さいごのカギ

 

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グランバニア国王として城下町に暮らす国民に言葉を語りかける際には決まって教会と言う神聖な場を利用する。城下町全体が城の中に収まっている特殊な造りをしているグランバニアでは、民を最も多く集められる場所が教会ということもあるが、教会の壇上に立ち神聖な空気を身にまとうことで、国王としての威厳を補う目的もある。神の空気をその身にまとうことは、否応なしにその者の持つ威厳を高めることができる。初め、リュカはそんな必要などなく、和気あいあいと民と語り合う方が大事なのではないかと思っていたが、一国の主への信頼や尊敬を形の上でも保つことは大事なのだと周囲の者たちに諭され、今もこうして教会の壇上から集まる民たちを見下ろす立場にある。
紛れもない男性の声だが、その声音にかつてのマーサを思い起こす国民も当然のようにいる。リュカの優し気な語り口は、リュカ自身も知らない母マーサと似ているという。その容姿もマーサのものを多く継いでいるため、国民の中にはあのマーサが帰ってきたような感覚に陥る者もいる。
本当のマーサは今も魔界に連れ去られたまま、常に危うい状況の中に置かれているにも関わらず、国民の間ではその現実がどんどん遠ざかり、中には既にマーサの帰りを諦めているかのような雰囲気もある。マーサが姿を消してから生まれた者にとっては、マーサの存在はどこか遠い国の話の様で、現実味を帯びていない。
そしてビアンカに対しても同じような空気が漂っていた。リュカがこれからも二人の捜索を続け、必ず国に連れ帰ることを伝えても、現実には彼女の存在もどこか風化し始めている。国民には国民の日々の生活があり、一日一日と過ごしていくうちに記憶が遠ざかってしまうのは仕方のないことだ。王妃ビアンカのことを美しい王妃様だったと語る国民も、それはもう夢の中の出来事のように思えて来て、王妃が戻らないことにリュカたちと同じような悲しみを感じることはないのかも知れない。
そのような国民の反応を見ながら、リュカは敢えて強く国民の感情に訴えることはしなかった。先王妃や王妃が行方不明になりまだ見つかっていないことを強調したところで、国民の不安を煽るだけだ。グランバニアの国を造る民には、日々の生活を大事にしてもらうのが一番だと、彼らの健康と平穏を願う言葉を口にした。民の中に不安や不満が起こり、その心情が育つことは国そのものを危うくしてしまう。そして実際に国民の反応を見ながら、オジロンやサンチョの言う通り、しばらくはこのグランバニアに身を置くのが正解なのだと悟った。
この半年の間、リュカが王子王女を連れて旅に出ていたことが、多少なりとも国民に不安を与えていることも自ずとその反応から知れた。旅に出ている側としては、緩急極まるような様々な出来事に時間の経過を忘れるほどだったが、旅する国王と王子王女の帰還を待つ国民にとっては半年もの間旅に出ていて誰一人救出できていない状況に、正直に不安を感じているのだ。
リュカはこの旅に出る前に、必ず今年中に先王妃と王妃を見つけ出して救出すると宣言している。それがもう半年が経つというのに救出の目途も立たず、あまつさえ彼女たちの所在も未だ不明と言う事態を、リュカはただ申し訳ない気持ちで国民に話すだけだ。嘘や隠し事など百害あって一利なしと考えるリュカは、ただ正直に今の状況を民に話し、その話に民はがくりと肩を落としたり、やはりかと悟るような視線を向ける者もいる。そのような反応を見れば、果たして正直に話すことが正解だったのだろうかと自分の言葉に自信を無くす。
そんなリュカを見兼ねて、横からオジロンが助け舟を出したところで、リュカの国王としての言葉は一先ず終わった。自分でも知らずについた溜め息を拾うように、サンチョが背中に手を当ててくれた。ティミーとポピーが心配そうに見つめて来るその視線を感じたが、リュカは子供たちの顔を見ることができなかった。国民の暮らしを守りながらも、妻と母の救出を必ず成功させることに尽力しなくてはならないと、リュカは国王としての役割と家族としての役割をはっきりと分けて考えなくてはならないと痛感した。
後日改めて国民との交流の時間を設けると約束し、国王帰還の挨拶の場は終わった。リュカたちが兵士らを引き連れ上階の玉座の間に戻る両側を、国民らが列をなして見送る。そこにはリュカが想像するよりも様々な表情があったのだろうが、リュカは敢えて国民の表情を窺わないよう視線を先に向けていた。
元来、自信などないのだ。いつでも状況はぎりぎりで、運よくここまで命を永らえてきただけに過ぎない。過去を振り返っても、自分の力で何かを成し遂げたという物事を思い出せない。何故か今はグランバニアの国王という立場に立っているが、流れ流されるまま生きてきたら、いつの間にか立っていた場所がここというだけだ。そんな自信を持てない自分が十人十色の国民の心情を見たところで、更に自信を失うだけだと、己の中に卑怯を感じながらもリュカは心を閉ざすように顔面に笑みを貼り付け、玉座の間を目指す。
「ふわ~あ。ボク、まだ眠いよ。明日はエルヘブンに行くんでしょ? ちょっと上で休んで来てもいいかな?」
玉座の間へ戻る途中の外回廊で、ティミーが大欠伸をしながらそう言った。ティミーは昨夜、悪夢にうなされ、夢遊病のように起き上がって天空の剣を振り回したことを覚えていない。あの時、ティミーは確かに起きていたとリュカは思ったが、彼自身はその時のことを露ほども覚えていなかった。夢か現か分からない状況で、ティミー自身はそれを夢だと本能的に思い込んでいるのかも知れないと、リュカは余計なことは言うまいと口を噤んでいる。
「ちょっと、あたしに旅のことを話してくれる約束だったじゃない。昨日帰ってきてたのに、みーんなあたしには知らせなくてさ。おかげでこっちだって肩が凝って仕方がないわよ」
本日の国王の挨拶に王族の一人として参列していたドリスが、仰々しく右手で肩をとんとんと叩く。彼女の好きな鮮やかな水色のドレスに身を纏い、ティミーとポピーの後ろから歩いてくる。彼女を振り向くポピーは対称的な桃色のドレスを着て、髪にも同色のリボンをあしらっている。ドリスの隣に並べば、まるで姉妹のようだが、いつの間にか二人の背丈が近づいているようだった。ドレスの裾から覗く足が足首の上まで見えているのにもポピーの成長を感じる。
「でも昨日の内にぜーんぶ書簡なんて見てやったからね。今日は一日自由に過ごすんだ!」
そう言ってドレス姿でパンチやキックを繰り出そうとする娘を、オジロンが溜め息をつきながら諫める。
「元気なのはいいんだが、いかんせんそんな調子では嫁の貰い手も無くなると言うもの……」
「だって明日にはまたリュカたちは旅に出ちゃうんでしょ? 今日くらい自由に過ごしたっていいじゃない」
「ドリス、旅に出るって言ってもまたすぐに戻って来るわよ。ねえ、お父さん」
「うん、一日か二日あれば十分だから、今回みたいに半年も城を空けることはないよ」
「先の話なんてどうでもいいんだよ。今ここにみんないるんだから、この機会を逃したくないのよ」
ドリスはあくまでも明るい調子で言っているが、彼女の思いは切実だ。伯母であるマーサが既に魔界へと連れ去られた後に生まれたドリスだが、彼女自身は実の母を生まれてほどなくして亡くし、伯父であるパパスは還らぬ人となった。美しい妻を伴い奇跡的にこの国へ帰還した従兄も、国王に即位した後に彼らは二人とも行方不明となり、またしても奇跡的に従兄が戻って来たがその間八年と言う月日が経っている。
父がおり、従兄夫妻の間に生まれた可愛い双子がいて、天涯孤独になったわけでもない自分は悲劇に見舞われているわけではないと思いつつも、束の間訪れる平穏の時を逃してはならないという焦りの気持ちが生まれるのはどうしようもなかった。
「ティミーがどれだけ強くなったのかを見たいのもあるしさ」
「ええ~、ドリスと手合わせするのイヤなんだよなぁ。だって戦い方がボクとまるで違うんだもん」
「ドリス様、さすがにティミー王子も戻られたばかりですから、いきなり手合わせすると言うのはあまりにも……」
「サンチョは黙っててよ。あ、でもそんなこと言うならサンチョが手合わせしてよ。ほら、その大きなお腹も少し引っ込めた方が動けるようになるだろうし、ダイエットに付き合ってあげてもいいよ」
「私は自称動ける太っちょなのでお気になさらず」
「オジロンさんと手合わせしないの?」
和やかな会話の中にリュカの言葉が混じった途端、ドリスが苦虫を嚙み潰したような顔をして黙り込んだ。リュカたちの後ろの続く兵士たちの中に得も言われぬ緊張感が漂う。その妙な雰囲気に、空気を読んでいるようで読んでいないティミーが面白がって口を挟む。
「あ~、もしかしてドリス、オジロンさんに負けたとか?」
「うっ! うるさいよ、ティミー! あれは偶然の偶然でさ、たまたまってヤツなんだから、負けたことにはなってないんだからね!」
むきになって反論するドリスの声を聞きながら、リュカの隣を歩くオジロンが口髭を揺らして笑う。
「まだまだわしも娘には負けてられんからな」
「うるさいよ、オヤジっ! あれはさ、あの時、本当はあたし、本調子じゃなかったんだってば。鍛錬の時に左足を痛めてて……」
「一流の武闘家の言うことではないな。今になってそんなことを言っても言い訳にしか聞こえないぞ」
「本当なんだってば!」
「それならばすぐに回復役を呼びつけて回復しなったのはお前の落ち度だ。リュカ王たちのように外で戦っているわけでもないのだから、すぐに回復してもらえたはずだぞ」
父オジロンの言葉にドリスはぐうの音も出ないと言った具合に黙り込んでしまった。ドリスは今も日々、武闘家としての鍛錬を積んでいる。無理をしないようにと気をつけている彼女だが、あの時はふと旅に出ているリュカたちのことを思い浮かべていた。彼らはいつでも外の世界で危険に晒され、魔物との戦いに傷つけば回復もままならぬまま戦い続けているのではないだろうかと、たかが鍛錬ごときで痛めた足を治す気になれなかったのだ。
その日、父との手合わせがあることも承知していた。動けないような痛みではないとドリスは自身の怪我を放置し、そのまま父との手合わせに望んだところ、あっという間に負かされてしまったのだった。
「ドリス、僕たちも怪我なんかしたら放ってはおかないよ。痛みを我慢して放っておくほうがよっぽど危険だからね」
魔物との戦闘で負った傷をそのまま放置しておくような危険をリュカたちはしない。ドリスの想像する通り、回復が間に合わないような激しい戦闘に見舞われることもある。しかし基本的には、リュカたちはどんな小さな怪我も見落とさないよう仲間たちの様子を確かめている。小さな傷だからと放っておけば、その痛みに身体の動きが鈍くなり、それは即ち魔物に倒される危険が増大するということだ。ドリスの場合は父オジロンが手加減をしてくれるから良いものの、リュカたちの戦いに手加減などはない。
「それに君はこの国のお姫様なんだから、怪我なんてしてたらみんなが悲しむし不安になるよ。今は大丈夫なの? もし怪我をしてたら僕が治しておくよ」
リュカが立ち止まり、後ろを歩くドリスに向き直ってその顔を覗き込むと、ドリスは目も合わせずにそっぽを向いて「今は怪我なんてしてないよ」と素っ気なく応じた。武闘を嗜むドリスの両手の爪は短く切って整えられており、爪に色を塗って装飾を楽しむこともない。普通の町娘に比べるとドリスの手の皮が厚いのは、日々の鍛錬によるものだ。その手を見たティミーがドリスの手の中に握りこまれていたほんの小さな切り傷を目敏く見つけると、秘密を見つけたという嬉しさを満面に表して彼女の手の傷を回復呪文で癒した。
「へっへ~、見つけちゃったもんね。本当はちょっとだけ痛かったんじゃないの? でもボクが治しておいたよ!」
ティミーの嬉しそうな声にドリスが左手の平を開いて見ると、ほんの僅かに痛んでいた手の平の切り傷がすっかりなくなっていた。その傷は鍛錬の時にではなく、書簡を読んでいた際に紙の端で切ってしまったような些細な傷だった。
「……私だって忘れてたような傷にさぁ、ティミーの貴重な魔力を使うことなんてないんだよ」
「魔力は食べて寝ればまた回復するもん。平気だよ」
「でもあたしなんかのために……」
「ドリス、それは違うよ。そこはただ『ありがとう』だけでいいんだよ」
ドリスの沈んだような声音に、リュカは彼女が自分の無力を嘆いているのだとすぐに分かった。ドリスは自慢の格闘の腕前を生かして、本心ではリュカたちと共に旅に出て皆の助けとなることをしたいと感じている。しかし一方で、外の世界での戦いなど一度も経験したことのない自分が共に旅に出たとしても足手まといになるだけだと言うことを認めている。
今回のリュカたちの旅は半年にも及んだ。それよりも前に、リュカはグランバニアの国から八年もの間戻ることが叶わなかった。リュカたちの不在に不安を感じていたのは何も国民だけではない。ドリスもまた、常に危険と隣り合わせにいるようなリュカたちの身を案じ、しかしその不安を人に知れることを恐れ、自室で密かに彼らの無事を祈り続けていたのだ。
人を信じて待つという行為は、思いの外心身を蝕まれる。リュカ自身、今も見つからない妻と母をこうしてこの世界で待ち続けていることに、ふとした瞬間に強い不安に駆られることがある。ましてやドリスのように城の中で人を待ち続けると言うことは、それだけで彼女の心を弱くしているのだろう。今回のリュカたちの帰還にビアンカの姿もマーサの姿もないことに、国民よりも身内であるドリスの悲嘆の方が深かったに違いない。
「ドリスのすることは、この国で元気にしていることなんだ。とても大事なことなんだよ」
その「待つ」という行為を強いてしまうことが、彼女にとってどれほど負担になるかと思えば、本来ならばこのような声掛けなどしたくはなかった。しかし他にどうしようもない彼女には、待っていてくれることが大事なのだと言い聞かせることが必要だと、リュカは尚も話しかける。
「この国でドリスも、オジロンさんもサンチョも、国の人達も、みんなが元気にしてくれているって信じてるから、僕たちも旅に出て行けるんだ。ここは一つの国でさ、みんながみんな、同じことをする必要はないだろ。それぞれにやるべきことがある」
リュカがドリスに静かに語りかける姿を、すぐ近くでオジロンが穏やかな表情で見つめている。従兄でもあり一国の王でもあるリュカからの言葉に、ドリスは今までになく真剣に耳を傾けている。
「本当は辛い時でも元気にしていなきゃならない役目を負わせてごめんね。でもドリスが元気にしていてくれるだけで、この国は元気でいられるよ。君にはそんな力があるんだ」
ドリスの武闘好きは国の皆にも知れている所で、毎年年始に行われるようになった武闘大会でもその腕前を披露している。そのような彼女の溌溂とした姿に元気づけられているのは兵士たちであり、城下町に暮らす民衆であり、父オジロンもサンチョもまた彼女の元気な姿に日々の元気をもらっている。国を代表するような立場の者の明るい姿は、それだけで国に活力を与えるのは確かなことなのだ。
「僕たちもしばらくはこの国に留まるって、今回決めたんだ。その間はその役割も分担しよう。でもまたその時が来たら、ドリスのその役目をお願いするけど、いいかな?」
「……イヤだって言ったって、どうしようもないでしょ。あたしがやるしかないんだから」
「ドリスは大人になったなぁ」
そう言って思わずドリスの頭を撫でようとするリュカの手を、彼女は素早く鋭く払った。
「ちょっと、やめてよ。小さな子供みたいにさ」
「……そういうつもりじゃないんだけどな」
「じゃあ、あれだよ、プックルを撫でる時みたいな感じだね!」
「リュカ、あんた、あたしがあんな猛獣とおんなじと思ってんの!?」
「うーん、戦い好きなところは似てるかもね」
「お父さん……そういうところ、ホント何て言うか、デリカシー……」
ポピーが呆れたように言う言葉はリュカには届いていない。
「明日にはまた外に出かけちゃうんでしょ? だったらこれからちょっとあたしに付き合ってよ! 訓練場で稽古をつけてもらうんだからね!」
「ええ~、嫌だよ。僕はこれからちょっとマーリンと明日の打ち合わせが……」
「なによ、打ち合わせだなんて途端に王様ぶったりしてさ。ちょっとくらい時間あるでしょ。付き合いなさいって!」
「勘弁してよ」
ドリスがリュカの首根っこを掴みそうになる手をひらりと躱し、リュカはそのまま一人回廊を走って行ってしまった。その後をすぐに追いかけるドリスも当然足が速いが、逃げるリュカには一向に追いつかない。護衛の兵士たちが慌てて追いかけようとするが、それをオジロンが柔らかく止める。
「二人とも、ちょっと遊びたいだけだから追いかけなくとも大丈夫だ」
「なんだかんだとリュカ王はドリス様の遊びに付き合ってくださるのだから優しいですね」
オジロンのすぐ後ろでサンチョもまた穏やかな表情で走り去る二人の後姿を見守る。回廊は一本道で、逃げて隠れるような場所も特別ない。前を走るリュカが左に曲がるのを見てオジロンは口髭を揺らして小さく笑う。
「中庭を荒さんと良いがな」
「その辺りは気をつけるでしょう。女官に怒られるのは嫌でしょうから」
「あっ! そう言うことか! ズルイよ、ボクも一緒に遊ぶ!」
オジロンとサンチョの交わす言葉に、ティミーがようやく気付きすぐさま父とドリスの後を追う。回廊を進み、玉座の間に入る手前で左手に進めば、手入れされた花々が咲くグランバニアの庭園が広がっている。ドリスは城にいる間、頻繁にその庭園に足を踏み入れては花を眺めたり、一人で武闘の鍛錬に励んでいたりする。リュカはそれを知っていて、彼女をその場に誘って少し彼女の遊びに付き合おうとしたのだった。
「オジロン様」
兄が走り去っていく後姿を見ながら、ポピーがオジロンに話しかける。残された者は真面目であらねばならないと言うような呪縛にも似た感情に縛られた様子のポピーを見て、オジロンはその小さな背を押す言葉をかける。
「どうせ明日にはまた外に出るんだ。今日くらい何も考えず、羽を伸ばすのも心身に大事なことかも知れんぞ。行っておいで」
「……じゃあ、お言葉に甘えて、行ってきます」
控えめな言葉とは裏腹に、ポピーは直後に「待ってよ、お兄ちゃん!」と元気に走り出した。まだ年若い国王に、元気を持て余している姫に、まだまだ遊び盛りの双子の王子王女の姿に、オジロンやサンチョだけではなく、後ろについている兵士たちの間にも笑みが漏れる。グランバニアは今日も平和だが、まだ北の塔の脅威が完全に拭えている状況ではない。オジロンは日々の鍛錬で引き締まってきた身体を軽く感じながら、後に見張り台の様子を確かめに行こうと一人考えていた。



早朝に降っていた激しい雨が止み、しばらくの間グランバニアの森には濃い霧が出ていたが、日差しが森を照り付ける頃には霧も晴れ、雨に汚れが流された空気は澄み切っていた。全てを壁に囲まれている城下町だが外の天候が全く無関係と言うわけではなく、分厚い壁に取り付けられた窓から流れる爽やかな風に、残る雨と緑の匂いに、今朝は雨が大降りだったのだと知らされる。井戸の水が濁っているだろうから時間を置いて水を汲み上げるなど、朝の仕度が後倒しになることもあり、建物内の城下町とは言えども外の天候に生活がまるで左右されないと言うことはない。
昨日ドリスや子供たちとしばし遊んだグランバニアの屋上庭園にも激しい雨の名残があった。しかし庭園で育てられる草木や花々は強く、雨の雫をその先に垂らしながら瑞々しく葉を立て、花も萎れることはない。
わずかに凸凹とした床には所々に水溜りがあり、その水面に既に晴れ渡っている青空と綿のような白い雲を映している。リュカが空を仰ぎながら水溜りの端を踏むと、波紋が広がり空の景色が歪む。歪んだ水溜りの景色に同化するような自身の姿に、スラぼうが思わず身体を揺らしたが、ミニモンが手にしている大きなフォークのような武器の先で水溜りを突いたら三つの波紋が全ての景色を均等に歪めてしまった。
昨日の内にエルヘブンの村に立ち寄ることが魔物の仲間たち全てに知れると、マーサの故郷に興味を持っていたスラぼうが一緒に行きたいとリュカにお願いし、ミニモンが絶対に連れて行けとごね始めた。特別同行を拒む理由もなく、折角の機会だからと二人をエルヘブンに連れて行こうとリュカは昨日の内に決め、エルヘブンに向かう者たちからプックルとピエールを外すことも同時に決定した。プックルは牙を剥いて抗議していたが、スラぼうが涙目になってマーサの故郷へ行ってみたいのだと懇願すると、プックルもここで我を通すのはあまりにも大人げないと感じたのか急に大人しくなり、初めてリュカたちの旅から身を引いた。ピエールもたった一日、二日の間、エルヘブンに立ち寄り海の中の神殿に向かうことに危険はないだろうと、城での警備に回ることにしたのだった。
グランバニアとエルヘブンにさほど時差はない。あまり早い時間に村を訪れるのも村人を困らせるだろうと、リュカは昼近くにグランバニアを発つことを決めていた。そして昼近くになった今時分にグランバニア城の屋上庭園に足を運び、この場から皆でエルヘブンへ向かおうとしていたのだ。
「おおい、リュカ王よ。ちぃと待ってくれい」
リュカが子供たちと魔物の仲間たちと集まり、今まさに移動呪文ルーラを唱えようとしていた時、屋上庭園に姿を現したのはマーリンだった。マーリンの手にはあの赤い目の形をした妙な生き物と思わせる品物が握られている。
「わしも連れて行って欲しいのじゃが、良いかのう?」
「急だなぁ、マーリン」
「この品物について調べておったのじゃが、どうもそれらしき文献が見当たらんでな」
「あんなにたくさんの本をもう調べたの!?」
ティミーが目をまん丸にして驚きマーリンに問いかけると、彼は骸骨のような顔に笑みを浮かべて笑い声を漏らす。
「さすがにあそこにある本を全て見たわけではないんじゃが、お主らはこれからエルヘブンに行くのじゃろ? 魔界の門を管理するような特殊な村じゃから、きっとグランバニアとはまた異なる興味深い本がたくさんありそうじゃし、そこで調べてみるのも良いかと思うての」
「マーリンは外に行きたいだけだろー?」
「いつもお城の中で本を読んでいたら、疲れちゃうもんね」
ミニモンが揶揄うような言葉をかける横で、スラぼうは常に城の中で学者よろしく調べ物に奔走しているマーリンを気遣う言葉をかける。
「まあ、そのどっちもと言うのが本音じゃな。わしも久方ぶりに旅に出てみとうなったんじゃ」
「サンチョはこのこと、知ってる?」
「無論、知らせておる。問題なかろう」
「それなら大丈夫かな。じゃあ掴まって」
リュカは再び仲間たちと円陣を組むように頭を突き合せ、改めてルーラの呪文を唱えた。皆の身体を淡い光が包み込み、垂直方向へと伸び上がるように浮かんで行く。エルヘブンの村の景色は特徴的で、ルーラを使えるリュカもポピーも村の中央にそびえるかつて母が暮らしていた天を突くような尖塔を思い浮かべれば問題ない。村自体もまるで一つの芸術作品かと思うような独特の地形で、そのどこを思い浮かべても確実にエルヘブンの村に着くことには自信があった。
高速で移動する中、リュカたちは光の膜に覆われ、外の天候の影響を受けない。途中、大雨が降ろうが嵐になろうが雷が鳴ろうが、全ては自分と関わりのない事象だった。景色だけは飛ぶように過ぎ去る中、リュカたちの周りは驚くほど静かな状況が続く。
「リュカ王、先ほどサンチョ殿の姿が見えた気がしましたが」
今回の短い旅にもついて行くことを決めていたサーラは、ルーラの呪文で空高く浮かび上がる際に見えた景色を思い出す。彼は玉座の間から出てきたサンチョが、今まさに出発しようとしているリュカたちを見上げ、声を張り上げているのを見ていた。
「恐らくわしを探しに来たんじゃなかろうかの」
「どうして? サンチョに何か頼まれてたとか?」
「いや、だってわし、サンチョ殿に何も知らせずにここに来たからのう」
「え? だって、さっき……」
「嘘でもつかんと、お主の旅について行けんじゃろ? なあに、たった一日二日で戻るんじゃから、大した問題にはならんじゃろうて」
「な。オレの言ったとおりだろー? やっぱり外に行きたいだけだったー」
「城の中で本の虫になったって、経験がなければただの知識で終わってしまうんじゃ。じゃから今のわしに必要なものは、経験値なのじゃ!」
ミニモンとマーリンの言葉を聞きながら、リュカはマーリンの言葉の本質にも気づきつつ、今のマーリンの気持ちはミニモンが話す通りなのだろうと困ったように笑うだけだった。



リュカと双子の子供たち、それにサーラは以前もエルヘブンの村を訪れたことがあった。その他初めてこの村に来たスラぼうにミニモン、マーリンは、小さな森の中に突き立つような、はたまた小さな森の中から突き出たような、村全体が一つの巨大な塔にも見えるエルヘブンの村の景色にしばし見入っていた。
マーサがグランバニアに連れ、城の中で共に暮らすようになったスラぼうもミニモンも、マーサの故郷を今の今まで知らずにいた。彼らはマーサがエルヘブンからグランバニアに向かう際に出会い、彼女の特殊な能力により心開いた魔物たちであり、マーサの故郷に興味はありつつもまだ一度も訪れたことはなかった。初めて見る特殊な村の景色に、スラぼうとミニモンは共に無言のまま鼓動が高鳴るのを感じていた。
「ここはまた、面白そうなところじゃの」
深い知識欲を持つマーリンもまた、特殊な形状のこの村にすぐに関心を持った。エルヘブンの滞在は一日か、長くとも二日と決めているが、果たして彼らがその予定に従ってくれるだろうかと、リュカは彼らの様子を見ながら微かな不安を覚えた。
「エルヘブンの長老さんたち、きっとボクたちが来ていることに気付いてるよね」
「前もお父さんがこの村に来ることを知っていたみたいだし、きっと今回も気づいていると思うわ」
「以前も我々魔物は問題なく村に入れましたが、一応許可を取った方が良いのでしょうか」
「特に問題ないと思うよ。僕たちが悪いヤツだって気づいてたら、もうこの辺りにゴーレムがいると思う」
エルヘブンの村は周囲の危険な魔物から、ゴーレムが護り手となり村を護り続けている。その他にも、森に棲む魔物らがエルヘブンの村を森深くに隠し守っている。この場所では不思議と、人間と魔物が遥か昔から共存しているのだろう。エルヘブンの者ではない余所者が辺りをうろついていれば、村を守る魔物たちが黙っているはずはない。
しかしリュカたちがエルヘブンの村の前に降り立ち、今まさに村へ入ろうとしていても、森の中に棲んでいるはずの村を守護する魔物らは一体も姿を現さない。その状況にリュカたちは既にエルヘブンの村に入ることを許されているのだと自ずと感じられた。
村人たちは久しぶりの来訪者に対し、至って和やかな雰囲気で接した。彼らのその様子に、リュカはやはり村人たちは既にリュカたちがこの村を訪れることを事前に知っていたのではないかと思った。この村を治めるべき立場にいたマーサの子であるリュカを、その孫たちであるティミーとポピーを、エルヘブンの村は完全に受け入れているようだった。
「こりゃあ難儀な階段じゃのう。こんな階段を上るなんぞ、聞いておらん」
「聞くも何も、マーリンはぎりぎりになって勝手についてきたんだろ」
「まあ、サーラかミニモンがわしを上まで連れて行ってくれれば問題ないのう」
リュカの小言などどこ吹く風、マーリンは飄々とした口調でそう言うと、既にサーラの顔を見上げている。ミニモンは「マーリンおんぶして飛ぶなんて、イヤだねー」と言って、一人早々と延々と続く階段の上を滑るように飛んで行ってしまったのだった。
「ご老人が上るような場所でもないですから、私がお連れするのが良いでしょうね」
「ご老人って言ったって、マーリンは僕と会った時からずっとそんな感じだよ」
「しばらく見んうちに、リュカはずいぶんと冷たい人間になったのう」
「ボクは自分で上って行くよ! ちょうどいい運動になるしさ!」
「わたしも、頑張ります。お父さん、一緒に行こうね」
「手を繋いで行こうか。スラぼうは辛かったら僕の肩に乗っていいからね。よくスラりんも僕やポピーの肩に乗ってたりするんだよ」
「そうなの? じゃあお言葉に甘えちゃおうかな」
見た目はスラりんとまるで変わらないスラぼうだが、彼らの違いは人間の言葉を話すか話さないかというところだ。普段、共に旅に出ることの多いスラりんに慣れているリュカにとって、スライムが人間の言葉を話す姿はまだどこか新鮮な部分がある。スラりんもそのうち人間の言葉を話すようになるだろうかと思っているが、彼は一向に人間の言葉を話さないままだ。もしかしたら母マーサが特別な呪文か何かで、スラぼうに人間の言葉を与えたのだろうかと考えることもある。
階段を上る途中で出会う村人たちも、にこやかに村への来訪者であるリュカたちに挨拶をしてくれる。リュカが連れる魔物の仲間たちに驚く様子もない。村人たちとの会話を楽しんでしまえば、長老たちが待つ祈りの塔に着くまでに日が沈んでしまい兼ねないと、リュカは仲間たちと共にひたすら空中に浮かぶような芸術的な階段を上り続けた。
天を突くような岩山の上にたどり着くまで、ミニモンは途中二度ほど階段に下りて身体を休めた。その度に階段から望む景色をぼんやりと眺めていた。むき出しの階段の端に座り、両足をぶらつかせて無言で景色に見入るミニモンに、リュカは「大丈夫?」と声をかける。
「マーサさまはここに住んでたんだなー」
ぽつりと呟くミニモンがいつもの彼らしくなく、リュカはポピーの手を掴んだまま思わず立ち止まる。足を止めた父の手に両手でしがみつくように、ポピーが父に身体を寄せる。
『村からの景色はとってもキレイなのよ』
いつかミニモンがマーサから聞いた言葉なのだろう。彼は唐突にマーサの声真似をして、その時の思いに耽る時がある。もう少しで頂上の祈りの塔にたどり着くと言うところからの、遥か遠くまで見渡せる雄大な自然の景色を見て、ミニモンは記憶しているマーサの言葉を発している。実際には聞いたことのない母の声を、リュカはミニモンを通して耳にして、母のその時を想像する。
『でもね、ちょっと寂しいの』
明るさを装っているものの、どこか沈んだような声音が続く。
『一人って、寂しいのよね』
魔物の友達にはこうして弱音を吐いたことのある母を、リュカは強い人なのだと感じた。彼女が唯一、弱い心を出せるのが魔物の友達だったのではないだろうか。エルヘブンではやがては村の長となる宿命を背負い、たとえその宿命から逃れて村を出ても、今度はグランバニアと言う異国の地で王妃という立場に置かれた母は、気の休まる時がなかったのではないだろうかと、リュカはミニモンと同じように遥か先まで望む景色を眺めながら想像した。
そしてその後間もなく魔界に連れ去られ、今も孤独の中にその身を置いている。そう考えるだけで居た堪れない。早く母を救い出さなくては、一体彼女の幸せはどこにあったのだろうかと後悔だけがリュカたちに残される。
「マーサさまー」
自分で声真似をして、思い出に耽り、そして悲しくなって泣いてしまうのはミニモンの行動の定番でもあった。しかし彼にとって、その一連の行動は心を整理するための必要な時間だった。リュカにとっても、ミニモンがこうして母の思い出と向き合ってくれることがありがたかった。自身にはない母との思い出を、彼女の魔物の友達を介して垣間見れることで、母のことを知ったような気になれるので、少なからず心が満たされるのだ。
「ミニモン、もう少しで長老様たちのところに着くよ。行こう」
泣きじゃくるミニモンに寄り添うように、リュカは後ろから声をかけた。繋いでいた父の手を離し、ポピーが景色の高さに顔を青くしながらも父に言う。
「お父さん、ミニモンを抱っこしてあげて」
生まれた時にはミニモンよりもずっと小さかったポピーだが、今では頑張ればポピーでもミニモンを抱えられるほど、その体格差は逆転し、開いてしまった。ミニモンも今では小さな悪魔の姿をしているが、魔物としての成長を遂げればその内に大悪魔になるのだと自ら豪語している。しかしその成長が果たしていつになるのか、リュカたち人間には知れないところなのかも知れない。
階段の端に座るミニモンを後ろから掬い上げるように抱き上げ、リュカは赤ん坊を抱えるように両腕の中にミニモンを収める。人間の赤ん坊とは異なり、ミニモンの身体はひんやりとしていて、あまり生き物を抱いている心地はしない。手にしていた大きなフォークはポピーが持ち、悪魔を象徴するような矢じりを思わせる尻尾を丸めて、身体同様にリュカの腕の中に収めてしまうと、ミニモンは安心したように身体の力を抜いた。
「リュカはやっぱり、マーサさまの子だなー」
「そう言ってもらえると、何だか嬉しいよ」
「ボクも、いい?」
リュカの肩に乗っていたスラぼうがそう問いかけると、リュカは「もちろん」と返事をしてミニモンを両腕に抱く腕を少し広げる。スラぼうもその中に収まると、楽し気に青い雫形の身体を揺らし始めた。
「よかったね、二人とも。……上までもう少しよ。行こう、お父さん」
そう言ってミニモンの大きなフォークを持ったまま、ポピーはゆっくりと階段を上り始めた。高いところが苦手な彼女だが、なるべく足元の階段に集中することで高さを気にしないように努めているようだった。既にティミーとサーラ、マーリンは上の祈りの塔に到着しており、リュカたちが上ってくるのをのんびりと待っている。
彼らが待つところへ向かう娘の後姿を見上げながら、リュカはその彼女の姿に心の中で謝る。我儘を言うまいとする娘の小さな背中が見せる寂しさに、リュカは嫌でも気がついていた。
「遅いよー。待ちくたびれちゃったよ」
ポピーの姿が見えるや否や、ティミーがいかにも待ちくたびれたと言った様子でそう言った。祈りの塔の前には守衛の者がいるが、彼は魔物のサーラやマーリンと打ち解けた様子で会話を交わしている。
「やはり長老殿たちは我々がこの村に来ていることに気がつかれていたご様子です」
「ティミー王子よりもよっぽど長老とやらの方が待ちくたびれているのかも知れんぞい」
「中で長老たちがお待ちです。どうぞ中へお入りください」
快く通してくれた守衛の言葉に従い、リュカたちはぞろぞろと長老たちの待つ祈りの塔の中へと足を踏み入れた。祈りの塔の中では以前と同じように、四人の長老が額を突き合わせるようにして床の上に座り込んでいた。しかしリュカたちの姿を認めると、四人は揃って立ち上がり、対面するように横並びに並んだ。
「マーサの子、リュカよ。ようこそおいでくださいました」
エルヘブンの長老たちにとってリュカはグランバニア国の王ではなく、この村の長となるべき女性だった人の子供という存在だ。あくまでもリュカの心身の在処はこのエルヘブンに帰属していると考えている。
既に過去、対面を果たしている彼女らとの再会は和やかな雰囲気のものとなった。さすがの長老たちも寝る間もなく一日中、この祈りの塔で祈りを捧げているわけではない。既にリュカたちが来ることに気付いていた彼女らは、所縁の者でもあり客人でもある彼らをもてなそうと様々準備をしていたらしい。しかし出された茶の味に、リュカは思わず微妙な顔つきをした。ポピーは茶を飲み下した後にまじまじと湯のみの中を覗き込み、ティミーは隠すことなく「う~とっても苦いお茶だね」とぴりぴりと微かに痺れた舌をミニモンのように口から出していた。
口直しのように出された菓子を二人がつまむ横で、リュカは湯のみの茶を持て余しながら長老たちに話しかける。
「おかげさまで天空城は再び空に浮かび、天空城にすむ竜の神様も復活しました」
リュカの言葉は一般の者には突拍子もない内容だが、エルヘブンの長老たちにはすんなりと受け入れられた。彼女らはマーサほどではないが巫女としての不思議な力を持つ者たちだ。既にその事実を彼女らが扱う水晶玉の中に見て、知っていたのだろうとリュカは彼女たちの反応を見てそう感じていた。
「よく頑張りましたね、リュカ」
まるで母から子へ言われるようなその言葉に、リュカは視線を泳がせて照れたように笑った。
「しかし私たちは神の力を得ても尚、魔界の門を閉じる力はありません」
復活した神が持つ力と言うのは、リュカたちが期待するものではなかった。竜神にはこの世界を創り出す力と、破壊する力が備わっている。ただそれだけだった。その間にある様々の細かな物事については全て人間たちに委ねられている。
「この村の北の洞窟に、まだ閉ざされている魔界に通じる門があるんですよね」
リュカたちが今回このエルヘブンの村を訪れた理由は、閉ざされた魔界の門とやらの状態を確かめると言うことだ。以前この村を訪れる前に立ち寄った際には、魔界の扉に通じる海の神殿の奥へは進むことができなかった。
「前にその門を見た時に、大きな扉の上の方に鍵穴を見つけたんです。あの扉を開ける鍵って、前にこの村で見つけたこの鍵ではないんでしょうか」
リュカはそう言いながら、道具袋から魔法の鍵を取り出す。四人の長老たちはリュカの手の平に乗る魔法の鍵を目にするや否や、首を横に振る。彼女たちの反応にリュカは納得した。そもそもこの鍵で海の洞窟内のあの巨大な扉を開けることができるのならば、エルヘブンの長老たちや村の人の誰でも魔界に通じる扉を封じる場所へ行くことができるはずだ。
「海の神殿の内部に入れるのは、マーサただ一人。彼女の力無くしては神殿に入ることなど不可能です」
「それじゃあどうしても魔界の門を確かめることはできないの?」
「おばあさまを助けに行くのだって、その門から魔界に行かなきゃいけないんでしょ? だったらどうにかしてその神殿って言うところに入らないと!」
強い力で封じられているあの巨大な扉に多くの呪文を放って力づくで開けることも考えるが、できれば地上と魔界を隔てる封印の扉を傷つけたくはない。マーサの子供である自分にも母と同じような力があるのだろうかとリュカは何気なく両手を見るが、たとえその力が宿っていようとも何をどうすればよいのかも分からない。扉の前に立てば自然と発動するようなものでもないことは、以前あの場所を訪れた際に経験している。
「一つ、お伺いしたいんじゃが、良いかのう」
リュカの後ろで様子を見守っていたマーリンが進み出て、四人の長老たちの前にふらりと立つ。緑色のローブを纏い、フードを目深に被る姿は魔法使いの老爺にしか見えないが、彼女たちは確かにその者を魔物と認めている。
「このみょうちきりんなもの、見覚えはないかの?」
マーリンが指先につまんでいるのは、あの赤い目の装飾がついた金色の小さな品物だ。赤い目をパチパチと瞬きさせ、その反対側では芋虫の動きのようにくねくねとさせるそれを見て、四人の長老たちは同じように目をぱちくりとさせる。
「この村はかなり古くからあるのじゃろ。この妙なものも恐らくかなり古くから存在する魔力を持った品物じゃ。村に伝わる話に、こんな赤い目をした妙なものについて、何か残ってはいないかのう」
マーリンが今回リュカたちに同行したのは、このエルヘブンと言う特殊な村に所蔵されている古くからの文献を読みたいという理由からだった。その中で、彼が今手にしているものについても調べてみるつもりだったが、自分で片端から調べるよりも博識である村の長老たちに尋ねるのが早いと、聞いたまでだった。
マーリンから受け取った小さな金属が、まるで生き物のように手の平で動くのを、長老の一人が興味深そうに眺めている。
「これはとても不思議なものですね。強い魔力を感じます。そもそもこの品物自体、何かの生き物だったのかも知れません」
「魔物だったのかなぁ」
「さて、それは分かりません。魔物だったかもしれないし、もしかしたら人間だったのかも知れません。それが自らこの姿になったのか、はたまた何者かに姿を変えられたのか、それも分かりません。全ては想像です」
「もし姿を変えられているとしたら、このものにかけられている呪いを解けば或いは元の姿に戻れるのかも知れませんね」
「元の姿って、どんな姿なのかしら……」
「あっ! もしかしたらあのサラボナの町に現れたアイツみたいに、とんでもない怪物なのかもよ!」
ティミーの思いつきに、リュカとポピー、サーラの思考が一時停止する。すぐに動き出した思考に合わせ、リュカが険しい顔つきで一人呟く。
「それなら別に、呪いを解く必要もなさそうだね」
「このままの姿でいてもらうのが一番だわ」
「あれほどの怪物を二度も復活させるわけには参りません。世の平和のため、この妙な姿でいてもらうのが良いでしょう」
善良な者が呪いに掛けられた可能性を勝手に排除したリュカたちは一様にそう口にして、意見をまとめた。するとその言葉に反応するように、一人の長老の手に渡っていた赤い目が自身にかけられた誤解を解きたいと、彼女の手の上で飛び上がって暴れ出した。手の平で何度も飛び上がるその品物を、彼女は生き物を宥めるのと同じように撫でて落ち着かせる。魔物と共存するエルヘブンの長老ともなれば、あらゆる生き物らしいものに対して慈悲をかけることができるようだ。
長老の手の平の上で立ちながら、落ち着いた赤い目はキョロキョロと辺りを見渡すと、一点をその目で見つめ始めた。その場所にはこの祈りの部屋と外を隔てる扉がある。長老たちがこの部屋で祈りを捧げる集中の時には、扉は施錠され、何人たりともこの部屋に入ることはできない。しかし今は村を訪問するリュカたちを招き入れ、扉は解錠したまま誰でも出入りできるようになっている。
「何かあるのでしょうか」
「何かを訴えているのは確かじゃな」
長老の手に渡していたその品物を、マーリンは再び手に取り、その赤い目を扉に向ける。金属部分をくねらせ、一点に集中すると、赤い目は一度怪しく光った。その光は扉の取っ手近くを一瞬照らした。
マーリンが扉に近づいて行く中、赤い目は何度も赤い目を怪しく光らせた。その光はやはり扉の取っ手近くを何度も照らしている。マーリンに続いてリュカたちも移動する。
扉近くまで来ると、マーリンの手から飛び出すように赤い目は飛び上がり、尻尾のようにくねらせる先端で取っ手部分にしがみついた。まるで壁を這う芋虫や蛞蝓のようで、リュカはやはり全身が粟立つのを密かに一人感じていた。
くねくねと先端を扉に這わせたまま、赤い目は扉の鍵穴を覗き込む。そして今一度、赤い目を光らせると、鍵穴の中が赤く光った。ゆっくりとリュカたちを振り向く赤い目が一度、弧を描いて微笑んだように見えた。
ずっと芋虫のようにくねらせていた先端が、はっきりと意思を持って様々な形に変化を始めた。一本の柔らかな金属のようだったその部分は、大きさを変え、太さを変え、幾重にも分かれ、長くなったり短くなったりと、目まぐるしい変化を次々と起こす。その間赤い目はじっと考え込むように閉じている。
カッと見開いた赤い目と共に、変化は終わった。赤い目はそのままに、それまでずっとくねくねと揺らしていた尻尾のような先端部分は定められた形で固まっていた。その姿を見て、長老の一人がローブのポケットから使い慣れた鍵を取り出す。それはこの祈りの塔の扉を施錠するためのごく小さな鍵だった。
「同じ形をしているのう」
「そのようですね」
取っ手の部分から飛んで戻って来た赤い目をマーリンは手の平に受けると、その金属部分を指先につまむように持ち、すっかり鍵の形を象った部分を鍵穴に差し込んでみる。普通の鍵のように回してみると、扉はあっさり施錠された。その事態にリュカたちは一様に言葉を失い、マーリンの手から覗く赤い目はまるで得意げに弧を描いて笑んだ。
「え? えっ? 何コレ、どういうことなの、マーリン!?」
「これは魂消たのう……こやつ、この鍵穴に合わせた鍵になりよった」
「たまたまってワケじゃないわよね」
鍵穴から抜き取ったそれをマーリンが顔の間近に寄せてまじまじと見つめていると、赤い目が数回瞬きをして、鍵の形をしていた先端部分は元の通りくねくねとした柔らかな金属に戻ってしまった。
「村にある書物にその代物について書かれたものがあったと記憶しています。それは確か『最後の鍵』と呼ばれる、あらゆる扉を開けてしまうという伝説の鍵だったかと」
長老の一人が控えめに、しかしはっきりとした口調でリュカたちに伝える。伝承の一つのようで、確かなものとして伝えられたわけではないが、かつて存在していた解錠の呪文を後世に残そうとした一人の呪文家が努力の末に生み出したものがこの最後の鍵と呼ばれる究極の鍵だという。伝承によればこの鍵は世界に存在するあらゆる扉を開けてしまう力があるという。
「そんな世界に一つしかないような宝だったのですか。私はてっきり何か呪われた品物かと思っていました」
「僕も、呪いとまではいかないまでも、あんまり良いものじゃないんだろうなと思ってたよ」
サーラの言葉に同調するように、リュカも腕組みをしながら頷いていた。
「すごーい! どんな扉でも開けちゃうの? じゃあこの鍵をドロボウが持ったら大変だね!」
「悪者に持たせちゃいけないものなのね……お父さん、気をつけて持たないとね」
「だけどよー、これでぜーんぶカイケツってやつだなー」
ミニモンが明るい声で言う言葉に、リュカたちはすぐさま反応する。リュカたちは海の洞窟深くにある巨大な扉をいかにして開けるかを考えていたところだった。
「この鍵で洞窟の扉が開く、と言うことですね」
「その鍵ならばマーサでなくとも開けられるかも知れません」
今の不思議極まりない現象を目の当たりにした長老も、最後の鍵が持つ力を認めて自信を持ってリュカの言葉に応じた。皆が赤い目を持つ最後の鍵を見つめる中、鍵は恥ずかしがるように先端の芋虫部分をこれまでになくくねらせている。
「もうすぐマーサ様に会える?」
スラぼうの期待の言葉に、リュカは「そうだといいね」と自らの期待も込めてそう返事した。世界中の扉を開けるという伝説の鍵をもってすれば、魔界に通じる門すらも自由に開けることができるのではないかと、海の洞窟を目指すリュカたちの期待は否応にも高まって行った。

Comment

  1. やゆよ より:

    bibi様

    今回も楽しく拝読させて頂きました。
    スラぼう達の願いが叶わぬことを知ったうえで読むと、切なくなりますね。母がどれだけ慕われているかが垣間見える切ないストーリーでした。リュカも母を知らないまま育ったので、もちろん恋焦がれてるでしょう。ただそれ以上に、母を探すお父さんを通して、同じ境遇の双子達も、きっと胸を痛めてるのでしょうね。2人とも、リュカの前で、自分の弱みや甘えを我慢するシーンが増えてきました。どこかで、お父さんにとびっきり甘えて3人とも愛を充電して欲しいです泣

    ドラクエで定番のアイテム、最後の鍵ですが、生き物のような描写、想像力をくすぐられて面白かったです!

    • bibi より:

      やゆよ 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      そうですね、先の展開を知っているとここはちょっと辛いものがあります。
      ドラクエ5は親子の物語で、でも主人公は母を知らずに育ち、その話は周りから聞くだけなので、現実味のないままどんどん想像の中で母親というものが膨れ上がって行く感じがします。そしてそれはいずれ、彼の妻と子供たちを見ながら現実味を帯びて行くのかなと。そんなところまで書きて行きたいと思いつつ、まだまだ先のことなので、今はただ気が滅入りそうで困っています。どうしましょ。
      双子たちも我慢させ過ぎないように、グランバニアでしばしゆったり過ごして欲しいと思っています。
      最後の鍵のデザインを攻略本で見た時、こいつは勝手に動きそうなカタチをしているなと、こんな話にしてみました。ドラクエ5の世界にはないアバカムの呪文が形になったものだと思っています。どっかの偉大な魔術師が、アバカムの呪文を本当の鍵にしたいなぁと努力したら、自分ごとカギになっちゃった、みたいなイメージです。ぼんやりした設定(笑)

  2. やゆよ より:

    bibi様

    アバカムの呪文を閉じ込めようとして、自分が鍵になる設定面白いですね!!!僕は、ファンタジーが大好きなので、かなりの数のファンタジー本を読んで来ましたが、そんな設定のものも実際にありそうで、ワクワクですね。個人的には、マスタードラゴンの行動が、4の主人公達との記憶や経験と繋がっていたのもよかったです!前作でのこともあって、人間界にいたなんて、、bibi様の想像力凄すぎます
    !脱帽です!

    • bibi より:

      やゆよ 様

      きっとルラフェンのベネットじいさんみたいな人がうっかりやっちゃった、みたいな軽~い感じです。でもドラクエという世界観なら、そんな軽~いお話もアリかなと思ってます(笑)
      マスタードラゴンは実際に4のエンディング(だったかな?)で、人間も良いものだな、という発言をしているんですよね。そこからの人間に化けて人間界で暮らす、という話を5に持って来ている堀井さんがいかに天才かということです。ドラクエはこういう繋がりにいつも心を持って行かれます。はっきりと説明しているわけではないけど、こういう匂わせが散りばめられているのがドラクエのたまらんところです。

  3. やゆよ より:

    bibi様

    ベネットじいさんみたいな人なら、むしろ鍵になれて喜んでる可能性もありますね笑

    そのセリフ覚えてますよ!!
    6→4→5の繋がり、とてもワクワクさせられますよね。天空の塔がぼろぼろになってたり、6では4の主人公のお母さん的な人も出てきたりと、堀井さんには驚かされます!6の夢の世界が4.5となり、現実世界がロトの世界に繋がるという説も、知った時は大興奮でしたね。匂わせるだけで、説明せずというのは、想像力を存分に刺激されて良きですね。そして、その部分を bibi様に表現してもらえて、大変幸せでございます!
    また、続編心待ちにしてますー!笑
    あ、プレッシャーは感じでないでくださいね笑

    • bibi より:

      やゆよ 様

      いつの世も、紙一重みたいな人はいるでしょうから、きっと鍵になれたじいさんは喜んでいることでしょう。いや、じいさんとは限らんのですが。
      シリーズを通しての繋がりはドラクエの醍醐味ですよね。夢の世界と現実の世界がそんな分岐をする説は初めて聞きました。そんな説もあったんですね。そんな世界も面白い!
      どんな娯楽でも、見せ過ぎたり語り過ぎてしまうと面白くなくなったりすると思うんですよね。想像の余地を残しておいて欲しいという・・・。私の書く話も決して全てを語り尽くしているわけではないので、私自身が私自身の話の合間を埋めたくて仕方がないというジレンマに陥ったりしています(笑)
      でも今は、ちょっと話に詰まってしまっているという・・・どうにか次を仕上げていきたいと思います。ぼちぼち上げられるかと・・・(汗)

  4. ケアル より:

    bibi様
    UPありがとうございます。。

    グランバニアの民たちは、マーサ行方不明からとてつもない年月がたってしまっていますもんね…そんな状態ならマーサのこと諦めてしまうのもやむをえない…、マーサのことがあるからビアンカのことも半分以上は助からないと思ってしまうのはしょうがないんでしょうね。パパスが死んでしまった事実は国民にとって絶望といっても過言ではない。
    だからこそ、リュカたちは何か手掛かりがあれば…情報を見つけないと…国民は納得してくれない…。
    とはいえ、ドラクエ5を知っているユーザーやbibi様は、手掛かりは、イ○○ルを倒すまで手に入らないのを分かっているだけに、この時点でのグランバニアの民の気持ちを救ってあげれないのも事実…(涙)
    リュカ王として今が一番の正念場かもしれませんね。

    プックルが…あのプックルが旅に出るのを諦めるなんて!!!(驚愕)
    bibi様に何回かプックルを外せないかと頼んだ時、bibi様は難しいかなぁ(笑み)…て言っていたのに???(驚愕)
    もうぜったいにプックルは外さないと思っていましたよぉ。良い機会だから今後はたまに外れてもらいましょうよ?(リュカ噛みつかれるかも…)

    bibi様、できたら大神殿の死闘にスラぼうとミニモンを連れて行ってくれませんか?
    だってbibi様イベントあるじゃないですかぁ~指輪とマーサの。
    この子たち2匹はなんか愛着がありまして~…(笑み)
    どちらにしてもマーサの仲間モンスター、スラぼう、ミニモン、キングス、五レムス、サーラ(全部で5匹で合ってますか)は、連れて行ってあげたいなぁ…お願いします。

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      ドラクエ5は軽く二十年くらいの月日が経つゲームなんですよね。ゲームはぽんぽんと進んでしまうのでちょっと忘れがちですが、十年、二十年と年月が経てば人の心が変わってしまうのも止むを得ず。ラインハットは偽太后を倒してから順調に国の復興を成功させた一方で、グランバニアには先王を失い、先王妃と現王妃が未だ戻らないという不吉がずっとつきまとってると、そんな対比が私の中であります。
      プックルは絶対に外せないなぁと思っていましたが、ここらでプックルも少々大人になってもらいました(笑)プックルは見た目が猛獣過ぎるので、人間の町や村に行くだけの時にはリュカと一緒に行動できないんですよね。なので危険な場所へ向かう以外の時にはちょこちょこ外れてもらいましょうか、今後。
      大神殿のメンバーは一応既に決めてはいるんですが、まあ、今後の展開も書きながらまた変更があるかも知れません。マーサの仲間モンスターにはできるだけ、マーサとの関わりを表せられればとは思っています。どこまでできるかな・・・。

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