2017/12/03

お化け城(1)

 

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夜に聳え立つレヌール城を見るのはビアンカも初めてのことだった。噂のお化け城が見たいと駄々をこねて両親に連れてこられた時は真昼の時間で、その時は当然のごとく太陽の光を全面に受けて、少し古びて苔むした壁などが浮かび上がっているのを見た記憶がある。もうずいぶん前に滅びてしまったレヌール城には当然人の姿は全くなかったが、お化けがいるという噂も嘘なのではないかと思うほどその城は堂々と日の光を浴びていて、きれいだとさえ思った。
今彼女が目にしている城にはお化けが住んでいると言っても誰も疑わない、そうビアンカは一人思いながら城を見上げた。満月を後ろに背負っている城は逆光で巨大な影ばかりをその存在として押し出してくる。城の前にはぼうぼうと伸びきった雑草が行く手をやんわりと阻み、子供二人の入城を拒否しているようだ。
ビアンカは坂になっているその雑草伸び放題の道を、戸惑うリュカの手を取ってずんずんと進んだ。城の中にいると噂されるお化けのことが頭に浮かべば、頭の中で頭をぶんぶんと横に振って、必死にあの囚われのネコを思い出す。そうしてビアンカは手の震えさえも押さえ込んで、レヌール城に入城した。
「このおっきな階段をのぼれば、お城の門があるはずよ」
ビアンカはリュカの手を離さないまま歩みを速める。リュカは足がもつれそうになりながらも何とか彼女の足取りについていく。長く続く階段は城の大きな影に包まれて視界が利かない。そんな中を二人はまるで全てが見えているかのように駆け足で階段を上がっていった。
階段を昇りきると、レヌール城のみならず、辺りが一面闇に覆われた。その変化にびくついたリュカとビアンカは空を見上げる。先ほどまで道を照らしてくれていた月が厚い雲の中に隠れてしまったようだ。その上その雲は雨をも呼んできてしまった。ビアンカはリュカの小さな手を一層強く握り締めると、正面にあるはずの大きな門に向かって走り出した。
雨雲はあっという間に空一面に広がり、レヌール城にぽつぽつと雨を落としていく。ビアンカは着ていた深緑色のマントの結び目を手早く解くと、頭からそれをかぶった。そしてリュカにもマントを外させて頭の上からばさりとかけてやる。マントをバサバサとはためかせながら着いた門の扉は、閉まっていた。
「入れないみたいだわ」
ビアンカは少しほっとしたような気持ちでリュカを振り返りそう言った。リュカも力を込めて扉を押してみたが、リュカの背丈の三倍はある城の扉はびくともしない。
「入れないみたいだから、町に……」
「どこか他の入り口があるかもしれないね。探してみようか」
ビアンカの小さな言葉はリュカに届いていなかったようで、リュカは月の隠れた真っ暗な辺りを見渡しながらそう言った。そう言いながらリュカは繋いでいたビアンカの手を離すと、一人城の周りを歩き始めた。先に行ってしまったリュカを、ビアンカが慌てて追いかける。
「ちょっと、勝手に行かないでよ。こんなところではぐれたら大変でしょ」
「あ、ごめん。でもここってマモノは出ないみたいだね。ちょっと安心した」
「でもお化けがいるのよ。リュカ、怖くないの?」
「お化けって見えてもさわれないんだよね。そしたらさっきみたいなマモノの方が怖いかな」
リュカはそんなことを言いながらも、城壁に手をつきながら他の入り口を探そうとしている。ビアンカは言葉もなくして勝手に入り口を探し始めるリュカの後を付いていくことしかできなかった。
城の裏手に回るまでには大分暗闇に目が慣れてきたようで、リュカの足取りは幾分軽くなっていた。そして裏手でリュカは階段をみつけた。
その階段は今となっては誰も使う人などいないため、ひどくサビ付いており、手を掛ければ今にもぼろぼろと崩れてしまいそうだった。リュカがその階段に手を置くと、案の定サビのせいで手の平ががさがさと傷つきそうになるのを感じた。
「こんなところを登るつもりなの、リュカ」
ビアンカは信じられないような目つきでリュカを見る。暗闇のせいで彼女の表情がほとんど見えなかったリュカは彼女の不安には気が付かないまま、ぼろついたマントの裾を帯状にちぎってしまった。そしてそれを四つに分けてビアンカにその内の二つを渡す。
「ビアンカ、これを手に巻きつけて。そうすれば痛くないから」
リュカはそう言いながら早速自分の手にぐるぐると布を巻きつけた。そして再び階段の手摺に手を掛ける。今度はサビのトゲトゲを感じなかった。
「じゃ、ボクが先に行くね」
「ちょ、ちょっと待ちなさいってば。この上から入れるなんて分からないじゃない。それなのに行くの?」
ビアンカの声が揺れていることに気が付いたリュカは、そこでようやく彼女の不安を知った。リュカは首をかしげながらビアンカに問いかける。
「ビアンカ、怖いの?」
リュカが下から見上げてくる気配を感じたビアンカは彼のその言葉に一瞬負けそうになったが、リュカに手渡されたマントの切れ端を握り締めると、お下げ髪をぶんぶんと振りながら首を横に振った。
「そーんなわけないじゃない。私が先に行くわよ、行ってやろうじゃないの。だからリュカは後からのぼってくるのよ。分かった?」
ビアンカはリュカの返事など聞かずにくるりと鉄梯子に向き直ると、両手にぐるぐると布を巻きつけた。錆び付いた鉄梯子に手に巻いた布がまとわりつく。しかししっかりと巻きつけた布のおかげで手を傷つけることはなかった。
ぽつぽつと降ってきていた雨はすぐに勢いを増し、空一面に広がった雨雲は厄介にも風も一緒に運んできた。ただでさえ頼りない鉄梯子が風にあおられぐらぐらと揺れる。ビアンカは必死にしがみつきながら梯子を上っていたが、一瞬風に負けた彼女の手が梯子から離れ、真っ逆さまに落ちそうになった。彼女の身体が傾いたのを下から見上げたリュカは、慌ててビアンカの身体を支えようと咄嗟に彼女のお尻を手で押し上げた。
「きゃっ、何すんのよ、リュカっ」
「いや、今危なかったから……」
「女の子のオシリに触るなんて……後で覚えてらっしゃい」
「ボクは助けたかっただけなのに……」
まだ階段の中ほどまでしか来ていなかった彼女はリュカにお尻を触られたと怒りながら、それまでの恐怖などどこへやら、まるでリュカから逃げるように鉄梯子をすいすいと昇っていってしまった。雨風に吹き付けられている中、そんな身のこなしの軽い彼女を見上げてリュカは目を丸くした。
「ビアンカ、すごいなぁ」
リュカは一人、感嘆の溜め息を漏らしていた。
城の屋上に着いたリュカは、すでに内部への入り口を見つけていたビアンカと共に城の中へ入ろうとした。そんな折、真っ暗な空に鋭い雷光が走り、目の前が一瞬眩くなった。同時に凄まじい音が鳴り響き、城全体を揺るがした。二人は身体全体をびくつかせると、風雨と雷から逃げるように城の中へと走りこんだ。
「ずいぶん雨にぬれちゃったわね」
「帰る時には止んでるといいね」
まるで光のない暗闇の中、二人はお互いの存在を確かめるように言葉を交わす。外では雨が城を叩きつける音と風が城の周りを唸りを上げて吹いている音が入り乱れる。リュカが自分たちが入ってきた入り口に目をやったその時、また雷光が空に閃いた。雨や風の音も消してしまうような轟音が鳴り響き、ビアンカは小さな悲鳴を上げて飛び上がった。
リュカの目の前に広がっていた外の闇が突然格子状に遮られた。雷とは違う凄まじい音がリュカたちの目の前で響いた。暗闇に慣れてきた目を擦り、リュカは今の今まで空いていた城の入り口の方へと走っていく。そこには入り口も出口も塞いでしまった牢獄のような鉄格子があるだけで、リュカはその格子を両手で掴みながら揺さぶってみた。
「出られなくなっちゃった」
リュカが普段と変わらない調子でそんなことを言うので、ビアンカは初めリュカが何を言っているのか分からないように首をかしげた。リュカの声のした方向でガシャンガシャンと鉄の鳴る音がする。ビアンカは信じられないという顔をしてその音がする方へと歩いていった。
「何、コレ」
「閉じ込められたみたいだね」
「閉じ込められたって、どうするのよ。これじゃあこのお城から出られない……」
「ここはお城だから、きっと他にも出入り口があるはずだよ。探してみようよ」
「こんな真っ暗でどうやって探すのよ」
「そうだね。なんか明るいものがあればいいのに」
リュカがそう言った直後に、彼の前がぱっと明るく照らされた。その火の向こうにはビアンカの引きつった顔がある。
「すっかり忘れてたわ。わたし、魔法が使えるんだった」
そう言うビアンカの表情に照れくささが混じっていた。リュカもそんな彼女の顔を見て笑ってしまった。
その階をビアンカの魔法で照らしてみると、部屋の奥の方に何やら大きな箱が置かれているのを見つけた。ゆっくりと近づいていくビアンカの後ろからリュカも寄り添うようにして付いていく。大きな箱が目の前に迫ってくると、ビアンカは肩をびくつかせて歩みを止めた。
「これって、棺桶だわ」
「カンオケって、死んだ人たちが入れられるやつ、だよね」
「じゃあ、この中には……」
大広間に設置されている棺桶の数はビアンカの火の明かりでは拾いきれないほどで、部屋中を埋め尽くしているようだった。木製の棺桶はどれもぼろぼろに朽ちていて、中が見えそうになっているものもあった。ビアンカはそれからなるべく目をそらしていたが、リュカはその朽ちた棺桶を見下ろしながら、その箱に手を掛ける。
「ちょっと、リュカ、あんた何してるのよっ」
「火をつけるのに木があればいいかなって思って。ちょっと端っこを借りるだけだよ。それくらいだったらきっと許してくれるよ」
リュカはビアンカが止めるのも聞かずに、朽ちて脆くなっている棺桶の蓋に手を掛けるとべりべりと剥がしてしまった。何度かそれを繰り返し、束ねた木屑を先ほど手に巻いていたマントの切れ端で結び合わせ、リュカは松明を作り上げた。
「はい、これに火を移して」
リュカがそう言いながらビアンカに木屑の束を差し出すと、ビアンカは唖然としながらも灯していた火をそれにつけようと指を近づけた。その火が松明に移る直前に、リュカのすぐ傍にある棺桶の蓋が勢いよく開き、その衝撃に驚いたビアンカは悲鳴を上げて手にしていた明かりを消してしまった。辺りは一瞬にして真っ暗になる。
「ビアンカ!」
突然訪れた暗闇に、リュカの視界は驚くほど利かない。そんな中、リュカは次々と木の板がガタゴトと音を立てて動くのを聞いた。次から次へと現れる何者かの気配に、リュカは思わず身をすくませて、その場から動けずにいた。
ビアンカの悲鳴がまた上がった。暗闇に手を伸ばすリュカ。しかしその小さな手は何もつかめないまま宙をさまよう。先ほどまですぐ近くにいたビアンカの声がどんどん遠のいていくのが分かる。そしてがたがたと空気を動かしていた辺りの気配は一気に冷め、しんと静まり返った部屋の中で、リュカは自分が一人になったことを感じた。
「ビアンカ……どこ?」
また少し慣れてきた視界の中に、もう一人の小さな影は見当たらない。リュカは急に心細くなり、思わず涙声でまたビアンカの名前を呼んだ。
「どこ行っちゃったんだよ、ビアンカ。ボクを置いていかないでよ……」
リュカの声はもう泣いていた。鼻がぐずるのにも構わず、しゃくりあげる肩もどうにもならず、リュカはビアンカの声が消えていった方へとがむしゃらに進み始めた。
そこに階段があったことになど気が付かないリュカは、ものの見事にその階段を転げ落ちた。身体のあちこちを打って痛みを感じるはずが、今のリュカにはそんな痛みなど感じる余裕はなく、必死になってビアンカの影を探した。その部屋に並ぶ銅像が目を光らせるのにも気が付かず、リュカは部屋中を手当たり次第に調べ始める。
外でまた派手に雷が落ちた。その光に照らし出された部屋の出口を見つけ、リュカは一直線にその光が走った場所へと駆け出した。雨と風の音が近づいてくる。
部屋を出たリュカはまた雨にさらされ、屋上を吹く強い風にマントを騒がしくなびかせた。雨が身体も顔も殴りつけ、もう自分が泣いているのかどうかなど分からなくなってしまう。吹き飛ばされそうになる風に抵抗するようにリュカは両足を踏ん張って前に進んだ。
「これは、お墓?」
手で探り当てた大きな石の感触に、リュカは顔をぐっと近づけてそれを確認しようとした。幾度も閃く雷光に、リュカは墓石に彫られる文字をどうにか読み取った。それはリュカにでも読める彼女の名前。
「ビアンカのお墓……」
リュカは自分でそう呟きながら背筋に走る悪寒に、さらに大声を上げて泣き出しそうになった。喉にこみ上げた嗚咽に何とか耐え、リュカはもう一度墓石に目をやる。雷光がない今はビアンカの文字を見ることはできない。
「そんなわけないよ。ビアンカはさっきまで一緒だったんだから」
震えていた両足で奮い立つと、リュカは墓石にすがりつくように身を寄せた。方耳を墓石に押し当てる格好でしがみついたリュカの耳に、風雨とは別の音が聞こえる。
ちょっと、ここから出しなさいよっ!
リュカは耳を疑った。墓石の下から彼女の声が聞こえる。リュカは力任せに墓石をどんどんと叩いたが、そんな力では大きな石はびくともしない。リュカは雨に滑らせながらも全体重をかけて墓石を押し、それを倒そうとした。が、雨にぬれた墓石は横滑りして、リュカは思わずその勢いに転びそうになった。
前のめりに覗いた墓石の下には、火を灯して叫んでいる蒼白な顔をしたビアンカがいた。
「リュカ!」
「ビアンカ!」
二人は互いの名を呼び合って互いの存在を確認した。差し出したリュカの手につかまってビアンカが墓石の下から上に出てくる。風雨に晒される中、ビアンカの元気な顔を見たリュカは思わず彼女にしがみついた。リュカを支えきれないビアンカも一緒になって床に転んだ。
「ちょっと、リュカ、痛いじゃないの」
ビアンカの不平など聞き流し、リュカは彼女に抱きついたまましゃくりあげて泣いていた。ビアンカがリュカを押しやろうとしてもびくともしない。
「リュカ、怖かったのね」
「ひどいよ、こんなところでかくれんぼなんて……」
「わたしだってわけが分からないまんま、こんなところに連れてこられたんだからね」
まだまだ言いたいことはたくさんあったのだが、リュカの震える身体を支えているうちに不平の熱も冷め、黙り込んだままリュカの小さな背中に手を回して彼の背をさすってやった。雨でぐしょぐしょになりながら、ビアンカはリュカが落ち着くのを待った。
「ビアンカのお墓、ですって? 失礼しちゃうわね。わたしはまだ死んでないわ」
すぐ横の墓石に目をやったビアンカはリュカを抱きかかえたまままた不平を言った。ビアンカの声は驚くほど元気だ。リュカはそんな彼女の顔を見上げた。
「ビアンカ、怖くなかったの?」
「そ、そりゃあちょっとは怖かったけど、でも何が何だかわかんなくて、それにいきなりこんなところに放り込まれて、お墓の下だってことも分からなかったし、怖いって思うより腹が立ってきちゃったわ。あのネコさんを助けたくてここまで来たのに、こんな狭いところに閉じ込められちゃったら、あのネコさん、あいつらにずっといじめられちゃうと思って。だからわたしをこんなところにつれてきたやつらに向かってずっと叫んでたのよ、ここから出しなさいって」
「強いね、ビアンカ……」
「ふふん、あったりまえでしょ」
ビアンカ自身、リュカが助けに来てくれるまで墓石の下で泣いていたのだが、そんな雰囲気は微塵も見せずにリュカの前では気丈に振舞っていた。彼よりも二つ年上のビアンカはリュカが泣いている手前で自分も泣くのは何だか恥ずかしい気がしたのだ。背をさすっているうちに大分落ち着いてきたリュカの様子を暗闇の中に感じて、ビアンカは彼の目元を荒々しく拭う。
「こんなところにいたら風邪引いちゃうわ。早く建物の中に入りましょ」
そう言いながらビアンカはリュカの手を引っ張って歩き始めた。閃く雷光が道を示してくれる。もうその轟音にも大分慣れ、少し肩をびくつかせる程度で済んでいた。ビアンカの墓と書かれている墓石の隣にもう一つ、同じような墓石があるのを目にしたビアンカだったが、その墓石に刻まれている文字を目にすると、更に足を速めてリュカの手を強く引っ張った。
「どうしてわたしたちの名前を知ってるんだろ」
ビアンカの小さな独り言はリュカに届かず、風雨の音の中に消えていった。ビアンカのお墓の隣にはリュカのお墓があった。ビアンカはそれをリュカに悟られないようにすばやくその墓の前を通り過ぎ、謎だらけのレヌール城に思わず身震いしていた。
城の中に入った二人はようやく大きく息をついて、雨に濡れて重たくなったマントを剥ぐとそれを丸めて雨を搾り出す。外の雷光はまだ鳴り止まない。その光が閃くたびにビアンカは部屋の様子をちらちらと確認した。雷の眩しい光に照らされる部屋の中には四角い影がいくつも浮かび上がり、ビアンカはリュカを連れて部屋の中を歩き出した。
「本がいっぱいあるみたいね。ちょうどいいわ、これで火が起こせる」
ビアンカは視界の利かない中、埃だらけの本棚に手を伸ばして本を何冊が床に落とすと、それに火をつけた。真っ暗だった部屋の中に暖かい火が灯り、部屋の景色が明らかになる。四角く見えていた影はほとんどが本棚で、中には倒れているものや斜めにずれているものもあった。リュカもビアンカの手を握ったまま明るくなった部屋の中を静かに見渡している。
「お城の書庫だったのね。すごい本の数だわ」
「ビアンカ、あそこに何かいる」
リュカの声を聞いたビアンカは彼の指差す方向に素早く目を向けた。明るくなった火の前に幽霊が現れると思っていなかった二人は、それがお城に棲みつく魔物なのだとすぐに理解した。
二人が目を向けた先には白い骨が連なる魔物が蛇のように身体をくねらせて近づいてきている姿があった。見渡せばそれは一体ではなく、床を這う音はそこここと聞こえる。リュカとビアンカは身を寄せ合って近づいてくる魔物にそれぞれ手にしている杖と鞭を構えた。
暗闇に目が慣れている魔物は、二人が起こした火を避けるように遠巻きに二人に近づいてくる。ビアンカは横にある本棚から本を一冊取り出すと、それに火をつけて魔物へ向かって投げつけた。昼間の明るさのような火が迫ると、魔物スカルサーペントはその明るさから慌てて逃げ出す。
「あいつら、明るいのが嫌いなんだわ。よーし、わたしの新しい魔法をくらいなさいっ」
魔物の弱点を知って勢いづいたビアンカは、リュカがまだ聞いたことのない魔法を唱えだした。彼女の手から発せられる魔法はいつもの火の玉ではなく、魔物に向かって横一線にばら撒くような帯状の火炎だった。その明るさたるやまるで真昼の太陽にも負けないくらいで、思わずリュカも目を瞬いたほどだった。魔物たちもたまらないといったように床を這ってその火炎から後ずさりしていく。火炎に巻き込まれた魔物は叫び声を上げてその場で黒焦げになって、動かなくなってしまった。
「ビアンカ、すごいや。いつそんな魔法を覚えたの」
「まあね。これくらいちょろいもんよ」
ビアンカが鼻高々に自慢しているすぐ傍で、いつの間にか近づいてきていた一匹のスカルサーペントが彼女のブーツに噛み付いた。ビアンカは驚きのあまり飛び上がって、噛み付いてきた魔物に向かって鞭の柄で殴りつけた。しつこく噛み付いている魔物の頭を、リュカが思い切り樫の杖を上から振り下ろして殴った。その衝撃でブーツから離れた魔物にリュカはもう一度樫の杖の一撃をお見舞いしてやった。だるま落としのように、数珠繋ぎになっていた蛇の骨の一つがスコーンと飛んで行き、部屋の壁に当たって砕けてしまった。すると目の前の魔物もバランスが取れなくなったようにガラガラと音を立てて崩れ、後にはばらばらになった骨だけが残された。
「ビアンカ、大丈夫?」
見ればビアンカは噛み付かれた足を押さえてしゃがみこんでいた。リュカは心配そうに彼女の隣にしゃがむと、彼女の足から出ている血に顔を青くした。
「平気よ、これくらい」
「平気じゃないよ。ボク、薬草いっぱい持ってきたからそれで手当てしよう」
リュカは旅の途中父が見せる薬草の使い方を何とか思い出しながら、腰の道具袋に押し込めていた薬草を手でこねるようにすりつぶすと、彼女の傷口に擦り込んだ。ビアンカが悲鳴を飲み込んでいるのがリュカには分かった。傷口にこうして直接触れられれば誰だって痛い。こうして薬草を擦り込まれる経験のあったリュカにはそれがよく分かっていた。
傷口に薬草の葉を当てたまま、リュカは彼女の足に自分がまだ手に巻いていたマントの切れ端をぐるぐると巻いて、手当てを終えた。
「リュカ、傷の手当ての仕方なんていつ覚えたの?」
「お父さんがボクの怪我を治してくれる時にこうしてくれるんだ。もう何度もやってもらってるから覚えてたみたい」
さっきまで泣きじゃくっていたリュカはもう笑顔を見せていた。いつも父の背中に隠れて庇ってもらう自分が人の役に立てたことが非常に嬉しかったらしい。そしてビアンカの足を気遣いながら彼女が立ち上がるのを待つと、部屋を明るくしている燃える本の束に向かって歩いていく。
「さっきの部屋で作ったやつ、どこかに置いてきちゃったな」
「タイマツのことね」
リュカがどことなく言い辛そうに呟く一言でビアンカは彼の言葉の意味を把握した。足はまだ少し痛んだが、そんな素振りをリュカには見せずにビアンカはまた一つ本を棚から取り出して、弱くなっている焚き火に注ぎ足した。ごうと音を立てて燃える炎に照らされた部屋の中に、もう魔物の姿は見当たらない。ひとまず胸を撫で下ろし、ビアンカはその場に座り込んだ。
「リュカ、ちょっと一休みしましょ。服だって雨にぬれて重たいし、動きづらいったらないわ。ちょっと服を乾かしたらまた冒険開始よ」
「でもここにいたらまたマモノが来るんじゃないかな」
「でも魔物が火に弱いってことが分かったから、今度来た時にはわたしがまた魔法でやっつけるから大丈夫。リュカ、先に服を乾かしなさい。その間にわたしが見張っといてあげる」
「うん、わかったよ」
リュカがそう応えるのを聞くとビアンカは茨の鞭を持ちながら、ふっと気を抜いたように本棚に寄りかかった。先ほど焚き木代わりに燃してしまった本が抜けていたせいで、本棚はビアンカの体重よりも軽くなっていたらしい。ビアンカがよける暇もなく本棚は勢いをつけて横にズズズッとずれて、彼女は床に転んでしまった。マントをはずして本棚にかけていたリュカはその音にびっくりして、慌てて樫の杖を持ってビアンカを振り返った。
「どうしたの、ビアンカ」
「いたたた……。何なのよ、もう」
悪態をついたビアンカだったが、彼女が本棚の下に隠されていた細い通路を見つけると、思わず悪態をつくのも忘れてその通路の先をじっと見つめた。細い階段が下に続き、その先はほのかに明るい。ちらちらと揺れているその明かりはどうやらお城の中を照らすろうそくの明かりのようだった。
「ねぇ、リュカ、見て。ここから下に行けるわ。明るいみたいだし、タイマツも作らなくって大丈夫よ」
ビアンカの言葉を聞いたリュカは走って彼女が覗いた階段に頭を突っ込んだ。彼の目にも階段の先にある明かりを受けて白く揺れるお城の壁が見えた。しかしそれと一緒に不自然に動く生き物の姿も目にした。それが魔物の姿であることは明らかだった。
「ビアンカ、一度この本棚を元に戻して」
「えっ、どうしてよ。わたしたちこの先に行くのよ」
「下にマモノがいるんだ。だから僕たちが行くまで本棚でここをふさいでおくんだ」
ビアンカが立ち上がるのも待てずにリュカはずれた本棚を元の通りに直して、見つけた通路を閉じてしまった。リュカの一方的な判断にビアンカは嫌な顔などせずに、ただ両手で本棚を押したリュカのことをぼうっと見上げていた。
「ビアンカ、もう一回足のケガ見せて」
「え、な、何でよ。わたし、大丈夫よ。もう全然痛くないから」
「ボクも忘れてたなぁって思ってさ。まほうの方が効くかもしれないよね」
リュカが有無を言わさずに足を取るので、ビアンカは仕方なくまたリュカに手当てしてもらえるよう、巻かれていた布を取り外した。薬草を当てていた傷口から出血は止まっていたが、彼女の白い足にははっきりと傷跡が残っている。リュカがそっとその傷口に触れると、ビアンカは思わず顔をしかめた。
リュカはまだ何度かしか口にしていない魔法の文句を口にすると、ビアンカの足に青い光の粒子が集まり、彼女の傷跡を癒していく。薬草の役割との相乗効果でビアンカの傷跡はさっぱりなくなってしまった。
「ほら、これで痛くないよね。立ってみて、ビアンカ」
リュカに言われるままその場に立ち上がったビアンカは先ほどまで痛みのあった足を庇うように動かしてみた。痛みなど何も感じない足で今度はジャンプしてみる。ひりつきもズキズキするような痛みも何も感じない。傷は完全に癒されたようだった。
「全然痛くないわ。ありがとう、リュカ」
「じゃあ今まで痛かったんだ」
「……そんなこと言ってないじゃない。傷跡がなくなったからありがとうって言ったの。わたしだってお嫁に行く前のレディーだもの。傷なんかつくっちゃったら将来誰ももらってくれなくなっちゃうでしょ」
怒り出したビアンカにリュカはもう口答えしなかった。だったら冒険がしたいなんて言わなきゃいいのに、と喉元まで競りあがっていた言葉を何とか飲み込み、リュカは怒って元気になったビアンカの背中を座りながら見上げた。
「そんなところに座ってないで火に当たりなさい。雨に濡れたまんまなんだから、身体が冷えるわよ」
ビアンカは深緑色のマントを脱ぐとそれを本棚にかける。上に積もっていた埃が彼女の目の前に舞い、それを手でぱたぱたと振り払いながらビアンカは火の傍に近寄った。彼女の横顔はまだ少し怒っているようだが、リュカは別にそれを怖いとは思わなかった。何で怒っているのかは分からないが、ずっと夢に見ていた冒険をしている彼女は心のどこかでこんな状況さえ楽しんでいるように思えて仕方がなかった。そう思う理由に、火を見つめる彼女の水色の瞳がまだきらきらと輝いている。
「ちょっと休んだらすぐに出発?」
「そうよ。ちゃんと休んでおくのよ」
「うん、わかった」
いつもだったらすっかり夢の中の時間帯に、二人は身を寄せ合って束の間の休息を取っていた。目の前で爆ぜる焚き火は冷えてしまった二人の身体を徐々に温めていった。

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