新年祭に合わせて

 

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グランバニアの城下町の最奥に、国民も旅人も必ず一度は足を向ける広い教会がある。普段は日に訪れる者はまばらで、ステンドグラスから入り込む光も午前中のひと時だけで、概ね暗く落ち着いた景色を見せている。しかし新年祭初日、国王の挨拶の時を迎え、教会内には多くの明かりが灯され、日常にはない教会の眩い景色にグランバニアの国民はそれだけでこの国の未来が明るいものと思うことができた。
事前の調整で、明かりの量を昨年より増やすことにしていた。グランバニアは城下町をすっぽりと城の中に収めており、町の中には魔法の力で灯る明かりが要所要所に備え付けられている。新年の挨拶の時に合わせ、街中の明かりを弱く絞るのと同時に、教会の明かりを強く照らすようにしたのは、偏に国民の心を明るくするように印象付けるためだった。
リュカは国王としての新年の挨拶を、謝罪から始めるべきと考えていた。この一年でリュカは妻ビアンカと母マーサを救い出し、グランバニアの国に戻すことを国民の前で約束していた。しかし未だ彼女らの姿は傍にない。決してこの一年を怠惰に過ごしていたつもりはないが、一国の王として民に約束したものを果たせないということが謝罪に繋がるのは明らかだ。
しかしリュカのその考えをオジロンを初め、側近の者たちが皆反対した。初めに謝罪の言葉を述べれば、それだけで新年早々、国には暗雲が立ち込めてしまうのだと彼らは口を揃えてリュカに言い添えた。馬鹿正直に自分の気持ちを述べることは、一国の王がすべきことではないのだとリュカは自分以外の年長者に改めて教えられた。
今年は特に、国の中で最大の影響力のある国王の言葉は慎重に丁寧に考えなければならないと、昨年とは異なりオジロンや学者の意見を反映させることになった。リュカが最も伝えたかった謝罪の言葉は挨拶の最後に心を込めて伝える順となった。
リュカは実質、グランバニアの国王となってから後、玉座に座している時間はまだ二年に満たない。石の呪いを身体に受けていた期間には年を重ねず、まだ年若く見られる彼だが、その両隣には今年十歳になる双子の王子王女がいる。グランバニアの国民にとっては、生まれた時から両親と離れ離れになりながらも、すくすくと清く正しく育ったこの双子の王子王女の方が余程身近な存在だ。リュカの右隣に控えるティミーには子供とは思えないような精悍な顔つきが垣間見えるようになり、左隣に立つポピーには人々の記憶から消えぬようにと王妃ビアンカの美しい面差しがはっきりと表れてきている。
リュカ自身が最も、ポピーの顔つきに複雑な感情が沸きあがるのを止められない。自分の娘だというのに、彼女の顔を冷静に見られない時がある。ビアンカが傍にいない今は、ポピーの美しくなりつつあるその顔つきに嬉しいよりも辛い感情が勝ってしまうのだ。
しかしグランバニアの国民の多くは、王妃であるビアンカにみるみる似るようなポピーの美しく成長する面差しに、少しばかりの悲哀を土台にしたような喜色を顔に浮かべる。子供の成長を純粋に嬉しく思うのが人情だ。その成長を最も近くで見たいと思っている母が今も行方不明であることは、リュカ同様に国民もまた悲しいことと当然のように捉えている。
それ故に、挨拶の終わりにリュカがマーサとビアンカを未だ見つけられず、国に戻すことができなかったことを詫びれば、それに対し国民らからは自発的に応援の声が上がった。それはリュカ自身への応援の言葉でもあり、子供たちへの応援の言葉だ。国に勇者が誕生したグランバニアの未来は明るいと信じる国民だが、その勇者はまだ子供であり、母を知らない。過酷な運命を背負わすばかりではあまりにも不憫だという思いが、人々の情の中に溢れるのも特別なことではない。八年の時を経て、ようやく出会えた父から離れず健気に付いている双子の姿に、国民の感情が大いに揺さぶられているのが現実だ。
年嵩の者の中にはリュカの境遇を思う者もいる。リュカ自身、父を喪い、母を知らなければ、愛する妻とは生き別れになり、しかし自身はこの国の王として務めを果たさなければならないとこうして挨拶の場に立っている。そんな国王を応援する声がどこからか上がれば、それに同調する人々の声が揃って沸き起こり、その声は教会に留まらず、明かりを抑えた城下町にまで響き渡った。
リュカはその声に泣くまいと、目を潤ませながらも必死に堪え、最後に一言壇上から礼を述べると、小さく鼻をすすりながら挨拶を終わらせた。これほど玉座に落ち着いていない国王だというのに、グランバニアの国民はリュカに応援の言葉をかけ、王子王女のためにも今後もマーサとビアンカの捜索を続けて行くことを願ってくれている。後にリュカがサンチョに、何故この国の人達はこれほどまでに情深く心が広いのかと問えば、それは上に立つ者の資質が民に反映されているのでしょうと、お世辞にも過ぎるようなことを言われ、リュカは思わず困ったように笑った。
一年の始まりに行われる祭りに、湿っぽい空気など不要だと言わんばかりに、教会での挨拶の後には例年通りの賑やかな祭りが始まった。リュカはティミーとポピーと共に城下町に出向き、国王や王子王女の雰囲気など感じさせないままに人々との会話に興じる。元来、リュカは自身を旅人であり、国王たる器ではないと常々思っている。玉座に座して国を広く見渡すよりも、こうして民の中に入り込んで気さくな話をしている方が余程気が楽なのだ。
しかしグランバニアの民にとってのリュカはあくまでも国の王であり、気安く話しかけられるような存在ではない。リュカが気さくに話しかけることで、民との和やかな会話が始まるが、民からいかにも気軽にリュカに話しかける場面はほとんどない。リュカ自身はまるで意識していないが、彼には父パパスの威厳と母マーサの穏やかながらも神秘に満ちた雰囲気が受け継がれている。決して主張することのないその雰囲気を、リュカの近くにいる者の多くは自ずと感じることができる。それ故にリュカ王に気さくに話しかけられる者は気さくに応じることもできるが、ただその姿を見るだけの者は自らリュカ王に話しかけるようなことは殆どない。その人が国王であるからという理由に留まらず、リュカには不思議と近寄りがたい空気も感じられるのだ。
「あっ、お父さん、ピピンがいるよ!」
ティミーとポピーの乳兄弟の間柄でもあるピピンは今やグランバニアの兵士としての訓練を日々積んでいる。彼の父であるパピンは国の兵士長を長く勤め、国を護る兵士の中では最も頼りになる人間として誰にも認められている。そのような父を持つピピンであるが、今は母が切り盛りする城下町の宿屋の手伝いに駆り出されているようで、祭りに参加する人々への飲食の提供に忙しくしていた。
そんなピピンの傍に、まるで兄を慕うようにくっついている小さな女の子がいる。以前、リュカがこの国に引き留めた兄妹の妹の方であるマリーだ。兄であるカレブもまた宿業の仕事に駆り出されており、ティミーやポピーよりも二つか三つほど年上の彼だが、その動きは今までにも何度も宿業を手伝ってきたかのような慣れが見られた。
「やあ、久しぶりだね、マリー」
「あっ、国王さま」
近づいて見ると、以前会った時に比べて背が大きくなっているような気がした。あの時はまだ赤ん坊を抜け出したほどの小さな女の子という印象だったが、今はれっきとした少女であり、舌ったらずな言葉遣いもいくらか大人びてきたように思える。今はこのグランバニアという国に受け入れられ、幼い子供ながらに自身の生きる場所が根付いた自信が彼女の中に芽生えているのだろう。人の中に起こる自信と言うものは、大人であれ子供であれ、その表情にも表れて来るものなのだとリュカはマリーの顔つきにそう思った。
「まるで宿屋の看板娘ね」
リュカが城を不在にしている間にも、ポピーはピピンの実家であるこの宿屋に住まうカレブとマリーの兄妹のことをピピンを通じて知っていた。グランバニアという国に受け入れられた自信が根付いたマリーは本来の人懐こさを見せ、ポピーがこの国の王女であることを理解しつつも、まるで姉のように慕う姿を見せる。
「ポピーお姉ちゃん、いらっしゃい」
「お店のお手伝いなんて、エライわね、マリー」
「うちの看板娘、可愛いですよね~。おかげでうちの宿に来るお客さんも増えたみたいですよ、王女様」
そう言いながらポピーたちと話し始めようとするピピンだが、奥にいる母である女将に呼ばれ、出来上がった料理を運べと催促されたために渋々引き下がって行った。まだ祭りが始まったばかりで、飲食を提供する宿屋としては今が最も動き回らねばならない時間帯のようだ。マリーも宿屋の看板娘の自覚があるのか、リュカたちに愛想のよい笑顔を見せて元気に頭を下げると、ピピンの後をついて奥へと姿を消してしまった。その後ろ姿を見ながら、リュカはまるで二つのお下げ髪を元気に跳ねさせて動き回るかつての宿屋の看板娘を見たようで、思わず頬を緩ませた。
「国王様、お久しぶりです」
同じように宿の仕事を手伝っている兄のカレブがリュカのところへいそいそと足を運んできた。彼もまた顔つきが明るくなり、今はグランバニアの国民の一人としての自覚も持ち、生き生きとしている様子が窺えた。
「お父さん、カレブはね、時々城の訓練所に来てるんだよ。まだ見学だけなんだけどね」
国を護るための兵士を育てることは、グランバニア国を存続させるための大事な義務の一つだ。兵を志願する者を基本的に拒むことはないが、訓練の後に身体的や精神的な理由で離脱する者は当然のようにいる。しかしカレブは、自分たち兄妹を救ってくれたこの国を護るための仕事に就きたいという思いで、既に訓練所に出入りしているピピンに連れられ、その都度真剣に訓練の様子を見つめているという。
「僕なんかはまだ身体も小さいし、お役に立つことはできませんが、そのうち立派な兵士になってこの国をまもりたいと思っています」
ティミーやポピーよりも二つか三つ上の、まだ少年を抜け出さないカレブの真摯な思いに、リュカは大人びた彼の本質を見る。年の離れた小さな妹を守るために気を張り続けてきた彼は既に大人にも負けず劣らずの責任感を持ち合わせているのだろう。
「ありがとう、カレブ。君みたいな立派な志を持つ子がいてくれると、僕も嬉しいよ」
元来、真面目な気質もあるのだろう。明るくなった表情の中にも、カレブには根の真面目さが現れるような強い眼差しを感じられた。そしてその瞳が僅かに泳いだのを、リュカは目敏く見つける。
「……何か不安なことでもあれば、僕に教えてくれるかな。ほら、この国の王としてそういうことは知っておかないといけないからさ」
「あ、でも僕はまた手伝いに戻らないと……」
「大丈夫だよ、今はピピンが動き回ってくれてるから」
宿屋の息子として育ったピピンの動きは伊達ではなく、母に何事かを言われればすぐさま反応してテキパキと動き回っているような状況だ。そしてその横で小さなマリーが大人たちに愛想を振りまき、またティミーとポピーも同じように自身の役目と言わんばかりに民衆に混じって楽し気に会話を始めていた。賑やかな祭りの片隅で、リュカがカレブの顔をじっと覗き込むように漆黒の瞳を向けると、カレブは思わず怯えるような視線を下に落とした。
「……教会に、光の教団の人がいたんです」
「うん」
「神父様とお話していました」
「そっか」
「僕、見つかったら、連れて行かれるんじゃないかって怖くて、思わず隠れちゃったんですけど」
「大丈夫、そんなことにはさせないからね」
「その人、たまにこの城下町で見かけるんです。でも宿に泊まることもなくって」
「できれば、どういう人なのかだけ、教えてくれるかな。見た目とか、顔つきとか。何となくでいいよ」
そう言いながらリュカは数日前に神父より聞いた話を思い出していた。教会という場所は人々の拠り所であり、教会を統括する神父のところには様々な人の話が舞い込んでくる。リュカは国王として神父から城下町全体の情報の吸い上げを行っている。その話の中に、カレブが言うような光の教団の者の話があり、神父の言う特徴とカレブの覚えていた特徴はほぼ一致した。一見すれば優男風であり、旅人のように足元まで隠れるような長いマントを身に着け、その裾に僅か覗く真っ白な裾を見ればそれが光の教団の者が着るような白の法衣に見えるという。話す言葉も丁寧かつ穏やかで、カレブは言い辛そうにしながらも伝えなければならないという意思の下、「ほんの少しだけ、国王様に似ている気がしました」と誰にも聞こえないような小声で呟いた。その感想も既にリュカは神父から聞いている。
「それと、これはただのウワサですけど」
宿の手伝いをするカレブには、往々にして人の噂が舞い込むこともあるようで、宿で飲み食いしている客の話を聞きかじった中に気になる話があったようだ。
「その人、今回の武闘大会に出るとか、そんなことを言われていました」



グランバニア新年祭の目玉行事である武闘大会は、祭りの五日目にその日を迎える。それまでは城内で和やかな祭りの行事が催され、人々は笑顔の中で新年を祝う。毎年同じ演目とは言え、年に一度しか味わえない演劇などには人々がこぞって集まり、普段は触れることのできないような非現実世界の情緒に触れ、心を豊かにする。人間が人間であるために必要な心の安定を、こうした娯楽に求めるのは必然のことなのだ。
ただ今回の演劇鑑賞にリュカは足を運ばなかった。予定では子供たちと席を並べて、昨年と同様に演劇を楽しむはずだったが、直前になってリュカはピエールに呼び出され、今はグランバニア城の見張り台の一つに立っている。
グランバニア上空には厚い雲が立ち込め、今にも雨が降り出しそうな気配だ。湿気を帯びた広大な森には靄が立ち込め、緑の匂いが濃く漂う。グランバニアが常に警戒している北の塔にはひと際厚い雲が渦巻くように空に留まっている。一見しただけでは普段と変わらないほどの景色に見えるが、ピエールなど魔物の目から見ればそこには普段には見られない敵の動きが微かに見えるのだという。
「非常に静かです」
始めにその静けさに気付いたのはガンドフだと言う。あの大きな一つ目でこの塔からの監視に当たっていたところ、いつもは北の塔の周りに飛ぶ魔物の姿が一切見当たらない瞬間があったらしい。そして今も、その数は少ないとピエールも確認している。
「リュカ王、念の為周囲の森にも兵を配置しておりますが、特段魔物の動きに変わった様子は見られないようです」
国の人々が祭りを楽しんでいる間にも、国の防備に当たる兵士たちに休みはない。交代で各々の配置につき、国の守備に当たっている。そしてその動きを統括しているのが、今リュカに話しかけるパピン兵士長だ。
城を囲む広大な森に棲息する魔物の動きには特別な変化は見られないようだ。妙な気配を感じるのはあくまでも北の塔に限ったことのようだった。
「パピンさん、森に配置している兵はどれくらいいますか」
「少数です。城の護りにほとんどを当てています」
「それで構いません。いざとなればこの城を護ればいい」
グランバニア周辺は昔から魔物の襲撃に悩まされており、それを大きく解決に導いたのが父パパスが実行した城下町を丸ごと城に収めてしまうという偉業だ。巨大な一つの要塞と化したグランバニアは、日や雨に晒されるような剥き出しの城下町を護る必要がなく、どこもかしこも分厚い壁に包まれた巨大な城を守りさえすれば良い。
「敵はこの新年祭を知って行動しているのでしょうか」
「多分ね」
パピンの言葉にそう応えながらも、リュカはそれならば今までに何度もその機会はあったはずだと考えていた。グランバニアの新年祭は以前より続く祭であり、ドリスの一言がきっかけで始まった人気の催し物である武闘大会もリュカが城を不在にしていた八年の間に始まっている。敵の動きに変化があったということは、変化を生み出すきっかけが何かあったはずだ。
「この新年祭というのはグランバニアだけではなく、凡そ人間の住む町や村でも行われるものなのでしょうか」
長らく人間世界に馴染んだピエールだが、まだ人間の持つ文化と言うものを広く理解しているわけではない。またグランバニアに生まれ、グランバニアに育ったパピンもまた、他国の常識については疎いところがある。
「僕もよくは知らないけど、僕が小さい頃に住んでいた村ではそう言うこともあったんじゃないかなぁ」
「と言うことはラインハットも……」
「ラインハット?」
すかさず問い質すような言葉を投げかけるリュカに、ピエールが思わず口を噤む。ピエールの被る鉄仮面の奥の表情は見えないが、代わりに緑スライムの顔つきを見れば一目瞭然だ。目を泳がせ、スライム族にはあまり見られないような神妙な顔つきをしている。
「そう言えばピエールはラインハットに呼ばれて出かけてたことがあったみたいだよね」
「そうなのですか? 私も存じませんでしたが」
リュカの言葉に驚くパピンは、兵士長としてピエールの行動を把握していなかったことについて恥じるような気持ちを持つと共に、同僚であるスライムナイトに咎めるような視線を向ける。
「素直に申し上げますと……ラインハット周辺の捜索に当たっていました」
ピエール自身、元はラインハット周辺に棲むスライムナイトだった。当時、まだリュカとヘンリーが共に旅をしていた時に、ピエールはラインハット周辺で出会い、そして仲間になった。既にあの地域を離れて長く時が経つが、魔物の過ごす時間と人間の過ごす時間は根本的にその長さが異なる。ピエールにとっては今もあの地域は、自分の身体の一部のように馴染んだものなのかも知れない。
「スライムナイトならあの地域を捜索していても、怪しまれることもないって、それは分かるけどどうしてわざわざ……」
「ラインハット周辺には今までいなかったような魔物が出現するようになり、犠牲者が出始めたと聞き、私が自ら捜索を名乗り出ました」
年が明ける前にラインハットから呼ばれたのは一度だけで、その際ヘンリーからラインハット周辺に棲息する魔物の種類について直接問いかけられた。魔物の生息地帯と言うのはその地域により異なるものだが、凡その強さについては地域ごとにまとまったものがある。どのような生き物でも、その土地ごとに棲み分けを行うのが本能である。グランバニアとラインハットを比べても一目瞭然で、ラインハットは比較的魔物の強さに怯えるような地域ではない。旅慣れている者であればさほど苦も無く凌げるほどの魔物らが主で、人間が協力して魔物らと対峙すればまず負けることはない。
しかし近頃では、今までに見なかったような魔物の姿をラインハット周辺で見かけるようになったと、命からがらラインハットに流れて来る旅人がいたという。ピエールが普通の魔物として平野を歩き、旅人の話にあったラインハットから西北に向かった地域に足を踏み入れると、そこには明らかにラインハット周辺にはいなかったであろう魔物の姿があった。ピエールは一羽の巨大な青の鳥の姿を見た瞬間に、その場で思わず小さく唸った。その怪鳥はボブルの塔で遭遇したことのあるホークブリザードで、ピエールはこの怪鳥に一度命を取られたことがあることを即座に思い出し、必死に岩陰に身を潜ませた。氷を巻き散らす冷気の鳥は即死呪文ザラキの使い手だ。ラインハット近くでこのような凶悪な魔物を見たことがないのは確かだった。
ヘンリーにそのことを伝えれば、彼は明らかに顔色を悪くしながらもピエールに礼を述べ、彼をグランバニアに戻した。それ以来、ピエールはヘンリーとは会っていない。彼がこれ以上ラインハットの事情にグランバニアの者を巻き込むわけにも行かないと、そう思って連絡を絶っているのはピエールにも分かっていた。
「本当はリュカ殿には話すなと言われておりました」
「そうだろうね。親分はそういうヤツなんだよ」
「世界中の魔物の体系が、変化してきているのかも知れませんね。幸い、グランバニア周辺ではそのような話は聞いておりませんが」
兵を統括するパピンはグランバニア周辺に棲息する魔物の様子を逐一兵士たちから聞いている。グランバニア周辺に棲息する魔物の種類には特別変化は見られないが、やはりその動きが今までとは異なるということは多くの兵士たちが感じているところだ。
「グランバニアはきっと、明日だと思う」
何が、とはリュカは言わない。具体的に何が起こるのかなどは分からない。しかし明日はグランバニア新年祭の五日目、武闘大会が行われる日だ。武闘大会は城外に設置される会場で行われる催し物で、普段は閉ざされた城下町の中で暮らす国民らは外の世界に堂々出られる喜びと、白熱する人間たちの闘いに思う存分興じる日なのだ。不穏な動きをしている外の世界が確実に動くのは明日と見て間違いないとリュカは思っていた。
「もしかしたらラインハットも同時に、何かが起こるのかも知れない」
そう呟くリュカの胸の内には一つの後悔があった。リュカは先月、ヘンリーとサンチョと共に天空城に乗り込み、光の教団の総本山であるセントベレスに極限まで近づくことに成功した。しかし湖の底から浮上した天空城にかつての高度はなく、そのせいか天空城からセントベレスを見下ろすことはできなかった。むしろ世界最高峰の山から見下ろされた天空城は、セントベレスに棲息する魔物の襲撃を受ける事態となり、魔物らはどうにか退けたものの、リュカたちが天空城に乗ってセントベレスに向かってきたことに光の教団乃至は敵の魔物側は確実に気づいてしまったのだろう。
天空城が復活した現実に敵が焦りを感じたのだろうとリュカは考える。そして人間の多く住む場所であるラインハットやグランバニア、もしかしたらテルパドールもその目標に定め、攻撃の機会を窺っていたのかもしれない。その機会が、人間たちがお祭り騒ぎをする新年祭に当てられているとすれば、リュカはすぐにでもグランバニアの防備を完全に固めなくてはならないとパピンに伝える。
「我が国は恐らく耐えうるでしょう。敵の数は凡そ把握しておりますし、周囲の敵の強さに対し我が国の兵は勝ち討つ訓練を続けています。しかしラインハットやテルパドールは……」
「リュカ殿、万が一のことがあれば私は当然グランバニアに……」
「いや、万が一のことがあればピエールは迷わずラインハットに飛んで。メッキーがいれば行けるね? それとスラりんにガンドフ、それにサーラさんがいれば心強いかな」
「万が一の万が一、テルパドールも同時に何事かが起こった際にはいかがいたしますか」
「……ルーラが使えるのは僕とポピー、それにメッキーだけだよ。メッキーがラインハットに飛べば、テルパドールには兵を割けない。どうにか持ちこたえてもらうしかない」
リュカの頭の中には三国の魔物に対する護りの強さが描かれる。今の状況で、最も危ういのはラインハットだと思われた。グランバニア周辺の魔物の種類は変化なく、テルパドールでも特別目立った様子はない。唯一、砂漠の西から不穏が漂うとアイシス女王が零していたことがあったが、彼女は未来を予知する能力を有している。以前女王と会った時も、彼女は変わらぬ落ち着きを見せ、特別未来を悲観している様子も見られなかった。長年勇者の誕生を予知し続け、その念願は果たされたのだ。リュカは彼女の予知するテルパドールの未来が暗いものではないことを信じた。
「ま、何もなければ問題ないよ。ただ、何かが起こった時には……よろしくね」
今もグランバニアの城下町では賑やかなお祭りが行われている。リュカが観劇できなかった分はドリスに穴を埋めてもらっている。まるで本当の姉のような彼女がいてくれれば、ティミーもポピーも不安なく劇を楽しめているだろうとリュカは従妹の存在に内心感謝する。
自分の立場が国王だと最も実感するのが、この新年祭の時だった。今ではグランバニアでの最大の催し物となった新年祭で、リュカは国民の前で広く国王としての姿を見せる義務を負っている。新年祭の挨拶を終えた時から、リュカもまた国民と共に祭りの雰囲気を楽しみ、この国を一緒に生きているのだと実感することができる。それは恐らく父パパスもこの国の王として体感したかったことに違いないと、リュカは父を思う気持ちを胸に秘めつつ、新年祭に臨んでいる。
この国を根底から支えてくれているグランバニアの人々には安寧を与えなくてはならないのだと、リュカはこの国の兵士長であるパピンと、最も信頼の置ける古くからの魔物の仲間ピエールにこの国の護りを頼る。そして自らも為すべきことをと、明日はこの国の王として出場する武闘大会に備えるために一度自室に戻るべく、踵を返した。



「今年は晴れなかったね~」
「でもどうにか雨は降らないみたい。何だか、嫌な感じの雲だけど」
グランバニア新年祭の目玉である武闘大会が行われる祭りの五日目、いつもは堅固な城の中に収められる城下町に住む国の人々も、大会の観客として城外に出て、賑々しくあちこちで話をしている。空を見上げれば、昨日に続き分厚い雲が立ち込め、折角外に出られたというのにお日様が拝めないと嘆く者もいれば、あまり日差しが強くても観戦しづらいからこれくらいでちょうど良いと喜ぶ者もいる。
「お父さんはまた準々決勝からの出場なんだよね?」
「まあね。ちょっとズルイ気もするけど、王様特権ってことにしといてね」
つい先日、兵士たちの訓練所でドリスに負け、兵士長ジェイミーに負けている手前、リュカは気まずそうに力なく笑う。
「あ~あ、早くボクも大会に出たいなぁ」
つまらなそうにそう言って空を見上げるティミーの頭の高さは既にリュカの腹の辺りまで伸びてきている。今年の五月に十歳になるティミーもポピーも、まだまだこれからどんどん身体が大きくなり、どこか祖父パパスの面影を残すティミーはそのうちリュカの背をも抜いてしまうのかも知れない。
「お兄ちゃんがお父さんと対戦することになったら、きっと国のみんなは大騒ぎするんだろうけど……私はちょっとイヤだなぁ」
「どうして?」
「だって、どっちにも負けて欲しくないんだもの」
尊敬する父が兄に負ける場面など見たくはないし、喧嘩はするものの一番の理解者である兄が父に負けるところも見たくない。しかし国の人々が望むことならば、父と兄の対戦もその内実現するのかもしれないと考えると、ポピーの胸中は複雑だ。
リュカたちは今、大会に出場する参加者が集まる大きなテント裏にいる。テントの中には教会のシスターなど救護に当たる者が数名控えており、テントの裏にはこの大会への参加を希望する者たちが自発的に集まっている。その中には当然のように、前回も出場した者たちの姿があった。武器屋のイーサンにモンスター爺さん、兵士長パピンとジェイミーに挟まれるようにして、身体を縮こまらせているピピンの姿もある。
そしてその場に現れた一人の人物によって、皆の中に漂う空気が明らかに引き締まったのをリュカは感じた。前を意気揚々と歩くドリスの後ろから、普段は玉座に落ち着いて座るオジロンが、一流の武闘家の様相を呈して皆の前に姿を現したのだ。国民から国王としては頼りないと評されるところもあるオジロンだが、日々の訓練の中ですっかり鍛え上げられた武闘家としての姿を目にして、リュカは胸の内に亡き父の姿が蘇るのを感じた。やはり父とオジロンは紛れもない兄弟なのだと、かつての父を彷彿とさせる凛々しい姿に、リュカは思わず伯父の姿に見惚れた。
しかしオジロンの第一声に、リュカの理想が呆気なく崩れ落ちる。
「はあぁぁ……ついにこの時が来てしまった。今にも心臓が飛び出そうだ」
「オヤジ、しっかりしなよ。仮にも国王代理として普段みんなの前に立ってるんだからさ」
「そうは言ってもな、わしは別に戦うのが好きなわけではないんだぞ」
「戦えば強いのに、こういうこと言うんだからなぁ。示しがつかなくなるから、弱気になるのはやめなって」
聞けば何度か手合わせをしている中でも、ドリスは父オジロンに負け越しているらしい。リュカは未だにオジロンが訓練している場面を目にしたことがなかった。ドリスに勝ち、この場に集う大会参加者の空気を張りつめさせるオジロンの特別な空気感を、リュカは確かに本物なのだと認めざるを得ないが、実際の戦う力は未知数だ。
「おお、リュカ王よ。お主は流石、落ち着いておるな」
「いや、全然落ち着いてませんよ。僕だって本当はあんまりこういうの得意じゃないですから」
「何を言うておる。お主は兄上の息子だぞ。兄上は戦いに関しては誰一人追随を許さんような人だった」
「父さんは戦士であり剣士だった人ですよ。僕だっていつもなら剣を手にしてるし。素手での戦いは専門外です」
「いやいや、普段から外の危険を知っておる者の闘い方は違うんじゃよ。こう、なんと言うか、鬼気迫るものがあって、到底同じ高みには上れんものがある」
「それでも素手で殴り合ったり蹴り合ったりするのは、僕はあんまり向いてないです。何て言うか、残酷って言うか……」
「……普段、剣で魔物に斬りかかってるようなヤツがよく言うよ」
リュカの言葉にドリスが信じられないものを見るような目でリュカを見ながら口を挟む。そんなドリスが身に着ける武闘着はまた新たに新調されており、今大会では華やかな黄色のひらひらとした美しいミニ丈のドレスを着こんでいる。武闘大会に参加する者は男ばかりで、そのむさくるしい中に紅一点として存在するドリスは、まるでこの場で大きな黄色の花を咲かせる向日葵のようだった。その明るい黄色は、それだけで皆の心を元気にさせる。
「今回もあたしは最後だけの出番だけど、オヤジはリュカと同じ準々決勝からってことになってるんだよね」
「まさか国王代理ともあろうものが予選敗退では格好がつかんからな」
「そんなことにはならないと思いますけど……でも気持ちはよく分かります」
「お父さん、もう予選が始まるんだって! あっちで一緒に見ようよ!」
ティミーが手を引き向かおうとするのは、王族のための特別観覧席だ。とは言え、他の観客らと簡単な仕切りを設けただけの場所で、特別な高台から見下ろすような場所ではない。リュカはティミーとポピーの手に引かれながらその席に向かう途中、予選に出場する者たちの様子を何気なく眺めた。リュカとは面識のない者の姿もちらほらある。この国の王としてグランバニアの民を全て把握しておきたいと思う反面、流石にそれが現実的ではないことも理解している。
武闘大会に出場しようとする者たちの集まりだ。皆が皆、力自慢の男たちで、その身体つきを見れば誰もが鍛え上げられているのが分かる。中には身体の重みで勝負しようとしているような体躯を晒している者もいるが、凡そは引き締まった武闘家としての体つきをしている。
その中で一人、不思議とリュカの目に留まる者がいる。城下町で会い、少しばかり話をしたカレブの言葉を思い出す。今回の武闘大会で出場するのではと噂されていた、光の教団に通じる者に違いないと、リュカはまるで獣が標的を見据えるかのような視線でその者をじっと見つめる。
背格好はリュカと同じほど、体格も恐らく自分に似ているのだろう。真面目な顔つきで、座りながら黙々と靴紐を固く結んでいた。屈強な男どもの中に入っては到底目立たないその男は、短めの黒髪を後ろできつく一つに束ね、手足の肌は一切晒さないような長い丈の白の上下に身を包み、太めの腰紐で着衣を留めている。
同じ大会の参加者に声をかけられ、愛想よく返事をしている姿に不穏な気配は感じられない。魔物が化けている雰囲気もなく、彼は紛れもなく一人の人間だとリュカは肌に感じる。ただその黒の瞳には異様なまでの輝きを感じた。一途な狂気に満ちたようなものではない。心の中に確固たる信念を持つ者の輝きだ。
「お父さん、どうかしたの?」
ポピーに話しかけられ、リュカは「何でもないよ」とすぐに返事をして、皆と共に王族の観覧席へと足を進めて行った。自分以外はまるでいつも通りで、いつもの新年祭の風景が広がっている。無駄に不安に考え過ぎているのかもしれないと、リュカは心の中に巣食いそうになる不安を追いやり、賑やかで楽し気な雰囲気に包まれる予選会場へと向かった。この国の王としてやらねばならないこと、それはただ民の安全に守り、安寧を届けることなのだと、リュカはあくまでもにこやかに皆と予選会場の観覧席に向かった。

Comment

  1. ケアル より:

    bibi様
    新年一発目の小説UPお疲れ様です。

    カレブ・マリー元気そうにしていたんですね。マリーは読み書きできるようになったのでしょうか?

    ラインハットの西の方…そうなんですよね、ゲームで、魔法の絨毯を使って西の方に行ったら、山と海に囲まれた大陸がありますよね、その小さな大陸には、王者のマントを取るための洞窟があって、あのあたりにホークブリザードが生息しているんですよね。
    モンスター生息地の分布がどうやら海を越えて川を越えているみたいなんです。だから、サンタローズの北のほう、海岸沿いあたりを歩いているとホークブリザードが青年時代後半の最初から現れるという、確実にその時に出会うと全滅確実です(ケアルは全滅させられました)
    最初は驚きましたよ、サンタローズあたりではぜったいに現れないモンスター。そのモンスター分布が海をこえてるんですから(汗)
    バグったかと思いました(汗)
    でも、あるいみ別の考えをすると、青年時代後半の序盤から、頑張ればホークブリザードを仲間にできるということになりますよね。ホークブリザードは仲間になりやすく、ベホマラーやザラキ、最終特技は、かがやくいきですからね。
    青年時代後半の序盤にアヤツを倒すことができるプレーヤーはいるのかな(汗)
    ただあいつは、仲間になると守備力とHPが弱いため耐久力がないんですよねぇ…(汗)
    ベホマラーやかがやくいきは戦力アップになりますけどね。

    光の教壇の信者が武道大会に参加とは…驚きの展開ですね!
    いったいどんな話になるのか…わくわくしますな!
    信者の目的はなんなのか?
    カレブの言うとおり、連れ戻しに来たのか?
    リュカに用事があるのか?
    楽しみです!

    リュカとヘンリーが大神殿に喧嘩売ったから、グランバニア襲撃しようとモンスターたちは考えているのでしょうか…だとすると、リュカとヘンリーは余計なことをしてしまったことに…(汗)
    この話がフラグになっているとしたら…今後の話が気になります!

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      ホークブリザードって青年期序盤からあの辺りにいるんですか・・・それは怖い。
      でも確かに考え方を変えれば、その時に頑張れば仲間に出来るのは魅力かも。払う犠牲の方が大きいかな(汗)

      完全オリジナル展開が続くので、楽しめない方もいらっしゃるかも知れないですが、私自身は楽しんで書いています(おいおい)
      しかし上手く話をまとめられるか・・・それが問題です。頭をすっからかんにして楽しんでいただければと思います。

      仰る通り、リュカとヘンリーが天空城でセントベレスに向かったのは余計なことをしたと言うことです。でも世の中、いつも上手くいくとは限らないし、余計なこともたくさんあるだろうなぁと、そんな感じをこの辺りのお話で書いて行きます。

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