明るさの裏で

 

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「お父さん、すぐにエルヘブンに行こうよ!」
ティミーがそう言い出したのは、天空城からグランバニアに戻った当日のことだった。天空城で半年ほどかけて旅をして、久しぶりに戻ったグランバニアでの休息もそこそこにこの国の王子はすぐにでも旅に出たいという。ついさきほど、玉座の間での話でリュカたちはしっかりと休息を取るべきだとオジロンやサンチョからも助言を受けたばかりだと言うのに、彼らの助言など初めから聞いていないかのようなティミーの言葉に、リュカは束の間混乱しかけた。
「まだ食事も運ばれてきてないよ」
リュカたちが座しているのはグランバニア城の最上階の一角にある、王族のみ立ち入ることのできる広い食堂だ。もっともリュカたちはおよそ旅に出ており、この場所を利用する機会は少ない。代わりにこの場所を利用しているのはオジロンやドリスだ。王族ではないサンチョも特別にこの場で食事をすることがある。
大きなテーブルには白いテーブルクロスが敷かれ、リュカと双子の席にはそれぞれナプキンが置かれている。ナプキンの色も全て白に統一されているが、ティミーが広げたナプキンにはいつかの食べ物の染みが落ちずに残っている。まだテーブルマナーもそこそこに、自由に食事をしていた赤ん坊から少し抜け出した頃につけた染みらしく、ティミー自身もその時のことは覚えていないらしい。そして父であるリュカも当然、その時のことを知らない。
「食事はするよ。ひっさびさのまともな食事だもんね。でもちょっと休んだらすぐに行こうよ、エルヘブン。だって気になるじゃん、あの場所がどうなってるか」
「先ずはエルヘブンに行くのでいいのよね? あの海の洞窟の場所はエルヘブンの長老さんたちにお話してから行った方がいいものね」
ティミーだけではなく、ポピーもまたエルヘブンへの同行を望んでいる。リュカとしては二人にはこの機会にゆっくりとこの城で休んでいて欲しいという思いがあるが、リュカが子供たちを置いて国外に出ることを二人は許してくれないだろう。幸い、エルヘブンへは移動呪文ルーラでひとっ飛びに向かうことが可能だ。村から海の洞窟に入るのにも、船でさえ入れるあの広い洞窟内を魔法のじゅうたんで進んで行けば、難なく目的の場所まで辿りつけるだろう。
天空城で復活を遂げたマスタードラゴンは、魔界の門が大きく開かれ、魔界の王がこちらの世界へ来ようとしていると忠告してきた。それと類似した言葉を以前、リュカたちはエルヘブンの長老たちからも聞いている。彼女らがリュカたちに伝えていたのは、年ごとに魔界の門が開きつつあり、やがては魔界の王ですらこちらの世界にやってくるという内容だ。そうなる前にマーサを助け出し、再び魔界の門を封印するのだと、長老と呼ばれる四人のエルヘブンの女性はリュカたちにその力があることを信じ託してきた。
竜神とエルヘブンの長老たちの言葉を今一度、脳裏で反芻する。エルヘブンの長老たちはマーサの力で再び魔界の門を閉じることをリュカに託している。彼女らはエルヘブンの背負う使命を果たさなくてはならないと、魔界と人間界の境界を固く閉じることを目的としているはずだ。一方で竜神はエルヘブンの血に頼るのではなく、勇者の力を頼りに魔界の王の人間界への侵出を止めようとしている。それは即ち、魔界の王を遠ざけるという生易しいものではなく、勇者の力をもって魔界の王の討伐を目標としているのだろう。
ティミーの勇者としての使命が一息に現実味を帯びた瞬間、リュカは思わず強張った顔つきで息子を見た。次の誕生日で十歳になろうとしているティミーは日に日に成長を遂げ、顔つきもみるみるしっかりしたものになってきた。しかしまだ十歳にもなっていないような小さな子供だ。リュカと肩を並べるにもまだ数年はかかる。リュカ自身、同じ十歳の頃にどう生きていたかと思い起こせば、あの思い出したくもない山頂の地で唯一の友人と共に生きるのに必死な時間を過ごしていた。それでさえ過酷な時間だったと振り返るが、自身の息子は魔界の王の討伐に向かわなくてはならないような果てしない使命を負っているのだ。どちらが過酷な運命を負っているのかと思えば、間違いなく勇者の方に違いない。
何も言わずにただ顔を覗き込んでくる父に、息子は眉をひそめて首を傾げる。
「どうしたの、お父さん」
「……具合、悪くなっちゃった?」
「いや……大丈夫。ああ、ほら、食事が来たよ。良い匂いだね。食べよう食べよう」
リュカがそう言って給仕係が運んできたワゴンに目を向けると、腹を空かした双子は素直に目を輝かせた。恐らく今の子供たちならば、暖かい食事ならたとえ粗末なスープでも目を輝かせていたに違いない。旅の最中はゆっくりと温かい食事にありつくこともない。天空城で移動している時は天空人の女性が作る焼き立てのパンが唯一の楽しみだった。
生きる人間にとって、食事は直接生きる活力に結びつく。英気を養うという意味でも、こうして城でゆっくりと食事をする時間は大いに有意義なものとなる。リュカはすっかりお喋りを止めて食事に夢中になる二人のいかにも子供らしい姿に、安心したように笑みを零す。
「城で二日は休もう。僕もさすがにちょっと疲れたからさ」
食事を進めながらリュカが独り言のようにそう言うと、ティミーから不満の声が漏れた。
「二日も休むの? ボク、早く行きたいなぁ」
「でも僕もやんなきゃいけないことがあるからね。ほら、今回の旅の報告書も書かないと行けないし、一応王様やってるから今の国のこともちゃんと聞いておかないといけないしね」
「ねえ、お父さん、旅の報告書は私もお手伝いできる?」
「いや、これはピエールやサーラさんに手伝ってもらうよ。君たちは君たちのやるべきことがあるだろう?」
二日休むという日数も、リュカとしては極めて短く設定した日数だ。本来ならば報告書作成と国の内情確認だけで五日は欲しいところだった。それにリュカ自身、今回の旅での疲労があった。一度、命を落としたことで身体にまとわりつくような疲労が抜けないのかも知れないと考えれば、それはスラりんもピエールも、アンクルも同じように感じているのかも知れない。不幸中の幸い、皆がこの世にその魂を戻すことができたが、一度失われた仲間たちの姿を目にした記憶は生憎と失われることはない。思い出したくなくても、ふとした瞬間にピクリとも動かなくなった仲間の姿が脳裏に現れ、その状況に叫び出しそうになる。
「そうだ、ドリスと話しておいでよ。きっと旅のことを聞きたいに決まってるよ。本当はドリスが一番外に出たがってるくらいなんだから」
本来ならばこの食事の席にドリスも同席するようリュカは望んでいた。しかし彼女は今、城の二階の自室に閉じ込められ、オジロンの代わりに各所から届けられる封書に目を通すという、身体を動かすことを第一としている彼女が最も遠ざけたい作業に縛り付けられている。ドリスにはまだリュカたちの帰還が知らされていない。ひとたび彼女に知れれば、机の上に散らばる紙という紙を全て放りだし、問答無用でリュカたちとの食事に同席するだろうという懸念の元に、ドリスは何も知らされないまま今も部屋に閉じ込められているのだ。
「ドリス当てに来る手紙もあるんだよ。ボク、一度見たことあるんだ」
「私も見たことある。結婚の申込みだったわ。ドリスもそろそろ結婚しちゃうのかしら」
「そろそろって言ってもさ、オジロン様は何だか焦ってるみたいだよ。早くしないと嫁の貰い手が無くなる、なんて言ってたもん」
「ドリスがなかなか頷かないんだって言ってたけど、それも仕方ないなって思うわ。だってドリスは……」
ポピーはそう言ってまだ温かなスープをスプーンでひと掻きすると、徐に向かいの席に座るリュカを見る。大口を開けてフォークに刺した肉を口に運ぶリュカは、正面からじっと見つめる娘を見て、口を開けたまま首を傾げ、はっと気づいたようにフォークを口から遠ざけた。
「あ、ごめん。こういうのってあまりマナーが良くないんだっけ。少しずつ食べるのがいいんだよね」
「そうだよ、お父さん。ボクもよくそうやってるのを注意されるんだ。でもさ、やっぱりお肉はがぶりと食べたいよね」
「ティミーはまだ子供だからいいかも知れないけど、大人の僕がするのはみっともないよね。気をつけるよ」
ポピーの視線がマナー違反をした者に対する注意のように感じられたリュカは、申し訳なさそうに謝るとフォークに刺した大きな肉を皿に戻し、細かく切り分けた。そして一口大に切った肉を再びフォークに刺し、今度は上品さを意識して口にする。これでどうだと言わんばかりに微笑むリュカを見て、大人と子供が混在するような父の姿に、ポピーは思わず噴き出してしまう。
「あ、また何か良くないことしたかな?」
「してないわ。大丈夫。カンペキ」
「なら良かった」
ほっと息を吐いて続けて肉を食べようとするリュカの口端には、肉にかかっているソースがついている。それをティミーに笑いながら指摘され、リュカは少し恥じ入るように指先でソースを拭うとそのまま舐めてしまう。そして今度はその行動を給仕係の女性に見咎められ、テーブルの上に置かれたナプキンで口元を拭いなさいと差し出されれば、今度こそ本当に身を縮こまらせていた。ティミーもポピーも、そんな父の他愛ない姿に安心しながら、二人揃って『プックルみたい』と言って大いに笑った。



旅の疲れもあり、食事の後は間もなく眠気に襲われ、そのまま寝てしまうだろうと思っていたが、意外にも子供たちは元気だった。次に向かう予定のエルヘブンのことについてピエールとサーラと少し話をすると言えば、二人も当然のようにリュカの後をついてきた。ドリスのところに行かないのかとリュカが問えば、二人は父に不信な目を向けながら、こっそり子供たちを置いてエルヘブンに旅立ってしまわないか心配だからとまるで金魚のフンよろしくリュカの後をついて回った。
魔物の仲間たちが暮らしているグランバニア城の大広間には、半年ぶりに顔を合わせる仲間がいる。リュカたちが大広間に足を踏み入れた瞬間に、彼らの無事を祝うかのような魔物の仲間たちからの熱烈な歓迎を受けた。キングスとベホズンが同時に抱擁しようとすれば、二体に挟まれて危うく窒息しそうになり、リュカたちの帰還に静かながらも熱い思いを込み上げていたロッキーがその身体を震わせれば、その場にいる者は皆ロッキーとの距離を取った。
リュカと共に旅に出ていた魔物たちは当然、休息の時間を過ごしていた。大広間にはピエールにサーラがおり、彼らと話をしていたマーリンもその場にいた。スラりんにプックル、アンクルは壁に囲まれた場所はもう勘弁してほしいと言うように、城外に出ているようだった。
「さすがにまだエルヘブンには行かんのじゃろ?」
「さすがにね。オジロンさんにも二月は城にいろって言われてるしさ」
旅をする実情を考えれば、本来ならば少しも休んではいられないとは思う。妻と母を捜索する旅をひと時も止めたくないという思いも当然ある。今この時間、彼女らがどんな場所でどんな思いで過ごしているかを想像すれば、激しい焦燥感に駆られる。しかしリュカたちが人間である限り、心身ともに適度に休めなくては、ある時ばったりと倒れてしまい兼ねない。そしてこちらが倒れてしまえば、そこで終いだ。彼女らを助ける旅は途中で終わりを告げ、彼女たちは死ぬまで、朽ちるまで、どことも知れない救いのない場所でその身を留められることになってしまうのだ。
「でも二日休んだら、すぐにエルヘブンに行くんだよね」
「おばあさまの村に行くのも久しぶりよね。失礼のないようにしなくちゃ」
子供たちの元気な様子には思わず首を傾げたくなるほどだった。既に次に向かうエルヘブンへの旅を心待ちにし、その様子は明日にでも旅立ちたいと言わんばかりだ。二人を見ていると、あのボブルの塔での死闘は夢か幻かと思うほどに現実味のない遥か遠くの記憶と思ってしまう。二人もまた、あの戦いの中で傷つき、少なくとも一度は昏倒してしまった。子供の倒れる姿というのは、それだけで見ている側の心臓が止まりそうになる。その時、自分の力が届かずどうしようもない状況だったとしても、子供たちをそんな状況に陥らせてしまったのは全て自分の責任だと、責めても責め切れない責任を全身に酷く感じる。
胸が潰れるようなあの時の状況は全て夢幻のものだったのだと、子供たちが自ら否定しているようで、二人のそんな元気な様子にリュカは微かな不安を感じた。
「魔界の門とやらを見に行くんじゃろう?」
既にピエールとサーラから話を聞いていたマーリンは、落ち着きなくあちこち飛び回るグランバニアの国王をどこか達観したように見つめる。
「リュカ王、マーリン殿とも話していたのですが、以前我々があの場所を訪れた時には扉の先に進めなかったと記憶しています。先に進むにはマーサ様のお力が必要とエルヘブンの長老に聞いたと思っていたのですが」
サーラが話すのはエルヘブンより北にある海の洞窟内で見た神殿のような場所の記憶だ。その時サーラはピエールと共に泊めた船の番をしていたため、実際に扉を見ているわけではないが、エルヘブンの長老たちの操る水晶玉の中にその景色を見ている。
リュカたちが初めてエルヘブンを目指していた時、広い洞窟内を大きな船で進んだ先に、石柱が並び、絶えず燃える火台の明かりに照らされた場所にたどり着いた。その時にはその場所が閉ざされた魔界の門とは気づかず、その上巨大な扉がリュカたちの前に立ちはだかり、メッキーが見つけた扉上部にあった鍵穴に合う鍵など当然持ち合わせず、為す術もなくその場を後にした。
その後エルヘブンに立ち寄り、巫女のような姿をした四人の長老の話を聞くに至った。彼女らの話の中に、海の神殿の扉を開くことができるのは今やマーサだけで、仮にその能力を引き継ぐ人物がいたとしてもそれはマーサの子であるリュカでしかあり得ないと言い切っていた。
「そうだとすればもはや誰にも扉を開くことはできないと言うことになります。リュカ殿のお母上のお力が必要であれば、どうにかして呼びかけ、お力添えいただかなくてはならないのでしょうか」
ピエールはそう独り言ちながらも、その方法はあまりにも現実離れしているものだと溜め息をつく。もし魔界に囚われているマーサがそれほど強大な力を持っているとすれば、自らの力でこの人間界に戻ることも可能なのではないかという想像にも行きつく。
「そこには大きな扉があったのじゃな?」
ピエールとサーラから旅の話を聞いていたマーリンは、実際にエルヘブンの長老たちの操る水晶玉の中の景色を覗き込んだわけではないが、二人の仲間の話から景色を想像しながらリュカに話しかける。フードを深く被り、目を閉じてその様子を想像しているマーリンの姿は瘦せぎすの老人のようで、魔物と言うよりは人間に近い様相を見せる。
「すっごい大きかったけど、扉だったよね」
「メッキーが扉の上の方に鍵穴があるって見つけてくれたのよね」
巨大な青白い扉は押しても引いてもびくともせず、特別な魔力も感じられた。まさしく封印された扉なのだろうと今になってそう思う。しかしその扉には、到底人の手では届かないような遥か上に、その鍵穴がひっそりとあったのをリュカはメッキーに乗って実際に目にして確かめている。まるで壁のように立ちはだかる巨大な扉の割に、非常に小さい鍵穴があるだけだった。それは普通の人間では届かないような場所にあり、尚且つ非常に注意深く探さねば見つけられないような場所に、リュカの小指も入らないような小さな穴が空いていたのだ。
「あっ! そうだ、お父さん! エルヘブンの村で魔法の鍵をもらったよね。それ、まだ試してないよ! きっとその鍵だよ!」
「そっか! そうよ! きっとそれだわ! だってエルヘブンで頂いた鍵なんだもの。あの扉に合わないわけがないわ!」
ティミーの思いつきにポピーが同調し、二人で顔を見合わせて両手を合わせてパシパシと叩く。すっかり興奮した双子の様子を見ながら、リュカも同じように表情を明るくして、腰にぶら下げている道具袋の口を開けた。
ごそごそと道具袋の中を漁り、魔法の鍵を取り出したリュカは、その鍵の形状を見て間もなく眉をひそめた。銀色に鈍く光る魔法の鍵の形状は複雑だ。そしてこの鍵に合う鍵穴を想像すれば、とてもリュカの小指も入らないような鍵穴には差し込むことは不可能だ。
「これじゃあの鍵穴には入らないかも知れないな」
「ええ~? でも魔法の鍵って言うくらいだから、この鍵から魔法がドバーッて飛び出して扉を開けてくれるかもよ」
「エルヘブンで一度使った時、そんなことにはならなかったと思うけど……」
ティミーの強引な想像に引きずられたい思いもあるが、リュカが手にしている魔法の鍵は確かに魔法の力を帯びている特別な品物だが、ティミーの言うような魔法が飛び出すような代物ではない。エルヘブンで魔法のじゅうたんが隠されていた部屋に入る際に魔法の鍵を使ったが、鍵穴に鍵を差し込んで扉を開けるという鍵らしい働きをしていた。ただその際、リュカたちの前に立ちはだかっていた扉は忽然と姿を消してしまったが。
「のうリュカよ、お主の道具袋から出たそうにしてるその目はなんじゃ?」
怪訝な顔つきでリュカの道具袋に目を向けるマーリンに、リュカも開きっぱなしの自身の道具袋に目を落とす。口紐を広く開けた道具袋から、人の目にも似た赤く光るものが覗いている。赤い目が生き物のようにキョロキョロと辺りを見回す。瞬きをする。道具袋の布をよじ登るその姿に、リュカは思わず全身が泡立つのを感じた。
「そうだ。これ、あの山みたいな怪物を倒した時に出てきたんだよね、勝手に」
そう言ってリュカは親指と人差し指でつまみ上げるように、キョロキョロと辺りを見渡す赤い目の部分をつまんだ。すると赤い目は悲鳴こそ上げないまでも、きつく目をつぶるように赤い宝石を金属部分に隠してしまい、反対側にあるうねうねと動く金属部分を身もだえるように動かす。その動きを見てリュカは再び全身が泡立つのを感じる。
「うう、やっぱり何となく気持ち悪いなぁ」
「お父さんが目をつまんでるから痛がってるんじゃないのかな?」
「目じゃなくて、細い身体のところを持てばいいと思うわ」
ポピーに言われた通り、赤い一つ目と、尻尾のような曲がり動く部分に挟まれた細い金属部分をつまめば、小さな金属の生き物はようやく落ち着いたと言うようにリュカの手に収まっている。まだうねうねと動く不思議に柔らかな金属部分を、リュカは敢えて見ないことにした。
「何とも不思議なものじゃのう。明らかに魔力を感じるが、どんな魔力が込められているのかワシにも分からん」
「マーリンならこれが何かすぐに分かるかなぁなんて思ってたんだけど」
「お主が城で休んでいる間、ワシが調べてみても良いかの? グランバニアの文献に載っているかどうかも分からんが、目星をつけて当たってみるわい」
「この妙なものを手に入れた時には私もリュカ王のお傍におりました。その時の状況をよく覚えております故、私も調べることに協力しましょう」
魔力の込められた不思議な品物を見てやや興奮気味のマーリンに、サーラが協力を申し出る。サラボナの町近くで怪物ブオーンを討伐した時、その怪物の息の音を本当に止めたかどうかを確かめにリュカとサーラは共に行動した。その際、怪物の腹の中から、まるで自ら見つけてくれと言わんばかりに飛び出してきたのがこの妙な目の形をした品物なのだ。そしてサーラ自身、一体この妙な品物が何なのかを気にしていたため、マーリンの調査に快く協力すると申し出たのだった。
「リュカ王と王子王女はゆっくりお休みください」
「うん、ありがとう。でもサーラさんも少しは休んだ方がいいよ。きっと疲れてるよ」
「ふむ、そうでしょうな。今はまだ気が高ぶっておりますが、じきに疲れを感じる時が来るでしょう。周りに迷惑をかけぬためにも、一時しっかりと休ませていただきます」
サーラは真面目な性格だが、同時に冷静でもある。無茶をして調査に乗り出すようなこともないだろう。リュカは広間にいる魔物たちの様子を一人一人確かめると、子供たちを連れて国王私室へと戻って行った。



明日、リュカが国に戻ってきたことを改めて国民に知らしめるための時間が設けられている。国王帰還を派手に祝うようなことはしないが、リュカ自身から国王として一言を求められているために、リュカは疲れた身体に鞭打つようにして明日国民の前で話す言葉を考えていた。
「ただいま~、だけじゃダメなんだよね」
「さすがにそれはマズイんじゃないかな。ボクはそれでもいいと思うんだけどね~」
「オジロン様にどんなことを話せばいいか、お聞きできなかったの?」
「国の人はみんな僕の言葉が聞きたいんだからって、何も教えてもらえなかったよ」
「お父さんの思ってることを話せばいいんじゃないかな」
「そうよ。堅苦しい言葉じゃなくて、お父さんが思ってることをそのまま飾らないで話すのが一番だと思うわ」
半年の旅の中で起こった出来事を逐一国民に話すつもりはない。そのようなことは身内に話せばよいだけだと、リュカは目を瞑ってグランバニアの城下町に思いを向ける。
リュカたちが旅に出ている間も国王代理を務めるオジロンの下で、グランバニアの国は変わらない平穏が保たれている。グランバニアの城下町でも特別大きな事件が起こることもなく、国民の生活は決して裕福なものではないが概ね安定しているようだった。
オジロンは国民に天空城の復活についての話をしていた。この世界を統べる神が住まう城が長き眠りから覚め、空の上に再び浮かび上がった。悪しき魔物が増えてきたこの世界に、天空の城は確かな平和をもたらしてくれるだろうと、国民に説いたという。それはリュカからオジロンにお願いしていた事でもあった。巷で噂されている「幸せの国」という場所から人々を遠ざけたいというリュカの思いからだった。
しかし現実には、その話を逆手に取るようにして、今も「幸せの国」へ導こうとする者がいるらしい。天空に住まう神のおわすところがまさしく「幸せの国」であり、この国を目指すことこそが唯一神に近づける方法なのだと、少しでもこの世界に不安や不満を持つ者を目敏く見つけては、そのような嘘偽りごとをまことしやかに囁き、導いてしまうのだ。
その話をリュカはサンチョから聞きつけ、明日国民の前に立った時には竜神の復活については話さない方が良いのかも知れないと思い悩んでいた。敵はこちらの情報を逆手に取って上手く利用してしまう。その情報が強力な情報になればなるほど、敵にとっても都合が良いに違いない。
夜着に身を包んでいるリュカと子供たちは、一日の終わりを感じるような涼しくなった外気を窓の隙間から取り入れ、その風に乗って聞こえる夜の鳥たちの静かな声を聞く。リュカは広いテーブルの上に紙を広げて、右手に羽ペンを持ったままうんうん唸っていたが、ふと窓から聞こえる鳥の声だけが部屋の中に響いていることに気付いた。
後ろを振り向けば、広いベッドの上でティミーとポピーがまるで同じ体勢で向かい合うようにして眠っていた。つい先ほどまで全く眠りの予兆など感じさせなかった子供たちだが、寝入る時は一瞬だ。双子と言う血筋が関係しているのかどうかは分からないが、彼らはこうして同時に眠りに就くことが多い。
リュカは後ろを振り向いたまま、しばらくじっと二人の寝ている姿を見つめた。使用人によって整えられたふかふかのベッドで安らかに眠る二人には、リュカの幸せが詰まっている。二人の子供たちがいてくれなければ、リュカは既に運命に負けて、あらゆる物事を諦めていたかも知れない。子供たちがこうして生きて、生き続けていてくれるから、リュカも今生きていられると言っても過言ではない。
窓から入り込む風は直接二人のいるベッドの上を吹いていく。涼しい風に当たり続けるのは良くないだろうと、普段の過酷な旅のことなど忘れたような心持ちでリュカは子供たちの眠るベッドへと歩み寄る。上掛けをかけてやろうとするが、二人とも上掛けの上に寝てしまい、彼らの身体を一度浮かせなくてはならなかった。
旅の間にもティミーやポピーの身体を持ち上げることはある。その時は子供たちの身体の重さを感じている余裕はない。しかし今、リュカが持ち上げたティミーの身体は予想をはるかに超える重さだった。
つい赤ん坊の頃のティミーと比べてしまうのは、彼がこうして成長するまでの間の記憶がないからだ。赤ん坊のティミーとポピーの記憶はリュカの中でも鮮明に残っている。そして彼らの成長を追うことはなく、次に思い出せるのは二人が八歳に成長した立派な子供としての姿だった。健やかに成長してくれた二人を嬉しく思う反面、どうしても拭いきれない後悔が胸に押し寄せるのを、リュカはティミーから視線を外して留めた。
ポピーの身体も持ち上げて、上掛けを引っ張り出すと、二人が静かに眠る上から上掛けを柔らかくかけてやった。いつもならばリュカも二人と共にこのベッドで眠りに就く。しかしリュカにはまだ明日のための準備が残っている。そして今のリュカは、子供たちの安らかな寝息を耳にして冷静に頭を働かせることができないほど、感情が高ぶり始めていた。
「……ちょっと気分転換が必要かな」
誰にも聞かれていない独り言を呟き、リュカは開いていた窓をぴたりと閉じると、夜着のまま一つのランプを手にして部屋を出て行った。向かう先は同じ階にある厨房だ。
城の厨房も夜の静けさに包まれていたが、リュカの予想通りそこにはリュカが手にするランプとは異なるもう一つの明かりが灯っていた。今日の厨房での仕事は終わっていたが、その時を見計らってこうして秘密裏に厨房を訪れる人物がいることを、リュカは知っている。
「サンチョ、一人でずるいよ。僕も誘ってよ」
「坊っちゃん、まだお休みになっておられなかったんですか」
「だって明日何を話せばいいかって考えなきゃいけないから、眠りたくても眠れないよ」
「ふふ、大変ですね、国王様も」
少し揶揄うようなサンチョの声音に、リュカは苦笑いする。しかしリュカが国王となってからも距離を空けないサンチョの態度には感謝しかないのも事実だ。
「しかし今回の旅では本当に色々とあったのでしょう」
リュカから特別詳しい話をしておらずとも、サンチョは旅から戻ったリュカたちの間に漂う今までにない空気感にそう感じていた。旅から戻り、グランバニアの城の中で寛ぐべき時を得たというのに、リュカたちは皆すぐに旅の緊張から完全に解かれることはなかった。リュカたち自身は国に戻り、旅がひと段落したことに胸を撫でおろす心持ちでいたが、サンチョもオジロンもリュカたちが内包する激しく斬りつけるような鋭い感情を感じていた。この旅でリュカたちが何か特別な経験を積んできたことを、彼らはその雰囲気に見て取った。
「明日のことは大丈夫です。もし本当に何も言葉が思い浮かばなければ、後は頼むとオジロン様にお任せしてしまえば良いのですから」
「それにしても僕から何も話さないってわけにもいかないから、少しは考えるよ」
「変に飾った言葉など考えない方がよろしいですよ。リュカ王らしくないですからね」
「……僕って本当に国王って思われてる?」
「国王にも様々あるでしょう。ただでさえあちこちと旅に出る国王なのですから、国民も普通の国王とは思っていませんよ」
サンチョの言葉と声音はいつでもリュカを安心させる。彼の声にはリュカを我が子のように思う思いやりに溢れているのだ。リュカがティミーとポピーのことを思うように、サンチョはリュカのことを思っている。その思いの深さに血の繋がりは関係ないとリュカは感じている。
頭が働かない時は糖分を取った方が良いのだと都合よい考えの下に、サンチョは勝手知ったる厨房の引き出しから一つの小瓶を取り出す。小瓶の中にはまだほとんど手をつけられていないような沢山の飴が入っており、蓋を開けて瓶を傾け数粒を手の平に乗せると、それをリュカに差し出した。リュカも手にしていたランプを調理台の隅に置くと、サンチョから数粒の飴をつまんで受け取る。すぐさま二粒を口の中に放り込めば、ざらざらとした感触と共に口の中を刺激する甘酸っぱさが広がる。
「林檎の飴だそうですよ」
「林檎って、この辺りじゃないんじゃないの?」
「ええ、グランバニア周辺では林檎の木を植えても育たないかも知れませんね」
そう言ってサンチョもまた手の平に乗せた林檎の飴を二粒同時に口の中に放り込む。そして瓶の蓋を閉めると、引き出しの元の通り引き出しの奥へと押し込むように片づけた。
「ラインハットからの贈り物です。ラインハットでは林檎の栽培も上手く行っているようで、そこから作られた飴をこうして頂いたんですよ」
サンチョの口からラインハットの名が出てきたことに、リュカは隠すこともなく驚きを示した。彼は誰よりもラインハットを憎み、あの国から最も遠ざかりたいと今でも思っているはずだ。かつての彼の主人であるリュカの父パパスをラインハットが起こした事件で失ってから、サンチョの胸の中でラインハットへの憎しみは消えることなく、常にとどまり続けている。
「ラインハットとの往来はメッキーの呪文で月に一度は行っていることはご存じですよね」
以前リュカ自身がラインハットを訪れて以来、グランバニアとラインハットとの交流が正式に再開している。その間、リュカたちは旅に出ており細かな内容については知らされていないが、月に一度は互いの国を使者が行き来し情報交換を行っているらしい。その際に互いに手土産としてささやかな贈り物をすることもあるという。
「私自身はグランバニアのことを任されている身ですからラインハットへ行くことはありませんが、先月の往来の際に使者がこの飴をラインハットから持ち帰ってきたのですよ」
「そっか、そうなんだね。何だか本当に僕がいなくてもみんなで上手いことやってくれてるから助かるよ」
「いえいえ、リュカ王がこうして無事でいらしてくれているからこそ、皆も国を信じて動けると言うものですよ。ただ一つだけ、お伝えしておきたいことが……」
口の中で飴をコロコロと転がしながら、まるで世間話でもするかのような雰囲気でサンチョは言葉を続ける。
「多くの国の者たちは皆、リュカ王のことを信じて待っています。しかし中にはリュカ王の不在を不安に思う者もいるのが事実。何せこの国は国王不在の期間が長いですからね」
リュカのように移動呪文を使える者ならば、国に戻ろうと思えばひとっ飛びに戻ることもできるが、リュカの父パパスの旅は一度国を離れれば、旅の本懐を遂げる時までは国に戻ることもできなかった。そして本懐を遂げることなくパパスは没し、その上リュカは自身の素性を知ることもなく奴隷の身に落とされた。十数年ほどは国王不在のまま、オジロンが国王代理としてこの国はどうにか保たれてきていたのだ。
今回のリュカたちの旅は半年に及ぶものだった。そしてまだリュカたちは旅の目的を遂げておらず、目的に近づいているのかどうかも分からない状況だ。リュカたち自身も不安に思うような状況だが、グランバニアの国民にもその不安をそのまま与えてはならないとリュカは思う。国の乱れを父も母も喜ばないだろう。自身のやりたいこととやるべきことをはっきりと分けて考えるべきだと、口の中を転がる甘酸っぱい林檎の飴の味に思う。
「オジロンさんにも言われてるし、僕は二月はこの国に留まる。その間に国の人達とも交流をした方がいいね。そう言う時間も設けようか」
「それが良いでしょうね。リュカ王の行動管理は私とオジロン様でおおよそ決めさせていただきます。もし不都合ありましたらお申し付けくださいませ」
「きっと何も不都合なことなんてないよ、大丈夫……」
二人で飴をコロコロと口の中で転がしながら話していた時、突然廊下に悲鳴が響き渡った。その声がティミーだと気づいたリュカは、口の中の飴をバリバリとかみ砕きながらすぐさま厨房を飛び出した。サンチョもランプを手にして後に続く。
サンチョが照らすランプの明かりに、廊下の景色がぼんやりと浮かび上がっている。廊下には国王私室から聞こえた王子の悲鳴に駆け付けた兵士が二人、既に私室の部屋の扉に手をかけていた。リュカが部屋を出た時、部屋に鍵はかけていない。見張りの兵士が交代で一晩中いるからと、特別鍵をかけるようなことはしていないのだ。
二人の兵士はリュカの姿を認めると、扉の前を国王に明け渡す。リュカは兵たちに言葉をかける余裕も持たずに部屋の中へと飛び込んだ。緊急事態だとサンチョも構わず国王私室へと足を踏み入れる。
ベッドの上で眠っていたティミーが、サンチョの持つランプの明かりの中に浮かび上がった。彼の目は閉じているのか開いているのか分からない。夜着のまま大きなベッドの横に立ち、その手には何故か天空の剣が握られている。
「どうしたんだ、ティミー!」
リュカの呼びかけにも答えず、ティミーはふらふらとした状態で天空の剣をいつものように構える。ゆったりとした夜着を身に着けている状況に似つかわしくない闘気を放っている。虚ろな目が暗闇の中のリュカを捉えると、ティミーは顔を歪め、唐突にリュカに飛びかかって来た。
剣の切っ先をすんでのところで躱し、ティミーの天空の剣はそのまま床のじゅうたんを斬りつけた。鋭い切れ味に分厚い絨毯に切れ込みが入る。ティミーが再び体勢を整える間に、リュカは素早く部屋の隅に駆け、自身が普段装備している父の剣を手に取った。
「坊っちゃん!」
「念の為だよ。安心して」
ランプを手にしているサンチョを目にすると、ティミーはその明かりに惹きつけられるように再び天空の剣を構える。サンチョからはティミーがまだ眠りから完全に覚めていないように見えた。悪い夢から醒めないまま、身体だけが先に起きてしまったような状況だ。
「お父さんを……お父さんを返せよー!」
サンチョに向けられるティミーの剣を、リュカが横から強く払った。天空の剣に受けた強い衝撃ごと、ティミーの身体も横によろめく。しかし倒れはしない。踏みとどまるその強さに、ティミーの深い思念をリュカは感じた。
彼の寝言に、彼の悪夢を垣間見た気がした。ティミーは今、リュカが一度死んでしまったあの時のことを夢に見ているのだ。目を覚まし、自身で心を調節できる時には鳴りを潜めている彼の傷ついた思いが、眠りに就いたその時になって勝手に夢の中に現れてしまった。
ティミーの剣の力は強く速い。それは天空の剣と言う特別な武器を装備していることもあるのだろう。しかし今の彼には父を亡くした恨みを晴らすと言った、リュカにも通じる激しい感情の下に生まれる強さがあった。
国王私室と言う寛げる場所に、剣のぶつかり合う物騒な音が響き渡る。サンチョが手にするランプの僅かな明かりしかない状況だが、リュカとティミーはそんな暗い状況など問題ないと言わんばかりに剣を交える。私室の扉近くで待機する兵士二人は、国王と王子が暗がりの中で戦う姿を呆然と見守ることしかできなかった。
ティミーは両頬を濡らしていた。時折叫び声を上げたが、それは泣き声だった。深い悲しみを経験させてしまったことに、リュカの胸には悔いても悔いても足りない思いが渦巻く。
「ティミー! 父さんは生きてる! お前がこの世に戻してくれたんだ!」
その時の現実を思い起こさせるように、リュカはそう叫びながらひと際強くティミーの剣を払い落とした。天空の剣が床を滑り、ベッドの下へと潜り込んだ。激しく息を切らすティミーの夜着は汗に濡れ、癖のある金髪の先からも汗が滴り落ちていた。そうしてゆらりと顔を上げたティミーの目には、徐々に剣を握る父の姿が映り込んだ。
「お、お父さん……ボク……」
「いいんだ、大丈夫だよ、ティミー。大丈夫、大丈夫……」
そう言ってリュカはティミーに近づき、まだ小さなその身体を両腕に抱く。身体を震わせ、一転して声を押し殺すように静かに鳴き始めたティミーは、リュカの夜着に縋りつく。
ティミーはいつでも前を向き、皆が落ち込みそうになっている時でも常に先頭を行くように明るい態度を崩さなかった。今回の旅でも彼はまるで自らムードメーカーを買って出るような明るさで、皆を照らし続けていた。勇者という存在は皆の太陽にもなり得るのかと、リュカは息子の明るさに何度救われたか分からない。
しかし彼の心の中には、恐らく彼自身も気づいていないような悲しみや憎しみが内包されていた。それが眠りの中で爆発し、身体を横たえて眠る夢だけには収まらず、閉じ込めていたはずの感情が彼の身体を使って飛び出してしまった。それだけ彼は、自分でも気づかないまま無理をし続けていたのだ。
「……このようなことが、旅の中でもあったのですか」
ティミーを抱き上げたリュカの後ろから、サンチョが恐る恐る話しかける。リュカが抱き上げ、体勢を整えれば、ティミーの呼吸は間もなく穏やかになり、今にも眠りそうな表情でリュカの肩に頭をもたげている。
「なかったよ。今までこんなことはなかった」
「それが何故、今になって……グランバニアに戻り安心されていると思ったのですが」
「もしかしたら、僕が傍を離れていたからかも知れないね」
旅の最中、リュカは子供たちの傍を離れることはなかった。半年に及ぶ旅の間、二人が眠りに就く時は必ずリュカも二人の隣にいた。二人が眠りに就いた後にリュカが起きて本を読んだり旅の航路の確認をする時に止む無く二人の傍を離れる時は、必ず代わりにプックルや他の魔物の仲間たちが子供たちを見ていてくれた。子供たちが二人だけで一つの空間にいるようなことは今までになかったはずだ。
ティミーは半分覚醒したような状態で、ベッドに父がいないことに気付き、頭が混乱してしまっていた。あの酷い悪夢のような父の姿は現実で、その現実は今もまだ続いているのだと、だから父の姿がここにないのだと、ティミーは目覚めた瞬間に絶望を感じた。直後襲ってきた復讐の心に、ティミーが天空の剣を手に取ったその後に、リュカが部屋の扉を開けて入って来た。後ろからランプの光に照らされる黒い影を見て、ティミーは現れたのがあの敵と勘違いしてしまったのだ。
リュカは再び眠りに就いたティミーを抱えたまま、ベッドへと歩いて行く。広いベッドではポピーが一人で眠っている。しかし彼女もまた悪夢にうなされるように、苦し気な唸り声を上げていた。時折、彼女の身体が強い魔力に包まれる不穏を見て、リュカはティミーの身体をベッドの上に寝かせると、二人の頭を同時に撫でた。
「二人とも、大丈夫だよ。ちゃんと父さんはいるからね」
夢の中でリュカの手を感じているのか、ティミーもポピーも乱していた呼吸を徐々に落ち着かせ、やがて寝息は深くなった。リュカ自身も、かつて父パパスを喪い、あの奴隷の地へと連れて行かれた後、しばらくは悪夢を見続けていた。恐らくヘンリーもまた、悪夢を見ていたに違いない。しかし生きることを諦めず、どんなことでもいいからと言葉を交わし続けているうちに、悪夢を見る頻度は少なくなっていった。決して消えることのない過去だが、それだけに囚われるような事態には陥らずに済んだ。
「どうぞリュカ王はお二人の傍を離れることのないようになさってください」
「そうだね。やっぱり僕たちには今、ちゃんとした休息が必要なんだね」
「今度、もし夜更かししたくなったらお二人もお連れ下さい」
「そういうの、ティミーも喜びそうだね。ポピーには叱られるかも知れないけど」
「私も一緒に叱られますから、ご安心ください」
サンチョも部屋の中に入り、ベッドの上に眠るティミーとポピーの寝顔を見ると、安心したように穏やかな笑みを浮かべた。リュカが八年もの間城を不在にし、その間に成長した子供たちを最も傍で見ていた一人がサンチョなのだ。もしかしたら実の親であるリュカよりも、二人の子供の状態を見極める感覚を得ているのかも知れない。
「リュカ王もゆっくりお休みください」
「あっ、僕まだ明日のことを考えてないんだけど、どうしよう」
「不肖ながらこのサンチョがそれらしい言葉を考えておきましょう。なので安心して休んでくださいね」
「ありがとう、サンチョ。いつも助かるよ」
「私の仕事は坊っちゃ……リュカ王と王子王女の健やかな日常をお守りすることです。旅の間は祈りを捧げることくらいしかできませんが、城にいる間は全力で助力いたします」
そう言うと、サンチョは扉の脇で待機していた兵士二人にも話をして、国王私室を離れて行った。遠ざかる三人の足音を耳にしながら、リュカは眠る子供たちの間に身体を滑り込ませ、共に上掛けを身体にかけて目を瞑った。互いに分け合うような温かな体温を感じていれば、誰もが悪夢に苛まれることもないに違いない。リュカ自身も子供たちの高い体温に安心するように目を瞑り、間もなく眠りに就いた。

Comment

  1. ピピン より:

    ティミー…(ToT)
    完全オリジナル展開で「何があったんだ!?」とハラハラしてたら…
    あの戦いは双子や仲間達に深い傷痕を残してしまいましたね…

    • bibi より:

      ピピン 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      完全オリジナル展開ですが、お読みいただけましてありがたいことです。
      あの戦いの傷が深いので、しばらくは身体と心を休ませようとあちこちふらふらし始めています。オリジナル展開が続きますが、ご了承くださいませm(_ _)m

  2. ケアル より:

    bibi様。
    本編更新ありがとうございます。

    最後の鍵だということがどのようにして、マーリンが調べるのか楽しみですね。しかしまあ…最後の鍵が生きてる設定にしたのは、なぜなのかまだ読み手側には分からない…これはbibiワールドならではの予感です。

    ティミーポピー…やっぱりゲマ戦…トラウマになっちゃいましたか…(涙)
    そりゃあそうだよね、目の前で父親が丸焼きになるのを見てしまったら……。
    ゲマ戦を終えて、天空城に戻りドラゴンオーブでマスタードラゴン、まともに眠ってない。そんな中、安心したんだろうねおいしいご飯とふかふかベット、そして自分たちのお家…。
    ティミーは勇者として子供なのに使命を帯びているのを強く自覚しているからこそ、もしかしたらポピーよりも心の傷が深いのかも…そして勇者の使命があるから人一倍明るくムードメーカーにならないといけないと感じているのかもしれませんね。
    それにしてもポピー、いくら悪夢にうなされているとはいえ、この大騒ぎに目を覚まさないとは(驚)
    やはり2ヶ月ぐらいは休養が必要かもしれないですな(休)

    • bibi より:

      ケアル 様

      こちらにもコメントをどうもありがとうございます。
      最後の鍵は攻略本でその形状を見て、こりゃあ生き物だと思ったので、そんな感じで書いてみました。設定が軽くてすみません。
      トラウマにもなりましょう。気を抜いた瞬間に、悪夢として襲いかかられたと、そんな状況です。
      ティミーは自分では無理をしているなんて思っていませんが、それと言うのも勇者たる責任からそう思わないだけで、勇者と言う立場を一瞬でも忘れた瞬間に様々な不安に押しつぶされそうになります。まだ九歳の子供ですからね。
      ポピー、確かによく寝ていられましたね、剣と剣がかち合っていたというのに。しかし子供と言うのは疲れて寝てしまうと、驚くほど起きないのも現実にあることで・・・と言うことにしておいてください(うちの息子に見る不可思議の一つであります)
      休養の間は国でのんびりと言うわけではなく、旅に慣れている彼らならではの休息を取ってもらう予定です。

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