2017/11/28

再会

 

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「旦那さまも坊ちゃんも外は冷えますから、早く中にお入りになっていてください」
そう言いながらサンチョはすっかり使い込んだエプロンで手の水気を取りながら、二年ぶりにこのサンタローズの村に戻ってきた父子に微笑みかけた。井戸で汲み上げた桶いっぱいの水を抱え、玄関の扉を開けようといそいそと歩いていく。その姿は彼が旦那、坊ちゃんと呼ぶ父子を旅に送り出した時よりも幾分痩せていたのだが、まだ六歳のリュカの目にはただ「大きなおじさん」としか映らなかった。
「すまない、サンチョ」
リュカの父パパスが一言そう詫びると、サンチョはほとんど見当たらない短い首を慌ててぶんぶんと横に振る。同時に桶の水が跳ねて零れる。
「いいえ、滅相もございません。私は旦那さまも坊ちゃんも無事にお戻りになられただけで、もう感無量です。旦那さまもお忙しい身。ですからお二階でごゆっくりなさるなり、こちらで休まれるなりなさってくださいませ」
「ああ、分かった。ありがとう」
パパスはそう言いながら短く吐息をつくと、リュカに家の中へ入るようにその小さな背を押す。玄関を閉め、サンチョが炊事場へ桶を置きに行っている間、パパスはようやく気を抜いたように腰に提げた愛用の剣を外し、部屋の隅に立てかけた。父のそんな行動を見るだけで、リュカは父とこのおじさんの間に見えない絆があるのだと感じていた。
炊事場から再び姿を表したサンチョはそんなリュカの視線を受けながら、少しだけ傷ついたような目で小さな男の子を見る。
「坊ちゃんはサンチョのことをお忘れですか?」
人の良い大きな顔が近づいてくると、リュカは一瞬たじろいでしまった。しかし目の前で太い両腕を差し出されると、リュカはほとんど無意識にその腕の中に入っていった。
まだ赤ちゃんの頃の記憶が身体に染み付いているリュカは、サンチョに抱き上げられると、その高さから見た景色に心のどこかでほっとするような感覚を得た。父の顔もいつもより近い。しかしこんな近さで見る父の顔は初めてではない。むしろ以前はこうして父の顔を間近に見て、その立派な髭を触ったりしたものだった。
「ボク、おぼえてる。前もこうしたよね」
「良かったぁ。覚えておいでですね。坊ちゃんに忘れられたら、これほど悲しいことはありませんからね」
顔をしわくちゃにしてリュカに頬擦りするサンチョを、パパスは苦笑しながら傍で見ていた。

「パパスさん、無事帰ってきたんだね。良かった良かった」
炊事場からサンチョを少し細らせた体格の女性が出てきたのを見て、パパスは小さく首を捻った。しかしその女性がパパスのそんな顔を見て怒り出す前に、彼は慌てて女性の名前を口にした。
「ああ、アルカパのマグダレーナじゃないか。久しぶりだ。元気にしていたか」
「一瞬忘れていたね? ひどい男だね、あんたは。こんな美人を忘れるなんてさ」
そう言いながら癖のある黒い髪をかきあげる仕草をするマグダレーナだが、それを見てプッと吹き出すサンチョに彼女はきつい一瞥をくれてやった。サンチョは慌てて口を押さえたが、笑顔はそのままだ。
「この子があのリュカかい? へぇ、大きくなったもんだね。年はいくつになった?」
「六歳になったばかりだ」
「ああ、そうか。そう言えばうちの子と二つ違いだったね。しかし六歳とは言え、立派な顔つきをしてる。ますますあんたに似てきたんじゃないかい?」
「ああ、そうかも知れないな」
リュカはサンチョに抱っこされながら父のそんな返事を聞いて、胸の中がむず痒くなるような嬉しさを感じ、知らずにやついていた。憧れる父に似ていると言われるのは旅の最中でも何度かあったが、その度に嬉しくて恥ずかしくて、リュカはついそっぽを向いてしまうのだ。今もリュカはサンチョのどっしりとした肩に頭を乗せて、手持ち無沙汰のようにサンチョの襟首のボタンを指でかりかりと引っかいている。
「しかしどうしてここにいるんだ。アルカパから一人で来たのか。ダンカンはどうした?」
「それがさぁ、聞いてくれるかい? うちの旦那が……」
マグダレーナが話し出そうとした時、なにやら二階からドタドタとけたたましい足音がして、マグダレーナ以外の三人は一様に階段へと目を向けた。マグダレーナは一人溜め息混じりにゆっくりと階段から転がり落ちるように降りてきた娘をゆっくりと振り返る。
「ちょっと、お母さん! どうして教えてくれないのよ! パパスおじさまが帰ってきてるって!」
「ビアンカ! あんたはいつもいつもどうしてそんなに落ち着きがないのさ。もう少し女の子らしくおしとやかにしたらどうなんだい」
「話をすり替えるなんてズルイわ。ああ、もう! 私が一番にお出迎えしたかったのに!」
そう言いながら地団駄を踏むたびに、透き通るような金色のおさげが兎が地面を飛ぶようにピョンピョンと跳ねる。しかし悔しさを全身で表している少女は、サンチョに抱っこされているリュカの姿を見ると、途端に好奇心の矛先をその少年に変えてしまった。
「ねえ、あなたリュカなの?」
「……はい」
「何よ、『はい』だなんて言っちゃって。もしかして私のこと忘れたわけじゃないでしょうね?」
「えっと……」
「ひどーい! たくさん遊んであげたじゃない。ホントにホントに忘れちゃったの? 全然覚えてない?」
「…………」
リュカは困ったようにサンチョの大きな顔を覗き込むが、サンチョはただニコニコと笑みを浮かべているだけだ。そんなリュカの困惑に機嫌を損ねた女の子は口を尖らせてそっぽを向いた。
「ま、いいわ。サンチョさんに抱っこされてるような赤ちゃんじゃ私と一緒には遊べないものね。きっと私の知ってるリュカじゃないんだわ、あなたは」
少女の言葉に今度はリュカがむっとしながら言い返した。
「ボクは赤ちゃんじゃないよ!」
「じゃあどうしてサンチョさんにしがみついているのかしら? ママのおっぱいが恋しいんでしょ?」
「ビアンカ! いい加減にしなさい! あんたはいつも口が過ぎるんだよ。少しは考えてからものを言いなさい」
マグダレーナが叱りつける意図に気がついたパパスだったが、子供の言うことだからと、彼女のしっかりとした肩に手を置いて止めた。しかしほぼ同時にビアンカも母に叱られた意味に気がつき、慌てて口を噤み、決まり悪そうに目の前の床を見つめた。
幸い、リュカだけがビアンカが叱られた意味に気がつかず、ただひたすらサンチョに下ろしてもらうようにお願いしていた。サンチョは少し寂しそうに彼を床に下ろすと、リュカは口を尖らせてビアンカが見つめる床を同じように見つめた。
「今日はやたら冷えますね。もうそろそろ春だって言うのにちっとも暖かくなりませんし、今日は温かいものでも作りましょう。確か坊ちゃんはシチューが好きでしたよね?」
「うん。作ってくれるの?」
「このサンチョにお任せくださいませ。坊ちゃんの頬っぺたが両方とも落っこちてしまうような美味しいシチューをお作りしましょう」
そう言いながらサンチョに両頬を厚みのある手で包まれると、リュカは慌てて自分の頬を守るようにサンチョから身を翻した。どうやら本当に頬っぺたが落ちるんじゃないかと心配したようだ。そんなリュカの姿を見て、パパスもマグダレーナも思わず声を上げて笑った。
「ではそれまでしばしお待ちくださいね。こちらでもお部屋でも、ゆっくりなさっててくださいませ」
見るからに人の良い笑みを見せながら、サンチョはそのまま台所へと姿を消した。マグダレーナもその後に続くのかと思っていたパパスだが、いつも彼女の隣にいたダンカンの姿がないことに改めて疑問を感じ、再度問いかける。
「ダンカンは……」
「ああ、そう、そうだった。うちの旦那がちょいと病気にかかっちまってね。それでサンタローズに来てるんだよ。その病気って言うのがさ……」
椅子を引いてすっかり腰を落ち着けて話し出した母の姿を見て、ビアンカは諦めたように溜め息をついた。母は話し出したら止まらないと、自分のことなど棚に上げてそう思っているビアンカは、母の向かいで同じように椅子に腰を落ち着けた憧れのおじさまをちらちらと見ていたが、間もなく完全に諦めてすねたような顔をしてリュカに向き直った。
「オトナの話って長いのよねっ。リュカ、一緒に上で遊びましょう」
あてつけがましく母を横目で見ながら言うビアンカだが、母はお構いなしにパパスに話し続けている。ビアンカは金髪のおさげを弾ませながら、リュカの手を取って階段に向かう。
「え、ちょっと、ボクはお父さんと……」
「なによ、何か言った?」
ビアンカの強気な水色の瞳に睨まれ、リュカは何も返せずにその場で固まった。しかしそれと同時に、また彼女に馬鹿にされたくないという思いも胸の内に沸き起こり、リュカは自らビアンカの手を握って二階の階段を昇り始めた。
『お父さんから離れられないなんて、やっぱりあんた赤ちゃんね』そんな言葉を飲み込んだビアンカは、自分よりも小さい手を握り返しながら彼と一緒に二階に上がっていった。

部屋に入ると、窓際に備え付けられているベッドにリュカはすぐさまダイブした。父と共に長旅をしてきたリュカにとっては、こうしてゆっくりとベッドに入るのも久しぶりのことだった。昼間、サンチョが外に干したのか、ベッドのシーツはお日様の匂いがたっぷりと染み込んでいた。
「ちょっと、お行儀悪いわよ。せっかくのキレイなベッドが汚れちゃうじゃない。ほら、ブーツを脱いで。マントも外しなさい」
せっかくふかふかの枕に顔をうずめたところで、リュカはビアンカの注意に起きざるを得なかった。口を尖らせながらブーツを脱いでいると、ビアンカはそんなリュカに唐突に質問を投げかける。
「ところでリュカ、私の名前、分かってる?」
眉をひそめて聞いてくる彼女に、リュカは困ったようにうなり声一つ。
「本当に覚えてないのね。まあ、仕方ないわ、リュカはまだあの時小さかったものね」
どこか自慢げに言う彼女に、やはりリュカはちょっとした不満を込めた目でビアンカを見る。
「私はビアンカ。八才よ。あなたより二つもお姉さんなのよ」
「ビアンカ、だね。ボクはリュカ」
「知ってるわ。さっきから何度も呼んでるじゃない」
「あ、うん、そうだったね」
「さあ、何して遊ぶ? リュカはいつもどんなことして遊んでるの? おじさまと一緒に遊んでるの? ああ、いいなぁ、わたしもおじさまと一緒に遊びたいな。私も一緒に旅したいのに、お母さんがダメだって言うのよ。リュカが一緒に行けるんだから、私だって大丈夫だと思うんだけどな」
ビアンカのめまぐるしい会話についていけないリュカは、ただただビアンカの独り言のような会話を右から左へ聞いていた。
するとベッドに座っていたリュカの手を引っ張り、床に立たせると、ビアンカはテーブルの椅子に座るように手を引いていく。
「そうだ。私がご本を読んであげるね。面白い冒険のお話があるのよ。確かあの辺にあったと思うんだけど……」
そう言いながらビアンカは椅子を押して本棚の方へと進む。ぼうっと彼女の後姿を見送っていたリュカに、ビアンカは後ろを振り返って言う。
「ねぇ、椅子を押さえててくれる?」
「あ、うん」
リュカが椅子を押さえると、ビアンカは飛び乗るようにして椅子の上に上がり、棚に並ぶ本を物色し始める。安定の悪い椅子をガタガタと言わせながら右へ左へ体重を移動させるビアンカを、リュカは必死になって支えた。
「あ、あった。これよこれ。あっ、でもこっちも気になる。何かしら、これ。もっと面白いものかも知れないわ。本だって分厚いし、もっとわくわくするのがあるかも」
「ビアンカ、まだ?」
「ちょっと待ってよ。選んでるんだから。うーん、どうしようかな。どっちにしようかな。迷うなぁ」
「まだー?」
「分かったわよ。じゃあ両方にしようっと」
決めるが早いが、ビアンカは両手に本を抱えたまま椅子から飛び降りた。元々安定の悪い椅子はそのままリュカの手を離れて、横倒しになって階下に轟くような音を響かせた。

『コラッ、ビアンカー!』
『ごめんなさーい!』

母と娘の階段を隔てた会話はそれで終わった。その呆気なさにリュカはただ目をパチクリさせるだけだった。
「リュカ、ちゃんと押さえててくれないとダメじゃない」
「え? うん、ごめんね」
「まあ、いっか。それじゃあはい、そこに座って。ご本読んであげるからね」
「お母さんのところに行かないでいいの?」
「? どうして?」
「悪いことしたらちゃんと謝らなきゃいけないんだよ。ボク、行ってくるよ」
「ああ、大丈夫よ。いつものことだから」
「いつものことって……」
「いいからいいから。はい、じゃあ楽しい冒険が始まるわよー。リュカも男の子だったら絶対に好きなはずよ、こういうの」
ビアンカは机の上に乗せた二冊の本のうち、分厚く古臭い本の表紙を開いた。少し埃を被ったその本はすっかり使い古されたように黄ばんで、何度もページがめくられたせいで紙片が本から外れている箇所もあった。何やら書き込まれた跡もある。
「ええと、そ…ら…に…、えーと、く…せし…ありきしか。……これはだめだわ。だって難しい字が多すぎるんだもの。せっかく面白そうだなーって思ったのに、残念だわ」
ビアンカは大きく息をつきながら、その本をパタリと閉じた。同時に舞い上がった埃に、ビアンカもリュカも手をぶんぶん振って煙たそうな顔をした。
「じゃあこっちにしましょう。これはわたしも一度読んだことがあるから、スラスラ読めるはずよ」
分厚い文献を机の隅に押しのけると、ビアンカは子供用の童話の本を手に取り、ページをめくった。そして予告したとおりスラスラと読み始める。
「昔むかしあるところに、一人の王様がいました。その王様は娘のお姫様が悪いドラゴンに連れ去られてしまったので……」
ビアンカが語る冒険物語を、リュカも隣で身を乗り出して大人しく聞いていた。字はまだ読めないが、ビアンカが抑揚をつけて読む度に、リュカは一緒に驚いてみたり、笑ってみたり、楽しいひと時を過ごしていた。
そしてビアンカが何枚目かのページをめくる時、リュカはそのページに載っていたドラゴンの挿絵に興味を引かれ、思わず彼女の手を止めた。
「ちょっと、リュカ!」
びっくりしたような声で言うビアンカに驚き、リュカは思わずびくりと身を引いた。ページを止めようとしたのが悪かったのかと、リュカは即座に謝るような視線で隣のビアンカをちらりと見やっている。
「どうしたのよ、そのケガ。血が出てるじゃない!」
「え、どこ?」
「どこって、ほら、ここ。あんた、痛くなかったの?」
「うん、わかんなかった」
「私、下に行って薬草をもらってくるわね。リュカはここで待ってるのよ」
ビアンカは慌てて椅子から飛び退き、おさげ髪を揺らしながら部屋を出ようとしたが、リュカが一言「大丈夫だよ」と言うのを聞いて、部屋のドアを開く前に彼を振り返った。
「大丈夫じゃないでしょ。それとも薬草でも持ってるの?」
「ううん、ボクね、まほうが使えるんだ」
「まほう?」
「うん」
リュカはのんびりとそれだけ言うと、ぶつくさと何やら小さな声で唱え始めた。その言葉はビアンカの耳には幼稚なもののように聞こえたが、リュカの手から生み出された柔らかな白い光を見て彼女は思わず息を呑んでいた。
「うーん、やっぱりお父さんみたいにはいかないな。ちょっと残っちゃった」
ビアンカは傷の消えたリュカの手をまじまじと近くで見る。彼の言うとおり確かに少し痕が残ったものの、傷口は塞がり、血の赤がきれいに消えていた。
「すごい……」
ビアンカが小さくそう呟くのを横で聞いたリュカは、少し得意げな笑みを見せて鼻を膨らませた。そんなリュカの自信に満ちた態度に気がついたビアンカは彼に対抗するように机の上に手を出すと、「私も使えるのよ」と言って彼とは違う呪文を唱え始めた。
彼女の指先から飛び出した橙色の火は初め穏やかに彼女の指の上で揺れていたが、リュカが真剣にその火を覗き込むと、ビアンカはさらに得意げになってさらに火を大きくしようともう一度同じ呪文を唱えた。
すると彼女の指先で踊っていた小さな火は途端に風に巻き込まれたようにうなり声を上げて、彼ら二人の間に炎となって現れた。ビアンカは座っていた椅子から飛び退き、天上につきそうになるほどの火柱を上げる魔法の威力を抑制できず、混乱したように部屋の中をドタバタと走り回った。
ビアンカが泣きそうな顔をしているのを見たリュカは、思わず彼女の手を火ごと掴んだ。あまりの熱さに目に涙を浮かべながら、しかしリュカはビアンカの手を握り締めたままただじっと熱が過ぎるのを待った。
「……消えた?」
リュカがそう言いながら手を離すと、ビアンカの指先から完全に火が消えている代わりに、リュカの両手が火傷を負い、赤く腫れ上がっているのを二人は見た。そんな彼の手を見て、またビアンカは目に涙をためる。
「ごめんね、リュカ。どうしよう、私、薬草もらってくる。あと、お水で冷やさなきゃ……」
「でも下に行ったらビアンカ、怒られちゃうよ」
「そんなのいいのよ。だって怒られるようなコトしたのが悪いんだもの。それよりもリュカの怪我の方が……」
「ボクもまほうが使えるんだよ。さっき見せたよね」
ビアンカが困ったようにリュカの赤く腫れた手に触れもせずおどおどしていると、リュカは手の痛さも忘れてやけに自信たっぷりにそう言ってのけた。そして彼女の目の前でもう一度回復呪文を唱えた。リュカが回復呪文を自分の手にかけながら思っていたことは、自分の火傷の手当てよりも、むしろ隣にいる友達を困らせたくなかったという思いの方が強かった。
淡く白い光に照らされたリュカの手から徐々に火傷の赤みが引いていく。先程の傷は痕が残ってしまったが、火傷の痕はキレイさっぱりなくなってしまい、元の通りのリュカの小さな手がそこに残った。
「さっきよりうまく行ったよ。ほら、キレイになったよね」
「……うん」
「だから大丈夫だよ。もう痛くないしね」
「うん、よかった……」
そう言って安心したように微笑みあった後、二人は同時に口を押さえて欠伸をした。魔法力を削ると自然と眠くなることを彼らはまだ知らない。
「ふわぁ、安心したら眠くなっちゃったわ。ご本を読むのは後にして、とりあえず寝ましょうか」
「うん、そうだね。ボクも眠い」
互いに目をごしごしと擦りながら机の本を閉じると、窓際でまだ夕陽に晒されているベッドへ歩いていった。まだ冬の暖かな西日が布団を暖め、その中に二人して弾むように入り込む。
「リュカ、もうちょっとあっち行ってよ。狭いじゃない」
「でもボクもお日さまが当たるところがいい」
「もう。じゃあ、こっちにいらっしゃい。私が壁の方で寝るから」
場所を入れ違いにして、枕もなしに早々に眠ろうとするリュカの頭の下にビアンカは枕を差し込んでやると、リュカは寝言のように「ありがとう」と言って目を瞑った。
「後でちゃんと遊ぼうね。ご本だってまだ全然読んでないし」
「うん」
「あと勇者様とお姫様ごっこもやろうね。もちろん私がお姫様で、リュカが勇者様よ」
「うん」
「でもリュカは勇者様って感じじゃないわよね。どうせならおじ様が勇者様がいいんだけどな。ねぇ、リュカから頼んでくれないかな、おじ様に」
「うん……」
「ホント? 約束よ。起きたらすぐにおじ様に頼んでよね。うわぁ、楽しみだわ。夢だったのよね、おじ様に勇者様の役をやってもらうの。だって本物の勇者様みたいじゃない、おじ様って。ねぇリュカもそう思うでしょ?」
「…………」
返事がなくなった隣を見てみたビアンカは、リュカが口を開けて眠りこけている姿を目にした。紫色のターバンもそのままに夢の世界に旅立った二つ下の幼馴染に一瞥を投げた後、ビアンカも大口を開けて欠伸をして枕に頭を沈めた。
「つまんないな」
ぽつりと呟いた後、ビアンカは布団の中で先程の火傷の傷が癒えたリュカの手をそっと握った。リュカは痛がることもなく、すやすやと眠ったままだ。
「良かった、本当に大丈夫なのね」
「……うん」
予期せぬリュカの小さな返事に、ビアンカは再びリュカの寝顔を見たが、彼が起きた気配はなかった。ただの寝言だったようだ。
しかし先程、謝りきれずに胸の中にわだかまりが残っていたビアンカは、眠っているリュカの手を握りながら小さな声でもう一度謝った。
「ごめんね」と言った途端に安心感からか睡魔が彼女を襲い、間もなくビアンカはリュカと向き合うように眠ってしまった。

「呼んでも返事がないと思ったら、二人してお休み中だったんだね」
「シチューはまた後で温めましょう。先に旦那さま方で召し上がっててください」
「……いや、起きるのを待とう。食事は賑やかな方がいい」
パパスはそう言うと、布団から出ているリュカの手をそっと取って、暖かな布団の中にしまってやった。もう片方の手が幼馴染の女の子と繋がれていることに気がつくと、同じように子供たちの様子を覗き込んでいたマグダレーナが笑いながらパパスに言う。
「タラシなところもあんたに似なきゃいいけどねえ」
「無邪気な子供のすることをそういう風に言うものじゃない」
「旦那さまはマーサ様一筋なんですから、タラシなんかじゃありませんよ」
苦笑するパパスと膨れ面をするサンチョを見て、マグダレーナは大声を上げて笑いそうになるのを堪え、口に手を当てて笑った。
「まあ、何はなくとも久しぶりの再会だ。子供たちが起きるまでもう少し話でもしようじゃないか」
「そうですね。それじゃあ今度はお酒と適当におつまみでも作りましょう」
「しかし二人ともあまり食べ過ぎるんじゃないぞ。それ以上太ったらそこの階段も転がって下りるハメになる」
真面目な顔をしてそんな冗談を言うパパスは、サンチョとマグダレーナが呆気に取られている内に早々と部屋を出て行ってしまった。サンチョより一足先にパパスのからかいに気がついたマグダレーナは「なんだってぇ!?」と肩を怒らせながら、それこそ階段をどしんどしんと降りていく。
部屋に残ったサンチョはもうすっかり暗くなった部屋の中で、廊下の明かりでおぼろげに見えるリュカとビアンカの寝顔を見ながら、ふっと息を吐いた。
「坊ちゃん、本当に大きくなられましたね」
そう言いながら間近でリュカの顔を覗き込むサンチョだが、そんな暖かな気配に気づくことなく、リュカは安心しきった寝顔で寝息を立てている。
「いつか、旦那さまと奥様とグランバニアに帰れることをずっとお祈りしてます」
そんなことを言っていると、ビアンカが不機嫌そうに唸りながら寝返りを打ったものだから、サンチョは笑いながらその願いに一言付け足した。
「仲良しのお姉ちゃんも一緒に行けるといいですね」

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