緩めないままプックルが扉に突っ込んでいく様子に、その背に乗る双子が目を見開いた直後、固く目を閉じた。衝突に耐えられる自信はなかったが、プックルに対する信頼がそれを勝った。いつも通り、前足を踏ん張り急ブレーキをかけたプックルだが、背に乗せる二人の重さを計算していなかった。激突とまでは行かないまでも、止まりきれない速度のまま閉じられた扉にそれぞれ身体を打ち付けた。
プックルたちがぶつかっても、扉はびくともせずに閉じられたままだ。扉近くで半ば期待の眼差しを向けていたシルバーデビルたちが肩を落としている。一部はその状況に怒りを感じたようで、容赦なくプックルたちに襲いかかってきたが、プックルがひとたび激しい雄たけびを上げれば身体を縮こまらせて黙り込んだ。
「えっ? 開かなかったの?」
遅れて扉にたどり着いたリュカもまた、白毛の猿たちのように肩を落とした。ピエールがリュカの背後でイオの呪文を唱え、猿の群れを牽制する。彼の魔力もまた底を尽きかけており、残りは回復呪文のために温存しておきたいのだと、イオ以上の攻撃呪文を唱えることはない。
敵に囲まれる中、リュカは目の前の扉を押したり引いたりしてみたが、無情にも扉はまるで壁のように微塵も動かない。塔の扉が外側からは封印されているのは知っていたが、内側からなら簡単に開けられるものだと思い込んでいた。
「お父さん、ボクが呪文で吹っ飛ばしてみようか!」
「ちょっと待ってよ、呪文なんかで吹き飛ぶようなものじゃないわよ、きっと」
ティミーが扉に手を当てて呪文の構えを取る横で、ポピーがその手を必死に止める。リュカは勇者の力ならば呪文でも何でも、この扉を動かすことができるのではないかとその可能性を考える。しかしその思考を、周りで好きに騒ぐ白毛の猿たちの騒めきに邪魔され、自然と眉間に皺が寄る。猿の声に耳を傾ければその言葉が分かるのかも知れないといざ耳を傾けても、恐らく魔物らは好きに騒いでいるだけなのだ。早く扉を開けろだの、人間なのに扉を開けられないのかとか、期待していたのにがっかりだとか、早くここから出してくれよとか、外ってどんな世界なんだとか、猿たちの言葉にはこの場を打開するヒントが一つもない。好き勝手に騒ぎ立てるだけの猿の集団に、リュカのこめかみの血管が浮き上がり、今にもぶちりと音を立てて切れそうになる。
「うるさいっ! 黙れ! 考えてるんだよ!」
リュカの声に、敵のシルバーデビルらも、仲間たちも一様に驚き、辺りは嘘のように静まり返った。空間を明るく照らし続ける巨大な燭台の炎の燃える音が存在感を醸す。
「どうにかしたいんだったらお前たちも少しは考えたらどうなんだ! 好き勝手にああだこうだと言ったってどうしようもないだろう。外に出たいのは僕たちも同じなんだよ。目的は同じなんだよ。それなら一緒に外に出る方法を考えたらいいに決まってるだろ!」
リュカの言葉が敵に伝わったのかどうかは定かではない。しかし苛々とした怒りに触れ、しかもそれが敵意からではなく、五月蠅いからだという単純な理由であることに、シルバーデビルたちは互いに顔を見合わせて戸惑っている。五十を超える猿の群れが一斉に静まる光景に、リュカの傍でピエールがひっそりと征服感を味わっていたりする。
リュカの肩に乗るスラりんがその心を宥めるように小さな身体をゆらゆらと揺らす。リュカの苛々は疲労と緊張に寄るものだ。その内の緊張が緩められれば、リュカの心は多少なりとも凪いでいく。落ち着けば、怒りにぼやけていた景色にも冷静に目を向けることができた。
シルバーデビルの群れの一つが、竜神の像の左側の位置に固まっている。てっきりその魔物らはリュカたちの動向を遠巻きに見ているだけの集団と思っていたが、その一団の只中に床から突き出る鉄製の棒を目にして、彼らは初めからリュカたちに教えようとしていたのだと今になって気づいた。
リュカが竜神の像の左側に位置する鉄製の棒に向かって歩き始めようとすれば、魔物たちは本能的に人間の行動を阻止すべく再びぎゃあぎゃあと騒ぎ出す。耳障りでしかない猿の鳴き声の嵐に、リュカは頭痛を感じるようにこめかみを指で抑える。ベギラマの火炎が飛んでくる。ポピーが応戦するようにヒャダルコの呪文で火炎を打ち消す。しかし彼女もまた、残りの魔力が底を尽きかけている。
「お父さん、あれってさ、あのトロッコのレバーに似てるよね」
「トロッコ……ああ、あの洞窟のね。そうかも知れないね」
「レバーならさ、反対側に動かしてみればいいのかな」
そう言いながらティミーは片目をつぶって、狙いを定めるかのように唇を噛んで集中する。白毛の猿たちが群がる鉄製の棒は、青く輝く竜神の像とは対照的に、酷い錆のために変色し、あと十年もすれば折れて朽ちてしまうのではないかと思うようなものだ。両手で持ち、力に任せて動かした瞬間に、もしかしたら中ほどからぽきりと折れてしまうかもしれないと思わせるほど、頼りない。
「やってみるね!」
「え? いや、ちょっとティミー、何を……」
嫌な予感がしたリュカだが、その予感を飛び越えてしまうのがティミーだった。シルバーデビルの群れには構うことなく、ティミーは両手に剣を構えるとそのまま魔力を集中させる。天空の剣に集約されていく魔力が、電気を帯びる。ティミーの癖のある金髪が更に逆立つ。
天空の剣の先端から、激しい光が飛び出した。ライデインの呪文が一直線に、床から飛び出す鉄の棒に走って行く。閉ざされた空間で放たれた雷の威力は激しく、数匹のシルバーデビルが神の裁きを受けるかのように雷に巻き込まれた。
耳をつんざくような轟音と共に、予想通り、鉄製の棒は雷の威力に耐え切れずに粉砕した。その状態を見て、ティミーが一切手加減なしにライデインの呪文を唱えたのだと、リュカは思わず苦い笑みを浮かべていた。
結果的にそれが良かったのか悪かったのかは分からない。しかし粉砕された鉄製の棒ごと、扉の封印は解除された。プックルが立ち上がるように前足を扉にかけると、扉はそのままゆっくりと外側へと開いて行った。外に溢れる日の光が塔の空間に差し込むと、その美しい光景にシルバーデビルの群れからどよめきが起こった。猿の目にも涙。魔物たちが外の光景に感動している姿を、リュカたちは初めて目にした。
奇声だか歓声だかを上げながら、猿の群れがリュカたちを追い越すように扉を通り過ぎて行く。目の前にいる人間など目もくれず、外に飛び出したシルバーデビルの群れは、夕日に照らされる美しい緑の中に溶け込むようにその姿を消して行った。
「おいおい、なんだよありゃあ。白い猿がうじゃうじゃ出て来たぜ。気持ち悪いことこの上ないな」
「ご無事で何よりです、リュカ王、ティミー王子、ポピー王女」
夕日を浴びる悪魔の翼を持つ仲間たちが、外で待ち構えていた。塔の中の様子を注意深く探っていたのだろう。アンクルとサーラの姿を見て、リュカは疲れが噴き出すように身体を覆うのを感じた。その横を、まるで彼の苦労を労うように背中をぽんと叩いて、外の世界へと去っていくシルバーデビルがいた。言葉を交わすことはないが、恐らくリュカに礼を言いたかったのだろうとその手の優しさに感じた。
「あんまり悪い魔物じゃなかったのかなぁ」
「外で悪さをあまりしないといいですね。この辺りにはあの猿の魔物ほどの強い魔物はいないようですから」
「悪いことしたら、オレが行って叱ってきてやるよ。大人しくさせりゃいいんだろ?」
そう言うアンクルは体力魔力ともに余力に溢れている。彼が宙からベギラゴンの炎を巻き散らしてしまえば、塔からすっかり姿を消してしまったシルバーデビルの群れも大人しくするに違いない。それ以前に、閉じ込められていた塔の中から脱出できただけで、白毛の猿たちは満足したように近くの木に登って猿らしい生活を楽しみ始めている。
「がうがうっ」
プックルの声に、リュカは再び塔の中へと目を向ける。扉の正面に青い竜神の像の首が見える。その像を囲むように巨大な燭台が配置され、外からの風を気持ちよく浴びるように炎をたなびかせている。閉じ込められていたシルバーデビルの群れは一匹残らず外へと飛び出し、今、塔の中は風が入り込むだけで静けさに包まれている。
風の抜けて行く場所が見える。それはリュカたちが降りてきた螺旋階段と、もう一つ。竜神の像の裏手から、低い咆哮のような風の音が響いてくるのがリュカの耳にも届いた。
リュカが塔の中に再び入ろうとするその肩を、サーラが掴む。サーラのその手の力だけで、リュカの身体がふらつく。ここまでリュカたちは魔物たちと戦い、ひたすら塔の中を螺旋階段を駆け抜けてきた。まだやらなければならないことが残っていると気を保とうとしても、実際には足元がふらついてしまうほど身体が疲労に素直になっている。
「私とアンクルでは回復役は務まりません。今しばらくここで休息し、魔力をいくらか回復すべきでしょう」
勢いで立ち向かえる相手ではないのだと、サーラの冷静な言葉にリュカは思い出す。敵を苦しめ痛めつけることに喜びを見い出す敵は恐らく、リュカたちを待っているに違いない。かつて天空城を浮上させるためのゴールドオーブをいとも簡単に破壊したかの敵は、やろうと思えば奪った竜の目をその場で壊すことも容易だったはずだ。
竜の目を奪還しに来るリュカを、悪魔の笑みを浮かべて待ち構えているのだろうと、リュカはサーラの冷静に身を置きながら冷静に想像する。
「どちらにしても既に誰もが魔力の尽きている状態です。リュカ殿、しばしここで休みましょう」
ピエールの声にもさすがに疲労が滲み出ていた。余力に溢れているサーラとアンクルの姿を見て、疲労を感じても良いのだと身体の緊張が抜けたのはリュカと同様だった。
「おっ? じゃあオレがその辺で美味い物を取ってきてやるよ」
アンクルはそう言うと、今やシルバーデビルの群れの生息地と化している近くの森へと向かって飛んで行った。果物や木の実が生る木が多く植わり、近くには清らかな川が流れ、体力の回復にはうってつけの場所なのだ。
「どうせ塔の中に入るんだもんね。昼も夜もないから、夜まで少し休もうか」
リュカたちを照らす夕日はまだ山々の上に顔を覗かせている。明るい夕日が徐々に沈み、赤みが増し、赤みから群青に変化し、夜が訪れても魔力が全回復することはない。
しかしそれ以上を休息に費やすこともできないと、リュカは低い唸り声を上げるプックルにそう感じる。リュカもまた、プックルと同じ心情なのだ。本心では今すぐにでも塔の中に入り、敵の姿を確かめたい。そして仇の敵が持っているかもしれない妻との接点を、知るのが怖いと思いながらも、逃すわけにも行かないと心だけが逸る。
リュカがプックルの頭を撫でると、プックルの逆立っていた赤毛がいくらか落ち着く。そうして互いの高ぶる心を落ち着けるように、リュカとプックルは互いの足元を支えるように寄り添い立ち、塔の中の竜神の首をぼんやりと見つめていた。

Comment

  1. ケアル より:

    bibi様

    まさに、逃走中のハンターのような逃走劇ですな(汗)
    リュカたち戦闘回数が多すぎてまともに闘うことを避けた感じでしょうか?

    シュプリンガーやシルバーデビルの呪文、ポピーのマホカンタは難しかったでしょうか?

    bibi様、プックル大好きって言ってましたけど、スラりんも大好きでしょ?
    bibi様の戦闘描写を見ていると、スラりんの補助呪文のおかげで危機を乗り越えること…ぼちぼちまあまあありますよね(笑み)

    次回は洞窟探索とゴンズとゲマになりますか?
    ブラックドラゴンとの戦いはありますか?
    次話もお待ちしていますよぉ。

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      余計な戦いを避けたいのは、最大の敵の気配を感じているからでしょうか。それに塔の中に閉じ込められた状態で、体力が尽きたらゲームオーバーというのを避けたいというのも。先の見通しができず、もし他に出口がなければまた最上階に戻らなければならないと考えると、必要以上に体力魔力を温存したと言うのもあります。
      ポピーのマホカンタを使っても良かったんですが、逃げることを優先しちゃいました。ひたすら逃げまくり、みんな息も絶え絶えですね、きっと。
      スラりんはまた良い呪文を覚えるんですよね。私は密かにニフラムが好きです。ゲームだと経験値をもらえないですけどね。小さなスライムから神々しい光が溢れるなんて、いいわぁと思います(笑)
      次のお話も戦い続きですね・・・もう、戦いの日々で、リュカたちの心が荒まないかが心配です。

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