2017/12/03

人を襲わない化け物

 

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ポートセルミを出て三日目の夕方、ずっとどんよりと曇っていた空がようやく晴れた。久しぶりに現れた太陽の光に、リュカは西に沈もうとする太陽に身体を向けて光を全身に浴びた。しかし冬に近づいたこの季節の太陽はすぐに沈んでしまうだろう。まだ衣服も濡れたままの状態で、リュカはできる限り太陽の熱を吸収しようと、日向の道を歩いて行った。
時折険しかった山間の道も、今日の昼ごろからずっと平坦な道になり、夕陽に照らされ前に続く道は人の足で踏み固められ、道の先に人が住んでいることが感じられる。カボチ村はもうすぐそこなのだろうと、リュカは陽の出ているうちに村に着くべく、パトリシアの手綱をしっかりと握って進んでいた。
「村へはお主一人で行くんじゃな?」
馬車を降りてリュカの隣にやってきたマーリンがそう問い掛けると、リュカは頷いて返事をした。
「本当はみんなを連れて行きたいんだけど、そう言うわけにも行かないだろうからね」
「我々はいつも通り近くで休んでいますので、リュカ殿は村での用事をゆっくり済ませてきてください」
リュカとの旅にも慣れたピエールが、リュカの心情を汲むように穏やかな声でそう声をかける。パトリシアの鞍に乗るスラりんは「リュカのマントに隠れれば村の中にも入れるだろう」といった企むような顔つきをしているところをピエールに見つかり、咄嗟にとぼけるように顔を背けたが、ピエールにしっかりと釘を刺されていた。その様子をガンドフは大きな一つ目でキョトンと見つめている。
「ワシなら村に入ってもばれないと思うがの」
緑色のフードに隠れていて見えないが、今のマーリンの表情はスラりん以上に企むような顔つきをしているに違いないと、リュカは思わず笑った。
「そうだね、マーリンならおじいさんとして村に入れるかも」
「いいえ、それはいけません。もし見つかったらリュカ殿に迷惑がかかります」
ピシャリと言い放つピエールに、マーリンはフードの奥からじとりと目を向ける。
「頭のカタイ奴じゃのう、お主は」
「リュカ殿は村の人間に化け物退治を頼まれているんですよ。そこで我々が出て行ったら、それだけでややこしい話になります」
「じゃからバレなきゃ良い話じゃろ」
「もしバレたら、という話です。マーリン殿はただ村に入りたいだけでしょう。それは我慢してください」
「つまらんのう」
人間だった時の記憶はないが、本能的に人間の村への興味が深いのだろう。マーリンは後で一人でこっそり入ってみようかなどと考え始めていた。決して人間が好きなわけではない。ただ人間の愚かな部分を見つけて馬鹿にしたいだけなのだ。
東の空に一番星が現れた頃、道の先にゆらゆらと揺れる火の灯りが見えた。その場に留まって揺れ続ける火の灯りは、村の中で焚かれている篝火に違いない。夕陽は山の向こうに隠れ、オレンジ色の空が西に傾いて行く中、早くも焚かれている篝火は村人の警戒心をそのままに表している。
灯りに近づくにつれ、人間の生活の匂いが風に乗って漂ってきた。ちょうど夕食の準備の時間なのだろう、野菜を煮る温かな匂いが村近くまで来たリュカの鼻にも届く。
「では我々はこの辺りにいます。村での用が済んだら声をかけてください」
「いつもありがとう」
「パトリシアが目印になりますから、見失うこともないでしょう」
ちょうど村からは見えない岩場に隠れるように、ピエールはパトリシアを止めた。人間の村が近くにあると言うことは、人間が必要とする水も近くにあるはずだと、スラりんは早速川を探しにピョンピョン跳ねて行った。ガンドフは落ち葉の中に落ちている木の実を丁寧に手で掻いて見つけては食べ、その横でパトリシアは地面に敷き詰められている落ち葉をガサガサと食んでいる。リュカはその姿を見て、馬とは枯草も食べるものなのだろうかと、少し首を傾げた。普通の馬とは違う巨大なパトリシアは、食べるものも普通の馬とは違うのかも知れない。ビスタ港からポートセルミまで運ばれてきた船の中では困らないほどの量の飼葉を与えられていたパトリシアだが、今は枯れた葉や草を食べている。グルメな馬ではないことに、リュカは礼を言いながらパトリシアのたてがみを撫でた。
「マーリン、そんなに行きたいの?」
こっそりと姿を消そうとしていたマーリンの後ろ姿を見て、リュカが声をかける。
「マーリン殿、大人しく我々とここでお待ち下さい」
ピエールが咎めるような口調で言いながらマーリンに近づく。マーリンはつまらなそうな顔をして、馬車の近くへと引き返して来た。
「バレんと思うがのう」
「バレたら大変なことになる、という話です。おやめ下さい」
「ごめんね、マーリン。村の様子をちょっと見てくるから、行けそうだったら一緒に行こう」
「そうじゃな、そうするとしよう」
決して嘘はつかない素直なリュカに期待を込めて、マーリンは一度引き下がった。村人たちの様子を見てマーリンでも入れそうだったら、リュカは本当にマーリンを一緒に連れて村に入ってしまうだろう。それを見越して、ピエールは後でリュカに『決してマーリンを村に入れてはいけない』と釘をさしておこうと考えていた。



カボチ村はひっそりと静かに、山間に存在していた。東の大陸から来た商人や旅人たちがポートセルミの町を出てこのカボチ村に寄ることはめったにないだろうと、リュカは村の様子を見て改めて納得した。藁葺きの民家がまばらに建ち、商売を営むような建物は見当たらない。村のそこかしこには畑が広がっており、毎日丁寧に手入れされている様子が分かる。村に足を踏み入れ、リュカは遠くに村人の姿を目にしたが、その村人はリュカを一瞥しただけで、いそいそとどこかへ歩いて行ってしまった。
村全体が夕陽に染まる時間、村人たちは既に畑仕事を終え、それぞれの家に着いている頃だった。畑仕事を日課としている村人たちの一日は朝が早く、夜も早くに眠りに就く。しかし村の畑にはまだ人の姿があり、畑を耕したり水を撒いたりするわけでもなく、何かの作業をしているようだった。険しい表情で作業する村人に、リュカは声をかけるのを戸惑った。
「おめぇは、村のモンじゃねぇな」
後ろからの声に、リュカは後ろを振り向いた。目の前には誰もいない。すると下から再び声が聞こえた。
「こっちじゃよ、若いの」
そこには腰を折り曲げた老婆がいた。古びた杖をつき、土埃を被った丸眼鏡をかけ、つぎあてだらけの服に身を包んでいる。羽織る分厚い半纏は、彼女が若い頃から使用しているものなのではないかと思うほど擦り切れて、糸があちこちから飛び出ている。それでも中から綿が飛び出していないのは、修繕に修繕を重ねて使用し続けているからだろう。
「ここはカボチ村じゃぞ。おめぇは、旅のモンじゃねぇのか?」
「そうです。このカボチ村に用があって来たんです」
リュカは老婆に話しかけながら、改めて村の様子を見渡した。どこか郷愁を誘うのは、恐らくサンタローズの村を思わせる景色だからだろう。しかしサンタローズの村でもここまで人里離れた山奥ではなかった。カボチ村の風景は、畑と萱葺きの家が点々とあるだけだ。
村人たちの手によって耕された大きな畑には、冬に収穫の時期を迎える葉物野菜や根菜類が植わっているようだ。しかしよく見ると、ところどころ土の盛り上がったところがあり、その周りには葉物野菜がバラバラと散らばっていたりする。
「もう収穫してるんですか?」
リュカが散らばる葉物野菜を指差しながら言うと、老婆は小さく溜め息をつきながら答える。
「収穫の時期はもっと先だ。けんど、化けオオカミのせいで近頃作物が取れんでのう」
「化けオオカミ?」
「んだ。おっきなオオカミが村に来て、畑を荒らすだよ。そのせいでこれから収穫する作物が根こそぎやられちまってるだ」
「これから収穫する作物……」
「何だか鼻の利くオオカミでなぁ、一番美味そうな出来のいい作物をかじっちまうだ。困ったもんだよ」
言葉ほど困っているようには見えない老婆だが、それでも常に食べ物が不足しているのか、やせ細ってしまっている。杖に手を置き、背を丸める老婆の姿は、本来の年齢以上に年を感じさせる。
「そのオオカミは美味しいものを知ってるんですかね」
「ほんに、そうかも知れん。わしもそろそろお山に行こうかと思うとるよ」
「お山って、何ですか」
「ここからずっと西に行ったところに、湯治のできる温泉がある山奥の村があるだよ。いずれはその村に行こうとは思うとるんじゃ」
「へぇ、温泉ですか」
「まだ動けるうちに行かんとなぁ、遠いからのう」
西の夕陽を見上げる老婆の姿を見て、リュカは懐から地図を取り出した。丸めた地図をばさりと大きく広げると、老婆は掛けていた丸眼鏡を左手でかけ直した。
「これは立派な地図じゃ」
「その温泉のある山奥の村ってどこにあるんですか? 村の名前ってあるんでしょうか」
リュカは少し屈んで老婆の目線に合わせ、地図を広げて見せた。老婆は物珍しそうに大きな地図をしげしげと見つめながら、指で西の大陸をなぞって行く。その指先は西の町ルラフェンを越え、サラボナ近くで止まる。
「よくは知らんがの、この辺じゃと思う。前に村長さんちで見せてもろうた地図じゃと、その辺じゃったはずじゃ」
老婆が示す場所に、リュカは持っていた鉛筆で黒く印をつけた。どうやら名もない村らしいその場所に、「山奥の村」と書き記しておいた。
「ところでこんな田舎の村に何の用じゃ。おめえさんみたいな旅人が寄るような村じゃなかろう」 老婆に言われ、リュカはあっと声を上げた。
「そうだ、その化けオオカミを退治してくれって頼まれてカボチ村に来たんです。でも僕にその話をしてくれた人がどこにいるのか、分からないなぁ」
「そう言う話なら、村長さんちへ行けばいいだ。村長さんちはこのまま真っ直ぐ行って、南におっきな家があるだ。そこんちが村長さんちだべ」
「真っ直ぐ行って南、ですね。どうもありがとうございます」
「しっかしおめえさんが化けオオカミを退治じゃと? ほんにそんなことができるだか」
一見華奢にも見えるリュカの体格を、老婆は不躾な眼差しで頭の先から爪先まで何度も眺めて言った。
「村のみんなが困ってるんですよね。頑張りますね」
「まあ、無理はせんことじゃ。死んだらどうにもならん」
「そうですね。そうします」
老婆はまだしばらく夕陽を見ているのだろう、西の山に沈もうとしている陽の光をその皺だらけの顔に浴びながら目を細めている。リュカは眠っているかのような老婆の横顔に向かって礼を述べると、見晴らしの良い村の中を歩き進んで行った。



村長の家を見つける頃には、夕陽も山の向こうに隠れ、村は夕闇に包まれていた。暗くなり、視界の悪くなる中、村長の家の前には一際大きな松明で灯りが灯されていた。灯りに照らされている家の大きさも、今まで村の中で見てきた家とは段違いに大きく、そこが村長の家であることは、村を初めて訪ねたリュカでも一目瞭然だった。
村長の大きな家の窓からは灯りが漏れ、中から人の話し声が聞こえる。複数の人数の話し声は、少々荒々しいようにも聞こえる。それが強い方言によるものなのか、それとも本当に荒々しいものなのか、リュカにはよく分からなかった。
リュカは玄関脇の松明に照らされる扉をコンコンと叩いた。しかし中からの返事はない。大きな声での話し合いが行われている場所で、リュカのささやかなノックは到底届かなかった。
「すみません、誰かいませんかー」
中に人がいることは明白なのだが、リュカはとりあえずそう呼びかけてみた。しかしそれでも中からの返事はない。家の外から聞こえてくる人の声に、中にいる人たちは全く気がつかない。それだけ話し合いが白熱しているのだろう。リュカはその場で待ってみようかとも考えたが、終わりの見えない話し合いの様子に、思い切って扉を開けてみることにした。
静かに開けた扉に、やはり中にいる村人たちは気がつかなかった。家の中の大きなテーブルを囲って、村人が数人、互いに言いたいことを述べている。
「んじゃ、やはりポートセルミの酒場にたむろする連中に助っ人を頼むつもりだな?」
皆の意見をまとめるように発言したのが、恐らく村長だろう。頭は禿げ上がり、その代わり鼻の下には立派な髭を生やし、着るものも他の村人たちとは違い、立派な刺繍の施された半纏を着ている。年は六十前後だろうか、テーブルを囲む村人にその年齢を越える者はいないようだ。
「んだ。あすこにはなかなかウデの立つ戦士たちがおりますけん」
そう答えた青年に、リュカは見覚えがあった。彼はポートセルミでリュカに化け物退治を依頼してきた村人だ。ポートセルミでリュカと別れるなり、すぐさま村に戻り、今こうして話し合いをしているのだと、リュカは今の状況をそう読みとった。
「オラ反対だ!」
大きなテーブルをバンと叩いて立ち上がったのは、四十そこそこに見える中年の村人だ。口の周りには黒い髭が無造作に生え、長年陽の光を吸収してしなびた麦わら帽子を被り、農作業からそのままここに来たと言ったような泥のついたモンペに作業用シャツを着ている。
「村のことをどこの馬の骨かも知れねぇよそ者に頼むなんて! おおかたダマされて、礼金だけ持ってかれるのがオチだべ」
「そんなことねえだよ。オラ、ポートセルミで信用できる男に会ってきただ。そいつに礼金の半分を渡してやったから、間もなく来るはずだべ」
「なんだと、礼金を渡しちまっただか!」
「んだ、だから必ず村にやって来てくれるだ」
「おめぇはとんでもねぇ阿呆だな。そんなの、礼金を仕事の前にもらっちまったら、トンズラこくに決まってるべ」
「んなことねぇだ! ポートセルミで会った男は信用できるヤツだっただ。あの目はウソはつかねぇ」
「甘っちょろいこと抜かすでねぇ。第一、おめえ、その男の名は聞いてきたのけ?」
「名前? ……いんや、聞いてねぇ」
「阿呆にも程があるってもんだよ。名前も聞かねえでどうやって約束してきたんだべ。その男のこと、何にも知らんで口約束だけしてきたってか」
「それで十分だべ! 信用できる男なら、それで十分だっぺ!」
主に言い合いをしているのは、その青年と中年の男のようだ。他の村人たちはその二人の様子を見て、時折口を挟む程度だ。そんな村人の一人が、窓の外の夕闇に気付き、慌てて席を立った。
「んじゃ、オラは仕事があるで……」
そう言うと、リュカのいる入り口まで歩いてきた。見も知らぬ村人ではないリュカに冷たい視線を投げかけると、村人は警戒する態度を露わにして強い口調でリュカに言う。
「なんだ、あんたは?」
完全によそ者を受け付けない村人の雰囲気を感じ、リュカは思わず口ごもった。どう説明しても、目の前の村人はリュカを受け入れてくれないに違いない。
「どいてけろ!」
リュカが答えるまでもなく、村人は容赦なくリュカを押しのけて、村長の家を出て行ってしまった。もうかなり暗くなった村の中の道を、迷わず歩き去って行った。続いてぞろぞろと村長の家を出て行く村人たちも、リュカをじろじろと見るだけで、誰も話しかけようとはしない。リュカは居心地の悪い雰囲気の中、ただ入り口の横でつっ立っていた。
「お、あんたは!」
ようやくリュカの存在に気付いた村の青年が、明るい声を出してリュカに近づいてきた。
「オラだよ! ほれ、ポートセルミで」
「はい、覚えてます。約束通り、来ました」
「やっぱり来てくれただか。あんたを信用したオラの目に狂いはなかっただな。エヘン!」
得意気に胸を反らす青年は、まるで子供のように無邪気な人懐こい笑みを浮かべている。その笑顔を見ているだけで、青年が純粋に良い人なのだと、リュカには分かる。
「化け物を退治するんでしたよね。その化け物ってオオカミみたいなものなんですか?」
「オオカミだかトラだか何だかはわかんねぇ。はっきり見たヤツはいねぇんだ。なんせ夜にこっそり来るでなぁ、そんでオラたちの大事な畑を荒して行くだよ」
「夜行性なのかな。それで僕はどこに行けばいいんでしょうか」
「オラにはそういうことは良くわかんねぇ。んじゃ、詳しい話は村長さんに聞いてくんろ」
青年はそう言うと、リュカの腕をむんずと掴み、テーブルのところまで連れて行った。テーブルを囲っていた村人たちはほとんど村長の家を後にしていたが、青年と言い合いをしていた中年の男性はまだ残っている。無精髭を片手でいじりながらリュカを見る目つきは、かなり距離を感じるものだ。冷たく、鋭い。
「村長さん、この人が化け物を退治してくれる旅人さんだ。詳しい話をしてやってくんろ」
「ほう、あんたが酒場に通う助っ人の先生だべか」
決して酒場に通っていたわけではないが、リュカは話を遮らずにただ首を縦に振った。
「こんたびはどんもオラたちの頼みを引き受けてくれたそんで……。まことにすまんこってすだ」
早口の上、なまりが強く、良く聞き取れない言葉だったが、リュカは曖昧に頷いて返事をする。
「んで、退治してもらう化け物のことじゃけど……これがまんずオオカミのようなトラのようなおっとろしい化け物でしてな。どこに住んどるかは分からねぇんです」
「どこにいるか分からない? じゃあ、村に来るのを待つしかないんでしょうか」
「待っとっても、いつ現れるかは分からんのです」
「毎日来るわけじゃないんですね」
「んだ。じゃが、来ては畑を荒して、村中を歩き回ってどこかへ帰っちまうだ。ただ西の方からやってくるちゅうことだけは、皆知ってますだよ」
「西の方からですか」
リュカはそう言うと、懐から地図を取り出し、テーブルの上に広げた。大きく立派な地図に、村長も村人も目が釘付けになる。
「なんと大層な地図じゃ。こんなご立派な地図は見たことがねぇだ」
「こりゃ世界地図だべか? カボチ村はどこだべか。世界はとんでもなく広ぇんだなぁ」
リュカをスカウトした青年は目を輝かせて地図に見入っている。テーブルの端で腕組みをしている中年の男性も、気になるような視線を地図に向けている。
「カボチ村はここで、ここから西って言うと、もっと山深いところになるんですかね」
「恐らくそうじゃろうな。化け物が棲み処としとるような場所じゃけん、人が入れるのか分からんような山奥じゃと思うぞ」
「馬車で行けるところだといいんだけど」
「あんた、馬車で来とるんか。連れの方がいるのかえ?」
「はい……あ、いや、荷物が多くて、馬車で運んで行く途中なんです」
旅の仲間がいることを話せば、自ずと仲間が魔物であることが分かってしまう。化け物退治を依頼するこの村の人々に、その事実は知られてはならないと、リュカは嘘をつくことにした。
「じゃあ一人で化け物を退治しに……」
「はい、そのつもりです」
村の中に現れる化け物は、人の二倍も三倍もあるような大きな化け物だ。村長はある夜、村の中を見回っていた時にその姿を見たことがある。月明かりに照らされる大きな獣の形をした影に、二つの青い目がギラリと光ったのを、村長は身震いする気持ちで思い出した。その口には大きな牙が月明かりに光り、今にも村長に襲いかかってきそうな様子で村長をじっと見つめていた。
そんな化け物を退治するのに、今出会ったばかりの若者を向かわせようとしている。村長は深く息を吐き、その責任の重さに視線を床に落とした。
「おねげえだ、お前さまは強いんだろ? どうか西から来る化け物の巣を見つけて退治してきてくんろ!」
村人たちの生活を守るためには仕方がないと、村長は深々と頭を下げてリュカに頼みこんだ。既に前金で渡してある千五百ゴールドと、化け物退治に成功したら渡す予定の千五百ゴールド、併せて三千ゴールドは、村人たちからかき集めた大切な金だ。しかし、その金と引き替えに一人の若者を危険に追いやろうとしていることに、村長は心の中で葛藤せざるを得なかった。
「やってみます。何日かかるか分からないけど、退治できたらまた村に戻って知らせますね」
「おねげえしますだ。……じゃが危なくなったら逃げてくんろ。あんたがもし死んだら……」
「そういうことはないようにします。僕もまだ死にたくはないので」
「そうさな、そうしてけれ。ダメだったら、それまでだ。また何とかするべ」
村の長を務める人間だけあって、信用のおけそうな人だと、リュカは村長の目をじっと見て頷いた。
「今日はオラんちに泊まっていってくんろ。わざわざカボチ村まで化け物退治に来てもらったかんな、食事と寝床くれえは用意させるけん」
村長はそう言うと、二階に向かって大声で呼びかけた。
「おーい、お客さんにも食事の準備をしてけれー」
「あいよー」
二階から村長の妻と思しき女性の声が返って来た。梯子のような急な階段を慣れた足取りでとっとっと下りてくると、女性はリュカに向かって柔らかい笑みを浮かべた。
「こりゃまた男前なお客さんだ。旅の人かえ?」
「はい、そうです。東の大陸から来ました」
「へぇ、東の方から。オラはこの村から出たことがねえで、東に国があることもよう知らんでよ」
「この方が村に出る化け物を退治してくれるだ。大事なお客さんだ。テイチョーにもてなしてやってけれ」
夫にそう言われ、村長の妻は驚いたようにリュカを見つめる。
「あんたがか? 大丈夫なんけ?」
「大丈夫です。どうにか退治してきます。村の皆さんが困っているでしょうから」
「そうかい……。よその土地にはもっとすごい怪物が出てるって話も聞いただよ。あの化け物はまだ人を襲わんだけマシかも知れんがよ」
「人を襲わない?」
「ああ、そうだ、村人を襲ったことはねえだよ。ただ畑を荒すだけで、村をちょくちょく歩いてはいるが、人を見ても襲わん。ただ食べ物が欲しいだけなのかも知れんよ」
リュカはてっきりその化け物は村人も襲うような獰猛な生き物なのだと想像していた。オオカミやらトラにたとえられる化け物が、ただ畑の作物を荒すだけで満足してどこかへ帰って行ってしまうのだろうか。もしかしたら山に住む野生の動物がちょこちょこ里に下りて来て、気ままに畑の作物を漁っているだけではないのかと、リュカは化け物退治に対する気持ちを少し軽くした。
「とにかく正体を突き止めなきゃいけませんね。明日から早速探しに行ってみます」
「今日はゆっくりして行ってくんろ。大したものはねえが、大事なお客様だ、美味い物をつくるべ」
そう言いながら、女性は常に身につけている前掛けを翻して台所に向かった。村人たち皆の手がそうだが、女性の手も日々の農作業で陽に焼け、ごつごつしている。畑仕事に生きる村人たちの生活を守るためにも、リュカは早く化け物退治を成功させようと、テーブルの上に広げたままの地図に目を落とした。



村の朝は早い。まだ日の昇る前から起き出し、白い息を吐きながら畑仕事に行く準備をする。手早く朝食を済ませると、村人たちは皆自分の畑に向かって歩き出す。まだ畑の土に霜が降りるほどの寒さではないが、季節は確実に進み、日の昇る時刻はどんどん遅くなっている。
リュカは村長夫婦と共に早い朝食を済ませると、まだ山の向こうに隠れる朝日の光に浮かび上がる村の景色を、外に出て眺めていた。村長夫婦は朝食の後、そのまま畑仕事に出て行ったが、行く前に村長の妻がリュカに握り飯を持たせていた。お腹が空いたら食べろと、若者の胃袋を心配する気持ちから作ってくれたらしい。リュカはありがたく頂戴し、後で馬車にいる仲間と共に食べようと思いながら片手に持っていた。
うっすらと朝靄に包まれる村の景色の中には、既に畑仕事を始めている村人が点々といた。村全体、いたるところに畑があり、それぞれに人影が見えたが、村の中を歩くよそ者のリュカに話しかける者はいない。リュカの姿を見かけても、一瞥するだけで、すぐに興味がなさそうに畑仕事に戻ってしまう。リュカは村人の話を少し聞いてから化け物の住処を探しに行こうと思っていたが、思うように話しかけられない雰囲気に、諦めてそのまま村を出ようかと考えていた。
民家が点在する村の中を歩いて行くと、早朝にも関わらず犬と元気に走り回る少年がいた。年はまだ五、六歳ほどだろうか、畑の作物を荒され困り果てている大人たちとは対称的に、無邪気に笑顔を見せて犬と駆けまわっている。
少年はリュカを見ると、少しの警戒心も見せずに笑顔のまま近づいてきた。後ろをついてくる犬も、息を弾ませて少年の後を追いかけてくる。
「お兄ちゃん、だれ?」
誰と聞かれ、リュカはどう答えて良いものかちょっと悩んだ。商人と言う肩書を名乗ったら良いのかどうか、と考えたところで、少年が求めている答えはそんな小難しいことではないと気付いた。
「この村に化け物が出るって聞いて、その化け物を退治しに来たんだよ」
「えーっ、お兄ちゃんが? そんなことできるの?」
「うん、頑張るよ。村のみんなを助けないと行けないからね」
「ボク、そのバケモノ、見たことあるよ」
思いもよらぬ少年の言葉に、リュカは口をぽかんと開けた。
「すっごいおっきいヤツだったよ。でもボク、怖くなかった」
「怖くなかったの? 大きかったんでしょ?」
「うん。でも怖くなかったよ。なんかね、カッコよかった」
村の大人たちが大層怖がっている化け物を、少年はまるで憧れるような口調でカッコ良いと表現する。それは畑を荒され、生活に困窮するという事実とは別に、単純に見た目がカッコ良かったという、年頃の少年特有の純粋な気持ちの表れだろう。
「その化け物、夜に出たんじゃないの?」
「うん、夜にこっそり畑に出てみたんだ」
「どうしてそんなことしたの?」
「ボクも見てみたいなって思って……あ、コレ、ナイショだよ」
少年が人差指を口に当てて周りをキョロキョロするのを見て、リュカは笑いながら同じように人差指を口に当てた。
「内緒ね、分かったよ、絶対に誰にも喋らないようにするね。でもそういうことはあんまりしない方がいいよ、お父さんもお母さんも心配するよ」
いつの間にか懐いていいた犬を撫でながら、リュカはそう言った。少年と遊んでいた犬は尻尾を元気に振りながら、リュカの手をベロベロと舐めている。
「その化け物って、どんな感じだった? オオカミとかトラとか、そんな風に言われてるみたいなんだけど」
「ボクは大きな猫みたいだな~って思ったよ。おばあちゃんは化けオオカミだって言ってたけど」
少年の言葉に、リュカは昨日この村で初めて会った老婆を思い出した。あの老婆は化けオオカミのせいで作物が取れない、そう言っていた。
「おばあちゃんも見たことがあるんだね」
「どうなんだろう、村の人に聞いたんじゃないかなぁ。おばあちゃん、夜寝るの早いし」
そう話す少年の顔から、少し元気がなくなった。何かを考えこむような顔つきに、リュカは犬を撫でながら彼に問いかける。
「どうかしたの?」
「うん、最近、うちのおばあちゃん変なんだよ」
「変って、どういう風に」
「少し食べただけで、オナカがいっぱいになって、ボクにごはんをくれるんだ。病気かなぁ……」
もし少年の話すおばあちゃんが、昨日リュカが出会っていた老婆だとしたら、おそらく病気などではない。目の前の少年は、畑を荒す化け物のせいで収穫量が減り、村人たちが困窮していることを今一つ理解していないのだろう。少年の親も祖母も、子供にはちゃんとした食事をと、自分たちの食べる量を減らしているのかも知れない。
そしてこの純粋で心優しい少年に心配をかけないよう、親も祖母もそのことを分からせないようにしているのだ。リュカはそのような事情が、少年の一言で分かった気がした。
「おばあちゃんを大切にしてあげてね」
リュカにはそれしか伝えることができなかった。よそ者の自分からこの少年に、勝手に大人の事情を話すわけにもいかない。これからすくすく成長していく子供の食事の量は確保したい、その気持ちはリュカにもよく分かる。大人がひもじくなるより、子供がひもじい思いをする方が、よっぽど惨めだからだ。
リュカは少年に『化け物を退治したら知らせるね』と約束し、その場を立ち去った。少年はまだ犬と一緒に遊び続けるようだった。
山の向こうから朝日が顔を出し、カボチ村を眩しく照らしだした。民家にも畑にも暖かな日の光が届き、村全体が徐々に温まって行く。朝日を浴びる村の景色は暖かくなっていくが、それに対して村人たちはやはりよそよそしく、村の中を歩くリュカは先ほどの少年より他に話しかけられるような人を見つけられず、困っていた。
もう村を出て、仲間たちと化け物退治に出ようかと思っていた時、前に農作業中の村人の姿が見えた。リュカの倍ほどの歳の男だろうか、首から泥に汚れた布をさげ、背中には作物を入れるための大きなカゴを背負ってる。しかしそのカゴの中には何もないのだろう、いかにも軽々しく見えた。
男はリュカに気付くと、他の村人のように一瞥してすぐに立ち去るわけでもなく、警戒心を露わにする視線ではあるものの、自らリュカに近づいてきた。そして周りを気にするように視線をあちこちに向けつつも、リュカに話しかけてきた。
「あんたか、化け物退治をしてくれるっちゅう戦士さんは」
「はい、これからその住処を見つけに行くところです」
話しかけてきたこの村人が何かを知っているのだろうかと、リュカは少し期待しながら応えた。化け物に関する情報はまだ『西の方から来る』ことぐらいしか分かっていない。
「あんた、化け物退治をいくらで引き受けたんかは知らんけどよ。死んじまったらどうにもならんだぞ」
言葉だけを聞けば、リュカを心配してくれる優しい言葉なのだが、その男の言葉の雰囲気には優しさを感じるどころか、突き放した冷たさを感じた。何が起こっても自分には関係ない、というような責任から逃れたい心情が声に表れている。
「約束したんで、頑張ってやってみます」
リュカはそう言うことしかできなかった。村で出会う村人たちは、皆見えない壁を作っており、リュカにはそれを取り払うことができない。誰でも分け隔てなく話すことのできる特技を持つリュカだが、どうしてもこのカボチ村の村人とは上手く打ち解けることができないでいた。
「ま、よそ者のあんたがそこまで本気だとも思えんがよ……」
そう言うと、村人は鍬を担いだまま畑へと歩いて行ってしまった。一人でいくつもの畑を所有していると、畑仕事をしているうちにあっという間に一日が過ぎてしまうのだろう。さっさと仕事に取りかからないと、畑も生き物だ、待ってはくれない。
朝日に照らされる村の景色は、かつてのサンタローズに良く似ていた。サンタローズにも畑が沢山あり、村の人たちは朝から畑仕事に精を出していた。畑があり、山があり、木々があり、自然豊かな村の景色だけは、リュカの郷愁を誘うものだった。
しかし一方で、村人たちの雰囲気はサンタローズの人たちとは異なっていた。よそ者に対する絶対的な不信感が、村人たちの間に漂っている。ポートセルミの町で出会った村人は、恐らくこのカボチ村でも珍しいほど、外にも開けた心を持っている人なのだろう。
「化け物を退治してくれば、僕とも話してくれるようになるかな」
村人たちの生活を脅かす化け物とやらを退治できれば、村人たちのリュカを見る目も変わり、色々な話もできるかも知れない。とにかくこのままカボチ村にいても人とまともに話ができないのでは、いるだけ時間を無駄にしてしまう。村の中を見たところ、商売を営む店の姿も見当たらない。道具屋も武器屋も防具屋も、村人たちが村での生活をするには特に必要のないものなのかも知れない。
サンタローズの村の景色と似ているカボチ村で冷遇を受けるのは、思いも寄らぬ心のダメージを負うのだと、リュカはカボチ村の風景を振り返りながら気がついた。このままこの村を去るのではあまりにも寂しいと、リュカは早々に化け物の住処を探しに行こうと、村の外に止めてある馬車まで足早に向かった。

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