ラインハットの今

 

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「お父さん、もう朝だよ。起きてよ~」
「珍しくお寝坊さんなのね、お父さん」
「もう少しゆっくり寝かせてあげたいところですが、どうやら食事の準備が整っているようですよ」
子供たちに身体を揺すられ、サンチョに言葉をかけられて、リュカはようやくうっすらと目を開けた。今日は朝から晴れているようで、窓から入り込む陽光が眩しい。その眩しさに思わず上掛けを頭まで被ろうとしたリュカだが、ティミーとポピーに阻止される。
「ボク、お腹空いたよ。早く食べようよ」
「朝はこのお部屋で食べていいんですって。お食事を運んできてくれたみたい」
「ありがたいことです。いや、私はどうも、皆さまと同席するには場違いで……ここでならいつも通り食事ができそうですよ」
リュカたちがいる寝室とは隔てた隣室で、既に食事の準備が進められていた。閉じている扉からも良い香りが漂い、リュカの眠気も徐々に覚醒してくる。しかしいつもより瞼が重く、昨日は東の遺跡で目を腫らすほど泣いたことを思い、枕に顔を押しつけたままサンチョに問いかける。
「……サンチョ、よく起きられたね」
「はて? 何のことですかな?」
しらばっくれるサンチョに更に問いかけるのも無意味だと、リュカは寝ることを諦めて枕から顔を上げる。頭が膨張するような痛みに襲われ、両手でこめかみを強く抑えると、サンチョが小さな笑い声を漏らしながら言う。
「はい、これでしばらく目の辺りを冷やしてください。すっきりしたら、身だしなみを調えて食事の席に着きましょうね」
手渡された氷のように冷たいおしぼりを、絞られたそのままの形でリュカは自分の目に押し当てた。
「お父さん、どうかしたの? 具合が悪いの?」
心配そうにリュカの顔を覗き込もうとするポピーだが、リュカは冷たいおしぼりに目を当てたまま顔を上げず、ただ「大丈夫だよ」とくぐもった声を出すだけだ。
「昨晩、ヘンリー殿と慣れない酒を飲んできたようですよ。いわゆる二日酔い、というヤツです」
「ええ~、ズルイ! ボクも一緒に行きたかった!」
「お兄ちゃんはまだ子供なんだから、お酒なんて飲めない……って、お父さん、お酒飲めるんだっけ?」
「うう~んと、ちょっとだけ?」
「ちょっとしか飲めないのに、思わず飲み過ぎてしまったのでしょう。さあさあ、ティミー様とポピー様もお食事の席に着くのに身だしなみを調えましょうね。このサンチョがお手伝いしますよ」
そう言いながら二人を伴い部屋の奥へと立ち去ってくれたサンチョに、リュカは小さな声で礼を述べていた。結局、いつまで経ってもリュカはサンチョの子供のようなものなのだ。
食事の席に着くころには派手に跳ねていた前髪も直し、目の腫れも大分引き、いつも通りの様子を見せていたリュカだが、頭に何か重いものでも乗せられているのではないかと言う頭重感が抜けなかったため、食後のコーヒーを二杯お替りしていた。そしてリュカの行動に隠れるように、サンチョもこっそりと多めにコーヒーを飲んでいた。
「今日はラインハットの城下町を歩くんでしょ? ヘンリー様たちも一緒なんだよね?」
「うん、その予定だよ。まあ、自由に歩き回れるわけじゃないから、ティミーは退屈しちゃうかもね」
「仕方ないわよ。だって私たち、今回は公式にこの国にお邪魔してるんだもの」
「私はあくまでも護衛としてご一緒します。……もうこの国にそれほどの危険はないものと思いますがね」
リュカたちが食後のひと時を過ごしていると、部屋の扉が叩かれた。リュカは予定の時間よりも早いなと思いつつも扉へと向かうが、それよりも先にサンチョが足早に扉に近づき「どちら様でしょうか」と丁寧ながらも牽制するような言葉をかける。それに応えた声を耳にし、リュカは思わず怪訝な顔つきを扉に向けた。サンチョがリュカを振り向き見る。この期に及んで断る理由もないと、リュカは「開けていいよ」と答えた。
「忙しいところ失礼するぞえ」
まさか先太后がたった一人でリュカたちの部屋を訪ねて来るとは予想だにしていなかった。リュカたちの部屋の見張りに立つ兵にも戸惑いの色が見える辺り、彼女は誰にも相談せずに、リュカたちが外出する直前のこの時間を狙って部屋を訪ねてきたのだろう。ラインハットでの滞在は明日の昼までとなり、尚且つ明日の午前中にはリュカとサンチョはヘンリーと共に出かける予定がある。予定を知った上で彼女はその隙間の時間にこうしてリュカと単独で話をする機会を持とうと思ったに違いない。
「僕に何か?」
リュカは今でもデールの実の母でありヘンリーの継母である彼女を許すことができないでいる。彼女さえ道を踏み間違えさえしなければ、このラインハットが凶事を起こすことなどなかったのは明らかだ。彼女一人があの兄弟を分け隔てなく愛し、育んでくれさえすれば、この国は傾くことはなかった。しかし最も彼女を恨みに思うのが当然のヘンリーが、この継母の罪を許し、今では自ら『母上』と呼び彼女の居場所を確保している。あくまでも外部の人間であるリュカには、友人であるヘンリーの意思を尊重する他、すべきことは何もないのが現実だ。
「そなたと……そちらの、グランバニアの宰相殿に」
「私に、ですか?」
ラインハットの国王であるデールよりも、同国の宰相であるヘンリーよりも、尚威厳の感じられるこの先太后の雰囲気に、サンチョは思わずたじろいだ。彼女はサンチョよりは年下であるはずだが、やはり長年地下牢に閉じ込められていた労苦は生涯抜けきることはないようで、その表情にはいつでも影が差し、実年齢よりも老けて見える。城での生活を再び手にして、日々の生活に不自由はないはずだが、彼女が罪を犯したこの国で、しかも常に人目にさらされる立場に置かれることは彼女が罪から逃れられないということを意味している。もしかしたら彼女にとっては、この国を追放され、どこか知らない場所へ捨て置かれた方が心は自由になれたのかもしれないと、そんなことが頭に過るとリュカは一層鋭い視線で先太后を見つめた。
「お父さん、とりあえずそんな、扉を挟んでお話するような方ではないと思うの」
父のいつにない低い声を聞いて、ポピーが遠慮がちに言葉をかける。先ほどまで朝食を取っていた部屋はすっかり片づけられ、今は城下町での視察が始まる前の待機に当てられている時間だ。扉の脇で見張りをする兵が戸惑いの様子を見せるのを認め、リュカは彼に安心させるような言葉をかけた後、先太后を部屋へと招き入れた。
「お茶をお入れしましょうか。確か奥に食器などの用意が……」
「いえ、宰相殿、お気遣いなきよう。わらわが勝手にこちらに参ったのです。手短に済ませます故……」
「手短にお願いします」
リュカの嫌悪感は先太后だけではなく、当然サンチョにも知れている。ティミーとポピーも父の様子がおかしいことには気づいている。
「昨日、お二人にはあの子たちからの謝罪があったと聞いております」
「どうして昨日、あの場に貴方がいなかったのか、僕は不思議でした」
気を抜くと、リュカでも先太后の放つ得も言われぬ威厳に圧されそうになる。そのためか、リュカの声はいつになく固く低く、彼女の雰囲気にのまれそうになるのを堪えている。
「王には同席を許してもらえておったのじゃが……あの子に止められたのじゃ」
「ヘンリーですね」
すぐさま言葉をかけて来るリュカに、先太后は目を伏せて静かに頷いた。それに合わせて彼女の耳に付く慎ましやかなイヤリングが揺れる。
「そんなことだろうと思った。彼なら止めるだろうなって」
「これは国から謝るべき問題で、わらわが個人的に謝るものではないのだと」
「あの……すみません、リュカ王。ちとお話が分からないので、かいつまんでご説明いただけるとありがたいのですが」
「僕から説明するよりも、貴方から説明してもらった方がいいと思いますよ」
リュカはかつてのラインハットの状況を、事の元凶となった彼女を前にして冷静に語ることなどできそうもなかった。思いのまま語ってしまえば、彼女への怒りがそのまま言葉に出てしまいそうで、それは恐らくヘンリーが望むことではないだろうとリュカはかつてのラインハットの状況の説明を先太后に求めた。彼女も端からそのつもりでいたようで、部屋の扉を背にしたまま静かに話し始めた。
事の発端はヘンリーの実母である王妃が王子を生んで、ほどなくして亡くなったことだったと彼女は語る。元より身体の弱い性質で、そもそもラインハットの王妃として迎えるには相応しくないと言われていたという。その病弱は息子であるヘンリーにも継がれ、少しでも身体を冷やせば風邪を引き高熱を出してしまうために、幼い頃の彼はほとんどを部屋の中で過ごしていた。リュカは友からそんな話は一度も聞いたことがなく、今の健康そのものの彼を見ていればそんな話も嘘なのではないかと訝しんでしまう。
万が一、王子が病に倒れてしまえば世継ぎがいなくなると、ラインハットはヘンリーの継母となる彼女を王国に迎えることになった。そして彼女の実子となるデールが生まれる。父に連れられラインハット城を訪れた際、彼女がデールのことを溺愛している様子は幼心にもリュカには分かった。そして彼女がもう一人の王子を疎んでいることも、彼女の当時の態度を振り返れば明らかだった。
「あの子は……あの子のあの美しい髪、あれは亡き王妃のもの、そしてあの顔、あの瞳は王の生き写しで……その顔がこちらを見る度、わらわは気がおかしくなりそうじゃった」
全てを承知でラインハット王国に嫁いだはずだが、まだ年若く、その美貌にも自信のあった彼女はいつしか自分が一番に見られたいという欲求が高まるのを抑えられなくなっていた。我が子デールが王位を継承すれば、自分はその実母として堂々とこの国の高みにいられると、一たびそう考えればその考えに思考が支配された。
徐々に思考が固まって行く彼女の意に反するように、ヘンリーは成長するに従い病弱な体質を克服していく。彼女の実子デールもまた、異母兄ヘンリーに懐き、目を離せば彼ら二人は中庭の隅でこそこそと遊んでいたりした。その度に彼女はデールを庇い、ヘンリーを叱った。兄が王子としての手本を示さないでどうするのだと苛つく気持ちのままにまだ幼い王子を罵れば、彼は泣きそうな顔をしながらも強い目を向けてきたという。
「デールはわらわにそっくりであろう?」
先太后の言葉にリュカは玉座に座るデールを思い出す。彼女の言う通り、デールの容姿は凡そ母のものを継いでいるようだ。彼を見ても、リュカが一度だけ目にしたことのある先代のラインハット王を思い出すことはない。
「どうしてあの人に似てくれなかったのかと……そんなことを思っても仕方がないのは分かっておるが、どうしても考えてしまうのじゃ」
話しながら虚ろな視線を床に落とす彼女を見て、リュカは気づいた。彼女を狂気に走らせた原因は、膨れ上がって行く嫉妬だ。彼女は恐らく、夫となる先代のラインハット王を心の底から愛してしまったのではないだろうか。人と人との愛情において、その感情は本来喜ばしいものであるはずだが、後妻としてラインハット王国に嫁いだ彼女にとってはむしろ邪魔な感情だった。
「だからって貴方の罪が軽くなるわけじゃありません」
胸の内に同情の念が沸き起ころうとする中、リュカはその思いを封じるように彼女に言い放つ。今になってそんな話をすること自体、彼女の強い自我が出ているような気がした。そのような我儘な嫉妬など、大人である彼女がどうにかすべきことなのだ。大人だから、自分の感情など子供のために制御するべきなのだ。大人だから、大人だからと、その言葉がリュカの頭の中をぐるぐると巡る度、果たして大人になった自分は子供たちのために完全に感情を制御できているのだろうかと不安が過る。
自分にはこれ以上ない大切な存在である子供たちがいる。子供の頃から親代わりであるサンチョがいる。今では親友と呼び合えるようになったヘンリーがいる。グランバニアには苦楽を共にした魔物の仲間たちがいる。オジロンやドリス、グランバニアを守る兵士たち、国を支える人々、リュカの周りには様々な人たちがいて、彼を近くで遠くで支えてくれている。たとえ父を喪い、今もまだ妻と母を見つけられない状況であっても、リュカは決して一人ではない。
ラインハット王の後妻として迎えられた彼女は、王宮の人々に迎えられながらも常に孤独を胸に抱えていたのかもしれない。デールを生んでも尚消えない孤独は、ヘンリーの容姿に残る先代の王妃の面影に起因していた。特徴的な緑色の美しい髪を見る度、そして同時にその空色の瞳に見る愛する国王の面影に、彼女の心は千々に引き裂かれんばかりの痛みを受けていた。
「全て、わらわが招いたこと。わらわが下らない悋気など抱かねばこのようなことにはならなかった」
今となっては戻ることの叶わない過去の出来事に、彼女は逃げずに正面から向き合い、心から反省していることは、こうしてわざわざ一人でリュカとサンチョの下へ話に来る態度で自ずと知れる。最も会いたくないであろう二人に、彼女はヘンリーに止められていたにも関わらず、彼らの行動予定を調べ、その合間を見て半ば強引に彼らの部屋を訪ねてきたのだ。
逃げようと思えばいくらでも彼らの前から逃げることができたはずだ。しかし過去の罪から逃げないと決めた彼女は、この時を逃すまいとこの部屋を訪ねた。そのような彼女の覚悟に触れたのは、リュカだけではない。
「そなたの主君を殺めたのはわらわじゃ」
サンチョへ罪の告白をする彼女を見ても、リュカはまだ彼女を卑怯だと感じてしまう。どれだけ反省し、どれだけ頭を下げられようとも、リュカは彼女の人生の一部に同情こそすれ、一生この先太后を許すことはないだろう。
「あらためてわらわから謝罪する。サンチョ殿、そなたにはわらわを罰する権利がある」
「そのような権利は、私にはございません。全ては旦那様がお決めになったことです」
この北の大陸でラインハット王を頼り、サンタローズという小さな村に居を構えたのもパパスが決めたことだった。ラインハット王から手紙が届き、友人でもある彼のところへリュカを連れて赴くことを決めたのもパパスだ。そしてラインハットの第一王子が誘拐され、自ら救出に向かおうと決めたのもパパス自身なのだ。その場面ごとに、パパスが選択できる方法は他にもあったはずだが、彼は自身の信念に従い、一貫した行動を示したに過ぎない。
「私は先代のグランバニア王の従者に過ぎません。それに貴方は、既に罰を受けているのでしょう」
そう言ってサンチョは斜め後ろに立つリュカを振り向き見る。リュカの視線は鋭く、その先にはまるで断罪されるのを待つばかりと言った状態の先太后がいる。
「我が王は心優しく寛大なお方です。しかしその方が貴方を決して許さないと。友好国であるはずの国の王が、貴方に見えない刃を向け続ける限り、貴方は罪から逃れることもできない……従者である私に、それ以上何ができるというのでしょうか」
かつてグランバニアでは、魔物に攫われた王妃に代わり、後妻を迎え入れることを検討する話が一部で上がっていたことをサンチョは知っている。しかしそれをパパスは断固として許さず、あまつさえ自ら王妃を捜す旅に出てしまった。尊敬すべき主君ではあるが、破天荒な性格でもあったとサンチョは生前の主君を一方で冷静に捉えている。
そしてグランバニアにはもう一人の王位継承者がいた。パパスの弟オジロンが国王代理としてグランバニアを支え、オジロンもまた兄の突っ走りがちな性格を心得ている部分があり、弟王の頼りなくも穏やかな国政により、グランバニアは今も国として存続している。
もしパパスに兄弟などおらず、それでも彼が国を飛び出して王妃を捜す旅に出ていたとしたら、今のグランバニアと言う国が存在していたかどうかも分からない。国王の代理を立てるにしても、たとえば大臣にその役を執らせたとすれば、裏で魔物と手を組むような大臣の奸計に陥れられていた可能性もないとは言えない。
一つの国を存続させるというのは容易なことではないのだ。常に内部外部からの危険に晒され、ほんの僅かな隙で簡単に国が一つ潰れてしまうこともある。そして人間ならば誰しもが、心の隙など持ち合わせているものだと、サンチョはラインハット王子を単独で救い出すことを試みた主人の判断にその現実を嫌でも見つけてしまう。
「私の意思は、今やリュカ王と共にあります。王がお決めになることが、私の全てです」
下手に年を取ってしまったおかげで、様々な可能性を考えついてしまうようになったと、サンチョは力なく笑う。しかしそれが人々が経験する年月と言うものであり、人間には必要なものなのだと彼は身をもって理解している。胸の中には確実にあの時の辛苦が残っているが、その辛苦を喜怒哀楽全ての感情と共に経験してきた事柄が包み込み、和らげているのも事実なのだ。
「本当に、申し訳ないことをしたと思うておる。許して欲しいなどとは言わぬ。ただ、心から悔いていることをここで改めて伝えたかったのじゃ……」
「僕も許すとは言いません。だけどそれとは別に、貴方はこれからもこのラインハットのために生き続けて下さい。この国が必要としている人を奪うようなこと、僕たちにはできませ……」
リュカが言いかけたところで、頭を深く下げる先太后の背後にある扉が二度叩かれた。城下町視察の時間が来たのだと、ラインハット兵が報せに来たようだった。
「もう出なきゃいけないみたいなので」
「ああ、そのようじゃな。貴重な休息の時間を失礼した」
深く下げていた頭を上げた先太后の目は潤みこそすれ、涙を零すことはなかった。涙を流しては謝罪の言葉も軽くなると、彼女は必死に堪えていた。自分の罪と向き合い、相手に首を差し出すような気持ちで謝罪をする姿は、昨日のヘンリーの姿と重なる。彼らが持つ罪の意識は、たとえリュカが許したところで変わらず持ち続けて行くのだろう。相手に許されても尚消えない罪の意識に縛られることは、それ自体が心の底から後悔し反省しているということだ。そんな彼らの重い心情に対し、リュカがこれ以上すべきことは何もない。
部屋を出て行く先太后を、ラインハットの兵たちが敬礼して見守る。彼女には一人の侍女が付き添い、彼女が差し出すハンカチを先太后は受け取らずに、しかししっかりと前を向いて颯爽と歩いて行った。罪の意識を抱え込みながらも、この国では王の母として堂々たる姿を見せて行かなければならない。彼女の覚悟とはいかほどのものかと考えそうになったところで、リュカは頭を振って考えるのを止めた。
「どうしたの、お父さん。まだ頭が痛い?」
「氷で冷やした方がいいのかも。出そうか?」
こんな時の子供たちの声はリュカの心を大層穏やかにしてくれる。すぐに父親という立場に戻ることができる。二人がいるという現実が、嫌な現実から逃避させてくれる。
「ううん、大丈夫だよ。ありがとう」
「さあ、参りましょうか。城下町では行く先は決まっているのですか?」
「ううん、僕も知らないんだ。でも大丈夫だよ、ヘンリーが連れてってくれるから」
城の入口まで案内をと、リュカたちの周りにラインハット兵が付く。子供たちが何かを言いたそうにしていることに気付いていたリュカだが、見知らぬ兵たちに囲まれているからか自由に発言することもできないようで、それに乗じてリュカも敢えて二人には話しかけなかった。今はラインハットの城下町を見て回ることだけを考えていればいいと、リュカは付き添いの兵に親し気に話しかけながら城内の廊下を歩いて行った。



「父上、本当にこんな狭い道を通るんですか?」
「俺もさ、自分で来たことはないからよく知らないんだけど、この辺りに人気の飯屋があるって聞いたから一度来てみたいって思ってたんだよな」
城下町の視察に出た一行は、城から提供された大型の馬車に揺られた後、城下町の一端に降り立ち街中を歩いていた。護衛の兵が五人ついているが、小さな通りを歩いているため、兵は二人、三人と分かれて前後に付いている。
日中でも大して日の当たらないような薄暗い道だ。城下町に住む人々でも好んで通らないような物騒な道を、ヘンリーもリュカもいつもと変わらない様子で歩き進んでいく。彼らの後ろで怯えるような視線をあちこちに彷徨わせるコリンズを、マリアが隣に歩きながら落ち着かせている。そのすぐ後ろをティミーが物珍しそうにキョロキョロと見渡し、壁に描かれている下品な落書きを見て首を傾げていると、サンチョに先を促されるように後ろから押されて歩いて行く。ポピーは鴉の仕業と思われる散らかったゴミを目にしながら、「ちゃんとお掃除すればいいのに」と顔をしかめながら零していた。
彼らを先導する兵が店の場所を把握しているらしく、迷いなく進んでいるため道は合っているようだった。しかし物騒な裏道と言うこともあり、このような場所では良からぬことが起こるのも避けられない。
建物の隙間に当たる脇道に、リュカは暗い二人の人影を見た。一方がもう一方の胸倉を掴み、思い切りその腹目がけて拳を叩きつけたのを目にして、リュカは迷いなく脇道へと入り込んでいった。悪事が起ころうとしているのを目にして、見過ごすような彼ではない。
「どうした、リュカ」
「喧嘩かも知れない。止めないと」
大人が二人で横並びに歩けないような、更に狭い脇道だ。もはや道とは呼べないほどの場所だが、そこで更に拳を振り上げようとしている人の影に向かって、リュカは大声で「どうかしたんですか?」とわざと呼びかけ、注意を自分に向けた。
全く日の差さない暗がりの中で、リュカに目をやる男の顔がにたりと歪んだのを感じた。常人では不可能なその悪意の滲む笑みに、リュカの顔から表情が消える。
「どうもしねぇよ。お構いなく」
「あ、あの、助けて……これだけは、取られるわけには……」
殴られた腹を抑えながら、地面に座り込んでリュカに助けを求める男性は、見たところ旅の商人と言った様相だ。恐らく彼の商売道具となる商品一式を包んだ大きな袋をそのまま、相手の男に盗られそうになっていたらしい。
「一人でのこのここんな道に入り込んじまうのが悪いんだよ。運が悪かったと思って諦めな」
「じゃあお前も相当運が悪かったな」
そう言って事情を悟ったヘンリーが放ったメラの火が、盗賊が頭に被る頭巾に燃え移る。暗がりの道に灯った明かりの中で、盗賊が頭巾を地面に投げ捨てながら相手を一瞬にして見定める。
「なんだぁ? ド偉い貴族様がこんな裏道をうろついちゃあいけねぇな」
「ここはお前らの道だとでも言うのかよ。ふざけんじゃねぇぞ」
「ちょっと呪文が使えるからっていい気になってちゃいけねぇ」
先ほどまでリュカたちが歩いていた道には今もサンチョやマリア、そして子供たちがおり、彼らを数人の兵が前後を挟むように守っている形だ。彼らの頭上に大きな影が現れたと思ったら、その直後にはティミーが背後から男に身体を拘束されてしまった。初め、最も非力に思われたポピーが狙われたが、ティミーが妹を突き飛ばして身代わりとなったのだ。
「ティミー様!」
あまりに速い盗賊の動きについて行けず、サンチョはただ他の者たちを守るために狭い路地で身構えている。盗賊は一人ではなく、三人で手を組んでいたようだ。もう一人の盗賊がマリアを狙っていたようだが、彼女は兵の守りで難を逃れていた。
ティミーが大人しく盗賊の手により掴まっている。下手に暴れれば他の者たちに危害が及ぶ可能性を、彼は幼いながらに心得ていた。そして外での魔物との戦いに慣れている少年は、盗賊団が想像するよりも遥かに冷静だった。
「お父さん、ボク、どうしたらいいかな」
大声で見えない場所にいる父に呼びかける少年を、盗賊団の男たちは揃って勘違いした。恐怖に震え、父に助けを求めるどこぞの貴族の少年と思う男たちは、旅の商人からの盗品に加え、この貴族の少年の身代金まで要求できそうだと揃いも揃って卑しい笑みを浮かべる。
「ボクは大人しく俺たちにつかまってればいいんだよ~」
「君のお父さんがたんまり金をくれたら、ちゃ~んと解放してあげるからね」
ティミーの首に当てられているのは手斧の刃だ。手入れのされているようなものではなく、斬りつけるというよりも鈍器のように殴りつけるものとして使われるのだろう。
「逃げられそうだったら逃げて」
ティミーの声に答えるように、リュカも見えない息子に向かって大声で返事をする。リュカとヘンリーの前には一人の盗賊の男がおり、子供を人質に取られ身動きの取れない二人に薄ら笑いを浮かべてやはり手斧を構えている。
「呪文は使ってもいい?」
「うん、仕方ない。いいよ」
「ねえ、私は?」
「ポピーもいいよ」
「私も戦いますぞ、リュカ王」
「うん、そっちは頼んだよ、サンチョ」
リュカと三人は互いに見えない場所で会話を交わした。ティミーを捕まえている男は、たかだか子供の唱える呪文などと言ったように、鼻で笑いながら手斧を掴む手にぐっと力を込める。
「おーい、この子供がどうなってもいいってのか……?」
ティミーを背後から捕まえている男の頭がぐらりと揺さぶられる。間近にいたポピーが片手を盗賊に向け、既に呪文を放っていた。男は彼女が放った眠りの呪文の効果を耐え、体勢を立て直そうとしたが、一瞬の男の脱力を見切ったティミーが素早くその手から抜け出した。
「ポピー、ずるいぞ! 先に呪文で眠らせようとするなんて!」
「お兄ちゃんはこういう呪文が使えないじゃない。燃やすか雷かだなんて、こんな狭いところでやったら危ないでしょ」
「でもお父さんは呪文を使っていいって言ったもん!」
「使う呪文だってちゃんと考えないと危ないって言ってるのよ!」
「ライデインだってちゃんと加減すれば大丈夫だよ!」
「相手は人間なんだからそんな呪文使っちゃダメなの!」
「じゃあベギラマは!?」
「こんな狭いところで使ったら、みんな燃えちゃうでしょ!」
双子が言い合いを始める中、ティミーを離してしまった盗賊の男が何やらぶつぶつと呟き始めた。見た目に似合わず、盗賊は呪文の心得があるようで、男もまたポピーと同様の呪文を唱えようとしていた。
「そうは行きませんぞ」
皆の護衛として付いているサンチョは当然のように腰に武器を所持していた。ただ外の世界を歩く時に装備するような大金槌を、まさかラインハット城下町内で装備するわけにもいかず、今彼の腰に提げられているのは二本の檜の棒だ。その内の一本を素早く手に取ると、男が呪文を唱える前にその腹を強く突いた。呻き前屈みになった男の首を後ろから棒で打てば、盗賊はそのまま力なく地面に倒れてしまった。
「すげぇ、な……あのおじさんも強かったのか」
呆気に取られるコリンズの背後で、今度は剣の打ち合うような音が響いた。振り向き見れば、マリアを捉えようとしていたもう一人の盗賊が、ラインハット兵と剣と手斧で打ち合いをしている。マリアは兵の邪魔にならぬようコリンズを連れて下がり、距離を取る。
「みんな、そいつから離れてー!」
ティミーが叫ぶと、盗賊と戦っていたラインハット兵も驚いたように一時退く。この機を逃してたまるかと、ティミーは素早く両手を天に向かって伸ばし、雷雲を呼び寄せる。唐突に暗くなった空を、皆が揃って見上げる。
「ダメよ、お兄ちゃん!」
「大丈夫だって! 加減するから!」
もう完成した雷をどこかに放出しなくてはならないと、ティミーは狙いを定めて盗賊の頭上から雷撃を落とした。凄まじい轟音が辺りに響き渡り、その場にいる者たちの聴覚が一瞬にして異常をきたした。ティミーの言った加減と言う意味が全く意味をなさないものだったと、腰を抜かした盗賊のすぐ傍に開く大きな地面の穴に、皆がそう思った。
「ほ、ほら、加減したから当たらなかっただろ?」
「それは加減って言わないのよ! 当たってたらあの人今頃丸焦げよ!」
まだ残る耳の痛みに顔をしかめつつ、ポピーが文句を言い放つ。まさかこんなところに雷が落ちるなどとは予想だにしていなかった皆は、この後しばらくの間耳鳴りに悩まされることになる。
恐ろしい神の一撃を見たような雷の威力に、ラインハット兵も思わず腰を抜かしかけていたが、どうにか盗賊を縄で拘束することに成功した。自分でも訳の分からない内に死ぬ思いをした盗賊はとうに戦意など喪失し、縄に縛られるまま地面にへたりと座り込んでいた。サンチョが昏倒させた盗賊の男もすぐに縛り上げられ、そのまま地面に転がされている。
そんな状況を目にすることはできないが、仲間の声が一切聞こえなくなった状況に、一人残された盗賊の表情には明らかな焦りが浮かぶ。
「で? お前はどうすんの?」
「子供だからってナメてかかっちゃダメだよね」
「そのツラは相当悪さしてきた感じだな」
「もう二度と悪さができないように、手を潰しちゃった方がいいかな」
「いや、そんなんじゃまだ甘いだろ。お前の呪文で切り刻んじまえばいいんじゃねえの?」
「全身を? うーん、あんまり子供たちには見せたくない光景だなぁ」
そう言いながら暗がりの路地を歩き近づいてくる二人の貴族の姿に、旅の商人から分捕った品物の入る包みを抱えた盗賊の男が隠すことなく全身を恐怖で震わせている。今のこの場を見た者にとっては、一体どちらが悪者か分からない。
「ははっ、こ、これは置いてくからさ、どうか見逃してくれよ」
盗賊の男は全身に冷たい汗をかきながら、抱えていた盗品を静かに地面に置いた。男のその行動を見ていたリュカとヘンリーだが、既に何度も盗みを働き、恐らく人に危害も加えているに違いない盗賊を放っておくはずがない。
「俺たちの国で悪さをしたらどうなるか、身をもって知ってもらわねぇとな」
「国の治安を乱す人間は僕も許せないからね」
この場での温情など欠片も見せない二人を見て、盗賊はいよいよ身の危険を身近に感じた。目の前の二人から感じられる静かな怒気の勢いに飲まれ、盗賊は背後にいる旅の商人を人質に取ることも頭から抜け落ちてしまっている。こうなれば男の選択肢は一つしかない。
さすがは盗賊と言ったところか、男は狭い路地の壁を利用して、身軽に壁を蹴り蹴り上へ逃げて行く。しかしそれを黙って見ている二人でもない。ヘンリーが放ったメラの火が、頭巾を取り去った男の頭に燃え移ると、それはリュカの放ったバギの呪文で威力を増した。まるで男の頭から激しい火炎が上がっているようで、それはリュカがかつて見たことのある炎の戦士という魔物の姿を彷彿とさせた。
「あっちぃ! あっつ! 死ぬっ!」
バランスを崩して地面に落ちてきた盗賊の男が自身の頭部に両手をやった時には、既に頭部を守っていたはずの髪は残されていなかった。火が消えたのはポピーの温情だ。彼女がヒャダルコの呪文を浴びせかけたおかげで、盗賊を苦しませていた炎は消え、代わりに男の全身は巨大な氷に包まれていた。縄で拘束するまでもなく、盗賊の男は既に氷で拘束されてしまっていた。
「お父さん、ヘンリー様も、弱い者いじめはいけないのよ」
「ごめん、そうだよね。ちょっと頭に血が上っちゃって」
「俺もまだ若いな……悪い悪い」
「……ポピーだって、何もヒャダルコじゃなくっても良かったと思うんだけどな」
「あ、あの火を消すにはヒャドじゃ足りないって思ったんだから、仕方ないでしょ!」
ティミーの呟きにポピーが慌てて言い返す。彼女もまた正義の心を強く持つ少女であり、この場で逃げ出そうとした盗賊を許せないと思っていたに違いない。
しっかりと縄にかけた三人の盗賊を、リュカたちの護衛に付いていたラインハット兵が連行していく。盗賊たちはこの後地下牢に放り込まれ、彼らの罪の深さによる刑が言い渡される。その役を負うのは勿論ヘンリ―自身だ。
「あ、あ、あの、ありがとうございました。何とお礼を言ったらいいのか……」
たまたま通りかかったリュカたちに守られる形で、品物も自分の身も傷一つない状態で居られた旅の商人は、まだ消え去らない恐怖を肌に感じつつもリュカたちに礼を述べた。
「あなたが無事で良かったです」
「だけどよ、なんでこんな物騒なところにいたんだよ。一人でさ」
まだ地面に座り込んでいる商人に合わせるように、リュカとヘンリーがその前で二人してしゃがみ込む。日の差さない狭い脇道で、互いの顔もよく見えていないような状況だが、自分を助けてくれた一行を疑う理由もないと旅の商人は素直に打ち明ける。
「ここでお渡しする予定だったんです」
「渡す? 何を渡すつもりだったんですか」
「さっき盗られそうになったヤツか?」
「ええ、これなんですが……」
そう言いながら商人が開いた布の包みから出てきたものに、リュカもヘンリーも思わず顔をしかめた。やたらと大きな包みだとは思っていたが、その中から出てきたものはいかにも禍々しい気配を漂わせる鎧一式だ。一見しただけでは少々ゴツゴツした造りの、大柄の戦士が身に着けそうな鎧だが、鎧自体から滲み出る魔力には明らかに良からぬ力が働いているのを感じる。
「この鎧を誰かが買ってくれる予定だったんですか?」
「いえ、買ってもらうわけではなく、お渡しするつもりでここに……」
「あんた、商人なんだろ? だったら取引して商品を売るのが仕事じゃないのかよ」
「こ、この鎧はあくまでも光の教団の方へ差し上げるためにここへ持ってきたんです」
商人のその言葉に二人は返す言葉を失う。旅の商人はあくまでも自身の行いは正しいと言わんばかりの率直さで、未だ地面に座り込みながら鎧を大事に抱えて話し続ける。
「たまたまこの国で教団の方にお会いして、私がこの鎧をお渡しするのを条件に、私を光の国へ導いてくださると……そう約束をしていたんです」
「ただでは行かせてもらえないの?」
「本来ならば相応のお布施が必要になるとのことだったのですが、この鎧をお渡しすればそれと引き換えに光の国へ連れて行ってくださると約束してくださいました」
「相応のお布施ねぇ……一体どんくらいの金を要求しようとしてたんだか」
盗賊団に狙われるような代物だ。それこそ、相応の値段がつくようなお宝なのかも知れないと、ヘンリーは開かれた包みの上に乗る悪魔の力が宿るような鎧を怪訝に見つめる。
「僕たちさ、これから近くの食事処で食事をする予定なんだけど、一緒にどうですか?」
「えっ? でも私はここで光の教団の方を……」
「また一人でこんな物騒なところで待つってのかよ。奇特なヤツだな、あんた」
「自分の身は自分で守らないと行けないんですよ。少しは物事を疑うってことをしないと」
「おっ、言うようになったなぁ、リュカ」
「僕だってただのほほんと生きてるわけじゃないからね。馬鹿にしないでよ、ヘンリー」
会話する二人を前に、商人が地面に座りながら身体を硬直させる。
「あ、あの、ヘンリーって……まさか……」
「ん? ああ、よくある名前だろ。珍しくもなんともない」
「珍しいのは君のその髪だよね。そんな髪色、君以外で見たことないよ」
「こいつなー。ホント厄介なんだよ。どこへ行くにも目立っちまう。だからお忍びでどっかに行く時は俺、変装していくんだぜ」
「えっ、面白そうだね、それ。僕も今度やってみようかな。カツラとかかぶって行くの?」
「そうそう、でもカツラを被るとコリンズのやつが笑うからよ、それが腹立つんだよな」
「それは仕方がないよ、だって想像しただけで笑っちゃいそうだもん」
「お父さーん、まだー?」
下らない話がいつまでも続きそうなところでティミーの声が響いた。すっかり話し込みそうになっていた二人の前で呆気に取られていた商人も、子供の声に反応するように狭い脇道の向こう側へと視線を向ける。
「これ以上待たせちゃマズイね。じゃあ、そろそろ行こうか」
「あの、えっと、私もですか……?」
「なんだよ、俺たちと一緒に飯が食えねぇってのかよ」
「いやいやいや、決してそんなことは!」
「大丈夫だよ、食事代は全部彼が持ってくれるから。運が良かったね、ただで沢山ご飯が食べられるなんて」
「まあ、一人分の食事代ぐらいは問題ないだろ。いいぜ、おごってやる。その代わり色々と話を聞かせろよ」
「は、はい、分かりました……」
まだ足腰がしっかりしない商人にリュカが肩を貸し、ヘンリーは商人が手にしていた包みを簡単に閉じて肩に担ぐ。やたらと高貴な身なりをした二人の男に半ば強引に連れて行かれる商人は、果たして安心して良いものかどうか悩みつつも、為す術もなくふらふらと歩いて行った。



「お店は、その、あまりきれいとは言えないけど、お料理はとても美味しいのね」
「このお肉なんてサイッコーじゃん! 串に刺さったお肉をそのまま食べるなんて面白いよね!」
「ふむ、ご主人、これは本当に塩と胡椒だけで味付けされたのですか? それでどうしてこれほどの旨味が……」
貸し切られた店の中にはリュカたちしかおらず、店の前には兵が立ち周囲を警備に当たっている。その中に放り込まれた旅の商人である一人の男性は肩身が狭そうに身を縮こまらせている。
「それで、貴方は光の教団の人間から声をかけられたと。それはこの国の中での話ですね?」
元より店の中には小さなテーブルがいくつかあるだけの狭い場所だが、古びた木製のテーブルをいくつか寄せてつけて、一つの大きな食卓として皆で食事を進めている。時折がたつくテーブルに顔をしかめるのはコリンズだけで、他の者たちはそんなことにも気づかないと言ったように各々料理を口にしていた。
今は旅の商人はマリアの隣の席に座らせられ、彼女の前で姿勢を正して話をしていた。彼の前に置かれた皿には手つかずの料理が置かれ、マリアの前にもまた同じように皿が置かれている。
「はい、この国に着いたのはしばらく前なんですが、私が宿に泊まっている時に声をかけられました」
その者の外見は、生成のローブに身を包むどこかの司教のようにも見えたという。まるで光の中から現れたようなその姿に、商人の男は圧倒された。これほどの神々しさを放つ人は神の使いに違いないと、特別な理由などなくともそう信じ込むだけの力を感じてしまった。
「はっきりと申し上げます。光の教団というのは、紛い物です。騙されてはなりません」
小柄で、まだ若い娘のような可愛らしさを見せるマリアがこれほど痛烈な言葉を口にするのを、目の前の商人は驚きを隠さないまままじまじと見つめた。マリアは相手の心に寄り添うように静かに商人の手を取ると、その手を両手で包み込む。
「貴方は貴方の人生を生きる権利があるのです。その権利を簡単に誰かに委ねてはなりません」
「誰かに、委ねる……」
「光の国へ行けば幸せになれると、どんな悩みからも解き放たれると、そう聞いていたのではないでしょうか」
光の教団の者たちが口にするのは、人々の不安を煽り、そしてそれを解決するだけの力があるということを強く示す言葉だ。少しでも自分の頭で考えればその嘘偽りに気付けるが、近頃では以前よりも強引に教団への勧誘が行われている傾向がある。商人である彼が教団の者を名乗る人間に神々しさを感じてしまったのも、何かしらの妙な術を使っているに違いないとリュカもヘンリーも串焼きを頬張りながら静かに考えていた。
「貴方の幸せは、貴方にしか決められないのだと思います。人は生きている限り悩みから完全に解き放たれることはありません。一つの悩みが片付いたと思ったら、次には別の悩みが追いかけて来るものです」
マリア自身、今までの人生をそのように過ごしてきたのだろうと、リュカは食べる手を止めて穏やかな表情で話を続けるマリアを見つめる。彼女の言葉は恐らく、彼女自身が海辺の修道院で、このラインハットの教会で受け取って来たものなのだろう。その言葉の意味を完全に自分のものにして、彼女はその思いを目の前の商人に伝え、彼を正しい道へと戻そうとしている。
「考えることを止めてはいけませんよ。しっかりと自分の頭で考え、答えを出すようにしてください。もし自分だけで答えを出すのが難しければ、城の教会には神父様もシスターもいらっしゃいます。いつでもお話を聞いてくださいますから……」
「あっ、あの、私はぜひ貴女にお話を……」
「おい、人の嫁さん堂々と口説こうとするなよな」
商人の男がマリアの手を両手で握り返したところで、ヘンリーが鋭い口調で会話に割って入った。
「母上は誰にでも優しいんだ。お前にだけ優しいんじゃないんだぞ」
「は、母上……? 嫁さんって……!?」
「お前さぁ、その視野の狭さをまずどうにかした方がいいと思うぞ。普通、気づくだろ」
「いや、どうかなぁ。コリンズ君はヘンリーとはそっくりだけど、マリアとはあんまり似てないもんねぇ」
常にコリンズの傍に居たマリアを、商人の男はまだ幼い王子のお付きの侍女か何かと思っていたらしい。席を立ったヘンリーが、未だマリアの手を離さない商人の手をとりあえずもぎ取るように離してやった。
「おじさんはどうして光の国に行こうと思ったの? 旅に出るのが辛くなっちゃったから?」
もぐもぐと口を動かしながら問いかけるティミーに、彼は顔を引きつらせながら応じる。
「おじっ……いや、うん、その通りなんだ。近頃はこの辺りでも強い魔物が出るようになってきて、流石に身の危険を感じて来てね」
「それならこれからはラインハットで暮らせばいいじゃない。そうですよね、ヘンリーおじさま」
「ああ、国の人が増えるのは歓迎だからな。商売を続けるにしても、場所を選べば特に問題はないだろう」
「それにしてもこのところ少し多いですね、教団の者たちの話が。……私、後程神父様に報告に行って参りますね」
「頼んだよ」
特別視線も合わせないまま言葉を交わすヘンリーとマリアだが、そんな二人の姿に彼らが共に過ごしてきた年月を感じ、リュカは自分でも気づかない内に羨望の眼差しを向けていた。
「それと、貴方がお持ちのこちらの鎧ですけれど、この品物は間違いなく呪われているものですがどうしましょうか」
「呪われてる!?」
「ええ。鎧から禍々しい気を感じますもの。このままお持ちになっていたら、貴方にも呪いの影響が出てくるかも知れません。もし手放したいのであれば、国で預かりますが」
空いた椅子の上に乗せられている広げられた包みに乗る鎧一式を見ながら淡々と言うマリアに、旅の商人の顔はたちどころに青く染まり、「ぜひお城で預かってください!」と再び彼女の手を取ると、今度はヘンリーに頭を小気味よく叩かれていた。
その後も城下町で密かに人気の飯屋でのひと時を過ごした。寡黙な店主が次々に出す料理に舌鼓を打ち、コリンズが慣れない串焼きに苦戦する前で、ティミーが豪快に串にかぶりつき、ポピーは丁寧に串から肉や野菜を外して小皿に分けてから食べ、サンチョが自ら食事を進めつつも子供たちが食べ終わった串をまとめて片づけて行く。リュカも同じように城では決して出されないような料理を楽しみ、旅の商人もヘンリーの監視を受けつつも、マリアの隣の席でこのような機会は二度と無いに違いないと存分に食事を楽しんでいた。さすが旅する商人、図太い神経の持ち主でもあった。
予定されていた時間はあっという間に過ぎ、皆が揃って店を後にすると、旅の商人はそのままラインハット城へと向かって行った。マリアに言われたように城の教会へ向かい、今後の自身の身の振り方について考え直してみると彼は明るい表情で大通りを颯爽と歩いて行った。
大通りに待たせていた馬車に乗り込み、リュカたちは次の視察場所である農園へと向かった。城下町より南東に位置する広大な土地に、ラインハットが国として管理する農園が広がっていた。ちょうど林檎の収穫時期で、赤々と実った林檎の実を農夫より手渡されたリュカは食後のデザートだと言わんばかりにそのままかぶりつく。全く王族らしからぬその行動に農夫はリュカの高貴な装いを目を丸くして見ていたが、その隣で同じように真っ赤な林檎にかぶりついているティミーを見ると、今度は思わず微笑んでいた。
「グランバニアってのはこういう自由な国なんだよ。王様がこれだからなぁ」
「はははっ、ヘンリー様も余所様のことを言えたものではないと思いますがね」
ヘンリーの言葉に対してこのような答えを返す農夫を見て、リュカはヘンリーが決して偉ぶることなく国の人々と接しているのがよく分かった。現にヘンリーも同じように林檎を丸ごとかじり、装いこそ高貴な衣服に身を包んでいるが、まるで果樹園で働く一人のように振舞っている。
「どうしたの、サンチョ」
ヘンリーと農夫が話す光景をぼんやりと見つめていたサンチョにリュカが声をかけると、彼は手渡された林檎を袖で擦って磨きながらふと微笑む。
「いや、書面でやり取りしていた方とはどこもかしこも違うなぁと、そう思っていたのですよ」
「国同士の書簡だと、完全に猫を被ってるもんね、ヘンリー」
「国の代表としてはそれで然るべきなのでしょうが、これほど印象が違うとまるで別人のように見えてしまいます」
「来てみて良かったでしょ、ラインハットに」
「……そうですね。連れてきてくださって感謝いたします、リュカ王」
「僕はちょっと誘っただけだよ」
広い農園の中には牧場もあり、そこでは牧畜も営まれている。しかしこの辺り一帯も、十年前まではラインハット城の中庭同様の荒れ具合で、ほとんど捨て置かれたような酷い有様だったのだ。それを十年という年月をかけて、彼らの努力の末に農場も牧場も復興させるに至った。
「先代のラインハット王もきっとお喜びになっておられるでしょうな」
「きっとね。僕もそう思うよ」
ヘンリーやデールが身を粉にして働く理由は一つ、彼らの亡き父への強い思いからなのだろう。ラインハットの凶事に巻き込まれ、噂には暗殺されたと言われている先代のラインハット王に子供としての思いを残す彼らは、手を取り合ってこの国を復興に導いた。亡き父に報いるためにも彼らの国を治める務めはまだまだ終わらない。
農園で林檎の収穫をしてみたいとティミーが言い出せば、ポピーとコリンズもそれに続いた。農夫に切り取るコツを教わり、ティミーやポピーはリュカに抱き上げられながら、コリンズもまたヘンリーに抱き上げられて林檎の実を摘み取って行った。あっという間に籠一杯になった真っ赤な林檎の実を見て、子供たちは嬉しそうに辺りを走り回る。まるで犬っころだなとヘンリーが言えば、これがちゃんとした子供の姿だよとリュカが返す。彼らは各々胸に去来しそうになる自身の子供時代の記憶を封じ込めるように、今は自身の子供たちの無邪気な姿を目を細めて眺めていた。
予定していた視察を終え、彼らはラインハット城に戻るための馬車に乗り込む。馬車は城に続く大通りに入ると、車輪をガタガタと鳴らしながら舗装された石畳の上をゆっくりと進んでいく。窓が取り付けられた大きな馬車で、リュカは窓から差し込む西日の日差しを避けるように内側のカーテンを閉めた。両脇で眠ってしまったティミーとポピーの顔にちょうど強い西日が当たっていたからだ。
前の座席に座っているヘンリーも馬車の揺れに釣られてうつらうつらと頭を揺らしている。全く話さなくなったところを見れば、既に彼は眠っているのかもしれない。そして彼の隣に座るマリアもまた夫に寄りかかるようにして眠ってしまっていた。コリンズは母の膝の上に頭を乗せてすっかり眠り込んでいる。慣れない城下町での行動で、尚且つティミーとポピーと今日も走り回って遊んでいたために疲れ切ってしまったのだろう。
「坊っちゃんも眠ければ眠っていて構わないと思いますよ」
皆を起こさないようにと、サンチョが囁き声でリュカに話しかける。ポピーの隣に座るサンチョはその大きな身体をなるべく縮めるようにして席に座っている。
「サンチョは眠くないの?」
「不思議と今は眠くないですね。何だか目が冴えてしまっていて」
「そっか。ふわぁ……サンチョだって昨日は遅かったのに、凄いね」
「少し目を瞑っているだけでも疲れは取れますよ。お城に着く頃に起こしますから」
「うん、ありがと」
馬車の揺れが心地よく、リュカも皆と同様に間もなく眠りに落ちた。
自分の子供や孫たちのような年頃の者たちが寝入ってしまった馬車の中で、サンチョは一人、窓の外の景色を長らく見つめていた。大通りを通る人々が皆、この大きな馬車が通るのを物珍しそうに見ている。そして明るい西日に照らされた城下町の人々の表情は、この国を象徴するような明るさを放っている。馬車の横には護衛のためのラインハット兵が付いているが、彼らが腰に帯びる剣を振るうような事態などそうそう起こらないと確信できる。この国には確実に、輝く未来を目指す時間が流れているのだと思いながらも、サンチョは明日の訪問予定地を思うと思わず小さな溜め息をついた。果たしてあの場所にも時間は流れているのだろうかと、そんな不安が頭に過るのを止める手立てを今、彼は持ち合わせていない。

Comment

  1. ピピン より:

    bibiさんの小説は太后の掘り下げや光の教団の暗躍など、二次創作ではなかなか触れられない所に触れてくれるのが強みですね。
    光の教団本当に憎たらしい…

    次は…サンタローズかな

    • bibi より:

      ピピン 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      本当はもっともっと深く話を書いて行きたいんですが、あまり書いているといつまで経っても嫁を助けに行けないという・・・それは大問題なので、そこそこに書いて話を進めて行くつもりです(汗) 太后のお話は、それだけでも独立して一つの長編になりますね。やりませんけど。光の教団も、本当はそれだけでとんでもない長編になると思います。うーむ、私が何人かいれば、他の私が書いてくれるんでしょうけど。分身の術を習得したい・・・。

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