国の交流の始まり

 

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リュカはラインハット城の中を一人で歩いていた。途中までヘンリーとマリアも一緒におり、城の外で待機している魔物の仲間たちに会うのを楽しみにしていたが、デズモンという古くからラインハットに仕える学者が呼んでいると兵士から声がかかり、止む無く二人は学者のところへ向かったのだ。リュカは自由に城の中を歩いていて良いと言われたが、リュカはただ子供たちがどこに行ったのかが気になり、探して歩き始めていた。
ラインハットの城の中はリュカもよく覚えている。デールが座る玉座の間を後にしたところでヘンリーたちと別れたが、リュカはその場所から東の通路に向かっていた。その先には子供の頃のヘンリーが使っていた部屋があるはずだった。以前ラインハットに来た時にはヘンリーの継母でありデールの実母である元太后がいたはずだと、リュカは形式上でも挨拶をしていくべきなのだろうと、その部屋に足を向けていた。
長い通路を歩いていると、ずっと先の通路の角から二つの小さな人影が現れたのを見た。今はまだ朝の早い時間で、東の通路には窓から朝日が気持ちよく差し込んでいる。朝日を浴びる双子の姿を見て、リュカは思わず安堵のため息をついた。二人もリュカの姿を見つけると、ぱっと顔を明るくし、通路を元気に走ってきた。
「お父さーん! コリンズくんがいなくなっちゃった!」
「えっ?」
ティミーの一言に、リュカは全身に得も言われぬ緊張感が走るのを感じた。途端にラインハットの長い通路の空気が嫌に冷たく感じてしまう。リュカは自分もあの時のように、子供に戻ったかのような感覚に陥った。
「子分のしるしを取ってこいって言うから宝箱を開けたら、そのうちにどこかに行っちゃって。ねぇ、お父さんも一緒に探してみて!」
「子分のしるし……そう言ってたの、コリンズ君は」
「うん。あのね、ボク子分にはなりたくないって言ったのに、取ってこないと泣くぞって……。ホントにコリンズくんどこに行っちゃったのかなぁ……」
「そっか、ティミーは子分になりたくないって言ったんだね」
「だってボクが子分になったら、一緒に遊べないよ。親分と子分じゃ、一緒に仲良く遊べないでしょ?」
ティミーの言葉を聞いて、思わず困ったように笑った。まだコリンズと直接話してはいないため、彼がどのような子供なのかは分からないが、ヘンリーとそっくりの見た目通り、父親の気質を強く受け継いでいるらしい。子分のしるしを知っているようだが、果たしてヘンリーがコリンズにそのことを話したのかどうかは分からない。もしかしたら城に古くから勤める兵士や給仕の者が面白半分にコリンズに話したのかも知れない。
「そうだね。一緒に遊びたいんだったら、子分じゃなくて友達にならないといけないよね」
そう言いながら、リュカは思わず子供の頃を思い出して笑ってしまう。あの頃のヘンリーは友達がおらず、しかも王位継承問題に揺れていた城の中では孤独の中にいたため、素直に自分の気持ちを伝えることができなかった。誰も信用していなかったのだろう。それは実の父である先王に対しても、悲しいことだが、そうだったのだろうとリュカは思う。
「よし! じゃあお父さんも一緒にコリンズ君を探そう」
「こっちには来てないってことだよね。やっぱり部屋の中にいるんだよなぁ……」
そう言いながらティミーは来た通路を戻って歩いて行く。リュカもその後を歩き出したが、リュカの後ろで難しい顔をしたポピーが、いかにも気乗りしない様子でとぼとぼと歩いてついてくる。
「どうしたの、ポピー?」
リュカが立ち止まって尋ねると、ポピーはリュカを見上げ、そして床に視線を落として溜め息をついた。
「あの子、わがままばっかりで疲れちゃった……」
旅の途中でも弱音を吐かず、高い所を怖がることもあるポピーだが、自ら愚痴っぽい言葉を口にするのは珍しかった。双子の兄ティミーに対しては気兼ねなく言葉を浴びせて喧嘩をすることもあるが、初対面の、しかも一国の王子というコリンズに対していかにも嫌な態度を見せたことに、リュカは今までに見なかったポピーの一面を見た気がした。
「ポピーでもそんな風に思うことがあるんだね」
「お父さん、笑いごとじゃないのよ。だって私たちのことを勝手に子分だなんて決めつけてくるし、グランバニアなんて国は知らないなんて偉そうに言うし、いきなり廊下で走り出して『競争だ!』なんて後から言って勝手に勝っちゃうし、中庭がとってもきれいだなって見てたら『いいだろ~、父上と母上の自慢の庭なんだ。お前のところにはこんな立派な庭はないだろ』なんて自慢してくるし、話をするだけでいちいち疲れちゃう……」
ポピーの足取りが重いのを見て、彼女がコリンズのところに戻りたくないということは嫌でも分かる。リュカも子供の頃に出会ったヘンリーに、同じような気持ちを抱いたことがある。偉そうで、誰とも仲良くなりたくないヘンリーと、友だちになれる気がしなかった。しかしヘンリーが我儘で誰彼構わず突っぱねていたのは、寂しさの裏返しだった。
「とりあえず行ってみよう。きっとね、僕だったらコリンズ君を見つけられると思うんだ」
「ホント?」
「うん、ホント」
リュカは笑みを浮かべながら、ポピーと手を繋いで通路を歩いて行った。リュカには既に分かっていた。コリンズは部屋のあの仕掛けを知っているに違いなかった。そうでなければあの頃のヘンリーと同じような悪戯をしないはずだ。
「子分のしるしだなんて……全くおんなじことをしてる」
コリンズは今、父にも母にも愛され、十分な愛情を注がれているはずだ。王位継承問題の最中にいるわけでもなく、継母からの嫌がらせを受けているわけでもない。
しかし人の寂しさと言うのは、何かと比べられるものではない。コリンズはコリンズで、寂しい思いをしているのかも知れない。父であるヘンリーは日々、宰相としての執務に追われている身分だ。母のマリアも始終コリンズの相手をしているわけではない。恐らく勉強熱心な彼女は、夫を支えるためにも、未来のラインハットを支えるためにも、国の歴史や慣習、そして王族のしきたりについても様々学ぶことがあるのだろう。その中で、コリンズは少なからず寂しい思いを抱いている可能性もある。
部屋の入口から、リュカは静かに中を覗いた。リュカが姿を現しても、相変わらずコリンズの姿は部屋になかった。
「おかしいなぁ……部屋から出る時間はなかったと思うんだけどなぁ……」
ティミーが宝箱の置かれている奥の部屋に入り、首を傾げながら呟いている。部屋の中は静まり返り、細く開けられた窓からは爽やかな朝の風が入り込む。窓辺には小鳥が数羽、仲良くさえずり何かを啄んでいる。見れば窓辺にはパンくずが少々散らかっている。コリンズが小鳥にあげていたのかも知れなかった。その時の光景を思い浮かべ、リュカは安心するように一人微笑んだ。
「お父さん、やっぱりいないわ。もしかして窓から外へ出たのかしら」
「そんな危ないことをする必要もないよ」
リュカはそう言うと、部屋の入り口近くに置かれる机の傍に立った。そしてその場でしゃがみこみ、床に敷かれている重々しい絨毯を一部、めくりあげた。部屋中に敷かれている絨毯の一部が切り取られており、しかもその下には木の板がはめ込まれていたことに、ティミーとポピーは口をあんぐりと開けたまま立ち尽くした。リュカが取っ手のついた木の板を持ち上げると、下に続く狭い階段が現れた。
「あっ! こんなところに階段が! お父さんすごーい。よく知ってるね!」
「どうして? お父さん、この場所を知ってたのね?」
「まあね。僕も子供の時にやられたんだ」
「やられたって、まさか……」
「その“まさか”だよ。さあ、階段を下りてみようか」
リュカは子供たちを促し、狭い階段をゆっくりと下りて行った。子供の頃は難なく下りられた階段だったが、大人になった今では同じようには下りられなかった。身体を丸め、小さくしないと通路を進めない。しかしラインハットの非常用の隠し通路という意味合いもあり、大人が通れない作りというわけでもなかった。
「なんだ、もう階段を見つけてしまったのか……」
階段で下に下りると、コリンズがまるであの時のヘンリーのように腕組みをして立っていた。しかしその表情の中に、微かに嬉しそうな笑顔が浮かんでいることを、リュカは見逃さなかった。
「お父さんが知ってたんだよ、この階段。これってすごいね! ねえねえ、グランバニアにもヒミツの階段作ろうよ! きっとおもしろいよ!」
ティミーが興奮した様子で今下りてきた隠し通路を見上げる。暗く狭い通路で上と下の部屋が繋がっている冒険心を掻き立てられる構造に、ティミーはすっかり心酔しているようだ。
「ふん! つまらないヤツだな。しかし子分のしるしは見つからなかっただろう。子分にはしてやれないな」
コリンズがいかにも嫌な親分を演じている姿に、リュカは思わずクスッと笑ってしまう。しかし真面目なポピーは本気で怒っていたようで、腰に両手を当てると、今までに見たことのない厳しい表情でコリンズに言い返した。
「あのね! 私たちはそもそもあなたの子分になりたいわけじゃないの! どうしてこんな勝手な事をするの? こんなことして楽しい? 人をからかうような、いじめるようなことをして楽しいなんて、子供じみてるわ! あなた、この国の王子なんでしょ? もっと王子としての『ジカク』を持たなきゃダメじゃない! いずれはこの国を守らなきゃいけないのに、こんなバカげたことをしてるなんて、信じられない!」
ポピーに言われたコリンズも、妹の強い一面を見たティミーも、そして既視感を覚えたリュカも、男三人が揃って直立不動となってしまった。コリンズは父であるヘンリーや小言のうるさい大臣には何度も叱られたことがあるが、先ほど会ったばかりの、しかも同じ年の頃の女の子に感情のままに怒られたことに、少なからずショックを受けていた。ショックのあまり、目には涙まで浮かんでいる。
腰に両手を当てて、まくしたてるような口調で怒鳴るポピーの後ろ姿を見て、リュカは子供の頃のビアンカそのものだと、かつての彼女を思い出していた。ビアンカも決してお転婆なだけではなく、正義感の強い少女だった。まだ大きな猫ほどのプックルが男の子たちにいじめられていた時は、助けなければという思いだけで、レヌール城のお化け退治に行く約束をしてしまうような無鉄砲さも持っていた。普段は大人しく、優しいポピーだが、彼女の中には確実にビアンカの気質が受け継がれているのだと、リュカは一人胸の中が温かくなったような気がした。
静まり返った場に、ふと風が入り込んだ。通路に吹き抜ける風は、外に通じる扉が開けられたことによるものだ。東からの光が入り込み、一瞬、その眩しさに目を閉じかけたリュカだが、光の中に浮かぶ影に、背筋が凍り付くのを感じた。途端に、子供たちをかばうように前に出て、まるで外を旅し、魔物に遭遇した時のように、本気で身構える。あの時の悪夢が、リュカの脳裏に止めようもなく蘇る。
「ん?」
「コリンズ王子! またこんなところでいたずらをして!」
光に目が慣れ、見えた影は、ラインハット国の大臣だった。リュカは背中に流れ落ちる汗の冷たさが和らぐのを感じた。全身の緊張が一気に解け、代わりにまるで魔物との戦闘を終えた後のような疲労感が身体を包んだ。
「なんだよう。いいじゃないか!」
「またお父上に叱られますぞ。さあ、さあ!」
大臣はコリンズの姿が見当たらないことに気づき、この場所に駆け付けたのかも知れなかった。コリンズはあの隠し通路を気に入り、よくこっそりと遊んでいるのだろう。そして本日、グランバニアの王子と王女がコリンズに城の中を案内されているという情報を耳にして、あのいたずらをやりかねないと、監視役の意味も含め、こうしてこの場に来たに違いなかった。
大臣に抵抗するコリンズだが、大臣はこの国の王子に対しても容赦しなかった。コリンズに対して容赦はいらないと、ヘンリーが伝えていた。ヘンリーはかつて、この国の王子として孤独だった。それ故に、息子のコリンズに対しては、王子としてではなく一人の子供として接するよう大臣には言い渡してあるのだろうと、リュカはそう感じていた。
コリンズは大臣にきつく耳を引っ張られ、「痛い! 放せよ!」と叫んでいるが、大臣は一向にお構いなしという雰囲気で、そのままコリンズを連れて廊下を歩いて行く。
「グランバニア王の前でお恥ずかしい限りですが、これが今の我が国の現状です」
「いいえ、何だか安心しました。ラインハットはすっかり平和なんですね」
「そう仰っていただけるのは嬉しい限りです。どうぞごゆっくりしていってください」
コリンズが巧みに大臣の手を逃れようとするが、上手を行く大臣はコリンズを逃さず、耳を引っ張ったまま中庭に通じる扉から姿を消した。
「お父さん、どうしたの? びっくりした? 汗いっぱいかいてるよ」
ポピーにそう言われ、リュカはこめかみから流れる汗を手の甲で拭った。扉から影が現れた時には、ヘンリーが連れ去られた時の記憶が蘇り、今はもう大人になったというのに、子供の時のような絶望感が全身に張り詰めるのが分かった。子供たちを守らなければならないと咄嗟に前に出たリュカだが、子供の頃の記憶に戻ったリュカもまるで子供の時に戻ったかのような錯覚に陥り、相手が大人では絶対に敵わないという間違った思いに苛まれた。
「大丈夫だよ。ごめんね、ちょっと嫌なことを思い出しただけなんだ」
「そう……お父さんにそんな思いをさせるなんて、やっぱりコリンズ君ってイヤな子!」
たった今、コリンズは大臣に痛いほど耳を引っ張られ連れて行かれたばかりだが、罰を受けたに等しいコリンズに対しても、ポピーは聞く耳を持たないといったように嫌悪感を示していた。
「コリンズくんってあんまり友だちがいないのかな? お城にも男の子はいないし……」
リュカとヘンリーたちが上の部屋で話している間、コリンズは一応ティミーとポピーを連れてラインハット城を案内していたようだった。グランバニアほどではないが、ラインハットの城の中も広く、ティミーとポピーは様々な場所を見学できた。その中で、城には大人しかおらず、果たしてコリンズはいつも誰と遊んでいるのだろうかとティミーは疑問に思ったようだった。
「ボク、コリンズくんの友だちになってあげようかなぁ。ホントはちょっと苦手なんだけど」
「お兄ちゃん、本気で言ってるの?」
「グランバニアにも子供があまりいなくてさ、ボクにはポピーがいたから一緒に遊ぶことができたけど、コリンズ君は一人なんじゃないかな。それってきっと、寂しいよね」
「でもあんなワガママな子とどうやって遊ぶの? きっと一緒になんて遊べないわ」
「遊び方を知らないだけなんじゃないかな。だって誰も遊び方を教えてないんでしょ? ボクたちが教えてあげれば、一緒に遊べるようになるよ!」
「ボクたちって……私も一緒に遊ぶの?」
「そうだよ、ポピーも一緒に。あっ! それとさ、プックルたちも一緒に遊べばいいんじゃないかな? そうしたらきっと楽しいよ!」
いかにも良いことを思いついたというように、ティミーは両手をパチンと合わせて意気揚々とした様子でそう言った。
「お父さん、コリンズ君にもプックルたちに会わせていいかな?」
「実は僕もね、そう思ってたんだ。ヘンリーとマリアに会ってもらうのと一緒に、コリンズ君にも魔物のみんなに会ってもらおうかなって」
「そうなんだ! じゃあ、早速行こう、行こう! コリンズ君もきっと楽しんでくれるよ!」
「お兄ちゃんってば……お人好し過ぎだわ」
ポピーは相変わらず苦々しい表情をしていたが、リュカはティミーの前向きで、コリンズを救うかのような発言に、少なからず感動を覚えていた。果たして自分が子供の頃だったら、ヘンリーに対してここまで清々しい思いを抱けただろうかと、まるで自信がなかった。好奇心旺盛なティミーには、勇者としての自覚や、双子の兄としての責任などが備わっているのかも知れないと、リュカは彼がまだ八歳であることが信じられなかった。
「ヘンリーのところに一度戻っているだろうから、僕たちも戻ってみようか。きっとヘンリーからもこっぴどく叱られてるよ、コリンズ君」
「それでもめげなさそうよね、あの子」
「ヘンリー様も優しそうだから、あんまり怒らないんじゃないかな~って思うよ、ボク」
コリンズと言う一人の子供に会い、今までにないティミーとポピーの一面を見られた気がして、リュカは親として喜ばしい感情と共に、どこか寂しい感情も一人静かに抱いていた。



「よう、リュカ。コリンズが失礼をしたな」
四階の部屋に戻ると、ヘンリー自ら扉を開けて出迎えてくれた。大臣に引っ張られていたコリンズは家族で過ごす玉座の間の上階の部屋に戻り、マリアのスカートの陰に隠れるように立っていた。マリアがしゃがんでコリンズに何事かを話し、部屋の中に入って来たリュカたちの前に立たせると、コリンズの頭をトントンと優しく手の平で叩きながら一緒に頭を下げた。
「リュカさん、ティミー君、ポピーちゃん、本当にごめんなさいね。どこか怪我はしてないかしら? あの階段は狭くて急だから……」
「大丈夫だよ、マリア。でもあそこって大人は通りづらいよね」
「ほら、コリンズも謝るんだ」
「なんだよ、今、母上と一緒に頭を下げたじゃないか!」
「それで謝ったつもりか! しっかり言葉で謝るんだよ」
ヘンリーが強い口調で言うと、その声にコリンズもティミーもポピーも驚いて、身体をびくりと震わせた。ティミーとポピーはヘンリーがそれほど怖い声を出す人だとは思っていなかったようで、その意外性に一気に身体が緊張したようだった。
「……ふん、悪かったな」
それでも意地になって素直に謝らないコリンズに、ヘンリーは溜め息を漏らし、マリアは苦笑いするだけだった。大臣に耳を引っ張られ、ヘンリーに強く叱られても尚、素直にならないコリンズを見て、彼は彼でなかなか肝が据わっているのかも知れないとリュカは思った。
「オヤジがあやまれっていうから、いいものをやろう」
「いいもの?」
ティミーが眉をひそめて首を傾げると、コリンズはマントの内側から丁寧に一つの帽子を出して見せた。青色を基調とした帽子で、両側に羽根飾りがつき、中央には魔法の力が感じられる透き通った水色の宝玉がはめ込まれている。ラインハットの国宝なのではないかと思えるほど貴重な雰囲気を感じさせる帽子だが、それをコリンズは両手に持ってティミー達に差し出した。
「ほら、受け取れよ。取りに来い……」
「なによ! なんなのよ!」
コリンズの不遜な態度にたまりかねたポピーが、顔を真っ赤にして大きな声を出した。
「プレゼントでごまかさないでちゃんとごめんなさいって言わないとだめなの!」
「なっ……別にオレはごまかしているわけじゃ……」
「じゃあどうしてちゃんとあやまれないのよ! 悪いことをしたらごめんなさいって言うんだって、教えてもらったでしょ! ヘンリー様もマリア様も、大臣さんもデール王だって、みんなそうやってあなたに教えてくれてるはずだわ。あなた、この国の王子様だからって何でも思い通りになるってわけ? 違うわ! 王子様はいずれ王様になる。王様は国民のことを一番に考えるのがお仕事なのよ!」
部屋の中がまるで時が止まったかのように静まり返った。外の小鳥のさえずりがよく聞こえる。
「…………あー、耳がいてぇ」
「…………僕も」
ポピーの怒声に皆が驚いていたが、真っ先に反応したのはヘンリーとリュカだった。
「正しすぎて、何も言い返せないな。子供の時の俺が聞いたら、ポピーちゃんに平謝りするだろうな」
「僕なんか、グランバニア王って肩書だけのような気がしてるしなぁ。国民の事を第一に思ってるかどうかって言われると……旅をしてる間は……ごめんなさいって謝らなきゃいけないかも」
「えっ? 別に私、お父さんに言ったわけじゃないのよ」
「うーん、でも何だか、心に響いたよ、うん」
大の大人が二人、肩を落としている姿を見て、ポピーは慌てて怒りに任せた発言を取り消そうとする。しかしリュカとヘンリーが揃って「ごめんなさい」とポピーに向かって謝るのを見て、コリンズが気まずそうにひょこひょこと前に出てきた。そんなコリンズを見て、ポピーは怒りを思い出したかのように顔つきを険しくすると、「なによ」と口を尖らせる。
「……あやまろうと思ったんだよ」
「えっ?」
「ティミー、ポピー、ごめんなさい。悪いことをして、ごめんなさい」
コリンズはそう言うと、肩口で切りそろえた緑色の頭を勢いよく下げた。コリンズのその姿を見て、ティミーは初めから怒っていないというようににこにこと笑顔を見せ、ポピーは小さく口を開いて頭を下げるコリンズを無言で見つめた。
「ちゃんと自分から謝れるなんてすごいね。やっぱりマリアの子供だ」
「なんだよ、それ。どういう意味だよ、リュカ」
「コリンズ、悪いことをした時にはそうやって自分から謝るのよ。心を込めて、丁寧にね」
「はい、母上。オレ、ちゃんとできましたか?」
「それはお友達に聞いてみるのがいいと思うわ」
マリアは穏やかで優しい中にも、母としての強い心を持っているのだとリュカは感じていた。真面目な彼女のことだから、子供を育てるということにも真面目に向き合っているのだろう。少々我が強く、子供の頃のヘンリーのように悪戯が好きな面もあるコリンズだが、マリアが粘り強く接し、諭すように語りかけているからか、コリンズも決して根っからひねくれているわけではない。ただ王子としての自分を持ち、弱い部分を見られたくないために、強がっているだけなのだ。
コリンズは再びティミーとポピーに向き直ると、しばらく無言のまま二人を見ていた。どんな言葉をかけたらいいのかも分からず、ただ心臓が口から飛び出しそうなほどに緊張した顔つきをしている。
「コリンズ君、もうボクたちにイタズラしない?」
「……しないよ。もう、しない」
「じゃあ、ボクたちと友達になろうよ!」
「……いいのか?」
「うん、いいよ。ねぇ、ポピー?」
ティミーは同年代の新しい友達ができたことに喜んでいたが、その隣でポピーは難しい顔をして黙り込んでいる。コリンズはポピーの物言わぬ圧に押され、震え上がるようにただ時間が過ぎるのを待っている。
「ポピー、コリンズ君は悪い子じゃないよ」
ティミーがポピーの顔を覗き込むようにして話しかける。
「わかってる」
「じゃあ友達になれるよね」
「……もう絶対におかしなことはしないって約束してくれたら、いいわ」
「しないって、さっき言っただろ」
「なによ、その言い方。偉そうに言わないでよね。私の方が一つお姉さんなんだから!」
ポピーが腰に両手を当てて、怒ったように言い放つその言葉に、リュカはまるで子供の頃のビアンカを見ているような気持ちになった。
『私の方が二つお姉さんなんだからね!』
あの頃のビアンカと同じような声で言うポピーと、言われて驚いているコリンズを見て、リュカは二人の将来を一瞬垣間見たような気がした。しかしその想像はすぐに自らどこかへ追い払ってしまった。子供たちが成長し、大人になった未来のことを、今から想像したくはなかった。
「そうだ! コリンズ君にもボクたちの仲間に会ってもらおうかなって思ってたんだ! お父さん、一緒に来てもらってもいいよね?」
ティミーはコリンズのことをすっかり友達と思っているようで、すぐにでも魔物の仲間に会わせたいとリュカに聞いてきた。ティミーのまるで空気を読んでいるかのような空気を読まない言葉に、リュカは救われたように笑顔で答える。
「ちょうどヘンリーとマリアにも会ってもらおうと思ってたんだ。じゃあこれから一緒に外に出てもらおうか」
「おお、そうだそうだ。あいつらが来てるんだよな? 俺らが会わないわけには行かないな」
「ええ、楽しみです。皆さん、お変わりないかしら?」
父と母が弾むような声を出していることに、コリンズは一人戸惑いの表情を浮かべている。特に母マリアが両手を合わせて心を躍らせている雰囲気など、コリンズは今まであまり目にしたことがない。
「護衛の人が何人かつくんだっけ?」
「まあ、俺らだけで城の外に出るわけにも行かないからな。でも、気にすんな」
「魔物だからって攻撃しないようにさせてね」
「分かってるよ。心配するな」
「……マモノ? 母上、今、父上はマモノと……」
「コリンズ、大丈夫ですよ。皆さん、とても良い方たちですから。あなたのお友達が増えるのよ」
明らかに不審がるコリンズに、マリアは至って穏やかに答えるだけだ。そんなコリンズの姿を見て、ポピーは今度はこちらが驚かせる番だと内心面白がっていた。
「さあ、行こう行こう! みんなもきっと待ちくたびれてるよ!」
ティミーはそう言うと、意気揚々と部屋を出て行こうとする。その小さな背中を見ながら、ヘンリーが思わず感心するように一言、リュカに伝えた。
「なんつーか、やっぱ、お前の息子って、勇者なんだな」
ヘンリーの言う意味が理解できるリュカだったが、同調することはなく、ただ曖昧に笑顔を浮かべるだけだった。



リュカたちはラインハット城の正面入り口を出ると、大きな橋を渡り、城下町の片隅を通り抜けるようにして外に出た。城からは護衛の兵士が五人ついており、念の為、ヘンリー自身も剣とマントを身に帯びていた。ヘンリーはその必要もないと兵士たちに言ったが、武器を持たずに城の外に出ることを許されなかった。
「最近はあんまり剣の稽古もできなくってさ。すっかり身体がなまっちまってるよ」
「そうは言ってもヘンリーには呪文もあるもんね」
「ま、呪文を使って近くの魔物を追い払うことはできるからな。一応、そうしておくつもりだ」
「ああ、あの呪文……マリアとも旅をしている時、使い過ぎて倒れたこともあったね」
「仕方がないだろ。マリアを守るためだったんだから」
「そういうこと、平気で言えるようになったんだね」
「何言ってんだよ。俺たち、もう夫婦になって十年くらい経つんだぜ。今更照れるようなことでもないだろ」
リュカとヘンリーの会話を聞きながら、マリアは楽しそうに笑っていた。三人とも、かつて真実の鏡があると言われる神の塔へ向かった旅路を思い出し、懐かしむように当時の話を続ける。三人の大人の後に続くように、三人の子供たちがついて歩いている。護衛の兵士は周りを囲むように五人、配置されている。
外は朝から晴れて、辺りには草原を揺らす爽やかな風が吹いている。外の解放的な景色を、コリンズは純粋に楽しむ気持ちと、魔物がいる外の世界を恐れる気持ちとで、辺りを必要以上に窺うような表情で歩いていた。
「コリンズ君はあんまり外には出ないの?」
ティミーが固い表情で歩いているコリンズを見ながら、いかにも気楽な調子で問いかけた。コリンズは固い表情のまま、「そ、そんなことはない」とすぐに分かるような嘘で応える。
「まあ、でもボクたちみたいに旅に出てなければ、外に出ることもないよね。魔物も多くなってきてるって言うし」
「魔物が多いだと? ふ、ふん。魔物が来たって、父上や兵士たちが追い払ってくれるから平気だ」
「そう言えばヘンリー様は魔物を追い払う呪文が使えるって言ってたよね。ボクもさ、その呪文を呪文書で見たことがあるんだけど、使えそうで使えないんだよね」
「では父上に教えてもらったらどうだ? きっとティミーになら教えてくれると思うぞ」
「そうかな」
「そうだ」
コリンズが断言すると、ティミーは嬉しそうに笑って、「じゃあ聞いてくる!」と先に歩いて行ってしまった。兄のティミーが先に歩いて行ってしまい、ポピーもついて行こうかと迷ったが、コリンズを一人にするのも気が引けてそのままコリンズの隣を静かに歩き続けていた。
「…………なあ」
「…………何?」
「コレ、やるよ」
コリンズはそう言うと、先ほど渡し損ねた魔力の込められた帽子をポピーに差し出した。ポピーはその特殊な帽子に興味を示しながらも、首を横に振って断る。
「それはいらないわ。だってラインハットの大事な宝物なんじゃないの? とても強い魔力を感じるもの」
「お前ってそういうのが分かるのか。すごいんだな」
予想外にコリンズから褒められ、ポピーはどう返事をしたらいいのか戸惑い、目を逸らして無言で歩き続ける。
「この帽子ってさ、行ったことのある場所へ飛んで連れて行ってくれるらしいんだ」
「えっ? それって、ルーラの呪文みたいな感じ?」
「父上がそんなことを言ってた。リュカ王が使える呪文に似た効果があるんだって」
「すごいのね、そんな帽子があるなんて」
「だから父上はこの帽子をお前たちの旅に役立てて欲しいんだってさ。オレは良く分からないけど、呪文ってさ、魔力ってヤツを消耗するんだろ? で、魔力がなくなると呪文が使えなくなるって。呪文が使えなくなったら、困るよな。逃げることもできない。だからそういう時にこれを使えばいいって」
「ヘンリー様がそんなことを……なんてお優しい……」
ポピーが感動するように言う姿を、コリンズは怪訝な顔つきで見つめる。
「まあ、だからこの帽子はポピーにやるよ」
「ヘンリー様からいただけるということ?」
「んー、そういうことになるのかな」
「じゃあちゃんとお礼を言わなくちゃいけないわよね。こんな貴重なものをいただけるのだもの。私、お礼を言ってくる」
ポピーはそう言うと、お礼を言う義務という理由で、前を歩く大人たちの方へと早足で歩いて行った。
「なんだよ、渡したのはオレだぞ……ちぇっ」
残されたコリンズは護衛の兵士たちに囲まれながらも、小さく悪態をついてからポピーの後を追うように小走りに駆けて行った。
「あっ、いたいた! みんなー、お待たせー!」
リュカが手を振る先は森の入口だった。木々が深いその景色の手前に見えたのは、リュカと共にラインハットにやってきていた魔物の仲間たちだ。大人三人と双子は全く歩みを止めずに、笑顔のまま魔物の群れに向かって歩き続ける。しかしコリンズとラインハットの五人の兵士たちは、見える魔物の姿に思わず足を止めた。
「父上! 母上! 危険です! 城へ……」
「コリンズ、大丈夫だ。あれがグランバニア王の旅の仲間なんだよ」
「な、何を言ってるんだよ、オヤジ!」
「姿は魔物ですが、皆さんとても優しい方たちばかりなのですよ、コリンズ」
「は、母上まで……だって、あんなコワイ魔物、オレ、今まで見たことないよ……」
コリンズがそう言っているのは、キラーパンサーのプックルだ。ラインハット周辺にはスライムやスライムナイト、イエティなどの魔物を目にすることはあるが、コリンズはプックルを筆頭にガンドフ、それにマーリンの姿に恐れ戦き、震えながらマリアの後ろの隠れてしまった。
「アハハ、驚くのも無理はないよ。第一、コリンズ君のお父さんは、まだ小さかったプックルにだってびっくりして、椅子の上に飛び上がっていたんだから」
「あっ! リュカ、そういうことは言うなよな!」
「コリンズ君、大丈夫だよ! スラりんもプックルも、ピエールにガンドフにマーリンも、みーんなボクたちの旅の仲間なんだ。みんな、とっても強くて頼りになるんだよ」
「魔物が旅の仲間なんてあるわけない……ひいぃぃぃ、こっちに近づいてくる!」
「大丈夫よ、コリンズ。私と一緒にご挨拶に行きましょう」
マリアはコリンズの頭を優しく撫でながら、促すように一緒に歩いてリュカの魔物の仲間たちに近づいて行く。コリンズは逃げ出したい思いに駆られながらも、絶対的な信頼を置いている母に促されることでどうにか魔物たちの方へと歩み寄ることができた。
「ピキー、ピキー!」
「おう、久しぶりだな、スラりん。相変わらず気ままに地面を跳ねてんのか?」
「ピッキー!」
ヘンリーにからかわれたお返しにと、スラりんは思い切り地面を跳ねて、ヘンリーの顔面に向かって飛びかかって行った。コリンズが息を呑んで両手で顔を覆ったが、ヘンリーはまるでボールのようにスラりんを受け止めると、そのままマリアにスラりんを差し出した。
「ほれ、どうせお前が話したいのはこっちだろ」
「ピィ」
「マリア、ヒサシブリダネ!」
「皆さん、あの頃と変わらずお元気そうで何よりです。お会いできて本当に嬉しい……」
マリアが言葉を言い終わらない内に、ガンドフが嬉しさのあまりマリアを抱きしめてしまったため、マリアの声はガンドフの茶色い毛の中に埋もれてしまった。瞬時にラインハットの五人の兵士らが槍を構えたが、ヘンリーがそれを制する。
「マリアとガンドフは女友だちみたいなもんだ。好きに挨拶させてやれ」
「は、母上、大丈夫!?」
「大丈夫ですよ。でも、ちょっと苦しいかも……」
「ア、ゴメンネ、マリア」
「スラりんさんが潰れてしまうわ。大丈夫だった?」
「ピキッ!」
マリアの両腕に抱かれていたスラりんが元気に返事をすると、マリアは再び嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「何だかなぁ。俺に会いにきた奴はいないのかよ」
「……ヘンリー殿も日々、頑張っておられるようですな」
ヘンリーがすねるように言っていると、マーリンと共に近づいてきたピエールがヘンリーに話しかけてきた。
「生意気なお前に労いの言葉をかけてもらえる日がくるとはな」
「すっかりラインハットの宰相として落ち着き、家族を守る父親としての貫禄も出たのじゃろうな」
「体はなまってるけどな」
「それでは私が少々剣の相手をしましょうか?」
「やめてくれよ。子供の前でコテンパンにされるなんて、かっこ悪いだろ」
ヘンリーはおどけたように両手を挙げて、ピエールの真面目な申し出を断る。実際、ピエールの実力が今や手の届かないところに行っていることに、ヘンリーは嫌でも気が付いていた。少々剣の稽古をしたくらいでは、剣の対決でピエールに勝つことはできないだろう。
「ヘンリー殿も成長されて、大分素直になれらたようだ」
「俺は元々、とっても素直なヤツなんだぜ」
「ふむ、それもそうかも知れませんな」
ヘンリーとピエール、マーリンが話をしていると、ヘンリーの足元に静かにプックルが近づいてきた。プックルも前回会った時のようにヘンリーを脅かすことはなく、ただ久しぶりに会えた喜びを表すためにヘンリーの前に礼儀正しい猫のように座った。
「お前も元気そうだな。相変わらず見た目が恐ろしすぎるけど」
「ゴロゴロゴロ……」
ヘンリーがプックルの喉の辺りを荒っぽく撫でると、プックルも大きな猫のごとく喉を鳴らした。父が途轍もない猛獣と触れ合ってる姿を、コリンズは信じられないというように目を見開いて見つめている。
「そうだ! コリンズ君もプックルの背中に乗せてもらったら? とっても楽しいんだよ!」
「プックルって……あのバカでかい虎みたいなヤツだろ!? 背中に乗せてもらうって、そんなことできるわけ……」
「できるわよ。プックルはお父さんだって背中に乗せて走ることができるんだから」
ポピーが少々自慢げにそう言うのを聞いて、コリンズは怪訝な顔をしてプックルを見つめた。子供たちの話を耳にしたプックルは、興味深そうにマリアの後ろに隠れるコリンズを見やる。プックルと目が合っただけで、コリンズは「ひっ!」と息を呑んで、完全にマリアの後ろに隠れてしまった。
「情けないなぁ、コリンズ。お前、ビビリ過ぎだよ」
「ヘンリーに言われたくないと思うけどね。……そうだ、コリンズ君、僕と一緒にプックルに乗ってみる? プックル、コリンズ君と一緒に背中に乗せてもらってもいいかな?」
「がうがう」
人間同士の会話のようにリュカとプックルがやり取りするのを見たコリンズは、不思議そうに彼らを見つめた。プックルと言うキラーパンサーは決して人間の言葉を話してはいないが、リュカ王の言うことも、言わないことまでも理解しているような雰囲気が感じられた。
「コリンズ、さあ、プックルさんにもご挨拶しましょう」
マリアがコリンズを伴い、プックルの近くまで行くと、コリンズは全身を強張らせたまま「は、はじめまして」と言ってぎこちなく頭を下げた。プックルは鋭く青い瞳でコリンズをじっと見つめると、その次には姿勢を低くし、コリンズの目の高さよりも低い位置に背中が見えるように態勢を変えた。
「乗っていいってさ。さ、前に乗ってみようか」
そう言ってリュカがコリンズの両脇を支えて持ち上げると、プックルの背に乗せてやった。乗馬を少々嗜むコリンズだが、プックルにはつかまるところが見当たらず、両手が宙に彷徨う。それを見て、ポピーがコリンズの手に自分の手を添えて「この辺りをつかめば平気よ」と教えてやった。コリンズは言われた通りに、プックルの背中に猛々しく生える赤い鬣を掴み、身体を低くして安定させる。
「ほ、本当にこれでいいんだろ……いいんですか?」
「うん、大丈夫。初めてなのに、乗るのが上手だね。じゃあ、ちょっと走ってみるよ」
リュカがプックルに声をかけると、プックルは軽く草原の中を走り始めた。慌てて手を離しかけたコリンズの小さな手を、リュカが再び鬣につかまらせる。プックルもいつものように速く走るのではなく、加減してゆっくりと軽やかに走っている。
「面白そうだなぁ。俺も次、乗せてもらおうかな」
「……ちょっと森の方がざわついていますね」
「ふむ。魔物がこちらに目を向けているようじゃの」
人間たちが外に出て遊んでいる姿を、ラインハット周辺に生息する魔物たちが目にしないわけがなかった。マリアはガンドフとスラりんとの話にまだ花を咲かせている。ヘンリーは楽しいひと時を邪魔することのないよう、静かにその場で集中すると、呪文を唱えた。すると森の方でざわついていた魔物の気配が消え、辺りはすっかり平和な状態になった。
「ヘンリー様! 今、トヘロスの呪文を唱えたんですか?」
「ん? ああ、そうだよ。そう言えばティミー君もこの呪文が使えるようになりたいんだっけ?」
「そうなんです! だってこの呪文って、悪い魔物を遠ざけることができるんですよね。それって勇者っぽくてかっこいいなぁって思ってたんです!」
「そうだなぁ、確かにかっこいいかもな。でも、そういう気持ちだと、この呪文は使えないかも知れない。……いいよ、俺が教えてあげよう」
「本当ですか? やったぁ!」
「あっ、ズルイ、お兄ちゃんだけ! 私も……」
「もちろん、ポピーちゃんも一緒にな。二人とも、おいで」
それから少しの間、リュカはコリンズを連れてプックルと走り回り、マリアはガンドフとスラりんと懐かしい話をして楽しみ、ヘンリーはティミーとポピーに呪文を教えつつ、呪文の講師としてマーリンとピエールにも協力してもらった。その妙な光景を、ラインハットの兵士五人は見守りつつ、徐々にグランバニア国の魔物の仲間たちの存在にも慣れて行った。
小一時間経った頃、兵士の一人がヘンリーに小声で話しかけた。一日中こうして遊んでいられるほど、ヘンリーには時間がない。こうしている内にも、ヘンリーの今日の仕事は滞ってしまっているのだ。
「父上! オレ、今まで行ったことのない場所まで連れて行ってもらいました!」
リュカと共にプックルに乗るコリンズが、興奮した面持ちで草原の中を戻ってきた。ヘンリーのトヘロスが及ばない場所まで行っても、キラーパンサーであるプックルがいれば、ラインハット周辺の魔物たちが襲いかかってくることはなかった。
「そうか、良い経験をさせてもらえたな、コリンズ。リュカ、ありがとうな」
「ううん、ただプックルに乗って散歩してただけだからね」
「お父さん! ボク、ヘンリー様にトヘロスの呪文を教えてもらったよ!」
ティミーが嬉しそうにリュカに駆け寄ると、今すぐにその出来栄えを見てくれと言わんばかりに、集中して呪文を唱え始めた。既にヘンリーのトヘロスが辺りに効いている状況だが、それでもティミーの両手から仄かに聖なる光がぼんやりと滲み出た光景を、リュカだけではなく他の皆も目にしていた。
「すごいね、ティミー。こんなに短時間に新しい呪文が使えるようになるなんて」
「……私も一緒に教えてもらったのに、できなかった……」
しょんぼりと肩を落としているポピーの隣にしゃがみこんで、ヘンリーが声をかける。
「呪文ってさ、向き不向きがあるだろ? 俺も回復呪文が使いたいのに、ぜんっぜん使えない。リュカにできて俺にできないなんて、って悔しいと思ったこともあるんだ」
「本当ですか?」
「ああ。たまたまトヘロスはポピーちゃんに向いてなかったみたいだけど、きっとこれからとんでもない呪文を使えるようになるよ。どうも攻撃系が得意そうだもんな、俺と一緒で。ね」
そう言って笑顔を見せるヘンリーを見て、ポピーはひゅっと息を呑み、みるみる顔を赤くした。そして視線を逸らすと、恥ずかしそうにリュカのところへと走って行ってしまった。
「どうしたの、ポピー」
「……ううん、何でもない」
「そう。それならいいんだけど……」
ポピーの今までに見ないような仕草に、リュカは少々戸惑いを覚えていた。どこかで見たことがあるような仕草でもあるが、はっきりとは思い出せない。
コリンズはプックルに乗った貴重な経験を、今度は母のマリアに嬉しそうに伝えていた。初め、マリアの傍にいるガンドフに警戒の視線を向けていたが、マリアがガンドフとスラりんをコリンズに引き合わせると、コリンズはおずおずと頭を下げた。
「マリアノコドモ、コリンズ。カワイイネ」
そう言ってガンドフは大きな一つ目を細め、コリンズに大きな両手を前に出す。コリンズが握手でもするのだろうかとじりじりと近づくと、ガンドフは挨拶代わりにとコリンズをふわりと抱きしめた。コリンズは驚きの余り、身体を硬直させて身動きもできない状態だったが、ガンドフがコリンズを離すと、すぐにマリアの後ろに隠れるように移動した。
「コリンズ、ほら、スラりんさんにもご挨拶」
マリアがそう言いながら両手の上に乗せるスライムをコリンズの前に差し出す。コリンズはまだガンドフのふかふかした全身に残したまま、訳も分からず両手を前に出して母からスラりんを受け取る。ひんやりしたゼリーのような感触に、コリンズは小さく「冷たい……」と独り言を言ったが、すぐに「はじめまして」とスラりんに挨拶をする。
「ピィ!」
「……ははっ、何だかかわいいヤツだな、お前」
「ピー、ピー」
「母上、魔物と言うのも色々といるんですね」
「そうです、コリンズ。魔物さんだからと言って悪いばかりではないのですよ」
コリンズがスラりんを両手に乗せて興奮したように話すのを、マリアが穏やかに答えて諭す。マリアとコリンズが話している様子を、ティミーとポピーが静かに見つめている。そんな二人の姿にリュカは気づき、一人密かに心臓を掴まれるような思いがした。
「さて、そろそろ城に戻らないとな。リュカ、食事していくだろ?」
ヘンリーはまるで町で隣の家に住む友人を誘うかのような気軽さでリュカにそう言った。しかしリュカは少し考え込むように視線を泳がせると、ゆっくりと首を横に振った。
「いや、早めにグランバニアに戻るよ」
リュカの言葉にヘンリーは一瞬驚きの表情を見せたが、その理由を彼のどこかよそよそしい態度に見た気がした。
「今回ラインハットに来たのはヘンリーたちにお礼を言いたかったんだ。この八年間、僕を助けるのに力を貸してくれたって聞いたから、ありがとうって」
「俺は何もしちゃいない。頑張ったのはお前の子供達だよ。もっと小さい頃に手紙を送ってくれたことで、俺は協力できたんだ」
ヘンリーはそう言いながらティミーとポピーをにこやかに見つめる。二人はそれぞれ照れたように笑ってから、お互い目を見合わせた。
「うん、本当に僕の子供とは思えないくらい良くできた子たちだよ」
「ま、お前だけの子じゃないけどな」
ヘンリーがそう言うと、リュカは視線を彷徨わせながら曖昧に返事をする。ヘンリーはリュカに近づくと、右手を差し出した。リュカもその手を固く握り、改めて親友との再会を噛み締める。
「早く見つけるんだぞ。絶対にどこかにいるさ。きっとお前にしか助けられない」
「うん、分かってる」
「俺はいつでもここにいるからさ。また旅の途中にでも遊びに来てくれ」
「うん、もうポピーもルーラで来られるだろうし、また何かあったら来るね」
「もう行方不明になるなよ」
そんなことを冗談交じりに言えるのはヘンリーだけだと、リュカは思わず可笑しくて噴き出してしまった。しかしそんな禁句にも似たことを冗談に言える彼がいてくれるから、リュカはグランバニア王でもなく、二人の父親でもなく、一人のただの人間としての側面も保てるのだろうと改めてヘンリーの存在に心の中で感謝する。
固く交わしていた握手を解くと、リュカとヘンリーは数秒、互いに真剣な表情で顔を見合う。そこには八年の時を一人止めていたリュカと、八年の時を家族と国と共に過ごしたヘンリーの違いが嫌でも表れていた。リュカはヘンリーと、その後ろで微笑むマリア、それにマリアの隣でまだまだ甘えたがりのコリンズを見て、複雑だが憧れるような気持ちを抱いた。自分には過ごせなかった、そして母であるビアンカも過ごせなかった子供達との年月が、彼にはある。ヘンリーがそのような時間を過ごせたことに嬉しさを感じるとともに、どこか後ろ暗い嫉妬のような感情が湧き出してくるようで、リュカはその気持ちに自ら蓋をした。
「また後日、書面を送る。グランバニアへの謝罪と、国交再開の申し出について、王と俺からお前宛に送るよ」
「うん。あ、でもその時僕がグランバニアにいるかどうかはわからないよ」
「ああ、旅に出ているかもしれないってことか。でもグランバニアの王はお前だろ。とりあえずお前宛に送るけど……しかるべき人に封を開けてもらえればいいさ」
ヘンリーが国王代理という言葉を使わなかったことに、リュカはそこに彼の意味があるのだと感じた。ヘンリーは恐らくポピーの手紙からサンチョの存在を知っている。謝罪の言葉をサンチョにも宛てた内容にするのだろうと、リュカは素直に頷いて答えた。
「お父さん、本当にもうグランバニアに戻るの?」
「うん。これ以上いても、ヘンリーの仕事の邪魔になるだろうし」
「……あ、あの、この帽子、ありがとうございます。大事に使わせていただきます」
「ああ、それはコリンズがやったものだからな。ほら、コリンズ。お友達にご挨拶だ」
「……また、遊びに来いよ」
「コリンズったら、寂しいのね」
マリアが困ったように笑いかけると、コリンズは恥ずかしそうにマリアの後ろに隠れて、マリアのスカートの裾で滲む涙を拭いていた。そんなコリンズの足元にスラりんがすり寄り、ガンドフがよしよしと背中を撫でる。
「国交が開かれれば、定期的にこちらにも来ることになるでしょう。きっとまたすぐにお会いできますよ」
「そうじゃな。なんせ呪文でひとっ飛びじゃからのう」
「そうそう。グランバニアとラインハットに距離はあるけど、またすぐに会えるよ、きっと」
そう言うと、リュカは子供たちと魔物の仲間たちを近くに集めた。ルーラの呪文の準備に入るが、リュカの脳裏にはっきりとしたグランバニアの光景が思い浮かばない。内心、自分が一番この場に残ってもっとヘンリーとマリアと沢山話がしたいのだと、リュカは嫌でも気づかされる。
「ポピー、ごめん、ルーラをお願いできるかな」
「どうしたの、お父さん。疲れちゃった?」
「疲れてるわけはないんだけど……どうしたんだろうね」
「いいわ、私が呪文を唱えるね」
ポピーはしっかりした口調でそう応えると、いつも通りの様子で呪文の詠唱に入る。一塊になったリュカたちはルーラの呪文に包まれ、草原の上にふわりと浮かび上がった。
「じゃあまたね、ヘンリー、マリア」
「王様がなんつー挨拶してんだよ」
ヘンリーが苦笑したその表情を見た瞬間、リュカたちは空高くに飛び上がり、グランバニアの方へと途轍もない速さで飛んで行ってしまった。あっという間に見えなくなったラインハットの景色は、リュカの脳裏にはっきりと今も残っている。そして今度彼らに会えるのはいつになるのだろうかと思ったが、再びしばらくは会えないだろうと、次にしなければならないことを考え始めていた。

Comment

  1. ケアル より:

    bibi様。

    今回、注目なのが、ポピーとコリンズ。
    ポピーは、ほんっとにビアンカそっくりな口調と、腰に手を当てる仕草はビアンカそのまま。
    bibi様が描くビアンカとポピーが、まるで同じで…(笑み)。
    面白いやら楽しいやらクスっとくるやらで(笑み)。
    コリンズ、さすがはbibi様!
    ゲーム本編に加えて、bibiワールドを展開させて素晴らしい!
    とくに、風の帽子を揚げようとしたコリンズ、それを受け取ろうとしたポピー。
    ゲームではヘンリー寝室ですが、さすがはbibi様ワールド。
    コリンズとヘンリーからのプレゼントにする描写の仕方は、お見事です!。

    プックル、ヘンリーに飛びかからなかったですね。
    リュカとの約束を守り、めんこいパンサーになりましたね(笑み)。
    でも個人的にわ、飛びかかって嘗め回して欲しかったです(笑み)。
    マリア、ほんっとに、城の最小妻になりましたね。
    でも、ガンドフたちと会いたいと言った時は、修道女になって、個人的には、硬い頭のマリアでなくて良かったでしたよ。
    ガンドフ、言葉がうまくなったのかなぁ?
    マリアとの会話が、ぎごちなくなくなって来たように思います。

    ポピー、もしかしてヘンリーに恋いしちゃった?
    かつてのビアンカがパパスに恋したように。

    仲間モンスターに会うシーンは何時も、わくわくしますね。
    とくに取り上げたいのは、ラインハット兵士は皆が足をすくめていたんでしょうね。
    コリンズにとって、ポピーとティミーは本当の友達になりますね。
    だから、ポピーとコリンズが仲良くなり…。あれ…この話は、小説かCDシアターか…忘れた(汗)。

    ヘンリーとリュカとマリアの会話…。
    ビアンカは生きている!
    これも、さっき書いたようにbibiワールドを読み込んでいたら深い意味が分かりますよ。
    ケアル…今夜は興奮して眠れるかな…(苦笑。

    次回は、テルパドールのアイシス女王ですね。
    ルーラで行けますよね?
    ルーラでないとプックルたち誰も付いてきませんよ?。
    次回、クラリスの描写できますか?
    テルパドールでクラリスの名前、出て来て欲しいなあ?…検討してくださいませ。
    次回もbibiワールドが読みたいです(ニコニコ)。
    更新が楽しみで楽しみで眠れません!(笑み)。

    • bibi より:

      ケアル 様

      こちらも早速のコメントをありがとうございます。
      風の帽子の話は絶対に入れないとなぁと思い、このような形で書いてみました。
      ポピーとコリンズのこれからが楽しみです(笑)
      プックルとヘンリーは前と同じような描写にもしようかなと思ったのですが、きっとプックルが若いとは言えないヘンリーに遠慮したのでしょう(笑)
      マリアもラインハットに慣れ、一人息子も育て、大分人間としても落ち着いてきたところでしょうかね。でも今もきっと、時間を見つけては教会に通っている気がします。
      そうそう、ポピーはあの時のビアンカのように、大人に恋をしてしまいました。憧れ、という存在でしょうかね。
      リュカは良い意味で息抜きをして、また新たにプレッシャーも感じて、グランバニアに帰って行ったことでしょう。
      テルパドール編も楽しく書けたらなぁと思っています。
      クラリス、懐かしいですね。年齢的には・・・ちょっと色々と考えて検討してみます(汗)

  2. ピピン より:

    bibiさん

    ピエールがついにデレた…(笑)
    丸くなった二人のやり取りに年月の経過を感じます。

    前回兆候はありましたが、ポピーに恋心が芽生えちゃいましたか。
    リュカは気付くのか、気付いたらどう受け止めるのか気になりますね( ´∀` )

    そしてコリンズ。今思うと彼は、過酷な運命を背負った双子を歳相応の子供でいさせてくれる存在なのかなと思いました。
    これからの双子とのやり取りが楽しみですね。

    • bibi より:

      ピピン 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      年月は人も魔物も丸くしてくれるようです(笑)
      ポピーは、子供の頃のビアンカがパパスに憧れたように、ヘンリーに憧れた感じです。
      リュカは気づいても気づかないフリをするかも知れません(笑)
      これからは堂々とグランバニアとラインハットの交流が始まるので、たまーにそんな場面を書ければいいなぁ、なんて思っています。
      (あまり脱線すると、本編がまるで進まなくなるので、ほどほどに・・・)

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