2022/05/22

うずもれた人々の思いを

 

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大巨人ラマダの身体が、大神殿の広い祭壇の上に横たわっている。微動だにしなくなったその巨体は完全に命潰えた物体としてそこに存在していた。
その身体から唐突に、赤黒い霧が発生し始めた。大神殿内に立ち込める強い香の匂いが、更にその強さを増す。まともに匂いを嗅いでは頭も体も心もおかしくなってしまうと、リュカも子供たちも口と鼻をマントを引き上げて覆う。一方で、魔物の仲間たちにはその香の影響は一切ないようで、特別鼻の利くプックルも煙たそうな顔をしながらも、匂いに参ることもなくその赤黒い霧を見つめていた。
ラマダの巨体が一気に赤黒い霧に変わり、大神殿内を一息に満たした。リュカは子供たちを庇うように二人の頭を抱え込み、そのリュカを更にガンドフが守るように上から覆いかぶさり抱え込んだ。一体何が起こったのかと、リュカはガンドフに守られる隙間から、その状況を覗き見た。
ラマダとの戦闘の痕が、広い祭壇の上に残されていた。しかしそこにラマダの姿はなかった。光の教団の大神官を自ら名乗り、人々を幻惑の世界に陥れて支配しようとしていた大巨人は、まるで初めから存在していなかったかのように、赤黒い霧の中に命を散らしてこの世から消え去った。それと共に、大神殿内に響いていた信者たちの祈りの声が止んでいく。徐々に止む呪詛のごとき祈りの声が、大神殿を取り巻いていた見えない結界を払っていく。ラマダ自身が発する香の力と合わせ、人々が発する祈りの声が、この大神殿の中に人々を惑わす空気を生み出し満たしていたのだと、その状況にリュカは知った。
大神殿内に冷たい外の空気が流れ込み、淀み切っていた内部の空気を一掃した。リュカもティミーもポピーも、久しぶりにまともに呼吸ができると、大きく息を吸いこんだ。あまりに大きく息を吸いこんだために、ティミーは咳き込んでいた。
リュカは神殿内に留まる人々の様子を祭壇の上から眺める。それまで誰もが人形のようで、均一化した表情で一心に祈りを捧げていたが、彼らは徐々に目覚め始めている。隣り合う人同士と顔を見合わせ、一体今までこの場所で何をしてきたのかと不安を分かち合うような仕草を見せている。その混乱の声が大きくなる前にと、リュカは祭壇の上から人々に叫び呼びかけた。
「皆さん! 聞いてください!」
リュカの声が響くと、人々は一斉に祭壇の上を見上げた。そこには人間の男が一人、両脇に二人の子供、そして彼らを囲むように恐ろしい魔物の姿がある。キラーパンサーやビッグアイのいかにも獰猛な獣の姿を見れば、人々の中から悲鳴のような声が上がった。宙に浮かぶ蝙蝠のようなミニデーモンの姿にも、人々は一斉に不吉を口にする。
ままならない人間たちの様子に苛つくプックルが唸り声を上げるが、吠える前にリュカがプックルの頭を撫でて抑える。キラーパンサーがこの場で吠え声を上げてしまえば、もう人々の心にある恐怖心は拭い去ることができない。ざわつく大神殿内で、リュカは手にしていたドラゴンの杖を両手に持ち、高々と捧げ持つように頭上に上げた。そしていつもそうするように、脳内で竜神との対話を始める。
ドラゴンの杖に収まる桃色の宝玉が、淡い光を放ち始めた。人々の不安や恐怖を和らげるような暖かな光が大神殿の中を満たしていく。決してそれは回復呪文のような、人々が負う傷や痛みを癒すものではない。しかし竜神が放つに等しいその光は、人間の善さを知り、信じている竜神が人々に与える安らぎそのものだった。
「……リュカよ。人間たちを我が城へ」
マスタードラゴンの声は、ドラゴンの杖を通じてリュカのみならず、大神殿内に広く響き渡った。低く重みのある声だが、その声は人々を脅かすようなものではなく、ただ人々が心身ともに委ねて許される雰囲気を纏うものだった。
「皆さん、ここにはもう何もありません」
この場所には初めから人を救うためのものは何もなかったのだと、リュカはその思いと共に話した。世の中には恐ろしい魔物が増え、人間の生きる場所が脅かされる中で、この場所だけが切り離された世界の如く安全な場所ということはない。かつては天空城ですら、魔物の攻撃により地上へ落とされているのだ。生きている限り、この世界には完全なる安全などないと言い切っても過言ではない。
「被っている帽子を取ってください」
信者らが身に着ける暗い灰色のローブは全身を覆い、ローブと一体となっているフードは人々の表情を隠してしまう。人間はそれだけで自分と言うものを失ってしまうのだと、リュカは人々にフードを取れと声をかけた。祭壇の上から見る人々の表情が少しずつ露になる。年寄りもいれば若者もいる。ティミーやポピーと変わらないほどの子供もいる。それも当然だ。自分やヘンリーはまだ六、七歳の頃にこの場所へ連れてこられたのだからとリュカはふと過去を振り返る。
互いの顔を見る人々の目は、どこかおどおどしている。この場所で生きることを始めた時から、彼らは他人の表情をまともに見ることもなかったのかもしれない。奴隷として働かされていれば、他人に構う余裕もなかった。地上で熱心に光の教団の布教を務めるならば、教団への絶対的な信心があればよかった。皆が皆、これだけの人数がこの場所にいながらも、一人一人孤独に生きていたのだろうとリュカはそんな彼らの顔を見て思う。
「みんなそれぞれ、生きているんです。だからみんなで生きていきましょう」
神に縋りたくなるほどに辛い出来事に見舞われることもある。生きていればそんな場面に直面することもあるかも知れない。それでも生きて行かねばならないとしたら、人間は人間同士支え合って生きていくべきだとリュカは自信の経験に重ねそう思う。一体自分はこれまでどれほど多くの人に支えられてきたのかを思えば、父を喪った悲しみに潰れてもおられず、母や妻を連れ去られた現実にも挫けてはいられない。
大神殿の外に、迫る大きな影があった。それがマスタードラゴンの姿だとすぐに分かったリュカは、ドラゴンの杖を通じ、竜神に呼びかける。大神殿正面に降り立つことを伝えれば、竜神はリュカの意図の通りに神殿正面の開けた場所に大きな身体を縮こまらせるようにして降り立った。大神殿の入口近くにいる信者らからは、初めて目にする竜神の姿に感嘆の溜息が漏れていた。
「我が天空城より、地上へ」
それだけを口にする竜神に向かって、神殿内にいる信者が一人、二人と歩み寄り始める。そしてそれは見る間に一つの流れとなり、人々は少しずつ大神殿に降り立った真の神の下へと移動し始めた。その光景を目にして、リュカは無意識に入っていた肩の力を抜いた。
そして後ろを振り返る。もうこの場所に大神官を名乗っていたラマダと言う怪物はいない。その代わりに、祭壇奥に一つの美しい石像が立っているのがはっきりと見える。そんなリュカに続いて、子供たちも、魔物の仲間たちも後ろを振り返るが、そうしているうちにリュカは一人石像に向かって駆け出していた。
「ビアンカ……ビアンカ……!」
近づく彼女は石のまま、リュカをじっと見つめているようだった。指先一つ動かせない苦しみを、リュカは自身が石像だった時の感覚を思い出す。身体のどこも動かせない。しかし意識だけはあった。目の前に映る景色を、ただ目も動かせないままに見ている感覚があった。しかしその景色は年を経るごとにはっきりとはしなくなった。何を見ているのかも分からなくなっていた。
しかしリュカは目に映るものが再び生き生きと、鮮やかに色づく世界を取り戻した。それは長くリュカとビアンカを捜し続けていた子供たちとサンチョが取り戻してくれたのだ。石の呪いを受け、意識が消えかけるほどに朦朧としていても、決して命がそのまま潰えることはなかった。
彼女は勇者の母親だ。天空の勇者の子孫だ。まだ生まれて間もない二人の子供たちを身体を張って守った勇気に溢れた人だ。そんな彼女が、石の呪いに敗れることなどないに違いないと、リュカは信じる。今の彼女には、自分の姿が見えているのだと信じて疑わない。
今すぐにでも彼女を石の呪いから解き放ってやりたいとばかりに、リュカは石像の両肩に両手を置こうとした。その時、リュカの両手には激しい痛みが走った。痛みにではなく、その不可避の衝撃で、リュカの両手は妻の形をした石像から弾かれてしまった。
ビアンカの姿をした石像に、プックルが近づく。身体を摺り寄せるべく石像に触れようとするが、触れる前に、まるで反発する磁力が発生しているかのように弾かれた。鼻を鳴らして子猫のように鳴くプックルがもう一度石像に近づこうとするが、やはり彼女に触れることはできないようだ。
「ビアンカ嬢……こんなところに……」
リュカの妻であり、グランバニア王妃でもあるビアンカに、ピエールはおいそれと触れようとはしない。しかしそんなことをしなくとも、彼女の姿をした石像の周りに、目に見ることのできない結界が張られているのが自ずと分かった。今のビアンカは石の呪いに閉じ込められているだけではない。何か他の力が、彼女をより強い呪いの中に封じてしまっているのだ。
「ツレテ、カエレナイ? ビアンカ、ココニイルノニ……」
大きな一つ目に涙を溜めながら、ガンドフがリュカに問う。リュカも同じ思いだ。今すぐにでもビアンカをグランバニアに連れ帰りたい。およそ二年前にリュカを石の呪いから解き放ったストロスの杖はあの後、間もなくその力を使い果たしたように崩れ去り、ただの砂の塊になってしまった。しかし彼女を元の姿に戻す方法は必ずあるはずだ。それを絶対に見つけ出し、彼女の石の呪いを解いてやる。そうしてようやく、二人の子供たちと母親を会わせることができるのにと、リュカはビアンカの頬に触れようとするが、やはりその手は見えない結界に弾かれてしまう。
「キッキー!」
メッキーが羽ばたきながら、今すぐにグランバニアに戻るのだと強引に石像のビアンカを呪文の輪に入れ、自らルーラを唱えようとする。リュカは慌てて止めようとしたが、止めるまでもなかった。メッキーの唱えるルーラの呪文は発動しなかった。大神殿内を覆っていた結界はラマダの消滅により完全に解けたものと思っていたが、未だこの大神殿には強い力が残っている。それはまるで、この場に足を踏み入れたリュカを逃すまいとするかのようだった。
倒した敵ラマダはリュカの母マーサのことを確かに知っていた。その上で母の姿に化け、リュカを光の教団へと誘い込み、陥れようとした。それはリュカがグランバニアの王であり、人間の国を統治する立場の者だからという理由もあるのかも知れない。しかしそれよりも敵は、マーサの子であるリュカを味方に引き入れたいという思いがあったのではないかと、リュカはそう感じていた。
その思いはラマダが倒れても尚、この光の教団に残っているに違いない。ラマダはあくまでもこの大神殿を治める神官という立場の者に過ぎない。光の教団を統率する者は、ラマダも最期にその名を口にしていたイブールという教祖だ。神官ラマダはただ教祖イブールの手下のようなものだったのだろう。
「優しそうな女の人……」
リュカの頭の中が忙しなく行き場なく動いている横で、ポピーが一言そう漏らした。娘のその声で、リュカの思考はぴたりと止まる。
ポピーは未だ石の呪いに閉じ込められた母ビアンカを、食い入るように見ていた。成長した娘の表情に、最近では頻繁に妻の面影を見る。今もその表情は、まるで幼い頃のビアンカをそのまま映したようにそっくりだと、リュカはポピーの横顔から目が離せなくなる。
「何だか抱きつきたくなっちゃう」
そう言いながらポピーが母ビアンカに近づくのを、リュカは柔らかく止めた。本心では娘には存分に母に甘えて欲しいと強く願う思いがある。しかし今のビアンカはまだ石の呪いの中にあり、触れれば激しい痛みと共に弾かれてしまう。娘には心身ともに傷ついてほしくはないのだと、リュカはポピーを引き寄せて片腕に抱く。
「……どうして?」
「……どうしても」
たとえ呪いや結界の力により、今のビアンカが何物も受け付けない状態であろうとも、ようやく会えた母に弾かれ近づけないのはそれだけで心に傷を負うだろう。リュカは父として当然そんな状況を望んでいない。そしてビアンカもまた、母として子供たちを傷つけたくないと思うに違いない。
リュカたちが祭壇奥の石像の前で集まり佇んでいると、その祭壇に上がって来る者たちがいた。神殿内に集められていた教団の信者たちは徐々にこの神殿を立ち去り、竜神のいる場所へと向かっていたが、意識をはっきりと取り戻した信者たちの中には自らの意思で今も神殿に残る者がいた。
振り返るリュカを新たな指導者とでも思っているのか、信者は慌てた様子で深々と頭を下げる。床に頭が付きそうなほどに腰を折り曲げているその恐縮し切った姿に、リュカは困ったような笑みを浮かべながら「頭を上げて下さい」と近づき呼びかけた。恐らくこの場所で彼らは、それほどまでに上の者たちに服従している意思を表さなければならなかったということなのだろう。
「どうかしましたか?」
リュカが声をかける後ろでは、ティミーとポピーが揃って石像を見続けている。ティミーは石像を見ながらもまだ一言も言葉を発してはいないが、ポピーと同じく確実にこの石像が自身の母であることに気付いているだろう。いつもどんな時でも元気に声を張り上げそうなティミーが、声を出すことも忘れてただ目の前の母を見上げている姿に、リュカは僅かに不安を覚えつつもこの場に来た者に応じる。
「わ、わたし、見ました!」
普段の声の出し方を忘れてしまったかのように、急に大きな声で話し出す人にリュカも、傍にいる魔物の仲間たちも驚く。自分の意思を持って、自分の声で人に話しかけることを、彼女はこれまで忘れていたのだろう。彼女と一緒に祭壇の壇上に上がって来た数人の人たちも、同じように目を丸くしている。
「教祖イブールがあの石像に呪いをかけるのを! そして石像がここにある限り伝説の勇者など生まれはせぬ!って言ってました」
その姿を見る限り、この場に奴隷として生きていた彼女は、彼女自身が秘めていた真実をようやく打ち明けられる時が来たと言わんばかりに、声を張り上げてリュカにそう伝えた。
世界を救うとされる伝説の勇者の再来。それはテルパドールの人々を筆頭に、世界が危機に瀕している中では世界中の人々が望む未来に違いない。かつてこの世界を勇者と導かれし者たちが力を合わせて救ったように、再びこの世界が危険や不安に満ちようとも、その度に勇者は必ず現れ世界を救うのだと信じている人は多かれ少なかれ存在する。
しかしこの光の教団は、勇者の存在を根元から絶つことを善しとした。悪が生まれ勇者が生まれ、そしてまた悪が生まれ勇者が生まれ、その繰り返しは終わることがない。この連鎖を断ち切るためには、勇者が生み出されない世の中を作れば良いと、光の教団は暗にその意味を含む教えを教本の中にも取り入れている。勇者が先か、悪が先か。鶏が先か、卵が先か、という説明のできない因果関係に一つの答えを出したのだと、光の教団は胸を張ってその教えを教本に比喩で表している。
女性の言葉に、ティミーが振り返る。その表情はどこか怒りを含んでいる。
「お母さん、石にされた上に呪いまで……?」
勇者の子孫であるビアンカから、勇者ティミーは生まれた。数百年前にこの世界を救ったとされる伝説の勇者の血筋が一体どのように受け継がれここまでたどり着いたのかは知る由もない。しかしその血筋をビアンカは知らぬうちに引き継ぎ、そして世界に手を伸ばしている悪の存在に立ち向かうべく生まれた勇者がティミーだ。
母は今の今まで、石像に姿を変えてまで、勇者として誕生したティミーを守り続けていたのだと、ティミー自身がそう思った。既にグランバニアは元より、ラインハットもテルパドールもこの世に勇者が再来していることは知っている。しかしそれを固く否定する現実がこの母の石像にあり、イブールと言う光の教団の教祖は勇者の再来に目を背けるようにして、母の石像を象徴的にこの場に置いていた。
「そのイブールってやつを倒せばお母さんの呪いを解いてあげられるのかな?」
口調はいつものティミーそのものだが、その声は常よりも低くこもったようなものだ。今のリュカからはティミーの背中だけが見える。成長したその背中は、もう少しすれば子供の域を飛び出してしまうだろう。癖のある金色の髪を一つに結び、様々に複雑な感情に肩を震わせる息子の姿を見ながら、リュカは父の背中を思い出さずにはいられなかった。
人にはよく、ティミーはリュカに似ていると言われる。しかしその度に、リュカはその言葉に違和感を覚えずにはいられなかった。正義に溢れ、勇気に満ちて、迷わず前に進み続けるティミーの姿は、やはり亡き父パパスに似ていると、リュカは息子の背中を見ながら思わず顔を歪める。
「恐らくそうでしょう。そのイブールなる敵を倒さねば、ビアンカ嬢は……」
ビアンカと同じ石の呪いに封じ込まれていたリュカは、ポピーが使うストロスの杖の効果でその石化の呪いを解くに至った。リュカが受けていた呪いは、憎き魔物ゲマが放ったものであり、それ以後リュカはただ一体の石像として売られ、八年の時をそのままの姿で留め置かれることになった。しかしビアンカは、勇者の子孫としての存在を永久にそのまま止められるかのように、時の流れから完全に見放された場所に一人、置かれている。
「ねえ、お父さん!」
ティミーが大声を出してリュカを振り向く。その声は声の出し方を忘れていた奴隷の女性よりも遥か大きく、プックルもミニモンも身体をびくつかせていた。
「世界に平和を取り戻すまで、ボクは絶対にあきらめないよ!」
母の石像を背に立ち、怒りに震えるティミーがそう口にする言葉は、それだけで皆に力を与える。自分はただの子供ではないのだと、彼がそう言葉にしなくとも、成長した彼の姿に態度に現れている。
「絶対に許せない! おばあちゃんに化けたり、お母さんをこんなところに閉じ込めたり……絶対に、絶対に、絶対許さないっ!」
敵の非道なる所業を全て許さず、全てを正しき道に導く宿命を負った自分が、祖母も母も、この世の全てのものも救うのだと言うように、ティミーは叫んだ。両眼には涙が滲んでいる。悔しいのだろうとリュカは思った。ティミーは自分がこんな子供であることが悔しいと思っているに違いない。もし自分が大人だったら、祖母を早くに救い出し、母も父も石の呪いになどかからなくても済んだに違いないと、悔やんでもどうしようもないことを悔やんでいる。
その思いを、リュカは自分のこととして理解していた。リュカ自身もずっと、もしあの時自分が子供じゃなければと悔やむ思いがある。その思いを幼い頃から絶えず抱え、もうこの後も消えることはない。
それと言うのも、リュカは現実に、父を喪ったからだ。喪ってしまったものはもう元には戻らない。それ故にリュカの胸の中には、後悔が死ぬまで残り続けるのは分かり切っていることだ。
しかしティミーはまだ喪ったわけではない。母ビアンカを救う手立てはまだ残されている。祖母マーサも、まだその所在は分からないが、命尽きているものとは思えなかった。その実、ラマダは言っていた。「お前の母など既にこの世界にはおらぬ」という敵の言葉にはまだ、希望が残されている。
リュカはティミーの憤る感情を和らげようと、癖のある髪をゆっくりと撫でた。いくら優しく撫でても、癖の強いその髪は彼の祖父パパスと同じく、何度でも立ち上がる。
「オラ、知ってるだよ! あの台には下に降りる隠し階段があるだよ!」
リュカたちの立つ祭壇に上って来た人々の中から、声を上げる者がいた。鈍りの強い言葉を話す男は髪も髭もぼさぼさの、年齢も分からない奴隷とされていた者だった。恐らくこの光の教団に自ら入信した者とは異なり、奴隷として働かされていた彼は、大神殿内に満ちていた強い香の匂いに心の底から打ちのめされてはいなかったのだろう。人々の魂を抜いてしまう恐ろしい魔の力にも完全には屈さず、奴隷としての人生に激しい憤りを感じるままに、リュカにそう伝えたのだった。
彼が指し示す場所には、ラマダが化けていた偽のマーサが教団の教本を置いていた台がある。大理石造りの重々しい台のようだが、よく見れば手前に台を引きずり動かしたような跡があった。祭壇を前に集まる信者らからは死角となる場所で、この隠し階段を知る者は彼のように大神殿の建設に携わった一部の奴隷たちや、特別にこの場所への出入りを許された信者たちだけなのだろう。
「お父さん、イブールってやつはこの下にいるんじゃないの? そいつを倒さなくちゃお母さんは……」
ティミーの言葉に急かされるように、リュカは台のところまで移動すると体重をかけて重い台を押して動かした。僅かに色の異なる床には手をかけるところがあり、それを引けば大きな蓋の如く床が開き、下に下る階段が姿を現した。階段の先に見える明かりは、仄かにゆらゆらと揺らめく火の明かりだ。
「早くお母さんを助けなきゃ」
石像の姿の母を目の当たりにし、ポピーも兄ティミーと同じく既に意志は決まっていた。母を救い出すためにイブールと言う光の教団の教祖を倒さなくてはならないのならば、それ以外の選択肢はないと彼女の表情が語っている。
「お待ちください、リュカ殿。皆で向かってはなりません」
ピエールの言葉に、リュカは感情のままに突き進みそうになっていた心を冷やされる。
「ビアンカ嬢を見つけたのです。もうこの方を一人にしてはなりません」
それはピエールの後悔と反省だった。八年前のあの時、ピエールは石像となったリュカとビアンカを敵の塔に残し、救援を呼ぶためにと一度グランバニアに戻ったのだ。そして彼らが再びグランバニアの北の塔に向かった時には、リュカとビアンカの石像は忽然と姿を消していた。悔やんでも悔やみきれない失敗だったと、ピエールは今も深くその時のことを心に刻んでいる。
見つけたビアンカをもう二度と一人にしてはならないというピエールの忠告に、リュカは真剣に頷いた。この大神殿はいわば、敵の根城だ。折角見つけたビアンカから目を離せば、敵はその隙に再びビアンカをどこかに連れ去ってしまうかもしれない。考えたくもないことだが、もう用はないのだと彼女を無慈悲に壊されてしまう可能性も無きにしも非ずだ。現にラマダは最期に、自棄を起こすようにしてビアンカの石像を破壊しようとした。決してここで怒りや焦りに心を失い、彼女を一人この場に残して、敵の根城の奥深くに潜ることはあってはならない。
「僕は行く。子供たちも連れて行く」
リュカが自分たちを連れて行くと即座に言ったことに、ティミーもポピーも驚いていた。この神殿の地下には、神官ラマダや奴隷の男が話していたように教祖イブールと言う者がいるのだろう。ラマダが最期にリュカに伝えたイブールには敵うまいという言葉に、恐らく嘘偽りはない。それほどの強敵が待ち受ける地下に双子の子供たちを連れて行くという判断をする父に、ティミーもポピーも互いに緊張した面持ちで顔を見合わせる。
「ピエールはここに残ってビアンカを守っていて欲しい」
「分かりました」
リュカにもし一緒に地下へと言われれば、ピエールはそれを断ってでもビアンカをこの場で守るのだという腹積もりでいた。しかしリュカもこの場に残す戦士としてピエールを残すことは必然と考えていた。万が一ビアンカの身に何かが起こった時に、ピエールがいれば冷静に判断をしてくれるだろうと、リュカは彼を信じている。
「プックル、お前も残るんだ」
そう呼びかけられたプックルはしばらく返事もせずに、小さな唸り声を上げていた。プックル自身、どうしたらよいのか分からなかったのだ。リュカと共に地下に潜む敵に向かうべきと考えれば、大事なビアンカをこの場に残していくことになる。プックルもまた、ピエール同様、ようやく見つけたビアンカをもう一人にしておくことなどできなかった。彼女の傍から離れた時に何かが起これば、今度こそ気が狂ってしまいそうだとプックルは自信がなかった。
「ガンドフは……」
「ガンドフハ、イクヨ。フタリヲ、マモルヨ」
石像のビアンカを見てガンドフもまた平静を保つのがやっとという状態だ。しかしガンドフはこの場所にティミーとポピーを連れて来た責任を感じているのも事実で、二人を傍で守ることがビアンカのためになるとも考える。
先のラマダとの戦いの最中に子供たちを守ったのもガンドフだった。大巨人ラマダの振り下ろす棍棒をその身に受け止め、双子が叩き潰されるのを身を挺して防いだ。リュカはそんなガンドフの義務感に寄りかかることにした。
「ありがとう、ガンドフ。じゃあ一緒に行こう」
万が一にでもこの大神殿の崩壊などが起これば即座に脱出をしなければならないからと、メッキーをこの場に残すと決めれば、メッキー自身その役目を心得たように異論を唱えることもなく素直に返事をした。リュカが全てを言わなくとも、仲間たちは各々の役目を心得ている。スラりんは相変わらずリュカのマントの内側に潜み、まるでリュカの一部になってしまったかのように供に行くことを決めている。「大魔法使いは分かれた方がいいよなー」と、ミニモンも自身の役目を考えポピーと別行動となるようこの場に残ることを決めた。残るベホズンが、リュカの言葉を待つように大きな緑色の身体をゆらゆらと揺らしているのを見て、リュカが一言「一緒に来るかい?」と誘えば、嬉しそうにその場に三度跳ねた。
「ガンドフとベホズンが一緒に……大丈夫でしょうか」
ピエールの不安の言葉も理解できたが、恐らくこの神殿の地下は魔物の巣窟に等しい状況に違いないとリュカは想像している。どの道、人間であるリュカと子供たちだけでこの先を進むのは危険極まりない。たとえガンドフやベホズンが地下に広がる神殿内を移動していたとしても、彼らが敵の仲間だと嘘を吐いてしまえば済む話だと、リュカは光の教団の内部に巣食う敵の力をある意味信じている。
「大丈夫。せいぜい敵の力を利用させてもらうよ」
この光の教団は初めから、悪の魔物の力により生み出された組織だとリュカは知っている。それと言うのも、父の仇である憎きゲマがこの組織の中枢にいるのは間違いなく、あの者に関係したものには一切善なるものなどないと、リュカはゲマの存在自体を心の中で切り捨てている。
「みんな、ビアンカを頼む。……さあ、お母さんを助けるために、行こう」
リュカは妻の石像を囲み守る仲間たちの声をかけると、母の石像をずっと見続けていた子供たちに呼びかけた。ようやく見つけた母と離れがたい様子を見せていたティミーとポピーだが、穴のあくほど母を見ていても、その呪いが解かれることはない。母を救うためにも、自分たちの力が必要とされているのだと、二人は母から目を離し父と目を見合わせ、唇を引き結んだまま頷いて見せた。
「あっ、あの、みなさん、お気をつけて……」
勇気をもってこの祭壇に上がり、リュカに話をしてくれた少女が気遣うようにそう声をかけてきた。その姿は、かつてこの場で奴隷の身に貶められた時のマリアを思い出させた。リュカは思わず表情を歪めながらも「ありがとう」と言葉を返し、光の教団の信者だった彼らを竜神の下へと送り出した。まだどこかぼんやりとした彼らがゆっくりと祭壇を後にするのを見届けると、リュカは子供たちと仲間たちと、地下に広がる大神殿の内部へと入り込んでいった。



地下へ続く階段は整然としたもので、幅も広く、ベホズンでも問題なく下りることができた。祭壇の下に埋もれていたこの場所にも、恐らく奴隷たちが力を合わせて築いた神殿の一部があった。しかし整えられた階段も壁も天井も、魔の力を感じる火が照らし、壁面を飾る彫刻を陰影はっきりと浮かばせ、不気味さを醸している。人々を照らす太陽と見せかけた悪魔の形をした彫刻の模様に、リュカは思わず冷たい目を向ける。いかにも神々しさを印象付ける白く明るい階段も壁も天井も、日の光を浴びないこのような地下に作られている状況には、怒りが積もるばかりだ。
正確に寸法を測り、一段一段を正確に作り込まれた階段を降りていく途中、その様相が徐々に変わっていく。下へ下りる階段は相変わらず続いている。しかし周りを囲む壁が途中から剥き出しの岩盤に変化した。至る所から土や水の匂いが感じられた。灯される火の明かりに浮かぶ景色に、リュカは一瞬、息の詰まるような過去の記憶が蘇るのを感じた。
「どうしたの、お父さん? なんだか顔つきが変わったみたい……」
階段を降り始めてから一言も話さないリュカを、ポピーは無意識にも注意深く見ていた。隣を歩く父の横顔がぐるりと地下の様子を眺めた後に、父の様子がはっきりと変わったことに彼女は気づいた。いつもの父ならばここで「なんでもないよ」と優しい返事をしてくれるはずだと無意識にその返答を期待していたポピーだが、リュカは無言のままだ。父が話さなければ、これ以上言葉をかけることもできないと、ポピーはただ黙って父の左手を握っていた。得も言われぬ恐怖に思わず力が入っても、リュカはそんな娘の様子に気付く余裕も今は失っている。
「隠し階段を作ってこんな場所に隠れてるなんて、きっと意気地がないヤツだね!」
気づかぬ間に鬱々とした空気が漂っていた一行の間に、ティミーが強い口調でそう敵を詰る声が響いた。ティミーの言う隠し階段を降りて来たリュカたちだが、かつてこの場にいたリュカもこの隠し階段の存在は全く知らなかった。リュカがこの地を離れてから既に十年以上の月日が経ち、その間に大神殿は完成した。リュカがいない間にも多くの奴隷たちがこの場所で働かされ、今のこの場所にはリュカの知らない場所が多くあるのは容易に想像できる。
しかしリュカはこの場所を知っている。岩肌がむき出しになった壁に天井に、そして階段を降りた先には剥き出しの地面が広がっていた。水気を含んだ地面には、もしかしたら奴隷たちの血も汗も滲んで残っているのではないかと、リュカは思わず立ち止まり、地面を静かに見つめた。でこぼことまるで整えられていない土の地面は冷たいが、それでも地上で寒風に吹き晒された作業に比べればまだましと思える部分もあった。どちらも辛い作業だが、どちらの作業にも何かしらの救いを求めずにはいられなかった。
「リュカ、ミチ、ツヅイテルヨ?」
先に続く道も、どこもかしこも岩盤剥き出しの、まるで自然にできた洞窟のような光景だった。しかし目を凝らして見れば、その岩盤にも人の手で削られた跡がある。大神殿を建造するための材料の掘り出し作業は地下で行われ、その材料は奴隷たちの手によって、先ほどリュカたちが降りて来た階段を使って上へと運ばれた。巨大な大岩ともなれば、巨大な滑車を使って直接地下と地上を繋ぐ穴から運ばれた。その滑車を動かしていたのも、何人もの奴隷たちだった。
続く道を行けば、そこには大空洞が広がっていた。この場所でリュカやヘンリーを含む多くの奴隷たちが、終わりの見えない大神殿の建造のために働かされていた。老若男女問わず、様々な人々がいた。リュカたちのように子供の頃から働かされている者もいた。到底力仕事など向いていない少女も女性もいた。明日にでも命尽きてしまいそうな老人もいた。今でも、この大空洞には奴隷たちを容赦なく鞭打つ音が響き、巨大な滑車がけたたましい音を響かせて動く音が響き、痛みや苦しみに上がる人々の声が響いているような気がした。
多くの人々がいたこの場所には今、人もいなければ魔物の姿もない。ただ何もないだだっ広い空洞を囲んでいる水の気配に、リュカはかつてもこの場所には水は豊富にあったことを思い出す。ただ奴隷の身分の者が勝手に飲んで良いものではなかった。それに見合う対価として労働を強いられた。
静かに水の流れる音が耳に届くが、それ以上に耳に目に五月蠅いのは、いくつもの大きな火台に灯る火の明かりだ。そのお陰で視界に困らないとは言え、この自然に出来上がったかのようにも見える土剥き出しの洞窟の中で、大層な火台がいくつも備え付けられ大きな火が灯されている光景は、異様以外の何物でもなかった。
いくつもの火台が連なる先に、更に奥へと道は続いていた。リュカはこの先を知らない。彼がこの場所にいた時には、まだこの岩盤を掘り進めている最中だったと思い出す。当時のリュカはこの場所の岩盤を削り、地上に造られた大神殿の材料にでもするのだろうというほどにしか考えていなかった。まさかこの場所に、先に続く入口のようにぽっかりと穴が空いているとは思わなかった。
「……僕たちがいた場所は……?」
思わず呟くリュカの声を、ポピーは聞き逃さなかった。辺りを見渡す父を見上げ、ポピーは静かに父の様子を窺い続ける。
強制的に働かされていた奴隷とは言え、人間である限り、一日中寝ずに休まずに働かされることはなかった。奴隷たちが身体を休める場所があったはずだが、その場所は今は見当たらない。なけなしの墓地もあったはずで、看守らが奴隷を監視する場所もあったはずだった。どこか他の場所から入れるようにしたのだろうかとも考えるが、いちいち奴隷のためにそのような手間暇をかけて他の入口を作るとも思えない。
リュカは奥へと誘う道が続く手前に並ぶ火台の上に灯る火を見つめる。この場所はもっと暗かった。これほどはっきりと遠くを見渡せるような大きな明かりはなかった。奴隷たちは薄暗い洞窟の中で、滑車が回るけたたましい音が頭の中に鳴り響くまま、ただ目の前の作業に没頭した。今ではきれいさっぱり無くなってしまった巨大な滑車がぐるぐると回る光景を、リュカは火台の火の中に見るようで、無意識にその表情は険しいものになる。
下りてきた階段から、大神殿が完成しても尚洞窟の様相のまま残されたこの場所に、リュカはヘンリーと過ごしたこの場所の造りを思い出す。リュカたちは祭壇の下に隠されていた階段を降りて来た。大神殿内には祭壇に続く通路があった。多くの信者たちが上がるための広く作られた祈りの場もあった。それらの台はもともと存在せず、リュカはその時に台の下に当たる場所にいたのだと分かった。かつて奴隷たちの休息の場であったり、墓地であったり、奴隷たちを懲らしめるための牢などは全て、大神殿の下に埋もれたような状況に違いないとリュカは十年いたこの場所をはっきりと思い出していた。
大神殿の中で魂を抜かれた人形のごとく祈りを捧げ続けていた人々は今、竜神の下にいるはずだ。囚われていた人々をリュカは確かに助け出した。しかし助け出せなかった者も多くいたことは確かだ。人の命を命とも思わぬこの教団のやることだ。もしかしたら大神殿完成に合わせるように、人々が日々使っていた地下の部屋へ通じる道を、封じてしまった可能性も無きにしも非ずだ。まるでこの場所には初めから奴隷などいなかったと、光の教団は彼らの歴史を消し去ってしまおうとしたのだろうとリュカは自然とそう思えた。
立ち止まり、鬱々と考え込むリュカの傍で、唐突に光が上がった。見ればベホズンが被る冠の上から癒しの呪文を放っていた。奴隷たちが働かされていたこの場所に行き渡るよう、ベホマズンの呪文を唱えたのだ。人間よりも数段鋭い魔物特有の感覚をもってして、ベホズンはこの場所に何かを感じたのかも知れない。洞窟内を照らす癒しの光を見ながら、リュカはもっと早くにこの光がこの場所に届いていれば良かったのにと、どうしようもない後悔の念を抱いてしまう。
「……リュカ、ココ、シッテル?」
ガンドフもまた、魔物の鋭い感覚でこの場所に残る人々の痛み苦しみの声や心を感じているのかも知れない。いつもは大きく開かれている一つ目が、どこか苦し気に細められている。見たくもない光景から目を背けるように、大きな瞳を行き場なく揺らしている。
今更話しても仕方のないことだと分かっている。過ぎた時間はもう取り戻せない。救えなかった人々を今になって救い出すことも叶わない。多くの人々の人生が踏みにじられたこの場所の記憶は、この場所にいた者たちだけが知っていれば良い。
しかしそれで本当に良いのだろうか。この場所で命尽きてしまった人々の思いは、そのように静かに収められるものだろうかと、リュカは地面を見つめる表情を険しくする。自身やヘンリーは、マリアの兄ヨシュアの計らいにより運良くこの場所からの脱出に成功した。しかし多くの人々は無念の内にこの場で命尽きたという現実がある。それを知るリュカは、この場所で起こった悲惨を、亡くなった人々のためにも、生きている人々に伝えなければならないのではないだろうか。
リュカがぽつりと漏らす。
「うん……知ってるよ。僕はここにいたから」
じっと父を見上げていたポピーの目が驚きに見張り、ティミーが振り返り父を射抜くように見つめる。
「ここに十年……ヘンリーと一緒にいたんだ。奴隷として」
リュカは地面を見つめながら話していた。自分に向けられる子供たちの視線に耐える自信がなかった。奴隷として過ごした経験のある父を、子供たちがどのように思うのか、感じるのかは分からない。もしかしたら初めて嫌悪の表情を見せられるかも知れない。しかしリュカはもう、自身の過去を隠しておくことはできなかった。
父を殺され、それ以降十年余りの日々を、この場所で奴隷として過ごしたことをリュカは初めて子供たちや仲間たちに告げた。ティミーもポピーも、リュカが敵ゲマの手に囚われ、彼らの祖父であるパパスが跡形もなく消え去ってしまった場面を、以前天空城内で人間の姿をしていたプサンの力により目にしている。しかしその後、まさかリュカがそのような壮絶な日々を送っていたことなど微塵も知らされていなかった。
リュカはこの場所にいた人々のためにと、自身に起こった過去の出来事を皆に話した。運良くこの場所を逃れ、今でも生きていられる自分にはその義務があるのだと思えた。命を踏みにじられたまま、誰にも知られることなく、そのまま何もなかったように消し去られてしまう人の命があってはならないと、リュカは話した。
「そう……お父さん、昔ここで働かされていたのね……」
リュカの話を聞いてそう漏らすポピーの表情は、呆然としたものだった。父やヘンリーや、マリアまでもがこの場所で働かされ、生きることに必死だった時があったという過去に、頭が追いつかない状態だった。そのまま考え込むことを止めなければ、果てしもない深い海に沈んでしまいそうだった。
しかし沈みそうになる妹の心を、兄はいつでも引き上げる。沈んでいる場合ではないと、彼はいつものように強く前を見る。
「お父さん、行こうよ。ボク、今まででいっちばん怒ってるよ。お父さんやみんなを苦しめてさ、ヒドイことしてさ。なんなんだよ! いますぐにぶっ飛ばしてやりたいよ! その……何だっけ、アブールだっけ?」
「イブール、カナ?」
「そう! イブール! もう、メッタメッタのギッタギタにやっつけてやるんだから!」
そう言いながら天空の剣をぶんぶん振り回すティミーの姿は、まだ子供ながらにやはり勇ましいものだった。しかしどこかちぐはぐで、思わず笑いが零れてしまうのをリュカは止められなかった。笑顔を見せた父リュカを見て、ポピーもティミーも釣られて笑顔になる。ここで皆で落ち込んで沈んでいても仕方がないと、リュカたちは火台の明かりに照らされている更に先に続く道に目を向ける。リュカのマントの内側に潜んでいたスラりんも姿を現し、リュカの肩の上にちょこんと乗る。小さく「ピィピィ」と小鳥のように鳴くスラりんに、リュカは再び口元に笑みを浮かべる。仲間がいる有難さを噛み締める。
「もう敵の好きにはさせない」
それだけの力をつけてこの場所に戻ってきたのだと言わんばかりにリュカがそう呟くと、並ぶいくつもの火台の火が風もないのに大きく揺れた。それはこの場にいた者たちの無念の為せる業か、それとも奥に潜む敵の嘲笑が響いたか。そのどちらにしてもリュカは揺れる火の明かりを背中に浴びながら、奥に続く道へと進んでいった。

Comment

  1. ケアル より:

    bibi様。

    ティミー・ポピー、初めて母ビアンカの姿を見たことになりますよね?
    ミニモンが声マネできるけど姿形はマネできませんもんね。
    いやぁなんという衝撃的な対面。予想はできたけど、いざそんな状況になったら、ティミー・ポピーの心情は複雑なんだろうなぁ…そんな子供たちの気持ちをケアルは考えると心が締め付けられます…。

    ストロスの杖問題、bibi様どのように修正して描写してくれるかと楽しみにしていました。 なるほど、イブールが結界をはって触ることもできない、ルーラの範囲も届かなくしたんですね。
    うん良いと思いますよ。 ビアンカ石像をbibiワールドのリュカたちは運ぶという行動に当たり前ですが考えるだろうと思います。 マスタードラゴンに乗せるかルーラで移動。bibiワールドのリュカたちの気持ちになって考えれば納得の行動。 それを防がないとストーリー崩れちゃいますからね、うまく辻褄を合わせられたと思います(笑み)

    10名いた仲間を6人4人で分けたんですね。
    ピエールは過去の過ちを2度としないと考えていますね。
    プックルもあの時ビアンカ石像の前から居なくならなければと思いつつ、リュカたちが心配…。
    ピエールとプックルはデモンズタワーの時、まじで殺し合い…いや、一方的にプックルがピエールを殺しかける勢いでしたもんね(汗)

    bibi様、区切り前のここで三つ質問あります。
    ゲーム本編で大神殿の奴隷たちの中に、孤島のお屋敷にいたジージョいませんでしたか?
    イブールの地下に潜る前に、正気に戻ったジージョと会話ができたと思うんですが…?
    bibiワールドで描写は考えていませんでしたか?
    bibiワールドでデモンズタワーの時、ガンドフがビアンカ石像を置いて行くのが嫌だから、背負って持って行こうとした時、ビアンカのブーツの先が壊れて欠片がどこかに飛んで行ってしまいましたよね?
    現在のビアンカ石像はブーツの先、やはり欠けているんでしょうか?
    今回のお話、石にされたのはジャミのせいだと執筆されていますよね。
    え~と…石にするのはジャミなのはSFC。
    リメイクPS2とDSはゲマです。
    ジャミを倒した後、デモンズタワーにゲマが現れてリュカとビアンカを石像にします。
    原作リメイク版から変更になっており、bibi様もちゃんとbibiワールドでゲマが石像にする呪文を使ったことにして描写なさっています(笑み)
    たいしたことないフイッチなんですが…すみません気になってしまいました(汗汗)

    リュカ、とうとう奴隷のことをティミー・ポピー、スラりん、ガンドフ、ベホズンに話してしまいましたか…。
    子供たち衝撃過ぎて辛いよね…。
    リュカが暴露したから、上にいる仲間モンスターやグランバニアのサンチョたちにもリュカが奴隷にされたことが伝わることになりますね。 あ!もしかしたらサンチョにはbibiワールドでリュカが話しましたか?…そんな気がする…間違ってたらすみません。
    リュカ奴隷暴露のおかげで、描写が今後広がりそうですね。

    リュカの心情は悲しくて悔しくてしょうがないんでしょうね。
    奴隷10年、色々な辛い記憶を思い出してしまう。
    bibiワールドで鞭で打たれて死んでしまったお爺さんいましたよね?
    たしか名前は…なんだっけ?…見返せば思い出せるんですがたしか…オサだったかな?
    リュカがオサの仕事を助け休憩を促して配給を恵んであげた時の話だったでしょうか?
    リュカは、そういう記憶を思い出したんでしょうね…むごい話…(泣)

    次回はイブールまでの探索になりますね。
    bibi様、探索している時、先日話をしたあの礼の話があります。
    次話も楽しみにしていますね!

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      そうですね、双子は初めて母の姿を見たことになります。既に一度、父が石化した姿を見たことがあるとは言え、別の衝撃を受けたと思います。しかも触れることもできないと・・・私の個人的な設定ですが、敵もこれくらいのことはしそうだなと想像して、そのようなお話にさせてもらいました。

      パーティーを今回はこのように分けました。本当は四人しか行けないんですけどね。そもそも十人連れてきているので、ゲームとは内容が合わないんですけどね(汗) プックルとピエールを外したのは苦渋の決断です。本当は誰よりも連れて行きたいんですが、彼らにとっては発見したビアンカを必ず守り抜くことがある意味償いなのだと、そんな思いで残ってもらうことにしました。その代わり、ガンドフだけは連れて行きます。彼には子供たちを守る役目を。

      ジージョについては後に話す機会を設けようかと思っています。本当はこのタイミングなんですけどね。彼とはまたじっくり話をしたいと思っているので、後に解放された人々との話す機会を作ろうかと思っています。
      ビアンカのブーツの先、そうです、やはり欠けたままです。直せないですからね。・・・細かいところまで気にかけて頂いて、何だか恐縮です。私の拙いお話を読み込んでいただいているのだなと。とてもありがたいことです。
      ジャミの件、これは・・・間違えてましたね。ご指摘ありがとうございます。先ほど直しておきました。自分で書いたこと、覚えてないんですよね(汗) 覚えてない故にちょくちょく自分でも過去の話を読み返したりしているんですが、それでも追いつかなかったりで・・・いやぁ、助かりました。

      奴隷として過ごしたことを仲間たちに話しました。もうリュカにとっては、これは自分やヘンリー、マリアだけの問題ではないと、腹を括った感じです。サンチョには既に話しているようです→まだ届かない場所
      その時の話は、こちらではほんの一部しか書いていない状況で、もっともっとたくさんの過去があるので、リュカの思いを私も描き切れません(泣) こちらでは書き表せないような陰惨な過去を経ていると思われます。

      次話もなるべく早くにアップできるよう、頑張ってみます~^^

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