2017/12/03

魔物と人間

 

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ポートセルミを出て翌日の早朝、パトリシアの引く馬車は山道を登っていた。馬車が通れるほどの道が続いているが、道はでこぼこで、車輪がガタゴトと騒がしい音を立てている。リュカは荷台の横について車輪を見てみた。オラクルベリーで馬車を購入してから大して手入れしていない馬車は、かなり傷んでいた。
「無茶な使い方をしてるもんなぁ」
東の大陸を出る時には、荷台にスラりん、ピエール、ガンドフの入った木箱を乗せ、恐らく荷台の耐荷重ぎりぎりの重さを運んでいた。普通の馬なら運べないような重さの荷台だったが、普通ではない巨大なパトリシアが馬車を引いているため、その重さにも耐えられた。しかし荷台自体は確実にダメージを負っており、そろそろ修繕が必要な状態となっていた。
「カボチ村には……いないかな、馬車を修繕してくれる人は」
ポートセルミの人に聞いたカボチ村の印象は、『とんでもない田舎』という言葉で表されていた。リュカが酒場で会った村人の一人も、使い古した鍬を持ってポートセルミの町に来ていた。恐らく畑仕事はお手の物だが、馬車の修繕ができるような人物がいるとは期待できない。リュカはカボチ村での約束事を果たしたら、一度ポートセルミに戻って馬車の修繕を頼めるところを探そうかと考え始めていた。
冬が近づく山間の道には、既に落葉した木々が立ち並び、寒々しい景色を醸していた。曇天の空から小雨が降りだすと、リュカは寒さと冷たさから身を守るために、マントの前を合わせ、首元にたるむマントをフードのようにして頭に被った。冬本番にはまだ早いが、肌に充分に寒さを感じることに、リュカは身体が大分寒さに弱くなってきているのだなと感じた。
ポートセルミの灯台にあった望遠鏡を覗いて見えた雪山の景色は、本来寒さよりも美しさを感じさせる景色だった。世界一の高さを誇るセントベレス山の神々しい景色は、見る人を皆魅了し、引きつける力を持っている。しかしあの雪山の上で奴隷として生きていたリュカは、景観の美しさなど微塵も感じず、ただ凍てつく寒さを思い出すと共に、身体中にまとわりついていた死の臭いに身震いしただけだった。
寒さで凍え死ぬ人も出るようなあの場所で十余年生きていたと言うのに、今ではもう冬の近づく山道での寒さを真っ当に寒いと感じるようになっている。それだけ身体が弱くなったのか、はたまた寒さを感じられる余裕が出てくるほど回復したのか、リュカにはよく分からなかった。
パトリシアを挟んで横を歩くピエールはいつもと変わらぬ様子で黙々と進んでいる。すっかりパトリシアの鞍の上が居場所になったスラりんも、普段と変わらず周りを警戒するようにキョロキョロと丸い目をあちこちに向けている。後ろからのしのしとついてくる熊のようなガンドフは、分厚い茶色の毛皮を雨に濡らし、そのままだと風邪でも引いてしまいそうだ。
「ガンドフ、寒くない? 雨に濡れるから馬車の中に入っててもいいよ」
「サムクナイ?」
リュカの言葉にガンドフは大きな目を更に大きくして首を傾げた。尖った耳が両方横に寝ているのを見ると、リュカはガンドフが全く言葉の意味を理解していないのが分かった。
「リュカ殿、ガンドフは私たちの中で一番寒さに強いはずですよ」
「乾いてれば毛皮もあったかそうなんだけど、雨に濡れると寒そうに見えるよ」
「ガンドフの特技をお忘れですか? 冷たい息を吐くことができるんですよ。身体の中に冷気を溜めこむことができるガンドフが、寒さに弱いはずがありません」
「言われてみれば、そうだね。むしろ暑い方が辛いのかな」
「そうかも知れませんね。身体にあれだけの毛皮をまとっているとなると、熱がこもって辛いでしょうね」
「ピエールは寒くないの?」
「私やスラりんのようなスライム族も、ガンドフほどではないでしょうが、暑さの方が苦手です」
「じゃあ夏は苦手?」
「あまり得意ではありませんね。あの、太陽の熱を十分に受けた石や岩などにうっかり当たると、飛び上がってしまいます」
「それは僕も熱いや。じゃあ夏の空気は問題ないんだ」
「そうですね、特には」
「いいなぁ。僕も魔物に生まれれば良かったのに」
「そんなことを言う人間は恐らくリュカ殿以外、世界中探してもいないでしょうね」
魔物のピエールがからからと笑う。そんなやり取りにも随分慣れ、リュカはもうスラりんもピエールもガンドフも、魔物だという意識が薄くなってきていた。彼らよりもポートセルミの酒場で遭った金を騙し取ろうとしていた三人の男たちのほうがよっぽど横暴だ。言葉が通じても心を通わせようとしない人間よりも、言葉が通じなくても心が通わせられる魔物が旅の仲間で良かったと、リュカは改めて彼らに感謝の念を抱いた。
「リュカ殿こそ、馬車に入っていたらどうですか? 人間は寒いところにいるとカゼを引いてしまうのでしょう?」
「僕は大丈夫だと思うけどね、なんせ十年以上ももの凄く寒いところにいたから。そうそう風邪は引かないと思うよ」
「そうですか。まああまりご無理なさらず」
「ありがとう」
そう言うと、リュカはフードを目深に被りながら前に続く道を見通した。馬車が通れるほどの広い道が続いているが、道自体はあまり整備されておらず、その上馬車が進むにはかなりきつい急坂があったりして、思うように進むことができない。ポートセルミにいたクラリスは『馬車だと三日くらいかかる』と言っていたが、果たして三日でカボチ村に着くのだろうかと、リュカは少し不安になった。山間の道ですらこれほど険しい道なのだ。カボチ村は普通の旅人が興味本位で立ち寄るような村ではないのは良く分かった。
冷たい小雨の降る中、雨の白い景色の中にリュカは人影を見つけた。馬車での移動ではないらしく、たった一人で徒歩で、この山間の険しい道を歩いているようだ。その人影は道の脇に立てられている立て札の前で立ち止まっていた。
「あの人もカボチ村へ行くのかな」
見える後ろ姿はリュカよりもかなり小柄で、もしかしたら女性なのではと思えるほど華奢に見えた。深い緑色のローブに身を包み、『ここより南 カボチ村』と書かれている立て札の前で思案するようにじっと立ち尽くしている。
「ピエール、あの人も一緒に連れて行こう。一人じゃこの道は危険だよ」
リュカの言葉に、ピエールは唸るような声を上げて呟く。
「……一緒についてきてくれるでしょうか」
「でもどうせ同じところに行くと思うから。ちょっと声をかけてくるね」
「お気をつけください、リュカ殿」
予想外の慎重なピエールの言葉に、リュカは内心首を傾げた。しかし慎重な言葉の割には、ピエールは特に姿を隠す素振りも見せない。スラりんもガンドフも、ただ思い思いに辺りを見渡しているだけだ。何故か周りに対する警戒心が強くなった彼らを、リュカは不思議に思いながらも、立て札の前に立つ人影に近づいて行った。
空気に解けるような小雨のサーッという寒々しい音の中に、しゃがれた人の声が聞こえた。
「ワシらに読めんと思うのか、やつらは。馬鹿にしおって」
深い緑色のローブの人物はどうやら老人のようだ。もしかしたらカボチ村の人間で、村に戻るところなのかも知れない。それなら尚更一人で歩かせるわけにはいかないと、リュカは躊躇なく老人の後ろから声をかけた。
「あの、僕たちと一緒に行きませんか? カボチ村まで行くんですよね?」
リュカの声にゆっくりと振り向く老人、だと思っていた人物は老人ではなかった。
緑色のローブから覗く手や顔は、一見人間のような色形をしているが、まるで水に溶けた土のような色をした人間の肌をリュカは見たことがない。フードに隠れた顔を見れば、骨と皮だけのやせ細った顔つきで、目が大きくギョロリと覗いている。
魔法使いと呼ばれる人間のような風貌をした魔物を見て、リュカは何か懐かしい感覚に誘われた。どこかで見た覚えのある魔物だ。しかしいつどこで遭遇したのか、すぐには思い出せない。
「カボチ村……ここに書かれている村じゃな。お主、この村の者か?」
「いいえ、僕は村の人から化け物を退治してほしいって言われてるので、それで村に行く途中です」
「化け物を退治して欲しいじゃと? 自ら村に化け物を呼び寄せてるかも知れんというのに、愚かなもんじゃ」
そう言いながら、老人のような魔物は目の前の立て札を骨ばった手の甲でコンコンと嘲るように叩いた。
「お主もワシら魔物には字が読めんと思うとるのか?」
「いや、僕は……」
「ここから南に行けば人間の村がある、そう書いておるのじゃろ、この立て札は」
「あ、本当だ。じゃあこの道で間違いないんだ」
「ワシら魔物にも人間の字を読めるもんは沢山おるわい。こんな立て札を立ててわざわざ村の位置を教えるなど、無防備にも程があるというものじゃ」
老人のような魔物は、自分が馬鹿にされたことに腹を立てているのか、無防備な人間を心配しているのか分からない様子で、立て札に向かって文句を言っていた。後ろから見る限り人間にしか見えない魔物に、リュカは人間に話しかけるような調子で会話を続ける。
「カボチ村まで行くんだったら一緒に行きませんか?」
「魔物のワシが人間の村なんぞに何の用があろうか? ワシはルラフェンという人間の町の近くにおったんじゃが、最近あの辺りを行く人間が多くなってきたんじゃ。静かに暮らしておったのに、わいわいがやがやと騒がしくなってきたもんだから、山に移ろうとここまで来たんじゃ」
まるで人間の老人が話す内容そのものを魔物が話し出すことに、リュカは不思議な感覚を覚えると同時に、やはり魔物も人間も大して変わらないんだと安心する気持ちを抱いた。
「ルラフェンって、いずれはその町に行こうと思ってたんだ。ちょうどいいや、カボチ村での用事が済んだら、ルラフェンまでの道を教えてくれないかな?」
「案内しろ、じゃと? お主、一体誰に頼んでおるんじゃ」
「誰って、あなた……えーと、名前はあるの?」
「馬鹿にするな、名前くらいあるわい。マーリンじゃ」
「マーリン、何だか可愛い名前だね。おじいさんっぽくないなぁ」
「ワシの名が呼ばれるようになったのはもう百年ほど昔じゃ。そのころはこんなナリではなかったわ」
「百年? そんなに生きてるの?」
驚いたように目を見開くリュカを見て、マーリンという魔法使いの魔物はふんっと尊大な態度で鼻を鳴らす。
「人間というのはあっけなく死ぬからのう。何とも哀れな生き物じゃ」
「魔物に比べたらそうなのかな……。ピエールはどう? マーリンみたいに百年くらい生きられるの?」
リュカが呼びかけたスライムナイトの姿を見て、今度はマーリンが驚いたように目を見開いた。
「なんじゃ、何故スライムナイトがここにおるんじゃ」
「僕の仲間なんだ。ピエールの他にも、スラりんとガンドフがいるよ」
リュカが紹介すると、ピエールが前に出て来て軽く頭を下げた。スラりんは今もパトリシアの鞍の上に乗って辺りを見渡し、ガンドフは近くの木からはらはらと落ちる葉っぱを大きな一つ目でじーっと見つめている。人間の扱う馬車近くに平和な様子でいる魔物の姿に、マーリンは首をゆるゆると横に振った。
「訳が分からん……お主ら、この人間に騙されておるのではないのか。何故人間とともにおるのじゃ」
きつい口調のマーリンに、ピエールが考えこむようにして低く唸った。
「お人柄、でしょうか。リュカ殿には何か惹かれるものがあります」
「それこそペテン師の持つ雰囲気じゃ。スライムナイトとあろう者が騙されておるのじゃぞ」
「いえいえ、騙されてはいませんよ。もし騙されているのなら、私などとっくに殺されているでしょう。もうリュカ殿とは数カ月も共に行動していますからね」
「なんじゃと、それはけったいな。のう、人間よ、一体何が目的なんじゃ、魔物を連れ歩くとは。じきにどこかに売り飛ばそうとしておるのか? 人間に懐く魔物として、どこかで商売でもやる気か?」
マーリンの考えに、リュカは感心するように「へぇ」と小さく息をついた。
「そんなこと考えたこともなかった……。僕が商売人だったらそんなことも考えるのかな」
「いや、リュカ殿はそんなこと考えませんよ。私たちを人間の見世物になんて、しないでしょう?」
「そうだね、そんなことはしたくないな。だってみんな、そんなのイヤでしょ」
「必要とあらば、私はやります。スラりんも恐らくやってくれるでしょうが、ガンドフは……どうでしょうね」
「人を襲いはしないだろうけど、結果的に襲うことになっちゃいそうだね」
「それでマーリン殿は私たちと共に来ることになったんですか?」
「うん、カボチ村に行って用事を済ませたらルラフェンまで案内してもらおうと思って……」
「誰がお主らと一緒に行くと言ったんじゃ。勝手に話を進めるでないわ」
いつの間にかあらぬ方向へ進み出した話を遮るように、マーリンがぴしゃりと言い放った。てっきり新しい仲間が増えたと一人心躍らせていたリュカは、肩すかしを食ったように真顔でマーリンを見下ろす。
「ワシはお前らのように騙されはせんぞ。人間なんぞ、信用できるものか」
そう言いながら、マーリンは小さな火をリュカに投げつけてきた。リュカは慌ててその火を避けながら、久しぶりに目にしたメラの呪文に、ラインハットにいるヘンリーのことを感慨深げに思い出していた。
「ヘンリー、元気にしてるかな。……あ、そう言えば手紙を書くの、忘れた。せっかく便箋と封筒と買ったのに」
「リュカ殿、余裕がありますね……」
ピエールの呆れた口調にも、リュカは動じず、道具袋に入れっぱなしの封筒と便箋を確認しただけだった。道具が入り乱れている袋の中で、便せんも封筒もぐちゃぐちゃになっている。リュカはそれらを取り出し、小雨の降る中、両手でひたひたと伸ばした。
「乾けば元の通りになりそうだね。そしたら使おう」
「どれ、乾かしてやろうかの」
マーリンの一言が聞こえたかと思うと、リュカの手にあった便箋と封筒にポッと火がついた。一瞬何が起こったか分からなかったリュカだが、手に迫った火の熱さに、火が燃え広がる便箋と封筒を手放してしまった。火に包まれたそれらは、すぐに灰になり、はらはらと土の地面に落ちて行った。雨に濡れた地面に落ちた灰から立ち上る煙を、リュカは呆然と見つめた。
「お主の大事なモンじゃったかのう。これはすまんかった。ひっひっひっ」
楽しそうに笑うマーリンを見て、リュカはやはりヘンリーを思い出していた。幼い頃のヘンリーだったら恐らく同じようなイタズラをしただろうと想像すると、便箋と封筒が燃えてしまったことなどどうでも良くなってしまった。思わずマーリンと一緒に笑い声を上げてしまう。
「まあまあ高い紙だったんだけどなぁ。一応、王族宛に出す手紙だからって、ちょっと奮発したのに」
「魔物相手に戦う姿勢にならんお主が悪いんじゃ。ワシを舐めるんじゃない」
マーリンにとってメラの呪文はお手の物のようで、特に詠唱など必要としなくとも、両手から次々と火を生みだしてはリュカに投げつけてくる。小雨程度では消えない呪文の火を、リュカは巧みに避けつつ、たまに当たると慌てて服をはたいて火を消した。
「リュカ殿、一応確認ですが」
「何?」
「戦うということでよろしいのでしょうか」
「そうするしかないみだいだね。本当は戦いたくないんだけど」
「では……スラりん、ガンドフ、この魔法使いのじいさんと戦うことになったぞ」
「ピキー」
パトリシアの鞍の上でリュカ達の様子を静観していたスラりんが、一声鳴いて鞍から飛び降りてきた。ピエールの声に反応するように、ガンドフもゆっくりと歩いて近づいてくる。地面を跳ねて近づいてくる雫型の小さな魔物は一瞥しただけだが、さすがに自分の二倍、三倍はありそうな熊のようなガンドフが近づいてくると、マーリンも少したじろいだ。
「こんなか弱い老人に、お主ら全員でかかってくるつもりか? 何とも非情なヤツらじゃ」
話だけを聞いていると、普通の人間の老人となんら変わりないマーリンに、リュカは本当にマーリンが魔物なのだろうかと改めてじろじろと見つめた。自分と同じような五本指の手だが、その手は生気のない黄土色で、指も異様に長く、とても人間のものとは思えない色をしている。フードから覗く顔も、たとえて見ればミイラのような骨と皮だけのシワシワの顔で、ニタリと笑う口の中は血のように真っ赤に染まっている。一つ一つを見れば人間でないことは明らかなのだが、ローブを着てる立ち姿は人間そのものだ。
ぼうっと見つめるだけのリュカの顔に、マーリンはメラの呪文を見舞った。隙だらけのリュカは避けることもせずにまともに火を食らい、その熱さに飛び上がった。顔を両手で覆い、熱さを紛らそうとするリュカに、ピエールがホイミの呪文を唱えようとした。しかしピエールの口から声が出ず、ホイミの呪文は不発に終わった。
「これは一体?」
「スライムナイトよ、お主の呪文はもう封じられておるぞ」
いつの間にかマーリンは呪文封じの呪文マホトーンを唱えていたようだ。ピエールの緑スライムが悔しそうに口をひん曲げている。そんなピエールにマーリンが容赦なくメラの火を投げつけ、ピエールに命中した。緑スライムが目を白黒させて飛び跳ねる。
使う呪文は初歩的なものだが、呪文を唱える素振りも見せない鮮やかな使いぶりに、リュカはマーリンに羨望の眼差しを向けた。試しに顔の火傷を呪文で癒そうとホイミの呪文を唱えようとしたが、やはりリュカの呪文も封じられており、呪文の言葉は声にならなかった。
「どうやって呪文を唱えてるの? 全然呪文の声が聞こえなかった」
リュカが頬を手で押さえながらそう問いかけると、マーリンは訝しげにリュカを見返しながら応える。
「呪文の文句なぞわざわざ口にせんでも、これくらい簡単な呪文じゃったら使えるわい」
「言葉に呪文を乗せるんじゃないんだ」
「念じればそれでいいのじゃ。お主、そんなことも分かっておらんかったのか」
「知らなかったな。てっきり呪文って一字一句間違わずに言葉にしなきゃいけないんだと思ってた」
「呪文の文句なぞ、後からつけられたものじゃ。本来は正確に念じることさえできれば、必要ない」
「どうして後からつけられたんだろう」
「念じるだけでは具体的に呪文の効果を思い描けない頭でっかちなヤツが、大方つけたんじゃろうて」
「なるほど、呪文の文句って何だか難しい言葉が多いもんね。そう言えば僕、子供の頃は『癒し』なんて言葉、良く分からないまま使ってたな」
「それこそ、まさに形だけのもんじゃろ。言葉など無くてもお主は呪文が使えたんじゃ」
マーリンにそう言われ、リュカは子供の頃に良く分からないまま使っていた呪文の効果を思い出した。初めて呪文を使えるようになったのは、サンタローズの家でビアンカと一緒にいる時だった。既に呪文が使えたビアンカが、リュカにも使えるような呪文をと、一緒になって子供用の呪文書を読んでくれたのだ。その時、ビアンカが言っていた言葉の意味を、リュカは良く理解しないまま使っていた。ただ回復呪文自体は父が使用するのを見ていたので、それこそ呪文の効果を頭の中で思い描いて使えるようになったのだ。
そしてその後、ビアンカとレヌール城へ探検に行った時も、プックルとベラと一緒に妖精の村に行った時も、絶えず回復呪文を使い続けた。そのうち、呪文の言葉の意味を考えることもなくなり、それはただの言葉になった。しかし呪文を使う時は呪文の文句を口にするのが当然だという意識の下に、リュカは呪文の詠唱に長々と言葉を添えていた。
「今、僕たちって呪文を封じられているんだよね」
「左様」
「確か前にも呪文を封じられたことがあったような……」
その時の感覚を思い出そうとすると、リュカの身体は吹雪に吹かれるような寒さを覚えた。足元にはザクザクと深い雪が積もり、前をプックルが埋もれそうになりながら進むのが見える。子供のリュカを見守るように妖精のベラが宙を飛んでついてきている。妖精の村にいた時だ。その時、遭遇した魔物に魔法を封じられたことがあったと、リュカは思い出すと同時に、目の前の魔物の姿も初めて見るものではないことに気がついた。
「どうしてこんなところにいるの? 妖精の村にいたはずじゃ……」
マーリンのみならず、ピエールも同じように首を傾げた。
「それにあの時も呪文を封じられたことがあったけど、言葉も話すことができなかったんだ。でも今はどうして話せるんだろう」
リュカは妖精の村を探検した時のことを思い出していた。プックルとベラと氷の館へ行く途中、今目の前にいるような魔法使いと遭遇したことがあった。その時も今と同じように呪文封じの呪文マホトーンをかけられた記憶があったが、その時は呪文のみならず言葉までもが話せなくなってしまっていた。
「のう、スライムナイトよ、こやつは一体何を言っておるんじゃ」
マーリンに問いかけられ、ピエールは以前にも似たような状況があったことをふと思い出した。それはまさしくピエールがリュカと初めて会った時のことだ。リュカは幼い時にスライムナイトに遭遇し、戦ったことがあったようだった。その時もスライムナイトと話をして、恐らく相手を困らせたに違いなかった。
と言うのも数ヶ月前、ラインハット近くでピエールと初めて会った時、リュカはピエールが話せる魔物だというだけで、色々な質問攻めをしてきて、実際にピエールが困った経験があるからだ。そうしていつの間にかピエールはリュカたちの仲間になってしまった。
リュカの戦意のない無邪気な瞳を見て、ピエールは剣を手にしつつも、既にパトリシアの鞍に乗るスラりんに声をかけた。
「スラりん、馬車を進めようか」
「ピ」
ピエールの言葉に、スラりんは鞍の端にぴょんと飛び乗って、パトリシアのたてがみをひと束口にくわえると、それをピンピンと引っ張った。出発の合図を受けたパトリシアがゆっくり馬車を進め始めた。ガタゴトと回る車輪の音と一緒に、一行も進み始めた。馬車の後ろから仲間の様子を見つめていたガンドフは、何だかよく分からないながらも、ぼーっとした大きな目を向けてマーリンを含めた皆を変わらず見つめている。
「あの時は氷の呪文を使っていたと思うんだけど、マーリンは火の呪文が使えるんだね」
「さっきから思っておったが、マーリンと呼び捨てにするとは何事じゃ。年上への敬意が感じられん。ちゃんと“さん”付けで呼べい」
「年上か、そうだね、百年も生きてるんだから僕なんかよりずっと年上だね」
「だから敬語を使えと言うておるのに。お主の頭は鳥か?」
「どうして鳥なの?」
「鳥は三歩歩いたら忘れる生き物なんじゃ。まあ、お主の場合は鳥よりも重症のようじゃがの」
「へぇ、鳥ってそういう生き物なんだ、知らなかった」
馬鹿にされていることにも気付かないリュカは、ただマーリンと話をするのが楽しい様子だった。自分の知らないことを色々と教えてくれるのではないかと、リュカはマーリンに次々と質問をしていった。彼らの脇ではゆっくりと進む馬車の音がずっと響いている。カボチ村への道は山間に続く一本道のようだ。迷ういようがない道を、ピエールはリュカとマーリンが話す姿を横に見ながら、静かに馬車を進めて行った。
秋も深まったこの季節の日の入りは早い。小雨は降りやまず、ずっとサーッと冷たい音を響かせて辺りの土に染み込んで行く。リュカはフードを手で捲って空を見上げた。どこにも晴れ間は見えず、今夜は月明かりにも恵まれないだろう。夜の移動は避けた方が良さそうだと、リュカはピエールに声をかけた。
「明るいうちにもう少し進んだら、今日は休もう。どこか休むのに良い場所があるといいんだけど」
「では探して参りましょう。上手く隠れられるようなところがあればいいのですが」
ピエールの声を聞いて、パトリシアの鞍の上に乗っていたスラりんが地面にぴょんと下りてきた。ピエールよりも先に休む場所を探してやると言わんばかりに、濡れた枯れ葉の積もる地面の上をガサガサと跳ねて行った。可愛い見た目とは裏腹に、スラりんは仲間の中でも競争心が最も高い。
「あやつはそんじょそこらのスライムとは違うのう。なかなかに機敏じゃし」
「そうなんですか? 魔物にも色々と個性があるんですね」
「当たり前じゃ。人間よりもよっぽど個性派揃いじゃ」
「ガンドフはどうですか?」
「……ワシもビッグアイのことはよう分からん。ビッグアイは揃いも揃って何を考えているのか分からんやつばっかりじゃ」
自分のことが話されていると気付き、ガンドフはピンク色の耳をそばだてている。好奇に満ちた大きな目に、口は笑うようににこやかに開いている。
「良い子には間違いないですけどね」
「ビッグアイに悪いヤツはそうそうおらんよ。ヤツらはただ純粋に生きておるだけ。魔物に分類されるのがおかしなくらい、穏やかな生き物じゃ」
「ジュンスイ? オダヤカ?」
「そう、ガンドフのことだよ。良い子だって褒められてるんだよ」
「ガンドフ、ヨイコ」
大きな目をにっこりとさせて笑うガンドフを見ていると、リュカも何故ガンドフがビッグアイという魔物として知られているのか分からなかった。見た目が熊のように大きな身体をしているだけで、人間よりもよっぽど純粋な心を持っている。
人間は魔物を敵とみなし、魔物は人間を敵とみなしている。ピエールと初めて会った時も、ピエールは魔物と人間は敵同士だと当然のように言っていた。そう考えることが前提で、それはあたかも生まれた時から決められた宿命のようなものだと、ピエールのみならず魔物も人間も互いは敵同士だと思い込んでいる。
しかしスラりんもピエールもガンドフも、生まれた時から魔物だったのだろうかと考えると、恐らくそうではない。スラりんとピエールは元々生き物として生まれていなかった。ガンドフはその見た目から元々は熊か何かの動物だったのだろう。彼らがどうして魔物になってしまったのか、リュカには不思議で仕方がない。しかしたとえスラりん、ピエール、ガンドフに『どうして魔物になったのか』と聞いても、彼ら自身もそのことは分からないだろう。リュカが『どうして人間になったのか』と聞かれても答えられないのと同じことだ。
仲間の三人とは違い、マーリンは明らかに人型の魔物だ。元々人間だった者が魔物と化してしまう場合も少なくはない。むしろ人間が憎しみや恨み、悲しみ苦しみなどの感情を強く持てば、魔物に変わってしまうのは恐らくそれほど難しいことではない、とリュカは思っている。様々な感情があるからこそ、魔物に一番近い存在となるのが人間なのではないか、リュカはマーリンを見ながらそんなことを考えていた。
葉っぱが半分以上落ちた木々が立ち並ぶ林の中から、スラりんがまた落ち葉をガサガサと言わせながら戻って来た。『ピーピキー』と笑顔でリュカに話しかける横で、ピエールが『良い場所を見つけたようですね、行きましょう』とパトリシアを誘導して行く。パトリシアの鞍の上に乗るべく、スラりんが地面でピョンピョン跳ねていると、ガンドフがのっそりとスラりんに大きな手を差し出し、手の平に乗るスラりんを鞍の上に乗せてやった。リュカにとっては至って普通の光景だが、この穏やかなやりとりを見ても、魔物を敵視する人間ならば恐れるばかりで、決して近づいてみようなどとは思わないだろう。
林の中に入っても、落ち葉や木々を濡らす小雨の音はほとんど変わらない。落葉した木々を見上げながら、リュカは雨宿りは望むべくもないと、夜は馬車の荷台で身体を丸めて眠ろうと考えていた。
見上げる木々も、何かをきっかけに魔物に変わってしまうこともあるのだろう。リュカは幼い時、リンゴの魔物を見たことがある。どんなものでも魔物になる可能性はあるのだと、リュカはリンゴの魔物にがぶりついていたプックルの姿を思い出しながらそう考えた。
「マーリンはどうして魔物なの?」
今まで問われたこともない質問に、マーリンは思いきり眉をひそめた。果たしてそんなことを考える人間がいるのかと、マーリンは怪訝な顔つきでリュカを見上げる。
「元々は魔物じゃなかったんでしょう」
「どうしてそう思うのじゃ」
「後ろから見たらまるで人間だし、実際僕もおじいさんだと思って声をかけたから、元々は人間だったんだろうなぁって思ったんだ」
久しく、それこそ百年以上も人間と話したことのないマーリンは、リュカの問いに、人間として生きていた昔のことを思い出そうとした。しかし自分が人間だったと言う事実はあるものの、その時の記憶は既にマーリンの中にはない。魔物として生まれ変わった時に、人間だった時の記憶は全て消えてしまったのだ。人間、動物、草、木、土、全てのものは魔物に生まれ変わると、生まれ変わる以前の記憶はなくなってしまう。魔物に生まれ変わると言うことは、そういうことだった。
「今のワシは魔物じゃ。それ以外の何者でもない」
そう言いながら、マーリンは人間に対する憎しみの感情をふと思い出した。しかしどうしてその感情が今蘇ったのかは分からなかった。生まれ変わる前の記憶と言うよりも、遠い昔に心に刻み込まれた傷が今になって疼いたという印象だ。もちろん、その傷がどうしてできたのかはもう誰にも分からない。
「考えてみたら僕もそうだった」
思いついたように呟くリュカを、マーリンは小さな切り株に腰を下ろしながら見上げた。
「僕は人間で、それ以外の何者でもない。同じことだね」
「そうじゃろうかのう」
「僕だってもしかしたら、これから魔物になる可能性だってある。元々人間だったマーリンが今は魔物になってるんだから、僕だってその可能性はあるんだよ」
「リュカ殿が魔物に? ……想像できませんね」
近くの木の根元に寄りかかりながら、ピエールが首を傾げている。それに対しスラりんは『ピィピィ』と小さな声で、『リュカも魔物だったら良かったのに』とでも言っているような残念そうな顔をしている。ガンドフは皆の会話などお構いなしに、近くの木の幹で鋭い爪をとぎ始めた。まるで熊の行動だが、ガンドフ自身、どうして爪を研いでいるのかも分かっていない様子だ。身体に刷り込まれた習性のようなものなのだろう。
「お主は魔物にはならんよ」
切り株に腰を下ろしたマーリンが木々の枝から覗く灰色の空を見上げながらそう言った。薄暗くなりかけた空には雲の隙間もなく、今晩は月も星も望めない。
「人間が嫌いなわけではなかろう」
マーリンの言葉の意味を、リュカは深く考えた。人間が嫌いかどうかなど、考えたこともなかった。今まで様々な人に助けられて生きてこられた事実がある。自分一人では生きることができないのが人間だ。父、サンチョ、ビアンカ、ヘンリー、マリア、その他にもサンタローズの村人や奴隷の時に世話になった人々、海辺の修道院で命を救ってくれたシスターたち、数え上げればキリがないほど自分を支え助けてくれた人々がいる。自分では気がつかないうちに助けてくれた人もいるだろう。今の自分があるのはそういう人たちのおかげなのだと、リュカは人間を嫌いになれるわけがないと思い至った。
リュカのそんな表情を見て、マーリンが頷いて俯いた。視線の先には雨に濡れた落ち葉が幾重にも重なり合っている。
「人間が魔物になるには人間を嫌いになる必要があるんじゃ」
マーリンはそう言いながらぽっと指先に火をつけた。その火を地面に落とすと、火は雨に濡れた木の葉に触れ、ジュッと音を立てて消えてしまった。
「お主が人間を嫌いになり、憎まない限り、魔物になることはないじゃろう」
「マーリンはどうして人間が嫌いになったの?」
口こそ悪いが、人間であるリュカと至って普通に話ができるマーリンが人間嫌いになった人間だったとは信じられない様子で、リュカは純粋にそう問いかけた。しかし魔物になる前の記憶を失っているマーリンはその問いに応えられない。ただ人間が魔物になる条件だけを知っているだけなのだ。自分がどうして魔物になったのか、マーリン自身にも分からないことだった。
「人間だった頃の記憶など、ない。気が付いたら魔物として生きていた」
「そうなんだ……。あ、でも人間が魔物になれるんだったら、魔物が人間になれるってこともあるのかな。そうしたらマーリンも人間に戻れるのかも知れないよね」
「冗談じゃない。誰が人間になぞ戻りたいものか。人間など無知で愚かで自分勝手な生き物じゃ。ワシは魔物として生を受けたことに感謝こそすれ、辛いと思ったことなどないわ」
切り株に腰掛け、俯き加減にフードを被る小さな姿は、とても魔物には見えない。秋も深まり、小雨の降る物悲しい林の中に迷い込んできた一人の老人にしかリュカには見えなかった。このままマーリンを一人にして、もしポートセルミで遭ったような野蛮な男たちに見つかりでもしたら、たちまち襲われてしまうのではないかとリュカはふと心配になった。
「人間に狙われない? ルラフェンの辺りから移って来たのも、人間が多くなってきたからなんでしょう?」
「そうなんじゃ、ヤツら、相手が魔物となると何の考えもなく襲って来るのじゃ。魔物がみな言葉も話せんような馬鹿だと思っとるんじゃろうなぁ。全く困ったものじゃ、人間というやつは」
マーリンの言葉を聞いて、リュカはマーリンの考えが自分といくらか近いのを感じた。相手が魔物だから、相手が人間だからということではなく、話が通じそうならまずは話してみればよいのだ。それを何も考えずに、ただ魔物だから人間だからと戦いを挑んでいては、分かりあえる可能性を潰してしまってもったいない。マーリンがそこまで考えているかは不明だが、リュカは自分に近い考えの魔物がいることが嬉しかった。思わず声を高めて話し続ける。
「そうだよね、言葉が話せるんだったらまずは話してみないと。何も分からないよね」
「その通りじゃ。魔物と見れば真っ先に襲いかかろうとするなど、愚の骨頂じゃ」
マーリンの言葉を聞きながら、ピエールは『リュカ殿に火を投げつけてきたのはどこの誰だったか』などとこっそり考えていた。調子の良さそうなマーリンの言葉を、ピエールはリュカの反応を静かに見守りながら黙って聞いている。
「それなら僕たちがマーリンを守るっていうのはどうかな。僕は人間だけどスラりんたちは魔物だし、マーリンも居心地がいいんじゃないかなと思うんだけど」
ピエールは小さく溜め息をつきながら、予想通りの行動に出たリュカをやはり静かに見守った。つい先ほど火の玉を顔に浴びせられた相手だと言うのに、そんなことはお構いなしにリュカはマーリンに一緒に行こうと声をかける。昨日の敵は今日の友どころの話ではない。そもそもリュカにとってマーリンが敵だったのかどうかも怪しい。マーリンの言ったようにリュカはある意味のペテン師なのかも知れないと、ピエールは思った。それが悪意のあるペテン師ならば誰もリュカに惹きつけられないが、善意から出る行動のため、思わずリュカに惹きつけられてしまうのだと、ピエールは数ヶ月前の自分を振り返った。
緑色のフードから覗くギョロリとした目がリュカを見上げる。魔物そのもののおぞましいその目をリュカは異様に思うこともなく、ただにこやかに見返している。
「一体なんなのじゃ、お主は」
魔物と行動を共にし、魔物を守ると言い出す人間を、マーリンは怪訝な目つきで見つめた。
「ワシは人間ではなく魔物じゃぞ」
「そんなの関係ないよ。僕の仲間を見れば分かるでしょ、スラりんにピエールにガンドフ。みんな魔物だよ」
自分が呼ばれたのかと、スラりんがパトリシアの鞍の上から飛び降りて、リュカの足元まで跳ねてきた。まるで人間の言葉が分かるようなスラりんの行動に、マーリンは目の前の人間とスライムの絆の深さを嫌でも感じた。相当な信頼がなければ、スライムが人間に懐き、ましてや人間の言葉を解するなど不可能なことだ。
「……ルラフェンまでじゃぞ。そこまではついて行ってやるわい」
「本当に? 助かるよ。その代わり僕たちもマーリンをちゃんと守るからね、人間からも魔物からも」
リュカの言葉に、マーリンははっと息を飲んだ。
「魔物から襲われることもあるんでしょう?」
「何故そんな風に思ったんじゃ」
「だってさっきマーリンの後ろ姿を見たら、間違いなく人間のおじいさんだと思ったから。魔物にも人間に間違えられたりするんだろうなぁって思ったんだ」
リュカの言う通り、マーリンは外を歩いていれば人間にだけではなく魔物にも狙われることがあった。緑色のローブに身を包み、背を丸めてゆっくりと歩いていると、人間の老人だと思った魔物がいきなり襲いかかってくることもあった。数年前まではそんなこともなかったが、ここ最近は何の影響かは分からないが魔物たちが凶暴化しつつあり、相手が魔物かどうかを確認しないまま襲い掛かってくることがあるのだ。マーリンはその都度必死に逃げ、いい加減身の危険を感じたため、人も魔物も住まないような場所を求めて山を登りかけていたのだった。
「たとえこの山を登っても、多分魔物はいると思うよ」
「……そうじゃろうなぁ」
「一人でそんなところに行くんだったら、僕たちと一緒にいた方が安全だと思う」
「そうかも知れんなぁ」
のんびり答えるマーリンは、既にリュカ達と話をしながらカボチ村へ一緒に歩みを進めていることにも気が付いていた。まともに話ができる人間に初めて出会い、人間を敵視することよりも興味が勝り、結果リュカと共に行動を始めている。
魔物の仲間が岩場の陰を野営場所に決め、雨に濡れていない場所に落ちている木の枝や葉を集めている姿は、リュカと呼ばれる人間と魔物の仲間たちとの絆を感じることができる。マーリンはそんな絆を築いている人間と魔物の様子を不思議そうに眺めながら、どこか羨望の眼差しを向けていた。
「誰か火を使えるやつはおるのか?」
マーリンにそう問われ、リュカとピエールは同時に声を上げた。
「そうだ、ヘンリーがいないんだった」
「我々魔物は火を使わなくとも平気ですが……しかしこれから寒い時期になると、リュカ殿が大変ですね」
「これでどうじゃ」
マーリンが集められた木の葉や枝にメラの火をぽんと投げた。初めは小さな火が徐々に大きくなり、リュカはその火の明かりの中にマーリンの穏やかな表情を見た。橙色に揺れるマーリンの顔は、パッと見たところではまるで人間そのものだった。
「守ってもらうだけでは情けないからのう。ワシも仲間として役に立ってやるわい」
「ありがとう、マーリン。これからもよろしく」
「とりあえずはルラフェンまでじゃ。それから先は……また考えようぞ」
「それで構わないよ。無理に一緒に行こうなんて思わないから。マーリンが暮らしやすそうな場所があったら、そこで留まってもいいからね」
「そんなところがあればいいがのう」
そう言いながら、マーリンは焚火の火を枝の先でいじり始めた。どこか歯切れの悪いマーリンの口調に、ピエールは恐らく今後ずっと一緒に行動するだろうと、内心確信を持っていた。徐々にリュカの魅力に惹きつけられ、というよりは、リュカを放ってはおけなくなるに違いない。どこかガンドフよりも純粋で、旅する人間としてはかなり頼りないリュカを、火をつけて自ら旅を助けるような行動を起こすマーリンが放っておけるわけがない。ピエールは良い話相手ができたと、リュカとマーリンをじっと炎の陰から見守っていた。



山間の道が続く。ポートセルミの港町を出て三日目の朝、幸い昨日降り続いていた小雨は止んでいたが、相変わらず空はどんより曇っていた。時折吹く強く冷たい風に、木の枝についている残りの葉が一枚、二枚と地面に落ちて行く。道に散在する落ち葉を馬車の車輪が踏み固めながら、リュカ達はカボチ村への道を進んでいた。
ポートセルミにいた踊り子クラリスの話によれば、ポートセルミの町から馬車で三日ほど進んだところにカボチ村があるという話だった。彼女の言う通りであれば、今日あたり村に着くはずだと、リュカは前に続く道に目を凝らした。しかしすっきり晴れない空の下、目の前の道も霞みに覆われて視界が悪く、この先に村があるのかどうかなどさっぱり分からない。リュカは人気の全くない山間の道に、少しの不安を覚えた。
「道ってこの道しかなかったよね」
馬車の車輪がガタゴトと地面を鳴らす。舗装こそされていないが、山間の道はれっきとした道で、馬車も通れるくらいに広い。昨日の雨が残り、ところどころぬかるんではいるものの、パトリシアの引く馬車は問題なく進んでいる。
「問題ないと思いますよ」
ピエールが馬車を挟んだ向こう側で返事をすると、パトリシアの鞍に乗るスラりんも『ピィ』と一声返事をした。ガンドフはと言えば、しばしば林の中へ入って行って、地面に落ちる木の実をガサガサと漁っていた。そして枯れ葉ごと木の実を集めてくると、リュカに見せてニコニコ微笑んでいた。
「これだけ人気がないとちょっと不安になるね」
「それだけに魔物は棲みやすいようですが」
ピエールの言う通り、昨夜林の中で休憩をしていたところ、近くにいた魔物に襲われた。岩場の陰に隠れていたリュカ達だが、近づいてくる魔物の気配にパトリシアがいち早く気付き、いつもは上げないような鳴き声を上げた。パトリシアの鞍の上でウトウトしていたスラりんが鞍から落ち、何事かと辺りを見渡した時、魔物は目の前まで迫っていた。ガンドフほど大きくはないが、小さくなった焚火の明かりに照らされる姿は熊のような姿だった。
マーリンが火を灯すと、その魔物は目にも眩しいような赤紫色の身体をしていた。顔を見るとまるでフクロウのようで、鋭いくちばしに、真っ赤な丸い目をギョロつかせている。手足には熊のような大きな爪があり、両手を上げてリュカ達を威嚇する。モーザと呼ばれるその魔物は、身体が大きいだけではなく、呪文も使ってきた。リュカも馴染みのあるバギの呪文が放たれると、ラインハットで新調してもらったマントが切り裂かれるのと同時に、咄嗟に構えた腕にも傷を負った。
リュカが攻撃されたのを見て、何を思ったかガンドフが突然モーザに突進していった。モーザよりも大きな体格のガンドフが体当たりすると、モーザは林の奥にまで吹っ飛んで行ってしまった。どうやらリュカが攻撃されて怒ったようだった。
他にも一見ピエールと見間違うような魔物にも遭遇した。ほとんど消えかけた焚火の火をキラリと反射する何かを見たスラりんが注意深くそちらに目を向けると、自分と同じ顔に出遭い、思わずいつもの笑顔になって気を緩めた。しかしその魔物はスライムではなく、磨きこまれた刃のような色をしたメタルライダーという魔物だった。形はピエールそっくりの、スライムの上に騎士が跨っている魔物で、その速さは異常なものがあった。マーリンの灯す火があるとは言え、月も出ない暗い夜の空気の中、メタルライダーは林の木の間を素早く移動すると、その速さにリュカはついて行けず、自ら攻撃を仕掛けることができないでいた。
メタルライダーがガンドフに襲いかかろうと地面に積もる木の葉をガサガサと散らして近づいたところ、ガンドフは大きな一つ目をギョロリと開けて、メタルライダーに熊のような腕を振り下ろした。メタルライダーの兜に命中しはしたものの、ガンドフも刃の攻撃を受け、その場でうずくまってしまった。すぐにガンドフの傷を癒し、リュカは再びメタルライダーの居場所を確認しようとしたが、その気配は林のどこにも見当たらなかった。どうやら逃げ足も速いようで、林の中をあっという間に駆けて逃げてしまったらしい。
『上の者は逃げる気はなかったようですけどね』とピエールが言ったのは、下のメタルスライムが上に跨る騎士の戦う意思とは別に、ガンドフの攻撃を受けて逃げる意思を持ってしまったからのようだ。メタルスライムは元々臆病で人前に姿を現すことはない。メタルライダーもメタルスライムのその臆病な性質を持っているのだろう。
「もうあまり魔物に遭わなければ良いのですが」
「魔物のお主が言うのもおかしな話じゃのう」
馬車の荷台に座るマーリンが、幌の中から顔を出しながらそう言った。緑色のローブに身をまとい、フードを目深に被っていると、まるで人間の老人に見える。パトリシアの鞍の上に乗るスラりんと至って普通に話をするマーリンを見て、リュカは「いいなぁ」と呟いた。
「僕だけだよ、スラりんとちゃんと話ができないのは」
「そうですか? 私にはちゃんと話をしているように見えますが」
「通じてるとは思うけど、しっかりスラりんの言葉が分かったらいいのになぁって思うよ」
「お主は人間、スラりんは魔物、言葉が通じぬのは当たり前のことじゃ。わしやピエールのような魔物の方が珍しいのじゃ。言葉が通じずとも心が通じているだけでも、本来、魔物と人間とではありえない話じゃぞ」
「そうかなぁ、みんなやってみないだけだよ。人間だ魔物だって、こだわり過ぎなんじゃないかな」
「こだわる、と言うよりも、敵対するものとしてしか考えられないのでしょうね。私もそうでしたし」
ピエールの言葉に、リュカは初めてピエールと会った時のことを思い出した。確かにピエールは初め、魔物だから、人間だからと、その考え方を基準としてリュカと対峙した。それが普通の魔物のあり方だ。ピエールは至って普通の魔物だった。
「みんな人間だったり、みんな魔物だったら問題ないのかな」
「今よりは問題もなくなるかも知れんのう。ただ人間同士だってみんななかよしこよしというわけでもなかろう」
マーリンの言葉に、リュカはポートセルミで遭った三人の暴漢を思い出した。人間でも簡単には話の通じない者もいる。人間が人間を襲うこともある。
「そんな簡単なものじゃないのか」
「むしろ魔物より人間の方が色々と面倒そうじゃがのう。無駄に頭を使いよる」
「ピキッ」
「スラりんが馬鹿にするなと怒っていますよ」
「馬鹿とは言うとらんじゃろ。むしろお前はスライムの中ではかなり利口な方じゃ」
「ピィピィ」
マーリンの率直な言葉に、スラりんは身体を揺らして喜んでいる。人間の言葉を解するだけでも、スライムの中では知能が高いに違いなかった。同じスライムでも、話しかけても全く通じないスライムがほとんどなのだ。
「人間が一番魔物に近いのかな」
リュカの呟きにも似た小さな声を、マーリンが焚火の火を枯れ枝で掻きながら静かに聞いていた。
「色々考えて、余計なことまで考えて、人間でいるのが嫌になって、魔物になっていくのかな」
リュカの呟きに、マーリンは記憶とはまた違う何かの感覚を、その身体に思い出したような気がした。
「リュカ、マモノ、キライ? ニンゲン、キライ?」
リュカの呟きの言葉を理解している様子はなかったが、近くの木の根元に腰を下ろしていたガンドフが大きな目をパチパチとさせながらそう聞いてきた。いつもは感じないようなリュカの不穏な雰囲気に、ガンドフは敏感に気付いたのだろう。
「どっちも嫌いじゃないよ」
そう言いながらリュカが笑いかけると、ガンドフも安心したように目を細めて笑顔を見せた。そして地面に落ちている木の実を拾っては口に運び始めた。
「嫌いとは思わないから、それでも戦わなきゃいけないから辛い」
「旅をする人間にとってその考え方は命取りじゃのう」
「僕もそう思う。だけど仕方ないよ、嫌いにはなれないんだから」
「リュカ殿がそう考えているから、私たちは仲間になれたのです。魔物にも話せば分かるものはいるんです……少数でしょうが」
「そうだね。おかげで色々と助かってるよ。ありがとう」
リュカはそう言うと、小さくなった焚火の火に、枝に刺した干し肉をあぶった。ラインハットを出る時に、ヘンリーが旅の食事も手配してくれ、その時にもらってきた干し肉だ。塩が効いているので、旅の食事としては格別のごちそうだ。それを一枚だけ、リュカは食べることにした。
あぶった肉の匂いが辺りに漂い、その匂いを嗅いだガンドフが思わずよだれを垂らしていた。普段は木の実や木の皮などを食しているガンドフだが、焼かれる干し肉の匂いには思わず本能的に反応してしまったらしい。
その様子を見たリュカは、枝に刺した干し肉を持ったまま立ち上がり、ガンドフに近づいて行った。そしてその枝を差し出す。
「あげるよ、ガンドフ。食べたいんだろう?」
「リュカ、タベル」
「ううん、僕は他にも食べるものがあるから大丈夫。だから、はい」
差し出された干し肉から香ばしい匂いがガンドフの鼻をつくと、ガンドフのよだれは胸の毛の上にぼたぼたと落ちた。しかしガンドフはまだ干し肉をじっと見ているだけだ。リュカはガンドフの大きな手を取って、鋭い爪の生える手に干し肉の刺さる枝を握らせてやった。するとガンドフは目を輝かせて、一気に枝ごと干し肉を食べてしまった。
「美味しい?」
リュカの『美味しい』という言葉は分からないガンドフだが、幸せそうに目を瞑って何度も肉を噛んでいるところを見ると、ガンドフにとってもこの干し肉がご馳走だということが分かる。そんなガンドフの様子を見て、リュカも満足そうに笑いかけた。
結局、その後もリュカは自分のために干し肉を出すことはなく、乾パンを少々と、ガンドフと一緒に地面の木の実をぽりぽりと食べていた。旅をしている最中は、少々の食事で済ませることに慣れている。リュカは最後に水を鉄製のカップに注いで飲むと、来る途中で決めてきた通り、先に休むと言って馬車の荷台に上がりこんで行った。リュカに続いてスラりんも荷台に飛び乗って、リュカと休憩を取る。ガンドフは近くの木の幹に背をもたれたまま、目を瞑って眠りに就くようだ。
「あやつは生きるのに苦労するのう」
焚火の火を消しながら、マーリンが馬車を見ながらそう言った。魔物であるマーリンとピエールにとって、焚火の火の明かりは必要ではない。月も星も出ていない夜でも、彼らは目が利く。
「どういうことですか」
見張りを頼まれているピエールが真っ暗な中、マーリンに目を向ける。フードに隠れたマーリンの顔は、まるで人間に見えた。
「魔物を嫌いになれんということは、人間から嫌われるかも知れんと言うことじゃ」
マーリンの言う意味が、ピエールにもすぐに分かった。その意味はピエール自身も以前から思っていたことだったからだ。
「人間にも魔物にも、変わり者はおる。しかし変わり者は村八分にされることが多い。あやつももしかしたらそういう憂き目に遭うことがあるかも知れんのう」
消えた焚火の中で、パチッとまだ火が爆ぜる音が聞こえた。ピエールはマーリンの言葉を聞きながら、たとえそのような憂き目に遭おうとも、リュカならば大丈夫だと信じていた。リュカには一生の友と呼べる男が東の国にいる。魔物の仲間にも慈愛の目を向けてくれた修道女がいる。そしてこれからも、きっと彼を理解してくれる良き人間が現れるに違いない。魔物を仲間にしてしまうということは、人間としても魅力ある人物に違いないのだ、とピエールはマーリンの言葉にも動じず、しかし心に留めておく程度には聞いておくことにした。
「まあそうなったら、あやつを魔物の世界に引きずり込んでやろうかの」
「そんな憂き目に遭っても、リュカ殿は人間を嫌いにはなりませんよ、きっと」
「……そうじゃろうな。あやつには人間だの魔物だのと言うこだわりがない。まったく変わった奴じゃわい」
恐らくルラフェン以降も旅の仲間としてついてくるであろうマーリンに、『あなたも相当変わり者ですよ』と、ピエールは心の中でこっそり笑っていた。

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