2017/12/03

氷の館

 

この記事を書いている人 - WRITER -

一時的に小降りになった雪をかっさらうように、木製のブーメランが音を立てて飛んでいく。きれいに弧を描けるようになったのは、つい小一時間前のことだ。それまでは飛んでいったっきり姿を消してしまったり、弧を描いて戻ってきたはいいものの、勢い余ってリュカの頭にぶつかったりしていた。まだその時のたんこぶがリュカの頭にある。
ひゅんひゅん音を立てて飛んでいくブーメランをおもちゃだと勘違いしていたプックルは、それを追いかけて走り回り、今ではリュカの横でへたばっていた。しかしそれでもブーメランの風を切る音に耳を立て、その度にぴくりと反応して見せている。
「だいぶ上手くなったよね」
「そうね、これならもう外に出て実戦してみてもいいかもしれないわ」
「人間の子供のワリに、なかなか力があるのう」
「おじさん、コレ、ありがとう。本当にもらっていいの?」
「ポワン様のお役に立てるのなら、ワシの作った武器をくれてやるのは惜しくないわい」
村の入り口辺りでブーメランを飛ばす練習をしていたリュカを、万屋のドワーフが見守っていた。本来であれば人間など毛嫌いするはずのドワーフだが、妖精の村で暮らすうちに、異種を嫌う刺々しさがなくなったらしい。妖精だろうが人間だろうが魔物だろうが、相手が悪くなければ何でも受け入れてしまう。リュカは自分と同じほどの背丈がある人間の子供だが、この万屋のドワーフにとって見ればまだまだ赤子のような存在だ。嫌うというよりも、むしろリュカを可愛がり始めていた。
「ワシの作った武器にはちょっとしたまじないもかけてあるから、そうそう壊れはせんよ」
西の洞窟でリュカが樫の杖を粉々に砕いてしまったのを聞いていた万屋は、職人の意地を見せるように、子供でも扱えるブーメランをまじないで鍛え上げた。見た目には何の変哲もない木製のブーメランだが、上手く念じながら勢いよく飛ばすと、リュカの手に吸い込まれるように戻ってくる。コツを覚えるまではどこに飛ぶかも分からないシロモノだったが、念じるコツを掴むと、たとえブーメランが木の枝に当たろうが、木の上に積もる雪に刺さろうが、その勢いのままリュカの手元に戻って来るから不思議だ。物に魔法をかけ、命を吹き込むというドワーフのワザをリュカは初めて目にした。
気がつけば、この妖精の村で、リュカは結局防具屋のドワーフにも万屋のドワーフにも、一銭の対価も払うことなく武器防具をひと揃い手に入れてしまった。そんなちゃっかりしたリュカだが、ベラは微笑んで彼を見ている。西の洞窟では魔物すら手懐けてしまった少年だ。ドワーフ二人とすぐに仲良くなってしまうのも、嫌味なく受け入れられる。
人間の村、サンタローズでは唯一、リュカだけが妖精であるベラの存在に気がついた。他の人間たちはどんないたずらを仕掛けようと、誰もベラの存在に気がつくことはなかった。ベラは初め、村でただ一人の子供だからと思っていたが、どうやらそれだけではないようだと、今のリュカを見て考え始めていた。彼には何か、特殊なチカラがあるのかもしれない。
「じゃあ、キタに行こうか」
リュカが上気させた顔で後ろを振り向くと、ベラはそんなリュカに力強く頷いた。
「そうね、氷の館に行って、ザイル、だっけ? そのドワーフから春風のフルートを取り返しましょう」
ベラがまるで正義の味方を気取るように北の方角を向いて、腰に両手をあてて胸を張ると、リュカもよく分からないまま同じ方角を向く。
「ねぇ、ベラ」
「なに?」
「そういえば、キタって何?」
「……リュカ、あなた、まだまだ色々勉強しなきゃいけないことがあるみたいね」
ベラががっかりと肩を落とすと、寒さに身を縮めていたプックルがリュカのマントの内側に入り込んだ。勝手に濃紫色のマントをくるくると巻いて、勝手に暖を取っている。
そんな気ままなプックルに笑いながら、ベラは懐から妖精の村周辺の地図を取りだした。そしてリュカに世の中には方角というものがあって、という説明からし始め、冒険をしてきた西の洞窟や、これから向かう北の氷の館の位置を確認しながら、村を後にした。



「これが寒気っていうやつなのかしら。何だか体が震えて来るわ」
ベラがそう言いながら両腕で自分の身体を抱きしめるようにして身を縮めている。しかし相変わらず腕も足も出るような薄着で、寒がっているようだが、本気で寒いようには見えない。
「雪がすごくて歩きづらいよ」
「これも春風のフルートを取り返して、ポワン様がひとたびフルートを吹けば、たちまち溶けてしまうわ。だから頑張って行きましょう」
「ベラはいいなぁ、飛べるから。ボクにもハネが生えてたら良かったのに」
「そうね、人間って色々と不便そうだものね。ずっと地面を歩いていなきゃならないなんて、足が疲れちゃいそう」
降り積もった雪はリュカの膝くらいまで埋めてしまっている。幸い、今は雪が小降りだが、空は相変わらず薄暗く、またいつ雪が降りだすか分からないような天気だ。日も差さないこの天気では、雪が少しも溶けないままだ。
「プックル、ずるいよ。ちょっとは自分で歩きなよ」
「それはちょっと無理よ。プックルがこの雪の中を歩いたら、すぐに埋まってしまうわ」
ベラの言うことも聞かずに、リュカは抱きかかえていたプックルの首を掴んで、雪の上に下ろした。両腕から温かさが逃げて行ったが、同時に両腕が軽くなった。
雪の上に下ろされたプックルは雪の冷たさに四足で踊るように飛び跳ね、その勢いで一気に雪に埋もれ、見えなくなってしまった。やはり雪深い道を歩くのは、この小さなキラータイガーには無理なようだ。
ベラがゆっくりと空高く上がり、上空から周辺の土地を見渡した。どこもかしこも雪が積もってはいるが、土地の地形により積もり方にバラつきがあるようだ。魔物との遭遇が高まるが、まだ森の中の方が歩きやすそうだ。
「あっちの方が雪が浅いかも知れないわ。ちょっと移動しましょう」
ベラがそう言うと、リュカはプックルを掘り出しながらうんうんと頷いた。雪まみれのプックルはもう地面など歩きたくないと言わんばかりに、リュカの濃紫色のマントに爪を立ててしがみついた。
森へ移動すると、格段に歩きやすくなった。代わりに、枝の上に降り積もった雪が時折、すさまじい音を立てて上から落ちてくる。バサバサと目の前に落ちる雪の量を見て、もしこの雪の下にいたらここにいる誰もが完全に埋もれてしまうと、ベラは頭上に注意しながら進み出した。地図をリュカに渡し、進路決定は少年に任せることにした。
リュカは初めて地図を見ながら自分で道を決められることを嬉しく感じ、寒さなど忘れてにこにこしながら辺りを見渡し、地図と地形を見比べて行った。
森の中を見渡しながら進むと、ふと、何かと目が合った。リュカがじーっとその生き物を見ていると、相手の生き物もリュカのことをじーっと見つめて来た。そしてその生き物は後ろの似たような生き物に何やら話しかけている。良く見れば、その生き物の集団は四体いるようだ。あまり、魔物のようには見えないそれらは、様子を探るようにリュカたちの方へと近づいてくる。
「あら、コロボックル族だわ」
魔物に対する警戒心とは違う緊張感を持って、ベラがそう言った。
「コロボックルぞく?」
「たまに見かけるのよね。話によると、世界を平和にするために旅をしているって聞いたことがあるけど……」
「イイ人?」
「うーん、そうね、悪い人じゃないわよ、きっと」
「じゃあ、おともだちになれるかな」
「うーーーん、それはちょっとどうかしら。そういう感じじゃない気がするわ」
そんな会話をする間にも、コロボックル族の四体は徐々にリュカたちに近づいてきた。青色の肌をし、人間の子供のような体型で、見た目にはしっかりとした装備を整えている。しかしその旅装束は木の葉をマント代わりにしたり、木の実をくり抜いて胸あてのように胴に着けたり、帽子にしたりと、至って可愛らしいものだ。
目と鼻の先にまで来たコロボックル族たちは、それぞれ「コロコロッ」としゃべりながら、リュカに向かって剣やら斧やら、星を象った飾りのついた杖などを一斉に向けた。その三体の少し後ろで十字架を持った一体が控えめに構えている。おそらくパーティーの回復役なのだろう。
「勝負、する気なのかしら」
「……あんまり戦いたくないんだけどな」
リュカは目の前までやってきたコロボックル族たちを、しゃがんで見下ろした。プックルも興味津々に鼻先を近づけて、匂いを嗅ぐ。それくらいに小さな種族なのだ。少し大きめの葉を重ねて衣服にできるほど、彼らは小さい。
そんな小さなコロボックル族だが、リュカたちに向かってそれぞれ剣や斧や杖を堂々たる態度で向けている。戦う気満々だ。そんな姿が可愛らしく、リュカは思わずにこにこ笑って彼らを見ていた。
星飾りのついた杖を両手で構えながら、呪文を唱えるコロマージ。高度な呪文を完成させようとしているのか、途中途中に何度か間違えているようで、その度にまた初めから呪文を唱え直している。その間に攻撃を仕掛けてしまえば難なく倒せるのだが、「コロッ? コロコロコロ……」と呪文を唱え直す度に、心が無性に温かくなり、リュカもベラも攻撃の手を出すことができない。
そんなコロマージの前で間合いを計っていたコロファイターが、小さくも立派な斧を両手で振り上げ、プックルに向かって突撃してきた。プックルは驚いて後ろに飛び退り、斧の攻撃をかわすと、勢い余ったコロファイターの斧は地面に突き刺さり、そのまま抜けなくなってしまった。一生懸命踏ん張って斧を抜こうとするコロファイターを、プックルは不思議そうに見つめる。
コロファイターに続いて、次は剣を持つコロヒーローがリュカに向かって突進してきた。彼もずっと「コロコロコロ……」と呪文を唱えていた。地面を蹴り、高々と舞い上がったコロヒーローが振り上げる剣先が鈍く雪の白に光る。その光が一気に大きくなり、一つの呪文が完成されようとした瞬間、コロヒーローもろとも、大爆発を起こした。
リュカの目の前で「ボスンッ」という爆発音と共に煙が上がり、直後、コロヒーローがぶすぶすと焦げた状態で煙の中から姿を現した。髪は縮れ、葉の衣服はくすぶり、口からもばふっと煙を吐いた。どうやら高度な呪文を仕掛ける予定が、失敗して、自分に降りかかってしまったようだ。
すかさず後ろで控えていたコロプリーストが十字架を握りしめ、回復呪文を唱える。リュカも知っている初歩の回復呪文ホイミで、コロヒーローの傷が癒されていく。
「……一体、どうしたらいいのかしら」
「逃げたらダメなのかな」
「そうしましょうか。だって彼らは彼らで世界の平和のために旅してるんだもの。邪魔しちゃいけないわよね、やっぱり」
「良い子、なんだね」
「そうね、決して悪い子たちじゃないわ」
コロボックルたちはまだ戦闘態勢を崩してはいないが、リュカもベラも彼らのおっちょこちょいで可愛らしい姿を見て、戦闘意欲などそもそも発生しようがなかった。リュカは彼らを興味津々で見ているプックルをひょいと抱き上げると、ベラとタイミングを合わせて、一気に北を目指して駆け出した。コロボックルたちは「コロッ!?」と意表を突かれた声を上げ、その場で立ちすくんだ。
「コロコーロ!」
リュカたちの背後で一際高い声が響いたかと、再び小さな爆発音が聞こえた。リュカがちらっと振り向くと、そこには煙を吹くコロマージの姿があった。コロヒーロー同様、呪文に失敗したのだろう。やたらと時間がかかっていたのは、やはり高度な呪文に挑戦してのことだろう。
彼らの志は高い。何せ世界平和を願って、仲間たちと旅を続けているのだ。しかしどうやらその実力はまだまだ発展途上にあるようだ。
しばらく彼らはリュカたちの後を追っかけていたが、走る早さも雲泥の差である。あっという間にリュカたちからコロボックル族の姿は見えなくなった。標的を見失った彼らは恐らく、また新たな敵を見つけて戦いを挑むのだろう。そうやって彼らは徐々に強く……なっているのだろうか。
走って切れた息を整えるのに、リュカはしばし足を止めてぜいぜいと呼吸を繰り返した。走ったおかげで少し体が温まったものの、それもすぐに凍てつくような冷気に吸い取られる。道を進めるにつれ、肌にまとわりつく冷気の強さが増しているようだ。村を出る時には肌を撫でる程度の冷気だったものが、今では肌にぴたりと寄り添い、片時も離れてくれない。足を止めていると、それだけ冷気が体の内側にまで忍び込むようで、リュカは息も整わない内に、早々に北に向かって歩き始めた。
しばらく進むと森が途切れ、再び雪の積もる平地に出た。その途端、リュカの頬を雪が殴りつけた。視界が吹雪の白さに霞み、遠くまで見渡すことができない。リュカは目を細めて辺りを見渡し、左手に山々が連なるのを確認した。ベラから受け取った地図と見比べ、「キタ」に向かうにはこのまま山々を左手に見ながら、積雪のある平地を歩かなければならないことを悟った。
「プックル、おいで」
「にゃあ」
プックルも心得たように、差し出されたリュカの両腕の中に飛び込む。プックルの身体から雪を払い、リュカはマントの中にプックルを包み込む。プックルは喉をゴロゴロ鳴らしながら、満足げに目を瞑った。
「あっちの山沿いを歩いた方が良さそうね。まだ雪が浅いかも」
雪は山の向こう側から吹きつけてくる。それも視界が閉ざされるほどの勢いで、リュカたちを痛めつけてくるかのようだ。それは、山の向こう側に、悪意を感じるほどの何かが存在するのを示していた。リュカは無意識にも、山の稜線を睨むように見つめていた。
山沿いの積雪は大したことはなく、結局プックルはリュカの腕から下ろされるハメになった。プックルは不満な声を出したが、リュカが宥めすかしてようやく自分の足で歩くようになった。プックルは半ば凍ってしまっている雪の上を、踊るような足取りで早足に駆けて行く。
山沿いは平地と違い、見通しが悪い。凹凸の激しい山肌は、魔物の姿も容易に隠してしまう。最新の注意を払っていても、魔物との遭遇は避けて通れないものだ。おまけに吹雪く雪のせいで、視界が真っ白になる。リュカは急峻な山肌を手で伝いながら、ゆっくりと歩いて行った。
「いたっ!」
山肌を伝っていたリュカの手が、トゲのようなものに触れた。慌てて手を引っ込めると、指先に血が滲んでいた。しかしこの冷気のおかげで、リュカの血管は収縮しており、大した出血はない。すぐに血は止まった。
リュカが山肌を調べようとした時、山肌の一部が動いた。驚いたリュカが後ずさると、無数のトゲを体中に帯びた山肌がぬっと姿を現した。
「サボテンボールだわ。こんなところに……」
「ん? 誰かいるのか?」
リュカとベラ以外の、声が聞こえた。まさかプックルが、と思い、リュカがプックルを見下ろすと、プックルは「何のこと?」と言わんばかりに小首を傾げている。
球状の大きな体を弾ませながら飛び出してきたサボテンボールの後ろに、緑のローブを身に付けた人型の魔物が姿を見せた。その肌は黄土色で、人間のものとも、妖精のものとも異なる。手がやたらと大きく、指はそれにも増して長い。
「魔法使いだわ。リュカ、気をつけて。下がって」
ベラに言われた通り、リュカは素早く後ろに下がって間合いを取った。サボテンボールはぴょんぴょんと雪の上を弾んでいる。魔法使いはその横で大きな口を開けて笑っている。
「お主、人間か?」
魔法使いに問いかけられたリュカは、素直に「うん」と答えた。魔物と会話をする不思議さに、リュカはどことなく心が躍るのを感じた。
「人間がこの世界に来るのはいつぐらいぶりじゃろうなぁ」
昔を懐かしむように魔法使いが眉間に皺を寄せながら目を閉じると、リュカはまるで人間の老人を見るように、すっかり気を抜いて魔法使いを見上げていた。
「リュカ! 油断しないで!」
ベラが叫ぶのと同時に、リュカは目の前が大きな影に包まれるのを見た。上を見上げると、サボテンボールが飛び上がって、リュカに無数のトゲを突き刺そうと落ちてくる。リュカは慌てて横に飛び退ったが、左足をトゲに刺され、思わず悲鳴を上げた。
「ちぃ、惜しいのう。もうちょっとで仕留められたものを」
魔法使いが下品た笑いを浮かべると、今度は自ら呪文を唱え始めた。リュカは足から噴き出す血に顔をしかめつつ、立ち上がる。左足を引きずるリュカを見て、プックルが体中の毛を逆立てた。主人の危機を初めて感じたようだ。
「がううっ」
プックルが怒りのままに魔法使いに突進した。石の牙を装着した口を大きく開け、魔法使いの黄土色の手に噛みつく。石の牙が魔法使いの手にめり込み、その手から黒い血が流れ出した。
「貴様っ、わしらの仲間じゃないのか、キラーパンサー!」
「ぐるるる……」
噛みついたまま離れないキラーパンサーの子供に、魔法使いは完成した呪文をもう片方の手でプックルに仕掛けた。黄土色の手の平から放たれる氷の刃に、プックルの身体が一瞬にして切られた。間近で受けたそのヒャドの呪文に、プックルは為す術なく吹き飛ばされ、雪の地面を転がった。白い雪の上にプックルの赤い血がしぶく。
「プックル!」
「リュカ、待って。まずはあなたの傷から治さないと……」
ベラがリュカの左足に回復呪文をかける。大きなトゲに刺された傷が塞がり、リュカは急いでプックルに駆け寄った。そして今度はリュカがプックルに回復呪文を施す。
「お主らも呪文が使えるのか。厄介だな……」
そう言いながら、魔法使いは違う呪文を唱え始めた。ベラは手にしていたナイフを右手に構えると、それを魔法使いに向かって投げた。しかしその前にサボテンボールが立ちはだかり、飛んでくるナイフを自分の身体に突きつけた。それでも尚、サボテンボールは笑っている。痛覚がないのかもしれない。
リュカはプックルと並んで立つと、腰紐に備えていたブーメランを取りだして構えた。プックルも再度魔法使いに飛びかかろうと、四足を雪の上に踏ん張る。
集中して念じ、リュカはブーメランを力いっぱい投げた。空気を切る鋭い音と共に、ブーメランは魔法使いの首に命中し、その勢いのまま、今度はサボテンボールの半身のトゲを根こそぎ取りはらった。魔法使いは苦しそうに咳き込み、呪文を中断し、サボテンボールは何が起こったのか分からない様子で、雪の上に散らばった自分のトゲを見つめた。
プックルが駆け出し、トゲのなくなったサボテンボールの身体に体当たりをした。球状のサボテンボールは雪の上を転がり、プックルはその上に乗っかり、鋭い爪で魔物の身体を引っ掻いたり、石の牙を突きたてたりした。そのうち、プックルはサボテンボールの堅い表皮で覆われた中に、みずみずしい果肉があることを発見し、食べ始めてしまった。
「プックルって、肉よりも野菜が好きなのかしら」
「リンゴも食べてたもんね」
むしゃむしゃとサボテンを食べているプックルは、魔法使いの存在を既に忘れていた。プックルに体を食べられているサボテンボールは、既にその意識を失い、ただのサボテンに戻りつつあった。
呑気に言葉を交わした二人を、呪文の気配が包み込んだ。「えっ?」という言葉が、声にならなかった。しゃべろうとしても、喉の奥から空気が漏れるだけで、言葉にならない。
「お主らの呪文を封じてやったわい。これでもう、回復なんぞできん」
魔法使いは再び大口を開けて笑ったが、右手から流れる黒い血に顔をしかめた。ぼたぼたと雪に黒いシミができるが、回復呪文の使えない魔法使いにはどうする事も出来ない。 その状態を見たリュカは、手に戻っていたブーメランを再び構える。言葉を交わすことができないベラとは、視線で会話をする。ベラはちらっとサボテンボールに突き刺さっているナイフを見ると、飛んで取りに行った。
その動きにつられて、魔法使いの視線がベラに飛ぶ。その隙にリュカは強く念じながら、ブーメランを思い切り投げた。真っ直ぐに飛んだブーメランが、魔法使いの頭に直撃した。魔法使いの身体が雪の上にどさりと倒れる。ブーメランはそのまま弧を描いてリュカの手元に戻った。
「がう?」
ひとしきりサボテンの果肉を食べたプックルが、その音にリュカを振り返った。リュカはブーメランを持つ右手を後ろに構え、今にも投げようとしている。サボテンボールからナイフを抜いたベラが、プックルのお尻を手で押し、雪の上に下ろした。
リュカが再びブーメランを投げつけた。しかし魔法使いはそれをすんでのところでかわし、新たに魔法を唱え始めた。氷の刃が、魔法使いの手から放たれ、リュカに向かう。
しかし、リュカは弧を描いて戻って来るブーメランごと、氷の刃を青銅の盾で防いだ。硬質な青銅の盾にいくつもの氷の刃が突き立ち、盾の一面が氷に覆われた。リュカが安堵のため息をつくが、声が出ないため、喉の奥から空気が漏れるだけだった。
「ちぃ、子供がそんな大層なモンを持っとるとはのう」
「がうがうっ」
主人に氷の刃を向けるとは何事だと言わんばかりに、プックルが唐突に雪を蹴って走り出した。魔法使いがその気配に気がつくのは遅く、プックルの足は速く、魔法使いが防御呪文を唱え始めたと同時に、プックルの前足の爪攻撃が魔法使いの顔に決まった。目をやられた魔法使いは視界を失ったことに混乱し、片手で顔を抑えながら、もう片方の手でやたらと氷の刃を飛ばし始めた。
狙いの定まらない氷の刃は空しく宙を切り裂き、地面に積もる雪に刺さる。リュカは落ち着いて氷の刃を見切り、今一度ブーメランを魔法使いに投げつけた。
魔法使いの脳天に直撃したブーメランは「こーん」という間抜けな音を響かせた後、リュカの手に戻ってきた。魔法使いは昏倒し、雪の上にばったりと倒れ、気を失ってしまった。
「ふう。……あ、しゃべれた」
「呪文の効果が切れたのね。良かった」
「今のうちに先に行こうよ」
「そうね、しばらくは気がつかないだろうし、行きましょうか」
リュカとベラが雪の上をそろそろと歩き始めると、プックルも雪の冷たさを思い出したかのように、踊るように雪の上を歩き始めた。少しだけ進んだ後、リュカが後ろを振り返る。
「どうかしたの?」
「うん、あのマモノ、寒くないかなって思って。カゼ引かないのかな」
「……リュカ、あなた、本当に人間よね?」
「? 何言ってるの、ベラ」
「魔物に優しすぎるのも問題だと思うわよ。悪くないとは思うけど」
既にリュカに対して情が沸いているベラは、リュカの身を案じてそう言った。キラーパンサーの子供を連れているだけでも変わった子供だというのに、たった今自分たちに容赦ない攻撃をしてきた魔物の心配をしている。リュカには人間と魔物と、ベラたちのような妖精との区別があまりついていないのかもしれない。まだ子供のリュカにとって、種族の違いは大した問題ではないようだ。
リュカの万物への思いやりは、妖精の村を治めるポワンの異種族への寛容さに通じるものがあると、ベラはポワンのことを思い浮かべながらそう思った。ポワンにもリュカにも、見た目に惑わされない本質を見抜く力があるのかも知れないと、ベラはやはりリュカの身を案じた。妖精のポワンは既に何百年と世界を見てきている知識、知能があるが、リュカはこの世に生まれ落ちてからまだ六年と少ししか経っていない。そんな純粋無垢なリュカにつけ入る悪い輩がそのうち現れるかも知れない。
今もリュカはプックルと半ば遊びながら、雪上を進んでいる。穢れの全くない純真な子供だ。ベラは彼らの後を飛んでついて行きながら、思わず頭を抱える。
「人間の子供ってどうやって育てたらいいのかしら……」
既に小さな子供を持つ母親の気分になっているベラであった。



山沿いに沿って北に向かっていたリュカたちは、再び森林地帯の前に出た。吹きすさぶ雪は激しさを増し、歩くにも視界が真っ白に染まり、思うように進めないほどだ。リュカは濃紫色のマントで雪を避けながら歩いていたが、空から容赦なく叩きつける雪に、無言で森林地帯を指さす。すぐ後ろにいるベラが頷き、雪に埋まりかけるプックルを抱き上げて、森林地帯に向かった。
視界が雪で染まる中、リュカは森林地帯を外から見上げた。すると、森の向こうに、寒気のするような青の建造物があるのを見た。激しい雪にかき消されそうだったが、自然にできたにしては不自然なほどに均整のとれた青白い塊があるのを、リュカは確かに見た。
先に森林地帯に避難していたベラに、リュカは森の奥を指さしながら教える。
「あっちになにか青いものがあったよ。あれが氷のヤカタなんじゃないかな」
リュカはそう言いながら、懐にしまっていた地図を取りだす。歩いてきた山沿いの位置と、今いる森林地帯との場所をおおよそ計り、たった今目にした青い建造物の場所を考える。地図には森と濠に囲まれるような場所があり、その中心には何も描かれていない。山や森を表すマークも何もなく、地図ではただの平地として認識されているだけだ。
「きっとそうね。間違いないわ。ザイルはここにいるのよ」
「じゃあもうすぐだね。ぼく、寒くて寒くて、カゼ引いちゃいそうだよ。おうちみたいなのがあるんだったら、早く入りたいな」
「おうち……敵の根城かも知れないんだけどね」
緊張感のないリュカの言葉に、ベラは張り詰めようとしていた緊張感が一気に解かれるのを感じた。魔物と仲良くなったりする特殊な能力を持ち合わせる一方で、自分がこれからどれだけの偉業を成し遂げようとしているのかを少年は理解していない。世界中の春がリュカの双肩にかかっていると言っても過言ではない状況なのだが、リュカはただ寒さを紛らすために氷の館に入りたいなどとのたまっている。
西の洞窟にいたドワーフ爺の話によれば、氷の館に立てこもったザイルと言うドワーフの少年は、ドワーフ爺が村を追い出されたと勘違いして、仕返しに春風のフルートを盗んで行ってしまったらしい。ザイルはただ、爺を思いやっているだけなのだ。方法こそ間違えているかも知れないが、ザイルというドワーフの少年は、心優しい一人の子供なのかもしれない。 その点ではリュカと変わらない。リュカも何の縁もゆかりもなかったこの妖精の世界に来て、困っているポワンの顔を見ると、春風のフルートを取り返すという役目を迷いなく受け入れてしまった。
結果、対立することにはなっても、ドワーフの少年も人間の少年も、彼らの純粋な優しさから行動を起こしているだけだった。ベラはふとその事実に気がつくと、ポワンが躊躇いもなく人間の子供を送り出した理由にも触れた気がした。
森の中では雪の勢いは静まり、積もる雪も平地よりは格段に少なく、雪上を歩く二倍以上の速さで進むことができるはずだった。しかし、森の中を唸るような風が吹き抜け、リュカはマントで全身を覆っていたが、度々それが引きはがされるほどの突風がリュカたちを襲った。プックルも四足の鋭い爪で雪にしがみつくようにして進んでいたが、二度ほど突風に吹き飛ばされ、雪の上を転がった。力の弱いベラは、自分の力だけでは進むこともままならず、木々の太い幹に隠れながら何とか前に進んでいた。
何度目になるか分からない突風がリュカたちを襲うと、それを最後に、ふと風が止んだ。森の中を抜ける風の音がなくなると、雪が静かに降る音が聞こえた。先ほどまでの突風が嘘のように、一切の風が止んでしまった。
リュカはマントが張り付いたままのしびれた腕をゆっくりと両脇に下ろした。手も足もしびれて感覚がほとんどなくなっているが、リュカの目ははっきりと目の前の景色を捉えた。 気がつけば、森を抜けていた。頭上を覆う木々はなくなり、灰色の空が一面に立ち込めている。目の前に広がる景色が白いのは変わりがないが、その先に、氷の館が堂々と佇んでいた。
周りを囲む濠の水も、この寒さに凍てつき、白い巨大な氷の塊と化している。氷の館はそれにも増して冷たさを強調するように、青白く、堅固で、見た目だけでも悪寒を感じるほどの雰囲気を漂わせていた。
「……寒そう。あんなところにザイルがいるんだよね」
「聞いた話だと、そうみたいよね」
「入ったら、ぼくたちみんな、氷になったりとかしないよね」
「ザイルがいるんだったら、大丈夫だとは思うけど。ザイルも良くこんなところに立てこもる気になったわね」
「ぼくだったら、こんなところにはいたくないなぁ。ザイルも本当はそうなんじゃないかな」
灰色の暗い空を背景に、冷たく青白い氷の館は来る者全てを拒む雰囲気で包まれている。入り口には石の下り階段があり、館の主の力でも働いているのか、階段から館の扉まで続く石の道には雪が降り積もっていない。おかげで楽に扉までたどり着けたが、溶けることのない氷の扉は固く閉ざされている。
「カギのぎほうを使えばいいんだよね」
「リュカ、覚えてる?」
「うん。覚えてるっていう感じじゃなくて、分かってるって感じなのかな」
その感覚はリュカにしか分からない。ベラは想像もつかないドワーフの特殊な技法に、到底理解が及ばない様子で、ただ後ろからリュカを見守った。
リュカは道具袋に入れてあった樫の杖の破片を取り出し、先端を右手で掴んだ。するとリュカの手の熱が小枝に伝わり、同時にリュカの頭の中に描かれるカギの形と同じ形に、小枝が変形していく。熱の作用が木を柔らかくするのか、樫の小枝は折れることなく、ぐにゃりと器用に形を変えて行く。リュカの手の熱が収まるのと同時に、樫の小枝は鍵の形を完成させた。
リュカは慎重に樫の鍵を氷の扉の鍵穴に差し込んだ。リュカの親指ほどの鍵穴がガチャリと重々しい音を立てる。樫の木の破片で作った仮の鍵は、役目を終えたのを確認するかのように、そのまま粉々になって床に散らばり、床の上で凍りついた。
冷たい氷の扉を押すと、思いの外扉はすんなりと開いた。まるで引き入れられるかのような扉の軽さに、リュカは思わず前のめりになり、中へ一歩足を踏み入れた。途端、リュカの両足は氷上を滑り始める。
氷の館の入り口から、足の裏に感じる感触が自由の利かない氷上になった。両腕をバタバタさせるも、滑る足は止まらない。目前にはぽっかりと口を開けた落とし穴が待ち構えている。
リュカは為す術もなく、大口を開けて待っていた落とし穴に呑みこまれた。主人の姿が目の前から消えると、追いかけようとしたプックルが氷上に滑りだし、同じように落とし穴に落ちてしまった。
その場に取り残されたベラはしばらく呆気にとられていたが、慌てて後を追いかけた。羽根を羽ばたかせ、空中低いところを飛んで行く。
ベラが階下を覗き込むと、リュカとプックルがベラを見上げていた。幸い、彼らに怪我はないようだ。しかし見ている傍から再びリュカが転んだ。氷の上では何の自由も利かないらしい。
「私が先に行った方が良さそうね。リュカはプックルを抱っこして、私につかまって」
リュカの両手を掴んで起こそうとするが、妖精であるベラは体も軽く力も弱く、人間の子供であるリュカを起き上がらせることもできない。結局リュカは自分で氷の上に立ちあがった。両足で上手く踏ん張っていないと、またいつ滑って転ぶかも分からないほど、この氷の床は磨きあげられたように滑りやすくなっている。
リュカたちがいる地下の氷の部屋は、外からの明かりが上階の氷の床を通り抜けてくるため、視界に困ることはない。部屋の見通しは良く、松明のような明かりを必要とすることもない。
「すごいキレイなところだね」
リュカが寒さに震えながら呟いた。氷だけでできているこの館はどこを見渡しても青白く、神秘的な雰囲気にさえ包まれている。床も壁も誰かの手で磨き上げられたかのように、一点の曇りもない。床に目を落とせば、まるでそこに鏡があるかのようにリュカの顔が映し出される。
部屋のところどころに氷の柱が立っている。その柱が上階の氷の床を支えている。その柱も曇りなく透明で、向こう側の景色が透けて見えた。
「……魔物もいるわね」
ベラが捉えた魔物の姿は、紫色のウサギの集団だった。額に鋭い角を生やし、両目は黄色く、鈍く光っている。アルミラージというその魔物は、リュカたちが落ちて来たその音に大きな耳をピクリと動かし、その存在に気が付いていた。リュカたちをじっと見つめている。
「こんなところじゃ上手く戦えないわ。何とか逃げるようにしましょう」
ベラがそう言った矢先、アルミラージ数匹が床を滑りながら近づいてきた。見ていると、魔物たちも滑る床には自由が利かない様子だ。先頭の一匹が勢いをつけて向かってきたが、後から続く数匹のアルミラージはわたわたと思うように進まないのを丸出しにしてついてきた。
「リュカ、とりあえずあっちに!」
ベラがプックルを抱きかかえるリュカの背中を押すと、リュカは両足を踏ん張ったまま氷の床を滑って行った。そして上手い具合に氷の柱に手をついて止まる。その後をベラが飛んでついてくる。
先頭のアルミラージがたった今リュカたちがいたその場所に到着した直後、後から続いてくるアルミラージたちが押し寄せ、次々とその場で転んだ。
「どうしてこんなところにいるんだろう。本当はここから出たいんじゃないのかな」
プックルとさほど変わらない大きさの紫色のウサギたちを見て、リュカはふと不思議に思った。
「外の雪がすごくて、ここだったら大丈夫だと思って、入ったら出られなくなっちゃったのかな」
「リュカ、相手は魔物なのよ。そこまで心配してあげなくてもいいと思うけど」
ベラの言うことを聞いているのか聞いていないのか、リュカは返事もせずにアルミラージを気遣わしげに見つめた。ようやく混乱を収めたアルミラージたちも、リュカの視線に気づいてか、人間の少年を見返す。
「リュカ、あっちに上に上る階段があるわ。行きましょう」
ベラが指さす方向に、外からの弱い光を受けて鈍く光る氷の階段があった。リュカは階段を一度振り返ると、またアルミラージたちに向き直り、手招きをした。
「おいで。一緒に上に行こう」
リュカの行動に、ベラは呆れるやら感心するやらで、もう言葉も出なかった。ポワンが願いを託した少年なのだと思い、ベラは彼の奇抜な行動にも口を出さないことにした。
リュカの優しさなどお構いなしに、アルミラージは氷の床を勢いよく蹴って、突進してきた。ベラがリュカを階段の方へ押しやり、リュカは氷上に尻餅をついたまま滑って行った。プックルも慌ててリュカを追う。アルミラージはリュカたちのいた場所をそのまま通り過ぎ、勢い余って柱にぶつかった。後ろから続いてきていた仲間たちもたちまち柱に激突した。
「リュカ、とりあえず上に上がりましょう。その子達だったら大丈夫よ。ほら、あったかそうな毛がたくさん生えているでしょ」
プックルの固い毛とは違い、アルミラージの体毛は柔らかく、熱を逃さない。寒さを寒さとも感じないのは、分厚い毛皮に包まれているからだ。
アルミラージたちはリュカが滑って進んでいくのを真似て、一匹ずつ氷を後ろ足で蹴って進んでくる。勢いが良すぎて転んでしまうウサギもいるが、すぐに起き上がって仲間と鼻を突き合わせながら、「次はあの階段のところまで」と話し合っているかのようだった。
リュカはベラに言われたことを信じて、階段を慎重に上り始めた。プックルは氷の上に慣れて来たのか、爪を氷に立てながら器用に階段を上る。
階段を上がると、天井から雪空がうっすら透けて見えた。右側には分厚い氷を支える頑丈な石柱が並んでいる。天井から外の明かりが入り込み、辺り一面がおとぎの世界のように輝く。
「せっかく綺麗なところなのに、この景色が楽しめないなんて残念だわ」
ベラがほうっとため息をつく。魔物の住処になっているとはいえ、氷の館の美しさは異様なほどだった。館の主は一体何者なのか、ベラは何とはなしに想像してみたが、彼女の頭の中にはポワンしか出てこなかった。
右側に並ぶ石柱に手を沿わせながら、リュカはゆっくりと氷の上を進んだ。今のところ、魔物の姿はない。階下のアルミラージもまだ階段を上って来てはいないようだ。
「ザイルはここにいるのかな。ここって、さっきぼくたちがいたところ?」
「多分、そうだと思うわ。どこかに隠れているのかしら」
端の石柱までたどり着くと、リュカはその柱から顔を覗かせた。広い氷の部屋には不規則に大きな氷の障害物がある。そして天井を見上げると、空の明かりが透けて見えるのとは別に、部屋の中央付近に、何やら大きなものが置かれているのが見える。その大きなものの周りを、小さな子供のような影がうろちょろしている。
「あ、ベラ、あれって……」
「誰かいるみたいね」
「ザイルじゃないかな。ザイルもどわーふだよね。ぼくぐらいに小さいんだよね」
リュカはどこか楽しげにベラに話す。春風のフルートを奪ったザイルというドワーフの少年に対し、大した敵意など抱いていないリュカは心のどこかでザイルに会えるのを楽しみにしているようだ。
「上への階段を見つけましょう。どこかにあるはずだわ」
ベラの言葉を受けて、リュカは石の柱に手を当てて身を乗り出して部屋の景色を見渡す。遠くに魔物の姿がちらついたが、この滑る氷の床ではすぐには来られない距離だ。リュカは落ち着いて再び部屋の中を眺めた時、突然、頭に打撃を受けた。後ろからの衝撃に、リュカは足を滑らせて、そのまま前方の氷の柱にぶつかった。
見上げると、氷の部屋の天井に、三匹の黄色いコウモリらしきものが止まっている。大きな赤い口を開けて、まるで転んだリュカを笑ってでもいるかのようだ。
「ドラキーマだわ。気をつけて、呪文を使うわよ」
耳には聞こえないが、ドラキーマは彼らにしか聞こえない声で呪文を唱えている。リュカはとっさに腰紐からブーメランを取り出し、素早く投げた。ブーメランに念を込めるのも慣れ、投げたブーメランは狂いなくドラキーマ三匹を同時に襲う。二匹には命中したが、一匹は騒がしい羽根の音を立てて攻撃を避けた。
「プックルにはとどかないね。プックル、ちょっとじっとしててね」
「……がう」
多少不満そうではあったが、プックルは自分の身を守るように、氷の上でじっと体を丸めていた。
羽根にダメージを受けたドラキーマが、今度は自分自身に呪文をかける。その効果はリュカも知っている回復呪文ホイミだった。
「うまく逃げるわけにも行かないだろうし。やっつけるしかないわね」
ベラが呪文の詠唱に入る。リュカは再びブーメランを投げつけた。プックルは何もやることがなく、暇そうに足元の氷を爪で掻いている。
ベラの閃光呪文が天井に止まるドラキーマに向かって放たれる。呪文を受けたドラキーマたちが天井から落ち、呪文の熱で溶けだした天井の一部から、水がぼたぼたと落ちて来た。平らな氷の上に水たまりが広がる。プックルが鼻に皺を寄せながら、広がる水を避ける。
しかしドラキーマは物珍しそうに、氷の床にできた水たまりに群がった。そして水たまりに顔を突っ込んで、水を飲み始めてしまった。リュカがブーメランを構え、ベラが再び呪文の構えを取っても、ドラキーマたちは水から離れない。
「もしかしたら、喉が渇いていたのかしら」
リュカたちは水を美味しそうに吸っているドラキーマの横を、文字通り滑るようにして通り過ぎて行った。
上りの階段は氷の柱に透けて見えた。

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

 




 
この記事を書いている人 - WRITER -

Copyright© LIKE A WIND , 2014 All Rights Reserved.