ラストメンバー

 

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窓の外にはいつでも鮮やかな緑の景色が広がる。グランバニアの土地は土壌も豊かで、城を囲む森林は年中通して色を濃くしている。昼を過ぎ、部屋に差し込む日差しはなくなったが、天から降り注ぐ陽光に照らされた森林は相も変わらず活力ある緑に輝いている。
開けられた窓からは深い森の湿気を含んだ空気が流れ込んでくる。それがティミーの肌に心地よい涼しさを与えてくれる。首元に滲んでいた汗が森の風に当てられ、周りの空気の中へと連れ去られる。その瞬間が涼しく心地よく、昼を過ぎて腹も満たされた今は当然のように瞼も重くなる。欠伸を噛み殺す。今は一人でいるわけではないから、一応そのような気遣いを見せる。しかし彼の気遣いは周囲には全て露見している。
かくんと一度頭を前に折った後、ティミーの頭はそのまま前に垂れたままとなった。安らかな寝息が規則正しい調子で部屋の中に始まる。同じ算術問題を学者先生に提示され、既に解き終え読書に耽っていたポピーは、隣の席で舟を漕ぎ始めた兄ティミーを見て呆れたような困ったような顔つきで、その向こうに見える母を見上げる。すると母ビアンカもまたうつらうつらとしているものだから、思わずポピーはその幸せな空間で笑いを漏らしてしまった。
「王子だけであればまだ叱ることもできたものを、王妃様までこうでは……少し休憩を入れた方が良さそうですな」
「そうかも知れませんね、先生」
「過ぎたるは猶及ばざるが如し、とも言いますからな。四半時ほど休んでからとしましょう。王女もしばし目を休ませるのが良いでしょう」
そう言って双子の王子王女の先生となるグランバニアの学者は手にしていた分厚い本をぱたりと閉じた。そして今にも机の上に突っ伏して眠ってしまいそうなティミーを見ると、その表情に労りの心を見せるように優しい笑みを浮かべた。家族三人でゆっくり休めるようにと、学者は静かに部屋から出て行く。
「あ、あら? 先生は?」
僅かな扉の閉まる音だったが、その気配に気づいたように顔を上げたビアンカは明らかに眠そうな顔つきで辺りをキョロキョロと見廻す。母の声が頭の斜め上で響いたのをきっかけに、ティミーもまたはっと顔を上げる。
「少しお休みの時間を取ってくれたみたい。だから寝ていても大丈夫よ」
そう言っていかにも楽しそうに笑うポピーを見て、ビアンカは気まずさを隠し切れない状態でどこでもない宙に視線を漂わせ、そして気まずさの落ち着く先を息子ティミーに求める。
「よ、良かったじゃない、ティミー。少し寝ていても平気みたいよ。せっかくだから少し眠って休んだらいいわ」
「うん? うん……う~ん、ふわ~あ」
放っておかれればいくらでも眠りに就けたティミーだが、いざ休んで良いと声をかけられればどういうわけだか眠りに就くのが惜しい気がしてくる。またその思いとは別に無意識にも伸びをして欠伸をすれば、それだけで少々眠気も覚めてしまう。そしてせっかく眠気が覚めたのだからと、隣に座る母と妹との時を過ごそうかと思うのは、ティミーの中に時間を惜しむ気持ちが働いているせいだろう。
「ねえ、今もマスタードラゴンって世界を飛んで見て回ってるのかな」
彼らが天空城を訪れ、竜神の背に乗って世界の景色を見た日から既に数日が経っていた。竜神の背に乗って世界の景色を見たリュカたちはその後、再び天空城に戻り、しばしの時を過ごした。ビアンカは意気揚々と巨大な天空城を案内する双子の子供たちに連れられ、様々な場所を見て行った。天空城の中に生活する天空人の姿を見て、想像していたよりもどこか人間らしいその姿に、いつの間にか彼らに対しても普通に話しかけるようになっていた。美味しいパンの香りのする場所では、パンを作る天空人の女性の手際の良さを褒めながら、自らもパン作りを手伝ったりしていた。世界樹の若芽を大事に育てている妖精に出会った時には、「ここには妖精さんもいるのね!」と子供の様に喜んだ。そして遠くない未来に魔界への旅を予定しているビアンカたちに、これをお守りにと世界樹の雫が入った小瓶を一つ渡してくれた。その小瓶は今は国王私室に置いてあるビアンカの道具袋の中に丁寧にしまわれている。彼女もまた、次の旅の仕度を着々と進めている。
一つ一つの部屋が途轍もない広さで、一時的にこの場所にあの大神殿に囚われていた人々を避難させたのは最もな判断だと思った。どこを見渡しても神々しさを感じられるこの天空城での束の間の日々は、彼らにとってはまるで天国にでも来たかのような経験となったに違いない。そして一人残らずマスタードラゴンにより地上へと生きる場所を移した彼らは、地獄の生活から天国へと救われ、その後に懐かしき地上の景色に囲まれてようやくその身に温かな血が通うのを感じたのかも知れない。
「きっとそうよ。マスタードラゴンが空を飛ぶだけで、地上の悪い魔物の行動は少し大人しくなるんだって、天空人の人も言っていたわ」
「マスタードラゴンでも完全に抑えることってできないんだね」
「……それだけ魔物の力が強くなってるってこと、なのよ、きっと。……イヤだけど」
「まあ、仕方ないよね。だってマスタードラゴンって言ってもさ、元はプサンさんだもん。ちょっと頼りないところあるよね~」
「元々マスタードラゴンだと思うけど……元はプサンさんって、それって逆じゃない?」
「でもさ、神様が人間に化けてみようって思って、化けたのがあのプサンさんだよ? 他にもいくらでもカッコイイ人間っていたはずなのにさ、あのプサンさんに化けちゃうってことは、もうプサンさんがマスタードラゴンになったってことでもいいんじゃない?」
「……私はあんなゆかいなおじさんがマスタードラゴンになっただなんて、ちょっと認めたくないなぁ」
「ええ~? ゆかいなおじさんが神様だってところがいいのになぁ」
「マスタードラゴンってゆかいなおじさんになってたの?」
マスタードラゴンとしての竜の姿を取り戻す前の状況を、ビアンカは何一つ知らないままだった。子供たちが話している内容に首を傾げながら、ビアンカは想像もできないゆかいなおじさんの姿をしているマスタードラゴンの姿をどうにか思い浮かべようとする。
「ふ~ん……私も見てみたかったな。ねえ、どんな感じの人だったの? ゆかいなおじさんって、たとえば……サンチョさんみたいな感じかしら」
「サンチョとは違うかなぁ」
「お母さん、サンチョをそんな風に見てたの?」
「え? いや、私の身近にいる楽しいおじさんって言ったらサンチョさんが思い浮かんだだけよ。……そうねぇ、楽しいとは違うのよね。愉快ってなると、ちょっと身近にはいないかな」
そう言って視線を彷徨わせながらビアンカは身近にいる男性を一人一人思い浮かべる。その中で一人だけ思い当たる人物を、新たに口に上らせてみた。
「あっ、ピピンはどう? 面白い子よね」
「あ~、ピピンね~。うん、面白いけど、どうだろう、やっぱり違う気がするなぁ」
「うん、違うと思う。ピピンは面白いけど、プサンさんは何て言うか……余裕がある感じ? ピピンみたいにあたふたすることはないかな」
「そうそう、ポピーの言う通り。プサンさんってもしあたふたしてても、それさえも余裕がある感じがするよね」
「なるほどね~。二人ともよく見てるのね。でもさ、それこそ神様って感じじゃない。余裕を持ちながらもあたふたするなんて、神様じゃないとできそうにないわ」
「神様ならあたふたしなくってもいいと思うけど……」
「でもマスタードラゴンって人間になってみたくて人間に化けてたんだよね? だったら人間みたいにあたふたしてみたかったんじゃないかな。人間っぽく」
「そう考えると、やっぱり愉快なおじさんなのね~。もう一度人間に化けてみたりしないのかしら。私も人間のプサンさんになったマスタードラゴンを見てみたいな」
「え~、ボクは今のマスタードラゴンの方がいいなぁ。だって大きい竜の神様の方がカッコイイじゃん」
「それにまたマスタードラゴンが人間になっちゃったら、天空人さんたちが混乱しちゃうかも……」
「ま、世界が平和になった時にお願いしてみようかしらね。それまでは威厳ある神様でいてもらった方が世界のためよね」
話をしている内にすっかり眠気の覚めたビアンカもティミーも、しばし与えられた休息の時間を休まないまま、ポピーを交え母子での会話を弾ませる。
「ところでお父さんは今どこにいるんだろ」
「今日はお城にいるんでしょ?」
ティミーとポピーに同時に目を向けられたビアンカは、二人を安心させるように応える。
「そうよ。今日は一日お城でお仕事って言ってたわ」
ビアンカは朝の内に、夫リュカから一日の仕事の流れを凡そ聞いている。彼の性格からして、一つ一つを丁寧に説明することはないが、大事なことは流れとは別に耳にしていた。
「今頃はきっと、魔物の仲間たちのところにいるんじゃないかしら」
「え~、ずるい! ボクも行きたい! お父さん、あそこに行く時はボクにも声をかけてくれるのに!」
「お父さんが一人で特訓? 大丈夫かな。ピエールかベホズンは一緒にいるの?」
「多分、みんないるわ」
「みんなって……みんな?」
「うん、そう。みんな揃ってるはずよ」
そう言って二人の子供の頭を撫でるビアンカは、無意識に子供たちの心を落ち着かせようと手が勝手に子供たちの頭を撫でていることに気付かない。今の時間、リュカは城にいる魔物たちを一堂に集め、話をしている。その間はグランバニアの人間の兵士たちが国の護りを固めている。もしかしたら魔物の仲間たちとの話が長引くかもしれないと、ジェイミー兵士長には伝えてあるらしい。それほどに大事な話を今、彼はしているのだ。
「ティミーとポピーは、誰と一緒に行きたい?」
どこへ、とは言わないビアンカは、ただ片手で二人の子供を一度に抱き込むようにしてそう問いかける。母の温かさがあるために、ティミーもポピーも母に寄り添いながら、胸の中に走る緊張を抑えることができる。
「ボクはお父さんが決めてくれたら、それでいいよ」
「私も。……だって魔物のみんなは初めから、お父さんについてきたんだもの」
「そうねぇ」
子供たちの肩を抱いているビアンカもまた、子供たちの体温を感じているから安心している側面はある。一人で考えれば、もしかしたら不安に押しつぶされてしまうかもしれない。それを未知の道を共に歩もうとする子供たちと言葉を交わすだけで、少々情けなく思いつつも、心落ち着けて考え言葉を発することができる。
「でもね、お父さんよりももっと前から、このグランバニアにいてくれている魔物の仲間たちもいるのよね」
今では多くの魔物たちがグランバニアの護りのためにその任に順番に就いている。その中には、リュカが旅の途中で仲間にしてきた魔物たちが多くいるが、リュカがビアンカと共にグランバニアの国に着く前から、この国には既に魔物たちが暮らしていた。
「……そう言うことも含めて、きっとお父さんが決めてくれるわね」
まだはっきりとした日は決まっていない。しかしそう遠くない日に、決まるのだろう。それ故に、母子は今のこの時を大事にしている。ひと時たりとも無駄にはできないと、このグランバニアで過ごす日々を肌に心に刻みつけている。



グランバニアの城壁近く。ちょうど昼下がりの時分に、リュカはグランバニア城の外へ出ていた。今のところ空は晴れ、綿のような雲がところどころ浮かぶだけの穏やかさを見せているが、西の森の上にはいくらか雲が寄せ集まっている光景がある。夕方には一雨来るかもしれないと、リュカは既に城壁近くに揃っている魔物たちの姿を広々と見つめた。
「みんな、お待たせ」
リュカが予め呼んでいた魔物の仲間たちは、その全てが今この場に揃っていた。プックル、スラりん、ピエール、ガンドフ、マーリン、メッキー、マッド、ベホズン、ロッキー、アンクル。彼らはリュカが旅をしてきた中で、仲間になった魔物たちだ。グランバニア襲撃の際に仲間になった魔物たちもいる。五体のアームライオンであるアムール、シンバ、ノボル、オホリン、ライアン。リュカがこの場に現れるまでは、魔物の仲間同士で様々会話をしていた様子だったが、リュカが姿を現すや否や皆が皆静かに口を閉ざした。
リュカも静かに皆の表情を見渡す。その視線は自ずと、右の方へと運ばれる。
そこにはサーラにミニモン、キングス、その巨体の前にスラぼう、そして彼らを後ろから保護するように立つゴレムスだ。彼らの表情には一つの不真面目もない。普段は明るくふざけたようなことを口走るミニモンも、サーラの隣で大人しくリュカのことを見つめている。
「時間もそんなにないから、必要な話だけ、しておくね」
普段ならば彼ら魔物は順番にこのグランバニアの護りの役に就いているはずだ。その時間を一時的に貰っている立場のリュカは、早々に本題を切り出した。
「近々、魔界を目指すことになってる」
淡々とした口調で切り出されたリュカの言葉に、リュカの前に集まる魔物たちの中に緊張感が一瞬にして張りつめるのが誰にも分かった。ただ、近い内に主であるリュカがこの話をするのだろうと言うことは、誰もが分かっていた。以前、グランバニア城内の大会議室で行われた話し合いで、ピエールやマーリンは直に話を聞いている。いよいよ魔界に足を踏み入れ、リュカの母であり、先代の国王パパスの妃であるマーサの救出のために動き出すのだと、魔物の仲間たちはただじっとリュカを見つめて言葉を待つ。
「一緒に魔界を目指す者と、このグランバニアに残ってもらう者と、決めたいと思う」
魔物の仲間たちは今ではグランバニアという国を守護する大きな力となっている。いくら未知の世界でもある魔界を目指すとは言え、ここにいる魔物たちを全て引き連れて行くことはできない。
魔界と言う世界を知っている魔物は、リュカの仲間にはいなかった。ただサーラだけはその世界を覗き見たことがあるらしい。光に乏しく、そのためか、それとも他にも要因があるのか、常に寒々とした空気が漂っていると聞いたリュカは、それなら想像している通りだと笑ってみせたこともあった。
「一緒に来たい人、いる?」
まさかリュカが意見を募るとは思ってもいなかった魔物たちの間で、戸惑いが見られた。彼らはてっきりリュカが既に連れて行く魔物の仲間を決めているものだと思っていたのだ。リュカが決めてしまい、それを魔物たちに告げれば、彼らは一も二もなく付いて行くばかりだ。それほどに魔物の仲間たちはリュカを信じ、頼っている。
リュカの濃紫色のマントが僅かな風に揺れる。グランバニアの周りに広がる広大な森から、湿気を含んだ風が流れて来る。今のリュカの姿は、共に旅してきた魔物たちが目にしてきたのと同じ、旅をする時の服装だった。彼がまだこの国の王となる前の、広く世界を旅してきた時のことを思い出す仲間がいる。リュカも敢えて、城内で着替えてから今のこの場に臨んだのだった。世界を共に旅をしてきた仲間たちと真剣な話をする時には、これが己の正装なのだと言うように、リュカもまた旅装の姿で魔物たちと歩んできた旅路を脳裏に思い描いている。
少年から大人になり、リュカは再び地上の世界へと足を踏み出した。その時、隣にはヘンリーがいた。既に十年来の友となり、かけがえのない親友と言う立場だと、恐らく互いにそう思っていた。彼との旅が始まり、間もなくして仲間になったのがスラりんだ。サンタローズの村の入口で、スラりんはうっかりヘンリーに踏まれて形を変えていた。初めのその出会いがあったから、スラりんは今でもヘンリーに対して当たりが強い。恐らく幼い頃にも出会ったことのあるスラりんは、その後すぐに戦うことも無くリュカの仲間となった。
ラインハットへ向かう道で、スライムナイトのピエールに遭った。リュカはピエールとも幼い頃に出会ったことがあるのだと思っている。ピエールは魔物として、人間であるリュカとヘンリーと当然のように戦ったが、彼らに敗れた。ピエールが魔物と人間は相容れないものだと主張する正面から、リュカは何故どうしてとピエールを悉く質問攻めにして、そうしていつの間にかラインハットまでの道を共に歩み始めていた。言葉を話すことのできる魔物と初めて打ち解けたことに、リュカは少なからず興奮していたに違いないと、当時を思い出せば思わず顔に笑みが浮かぶ。
魔物棲みつく神の塔に安置される鏡を守るように、ガンドフがそこにいた。初めからまるで邪気を感じなかったのは、ただラーの鏡の美しさのみに注意が向かっていたからかも知れない。鏡を手にして戻るマリアが見えない橋のような通路から足を踏み外し、下へと落ちるのを見て真っ先に手を伸ばしたのはガンドフだ。さほど言葉が得意ではないガンドフに、リュカは互いに鏡が必要なら一緒に行けばいいと、それ以来仲間となった。今でもガンドフはマリアと会えば嬉しそうに目を細めて話す。
ラインハットにて二人の友人と別れ、船で西の大陸へと渡った。港町で行きがかり上カボチ村の村人の依頼を受けたリュカたちは、そのまま南下しカボチ村へと向かった。その途中、一人の老人と出遭った。初めは人間だと思った。雨の中、一人歩く老人を放っては置けないとリュカが声をかけたのが、マーリンだった。初めこそ互いに戦う雰囲気があったが、普通の人間の老人のように、寧ろ普通の人間の老人以上に喋るマーリンと話している内に、打ち解けた。マーリンとしては、リュカの純粋無垢な話術に根負けしたようなものだったのかも知れない。初めはルラフェンまで付き合ってやると言っていたマーリンだが、今ではグランバニア国の重鎮のような立場にいる。そう振り返り、考えると、どこか可笑しくて笑いそうになってしまう。
カボチ村の畑を荒らす獣がいると、村の西の洞窟を探検した先に、かつての戦友がいた。互いに死んだものと思っていたからだろう、プックルと再会した時の嬉しさは大きなものだった。プックルとは心通わせることはできても、実際に言葉を交わすことはできない。その為に、彼が東の大陸から西の大陸へとたった一匹で旅をして、しかもその口には常に父の形見でもある剣を咥えていたという彼の物語を逐一確かめることはできない。しかしすっかり成長したプックルのその姿を見ただけで、彼もまた過去のあの時の思いを大事に胸の内にしまっていたのだと思えた。幼い頃にも冒険をした彼とは、血の繋がりもなければ、種族も異なる存在だが、今や兄弟のようなものだ。あくまでもリュカは自分が兄だと思っているが、プックルはきっと彼自身が兄だと言って聞かないのだろう。
サラボナのルドマンに会い、炎のリングを目指して死の火山を探検した。その洞窟の中にも様々魔物が棲みついていたが、回復呪文を使うことで苦戦させられたのがキメラの群れだった。しかし傷ついた仲間のキメラを助けるために回復呪文を施すキメラを見て、リュカは魔物の仲間意識の強さを見た。そしてキメラの翼を取るために人間たちに乱獲され、その所以でキメラたちの人間に対する憎しみが強いとマーリンに聞かされれば、リュカはそれを素直に詫びるようにキメラの群れに頭を下げたのだ。初めて見る人間の謝る姿に、メッキーは感化された。リュカが何を言っているのかは恐らく分かっていなかっただろうが、何をしているのかは朧気にも通じていたようで、魔物を仲間にして旅をする人間リュカに、メッキーもそれ以後仲間となった。
チゾットの山を登る途中、マッドドラゴンの群れに遭遇した。激しい戦闘の最中、一匹だけが異なる動きを見せていた。崖から落ちそうになるガンドフを助けるのに手を貸してくれたのが、マッドだ。あの時はただ人間が使うロープと言う道具に興味があっただけなのかもしれない。言葉を話さない彼がどのようなことを考えているのかは分からない。しかし人間と魔物が共に旅をしているその状況に、純粋に好奇心が擽られたのは間違いない。戦いの時には存分に荒っぽい攻撃をしてくれる彼だが、それと言うのも恐らく「誰かの役に立てる喜び」を知ったからなのだろう。
破壊の跡が多く残る天空の塔を上り詰める最中、ひたすら回復に努めるスライムベホマズンが一体いた。激しい戦闘の最中、敵である魔物の傷を一度に全回復してしまう彼の能力に、リュカたちは大いに苦戦し、ティミーに至っては力を使い果たし気を失うほどだった。魔物として生を受けたと言うのに、彼はそもそも戦いが好きではなかったに違いない。全滅を逃れるために逃げたリュカたちを追って来たベホズンは、互いに助け合い、戦いから逃げることもある人間と魔物の組み合わせならば自分も仲間になれるだろうかと、その時共に旅をしていたキングスを通して仲間となった。今もベホズンは、仲間たち、国の人々全てを等しく癒してくれる心優しき魔物だ。
グランバニアの周辺の情勢を確かめようと魔物の仲間たちと魔法の絨毯で出かけた先で、爆弾岩の群れに遭遇した。あっさりと自らの命を投げ捨て、爆発してしまう爆弾岩の姿に、リュカは恐怖を感じるよりも憐れみを覚えた。ただ危険を回避するべく魔法の絨毯で仲間たちと逃げている最中、一体の爆弾岩が絨毯の上に乗り込んできてしまった。魔物の仲間たちは揃って近づこうとしなかったが、憐れみを感じたリュカは凶悪な顔つきをした爆弾岩ロッキーに命を粗末にするなという意味で説得をし始めた。リュカの持つ魔物と打ち解ける能力もあり、ロッキーもリュカと言う人間に感化され、グランバニアに共に連れ帰ることとなった。
妖精の世界へ通じると言われる迷いの森で、アンクルホーンの群れに遭った。彼らは初め、はっきりと敵対した魔物で、真正面から堂々と戦った。妖精の世界を破壊するのだと明言する彼らを放逐することもできず、リュカたちは妖精の世界を守るためにも戦った。力も強く、強力な呪文も唱えることのできるアンクルホーンだったが、苦戦しつつも仲間同士で一気に攻勢をかけることでどうにか戦いに勝利した。その内の一体が、何とも清々しいほどに寝返るように、リュカたちに助力することとなった。それがアンクルだ。いざ仲間になってしまえば、彼ほど気さくで相談のできる魔物もいない。彼の口の悪さに、思わずラインハットの親友を思い出すこともあるほどだ。
竜神の魂が宿るボブルの塔で、シュプリンガーの群れに遭遇した。敵ながら武人としての心を持つ魔物のようで、五体のシュプリンガーは統率の取れた動きを見せた。リュカは敵の群れから逃げる中で、戦いの中で傷を負わせた一体に図らずも薬草を投げつけた。それを長らく恩に感じていたシュプリンガーは、後にテルパドールの地に姿を現し、ティミー達と共にテルパドールの危機を救ってくれたのだ。彼らは今も尚、テルパドールの地に留まり、砂漠の民を守ることに力を尽くしている。
グランバニアが襲撃された際に、森の中で暴れるアームライオンの群れがあった。見た目の獰猛さとは裏腹に、彼らは味方であるはずの悪魔神官にただ使役されるだけの魔物だった。その関係性に怒りを覚えたリュカは、味方の悪魔神官の棘の金棒に怯えるアームライオンを救うように、彼らに手を差し伸べた。五体のアームライオンは、ようやく信頼できる仲間に会うことができたと喜び、以来彼らはグランバニアの護りに徹してくれている。
そして、リュカが旅の最中に仲間にするよりも以前に、このグランバニアの国に住む者がいる。彼らが待ち続けるのは、リュカの母マーサだ。
スラぼうは言葉を話すことのできるスライムだ。リュカの知らない過去に、彼はきっと母マーサの良き話し相手になっていたに違いない。リュカはかつてヘンリー、マリアと共に足を踏み入れた神の塔の草花に溢れる場所で、父と母の幻影を見た。その時、母の傍には一匹のスライムがいた。その時のスライムが、このスラぼうだったのではないかと考えたことがある。
キングスはその大きな身体で、いつでも母を包み込むように支えてくれていたのだろう。時折、リュカ自身もキングスの柔らかな巨体に寄りかかることがあるが、その時彼は自在に形を変える身体をリュカの形にへこませることがある。キングスは言葉を発することはなくとも、その行動だけでリュカに母の思い出を重ねているのだろうと思わせられる。
ミニモンは生まれた時から変わらぬ子供の姿で、これからもマーサに甘えるつもりなのだろう。声真似の得意な彼は時折マーサの声真似をして、自ら感極まって泣き出してしまうのだ。忘れないようにとかつてのマーサの言葉をそのまま口にすれば、その言葉を思い出して泣いてしまうミニモンのためにも、必ず母をこの世界へ連れ戻さなくてはならない。
サーラの冷静さには母マーサもまた様々助けられていたに違いないとリュカは感じている。リュカにおけるピエールのような頼れる存在であるのが、マーサにおけるサーラという魔物の存在だ。リュカにはいささか厳しい言い方をすることもあるサーラだが、マーサに対しての言動行動はどのようなものなのか。想像するには恐らくリュカに対するよりも数段尊敬の念の強いものなのだろう。それほどにサーラにとってのマーサは、絶大なる力の持ち主に違いない。
そして、ゴレムス。彼は母マーサがまだエルヘブンの村にいた頃からの付き合いで、彼らの中では最も母との関わりの深い魔物だ。父パパスよりも更に前から、彼は母の傍にいた。エルヘブンの村自体、数体のゴーレムの護りの中にある村であることをリュカは知っている。本来、村を出るべきではなかったマーサと共にエルヘブンの地を離れ、絶えずマーサの身を守ることを誓ってグランバニアへ身を移したというのに、大事な大事なマーサを奪われたまま既に三十年の時が過ぎようとしている。言葉を話すことのできない彼だが、その思いはリュカが想像するよりも数倍深く重いものがあるのは間違いない。
リュカは皆を後ろから守るようにどっしりと立つゴレムスをじっと見上げる。石の窪みの奥に光るゴレムスの目は、ただ静かにリュカを見つめているようだった。そこには確かにゴレムスの命が宿っているのを感じる。その目を見ているだけで、リュカはゴレムスの母への友愛を深く感じる。一体どのような関係性なのか。はっきりと言葉にできる関係性などもうないのかも知れない。本来ならば命の宿ることのない巨大な人形であるゴーレム。しかし今も生きるゴレムスの命はもしかしたら、魔界に囚われたままのマーサと共に在るのだろうかと思わせられる。
「ゴレムス」
リュカの声はそれほど大きくない。しかしその場にいる魔物の仲間たち全てに行き渡る。彼らもまた、その声を予想していたのだろう。リュカがゴレムスに声をかけることを、恐らく魔物の仲間たちもどこか期待していたのだ。
「一緒に来るかい?」
今度リュカたちが向かおうとしている場所は、長らくマーサが囚われている魔界と言う未知の世界だ。リュカは当然、母を救い出してこの地上の世界へ連れ戻し、魔界の扉を再び固く封印することを想定している。しかし夢見るばかりではいられないほどに、リュカも年齢を重ねた。万が一ということは常に考えておかなくてはならない。
万が一、母の救出に失敗した場合、ゴレムスを初め皆がマーサとは二度と再会する機会を失う。万に一つも可能性のないことを願いながらも、リュカはこの旅にゴレムスを連れて行くことは皆が望んでいることに違いないと、魔物の仲間たちの顔つきにそれを感じる。それを証明するように、誰一人、リュカの言葉に口を挟まない。ミニモンなどは「オレも連れてけー」などと騒ぎだしそうなものだが、いつになく大人しい様子でゴレムスを見上げている。
ゴレムスは言葉もなく、ただ静かに、その巨体で皆を守るように立っている。誰もゴレムスの答えを急かすことも無く、時は止まってしまったかのように何者も動くことはない。ただ穏やかな空からの日差しが夕刻の気配を見せつつも、等しく彼らを頭上から照らし、グランバニアの森の中を通る風が日差しの暖かさを混ぜて和らげるだけだ。その間、ゴレムスはひたすら思案している。
日差しを遮る影が動き、ゴレムスの大きな両腕は前に立ち並ぶサーラ、ミニモン、キングス、スラぼうを「仲間だ」と言うように抱き込んで見せる。彼らは皆、長らくマーサを待ち続ける仲間なのだと言うように、自分だけが特別ではないと、魔界へ行くのなら彼らも一緒に行くべきだと、言葉はなくともそう伝えているに違いないことをリュカは感じた。
魔物たちにとっての三十年はどのような年月なのだろうかと考えても、人間であるリュカには分からない。生まれてこの方、母の記憶のないリュカよりも尚、マーサを知る彼らの方が本来は魔界へ足を踏み入れるべきなのだろうという思いはリュカにも当然のようにある。
しかしリュカは冷静に、首を横に振る。大事な仲間の願いならば、できうる限り聞き入れたいと思うが、今のゴレムスの願いは現実に即していないものとしてリュカはそれを拒む。
「それはできないんだ、ゴレムス」
リュカが魔界へ足を踏み入れるのと同時に、グランバニアの護りはより固くしておかねばならない。グランバニアだけではない。リュカが勇者である息子ティミーを魔界に連れて行くことは、この地上からひと時勇者という存在が消えるということだ。オジロンやドリス、友人であるヘンリー、砂漠の女王アイシスにも、自分たちが魔界へ入ることを伝えており、その間の地上の世界を託している。そしてグランバニアを守護する魔物の仲間たちもまた、グランバニアだけではなく、地上の世界を守るためにこの地上の世界へ残ってもらわなくてはならない。
「ごめんね、ゴレムス」
リュカがゴレムスの目を見上げて心からの詫びの言葉を口にすると、ゴレムスは古くからの仲間たちを囲む両腕を再び動かす。目の前まで伸ばされたゴレムスの大きくごつごつとした石の手に、リュカは静かに自身の手を乗せた。声を発することのないゴレムスとの意思疎通は、こうして触れることだ。リュカ一人など軽くその手の平に乗れるほどの大きさで、その大きな手指を繊細に動かして、リュカの手を人差し指と親指の間に掴んだ。少しでもゴレムスが力を入れれば、リュカの手など一瞬で砕けてしまう。しかしゴレムスは人間に対する力の使い方を、リュカと出会うずっと前から知っている。
リュカの手を指でつまむようにして、あくまでも人間に合わせて、小さく上下に振った。人間同士が約束事や信頼を示す時に行う握手を、ゴレムスはリュカと交わした。決して声は聞こえない。しかしそれでもリュカにはゴレムスの『分かった』という一言が聞こえたような気がした。マーサの息子であるリュカの言葉に従うと、ゴレムスの手からは大人のリュカへの信頼と言うよりも、まだ子供としか思えないリュカの我儘に付き合ってあげようというほどの、どこか仕方なしに従う保護者の一人と言った雰囲気が感じられた。リュカはその雰囲気に困ったように笑いながらも、「ありがとう、分かってくれて」とゴレムスの巨大な手を両手でぽんぽんと優しく叩いた。
「他に、一緒に来たい者は……」
「がうがうっ!」
自分を置いていくなどとんでもないことだと言わんばかりのプックルが、リュカの言葉を遮るようにして主張の声を上げた。魔界と言う未知の世界へ踏み込もうとする時に、リュカの戦友である自分がいないことなどあり得ないだろうと、プックルは泰然とした態度で歩み進んでくるや、リュカの目の前に堂々と立った。リュカもまた、プックルの赤い尾が雄々しく空気を揺らす姿を見れば、それだけで自ずと心が奮えるほどに、こと戦うという場面においては彼への信頼は強い。第一、敵の魔物と戦う際において、リュカだけがプックルの背に乗り自由に動き回ることができる。魔界に棲む魔物へ立ち向かうためにも、リュカにはプックルと言う戦友が必要でもあった。
「プックル」
「がうっ」
「覚悟はあるんだね」
「がう」
聞くまでもないことだと、リュカは思いながらもプックルにそう問いかけた。プックルの返事にも迷いはない。まだベビーパンサーだった時の恩人二人が揃って魔界へと向かう時に、何故自分が二人から離れてグランバニアに留まる必要があるのかと、プックルはただリュカとビアンカと共に前に進むだけだ。二人に救われたも同然の命なのだから、二人のために使うのは当然なのだと、プックルは瞬きもせずにリュカの瞳を覗き込んでいる。
「君がいてくれれば、僕も心強い。君はいつでも勇猛果敢だからね」
常に急先鋒となるプックルの戦いの中での行動は、仲間の心を自ずと高めてくれる。勢いだけで敵の群れに突っ込んでしまうことにはらはらさせられることもあれど、疾風のように突き進むその後ろ姿を見れば、自身も怯んではいられないと、彼の後に続くことができるのだ。
リュカがプックルの赤いたてがみを強めに撫でると、プックルはリュカの尻を赤い尾でばしりと叩く。ゴレムスの方が余程力加減を知っているとリュカが愚痴れば、プックルはそれにも文句を言うようにもう一度兄弟の尻をばしりと尾で叩いた。
「ゴレムスとプックルと……他に一緒に来たい者はいるかな」
リュカのその言葉に応えるものはいない。誰もが本心ではこの場で名乗り出たいという思いを抱いているのは、張りつめた緊張感の中に分かる。しかし静まりかえるこの場で聞こえるのは、森の中に聞こえる鳥の声と、森の葉を揺らす涼やかな風の音だ。西に傾く日がそろそろと色を変えるのに合わせ、空の色が暖かくも寂しげな色を連れて来る。
リュカはいつまでも待つつもりだった。他の何を差し置いても、これはいくら時間をかけてでも、皆が納得する形で決めねばならないと思っていた。隣ではプックルが並び立ち、いつもは我慢の利かないせっかちな性格の彼も、ただひたすらに事の決着を待ち続ける。
「リュカよ」
このままでは恐らく日も暮れ、夜を迎え、そして朝陽が上り、そうまでしても決まらない未来を見たマーリンが、風の一部のようなささやかな声を出した。息苦しささえ感じていた彼らの中に漂う緊張感がひと時、やわらぎを見せ、魔物たちは各々静かに大きく呼吸をしていた。
「ピエールを連れて行くのじゃ」
マーリンの言葉こそが、誰もが予想していた事態だ。何故彼は自ら名乗り出ないのかと、他の者たちは一様にそう思っていた。誰も彼も、常にリュカと行動を共にしてきたピエールが名乗り出るに違いないと考えていたのだ。
皆の注目を集めたピエールが、ゆっくりとリュカを見る。それまで彼はリュカの姿を見ようともしていなかった。彼の表情を表す緑スライムはリュカを見つめるが、その表情は無に近い。
「回復の役目をと考えるならば、ベホズンが適任かと思われます」
ピエールの言う通り、戦いに傷ついた者を癒す役割と考えるならば、ベホズンを超える能力を持つ者はいない。唯一、ベホズンと並ぶ回復呪文の使い手は、勇者であるティミーだ。普段の冷静なピエールならば、回復能力に最も優れた戦力は分けるべきと、寧ろベホズンをグランバニアに残しておくべきだと発言しそうなものだ。
「がうっ!!」
リュカが言葉を口にする前に、プックルがその隣で大きく吠えた。その声だけで、リュカにはプックルの言わんとしていることが分かる。ピエールに「逃げるな」と言っている。魔界に向かうことから逃げるな、と言っているわけではない。プックルはピエールに「自分自身から逃げるな」と怒っているのだ。
「がうがうっ!」
この期に及んで逃げるお前は卑怯者だと、プックルは挑発にも似た言葉でピエールを責めている。八年の間、行方不明となっていた主であるリュカよりも、プックルはピエールと共に行動する時間は長かった。実は彼らはこれまでにも何度もぶつかり合っている仲だ。しかしその都度互いに思いを交わし、決して逃げることはしなかった。その経緯があるからこそ、プックルにとって今のピエールは逃げているようにしか見えなかった。
前足に力を入れて、今にも駆け出しそうな体勢のプックルを宥めるように、リュカは再びプックルの赤いたてがみを撫でる。そうして彼の頭の上に手を置いたまま、リュカは静かに問いかけた。
「ピエール」
「はい」
「僕が聞きたいのは、君が一緒に行きたいか行きたくないか、それだけだよ」
この場でリュカがピエールの同行を決めてしまえば、彼は一も二もなく主の命令を受け入れ、魔界への旅にもついてくるのは分かっている。しかし現実のところ、リュカもまた怖いのだ。大事な家族を連れて行くことにも当然のように恐怖を感じている。その上、数人の魔物の仲間も連れて行かねばならない状況を、リュカは好んで招いているわけではない。本心の本心では、たった一人で魔界に向かいたいくらいなのだ。
「私よりも貴方を助けるのに適した者がいるかと」
ピエールの声は風に消されそうなほどに小さい。はっきりとした物言いではない彼の様子を見れば、それが彼の本心ではないのだろうと誰もが思わせられる。それが周りに知れていると分かっていても、ピエールは尚もより現実的と自身が思う方へと言葉を傾けようとするが、それをリュカが遮る。
「ピエールが一緒に行きたいかどうかだ」
リュカの改めての問いに、ピエールは黙り込み、思案する。本当は思案するまでもない。主と慕うリュカと共に行動することは、今となってはピエールの生きる目的そのものだ。しかしそれを敢えて、深く考えてみると、ピエールの心の中に沸々とした思いが沸き起こる。
その思いの行きつく先は、主とその家族を守る力が自分にあるかどうかではなく、自分こそが彼らを守るために傍にいたいという純粋な思い、となる。魔界と言う場所を、魔物に生まれたピエールも知らない。どれほど恐ろしい場所なのかも想像が足りないところだろう。そのような場所に主であるリュカと彼の家族が向かおうとしているのを、グランバニアで見送る自分を到底想像できない。
リュカが家族を守るために家族に背を向けるのならば、その隣にプックルが戦友として立ち並ぶのならば、彼らの背を守るのが自分なのだと思うのは、ピエールのこれまでの経験による自負に他ならない。今のこの時にあっては、自身は主の父パパスよりもリュカの動きを理解しているに違いないとさえ思える。自分を差し置いて他に誰がリュカを丸ごと守れるものかと強く思えば、同時に過去の過ちは二度と繰り返さないのだと、石の呪いを受けた時の二人の姿を思い出せる。
「私は」
そう言ってピエールはこの時、リュカの顔を初めて真正面から見つめた。リュカの表情は一見穏やかなものだが、その漆黒の瞳はどこまでも真剣そのものだった。
「どこまでも貴方と共に在りたいと、そう思います」
ピエールのその一言が辺りに響くのと同時に、魔物たちが集まるこの場所にようやく緩やかな風が緊張感なく流れ始めた。一人一人が気づかぬうちに込めていた身体の力が、自然と解れていく。
次に向かおうとしている場所は、魔界だ。これまでにも様々な場所への旅をしてきた彼らだが、今度の旅は頭から危険に突っ込んでいくような、安全安心とは切り離された場所への旅となる。そこへ向かうには、ただ戦いの力量に優れているだけでは精神が持たないだろう。何よりも必要となるのは、戦って守って生き抜いて見せるという、確固たる意地と誇りだ。その思いを強く抱くことで、己の中にある力と言う力を全て高めることもできる。
「良かった。ピエールが行かないって言ったらどうしようかと思ったよ」
本心ではリュカから、ピエールに同行を願いたいくらいだった。リュカにとっても、ピエールはこれ以上ないほど信頼の置ける仲間なのだ。敵に勇敢に立ち向かう姿はプックルにも劣らず、それでいて判断は常に冷静だ。たとえリュカやプックルが平静を失い暴走しかけたとしても、ピエールならばそれを止めてくれるに違いないと、リュカは先日のグランバニアの大会議室での彼の姿を思い出す。自分と共に駆けるだけではなく、いざという時には自分を止めてくれる者が必要なのだと、リュカはピエールにほっとしたような笑みを見せる。
「なあ、リュカー。これで決まりかー?」
すっかり空気の和らいだこの場に、いつも通りのミニモンの声が通る。それまでは緊張した様子でサーラの肩にかじりつくように止まっていたミニモンだが、今はサーラの斜め上をパタパタと飛んでいる。実はその悪魔のような翼を動かさなくとも宙に浮けるミニモンだが、ようやく自由に動けるようになったこの雰囲気を存分に味わうように、翼を動かしているのだろう。
「リュカ王、魔界と言うところはどのような場所なのか、私も詳しくは存じませんが、仮にこの地上のような世界だとすると、山あり谷ありと言ったような場所とも想像できます」
「たとえば高い山が聳えるような場所があれば、空を飛べる仲間も連れて行った方が良いじゃろうなぁ」
「ぐおんぐおーん!」
「……それは危険過ぎるよ、マッド」
マッドが『ゴレムスに一人一人投げてもらえばいいじゃん!』と言うのを、リュカは苦笑いしながら柔らかく拒む。そしてサーラやマーリンの言うように空を飛べる者と思いながら仲間たちを見渡せば、自ずと大きな悪魔のような姿をした仲間と目が合う。
「……まあ、それが普通だよな」
唐突に一人納得したような言葉を吐くのはアンクルだ。大きな身体をした彼ならば、リュカたち家族とピエールとプックルとをどうにかひと時に運ぶことも可能だろう。そして彼自身、大きな戦力にもなり、皆の良い話し相手にもなる。後は彼自身が魔界と言う未知の世界へ行きたいと思うかどうかだ。
「どう?」
「どうって……なあ」
「怖い?」
「怖いも怖くないもあるかよ」
「僕がお願いすると命令になっちゃうからさ。アンクルが決めてね」
「……軽く言うよなぁ、相変わらず」
「軽く言ってるつもりはないんだけどな」
困ったように眉をひそめるリュカを見て、アンクルは思わず長い溜め息を吐く。いざという時には最も頼れるリーダーであるリュカだが、どうにもこうにも普段は抜けている所がある。そして彼は人間で、彼の家族も人間で、人間はどうしても魔物に比べてか弱い生き物だ。プックルはいつでもどこでも突っ走りがちで目が離せない。ピエールは冷静なヤツだが、長く深い付き合いだからかリュカを信じ過ぎるところがある。ゴレムスのヤツははっきり言って何を考えているのか分からない。悪いヤツではないことは分かっているが、何を考えているのか分からない。
「ちょっと考えてみてもさ、この中で一番マトモなのって、もしかしてオレ?」
ついそんな一言が出たのを、皆は各々の反応でアンクルを見返した。誰も彼も、アンクルがマトモだと言うことを考えたことがなかった。しかし改めて考えてみれば、もしかしたらそうなのかも知れないと思ったリュカは、思わずその考えに至ったことに笑いを零した。
「あはは、否定できないなぁ」
「そんならやっぱり、オレが面倒みてやんないと、お前らだけだと危なっかしくてほっとけねーじゃん」
「じゃあ一緒に来てくれる?」
「仕方ねぇから一緒に行ってやるよ」
「そうじゃなくて、アンクルが一緒に来たいかどうかだよ。そうじゃないと今回は一緒には行けないよ」
リュカに改めてそう問われ、アンクルは唸りながら隆々とした両腕を前に組んだ。リュカがこれほど慎重に旅に出る面子を決めるのは初めてで、そしてこれで終いだろう。その覚悟があるから彼は、危険と分かっている魔界へ大事な家族と共に足を踏み入れようとしている。
リュカと言う世にも稀な、魔物と心を通じ合わせる人間と話すのは純粋に楽しい。ようやく助け出したというリュカの妻ビアンカという人間の女も、まるで怖いものなど何もないのだと言わんばかりに気さくに話しかけてくる。そして彼らの双子の子供たちは、たとえどのような宿命を負っていたとしても、アンクルにとってはただの人間の子供に過ぎない。あの無邪気そのものは、その身がたとえ勇者であってもなくても、この地上の世界に生きる人間たちに必要なものに違いない。
どうせ生きるのなら、楽しい方が良いに決まっている。その楽しさを、アンクルはリュカたちと共に過ごす中に見つけることができる。それが地上の世界であっても、魔界の地に入ったとしても、きっと変わらないに違いない。やはり自分は彼らと共に在りたいと思うのは、プックルやピエールとは異なる角度でありながらも、結局たどり着く場所は一緒なのだ。
「お前らと一緒にいる方が楽しそうだしな。行くぜ、オレも」
「楽しいなんて、余裕だなぁ、アンクルは」
「余裕……じゃねぇけどさ。でもまあ、余裕を見せておいた方がいいだろ?」
「そうだね。その方が助かるかも」
「リュカ王よ、決まりでよろしいかの?」
マーリンの言葉に、リュカはもう一度魔物の仲間たちを全員見渡す。隣にはプックル、前に進み出て来たピエール、他の仲間たちと共に肩でも組んでいそうな雰囲気のアンクル、その最後列から皆を見守る如く立つゴレムス。他の仲間たちもまた、彼らが代表して魔界に向かうことに異論なしと言った表情でリュカを見つめている。残された彼らには彼らで、グランバニア、引いては地上の世界を守るという大役が待ち受けている。
「これで、決まりだ。みんな、よろしくね」
魔界へ向かう時がまた一歩近づいた感覚を、リュカたちはこの場で共有している。リュカの言葉の穏やかさとは裏腹に、一同の表情は引き締まり、得も言われぬ緊張感が漂う。しかしその緊張感は、魔界と言う未知の世界への悍ましさを感じるよりも、魔界に囚われたままの母マーサを助ける機会を逃してはならないという思いにある。その思いと共に、リュカたちは更に前へと進んでいく。

Comment

  1. ケアル より:

    bibi様

    ビアンカはプサンを知らないから想像で思うことしかできないんですもんね、マスタードラゴンがまたプサンになるということは、またボブルの塔にドラゴンオーブを封印しないといけないわけで…。
    ビアンカがプサンに合うことは、ちょっと難しいかもしれませんよね(笑み)
    トロッコ洞窟のことをティミー・ポピーがビアンカに話をしてもビアンカあまり理解難しいかも?…ドラゴンがあの…プサンですからね(クスクス笑み)

    bibi様、とうとうこの日が来てしまったんですね、究極のメンバー編成を…。
    仲間モンスター全員をきちんと把握して各モンスターの経緯を説明するの、まじでたいへんでしたでしょう?間違いのない描写ありがとうございます!
    パーティ編成、本当に頭を悩ましたと思います。
    戦術的には選んだ仲間モンスターでも良いと感じます。
    でも…サーラ、マーリン、テルパドールを守るリンガー1ひき、ベホズン、キングス、メッキーあたりで、だいぶ迷ったのではないかと推察できます。
    そして、描写的というか…会話させることを思うなら、スラぼう、ミニモン、ガンドフ、サーラ、マーリンで迷うかと…。
    その中でも、戦力がもうしぶんない将来メラゾーマ習得できるサーラ、ベホマ、ベホマラーできるメッキー、マーサだぁい好きお喋りミニモンあたりで悩んだのではないかと…いかがですか?
    プックルは、ぜったいに付いて来ると予想していました、ピエールやゴレムスもゲームでも魔界戦力メンバーになりますよね、でもあと一人…あと一人は、難しいなぁ(悩む)

    自分ケアルならゲームで考えるなら…ゴレムス、プックル、ピエール、メッキーかなぁ…ううん、キングスやサーラも入れたい…、家族4人は、ぜったいに外せないから…難しい(汗)
    小説的会話を考えたら、ガンドフ、ミニモン、スラぼう、マーリン…でも、ピエールとサーラの真面目対決も見たいかも…(笑み)

    bibi様、なかなか究極な判断描写でドキドキしましたよ(楽しい)
    でもbibiさま?
    魔界にも仲間になるモンスターがいますよね。
    エスタークに向かう時には、さらにいますが、とりあえず置いておいて…、魔界到達した時にも強い仲間モンスターいますが、魔界での仲間勧誘は考えていますか?

    次回は、魔界突入になりますか?
    それとも1度エルヘブンに行きますか?
    それとも魔界前にダンカンに会いに行きますか?
    それともヘンリー・マリアに魔界に行くことを連絡しますか?
    いやぁ次話早く拝見したいです~。

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      ビアンカとプサンが出会える日は・・・唯一エンディングでチャンス有り、かも?(笑) もし書けるとしても、そのお話はいつになることやら。
      どうにかこうにか、最後のメンバーを決めてみました。もっとゲーム性を重視すれば、違ったメンバーになった気もしますが、今回は私の書くお話の中で、と言うことを重視した結果のメンバーをさせてもらいました。ベホズンはグランバニアで多くの人々の回復役を、メッキーは回復も可能ですが、あちこち移動するのに重要な役目を負っているので残すことにしました。ガンドフも迷いましたが(人情的に)、あくまでもゲームでも8名が限界なので、ゲームに合わせて残ってもらうことに。アンクルは現実的に、「空を飛べる魔物って必要じゃない?」と思ったので。話すのも楽しそうだし(笑)

      そうそう、ご指摘の通り、魔界でも仲間って増えるかも知れないんですよね~。・・・ま、いつもの如く、その辺りは行き当たりばったりで・・・(汗)

      次回は・・・グランバニアを発つことになるかなと。もう恐らく、寄り道しません。グランバニアからエルヘブンへ、そんな予定ですかね。

  2. バナナな より:

    仲間モンスター達の回想とても良かったです。

    特にピエール、ゴレムスはちょっと涙ぐんでしまいました。

    ゲーム内だとプックルだけが特別な間柄になってしまいがちなのが、bibi様の世界では全員が特別な間柄なんだと再認識しましたよ。

    今話を読んだらまだ語られていない仲間モンスター達の過去を知りたくなりました。

    プックルがカボチ近隣に辿り着くまでとか、ゴレムス達とマーサの出会い等をbibi様の紡ぐ世界でのストーリーが気になります。本編終了後のお楽しみに期待しても良いですか(笑)

    • bibi より:

      バナナな 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      仲間モンスターたちの回想については、私自身が細かいことを覚えておらず(おい)、自分で自分の話を振り返るのに少々苦労しました(笑) そうなんですよね、リュカと出会ったモンスターたちとは振り返ることもできるんですが、私の個人的な設定で、マーサがグランバニアに連れて来た魔物たちもいて・・・寧ろそちらの方が色々と過去がありそうですよね。プックルも、そう。プックルの一人旅なんて、どんなドラマがあったのよ、と気になりますよね。リュカとはまた違った苦労があったに違いありません。・・・気になるぅ。本編終了後のお楽しみに期待・・・こうなると本編終了後に書きたい話ばかりが溜まって行きますね~。本編終了後に書きたいお話としては、
      ・パパスとマーサの過去話
      ・リュカとビアンカを捜す旅をする双子とサンチョ
      ・リュカとビアンカの帰りを待つ魔物の仲間たちの様子
      ・ヘンリーとマリアの結婚前から結婚後のあれこれ
      ・フローラとアンディの学校運営
      ・・・多分、探せばまだまだ出て来そうです。どんだけドラクエ5にやられているんだ、私は(笑)

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