2017/12/03

消せない偏見

 

この記事を書いている人 - WRITER -

高い空から日差しが降り注ぎ、深まる秋の寒さを和らげる。青く澄んだ空には薄雲がたなびき、鳥の鳴き声が爽やかに響く。西の洞窟を出てカボチ村へ戻る途中、ずっと空は晴れ渡り、リュカの心も久しぶりに晴れやかだった。
カボチ村の村人からは、村の畑を荒らす化け物の退治を依頼されていた。夜な夜な村に入り、村の畑を荒らす化け物を、リュカも退治するつもりで魔物の仲間と化け物の棲み処を探した。人間の村に入っても人を襲うことはないと言うその化け物がどんなものなのか興味を持ちつつも、村人との約束を果たすために、化け物の棲み処を見つけ、数時間かけて探索した。
今、リュカの隣を歩くのは、いかにも人を襲いそうな鋭い牙と爪を持つ、キラータイガーだ。カボチ村の村人から依頼されて探していた、村を襲う化け物は、かつて幼い頃に共に行動していたプックルだった。村の畑を襲いはするものの、村の人々を襲うことがなかったのは、プックルが成長しても人間を敵と思っていなかったからだろう。夜に姿を現していたのは、単にプックルが夜行性だったからであって、夜な夜な人間を襲おうなどとは微塵も思っていなかった。
リュカがプックルを撫でると、プックルは気持ちよさそうに目を細め、リュカに頭を摺り寄せてくる。パトリシアの背に乗りながらそれを見ていたスラりんが、少し寂しそうに「ピー」と声を出すと、リュカはスラりんに手を伸ばして「おいで」と声をかけた。スラりんはどこか決まり悪そうに身体を回転させると、ゆっくりとリュカの手に乗って、そして肩の上に乗った。リュカにとっては、プックルもスラりんも、ピエールもガンドフもマーリンも、皆同じ仲間だ。そこに優劣などない。ただ、プックルが一番早くに出会っていたというだけだ。
「カボチ村の人もきっと分かってくれるよ、プックルは悪い子じゃないって」
リュカの手に撫でられ、大きな頭を下げるプックルは、凶暴なキラータイガーの姿ではなく、ただの人懐こい大きな猫のようだ。しかしそう思うのはリュカだけで、他の人間から見ればやはり、プックルは獰猛なキラータイガーにしか見えない。リュカに懐いてじゃれるように大きな口を開ける姿は、多くの人間が恐れ戦くような魔物の姿だ。
「プックルを連れて村の中に入るおつもりですか?」
「うん。そうしないと、村の人たちに説明できないからね」
「退治したわけでもないし、追い払ったわけでもないからのう。プックルを見せんことには、正直な話はできんじゃろうなぁ」
相変わらず馬車の荷台に乗りながら、のんびりとマーリンが話す。ピエールの緑スライムは、マーリンのどこか他人事のような口調に、顔をしかめている。
「果たして分かってくれるでしょうか」
「村の人たちも悪い人たちじゃないから、きっと分かってくれると思う。魔物だって悪い子ばかりじゃないんだって」
リュカの胸は期待に膨らんでいた。村の畑を荒らしていた化け物が、実はかつての戦友だったということを村人に話すと想像しただけで、リュカはどこか誇らしい気持ちになっていた。成長してこんなにもカッコよくなってしまったプックルが再び仲間になったということで、リュカは無邪気な少年のように、誰かに自慢したい気持ちにさえなっていた。
「そうだ、みんなも一緒に村に入ろうか。村の人たちに『魔物だって悪いだけじゃない』って、分かってもらえるかも知れないよ」
リュカの言葉に真っ先に喜んだのはスラりんだ。スラりんはいつでもリュカと共に人間の村や町に入りたいと思っている。人間の生活に興味津々なのだ。リュカの肩の上で小躍りするように跳ねている。
「リュカ殿、それは止めておきましょう」
喜んでいたスラりんの弾む心を抑えつけるようなピエールの声が飛んできた。スラりんが「ピー」と抗議の声をあげる。
「化け物退治を頼まれたお主が、魔物の仲間をぞろぞろと連れて村を歩くのは……どうじゃろうな」
はっきりとピエールの意見に賛成とは言わないながらも、マーリンもピエールと同じようなニュアンスでリュカに話しかける。スラりんは不満な顔つきで二人を見るが、リュカは彼らの冷静な言葉を聞いて、もう一度プックルを見た。青く澄んだ瞳をリュカに向け、大きな口を開けて大きな牙を見せるプックル。確かにリュカ以外の人間から見れば、かなり恐ろしい顔つきをしているのかも知れないと、リュカは落ち着いてプックルを見ることができた。プックルの泣き声も、リュカにとっては「にゃあ」と聞こえるものが、他の人間が聞けば、獰猛な獣の泣き声にしか聞こえないのかも知れない。
そしてプックルの他にもスラりん、ピエール、マーリンはまだどうにかなるとして、ガンドフを村の中に連れて行くのは、それだけで恐れられる可能性が高くなる。客観的に見れば、虎と熊を人間の村の中に連れて行くということだ。村人たちはガンドフの姿を見ただけで、話す余地なく逃げて行ってしまうのではないかと、リュカは大きなガンドフを見上げながらそう思った。当のガンドフは、大きな一つ目をぱちくりさせて、首を傾げている。
「分かったよ。でもプックルは連れて行かないと話ができないから、村の中に連れて行くね」
「話を聞いてくれると良いですね」
「きっと聞いてくれるよ。それで、前金でもらっちゃったお金も返してくる。結局退治してないからね」
「律義じゃのう。そんなもの、もらってしまえば良かろう」
「そういうわけには行かないよ。約束と違うことをしちゃってるから」
もうカボチ村は目の前に見えていた。高い空から晩秋の日差しが降り注ぐ。畑仕事と共に生きるカボチ村の人々は、既に畑での一仕事を終えている時間帯だ。昨夜は村に化け物は出なかったはずだから、畑が荒らされていることもない。村人たちはいつもよりいくらか穏やかな時を過ごしているのではないかと、リュカは外から村の様子を眺めた。リュカの横にはプックルが、「この村に何か用事なのか?」と言った様子で、リュカを見上げながら赤い尻尾をゆらゆらさせている。
「さあ、行こう、プックル。お前のことを村の人たちに話しに行くよ」
「がう」
リュカと共に人間の村に入ることは、プックルにとって特別なことではない。幼い頃、リュカとプックルはサンタローズの村やアルカパの町、ラインハット城にまで入ったことがある。二人とも、当時と同じ感覚で、平然とカボチ村へと入って行く。しかしその姿を後ろから見ていたピエールとマーリンは、リュカの隣を歩く巨大な虎の魔物の姿に、不安を覚えざるを得なかった。



カボチ村では、畑に出ている村人たちが久々に爽やかな朝を迎えていた。吐く息は白くなってきたが、村人たちはそんな寒さなど感じていない。それよりも、今朝は荒らされていない畑の様子に喜びを露わにしていた。
野良仕事がひと段落した村人たちは、村の道で行き交うと、互いに化け物退治を依頼した旅人の話を持ち出した。そしてその旅人が上手いこと化け物を退治したから、今朝は畑が荒らされなかったんだろうと、口々に噂しながら旅人の帰りを待ちわびていた。
村の入り口に様子を見に来ていた中年の村人が、カボチ村に向かってくる旅人の姿を見つけた。紫色のターバンにマント、見間違いようもない異国の雰囲気に包まれる旅人の姿に、中年の村人は思わず笑顔になった。
しかし旅人の青年の横に、明らかに人間ではない生き物が連れだって歩いている。旅の移動に使われるような馬ではない。青年より背は高くないものの、身体の大きさは青年よりも一回りも二回りも大きい。村人は思わず目を擦って、もう一度村に向かって来る青年とその生き物を見た。晴れた日差しを全身に浴びながら近づいてくる虎のような化け物の姿に、村人は「ひっ」と息を呑んだ。 そんな村人の異変には気付かないリュカは、村の入り口に人の影を見ると、大きく手を振った。手を振り返すでもなく、ただその場で硬直して動かない村人の姿に、リュカではなく、隣を歩くプックルが不安そうに一声「フニャー……」と鳴いた。
「大丈夫だよ、プックル。話をすればきっと分かってくれるから」
「ゴロゴロゴロ……」
カボチ村に来るのには慣れているはずのプックルだが、お日様が出る昼間に来るのはかなり久しぶりのことだった。何度か昼間に村に入ったことはあるが、その都度ひどく追い払われたため、プックルにとって昼のカボチ村は怖い印象があった。その証拠に、いつもはゆらゆらと揺らしている尻尾が、下がり気味になっている。
だが、プックルのそんな様子に気がつくのは、リュカだけだ。村の入り口で旅人が連れる化け物を見た村人が、化け物が村を怖がっていることなど想像もつかない。リュカの隣で恐々と村の様子を窺うプックルは、村人にとってはこれから村を襲おうとしている獰猛なキラーパンサーにしか見えない。
「そ、その化け物はっ! ひえ~、命だけはお助けをっ!」
リュカが声をかける以前に、中年の村人は口の中に隠しきれない鋭い牙を持つ化け物の姿に、悲鳴を上げて村の中へと走り去ってしまった。村の入り口近くで、リュカが戻ってくるのを待っていた村人は他にもいたが、リュカが話しかけようとしても、皆逃げてしまったり、持っている鍬や鋤を震える手で向けてきたりで、まるで話にならない状況だ。予想外に困難な展開に、リュカは村の中で腕組みをしてしばし立ち尽くした。プックルもリュカの影に隠れるようにして身を小さくしている。とは言っても、村の中を窺うようなその表情が、村人にとっては「さて、誰から襲ってやろうか」というように見えてしまう。キラーパンサーであるプックルがどれだけ身を縮こまらせても、カボチ村の人たちには村を荒らす化け物でしかないのかも知れない。
「話ができないんじゃどうしようもないな。とにかく、村長さんのところに行ってみよう」
化け物退治を依頼したのは、カボチ村の村長だ。彼に話をしない限りは、何事も始まらないし、何も終わらない。遠巻きにリュカ達を見る村人の視線は、今のリュカの言葉を一切受け付けない。リュカは村の真ん中を通りながら、黙々と村長の家を目指して歩いて行った。
途中、犬の吠え声が聞こえ、プックルが耳をぴくりと動かして止まった。プックルが怖がって村を出ようとしているのかと思ったリュカは、プックルの頭を撫でて宥めてやった。しかしプックルは怖がっている様子ではない。ただ、犬の吠え声に反応し、犬の姿を見つけて、何故だか尻尾をゆらゆらとさせている。
犬を追いかけてきた少年が、犬がプックルに向かって吠えているのを見て、口をあんぐり開けた。吠えている犬も、どういうわけだかプックルを怖がる様子は見せず、興奮した様子で尻尾を振っている。
「うわー! お兄ちゃん、あの化け物をペットにしたの!?」
初めてカボチ村を訪れた時に出会った少年だった。あの時も犬と追いかけっこをして遊んでいたと、リュカは少年のことを思い出した。
「ペット……うーん、ペットじゃなくて、仲間なんだ」
「仲間って、旅の仲間? 一緒にマモノと戦うの?」
「そうだよ。僕が君くらいの時に、いつも一緒に戦ってくれたんだ」
そう言いながら少年を見るリュカは、ふとあることに気がついた。少年はいつも犬を連れて遊んでいるようだ。リュカと同じ黒髪に、黒い目をしている。リュカが連れるキラーパンサーを見ても、驚きはしたものの、他の村人たちのように逃げることはせずに、ただ純粋にまじまじと見つめている。恐怖を感じるよりも、興味が断然勝っているのだ。横を見れば、プックルは少年が連れる犬に挨拶を済ませていた。どうも初対面ではなさそうな雰囲気だ。
「プックル、そういうことなの?」
「にゃあ」
少年はリュカとは似ても似つかない。しかし背格好や年、少年の純粋さ、それにいつも犬を連れて遊んでいる姿が、当時のリュカと重なったに違いない。プックルはサンタローズ村ではなく、カボチ村に住むこの少年に近づきたいために、村への出入りをしていたのだ。村の畑を荒らしてしまったのは、むしろついでにしたことだった。
「お兄ちゃんってもしかしてモンスター使いなの?」
「モンスター使い?」
「そういう人がいるって、ボク聞いたことがあるんだ。だからボクもなれるように、練習してるんだよ」
少年はそう言いながら、いつも一緒に遊んでいる犬に向かって「すわれ!」と命令した。すると命令された犬は途端に雰囲気を変えて、少年の言う通りその場できちっと地面に座った。少年が首を撫でて褒めてやると、犬は笑顔のような顔をして舌を出して尻尾を振っている。しかし続けて少年が「お手!」と言っても、犬は知らんぷりをして、変わらず舌を出したまま座っているだけだ。まだ「すわれ!」以外の言葉はよく分かっていないらしい。
「お兄ちゃんはもっと上手にできる?」
「うーん、どうだろう。プックル、やってくれる?」
「がう」
どこか不満そうなプックルだったが、リュカが「座れ」と言うと、すんなりと座って見せ、「お手」と言って手を差し出すと、鋭い爪を引っ込めてリュカの手の上に前足を乗せた。まるで輝くような目をして見る少年の期待に、リュカは応えてやらねばと、続けて「回れ」とプックルに言うと、プックルはリュカと少年と犬の周りを大きく回って見せた。自分よりも遥かに大きいキラーパンサーという凶暴な魔物がのっしのっしと歩いて回る姿を見て、少年は興奮した様子で手を叩いた。
「すごいや、すごいや! お兄ちゃんはやっぱりモンスター使いなんだね」
「そうなのかな」
「そうだよ。ねぇ、ボクもさわっても大丈夫かな」
「うん、大丈夫だよ。プックル、頭を下げてあげて」
リュカがプックルの頭に手を乗せると、プックルはすんなりと頭を下げた。それを見ても少年は感動したように顔を輝かせる。そしてプックルの頭にその小さな手を乗せようとした時、遠くで女性の悲鳴が上がった。
「なっ、ななっ、何をしてるの!?」
「あっ、お母さんだ」
そう言いながら少年が母親に向かって大きく手を振る。しかし母親はそれどころではない。少年など一飲みにしてしまいそうなほど大きな虎の化け物を目にして、母親は血の気を失っている。
「こ、こっちへいらっしゃい!」
「大丈夫だよ、お母さん。こいつはお兄ちゃんの……」
「大丈夫なわけないでしょ! 早くこっちへ来ないと食べられちゃうわよ!」
見たこともない母親の必死な形相に、少年はプックルに触ることなく、そのまま母親の元へと歩き出した。息子が無事に戻ってきて安心した母親は、その場で崩れるようにして地面に膝を着くと、息子を抱きしめて涙を流した。
「ああ、良かった、無事で……」
「ボク、ちょっとだけさわってみたかっ……」
「ちょっと、あなた! 私の息子になんてことをさせるの!」
声は震え、全く余裕のない母親の表情に、リュカは何も言い返すことができなかった。息子を抱きしめ、絶対に危険な目には遭わせまいとする母親の愛情に、リュカは一人寂しい気持ちを抱いた。そんなリュカの手を、プックルがベロンと舐める。
「……ありがとう、プックル」
小声で礼を言うリュカの背中を、プックルが大きな尻尾でバシンと叩く。リュカにとっては思いやりさえ感じるプックルの行動だが、見ていた村人たちはその些細な動作にさえどよめき、退いてしまう。
この場にいる村人たちと話をすることは不可能だと、リュカは再び村長の家を目指して歩き出した。リュカとプックルが行く道を、村人たちは鍬や鋤を構えて警戒しつつも、襲い掛かってくる者はいない。それほどに、プックルの外見が恐ろしいのだ。
リュカは今一度振り返って、少年にだけ挨拶をしようと思ったが、母親に守られる少年を見るのが辛く、結局後ろを振り返ることはできなかった。畑に囲まれるようなカボチ村の道を、リュカはプックルを連れてとぼとぼと歩いて行く。
しばらく歩くと、農具などがしまわれている作業場が見えた。ちょうど作業場から出てきた村人が、リュカの姿を見るなり、立ち止まってじろじろと見つめてきた。プックルを見ても逃げたり警戒したりしない村人の姿に、リュカは少しは話ができるだろうかと、近づいて行った。
「おったまげただ~!!」
まだ年若い青年の村人だ。プックルを見ても怖がる様子はさほどなく、むしろ興味を持ってじっと見ている。ただ単に魔物に対する警戒心が薄いだけなのかも知れない。
「あんた、トラの化け物と知り合いだって言うでないかい」
青年は麦わら帽の下に微笑を浮かべてリュカに言う。青年のその態度は、リュカを安心させるどころか、むしろ不安に陥れた。全く親しみを感じず、まるで他人事にこの状況を楽しんでいる雰囲気を感じた。
「あんたたちが親しそうに歩いてたって、村のもんが見て村長さんに報告したべよ」
カボチ村に足を踏み入れたのは、これで二度目だ。カボチ村の村人にとって、リュカは紛れもない余所者だ。初めてこの村を訪れた時から、どこか近づきがたい雰囲気を感じていた。しかし幼い頃にいたサンタローズの村を思い出し、いずれはカボチ村の人々とも話ができるようになるのだろうと、どこか期待していた。
プックルと親しそうに歩いていたと言うのは事実だが、それが村人の目にどう映っているのか、リュカにも想像できた。先ほど出会った少年のように、モンスター使いだと、どこか羨ましいというような目で見ているわけがない。恐らくとんでもない変わり者だと思われているのだろう。ほとんど余所者の出入りのないこのカボチ村では、リュカのような旅人というだけで奇異な目で見られるのは当然で、その旅人が化け物を連れて村の中に入るというのは、決定的に村人と余所者との距離を遠ざけてしまっているに違いない。
しかしそれでも、リュカはまだ望みを捨てていなかった。化け物退治の依頼をしてきた村長に話をして、分かってもらえれば、恐らく村人たちとも話ができるようになるだろう。幼い頃、父やサンチョと住んでいたサンタローズの村も、このカボチ村と同じように余所者に対してはどこか警戒する雰囲気があったはずだ。村の入り口には必ず村を守る門番がいた。それは余所者に対する村の警戒の現れだったに違いない。
再び歩き出したリュカの姿を、畑で野良仕事をしている村人が目を丸くして遠くから眺めている。リュカの隣を歩くプックルがひとたび振り向くと、村人は手にしている鍬を震える手で構えて、プックルを警戒する。リュカはそんなカボチ村の人々の姿を目にしながらも、兎にも角にも村長の家を目指して静かに歩き続けた。
村長の家が見えてくると、リュカは思わず足を速めた。リュカに合わせて、プックルの足取りもとっとっと地面を蹴る。村長の家の手前にも広大な畑があり、そこでも村人がせっせと農作業をしていた。何も視界を遮るものがないため、リュカとプックルの姿は常に村人たちの視線に晒される。麦わら帽を被り、寒くなってきたこの季節に汗を垂らして農作業をする村人は、リュカとキラータイガーの姿を見ると、麦わら帽の広いツバから冷たい視線を投げてきた。
「よく戻ってこれたもんずら」
言葉だけ聞けば、村人がリュカを心配してかけてくれた言葉に聞こえないこともない。しかし、その声の調子に、リュカを労わる雰囲気は全くない。
「どうやってその化け物を手懐けたんだべ?」
よく見ると、その村人は初めて会った者ではなかった。リュカが初めてカボチ村を訪れ、村長の家の前で様子を窺っていた時、家の入り口でリュカを突き飛ばしてきた村人だった。村人の方ももちろんリュカを覚えており、初めからリュカに対して良い印象を持ち合わせていない村人は、ただただリュカを糾弾する言葉を探している。
「僕の仲間なんです。もう十年以上会ってなくて、久々にこんなところで……」
「わはははは! こりゃまた傑作だべ!」
急に笑い出した村人に、リュカは続く言葉を失った。何も面白いことは言っていないはずだが、村人は大口を開けて笑っている。
「あんた、化け物とグルだったとはな! あんたもうまい商売を考えたずらよ」
目の前の村人が一体何のことを言っているのか、すぐには分からなかった。ただその笑いに、一つも良い響きがないのは、リュカにもすぐに分かった。
「とにかく、残りの礼金をもらったら、とっとと村を出て行ってくんろよ」
「違います、僕はそんなことをしたんじゃ……」
「うるせぇ! オラたちのことを馬鹿にしやがって……相手が田舎モンだって、そんな商売を考えたんだべ? まんまと引っかかって、さぞかし気持ち良かったんじゃねぇのか?」
「そんなこと、考えたこともありません」
「ふん。おめぇみてぇなスカした顔した奴が、一番信用しちゃならねぇって分かっただよ。とにかく、もう二度とカボチ村には来るんじゃねぇぞ」
村人はそう言い放つと、首に巻いてある手ぬぐいで顔の汗を拭き、再び野良仕事に戻った。リュカの手が少し震えているのを見て、プックルが村人に対して低い唸り声を上げる。プックルの口から鋭い牙が剥き出しになっているのを見て、リュカは慌ててプックルの頭を撫でた。
「大丈夫だよ、プックル。とにかく、村長さんのところに行こう」
空にたなびいていた薄雲はすっかり晴れ、青く澄んだ空には眩しい太陽がさんさんと輝くだけだ。深まる秋の冷たい空気の中でも、変わらず照らし続けてくれる太陽の光に、リュカはカボチ村を治める村長ならきっと話を聞いてくれると、希望を持ち続けていた。



村長の家の前まで来ると、中から人の話し声が聞こえた。村人が数人、村長の家にいるようだ。リュカが家の前に立つと、家の中からの話し声がぴたりと止んだ。家の窓からリュカの姿が見えていた。
「お邪魔します」
リュカはプックルを村長の家の前に待たせて、一人、家の中へと入って行った。しかし扉を開けたままにし、家の中からもプックルの姿が見えるようにした。村長の家に集まっていた村人たちは一様に、扉の前で座って待っているキラータイガーの姿に青ざめている。
村長の家の大きなテーブルを囲む村人の中に、ポートセルミでリュカに声をかけてきた青年の姿があった。首に紐をひっかけ、背中に麦わら帽をさげている青年の表情は、明らかに元気がない。日々、畑仕事に精を出し、日に焼けて健康的なはずの顔色も、今は土気色に見える。
「話は聞いただ……。あんたは化け物とグルだったんだってな」
村長の家に向かう途中、村人の一人から聞いていた。リュカとプックルがグルになって村から金を騙し取ったのだと、彼はそう言ってリュカを嘲り笑った。その話は、恐らくこの場にいる村人の誰かが、村長や他の村人に伝えたのだろう。
村人たちの結束は強い。余所者であるリュカが村人たちを信用させるには、かなりの説得力が必要だ。しかしそれは、村人たちがリュカの話を聞いてくれる余地がある時だけだ。リュカは青年の顔を見て言葉をかけようとしたが、何をどう話したら良いのか、途端に分からなくなってしまった。
「あんたを信用したオラがバカだっただよ」
ポートセルミで会った時は、一も二もなく、即座にリュカを信用し、化け物退治を依頼してきたような青年だ。人を信じるということにおいては、恐らくリュカよりももっと純粋で素直な青年に違いない。しかし裏を返せば、一度信用した人間に裏切られたら、もう二度とその人間を信用はしないだろう。青年は信用する村人から、「あの旅人は化け物とグルだった」と聞かされ、それで自分は旅人に騙されたのだと思い込んでいる。村を代表してポートセルミまで行き、化け物退治の戦士をスカウトしてきた身として、彼は相当に落ち込んでいるのだ。
リュカは青年の前で、視線を落とした。今の青年にかけるべき言葉が見つからず、リュカは口を引き結んだ。何を言っても、リュカを疑心の目で見る村人たちの前では、嘘の言葉に聞こえてしまうだろう。
そんなリュカの様子に気付いたのか、村長の家の前で待っていたプックルが、のしのしと家の中へと入り込んできてしまった。家の中に集まっていた村人たちは各々悲鳴を上げたり、慌てて家を飛び出して逃げ出したりしてしまう。プックルは村人たちの混乱などものともせず、リュカの所まで来ると、足にすり寄る。
「プックル、ダメじゃないか、外で待っててくれないと……」
「クオ~ン……」
リュカが背中を撫でてやると、プックルは目を細めてその場でじっと立ち尽くす。そんな人間と魔物の様子を見て、村人たちは今まで以上にリュカを冷たい視線で見つめた。
落ちついたプックルの背に手を乗せたまま、リュカはまだ椅子にどっしりと座っている村長を見た。プックルを見ても、特に動じることはない。キラータイガーという凶暴な魔物だが、その魔物がすっかりリュカに懐いていることを、村長はすぐに悟ったようだ。
「わかってるだ。なーーーんにも言うな」
村長はのんびりした口調で、リュカにそう言った。
「金はやるだ。約束だかんな」
村長の落ちついた態度に安心したリュカだったが、彼の話す言葉に、リュカは違和感を覚えた。
「お金はいりません。僕は偶然昔の友達に会っただけで、化け物を退治したわけでもないので……」
むしろリュカが礼を言いたいくらいだった。ポートセルミで話を持ちかけられ、化け物退治の仕事を請け負わなければ、こうしてプックルと再会することはできなかった。プックルとの再会には運命的なものも大いに感じるが、リュカは天に与えられた運命と言うものを、信じていない。あくまでも色々な人の力が合わさって、こうしてプックルと再会できたのだと、村長に説明したかった。
しかしそれを話すには、リュカの幼い時の話から始めなくてはならない。プックルとどのようにして出会ったのか、どれだけ行動を共にしてきたのか。人間と魔物が相容れない存在だと思い込んでいるカボチ村の人に分かってもらうには、一体どこから話せば良いのか、リュカはしばし考えこんだ。
「また化け物をけしかけられても困るだし……」
「けしかけるだなんて、そんなことしていません」
心外なことを言われ、思わず語気が荒くなったリュカの様子に、プックルが応戦するような吠え声を上げた。すると、それが「リュカの指示による威嚇」と取られ、村長は椅子から立ち上がって、一歩退いた。
「プックル、吠えちゃダメだろ。みんな怖がっちゃうから」
「グルルル……」
「よくできた芸ずら。どうやってそんなおっかねぇ化け物に芸を仕込んだんだか」
「芸なんかじゃありません。こいつは僕の友達で……」
「がううっ」
「ひいいい~!」
プックルが牙を見せながら、後ろ足で立ち上がると、村長の家の中に残っていた村人たちは悲鳴を上げて出入り口から逃げ出してしまった。村長も椅子を立ち、今にも逃げ出しそうな及び腰になっているが、どうにかその場に踏みとどまっている。そして机の上に置いてあった重そうな袋をむんずと掴みあげると、リュカに近づくことなく、投げ渡した。重みのせいで袋はリュカに届かず、足元にどさりと落ちる。
「と、とにかく、金はやるだ」
村長が震える手で床に落ちた袋を指差す。リュカは足元に落ちた千五百ゴールドの入った袋を、ただ無表情に見つめた。それはこの村の多くの人々からかき集めた、化け物退治のための報酬の金だ。決して裕福な暮らしぶりではないカボチ村の人々が、村に現れる化け物を退治してくれる人に託そうとした、貴重な金だった。リュカは足元に落ちたその袋を、拾い上げる気にはならなかった。
「もう用は済んだろ。とっとと村を出て行ってくんろっ」
村長は手でリュカを追い払うように、この家から、村から出て行けと言う。家の中に残っていた数人の村人も、リュカとプックルからなるべく離れて、煙たい目で彼らを見ている。人間と魔物は全く違う存在なのだと信じて疑わないカボチ村の人々に、リュカは今や自分とプックルのことを説明する気力を失ってしまった。何をどう説明しても、彼らの心の中に「人間は善、魔物は悪」という確固とした概念がある以上、聞き入れてもらえないに違いない。
「プックル、行こう」
村長の家の周りには、村人たちがまだ残っていた。リュカがプックルを連れて家の中から出てくると、村人たちは各々余所者に対する冷たい目を、容赦なくリュカに向けてきた。村人のなかには、リュカに罵声を浴びせる者もいる。しかしリュカはそれに反論することもなく、ただ力なく村長の家を離れて行った。
すぐにも村を出たいと思ったリュカは、村の入り口に向かうのは止め、村長の家の裏から村を出てしまおうと、東に向かった。少し歩くと、村人たちの姿はぽつりぽつりとあるのみで、ほとんどが農作業に戻ったようだ。カボチ村の人々も、毎日が農作業に追われ、休みのない日々を送っている。リュカはほっとした様子で、プックルと共に村を出ようと足を速める。
「旅人さん」
もうカボチ村の人とは話すこともないだろうと思っていたリュカだが、突然後ろから呼びかけられ、少し警戒しながら振り返った。
そこには、カボチ村を訪れた時に世話になった村長の妻の姿があった。リュカが村長の家を去った後、しばらくしてから彼女は走ってリュカを追いかけて来たらしい。その手には先ほどリュカが拾わずに置いてきた、金の入った袋が握られていた。
「忘れもんだよ」
野良仕事や台所仕事で分厚くなった両手で握った袋を、リュカに差し出す。しかしリュカは首を横に振ってそれを拒んだ。
「いいえ、僕は化け物を退治したわけではないので、皆さんとの約束は果たしていません」
「あんた、ずいぶんとひどい人に思われたみたいだな」
恐らく村長の家の二階にいた彼女は、下で起きていた騒ぎを聞いていたのだろう。リュカに浴びせる村人の罵声も聞いているはずだ。
「けど、あたしにはわかるだよ。あんたはそんな人じゃねぇ」
言葉以上に優しい女性の声に、リュカはゆっくりと顔を上げた。日に焼けて、年齢以上の年に見える村長の妻の顔には、刻まれた皺とともに、柔らかい笑みが浮かんでいた。
リュカの隣には、村人たちが恐れて近づかないキラーパンサーのプックルがいる。しかし村長の妻はプックルを一度見はしたものの、特に怖がる様子もなく、リュカに近寄って来た。そしてリュカの手を掴んで、その手に金の入った袋を渡す。プックルは赤い尾をゆっくりと振りながら、女性を見つめている。
「これは村の皆さんに返して下さい。……そうだ、僕は前金ももらってたんだ」
「いらねぇよ。化け物は退治しなかったけんど、とにかくあんたのおかげでまたみんな畑仕事に精を出せるだ。約束は守ってもらったも同然だべ」
「でも村の皆さんはそうは思っていないでしょう」
「そうかも知れねぇが、村の畑を救ってくれたのは間違いねぇべ。あんたはこれからも旅を続けるんだろ? その金はあんたの旅に役立ててくんろ」
リュカは袋に入った金の重みに、心がキリキリと痛んだ。村人たちの思いを考えれば、もう二度と村の畑を荒らされないようにと、化け物を退治してやるべきだった。それが化け物と連れだって再び村に訪れ、「魔物でも悪いばかりじゃない」などと説明する気でいた自分の浅はかさに、リュカは歯噛みする思いだった。もし自分がカボチ村の人だったらと想像すると、化け物退治を依頼した人間が、化け物と仲良く帰ってきたりなどしたら、やはり不審な目で見てしまうかもしれない。相手の心に寄りそうことを忘れていた自分に、リュカは恥ずかしさすら感じる思いだった。
「あたしだけでも礼を言わせてくんろ。ありがとう。あんたは村の恩人だべさ」
素直な礼の言葉に、リュカは思わず鼻の奥がツンとするのを感じた。村長の妻は、ただ一度村長の家に泊まり、世話をしたほとんど見ず知らずの旅人に、何の偏見もなく礼を述べてくれる。先ほどまで村人たちの冷たい視線や背中に浴びせられる心ない言葉に、心が折れそうになっていたリュカだったが、女性のたった一言の礼の言葉で、全てが忘れられそうなほど心が救われる思いだった。
「……どうもありがとうございます」
「なんであんたが礼を言うんだべ? おかしな旅人さんだ」
にこやかに言う女性は、リュカが頭を下げたのと同時に、プックルも頭を下に下げたのを見て、その場で飛び上がった。どうやらやはり、プックルが怖いようだ。
「しっかしそんなおっとろしい化け物、よく手懐けたもんだぁ」
「僕の小さい頃からの友達なんです」
「へえぇ、友達かえ。まあ、心強い友達がいたもんだべ。あんたも身体に気ぃつけて、旅を続けるだよ」
「はい、ありがとうございます」
リュカがもう一度頭を下げると、またプックルが真似をして頭を地面に擦りつける。そんなプックルの姿を見て、今度はもう驚かなかったようだ。女性はリュカ達に手を振って、村から送り出してくれた。
カボチ村を照らす日差しは、今が一番高い時間だ。秋も深まったこの季節、これからどんどん日が傾き、あっという間に日が沈んでしまう。それまでの村人たちは本日の農作業をせっせと終わらせなくてはならない。荒らされた畑の修復にも、まだまだ時間がかかるだろう。
「がう」
カボチ村を振り返るリュカを呼ぶように、プックルが一声鳴いた。リュカの胸中を知ってか、その声はどこか控えめだった。
「お前もそう思ってたんだろ、プックル」
山深くにある村の景色、畑があちこちにあり、村人たちは素朴で、余所者をあまり寄せ付けない雰囲気、それはサンタローズに似た景色だった。リュカもプックルも、その景色に郷愁を誘われる思いで、二人並んでカボチ村を遠くからしばらく眺めていた。
「いつかもう一度、この村に来られたらいいね」
「にゃあ」
今はもう滅ぼされてしまったサンタローズのかつての景色を見るように、リュカはプックルの背に手を置きながら、じっとカボチ村の景色を目に焼き付けていた。

Message

メールアドレスが公開されることはありません。

 




 
この記事を書いている人 - WRITER -

amazon

Copyright© LIKE A WIND , 2014 All Rights Reserved.