「クオーレ」を読んで

 

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今回はイタリアの小説「クオーレ」を読んでみました。こちらは1886年、当時のイタリア王国のエドモンド・デ・アミーチスによって書かれた小説で、こちらの本の中にあるお話で「母を訪ねて三千里」の方が日本では馴染みがあるのではないかと思います。……でも最近の人はこの「母を訪ねて三千里」もご存じないのかも知れないですね。昔はアニメで見たんですけどね。

余談ですけど、私としては「母を訪ねて三千里」の中にも、ドラクエ5の世界が感じられるところがあると思っています。まあ、実際にドラクエ5も母を訪ねて三千里のような側面がありますし。ドラクエ5の主人公も過酷な人生ですが、母を訪ねて三千里の主人公マルコの人生も涙なしでは読めません。小さな子が自国を離れて一人で遠方にお母さんを探しに行くというお話ですから。知らない方は、それこそ今は動画で見られるんじゃないかしら。是非一度見てみることをお勧めします。私が小さい頃なんかは、夜の7時か7時半か、必ず世界名作劇場か何かのアニメが放映されていた、と記憶しています。そう言うのって今はやっていないんですかね。教養や知識としても、ああいうアニメを見ておくのは良いと思うんですけどねぇ。

今回読んだ「クオーレ」は日本語で「心」という意味で、本の内容は小学3年生の男の子が綴った日記という形を取っています。あくまでも小学3年生の男の子の文章なので、読むには易しいものかと思います。(ただ、本にするにあたっては、日記を書いた男の子エンリーコの父親が少し手直しをして、その4年後に中学生となったエンリーコ自身が手を加えている、ということになっています。)

小学3年生の男の子エンリーコが、その年の間に起こった様々な出来事を日記に綴っています。同級生にも色々な子がいて、良い子も悪い子も変わった子もいます。通う学校での出来事が多く書かれているので、当然担任の先生の話も出ています。時代背景が戦後ということもあり、戦争や兵隊の話などがよく出てきます。

小学3年生の男の子エンリーコが、その年の間に起こった様々な出来事を日記に綴っています。同級生にも色々な子がいて、良い子も悪い子も変わった子もいます。通う学校での出来事が多く書かれているので、当然担任の先生の話も出ています。時代背景が戦後ということもあり、戦争や兵隊の話などがよく出てきます。

お話の調子は全体的にどこか暗い雰囲気があるような気がしました。と言うのも、戦争の影がそう見せているのではないかと思います。常に貧困と隣り合わせの情景が目に浮かび、大人も子供も不安定な社会に生きているような、そんな空気が漂います。また月に一度、今月のお話と言う形で、道徳的なお話を一つ、クラスで取り上げています。それを代表者が一人、清書することになっています。その中で出てきたのが、冒頭に取り上げた「母を訪ねて三千里」のお話です。

「クオーレ」は当時のイタリア王国で書かれた本で、子供向けに愛国心を説くための本として広く読まれたそうです。なるほど、内容を知ると納得しかありません。毎日の出来事の中にも、今月のお話の一つ一つにも、人間としての尊厳や誇りを教えられる内容が多く含まれています。

この本を読んでふと思い出したのが、日本でも以前使用されていた「国民の修身」という小学校の教科書。私の父などは当然のように使用していた教本で、戦後なくなってしまったものですが(復刻版は手に入れることができます。実際にうちにもあります)、似ているなぁと感じました。

実際にあった過去の出来事を記して、そこから道徳的な感覚や正義や慈愛や尊厳など、人間として大事な感覚を養うという、恐らく子供たちには必要で大事なことが、国民の修身にもクオーレにも見られるように思いました。

ここで大事なことは、「過去に実際にあった出来事」ということなんじゃないかなと思います。作り話に学ぶことは、あくまでも作り話の上に成り立っているので、内容としてはどうしても真実にはならないけど、過去の史実に倣うことが出来ればそれは真実になるんじゃないかと。

どうしてこんなことを思うかと言うと、息子の道徳の教科書を見た際に、どうも創作のお話の中に道徳的観念を学ぶ傾向が強かったような気がしたからです。まあ、私自身こうして好きにお話を書いている身なので、創作が悪いものとは思わないし思いたくないですが、人間がより良く生きることを目的にするのなら、現実にあった出来事を基にして、土台をしっかりとしたものにしないと、「結局は作り話なんだから」と意図せずとも軽んじる気持ちが生まれてしまうんじゃないかと、そんなことを思うわけです。

折角、先人の方々が様々な経験をして、その記録が残っているわけですから、そこから学べることは本当に数えきれないほどだと思います。「本当にそんなことがあったんだ……」という感覚は、どうしたって心にずしりと響きます。その感覚を積み重ねていくことが大事なんじゃないかなぁ。これは創作にはどうしたってできないことです。

それと、こちらの本で印象に残ったのは、子供たちを教える担任の先生や親たちの様子です。皆が皆、子供たちのことを思って、褒める時は褒め、叱る時は叱るといった、一人の親である私も深く考えさせられる内容が多く書かれています。本に書かれている文章から、子供たちへの愛情が滲み出ていて、この”人としての感情”が大事だなぁと思いながら読んでいました。

「クオーレ」は子供たちにはもちろん、大人たちにも良い体験になる読み物だと思います。ただ一つ、私が苦労したのは、人の名前を覚えられないこと(笑) 相変わらずカタカナに弱いのを実感しました。高校2年の時の世界史の授業も苦労したなぁと……どーでも良い思い出も蘇ったと(笑)

Comment

  1. とも より:

    bibiサマ、こんにちは
    世界名作劇場!大好きでした!!
    日曜夜の他に、再放送もされて
    “フランダースの犬”とか”母をたずねて…”も再放送で観てました。(アメディオ可愛かったなぁ)

    時代は違っても、戦争や災害で辛い思いをされている方は多く、今こそ放送して現代の子供達に観てほしい知ってほしい作品ですね。
    ジブリ作品にも近いなと思ったら高畑監督作品だったりするんですよね。

    原作読んだことなかったので図書館で探してみたいと思います。あと、カタカナの名前が苦手なのめっちゃわかります〜日本史は得意だったのに、世界史が苦手だったのはソレ(笑)

    • bibi より:

      とも 様

      こちらにもコメントをどうもありがとうございます。
      私はもう記憶もあやふやなんですが、世界名作劇場が放映される時間はテレビの前にいたのは覚えています。ハイジとか若草物語とかもやってましたっけ? 絵柄がジブリしているので、今もアニメとしても見やすいと思うんですけどねぇ。そうか、高畑監督作品だったりするんですね、なるほど。

      そうなんですよ、今こそこういう名作をみんなで観るのが良いと思うんです。静かに心にしみる物語を見るのって、人として大事だと思うんですよね。既に良い作品が溢れているんですから、また再放送でもしてみんなで見るのなんて良いと思うんですよね。……と言うのも、今の子供たちって何か共通の話題がないような気がして……。子供たちが大人になった時に、「あの頃は~」って振り返る共通の過去があるのも大事なんじゃないかなと。誰だって、自分のことを他人に知ってほしいという願望があるでしょうから。そんな思いもあったりします。

      カタカナは曲者ですよね(笑) 世界史はカタカナオンリーみたいな授業ですもんね。なので私はそこから「英語そのものの方が分かるんじゃ……」と、大学は英語分野に進みましたが、うん、そうでもなかったです(笑) そもそも、名前が苦手ということが分かりました。

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