襲撃の痕

 

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グランバニア北西に位置する城壁内の一角、木々の立つ中目立たぬ墓地がある。昨日の大雨に濡れ、地面のぬかるみもまだある中、グランバニアの兵士たちの多くがその場に整列していた。
国に大いに貢献してくれた兵士長の死を悼もうと、国は彼を弔うための立派な墓石を準備しようとしたが、家族がそれを止めた。城下町で宿屋を営む兵士長の妻はその顔に微笑みさえ浮かべていた。常に明るく、宿を営む女将として町の人々にも慕われている彼女は、この国の兵士である夫にはいつかこのような時が訪れるのだと、初めから覚悟をしていたという目をしていた。グランバニアは鉄壁とも言える守りで城下町ごと包み守っているが、周囲に棲む魔物は常に脅威だった。それらを遠ざけ、国を守るのが己の務めなのだと、いつの間にかその実力で兵士長にまで昇った夫を誇らしく思う部分も彼女には大いにあった。
木々の立つ一角に、兵士長パピンの墓が建てられた。とは言え、一般の人々の墓と相違ないものだ。それでいいのだと彼の妻は言う。むしろ、人々の上に立つのではなく、人々と肩を並べていられる方が、ようやくその肩の荷を下ろせて楽だろうと、そこでようやく彼女の声は少しばかり涙に混じった。
墓石の前にしゃがみ、息子のピピンが花で作られた輪をその上に置いた。彼の後ろには、新たに彼の弟妹のような存在となったカレブとマリーの姿がある。妹の手を握っているカレブは、ようやく少しばかりまともに話せるようになったばかりのパピンを喪った悲しみに、その手を震わせている。一方で妹のマリーにはまだその悲しみが沸かないのか、ただ不思議そうに兄の顔を覗き込んでいた。
ピピンの所作は落ち着いていた。いつものお調子者のピピンの姿が微塵も見られない場面ではあるが、それにしても父の死を悼む息子と言うよりは、ただ呆然と誰かの墓石に花を添える誰か、と言ったような、まるで他人の雰囲気を醸すピピンの姿に誰もが不安を覚えていた。兵士たちの間にすすり泣くような声が聞こえても、一番に影響されそうなピピンがまるで反応しない。淡々と墓石に花を添え、手を合わせ、むしろ悲しみを露にし始めた母を気遣う仕草まで見せている。
葬儀に参列していたティミーもポピーも、誰に憚ることもなく泣いていた。二人にとっても子供の頃から世話になった頼れるグランバニアの兵士長だった。リュカがこの国を不在にしている八年の間にも、双子をまるで我が子のように可愛がるパピンの姿があったのかも知れない。ドリスにしても、涙を堪え切れない様子だった。オジロンもサンチョも、沈痛な面持ちを露にしていた。それほどに、この国を守り続けた兵士長の死はグランバニア全体に悲しみを落としていた。
葬儀は滞りなく行われ、兵士らが一様に己のあるべき場所へ戻り去る際に、リュカは共に城へ戻ろうとするピピンを呼び止めた。ティミーもポピーも父と共にあろうと同様に足を止めたが、オジロンが二人を城へと導いた。サンチョもまた、リュカは今国王として兵士長の息子に話があるのだと、その立場を説明して二人を城へと誘導する。そしてドリスの手によって背中を押されれば、ティミーもポピーも大人しく城へと戻って行った。
グランバニアの空は晴れ渡っていた。昨日の大雨が嘘のように晴れ渡り、昨日の雨に洗われた空気は澄み渡り、どこまでも美しく輝いている。墓地に降り注ぐ陽の光は強く、相変わらず世界は輝く太陽に照らされ、今日も変わらぬ一日が始まっているのだと実感させられる。
ピピンの隣には、少し目を赤くした彼の母が立ち並んでいる。国王であるリュカには当然のように頭を下げ、「私どものためにありがとうございました」と形だけではない礼を述べる。礼を述べるのはこちらの方だと、リュカは彼女の手を取り、その悲しみを労った。
「リュカ王、僕は……その、まだよく分からなくて」
淡々とした話しぶりが、返って彼がまだ混乱しているような状況だと物語っている。
「本当に父は死んだんですか?」
先ほどまで花を添え、手を合わせていた墓石の下に、彼の父パピンはいない。敵の強烈な炎に焼かれ、骨も残さず消え去ってしまった兵士長の姿を、息子のピピンは一つも目にしていなかった。こうして葬儀が行われ、墓石が用意され、花の輪が用意されても尚、ピピンにはあの強かった父がいなくなったという現実が沸かない。感情が追いつかないまま、粛々と父が皆に弔われ、この世からいなくなったという現実がひしひしと周りから詰め寄ってきている状況に、ピピンはどうしたらいいのか分からずにいるのだろう。
「ピピン、これだけは言っておくね」
リュカは彼がまだ兵士の立場にないにも関わらずこの戦いに出向いていた理由を知らない。恐らく共にその場にいた兵に聞けば、その内容を知ることもできたのだろう。しかしリュカは敢えて聞かなかった。聞かずとも、彼があの場にいた理由をリュカは理解している。
リュカ自身、父を追いかけたことがあった。まだ幼いプックルと共に、まだ幼く力もなかった自分は、無謀にも父を追ってラインハット東の遺跡を目指して冒険の旅に出たことがあった。少なからずの自信があった。まだ幼いながらも、ビアンカと子供二人だけで外での冒険をしたことがあった。妖精の国に行って悪い魔物をやっつけたこともあった。ラインハットの城下町に置いてけぼりにされ、父と離れるのが怖かったという思いも当然あったが、それと共にリュカには父と共に戦うことができるという自信があったのだ。
「絶対に自分を責めちゃいけないよ」
その言葉は今更ながらにリュカ自身にも突き刺さる。リュカがあの時、敵の悪魔神官を逃さなければこんなことにはならなかったのかも知れない。あの時の自分の落ち度を探すが、探し始めればそれはキリがない。大小様々な理由が脳裏を過り、その一つでも潰せていれば、結果は変わっていた可能性があるとどうしても考えてしまう。
ピピンもまた心の中で自分を責めてしまうに違いない。もしあの場に自分がいなければ、父は死ななかったのかも知れないという可能性を、きっと彼はこれから嫌でも考えてしまう。パピンが敵に敗れた時、息子のピピンは敵の攻撃を受けたのか森の中に倒れていた。もしあの場でピピンが倒れていなければ、父もまた敵に葬られることはなかったのかも知れない。そもそもピピンが防衛戦にまるで一兵卒のように参加していなければ、父は兵たちを率いて悠々とこの戦いに勝てていたのかも知れない。仮にあったとする世界を想像すれば、それは全て父が今も生きていた世界を創り出してしまう。
しかし起こってしまったことを元に戻すことはできない。たとえ元に戻せたとしても、果たしてその元に戻った世界の先に何が生まれるのかは分からない。また新たな悲劇が起こった時に、こんな世界など要らないと時を戻しても、またその先に起こることなど誰も分からない。そうして時間は停滞し、何もかもが止まってしまう。未来は消え失せる。
乗り越えるしかないのだ。人は後悔と反省を繰り返しながら、前に進むしかない。散ってしまったパピンもまた、息子ピピンにはこれからも前を向いて進み続けて欲しいと願っているに違いない。幼い頃に父を喪ったリュカはピピンの気持ちも分かる。双子の父親となったリュカにはパピンの気持ちも想像できる。まだ未来ある子供は挫けず歩み続けなければならないし、そんな子供のためならば親は己を犠牲にすることも厭わないのだ。
「リュカ王、僕、一つだけお願いがあるんですけど、聞いてもらってもいいですか」
相変わらずピピンの表情はすっきりしたものだ。その顔に父を喪った悲しみは感じられない。それよりも尚強い思いが、彼の目に現れている。
「僕を今すぐ、国の兵士にしてください。お願いします」
本来ならば成人の儀を行った後に、国は兵士に志願するものを募る。ピピンは今年成人の年を迎え、当然彼は父の背中を追うように兵士に志願するつもりでいた。それを、その時を待たずしてすぐにこの国の兵にして欲しいと、国王であるリュカに直談判をしたのだった。
「これ、ピピン、王様を困らせてはいけないよ。決まりは決まりなんだから、その時を待って……それに、あんたが出しゃばらなくてもきっと今の国の兵士の皆さんが平和な時代を……」
「母さん、平和な時代は待っていても来ないよ。自分たちで築いていくんだよ」
その言葉に、リュカはピピンの心の強さを見た。彼はリュカが父パパスを喪った時のような幼い子供ではなかった。成人の年を迎えるまで、誇れる父と共にあり続けた彼には確かに兵士長パピンの国の兵士としての誇りも受け継がれているのだと、迷いのない彼の表情に意志の強さを感じた。いつまでも子供と思っていた息子が、いつの間にかこれほどの確固たる思いを抱いていたことに気づかされ、母は顔を歪ませ目に涙を浮かべていた。
「ジェイミーさんに話しておくよ」
「……ありがとうございます」
「でもそんなに急がないでいいよ。今はもう少し、お母さんの傍にいてあげてね」
夫を失ったばかりで、すぐさま息子が国の兵として傍を離れてしまえば、彼女は唐突に一人になってしまう。リュカは今は母子二人でパピンの死を悼む時間を設けることが必要だと暗にそう言い、再び墓石に向かい手を合わせる二人をその場に残して城へと戻って行った。その背に、ピピンが鼻を啜る音が聞こえていた。



グランバニア全体がこの国一の兵士長の死に沈む中、彼の葬儀が行われた翌日にグランバニア城二階の大会議室ではこの度の魔物の襲撃に関する話し合いが行われていた。この場では誰もが悲しみに沈んでいられない。伝えるべき事案が山ほどあった。何しろ今回の襲撃はグランバニアに留まらず、テルパドールとラインハットにも及んでいたのだ。予想していた事とは言え、予想以上の敵のまとまりの強さに誰もが魔物の集団の脅威を感じていた。
リュカを中心として、オジロンにサンチョ、兵士長ジェイミー、そして魔物の仲間たちであるピエールにサーラ、アンクルにマーリンとがこの場に揃っていた。アンクルは普段、この会議室に入ることなど皆無に等しく、入室するなり物珍しそうにあちこちを見渡していた。
「オレなんかを呼ぶより、ティミーを連れて来ちまえばいいじゃねえか」
そう言いながら不満そうな顔つきを見せていたアンクルだが、ティミーがこの場に来てテルパドールでの状況を細かく説明できるかと考えたところ、それは無理かもしれないと諦めたように会議室の壁に寄りかかりながら会議の始まりを待った。
グランバニアでの状況は凡そ皆が把握しているため、先ずはアンクルがテルパドールでの状況をいかにも面倒そうに話し始めた。リュカはアンクルの説明する敵の魔物の種類を聞いて、顔を青くしていた。テルパドールを襲った魔物は、グランバニアを襲撃した魔物よりも格段に強力な者たちだ。そして戦闘を終わらせたのがミニモンの呪文だったということにも、会議室にいる者たちは皆揃って表情を曇らせた。
「あのヘンテコな呪文でよ、とんでもないモン呼び出しちまって、それで敵も味方も戦うどころじゃなくなっちまったんだよ」
「それじゃあ、敵を倒したわけじゃないんだね」
「ああ、まあそうだな。ただしばらくは敵の奴らも砂漠の城には近づきたくないんじゃねぇかな。またあんなもん呼び出されたらたまんねぇもんな……思い出すだけでもおっかねぇもん」
「一体何を呼び出したんでしょう」
「僕も使える呪文だけど、何が起こるか分からないんだよね。次にミニモンが同じ呪文を使っても、おんなじ怖いものを呼び出すとも限らないだろうなぁ」
サンチョが怪訝な顔で呼び出されたものを想像するが、ミニモンが呼び出したものは人や魔物の想像を遥かに超えたような恐ろしい何かなのだ。想像で追いつけるような恐怖ではない。
「その魔物たちは恐らく、西のボブルの塔から抜け出した魔物たちでしょう」
「そのようですな。その魔物らが何者かの指示により、テルパドールを襲撃したと。全く持って計画的です」
ピエールの言葉にサーラが同意し、彼らの意見にリュカも頷く。アンクルの話に出て来た魔物らは悉くボブルの塔で遭遇した強力な魔物たちばかりだ。よくも無事に戻ってきてくれたものだと、リュカは改めて魔物の仲間たちに感謝する思いだった。
「んで、リュカがあん時助けてやったらしい竜の戦士みたいな奴らがよ、今は砂漠の城を守ってくれてるぜ」
「えーと……誰だろう?」
「俺は直接は知らねえんだけどよ、何かティミーが『お父さんが薬草をあげて助けたんだよ!』って嬉しそうに言ってたぜ」
アンクルの言葉に、リュカはボブルの塔で遭遇した竜人族の戦士を思い出した。リュカが彼らに薬草を渡したのは偶然の産物のようなものだったが、それほど些細な出来事をリュカ本人ではなくティミーを見て思い出す辺り、彼らにとっては心底感じ入るほどの感動的な出来事だったようだ。そして彼らはそのままティミーと打ち解け、とは言えティミー本人と竜人族シュプリンガーが直接言葉を交わすことはできないが、それでも今後は仲間となり協力し合える関係になったのだとアンクルは事の次第を語った。
「そんな奇跡みたいなことがよく起こったものだなぁ」
「しかも五体を一度に仲間にとは……一体リュカ王はどのような恩義を彼らに与えたのですか」
「いや、ただ薬草一つだけなんだけどね」
オジロンとサンチョが感服したように話す横で、リュカは呟くように些細な出来事を口にしていた。たった薬草一つだけで、それほどあっさりと人間側に寝返ってくるなど、余程魔物の社会はギスギスしているのだろうかと、リュカは新たに仲間となったシュプリンガーの苦労を密かに慮った。
「とにかく後で会いに行ってやれよ。リュカに会いたがってたぜ、あいつら」
「うん、分かったよ。明日か明後日に時間取って、様子を見に行ってみようかな」
今はテルパドール周辺も落ち着いている状況だろうが、いつまた魔物の襲撃を受けるかは分からないのが本当のところだ。元々砂漠に棲む魔物らはシュプリンガーの敵ではないだろうが、一度逃げ去ったボブルの塔からの魔物がまた襲撃を仕掛けてきたら、彼らだけの守りでは不十分だ。ただ今回の戦いの指揮をしていたのが竜人族だったとなれば、指揮する者がいない魔物の群れが一つになって人間の国を襲ってくることもないだろう。魔物の群れにまとまりさえなければ、テルパドールの人々だけでも対応可能と期待できる。
話がラインハットでの出来事に移ると、会議室は重苦しい雰囲気に包まれた。今回の三国襲撃の中で最も危険視されていたラインハットだが、案の定この国は滅びの危機に瀕していたことをリュカを初め、皆の知るところとなった。
まともに戦えば勝ち目のない戦いだったというのも、死の呪文ザラキを操るホークブリザードという青い巨大鳥が二十はその場にいたということだ。ピエールもサーラも語りたがらなかったが、状況を説明せねば辻褄が合わなくなると、止む無くポピーとサーラが死の呪文に向かったことを話した。あまりにも危険かつ無謀な娘の行動に、リュカは顔面蒼白となった。たとえポピーとサーラでほとんどの青い怪鳥を倒したとしても、それに素直に胸をなでおろすほどリュカの心情は単純にはなれなかった。
「あの子は一体、何を考えてるんだ……」
結果的に無事だったとは言え、一歩間違えれば揃って全滅の憂き目を見るところだったのだ。親である自分のいないところでそんなことが起こっていたことに、リュカはこれでもかと言うほどに顔を歪める。
しかしラインハットの話は彼女の無謀に留まらない。数では圧倒的劣勢のラインハットだったが、ポピーたちの協力も功を奏してどうにか持ちこたえていたところ、一匹生き残っていたホークブリザードの死の呪文によりヘンリーが倒れたと聞けば、大会議室は一時水を打ったように静まり返った。
「ヘンリー殿は無事、スラりんの呪文で蘇生していますのでご安心……」
「ポピーは……ポピーはその時、ヘンリーの近くにいた?」
ピエールの説明に被せるようにして、リュカが問いかける。しかしリュカの目にピエールは映っていない。ただ大きな会議室のテーブルの中央付近に、定まらぬ視線が落とされているだけだ。主のその様子にピエールが逡巡していると、サーラがなるべく感情を挟まぬように淡々と話を続ける。
「王女はヘンリー宰相が倒れたところを目にしています。その後王女は、魔力そのものを爆発させるように呪文を連発し始めました」
ポピーが我を失い呪文を放つ姿を、サーラもピエールも一度過去に目にしている。それはリュカがボブルの塔で仇であるゲマに倒れた時だった。自身の大事なものを失った時、彼女の心にはまるで全てを壊してしまいたいと言うような絶望に怒り狂う力が満ちてしまう。それを抑えることができず、彼女は自身の限界を超えた魔力を放出して、敵全てを滅してしまおうとするのだ。
「そっか。それで納得したよ」
ポピーがやたらとリュカの場所を確かめに来るのは、この国の兵士長パピンを喪った悲しみが深いからなのだとリュカは思っていた。しかし彼女の心の傷はそれだけではなかったということだ。一度は父であるリュカの死を目にして、そして今回はもう一人の父とも慕うようなヘンリーの死を目にしてしまった。彼女は今、あの時以上の不安を感じているのかも知れない。この大会議場に子供は入れないのが規則だが、それを破って彼女はこの会議に参加しようとしていた。それは偏に、リュカの傍から離れたくなかっただけなのだろう。
「それにしてもよくその状況でグランバニアに戻ってこられたのう。ラインハット軍の勝ちを確信して戻ってきたと思っておったが、もしや……」
ピエールとサーラの話を同席して聞いていたマーリンが難しい顔をしながらそう言うと、誰もがその言葉の後を引き継げずにしばらく場は再び静まり返った。しかしピエールがその時の光景を思い出しながら、リュカの様子を窺うようにして話し出す。
「ヘンリー殿は『母上』と叫んでおられました」
思いもかけないピエールの言葉に、リュカはしばしの間その者が何者なのかを思いつけずにいた。ヘンリーの実の母は、彼を産んで間もなく亡くなっていると聞いている。
「敵の軍勢に突っ込んでいく人馬がありました。その者が敵陣の中に槍のように深く刺さるや、戦いの平原に大爆発が起きたのです」
「詳しいことは分かりませんが、それで敵の陣は大きく崩れ、ラインハットの勝ちを確信したため、我らはグランバニアへ引き上げてきました」
ピエールとサーラの説明に、リュカも他の者たちも一様にその光景を脳裏に描き出す。圧倒的劣勢のラインハットが見る間に優勢となるほどの威力だ。敵の陣に突っ込んでいった馬も人間も、それほどの大爆発に巻き込まれれば一溜りもないだろう。それを覚悟の上でも、ラインハットの窮地を救おうとした一人がいたということだ。
「恐らくそれは、メガンテの腕輪と呼ばれるものの効果じゃ。身に着けるものの命を持って、敵全てを滅ぼすという恐ろしい力を秘めたものの力じゃろうな」
マーリンが説明するには、その腕輪の力の効果は計り知れなく、身に着けるものが敵と認めた者全てにその効果を発揮するという。さすがにその腕輪で世界の魔物全てを敵とみなして倒すなどと言うことはできないが、目に映る範囲全ての者を巻き込んでしまう威力を持つというのだから、今回のような敵の軍勢と戦うような場面には切り札として持つのはあり得ることだと誰もがそう思った。
自分の身が滅びても良いからラインハットを救いたい、それほどの深い思いを持つ者、ヘンリーが母と呼ぶ者の正体に気付けば、リュカの脳裏に一人の女性の姿が過った。あり得ないことではない。恐らく彼女自身、そんな時が来るのを心のどこかで待っていたのではないかと思うほど、リュカの想像は確かにヘンリーの継母である先太后と一致した。
ふとサンチョを見遣ると、リュカの視線に気づいたようにサンチョもまたリュカを見た。彼も気づいたに違いない。一度はラインハットを滅ぼしかけた彼女が、最期はその命を持ってラインハットを救ったのだと、リュカはサンチョと束の間視線を合わせただけで、言葉を交わすことはなかった。今はまだ交わす言葉も見つからないのが現状だ。
「いずれにせよ、二国とも後々状況を確認せねばならんな」
「僕がどちらも一人で確認に行きますよ」
「誰か供を付けた方が良いのではないか」
「じゃあ、サンチョを一緒に連れて行きます。それでいいですか」
リュカはオジロンに問いかけの言葉を向けたが、それは事実上の決定の意志だった。先代の王パパスの頃より変わらずこの国に仕えるサンチョの同行に異を唱える者などいない。それを分かっていて、リュカは敢えてこの会議室と言う場で堂々とサンチョを他国訪問に同行させることを宣言したようなものだった。サンチョも国王の命令とあらば逆らう理由もない。素直に頷き、リュカに同行の意思を示した。
話はグランバニアの現状と今後についてと移る。堅牢な造りで国民の安全は守ったとは言え、グランバニアの城も城壁も、爆弾岩の攻撃を受けてあちこちに大小さまざまの傷を残している。今後は城の補修工事を進めるために、兵を動員して石材の調達からを進めなくてはならない。しかしいつまた魔物の襲撃を受けるとも知れない状況で、兵の数を減らすわけにも行かず、止む無し城下の人々を動員して工事を進めなくてはならないと、新たに国一の兵士長の立場となったジェイミーが常通りの真面目腐った顔つきで、部屋の端で起立したままそう伝えた。
頼れる兵士長パピンを喪い、彼もまた悲しみに暮れる心情に沈んでもおかしくない状況だが、生きている者は立ち止まってもいられない。むしろ散ってしまった誇れるパピン兵士長のためにもと、ジェイミーは彼の代わりにならねばならぬという強い思いと共に、この会議場に出向いている。
「力仕事ならさ、僕にもできるから一緒に手伝うね」
「……は? 今、何と……」
「人手が必要でしょ? だから僕もできることは手伝うよって」
穏やかな笑みでそう言うリュカに、会議に参加している者たちは皆しばし黙り込んでしまった。一国の王が自ら土木工事に乗り出し、意気揚々と石材木材を運び出している姿を想像すれば、それは即ち国王の威厳に関わることなのではと一人残らず不安そうな顔をリュカに向ける。
「もちろん、他にもやらなきゃならないことがあるからちょっとしか手伝えないかも知れないけど、手伝う間に色んな人たちと話をしておきたいんだ」
今回の魔物の集団によるグランバニア襲撃の出来事に、城下の民たちは皆今も恐怖に怯えている。この国の過去を振り返ってみても、先代の王妃は魔物に連れ去られ、先代の王は王妃救出の旅の途中で帰らぬ人となり、現王も八年の間国を離れる運命となり、そして今も王妃は国に戻らず行方不明だ。普段の平和な日々の中では忘れがちなグランバニアの不運な歴史だが、今回のような不穏なことが起こればそのような暗い過去が必然と思い出されてしまい、今では城下の民の中ではまたこの国は不幸な歴史を積み上げていくのだろうかとあちこちで囁かれているのだ。
そしてその中にはやはり、光の教団に関する話も混ざり込んでいるという。人々の噂と言うのは個々に存在するものではなく、流れを作るものである。しかもその流れは、不安や不満が溜まっている時ほど大きな波となる。もはや発端が誰の話だったのかなどわからないまま、光の教団に多額の寄付をすれば神が救いの手を伸べてくれるのだと信じ始めるものもちらほらと出ているらしい。
冷静に考えれば馬鹿馬鹿しい話だと気づくのだが、今のグランバニアは冷静さを欠いている。噂の根元を考えるように頭が働かず、ただ恐ろしい目に遭いたくない、自分は救われたいという思いで、差し出される紛い物の救いの手にも我武者羅にしがみついてしまうものだ。そう言う人々の心を、リュカは責めるつもりはない。しかしこの流れを放っておくのは国そのものを危機に陥れてしまうと、自ら国民に寄り添う方法で人々に安心を与えなくてはならないと考えている。
「いかにもリュカ王らしい手段だの。まあ、この国はわしもおることだから、国王の執務はわしらで二分すれば良かろう」
「いつもすいません、オジロンさん」
「今は緊急時だから、それぞれができることを最大限にやると。我が国には新たにトレットと言う強力な戦力も味方になったしの」
光の教団との繋がりを持っていたトレットだが、その実力はジェイミーも認めるほどで、即座に兵士長クラスともなれるほどのものだが、彼自身それを固辞した。今回のグランバニア襲撃の片棒を担いだようなものだからと、トレットはこの戦いの直後に国を去ろうとしていたが、それを止めたのはオジロンだ。少なからず罪悪感があるのなら、今後のグランバニアの立て直しに協力して欲しいと彼を口説き、国に留まらせたのだった。
ただトレットに対する反感を持つ者も国内には当然ある。やはり彼自身が思うように、今回の襲撃の切欠を作った男がこのままのうのうと国に残るなど許されないと、彼を断罪しろと言う声も一部上がっていた。トレット自身の反省は深く、民のその声の通り断罪されて当然と言わんばかりにその首を差し出しそうな勢いすらあった。
「トレットの実力は折り紙付きと言っても過言ではありませんが、彼には初め、一般兵からその任に就いてもらう予定です」
「彼には先ず、人々との触れ合いが必要だ。根は非常に素直な若者だ。じきに人々とも分かり合えるようになるだろう」
ジェイミーはトレットを一般兵として採用し、既に見回りの警備兵として任に就かせている。一般兵の中では剣や槍を得物とはせず、その拳を武器として戦うために特別な任務に就かせることも可能だと、彼の武闘家としての身軽さに期待する部分も大いにあった。国を守る兵となれば、その実力がものを言わせることとなる。彼が周囲にその実力でグランバニアを守る姿を見せれば、自ずと彼自身の存在も徐々に受け入れてもらえるだろうとオジロンもジェイミーもさほど心配はしていない。
会議が散会しそうな雰囲気になったところで、席に着いていたマーリンが皆を呼び止める。そしてリュカを真っすぐに見つめながら、窺うように問いかける。
「リュカ王よ、お主、大事なことを忘れておるぞ」
「大事なこと?」
「南の森が一部、焼き払われておる。あの近くにチゾットからの水源があってのう、危うく水源ごとダメにしそうだったんじゃ」
魔物の襲撃による被害は当然爆弾岩の攻撃による城の損害に留まらず、グランバニアの周囲を囲む森の中にも現れている。その中でも最も酷い被害を受けたのが、南の森に一部焦土化してしまったかのような、広範囲に渡る焼け跡だ。それが魔物の攻撃によるものであれば、マーリンはこのような回りくどい言い方でリュカに伝えなどしない。
「あれほどの炎を吐き散らすような魔物など、グランバニアにとっては脅威以外の何物でもない。その実態を掴んでおいた方が良いと思うぞい」
マーリンが言葉を濁す理由は、グランバニアに戦っていた兵士らの多くは、森を焼き払ったのが敵の魔物と思っているからだ。少なくとも北面の森で魔物との戦いに赴いていた兵士らやオジロン、ジェイミーも、南の森で起こった出来事を詳しくは知らない。後に南で戦っていた兵士からの伝達によれば、突如森の中に巨大な黒竜が現れ、全てを焼き払わんとしていたという話に留まっている。森で戦っていた兵士らにとっては、突如森に現れた黒竜は到底神の救いの手などではなかった。むしろ世界を滅ぼさんとする悪の使いのようにもその目に映っていたかも知れない。
サンチョとピエール、サーラが揃って黙りこくっている。アンクルもその雰囲気を感じて、無駄口を叩かないのが懸命だと口を噤んでちらちらと席に座る者たちを見ている。彼らはあの黒竜の正体がリュカだということを知っている。そしてマーリンもまた、見張り台からその様子を見ていた一人だ。
「そうだね、ちょっと……確認するようにするよ」
リュカ自身、ドラゴンの杖の秘めた力など全く知らないものだった。パピン兵士長が倒れ、続けざまにサンチョが敵の前に倒れそうになっている姿に、敵の悪魔神官に対する憎しみが満ちたのは自分でも感じていた。しかし何を持って杖の力が解放され、それ故にリュカが巨大な黒竜となり果てたのかなど、何も分からないままだ。
ドラゴンの杖についての記述がある古文書などは、たとえグランバニアに所蔵されていたとしても探すのに無駄に時間を費やすことになるだろう。この杖は神の力が宿る杖であり、神のことならば神に聞けばよいのだと、リュカは気が進まないながらもこの後向かう場所を心の中でひっそりと決めていた。



「あっ、お父さん! 大人の話は終わり?」
大会議室を出たところで、その扉の脇には会議の終わりを待ち続けていた双子の姿があった。会議室を出た者たちが皆ぞろぞろと各々の務めの場所へと戻る中、リュカはその場に立ち止まり子供たちと向き合う。
「結構長かったね。待ちくたびれちゃったよ~」
「うん、まあね。色々とあったからね」
テルパドールでもラインハットでも子供たちを巻き込んでの事件となったが、国のことを話し合う会議に子供たちを連れてくるわけにも行かないと、彼らにはこの時間部屋で休んでいてもらう予定だった。しかし彼らは会議が始まってから間もなくこの場を訪れ、会議の終了まで扉の脇で静かに待ち続けていたのだった。
ティミーばかりが話す中、リュカの手を静かに握るポピーがいる。小さく温かな手だが、彼女の表情に笑顔は見られない。俯き、リュカとは目を合わせないままながらも、父の傍にぴたりと寄り添い離れまいという意思を見せている。
「お父さん、いつテルパドールやラインハットへ行くの? 様子を見に行くんでしょ? ボクも一緒に行くからその時は教えてよね」
「いや、それぞれの国には僕一人で行くから、二人は連れて行かないよ」
きっぱりとしたリュカの言い方に、ティミーのみならず沈黙のままのポピーもリュカを見上げる。リュカは二人の意外そうな顔を見ると、ふっと息を吐いてその場に屈みこみ、二人と目線を合わせて言い含めるように話す。
「今回、君たち二人が勝手に外に出たこと、僕は許してないよ」
襲撃の合った当日は皆が皆疲労困憊で、互いに話し合うどころの状態ではなかった。気を失っていたリュカとポピーは気づけば国王私室で寝ていた状態だった。意識の合ったティミーもまた、父と妹が部屋に運ばれ眠る状況を見れば、自ずと自身にも蓄積された疲労が蘇り、父の隣でぐっすりと眠り込んでいた。そして昨日はまだ気持ちの追いつかないまま兵士長の葬儀参列することとなり、湧き上がる悲しみの中に一日を過ごした。怒涛の如く過ぎた二日間だが、双子にとってはひと月にもふた月にも感じるほどの長さに思えた。
「ティミーもポピーも、しばらくは外出禁止。一歩も城を出ちゃ駄目だ」
リュカの口調にいつもの穏やかさはない。これは決定事項だから従うべしという事務的意味だけがそこに詰まっている。ただそれを言うリュカの表情には明らかに疲れが残っている。
「あの時すぐに止めに行かなかった僕もいけないんだけどね。でもそれにしても、もう君たちはこの城を出ちゃ駄目だよ」
ポピーがルーラの光の中に飛んでいくのを見た。ティミーが意気揚々とテルパドールに行くのを分かっていた。それでもリュカは魔物の仲間たちの強さと冷静さを信じて、二人が危険に晒されないことを過信していた。そして二人は魔物の仲間たちと共に無事に戻って来たが、全くの無事とは言い切れない状態だったのだと後で彼らの状態を知った。ティミーはいくらか元気を残していたとは言え、魔力は殆ど尽き、体力も回復しているとは言い難い状態らしかった。ポピーに至っては意識を保っていられないほどの酷い状態で、それも先ほどの会議室でのピエールとサーラの話に彼女は心身ともに傷を受けたのだと分かった。
「城を出ちゃダメって……でもボクは勇者なんだから、そんなこと……」
「勇者が何だって言うんだ! 君は僕の子供で、この国の王子で、この国にいなきゃいけない存在なんだぞ! それを勝手に城を飛び出して、勝手に……もう、そんなことは許さないからな」
リュカ自身、自分で滅茶苦茶なことを言っているのは分かっているのだ。しかしこのグランバニアの国王として、子供の父親として正しいことを言っている自信はある。それがただ、勇者の肩書一つに負けてしまうことがリュカにはもどかしい。世界を救うとされる勇者という肩書の前には、全ての理由が小さくなってしまう。それが今のリュカにはどうしても許せなかった。
「僕たちはみんな、グランバニアにあるべきだ。今はこの国が元気をなくしてる。国の人達を元気づけるのは、僕たちの大事な役目だろ? それを王も王子も王女も国を離れてあっちこっち行ってたら、この国の人達はまた不安になるよ。それは避けないといけないんだ」
あくまでもこのグランバニアという国の民に寄り添うことが第一なのだとリュカは二人に言い聞かせる。今まで散々国を離れて旅をしていた自分がこんなことを言うのも滑稽に思えるが、二人をこの場に留めるためにはどうにか真っ当に思える理由が欲しかった。
リュカは自分が強く言えば、二人は素直に言うことを聞いてくれるだろうと高を括っていた。素直な良い子たちだと、リュカはグランバニアの人々の愛情を受けて育ってきた双子を信じていた。しかしそんなリュカの信頼を裏切るように、ティミーが反抗的な目を向けて来る。
「もちろん、国の人達も大事だよ! そんなの当たり前過ぎるよ! でもさ、今はこの国の人達だけじゃないんじゃないの? 世界が危ないんでしょ? だったらもっと世界に目を向けるべきだよ!」
「そんなことは分かってる。だけどそれをやるのは僕たち大人の仕事だ。子供は黙っていなさい」
「何だよ、それ! 子供は黙ってろなんて、そんなのないよ! 子供だって思ったことは言うよ! ボクにできることなら何でもしたいよ! ボクはお父さんたちを助けたいんだから!」
「お前が今するべきことは、この国に留まって国の人々に寄り添うことだ。みんなを元気にするために、国の人達と一緒に過ごしていてくれればそれでいい」
「ふざけないでよ、お父さん! だって、ボクは世界を救うための勇者として……」
「勇者勇者と、それを言っていれば何でもまかり通ると思っているのか!」
このグランバニアの城の中でリュカの怒号が響くことなど、無いに等しいことだ。それが大会議室の前で行われる親子喧嘩の中に響いたことで、近くを通っていた者や既に遠くを歩いていたオジロンやサンチョも振り返り様子を窺う。リュカに怒鳴られたティミーもまた、皆の目に晒された状況に羞恥が込み上げ、悔し気な顔で両目に涙を溜める。ポピーは相変わらず一言も発しないままだが、掴んでいた父の手に力をこめ、今や父の腕にしがみつくような状態だ。兄は悪いことなどしていない、兄を叱らないで欲しい、怒鳴るお父さんが怖いと、ポピーの震える手がリュカに訴えている。
誰もが触れられない国王と王子王女の沈黙に、唯一手を差し伸べられるのはいつでも頼れる年長者の身内だ。去りかけていた二人が廊下を戻り、張りつめた空気を醸す親子の傍に寄り添う。
「リュカ王よ、お主も大分疲れておるようだ。今日のところはわしに任せて、一日休んでおっても構わんぞ」
「何を言ってるんですか。オジロンさんだって僕以上に疲れてるはずです。それに今、僕が休んだらみんなに示しがつかないでしょう」
「ですが坊っちゃ……じゃなくてリュカ王、貴方がそれほど感情を露にするなど、余裕のないことの現れです。中途半端に務めを果たすよりは、一度じっくりと休まれた方がよろしいと思いますよ」
オジロンもサンチョも、決して優しさだけでリュカに休むことを勧めているわけではない。それこそ国の長として立つ人間には、常に少しばかりでも心にゆとりを持つことが必要だと彼らは知っているのだ。国王たる者が一切の余裕を失くし、感情のままに行動すれば、それは即ち国民にもそのまま影響する。この国は後がないのかもしれない、追い込まれているのかもしれないという思いが民の中に起これば、それはその内一つの潮流となって国の中を流れ始める。一度生まれた潮流を止めるのは難しい。
「国の人々は誰も国王と王子の喧嘩なんて望んでいませんよ。仲良くしてくださいね」
「もし城の中で休むのが落ち着かないようだったら、お主は移動呪文が使えるのだから、少しの間ここを離れていても問題ないだろう。……あまり長いこと戻らんと、わしが不安になるからそこそこにしておいてくれると助かるがの」
リュカ自身、自分の疲れのことなどその身に感じていないと思っているが、今こうしてティミーに突っかかるように言葉を吐いてしまうことが普通ではないのだと二人の年長者の言葉に知らされる。彼ら二人の助言に逆らう最もな理由も見つからず、リュカは素直に彼らの言葉に従うことにした。
「……少しだけ、時間をもらってもいいですか。一時間あれば、大丈夫だと思います」
「本当ならばもっと時間を割いてやりたいところだが、まあその辺りが妥当かも知れんな」
「二人をちょっと連れだしてもいいですか」
リュカがそう言うと、ティミーが怯えたように視線を彷徨わせ、ポピーは以前リュカの腕を掴んだまま身体を強張らせる。
「くれぐれも危険なところには連れて行くんじゃないぞ」
「分かってます。少し……気分転換に」
「親子三人で、しっかりお話してきてください」
オジロンとサンチョが場を去ると、親子の間には束の間沈黙が訪れた。いつもならティミーが率先して明るく話しかけてくるような状況だが、今は最も気持ちを塞いでいるような雰囲気だ。
リュカは感情のままに怒鳴ってしまったことを詫びるように、ポピーの手を取る反対側の手で、ティミーの肩に手を置く。今年の五月に十歳になる息子の成長は著しい。まだまだ子供と思っていた小さな身体は、大人を目指してみるみる大きくなっている。小さな双子の兄妹で、二人はずっと同じように育って行くのだと思っていたが、気づけば女の子のポピーに比べ、男の子であるティミーの体つきは明らかに逞しく育っている。身体の成長と共に、ティミーの心もまた急激に成長しているのだろう。ただでさえ勇者の正義に溢れている彼が、心身ともに逞しく成長していくのは、親であるリュカにも止めようがない。
「二人とも、どこか行きたいところはある?」
心も体も休めなくてはならないのは、むしろリュカよりも二人の子供たちだ。小一時間ほどしか時間は割けないが、二人が望むところならどこへでも連れて行ってやろうとリュカは二人の前にしゃがみこみながらいつものように微笑みかけた。半ば無理に視線を合わされたティミーも、どこか怖れるように父の目を見つめるポピーも、揃って同じ言葉を口にする。
「「お父さんと一緒なら、どこでもいい」」
二人の呟くような小さな声に、リュカは目の奥を熱くしながらも「そっか」と二人の足元に視線を落とした。子供のこうした一言に、リュカは自分は今この子たちのために生きているのだと感じることができる。
「……お父さんこそ、行きたい場所があるんでしょ?」
「ん? どういうこと?」
「だってさっき、オジロンさんに一時間あれば大丈夫って言ってたじゃない。それって、もう行く場所が決まってたってことじゃなかったの?」
ポピーの鋭い言葉に、リュカは困ったように頬を掻いた。子供たちを気遣ったつもりが、返って気遣われている状況に自身が情けなくなる。子供はすくすくと成長しているというのに、親の自分はいつまで子供でいるのだろうと溜息が出そうだった。
「あっ、もしかしてオラクルベリー? でもカジノで遊ぶんだったら、一時間じゃ足りないよね」
ポピーがリュカに話しかけたのをきっかけに、ティミーも少しずつ本来の調子を取り戻していく。所詮は血の繋がった親子だ。たとえ一時背を背けていても、その直後にはもう向かい合って言葉を交わしている。
「ちょっと話を聞きに行きたいだけなんだ。付き合ってもらってもいいかな」
「オジロンさんが危ない所はダメだって……」
「うーん、多分この世で一番安全で落ち着くところだと思うよ。その点では平気、心配ないよ」
「話を聞きに行くって、誰に聞きに行くの? ボクも一緒に行ってもいいんだよね?」
グランバニアからの外出禁止を言い渡されたばかりのティミーは、父が早速心変わりして外出を許してくれたのだという嬉しさをその顔に滲ませている。リュカはもう調子に乗り始めているティミーに苦笑しつつも、「ここだけはいいよ」と堂々と二人に言い渡す。
「場所が定まってないし、僕にしか行けない場所だからね」
今はどこの空に浮かんでいるのか分からない巨大な城を思い浮かべながら、リュカは移動呪文に必要な道具を取りに、二人を連れて急ぎ国王私室へと足を向けた。

Comment

  1. ジャイン より:

    bibi様
    今回は少しばかりシリアスな話になりましたね…
    まずパピンの死はやはりグランバニアにとって痛手になったと感じます。新たに国一番の兵士となったジェイミーにはぜひとも頑張って欲しい…!
    そしてこれから兵士になるであろうピピンにも、パピンの背中を追って立派な兵士になることを願います。(ちなみに私はドラクエ5はプレイ済みですが、青年時代後半にパピンが居なくなることはここで初めて知りました)
    あとはリュカとティミーの衝突も見てて悲しくなりますよね…でも個人的にはやっぱりリュカの気持ちのほうが分かるかな…笑 もちろんティミーの気持ちも分かりますが。親心というのでしょうか、親はいつでも子供の命最優先っていうリュカの考えがなんかいいなと思いまして…語彙力なくてすみません。とにかく口喧嘩などせずに仲良くしているのがこちらも見てて安心します。
    さて次回は天空城に行くんでしょうか。ビアンカ救出もそろそろ近づいてきましたね。それと王者のマントを取りに行くのかも気になるところです。いろいろ期待してすみませんが今後も応援させていただきます。

    • bibi より:

      ジャイン 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      ゲームにはない展開で進めていますが(そもそもパピンが兵士長だったことも私の妄想の産物です)、受け入れて頂けているようで何よりです。ジェイミーがトップで頑張ると共に、後輩の育成にも力を注いでほしい所です。
      そうなんです、青年期後半にはパピンはいなくなっているんですよ。ゲームを淡々と進めていると気づかない細かい部分まで、堀井さんは物語を書いているんだなぁと改めて気づかされます。そう言う細かなところに気付くと、なんかこう、心臓掴まれるみたいな感じになるんですよね。ぐっときます。
      リュカとティミー、仲良し親子ですが、親心子知らずでどうしても衝突してしまう部分もあります。特に、特別な宿命を背負った我が子にリュカは全く平気でいられないですからね。でも子供の行動に口うるさい親って、どこにでもいると思います。と言うか、ほとんどそう?みたいな。ただただ心配なんですよ。そう言う普遍的なお題もこのドラクエ5の良いところと思っています。
      次は、そうですね、ちょっとお空のお城に寄ってくると思います。その他にも、他国の状況確認など、かな。

  2. ケアル より:

    bibi様。

    いつも
    執筆してくださいましてありがとうございます。

    ポピー、リュカに怒られると分かっていたから、ずっとリュカの側を離れなかったんでしょうか?
    それとも、ラインハットでおきた惨劇で恐怖が増してトラウマになり、怖くて何もできない状態だったんでしょうか?

    ピピン、父パピンの丸焼きを見ていなかった…あるいみ良かったのかもしれませんね。
    あの丸焼きの情景を見てしまったら今以上にトラウマになっていたかもしれませんよね。

    リュカは子リュカの時、パパスの死を気絶してたから直接目撃していない、プサンによってゴールドオーブの足取りを探った時に、パパスの丸焼きを見てしまったわけであり、リュカはパパスの時のことを思い出してしまい、改めて心に傷をおってしまった漢字でしょうか?
    今後リュカが、天空城以外でティミー・ポピーを旅に連れ出すことがあるのか?
    親心として強制的に止めるのか?
    すんごおくきになります!

    bibi様、次話は天空城に行きプサン…いや、マスタードラゴンにドラゴンの杖のことを尋問するかと思うんですが、自分的には…
    ラインハットのその後、テルパドールのその後が気になります!
    先太后の死によるヘンリーやデールの心情、アイシスの動きや気持ち……。
    bibi様、寄り道大歓迎!
    遠回りいっぱいしてください!
    本編もきになりますが、やはりここは、ラインハット並びにテルパドールのその後が、すんごおくきになるんです。
    どうかbibiワールドで再現してくださいませんでしょうか?
    無理にとは言いません…要望ではなくお願いです、どうかご検討くださいます様お願いします。

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      ポピーはまた失う怖さに父の傍を離れたがらない状態になってしまっている感じでしょうか。大事な人を二人失う場面に遭遇しているので、かなり傷ついている状態だと思います。

      ピピンは周りの状況から父がいなくなったんだなと感じていて、まだ呆然としている状況ですかね。リュカはあの時、パパスが倒されるところを目にしています。それ故に、同じように倒されたパピンを見て、その上サンチョまで・・・と言う状況に怒り心頭となってしまった、というところでしょうか。
      今後、またリュカとティミー・ポピーの親子の関係が気になりますね。その辺りもちょこちょこ書いて行ければと思います。

      そうですね、今回のオリジナル展開はあまりにもやり過ぎた感があるので、少し寄り道をして話を収めて行ければと思います。なのでもう少し私の完全妄想話にお付き合いいただけるとありがたいですm(_ _)m でもあんまり長引かないように気を付けたいと思います(汗)

  3. ラナリオン より:

    bibi様。今回はなんといいますか、情緒があっていいお話でした。今回は親子間それぞれの想いや心情が色濃く描かれたお話になりましたね。ピピンはまだ、父を喪った現実を受け入れられない部分はありつつも、前に進むしかないという気概が表れています。母としては息子の成長を誇らしく思いつつも、いずれ息子も父の後を追うように逝ってしまうのではないかという悲壮感や寂しさが混同しているような心情でしょうか。国を守る兵士となる以上、生死に関わる危険は付きものですが、死に急ぐような真似だけはしてほしくないです。トレットとピピンは見ていると気持ちだけが先走ってしまう部分がありますよね。お互いに切磋琢磨していずれは立派な兵士長になってもらいたいです。今後のbibi様のお話の中での活躍を期待しています。リュカがこれほど感情を露にして子供達を叱ったのは今回が初めてですかね?勇者の宿命という肩書きに対して、国の抱える問題であったり、親の想いや理屈なんてものは小さく見えてしまうことがもどかしいですよね。リュカは間違ったことは全然言っていないと思いますよ。今回は子供達よりもリュカ寄りの立場になって見てしまうかなぁ。主人公が1国の王様で子供達が勇者の子孫だなんて超カッコいいじゃん!なんて思いながら当時、小学生だった私はプレイしていましたが、当たり前ですけど、大人になると全然、見方が変わってきますよね。こんな過酷で数奇な運命の巡り合わせに導かれた家族は他にいないです。bibi様、竜変身に関してマーリンが随分とまわりくどい遠回し的な言い方をしていましたが、これってリュカ自身、竜に変身したことに気づいていない設定ですか?無意識に行っていたと?間違っていたらすみません。さて、次回は竜の神様と喧嘩ですかね。アイツ、いい加減に起きろよなぁ。(笑)衝突後の親子関係も気になるところです。双子ちゃんはしばらくはグランバニアでお留守番ですかね?ポピーの精神状態も気がかりです。ちょっと連れていけないんじゃ…。bibi様、私もファミコン世代なんでリセットの憂き目…。気持ちはよ~くわかります。(泣)

    • bibi より:

      ラナリオン 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      今回のお話は親子のお話となりました。ドラクエ5の醍醐味とも言える部分でしょうか。トレットもピピンも先走ってしまうのは、性格もあるでしょうが、まだ若いからかも知れませんね。色々と経験を重ねて行けば、落ち着きも出て来るかな。
      リュカはいつでも自分の息子が勇者だということにジレンマを抱えています。これからもずっと抗いそうですね、彼は。大人になると見方が変わることってありますよね。私としてはその代表がジブリのトトロです。あれはホントに、大人になってから見ると涙してしまいます。。。子供たちが楽しそうにさんぽを歌っていたって、こちらでは勝手にうるっと来ているのだからかなりやられてます。
      ドラゴンの杖の効果に、リュカも気づいてはいるけどよく分かっていない感じですかね。無意識に竜に変身したというのは、そうですね、ほとんどそんな感じです。何せ彼は杖の効果を知らされていないですから。
      次回は神様と喧嘩してきます(笑) 双子の心理状況も心配・・・そうですね。
      リセットの憂き目、分かっていただけて何よりです(笑) 容赦ないリセットの攻撃にも、あきらめないココロを持ち続けたという・・・あれのおかげで人間としての忍耐力を鍛えられたと言っても過言ではありません。

  4. ラナリオン より:

    マスタードラゴンとは久しぶりの謁見になりますね。今のリュカの抱えているもどかしさをぶつけられる相手は竜の神様くらいしかいないかも。ヒートアップしすぎて互いに炎を巻き散らかす展開にならないことを祈っております。(汗)リュカはあの時、自分の身に起きたことをあまりよくわかっていないのですね。なんにせよ杖の力を使いこなせないことには持っていても恐怖しかないですよね。(汗)最初は竜変身までは出来なくても、せめてベギラマくらいの威力の閃熱エネルギーが放出できるようにはなってほしいかなと思っております。今後の親子間のやりとりや絡みといったところがかなり気になるのですが、城を勝手に飛び出したことに対しては悪いことは悪いので子供達もちゃんと反省しないといけません。う~ん。やっぱりどうしても親目線の立場で見てしまう。(笑)ジブリ素敵ですよね。どれも名作でお話も感動的です。私はジブリで描かれる風景が特に好きでして。森とか川とか街並みや景色に癒されます。BGMもピッタリ合ってますし、唯一無二の世界観ですね。最近、目頭が熱くなったのは映画のドラえもんでして。のび太たち5人のひたむきさがなんともいえません。年甲斐もなく涙してしまいました。この創作小説のタイトルでもある「あきらめないココロ」はリセットの憂き目からきているとは…。(笑)あの時代はいつ冒険の書が消えるかもしれないという恐怖心と戦いながらプレイしていましたからそれがないだけ今のゲーム機は安心ですね。(笑)

    • bibi より:

      ラナリオン 様

      温和な性格から周りに当たり散らせないリュカですが、ようやく当たれる対象となってくれたのがマスタードラゴンというところでしょうか。自分が何を言おうとも微塵も傷つきもしないだろうという安心感もあるのかも。
      ドラゴンの杖はこれから調整が必要ですね。さて、どうして行こうか・・・これから考えます(汗)
      リュカは子供たちの外出をこれから一切認めないでしょう。一緒にどこかへ連れて行くこともないかな。唯一、天空城だけはOKみたいな感じですかね。そうなると、今後のお話は・・・どうなるかしら。
      ジブリは話も絵も音楽も、全てが揃っていますよね、うんうん。ドラえもんも、今どきのドラえもんはあれですかね、感動してもらいたい~というのが多く詰まっている感じなのでしょうか。アニメの作りにどこか劇的な雰囲気を感じます。
      あきらめないココロ・・・まあ、リセットの憂き目という一面もアリということで(笑) 当初、このサブタイトルを付けたのは、ドラクエ5が三世代に渡ってのお話で、その中でこのあきらめないココロというのが一貫して存在しているなぁと思ったので、つけてみました。パパスも最期まで諦めず、リュカも当然諦めず、その心は子供たちにも受け継がれていくと。人間はそれほど長く生きる生物じゃないけど、思いだけは継いで行けるんだよということを言いたかった、のかな。自分だけでどうにかしようとせずに、自分で終わらないことだったら次に次にと継いで行けるのは人間の強味。そんなことを含めながらお話を書いていたりします。

  5. ピピン より:

    この衝突は仕方ない…永遠に答えの出ない問題だと思います
    二人が動いていなかったら二国は滅びていたかもしれない…
    でも父親としては許容するわけにはいかない…
    ティミーも大人になったらわかるでしょうけどね

    • bibi より:

      ピピン 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      父子の衝突はきっとほとんどの父子が経験することの一つかなと。ここでさくっとティミーの行動を許しちゃうようなリュカであってほしくはないという私の願望もあったりします。現実的には二人がそれぞれの国へ行ったのは正解だったけど、感情としてはそれだけじゃ収まらんよね、と、そんなところでしょうか。
      ティミーが大人になった時、どんな大人になるんでしょうね。私としてはパパスに近いものを持っていて欲しいところです。

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