故郷の村に未来を

 

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村の北側を囲むように広がる山々の景色はあの時と変わらない。白い雪を被る山々の景色に、村にも直に冬が訪れるのだろうとサンチョはあの暖かなサンタローズの家を思い出す。雪が降ろうが寒風に吹かれようが、あの家の中で過ごすひと時は何よりも暖かな時だった。
変わらない山々の景色の手前に、変わり果てたサンタローズの村の景色が広がる。まだ朝早い時間、朝もやの立ち込める村の景色はあの頃とは全く異なるものだ。村の入口に立つ彼らの目の前を、毒の臭気を帯びる濁ったもやが視界を悪くする。ラインハットの襲撃を受けて既に二十年近くが経つというのに、この村は今もまだその時の襲撃の様子を生々しく残している。村の入口に立つ木は毒の臭気の影響だろうか、徐々に生きる力を削がれたような枯れた姿を晒している。もう二度と芽吹くこともないその有り様は、この村がこのまま滅びて行くのを待つだけの状況なのだろうかと思わせる。
「……ここにはもう来るまいと思っていたんですけどね」
サンチョが呟きながら遠くに目をやる姿を、リュカは隣で見つめた。リュカにもこの村に対する思い出は深く残っている。しかしリュカよりもパパスよりも恐らく、サンチョが最もこの村に対する思いを強く持っているはずだ。彼はこの村での生活を築き、支え、パパスとリュカが旅から戻る間の数年間を待ち続けていたのだ。その間に村人たちとの交流を深め、いざ主人とその息子が戻ってきた時には彼らのために心地よい居場所を提供できるようにと、サンチョはいつでも不安を抱えながらもグランバニアから遠く離れたこの村で過ごしていた。
「サンチョ殿、このまま村へ入っても大丈夫でしょうか」
予定ではこのサンタローズ訪問に同行することのなかったデールが、普段は身に着けないような旅装に身を包み、サンチョの後ろから声をかける。ラインハットの国王としての執務に日々追われるデールだが、サンチョとこの村を訪れる機会が今後あるかどうかも分からない状況で、この機を逃してはなるまいと直前になって予定を変更し、同行する手筈となったのだった。
まるで自分の子供ほどの年齢のラインハット王に言葉をかけられたサンチョは、しばらくの間靄の中にある村の景色をぼんやりと見つめていたが、ゆっくりとデールを振り向いて丁寧に応じる。
「ええ……大丈夫ですよ」
大丈夫と言う言葉を返すサンチョを見て、リュカだけではなくデールにもヘンリーにも彼が無理をしているのが嫌でも分かった。しかし彼自身が口にする言葉を否定することもできない。
「今はこうしてみんなでいられます。あの時に比べたらずっと幸せです」
サンタローズの村訪問への同行はさせなかったものの、今もラインハットにはティミーとポピーが預けられ、コリンズやマリアと昼までのひと時を穏やかに過ごしているのだろう。会って間もないラインハットの王兄妃殿下だが、彼女の持つ慈愛の心には、サンチョもよく話を聞いてもらっていたグランバニアの教会にいるシスターに通じる情を感じることができた。彼女には国を治める者としての立場よりも、国を支える者としての立場を深く認めている部分があるようで、表に出る夫を陰で支える務めを自ら望んで果たしているのだろうと思われた。
ラインハットの次期国王となる皇太子コリンズもまた、グランバニアの双子の王子王女の良き友人となるだろうと、既に彼ら三人の間に築かれつつある親しみをサンチョは折に触れて目にしている。ティミーはいつでも誰でも構わずすぐに気を許し、仲良くなってしまう性格だが、彼もまたグランバニアの次期国王となる者であり、本当の意味で誰でも構わず仲良くできるわけではない。尚且つ、世界を救う勇者と言う肩書までついているのだから、彼が望んでいなくとも、自ずと彼と気兼ねなく友人の関係を築ける者は限られてしまう。その関係性をも問題にしないコリンズとの友情は、これから更に深められていくのだろうとサンチョは孫の成長を喜ぶような気持ちでティミーを見ている。
また、ポピーにおいても良い刺激になっているのだと、彼女のコリンズに対する当たりの強さを見て微笑ましく思っている。彼女は魔物の仲間たちに対しては素直に心を打ち明けたりするが、人間に対してはどこか遠慮するような気配を見せることがある。兄が突っ走りがちであるために、自分は良い子でいなければと思う気持ちが強いのだろう。人に迷惑をかけてはいけない、困らせてはいけないと真面目に思う彼女に足りないのは、ある程度の不真面目さだ。彼女の真面目の殻を破ってくれるのがコリンズなのではないかと、サンチョはリュカにも内緒で心の内で少しばかり期待している。
このサンタローズの惨状を目にすれば、あの時の思い出したくもない記憶が蘇る。しかしサンチョの人生はそこで終わったわけではない。
グランバニアの国に戻り、教会で懺悔の日々を送る彼の元に、一つの光が戻って来た。成長したリュカが、彼自身は知りもしないこの国に、ビアンカと言うお嫁さんまで連れて戻ってきた時から、サンチョの人生には再び明かりが灯ったのだ。生きてきて良かった、死なないで良かったと、成長したリュカに彼の父母の面影を見て、ただ死んだように眠っていたサンチョの人生は再び動き出した。
全てを失ったと思えた日々から見て、今の人生はむしろ幸せなものなのだとサンチョは素直にそう思える。ただ、相変わらず当時の惨劇を留めたままのサンタローズの村を目にすれば、どうしようもなく当時の絶望した感覚が蘇る。それはもう、どうしようもないことだ。
大丈夫と告げたサンチョだが、その足はサンタローズの村へ踏み出せない。リュカもまた、立木も枯れ、辺りに臭気漂わせる靄が立ち込めるようなかつての美しい村に自ら踏み入る勇気が出ない。妖精の城で過去のサンタローズの景色を目にしたリュカは、サンチョよりも尚あの美しかったサンタローズの村の景色を鮮明に思い出すことができてしまう。
村を守る兵がいた。未来にはシスターとなるまだ幼い少女がいた。幼い自分にも出会った。自分の家に行けば、若かりし頃の父とサンチョにも会った。リュカにとっては思い出と呼ぶにはまだ新しい記憶の一部に過ぎない。それだけに、目の前のサンタローズの村の惨状を目にすれば、悪い夢でも見ているのではないかと、現実の方を疑ってしまう。
村の入口で佇む二人にかける言葉もなく、デールは俯き加減のままゆっくりと村の中へ足を踏み入れた。ゆっくりと思い出に浸っていて欲しいと思う反面、救いのないこの景色を前にしては美しい思い出に浸ることもままならないだろうと、デールは現実を見据え、ところどころ毒に侵された地面を避けながら歩いて行く。
「サンチョ、行こうよ」
彼に言葉をかけられるのは自分だけだと、リュカは小さな声でサンチョに呼びかける。大人のリュカの声に、虚ろな表情をしていたサンチョはすぐに焦点を合わせるように視線を動かし、「はい、参りましょう」と従者らしく返事をした。
リュカとサンチョが並んで歩き出す後ろから、ヘンリーもその後を追うように歩き出す。この場でなければ間違いなく手で鼻をつまみ、辺りに漂う毒素を含む臭気から身を守ろうとする彼だが、このサンタローズの村では決してそのような行動はしない。ヘンリーだけではなく、デールもリュカもサンチョも、誰一人としてそんな素振りは見せない。彼らの前でこの村は、臭いを気にするような場所ではなかった。身体を毒されようとも構わずに、ヘンリーも俯きがちに彼らの後を歩いて行く。
リュカは前を歩くデールがこの村に何度も足を運んでいることを、彼の迷いのない足取りに見る。彼はこれまでにもラインハットの国王としてこの村を訪れており、その度に国としての謝罪を、今ではこの村の長とも呼べる教会の神父に対して行っているという。しかし村の神父は国王自らの謝罪を受け入れず、村の復興にと持参している金銭も受け取ることはない。
今回の訪問にデールやヘンリーの護衛役の兵はいない。彼らがリュカとサンチョ二人との訪問を望み、それでも大臣などは護衛を付けた方が良いと食い下がったが、ヘンリーの『俺たちはこの二人を信頼している』という強い一言で事は決定した。相変わらずの強引ぶりだ。
護衛役をつけろと食い下がっていた大臣の気持ちを、リュカはよく理解していた。大臣は僅かでも残る可能性を危惧していたに違いない。ラインハットに滅ぼされたサンタローズの村に、一時的にでも暮らしていたリュカとサンチョが、改めて村の惨状を目にした時に沸き起こる感情を、大臣は不安視していた。万が一にでもリュカやサンチョの向ける刃が、一たびデールやヘンリーに向かえば、その瞬間にラインハットは再び悪夢の時代を迎えることになる。いざ剣や呪文を交えるような戦いにおいて、デールやヘンリーは到底サンチョにもリュカにも敵わない。
デールは地面から生える草も枯れたような土地を歩きながら、一段と濃い靄の立ち込める場所へと足を踏み入れて行く。さすがに袖で鼻を覆わねば、耐えきれないほどの臭気が辺りに立ち込める。しかし人間の嗅覚と言うのは五感の内で最も鈍いもので、しばらく時間が経てば嗅覚疲労によりこの臭いにも鼻が慣れてしまう。それを良いことにして、デールを始め三人もその内に辺りの臭気を気にすることはなくなった。
背中を向けているデールの向こう側に広がるのは、墓地だ。リュカは滅ぼされたサンタローズの惨状を実際に目にして知っていたはずだったが、年月が経ったせいか、ここまで廃墟と化した場所とは思っていなかった。この場所には村の宿屋があったはずだ。そして近くには村の民家も点在していた。それらはラインハットの襲撃により無残にも破壊され尽くし、今は瓦礫としてその場所に留められているだけだ。
その民家が点在していた場所に、今は墓地が広がっている。お世辞にも立派な墓とは言えないものだが、村の神父や残された人々で懸命に作り、犠牲になった村人たちを埋葬したに違いない。かれこれ二十年ほど風雨に晒された墓石は当初の角が取れ、僅かに丸みを帯びている。墓石の形も様々で、近づいてそれらを見れば、墓石は崩れた家屋の壁などを砕いて作られたもので、そこに一人一人の名が彫られているのが分かった。
デールは墓地の前で長く一礼をすると、そのまま墓地を通り過ぎて行く。左手に広がる毒の沼地と化した畑地をも通り過ぎ、川へ通じる階段を降りて行く。
サンタローズの洞窟奥深くから流れ出る川の水は清らかなままで、冷たい川の中には川魚の姿も見られる。リュカもサンチョもその景色に思わず一息つく心地だが、デールは美しい川を見るのではなく、徐に袖をまくったかと思えば土手の脇に置かれている大きな木桶を手にして、それで川の水を汲み取った。彼のその行動には既に習慣づいたものを感じた。ヘンリーもまた同様に、もう一つの木桶を手に取って水を汲む。
「二人とも、何をするの?」
無言で行動する兄弟にリュカは思わず声をかける。土手の階段を上る足も止めないまま、リュカの近くを歩くヘンリーが応える。
「悪いな。ちょっとだけ付き合ってくれ」
ヘンリーもまた長い袖を肘まで捲り上げ、木桶の柄を肩に担いで水を零さぬよう慎重に歩いている。木桶の中には厚手の布が放り込まれており、揺れる水の中で同じように揺れている。
彼らは再び村の墓地に戻った。粗末にも見える墓石の前に両膝をついて黙祷すると、墓石に水をかけ、冷たい水を絞った布で綺麗に磨き始めた。ラインハット王が、宰相が自らこの地に出向き、罪もない人々の命を奪ってしまったラインハットの過去の過ちを悔い改めるように墓地の掃除を始める姿に、リュカもサンチョも言葉を失った。彼らは決してこの村の生き残りであるリュカとサンチョに見せつけるようにこのような行動を起こしているわけではない。それは彼らの慣れた様子を見れば一目瞭然だ。彼らは定期的にこの村に訪れ、こうして静かに墓地をきれいにしているのだ。
「本当はこの村をまるごと、元通りにしたいと思っています」
デールは墓石を丁寧に拭きながら、元は畑地だった場所を占める毒の沼地に目をやる。人が住む場所にあるまじき光景が、すぐそこに広がっている。どれほど人が手をかけようとも、毒に侵された土地を元通りにするには果てしない年月がかかるのだろう。しかしそれをやる義務があるのだと、デールは沈んだ面持ちで語る。
「しかしそれにはこの村に再び我が国の兵を送り込まねばならない。どうしたって人出が必要で、僕にできるのは兵を出すこと。でも……」
「村は受け入れないでしょうね。この村は……その兵に滅ぼされたのですからね」
デールもヘンリーも定期的にサンタローズの村を訪問しているが、その際に連れる兵は極力少なくしている。それと言うのも、今も村に住む人たちがラインハット兵の姿を目にすれば、それだけで拒絶反応を起こしてしまうからだ。サンチョの言葉にデールは力なく頷く。
「それでも、僕たちだけでも辛抱強くやっていくつもりです。この償いは一生終わりません」
木桶の水で布を洗い絞るデールの手は、水の冷たさに真っ赤になっている。誰にも見られることなく、ひっそりと墓石を磨く国王など話に聞いたこともない。
「初めは俺だけでいいって言ったんだけどな」
ヘンリーもまた墓石を丁寧に布で拭きながら、背後に立つ二人に話しかける。ラインハットが無事に復興への道のりを歩み出し、国内がいくらか落ち着いた頃から彼らはこうしてサンタローズの村に目を向けるようになったのかも知れない。
「あくまでもラインハットの国王は僕です。父を喪った後、玉座に就いたのは僕ですから、全ての責任は僕が取らなければならない」
デールが玉座に就いたと言っても、その頃まだ彼は年端もゆかぬ子供だった。もしかしたら彼が玉座に就いた頃には既に彼の本当の母は地下牢に入れられていたのかも知れない。頼りにしていた父を喪い、実は偽物の母に傍に付かれたまだ少年だった彼に、一体何ができたというのだろう。周りの者に言われるがままに動くのが精いっぱいではないかと、リュカは想像するしかない当時のデールを思いやる。
地面を歩く音が聞こえたと思うと、リュカの後ろにいたサンチョが歩き出し、再び川へと向かって行く。何も告げずに歩いて行くサンチョの後姿にかける言葉も見つからず、リュカはただその姿を目で追うだけだ。そして土手向こうに姿を消したかと思えば、少ししてその大きな身体を揺らして土手の階段を上ってくる姿が見えた。彼の両肩には二つの木桶が担がれ、桶の中にはたっぷりと水が入っているのが遠目にも分かった。
「お二人には時間がないんですから、手分けしてお掃除しましょう」
この村に入り、最も辛い思いをしているはずのサンチョが笑みを浮かべていることに、リュカもつられて笑みを見せる。
「サンチョ、一つ水をもらってもいい? 僕も一緒にやるよ」
「本来ならば我が王のお手を煩わせるわけには行きませんが、ここでは我々はサンタローズの村人ですからね。坊っちゃんもお手伝いしてくださいね」
「うん。村の人たちも雨風に晒されっぱなしじゃ嫌だもんね」
リュカとサンチョも一つ一つの墓石の前で黙祷を捧げた後、静かに丁寧に墓石を磨き始めた。それほど大きなものでもなく、形もばらばらで、即席で作られたのは見るも明らかだが、使われている石の種類が異なるところを見ると、各々住んでいた家の瓦礫から一部を墓石として取り出し使用しているのが分かる。この二十年近くの間、墓石の風化を遅らせているのは偏にラインハットのこうした管理があったからなのだろう。墓石一つ一つを磨くのにはそれほど時間もかからず、辺りに生える雑草もある程度抜き取り、墓地全体の見栄えが整ったものになったところで彼らの思いのこもった仕事は一つ完了した。しかし当然、デールとヘンリーは墓地の管理をするためだけにサンタローズを訪問しているわけではない。
土手を降り、彼らは手にしていた木桶を元の位置の置くと、そのまま川向こうの教会を目指す。リュカは以前、ヘンリーから話だけは聞いている。ラインハットは国としてサンタローズ復興の支援を申し出ているが、村側が一切その申し入れを受け入れないらしい。今では村の長の位置に立つ村の神父が、ラインハットの支援の申し出に対し、それを拒絶するのが亡くなった村人たちの総意なのだと、細かな話など聞かずに追い返してしまうらしい。
たとえ何度断られようとも、いつかは理解を示してくれると希望を捨てずに、デールは今回もこれから教会に向かい、神父と直接話をするのだとリュカはデールの後姿に思う。墓地を掃除していた時にはいくらか和らぐ雰囲気を身にまとっていたデールとヘンリーだが、教会に向かう彼らの背にはひたすらに緊張感が漂っている。
サンタローズの教会は村のほぼ中心に位置し、ラインハットの襲撃を受けたとは言え、この場所だけはほとんど当時の面影をそのまま残している。人の子であるラインハット兵は恐らくこの神の力宿るような教会を攻撃することができなかったのだろう。教会の神父が生き残ったのも、そのような理由があるのだとリュカは思っている。
デールが教会の扉を開けると、教会内部には朝陽が差し込み、広い内部を白い筋状に照らしていた。広いとは言っても、小さな村の教会に過ぎない。ラインハット城内にある教会に比べれば三分の一にも満たない空間だが、村の教会には厳かさに加え独特の温かみが漂っていた。しかし今は、そこに拭えない悲哀が滲む。
神父は祭壇の奥に立っていた。まるでデールとヘンリーがこの場所を訪れるのを知っていたかのような様子だ。光の届かないその場所に立つ神父は束の間厳しい顔つきをしていたが、彼らの後ろにいる見知らぬ旅人のようなリュカとサンチョに気付くとその顔に僅かな動揺が浮かんだ。
「おはようございます、神父殿」
「今日も村の墓地を清めて頂いたようで何よりです。御礼申し上げます」
二人が交わす挨拶は非常に固いものだ。デールにはこれから話を続けようとする緊張があり、神父にはここで話は終わりだと言わんばかりの強情がある。教会内に差し込む光の筋をその身に受けながら中央の道を歩いて行くデールを、光の届かない祭壇の奥で神父は目も合わせずにただ立って待つ。
「この度もお願いに参りました。サンタローズの村の人々の生活の支援をさせていただきたく……」
「生憎、今いる村人は貴方がたの支援を望んではおりません故、お引き取り願いたい」
「罪を犯した我々としては、この村を放っておくことはできません」
「残る村人も少なく、いずれはここに住む人もいなくなるでしょう。しかし、それがこの村のあるべき姿なのです」
神父が頑なにラインハットからの支援を拒む理由を、彼のその言葉にリュカは見た気がした。ラインハットの手でこの村が再び蘇ったとしても、それはもはや元のサンタローズの村ではないのだと神父は嫌悪感すら示している。復興と言うのは決して元に戻すことではない。たとえ姿かたちが元に戻ったとしても、それが敵とみなしている者の手を借りたとなれば、復興した村には確実に余所者であるラインハットの思いが含まれることになる。そのようなことを、命を散らした村人たちが望むはずもないと神父はデールの言葉に聞く耳を持たない状態だ。
「神父様、お久しぶりでございます」
教会内に張り詰める緊張の糸を緩めるように、サンチョがデールの前に進み出て挨拶をする。いつもは引き連れないような年嵩の男性の姿に、神父は訝し気な表情を見せる。
「かつてこの村に住まわせていただいていたサンチョです。こちらの坊っちゃんと、旦那様と一緒に。覚えていらっしゃいますか?」
あの時から二十年もの月日が経ち、しかも生まれついた時からこの村に住んでいたわけではない、いわば余所者と言っても良いほどのサンチョの存在を、神父はすぐさま思い出した。かつては村の長の務めを負っていたようなパパスの、お付きの者として同じ家に暮らしていたサンチョの姿に、神父は思わず破顔する。
「サンチョさん! ご無事だったのですね。いや、お懐かしい限りです」
「神父様もご無事で良かった。私はてっきりあの時に誰もが……と思ってしまって、碌に村にも立ち寄らずに去ってしまったものですから。申し訳ないことをしました」
「そうか、君はリュカ君だね。君は以前にもこの村に……その後、こうしてサンチョさんに会えたんだね。それは良かった。本当に良かったなぁ」
リュカに向ける神父の目は穏やかで、本来はこのような表情を見せる人なのだということをデールは初めて知った。それをラインハットが奪ってしまったのだと思うと、自ずと胸が痛む。
「神父様、少しばかりお話をよろしいでしょうか」
サンチョがそう言うと、神父は拒む理由などあるものかとサンチョに教会の椅子に腰かけるよう手で示す。墓地の草むしりで少しばかり腰を痛めたのだろうか、サンチョは「よっこいしょ」と声を出しながらそろりと椅子に腰を下ろした。サンチョは自分よりも年嵩の神父にも椅子に座るように隣を指差すと、彼もまた小さく呻きながら腰を下ろし、二人の前にリュカとヘンリー、デールが立ち並ぶ。
サンチョは今まで村人の誰にも話すことのなかった話を神父に伝え始めた。パパスが魔物に連れ去られた妻を捜す旅をしていることについては、村の中で知っている者も少なからずいた。何も内情を話さずに、このサンタローズの村に移り住むことは不可能だった。辺鄙な土地にある集落と言うのはとかく閉鎖的で、余所者を受け入れない傾向がある。それ故に全てとは言わなくとも、真実のいくつかを打ち明けなくては受け入れてもらえないという現実がある。パパスもサンチョも、マーサを捜す旅を続けていることについては、村人に聞かれれば話すという姿勢を取っていた。当然、目の前の神父の彼らが村に住み着いた理由を知っている。
それ故にサンチョがかつてパパスは遥か南方にある国の国王だったのだと話した時には、神父は驚きの余りしばし言葉が出なかった。そしてこの村に移住したのも、近くにラインハットという国があり、その国の国王との親交があったからなのだと話せば、神父の顔つきは何とも言えぬ複雑なものとなった。
「そして今は坊っちゃんが……リュカ王が我がグランバニアの国王です」
「……いやはや、何が何やら……これは現実なのでしょうか」
神父が混乱に陥るのも無理はない。パパスに得体の知れない威厳のようなものを感じていたのは事実だが、まさか一国の王などと誰が想像できただろうか。パパス亡き後、王位継承者としてリュカが国王となり、グランバニアと言う国の頂点に立つことなど、子供のリュカが村を走り回っている姿しか知らない神父にとっては夢物語として想像するに余りある。
「神父様、僕たち、今では友達なんですよ」
父パパスとは異なり、リュカは一国の王たる威厳と言うものは持ち合わせていない。その代わりに誰の心にも寄り添い、いつの間にか深く入り込んでしまえるような自然極まりない親しみと言うものがある。サンタローズの村にいる時にも、子供のリュカは誰にでも物怖じせず、親しみを持って話しかけるような子供だった。
「それは、国と国を通じてのということですか」
「いいえ、そんなんじゃないんです。そんなこと関係なく、友達になったんです」
そう言ってリュカは隣に並ぶヘンリーの肩に手を置いた。ヘンリーが困惑した様子で目を伏せるが、リュカは彼の遠慮には気づかないふりをする。
たとえば、グランバニアとラインハットという国を通じて、王子同士で友好を深めようとしたならば、恐らくリュカとヘンリーは形式上の友人になれたとしても、今のような関係性にはなれなかったに違いない。彼らには、今も人には話せないようなあの十年の時を共に過ごした経験がある。筆舌に尽くしがたい十年余りの時だったが、あの時を経たからこそ彼らは今も固い絆で結ばれている。
「過去を変えることはできないし、辛い思い出も消えないけど、それでも生きているんなら頑張って前を向いて行かないとなって思います」
リュカのその言葉は、まさしく神父その人が常に口にするような言葉だった。悩みや苦しみを持って教会を訪れる人々に、神父はその人に正しき道を示すため、前を向いて歩くようにと言葉と心を添える。人々が望みを持って生きて行けるように、様々な悩みから少しでも心を楽にできるようにと、迷える子羊に手を差し伸べるのは己の務めではないかと、神父は眉間に皺を寄せて自身の心に巣食う怒りや苦しみの心を恥じる。
「神父様、私はね、またこの村に旦那様と坊っちゃんと過ごした家を建てられたらなぁと思いますよ」
ラインハットの襲撃を受けた後に、すっかり破壊され尽くしたサンタローズの我が家の惨状をサンチョも確かに目にしている。彼らの住んでいた家は、周囲に比べてもひと際破壊の爪痕が激しく、パパスに王子誘拐の罪を着せたラインハットが集中的にこの家を破壊したのだろうということは当時のサンチョにも分かっていた。憤怒の感情が込み上げ、それはすぐさま激しい悲しみに落ちたが、それらは全て虚無感に変わってしまった。グランバニアから遠く離れ、たった一人残された従者である自分には何もできることなどないと、仕える国王を失い、我が子のように可愛がっていた王子の行方も知れない状況で、サンチョは為す術もなく滅ぼされたサンタローズの村を後にした。
「元の通りにはならなくても、神父様や、他にもこの村に住む人がいるのなら、村をこのままにしておくなんてあまりにも寂し過ぎやしませんか」
「サンチョさん……」
「もちろんね、起こったことをなかったことにはできません。だけど若い人たちが前を向こうとしているのに、我々年寄がその足枷になっちまうのはちょっと、いただけませんよね」
サンチョが神父にそう話しているのと同時に、彼自身にも言い聞かせているのだとリュカは感じていた。今回、ラインハットの訪問でサンチョの顔つきはみるみる変わって行った。初めこそ警戒心丸出しの状態で、いつ「帰ります」と言い出すのかと不安に思っていたが、ラインハットの人々との触れ合いの中で、サンチョは永い眠りから目を覚ましたかのようにその心に変化を来した。
今では真っ直ぐにヘンリーやデールの顔を見ることができる。その表情に敵意や憎悪などは感じられない。むしろ彼らの過ごしてきたラインハットでの日々を思いやる様子さえ見せる。
「グランバニアからも支援をするつもりです、このサンタローズの村をまたちゃんと人が生き生きと過ごせる村にするために」
リュカが今回のサンタローズの村訪問に際して、これだけは伝えておこうと思っていたことだった。かつて父とサンチョと自分とで暮らしていた村を復興させるのに助力することは、自分が為すべきことなのだとリュカは考えていた。そして亡き父もまた、この村を蘇らせることを望んでいるだろうと思っていた。
言わばこの村は、彼らが移り住んだから凶事に巻き込まれたようなものだと、リュカは父パパスが考えそうなことに思いを馳せていた。余所者であるリュカたちを受け入れ、温かく接してくれた村人たちも、リュカたちを受け入れなければこのような惨事に見舞われることもなかったのだ。サンタローズの村がこのような状況になってしまったのはこちらの責任なのだと、リュカは当然のようにグランバニアからの支援を出すことを神父に伝えた。
「時間はかかるかも知れませんがね、一緒に前を向いて歩いて行きましょう、神父様」
「だから神父様……僕の友人たちからのお願いも聞いてやってもらえますか」
リュカの言葉に、神父は椅子に座りながらラインハットの二人を見上げる。自然と鋭くなってしまう目つきを、神父自身どうすることもできない。緊張した面持ちで言葉を待つばかりのラインハット王と宰相である兄弟を、神父はしばらくの間無言で見つめた。
「一つだけ、お願いがあります」
「できることなら、何でもお聞きします」
固い神父の口調に、デールがすかさず応じる。ヘンリーも隣で黙って待っている。神父の年齢に比べれば、まだ半分ほどの人生を歩んできたような二人だ。年若い二人の兄弟に向かって、神父は知らず止めていた息をゆっくりと吐き出すと、柔らかく視線を外して二人に申し出た。
「村に人をやる時には、兵士の格好ではなく、村人のような身なりでお願いできますか」
村に残る人々は僅かとは言え、かつての襲撃の様子を今も心の傷として残す者もいる。そんな人々が一たびラインハット兵の姿を見れば、思い出したくもない記憶を引っ張り出されるだろうと、神父は己にも起こりかねない事態を不安に思い、そう願い出たのだ。
「もちろん、そうさせてもらいます」
「それじゃあ、俺たちの支援を受けてもらえるということですか」
「……二国からご支援を賜りますこと、至極光栄に存じます」
神父はサンチョの隣に腰かけていた椅子から静かに立ち上がると、二人の前で深々と頭を下げた。その姿に、デールとヘンリーは口を揃えて「ありがとうございます」と言葉にすると、同じように深く礼をした。ここでサンタローズの村が一つ未来に進めたのだと、リュカは彼らの横で一人胸を温かくしていた。



教会を後にしたところで、彼らは教会の前を通り過ぎようとしている一人の青年に出会った。サンタローズの村はさして広い村ではなく、かつての村人であればおおよそサンチョが覚えている。しかしその青年を目にしても、サンチョは過去の記憶の中から彼のことを引き出すことはできなかった。
リュカたちの誰よりも年若く、ようやく少年から抜け出したほどの青年は、旅装束に身を包む四人の男たちを目にすると窺うような目をして会釈をした。まだ二十歳前の彼は恐らく、サンタローズがラインハットから襲撃を受けた過去を知らないだろう。サンチョも思い出せない青年が何故このような寂れた村に住んでいるのか、リュカは純粋に興味を持って近づいて話しかける。
「ねえ、君はこの村の人?」
実際にはデールよりも年上のリュカだが、八年の間時を止めていたために四人の中では最も年若く見られる。村に住む彼は年齢の近い者と会話をする機会もないためか、話しかけてきたリュカに親しみさえ感じるように言葉を交わす。
「はい。もう子供の時からここで暮らしています」
彼が言う子供の頃と言うのがおよそ十年かそこら前のことだろうとリュカは考える。リュカがヘンリーとこのサンタローズの村を訪れたのは約十年前、その頃村に子供がいた様子は感じられなかった。手には一つの袋をぶら下げ、今から家に戻る途中のようにも思えた。
「少しだけ、話を聞かせてもらってもいいかな」
「あっ、でもボクはこれからおじいさんのところへ行かなくちゃならなくて……」
外部の者を警戒するような様子は見せず、単にこれからの用事があるためにゆっくりと話をすることができないと彼は困ったような顔を見せている。
「じゃあそのおじいさんも一緒にお話ができればなぁと思うんだけど、一緒に行ってもいいかな?」
リュカの誘いはいつでも穏やかながらも少しばかり強引なところもある。それがヘンリーの言うところの「人たらし」な部分だが、そんな彼の性格を誰も悪いとは思っていない。
束の間、やはり困ったような表情を見せていた彼だが、「多分、大丈夫だと思います」と返事をすると、やや早足で教会の西側に続く道を歩いて行った。リュカたちも彼の後を同じく足を速めてついて行く。
彼が行く先に見えるのは、サンタローズの村の中では珍しく家の形を留めている一軒の民家だ。その民家を遠くから見て、リュカは思い出した。およそ十年前にこの村を訪れた際にも立ち寄ったことのある、かつてこの村の長を務めていた老爺の家だ。彼の導きにより、当時ヘンリーと訪れたこの村の洞窟で、伝説の天空の剣と父の手紙を見つけたのだ。
「入口、気をつけて下さいね」
青年がそう言って指差す場所は、僅かに地面が窪んだだけの、特別気をつけるような場所でもないところだ。普通に歩いていれば何も気づかずに通り過ぎるほどの些細な窪みに、彼は皆に注意を促す。恐らく家の中にいる老爺への気遣いと同様の優しさを、リュカたちに見せただけなのだろう。
「おじいさーん、入るよー」
入口のドアから大きな声で呼びかける青年に、返ってくる声はない。青年も初めから返事を期待する様子もなく、そのまま家の中へと入って行く。リュカたちも続いて家の中に入ると、中は以前訪れた時よりも幾分すっきりと片付いている雰囲気があった。当時、雨の翌日だったために屋根から雨漏りをしていたくらいの古びた家だが、どうやら屋根の修復も行われているようだ。
「あ、起きてた。おはよう。今日は珍しくお客さんが来てるんだよ」
青年の声は概ね朗らかなものだ。リュカはその声に、老爺はベッドの上に起きるかして元気にしているものだと思っていた。
背中を向ける青年の向こう側、痩せた老人がベッドに力なく横たわる姿があった。起きているという青年の言葉は、単に老人がベッドの上で仰向けに寝ながら、焦点の合わない目を天井に向けているだけの状態を表していた。青年の声よりも、近づく気配に気づいたように、ベッドに仰向けに寝る老爺が首だけをこちらに向ける。
「……………」
リュカには老爺が青年を見つめて、どこか嬉しそうに目を細める様子が見えた。顔中皺だらけの老爺には一体どれだけの人生が詰まっているのだろうかと、彼の生きてきた道に思わず思いを馳せる。
「このおじいさんは両親を亡くしたボクを拾って育ててくれたんです」
少年から抜け出たばかりと思われる彼は、リュカと同じような黒髪を無造作に後ろで一つにまとめる。一つにまとめるには短いその髪は、結びきれなかった分がばらばらと彼の首に顔にかかったままだ。
「ボクが武器屋を始めたのも、おじいさんが若い頃洞窟で集めた武器があるからなんですよ」
「この村で、武器屋をやってるんですか?」
「はい。……まあ、お客さんらしいお客さんは来ないんですけど、でもおじいさんは『村を守るには武器を取らねばならんぞ』って、僕に武器の使い方や手入れの仕方なんかを教えてくれたんです」
そう言いながら青年はテキパキと老爺の身の回りの世話を始めた。手にしていた包みをテーブルの上に開いて、持参した荷物から食材を手にするとそのまま奥の台所へと向かう。
「食事の準備でしたら私も手伝いましょう」
青年の様子を目にしてサンチョがそう声をかけると、青年は「お客さんにそんなことさせられません」とサンチョの申し出を断ろうとする。
「いえ、私もね、この方にはとってもお世話になったんですよ。ですから、お礼がてら食事の手伝いくらいはさせてください」
この老爺はパパスが村の洞窟奥深くに仕事に行くのを見届けていた人物だ。当然サンチョとの面識があっても何も不思議なことはない。むしろこの村に長く暮らしていたサンチョの方が、ベッドに横たわる老爺のことをよく知っているに違いないとリュカは彼の自然な申し出にそう感じた。
青年と共に台所へと姿を消すサンチョを見送り、リュカは再びベッドに横たわる老爺に目を落とす。彼の涙の膜が張ったような目は今、リュカを見ていた。十年ほど前にこの村に訪れたことを覚えているだろうかと、リュカはベッドの脇に両膝を着きながら顔を近づけて問いかける。
「おじいさん、お久しぶりです。僕です、リュカです」
リュカが名を名乗り、老爺の顔を覗き込む。しかしリュカの顔を覗き返すことはなく、老人の焦点はリュカを通り過ぎたような中空に漂っている。
「はて? どちらさまだったかのう……?」
たとえ老人の焦点がリュカに定められたとしても、彼が十年前、二十年前の記憶に焦点を合わせられるかどうかは分からない。今では混濁している老爺の記憶の中で、それほど記憶に薄くはないはずのリュカにたどり着けない可能性がそこにあった。
「……リュカ、じいさんは多分……」
「うん、そうかもね。でも僕たちがちゃんと覚えてるから、それでいいのかな」
「いずれは俺たちも通る道だ」
「おじいさんくらいに長生きできたら、きっと幸せだよ」
リュカとヘンリーが言葉を交わす様子を、老人はベッドに横たわりながらまるで子供のような無邪気な表情で見つめていた。
「これからこの村のことを色々と調べなくてはなりませんね」
リュカの隣に同じように両膝を着くデールが、老人の住む家の中を見渡しながらそう呟く。ラインハットの国王としてこの村には幾度も足を運んでいるが、教会の神父の許しなしに村を自由に歩き回ることも憚られ、今までは墓地の管理だけを自主的に手伝っていたに過ぎない。当然、サンタローズの村人たちの多くを知らず、デールはこの家に住む元村長である老人の存在も知らないままだった。
「また仕事が増える?」
「いいんだよ、この仕事は前から望んでた仕事なんだから」
「ようやくこの村の復興を手掛けることができるんです。これもリュカさんやサンチョ殿のお陰です。本当に……ありがとうございます」
「ううん、デール君がずっとこの村に向き合ってくれたお陰だよ。こちらこそ、ありがとう」
食事の支度は簡単なもので、リュカたちが少しばかり部屋で話をしている間に済んでしまった。リュカは途中から気づいていたが、部屋の中にこもる香ばしい匂いはサンチョの作るシチューに近い。恐らく青年の作る簡単な雑炊にサンチョが少々手を加えたに違いなかった。
先ほどまで寝たきりのような状態だった老爺が少しばかり口をもごもごと動かしたかと思うと、そのまま一人でベッドに起き上がろうとした。身動ぎする老人の背をデールが支え、身を起こすのを手伝った。老爺は支えられながらも、しっかりと小さなテーブルに乗せられた湯気の立つ器を見つめている。
「これは、かたじけない……サンチョ殿」
突然はっきりとした口調で話し出した老人に、リュカたちは一斉に視線を向ける。しかし口調ははっきりとしていても、相変わらず老爺の目の焦点はどこかぼやけている。器から立つ湯気をぼんやりと見つめている。
「久しぶりですからねぇ、あの時と同じ味にできたかどうか」
村で暮らしていた時に、サンチョは時折この老爺に料理のおすそ分けをしたり、この家に食事の支度をしに来たりすることがあった。パパスとリュカが家を留守にしている間は、つい作り過ぎてしまうからと村の者たちに作った料理を一緒に食べてもらう機会も決して少なくなかった。そしてリュカのこともサンチョのことも思い出せない老爺の記憶の一部に、かつてのサンチョの料理の匂いが引っかかった。老爺は非常に幸せそうな笑みを浮かべて、かつての光景に向かって話し始める。
「パパス殿は今、仕事かのう」
「ははあ、そのようですな。旦那様はいつもお忙しくしていらっしゃいますから」
「リュカは、リュカは元気か?」
「ええ、元気ですよ。今は……元気に猫と遊びに行ってます」
「うむ、うむ、子供は元気が一番じゃ」
老爺の過去の記憶に付き合うように、サンチョが話を合わせて会話を続ける。その様子を見て青年は目を丸くしていた。彼がまだ幼い時には老爺との会話も普通に交わすことができたが、今では彼が一方的に声をかけて話すことが多い。言葉を発しても、それに対する答えが返ってこないことが殆どだが、今の老爺は共に食事の支度をした年嵩の男性と普通の会話を楽しんでいる。その光景は青年にとって純粋に嬉しくなるようなものだった。
「あの、失礼ですが、部屋の隅に立てかけてあるものは貴方がお店で取り扱う武器ですか?」
老爺への食事の介助はサンチョが引き受け、その姿を温かく見つめる青年にデールが問いかける。部屋の窓の脇に、一つの長い棒のようなものが布に包まれた状態で立てかけられている。外で使う物干し竿でもなければそれほどの長さの物は珍しいと、デールは窓の近くへと歩いて行く。
「あ、それはおじいさんが持っていたもので、売りものじゃないんです。それを見本に、僕が北の川向こうの山で材料を採掘してくるんですよ」
リュカは村の洞窟にこそ入ったことはあるが、青年の言う村の北に流れる川の向こう側へは足を踏み入れたことはない。青年曰く、その辺りには貴重な鉱物があるらしく、彼は折を見てそこまで足を運んで武器を作るための鉱物を集めて来るらしい。
「拝見してもよろしいですか」
青年の承諾を受け、デールは包まれた布を取り払う。中から現れたのは一振りの剣だ。鞘に納められている剣の鍔には小さな宝玉が埋め込まれ、鞘から抜き出した切先には聖なる力を帯びることを証明するかのような十字の飾りがあしらわれている。デールが扱うには重量があり、両手で慎重に持つ必要があった。
「不死の魔物に対して強いんです。剣を作る時にたくさんの聖水を使うので……でも村には聖水ってそれほどないので、まだ一本しか作れてないんです」
デールがしげしげと見つめるゾンビキラーという剣を目にして、ヘンリーも弟の持つ剣に興味を引かれるように近づく。二人で剣の状態を具に調べ、すぐに考えを一致させると、ヘンリーが青年に言葉をかける。
「武器を作る仕事、俺たちにも手伝わせて欲しい。聖水が足りないなら、こちらで用意しよう」
「え? どういうことですか。で、でもそんなにたくさんの聖水を買うようなお金はなくて……」
「無償で提供します。この武器は素晴らしいものですから、僕たちからぜひ支援させてください」
ラインハットの二人はサンタローズの村復興を目指し、支援する心積もりがある。荒れた村の中の整備にも当然手をつける必要があるが、村を再興させるには人を集めなくてはならない。そして魔物が増えているこのご時世、強力な武器を必要としている人々は少なくない。ラインハットの国力強化にしても、強力な武器を取り入れることは好ましいことだ。
「……ま、ここで俺たちが一方的に話したら、また神父様を敵にしちまうからな。追い追い調整が必要だろ」
「そうですね。この件はまた神父様を通してお話させていただきます」
「は、はあ、そうですか。何だか僕には分からないことですけど、よろしくお願いします」
その後もしばしの間、彼らは他愛もない会話を楽しんだ。老爺は再びまともな話ができなくなってしまったが、それでも彼の表情は常ににこやかなものだった。長い年月を生き、怒りや悲しみに満ちた記憶もあるはずだが、その辺りの記憶をまるで意図的に封じ込めてしまったかのように、老爺はにこやかな笑みを見せ、再び寝付いた後にもその顔には仄かな笑みが浮かんでいた。
リュカたちは名残惜しくも元村長の家を後にすると、空に昇る陽光を眩し気に見上げた。そろそろラインハットへ戻らなくてはならない時刻だと思いつつも、リュカは自然と村の中を歩き出していた。彼の行く先に異を唱える者はいない。そしてサンチョとヘンリーは、リュカが向かう場所を理解している。
老爺の家に立ち寄った時には穏やかな時間が流れていたが、こうして村の中を歩いているとやはりラインハットの襲撃の跡がそこかしこに残り、村はあの時から時を留めてしまっていることが感じられた。村の中に立ち込めていた毒素を含む霧は既に晴れていたが、村のあちこちにある毒の沼地は明日の朝にも再び霧を生み出し、この村をしばしの間包んでしまうのだろう。村の神父の許しを得て、これからラインハットも国として村の再興に身を乗り出せるが、果たしてここまで傷ついた村をどこまで蘇らせることができるかは未知数だ。
村の中で当時の形を留めている建物は教会と老爺の家ぐらいのもので、他の民家にしろ店屋にしろ、荒々しく破壊され、年月の風化を受けて一つの滅びの景色と化してしまっている。道のりは長いだろうが、既にラインハットの再興を成功させた国王と宰相だ。そしてリュカもまたグランバニアの王として助力する。必ずこの村を再び生きた姿に戻すのだと、リュカたちは今は望みを見い出せない景色に夢を描く。
リュカが向かっていた場所は、かつて父とサンチョと暮らしていた家があった場所だ。今もそこには瓦礫が捨て置かれたような状態で、毒の沼と化した場所までそのままだ。痛々しい景色から思わず目をそむけたくなるが、そんな中リュカはかつての家の玄関近くに一本の木が立っていることに気付いた。
灰色一色に染まっているのではないかと思えるほどの酷い村の有り様の中、その木は目を見張るほどの葉をつけ、その中には赤い実が生っていた。あまりにも場違いな生き生きとした光景に、リュカは思わず目を瞬いた。
「……リンゴだ。こんなところに」
村の畑地も荒れ放題で、リュカたちが住んでいた家の周りなど最も被害が酷かったと思われるのに、土地はしっかりと息づいていた。地面にしっかりと根を張り、赤い実をつける林檎の木を見て、リュカもサンチョもただ呆けたようにその木を見上げる。
「家の前にリンゴの木なんてなかったよね」
「そうですね……それに、これほどの荒れた場所でこの木だけが残っているのも妙なものです」
一本だけ生える林檎の木は、この地で生きるためにと懸命に地面に根を張り、水を吸い上げ、等しく照らされる陽光を受け、生きようとすることを諦めなかった。もしラインハットの襲撃前に、地面に根を張り天を目指そうとしていたら、その命は簡単に焼かれ、潰えていたかもしれない。
「……リュカ、お前、この辺りに埋めたじゃねぇかよ」
そう言いながら林檎の木に近づくヘンリーを見て、リュカは彼とこの村を訪れた時のことを思い出す。海辺の修道院を旅立ち、オラクルベリーの町に立ち寄り、その後でこのラインハットに滅ぼされてしまったサンタローズの村の惨状を目にした。リュカは自分の住んでいた村の酷い有様に、ヘンリーは自分の国が滅ぼしてしまった村の惨状に、互いに言葉も出ない状況だった。呆然としたまま、二人はこの辺りに腰を下ろして、村の人の厚意で貰ったパンと林檎をただ腹に収めるように食べた。
その時にリュカは、ほんの些細な希望を残すように、林檎の種をいくつか地面に埋めたのだ。こんな酷い景色になってしまった村だけど、いつかこの種から芽が出て、美味しい林檎の木が育てばいいなぁと、その時に思っていたのはただの夢だった。村の景色にも、自分たちの境遇にも希望を失いそうな時に、ささやかに埋めておいた小さな夢だ。それが十年の時を経て、想像もしていなかったほどの高い木に育ち、夢のように赤い実をつけている。
「こんなことが、あるんだね」
「すげえな。育つもんなんだな」
つい昨日、リュカたちはラインハットの農場で林檎を摘み取ったばかりだ。子供たちも交えて楽しく収穫の手伝いをしたが、農場で手入れされて育てられている実とは異なり、小ぶりで実の色も薄い。しかしそんな違いなど気にせず、リュカもヘンリーも木の枝に手を伸ばすと、特別選ぶでもなく一つの林檎の実をもぎ取った。この小さな実の中に、サンタローズの村に流れていた時間が詰まっている。
二人は同時に実をかじった。身体が震える。顔をしかめながら、手にした林檎をまじまじと見つめる。
「酸っぱいよ、これ」
「食えたもんじゃねぇな」
文句を言いながらも、二人は腹を減らした子供のように一心不乱に林檎を食べた。酷い酸味に口の中が痺れるほどだが、途中で捨てる気になどならず、細い芯だけを残して二人ともすっかり林檎を食べてしまった。
「僕も一つ、頂いてよろしいですか」
「私にもぜひ」
デールとサンチョも二人に続いて枝から林檎を一つ手に取り、一口かじれば揃って顔をしかめ、両目をこれでもかと言うほどきつく瞑った。あまりの酸っぱさに言葉も出ないようだ。
「よく、これほど酸味の強い林檎を、食べましたね……」
「だから言っただろ、食えたもんじゃないって」
「これは……アップルパイか何かにした方が良いかも知れませんねぇ」
「あっ、それいいなぁ。サンチョ、今度作ってよ」
酸味しか感じられないような林檎だが、彼らが食す林檎の実からは爽やかな香りが漂っていた。束の間、サンタローズの村の中に平和な光景が生み出され、リュカたちはその光景の中に、再興したサンタローズの姿を見たような気がしていた。
彼らの手の中には、新たな種がある。サンチョが懐から油紙を一つ取り出すと、皆が食べた林檎から採れた種をまとめて包む。包みは二つ。その内の一つをデールに渡し、もう一つはサンチョが懐にしまってしまった。
「グランバニアのような暖かい土地では、もしかしたら林檎の木は育たないかも知れませんが」
「でもこの場所でも育ったリンゴだから、きっと生きる力が強いに違いないよ」
四人がぽつんと立つ林檎の木を見上げる。この木に生る林檎はどれもが味の良くないものかもしれない。しかしこの土地で命を育むことができた林檎の木には、懸命に生きようとした力を感じることができる。
初めは一つで構わない。しかし力のある一つは必ず、他の物事にも力を与えてくれるはずだ。たとえ味の酸っぱい林檎でも、その実が落ちた地面には養分となり、実からは種が零れ、再び異なる命を生み出そうとしてくれるのだと期待する。何度も失敗しても、諦めなければいつかは実を結ぶということを、一本だけ立つこの林檎の木はその身をもって教えてくれる。リュカはかつての家の前に立つ林檎の木に、この村は必ず再興するのだと信じることができる、そう思いながら色の薄い林檎の実をもう一つ、もぎ取った。

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