砂漠の女王の護り

 

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「だけどあの時以来、サンチョがこの国に来たことがないなんて意外だったな」
「私自身はなかなか国を離れることもできないので、他の者に行ってもらっていたんですよ」
「テルパドールとも月に一度は直接話をしてるんだよね」
「そうですね。メッキーのルーラで兵を派遣して、情報交換をしています。この前の訪問の際には特別変わった様子はなかったようです」
「久しぶりのお出かけだけど、やっぱりこの国はあっついね~」
「グランバニアも暑いと思ってるけど、お日様が嫌になることはあまりないわよね。この国じゃお日様が悪魔みたいだわ」
エルヘブンから戻りリュカはひと月の間、グランバニアで国政に携わり、自国の様子を俯瞰するように観察したり、はたまた自ら城下町を訪れ民の様子を直に確かめたりしていた。グランバニアの人々は一見、快活な様子で毎日を過ごしているようにも見えたが、その中には得体の知れない不安がそこここに漂っているのも確かだった。それはこの国に降りかかった過去の凶事に基づく思いであったり、城下町に忍び寄る敵の手に依るものだったりと、形は様々だった。その一つ一つに向き合い、話し、宥めることが必要とリュカは感じていた。
凡そ、人間は自身の胸に渦巻く不安や不満と言うものを、誰かに受け止めて欲しいという弱い思いがある。不安や不満を一人で終わりなく抱え続けていられるような強い人間はそういない。たとえ抱え込むことができたとしても、同時に人の心は確実に弱って行き、訳も分からず自信を無くし、行動が受動的になったり、自棄になって攻撃的になったりする。しかし自分の他の誰かに、その思いを聞いてもらえるだけで、受け止めてもらえるだけで、その人の心は多かれ少なかれ浮上できるのだ。互いに支え合えるのが人間の良いところなのだと、リュカは人間の善い部分に目を向けるようにして、時間の許す限り人々と話す機会を設けた。
リュカの心に、人間を根から疑う思いはない。現実に悪い人間と言うのはいる。グランバニアの国の人々も全ての人が悪事を働かないわけではない。中には物を盗ったり、人を傷つけてしまう者もいる。しかしそれらの人々にもそれぞれの思いがあり、理由があり、聞くべき話はあると思っている。甘いと言われたり、厳罰を望む声を聞くこともあるが、それを判断するのは当事者から全ての経緯や思いを聞いてからだと譲ることができない。
ただ嘘を吐くことができるのが人間の特徴でもある。しかしリュカは嘘を吐く人間の目を間近にしばらく見つめ、その者の心の内にまで入り込もうと試みる。リュカの漆黒の瞳の持つ力は魔物たちの心を開かせるだけではなく、人々にもその心を開かせる力を持っているようだった。罪を犯した人はその漆黒の瞳に見つめられれば、自らの犯した罪が国王の持つ深淵なる漆黒に飲まれて行くように感じ、無理に暴かれる恐ろしさに白状してしまうのだ。そして自らの犯した罪と向き合い、悔い改める生活を始めるか、しばらくの間は牢に繋がれるかの選択の中に立たされる。
リュカが唯一、心の底から許していない存在はあの死神のみであり、今や魔界の門をこじ開けてこちらの人間界に迫ろうとしている魔界の王でさえ、彼は明確な敵意など持てず、ただその存在を無機質に認めているだけだった。
「遠く西に砂嵐が見えるね。もしかしたらそのうちこっちにあの風が来るのかも」
「ははあ、あんな凄まじい風が来たら、この、何と言うか、少々脆そうな城はひとたまりもないと思ってしまいますね」
「大丈夫だよ、サンチョ。テルパドールの城は見かけによらずとっても頑丈なんだ。これまで砂漠の砂嵐には何度も耐えてきているはずだよ」
「わたしね、歴史の先生にこの前聞いたんだけど、三つの国の内で一番古い歴史を持つのはこのテルパドールなんですって。もう何百年も前からあるって言ってたわ」
「グランバニアもそれなりに古い歴史があるんですけどね。ラインハットは……あの地は昔から争いが多く、それこそ何百年も前にはもっと様々な国があの大陸にはあったようですが、今や一国が残るのみとなってしまいました」
「そうなんだ。初めて聞いたよ、そんなこと」
「ボクも初めて聞いた! じゃあデール王たちはその中で生き残った人たちの子孫ってこと?」
「……お兄ちゃん、わたしと一緒に歴史の先生に話を聞いてたはずなんだけど……覚えてないのね」
今回のテルパドール訪問に、リュカは子供たちとサンチョを連れて来ていた。三人とも以前にリュカがこの国に連れてきており、その際にはティミーが勇者として誕生したことの報告を済ませていた。しかしそれ以来、サンチョはグランバニアの護りに携わるばかりで、自ら外遊に出ることはなかった。今回はリュカがオジロンに許可を得て、たった一日二日だからとサンチョを外に連れ出したのだ。グランバニアの宰相を務めるサンチョには他国の状況をただの書簡などではなく、実際にその国の空気に触れ、人に触れ、この国を束ねる女王に会う必要があると感じていた。対面することで、今後の国同士の繋がりも尚強固なものになるに違いないと、リュカはテルパドールと言う国に期待を寄せている。何と言っても、この砂漠の国は遥か昔から勇者復活の時を待ち続け、その勇者はグランバニアから誕生しているのだ。既に強い結びつきを更に強いものにしておくのが悪いことのはずがないと、リュカはここでテルパドールとの結びつきを更に固めようと考えた。
一方で、グランバニア城下町に移り住むこととなったあの兄妹の話も気になっていた。カレブとマリー兄妹の話によれば、彼らはこの砂漠の国のある大陸のどこかにある小さな集落で暮らしていたという。果たしてテルパドールと言う国が他にも砂漠に集落があることをどれだけ把握しているかを確かめておきたいと思っていた。
「これほどカラッカラな砂の景色に囲まれているというのに、この国の人々の表情には暗さと言うものが感じられませんね」
久しぶりのグランバニア以外の景色にサンチョが年甲斐もなくはしゃいでいるのを見て、リュカは思わず微笑んでしまう。しかしそれと同時に、彼は冷静に国の人々の様子を観察し、捉えようとしている。サンチョの人を見る目は確かなものがあるのだろうと、リュカはかつて父と共に旅をしていたサンチョの心の目を信じ切っている。
サンチョがこのテルパドールを訪れたことがないという話を、リュカは初め信じられない思いで以前聞いたことがあった。かつて父と共に旅に出ていた彼は、人間が多く暮らすこの砂漠の国には当然来たことがあるのだろうと思っていた。しかし実際にはリュカが繋ぐまで、グランバニアとテルパドールの交流は一切なかった。
広大な砂漠に囲まれたテルパドールは、魔物も人間も寄せ付けないような乾き切った土地柄の国だ。この国がこうして存在できるのは、広い砂漠の中でこの地点だけに潤沢にある水源のお陰だ。人々は砂漠の地下深くから湧く水源に頼った生活をしているが、それは逆にこの砂漠の国を一歩たりとも出られない理由にもなっている。
外界からこの国を目指す旅人は、万が一旅の途中で手持ちの水と食料の尽くことがあれば、その瞬間に旅は終わりを告げてしまう。一昔前にリュカたちがこの砂漠を旅した時は運よくこのテルパドールにたどり着くことができたものの、皆が皆瀕死にも近いような状態だった。魔物との戦闘に体力を奪われるよりも、砂漠を照らす日の光や熱に、夜の何も遮ることのない砂ばかりの上で吹く冷たい風に、そして気まぐれに生じる酷い砂嵐に、旅人の体力はみるみる憔悴してしまうのだ。リュカが幸運にもテルパドールにたどり着いたのは、魔物と言う特殊な仲間に恵まれていたからに他ならない。
その広大な砂漠に、まだ幼いリュカを連れたパパスとサンチョが挑むことは決してなかった。たとえこの地に多くの人間が暮らす国があると知っていても、恐らく二人はまだ赤ん坊を脱しないようなリュカを連れて砂漠の国を目指すことはなかったに違いない。
「この国の人達はみんな、アイシス女王への信頼が厚い。女王の力で、この国はしっかりとまとまっているんだと思うよ」
「そう言えば女王様ってとても魔力が強そうな印象だったけど、どんな呪文が使えるのかしら。一度、お聞きしてみたいな」
「すっごい強かったりして。でもさ、すっごい強かったら、ボクたちと一緒に戦ってくれたりしないのかな」
「女王が自ら国を出て、僕たちと一緒に戦うことはできないよ。女王にはこの国を守る大事な役目があるんだから」
「それなら坊っちゃ……いえ、リュカ王も本来であれば国を出て戦うような立場の人ではないと思いますがね」
「僕は、アイシス女王とは違うよ。女王には代わりがいないけど、僕は……あ、やっぱり中は涼しいね。陽が陰るだけでこんなに違うのも、グランバニアとは違うよね」
テルパドールの城は決して装飾が派手なわけでもなく、むしろどこか武骨な印象の建造物だ。それと言うのも、この砂漠の地で建物のあちこちに装飾を施すという作業は、それだけで人々を死に追いやってしまい兼ねない重労働だ。それにこの広い砂漠の、人間も魔物も近寄れないような場所で、無駄に煌びやかな城を造り満足したところで、ただ虚しいだけだろう。このテルパドールを建国し、代々その頂点の立場に立つ者たちは恐らく今のアイシス女王のような神秘の力を受け継ぎ、そして現実的な目を持っていた者たちばかりだったのだろう。それ故にこの国は、この砂漠のただ中にありながらも存続することができた。人間の欲や野望に塗れることなく、ただ生きることに純粋に、ひたむきに勇者の伝説を守り崇めて来たに違いない。
テルパドールの城は城内に熱がこもらないよう、あちこちに窓が設えられている。窓枠の上部には常にくるくると巻かれた状態の布が用意され、砂嵐がこの城を包み込もうとした時には布が窓を覆うようにしてあるのだった。
城内を進むリュカたちに、城内の兵たちは恭しく頭を下げる。彼らはリュカたちがグランバニアから飛んできた国王一行であることを当然のように心得ており、彼らが真っすぐに女王の地下庭園に向かうのを見送っていた。兵の中には幾人か、勇者ティミーに羨望の眼差しを向ける者もいる。ティミーはその視線を感じながらも、特別に手を振るでもなく、ただ困ったように視線を彷徨わせながらリュカの後をついて行った。
「相変わらずこの地下の庭園は別世界のようですな」
「上があんな砂漠ばかりなのに、ここは地下の楽園のようね」
真っ暗な階段を降りた先には、以前にも目にしたことのある美しい庭園が広がる。咲き乱れる花々からは良い香りが漂い、庭園全体をグランバニアの城下町と似たような魔法の明かりがそこここから照らしている。空が見えないにも関わらず、こうして草花が生き生きとしている景色を見ることができるのは、グランバニアでも体験できない。
リュカたちが彼女の下にたどり着く前に、女王は既にリュカたちの到着に気付き、静かに彼らの来訪を待っていた。精神を沈めて瞑想をする凭れ椅子から立ち上がり、アイシス女王はあの頃と変わらぬ様子でリュカたちを出迎えた。
「ようこそいらっしゃいました、リュカ王」
「突然お邪魔してすみません。そろそろ少しお話したいと思っていて」
「そうですね、私もそのように思っておりました。どうぞこちらにおかけください」
女王の予知能力がどこまで及ぶものなのか分からないが、既にリュカたちのための席が用意されており、間もなく給仕の女性が訪問者への飲み物を運んできた。庭園で採れる果実を潰し、水に溶かした黄色のジュースは非常に甘かったが、同時に爽やかさが喉を通り抜けて行くのを感じた。
「リュカ王は今も旅を続けていらっしゃるのですか」
アイシスの言葉は、彼が勇者の護り手として旅をしているかどうかということではなく、今もリュカの妻と母を捜す旅をしているのかどうかということだった。互いにそれほど悠長な時間を取れるわけではない立場故に、女王は率直に言葉を紡ぐ。
リュカは素直に女王に説明を始めた。今も尚、二人は見つけ出せていない。しかし空には数百年ぶりに天空城が浮上し、竜神の復活も現実のものになったと報せれば、アイシス女王の表情は真剣なものながら安堵のために微笑みを見せた。その際に目尻にわずかに寄った小さな皺に、リュカはこの美しい女王も確実に年を重ねているのだと気づかされた。
「勇者の再来に天空城の浮上、そして竜神の復活……状況は確かにこの世界に良い方へと向かっているようですね」
そう言いながらもアイシス女王の不安が全て拭えるわけではない。人間たちにとって明るい展開が進んでいるとしても、彼女には世界を覆わんとする闇の気配を感じ取る力を抑えることもできない。未来を予知する力に、強大な悪の力が徐々にその手を伸ばしてきていると感じてしまう能力はどこまでもアイシス自身を苦しめている。
「一つ聞いておきたいんですけど、光の教団という集団を知っていますか」
リュカの暗い声に反応するように、アイシスもまた目を伏せて応える。
「耳にはしています。しかしその教団が紛い物だということも分かっています」
テルパドールでも女王の目の届かないようなところで、光の教団への勧誘が行われているという。この広大な砂漠の中にぽつんとあるような国に、光の教団の一員を名乗る者がいかにも豊かな身なりを見せびらかすように現れることがあるらしい。テルパドールは乾いた砂漠の国であるため、国民の中には突如外から現れる教団の一員を名乗る旅人に興味を示す者もいる。彼らはテルパドールにない豊かさを持ち得ているようで、砂漠の民の欲すると思われるものを見せたり語ったりして、その心ごとどこかへ連れ去ろうとしてしまうのだと、アイシスはまるで自身が見聞きしたような言い方でリュカに話す。予知能力すら持つ彼女のことだ。遠いところからその現場を目にすることもできるのかも知れない。
「しかしこの国から教団へ流れた者は一人もいないはずです。元々、さほど民は多くありませんから、一人一人を国で管理しており、流出による民の減少は今のところありません」
「このテルパドール以外……たとえば砂漠に暮らす集落などについてはどうでしょうか」
「砂漠の集落ですか。生憎とこの広大な砂漠に暮らす集落のことまでは分かりません」
今グランバニアにはこの砂漠の大陸のどこかにあった集落に暮らしていた兄妹カレブとマリーが暮らし始めている。アイシス女王の言葉に、彼女が、このテルパドールと言う国が砂漠の大陸の隅々まで目を光らせているわけではないと確かに分かった。特別な能力を持つ女王のことだからと、リュカは密かに砂漠の大陸の全土に渡り彼女は目を光らせることができるのだろうかと期待した部分もあったが、流石に彼女も万能と言うわけではない。あくまでも彼女が護るのはこのテルパドールと言う砂漠の国だということだ。
リュカ自身、グランバニアの大陸全土に渡り、人々が暮らす集落があるかどうかなど把握していない。グランバニアより南にある雪山のチゾットや、広く海を旅してきた人々が憩うネッドの宿屋についてはリュカも知り得ているものの、ほんの僅かな人々だけが暮らすような小さな集落に至ってはグランバニアの国としても、リュカ個人としても把握していないし、調べ尽くすこともできないだろう。
「もしできれば、この国だけではなく、この砂漠の大陸に生きる全ての人々に目を向けて欲しいんです」
カレブとマリーが生きていた集落は流行り病と魔物の襲撃により滅びてしまった。絶望の中に放り出された兄妹は、藁にも縋る思いで教団の手を掴んでしまった。小さな集落が魔物の襲撃に遭えばひとたまりもないはずだが、その中でもあの兄妹は運よく生き残った。
しかし果たして彼らは運よく生き残ったのだろうかとリュカは疑問に思うことがあった。あの二人は敢えて生かされたのではないか。教団の色に染めやすい子供を残し、彼らの手を通して教団に多くの人間を誘うことができれば、それは教団の力を増幅させることに繋がる。
攻めやすい小さな集落を狙い、多くの人々を手にかけ集落を滅ぼし絶望を味わわせ、そして救いの手を差し伸べる。あの忌まわしき教団はその手段を確立させ、徹底しているのではないかと、リュカは妄想にも近い思考に至ったのだ。
「もし私が砂漠の全土に目を光らせ、小さな集落を見つけたとして、何をするべきと思いますか」
「それはもちろん……その集落の保護を」
「それまでの集落の歴史や生活を全て捨てて、直ちにテルパドールに来なさいと、そう迫るべきなのでしょうか。それかこのテルパドールから兵を派遣し、集落を守るべきだと」
リュカは女王の冷静な表情と声に、リュカは自分が無理を言っていることに改めて気づかされた。広大な砂漠の中に集落がいくつあるのかも分からない。それを女王の力で見極めて欲しいとお願いしていること自体、既に無理難題に近いものがある。しかもその集落に住む人々を問答無用でテルパドールに連れてくることも、その土地に住む人々が拒む可能性も高い。テルパドールから兵を派遣するにしても、この国自体を守る兵の人員を割かねばならないことはそのままテルパドールの護りを弱めてしまうことになる。
「申し訳ありませんが、我らテルパドールにそこまでの国力はありません。自国の民の暮らしを守るのが関の山です」
「リュカ王、我々グランバニアもまた同じような状況です。確かに世界中の人々すべてに目を向けられれば一番良いのでしょうが、それができるのは恐らく神以外にいないのではないでしょうか」
「……ううん、サンチョ、神様にもそれは無理なんだと思う。だから……どうしたって救われない人がいるんだよ」
誰一人として犠牲になどなって欲しくはないと、リュカは大いなる理想を頭の中に描いていたのだと気づかされた。一国の王であれば、一国の女王であればそれらが可能なのではないかと思い上がる部分もあったかも知れない。しかし国の民をさておいて他の者まで守らなければならないなどと、そのようなことをもし実行してしまえば、今度は国の民たちを不安に陥れてしまうだろう。
人間と言うのは動物たちに比べて理性的な生き物と思える反面、どうしようもなく感情だけで生きている者でもあるのだ。一度、不安に陥れられた国民の感情の潮流を、元に戻すことは困難極まりない。現に、グランバニアでは今もまだ王妃と先王妃が戻らず、それが王子王女の誕生が発端であったために、国民は新しい命を授かることに怯えている。そのような国民の感情の潮流がある限り、グランバニアの人口は頭打ちになっている状況だ。
「僕の考えは理想ばかりですね。無理を言って申し訳ないです」
「いえ、そのような話をすることは大変有意義と思っています。このような意見交換の場が我々のすべきことですから」
テルパドールの民たちの表情は、ルーラでこの国に着いた時からサンチョが言っていたように明るいものだとリュカも感じている。それと言うのも、この国の民は女王に対する絶大な信頼や、信仰にも近い強い思いがあるからなのだろう。アイシス女王がこの砂漠の国を牽引していく限り、民たちは安心してその身を委ねていける。
「もう少し我らに余力があれば良かったのですが、最近は少々不穏を感じておりまして、そちらに兵力を割いております」
「不穏ですか。どういうことですか」
「近頃、西に何者かの気配を感じるのです。はっきりとしたものではないのですが、決して良いものではないことは分かっています」
そうして目を閉じるアイシスは、彼女の持つ特別な力を用いてその瞼の裏に景色を見ようと試みる。そんな彼女の姿を見ながら、リュカはもしかしたら彼女もまた、エルヘブンの長老たちと同じような巫女としての力があるのかも知れないとふと感じた。
「景色には灰色の靄がかかり見えない……けれどその靄の中には確かな不穏があるのです」
女王の言う西の方角を確かめようとリュカは癖のように懐に手を伸ばすが、生憎常に持ち歩いている世界地図はグランバニアに置いてきてしまっていた。今回のテルパドール訪問には必要ないだろうと、マーリンがその地図を見たいと言っていたので彼に渡して来ていたのだ。
リュカも目を閉じて、見慣れた世界地図を頭の中に思い浮かべた。テルパドールのあるこの広大な砂漠の大陸は、凡そ周りを山々に囲まれており、外界からの侵入を簡単には許していない。リュカ自身も砂漠の大陸の全てを旅したわけではないので、この国の西側に何があるのかなどは知らない。
しかしテルパドールの大陸より西にもまた、巨大な島がある。そこはリュカたちが天空城を進めて旅をしてたどり着いた、ボブルの塔が建てられている島だ。竜神の力が封じ込められていた塔でリュカたちはその封印を解き、竜神の力を復活させた。本来の役目を終えたボブルの塔には今、竜神の力が宿ることもなく、ただ塔の中にはまるで竜神の力ごと封じ込まれたような魔物たちが残るだけだ。
そう思い至った瞬間、リュカはその可能性に目を瞬く。しかし目を合わせたアイシス女王の表情は非常に落ち着いたものだ。彼女の能力で感じるその不穏は、まだ形を成さずに漂うようなものなのだろう。それはかつて彼女が予言していた勇者の再来に近いものなのかもしれない。いつ来るともしれない不穏に対し、女王は万が一に備えて国の防備を強化している、というだけだ。
「大人の話に付き合わせ、つまらない思いをさせてしまいましたね」
一国の国王と女王とで話し続けていた緊張感漂う空気を和らげるように、アイシス女王はふとティミーとポピーに視線を合わせて柔らかな笑みを浮かべた。
「せっかくいらしたのですから、こちらの庭園を自由に見て下さっても構いませんし、砂漠の国特有の景色を見張り台から眺めるのにもご案内できますよ」
「あ! ボク、見張り台から見てみたいな。どこまでこの砂漠が見えるのか、ちょっと気になってたんだよね」
「世界にも広大な砂漠は他にもあるのでしょうが、この国の周囲の砂漠の美しい景色は他では見られないものと自負していますよ。ご案内しましょう」
女王はそう言うと凭れ椅子から立ち上がり、時間を無駄にしてはならないと言わんばかりに早速庭園を抜けようと歩き出した。相変わらずきびきびと歩く女王の足取りは速い。一日の多くをこの地下庭園で過ごしているに違いないアイシスだが、その心は常にこのテルパドールの国と共にあるのだということを、リュカは女王の足取りにも感じることができた。相変わらず彼女には隙と言う隙が見当たらない。彼女に対して攻撃しようなどとは微塵も思わないが、たとえ攻撃の刃を向けたとしても苦も無く躱され続けてしまうのではないかと、そんな敵わない雰囲気が彼女を包んでいるようだった。



地下庭園から階段を上り、地上に出た瞬間に、この国が熱い砂漠の国であることを思い出した。外から城の中に入った時には涼しく感じた城内の空気が、今は熱風に感じるのだから、地下庭園がいかに特殊な環境なのかが分かる。涼しい場所にいたためにしばらく汗は出ないと思っていたが、廊下を歩くうちに真っ先に汗を手で拭い始めたのは、やはりサンチョだった。
「この暑さ、老体には堪えますな」
「サンチョの場合は老体じゃなくて、お腹が大きいせいじゃないの?」
「今が最も暑い時間帯ですから、この時を過ぎれば風も涼しくなってくるでしょう」
砂漠に暮らす者たちは、日々生きている中で肌に受ける熱を逃す術を自ずと体得している部分がある。その上、微かな魔力でも使用しているのか、アイシス女王が汗をかいている姿をリュカたちは目にしたことがない。恐らくこの城にいる者たちも女王が肌に汗をかいている姿を見たことはないだろう。女王の絶大なる統率者としての姿は、そんなところにも表れている。
テルパドールの見張り台には二人の兵がその任に就いていた。女王が姿を現すと、二人の兵は直立し、手をかざして女王に敬礼をする。「構わず見張りを続けて下さい」と彼女が静かに言うと、二人の兵士は再び敬礼をした後、背中合わせになって互いに見張りを続ける。
かつてリュカがこのテルパドールの地を目指して旅をしていた際、広い砂漠の中にこの巨大な城を見つけることができなかった。目指す方向に間違いはないはずだと進みながらも、これほど巨大な城を見つけることができなかったのは、この城が砂漠の丘の中に隠されていたからだった。まるで海の波のように、砂漠の地形はその自然の中に至る所に波を作り出している。そしてその大波に囲まれるように、テルパドールは存在しているのだった。
「見張り台からも、あの砂漠の山の向こう側までは見えないんですね」
砂の大波に囲まれるテルパドールから、波の向こう側の景色は望めない。かなり広い地形を周りに見渡すことができるとしても、突然の敵襲に備えるにはその範囲が些か狭いのではないかと、サンチョが言外に含みつつそう口にする。
「もし集団での敵襲があるとすれば、その前兆として、砂の地形が変化します」
広い砂漠には絶えず風が吹いている。植物も建物もないこの砂漠で風が吹けば、確実に砂を巻き上げ、他の場所へと運ぶ。その際にもし魔物が砂の上にいたり、ましてや集団でいたとすれば、砂が生み出す地形が普段とは異なる形に変わるという。その形を見張りの兵らは熟知し、魔物の姿そのものを見ることなく事前に異変を感じ取ることができるのだ。
「え~、ボクにはどこも同じように見えるよ」
「私たちには全然分からないわね。でもどこを見ても、とってもキレイ」
「景色は美しいですが、いかんせん暑いですな。息苦しくなるほどです」
今はちょうど昼を過ぎた頃合いで、砂漠をじりじりと照らし続ける日は僅かに西に傾いている。空は晴れ渡り、雲と言う雲が一切見当たらない。リュカたちは城の中にいるために日陰でいくらか涼しい風を肌に感じることができるが、この広大な砂漠の中に放り出されれば、日よけもない中でこれから半日の日差しをどう凌げばいいのか思案に暮れることだろう。よくもあの時、妻と仲間たちとこの砂漠を渡り切ったものだと、リュカはかつての自分を褒めたいと思うほどだった。
「女王、西に異変が」
兵の言葉に、アイシス女王は見張りの塔から西へと目を向ける。その鋭い視線に捉えたのは、砂漠の民にしか分からない僅かな砂の地形の変化だ。リュカたちはたとえ説明を受けても、その変化を直ちに見て取ることはできないに違いない。
アイシスは静かに目を閉じ、集中し始める。魔力が彼女の身体を包む。リュカは女王が呪文を唱える場面を初めて目にした。彼女の唱える呪文の気配に、リュカはその呪文を知っていると感じた。
強力な眠りの魔力が彼女の手に宿る。しかしそうと気づいた時には、彼女の手から魔力は消えていた。一体何が起こったのだろうかとリュカは瞠目したが、女王は鋭い視線を今も西の彼方に向けている。
「今、何をしたんですか」
「私は特別、強力な呪文が使えるわけではありません。しかしこうして、呪文を遠くへ飛ばすことができるのです」
女王の言葉の意味がリュカたちにはすぐには理解できなかった。呪文を唱え、遠くへ飛ばすにしてもその軌道を誰も確認できなかった。砂漠の景色は相変わらず波打つように美しく、砂の上を吹く風も熱を含み、じっと立っているだけで肌から汗が滲み出て来る。しかし西に異変をと女王に伝えた兵士は、はるか西に目をやったまま安堵したような表情を示していた。
「大人しく眠りについたようです」
「そうですか。特別この地を襲おういうことでなければ、目覚めた時にこの地より離れて行くでしょう」
「女王様がいま唱えた呪文は……ラリホーマですか?」
「王女様はよくご存じですね」
アイシスの美麗な笑みに出会うと、ポピーは照れたように顔を赤くしながらも同じように微笑み返した。
「呪文を飛ばしたと仰っていましたが、どうにも飛んだようには見えませんでしたが」
サンチョが目を細めて空中のあちこちに視線を彷徨わせているが、青い空は青いままで、黄土色に染まる砂漠は黄土色のまま、一面に広がっている。
「思念を通じて直接、敵に働きかけるのです。リュカ王、貴方が使用する移動呪文と通じる部分があると思いますよ」
リュカやポピーが使用する移動呪文ルーラは、目的地となる場所を脳裏に明確に思い浮かべた上で呪文を発動し、瞬く間に遠くの地へと移動できる便利な呪文だ。アイシス女王自身、ルーラを使用することはできないが、遠くにいる敵となる者の思念を捉え、直接働きかけることで、言わば敵の身体の内側から呪文を発動させてしまうと、そういうことらしい。
「そんなことができるなんて、考えたこともなかったわ……」
「それって攻撃呪文でもできるのかな!? もしボクがベギラマとかをそう言った感じでドカーンてできれば、仲間が目の前にいても気にせず呪文が打てるんだね!」
「そうかも知れませんね。しかし相当の訓練が必要でしょう」
その訓練ができるのは、目の前にいるアイシス以外にいない。彼女だけが唯一、遠隔で呪文を打つことを体得した人間に違いない。しかし一国の女王に訓練を乞うわけにも行かないことは、流石のリュカも理解している。
「ずいぶん前の話になりますが、ここより南に行った場所にある大陸に、古代の呪文を研究し続けている風変わりな人がいると耳にしたことがあります」
女王の言葉はいつでも人の思考を読み取るかのようだった。リュカの困惑を見た彼女はすぐさま助けの手をと、彼女の脳内に詰め込まれている情報から有用なものを抜き出す。
「古代の呪文を研究しているからには、呪文そのものに非常に詳しいはず。移動呪文が使えるリュカ王でしたら、その方に会いに行くのも容易なのではないですか?」
「……その移動呪文を教えてくれたのが、きっとその人です」
「やはりお会いになったことがあるんですね」
「リュカ王、その方をご存じなのですか」
「ルーラを教えてくれた人だよ。あの時もずいぶんおじいさんだったから今は……いや、間違いなく生きてるだろうな」
古代呪文ルーラの復活の際、家の屋根を吹き飛ばすほどの爆発に見舞われたにも関わらず、あの老人は確か大した怪我もせず、ルーラの復活に気を良くして、再び異なる古代呪文の復活に息巻いていたはずだ。老人とは思えぬ活力に溢れた人物であったことを、リュカはかつてマーリンと歩いたルラフェンの町に思い出す。
「もう一度、訪ねてみてもいいかもね」
あれから十年ほどの時が経っているが、時の経過とは関係なく老人ベネットはリュカのことなど覚えていない気もする。一心に何かの研究に打ち込んでいる人間と言うのは、他の一切のことにかまけていられないのだ。そのために周りからは奇人変人扱いを受けることが多いが、リュカはその噂に頷きながらも彼が悪い人物ではないことを知っている。
アイシスが西に感じている不穏についても気になるところだが、今のところ、彼女はその不穏を朧げに感じているだけで、急を要しない状況のようだ。常に見張りも立て、兵士らも主に西に注意を払っている。テルパドールの護りはテルパドールに任せ、リュカは次の自身のすべき行動について考えをまとめようとしていると、ティミーがはしゃぐ声を上げる。
「あっ、あれってバザーってやつじゃないの? ねえ、行ってみようよ!」
ティミーが指差す場所には、テルパドールの城下町の一角で準備されているバザーの様子が見て取れた。今はまだ日差しが強く、バザーを開く時間帯ではないようだが、既にその準備が始まっているようで、広い池の近くに店を開こうとしている人々の動きが俄かにあるようだ。
「そっか、この前にテルパドールに来た時はバザーには寄らなかったんだっけ。じゃあ後で行ってみようか」
「何だかお父さん、行ったことがあるみたいな言い方ね」
「えっ? お父さん、行ったことあるの?」
「……うーん、どうだったかな」
思い出そうとすればすぐに思い出せる記憶だが、今は胸の中にしまっておくことにした。今は子供たちと父の従者と共にあのバザーを楽しみ、いつか妻も一緒にこの砂漠のバザーの話をしようとそう思うに留めておきつつ、リュカはまだ強い日差しを受けてきらきらと煌めく池の湖面を眺めていた。

Comment

  1. ケアル より:

    bibi様。
    暑中お見舞い申し上げます。更新ありがとうございます。

    カリブマリーの集落は、けっきょく見つけることができなかったってことでしょうか?
    もしかしたら、あのオアシスにいるお爺さんなら何か知っているかもしれませんよ?
    ちなみにそこのオアシスには、ビアンカをナンパとセクハラしてリュカを怒らし、ルーラで運ばれて行った男もいましたよね(笑)

    西の方角はボブルの塔、アイシスはボブルの塔で恐ろしい魔物が現れるという予知をしているのでしょうか?
    それとも、ゲマゴンズの邪悪な残存きな気を感じているのでしょうか?
    bibiワールドとしてのフラグでしょうか?

    アイシスの遠隔呪文、すごい能力ですね。しかも、上級魔法ラリホーマ。
    誰かが遠隔呪文を使えるようになれば、戦闘は有利になるんですが…今の所は取得は難しそうですね。

    バザーといえば…近くのオアシスに商人を運んでその場で商売を始め、ビアンカを激怒させたという、あの有名なシーン「ファイトいっぱつ」ですよね(爆笑)
    また、バザーでなにかしらの楽しい騒動がおきるのか楽しみです!

    クラリスは元気にしていますか?
    たしか、弟と父親と3人で暮らしていますよね。クラリス次回登場しますか?

    次回はバザー、そしてルラフェン?
    もしくは集落探索?ラインハット?
    次話も楽しみにしています。

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      カレブとマリーの集落は見つからず、です。オアシスのおじいさんのところも考えたんですが、ここだけであまり話を膨らませるとまた先に進めない状態になってしまうので、ここらでお話を切らせてもらいました。オアシスに運ばれた男は・・・どうしているでしょうね(笑)
      ゲーム上では世界に不穏な動きなんて特になかったと思いますが、こちらの話ではちょこちょこ不穏分子を散りばめる予定です。勇者一族だけに任せないで、みんなも頑張って!的な感じです。
      ラリホーマ、ドラクエ5の世界だと人間キャラは使えないみたいですね。なので敢えて女王に使ってもらいました。他にも女王は呪文が使える設定です。勇者のお供の子孫ですからね。
      本当ならばこの砂漠の国でも色々なお話が書けるのですが、足止めされてしまうので(私が)、足早に立ち去る予定です。すみません。
      いやあ、まだまだ先が長いので、あまり細々とは書けず・・・本当は書きたいんですけどね~。私自身がどんどん年を取ってしまうという切羽詰まった問題がありまして(笑)

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