弔いの時

 

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ラインハットの中庭には季節の花が咲き、雪が積もり庭が一面白く染まる時期以外には様々な花を楽しむことができる。ただ、今は秋も深まる頃で、中庭には花よりも赤や黄色に染まる木の葉の景色が美しい。食事会の後、リュカたちは揃ってラインハットの中庭に案内され、きれいに調えられた中庭を散策していた。
「前に来た時は暑かったもんね。コリンズくんと一緒に遊んでたら、すっごく汗をかいちゃってさ」
マントを羽織りながら歩くティミーの鼻先を、真っ赤な葉がひらひらと舞い落ちる。吹く風はひんやりとしていて、中庭の上を覆う景色は灰色の曇天で、今は日差しの暖かさを感じられない。
「今日はこんなカッコウをしてるから、一緒に遊んでやれないぞ」
「もう! どうしてそうやってエラそうなのよ」
「ごめんなさいね、ポピーちゃん、こんな調子で……。それにコリンズよりもポピーちゃんの方が動きづらいわよね。でもとても可愛らしいドレスだわ」
「あ、ありがとうございます。でもこのドレス、ちょっと小さくなってきちゃったかも」
そう言いながらドレスの裾を両手で持ち上げるポピーを、マリアがまるで自分の娘のようににこにこと見つめている。薄紅色のポピーのドレスは、日々成長しているポピーに合わせて伸びてくれるわけでもなく、裾が大分上にまで上がっているようだ。マリアが傍にしゃがんで裾を手に取って見ると、子供用のドレスの作りを珍しそうに見つめる。
「縫い代が多く取ってあるから、きっとドレスの裾も長く直すことができると思うわ。やっぱり子供用のドレスの作りって大人とは違うのね。すぐに大きくなるから、大きくできるように作られているみたいよ」
「え、そうなんですか? よかった。このドレス、気に入ってるから」
「そうよね、とてもよく似合ってるもの。お母様がお戻りになった時に見てもらうためにも、一度お城のお針子さんに直してもらったら良いかも知れないわね」
「今度、お話してみます。私、いつもお父さんと旅に出てるから、たまにしかドレスも着なくて……いつの間にか小さくなっちゃってたんだわ」
マリアと和やかに話をするポピーを、後ろからリュカとサンチョが和やかに眺める。まるで母と娘のように話をする二人を見ながら、リュカもサンチョも温かな気持ちに包まれる。しかし同時に、マリアの姿にビアンカを重ね、温かいだけの気持ちではいられなくなってしまう。
「リュカ王、明後日から周辺地域の視察と伺っておりますが」
明日まではラインハット内に留まり、城下町でおおよその時間を過ごす予定となっている。その際には城下町の一店舗を貸し切って食事をしたり、城下町を歩いてラインハットの現状を実際に目で確かめたりする。十年ほど前までは富国強兵策に走り、人民の暮らしをないがしろにしていたラインハットだったが、当時の状況を深く反省した上で立て直した国をグランバニア王であるリュカだけではなく、宰相であるサンチョにも見てもらうことをあの兄弟が望んでいるとサンチョは聞いている。
しかしラインハット内の視察自体は明日一日だけを予定し、その翌日からは周辺地域の視察に回るとリュカはサンチョに話していた。その詳細をリュカはまだサンチョに話していなかった。
「明後日はね、子供たちはラインハットでゆっくり過ごしてもらって、僕とヘンリーと、サンチョだけで行く予定だよ」
「お二人はお連れしないのですか」
「うん。大丈夫。お昼過ぎにはラインハットに戻る予定だから。それで一度戻ったら、そこから子供たちを連れてアルカパに行こうかと思ってるんだ。サンチョもアルカパには行ったことあるでしょ?」
「それは、もちろんございます。隣町でしたから」
「そっか。それならきっと楽しめるね」
言葉を交わす二人だが、その間ずっと視線は合わずに、彼らの見る先にはラインハット城の中庭で走り回る三人の子供の姿があった。普段着とは異なる正装だから動きづらいだのなんだのと言っていた三人だが、結局そんなことなどお構いなしにきれいに調えられた中庭を広々と走っている。町の子供のような遊び方など知らない三人だが、それでも勝手に追いかけっこを始めてしまうのだから、子供の遊びに対する本能と言うのは逞しい。
「やはりティミー様が一番速いようですな」
「普段、一番動いてるだろうからね。でもコリンズ君もなかなか速いよ」
「ポピー様はあのドレスでなければもっと速く走れるでしょうに。ちと走りづらそうです」
中庭の一角に入り込もうとするティミーにマリアが呼びかける。そちらには水の溜まっている場所があるから行かない方が良いと声をかけていた。常に日の当たらない場所があるらしく、そこで転んでしまえば泥だらけになってしまうと、以前泥だらけになって戻って来たコリンズの話をしながら注意をしている。
「あのご様子なら、明後日この国でお留守番をしていただくのも問題なさそうですかな」
「マリアにもお願いしてあるんだ。ちょっとの間二人をよろしくって」
「初めてお会いしましたが、とても穏やかで優しそうなお母上ですね。それでいてどこか、芯の強さを感じると言うか」
「本当にサンチョは人を良く見てるよね。今日会ったばかりなのに、そんな風に思えるんだ」
「伊達に長年生きておりませんから」
「マリアから言ってもらえれば、ティミーもポピーも素直に留守番してくれるかなって。僕から言うとさ、絶対に『連れてって~』って言ってくるでしょ?」
「そりゃあ片時も離れたくないとお思いの部分がございますからね」
「でもさ、ちょっと今回だけはね」
どこか言葉を濁すリュカに気づきながらも、サンチョもまた突き詰めるようなことはしない。リュカのその態度で、サンチョには嫌でも明後日の行き先が分かっている。
「ラインハットのこの中庭もさ、十年前までは驚くくらい荒れ放題だったんだよ」
今、リュカたちの傍にヘンリーやデールの姿はない。彼らはこの時間、国の執務に就いている。デールは玉座の間で訪れる城下の人の話に耳を傾けたり、教会の神父が定期的に行う報告を受けていたりと、リュカがグランバニアにいる時と同様の国王としての務めを果たしている。一方ヘンリーは、城内をあちこちと移動しているらしい。見張り塔に立つ兵と共に外の様子を確かめたり、訓練を行う兵たちに檄を飛ばしていたり、自ら訓練に参加することもある。そうかと思えば自室に閉じこもり、次々と上げられる書類に目を通さなくてはならない。最近では目の見え方が悪くなり、眼鏡を作ることも検討しているとヘンリー自ら愚痴を零していた。
「今ではその影はどこにもありませんな。我がグランバニアの屋上庭園も見事ですが、こちらの庭園も隅々まで手入れされているようで、非常に美しいものと思います」
「信じられないけど、この中庭には魔物もいたんだ」
グランバニアにいるリュカの仲間たちとは訳が違う。魔物に乗っ取られかけていたラインハットには魔物の姿がちらほらと見受けられた。今では美しさを取り戻したこの中庭にも魔物の姿があり、人間がおいそれと出ることもできない中庭は荒れ放題の状態だった。とても子供たちが伸び伸びと走り回れるようなものではなかった。
「僕たちが間に合わなかったら、この国は今頃無くなっていたかもしれない」
ラインハットを破滅に追い込むべき魔物自身が、人間の国で権力を掴み、好き放題することに酔ってしまっていた。それ故にこの国はすぐに破滅には追い込まれず、しかし確実にじわじわと破滅への道を辿っていた。
リュカとヘンリーが十年の時を経てこの国に足を踏み入れたのは偶然に過ぎない。それこそ運命と言う言葉を使えば説明がつく、というほどのものだ。様々な奇跡や偶然が重なり、この国は破滅の道から逃れることができた。リュカの言葉にはそのような意味が込められているとサンチョは感じた。
それだけにやり切れない思いが込み上げる。その奇跡が、あの罪も何もない村に何故起きなかったのかと、サンチョはかつてパパスとリュカと暮らしたあの暖かなサンタローズの家を思い出す。それを運命という言葉で片づけてしまうにはあまりにも情がない。
「ヘンリー殿はご存じなのですね。あの村のことを」
「サンタローズのことは知ってるよ。僕と一緒に行ったこともある」
「そうですか……」
サンチョが自身の心の中を整理し切れない様子で黙り込んでいると、リュカがその間を埋めるように言葉をかける。
「僕もさ、ちょっと不安なんだよね。ちゃんとしていられるかなぁって」
中庭の一角に備え付けられている長椅子に腰を下ろしながらそう言うと、リュカは隣の席に座ってと手で長椅子をトントンと叩く。サンチョが「失礼します」と言いながら腰を下ろし、足元に広がる芝を見つめる。冬になろうとする時期だが、この中庭の芝は枯れることなく今も尚青々としている。
「そうですね、私も少なからず不安ではあります」
「でもさ、サンチョと一緒に行ければ大丈夫だと思うんだ」
ビアンカと結婚した後、アルカパに彼女を連れて行ったことはあったが、隣の村であるサンタローズへは連れて行かなかった。彼女に悲しく辛い思いをさせたくはなかったという理由も当然あるが、それと同時にリュカ自身、あの村を再び訪れる勇気が沸かなかった。ラインハットに滅ぼされ、復興の兆しもまるで見えていなかったサンタローズを訪れることは、ただ悲しい思いが溢れ、過去の温かな思い出さえも塗りつぶされて行くようだと感じたからだ。
「デール君が何度かサンタローズに行ってくれてるんだって」
ラインハットが犯した過ちを償う必要があるのだと、デールはラインハット王の立場でこれまでに何度かサンタローズに足を運んでいるという。誰か使者を出すのではなく、国王自ら赴くことで償いの意味を明確に表しているが、その度に村の神父に受け入れることはないと断られているらしい。
「サンチョは、これからのラインハットは大丈夫だって思ってくれたかな」
リュカは長椅子に座りながら身を屈め、地面に落ちる赤く染まった葉をつまんで手に取ると、それをくるくると回して眺める。木から落葉し、地面に赤い葉が散らばり、冬を迎える頃には木の枝に付く葉は全てが落ち切っているだろう。しかし冬を過ぎ、春を迎える頃には、再び必ず葉をつける。一見、枯れてしまったように見える枝ばかりの木も、地面に根を張り、見えないところで養分を蓄え、必ず次の季節にはまた新緑の葉を繫らせる。
「ラインハットはとても長い冬を越えたんですね」
今は生き生きと遊んでいる三人の子供たちだが、ラインハットがもしあのまま復興の道のりを辿らなかったら、この景色も見られなかった。長く厳しい冬の時代があったが、その時代を、あの兄弟を筆頭に国の人々が力を合わせて努力を重ねて、国を再興させたのだ。そしてまだその道は半ばなのだと言わんばかりに、今も尚彼らは城で国民のためにと努力を続けている。
「サンチョの冬は、終わるかな」
「終わらせるように努力をしなくてはなりませんね。泣き言など言っていられません」
「父さんだってきっと、そう望んでるはずだよ。サンチョには幸せに生きて欲しいんだからさ」
リュカがそう言葉をかけた時、中庭で遊ぶ子供たちを見ていたマリアが彼を呼んだ。リュカはサンチョに「ここでゆっくりしてて」と声をかけると、マリアのところへと歩いて行く。
「どうしたの、マリア」
「あの、コリンズがお二人の呪文の力を見てみたいと言っていて。念のためお父さんに確認しましょうねと、話していたんです」
「大丈夫だよね、お父さん」
「誰にも怪我をさせない、このお城のどこも傷つけない、っていうのなら大丈夫だと思うよ」
「大丈夫ってことだね! よーし、じゃあ見ててね、コリンズ君」
「ティミーが前来た時に回復呪文は見たけど、お前、攻撃呪文も使えるのか」
「そうだよ。ポピーにだって負けないよ!」
そう言って両手を前に突き出し、思い切り全身に魔力を溜めるティミーを見て、リュカはすかさずその口を手で塞ぐ。まだ小さな身体にみるみる溜まる魔力の大きさに、マリアもコリンズも驚きに目を見張っている。
「ティミー、それはきっとこの中庭の芝生を焦がしちゃうんじゃないかな」
「……それどころか地面に穴が空くわ、きっと」
「だって、ボクが使える呪文で一番カッコイイのってこれなんだもん!」
「一体どんな呪文を唱えるつもりだったんだよ、ティミー……」
「外だし、曇ってるし、すっごいちょうどいいんだけどなぁ」
残念そうに肩を落とすティミーの全身に溜まっていた魔力が、そのまま空気中に霧散した。幸い、灰色の空の中に閃く雷の気配はまだない。もしティミーが素早く呪文を唱えていたら、ライデインの雷撃がラインハットの美しい中庭の真ん中に大きな穴を開けていただろう。
「お兄ちゃんは魔力の加減ができないのよね。私はその点、ちゃんと加減ができるわよ」
そう言って唱えたポピーの指先に、氷の粒がまるで世にも稀な鉱物の結晶のように煌めく。ヒャドの呪文を調節し、ポピーは指先に小さな氷の世界を生み出したのだ。
「まあ、とても綺麗ね。呪文の力でこんなこともできるのね」
「呪文の力をしっかり理解すれば、こういうこともできるんです」
「なんだよ、ボクがしっかり理解してないみたいに言うなよ、ポピー」
「お兄ちゃんは勢いで呪文を唱えてる感じがするもん」
「うーん、そうだね。でも多分、僕もそうかも」
「たしかにキレイ……だけど、こんなんじゃ魔物を倒したりはできないだろ。こんなちっぽけな呪文しか使えないのか、ポピーは」
コリンズの言葉の悪い素直な感想に、ポピーの心に火がついた。両手を小さく丸くして、その中に閉じ込めておいた氷の世界を、それこそ気持ちの勢いのままに徐々に大きくしていく。ティミーが静かに後退り、リュカはマリアとコリンズの肩を掴んで後ろに下がらせた。
「ちっぽけなんかじゃないわ。ほら、これでもそう思うの、コリンズ君?」
そう言うポピーの両手は頭上に広げられ、彼女の頭上では厳しい冬が訪れたような吹雪の景色が浮かんでいる。大きな魔力によって生み出される吹雪の威力がコリンズの傍へと伸びて行くと、コリンズは驚きの表情のまま、吹雪の一端に触れようと手を伸ばす。
「すごい……すごいな、ポピー。お前、こんなことができるのか」
馬鹿にしたかと思えば、今度は先ほどのことなど忘れたかのように褒め言葉を告げてくるコリンズに、ポピーは調子が狂ったように彼を見つめる。及ぶ範囲のことを一瞬失念したポピーの呪文が、伸ばされたコリンズの手の先に触れると、彼は顔をしかめて手を引っ込めた。細かな氷の刃に傷つけられたコリンズの指先に血が滲んでいる。その状態を見るや、ポピーは両手を引っ込めて呪文を自らかき消した。
「あっ! ご、ごめんなさい! コリンズ君、大丈夫?」
「いた……ふ、ふん、こんなもの、なめておけば治る」
「無理しないで見せてごらん、コリンズ君。僕が治してあげるから」
手を隠そうとするコリンズにリュカが目の前にしゃがんで話しかけると、コリンズは渋々ながらも怪我をした手を差し出した。あっという間に回復呪文で治された指先を見て、コリンズもマリアもほっと胸を撫でおろした。そして怪我が治るや否や、三人の子供たちは再び中庭の中心に向かって駆け出していく。子供と言うのはじっとしていることがないと、リュカとマリアは元気なその姿に自ずと笑みを浮かべる。
「ありがとうございます、リュカさん。それにしても氷の呪文なんて初めて見ました。火の呪文は主人も使うので見ていますけど」
「ああ、ちょっと珍しいらしいよ、氷の呪文を使うのって」
「そうなんですか、道理で。でもすぐに氷を作れるのっていいですね」
「うん?」
「子供が熱を出した時にもすぐに氷のうが作れますもの。わざわざ氷を取りに行かなくても良いし、時間も選びませんものね。夜中に熱を出してもすぐに氷が作れるなんて、とても助かります」
マリアの言葉に、彼女がラインハットで良き母として暮らしてきたのだと感じる。氷が作れれば、夏には冷たい飲み物が簡単に作れて良いなどと思いついていたリュカだが、彼女の言葉を聞いてそんなことは言い出せなくなってしまった。
「ああ、なるほどね。あはは、マリアはいいお母さんだなぁ」
「そんなことは……周りの方々に支えていただいて、あの子もどうにかここまで大きくなれたんです。まだまだ母親として未熟ですよ」
「でも周りに甘えられるんなら、それでいいんじゃないかな。……あ、サンチョなんかはきっと子育てのプロだよ。だって僕も、ティミーもポピーも育ててるようなもんなんだからさ」
「まあ、そうなんですか? ではせっかくですから色々と教えていただこうかしら」
長椅子に腰かけて休んでいるサンチョのところへ、マリアがゆっくりと歩いて行く。そんな彼女の後姿を見ながら、リュカは彼女と妻が子育てについて話し合う未来ももしかしたらあったのかも知れないと、今はまだいない妻ビアンカのことを思う。しかし彼女には共に語れるだけの子育ての経験などない。そんな機会をも奪ってしまったのだと気づくと、リュカは思わずマリアの背中から視線を逸らし、足元に広がる芝生の緑に視線を落とした。



ラインハット滞在初日の時間はあっという間に過ぎて行った。堅苦しい正装のまま遊びに遊んでしまった子供たちは、空からぱらついてきた雨をきっかけに見守る大人と共に城内に戻った。リュカたちは宿泊用に用意されている部屋に案内され、そこで夕食までの時間をゆったりと過ごした。ティミーとポピーは一度着替えを済ませ、早くからお腹を空かせたようにまだかまだかと夕食を待ちわびていた。王族と同室で良いのかと所在なさげに部屋の中を歩き回るサンチョに、リュカは「サンチョだけ別の部屋にしたら、むしろサンチョの方が特別な感じがすると思うよ」と声をかけると、「それもそうかも知れませんね」と半分納得したように頷きながらもやはり落ち着きなく窓からの景色を見ていたりした。
夕食の席には再び皆が顔を揃えた。ただ、ヘンリーだけは後で遅れて席に加わった。どうしても今日中に済ませておきたい仕事があり遅れてしまったと、一言詫びの言葉を述べるとすぐに食事に手をつけた。
本来ならば晩餐会と言う形式を取り、城の大臣に学者にと呼び寄せて食事会を開催するものだが、そうすればこの場でゆっくりと言葉を交わすこともできないと、今回は公的な立場を弱め、私的な間柄として食事の席を共にしてもらったのだとデールが説明すると、その言葉に最も胸を撫でおろしていたのはサンチョだった。ただでさえ王族の食事の席に同席しているにも関わらず、その上様々な重鎮の方々を呼ばれたのではたまったものではないと、デールの言葉をきっかけに肩の力をいくらか抜いて食事を進めていた。
昼の内にしっかりと遊んだ子供たちは食事の間にも既に眠そうな様子を見せていた。失礼のないようにと俯いて欠伸を噛み殺すポピーに対して、ティミーは白身魚のムニエルをフォークでつつきながら思い切り欠伸をしていた。コリンズも視点の定まらない様子で目を手で擦っていた。
子供たちの様子に皆が気づき、残されたデザートは部屋に運んでもらってゆっくり食べたら良いと、先太后の指示の下で給仕係が素早く対応する。大人はいち早く食事を済ませ、子供たち用にと宿泊用の部屋に運んでもらったデザートは、束の間目を覚ました双子の残っていた食欲によって、部屋のテーブルに置かれた直後、間もなくきれいに片づけられていた。
夜、寝静まる頃には、窓の外に雨の気配はなかった。夕方前に振り始めた雨は大した雨ではなかったようで、ラインハットの中庭の芝生もそれほど雨に濡れているようではなかった。ただ気温は下がり、閉めた窓を触ると、ひんやりとした外気を感じた。
リュカは今、外歩き用の旅装を身に着けている。とは言え、いつも旅をしている時の旅装では王族としての威厳などあったものではないので、グランバニア王としても通じるほどの旅人の服を準備してきていた。その上に旅装用のマントを羽織り、各々のベッドにゆったりと眠るティミーとポピーの寝顔を見つめる。
「坊っちゃん、こんな時間にどこかへお出かけですか」
早々と眠ってしまった子供たちとは異なり、当然サンチョはまだ起きている時間だった。彼はいつもの如く、旅の記録を残すように持参している手記につらつらと書き綴っている。
「ちょっとね、ヘンリーと約束があるんだ」
「おや、お二人だけでですか」
「うん。……あ、別に危ない所に行くわけじゃないから、僕たちだけで大丈夫だよ。サンチョは二人を見ててね」
「お時間はどれほどかかりますか」
「うーん、一時間……もうちょっとかかるかなぁ。でもそんなに遅くはならないよ」
明らかに隠し事をする雰囲気を出すリュカに気づきつつも、サンチョはリュカが腰に佩いている剣を見て、密かに意を決する。
「そうですか。ではお気をつけていってらっしゃいませ」
にこやかに部屋の扉から見送ってくれたサンチョに安心し、リュカは部屋入口の警備に当たっているラインハット兵に一言二言の説明をして、城内の廊下を歩き出した。その様子を見て、サンチョが警備の兵にも事前に話が通じているのだと勘づいたことに、リュカは当然気づかない。
暗く人気のない廊下を進む中、すれ違う人は一人もいない。城中の者たちも既に明日に備えて眠りに就き、ラインハット城は耳鳴りがするほどに静まり返っている。全ての窓が閉められ、外からの風など吹き込んで来ないにも関わらず、人っ子一人いない廊下は身震いするほどの寒さだ。その中をリュカは待ち合わせの場所に向かって急ぎ足で進んでいく。
一度、中庭に出てから、再び異なる扉から城内に入る。そこはかつて、ヘンリーが悪漢に攫われた隠し通路の一角だ。月明かりもない真っ暗なその空間に、リュカは既に到着していた友に声をかける。
「よくこんな場所で待ち合わせようなんて思ったね」
「分かりやすいだろ?」
「あまり良い気分はしないよ」
「でもよ、ここからだったら城下町を通らずに外に出られるんだ。こっそり城を出るには打ってつけなんだぜ」
「だからってさぁ……」
リュカが言葉を続けようとしたその時、閉じられた扉から軋む音が響いた。ヘンリーが背にしている扉ではなく、先ほどリュカが通ってきた中庭に通じる扉が内側にゆっくりと開いて行く。月明かりもランプの明かりもない暗闇の中、リュカとヘンリーは共に身構えてその扉が開くのを目を凝らしてじっと見ていた。
「……サンチョ」
「こんな夜遅くに、お子様たちを置いてどこへ出られるというのですか」
サンチョの声の固さにリュカは咄嗟に言葉が返せなかった。ティミーもポピーも今はリュカと離れることを最も恐れている状況なのだ。眠る時にも目覚める時にも、二人は父の存在を必要としている。二人が目を覚ました時にリュカの姿がなければ、彼らは揃って軽い混乱状態に陥ってしまう。そのような経験をリュカはグランバニアで二、三度経験していた。
「サンチョさん、悪いな、俺が誘ったんだ。ちょっとだけ城下町に二人で飲みに行こうってさ」
「え? いつから酒が飲めるようになったの、ヘンリー……」
「バカヤロ、話を合わせろって」
「城下町に行くだけにしては、お二人ともしっかりと腰に剣を差していらっしゃる。行き先は、城下町などではないのでしょう?」
暗闇に近いような状況だが、既に三人とも目が慣れてきており、互いの状況を把握できるほどになっていた。リュカもヘンリーも、サンチョの姿に唖然とした。二人の姿を指摘する彼もが、まるで旅人のような旅装に身を包んでいる。
「我が王をどちらへ連れて行かれるおつもりですか、ヘンリー殿」
「サンチョさんこそ、そんなナリしてどこに行くんだよ」
「私は国王の護衛です。王の行くところ、どこへでもついて行くまでです」
「サンチョ、安心してよ。別におかしなところに行くわけじゃないんだ。その……ラインハットをまだ疑う気持ちがあるのかも知れないけど、そんなことは……」
「いいえ、ラインハットという国を疑っていれば、私はリュカ王の後をつけたりしません」
きっぱりとリュカの言葉を否定するサンチョに、リュカは暗がりの中にいる彼の目を覗き込んだ。サンチョの茶色の瞳は怒りに燃えているのでもなく、疑念に濁らせているのでもなく、どこか期待に満ちた光を灯しているようだった。
「ラインハットを信じたから、眠るお二人をお任せしたのです」
もしラインハットと言う国に信じ切れない思いがあるのなら、サンチョはベッドで安らかに眠るティミーとポピーを放ってリュカの後を追いかけることもなかった。しかしサンチョの中の思いは、今日一日で大きく揺れ動いた。見事な復興を遂げたともいえるラインハットの状況に、かつての狂気に満ちた国の面影は見られない。そして何よりも、ヘンリーからの痛いほどの謝罪の言葉に、サンチョの止まっていた時間は動き出さざるを得なくなった。
「念の為、王子王女には眠りの呪文をかけておきました。しばらくは深い眠りから目を覚まさないはずです」
「なかなかとんでもねえことするんだな、サンチョさん」
「それほど時間はかからないと聞きました。さあ、早く参りましょうか」
「……どこに行くか、分かってたの?」
「先ほどまでは存じませんでしたが……ヘンリー殿が手にしているものを見て凡そ見当はついています」
暗がりに目が慣れてきたサンチョは、ヘンリーが後ろ手に持っているものをその形だけでそうと認めた。彼が掴んでいるのは、いくつかの花を束ねたものだ。ラインハットの中庭に、今の時期は数少なく咲いている花を摘み、まとめたものを彼は手にしていた。
「リュカ、サンチョさんだって行く権利はあるはずだ」
「そうだね。むしろサンチョこそ行かなきゃいけない場所なのかも知れない」
「時間はありません。急ぎましょう」
そうして三人の男たちが向かおうとする東の地には、雲が晴れた空が広がり、いくつもの星が瞬いている。城外に通じる扉をヘンリーが開くと覗けるその景色に向かって、彼らは揃ってラインハット城を静かに抜け出した。
今では雲の隙間から月明かりも覗き、一日の中で最も暗くなる時間の草原を仄かに照らしている。しかしその景色は飛び荒ぶように過ぎ去り、ゆったりと夜の景色を眺めることなどできない。
「すっげえ寒いんだけど、これ、どうにかなんねえのかよ」
身を縮こまらせながら、前方から冷たい強風を受け続ける状況にヘンリーが愚痴を零す。初めこそ魔法のじゅうたんに乗れることに期待を持っていたヘンリーだが、今はのんびりと移動している時でもなく、急ぐ絨毯の速度に息が詰まる状況で不平を漏らしている。
「仕方ないだろ。魔物に遭わないだけマシだと思ってよ」
「そりゃあこんな速さで飛んでたら、魔物もそうそう追ってこないだろうけどよ」
「ヘンリー殿、後ろを向いていればいくらか呼吸がマシですぞ」
「あ、なるほど、後ろを向けば……背中が痛いくらいに寒いんだけど、どうしたらいい?」
「僕が後ろから抱っこしてあげようか?」
「……冗談でもそう言うこと言うの、止めろよな」
決して冗談とも限らないリュカの発言に、ヘンリーは寒さ以上の寒気を感じて身を震わせる。
「大体さ、お前、あの便利な移動呪文が使えるんだから、ひとっ飛びであそこまで行けねぇのかよ」
「ちゃんとはっきり覚えてる場所なら行けるんだけどさ。ちょっと記憶があやふやでね」
「なんだよ、使えねぇなぁ」
「ヘンリーは文句ばっかりだよ。それだったら君が使えるようになればいいんだよ、ルーラの呪文」
「おお、そうだよ、俺もそう思ってたんだ。その呪文が使えればどこへでも一瞬で行けるんだろ? 俺にも教えろよ」
予てよりヘンリーはリュカの使用する移動呪文には興味津々だった。ルーラと言う古代呪文を唱えることができ、自在にどこへでも行けるとなれば、今までとは比べ物にならないほど行動範囲が広がる。外の世界に増えてしまった魔物との遭遇を回避でき、グランバニアでも西の大陸でもどこへでも一瞬で行ける呪文を習得できれば、今後のラインハットのためにも大いに役立つことができると、ヘンリーは背中を丸めて寒さから逃れながらリュカに教えを請おうとした。
しかしリュカの説明がヘンリーに伝わることはなかった。頭の中に場所のイメージを思い浮かべるという前提は彼にも理解できた。そこから始まったリュカの擬音に塗れた説明は、ヘンリーだけではなくサンチョにも伝わらない。ふわあーん、やら、ぎゅーんぱっ、やら、ぐるるる、やらを繰り返すリュカの説明を聞いている内にヘンリーは「俺にはその特性がないみたいだ」と諦め、サンチョは「やはりこの呪文は選ばれた者にしか使えないのでしょうね」と褒め言葉と共に理解を途中で放り出した。
そんな身のない会話を交わしている内に、彼らは目的地にたどり着いた。夜の外の世界には思っていた通り魔物の姿をそこここに認めたが、まるで突風のように通り過ぎて行く魔法のじゅうたんを呆気に取られたように見るだけで、魔物らは一体として飛び荒ぶ大きな布を追いかけてくることはなかった。
北に山々の景色を広げ、山に抱かれるようにその場所はある。遠い過去の遺跡と思しき石柱が建ち、中には長い年月の風化に耐え切れずに折れて倒れている石柱もあった。リュカはかつて、父パパスを追いかけこの場所を目指した際、まだ子供だったプックルと共に目印となる赤い火の明かりを見つけた。今になって分かる。あの赤く禍々しい火は、敵が灯したものだった。今はリュカがどんなに目を凝らそうとも、隣で温かな火を灯す友の姿しかない。
「……中に、入るのですね」
ラインハット東の遺跡を前に、サンチョが震える声でそう呟く。元よりそのつもりでリュカたちについてきたつもりの彼だが、いざその場所を目の前にすると決意していた気持ちが揺らぐ。
「サンチョさんは知ってるんですね、この場所を」
「一度だけ、来たことがあります。旦那様と坊っちゃんを捜していた時に」
目を瞑るサンチョの瞼の裏には、かつてこの地を訪れた時の記憶が蘇る。不穏に包まれるラインハットで東の遺跡の話を耳にし、胸騒ぎを覚えつつも向かった先で彼が見つけたものは、パパスの砕けた胸当ての一欠けらだけだった。古代なのか、ひと昔前なのかは分からないが、明らかに人々の暮らしがあったであろう遺跡に残された主人の形見の一欠けらに、サンチョは自身の胸騒ぎが具現化したような思いがした。床に大きく残された激しい焦げ跡に、彼は不吉を覚えずにはいられなかった。
「父さんはきっと……僕さえあの場にいなければ……」
今更何を言ったところで、今のこの状況が変わるわけではない。リュカが過去のサンタローズに行き、直接父と話をしてラインハットへ行くなと言っても止まらなかった未来なのだ。この事態は起こるべくして起こったと、リュカは常にそう考えるようにしているが、人の心はそれほど簡単に割り切れるものではない。強く前向きに思うようにすればするほど、それだけ後ろ向きに引っ張られる後悔の念が沸きあがる。
「俺一人じゃ怖くて行けなかったんだ。行こうと思えばいつでも行ける場所なんだけどな」
ラインハットからこの東の遺跡までは、子供の頃のリュカでも歩いて行けた距離なのだ。それを大人になったヘンリーが、いくら日々の執務に追われているとは言え、一度も行けなかったという理由にはならない。彼は偏にこの場所に向かうことに恐怖を感じていた。パパスと言う人物をリュカの父として信じたい気持ちを持ちつつも、彼の脳裏には床に倒れ、血に塗れ、それでも尚愛する息子に何事かを告げようと必死に生きようとしていたパパスの姿がまざまざと蘇る。その目が一たび自分に向けられれば、それは怨念に変わって襲いかかって来るのではないかと、ありもしないパパスの恨みを感じて、ヘンリーは今の今までこの場所に足を向けることができなかった。
「僕も、二人がいてくれるから、行けるよ。……さあ、父さんに今の僕たちを見てもらわないとね」
リュカが歩き出すと、明かりを点けたままのヘンリーがその後に続く。遺跡の中に魔物の気配は感じられない。サンチョもまた、二人の後を追うように、守るように後に続いた。
人工的な四角い入口をくぐれば、中には巨大な空間が広がっている。水の流れる音が聞こえる。中の巨大空間もまた人の手によって整えられた場所であり、一体この場所がかつてどのような意図で造られた場所なのかは今になっても分からない。
ヘンリーの灯す火が大きな空間を広く照らす。リュカはその火の明かりの中に、かつての絶望の景色を見る。
床には大きな焦げ跡が残っているはずだった。しかし扉も何もない入口から長い間吹きつける風や土、砂の影響からか、床にあったはずの激しい焦げ跡はほとんど消えていた。時が止まったかのように思えるこの場所にも、他の場所と違いなく時間は流れていた。あの時は忘れもしない仇から滲み出るような悪魔の気配に、全身に悪寒を感じていたが、今は冷たい外気から逃れるだけの暖かささえ感じられる空間だ。
僅かに残る床の跡に、リュカは父の最期を思い出す。これ以上ないほどの、強大な炎の記憶だ。目の前が真っ赤に染まったのを覚えている。しかしその中に、父の黒い影。決して忘れることなどない、父の最期の姿。その黒い影の中にも、リュカは最期の最期まで父が死ぬなどとは思えなかった。何者にも負けることのない父が、こんなところで、自分の前で消えてしまうことなどあるはずがないと、リュカの幼心は父を信じ切っていた。
「父さんは、何を思ってたのかな」
今際の際に父はリュカに、母はまだ生きている、母を救って欲しいと、リュカの知らなかった父の積年の願いを息子に託した。それからのリュカは、父の言葉を胸に刻み、その言葉を頼りにして、どのような困難や辛苦に当たっても生きてこられた。自分にはまだ為すべきことがあるのだと、生きることを諦めないでいられた。
今ではリュカ自身が双子の父親だ。たとえば自分が、父と同じ立場に立った時に、二人の子供たちに何を伝えるのだろうかと考えると、恐らく同じようなことを伝えるのではないかと思える。子供たちが父の死を嘆き後ろを振り返るのではなく、子供たちに拓かれた未来を進んで欲しいと願い、その道を指し示すのではないかと、今はラインハットで眠りに就いているティミーとポピーを思う。
「お前のことを思ってたに決まってるよ」
ヘンリーはそう言いながら、手にしていた花束をリュカの前に差し出す。魔法のじゅうたんをかなりの勢いで飛ばしてきたにも関わらず、束ねられた花は萎れることなく、詰まれた時の瑞々しい状態を保っている。色々と不平不満を言いながらも、ヘンリーがこの場に供える花を冷たい強風から大事に守ってきたのだと分かる。
リュカは花束を受け取ると、僅かに残る床の跡の前にしゃがみこんだ。床の跡の上に、静かに花を供える。激しい炎の中に消えてしまった父は、骨すら残さずこの世から消え去ってしまった。あの時の父が身に着けていたもので残されたのは、サンチョが肌身離さず持ち歩く父の胸当ての欠片と、リュカが今も装備している父の剣だけだ。
サンチョがリュカの後ろで俯き、肩を震わせている。分厚い手に中には、主人の形見である胸当ての欠片が握られ、あまりの力強さにサンチョ自身の手を傷つけそうだった。ヘンリーもリュカの後ろで立ちながら、ただぼんやりと供えられた花を見つめている。
「考えたってさ、どうしようもないのは分かってるんだよ」
リュカが話しかけるのはサンチョでもなくヘンリーでもない。そしてリュカは今、子供の頃に戻ったような気になって、大人であることを忘れた気になって、思いのままに言葉を吐く。
「どうして死んじゃったんだよ、父さん」
リュカの声が震える。目頭が熱くなる。喉に詰まるような声が静かに響く。
「ボク、まだまだ話したいことがあったんだよ。何だかは分からないけどさ、でも、父さんと話さなきゃならないことって、まだまだたくさんあったんじゃないかな」
父の死から二十年ほどが経つ今となっても尚、リュカの父の死に対する悲しみは、本当の意味で癒えていない。普段は正面から向き合うことがないだけで、こうして父の死を目にした場所を訪れれば、閉じ込められた悲しみは容赦なく外へと溢れ出てしまう。
それもこれも、突然途切れたからだとリュカはやり場のない怒りや悲しみを持て余してしまう。父との時間がぷつりと途切れ、その先に自然と夢見ていた父との未来を描くことも許されなくなってしまった。世の中にそんな人間がごまんといることはリュカも分かっている。自分だけではない。自分だけが辛い思いをしているわけではない。そんなことは分かっている。
分かっていても尚、父を失った悲しみも怒りも、リュカの心の中にあり続ける。決して消えることはない深く抉れた傷なのだ。そしてその思いを、リュカ自身が消したいとは思っていない。この想いと共に、父との思い出は自分の中に残り続けるのだと確信している。
「あんな死に方……ひどいよ。そんなのって、ないよ、父さん」
ヘンリーやサンチョが傍にいる今、こんなことを言うべきではないとリュカは一方で冷静に思っている。自分の言葉は恐らく二人を傷つけている。だが今、リュカはただ父一人と話をしている。亡き父に自分の思いを伝えるのは、山奥の村でビアンカが母の墓前で語りかけていたのと変わらないはずだ。それは子が親に伝える甘えそのものであり、親はきっとその言葉を零さず聞いてくれると信じる。
「坊っちゃん……少しだけ、ここで起こったことをお話いただけますか」
パパスの命がこの場で尽きたことを知ったサンチョだが、最期の時に居合せたわけではない彼はその姿を想像することもできない。床に置いた花を前に動かないリュカの後姿を見下ろしながら、「俺から話すよ、サンチョさん」とヘンリーが己の義務なのだと言わんばかりに静かに当時のことを話した。
ヘンリーが話し終えた時にも、彼らのいる場所には静かに水の流れる音が響いていた。その音に、サンチョが鼻を啜る音が混じる。堪えようとしていたサンチョだが、元より涙もろい性格の彼だ。かつての主に、二人の幼子に起こった出来事を耳にして涙を流さずにはいられない。
「そんなことが……そんな惨たらしいことがあって良いものでしょうか」
震える声で、悔し気に床に涙を落として話すサンチョの前で、一連の過去の出来事を話し終えたヘンリーは虚ろな視線を床に落としているだけだ。リュカは依然として床にしゃがみこんだまま、僅かに残された父の跡を見つめている。その前に供えられた花が、入口から吹き込む寒風に晒され、身を震わせるように揺れている。
「よくぞ今まで、生きていてくださいましたね、二人とも」
喉から振り絞るようなサンチョの言葉に、リュカは振り返り、ヘンリーは顔を上げる。
「どんなにか辛かったことでしょう。もし私が同じような経験をしていればきっと……自ら命を絶っていたやも知れません」
サンチョが命を賭けて守らねばならなかったパパスを、もし目の前で失えば、彼はその言葉の通り自ら命を投げ出していただろう。人生をかけてパパスの従者だった彼には、それくらいの覚悟は常にあったはずだ。
リュカもヘンリーも、本当は何度となく同じような思いを抱えたことがあった。パパスを喪って尚彼らの人生に訪れたものは、あの奴隷としての壮絶な人生なのだ。自ら命を絶てればどれだけ楽なのだろうかと、セントベレスの崖を覗き込んだことは何度となくある。
しかし彼らは崖を飛び降りることなどしなかった。彼らは一人ではなかった。辛く苦しい思いを胸に抱きつつも、それを共に分かち合える友がいた。父が息子に託した願いを叶えることを、友に語り、夢見ることができた。
「僕が生きてこられたのは、ヘンリーのおかげだよ」
友が夢に描く未来を、叶えてやらねばならないと思えば、自ら命を絶つことは許されなかった。そして何でも言い合える本当の友が、生まれて初めてできたことを、彼はあれほど過酷な環境にも関わらず心のどこかで喜んでいた。
「俺の方こそ、お前に救われたんだ」
今のティミーやポピーよりももっと幼い頃に体験した惨い経験と向き合う強さを身に着けた二人を見ながら、サンチョは両目に涙を溢れさせる。誰にも負けないと信じていた父を喪い、百戦錬磨のような出で立ちの友の父である戦士を喪い、それでも尚二人で生き続けてきた二人の子供を想像すれば、端から涙腺の緩いサンチョの目からはとめどなく涙が溢れる。
「あなた方がこうして生きていてくれて、旦那様はきっと喜んでいらっしゃいます」
パパスを最上の人と敬愛している人物にかけられた言葉は、そのままパパスからかけられた言葉のように二人は感じた。リュカにもヘンリーにも、常に自分が生きていることが果たして正解なのかを探っている部分があった。そんな迷いの気持ちを消すように、サンチョの言葉を通して、パパスが語りかけてくれているようだと感じられる。
「そんなに、辛い目に遭っても尚、こうして生きて……うっうっ……ぐすっ」
「サンチョ、そんなに泣かないでよ。そんなに泣かれたら、僕もさぁ……」
「ははっ、お前も泣いてるじゃねぇかよ。なっさけねぇ……」
「ヘンリー殿だって、声が、ううっ、ぐす、涙声に……」
「そうだよ、ヘンリーはさ、ぐずっ、僕よりも、泣き虫だもん……」
「思いっきり鼻啜って、んなこと、っく、言ってんじゃねえぞ。……うぅ~」
「どうするんですか、もう、こんなんじゃ、すぐには戻れませんよ。うっうっ……」
「男三人でさ、こんな、うう~、泣いて戻ったら、びっくりされちゃうよね。ぐす」
「コリンズにバカにされちまう……ひっく、目が、腫れたら……」
「ポピー様に、うっ、氷を、お願いしたら、どうでしょうか、うっく、ひっく」
「そんなこと、っく、お願いできないでしょ。心配、ひっく、させるよ」
「もうさ、この際だから、うう~、思い切りここで、泣いとけばいいんだよ。……うっく」
他に誰に見られる場所でもないと、三人は何にも憚ることなく、大人になって初めて声を上げて泣いた。リュカもヘンリーも、幼い時ですらこれほど思い切り泣いたことはなかった。泣くことなど許されないと思う部分が少なからずあった。そんな二人の頭を両腕に抱え込むように、サンチョは自分よりも背の高い二人の頭を両肩に乗せた。三人の泣き声が、遺跡の中にわんわんと響く。
火の明かりがなくなった彼らの空間には、晴れた空に浮かぶ月明かりが仄かに入り込んでいる。弱い月明かりを受ける供えられた花が、リュカたちの足元で揺れ、転がる。まるで彼らを笑顔で見つめるような温かな風が生まれ、花を吹き散らしたことに、彼らは気づかないまましばらくの間泣き続けていた。

Comment

  1. ともこ より:

    bibiサマ
    更新ありがとうございます
    涙が止まりません(T ^ T)

    私事ですが、二十数年前に実父を病気で亡くしております。つい最近が命日だった事もあり色々思い出すのですが、何年経っても父と過ごした幸せな日々を忘れる事はありません。
    そんな父もドラクエが大好きで。そしてⅤをプレイすると双子に私と弟の名前を入力していたのもいい思い出です。(私は双子ではありませんが)
    自分語りをすみません

    こういったbibiさまオリジナルのお話、愛にあふれていて大好きです。
    ドラクエの音楽を聴きながら何度も読み返していますd(^_^o)

    • bibi より:

      ともこ 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      この場所には彼らで来て欲しかったので、ちょっと無理してヘンリーにも一緒に行ってもらいました。ゲームにはない設定なので、受け入れられない方もいらっしゃるかと思いますが・・・好きにやらせてもらっています(汗)

      お父様がドラクエ5をプレイする時にお子様たちの名前をつけるとは・・・どっぷりと感情移入されてゲームをプレイされていたのではないかと思われます。それこそ何が何でも子供たちを守ろうとしたでしょうね。
      このようなお話を書いて皆様に読んでいただくのは大変緊張するところもあるのですが、ともこさんに感じ入っていただけたこと、喜ばしい限りです。今後も私自身楽しみつつも、皆さまにも楽しく読んでいただけるお話を書いて行ければと思います。

  2. ピピン より:

    泣きました…
    あのサンチョからヘンリーに「よくぞ生きていてくれました」なんて言葉をかけるなんて…
    これでようやくサンチョも前へ進めるでしょうか…

    • bibi より:

      ピピン 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      サンチョもいつまでも前に進めない自分に終止符を打つ時ですね。サンチョとヘンリーの関係は特別なものがあると思っています。ドラクエの世界は、掘り下げようとすればどこまでも掘り下げられるのが良いところです。ああ、楽しい。

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