この世に生きる意味

 

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サラボナの丘に建つ学校に午後の日差しが降り注いでいる。光の教団に囚われていた子供たち凡そ百人ほどがこれからこの場所で生き、学びを進めて行く。あのセントベレス山での抑制された生活から解き放たれ、急転直下このサラボナの地に辿り着いた少年少女らの反応は様々だ。地上に降り、風に運ばれる草花の匂い、土の匂いに生きていることを全身に感じ、純粋に喜びが溢れはしゃぐ子たちもいれば、あれよあれよと環境が変わったことに呆然と景色を眺めている子たちもいる。これからどうなるのかと不安が胸を占め、めそめそと泣いている子供もいる。大人も子供も千差万別、誰もが同じではない。しかしだからと言ってそれぞれに合った環境を提供できるほどリュカたちにも人的余裕もなく時間的余裕もない。
子供たちもいずれは大人になる。そして大人になってからの方が人生は長い。子供たちは今はまだ、人生の準備をしている段階なのだ。読み書き算術だけではなく、彼らはこれから人間としてのまともな学びをようやく得ることになるだろう。大人になった時に、確かに自分の足で立ち、そしていずれは彼らも次の世代を育んでいく。そうして人間の生はこれまでもこれからも、果てなく続いて行くのだとリュカはサラボナの丘に解放された子供たちの姿に自然とそう感じていた。
「あの子たちも楽しそう」
乳飲み子を抱くビアンカは、丘の上に他の子供たちと走り回っているティミーとポピーの姿を見ながら、頬を緩めていた。グランバニアには子供が極端に少ない。それ故に、ティミーもポピーも同年代の友人がいないままこうして育ってきた。今こうして彼らが何の隔たりもなく同年代の子供たちを遊んでいる姿を見れば、それだけでリュカもビアンカも我が事のように嬉しい気持ちが込み上げてくる。
「本当はビアンカも一緒に走りたいんじゃないの?」
「ふふっ、そうかもね」
隣を歩きながら笑うビアンカだが、その手には聞こえないほどの小さな寝息を立てて眠る赤子がいる。学校という施設ではあるが、年齢様々な子供の面倒を見る場所として、幾人もの人々がこの施設に携わっているようだ。ビアンカの腕に眠る赤子を見た一人の女性が礼を言いながら赤子を受け取ると、抱く両腕を無意識にもあやすようにゆらゆらさせながら施設内へと入って行った。
「フローラさんじゃなくて良かったのかな」
「ここではみんながお母さん、なんじゃないかしら」
「みんなで育てるってこと、かな」
「ティミーもポピーも、きっとそうだったんでしょう? 私たちがいなくても、あんなに立派に育ってくれたもの」
そう言って再びティミーとポピーに視線を移せば、ティミーは相変わらず数人の男の子たちと丘の上を走り回っており、ポピーは不安そうに一人で佇んでいた女の子に声をかけ、二人並んで見晴らしの良い丘の上に座って何やら話している。グランバニアにいる時には必然的に二人一緒にいることの多いティミーとポピーだが、こうして多くの子供たちに混ざれば二人はそれぞれ自分に会う場所に行くのだということを、リュカは初めて目の当たりにした。
「本当にオジロンさんにもサンチョにもドリスにも、プックルたちにも、国のみんなには感謝し切れないよ。二人がああして素直で良い子に育ってくれたのはみんなのお陰だもんね」
「あら、リュカだってちゃんと二人を見ていてくれたじゃない」
「僕が?」
「そうよ。あなたがティミーもポピーもちゃんと見ていてくれたから、お父さんがちゃんと二人に目を向けていてくれたから、あの子たちは今もこうして素直で良い子たちなのよ」
ビアンカの言葉はいつでも断定的で、そのお陰でリュカはいつも胸の内に自信が沸くのだ。彼女は決して無駄なお世辞を言うような人ではない。ただ本心に思ったことを素直に口にしているだけだ。その心を感じるからこそ、リュカも素直に自信を持つことができる。
ティミーと追いかけっこをしている数人の子供たちの内の一人が、丘の上に派手に転び、傷の痛みか転んだショックかで泣き始めてしまった。その声を聞いてティミーが駆け寄ろうとするも、追いかけっこに夢中の子供たちに追われ思うように近づけない。その状況を見てリュカはティミーに手を挙げて合図をすると、自ら泣く子に向かって歩き始めた。子供の怪我を治しに行く夫の後を、ビアンカも歩いてついて行く。
「これだけの子供たちの面倒を見るのも大変そうね」
「そうだね。それでも難なくこれだけ多くの人たちを受け入れてくれて、ルドマンさんには感謝しかないよ」
「でも子供たちの成長ってきっと、楽しさが詰まってるんだと思うわ」
そう言うビアンカの声には僅かながら物悲しさが漂う。しかし言葉自体は強い。そして彼女はその性格から、強い言葉に自身を引っ張ってもらうようにと、敢えて努めて明るい表情を見せている。彼女が内面に抑えようとしている寂しさ悲しさに表立って寄り添うのは今ではないだろうと、リュカは怪我をした子供に声をかけ、回復呪文でその怪我を癒してやった。
新しい環境に連れてこられた子供たちは、この環境に慣れるまでにも時間がかかるだろう。しかしその中でも年長者が年少者を自然と守り、誘導する姿がある。新たな暮らしの場所となるこのサラボナの地で、彼ら、特に年長者は衣食住に困らない状況であることを早くに悟った。生命の危機に瀕するような状況から脱した彼らには自ずと、心に余裕が生まれる。心の余裕は、他者への配慮に繋がる。当然、これからサラボナの学校では道徳に教養にと身に着けることになるだろうが、それと同時に彼らは実生活の中にも道徳心を育んでいくことができるようになるだろう。
「お父さーん! ボクと代わってー!」
息切れをしながら走り近づいてくるティミーは、数人との追いかけっこで非常に疲れているようだった。ここ最近は激しい運動もせずにグランバニアの城で過ごしていたため、彼らしくもなく運動不足に陥っていたのだろうとリュカは笑いながら息子を見た。運動不足になるのも仕方のないことだった。何せ彼は始終、母ビアンカの傍を離れたがらなかったのだ。
「あの子たち、あんなにやせっぽちなのにすごいんだよ! なんであんなに走れるんだろ……」
ティミーを追いかけて来た子供たちは皆、ティミーやポピーよりに比べると腕も足も細く、見るからに痩せてしまっている。しかしそれでもティミーを追い込めるほどに走れるのは、あれほどの高地に過ごしていたこともあり、子供ながらに働かされていたために意外にも体力があり、そしてこの地上に解き放たれた喜びがそうさせているのだろう。
「ねえ、お父さん、お母さん。この子がね、あの建物の中で本を見てみたいんだって。私、一緒に行ってあげてもいい?」
ポピーが連れて来たのは彼女よりも二つか三つほど年が下であろう少女だ。リュカたちの前に連れてこられた少女は身体を固くし、明らかに緊張した面持ちを見せている。少女はリュカを見ようとしない。恐らく大人の男が怖いのだろう。セントベレスにいた看守を思い起こさせるのかも知れない。
「私も気になるなぁ、どんな本が置いてあるのか。ねぇ、私も一緒に行ってもいいかしら?」
そう言いながらビアンカはその場にしゃがみ、俯く少女の顔を覗き込む。癖のある黒髪の少女は一瞬びくりと肩を震わせたが、しゃがんで自分を覗き込んでいるのが美しい一人の女性であることに胸を撫で下ろし、小さく一つ頷いた。
「じゃあ私が何かご本を読んであげるわね。小さい頃にはリュカにも読んで上げたことがあるのよ」
「お父さんに?」
「……あったっけ?」
「お父さん、覚えてないのー?」
「まだリュカは小さかったもの、覚えていないのも当然よ」
そう言いながらどこか偉ぶる態度のビアンカを見て、リュカは面白くなさそうに口を尖らせる。
「……二つしか違わないのにどうしてそんなにお姉さんぶるかなぁ」
「ほら、子供の前でそんな風に拗ねないの。全く、どっちが子供なんだか」
ビアンカの言葉にリュカが言い返そうとしたところで、リュカの腕に触れた男の子がいた。リュカが振り向く間もなく男の子は逃げ出し、丘の上には数人の男の子たちがにこにことリュカを見つめている。よく見れば、彼らはリュカが天空城を一度去る際にリュカの腕を引っ張って止めようとしていた子供たちだった。リュカを怖がるわけでもなく、頼れる兄に懐いているような態度でリュカを追いかけっこの鬼にしてしまった。
「よし、僕も久しぶりに思いっきり走ってこようかな。最近、ちょっと身体が訛ってる気がするし」
リュカはそう言うと、旅装のマントを外して草地に放り、履いていたブーツも煩わしいと言わんばかりに脱ぎ捨ててしまった。そうして自分を遠巻きに見ている男の子たちにゆっくりと近づいて行く素振りを見せるや否や、唐突に走り出して鬼ごっこの鬼として男の子たちを追いかけ回し始めた。父の無邪気な姿を見れば、ティミーは走り疲れたことなど頭から吹っ飛び、再び追いかけっこに自ら加わる。
「ふふっ、お父さん、楽しそう」
「ティミーも実は疲れていなかったわね、きっと」
リュカやティミー達の追いかけっこにはいつの間にか更に数人の子供たちが加わり、サラボナの丘で広々と鬼ごっこは続けられた。そんな彼らを窓の外に見ながら、ビアンカとポピーは女の子と机の上に本を広げ、文字の少ない絵本をゆっくりと読み始めた。そうしているうちにこちらにも、興味を持った子供たちが集まってくる。子供たちは好奇心の塊のようなものだ。そしてその好奇心を満たしてやりたいと、ビアンカはまるで先生になったかのように絵本を高く手に持ち、集まる子供たちに読み聞かせを始めていた。



サラボナの丘を下り、ルドマンの屋敷に着いた頃には既に夕暮れ時を過ぎ、夜の帳が下りようとしている頃合いになっていた。リュカたちを屋敷に呼ぶことは事前に知らされており、しかしさほど時間は取れないものとして、簡単な食事会が催される準備が整っていた。
屋敷の外には老犬となったリリアンが、相変わらずの大きな白い身体を揺らしてリュカたちを出迎えてくれた。ふさふさの白い毛は丁寧に手入れされており、世界を股にかける大富豪ルドマンの家を守る犬として、今もその身は健在だ。普段は番犬として屋敷を守るリリアンだが、ことリュカに関しては端から敵意など見せずに尻尾を振り、まるでリュカも飼い主の一人なのではと思わせるほどに懐いて見せる。リュカが傍に寄り手を差し出せば、リリアンは親愛なる者への挨拶の如く、その手を舐めた。そんな光景を見て、ビアンカは笑顔を見せながら感心するように言う。
「魔物たちだって懐いちゃうくらいだもの。もしかしたらリュカにとってはこの世に敵なんていないんじゃないの?」
「そうだといいんだけどねぇ」
舐められた手でそのままリリアンの頭を撫でれば、彼女は嬉しそうにリュカの手に頭を擦りつけて来る。ティミーもポピーもリュカの隣に並ぶようにしゃがみ、リリアンの身体を撫でれば、彼女はされるがままに気持ちよさそうに目を細めている。番犬としての務めを果たす傍らで、彼女は安全と認めた者に対してはこれ以上ない親しみを見せるようだ。ビアンカもまたリリアンに手を伸ばせば、リリアンはやはりビアンカにも心を許すように頭を撫でさせていた。
屋敷の中に一歩足を踏み入れると、ビアンカは思わずその場で少し立ち止まった。屋敷自体が巨大な建物であるために、エントランスからして目を見張るほどの広さなのはバランスが取れている。端から端まで掃除が行き届いており、床を見下ろしても塵一つ落ちていない。棚の上には大きな花瓶が置かれ、サラボナの街の至るところに咲き誇る花を美しく整え差してある。花の香りがエントランスに漂い、その甘い香りにビアンカは無意識にも身体を強張らせた。
「どうしたの、お母さん」
立ち止まった母を心配するように、隣を歩くポピーが彼女を見上げる。
「大丈夫、お母さん?」
ティミーも同じく心配するように、母を振り返る。ティミーと並んで歩いていたリュカが振り返ったところで、ビアンカは口の中で小さく笑いながら、「大丈夫」と返事をした。
「前にこのお屋敷に来た時を思い出してね。ちょっと緊張しちゃった」
ビアンカのその言葉に、リュカは彼女が以前にこの屋敷を訪れた時のことを思い出す。初めは、半ば強引にリュカが彼女をこの屋敷に連れて来た。ここから遠く北にある滝の洞窟での水のリング探索の旅を終え、彼女が故郷の山奥の村に帰ろうとするのを止め、このサラボナの街までついて来てもらった。そして彼女は、そのまま花嫁騒動に巻き込まれてしまった。
二度目は翌日、リュカの花嫁の候補として彼女は屋敷に招かれていた。リュカが街の宿屋に泊まり、ルドマンの屋敷に到着した時、既に彼女は屋敷でその時を待っていた。あの時、リュカは自分のことだけで精いっぱいで、彼女のその時のことを考える余裕はなかった。しかし今になって改めて考えてみれば、ビアンカもまた途轍もない緊張の中でリュカの到着を待っていたに違いない。
「今はもう緊張なんてしなくても良いですわ。お互いに、幸せですものね」
「僕も話には聞いてます。この屋敷でリュカさんがプロポーズしたんですよね?」
フローラに付き添われるアンディが何の他意もなくそう問いかけると、すかさずポピーが自身の興味ある話題に乗るように話し出す。
「そのお話、前にも聞いたわよね。でもくわしくは聞いてないな。ねえ、お父さん、お母さんにどんな風にプロポーズしたの?」
「どんな風……」
ポピーにそう問いかけられても、リュカはその時のことを鮮明に覚えているわけではなかった。ビアンカに果たしてどのように求婚したのか、どんな言葉を口にしたのか、正直なところよく覚えていない。なんにせよ、必死だったのだ。ただこの場で嘘を吐いてはいけない、結婚と言う人生の重大な場面では心底正直であるべきだと言う思いで、ただ自分の気持ちがビアンカに伝わるようにと思っていただけだ。その結果、恐らく極度の緊張状態にあった自身が口にした言葉がどのようなものだったのか、はっきりとは思い出せない。
「ポピー」
娘の名を呼んだのはビアンカだった。
「どうしても聞きたい?」
「うん!」
ビアンカが問いかける言葉に、ポピーは二つに結んだ髪を弾ませるようにして頷く。その表情は期待に満ちたもので、ただただ父と母の過去のひと時を知りたいという好奇心が現れていた。
「じゃあねぇ……ポピーに好きな子ができたら教えてあげる」
「えっ!?」
「どう? 今、好きな子っている?」
まさか母からそのような言葉をかけられるとは思ってもいなかったポピーは、言葉の内容をしっかりと理解するのに少々時間を要した。しかし時間と共に自分の意図とは異なる者が頭の中に現れようとする現象に、ポピーは慌てて首を横に振って現れそうになるその者を追い出した。
「い、いないわ!」
「あら、そうなの?」
「ほ、本当よ!」
「そっか~。じゃあまだ教えられないかな~」
いかにも残念そうにそう言うビアンカを見て、リュカは密かに胸を撫で下ろしていた。それはかつての自身のプロポーズの言葉を晒さずに済んだことと合わせ、ポピーがまだ色恋に目覚める年頃ではないことに対してのものだった。自分のその反応に対して、ビアンカは娘を半ば揶揄うように話しており、その余裕ある姿にリュカは彼女がポピーの母としていてくれることに大いに感謝すると共に、僅かばかりの嫉妬を感じ、そしてその感情を馬鹿らしいと自身を内心で笑った。
リュカたちのために用意された食事の席は、グランバニアの国王一家を招待するには簡素なものだった。食事の部屋も最も広い場所ではなく、親しい者たちが語らうのにちょうど良いほどの、隣に座る者に手が届くような席が設けられていた。食事もコースで運ばれてくるような形式的ものではなく、既にテーブルの上に置かれ、好き好きに手に取って口にするもののようだ。それが子供たちが座る席の前を中心に置かれており、ルドマンの対応が二人の子供たちに主に向けられていることに、彼らの保護の下に生活をする子供たちへの思いが大いに感じられた。
「リュカ君、その節は大変世話になったな」
屋敷の主人ルドマンの言葉に一人首を傾げるビアンカに、ルドマンやフローラがその時のことを説明する。サラボナの街が大昔の怪物の前に危機に陥っていた時から、既に一年近くが経っている。怪物ブオーンを討伐するためにリュカは咄嗟の判断で自ら怪物に近づき、戦いを挑んだ。山のように巨大な怪物で、街に近づければ忽ち町が危機に瀕するのは明らかであり、決して町に近づけてはならないのだとリュカはそれだけを思って行動した。
「とんでもない大きさだったよ! 本当に山が動いてるみたいだった!」
「思い出すだけでも、まだ怖い……けど、放っておくことなんてできなかったもんね」
ただでさえ想像するのも難しいような巨大怪物相手の戦いだというのに、その戦いに二人の子供たちまで加わっていたのだと知れば、ビアンカは我が事のように身を震わせた。ティミーが勇者だということは既に周知の事実であり、ビアンカも当然知っている。国王私室に天空の武器防具が置かれており、眩いばかりの剣に鎧に盾に兜にと、それらを得意満面に身に着けるティミーの姿を目にして、ビアンカの胸の内にはある種の感動が押し寄せたのももう数日前になる。
「あの時、リュカさんたちがいらして下さらなければ今頃サラボナの街は……本当に何度お礼を申し上げても足りないくらいですわ」
「街の人々はほとんどがそのような事態に陥っていたことを知らないままなんです。ただあの時は遠くの空でいつもより夕日が眩しかったと……騒ぎにならずに済んだのも全てはリュカさんたちのお陰なんです」
フローラの言葉を拾うように、アンディもまた当時のことを思い出しながら語る。その神がかったようなタイミングで現れたリュカたちは、やはり運命に導かれていたのではないかとビアンカは静かに思う。そう思ってしまうのも、やはり息子ティミーが伝説の勇者などと言う御伽噺に生きる存在そのものとして生まれ、こうして隣にいるからだ。
「僕は初め、二人には来るなって止めたんだ」
リュカの焦るような言葉を聞き、ビアンカは夫の心情に同意するように小さく何度も頷いた。もし自分がその場に同じようにいれば、当然リュカと同じ行動を起こすだろう。たとえ我が子が勇者だとしても、子供は隠れていなさいと言わんばかりに共に怪物に立ち向かうことなど止めるに違いない。どこの親が、恐ろしい山のような怪物を相手に我が子を立ち向かわせるだろうか。
「でもお母さん、ボクは勇者だから!」
「お、お兄ちゃん一人に行かせられないもの! だから私も一緒に行ったの!」
父の言いつけを守らずに悪いことをしたと露呈したような気まずさを払拭するように、ティミーとポピーが必死になって『自分たちは間違っていなかった』という思いでビアンカにあたふたと言葉を投げる。折角会えた母を怒らせはしまいかと、どこか怯えるような様子の二人を見て、ビアンカはふと己の子供の頃を振り返る。
「でもお父さんも魔物のみんなも一緒だったんでしょ?」
「う、うん……」
「それなら、私は怒れないわよ」
「……どうして?」
「だって、私は小さい頃、お父さんと二人で、子供二人だけで街の外に冒険に出たことがあるんだもの。よっぽど私の方が危ないことをしてるわ」
結局、子供たちが無事だったからと、ビアンカは二人の子供たちを怒ることはできないのと同時に、子供たちを連れて行ったリュカもまた責めることができない。自分の手の届かなかったところで、リュカは必死に子供たちを止め、ティミーとポピーは必死に父について行った。昨日今日の話ではない。そして今は皆、無事に生きてくれている。過去にあった危険極まりない話を聞いても、ビアンカはただ家族が無事でいられることに感謝をするだけだ。
「その後、お母さんはお母さんのお母さんにしっかりと叱られたけどね。何て危ないことをするんだって。そりゃそうよ。だって私だけじゃなくって、リュカも連れ出したんだもの。怒られて当然だわ」
「とってもお転婆だったんですものね、ビアンカさん」
「こうして生きてるから笑い話にできるのよ、フローラさん」
フローラがいかにも楽し気に笑い、ビアンカが自らの過去の行いに苦笑する。笑みを交わす二人の姿は、すっかり姉妹のようだ。
「それにしてもサラボナにあんなに大きな学校が出来ていたなんて驚いたわ。どうして学校を作ろうと思ったんですか?」
ビアンカは隣に座るティミーの口元についたパンくずを取りながら、向かいの席に座るルドマンに問いかけた。しかしルドマンは自らは応えずに、視線を娘のフローラに向けると、それを受けたフローラが自らの思いを語るように話し出した。
「私なりの恩返しなんです」
彼女が語る内容に、リュカもビアンカも思わず驚きに目を見張った。
フローラはルドマン夫妻の血を引いていない。彼女自身が赤ん坊の頃に、この屋敷の傍らに置かれていたのをルドマン夫妻に拾われ育てられたのだという。夫妻の間に子供はなく、しかし彼らは子供を望んでいた。その状況で、世にも珍しい青い髪色をした女の子の赤ん坊を見つけた夫妻は、天からの授かりものだと確信し、フローラを彼らの娘として育てることにした、という話だった。
「預けられた修道院では様々な教養に礼儀、知識も身に着けることが出来ました。お父様やお母様と離れていることは寂しかったけれど、修道院長様からは『可愛い子には旅をさせよ』ということもあるのだと教えていただき、それで私は父と母からの愛情を信じることが出来ました」
「私たちとしても苦渋の決断だったんだがね。しかしあの海辺の修道院は女子の教育に長けていると聞いていて、男子禁制でもあったから、安心して預けることにしたのだよ」
ルドマンはサラボナの街を治める立場の長であり、街の人々は当然のように彼をこの町の長として頼っている。以前、リュカたちがサラボナを訪れた際、古の怪物ブオーンに立ち向かうための男たちも、ルドマンの指揮の下に集められていた。それだけでルドマンがサラボナの街の中心人物であることには疑いもない。
そのルドマン家をフローラは継いで行かねばならない。その為には、人々から敬われると同時に、慕われるような人物として育つ必要がある。人々の長となる者には必然的に、確かな人格が備わらなくては、自ずと人々の心は離れてしまうことをルドマンは理解していた。
「可愛い可愛いだけで子供を育てては、ただの甘やかしになってしまうからな」
豪快で太っ腹なルドマンだが、世界を見て来たその目はただ優しさに溢れているだけではない。自分の大事な娘だからこそ、彼女がこれから生きていくのに最も良い道を探し、たとえ一時的に離れることになっても娘の人生を第一に考えた行動を起こしているのだとリュカは感じた。
「血の繋がりのない私も、こうして父や母に大事に育てていただきました。だからその恩返しにと、行く当てのない子供たちがいれば私のところで引き受け、育て、未来に羽ばたいて欲しいと……そう思って学校を作ったのです」
そう語るフローラの目は生き生きとしており、彼女が心の底から子供たちの未来に希望を抱いているのが窺えた。
「生憎、僕たちには子供がいません」
フローラの隣の席で話し始めたアンディだが、彼は悲愴な面持ちを見せるでもなく、ただ穏やかな表情で話し続けた。
「しかし彼女が子供たちを引き受ける学校を作りたいと言った時、僕はすぐに“そういうことなんだ”と分かったような気がしたんです」
アンディが語る言葉に、リュカもビアンカも、ティミーやポピーも食事の手を止めて聞き入っている。
「これが僕たちのするべきことなんだって。僕たちだからできることなんだって、そう思いました」
「人それぞれ、生まれて来た意味があると思うのです。恵まれたことに私がこうしてルドマンの家に育ったことにも意味があります。そして私は私の持つ力を世界に役立てたいと、そう思ったのです」
彼らの話を聞きながら、リュカは隣に座るビアンカが震えるように息を吐くのが分かったが、彼女の様子を覗き見ることはできなかった。それでも彼女がフローラたちの話に感じ入り、目頭を熱くしていることはその雰囲気に感じた。
「ボクもそう思う……思います!」
食べることも飲むことも忘れ、話を聞いていたティミーが突如大きな声を上げた。隣に座るリュカが驚き、思わず息子の顔を振り向き見た。リュカの目に映ったティミーの横顔は、凛々しい勇者たるものだった。ビアンカの隣にいる時には赤ちゃん返りをしたかのように甘えるような仕草を見せるティミーだが、今はそのような幼い様子など一つも見せず、瞳に力を漲らせ、口を真一文字に結び、フローラたちを見渡している。
「ボクも……ボクが生まれた意味があります。ボクは勇者として生まれた。だからやっぱり、勇者として生きるべきなんだと思います」
ティミーの声は果たしてこれほど低く、大人の階段を着実に上っていただろうかと、リュカは思わず息子の想像以上の成長に息が詰まった。ティミーは時折、このような表情を見せることがある。その時、リュカは思わず息子から顔を背けたくなる。大人の階段を上る以前に彼は、勇者としての階段を上り詰めようとしているのだ。
母ビアンカを無事に救出したところで、勇者ティミーの人生は終わったわけではないのだと、リュカはまだ幼いと思っていた息子にまざまざと見せつけられた気分だった。そんなことは分かっていた。彼の負った宿命は、この世界を脅かす魔界の魔王を打倒することだ。
セントベレスの頂上に建てられた大神殿から、リュカたちは多くの人々を救出した。光の教団の力は削がれ、大神殿から逃れた者たちは今後サラボナを初め、様々な場所で真っ当な人としての生を生きることになるのだろう。しかし既に世界各地に散らばっている光の教団の力は衰えることなく、今も尚、教団の力は底辺で生き続けていることを、リュカはグランバニア王としてその状況を掴んでいる。大神殿はあくまでも悪しき教団の象徴の一つであり、敵の本体はこの地上に無く、地下深くで機会を窺いながら息を潜めているのだ。
土の中に根が残っている限り、放っておけば再び育ち、周囲を脅かす存在となるだろう。
「お、お兄ちゃんだけじゃないもの。私だって……お兄ちゃんだけに任せられないから、きっと私も一緒に生まれたの。勇者じゃなくたって、私にだって生きている意味はちゃんとあるの」
「……そうね、みんな一人一人、この世に生まれた意味があるのよ。私だって、ただ町や村に暮らしていただけなのに、いつの間にか王妃だなんて呼ばれてる。運命、と言われればそうなんだろうけど、でも私自身が選んだ道でもあるのは間違いないことだわ」
ビアンカの言葉をリュカは自身の胸の内に落とし込む。人はそれぞれ運命の中に生きているのかも知れないが、その運命の中でも確かに人はそれぞれ自分の意思で生きる道を選択している。過去を振り返り、一つでも異なる選択をしていれば、今リュカはグランバニアと言う国も知らずに過ごしていたかもしれない。あらゆる分岐の中で今の人生を歩んでいるということは、紛れもなくその道は自分自身で選んだ末の道だということだ。
「選んだ道を全て、後悔してないわけじゃない」
思わずぽつりと呟いたリュカの胸中には、悔やまれる己の人生の場面場面が蘇る。その最たるものは父パパスを喪ったことだ。
「だけどもう一度、同じ人生を歩んだとしても、多分同じ道を歩いて行くんだろうなと思うよ」
リュカの人生はリュカのものだ。しかしリュカの人生はリュカだけのものではない。父と旅をし、サンタローズの村に暮らしていたリュカは、グランバニアの王子として生まれた一人の人間だ。リュカと共にいた父がおり、リュカを産んだ母がいる。伴侶となったビアンカがおり、二人の子供たちがいる。家族だけではない。亡き父に常に付き従っていたサンチョ、兄の帰りを待ちつつ国王代理として国を治めていたオジロン、恐らく友人になるべくしてなったヘンリー、再会してリュカについてきたプックル、魔物の仲間たちも一人として欠けていれば、今とは異なる人生をリュカは歩んでいたかもしれない。
リュカを取り巻く様々な存在、環境が、今のリュカの人生を作り上げている。運命の中に生かされているのか、それとも自ら運命を切り開いてきたのか、それはどちらとも言えないだろう。しかしそれをどう思うかは、リュカ自身の問題だ。
「リュカさん、私はフローラの母親になって、この子から色々と教えられてきたように思います」
本来ならば、ルドマン夫人は母親として、娘のフローラに色々と教えてきたのだと言いそうなものを、彼女は反対に娘から色々と教わったのだと言葉にする。
「子供がいるだけでは親になれませんよ。反対に子供から一つ一つ教えられて本当の親になって行くものです」
そう言いながら上品にカップの茶を飲むルドマン夫人は、育ての母だなどと感じさせないような雰囲気があった。豪快なルドマンの陰に隠れ、目立たぬ彼女だが、同じ女性として娘のフローラのことをしっかりと見守り、支えてきたのだろうということが窺えた。静かに目配せをし合う夫人とフローラの姿を見て、リュカはフローラが大いに夫人からの愛情を受けて育ってきたのだろうと思えた。
「あら、いけない。もうこんな時間に。長くお引き留めしてしまいましたわ」
軽く食事をして話をしている内に、訪問滞在の予定の時間を過ぎてしまっていた。話に夢中になり、考えさせられることも多く、すっかり時間の経過を失念していたリュカは窓の外の景色を振り向き見た。すっかり陽が落ちてしまい、空には星が瞬き始めている。グランバニアで待つオジロンやサンチョの顔を思い起こせば、自然とリュカのこめかみに冷や汗が垂れる。
「ティミー君もポピーちゃんもあまり食べていないようね。お腹、空いていなかった?」
フローラがそう問いかけると、ティミーが慌てて首を横にぶんぶんと振り、目の前の一口サイズの魚のフライを手につまむや否や口に放り込んだ。ポピーもまだ山と盛られた果物の一つをつまみ、口にする。子供たちの様子を見て、ルドマン夫人が給仕の女性に指示を出す。
「簡単にサンドイッチにしてお土産にお持ちいただくのがいいでしょう。そうしたら国にお戻りになってもゆっくりと召し上がっていただけますからね」
「サンドイッチ……」
ルドマン夫人の気遣いを感じながらも、リュカは気まずそうにぽつりと呟き、ゆっくりと隣のビアンカを見る。リュカの視線に気づいているのかいないのか、ビアンカは笑顔のまま「ありがとうございます」と夫人に礼を述べた。
「折角だから頂いて行きましょうよ、リュカ」
「う、うん、そうだね」
「あら、どうしたの、リュカ? 何だか目が泳いでるみたい」
そう言いながら堪え切れずに小さく笑うビアンカを見て、リュカはすぐに揶揄われているのだと分かった。そして彼女がもう寂しさを感じたり疑念を抱いたりしていないことを悟り、力が抜けるように微笑み返した。
「またいつでもいらしてくださいね。お待ちしておりますわ」
「リュカさんの移動呪文があればあっという間ですもんね。……でもお仕事がお忙しいですよね」
「アンディさんやフローラさんこそ、これからとっても忙しくなりますよね。でもお二人のしていること、とっても素敵だと思うわ。これからも応援させてね」
「ありがとう、ビアンカさん。貴女に応援してもらえれば百人力ですわ」
「ふふっ、大袈裟ね」
「あら、本当のことですのよ」
言葉を交わし合うビアンカとフローラを見ていると、やはり彼女ら二人は姉妹のように思えた。フローラが育ての親であるルドマン夫妻に育てられたのと同様、ビアンカもまたダンカン夫妻と言う育ての親に育てられた。環境こそまるで異なる場所で生きて来た二人だが、実の親以上とも言える両親からの愛情を受けて育った彼女ら二人は、その心根の部分で似ているような気がして、それは兄弟姉妹に通じるもののようだとリュカは一人感じていた。
たっぷりと用意されたサンドイッチは両腕に抱えるような籠の中に入れられ、土産にと持たされた。グランバニアに帰ったらサンチョやドリスも呼んでみんなで食べようと、ティミーは今からその時を楽しみにしている。ポピーは母ビアンカと目配せをして、その時に昨日の内に作ってグランバニアの部屋に置いてあるフルーツサンドを一緒に出そうと合図を送り合っていた。
移動呪文ルーラの中で、リュカたちは地上に広がるサラボナの街の明かりを眺めた。丘の上に建つ学校にも明りが灯り、そこにも人々の命が息づいているのが見て取れた。とりあえずセントベレスの大神殿から逃れた子供たちの多くを、このサラボナの街に運び、これからの人生の道筋をつけることができた。しかし一人一人の子供の事に関しては、これから大小様々な問題も発生するだろう。全てが初めから上手く行くことなどないと、サラボナの人々は賢くも理解しているに違いない。
「私も……私たちも頑張らないとね!」
眼下に見える街の明かりに元気づけられるのはビアンカだけではない。凛として前進していくフローラやアンディの姿に、ビアンカは勿論のこと、ティミーもポピーも各々自身の立場と言うものを改めて心に感じている様子だった。そんな家族の思いごと包むようにリュカは両腕を広げて皆を抱き込み、グランバニアに待つ人々の元へとルーラの呪文を勢いよく飛ばした。

Comment

  1. tomo より:

    bibi様

    こんばんは、ご無沙汰しております。返信がかなり遅くなりましたが道徳観に満ち溢れた内容の物語でした。
    グランバニア王家の皆様が伺った時フローラ夫妻も喜んでいましたね。生きることの意味の大切さを改めて教えられた気がしました。考えていけば考えるほど奥が深いと感じました。
    ビアンカとフローラはもしかすると本当の姉妹だったりするのかなという一面も見られたりしました。

    エンディング後に彼女2人の生い立ちも明らかになったりするんですかねえ魔王討伐後は色々と動きがあったりもしますか?自分個人の勝手な想像ですがラインハットはヘンリー夫妻が国の主になっていますね。グランバニアはオジロンが国王を正式に引退しリュカ国王、ビアンカ王妃、ティミー王子が皇太子殿下にポピー王女が姫君に即位し両親の王家の仕事を助け、国王一家が常に国民一人一人に寄り添い民主主義を大事にしそうな国になりそうです。サラボナではルドマンが定年退職しフローラアンディ夫妻が街の長になり世界の平和と発展に貢献していくと思います。
    エンディング後は世界各国の王国や都市で世代交代が相次ぎ新時代の幕開けになりそうな気がします。

    今後の発展も楽しみです。それと余談ですが2年間続いたダイの大冒険が今週末で最終回を迎えます。

    • bibi より:

      tomo 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      今回のお話は真面目な内容となりました。この世界はまだまだ魔物たちに脅かされている状況ですが、その中でもフローラは自分にできることをと常に前進している人です。ゲームの中だとそんな様子は見られないですが、私の勝手な希望も込めて彼女にはこういう立ち位置にいてもらっています。ビアンカとフローラ、本当の姉妹かも知れないしそうではないかも知れない・・・その辺りは永遠に謎のままである方が良いような気がします。ドラクエって、謎めいた部分が色々とあるのが良いところ、だなんて思ったり。
      魔王討伐後はまだ何も考えていませんが、しばらくは平和な世の中が続くんだろうなと思います。彼らが生きている間は大丈夫なのかな。でも世の中って平和な時の方が短かったり・・・きっとドラクエ5の世界の後にも、色々と問題は起こるんだろうなと思います、悲しいことですが。百年単位、千年単位で考えれば、世界は目まぐるしく動くんでしょうね。大小さまざま。
      ダイの大冒険、終わるんですか。途中までは密林さんで一人でこっそり見ていたりしたんですが、契約が切れてから見なくなってしまい・・・(汗) 今回は最後まで放送できるんですね。往年のファンにとってはとても喜ばしいことですね^^

  2. ケアル より:

    bibi様。

    平和な時間の一面でしたね。 今後の子供たちの成長が気になるとこであります。 フローラが子供たちに学校で教育して行くということになるんでしょうか?

    ビアンカ、リュカに本を小さいころ読んであげたって言うけど…。
    「そらに…くせし…ありきしか」
    ですよ(苦笑)
    いやいやビアンカ王妃、さすがに自慢げに話すのは…(笑み)
    ビアンカらしくて、にやついちゃいました(ニコニコ)

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      このサラボナでのお話は完全に私のオリジナルになってしまっているので、あまり話を広げないようにと気を付けていますが、そうですね、フローラを中心に学校を営んで、ゆくゆくはフローラは海辺の修道院の修道院長のような立場になるかなと勝手に想像しています。
      ビアンカはいつでもお姉ちゃんでありたい人ですからね(笑) みんな、私についてきてー、みたいな。そう言う意味でも少しヘンリーと似通ったところがあると考えています。今度、また彼とも会う機会があるので、その時が楽しみです。

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