2017/12/03

鍵の技法を求めて

 

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白く光る階段を上っていくと、唐突に足元にざくざくとした感触が現れ、リュカの目に雪の粒が入った。目を閉じて擦った後、目を開けると、そこはもう妖精の村だった。つい先程までベッドの温もりに甘えていたリュカは、思わず身体中を震わせた。
「プックル、おいで」
寒い時はプックルを抱っこして暖を取るのが、今のリュカのスタイルになりつつあった。プックルも喜んでリュカの腕の中に飛び込んでいく。リュカの濃紫色のマントの中は冷気を遮断し、おまけに子供の体温が充満しており、相当温かいようだ。
「リュカ! 突然どこに行ったのかと思ったわ!」
ベラの元気な声が後ろから聞こえた。振り向くと、ベラはほっと胸をなでおろしたような表情で、リュカとプックルを見つめている。
「ベッドで眠ったと思ったら、急に姿がふわ~っと消えるんですもの。びっくりしちゃったわ」
「ぼく、あっちの自分の部屋にいたよ」
「あっちの? ああ、人間の世界のね。そうだったの。人間はこの村で寝ると元の世界に戻っちゃうのかしら。不思議だわ」
人間がこの妖精の村に来ることはまずないのだろう。ベラは目の前で薄くなり、消えてしまったリュカを思い出して、一人首を傾げていた。人間の世界に戻って行ったとしたら、人間の世界ではどのようにリュカが現れたのかを考えると、ベラは改めて首を傾げた。
「はい、あなたが置いて行っちゃった青銅の盾と毛皮のフード。持ってきたわよ」
ベラから装備品を受け取ると、まずリュカは寒さを凌ぐために毛皮のフードをすっぽりと被った。徐々に頭から温かくなってくる。プックルはその毛皮の中に入りたがったが、さすがに無理だった。
「その盾はとりあえず村の中にいる間は、このふくろに入れていたら? 村の中で盾を装備して歩き回るのも、ちょっとものものしいわ」
リュカは今にも盾を装備する気満々だったが、ベラの言うことに従い、とりあえず袋の中に盾を入れた。ベラはただ妖精の村人たちの気を変に高ぶらせたくなかった。妖精たちは本来、到底攻撃的とは言えない生き物だ。そんな大人しい妖精たちの神経を無暗に尖らせることはしたくなかった。
「フルート、取りに行かなきゃ」
リュカはふと目的を思い出し、早速村の外に出ようと歩きだした。外に出れば、早速青銅の盾が装備できる。レヌール城での冒険を成功に収めたリュカとしては、初めて手にした戦士らしいこの盾を試したくて仕方がなかった。
「ちょっと、リュカ、どこに行くのか分かってるの?」
「ええと、そう、氷のヤカタに行くんだったよね」
リュカがあっけらかんと答えると、ベラは「ふりだしに戻ったわね……」と言いながらがっくりと肩を落とした。
「氷の館は鍵で閉ざされているのよ。その鍵を開けるためにどうしたらいいのか、まだ分かってなかったわよね」
「……そうだったっけ?」
「もう少し村の人たちの話を聞きましょうね。と、その前に宿の人に知らせてこなくちゃ。リュカが戻って来たって。さっきはリュカが突然消えてびっくりしてたからね」
ベラが村の中を歩き始めるのを、リュカはプックルと一緒にしぶしぶついて行った。
村の入り口近くには先ほどリュカたちが眠り込んでしまった宿屋があった。見れば、その宿屋の前に老人とスライムがいる。この雪が降る寒い中、切り株に腰掛けて話しこんでいる。こっそり話を聞いてみると、魔物のスライムが人間の言葉を話しており、リュカは目を丸くした。
「スライムって、言葉が話せるの?」
「あの子は村に住みついてから、言葉を覚えたみたい。元々は話せなかったはずよ」
「頑張れば話せるようになるんだぁ」
リュカはニコニコしながらスライムを見て、その横を通り過ぎた。スライムもリュカのことを見ていたようだが、老人との話に花が咲いていたようで、そのままやり過ごしていた。
宿に入ると、宿の妖精がリュカの姿を見てその場で飛び上がった。さっき目の前にいた人間の少年が、再び外から戻ってきたのだから、純粋に驚いたのだろう。
「人間はこの村で眠ると、どうやら人間の世界に戻っちゃうみたい。心配かけたわね」
ベラが簡単に説明すると、宿の妖精はほっと胸を撫でおろした様子で息をついていた。その宿の妖精とベラが話す傍ら、リュカは宿の片隅で湯につかるガイコツのお化けを見つけた。目をこすってもう一度見てみたが、やはりそれはガイコツの魔物だった。鼻歌を歌っているガイコツは、リュカがじーっと見ている視線に気づき、空洞の黒い目を向けた。が、特に気にした風もなく、そのまままた独り言を言い始めた。
「ああ、いい湯じゃわい。骨までしみるのう……」
本当に骨までしみているんじゃないかと心配になったリュカは、そのガイコツの魔物に近づいて様子をうかがった。ガイコツは再びリュカに顔を向けると、ポキッと音を立てて首を傾げた。
「なんじゃ、なんぞ用か?」
「ううん、そうじゃないけど、おじさん? おじいさん? お湯、大丈夫なの?」
「人間の頃はよく山奥の村の露天風呂に入ってたんじゃ。あそこの湯に比べればちと劣るが、今のわしにはこの湯が気持ちええ」
ガイコツなので表情は分からないが、リュカにはガイコツがうっとりと微笑んでいるように見えた。
「お前さんは人間のコドモじゃな。この妖精の村に何しに来たんじゃ」
「うん、ボクね、フルートを取り返しに行くんだ」
「なんと、ポワン様の仰る戦士様というのは、お前さんかい。なんとまあ、小さい戦士様じゃ~」
宿の天井を仰ぎ見ながら、ガイコツはそのままひっくり返りそうになった。リュカが手を差し出すと、ガイコツはその小さな手を骨の手でつかみ、倒れるのを何とか防いだ。
「ところで、西の洞窟に住むドワーフの話を知ってるか?」
「ドワーフ? さっきのぼうぐ屋のおじさんのこと?」
「違う違う、あいつじゃない。なんでも大昔、盗賊の鍵の技法を編み出して、村を追い出されたそうだ。ポワン様の代なら追い出されなかったのに、哀れなドワーフだよな」
「村を追い出されちゃったの? どうして?」
「簡単な鍵なら開けてしまうという危ない技を身につけよったんじゃ。たとえ内側から鍵がかけられてても、その技があれば外から開けられてしまうからの。プライバシーも何もあったもんじゃないってわけだ」
「カギが開けられるんだ……。あっ、ベラ!」
突然リュカに呼びかけられ、ベラははっとした様子で振り向いた。
「何? どうしたの、リュカ?」
「カギが開けられるよ。ガイコツさんが教えてくれたよ。西のドウクツ、だっけ?」
「そうじゃ。なんじゃ、お前さんたち、その鍵の技法が必要なのか」
「うん、それがないと氷のヤカタに入れないんだって。教えてくれてありがとう」
リュカが湯に浸かるガイコツにお礼を言うと、表情がないはずのガイコツがまたもや微笑んだように骨を歪めた。カタカタと鳴るガイコツの顔を、リュカは思わずじっと見つめてしまった。



「西の方も雪が降っているわね。いつもだったらこんなことないのに」
ベラが地面から少し上をふよふよと飛びながら、勝手に彼女を避ける雪をふっと吹いた。雪は軽やかに舞いながら地面に落ちる。決して厳しく降りしきるような大雪ではなく、まだ楽しめる程度の軽い雪だ。
しかしプックルは自分の足をいじめる冷たい雪に嫌気がさしているようで、しょっちゅうリュカに抱っこをせがんできた。しかし村の外を歩いていると、いつ魔物に遭遇するか分からない。リュカは自分の体力を温存するためにも、プックルが甘えてくるのを宥めながら一緒に雪の上を歩かせていた。
妖精の村を出てから数時間、リュカは変わらない白い空を見上げた。時間の経過を全く感じさせない一定の明るさが続いている。果てしなく白く広がる空間からパラパラと小さな雪粒が落ち続けている。
「ベラ、ここはいつになったら夜が来るの?」
「ここは人間の世界と違って昼も夜もないのよ。どちらかと言うと、ずっと昼のまま」
「えっ、じゃあベラたちはいつ寝てるの?」
「好きな時に眠って、好きな時に起きているのよ」
朝起きて、昼に行動し、夜眠ると言う人間の世界を当たり前だと思っているリュカは、昼も夜もない妖精の世界を理解できなかった。ただ、好きな時に眠れるというのはリュカにとって魅力的な世界だった。
「あ、でもそうしたら、一日ってどうなってるの?」
「私たちはそういう数え方はしないの。季節と共に生きているだけ」
昼も夜もなく、一日もなく、ただ季節だけが巡るという妖精の世界だが、リュカはまだ冬の季節だけを味わっている。この真っ白な世界に春が来たらどうなるのだろうかと、リュカは子供心ながらに楽しみになってきた。
前を跳ねるように歩くプックルが、ふと足を止めて姿勢を低くした。
一面真っ白な銀世界の中に、一点だけ、緑色がある。プックルはどうやらその緑色のモノが気になるようで、足を止めたままじっと見据えている。
「あそこだけ雪が降ってないのかな」
「そうじゃないわ。魔物よ」
ベラはそう言うなり、手にしていた樫の杖を両手で握った。細い枝のような彼女の腕では到底魔物と戦えそうにもないと横目に見ながら、リュカは袋の中から青銅の盾を取り出した。ずしりと重みを感じるが、この盾を左腕に構えるだけで、また一歩父に近づけた気がする。リュカはにやけてしまう顔を毛皮のフードの中に隠しながら、緑色の丸いモノを見据えた。
徐々に近づいてきたそれは、青りんごだった。しかしその青りんごは鋭い一つ目と牙を持ち、大口を開けてリュカたちにギザギザに生えた獣のような牙を見せている。プックルはその牙を見ながら、唸り声を上げている。良く見るとよだれを垂らしてもいる。
「あんなマモノがいるんだ……」
元々は普通の青りんごだったのだろう。何がどうなって魔物へと変わってしまったのか、リュカには不思議でならなかった。魔物でなければこうして戦うこともなく、美味しく食べていたかもしれない。
リュカは自分の手にしている樫の杖を見た。青りんごの魔物と戦うにはあまり向いていない気がした。果物を切るときはもっぱらナイフを使うことを考えると、今は父が持つような立派な剣が欲しかった。
そんなことをのろのろと考えていたら、プックルが突然、全力疾走で青りんごの魔物に突進していった。ガップリンというその魔物はプックルが向かってくるのをただ待っている。
ガップリンに牙を向けたプックルの横から、青いゼリー状の物体がふよふよと飛びながら現れた。黄色い触手を何本も持ち、目は無表情、口はにこやかに笑っている。青りんごにかぶりつく予定だったプックルは、急に現れた気配に小さく「ぎゃん!」と飛び上がった。
「ホイミスライムも一緒にいたのね。あっちから先に倒さないと厄介だわ」
ベラは構えていた樫の杖を前に突き出し、呪文の詠唱を始めた。レヌール城でビアンカが唱えていた言葉に似ている。
常に笑顔のホイミスライムはその表情のまま、プックル目がけて触手を振り下ろした。ベチンッとプックルの顔を直撃し、大きな猫は慌ててリュカのところへ戻って来る。その後姿を追いかけるように、ホイミスライムもひゅーんと空中を飛んできた。
ちょうど完成したベラの火炎呪文が両手から放たれた。ホイミスライムはその最中に突っ込む形になり、火炎が収まると、ゼリー状の魔物の大きさが半分くらいになっていた。火炎の熱により蒸発してしまったようだ。
「リュカ、今よ、トドメをさして!」
ベラが言うのと同時くらいに、リュカは小さくなったホイミスライムを樫の杖で薙ぎ払った。青い魔物は横っ飛びにすっ飛んでいき、雪の上を煙を上げるように滑って行った。
リュカとベラの後ろでは、プックルと巨大青リンゴが睨みあっていた。弾んで勢いをつけたガップリンがプックルに体当たりをした。プックルは弾き飛ばされながらも、すぐに体勢を立て直し、即座に同じことをやり返した。今度は青リンゴが雪の上を転がっていく。
と思ったら、プックルの口がモゴモゴと動いた。どうやら魔物を少しだけかじったようだ。シャリシャリとリンゴらしい音がしている。
「プックル、おいしいの?」
魔物を食べたプックルに眉をひそめて聞くリュカに、プックルは振り向くこともなく、口から涎を垂らしながら再び攻撃を仕掛けようとしている。どうやら美味しかったらしい。
ガップリンは標的を変え、今度はリュカを狙ってきた。離れた場所から助走をつけ、リュカ目がけて突進してくる。リュカは青銅の盾を構えガップリンの攻撃を防いだが、まだ持ち方の慣れないため、左腕が衝突の衝撃にしびれた。
「リュカ、あなた、呪文は使えないの?」
「あ、そうか。ぼくもまほうが使えるんだ」
ベラに言われるまで、真空呪文の存在をすっかり忘れていた。しかしガップリンとの距離が近く、呪文を詠唱している間にプックルのように吹っ飛ばされそうだ。
リュカとベラのことなどお構いなしに、プックルは再びガップリンにかぶりついた。今度は巨大青リンゴに鋭い爪を立て、しがみついて離れないでいる。ガップリンは頭の辺りをかじられる感触に、どうにかして巨大猫を振り払おうとするが、プックルはよほどお腹が空いているのか、しぶとく離れずずっとガシガシかじっている。
「プックル、そのまま頑張って!」
リュカはプックルが本能のままにリンゴにかじる時間を使って、呪文の詠唱を始めた。ガップリンはプックルの食欲に対抗するように、しがみつくベビーパンサーに牙を向ける。
リュカの詠唱が完成する時を見計らって、ベラがプックルを魔物から引きはがした。妖精と巨大猫が青リンゴから離れるのを見て、リュカは呪文を樫の杖から放った。ガップリンが見えない刃で切り刻まれていく。
雪の上に散らばった青リンゴに、プックルは再び飛びついた。どうやら最後まで食べきってしまうらしい。後でプックルがおかしくならなければいいけど、と思いながらリュカは美味しそうに青リンゴを食べるプックルを放っておいた。
「大丈夫よ、元々は普通の青リンゴなんだもの。そんなにおかしなことにはならないと思うわ」
リュカの心の中を読み取るように、ベラがそう言った。見てみると、バラバラになった青リンゴには魔物の一つ目と大きな口がない。倒したと同時に、普通の青リンゴに戻ってしまったようだ。
遠くには小さくなってしまったホイミスライムが雪の上に倒れている。よく見ると、触手がぴくぴくと動いており、まだ息があるようだった。ベラが樫の杖を構えながら、ホイミスライムにふわふわと近づいていく。
「あのマモノが起きないうちに、先に行こうよ」
ベラに向かってリュカはそう言った。倒れている魔物に追い打ちをかけるのは、考えただけでもあまり気分の良いことではなかった。ベラも内心そう感じていたようで、ほっとした表情をしながらリュカのところへ戻って来る。妖精の性格がそもそも攻撃的ではないのだ。
「プックル、行くよ」
リュカが呼ぶと、プックルは名残惜しそうにリンゴの破片を一つ咥えて戻ってきた。口に咥えたリンゴを差し出そうとリュカを見上げるが、リュカは少し考えた末、首を横に振った。やはり、見た目がリンゴとは言え、魔物を食べるのは気が進まなかった。プックルは受け取らない主人に首を傾げたが、その直後一息に食べてしまった。
その後も幾度か魔物と遭遇したが、一面白い雪の世界のため、遠くからその姿を発見することができた。その度に雪の白さに紛れるように、身をかがめて姿を隠した。
ベラに聞くと、妖精たちはあまり村の外へは出ないらしく、外を動き回る魔物たちもあまり警戒していないのではないかということだ。明らかに魔物と目が合った、と諦めかけた時も、魔物は人間と妖精に気付かない様子で、そのままふらふらとどこかへ消えてしまったりした。妖精はまだしも、まさか人間の子供がこの世界にいるとは思ってもいない。
リュカは魔物との戦闘が避けられることにほっとしながらも、一方でせっかく手に入れた青銅の盾を試す機会がないことに、少しだけ残念がった。
歩き続けて行くと、周りの風景が変化してきたことに気付いた。相変わらずパラパラと雪が降り続いているが、ずっとだだっ広い平地を歩いていたところから、木々が林立する森が両側に広がる場所に移った。時折、木の枝に溜まった雪がどさりと落ち、プックルが飛び上がって驚いた。
「もうそろそろ見えてきてもいい気がするんだけど」
木々の葉に遮られている場所は、土がむき出しになっている。ベラは森の中を注意深く見ながら進んでいた。一方、リュカは逆に山々が連なる北側を見渡しながら歩いている。空の白と山々の白が続いていて、山の稜線はほぼ分からない。景色が一面真っ白な中、リュカは山の裾野に一部分、黒い点を見た。魔物の姿かと思い、立ち止り身構える。
その横をプックルが何の警戒心もなく通り過ぎて行く。猫の割に大きな足跡を残して、リュカの視線の先に軽い足取りで進む。プックルは黒い点を魔物とは認識していない雰囲気だ。
リュカは進むプックルの後をついて行った。プックルは一度リュカを振り返ったが、まるで「ついてこい」と言わんばかりに、再び歩き続ける。
黒い点が徐々に近づいてくると、それが山の裾野に口を広げる洞窟の入り口だと分かった。リュカは森の中を注意深く見渡しているベラに呼びかける。
「ベラ、あれじゃないかな」
「あら、見つけたの、リュカ?」
呼ばれたベラは、リュカの指さす方向に目をやると、それが洞窟の入り口だとはっきりと認識した。耳を澄ますと、ベラの耳には洞窟の中に流れ込む空気の音が聞こえた。
「よく見つけたわね、リュカ。すごいじゃない」
ベラは子供を褒めるように、リュカの頭を撫でて喜んだ。リュカは自分とあまり変わらない大きさの妖精に頭を撫でられ、少々複雑な気持ちになった。
「ドウクツの中はここよりはあったかいのかな」
リュカはその場で地団駄を踏むようにして、寒さを紛らしている。手も足もかなり冷えていた。プックルは一人で勝手に洞窟の穴の中へ向かっている。プックルも雪が降り続けるこの寒さに、相当参っているのだろう。
「寒いっていうのがよく分からないから、何とも言えないわ。どうなのかしらね」
妖精には暑いも寒いもないのだとリュカは思い出した。その証拠にベラは手足を何も覆わずに、薄い布の洋服一枚だけで雪の中にいる。顔色が悪くなるわけでもなく、手足に鳥肌が立つこともなく、ベラは至って平然としている。
「少しはあったかいといいわね」
「うん、このままじゃ、ぼく寒くて死んじゃうよ。早く行こう」
「人間って不便なのね。私、妖精でよかったわ」
ベラの言葉を最後まで聞かずに、リュカはプックルを追って小走りに駆けて行った。プックルの赤い尾がいい目印になる。ベラも二人の後を追ってふわふわと飛んで行った。



「なんとなく、あったかい気がするよ」
「奥から何かの気配がするわ」
ベラがそう言うと、リュカは慌てて樫の杖を身構えた。左手にはだらりと青銅の盾。
「ほら、洞窟の中がぼんやり光ってる。誰かいるのよ」
ベラはそう言いながら洞窟を進もうとするが、リュカには洞窟の奥が光ってるようには見えない。サンタローズでの洞窟と同じような真っ暗な空間が目の前にあるだけだ。足を進めようにも全く目が利かない。
「人間にはこの光が分からないのかしら?」
ベラには洞窟の内部がおぼろげながらも分かるらしい。リュカもどうにかして洞窟の内部を目で探ろうとするが、やはり何も見えない。プックルはやはり猫なのか、暗闇に目が利くらしく、ベラと同様にリュカを不思議そうに見上げている。
「魔物もいるみたいだし、あまり明るくするのも危険だわ。リュカはプックルの尻尾を掴んで進んでもらえる?」
「う、うん。分かったよ」
リュカがプックルの赤い尾をぎゅっと掴むと、プックルは嫌そうに一度リュカの手を払った。どうやら強く掴み過ぎたらしい。リュカは「ごめんごめん」と謝りながら、もう一度プックルの尾の毛先をつまむようにして掴んだ。
魔物の気配に敏感なプックルを先頭に、リュカ、ベラと続く。ベラは道を指図しながら、後方の魔物の気配に耳を澄ませて歩く。ベラの道の指図をプックルに伝え、リュカは地面の凹凸やたまに転がっている石ころなどに気を付けながら、足を地面に擦るようにして歩く。プックルは時折主人の様子を振り向いて窺いながら、暗闇に向かって歩いて行く。
しばらく歩くと、リュカは唐突に肩を何かにぶつけた。不意の衝撃にバランスを崩し、その場で転んでしまった。尾を引っ張られたプックルが痛さに飛び上がる。
「なに? マモノ?」
慌てて立ち上がり、転がった樫の杖を探すリュカだが、ベラは落ち着いた様子でリュカのぶつかった立て札を見た。
「無用の者 立ち入るべからず! ですって。たしかこの洞窟にはドワーフがいるのよね。何だか、ガンコそうだわ……」
ベラが渋い顔をして洞窟の奥に目を向ける。リュカは相手が魔物ではないことにほっとし、ベラの読んだ立て札を手で触って確認した。ただの木の立て札のようだ。
「むようのものって?」
「特に用事のない人は入るなってことね」
「ぼくたちはカギのぎほうを教えてもらいに行くんだから、いいんだよね」
「まあ、それが『用事』になってればいいんだけどね」
まだ文字の読めないリュカにはベラの心配することが良く分からなかった。ただ氷の館に入るために鍵の技法とやらを教えてもらう、ただそれだけのことなのに、ベラが足を止めてちょっとの間進むのを躊躇している気配を不思議に感じていた。
「ベラ、大丈夫だよ。ぼくたち、なにも悪いことなんかしないよ。行こうよ」
「そうね、ここで止まってても仕方ないし、進みましょう」
リュカとベラが再び進もうと洞窟の奥を見渡すと、二人を待っていたプックルがリュカの手に尻尾を渡し、ぐいぐいと歩き始めた。リュカは転ばないように、今度は足を弾ませるように動かして早歩きを始めた。
ドワーフの洞窟はかなり荒削りな造りになっている。足元にはごろごろと石が転がり、岩が道に突き出し、中に広がる道も平坦なものではない。ゆっくり地面を擦るように歩くか、何にも躓かないように足を高く上げて障害物を避けるかしないと、暗闇に目の利かないリュカは洞窟を進むことができなかった。
時間をかけてゆっくり進む内に、リュカはふと洞窟内の様子が見えるように感じた。洞窟の内壁に光と影ができている。どうやら近くから何かの明かりが漏れているらしい。
「誰かいるみたいだね」
「きっと『無用の者 立ち入るべからず!』って言ってるドワーフよ」
ベラが顔をしかめているのがリュカには分かった。また立ち止ってしまいそうな雰囲気のベラを元気づけるように、リュカはプックルの尻尾を離してベラの手を取った。
「ポワンさまに頼まれたんだって言えば、大丈夫だよ」
ベラの手の温度は温かくもなく冷たくもなく、何も感じない温度だった。暑さ寒さを感じない妖精は皆こうなのかもしれない。手を掴んだ感触はあるものの、ただそれはリュカと同じくらいの小さな手というだけだった。
進むにつれて明かりが強くなってくる。リュカはもう洞窟全体の景色が見渡せるくらいに目が利くようになった。見える範囲に、魔物の姿はないようだった。洞窟内は静まり返っている。
明かりが漏れている場所は、部屋になっているようだ。リュカは土壁に手を当てながらゆっくりと進み、部屋の中をそっと覗いてみた。
内部には柔らかい火の明かりが広がり、部屋の中を丸く包んでいる。荒削りな造りの洞窟の様子とは違い、部屋の中には誰かの生活感がにじみ出ていた。精巧に作られたタンスや、本棚にはぼろぼろになった書物が並び、テーブルとイスには正確にやすりがけがしてあり、リュカの目線から見てテーブルはまっ平らだった。
リュカは隠れることなく、素直に部屋の前に姿を現した。ベラはそんなリュカを見て少しあたふたしたが、子供が前に出ているのを放っておくこともできず、隣に並んだ。
洞窟内の特別な雰囲気を感じていたのか、部屋の中にいたドワーフはさほど驚かずにリュカとベラと見つめた。リュカの足元のプックルを見ると、驚いたように眉を上げた。
「お前さんたちはみな魔物か?」
キラーパンサーの子供を連れ歩くリュカとベラを魔物と勘違いし、とっさにタンスの横に立てかけてあった斧を取りだした。プックルがうなり声を上げるのをリュカが宥める。
「ぼくはリュカ。人間です。こっちはベラ。ヨウセイさんです。この子はプックル。ぼくの猫です」
リュカが淡々と説明するのを聞き、ドワーフは虚を突かれたようにその場で立ち尽くした。緊張感の欠片もない人間の子供を見て、ドワーフはたまらず笑いだした。
「なんぞ人間の子供がこんなところにおるんじゃ」
「ポワンさまにふるーとを取り返してって頼まれたんだ」
「なに? ポワン様に?」
「ふるーとを取り返すには氷のヤカタに行かなきゃいけなくて、それでカギのぎほうがいるんだけど、おじいさん教えてくれる?」
リュカがたどたどしく話すのを聞いているのかいないのか、ドワーフ爺は何やら考え込むように腕を組んで黙り込んでしまった。髪も髭ももじゃもじゃで、顔中が毛むくじゃらな上、組んだ腕にも絡み合うほどの体毛があるせいで、見た目には悩む毛玉のようだった。
「まったくザイルにはあきれてしまうわい!」
突然怒鳴り声を上げたドワーフ爺に、リュカもベラも驚いてその場で飛び上がった。プックルはリュカの後ろに回り込み、両足の間からドワーフ爺をこっそり見上げた。
「わしがポワン様に追い出されたと勘違いして、仕返しを考えるとは……」
言葉はしっかり聞き取れるが、見た目には髭がもごもご動いているだけだった。
「おじいさん、ザイルって誰のこと?」
ベラが控えめに窺うように聞くと、ドワーフ爺は小さな目をベラに向けて、また俯いた。
「ワシの孫じゃよ。まったく、人の話を最後まで聞かんでなぁ。仕返しするんだとか何とか言って、世界から春を盗んでしもうた……。ワシがいくら謝ろうとも、春は戻らん」
ただでさえあまり大きくない体を更に縮めて、ドワーフ爺は首を垂れた。リュカには今一つ爺と孫の関係が分からず、話も上の空で聞いていたが、小さくなってしまっているドワーフ爺を見て無意識にも心が痛くなった。
そんなリュカが下から覗き込むように顔を見せると、自身の孫とさほど変わらないような小さな少年にドワーフ爺は眉尻を下げて微笑んだ。
「おじいさん、そのザイルって子は今、氷の館にいるのよね?」
ベラが問いかけると、ドワーフ爺は髭をしごきながら一つ頷いた。
「そのようじゃ。ワシの編み出した鍵の技法を持って、館に立てこもっておるようじゃ」
「ボクたち、ザイルを連れてくるよ。おじいさんが待ってるよって、言ってくる」
洞窟の中の仄かな灯りに照らされる少年の頬は寒さで赤くなっているが、何でも弾いてしまうような張りがある。ザイルよりも幼いのかも知れないと、ドワーフ爺は目の前の人間の子供をザイルと照らして見ていた。
「妖精の村から来たお方よ。お詫びと言っては何だが、鍵の技法をさずけよう」
ドワーフ爺はベラに頭を下げながらそう言った。ベラは小さな両手でドワーフ爺の厳つい手を取ると、「ありがとう」とお礼を述べた。リュカには、薄暗い洞窟の中で小さな花がしゃべったように見えた。
「鍵の技法はこの洞窟深く、宝箱の中に封印した。どうかザイルを正しき道に戻してやってくだされ」
ドワーフ爺は再び丁寧に頭を下げ、ベラの小さな手を両手で握り返した。ずんぐりむっくりの小さな体からは想像できないような力強い握手に、ベラの笑顔が少しだけ歪んだ。
そんなやり取りの横で、プックルは数えきれないほどの欠伸をしていた。言葉のやり取りも、三者三様の感情も分からないプックルにとっては、退屈な時間だったようだ。主人のリュカがその場を動かないため、どうにかプックルも待っていられたが、リュカが一歩踏み出したその瞬間、プックルは部屋の入り口まで早足で歩いて行ってしまった。リュカが見えるところでくるりと振り向き、尻尾をふりふり「早く来い」と言わんばかりの顔つきで待っている。リュカもベラも、ドワーフ爺までもがそんなプックルの行動に笑い出してしまった。



洞窟内は灯りに乏しく、プックルの鼻を頼りに進み続けた。ドワーフ爺のところで灯りを求めようとしたが、「こんな洞窟の中で灯りを持って入るなど、魔物に自分を仕留めてくれと言っているようなものだ」と忠告され、ほとんど真っ暗やみの中を牛歩のように進んでいる。
時折、洞窟内がぽわっと明るくなる時がある。それは魔物が発する光だった。魔物は大抵、暗闇でも目が利くものだが、中にはあまり暗闇に強くない魔物もいるのかも知れない。そんな魔物の仲間の為に、光を発生させられる魔物が連れだって歩き、辺りを明るくしているのだろう。
リュカは洞窟の陰からその瞬間を何度か目にしていた。長細い火の形をした魔物が、洞窟の中では眩しいくらいの光を発しながら、他の小さな竜のような魔物や、土から生まれた人型の魔物などと連れだって歩いている。魔物が光を照らしてくれるおかげで、リュカたちにも洞窟の形がおぼろげながら分かってきていた。
「あっちにも道があるみたいだね。プックル、どう思う?」
「がうがう……」
プックルはあまり気乗りしない返事をした。プックルは洞窟自体は案外好きなようだが、その先にあまり好ましくないものがあると敏感に感じ取り、先には進まない。この時プックルの鼻が感じたのは、洞窟内の毒の臭いだった。リュカが指示した方向には毒の沼地に通ずる大穴が地面に開いている。プックルは鼻に皺を寄せて、ぷいっと足先を変えた。
変えた方向に、ちょうど運悪く、魔物の群れが通った。先頭を光を発する魔物がふわふわと浮いて進み、その後を植物のつるを両手のように伸ばした緑色の魔物、土から生まれた子供のような人型の魔物が連れだって歩いている。魔物たちは一斉にリュカたちに目を向けると、まずプックルの青い二つの瞳を見つけた。にわかに騒ぎ出したかと思うと、すぐにプックル目がけて走り進んできた。そんな仲間の視界を良くするため、光を生み出す魔物は一層強い光で洞窟全体を照らした。土壁の陰影がくっきりと浮かび上がり、リュカは魔物がいるその場所に地下に下りる坂があるのを見つけた。
魔物たちは洞窟内の異変を感じて、外の様子でも見に行こうと思った矢先に、異変そのものであるリュカたちに遭遇したのだった。
「ベラ、あっちに階段があるよ。行こう」
「何のんきなことを言ってるの。まずは魔物たちを倒さないと進めないわ」
ベラが呪文の詠唱に入る。プックルは既に魔物の群れに飛びかかっていた。リュカは何をすべきかを考え、青銅の盾をベラの前に立てて置いた。呪文詠唱中に魔物に飛びかかられないよう、盾を立ててベラの小さな体を隠したのだ。
そして樫の杖を両手で持ち、魔物の攻撃に備えた瞬間、リュカの元に緑色の植物のつるが伸びて来た。そのつるで頬を叩かれ、冷えていたリュカの頬はしこたましびれた。しかしその直後、打撃を受けた頬はじんわり温かくなった。攻撃を受けたおかげで、頬に血が通ったようだ。
再びつるが伸びてくるのが見えた。光を生み出すナイトウイプスのおかげで、伸びてくるつるの軌道が分かる。リュカは伸びて来たつるを見極め、樫の杖に巻きつかせた。勢いよく巻いたつるを右手で抑え、樫の杖ごと引っ張った。途中でぶちっと切れる音がし、魔物の「きゃあっ」という悲鳴が聞こえた。植物の魔物マッドプラントが腕をさするように、つるの切れ目をもう片方のつるでさすっている。
「どいてくれたら攻撃なんてしないのになぁ」
リュカはそう呟きながらも、マッドプラントに樫の杖の打撃を加えた。へにゃんとへこんだ胴体に、リュカは顔をしかめる。自分がやれらたらとても痛そうな一撃だ。
プックルが土わらしの頭に石の牙を立ててしがみつき、土わらしはプックルの尻尾を掴んで引きはがそうとしている。伸びた鋭い爪で背中を引っ掻かれると、プックルは「にぎゃあ」と叫んで、土わらしから飛び離れた。と思ったら、すぐに次の攻撃に移り、今度は土わらしのふくらはぎに噛みついた。土わらしはその場で飛び上がり、体を捻って背後にいる巨大猫を追い払おうと両腕を振り回す。
青銅の盾の陰に隠れながら呪文を完成させたベラは、標的を複数のマッドプラントに一気に放った。洞窟内に閃光が走り、魔の心を持った植物は一斉に焼き尽くされた。ギラの呪文が放たれた場所にはぶすぶすと煙る植物の燃えカスと、焦げ跡だけが残った。 リュカは残る魔物、ナイトウイプスを見据えた。発光するその魔物は、連れ立っていた魔物の仲間が皆倒れるのを見ると、怖気づいたように徐々に後ずさっていく。リュカとプックルとベラとでじりじりと距離を詰めて行くと、ナイトウイプスは完全に先頭意欲をなくし、後ろの下り坂を一気に下って行ってしまった。ナイトウイプスの進行方向に次々と灯りが灯され、道が明らかになる。
「あっ、あのマモノについて行けば道が分かるよ」
リュカはそう言うや否や、一人で駆け出してしまった。プックルは迷わず主人の行く後をついて行ったが、ベラは完全に意表を突かれ、しばらくその場で立ち尽くしてしまった。まさか、魔物の後をついて行くなどとは考えもしなかったのだ。
光について行くように走り続け、洞窟の深部にたどり着くと、そこには逃げたナイトウイプス含め、合計八体の同じ魔物が待ち構えていた。おかげで行き止まりの洞窟内は視界に困らないくらいに明るいが、魔物は逃げずにリュカたちと向き合っている。どうやら仲間と合流して自信を回復したようだ。
「あんなにいたら、ちょっと難しいわね……」
ベラはリュカたちに追いつくと、杖を両手で構えながらどう魔物と対峙しようかと考えた。一方で、リュカは目の前にずらりと並ぶ青白い光に照らされる洞窟内を見渡した。魔物たちの背後に何やら古びた箱のようなものが置いてある。錠がついているが、よく見るとそれは外されている。
魔物たちはどうやら箱には興味がないようで、その存在に気付いてすらいないようだ。洞窟内部の土色と同色のその箱は、よほど注視しなければ見つけられないものだった。
「ベラ、あの箱の中にきっとあるんだよ、カギのぎほう」
リュカが箱のある場所を指さすと、それを「行け!」と言われたのだと勘違いしたプックルが、素早く地面を蹴った。「えっ?」っとリュカとベラがぽかんと見つめるプックルは、見事にナイトウイプスにタックルを決めた。意外にも重々しい音に吹っ飛ばされた魔物はたまりかねて、そのまま暗闇に消えるように姿を消してしまった。洞窟内の灯りが落ち、少しだけ視界が悪くなる。 「プックル、ちょっと待って。先にあの箱を……」
リュカが言いかけるが、プックルの一撃で気が立った魔物たちは一斉にリュカたちに向かって飛び込んできた。目の前に迫る光をプックルとベラはすんでのところで身をかわし、リュカは素早く青銅の盾を出し、攻撃を防ぐ。しかし他の一体が後ろから迫り、リュカの背中に一撃を食らわした。青銅の盾が重々しく地面に倒れ、その横にリュカも倒れた。天井高く上がったナイトウイプスが倒れたリュカに焦点を絞ると、そのまま勢い込んで突っ込んできた。
「ギラッ!」
ベラの鋭い声が響いた。直後、薄暗い洞窟の中を激しい熱の光が覆った。帯状に広がる熱の閃光が幾体かの魔物を薙ぐように走る。自身の生み出す光よりも遥かに激しい閃光呪文に、直撃を受けたナイトウイプス三体が閃光の中に消えた。洞窟内が一段と暗くなる。
残った四体がベラを取り囲む。呪文の発生源を止めてしまおうと考えたようだ。ベラは震える手で杖を構え、足場を確認するように地面をにじった。ナイトウイプスの青白い光に照らされ、ベラの顔が蒼白に見える。
「プックル、とにかく倒しちゃおう。行くよ!」
「ぎゃう」
プックルが地面を蹴るのと同時に、リュカは両手で構えた樫の杖を魔物の後ろから一気に振り下ろした。樫のコブが魔物の体にめり込み、魔物は鈍い悲鳴を上げた。その隣でプックルの鋭い爪を受けた魔物が、裂かれた光を元に戻すこともできず、そのまま暗闇に消えた。
リュカの一撃に弱った魔物に、すかさずプックルが追い打ちをかける。石の牙で胴体に噛みつき、魔物が光の体を苦しそうによじる。その場から動かない魔物に、リュカは樫の杖のコブで横から払った。プックルは素早く魔物から離れ、地面を滑って行った魔物はそのまま地面に吸い込まれるように消えてしまった。
「あと二匹みたいね」
そう言うベラの姿が暗闇に紛れそうになっている。目の前のナイトウイプス二体は相談し合うように身を寄せ合って中空に漂っている。その光は弱く、照らしている範囲はごく狭い。
その弱い光を弱く照らしている宝箱をリュカは見た。魔物が生み出すこの明かりがないと、たとえ宝箱の中を見つけたとしても、暗闇の中ではそれも確認できない。ドワーフ爺の言っていた「鍵の技法」というのを、リュカは本か何かかと思っていた。
そうだとすると、字の読めない自分には恐らく用のないものだとふと思った。今、宝箱の一番近くにいるのはベラだ。
「ベラ、その宝箱を開けて中を見てみて」
「え? 私が?」
「うん。カギのぎほうってきっとぼくには分からないよ。だってぼく、字が読めないんだもん」
「そうね。それもそうよね。それに考えてみれば人間の言葉で書いてあるのも疑わしいわ。人間には読めないものなのかも」
どうやらベラも本か巻物のようなものだと思っているらしい。ベラが宝箱に手を伸ばそうとしたその時、ナイトウイプスが二体揃ってベラに向かって行った。油断していたベラが奇襲に吹っ飛ばされ、床に肩を打ちつけた。
慌ててリュカが駆け寄ろうとしたが、ナイトウイプスはやはり二体揃って、立て続けにプックルに飛びかかった。プックルも石の牙で噛みついたり、鋭い爪を出して引っ掻こうと宙に足をバタバタさせたが、一体に抑え込まれ、もう一体に攻撃をされては、ほとんど為す術がなかった。
倒れているベラを見ながらも、応戦もままならないプックルが気になり、リュカはその場で両足を踏ん張りながら、どちらに行けばいいのか分からなくなってしまった。逡巡しているリュカには構わず、ナイトウイプスらは確実に敵であるリュカたちをやっつけようと協力している。
プックルがナイトウイプスの長い胴体に巻かれ、体の動きを封じこまれている。徐々に元気を失っていくプックルを見て、リュカはプックルを助けようと、攻撃の手を休めないナイトウイプスの尻尾のような部分をはしっと掴んだ。そしてそのまま力任せにぶんぶんと遠心力を使って振り回し、自分も目を回しながら、魔物を壁に向かって投げつけた。壁に叩きつけられた魔物は、その形のままずるずると地面に落ちた。そして地面に溶け込むように消えてしまった。
残りの一体が洞窟内をおろおろと浮かんでいる。仲間が皆消え、居場所を探すように辺りを見回している。その隙に、リュカは半身を起こしているベラの傍らにしゃがみ、回復呪文を唱えた。ベラの肩の傷が癒されていく。
「ありがとう、リュカ。助かったわ」
「プックルも大丈夫?」
リュカはすかさずプックルのいる方へ目をやったが、もはや暗闇が濃くなり、プックルの形が分かるだけで、その様子は窺えない。しかしプックルが身を起こしているのが分かると、ほっと息をついた。
「プックル、おいで」
リュカの声に反応し、プックルはよろよろと歩いてきた。怪我はないようだが、苦しそうに呼吸を荒げている。ナイトウイプスに胴体を締めあげられたのが余程堪えたらしい。
リュカ、プックル、ベラが身を寄せ合って、残り一体となったナイトウイプスを見上げる。青白く光る魔物は仲間がいなくなって心細くなったのか、攻撃の手を止め、ひたすら怯えるようにその場で身を震わせている。青白い光が洞窟の内部を不規則に揺らす。
魔物のその反応を見て、リュカもベラも攻撃する意思を無くしてしまった。元々二人に魔物に対する憎しみや嫌悪の心はない。相手に戦闘の意思がなくなった今、二人も特に魔物と戦う理由がなくなってしまった。プックルに至っては既に毛づくろいを始めている。二人と一匹は心の中でもう魔物との戦いを終えていた。
「とりあえずあの宝箱を開けてみましょうか」
「そうだね。カギのぎほう、見てみよう」
リュカとベラが魔物の光にかすかに照らされた宝箱にゆっくりと近づいた。プックルも興味なさげではあるが、主の後をひょこひょこついて行く。
すると宝箱を照らす青白い光が少し強まった。ナイトウイプスも連れだって宝箱に近づいて来たのだ。ベラは慌てて樫の杖を両手に構えたが、リュカは近づく魔物をちらっと見ただけで、気にせず宝箱に手をかけた。魔物もじっとリュカの行動を見守っている。
開けた宝箱の中には一冊の古びた書物が入っていた。リュカはそれを手に取ると、軽い気持ちで本の表紙を開いた。直後、リュカの顔面に突風が吹きつけた。驚いたリュカは思わず後ろにのけ反ったが、ベラに背中を支えられ、どうにか倒れずに踏みとどまった。
吹きつけた突風がリュカの全身を駆け巡る。文字を知らないリュカの頭の中に、見たこともない文字が羅列して次々と浮かんでくる。刻み込まれる文字と共に、リュカは右手がじんわり熱を発してくるのを感じた。そして頭の中に刻まれる文字と合わせて、リュカの右手が技法を記憶する。脳が覚えるのではなく、体が勝手に本の文字に合わせて技法を覚えていく。リュカは初めての感覚に戸惑いながらも、読めない文字を目で追いながらページを次々と捲る。右手の熱が上昇し、誰かが触れたら火傷でもするのではないかと思うほど、煮えたぎるような熱さになった。リュカがその熱に根を上げそうになった瞬間、手にした書物が音もなく崩れ去った。粉々になり、リュカの指の隙間から砂のように落ちた書物は、その役目を終えた。
「……一体、何が起こったの?」
ベラは地面に落ちた書物の欠片を見つめながらそう言った。リュカもベラと同じことを言いたい気分だった。一体何が起こったのか、自分でもよくわからなかった。
「リュカ、あなた、鍵の技法を手に入れたのね?」
「たぶん、そうなんじゃないかな。よくわからないけど」
リュカは首を傾げながら自分の右手を見た。書物に書いてあった文字は一つも読めなかったが、何かを頭に叩き込まれた感じだ。ただその技法とやらは試してみないと、本当に身についているのかどうか分からない。
すると辺りを漂っていたナイトウイプスが洞窟内を移動し始めた。まるでリュカたちを先導するような動きで、一定の場所を離れた後、リュカたちを振り返っている。
「何かしら?」
「ついてきてほしいのかな。行ってみよう」
リュカが歩き始めると、ベラもプックルも特に警戒心を抱くことなく魔物の後をついて行った。ナイトウイプスはちらちらとリュカたちを振り返りながら、徐々に洞窟の中を進み始める。
その道はリュカたちが歩いてきた道だった。しかしナイトウイプスは少し方向を変え、洞窟内の壁の一部をその光で照らした。そこには鍵のかかった鉄の扉があった。ごく弱い青白い光に照らされ、硬質な光を跳ね返している場所が辛うじて扉と分かる。プックルが足元で扉の一部を引っ掻いているが、周りの土壁とは違い、ボロボロと崩れることはない。
ナイトウイプスは扉を照らしながら、リュカをじっと見つめている。リュカは誘われるように扉の前に立つと、まだ熱を持っている右手で扉に触れた。脳の中で、扉の鍵の形を探ろうと、パズルの組み合わせが始まる。そしてそれはすぐに合致した。
リュカは忘れないうちに鍵を完成させようと、道具袋の中から鍵になりそうなものを探し始めた。無言で行動するリュカの真意が分からず、ベラはただ見守っている。プックルはナイトウイプスと目を合わせて、首を傾げた。
「ないなぁ……。あっ、これでいいや」
リュカはそう言うなり、呪文を唱え始めた。それが真空呪文だと分かると、ベラは混乱したように一歩後ろに下がった。
真空呪文が解き放たれた対象は、リュカの手にしていた樫の杖だった。呪文完成と同時に、リュカは手にしていた樫の杖を空中に放り投げ、真空呪文を浴びせた。一瞬にして、樫の杖がバラバラになる。武器としての機能はなくなり、ただの木の切れ端だらけになった樫の杖から、リュカはパスルの答えと一致しそうな形のものを探し始める。
「これでいいかな」
独り言のように呟くと、リュカは一つの木の端くれを拾い、鉄扉の鍵穴に差し込んだ。丈夫な樫の木は折れることなく、ガチリと鍵を開けた。リュカが両手で扉を押すと、鉄扉は土壁を少し削りながらゆっくりと開いた。頭の上に土がパラパラと落ちてくる。
「リュカ! すごいじゃない!」
ベラが文字通り飛び上がって喜んだ。プックルはリュカの足元で、扉の向こう側の様子を窺っている。
すると、ずっと明かりを照らしていたナイトウイプスが扉から出て行き、今度は扉の向こう側でリュカを待っている。新しい洞窟の空洞で青白い光が揺らめいている。
「……出口まで連れてってくれるのかな」
リュカがそう言うと、その場でくるりと一回転した。どうやら頷いたつもりのようだ。リュカが何の危機感もなく魔物について行くと、プックルものんびりとその後について行く。すっかり仲間のようになってしまったリュカとナイトウイプスを見て、ベラは妖精の村にいるスライムのことを思い出した。
「もしかしたら、あのスライムもこうして毒気が抜かれちゃったのかしら」
ベラは今まで村の不思議の一つを、目の前で見たような気分だった。

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