子供の話に思うこと⑨「部活動」
当方の息子もあっという間に成長し、今年度から中学生となりました。いつも生活の変化の時というのは、得も言われぬ緊張感があったりするものですが、中学生になって二カ月弱、息子も大分学校生活に慣れてきたようです。とは言え、本当のところは本人にしか分からない感覚なのでしょうが。私ができることは、なるべく彼の話を丁寧に聞くことだけです。
さて、中学校では小学校にはなかった部活動があります。私自身、もう三十年以上前になってしまいますが、中学校三年間は部活動に所属していました。その頃の部活動と今ではいろいろと事情が異なる部分もあるのでしょうが、基本的には部活動の在り方は変わっていないのかなと、先日中学校に見学に行った際にはそう感じました。
部活動の顧問は学校の先生が担ってくれています。私が学生だった頃は何ら不思議に思わなかったことなのですが、大人になって改めて考えると、当時も今も、先生方はとてもご苦労をされているのだなと思います。一つのクラスの担任となり、教科を担当していろいろなクラスを担当し、尚且つ課外活動にもその時間を費やすと……。普通のサラリーマン的な考え方から見れば、なんて身を粉にして働いているのだ……!と思ってしまうような働きぶりにも思えます。
最近では、学校の先生の負担を減らすためにと、学校改革的なことが叫ばれるようになったような気がしますが、その一つとしてこの部活動にも言及されることが多いように感じます。もう十年以上も前になりますが、私の学生の頃の同級生でも一人、高校教師を勤めていた人がおり、部活動の顧問も担っていました。大変な話も聞く一方で、彼女の言葉にはやりがいも感じられたように思います。というのも、その言葉には間違いなく先生としての生徒への愛情があったように感じたからです。親が子の世話を焼くのと大差なく、先生が生徒の面倒を見るという間柄があったのでしょう。
何においても、物事には善し悪しがあるものです。ある物事は、片側から見れば光が当たっているかも知れないけど、その反対側から見れば陰となっている。それ故に、何か物事に当たる時に、片側だけを見つめるのは危険なことと思います。物事の真の姿に相対していないことと同義であって、それは結局歪(いびつ)なのではと思います。しかし最近の傾向として、誰もが“簡単なこと”を求めて、どちらか一方しか見ない傾向があるのではないかと、そのような空気を感じます。
学校の部活動においても、良い面、悪い面、双方をしっかりと考えて、基本は現状を維持することを念頭に置きながら、変えられるところは適宜変えていく、という方法を取るのが最善かと私は個人的に思っています。一気に改革的に変更するというのは、それこそ制度も追いつかないでしょうし、変化に対応する人材を育てるのにもそれ相応の時間がかかるものでしょう。変化にリスクはつきものだから仕方がない、とばっさりと切り捨てるようなやり方を私は良いとは思いません。それこそしっかりと考えていない証拠なのでは、と思ってしまう……。物事を進めるにはじっくりと丁寧に考えて、慎重に進めることが基本的には優先されるべきなのではないかと思います。
学校で部活動を行う意義について改めて私なりに考えてみると、学校の先生側からの視点として、授業以外での生徒の活動及び行動を見ることができるのは、先生としても生徒としても良い面が大きいのではと考えます。授業では、こう言っては何ですが、ぱっとしない生徒も、部活動では生き生きと活動していることも少なくないのではないでしょうか。生徒のことを多角的に見られる機会が部活動にあるというのは、先生にとっても生徒にとってもプラスに働いているのではと思います。
これを外注とすると、ただの外でのクラブ活動となり、先生と生徒と学校の一体感は失われるでしょう。確かに、学校側の負担は減るのかも知れません。しかしクラブ活動で生徒が放課後に外へ行くとなれば、その間先生と生徒は完全に別行動となり、互いの無意識での連帯感も失われるのかなと想像します。私としては、そこに見えてしまう互いの冷徹さがちょっと不安だなとは思ってしまうのです。考え方が古い、ですかね……。
学校で部活動をすれば、当然、学校内を移動したり、校庭を使ったりと、学校の中の設備を使うことになります。そして活動を終える時、生徒は後片付けも含めてすべて自分たちで責任を負うことになるでしょう。(今は違うのかしら?) 運動部であれば、活動の終わりに校庭全体にトンボがけをしますよね。私自身、中学校三年間を運動部で過ごしましたが、夕焼けの中で、あるいはナイターが点いている中でみんなでトンボがけをしたのをよく覚えています。中学校の時の思い出がほとんど思い出せないくらいに遠い過去になってしまった今でも、部活動の思い出は不思議と思い出せるのだから、それほど強烈な活動だったのだろうと思います。
後片づけなども含めて、学校で行われることで学校への愛着が増すものと思われます。小さな事かも知れませんが、それらも含めてすべてが“部活動”なのだと思っています。そう考えると、やはり部活動というものが、学校教育の一部なのかなと思ってしまうんですよね。決して学校と切り離して考えられるものではないのかなと。これはあくまでも、私個人の考えですが。
学校の外で部活動、となると、移動時間があるということ、ですよね。活動する場所にもよるのでしょうが、移動時間が発生するとそこでの責任の所在や時間の無駄などの問題も発生するのではと思います。それと、学校での活動ではなくなるということは、学校対抗試合、みたいなこともできなくなってくるのかなと思ってしまうのですが、それは違うのでしょうかね。とにかく今までの制度を変えていくということは、一方で今までのものを壊していくということになるので、挙げられる問題に一つ一つ慎重に当たって、無暗に急がないで欲しいなぁと思うのが正直なところです。
それと、感覚的にですが、外部クラブとなると、なんとなーくさぼりやすそうですよね。そんなこともないのかな?あくまでも私個人の印象です。
私が思う部活動の醍醐味は、各教科では味わえない、ある目標に向かって年単位で技術を磨ける、という貴重な体験というところです。もちろん、学生は勉学に励んでほしいというのは基本にあるとして、人間の活動は勉学だけではないのが本当のところで、寧ろこのような活動の方が人間力を育てるのに大きな役割を果たしているものと感覚的に思っています。勉強ができることだけで評価されてはたまったものではない、という生徒も少なからずいるのは昔から変わらないでしょう。ある目標に向かって、年単位で技術を磨いていく経験は、確実に社会に出てからも役立つ強さであるし、自信にもなります。
よくあるでしょう、ある程度年を重ねた人が、若い頃の自慢話をすることが。聞いている側としては……まあ、色々と思うところはあるのかも知れませんが、当人からすればそれは確実に当人の自信となり誇りとなり、その人という人間を作り上げている一部となっているのは間違いないところです。自信を持つというのは、生きる上でとても大事なことだと思います。何の根拠もない自信は困ったものですが、確かに築いた経験の元に出来上がった自信は、人生の糧となります。何事も、ちりつも、です。塵も積もれば山となる。若い頃は特に、山を目指して塵を積んでいけばいいと思っています。
勉学ももちろん、ちりつも、なのですが、勉学においてはある程度先のゴールが見えていたりしますよね。一つは、受験、かと思います。今時は、私が受験生だった頃とは様相が変わっているようで、私自身これからその辺りを色々と調べないといけないところなのでしょうが、中学校で教わる範囲、高校で教わる範囲には一応の限りがあると思います。しかし、部活動においてはその際限がない。それこそ自分の納得がいくまで、その技術を磨き続けることができます。で、私としては、どこで納得するんだろう、という疑問が沸いてしまいます。取り組む物事にもよるでしょうが、学校での勉学とは異なり、部活動で技術を磨こうとすれば、どこまでも果て無く続けることができる。これが楽しい……!……と思う私は、やはり古い人間なのでしょうか……?まあ、もう十年以上(二十年くらい?)に渡ってこうしてドラクエのお話を書き続けているような変わった人間なので、あまり私の言うことなど参考にはならないのか知れません(泣)
そのような体験を、学校という世界の中で得ることによって、一つの大きな果実となっていくのではと、そう思います。学校の先生の働き方改革という点において、私は決して反対する立場ではありませんが、あくまでも未来を担う生徒たちのことを第一に考える方法を模索できればと思っています。そのために何が必要なのか、一つは教員の数を増やすことが必要ならば国がそのような政策を打ち出すこと、一つはお給料を上げること、一つは保護者である私たちが先生という立場に尊厳を持つこと、それに相応する形で、先生方も堂々と胸を張れるような先生として意識を持つこと、などなど。何か一つを表面的に行ったからと言って、解決するようなことではないでしょう。すべては有機的に繋がっていて、問題として挙げられるものに対して全て一つ一つ丁寧に見ていく必要があることと思います。今時はAIの存在も無視できず、対応することは多岐にわたるものと思われます。
少子化という問題も大きいですね。生徒の数が減ってしまって活動ができなくなってしまうというのは、とても不本意なこと。その辺りの手当てもしていかなければいけないとなると、待ったなしの現象です。手遅れ、とは思いたくない。
問題の根源は、個人的な思いですが、「人の尊厳を踏みにじらないこと」、「お互い様」、という意識なのかなと思います。誰かが悪い、何かが悪い、とあっさりと薄っぺらにいろいろなことを断罪するのではなく、“何が大事なのか”を基本に考えることができれば、もっと上手く物事は収められるのではないかと、これからの子供の中学校生活にも期待していきたいと思います。
何せ親としては、子供が元気に朗らかに過ごしてくれていれば、それに越したことはありません。ただ、それだけです。