魔界の門

 

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エルヘブンの村を朝早く発った。まだ夜が明けて間もないほどの時刻だったが、リュカの予想通り四人の長老らは既に目を覚まし、朝の祈りのひと時を過ごしていた。リュカたちが一階の祈りの部屋へ下りると、長老たちは子供たちが腹を空かせてはならないと、弁当を用意していてくれた。彼女らが子供たちと言う中には当然、リュカもビアンカも含まれているのだろうと、手渡された四つの弁当を受け取りながらリュカは彼女らに礼の言葉を述べ、そして「行ってきます」と力強い調子で彼女たちに言葉を残して行った。
村の入口に出る前から、村を守護するゴーレムたちの姿が見えていた。三体のゴーレムたちと向き合う形でいたゴレムスが、リュカたちが姿を現すのに合わせて村を振り返る。それまで彼らもまた、リュカたちがエルヘブンで過ごしたのと同様に、かつて同じく村を守護していた仲間のゴーレムと無言の会話をしていたに違いない。彼らの場合は会話というよりも、同じ場所で同じ時を過ごすだけで、空気や土や木々や葉、彼らの肩や頭や腕などに留まる鳥やリス、蝶などを通じて精神のやり取りを行っているように感じられた。
「お早いですね」
リュカたちがいつ来ても良いようにと、ピエールたちは既に出発の準備を調えていた。とは言え、ピエールがしていたことと言えば、これから向かう魔界という未知の世界への不安や恐怖などを退けるための精神統一、と言っても良いほどの静かな時間を過ごしていただけだ。プックルは目覚めが早く、準備運動とばかりに木登りをしながら、エルヘブンの村人も食すような木の実をぼりぼりと食べていたり、アンクルは見た目に合わずに慎重に、周囲への警戒怠りなく見張りをしつつも川の魚を捕まえて食べていた。
「気分が挫けないうちに出掛けようかなと思ってね」
「御冗談なのか、本気で仰っているのか、測りかねます」
「冗談だよ」
困ったように言うピエールに、リュカはすぐに笑いながらそう返した。
「行くんならお前ら、ちゃんと装備を固めといた方がいいぜ」
「がうがうっ」
アンクルの助言に頷くように声をかけるプックルは既に両前足に炎の爪を装着していた。自分専用の武器が相当に気に入っているようで、眠っている時にも木登りをしている時にも外しはしなかったらしい。リュカたちも各々、装備に身を固める。
「お母さんのそれって、寒くはないの?」
「寒そうに見えるけど、それほどでもないのよ」
ビアンカが普段の旅装の上に羽織るのは、水の羽衣と言われる女性用の装備品だ。それはかつてリュカとビアンカが魔物の仲間たちとグランバニアを目指す旅をしていた際に、実在しているのだか、あの世へ旅立ち損なっていた幽霊だか分からない老人から譲り受けた品物だった。チゾットの山を越え、グランバニアに到着するや否や、ビアンカの妊娠が発覚したために彼女が着用する機会はなく、そのまま大事に保管されていたのだった。
「私はポピーがそんな剣を持っていることの方が怖いわよ。あなた、それ、使えるの?」
「大丈夫だよ、お母さん。ポピーはボクと一緒に剣術の稽古も受けてるんだ。まあ、ボクほど上手くはないけどねっ!」
「もうっ、お兄ちゃんだって私ほど呪文を使えないじゃないの、そんなエラそうなこと言って!」
ポピーが腰に提げているのは、誘惑の剣と呼ばれる女性にも扱える軽量型の剣だ。刀身に特殊な毒が塗りこめられており、その毒が効果を発揮すれば敵は混乱状態に陥る。ポピーがそれまで使用していたマグマの杖を手放し、誘惑の剣を手に取ったのには、勇者である兄ティミーの隣に並び立ちたいという強い思いを抱いているという背景がある。自分ももしかしたら勇者として生まれていたのかも知れない、天空の剣を手に取れない自分だがせめてでも兄と同じように剣を手に取って敵と戦わねばならないと、彼女自身があるべき勇者の姿を目指していることは、誰にも告げていない。
「ポピーが剣を使うのはもしかしたら僕よりも上手かも知れないよ」
「リュカ殿は剣の扱いに長けているというよりも、その場その場での身のこなしが人間らしくはないというのが本当のところでしょう」
「自己流だからねぇ」
「私も杖なんて初めて手にするけど、ピエールのその武器も変わった形をしてるのねぇ。どうしたの、その……剣、なのかしら?」
水の羽衣を纏うビアンカが手にするのは、ポピーがそれまで主に使用していたマグマの杖だ。敵と遭遇し、戦闘の時となっても、ビアンカにはひたすら後方支援をするようにとリュカは妻に言い聞かせている。双子の子供たちを産み、その後すぐに石の呪いを受け、十年もの時を石の中に過ごした彼女が魔物との戦いに先頭切って躍り出るのはリュカだけではなく、誰もが止めるところだ。一人の娘として行動していた時とは異なり、母となったビアンカは今までのお転婆を封印するように、リュカの言葉を大人しく聞くことにした。
「ピエールの剣もカッコイイよね! ドラゴンキラーって言うんだっけ?」
「その名前の通りに、ドラゴンの固い皮膚も……ってことなのかしら」
「リュカのお小遣いで買ってあげたの? でもグランバニアにはそんな武器、置いてないわよね」
ビアンカが不思議そうにリュカに問いかけると、リュカは沈黙を守ろうとしているピエールに変わって一言だけ応える。
「ピエールの友達からの、プレゼント」
「友達? え~、誰なの?」
「…………友達と思ったことはありませんが」
「あ、そうだった? まあ、何て言うか、言葉にはできない関係なのかもね」
「何よそれ、あやしいわ……」
「ほらほら、ポピーも怪しんでいないで準備をしないとね。頂いた賢者のローブを……」
そう言いながらエルヘブンの村人から贈られた賢者のローブを広げて見せるビアンカは、その表情からどうやら剣の送り主に気付いた様子だった。ポピーの身に着けているマントを一度外し、賢者のローブを頭から被せて、再びマントを身に着けさせる頃には既に話の方向は異なる場所へと流れていた。
「ティミーは本当に、勇者なのね……」
天空の剣に鎧、盾、兜と、全ての伝説の武器防具を身に着けたティミーを見ながら、ビアンカは思わず感嘆の溜息を漏らしていた。国王私室にてティミーが勇者にしか身に着けられない武器防具をがらがらと持ち出し、母ビアンカに「見て見て!」と装備したところを見せたことはあった。その際にもビアンカは「すごいものね~」と感心した様子を見せていたが、今は状況がまるで異なる。間もなく一行は北の海の洞窟へ向かい、未知の世界である魔界へと足を踏み入れようとしている。危地に違いない場所へと向かうこの状況で、今のティミーの勇者たる姿はそれだけで周りの者たちの心を奮い立たせるほどに力強い意味があった。
「そうだよ。ボクは勇者なんだ」
そう言って天空の剣を鞘から抜き出したティミーは、芸術的にも優れた刀身をまだ弱い朝陽の力に照らして見せる。朝の陽の光は弱いものの、それを照り返す天空の剣の傷一つない刀身は美しい鏡のようでもあり、集めた朝陽の力を数倍にもして跳ね返しているようにも見えた。
「ボクがみんなを守ってあげるからね」
まだ十歳を超えたところで、少年の域をあと数年は出ないほどのティミーだが、天空の武器防具を身に着け、その言葉を心の中から自ずと生まれさせる彼は既に勇者としての運命の中に自身を置いていた。
「ティミーのことは父さんが必ず守るからな」
その役目を負うているのだと、リュカは天空の兜を被った息子の頭を優しく撫でた。リュカは自分でそのような言葉を息子に向けながらも、この言葉は自分が初めて発したものではないと気づく。それは恐らく、亡き父パパスの言葉であり、そのまた父のと、連綿と受け継がれてきた親としての護りの言葉だ。
かつての仲間たちとともに過ごした時間は終わりだと言うように、それまで三体のゴーレムと向き合っていたゴレムスが、リュカたちのところへゆっくりと移動してきた。エルヘブンの村から近くに流れる川を下流へと向かえば、海の洞窟がある。リュカは敵との遭遇を極力減らすべく、川の上では魔法の絨毯を広げて移動するつもりだ。ゴレムスも乗れるようにと大きく広げた魔法の絨毯で一気に洞窟へと向かう。
「もういいのかい、ゴレムス?」
リュカの言葉に当然ゴレムスの返事はない。ゴレムスは、ただ操られるゴーレムには見られない意志の強い二つの目をリュカに向け、それで返しの言葉とするだけだ。ゴレムスを見送るべく、エルヘブンの村を守るゴーレム三体が並んで立っている。これ以上のやり取りは要らぬ感情を呼び起こしかねないと、リュカはまるで我が事のようにゴレムスの心の内を感じた。去り際は潔い方が良いに決まっていると、リュカはこの村に残る三体のゴーレムに向かって頭を下げた後、家族と仲間たちと共に海の洞窟へと通じる川に向かって歩き出した。



川の水面の上を魔法の絨毯で進む内は涼しいくらいで済んでいたが、そのまま海の洞窟へと入って行くと寒気すら感じるほどの温度の低下を各々感じた。それを日差しが遮られたためだと考えるには、理由が足りない気がした。洞窟の奥から吹き流れて来る凍えるような寒さはもしかしたら、今は閉ざされている壁のような扉から生み出されているのではと、リュカは思った。
ゴレムスの巨体に風を遮ってもらい進む先に、神殿の一部を思わせる石柱が立っているのが見えた。ただの洞窟にしては広すぎる空間だ。リュカが初めてこの場所を訪れた際には、洞窟内に大型の船を通しての旅となった。相変わらず魔物の気配は立ち込めている。しかし速度を上げた魔法の絨毯を追って攻撃を仕掛けようとする敵はいない。たとえ敵に追われたとしても、リュカは魔法の絨毯を操り逃げつつも、反撃を仕掛ける心構えもしていた。運良く、何者もリュカたちを追って戦いを挑もうとはしてこなかった。敵は敢えて道を開けているのではないだろうかと思わせるほど、リュカたちの行く手を遮る者はいなかった。
「静かなものです」
「不気味なほどだね」
「到底オレたちには敵わねぇって、避けてんだろ。好都合だよ」
魔法の絨毯から降りた一行は、広く開いた二つの石柱の間を通り、一見すれば扉とは気づかないような壁の前まで進み出る。ティミーとポピーがビアンカ含め、仲間たちにこの場のことを説明している。今この場にいる仲間たちの一人たりとも、まだこの奥に広がる神殿に足を踏み入れたことはなかった。二人の説明を聞いても、果たしてこの壁の向こうにそのような祭壇があるのかどうか、疑るような目を向けている仲間たちを見て無理もないとリュカは思った。
「ゴレムス、僕を手の平に乗せてくれるかい?」
扉の鍵は遥か上方、到底人間には届かないような場所にある。魔界の扉を封じることのできる母マーサが唯一、鍵を必要とせずにこの場所を行き来できる存在なのだろう。その他の誰もが、この場所に入り込むことも出来なければ、この場所へと出ることも叶わない。しかし今や魔界の王の力は強まり、やがてはこの扉をも突破してきてしまい兼ねないとエルヘブンの長老らはその邪気に満ちた波動を感じている。
ゴレムスの手がリュカの前に伸びてくると、リュカは大きな仲間の手の上に飛び乗った。そして壁の上方へとゴレムスに指示を出し、改めて細かに鍵穴の位置を探り始める。以前見つけた場所近くに、鍵穴が見つからない。手で壁面を擦りながら丁寧に鍵穴を探すリュカだが、手はどこまで行っても滑らかな岩盤を擦っている。
「あれ、おかしいな……」
リュカの一言に反応するように、腰に提げる道具袋の中が小さく暴れ出した。お主に見つけられないのならワシに任せろと言わんばかりに、道具袋の中で一つの道具が出せと騒いでいる。リュカは気が乗らないながらも、下で待たせている仲間たちに下手な不安を与えるのも宜しくないと、道具袋の口を開こうとした。すると小さく開いた道具袋の口から独りでに飛び出してきた最後の鍵が、まるで呆れるような調子で装飾の一部である目を閉じると、リュカの手の平に飛び乗った。リュカはその芋虫のような動きや感触に密かに鳥肌を立てつつも、持ち手の部分である目のような装飾を指でつまむと、最後の鍵は声もなく暴れた。そう言えば目の部分をそのまま持ってしまうと痛みを感じるらしいと思い出し、丁寧に持ち直すと、鍵は落ち着いてその目を壁に向け始めた。
目玉の向きで、リュカにその位置を知らせる最後の鍵の言う通り、リュカはゴレムスに位置を移動するように指示を出す。明らかに初めにこの場で目にした鍵穴とは異なる場所へと誘導させられていると、リュカは最後の鍵の行動に不信感を持つ。
「お父さーん、そんなはしっこだったっけー?」
下で待つティミーも同じように疑問に感じたらしく、声をかけて来た。リュカがゴレムスの手を誘導した先は、もはやささやかな祭壇が広がる隅であり、そんな場所で最後の鍵はまるで何かを追いかけるようにちょこまかとその目を動かしているのだ。決して明るくはないこの場所だが、リュカは最後の鍵が追いかけているものの正体を見るべく、目を凝らして見る。すると壁の一部に異変を感じた。小さな模様が動いているように見える。果たしてそれは、鍵穴だった。鍵穴がまるで生き物のように独りでにあちこち動き回っているのだ。最後の鍵はそれを必死に目で追いかけている。
そのうちに今度は左へとすーっと移動し始めた。リュカも最後の鍵同様、その鍵穴を追って、ゴレムスに移動を促す。ゴレムスには見えていない小さな鍵穴を逃すまいと、リュカは最後の鍵と一緒になって、壁の中を不規則に移動する鍵穴から目を離さない。集中するリュカの手の平で最後の鍵が相変わらず芋虫のようにくねくねと動いているが、集中力の外にあるその動きにリュカは最早何も感じてはいない。
以前この場に来た時には、このような現象は起こらなかった。それが今になって、まるでリュカたちを魔界に行かせまいと進入を拒むがごとき動きを見せる鍵穴に、リュカはこの小さな鍵穴一つにしても心があるのだろうかと、エルヘブンの神秘に触れたような気がした。
「どうか僕たちを通して欲しいんだ」
思わずリュカは逃げる鍵穴に声をかけた。素早く動き回る鍵穴の動きが、ほんの僅か緩やかに落ち着く。しかしまだ最後の鍵はその時ではないと、ひたすらリュカの手の平の上で目を動かしている。
「大丈夫。僕たち、覚悟はちゃんとできてるよ」
鍵穴がリュカとの対話を望むように、近づいてくる。最後の鍵は早まるように壁に飛びつこうとするが、リュカが鍵を握ってその動きを止める。
「死ぬ覚悟なんかじゃない」
リュカの目の前にまで近づいてきた鍵穴は、彼の言葉をしかと聞き届けるかのように静かにその続きを待つ。
「必ず生きて戻る覚悟を持って、この先に行くんだ」
その言葉はラインハットの親友から贈られた手紙に短く書かれた言葉だった。しかしそれを望むのは彼だけではない。グランバニアに待つサンチョもまた、リュカたちがマーサを連れてこの地上の世界へと戻ることを信じている。オジロンにドリスも、リュカたちが再び戻ることを信じていなければ、彼らが魔界へ旅立つことを許しはしなかった。
「僕は僕の運命をもう、悲観してはいないよ」
まだ幼い子供の頃に、父を殺され喪った。十余年もの間、友と二人で奴隷の身として生きて来た。それだけでも精神も身体も挫け、自身を失い兼ねなかった。それだけで十分、リュカの精神も身体も滅んでしまいそうなほどに傷ついた。勇者を探す旅、母を捜す旅に出て、行きついたグランバニアの国で、今度は妻と生き別れとなった。石の呪いの中にその身を封じられた。自身の人生を諦めかけた時に差し出された救いの手は、我が息子である勇者の手だった。
「もう少しで母さんに手が届くって思うと、今は希望しか湧かないんだ」
魔界がどれほど恐ろしい場所なのか、リュカの想像の及ばないところだ。しかし以前までは魔界と言われても、その世界に母マーサが囚われていると言われても、希望も絶望もなく、ただ茫洋たる前途を感じるだけだった。それが今は、魔界という世界をすぐ目の前に感じるほどに、近い場所となった。
下手な怖れを抱かないのは、リュカに家族がいるからだ。リュカに、これまで艱難辛苦を共にしてきた頼れる仲間たちがいるからだ。家族というのは温かく、仲間というのは心強い。彼らと共に在るというだけで、リュカの心は悲しみや苦しみに沈むことはない。
「もう僕は十分大人になったよ」
リュカの目の前でじっと耳を澄ませるように、鍵穴は制止している。
「だから、僕を信じて。母さん」
リュカの目の前に立ちはだかるのはただの大きな岩盤であり壁であり、小指も入らないような小さな小さな鍵穴一つだ。リュカはこの場に、母マーサの祈りが残っているものだとその身に感じながら、話した。何せマーサは、この最後の鍵など必要とせずに、奥に隠された祭壇の間へと足を踏み入れることのできた唯一の人なのだ。エルヘブンに継承されてきた魔界の門を封じる力を持つ者であり、村の巫女でもあった彼女の思いは確実にこの場に残されていると信じ、リュカは手に乗せた最後の鍵を、鍵穴に近づけた。
鍵穴に差し込まれ、独りでに回った最後の鍵の力が、巨大な扉全体に行き渡る。決して物理的な仕組みに留まらないこの扉の鍵は、扉自らが帯びている魔力を解放し、リュカたちに道を開けた。誰も扉を押しても引いてもいないのに開くのは、リュカたちがこの先に進むことを許したということだ。ゴレムスのような巨大な魔物でも悠々と出入りすることのできる扉の向こうへと、リュカたちは静かに進んでいった。



「ここが……魔界の門?」
「魔界とは無縁にも思えるような場所ですね」
「どっかで見たことのある景色だと思ったら、天空城に似てるんじゃねぇのか?」
リュカを先頭に入り込んだ壁の扉の向こう側には、清浄な空気に満ちた巨大な空間が広がっている。リュカにティミー、ポピーは既にこの場所を訪れたことがあり、他の仲間たちと比べていくらか落ち着いた様子で辺りを見渡していた。
巨大な空間を囲む岩盤はいかにも自然に作られたものだが、リュカたちが立つ床は人の手かはたまた何者かの手で作られたものであり、まるで天空城の床にも似たような透明感を感じる素材だ。アンクルがいかにも嫌悪を示すような表情をしているのは、あまりにも清浄な空気の強いこの空間が苦手だからだ。彼は天空城に足を踏み入れた際にも、同じような反応を示していた。
「がう……」
プックルが足を止め、近づくのも畏れ多いというような様子で、まだ遠くに見える女神像を見つめる。広い祭壇中央に一体の女神像、その両側に等間隔に二体の女神像が安置され、来訪者であるリュカたちに向かって各々両手を前に差し出している。その手は恐らく長い間、渡されるべきものを待ち続けていたのだろうと、リュカは己の手にあるリングの感触を改めて感じた。
「ティミー、ポピー、大丈夫かい?」
女神像の並ぶ後ろに見えるのは、一体どこから流れ落ちているのか分からない大きな滝だ。この滝から流れ落ちる水が広く岩盤を隠し、聖水の源とも感じられるその水で邪気を退けている。そして流れ落ちた水は聖なる力を保ち続けたまま、祭壇を囲み、この空間全体を清浄な空気に満たしている。それほどの大きな聖の力が、この場所には必要ということなのだろう。エルヘブンの民たちに継承されてきた魔界への門との境には、こうした聖の力が絶えず保たれ続けてきた。
「そう言われると……正直、ちょっと怖いかな」
「ははっ、正直でいいよ」
言葉の通り、ティミーはいつもの快活な様子を見せず、その視線は明らかに不安に揺れている。しかしここで完全に怖気づいて、逃げてしまうような彼ではない。
「お父さん」
「何?」
「おばあちゃんは来ちゃダメって言ったけど、行ってもしかったりしないよね?」
ティミーのその言葉で、リュカも思い出す。母マーサは魔界に来るなとリュカに告げた。それは彼女の本心の言葉だったに違いない。それに対しリュカは子として、親の言うことを聞かない態度を示すことになる。親の言うことを聞かない子を、親は正しく叱ることができるのだろうかと思うと、リュカはかつての父パパスのことを遡って思い出す。
リュカは幼い頃に、アルカパの町を夜な夜なビアンカと抜け出し、勝手に子供二人でレヌール城へ冒険に出たことがあった。本来ならば、危険なことをした子供を親はこっぴどく叱るのだろう。しかし後にパパスは、リュカの危険な行動を叱るよりも、男の子の勇ましく成長するその姿に寧ろ喜びの表情を見せていた。ラインハットで父と離れ離れになった時にも、プックルと二人で必死になって東の遺跡へと父を追いかけた。そして暗い遺跡の中で父の背中に追いつくと、やはり父はリュカを叱るよりも、子供の成長を喜ぶ父親の顔を見せた。
ただ、それはあくまでも、父親の立場の行動なのかもしれない。父と母は、同じ親と言えども、まるで異なる立場の者だ。果たして母マーサがどのように思うのか、それは子供たちの母であるビアンカに聞けば何かしらの糸口がつかめるのかも知れないが、リュカはそれを妻から聞き出したいとも思わなかった。
「叱られたっていいさ」
これはリュカの本心だ。
「無事に助け出せるなら、何だっていいよ」
叱られようが怒られようが、魔界という別世界に長く囚われている母マーサを地上の世界へと連れ戻すことができるのなら、そんな些細なことは厭わないとリュカは笑って言う。
「ボクたちのこと……キライになったりしないよね?」
「キライになるわけないだろ」
リュカの返事に迷いはない。迷う余地もないティミーの疑問に、リュカは即座に答えるだけだ。
「ティミーもポピーも、僕の言うことを聞かなかったことがあったよね? セントベレスに行く時に」
「あ……」
リュカにそう言われ、ティミーは気まずそうにリュカから視線を外した。数か月前、リュカが魔物の仲間たちと共にセントベレス頂上に建つ大神殿に向かう際、子供たちを連れて行かない決定を下していた。それにも関わらずティミーとポピーはこっそりとガンドフに頼み、大きな木箱に詰めた荷の中に身を潜ませ、リュカたちについてきたのだ。
「君たちが人を傷つけるようなことをすれば、それは叱るよ。だけど、あの時の君たちはそうじゃなかっただろ?」
「ボク……ボクもポピーもどうしてもお父さんと一緒に行きたかったから!」
子が親と離れまいとするその必死な心を、リュカはどうして否定することができるだろう。リュカ自身も、父パパスと離れる不安に耐えられずに、プックルと共に父の後を追いかけた。同じなのだ。ティミーのその時の気持ちを誰よりも理解しているのが、リュカに他ならない。
「言うことを聞かないだけで、子供を、ましてや孫をキライになったりはしないよ」
「……ホントに?」
「ホントに」
そう言ってリュカはティミーの頭を撫でる。言葉を交わすだけ交わしても伝わらなければ、こうして直に触れて心を伝える。触れるというのはそれだけで心が通じるものなのだ。リュカは息子の心から不安を取り除き、安心を与えるように二、三度彼の頭を撫でてやった。癖の強い金髪はやはりいくら撫でてもリュカの手を跳ね返すように元通りの形に収まる。結局は挫けることのないティミーの精神をそのまま形にしたような髪だと、リュカは息子の頭に手を置きながらそんなことを思う。
三体の女神像の後方、巨大な滝が絶えず水を落とすその岩盤から、唐突に強烈な力を感じた。目には見えない力だが、その力によりリュカたちの立つ広い祭壇の間が物理的に収縮したような気さえした。息苦しさが強まり、皆はそれぞれ警戒の気配で辺りを見渡す。水は相変わらず清かに辺りを満たしている。岩盤を流れ落ちる滝の勢いもそのままだ。ただリュカたちの目に映るこの祭壇の間の景色が、微かに歪んでいるように見える。瞬きをして景色を見直しても、やはり気分の悪くなるような歪みが目に映る。
「やだ……よお。何だか気持ち悪い空気がいっぱい流れてる……」
目に映る景色すら見ていられないと、ポピーは目をきつく閉じて父リュカのマントを強く掴んでいる。目を閉じれば今度は肌身に感じる悪寒が鮮明になり、ポピーは一層身を縮こまらせて父に身体を寄せている。
「これが恐らく……魔界の力が強まっている、ということなのでしょうか」
「きっと、ね」
今の事象をはっきりと言葉にするピエールに救われるように、リュカは短くそう返事をした。この祭壇に作られた清浄な空気では持ちこたえられなくなるのは、そう先の話ではないのだろう。そして完全にこの扉が破られる時が来るとしたら、それは同時に、母マーサの命が尽きる時、となるかも知れない。
「リュカ」
勇者であるティミーを半身で庇うように立つビアンカが、リュカに呼びかける。彼女はリュカに左手を見せると、その薬指から水のリングをそっと抜き取った。
「私たちでお母様を助けるのよ」
ビアンカの水色の瞳は、誰よりも迷いがないように見えた。十年もの間石の呪いに身体を封じ込まれていた彼女は、奇跡を信じる力が誰よりも強かった。頼れる魔物の仲間たちを信じていた。子供たちを信じていた。そしてその柱となるのがリュカだと、誰よりも信じていた。
ビアンカは一人歩き出すと、向かって左に立つ女神像の前まで進み出た。近づく滝の流れる岩盤から、強い魔の波動が出ていることをビアンカは感じつつも、それがどれほどのものかと言わんばかりの凛とした所作で、水のリングを女神像の差し出す手の平に乗せる。祭壇の間には大きな滝の音が変わらず響き、一見すれば何事も変わったところは見られない。強弱のある魔の波動は辺りに漂い、リュカたちの緊張は解けない。
子供たちのもとへと戻って来たビアンカと入れ替わるように、リュカは向かって右側に立つ女神像へと歩み寄る。初めてこの場所に足を踏み入れた時、この女神像に、石の呪いを受けて石像と化したビアンカの姿を見た。背中に大きな翼を持ち、穏やかに微笑みを浮かべる美しさの極致を目指したようなこの女神像が妻であっても不思議ではないと、リュカは今でもそう感じる。背中に生える翼は、この女神像が天空人を模したものであることをリュカたちに伝えている。魔界への入口に繋がるこの場所には、天空人たちの持つ力が必要だったということなのだろう。
左手薬指から、二つのリングを抜き取る。その内の炎のリングを、リュカは女神像の手の平に乗せた。束の間、リングの赤い宝石が小さく輝いた気がしたが、それは気のせいとも思えるほどの瞬間だった。女神像の手の平に乗る小さな小さなリングは、リュカが指に嵌めていた時と同様に、僅かにその宝石の中でゆらゆらと炎を燃やしているだけだ。
中心に立つ女神像の前に立つリュカ。魔界の扉を封じるものがこの三つのリングであったとするならば、三つ目となる命のリングを女神像の手の平に乗せた時には何事かが起こるのかも知れない。その時を見据え、ビアンカはティミーとポピーの前に立つ。脇をプックルとピエールが固める。冷静に事を見つめるアンクルが念のためにと、背後を注視する。
か弱い人間たちを守るのが己の使命なのだと、ゴレムスが中心に立つ女神像の、その背後へと廻る。ゴレムスが正面に見据えるのは、絶えず多量の水が流れ落ちる滝だ。聖水の性質を持つ清浄な水が、魔界の門を封じるための一つの力を備えている。水のベールのその奥に、地上の世界と魔の世界を隔てる門があることを、ゴレムスはかつてマーサの話に聞いたことがあるのかも知れないと、リュカは頼れる仲間の大きな背中を目にしつつ、静かに命のリングを女神像の手の平に乗せた。
命そのものを閉じ込めたような淡い緑の光が、指輪の宝石から一つの筋となって浮かび上がる。緑の光に導かれるように、両側に立つ女神像の手の平から、赤と青、対照的な光が緑を目がけてその光の筋を伸ばしていく。中心に立つ女神像の頭上で、三つの光が合わさり、光は目にすることのできないほどの白となった。直接目にすると、目が潰れてしまうのではないかと思うほどの激しい光だ。リュカもビアンカも子供たちも一様に、魔物の仲間たちでさえも耐え切れずに、目をきつく瞑った。祭壇の間の至る所に、白の光が満ちる。目にはせずとも、辺りにあまりにも強い聖なる力が満ちているのが誰にも感じられた。一切の邪悪を許さないとする力に、アンクルがたまらず呻き声を上げる。ピエールもまともに息ができないほどの聖なる圧力を感じ、プックルも強烈な聖なる力に抗おうと全身の毛を逆立てる。
「お父さん! 滝が……!」
ティミーのその声に、彼だけは目を開けて状況を見ることができているのかと、リュカも必死に目を開けようとする。しかし辛うじて細めた目を開くに留まり、はっきりと現状を把握することはできない。光に目が慣れない。全身が激しい光に焼かれているかのようで、その場に立っているだけでやっとなのだ。地面に着く両足にもはっきりとした感覚がない。
「リュカ! 滝が、光に照らされて……門が……」
ビアンカにも今の状況が見え始めて来たようだ。何か事が起こった時には皆を守らねばと、リュカは開かない目の代わりに全身の感覚を研ぎ澄ませる。自分が聖なる光に負けている場合ではないと、それに打ち勝つような気力を全身に漲らせる。
リュカの目には景色は映らない。代わりにこの場で起こっていることを、肌の一つ一つの細胞に感じるようにと、ひたすら感覚に集中する。ポピーの声が聞こえない。恐らく娘もまた、己と同様に目の開けない状況なのだろう。魔物の仲間たちの声もない。魔物である彼らは、この強烈な聖なる光に照らされ続ければもしかしたら耐え切れずに、倒れてしまうかもしれないとリュカは本能的にそう感じた。早くどうにかしなくてはならない。
そう思った時にふと、強烈な光は鳴りを潜めた。リュカは途端に弱まった光に甘んじるように、目を開いた。同時に魔物の仲間たちも視界を取り戻した。
皆の先頭に立つように前に出ていたゴレムスの目の前に、恐ろしいまでの闇が迫っていた。滝のベールの裏に隠されていた魔界への門、その口が大きく開かれ、不気味に黒の空間が蠢いているように見えた。邪気が強まり、三つのリングが生み出した強烈な光に襲いかかろうとしているように、リュカには感じられた。
「リュカ殿! このままではこの場に魔界の力が……」
「おいっ! そんなのマズイに決まってんだろ! どうにかオレたちで止めねぇと!」
魔界からの力が強まっていることは、話に聞いていた。まだその力がそれほどではない頃には、この三つのリングだけで魔界の力を抑え込むことができたのだろう。しかし今はもはや、この三つのリングだけでは強まった魔界の力を抑えきることができない。
やがては魔界の大魔王自ら地上の世界へ侵入してくると、エルヘブンの長老は口にしていた。今、リュカたちが三つのリングの力で地上と魔界とを隔てる門を開けようとしているこの状況を、魔界の王が利用しようとしているのではないかと、リュカは思った。もし自分が、魔界の王だとしたら、きっとそうするに違いない。魔界の王の願いは、予てより魔界の門を開けさせることなのだ。
「きゃあっ! お兄ちゃん!」
ポピーの悲鳴に思わずリュカは後ろを振り返った。見ればポピーはビアンカの後ろに隠れるようにして、兄ティミーを眩し気に見つめている。天空の武器防具を備えた勇者ティミーは、その全身を包む天空の鎧、盾、兜に竜神の比類なき力の宿ることを示すかの如く、彼自身が光り輝いている。魔の力に屈しはしないという、勇者としての使命、宿命を、ティミーは両手に持つ天空の剣を高々と掲げて皆に示した。
「ボクが……ボクがやらなきゃ……」
天空の剣を持つ両手は微かに震えていた。今までにも何度もそう思い、口にしてきたティミーだ。幼い頃から自分は勇者なのだと教えられ、いつかはこの世界を救うために悪を倒すのだと思い続けてきた。どれほどの巨大な悪が目の前に現れようとも、自分はそれを倒すためにこの世に生まれてきたのだと、しっかりと深く理解している。
剣を手にするティミーの手の上に、母ビアンカが己の手を重ねる。勇者はこの世に一人しかいないかも知れないが、勇者は一人ではないのだと言うように、ビアンカは息子の手の上から温もりを添える。可愛い我が子を一人で悪に立ち向かわせるものかと、ビアンカは勇者の宿命を共に負うことを手から手へ伝える。母の愛情に硬直していた身体を緩めるように、ポピーもまた兄の手に手を添える。双子の妹である自分もまた、勇者の宿命を負う者だと言うように、ポピーは兄ティミーの手の上から剣の柄をぐっと握り込んだ。
家族の思いで、ティミーの心は勇者として正しく奮い立つ。勇者はこの世にたった一人かも知れないが、勇者は決して一人ではないのだと、傍にある母と妹の温もりを感じながら、離れて正面に立つ父リュカを見上げた。
「ティミー、大丈夫だ」
「はい」
「僕たちがついてる」
「うん」
「何があっても、父さんが守ってやる」
「うん!」
ティミーの瞳に明らかな光が灯ったのを見て、リュカは家族に背を向けた。三つのリングの生み出した聖なる光は、滝の奥から現れた闇の渦に取り込まれまいと、激しく戦い始めた。闇が周囲を回り込めば、光はまたその周りを回り込もうと動く。光と闇の戦いがこのまま続けば、やがて三つのリングの力は魔の力に屈してしまうだろうという気配が漂う。
ティミーの掲げる天空の剣が、命、炎、水の全ての力を援けるが如く、白く輝き出す。ティミーが身に着ける鎧も盾も兜も、各々の聖なる魔力を放出するように光を放ち始める。勇者の手を、母と妹が支える。ティミー自身が勇者の光に潰されないようにと、二人は勇者の心の支えとなる。
魔界の力が強まる。三つのリングの力が、闇に取り込まれそうになる。そして光を通り抜け、魔界の力がリュカたちに迫る。前線に立つゴレムスが、マーサの思いを胸に秘めつつ闇に両拳を振るう。プックルが自身にまとわりつこうとする闇の気配を振り払おうと、炎の爪で闇の渦を薙ぐ。ピエールが、この闇の塊をまともに相手にしてはいけないと、ドラゴンキラーの刃を冷たく閃かせる。アンクルが闇の空気を吸ってしまえば己は闇に誘われかねないと、息を止めたまま逃げつつ撃退する。
勇者の光に反応するかのように、闇は一筋になってティミーを狙う。息子を一瞬たりとも怯えさせはしまいと、リュカは父パパスの剣で我が子ティミーを守る。この剣はリュカにとって、敵を打ち払う勇ましき戦士の武器であり、愛する子を守り抜く意思を持つ父の武器なのだ。リュカの漆黒の瞳が、様々に形を変えてティミーに襲いかかろうとする闇に集中する。己の瞬きも許さぬと、目を見開き、渦となり襲い掛かってくる闇を次々と払っていく。触手を伸ばすように迫る闇の一片一片にそれほどの強さはなく、リュカの振るう剣に千切れて行く。敵に立ち向かう父の背中を見つめ、ティミーが己の勇者としての力を高めて行く。
ゴレムスの両腕に闇の触手が絡みつく。振り払おうとするゴレムスの助力になるべく、プックルとピエールが同時にゴレムスの身体を駆けのぼり、実体のない闇の触手を斬り捨てて行く。ゴレムスの頭上に飛び上がったアンクルが雄たけびを上げながら、ベギラゴンの呪文を放った。しかし闇の中心部はその呪文をまるで食べ物を口の中に放り込むように、あっさりと飲み込んでしまった。呪文を放つだけ無駄だと悟ったアンクルは、落ち着き、向かってくる闇を打ち払うことに専念する。先に進むためにはどうしても、ティミーの、勇者の力が必要なのだと、皆が皆、その戦う姿勢に示す。
前衛にどっかりと立ち塞がるゴーレムを打ち破るべく、闇の渦がまとまり、力を高めるのがリュカにも仲間たちにも自ずと知れた。敵の攻撃に備えるべく、ゴレムスもプックルもピエールも防御態勢を見せ、アンクルもまた空中で身の護りを固める。
「ティミー!」
「はい!」
リュカの声に、ティミーが応える。ゴレムスの護りを打ち破ろうと、瞬時凝縮した闇の塊が、その塊のままゴレムスの胸部目がけて一直線に上方から突っ込んできた。まともに受ければ恐らくゴレムスの身体は内部から壊され、身体も命も木っ端みじんとなるだろう。しかしその軌道を許すまじと、母と妹の助力を得た天空の剣の先を、ティミーは闇の塊に向ける。勇者の光が、皆の力を得て、闇とは正反対の方向から放たれた。
勢いに打ち勝った勇者の放った光が、闇の塊を奥へ奥へと押し込める。魔界の門の向こうへと押し戻していく。ティミーの光の強さを得た三つのリングが再び力を取り戻す。またしても視界が塞がれるほどの光に満ち、リュカは完全に視界が塞がれる前にと、叫んだ。
「アンクル! みんなを連れて飛び込め!」
「おうよ!」
目をほとんど閉じつつも、アンクルが中空から滑空し、ティミー、ポピー、ビアンカの三人を一緒くたに拾い上げる。その間もティミーは天空の剣を突き出し、魔界の門をひたすら聖なる光で攻撃し続ける。手を緩めたが最後、魔界の力は光を凌駕し、地上の世界への侵入を果たしてしまう。ティミーは父リュカにも劣らぬほどの強烈な集中力を以て、闇の中心の一点を見つめ、魔界の力に抗い、抑え込む。
アンクルの連れたティミー、ビアンカ、ポピーが、ゴレムスの前へと突き出た。ティミーの放つ光が、三つの指輪の聖なる力を増幅させ、魔界からの闇の力を押し込んでいく。ティミーの手にする天空の剣に魔力を注ぎ込むかのごとく、ビアンカとポピーが必死の剣の柄を共に掴む。闇の塊となっていた、凝縮された魔界の力がひび割れた感触を、ティミーが得た。
「お父さん!」
ティミーが叫ぶ。それが合図だった。魔界への扉が今、完全に開き、闇渦巻く魔界の景色を聖なる光が包み込み、押し込んでいる。
「ゴレムス! みんなを連れて、そのまま飛び込め!」
リュカは中心に立つ女神像の前で、ゴレムスに向かって叫んだ。家族も仲間も、全てはリュカの前方、広く岩盤を覆い隠していた滝の裏側に在った魔界に通じる門の前だ。ティミーが天空の力に依り魔界の力を抑えている今しか、世界の境界にある門を通り抜けることはできない。
指輪の力を放ち、魔界の門を開けた今、指輪をこのままにしておいては魔界の扉は開かれたままとなる。リュカたちは兎にも角にも、魔界へと足を踏み入れねばならぬ。しかしこの場所を封印の解かれたこのままにしておくことはできない。
「がうっ!」
「リュカ殿!」
「行け! 僕も必ず追う!」
ティミーは見事、勇者として、家族と共に、闇の力を抑え込んだ。三人を抱えたアンクルの姿は既に見えない。魔界の世界へと一足早くたどり着いただろうか。たどり着いたことを信じなければ、先の行動を起こすことができない。
ゴレムスがリュカを振り向いた。手を伸ばそうとするゴレムスを、リュカは笑って拒む。
「ゴレムス」
そう言いながら、リュカは女神像の手の平に乗る命のリングに手を伸ばす。それを手に取れば、魔界の門の封印は再び発動するだろう。この地上の世界を魔界の魔物に脅かされないためには、封印を再び発動する必要があるのだと、リュカは命のリングの乗る女神像の手の上に、自身の手を乗せる。
「一緒に母さんを助けような」
リュカの意志は固い。父パパスの願いまであと一歩だ。ゴレムスの願いまであと一歩だ。
先に魔界へと向かったティミー達の残して行った光が徐々に収束していく。間もなく再び光と闇が拮抗し、放っておけば魔界の力が勢力を盛り返してくるのだと、リュカは女神像の手の平に乗せる自分の手の中に、命のリングをぐっと握り込んだ。
ゴレムスがプックルとピエールを抱えたまま、光に包まれた魔界の門の中へと飛び込んだ。光は見る間に小さくなっていく。リュカは命のリングを素早く自らの右手の薬指に嵌めた。三体の女神像が鍵となっていた魔界の門の封印が、再び発動する。魔の世界と地上の世界を隔てる境界が閉ざされる間際、一筋の煙のように伸びて来る黒の手が、リュカの目の前にまで迫った。
「……僕を待ってるんだろ?」
ただの闇の気配が、手の形となって伸びてくるのを、リュカは左手で掴んだ。その瞬間、黒の手はリュカの身体を引きずり込むように引っ張り込んだ。誰よりも何よりも、お前を呼んでいるのだと言うように、リュカは魔界の門の向こうへと導かれた。滝の裏に隠されていた岩盤の奥深く、歪む空間の中に渦巻く闇のその奥へと、リュカは自ら飛び込んでいった。
三体の中心に立つ女神像の手の平から、既に光は消えていた。封印を破る力の源となる命のリングは、彼らの命と共に魔界へ旅立った。残された炎と水は、命の力を手放し、各々が女神像の手の平の上で静かに赤と青の光を灯し続ける。封印を解く力を失った祭壇の間には、リュカたちがこの場を訪れた時と同様に、三体の女神像が穏やかに微笑むその背に、絶えず流れ続ける滝の激しい水音が響くだけだ。
炎のリングは宝石の中に小さな炎をくゆらせながら、魔界に旅立った持ち主を、水のリングは宝石の中にさざ波を立てながら、魔界に旅立った持ち主を待つ。そして命のリングは宝石の中に生命そのものの輝きを灯らせながら、魔界に残されたままの持ち主と返ってくることを願い、その子と共に再び魔界へと飛び込んでいった。

Comment

  1. ケアル より:

    bibi様。

    水の羽衣、ゲームでもチゾットからグランバニアに向かう洞窟の中で手に入るんでしたよね。 bibIワールドでも貰っていたのを忘れていました。 あの洞窟ってリュカのバギマが活躍した所ですよね。
    水の羽衣bibiワールドでは貰いっぱなしになっていたんですか? 後で音声読み上げで聞き直してみようかな(笑み)

    魔界の門の描写を光と闇の戦いにしたんですね、ゲームだとあっというまにワープするけど、それを小説ならではの描写は良かったですよ! いいじゃないですか~天空の血を持った3人の力を合わせた光のパワー(笑み)

    そして、bibi様があのじてんで命のリングのみを回収するなんて想定外でありました(驚き)
    たしかに、あのままだと封印解除したままで魔界の闇が地上に来てしまいますもんね。 ゲームでは開けっ放しでもなんの問題もないんですけどね、小説だと、まあたしかにねって思いました。
    bibi様がリングをどうしようかと悩んでいたとコメント返信で書いていたのは、このことだったんですね~なるほどぉ。

    bibi様、一つ質問です。
    bibi様のDSでは、実際のパーティはどのようになっているんですか?
    bibiワールドと同じパーティ編成ですか?

    次回は、いよいよ闇の世界の始まりですね。 マーサ、賢者の石、もしかしたら闇の世界の初バトルも?
    次話も楽しみです!

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      そうなんです、水の羽衣を貰うだけ貰って、使っていませんでした。勿体ないですねぇ。プックルにも装備できるのに。
      魔界の門の描写は、またまた勝手ながらの状況を書いてしまいました。ティミーの勇者としての力をどうにか書きたかったんです。そもそも、リュカがパパスからの手紙に見たのは、魔界の扉を開くには勇者の力が必要だ、という内容だったので、三つのリングだけでこの場所を突破してしまうとちょっとなぁ・・・と思っていたんです。ゲームでは三つのリングだけで進めちゃいますけどね。・・・そうなるとパパスの言っていた事って? となりますが、それは私の個人的な解釈では、魔界に入れるような者となると、伝説の勇者くらいしかいないだろうと、そういう風に思ったか、はたまた誰からかそのように聞いたかしたかなと、そんなように思っています。
      ゲームだとあの時点でリングを回収すると、魔界への扉が閉じてしまうので、できないですけどね(汗) お話なので、ちょっと無理にリングを取ってしまいました。初めは三つとも取って行ってしまおうかなとも思ったんですが、炎と水は待っていてもらうことに。リュカもビアンカも、もう互いに傍にいるので、指輪を拠り所にすることもないだろう、ということで。

      私が進めているDSでは・・・アンクルがいません。代わりに入ってもらっているのはスラりんですね。その他は同じメンバーで進めています。アンクル、仲間にしてみたかったんですけどね。ちょっとそこに割いている時間もなく。・・・というか、今ゲームでも魔界に入ったんですが、敵が強くて普通に苦戦しています(笑) リュカとピエールのステータスが真っ赤になって、ティミーのお世話になっています(汗汗) これじゃあ大変だと、お話では取らなかった王者のマントを先ほど取りに行っていました(笑) そこでもうっかりステータスが真っ赤になっていましたが。いや~、仲間を呼ぶヤツは怖い怖い。

  2. ケアル より:

    bibi様。

    グランバニアへの洞窟とサンチョに会う所まで見返していたんですが。
    パパスの鎧の破片の形見の描写をこのじてんでしていたんですね。

    一つ質問があります。
    リュカたちは現在魔界へ行きました。 そういえば…パトリシアと馬車もいっしょに魔界に連れて行こうとは思っていなかったんでしょうか? パトリシア居ないとなんか寂しい(涙)

    • bibi より:

      ケアル 様

      そうですか、パパスの鎧の破片の描写がそんな場面に・・・私自身、結構忘れちゃってて。これからのお話で細かいところを合わせようとすると、とても苦労するのが目に見えています。書けるかなぁ・・・(汗)

      パトリシア、初めは一緒に~と思っていたんですが、魔界を歩くのに馬車を引くと目立つなぁと思い、グランバニアでお留守番してもらうことにしました。彼女も戦力になるんですけどね、連れて行けば。・・・ただ今後、グランバニアで活躍する時があるかも知れません。

  3. ケアル より:

    bibi様。

    ってことはパトリシアがどこかのbibiワールドで登場するかもしれないということですか? 楽しみです!
    パトリシアのことをあの有名なサイト、「ドラゴンクエスト大辞典を作ろうぜ」で調べてみました。
    bibi様や他のユーザーの皆様にも見て貰いたいのでurlをリンクしますね。 危ないサイトではないので安心して閲覧してください。
    パトリシアもしかしたらドラクエ5最強仲間かもしれませんよ(笑み)

    https://wikiwiki.jp/dqdic3rd/%E3%80%90%E3%83%91%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%80%91

    封印の洞窟に入ったんですね。
    bibi様、実際DSで闇の世界に入るまで王者のマントを取りに行っていなかったんですか(驚き)、魔界に行く前にはマントを入手しているかと思っていました。
    封印の洞窟、あそこは本当に苦労しますよね。 当時sfcで遊んでいたケアル、3人パーティでそうとうに苦しみました。 だいたいのプレーヤーは、リュカ、ティミー、ポピーの3人最強パーティだぁ~って思い洞窟に殴り込みに行き、何度も全滅やリレミトでボロボロになって宿屋に帰る、ケアルも同じでありましたよ。
    当時は、ボブルの塔前後でチャレンジしたのを覚えています。
    カジノでコインをゴールド買い、集めたコインでエルフの飲み薬を各自に持たせ親子でなんとか…みたいな(笑み)
    bibi様は、けっきょくどうなりましたか?
    ちなみに、これも封印の洞窟をドラゴンクエスト大辞典を作ろうぜで調べてみました。
    リメイクされたらされたら難易度アップしているみたいで、bibi様がどうやって苦労したか気になります(笑み)
    封印の洞窟のことをドラゴンクエスト大辞典を作ろうぜで面白おかしく書いてますので見てみてくださいな(笑み)
    封印の洞窟のドラゴンクエスト大辞典のURLリンクしますね。

    https://wikiwiki.jp/dqdic3rd/%E3%80%90%E5%B0%81%E5%8D%B0%E3%81%AE%E6%B4%9E%E7%AA%9F%E3%80%91

    • bibi より:

      ケアル 様

      パトリシア、最強ですね。そう言えば彼女は溶岩も毒の沼地も何もかも、平気で通りますもんね。お話の中で、彼女を魔界に連れて行って活躍してもらうパターンもあったなぁと、ちょっと後悔しています(笑) でもあんまりやり過ぎると、勇者も勇者の父親も形無しになってしまいそう。主人公はパトリシアだった、みたいなことにもなりかねない……。

      封印の洞窟、行ってなかったんです。そうそう、SFC版は苦労しますよね。今考えると、3人パーティーでどうやって攻略したんだっけと、当時の苦労を思い出せません。まあ、何度もやられてやり直ししていたのは間違いないですね(笑) でもブオーンよりは絶望しなかったかな。ブオーンはもう後戻りできないという状況になったので、本当に冷や汗垂れながらプレイしていたと思います。
      今回は魔界で既に賢者の石を貰っていたので、それほど苦労もせずに入手できました。賢者の石があると格段に戦闘が楽になりますね。……ま、お話では王者のマントを入手しないまま魔界に突入してますけどね。無謀だなぁ。ああ、でも相変わらずイーターたちは不気味でした。気持ち悪っ、と言いながら戦ってました。痛恨を連発されるとやる気削がれますねぇ。行動速いし。せっかくの賢者の石が間に合わない(笑)
      仲間を呼ぶヤツらは厄介だなと。一度、戦闘画面の中に、ガーゴイルが3体、エビルマスター、イーターだらけとなり、主人公がガーゴイルにさくっと眠らされ、イーターたちにタコ殴りにあっても起きずにそのまま真っ赤に……となった時に(いや~鮮やかだった)、どれだけ深い眠りに就いていたんだと思いながら息子に生き返らせてもらっていました。親父の面目丸つぶれ。ひどいもんです。とてもお話には書けない(笑)

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