奪われていたものたち

 

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大神殿の敷地内を歩くリュカと二人の子供たちはただ歩いている分には誰に見咎められることもなく、そのお陰で敷地内の様子を実際に目で確かめることができた。
敷地内を移動する人間はリュカたちの他にもおり、彼らが身に着ける衣服には光の教団の目指す幸せの国を表しているのか、必ずどこかに白く輝く星を象る印がつけられている。しかしその光り輝く星を囲うように、黒く禍々しい悪魔の影もまた同じように象られている。それだけで、リュカにはこの光の教団が紛い物と一目瞭然なのだが、信者となった人々にはその印はリュカとは異なる見え方をしているのだろう。教団もまた、その印の由来に関し、人々を騙すような都合の良い理由を話しているに違いない。
「お父さん、私たち、こんな普通の格好をしてるけど大丈夫かな」
「大丈夫だよ。見てごらん、あっちにたった今どこかの町かどこかから戻りましたみたいな人もいるでしょ。きっと、トレットさんとかもそんな感じだったんじゃないかな」
この大神殿を離れ、地上で光の教団の布教活動を行う人々とリュカはこれまでにも幾人か会っている。しかしその誰もが、この教団の印を堂々と人の目につくような場所に表したりはしていなかった。教団側は地上の三国、グランバニアにラインハット、テルパドールが各々光の教団を受け入れないと表していることを知っている。それ故に彼らは外面からは教団の者と分からぬようにして、人知れずじわりじわりと地上の人々をこのセントベレスへと導いているのだろう。
「フツーに歩いてれば平気だよ。こそこそする方がかえって怪しまれるってヤツでしょ?」
「そうだね。でもティミーは出来る限り、マントを前で合わせておいてね。天空の武器や防具が見られれば、さすがに目を付けられるだろうから」
普段ベルトを斜め掛けして身に着けている天空の剣は今、ティミーが前に両腕で抱えてマントの内側に隠し持っている。天空の兜も剣の柄にかけて同じように抱え込み、天空の盾はいつも通り肩に背負ったまま、その上からマントを被せて隠していた。寒さ厳しいセントベレスの山頂であるため、分厚い防寒着を着こんでいるのだと思われればそれで済ませられるだろうと、リュカは敢えてティミーを隠すこともなく、堂々と横に並んで歩いていた。
リュカたちが今目指している建物は、神殿の敷地内の一角にある、神殿とは比べ物にならないほど小さな建物だ。大神殿は多くの柱が立ち並ぶ中に、少しばかり中の様子を窺うこともできたが、近づく小さな四角い建物は完全に周りを壁に囲まれており、窓一つないようだった。その閉鎖的な造りから、リュカは自ずとその小さな建物の中に囚われている人がいるのではないかと勘繰っていた。何かを閉じ込めるには都合の良い造りだ。入口は一つしかなく、何かを閉じ込めておく側としてはその扉さえ見張っていればいいのだ。
建物を壁沿いに回り込み、入口の扉辺りを何気なく見遣れば、特別見張りの者の姿はないようだった。リュカがマントの内側に抱えるスラりんが小さな声で「ピー」と警戒の声を漏らした。この建物の中には確実に何者かがいるのだとその声に知り、リュカは子供たちを後ろに下がらせておきつつ、扉を内側に押しやってゆっくりと開けてみた。
殺風景な小部屋だ。やはり窓などの外と繋がる部分はこの扉以外にはなく、扉を開けた拍子に内側に籠る息苦しいような暖気にリュカは思わず咳が出そうになった。
小部屋の奥には鉄格子に区切られた空間が見え、リュカは思わずそこに囚われているかも知れない人々の姿を見ようと鋭い目を向けた。しかし牢にも見えるその鉄格子の前には一人の兵士が立っているだけで、牢の中に入れられている人間は誰一人いないようだった。
「なんだ、お前たち」
何処からどう見ても人間の兵士である男が、扉を開けて小部屋に入り込んできたリュカに威圧的に声をかける。この地でこの態度で話しかける人間をリュカは過去、何人も見て来た。しかしあの頃のように何も持たない自分ではない。怯む理由もないと、リュカは穏やかに兵士に応える。
「僕たち、まだここに来たばかりであまりよくここが分かっていなくて。気になる建物があったので、ちょっと見てみようかなと来てみたんです」
「僕たち? 他にもいるのか」
「はい。この子たち、僕の……弟と妹で。まだここに来たばかりで不安みたいなので、安心してもらうためにも色々と見てみようかなと思ったんです」
石の呪いを受け八年時を止めていたリュカは、傍目からはよく子供たちを弟妹と勘違いされることが多い。下手な疑心を抱かせないためにも、リュカは自身を客観視して兵士と言葉を交わす。
そしてティミーとポピーを扉の内側に招き入れると、二人は本気か芝居か分からないが、恐怖や不安を抱くような顔つきで小部屋の中へと入って来た。そのような三人の新たな信者の態度を見て、兵士は特別違和感を感じなかったようで、即座にリュカたちを捕まえるような事態にはならなかった。
「この建物は一体何のために建てられたんですか?」
リュカがいかにも不思議そうに閉ざされた空間である小部屋の中をぐるりと見廻す。中には魔力による明かりが灯され、視界には困らない。揺れる明かりに照らされ見える牢の中はがらんとしており、しかし兵士の立つその背後には黒の布が掛けられた何かが置かれているのが見える。小さくもこれほど頑強な建物を建て、その上頑丈な鉄格子の中に入れられたそれが一体何なのかを目で確認することはできないが、この教団にとって重要なものなのだろうということは自ずと知れた。
それ故に、次に兵士の口から出た言葉に、リュカもティミーもポピーも、しばし言葉を失った。
「ここにあるのは伝説の勇者が身に着けていたという鎧だ! 言わばここは教団の宝物庫というところだ。お前たちのような下等な身分の者には用のないところだ」
冷たく蔑むような視線を向けて来る兵士に、リュカは思わず、過去の癖が蘇ったかのように反抗的な目を向けてしまう。しかし兵士はリュカのそのような鋭い視線には気づくこともなく、ただ馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべているだけだ。
「勇者が身に着けてた……天空のヨロイ、だよね?」
ティミーがそう呟くと、彼の意を汲んだようにティミーがマントの中に隠し持っている天空の剣も兜も盾も、途端に眩い光を放ち始めた。小部屋の中に灯る明かりなど初めからなかったかのような眩さに、誰もが思わず目を細める。そしてそれに呼応するよう、鉄格子の中の黒い布の中にあるものもまた光を放ち始める。掛けられた黒い布の存在が邪魔だとでも言うように、布を突き破りそうな勢いで光が放たれれば、光が伴う熱により、邪悪な黒を表す布は一息に燃え尽きてしまった。
自ら姿を現した天空の鎧の神々しさは、既に手に入れている他の武器防具に勝るとも劣らぬものだった。緑と白銀を基調とした色合いで、この世の神であるマスタードラゴンを模した造形だ。
一体何が起こったのか分からない兵士は、ただいつもとは異なる状況に見るからに慌て出した。鉄格子の中に自ずと姿を現してしまった伝説の鎧の眩さには、耐えられないとばかりに呻き声を上げ、しかしこの教団の戦利品とも言われている伝説の鎧を守らなくてはならないという義務感にも囚われ、兎に角目の前の邪魔者を追い払おうとする。
「さあ、あっちへ行け! 行かぬとイタイ目に遭わすぞ!」
「お父……じゃなくて、お兄ちゃん! ここにあったんだよ! こんなところに……見つからないわけだよ」
「お兄ちゃん、あれはお兄ちゃんのものよ。こんなところにあっちゃいけないものだわ」
「そうだね。あれは……ティミーのものだ。僕たちが手に入れなきゃいけないものだよ」
「何を戯言を言っているのだ。手に入れる? これは教団が保有する宝物だ」
「何が宝物だよ。お前たちはこれを勇者に渡さないためにここに置いているだけだろう」
世界を旅してきたリュカだが、その中でとうとう天空の鎧を見つけることはできなかった。世界を隈なく探したとは言えないが、それでも天空の鎧に関しては誰からの噂にも上らず、もしかしたら伝説の防具は一つ、この世から消滅してしまっていたのではないかと思っていた節もある。母マーサが囚われているはずの魔界という異世界へ足を踏み入れるためには、天空の武器防具を全て身に着けた勇者の存在が必要なのだと父の手紙に知り、以来リュカは様々回り道をしながらも天空の鎧の事も常々気にかけていた。こうしてすでに敵の手に渡っていたとなれば、地上をいくら探しても見つからないのは当然だった。
「その鎧は勇者のためにあるものだ。こんな、忌まわしい場所にあるべきじゃない」
「魂を抜かれているわりには逆らう奴だな! 言っても聞かぬならこれだ!」
人間の兵士の姿をしていた者が、手にしていた長槍をリュカに向けて来た。しかし人間の姿をしていたのはそこまでだった。手にしていた長槍はそのまま魔物の腕と化し、腕はそのまま大蛇と化した。両腕を大蛇に変えた蛇手男の身体は魔物でありながらも、どこか人間であった頃の形を残している。元は人間であったこの男は自身を呪術により魔物へと変化させたが、その呪術は完成されたものではなく、得た力も彼自身が望んだような強大なものとはならなかったようだ。しかし魂を抜かれた者たちばかりがいるこの場所では、十分に教団の戦利品を守る役目を負える者としてこの場に置かれていたのだろう。
大蛇の腕がリュカたちへ伸び、大口を開けて噛みつこうとする。リュカは子供たちをすぐに下がらせ、マントの内側に忍ばせておいた父の剣を鞘ごと素早く振り、敵の攻撃を弾いた。リュカのマントからスラりんが顔を覗かせると、すぐさまリュカの肩に飛び乗った。完全に兵士を人間と思っていた双子は、見る間に姿を魔物に変えた兵士に唖然とするばかりで、リュカとスラりんが戦い始めるのをただ見ていることしかできなかった。
この場所で下手に騒ぎを起こせば、他の何者かが駆けつけて来るに違いない。この小部屋で一つでも攻撃呪文を放てば、その音だけでリュカたちはもうこの場所にはいられなくなってしまう。今は敵を素早く静かに倒さなくてはならなかった。
右手に父の剣、左手にドラゴンの杖を構え、リュカは敵が繰り出してくる大蛇の腕を避けつつ反撃を食らわす。スラりんが補助呪文ルカナンを唱え敵の防御力を剥がせば、リュカの攻撃は敵に深く届く。スラりんが敵本体の顔に飛びつき、その視界を奪うべく顔面に張り付いたが、敵の視界は両腕の大蛇からも得ることができるようだ。スラりんが顔面に張り付いたままでも、大蛇の腕は的確にリュカを狙って伸びてきた。
しかし所詮、敵は一体だけだった。そもそもこの場所には警備など必要ないくらいに考えていたのだろう。お飾り程度に据えられた見張りの兵士役の蛇手男はリュカとスラりんの前にあっさりと倒れた。助けを呼ぼうと思えば呼べたはずの蛇手男だが、この魔物自身も騒ぎを起こすことを避けていたのかもしれない。無駄に騒ぎを起こせば、恐らくこの魔物自身が同族から罰を受けるに違いない。本来の目的は伝説の鎧の守護のはずだが、魔物は同族からの罰の方をより怖れていたのだろうと、リュカは倒れた蛇手男を見下ろしながらそう思っていた。
「あの兵士さん、魔物さんだったの?」
魔物の姿として床に倒れている蛇手男を見ながらようやくそう呟くポピーは、全く魔物の気配に気づかなかった自分自身が信じられないというように目を瞬いている。この神殿内に存在する魔物は人間に変身する能力を持っているか、それとも与えられるかしているのだろう。もしかしたら大神殿を守護する人間の兵士の姿をしている者たちの実体はそのほとんどが魔物と疑っても良いのかも知れない。
「じゃあこの神殿はやっぱり……」
「これが伝説の勇者が身に着けていたヨロイかあ! めちゃくちゃかっこいいねっ!」
ポピーが不安そうに表情を曇らせる一方で、ティミーは鉄格子の中に収められている天空の鎧をまじまじと見つめていた。両手で鉄格子を掴み、間から顔を覗かせて美しい伝説の鎧に目が釘付けになっているが、固く閉ざされた格子の扉を開かなくては鎧は手に入らない。
「この魔物が扉のカギを持ってるのかな」
「それには及ばないよ」
ティミーが倒れた蛇手男に嫌々近づこうとすると、リュカが息子の行動を止めるように声をかけた。そして身に着けている道具袋をごそごそと漁り、その手にひたりと何かがくっつくのを感じると、小さな悲鳴を喉に鳴らして道具袋から手を引っこ抜いた。リュカの手には持ち手に目のような飾りが施された一つの鍵が乗っている。鍵の先端は相変わらず生き物のようにクネクネと動き、リュカは持ち手の目の装飾にも鍵先の動く部分にも触れないように、つまむようにして最後の鍵をティミーに見せた。
「ここにはね、こういう鍵も必要だろうなって持って来てたんだ」
「さっすがお父……お兄ちゃ……あ、今はお父さんでいいのか。それ、ボクにかしてかして!」
リュカが慎重に持っていた最後の鍵をティミーは構わずむんずと握って持つと、最後の鍵はこれはたまらんというように目の装飾を瞑るように閉じ、先端のクネクネと芋虫のように動く部分も一直線に縮み上がらせていた。リュカはそんな反応を示す最後の鍵を見ながら、多少ながらも同情した。ティミーはただの可笑しな動く鍵ほどのものと思っているだけだが、リュカにはどうしても最後の鍵に込められている何者かの魂を感じ、また苦手な芋虫毛虫と似た動きをする最後の鍵を無造作に掴むことができないのだった。
「お兄ちゃん、いきなり鍵穴に差し込んじゃダメよ。最後の鍵は自分で鍵を開けてくれる魔力のこもったものなんだから、お任せしちゃった方がいいんだと思うわ」
「あ、そうか。じゃあ、はい、よろしくおねがいします!」
そう言ってティミーが最後の鍵を両手に乗せたまま声をかけると、最後の鍵は先端部分をティミーの手の平につけて立ち上がり、お任せあれとばかりに自ら扉に飛び移った。鉄格子の扉の鍵穴を事細かに調べるように、赤い目の装飾部分で覗き込む。小部屋内に灯る火が揺れる景色に、リュカは建物の扉が開かれたままになっていたことに気付き、外部から隠れるためにと一度扉を閉めた。それと同時に、最後の鍵は己の仕事を終えたようで、鉄格子の扉はあっさりと開かれた。
「ありがとう! すごいね~、このカギ。どんな扉でも開けちゃうんだね!」
「悪者の手に渡らないように気を付けないといけないわよね、こういうのって」
「本当にね。天空の鎧もこんなところにあるしさ。こういうものってちゃんと代々に渡って管理して行かないといけないよね」
ティミーに返された最後の鍵を再び慎重に道具袋にしまい込み、リュカは先に鉄格子の中に入り込んだ双子に続いて自身も中へと入った。
天空の鎧を隠していた黒い布は、今や跡形もなくなっている。ティミーが近づいただけで、天空の鎧はその輝きを増し、それに呼応するかのようにティミーが持つ天空の剣も盾も兜も、共鳴するように光を増す。かつて、数百年前には、この伝説の武器防具を身に着けた勇者が仲間たちと共に世界を救ったのだ。再び出会い、揃った伝説の武器防具は、数百年ぶりの再会を喜び祝うように、まるで互いに言葉をかけているかのような雰囲気さえ醸し出している。
リュカはふと、手にしていたドラゴンの杖から竜神の声が流れて来たような気がした。天空の武器防具にはそれぞれ美しい竜の装飾が施されているが、それがマスタードラゴンを表していることは明白だ。もしかしたらマスタードラゴンもまた、今のこの状況に気付き共に喜びを分かち合っているのかもしれないと、リュカは手にするドラゴンの杖に心の中で呼びかける。しかしリュカの思いに応える竜神の言葉は、どこか憐憫を含んだものだった。その言葉がリュカの心に染みる。
「お父さん、ボク、着てみてもいいかな」
天空の鎧の持ち主は今のこの世にティミーしかいない。しかしそれでも父にそう問いかけるティミーは、父の言うことに従うというこの神殿での約束事を忠実に守ろうとしている。ただそれだけではない。ティミーとしては、父リュカから勇者であることの許可を改めて得たいという思いがあるのだ。
「着てごらん」
これまでにも何度も腹を括って来たつもりのリュカだが、その度に自分の息子を世界の平和のために捧げるつもりは毛頭ないという思いが強く胸に湧き上がった。客観的に考えれば、ティミーは紛れもない勇者だ。誰にも身に着けることのできない天空の剣を手にして、兜も盾もまだ子供の彼の身体に馴染んでいる。しかしまだ、鎧だけは見つかっていないのだという現実が、リュカの心を辛うじて避難させていた。
一人で身に着けることなどできないのではないかと思える複雑な造りをしている天空の鎧も、ティミーの手にかかればそれはまるで水を得た魚のように、言わば勝手にティミーの身体を包み込んでしまった。この世の物とは思えぬしなやかで頑丈な金属が、ティミーの身体に合わせてその大きさを縮めるのを見れば、かつての勇者は恐らく成人した人間だったのだろうと、リュカの胸には当然のように悔しい思いが込み上げる。しかし既に天空の剣を手にして戦い、天空の盾と兜に身を護られていたティミーの勇者としての存在を、今更否定することはできない。リュカにできることは、親としてティミーをその運命ごと護るということだけだ。
「やっぱりこのヨロイも軽いよ。普通の服を着てるのと変わらないもん」
「軽ければ私にだって着られそうなのになぁ。お兄ちゃんしかダメなんだもんなぁ。ズルイ……。ううん、何でもないです」
兄が勇者としての運命を背負う傍らで、双子として生まれたポピーもまた兄の運命を共に背負う気持ちでいるが、運命が選んだ勇者はあくまでもティミー一人だ。リュカと似て非なるような悔しさを、ポピーは常に胸に抱いている。その思いの根元にあるのは、勇ましさと言うよりは優しさだ。兄一人に運命を背負わせるようなことをさせたくないという思いは、恐らく勇者になるための素質としては弱いものなのかもしれない。
「お父さん、どうかな。ボク、似合ってる?」
ティミーの表情に滲み出ているのは、紛れもない嬉しさだ。それは彼自身の嬉しさでもあり、天空の武器防具が揃ったことに対する、武器防具自身の喜びが現れ出たものでもあった。今、ティミーは天空の鎧を新たに身に着け、兜を被り、盾を左腕に構え、天空の剣を鞘ごと右わきに抱え込んでいる。完全に揃った伝説の武器防具に包まれたティミーは、今までよりも一回り大きく成長したようにさえ見えた。
「……うん、似合ってるよ。立派な、勇者だ」
リュカのその一言に、ティミーが驚いたように目を瞬いた。そして何故か目頭を熱くし、両目に涙を溜めながら、ティミーは父に言う。
「ボクは……お父さんの息子だよ」
ティミーは父リュカに勇者として認めてもらいたいと思い続けつつも、父は常に自分を勇者とは認めないだろうと思っていた。そしていざ、父が自分を勇者と言った時に、ティミーも自身の本心に気が付いた。
世界を救うとされる勇者として認められるよりも、リュカの息子として傍にいられることの方がどれだけ幸せで恵まれていることなのか。ティミー自身が本当は父リュカに勇者であることを否定され続けることを望んでいたのだと、ふと気づかされた。
「お兄ちゃん、当たり前でしょ。お兄ちゃんも私も、お父さんとお母さんの子供だよ。それってきっと、お兄ちゃんが勇者だってことよりも、もっとずっとスゴイことなんだから」
ポピーの言葉の真意はリュカには分からない。ただ兄の心を慰めるべくかけた言葉なのかもしれない。しかし彼女の言うことにはこの世の理が詰まっているようだった。人間一人の一生は儚いものだが、人間は命を繋げて長い歴史を生きることができる。その歴史の中で、一人一人の人間が各々の人生を生き、出会い、別れ、命が途切れたり繋がったり、十人十色の人生を過ごしていく。その中でこうして親子として巡り合える確率など、一体どれほどのものなのだろう。世界の危機に必ず生まれるとされる勇者の誕生よりももしかしたら、その確率は低いかも知れないのだ。
「それもそうかもね。だって勇者って運命にはもしかしたら逆らえるかも知れないけど、親子の関係はどうしたって切れないものだからね」
「そうよ、そんなの、当たり前じゃない」
ポピーのその強気の言い方がいかにも妻ビアンカを彷彿とさせ、リュカは思わず表情を緩めてしまった。そしてその強気の言葉は、母と同じく彼女の優しさから出ている所もそっくりだと、リュカはポピーの頭を優しく撫でる。
「さあ、ここを出よう。神殿の方を確かめに行かないといけない」
「このヨロイ、このままボクが持って行っていいのかな。ドロボウって思われないかな」
「一体どっちがドロボウなのよ。本当の持ち主はお兄ちゃんでしょ」
「でも誰かに聞いてみた方がいいんじゃないかな。だって、伝説のヨロイだよ?」
「誰に聞くって言うのよ。悪い魔物が人間に化けているような場所なんだから、聞けるような人もいないわ、きっと、絶対に」
ティミーの不安を悉く打ち消すようなポピーの言葉に、リュカは思わず噴き出してしまう。
「お父さん、どうしたの?」
「いやあ、そっくりだなって思って」
ポピーの問いかけに応えるリュカは、そう言って笑いながらも、目尻に滲む涙を静かに手で拭い去っていた。



「そう言えばさっきの魔物、たましいがどうのこうのって言ってたね。何のことだろう?」
神殿の敷地内を歩くティミーは、再び天空の武器防具が隠れるようにとマントの前をぴたりと合わせ、分厚いマントを着こんでいるかのような格好で歩いている。ポピーも兄に合わせ、寒さに身を震わせるようにしてマントの前を合わせ、身体を全て隠している。実際にセントベレスの頂上であるこの場所は常に冷たい空気に晒され、地上からこの場所に足を踏み入れたものは皆、寒さに手足も悴み、自ずと身体が震えるのを止められない。
「魂ね……何となくは、想像できる気がする」
リュカも子供たちと同様に、マントで全身を包むようにして寒さから身を守りながら歩いている。この場所で奴隷として働かされていた時にはこの寒さの中で奴隷の粗末な服など着て過ごしていたが、あの時は生きるのに必死だった故にこの寒さをどうにか耐え抜いていたのだと、今更ながらに知った気分だった。
この大神殿を建造するのに一体どれほどの人々がこの場所で働かされていたかは知らない。しかしこの場所にいた奴隷たちは皆、生気を失い、それこそ魂を抜かれたような虚ろな表情をしていたと、リュカは当時のことを思い出すことができる。岩を運ぶ人間も、石切り場で作業する人間も、岩盤に穴を開ける作業をする人間も、皆が皆、人形のようだった。下手に人間の感情を持ち続けている方が辛いのだと、人々は苦しさから逃げるために感情を捨てていたのだ。
リュカたちが歩く大神殿の敷地に先ほどまで見えていた人影は、今や一つも無くなっていた。その代わり、向かう大神殿からは人々が上げる声が、まるで大きな一つの呪詛のごとく響いてくる。仮にも光の教団という一つの信仰を掲げている場所であり、しかも今日は大神殿完成を祝す会が開かれる予定であるため、既に人々は一人残らず大神殿に集められているのだろう。
リュカはこの時を狙って、この場所へ赴いてきた。光の教団という紛い物の救いの手に掴まった人々を、本当の意味で救い出さなくてはならない。全ての人々が一つの場所に集められたら、それが救出の絶好の機会だ。
大神殿は広い上り階段の先に、天からの光を存分に浴びて厳かに建っていた。この建物は決して神の力でも魔法の力でもなく、一人一人の人間の力によって建てられたものだ。働く奴隷たちの中にはもしかしたら、この大神殿が完成すれば自身も救われるのだろうと信じていた人もいるかも知れない。人々の救いのための大神殿建造に関われたのだと自身を誇りに思おうと努力していた者もいるかも知れない。しかしそんな人々の思いなど踏みにじるかのように、大神殿の正面、入口上部には、一見星形のようにも見える悪魔を象徴する彫刻が堂々と施されていた。リュカはその悪魔を睨みつけるようにじっと見上げる。今すぐにでも呪文で壊してやりたい憤りすら感じるが、その感情は自身を包む濃紫色のマントの内側にそのまま隠しておく。
階段を上ったところからは、セントベレス山からの景色がより神々しく見渡せた。眼下に広がるのは、日の光を浴びて白い光を放つような雲海だ。目を細めるほどのその光に、教団を信じるものたちは神の存在を信じて疑わない意識を植え付けられるのだろう。厳しい寒冷の地にあり、息苦しいほどに空気も薄いこの場所でも、地上では決して得ることのできないこの神々しい景色に、この地を目指していた人々はこの世の救いを見るのだろうかとリュカは白く輝く雲海に冷たい視線を向けていた。
その視界の端に、大神殿の東側に当たる場所、そこに小さな赤い物がちらちらと映った。それを見てリュカはふっと微笑む。プックルの尾の先がリュカに居場所を知らせているのだ。この地にいる人間が今は大神殿に集められているのを良いことに、魔物の仲間たちも少し場所を移動したようだ。プックルの赤い尾はそのまま移動を続け、どうやら大神殿の裏側に回り込んでいるらしい。神殿の建物は多くの石柱によって支えられており、石柱の隙間からは常に外の様子が窺えるようになっている。魔物の仲間たちの力が必要となった時には、神殿の裏側に向けて呪文で合図を送ればよい。
リュカは仲間たちの様子を確認しながらも、大神殿の正面入り口へと向かう。近づくにつれ、建物の中から漂う妙な熱気を感じないではいられない。この冷たい高地にありながらも、大神殿の内部からは暖気さえ漂っている。寄せ集められた人々の体温が凝縮して、神殿内部の温度を上げているのだろう。
「……何となくだけど、変なニオイがするね」
「気持ち悪くなっちゃいそう……」
子供たちの言う通り、神殿内部からは異臭と呼んでも良いほどの臭いが漂っていた。それは清潔を保てない人々が放つ異臭だが、それだけではない。その臭いを消そうとしているのか、他の目的でもあるのか、内部で焚かれている香の放つ匂いの方が凄まじい。むせ返るほどの香の匂いに、人間であれば誰もが脳を揺さぶられるほどの影響を受けそうだった。
ティミーもポピーもマントの襟に顔を埋めるようにして鼻を塞ぎ、強い香の匂いから逃れようとした。リュカもまた同じようにマントの襟に顏半分まで埋める。しかし内部に入ってみれば、誰もリュカたちのようにこの神殿内に強烈に漂う臭いに違和感を感じている様子はなかった。むしろ香の放つ匂いに酔いしれるような恍惚とした表情で、しかし焦点の合わないような視線をどこかに向けながら歩いている。
「何をウロウロしているのだ」
神殿内の様子を立ち止まって見ていたリュカたちに、内部で警備をしている兵士が詰問してきた。振り向いてその者を見れば、リュカよりも身体も大きく屈強な体つきをした兵士が、リュカと双子の子供たちに冷酷とも言えるような表情を向けている。
「教祖様のお祈りが始まっているぞ。さあ、早く中に入らぬかっ!」
神殿内部に入ったとは言え、リュカたちがいる場所はまだ内部とも言えぬほどの場所らしい。神殿内に入った者たちは皆、警備の兵士たちが立つ場所よりも内部に足を進め、教祖なる者の声を聞き共に祈りを捧げているようだ。
リュカはティミーが元気に喋り始めようとしたのを見計らって、兵士に静かに頭を下げて直ぐにその場を移動した。周囲にいる信者らは誰一人、私語を発していない。この場では極力目立つ行動は避けなければならないことをティミーとポピーに密かに知らせると、二人ともただ頷いて返事をした。
「ボクたちを信者と間違えているみたいだね」
それでも何も話さないではいられないティミーが、周りに気を付けながらごく小さな声でリュカとポピーに言う。ポピーもティミーと目を見合わせて、返事をする代わりにこくこくと頷いて見せる。信者と間違われている限りは、この大神殿の中を堂々と歩くことができると、リュカもティミーに微笑み頷き、三人歩調を合わせて内部へと入り込んだ。
匂いが更に濃くなったのが分かった。目にまで害が及びそうで、目を細めたくなる。気を抜けば強い匂いに頭がおかしくなりそうで、リュカは更にマントの襟に深く顔を埋めた。その上、無数の信者らが唱える祈りの言葉の大音響に、まるで自分までがいつの間にか光の教団の信者になってしまいそうだと、その大波に攫われそうになる。集団の力はそれだけで強い。その中で個でいようとするのは、それ以上の力を発揮しなくてはならない。リュカは両側に歩く子供たちの手を固く握りしめ、二人の様子を確認しながらも更に信者の群れに近づいた。
兵士の目の届かぬところまで入り込み、リュカは近くの信者に声をかけた。しかし全身を墨色のローブに身を包み、大きなフードまで被ったその人は、リュカに話しかけられたことに気付かない。リュカは両耳を塞ぎたくなるような大音量の祈りの言葉に負けぬようにと、少し大きめの声で再び声をかけてみたが、明らかに聞こえているであろうその声も信者には届かなかった。話しかけた信者はただ前を向き、ここからはただ壁しか見えないと言うのに、その方向へ向かってずっとぶつぶつと何事かを呟いている。まだこの大神殿に来てから日が浅いのか、祈りの言葉を確かには覚えていないようだ。
その時、リュカたちからは見えない大神殿内前方で、何か花火のようなものが上がったように見えた。無数の石柱に囲まれ、外の景色も石柱の間から覗ける状況だが、それでもこの大神殿内に入り込む外部の光は少なく、内部にはそこかしこに明かりが灯されている。それまでは気づかなかったが、明かりが殆ど揺れていない。普通であれば石柱の間から外の風が流れ込んでくるはずだが、この神殿内には淀んだ空気が溜まるばかりで、外部との空気の循環が見られなかった。もしかしたら、この大神殿全体に見えない壁があるのかもしれない。それは例えば、天空城に備わっている水で作られた膜のような、人の目には見え辛い、内外を隔てる何かがあるのかと、リュカは石柱の間に見える青空に視線を飛ばす。
「神官様、バンザイ!」
突然、神殿内にいる信者らが一斉に声を上げ、リュカもティミーもポピーも思わず身体をびくつかせた。再び神殿前方に花火のようなものが上がる。この神殿の完成を記念した花火でも上げているのかと、リュカは空々しい目を花火の散る神殿の高い天井を見上げた。美しく散る火花には明らかに魔力を感じた。攻撃呪文を制御して、花火のようなものに仕上げて見せているだけなのだろう。
リュカが話しかける人を他に探してみようと子供たちの手を取りながら移動しようとした時、再び一斉に信者らの歓声が上がる。
「マーサ様、バンザイ!」
リュカの足が止まった。同様の子供たちも足を止める。リュカは周りに群衆となっている信者らを見廻す。彼らはやはり一様に、個を失い群れとなり、同じ言葉を吐き出し続けている。彼らが口にする名が、自分が長らく求めていたものと同じとは、俄かには思えなかった。
「ねえ、今の人、マーサ様って……。それっておばあちゃんと同じ名前?」
これほどに多くの人々の声で耳がおかしくなりそうだというのに、ポピーのその言葉はしっかりとリュカに届いた。認めたくはないが、ポピーの言うことが現実だ。ただ世界は広く、マーサという名を持つ者はリュカの母の他にも多くいるに違いない。名前だけですぐに判断してしまうというのも、あまりに考えなしと言うものだ。
しかしそれでも、真実を確かめなくてはならない。マーサとは一体何者なのか。リュカが知る限り、光の教団の教祖として知られるのはイブールと言う、リュカ自身は見たこともない人だか魔物だかも知らない者だ。イブールが教団をまとめる大神官であり、地上の世界にもイブールの名は知られている。地上で光の教団の布教に励む者たちが手にしているのも、イブールが著した教本だ。
リュカは二人の子供たちの手を引き、再び歩き出した。神殿内部をこれほど自由に歩き回っているのはリュカたちぐらいのものだが、今は事を急がねばならないとリュカは信者たちのいる間を縫って、神殿前方へと向かおうとした。しかし子供たちを連れて向かうにはあまりにも人混みが酷く、人いきれで臭いも酷い。ポピーが呻き声を上げるのを聞き、リュカは信者の群れの中を移動するのは諦めた。
神殿内は、信者たちを囲い逃がさぬと言わんばかりに周りを壁に囲まれているが、その上を移動する者の姿があった。下に集まる信者らを監視する兵士が、まるで舌なめずりするかのような、目に怪しげな光を浮かばせながら信者らを見下ろしている。リュカはその目が、明らかに魔物の目であることをすぐに悟った。やはりこの神殿を警備、監視している者たちはそのほとんどが魔物なのだと、思わずきっと睨めば、兵士もまた見つけたと言うようにリュカを鋭く見返した。群衆の中にあって、一人でも異なる動きをするものがいれば目立つのは当然だ。恐らく誰もが神殿前方を意識も無くしたような状態で見つめている中で、誰か一人でも異なる方向を向いていれば、それは必ず監視の目につく。リュカ自身が奴隷であった頃にも、何度も経験してきたことだった。
リュカは敢えて、自分を見つけた兵士の姿をした魔物の目を引きつけるように、目立つ行動を続けた。神殿内に留まる信者らの間を抜けて、堂々と神殿の後方へと戻る。人々の群れから抜け、ティミーもポピーも詰めていた息を一気に吐き出した。大分神殿内に漂う強い香の匂いに慣れて来たとは言え、この匂いに慣れてはいけないのだとリュカは用心深くマントの襟を口に当て、子供たちにもそうするようにと指示をする。苦しいだろうがなるべくここの空気を吸ってはならないとリュカが言えば、ティミーもポピーも素直にそれに応じ、気を抜かずに鼻と口を覆うようにマントの襟に顏半分を埋める。
魂が抜かれたような信者たち。彼らはここに漂う香の強い匂いを吸い続けることで、自分を失ってしまっているのだ。そして恐らく、彼らが唱える祈りの言葉がその作用を増幅させている。匂いに精神を蝕まれ、教団を信じて自らも決められた祈りの言葉を紡げば、ほぼ完全にこの教団に囚われてしまう。
信者たちを囲う壁は、神殿前方への通路の役割をも果たしている。リュカはちょうどその通路を小走りに移動しながらこちらへ向かってくる兵士と対面することになる。通路の上からリュカたちを見下ろしていたあの兵士だ。リュカがその兵士の目を見れば、やはりその目は魔物の目をしている。人間に変身することが苦手な魔物なのかもしれないと思いつつも、リュカはまだこの教団の信者であるフリをする。
「お前、どうも様子がおかしいぞ。ここにいる人間たちは皆魂を抜かれているはず。しかしお前はまるで……」
兵士の言葉にリュカは応えず、ただぼんやりとした様子を見せながら子供の手を引いて、今しがた兵士が下りてきた階段へと向かおうとした。階段の上にも、上の通路にも他に兵士の姿は見られない。そもそもこの大神殿は警備自体が緩い。それというのもこの教団を信じ、尽くす信者らや、ただの奴隷たちがこの場から逃げ出すわけもないと思っているのだろう。
「待て! そちらは神官様がおられる壇上への通路だ。貴様のような者が上がって良い場所ではない」
神官様。マーサ。その言葉がリュカの頭の中に同時に響いた気がした。リュカは思わず隠すことなく、目の前の兵士を鋭く睨んだ。この場にいる信者の誰一人として、そのような目を兵士に向ける者はいない。しかしリュカは、二十年近く前からずっと、子供の時から絶えず、その目を看守らに向けてきたのだ。
「ぬぬ! あやしいヤツめ! どうやってここまで来たっ!?」
怯んだのは兵士の方だった。リュカの余りにも鋭く、憎悪まで込められているような目に、兵士は腰の剣を抜くのが一瞬遅れた。その隙に、リュカは二人の手を離したかと思えば、同時に兵士を蹴り飛ばした。神殿内の信者らを囲い、隔たる壁のように造られた通路の高い壁を利用する。その外側に蹴り飛ばした兵士が、既に人間の変身を解き、竜族の戦士の姿を現していた。
魔物の姿を目にし、ティミーとポピーも戦いの準備をと慌てて態勢を整えようとする。しかしその必要もなかった。魔物に攻撃すらさせないと、リュカが一撃で敵の首を捉えたのだ。リュカが即座に手にした父の剣で、瞬時に敵の息の根を止めていた。あまりにも静かに終わった戦いに、双子はただ唖然とするばかりだった。背中を向ける父に、二人は恐怖すら感じるようだった。
しかし見張りの兵士は他にももう一人おり、あまりにもあっさりと倒された仲間の姿に、その兵士もまたその場から動けない状態に陥っていた。リュカが敵を仕留めた剣を再び手に取り、背後に感じた敵の気配に振り向くと、それを行動の切欠にしてリュカたちを見つけた兵士は一目散に逃げて行ってしまった。しかし逃げる方向は神殿の内部。もしかしたら仲間を呼びに行っただけなのかも知れないと思いつつ、リュカはこの機を逃すまいと上部に通じる通路へと階段を上り始めた。
通路は両側をリュカの腰ほどの高さの壁に挟まれており、身を屈めれば周囲から姿を隠すことができた。階段は長く、それだけ信者を外部と隔てる壁は高いということだった。
階段を上り切れば、一層信者たちの発する熱気が濃くなり、それだけで頭がおかしくなりそうだった。神殿内に淀む暖気が全て上層へと上がり、まるで温かな毒の沼に全身で浸かっているような、全身をくまなく蝕まれるような感覚に襲われた。
「お父さん……気持ち悪い……」
「なるべく呼吸を浅く。ゆっくり行こう」
「ただでさえ空気が薄くて苦しいのに……」
子供たちが苦しがる姿を見れば、リュカの心情は親心に苦しくなる。代わってやれるものなら代わりたいと思うが、各々が耐えるしかなく、苦しみを和らげるような呪文も知らない。呼吸を荒げることのないよう、リュカは二人の様子を確かめながらゆっくりと通路を進んでいった。
中央にも同じほどの高さの広場が設けられていた。そこにも信者らの姿があった。リュカたちは下の階にいた時には、神殿前方の景色など何も目にすることができなかったが、中央に設けられた壇上からははっきりと神殿前方に広がる景色を見渡すことができるようだった。
途中まで、その壇上に乗る人々の群れの陰で、リュカは神殿前方の景色の全容を見ることは叶わなかった。しかし通路をゆっくりと進むにつれ、徐々に大神殿の前方に広がる広い祭壇が視界に広がってくる。
その中央、リュカたちに背中を見せて、両手を高々と上げている一人の女性の姿があった。その両手から、先ほど見たような花火が華々しく上がった。信者たちの間から狂ったような歓声が上がる。大神殿完成を祝するように、女性の両手からは幾度も花火が上がり、その不思議は信者らから見れば神の奇跡が為せるものなのだ、と言うことになるのだろう。
リュカの焦点は女性の背中に釘付け、になるはずだった。しかし彼の視線はその先に。
通路の壁に身を隠し、様子を窺っていたリュカだが、彼は目にしたものに思わず身を隠すことも忘れて立ち上がった。広い祭壇の奥、ほとんど揺れない明かりに仄かに照らされる一体の美しい石像。両手を上げる女性に正面を向ける石像だが、それは女神像でも天使像でもない。
まだ生まれて間もない双子を護るため、身を挺して夜着のまま魔物に攫われてしまった双子の母。リュカが敵の手から護り切れず、今も石の呪いの中に閉じ込められている妻が今、そこにいる。
「……ビアンカ……!」
リュカがそう呟くと、到底彼の呟きなど聞こえないはずの、壇上の女性がリュカをゆっくりと振り返った。
幼い頃、サンチョに自分は母に似ているのだとよく言われた。それが今、朧げに分かる。自分と同じ目をした女性が、まるで息子を慈しむかのような眼差しで待ち受けている。
リュカはその眼差しに囚われるように、守らねばならない子供たちを連れ、彼女が待ち受ける壇上へと向かって行った。

Comment

  1. バナナな より:

    うあぁぁぁ!遂にこの瞬間が!でもここで現世はGWに突入!続きが!気になる!
    そういえば、DQはダイ大の新アニメもアバン先生復活の前に待たされましたね。
    GWはご家族との時間を優先して英気を養ってくださいね。物語の最重要とも言える場面なので、万全の体調と頭脳で書いてください。
    それにしても、ようやくここまで辿り着きましたね。果たしてハッピーエンド後の魔界編はあるのか!?気が早いけど気になります(笑)

    • bibi より:

      バナナな 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      気になりますよね。なるべく早く書いて行きたいですが、GWに入るため、しばらく書けない状況に陥ります・・・すみません。
      ダイ大も待たされちゃったんですね。期待が大きくなるところで、いざ始まった時にがっくりされないように、気を付けて次のお話も書いて行きたいと思います。プレッシャーが(汗)
      魔界編まで書いて行く所存です~。そこまで書かないと、私の中ではやっぱりこのDQ5は終わらないので。いや~、まだ先は長いなぁ。

  2. ケアル より:

    bibi様。

    いつも執筆お疲れ様です。
    ゴールデンウィーク前に一つお話ができて嬉しいです。

    天空の鎧、やっと手に入りましたね。ドラクエ5の天空シリーズは何も苦労しないで全て手に入る仕組み。なぜ簡単に手に入れれるようにしたんでしょうね…しかも鎧に関してはザコモンスターが守っていてひょうし抜け(苦笑)
    ボス級モンスターに守らせればいいのに…。堀井先生に真意を聞きたいです。

    ポピーの言い回し。
    以前bibi様にも言いましたが、文字に直すとビアンカ口調まるで同じ。
    bibi様、このままではビアンカ救出した後、ポピーとビアンカの口調に変化つけないと見分けがつかなくなるきがする…(汗)

    次回は、とうとう…とうとうこの日が来たんですね。
    偽マーサ、そしてラマダ戦、そしてビアンカ石像。
    bibi様、ビアンカを見たティミー・ポピーの反応、bibiワールドでどうなるのか期待します~!
    次話は戦闘になりそうですね楽しみです!

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      そうですね、天空の武器防具は全てさほど苦労せずに・・・。今回は主人公が勇者じゃないから、とかですかねぇ。あまり勇者を全面に出したくなかったとか。うーん、どうなんでしょ。
      ポピーは・・・見分けがつかなくなりますねぇ。どうしましょうか。どうにかしないとですねぇ(汗)

      次のお話はまた戦闘になりますね。気合いを入れて書いて参りたいと思います!

  3. ケアル より:

    bibi様。

    そうそう、洗脳されている奴隷たちの中に、壁に向かっている奴隷いますよね。ゲーム的に容量の問題であんな風にしたのか…はたまた洗脳されているから忌み不明な行動にしたのか。
    bibiワールドでそのあたりの描写うまくできていると思いますよ。

    そしてそうですよね、奴隷たちお風呂やシャワーは、ぜったいに無いですよね、そりゃあ臭いですよねぇ。そう思うとリュカ・ヘンリー・マリアも当時は臭かったんでしょうね。
    あ!今文章作成しながら思い出しましたが、bibi様の昔の作品。
    青年時代1、見える光に。
    ↓↓

    https://like-a-wind.com/text6-3/

    bibi様が当時、苦労して執筆されたという大作で、リュカ・ヘンリー・マリアが真っ黒な状態で、海に入って綺麗にするシーンありましたよね。マリアなんて金髪が分からなくなるほど汚かったんでしたよね。
    今回も昔の作品とうまく繋がっていたんですね(笑み)

    次話で奴隷のジージョが出て来るかと思うんです。
    リュカ石像の時リュカが悲しい気持ちになった事件のジージョが…。
    リュカとジージョの対話が楽しみです!

    • bibi より:

      ケアル 様

      ゲーム上だと不自然な表現になってしまうところも、堀井さんの作るものだから細かく意味があったりするのかなと、私なりにその辺りを表現してみました。セリフ一つ一つも、短いながらも深い意味が含められていたりするのかなと思いながら、ゲームの中のセリフを拾っていたりします。小説のようなお話にしてしまえば長々と話せることも、ゲームだと短くまとめなくちゃならない、となると、内容を凝縮したものになるだろうなぁと思います。特にファミコン時代なんか、色々と容量の関係で大変だったんでしょうね。それだけに凝縮された良いものができているような気はしています。

      奴隷生活は・・・多分あまりリアルに描いてしまうとドラクエ感を削いでしまいそうなので何となくぼやかして描いていますが、多分筆舌に尽くしがたい酷い環境だったと思われます。奴隷たちの発する臭いもさることながら、それ以上に神殿内に充満する香の匂いが強い、という状況で書いてみました。臭いだけだと奴隷たちではない、普通の信者らが不信感を持ってしまうかなぁと。

      次回は戦闘が主な話になりそうですかね。ちょっと遅れてのアップになりそうですが、もうしばらくお待ちいただければ幸いです。

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