2017/12/03

占い師の助言

 

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「本当にこの道で合ってんのかよ」
ヘンリーの小さな声が後ろから聞こえ、リュカは振り向いた。しかしそこにヘンリーの姿は見えない。月の明かりが当たらない建物の陰に入ると、互いに姿が見えなくなるほど、夜は更けていた。
「さっきおじいさんに聞いた話だと、この裏道をずーっと先に進んだところだって言ってたから、合ってるよ、きっと」
「きっとって何だよ、自信持って言えよ」
「そんな、僕だって行ったことないんだから分からないよ」
人気の全くない、闇に閉ざされたような小さな路地を歩き続けるリュカとヘンリー。両側を石造りの壁で挟まれた路地は一層闇が濃く、前を歩くリュカは闇に目を凝らして用心深く歩いていた。狭い路地は一本道で迷いようもないが、ただひたすらに一本道を進み目的地に着く気配もないと、何かに騙されているんじゃないかと不安になる。もしかしたら道が分かれているのかも知れないと、二人は道を作る両側の壁伝いに進んでいたが、どこにもわき道はなかった。辿りつかない不安感に加え、ほとんど視覚を奪われた状態で歩いていると、本当に自分の足で歩いているのか信じられなくなる。しかし今さら戻るのも、同じ時間がかかるのかと思うと、やはり進み続けるしか選択肢はなかった。
途中、夜の散歩を楽しむ一匹の野良猫と、顔を近づけて囁くような声で語り合う一組の男女とすれ違った。リュカとヘンリーという男二人の出現に、男女二人は一瞬飛び上がるほど驚いたが、直後には再び愛を語り合い出した。リュカが男女に話しかけそうになるのを、ヘンリーはその首を掴んで止め、無理やり先を歩かせた。しばらく歩いて進んだ後、リュカは立ち止まってヘンリーに問いかける。
「あの人たちに聞いたら良かったのに。オラクル屋があるかどうか、知ってるかもしれないよ」
「とても話しかけられる雰囲気じゃなかっただろ。ヤブヘビもいいとこだ」
「何それ。僕たちがジャマってこと?」
「まあ、そんなようなとこだろ」
「ただ歩いてただけなのに、ジャマって思われてなぁ。何がどうジャマなのか、よく分からないし」
「お前も好きな女でもできれば、分かるんじゃねぇのか?」
「ヘンリーは分かってるみたいに言うんだね」
一瞬、月の明かりに照らされたリュカの顔があまりにも幼く、ヘンリーは子供の時に戻ったような気分に襲われた。しかしリュカに言われた一言に、子供の頃に戻った気分からはすぐに放り出され、さきほどすれ違った男女の様子をありありと思い浮かべる。
「俺だって、よくわかんねぇよ、そんなの」
「そうなの?」
「……んなことはいいから、早く店を見つけるぞ」
一本道を先に歩き始めたヘンリーの後を、リュカも遅れじとついていく。夜更けの時刻、月明かりしかない夜道を歩きながら、ヘンリーは一人、赤くなった顔を元に戻そうと必死に違うことを考えようとしていた。
珍品ばかりを扱うオラクル屋という店までの道のりは、想像以上に遠く感じた。昼間のように景色の変わりようでも目にすることができれば、前に進んでいる感覚はあったのかも知れないが、生憎この夜道では、距離感覚もままならず、無駄に疲労感が蓄積するばかりだった。道を大して折れることもなく、ひたすらに真っ直ぐ進み続ける辛さを、リュカもヘンリーもこの時身をもって知った。
突然道が開け、石壁に囲まれた空き地のような場所に、オラクル屋はあった。暗闇の中に見つけた店の前に灯る明かりはあまりにも乏しく、店を見つけた喜びよりも、むしろ得体の知れないものを見つけた不安に駆られ、二人は立ち止まって顔を見合わせた。店の前で申し訳程度に揺れている燭台の火に、互いの顔が不気味に映し出される。蝋燭の火が燃える音が聞こえるほど静かなこの場所が、あの賑やかなオラクルベリーの町の一角だということが信じられない。しかしうっかり町を出てしまったということもなく、店の前に照らし出される小さな看板には、消えかかったような字で『オラクル屋』と書いてあるようだ。店の入り口のドアはぴったりと閉められており、客を拒むような雰囲気すら感じるが、ここまで来て引き返すわけにもいかないと、リュカは店の入り口前まで歩いて行った。
「本当にやってんのかね、ココ」
訝しげに店をじろじろと見るヘンリーは、店に入ることにあまり乗り気ではないようだ。
「まぁ、ここまで来たんだし、せっかくだから入ってみよう」
リュカはそう言いながら、店の入り口の扉を静かに開けた。入り口から覗く店内の様子も、外の暗さとさほど差がなく、休業日だと思い込んでしまうほど静まり返っていた。店の奥の方で仄かな明かりがともっているようだが、人影は見えない。目ではあまり確認できないが、店の中が雑然としているのが分かる。決して店は狭くないが、物が辺り構わず置かれているために、店の奥に進むには身体を横にして進まなければならないほどだ。リュカが進むべく店に肩から入ろうとするのを、ヘンリーが止める。
「これはどう見ても、営業してないだろ。また朝になったら来てみようぜ」
「でも夜にしかお店を開けてないって言ってたよ」
「これで店を開けてるって言ったって、どうやって物を売るんだよ。何にも見えねぇじゃねぇか」
「お客さんが来たらきっと明るくしてくれるんだよ、魔法かなんかで」
「実際、明るくなってないだろ。俺らは客じゃないのか」
「まだ気づいてないんじゃないかなぁ」
「気付いてるぞ」
二人の会話に割って入ってきた声があまりにも低く、リュカとヘンリーは思わず一瞬息をのんだ。店の奥をゆっくりと見てみると、先ほどまではなかった人影が店の小さな灯りに照らされ、そこに現れていた。声の低さから、いかつい大男を想像していたリュカだが、小さな灯りに照らされる人影は、リュカたちとさほど変わらない体格をした男のようだ。
「ここ、オラクル屋ですか?」
「ああ、そうだ。途中の張り紙を見てここに来たんじゃないのか」
「張り紙?」
「ここに来るまでに引き返すお客さんがいるって聞いたから、ちゃんと場所が分かるように張り紙をしておいたんだが」
「……暗かったので、よく分かりませんでした」
「ん? ああ、それもそうだな。昼間のうちに見ておいてくれないとな」
オラクル屋の主人の言い草に、ヘンリーは思わず心の中で『じゃあ、夜に営業なんてするなよ』とぼやいていた。
「用がなくてわざわざこんなところまで来ないだろう。何か買いに来たんじゃないのかい」
リュカもヘンリーも、店に着いたら店内を色々と見てみるつもりだった。しかしオラクル屋の主人は客が姿を現しても店の中を明るくする様子は微塵も見せずに、ただ入口でたたずんでいる青年二人の影をじっと見つめるだけだ。店の中が雑然としていて、店の奥にまで進むのにも苦労するほどだが、主人はそんな客に構うこともなく、ただ店の奥でじっと座っている。
「とにかく中に入ってきたらどうだい。姿も見えないんじゃ話のしようもない」
夜遅くに営業し、店の中を明るくしようともしない己の行動はさておき、リュカとヘンリーを店の中に誘う。リュカは言われたことももっともだと、店の奥に続く狭い通路を進み始めた。途中、両脇に並ぶ商品の棚に身体が当たり、何かをひっくり返してしまった。それが何かを確かめようとしゃがみこむと、後ろからヘンリーに蹴飛ばされた。
「いたっ、ちょっと待ってよヘンリー、何かを落としたみたいなんだ」
「んなこと気にしないで、早く行けよ」
「あ、そうだ、ヘンリーが呪文で火を……」
「俺の魔法力を無駄使いするな。こんなくだらないことで呪文なんか使うかよ」
ヘンリーの言うことにも一理ある気がして、リュカは床に落としたものを拾うのは諦め、その場から立ち上がり、今度は身体を横にしながら通路を進み始めた。その後も二人でいくつかの商品らしきものを床に落したようだが、それに気づいているはずのオラクル屋の主人も気にしない様子で、二人が進んでくるのを待っていた。
店の奥に着くと、オラクル屋の主人は小さな明かりを脇に置いて、カウンターに両肘をついて待っていた。おおよそお客が来るのを待っているような態度ではないが、店の雑然とした状況や、夜にしか営業していないことから、彼が変りものであることはその姿を見ないうちからリュカにもヘンリーにも分かってはいた。
「いらっしゃい。それで、お求めの品はあるのかい」
まるで商売っ気のないような顔つきで、店の中まで入ってきた二人の青年に問いかける。オラクル屋に来る客は、店に入る前から買うものは決まっていて当然だと言わんばかりの口調だ。しかし主人の言うとおり、この店に来てから商品を選ぶ客はまずいないだろう。夜も遅くに店を開け、店の中に大した明かりも灯さず、通路脇の棚から物を落としても仕方がないような店に来てから、商品をじっくりと吟味することなどできるはずもない。
オラクル屋の主人はカウンターの上に置かれた小さな銅像を布切れで拭いていた。頼りない明かりの中で、その銅像は黒光りしている。
「ここに世界地図があるって聞いてきたんだ」
リュカが主人の手にしている銅像にじっと視線を注いでいる横で、ヘンリーが腕組をしながら主人にそう告げた。ヘンリーがそう言うまで、リュカはオラクル屋に来た目的を見失いかけていた。
「あんたら旅人さんかい」
オラクル屋の主人はまるでリュカとヘンリーの姿がはっきりと見えているような目を向けてくる。この暗い場所での生活で、暗いところでもすっかり目が利くようになってしまったのかも知れない。
「はい。旅をするなら地図が必要だって、それでここに来たんです」
「お客さん、残念だな。世界地図は今、切らしていてね」
思いも寄らぬ店主の言葉に、二人はあからさまに肩を落とした。夜中の真っ暗な道を長々と歩いて来て、ようやくたどり着いた店で目的のものが一つ、手に入るという時になって、まさかそれが覆されるとは予想もできなかった。オラクルベリーを出る時には既に世界地図を手にして、手探りで外を歩くことから脱却しているはずだった。
期待感が裏切られた瞬間、リュカは欠伸を噛み殺していた。気が抜けたら唐突に睡魔が襲ってきたらしい。
「地図が再入荷する見通しはまだ立ってない。何しろ、物流が悪くなってるからな」
「僕たち、あと二、三日したらこの町を出ようと思ってるんです」
「それまでにどうにかなんねぇのかよ、オヤジ」
「うーん、何とも答えようがないな、今のところは……。そうだ、今ちょうどいいものが入荷してるんだ。ちょっと見てみるか?」
「地図じゃないんだろ」
「だが旅には役立つものだと思うがね」
主人は椅子から立ち上がると、カウンターから店の中に一度出てきた。狭い通路ですれ違うこともままならず、主人はリュカとヘンリーを先に店の外に出るように促す。店を追い出されるように入口に戻される二人は、何やら分からないまま明かりのない外にまで押し戻された。
「外にあるものなんですか?」
「店の裏側に厩舎があるんだ。そこにね、奇麗な雌の白馬がいるんだよ。旅に出る時に馬がいれば、心強くないか? 荷物だって運んでくれるし、馬車として君たちが乗って行ったっていいんだ」
これまた予想すらできない店主の発言に、リュカとヘンリーはお互いに顔を見合わせた。普通の店には売っていないような変ったものを売る店だとは想像がついていたが、まさか馬を進められるとは思ってもみなかった。
店の裏側に回る途中、今まで何も感じなかった動物の雰囲気をリュカは感じた。店自体は小さく見えたが、裏手にある厩舎はなかなかの大きさで、その中には何頭かの馬がつなげられているようだ。ちょうど上からは月と星の明かりが届き、厩舎全体の大きさが影として浮かぶ。
厩舎の中に繋がれる何頭かの馬の内、一頭だけ、異彩を放つ馬がいるのが分かる。その馬は厩舎の中にいるのが窮屈に見えるほど大きく、月明かりにちらりと照らされる毛並みは青白く輝くようで、リュカは主人に案内される前に、その馬に見入った。すると、厩舎の中で静かにしていたその大きな馬も、じっとリュカを見つめてきた。長い首を前に出して、大きな澄んだ瞳でリュカのことを吟味しているかのようだ。
厩舎の間近まで来ると、オラクル屋の主人は迷うことなく、その大きな馬の前まで歩いて行った。ヘンリーは間近まで来てみて、ようやく大きく立派な白馬の姿に気付いたようだった。オラクル屋の主人の後ろに続くリュカの後ろで、ヘンリーは呆然とその白馬を見上げた。
白馬が入る柵の外から、オラクル屋が白馬の首を撫でた。その行動に応じることも、動じることもなく、ただ白馬はじっと立っているだけだ。そしてその瞳はリュカを捉えたままでいる。
「綺麗だろう。だけど誰に飼われていたわけでもない。ついこの間、こいつがふらふらと町近くで草を食んでいたんだ」
「こんな綺麗な白馬が? 城にいた頃も見たことねぇぞ、こんな立派な馬」
思わず呟いたヘンリーの言葉に、オラクル屋は意外そうな目でヘンリーを見る。
「へぇ、お城の人間なのか、あんた」
オラクル屋の反応に、ヘンリーは憮然とした態度でその視線から逃れる。しかしオラクル屋は興味津々の様子で構わずヘンリーを眺めていた。どこからどう見てもただの旅人の風貌に、オラクル屋は首を傾げる。
「おじさん、こんな綺麗な馬をもらえるんですか」
リュカは白馬のさらりとした鬣を優しく撫でながら、振り返りオラクル屋にそう尋ねた。ヘンリーを見ていたオラクル屋がその声にもう一人の青年を振り向くと、たった今白馬と会ったばかりの青年は、まるで白馬と旧知の仲であるかのように寄り添っている。相手は人間だと言わんばかりに白馬に話しかけ、そんなリュカの言葉に反応するように、白馬も時折顔を寄せて頷くような動作をする。オラクル屋が月明かりに照らされるその光景を口をぽかんと開けて見る横で、ヘンリーは感動とも呆れともつかぬ、溜め息をついた。
「お前はホント、何でも来いって感じだな。不思議な奴だ」
「それって、褒めてるの?」
「褒めてる、褒めてる」
納得行かない様子のリュカの隣に立ち、ヘンリーも逆側から白馬の首を撫でようと手を伸ばす。相手が魔物でなければ何も躊躇することはないと、ヘンリーはすんなりと白馬の首に触れた。すると何を思ったか、白馬は突然、ヘンリーの緑色の髪を口で引っ張った。巨白馬の力強い引きに、ヘンリーは慌てて身体ごと後ろに引こうとする。
「いててて、コラ、離せよ。いきなり何するんだ」
「ヘンリーの髪って緑だもんね。美味しい草に見えたんじゃない?」
「こんな暗くちゃ緑かどうかなんて分からねぇだろ」
「遊んでくれるって思ったのかも」
「馬との遊びってこういうんじゃないだろ。って、とりあえずこれ、どうにかしてくれよ」
「どうにかって……あ、じゃあこれ借りるね」
そう言うと、リュカはヘンリーが身につけていたナイフを手に取り、白馬が引っ張るヘンリーの髪をばさりと切り落とした。白馬の引力から解放されたヘンリーは、今度は警戒するように厩舎から少し離れて立つ。白馬は自分から遠ざかった人間に目をやりながら、ブルルルッと低く鳴いた。
「何、俺、嫌われてんの?」
「そうじゃないと思うけど。ただちょっと遊びたかっただけだよ」
「お前には何にもしないじゃないか、なんでだよ」
「僕は髪を外に出してないからかな。ヘンリーもターバンを使うといいよ」
「そんな暑苦しいもの着けられるか」
ヘンリーは一部短くなった髪をつまみながら、いかにもうっとうしいような表情でリュカの頭のターバンを見る。その間も、リュカはずっと白馬の鬣を手で何度も梳いていた。白馬は時折、気持ちよさそうに目を細めて大人しくしている。
「運命と言うのは、本当にあるのかも知れんな」
オラクル屋の店主の呟きは、リュカにもヘンリーにも届かないほどの小さなものだった。ただ、白馬は返事をするような頷きを一度、店主に見せていた。
「この馬をタダでくれる……わけないよな。いくらだったら売ってくれるんだ」
ヘンリーの一言で、オラクル屋ははたと我に返り、一瞬にして頭の中のそろばんを弾き始めた。しかしどんな計算も上手くまとまらず、しまいには頭の中のそろばんは機能しなくなってしまった。
美しく、大きく、立派な白馬は、既に頭にターバンを巻く青年の手に委ねられたようなものだ。白馬を見つけて数日間、店主は丁寧な世話を続けたが、白馬の今のような表情は一度も見たことがなかった。馬に表情があるのかどうか分からないが、明らかに感じたことのない親しげな雰囲気を、今の白馬からは感じる。
オラクル屋はそろばんなどいらないと、商売の概念を放り出して、彼らに見合うような金額を定めようとした。
「本当は三千ゴールドと言いたいところだが、負けて、三百ゴールドでどうだ。お買い得だろう」
「それなら今の手持ちのお金で払えるね」
リュカが安心した様子で言う隣で、ヘンリーが信じられないという表情で店主を見る。
「そんなに安くていいのか。馬一頭だぞ。普通に考えて一万ゴールドくらいはするものなんじゃないのか」
ヘンリーがさらりと言った一言に、今度は店主が目を見張る。馬一頭の相場は店主の言うとおり、通常三千ゴールドほどで、多少良質な馬でも五千ゴールドを出せば手に入れることができた。そんな普通の概念をそもそも知らないような金額を平気で言うこの青年に、店主は改めて疑るような目を向ける。
「三百ゴールド、これでいいんですか」
懐から無造作に出した金を数えながら、リュカが三百ゴールドを店主に差し出した。店主は習慣的に素早い動作で金を数えると、丁寧に折りたたんで懐にしまった。
「これでこの白馬はもう君たちのものだ。大切に扱ってくれよ」
「はい、大事にします」
馬の相場など知らないリュカは、素直に店主に礼を言い、再び白馬に話しかけた。白馬も心なしか嬉しそうにリュカに首を寄せる。
「本当にそんな金でいいのかよ」
「たとえ私が売りたくないと言ったところで、こいつはもうあんたらに付いて行く気だぞ。見てみろ、すっかりこっちの兄さんに釘付けじゃないか」
「……確かにな」
「俺はこいつを拾ってから一度もこんな生き生きとしたところを見たことがない。これは運命だったんだよ。君たちに渡すまでが俺の役目だったんだ」
「そういうもんかね」
二人が町に滞在する間、白馬を預かってくれることを店主は快く受け入れた。これほど立派で綺麗な白馬はそうそういない、そんな馬をまだ世話ができるのだと、彼は彼で一種の誇りを持っているようだ。
リュカ達がオラクル屋を立ち去る時、白馬は一声名残惜しそうに鳴いていた。その声を後ろに、リュカは『早速旅の仲間ができたね』とヘンリーに嬉々として話した。
来た道を引き返す時も、来る時と同じように道のりを長く感じた。しかし月明かりが真上から照らす時間帯、オラクル屋に向かう時よりも道の様子はいくらかはっきりと分かる。道の脇ではひっそりと猫が虫を狙っていたりした。しかし人影はまったくなく、彼らの足音以外に聞こえるものと言えば、鈴のような虫の音だけだった。
「これから占いをしてもらいに行くんだっけか」
「そうだね、良く当たるって言うから、その人の話を聞いてちゃんとこれからのことを決めるのがいいよね」
「地図もないし、はっきりと道を示してくれるんだったらそうしてもらうのが一番だよな。……ま、所詮は占いなんだろうけどさ」
「僕たちだけじゃ次にどこに行けばいいのかも分からないもんね。とりあえず頼ってみないと」
「ところでお前、すっげぇ眠そうだけど、それで占いの話とか聞けるのか」
「大丈夫だよ、たぶん」
まるで緊張感のない大欠伸をしながら、リュカは両腕を月に向かって上げた。ヘンリーはまるで眠くなどならない自分がおかしいのか、と疑問を抱きつつも、両目をがしがしと擦るリュカを連れて道を戻って行った。



二人が占い師のテントを見つけた時には、既に真夜中の時刻を越えていた。しかしそんな夜更けにも、テントの外には数人の列が作られていた。教会の脇の路地にひっそりとテントを張っているその場所は、教会前の松明の明かりや、人の列ができていなければ、通り過ぎてしまうような目立たない場所だった。列を作る人々のほとんどから、酒の臭いが漂っている。夜遅くまでカジノで遊んでいた人々が、遊びの延長のような気持ちで、この占い師を訪ねてきているのだろう。
「こんな夜中なのに人が並んでるなんて、すごい人気なんだね」
「人気かどうかは分からないが、これだけの人に知れているのはすごいな、こんな目立たないところにあるのに」
「ヘンリーなら、お酒飲んだ後にここまで来られないよね、すぐに寝ちゃうから」
「うるせぇ、お前、何だかだんだん生意気になってきたな」
ヘンリーが半目になってじろりとにらむが、リュカはそんなことなど気付きもせずに、前に並ぶ二人の頭を通りこして、テントの中を覗きこもうと身を乗り出した。小さなテントは人が二人、三人がようやく入れるほどの小さなもので、入口の布をめくるとその隙間から柔らかいオレンジ色の光が漏れてくる。だが占いの最中はテントの中の様子は全く分からない。リュカは客が出入りをする一瞬の隙に、テントの中を見てみようとずっと身を乗り出していた。
「落ちつけよ、そのうち順番は回ってくるんだから」
ヘンリーにたしなめられても、リュカは生返事をするだけで、列からはみ出すようにしてテントをじっと見つめている。テントの中から次の客を呼ぶしゃがれた声が聞こえると、占い師がかなり高齢の人間だと分かり、不安気な顔つきでヘンリーを振り返る。
「おばあさんみたいだね。大丈夫なのかなぁ、こんな夜遅くまで働いてて」
「ばあさんか。モウロクしたこと言わなきゃいいけどな」
夜空を見上げると、満点の星空は一層の輝きを見せているようで、月がその存在を小さくしているほどだ。リュカは教会のシスターが言っていたことを思い出し、占いをするには絶好の星空なんだと期待を膨らませながら列が進むのを待った。気がつけば、リュカ達の後ろにも数人の人たちが新しい列を作っていた。
「次の方、どうぞ」
老婆の声が聞こえると、リュカは静かにテントの分厚い布をめくり、入口をくぐった。ヘンリーも続いてテントの中に入る。
テントの中には小さな蝋燭が二つ灯るだけで、その明かりも今にも消えそうなほどに弱い。じりじりと蝋燭の芯が焼ける音が聞こえるほどに無音で、テントの分厚い布を隔てただけだというのに、どこか異空間に飛び込んできたような錯覚に二人とも陥った。テントの外側にある夜の涼しい空気と違って、テントの中は息が詰まるほどに暑く、得体の知れない圧縮された空気が身体にまとわりつくのをリュカは肌に感じた。
「なんじゃ、まだ若いではないか」
全身を黒いローブで覆う占いババは、目深に被るフードの奥から光る目を向けてきた。机として置かれている小さな台にはカーテンと同じような厚地の布が敷かれ、その上に水晶玉が無造作に置いてある。占いババは水晶玉を手元に寄せると、まるで遊び道具のようにそれを机の上で転がし始めた。既に占いを始めているのかと思い、リュカもヘンリーもしばらくじっと待っていたが、占いババは楽しげに二人を見るだけで何も語ろうとはしない。
「どうしたんじゃ、何を黙っておる」
「あれ、もう占ってるんじゃないんですか」
「何を占って欲しいのか言ってもらわんと、占いようがないじゃろ」
肩すかしを食ったようにリュカもヘンリーも一瞬気が抜けたように息をついたが、肩に重くのしかかるテントの中の空気は変わらない。息苦しい暑さに、リュカのこめかみに汗が伝う。
「おばあさん、そんな格好していて暑くないんですか」
リュカが手の甲でこめかみの汗を拭いながら問い掛けると、老婆は何本か歯の抜けた口を開けてにやりと笑う。
「そう思っておるのはお主だけじゃ。のう、そちらの若いの」
「まあ、少しは暑いけど、そんなに騒ぐほどでもないな」
「ほう、そちらさんもちいとばかし背負っておるようじゃのう」
占いババの言葉の意味が分からず、二人は揃って首を傾げた。頭から足先まですっぽりと黒いローブで覆う占いババは水晶玉を器用に机の上で転がし続けている。顔中皺だらけで、黒いフードも目深に被る彼女の表情ははっきりとは分からないが、心の中にまで入り込んできそうな彼女の鋭い眼差しに出会うと、リュカもヘンリーも落ち着かない気持ちで彼女から視線を外し、意味もなく水晶玉を覗きこんだりした。二人が水晶玉を覗きこんだところで、何かが見えるわけでもない。恐らく、この水晶玉の中に何かが見えるのは、持ち主である占いババだけなのだ。
占って欲しいことを言えばいいだけなのだが、その言葉がリュカの口から出ない。相変わらずテントの中の空気は暑く、息苦しく、用がなければ早くこの場を脱したいほどに居心地の悪い場所だった。隣に立つヘンリーを見ると、彼は彼で何やら考え込むように腕組をして黙り込んでいる。しばらくテントの中に沈黙が流れた後、話出したのは占いババだった。
「誰かを探しておるのかね、旅人さんよ」
的のど真ん中を射てきた占いババの言葉に、リュカはまた言葉もなくその場に立ち尽くした。リュカとしては、旅の方向性を聞きたいだけだった。次はどこの町に行けばいいのか、それくらいの目先の目的を聞きたかっただけだ。しかし、占いババは彼の旅の目的そのものに迫ってきたのだ。リュカは頷くことも忘れて、占いババの顔をまじまじと見つめながら、次の言葉を待った。
占いババはリュカから視線を外すと、それまで転がしていた水晶玉を目の前に止め、水晶玉の上に両手を重ねて置きながら一度目を瞑った。呪文のように口で何かを唱えるわけではなく、ただ瞑想しているように静かに集中している。そして目深に被った黒のフードの下でゆっくりと目を開けると、水晶玉の上に両手を柔らかくかざす。それから視線を上げて、ようやく水晶玉の中を覗きこんだ。皺だらけの両手がかざされた水晶玉の中を、占いババの琥珀色の瞳が彷徨う。彼女がそこに何を見ているのか、リュカにもヘンリーにも皆目見当もつかない。
「その女性はここにはおらんようじゃ、残念じゃが」
人を捜して欲しいとも、その人が男か女かも言っていないリュカは、占いババの言葉が真実なのだと本能的に認めた。そして自分でもはっきりと分かるくらいにがっかりと肩を落とした。まさか旅の目的がこんな賑やかな町で解決するとは思ってもいなかったが、正面からきっぱりと否定されると、リュカは自分が心のどこかで期待していたのだと嫌でも気付いた。
「どこにいるか分かりませんか。僕はそこがどんなところだろうと、行くつもりです」
「お主が求める女性はどうやら何かの力で囲われているようじゃ。わしの目ではこれ以上のことは分からぬ」
しゃがれた占いババの声が震える。見れば、彼女の頬には汗が流れ、表情は険しく、水晶玉を覗きこむ様は、まるで何か見えない敵と素手で戦っているかのようだ。琥珀色の瞳に力がこもり、占いババは水晶玉の中を覆う靄を追い払おうと、かざす両手を様々な角度に変える。目を細めたり見開いたりする占いババの姿を、リュカはただ見ていることしかできなかった。
しばらく水晶玉の中の景色と格闘した後、占いババは皺だらけの両手で水晶玉を覆い隠し、深い息をついた。どうやら息を止めて占いを続けていたらしい。彼女の顎から滴り落ちる汗が、机の上の布にしみ込んだ。そしてゆっくりと顔を上げると、テントの中の暑さで顔に拭き出す汗を拭うリュカと目を合わせる。
「北に向かいなされ。そこでお主は何かを見つけるじゃろう」
「何だよ、漠然としてるな」
ヘンリーが不服そうにそう言うと、占いババは別段ヘンリーを睨み返すでもなく、リュカを見据えたまま続ける。
「お主自身、何かの力によって守られておる。何か、強い力で守られ、わしはそこには入れないようじゃ。頑張ってじゃみたんじゃが。すまぬ」
「いえ、いいんです。ありがとう、おばあさん」
相変わらず圧しかかる空気に全身を硬くしながら、リュカは老婆に礼を述べた。そして占いの代金を払おうと懐を探っていると、老婆はヘンリーに視線を移した。
「お主は占わんでいいのか。二人ともいい男じゃから、一人分は負けてやるぞい」
「俺はいいよ。別に占って欲しいこともないし」
「占い師に嘘をつくものではないぞ。……ここに来なされ」
そう言いながら占いババはヘンリーの手首を掴み、正面に立たせた。予想外の老婆の力に、ヘンリーは気味悪ささえ覚えたが、そんな素振りを見せずに腕組みしてそっぽを向く。占いババが発する独特の空気の淀みに息を詰めながらも、ヘンリーは断固として彼女を見なかった。
そんなヘンリーの態度に、占いババは笑みを浮かべながら構わず水晶玉の上に手をかざす。水晶玉の中の景色に集中する彼女を、ヘンリーはようやく見下ろした。すると目も合わせていないのに、心の中まで覗きこまれるような気持ちの悪い感覚に襲われ、ヘンリーは思わず小さなうめき声を漏らした。
「そろそろ、自分自身と向き合える時がくるかも知れん」
「……何だよそれ、また曖昧な占いだな」
「お主自身がそれを望んでいなくとも、時の流れがそれを手伝ってくれる」
「ああ、そうかよ。アドバイスありがとうよ、ばあさん」
「これ、人の話は真面目に聞かんか」
「俺のことはいいんだよ。ここに来たのはこいつのことが知りたかっただけなんだから」
ヘンリーはそう言うと、逃げるように占いババの正面から一歩退いた。知らず浮かんでいた額の汗を拭う。占いの言葉を聞いた直後に、テントの中の空気が更に圧縮された気分になったことを、ヘンリーは無言でごまかした。
「おばあさん、ところで占いのお金っていくらなんですか」
「一人五ゴールドじゃ。まあ、金のない旅人さんからはもらっていないがの」
「お、じゃあタダでいいんだな」
「お前さんの友達は律義に十ゴールドを用意しているようじゃが」
「二人分占ってもらったから、これでいいんですよね」
「計算としては合ってるが、リュカ、ここはばあさんの厚意も計算しろ。ということで、五ゴールドな」
「わしも初めに言ったしの、一人分は負けてやると。五ゴールドでいいぞい」
「サンキュー、ばあさん」
ヘンリーがリュカの手の上に乗る金から五ゴールドを取ると、水晶玉の横にそれを置いた。そして息苦しいテントの中から早く出ようと、入口の厚地の布をめくり上げる。
「これ、若いの、代金を負けてやった代わりに、礼くらいしていったらどうじゃ」
テントの中からしゃがれた声が呼び止める。まだテントの中にいたリュカは再び懐から金を出そうとするが、その前にヘンリーがぶっきらぼうに言葉を返す。
「礼ってなんだよ。金はいらないんだろ」
「わしのほっぺにチューくらいしていっても、バチは当たらんと思うがのう」
占いババがにやつきながら言う言葉の意味が理解できず、リュカもヘンリーもその場で固まった。しかし時間をかけて理解するなり、ヘンリーは顔を真っ赤にして老婆に言い返す。
「だ、誰があんたみたいなばあさんにするか」
「減るもんでもないじゃろうに、ケチじゃのう」
「僕で良ければしましょうか」
「……リュカ、止めておけ。金は減らなくても、誇りが減るぞ」
「そうなの?」
「そうだよ」
「これでも昔はモテたんじゃがのう。今でも髪の手入れは欠かしとらん」
占いババはそう言いながら、フードの両脇から垂らしている白髪を右手の人差し指にくるくると巻いた。まるで若い娘がするような仕草だが、顔や手の皺は深く、笑う口の中の歯は数本抜け落ちている。たとえ若い頃に美人だったとしても、彼女は今こうして、オラクルベリーという大きな町で、たった一人で占い師として働いている。リュカはふと『家族は心配していないんですか』と聞きそうになったが、止めた。魔物の数が増え、物騒になってしまったこの世の中、家族がいることが当たり前ではないのだ。それ以上に、リュカ自身、そんなことを聞かれたくないと思った。
「わしは幸せじゃよ、たとえ独りでもな」
リュカの考えに応えるような言葉を、占いババは口にした。見ず知らずの人間の人生を占う老婆だ。読心術には長けているのだろう。リュカの無表情とも言えるような顔つきを見て、占いババはそこに彼の好奇心と憂いと優しさ、そして意外な自我の強さを感じていた。
「人が何をどう幸せに思うかなんて、その人次第じゃ。幸せになりたいと願うなら、そうなるように動かなくてはならん。所詮、運命など初めから定まってはおらぬ。お主らの行動次第ではどうとでも変って行く、不変のものなんじゃよ」
「占い師らしくねぇ言葉だな」
「でも、もしそうだとしたら、過去に起こったことも、もしかしたら変えられたんでしょうか」
言ってもどうしようもないことを言ったと、リュカ自身、自覚していた。そして占いババにそう言った瞬間、これまで暑苦しく感じていたテントの中の空気に、今度は締め付けられるような感覚に襲われた。得体の知れない圧迫感に、リュカは息を細くすることしかできない。
「変えられない過去、それを都合よく『運命』と言うんじゃろうなぁ」
占いババの独り言のような小さな呟きだったが、その言葉がリュカの耳に響いた。
「人はそれぞれ、悲しい過去を持っているもんじゃ、大小の差こそあれ。じゃが、いつまでもその過去に囚われていては前に進めん。前に進む一つの方法として、一度、その過去を『運命』として片づけ、受け入れるのは、わしは悪くはないと思うんじゃ。現にそういう旅人さんを多く見てきたのう」
今日一日だけでも、テントの外に列ができるほどに繁盛している占い師だ。これまでにも様々な旅人に行く道を尋ねられ、彼らの過去を垣間見ながら、占いババは旅の指針を彼らに示してきたのだろう。
そしてリュカやヘンリーなどと比べて数倍長く生きている占いババは、自ら過去を『運命』として片づけ、受け入れたのかもしれない。オラクルベリーで占い師として働き始めるまでに、彼女も自分の運命と向き合った瞬間が何度となくあったはずだ。
占いババは目の前の水晶玉にふわりとオレンジ色の布をかぶせた。すると、呼吸するのも苦しく感じていたリュカとヘンリーの肺に素直に空気が入り込む。まだ暑さは感じていたが、息苦しい空気は一瞬にして収まった。
「さて、今日はもう店じまいすることにしようかの。わしもお前さんたちと向き合っていて、ちと疲れたわい」
「俺たちの後ろにもまだ人が並んでたぞ。どうすんだ」
「今日はもう、お前さんたちみたいに、本気で占いを求めてる人はおらんじゃろ」
占いババは杖をつきながら入口の分厚い布をめくって、テントの外の様子を見た。外に並ぶ人々は占いババが姿を見せたことにも気付かずに、ただ惰性で列に並び、列が短くなるのを漫然と待つだけだ。そこに人生の助けを求める人はいない。並ぶ人々は明日のカジノの勝敗でも占ってもらうような軽い気持ちでただそこにいた。
リュカとヘンリーが外に出て、その後から占いババがテントの外の看板を外して下ろす。すると、人々は承知していたかのように素直に列を離れて行く。リュカは教会のシスターが言っていた言葉を思い出す。占いババは決まった時間に占いをしているわけではない。主に天候に左右され、空が曇り、星が見えなくなってしまえば、占いはそこで終わりとなる。外に出て、夜空を見上げると、先ほどまでは燦然と輝いていた星空が、今では少し薄雲に覆われてところどころ姿を隠してしまっていた。雨でも降っていれば、そもそも店を開けないのかも知れない。そういう気まぐれな事情を、オラクルベリーの町の人々は理解しているのだろう。
テントから出たリュカとヘンリーは、それまで得体の知れない空気に抑えつけられていた身体を伸ばし、大きく呼吸をした。テントの中に入った時は異世界に飛び込んだ感覚だったが、外に出た今は解放されたという安堵感で満たされた。涼しい夜風に当たると、全身の汗がすうっと引いて行くのが心地よい。
「不思議ですね、テントの中と外でこんなに違うなんて」
「人によって感じるものも違うんじゃよ。なんにも感じない幸せな人もおる。お主とは反対で、凍えるような寒さを感じるお客もおった。背負う人生によって、色々のようじゃ」
占いババは下ろした看板をテントの中にしまい込んだ。外に並んでいた人々は各々、家に戻って行ったり、カジノに足を向けたり、眠らない町を再び散策し始めたりする。何が何でも占いをしてもらう、という人はいなかったようだ。
「とりあえず北、ですよね」
看板をしまい込んだ占いババがテントから出てきたところで、リュカが改めて尋ねる。占いババは左手に持つ杖をリュカに向け、真剣な顔つきで話し出す。
「過去の運命は変えられぬ。じゃがの、未来の運命なんて何にも定まっておらんのじゃ。お主らの行動次第でどうとでも変わる。北へのお導きが出たのも、あくまでも選択肢の一つに過ぎない。言ってみれば、北へ向かわない選択肢もあるのじゃよ」
「せっかく占ってもらったのに、それじゃあ意味ないだろ」
「そう言えばこの町にいた戦士っぽい男の人も、北にさびれた村があったって言ってたよね。とりあえずそこに向かったらいいんじゃないかな」
「ああ、そんなことを言ってたヤツがいたな。地図はないが……まあ、どうにかなんだろ」
「北には数年前に大きな橋が架けられて、それ以来、北からこっちに人が流れてきたようじゃ。それまではこのオラクルベリーも小さな町じゃったんじゃ」
「その橋を渡って行けばいいんですね」
「恐らくな。北から来る旅人たちは皆、その橋を渡ってくるらしい。よほど大きな橋なんじゃろうなぁ」
「それなら分かりそうだな」
「今は昔と比べて物騒な世の中じゃ。くれぐれも死なんようにな」
「はい、気をつけます。おばあさん、ありがとうございました」
リュカの礼を背に受けながら、占いババはテントの中に再び姿を消した。テントの中の火が消され、リュカとヘンリーのいる外は真夜中よりは少し明るくなった闇で包まれる。もう東の空がうっすらと白み始めている時間帯だが、占いババはこれから眠りに就くのだろう。そしてまた、翌日の夜にはテントに仄かな明かりをつけ、占い師として人々の指針になる言葉を落としていくのだ。
「旅の途中で何か分からないことが出てきたら、またここに来れば良いね」
「ばあさんの占いが当たってるかどうか、まだ分からないだろ。当たる占い師だったら、また来てやっても良いけどな」
「北に行って何か見つかるといいなぁ。そこに捜す女の人はいないって言ってたから、それは期待してないけどね」
「しかし今回の占いで言われたことっつったら『北に行け』だぞ。次に占ってもらっても、もしかしたら『西に行け』で終わるかも。もうちょっと細かく分からねぇのかね」
「何にも分からないより良いよ。僕たちだけじゃ、どこに向かったらいいのかなんてさっぱり分からないもんね」
テントの外の空気は徐々に澄み渡って行く気配があった。夜まで活気溢れるオラクルベリーの町も、明け方前の束の間、穏やかで静謐な空気に包まれる。占いババが明かりを消したテントも、先ほどまで酔いどれ客が列を作るような賑やかさを見せていたが、今はもう眠りに就いているように見える。眠らない町と称されるオラクルベリーだが、一日の内のほんの短い時間、深い眠りに就くようだ。
二人が宿屋へ戻りながら歩く途中、夜の賑わいの名残が町のあちこちに落ちていた。人々の食べこぼし、カジノ闘技場の外れチケット、良く目を凝らして見れば小銭ではあるがゴールドが落ちていることもある。カジノの周りにある屋台で買い物をする時に、人々は酔いで覚束ない手で支払いをし、その際にうっかりゴールドを落としてしまう光景がありありと目に浮かぶ。オラクルベリーという大きな町で、カジノという娯楽にはまる人々の気は大きく雑になり、小銭を地面に落したところで気付く訳もないのだ。
「どうする、これ」
リュカが地面から拾い上げた五ゴールドを見て、ヘンリーは一つ頷いた。
「北に向かいなされ、そこでお主は何かを見つけるじゃろう。ってことでいいんじゃねぇの?」
「こっちって、北?」
「あの修道院から北に歩いてきただろ、俺たちは。どうせ五ゴールドを拾いに来るヤツなんていねぇよ、もらっとけ」
「それもそうか。じゃあありがたくもらうことにしよう」
リュカは大した抵抗も見せずに、素直に五ゴールドを懐に入れた。悪いことをしているような気分も少しはあるが、今日の宿代の足しになるとしたたかな思考も頭の中をめぐっていた。
宿の前まで来ると、町がすっかり静かな時間に包まれているのを感じた。夜中、そこらじゅうに舞い上がっていた埃っぽい空気も地面に落ちて、世界中どこにいても神々しい朝の日の出を、まるで静かに祈りながら迎えるような静寂な雰囲気を漂わせる。東の空を見上げると、町の建物の間から群青色の空が迫り始めているのが見えた。じきに星も、その色の中に取り込まれ、次の夜を待つ。
「いつここを出るつもりだ、リュカ」
宿屋の入り口の前で、町を見渡しながらヘンリーが言う。リュカは朝の澄んでいく空気を大きく吸い込みながら、大欠伸をした。
「できれば明日」
「そうだな、一応目的地もはっきりしたことだし、行くんなら早い方がいいか」
「ただ、明日って言っても、もう今日なんだよね、明日って」
「それに北の村って言ったって、どれくらい歩けばいいのかもわからねぇんだよな」
「あの時の戦士の人がまだこの町にいれば聞けるのにね。いるのかなぁ」
「この町にいるとしたら、間違いなく寄る場所があるな。明日はそこに行くか」
淀みなく話すヘンリーを、リュカは怪訝な目で見る。
「カジノに行きたいんだったら、素直に言えばいいのに」
「リュカ、お前大分察しが良くなってきたな」
「でも、まあ、そうだよね、あそこに行けば色んな人の話が聞けるのは間違いないね」
「だろ。残りの金はこんだけだから、この中から……」
「ヘンリー、僕、いいこと思いついたんだけど」
「何だ」
「カジノのあのお酒が飲めるところで、一日だけ働かせてもらえないかなぁって」
「……何言ってるんだ、お前」
「だってあそこで一日働くだけで、色んな人と話せるんだよ。その上お金がもらえるんだったら、そんないいことはないって思ったんだけど」
リュカの真面目な意見に、ヘンリーは反論する余地をみつけられなかった。自発的に町の人に話を聞きに行かなくとも、店で働いているだけで、酒場を訪れる人々から多くの話を聞くチャンスがあるのだ。
「ただカジノでお金を使うよりも、よっぽどいい考えでしょ」
「まともに働いたこともない俺たちを雇ってくれるのかどうかは怪しいもんだけど」
「何とかなるよ。あ、でもヘンリーはお酒が飲めないんだった」
「……いちいちうるせぇな。第一、働いてる方が酒を飲んでどうすんだよ。飲む必要もないだろ」
「あ、そうなんだ。てっきりお客さんと一緒にお酒を飲みながら働いてるのかと思ってた」
「飲んで管巻いて客に絡み酒してるバーテンなんているかよ」
「よし、じゃあ明日はカジノで働きながら色んな人の話を聞こう。もしかしたらあの時の戦士の人にも会えるかも知れないし」
「昼間はもうちょっと町を回ろうぜ。カジノに来るヤツらばっかりじゃ、話の内容もかたよるかもしれねぇだろ」
ヘンリーの言うことに、リュカはカジノの中の様子を思い浮かべた。心地よく酒を飲み、顔を真っ赤にして、従業員にしつこく同じ話を聞かせる男性、昔の武勇伝をつい何時間か前のことのように自慢げに話す老人、カジノで勝てない愚痴が止まらないおばさん。ヘンリーの言うとおり、カジノで一日話を聞いていても、実のある話はそのうちの十分の一もないかもしれない。オラクルベリーを訪れている旅人はカジノの外にも、滞在中は町の中を存分に散策しているはずだ。そんな彼らと同じ行動を取った方が、まともに情報収集ができるのかも、とリュカは自分の提案に少し自信を失くした。
「何も常に二人で行動することもないだろ。どっちかがカジノで働いて、どっちかが町の中で人から話を聞く、ってんでもいいんだ」
「あ、そうしよう。ヘンリー、どっちがいい?」
「俺にカジノの酒場で酒を出せってか」
「働いてれば飲まないんだから平気でしょ。それとも一人で町の人に話を聞いてくる?」
「……俺、働くわ」
「言うと思った。ヘンリーはそっちの方がいいよ。じゃあ僕は町に出て色んな人に話を聞いてくるね。それで後でそれぞれ宿に戻ろう」
「まさか初めての町で働くことになるとは思わなかった」
ヘンリーが欠伸をしながら宿屋に入って行く。心なしか声が弾んでいたヘンリーの後ろで、リュカは言葉を飲み込んでいた。
『王子様が働くなんて、前代未聞だね』聞こえたところで、ヘンリーはこの言葉に怒るどころか、あえて無視を決め込むかも知れないとリュカは思った。ヘンリーは今、自分が王子だということを認めないだろう。それどころか、かつて王子だったという事実からも目を背けているような雰囲気さえ漂わせている。ヘンリーは今、リュカの過去と向き合うことはできても、自分の過去と向き合うことはできないのだ。それほどにこのオラクルベリーの町を楽しんでいる。
華やかで賑やかなオラクルベリーの町は、旅人と束の間夢の世界へいざなう。辛い現実から目を背けさせ、楽しい空間に身を浸し、いつの間にかこの町に住みついた人々の数が増え、いつの間にかこれほどの巨大都市となってしまった。この町ではいつまでもぬるま湯に浸かっていられる、と人々は夢を見続けているのかも知れない。
「ヘンリーは、どうしたいんだろう」
リュカには確固たる目的がある。母を捜す旅を止めることは考えられない。第一、旅はまだ始まったばかりなのだ。父が何年もかかって、結局成し遂げられなかった目的を、早々に叶えられるとは思ってもいない。もちろん逸る気持ちがないことはないが、ことを急いで何か大事なものを見落とすのは避けなければならない。
つい最近まで、二人は奴隷として高い山の上で働かされていた。それが今では、誰からも何からも束縛されない自由の身となって、こうして旅を始めている。自由になれることをずっと諦めずに夢見ていたが、現実に自由の身になると、それはもう夢ではなく、どんどん過去に追いやられて行く今の連続だ。こうしてみるみる過去になっていく今を『運命』と呼ぶのは、確かに都合の良い言葉だとリュカは感じた。そんな簡単な言葉ですませたくない、という悔しさがどこかにある。
それに、運命と呼ぶにはあまりにも色々なことを知らないままでいると感じる。子供の頃に父に連れられ旅をしている時も、ただ盲目的に父の背中について行っただけだ。ただその瞬間が楽しい、嬉しい、悲しい、それだけだった。何も知らなかったから、感情の記憶だけが残っているのだ。
「でもそれって、僕だけじゃないよね」
先に宿に入って行ったヘンリーも、同じように何も知らないまま大人になってしまった。彼は恐らく、自分のように父と面と向かって話したことがない。継母に疎んじられ、遠ざけられ、素直に父王と話す機会を見つけられずにいた。たとえ目を合わせても、どうしたらいいか分からず、どうしようもなく、イタズラばかりを繰り返しては父王に怒られていた。それが彼の唯一の父との会話だった。
「旅を続けて、もしラインハットが近いようだったら、寄ってみるべきかな」
口に出してそう言うと、リュカは少し寒気を覚えた。ラインハットと口にするだけで瞬間的に身体が震えたのは、まだ過去を運命だったと受け入れていない証拠だと感じた。過ぎてしまった過去を受け入れる方法を探すためにも、旅を続け、たくさんの人に出会い、様々なことを知りたいと思った。そして母に会い、母から父のことを色々と聞きたいと思った。見も知らぬ母のことはもちろんだが、常に共にいた父のことも、リュカは全くと言っていいほど知らないのだ。
その考えは恐らく、ヘンリーも同じだろう。今は子供の時のように、父王に不器用に背中を見せ続けることもないだろう。もし会えれば、抵抗はあるだろうが、素直に話をしようとするはずだ。奴隷として過ごした十年の間、ヘンリーは明るく振る舞いながらも、常に後悔を抱えていたのだ。素直でいられなかったことで、彼もまた、多くのものを失ってきた。
「いつか聞いてみようかな。『お父さんに会いたい?』って」
ヘンリー自らは、一度もそんな話をしたことはない。奴隷となった十余年、彼の口から「父」という言葉を聞いたことがなかった。だが彼の中にもリュカと同じように、ずっと家族との思い出が生き続けていたはずだ。それが嫌な思い出ならなおさら、忘れるわけがなかった。それを語らずにいたのは、彼自身、過去と向き合いたくないからだとばかり思っていた。
「……ヘンリーは優しいなぁ」
リュカの前では気を張って、一度も家族の話には触れなかった。パパスを死なせた責任を感じ続け、ラインハットに帰りたいというわがままな弱音を吐かなかった。父王に会いたいと思っていても、それを口にすることはなかった。全ては常に隣にいた、友のためだった。
「おい、何してんだよ、リュカ。とっとと宿入って休もうぜ」
いつまでたっても来ないリュカを見に、ヘンリーが宿のフロントから姿を現した。眠そうに目を細めて、欠伸をしている。
「うん、ありがとう」
「いや、礼を言われても、金を持ってるのはお前なんだからさ。早く泊まる手続きしてくれよ」
「あ、そうか。ごめんごめん」
「あー、眠い。腹も減ったけど眠い。とにかく寝る」
そう言いながらまた欠伸をし、ヘンリーは再び宿の中に姿を消した。リュカはそんなヘンリーの後ろ姿を追いながら、「まだぬるま湯に浸かっていてもいいかも」と、ヘンリーを現実に引き戻すことに躊躇いを感じていた。

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